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MIさんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[108749]2023年9月13日
MI
[106923]2023年2月15日
MI
[105364]2022年8月30日
MI
[105359]2022年8月28日
MI
[105347]2022年8月26日
MI
[105345]2022年8月26日
MI
[105340]2022年8月26日
MI
[104806]2022年6月8日
MI
[102287]2021年8月28日
MI
[102187]2021年7月18日
MI
[102156]2021年7月6日
MI
[102139]2021年7月1日
MI
[102105]2021年6月16日
MI
[102104]2021年6月16日
MI
[102099]2021年6月14日
MI
[102098]2021年6月14日
MI
[102092]2021年6月12日
MI
[101512]2021年4月9日
MI
[101394]2021年2月9日
MI
[101383]2021年2月7日
MI
[100193]2020年8月25日
MI
[100107]2020年8月16日
MI
[100104]2020年8月15日
MI
[100095]2020年8月13日
MI
[99894]2020年6月9日
MI
[99887]2020年6月7日
MI
[99876]2020年6月3日
MI
[99874]2020年6月2日
MI
[99867]2020年5月30日
MI
[99832]2020年5月23日
MI

[108749] 2023年 9月 13日(水)22:41:31MI さん
市区町村変遷情報(長野県&福井県&石川県&千葉県)の更新について
[108729] オーナー グリグリ さん
[99923] むっくん さん

 更新データで2点気づいたことがありますので記します。ご見解を戴ければ幸いです。

長野県
230 新設/村制 東筑摩郡塩尻村 東筑摩郡 塩尻町村, 柿沢村, 金井村, 上西条村, 中西条村, 下西条村, 大小屋村, 長畝村, 桟敷村, 大門村, 堀ノ内村, 「筑摩村の一部」
237 新設/村制 東筑摩郡松本村 東筑摩郡 出川町村, 笹部村, 両島村, 高宮村, 並柳村, 筑摩村「の一部」
#230塩尻村に筑摩村の一部を追加、#237松本村で筑摩村(微)→筑摩村の一部に変更。
#塩尻村の一部となったのは筑摩村(庄内,埋橋,筑摩,三才,中林,小島の内田川東の部落)、松本村の一部となったのは筑摩村(鎌田,征矢野,小島の内田川西の部落)とあり、筑摩村はM8.1.23に庄内村、埋橋村、中林村、筑摩村、三才村、小島村が合併して成立した村です。
 と記されたうち、「塩尻村」の部分は「松本町」の誤りではないのでしょうか。(長野県現行令達類聚 上 p.1401)
 そうであれば、現在の変遷情報で東筑摩郡松本町の末尾にある「筑摩村(微)」を「筑摩村の一部」に改めたうえ、同郡塩尻村の「筑摩村の一部」を削除することになると思います。

福井県
126 新設/村制 丹生郡四「箇」浦村 丹生郡 梅浦村, 宿浦, 新保浦, 小樟浦, 大樟浦
四ヶ浦村→四箇浦村
参考:県令第19号
消滅時のM40.8.1も官報第七二二六号(明治四十年七月三十一日)によりますと、
○村合併並役場位置
来る八月一日より丹生郡四箇浦村及上岬村を合併して四箇浦村を置き役場位置を丹生郡四箇浦村大字宿第一号八番地に、三方郡田井村及西浦村を合併して西田村を置き役場位置を三方郡西田村大字田井第九十三号四番地に定む
明治四十年七月 福井県
とあり、成立時より消滅時まで四ヶ浦村ではなくて四箇浦村でした。
 これは福井県文書館で1907年の県報を確認しております。
◎福井縣告示第百三十四號
縣下丹生郡四箇浦村及上岬村ヲ合併シテ四箇浦村ヲ置キ三方郡田井村及西浦村ヲ合併シテ西田村ヲ置ク。
右町村制第四條ニ依リ縣參事會ノ議決ヲ經内務大臣ノ許可ヲ受ケ明治四十年八月一日ヨリ施行ス
  明治四十年七月二十六日  福井縣知事 坂本釤之助

 ところがです。1946年の町制施行時の県報は、
○福井縣告示第二百三十二號
丹生郡四ヶ浦村を四ヶ浦町となし昭和二十一年八月一日から施行の件許可した
  昭和二十一年七月二十七日
    福井県知事  齊藤武雄
であり、その間に四箇浦村を四ヶ浦村に改称したという記録もないようです。一方、例えばウィキペディアでは「ヶ」の説明として、
助数詞や連体助詞「が」の用途として使用される場合の「ヶ(ケ)」は、片仮名の「ケ」とは由来を別にし、「箇」または「个」の略字とされる。
とあることから、当方のデータベースでは「箇」と「ヶ」は同じものであると判断しました。したがって1889(明22).04.01市制町村制施行時に「四ヶ浦村」が成立し、1907(明40).08.01も「四ヶ浦村」と「上岬村」が合併して「四ヶ浦村」を新設、1946(昭21).08.01には「四ヶ浦村」が町制施行して「四ヶ浦町」となったと解釈しております。
[106923] 2023年 2月 15日(水)07:51:28MI さん
仙台市が1988年3月1日に泉市と秋保町を編入した告示
[106912] 白桃 さん
[106913] BANDALGOM さん
[106915] むっくん さん
[106916] 白桃 さん

 もう結論も出て履歴情報も修正されましたが、同日編入であっても本来は「別々に記載すべき」理由・典拠を明記しておきましょう。
皆様の記載に倣って、宮城県の
144 1988(S63).3.1 編入 仙台市 仙台市, 泉市, 名取郡 秋保町
の法的根拠は
自治省告示 第二十一号
市の廃置分合
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七条第一項の規定により、宮城県泉市を廃し、その区域を仙台市に編入する旨、宮城県知事から届出があつた。
 右の処分は、昭和六十三年三月一日からその効力を生ずるものとする。
昭和六十三年二月十八日
自治大臣 梶山 静六

自治省告示 第二十二号
市町の廃置分合
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七条第一項の規定により、宮城県名取郡秋保町を廃し、その区域を仙台市に編入する旨、宮城県知事から届出があつた。
 右の処分は、昭和六十三年三月一日からその効力を生ずるものとする。
昭和六十三年二月十八日
自治大臣 梶山 静六
と別々に告示されております。
 したがって、履歴情報にこの典拠も付加することになると、これらを一つにまとめて記載するわけにはいかなくなる、ということですね。
[105364] 2022年 8月 30日(火)07:31:57MI さん
同一都道府県の同一名市町村
ひとつスクリプトができればそれを応用できますので、「同一都道府県の同一名市町村」を抜き出してみました。
3市町村以上が併存するケースももれなく示すためにちょっと頭を捻りましたが、なんとか出来たと思います。
全部で1689例にも及びましたので、4市町村以上のものに絞ってご紹介します。

都道府県市町村1市町村2市町村3市町村4市町村5開始日終了日
群馬県西群馬郡 東村1吾妻郡 東村佐位郡 東村1利根郡1 東村11889.04.011896.04.01
群馬県南勢多郡 東村1吾妻郡 東村佐位郡 東村1利根郡1 東村11889.04.011896.04.01
群馬県南勢多郡 東村1吾妻郡 東村佐位郡 東村1西群馬郡 東村11889.04.011896.04.01
群馬県南勢多郡 東村1吾妻郡 東村利根郡1 東村1西群馬郡 東村11889.04.011896.04.01
群馬県南勢多郡 東村1佐位郡 東村1利根郡1 東村1西群馬郡 東村11889.04.011896.04.01
群馬県南勢多郡 東村1吾妻郡 東村佐位郡 東村1利根郡1 東村1西群馬郡 東村11889.04.011896.04.01
群馬県勢多郡 東村2吾妻郡 東村群馬郡 東村2佐波郡 東村21896.04.011954.04.01
群馬県利根郡2 東村2吾妻郡 東村群馬郡 東村2佐波郡 東村21896.04.011954.04.01
群馬県利根郡2 東村2吾妻郡 東村群馬郡 東村2勢多郡 東村21896.04.011954.04.01
群馬県利根郡2 東村2群馬郡 東村2佐波郡 東村2勢多郡 東村21896.04.011954.04.01
群馬県利根郡2 東村2吾妻郡 東村群馬郡 東村2佐波郡 東村2勢多郡 東村21896.04.011954.04.01
群馬県利根郡2 東村2吾妻郡 東村佐波郡 東村2勢多郡 東村21896.04.011956.09.30
千葉県武射郡 旭村夷隅郡 旭町印旛郡1 旭村1海上郡 旭町11889.04.011893.01.27
千葉県武射郡 旭村夷隅郡 旭町印旛郡1 旭村1東葛飾郡1 旭村11889.04.011893.01.27
千葉県武射郡 旭村夷隅郡 旭町海上郡 旭町1東葛飾郡1 旭村11889.04.011893.01.27
千葉県武射郡 旭村印旛郡1 旭村1海上郡 旭町1東葛飾郡1 旭村11889.04.011893.01.27
千葉県武射郡 旭村夷隅郡 旭町印旛郡1 旭村1海上郡 旭町1東葛飾郡1 旭村11889.04.011893.01.27
千葉県東葛飾郡1 旭村1夷隅郡 旭町印旛郡1 旭村1海上郡 旭町11889.04.011897.04.01
千葉県武射郡 豊岡村1天羽郡 豊岡村1海上郡 豊岡村長柄郡 豊岡村11889.04.011897.04.01
千葉県東葛飾郡2 旭村2夷隅郡 旭町印旛郡2 旭村2海上郡 旭町11897.04.011900.07.25
千葉県長生郡 豊岡村2海上郡 豊岡村君津郡 豊岡村2山武郡 豊岡村21897.04.011926.04.24
新潟県南魚沼郡 旭村刈羽郡 旭村中頸城郡 旭村東頸城郡 旭村11889.04.011901.11.01
新潟県南蒲原郡 旭村刈羽郡 旭村中頸城郡 旭村東頸城郡 旭村11889.04.011901.11.01
新潟県南蒲原郡 旭村刈羽郡 旭村中頸城郡 旭村南魚沼郡 旭村1889.04.011901.11.01
新潟県南蒲原郡 旭村刈羽郡 旭村東頸城郡 旭村1南魚沼郡 旭村1889.04.011901.11.01
新潟県南蒲原郡 旭村中頸城郡 旭村東頸城郡 旭村1南魚沼郡 旭村1889.04.011901.11.01
新潟県南蒲原郡 旭村刈羽郡 旭村中頸城郡 旭村東頸城郡 旭村1南魚沼郡 旭村1889.04.011901.11.01
新潟県南蒲原郡 大島村1北蒲原郡 大島村東頸城郡 大島村1三島郡 大島村1889.04.011901.11.01
新潟県南蒲原郡 中条村1北魚沼郡 中条村北蒲原郡 中条町1中魚沼郡 中条村11889.04.011901.11.01
新潟県南蒲原郡 大和村北蒲原郡 大和村中頸城郡 大和村南魚沼郡 大和村A1891.07.171901.11.01
新潟県南蒲原郡 下条村1北魚沼郡 下条村中魚沼郡 下条村1東蒲原郡2 下条村1900.06.221901.11.01
岐阜県中島郡 中村1安八郡 中村1方県郡 中村A1可児郡 中村11889.07.011897.04.01
岐阜県益田郡 三郷村1安八郡 三郷村1恵那郡 三郷村多芸郡 三郷村1889.07.011897.04.01
岐阜県本巣郡1 市場村1池田郡 市場村1羽栗郡 市場村1武儀郡 市場村11889.07.011897.04.01
岐阜県本巣郡1 中村B1安八郡 中村1方県郡 中村A1可児郡 中村11889.07.011897.04.01
岐阜県本巣郡1 中村B1安八郡 中村1方県郡 中村A1中島郡 中村11889.07.011897.04.01
岐阜県本巣郡1 中村B1安八郡 中村1可児郡 中村1中島郡 中村11889.07.011897.04.01
岐阜県本巣郡1 中村B1方県郡 中村A1可児郡 中村1中島郡 中村11889.07.011897.04.01
岐阜県本巣郡1 中村B1安八郡 中村1方県郡 中村A1可児郡 中村1中島郡 中村11889.07.011897.04.01
愛知県東春日井郡 八幡村愛知郡 八幡村海東郡 八幡村知多郡 八幡村11889.10.011906.05.01
愛知県東春日井郡 八幡村愛知郡 八幡村海東郡 八幡村知多郡 八幡村21906.05.011906.07.01
愛知県宝飯郡 八幡村愛知郡 八幡村知多郡 八幡村2東春日井郡 八幡村1906.07.011906.07.16
愛知県東加茂郡 旭村碧海郡 旭村知多郡 旭村東春日井郡 旭村1906.07.161948.04.05
三重県河曲郡 神戸町1安濃郡 神戸村1飯高郡 神戸村1伊賀郡 神戸村11889.04.011896.04.01
三重県名賀郡 神戸村2安濃郡 神戸村1飯南郡 神戸村2河芸郡 神戸町21896.04.011931.04.01
岡山県都宇郡 山田村1小田郡 山田村下道郡 山田村1児島郡 山田村11889.06.011900.04.01
岡山県和気郡 山田村小田郡 山田村下道郡 山田村1児島郡 山田村11889.06.011900.04.01
岡山県和気郡 山田村小田郡 山田村下道郡 山田村1都宇郡 山田村11889.06.011900.04.01
岡山県和気郡 山田村小田郡 山田村児島郡 山田村1都宇郡 山田村11889.06.011900.04.01
岡山県和気郡 山田村下道郡 山田村1児島郡 山田村1都宇郡 山田村11889.06.011900.04.01
岡山県和気郡 山田村小田郡 山田村下道郡 山田村1児島郡 山田村1都宇郡 山田村11889.06.011900.04.01
岡山県都窪郡 山田村2小田郡 山田村吉備郡 山田村2児島郡 山田村11900.04.011902.04.01
岡山県和気郡 山田村小田郡 山田村吉備郡 山田村2都窪郡 山田村21900.04.011902.04.01
岡山県和気郡 山田村小田郡 山田村児島郡 山田村1都窪郡 山田村21900.04.011902.04.01
岡山県和気郡 山田村吉備郡 山田村2児島郡 山田村1都窪郡 山田村21900.04.011902.04.01
岡山県和気郡 山田村小田郡 山田村吉備郡 山田村2児島郡 山田村1都窪郡 山田村21900.04.011902.04.01
岡山県和気郡 山田村小田郡 山田村吉備郡 山田村2児島郡 山田村11900.04.011953.07.01
広島県御調郡 八幡村佐伯郡 八幡村奴可郡 八幡村1三谿郡 八幡村11889.04.011898.10.01
広島県山県郡 原村賀茂郡 原村1佐伯郡 原村1三次郡 原村11889.04.011898.10.01
広島県山県郡 八幡村佐伯郡 八幡村奴可郡 八幡村1三谿郡 八幡村11889.04.011898.10.01
広島県山県郡 八幡村佐伯郡 八幡村奴可郡 八幡村1御調郡 八幡村1889.04.011898.10.01
広島県山県郡 八幡村佐伯郡 八幡村三谿郡 八幡村1御調郡 八幡村1889.04.011898.10.01
広島県山県郡 八幡村奴可郡 八幡村1三谿郡 八幡村1御調郡 八幡村1889.04.011898.10.01
広島県山県郡 八幡村佐伯郡 八幡村奴可郡 八幡村1三谿郡 八幡村1御調郡 八幡村1889.04.011898.10.01
広島県山県郡 原村賀茂郡 原村1佐伯郡 原村1双三郡 原村21898.10.011917.05.01
広島県御調郡 八幡村佐伯郡 八幡村比婆郡 八幡村2双三郡 八幡村21898.10.011953.02.11
広島県山県郡 八幡村佐伯郡 八幡村比婆郡 八幡村2双三郡 八幡村21898.10.011953.02.11
広島県山県郡 八幡村佐伯郡 八幡村比婆郡 八幡村2御調郡 八幡村1898.10.011953.03.22
広島県山県郡 八幡村佐伯郡 八幡村双三郡 八幡村2御調郡 八幡村1898.10.011953.02.11
広島県山県郡 八幡村比婆郡 八幡村2双三郡 八幡村2御調郡 八幡村1898.10.011953.02.11
広島県山県郡 八幡村佐伯郡 八幡村比婆郡 八幡村2双三郡 八幡村2御調郡 八幡村1898.10.011953.02.11
広島県山県郡 原村安佐郡 原村賀茂郡 原村1佐伯郡 原村11920.04.011943.11.03
広島県御調郡 河内村佐伯郡 河内村豊田郡 河内町1双三郡 河内村21924.04.011954.03.31
大分県南海部郡 八幡村宇佐郡 八幡村大分郡 八幡村1玖珠郡 八幡村1889.04.011939.08.15
大分県南海部郡 明治村宇佐郡 明治村大分郡 明治村直入郡 明治村1889.04.011942.04.01

 この中には「市」は含まれませんでした。また併存している5町村のうちの4町村(5C4=5通り)は、共存時期がずれていることもあるため、省略せずに明示してあります。
[105359] 2022年 8月 28日(日)16:40:59【1】訂正年月日
【1】2022年 8月 29日(月)18:56:38
MI さん
同一郡内の同一名町村リスト(改訂版)
[105340] MI
[105342] k_ito さん
[105343] オーナー グリグリ さん
[105348] サヌカイト さん

 皆様からコメントを戴きまして有難うございました。先日は
流石に自動的というわけにはいきません
と記しましたが、ちょっと時間が取れたので市町村名リストのファイルから「同一郡内の同一名町村」を抽出する awk スクリプトを作って実行してみたところ、大阪府錦部郡に長野村が二つあるとしたものの一つは丹南郡であったことが判明しました。また、タイトルに忠実に考えれば市名と同一名の町村も外したほうが良さそうですので、あらためて改訂版ということで挙げることにしました。末尾にサフィックスがついているのは当方の作業用のものとご理解下さい。

府県市町村A市町村B開始日終了日
山形県西置賜郡長井町A長井村B1889.04.011954.11.15
埼玉県北足立郡1大谷村B1大谷村A11889.04.011896.04.01
埼玉県北足立郡2大谷村B2大谷村A21896.04.011913.04.01
千葉県市原郡市原町B市原村A11955.03.311956.07.01
東京府北豊島郡巣鴨町B巣鴨村A11889.05.011918.07.20
新潟県西頸城郡名立村B名立町A11901.11.011955.11.01
石川県石川郡大野町B大野村A1898.05.121935.12.16
長野県上伊那郡伊那村B伊那町A1898.06.171954.04.01
長野県東筑摩郡松本町A松本村B1889.04.011907.05.01
岐阜県下石津郡高須町A1高須村B11889.07.011897.04.01
愛知県渥美郡豊橋町A1豊橋村B11889.10.011895.02.25
愛知県額田郡岡崎町A1岡崎村B1889.10.011906.05.01
愛知県額田郡岡崎町A2岡崎村B1906.05.011916.07.01
京都府船井郡園部町A1園部村B1889.04.011929.04.01
大阪府泉南郡岸和田町A2岸和田村B21896.04.011912.01.01
大阪府南郡2岸和田町A1岸和田村B11889.04.011896.04.01
大阪府南河内郡長野村B2長野村A21896.04.011896.05.04
鳥取県西伯郡大山町B1大山村A21955.09.011955.11.03
島根県神門郡杵築町A1杵築村B11889.04.011896.04.01
島根県簸川郡杵築町A2杵築村B21896.04.011925.04.01
岡山県川上郡成羽町B1成羽村A11901.04.011906.04.01
愛媛県伊予郡1郡中町B1郡中村A11889.12.151897.04.01
愛媛県伊予郡2郡中町B2郡中村A21897.04.011940.01.01
愛媛県喜多郡大洲村C大洲町A11908.04.011934.01.01
佐賀県杵島郡2武雄町A1武雄村B1889.04.011900.06.07
佐賀県西松浦郡2有田村B有田町A11895.11.131947.01.01
佐賀県東松浦郡2唐津町A1唐津村B11889.04.011931.02.01
佐賀県藤津郡2鹿島町A鹿島村B1912.12.011954.04.01
長崎県北高来郡諫早町A1諫早村B11889.04.011923.04.01
長崎県北松浦郡平戸町A1平戸村B11889.04.011925.04.01
長崎県南高来郡島原町A1島原村B11889.04.011924.04.01
熊本県玉名郡玉名町B玉名村A11942.05.201954.04.01
鹿児島県大島郡十島村B1十島村A1946.02.021952.02.10

 なお、[105348]サヌカイト さんから「両方が村」のご指摘を戴いておりましたが、埼玉県北足立郡大谷村と大阪府南河内郡長野村、それに鹿児島県大島郡十島村の3例ありますので、ちょっと調べてみました。

 『埼玉県各郡町村名及役場位置』(1894 埼玉県)には、後に七里村となる方は「膝子村外六村組合」を構成しており、一覧表においても単独の大谷村ではなく組合村として扱われていることがわかります。もう一つの大谷村は通常の記載になっていることと対照的です。これによって混乱を防ごうとしているように思われます。
 一方、同種の資料でも『改正埼玉県町村便覧』(1889 原久吉)には組合名が「大谷村外六ヶ村組合」とされています。こちらが町村制施行直後であることから想像すると、大谷村外の組合村と単独の大谷村では不都合があり、短期間で組合名称から大谷を外したように思われます。組合村付近を今昔マップで御覧ください。東武野田線の七里駅周辺にあたる地域ですが、1913(大02)年4月1日に組合村七ヶ村が合併して七里村となり、ようやく併存状態は解消されたのです。なお、北足立郡は1896(明29)年に新座郡と合併して新たな北足立郡となっているので区別しています。
 単独の大谷村は現在の上尾市南部に相当します。

 『大阪府郡部町村名』(1889 吉田常三郎)によると、町村制施行時、長野村は二つありましたが、錦部郡丹南郡それぞれに分かれていました。それが1896(明29)年の「大阪府下郡廃置法律」
大阪府河内國石川郡、錦部郡、八上郡、古市郡、安宿部郡及丹南郡ヲ廢シ其ノ區域ト志紀郡ヲ廢シ其ノ區域ノ一部(道明寺村、小山村、柏原村、太田村、志紀村)トヲ以テ南河内郡ヲ置ク
により、同年4月1日から新設の南河内郡に二つの長野村が存在することになってしまったのです。兵庫県では郡統合の直前に村名を改めましたが、こちらでは郡統合からひと月後の5月4日に旧丹南郡の長野村を藤井寺村と変更することで村名競合を避けたものと思われます。その後も町名・市名でいろいろあったようですが、現在の藤井寺市の主要部分にあたります。今昔マップでも御覧ください。
 旧錦部郡の長野村は現在の河内長野市に相当します。

 最後の十島村は[105340]で記したとおり、米国に占領された部分と日本側に残った部分という特殊事情によるものでした。

#スクリプトのミスで、岡崎町A2と岡崎村Bのデータが漏れていたのを追加しました。
[105347] 2022年 8月 26日(金)13:26:49MI さん
郡は異なるが隣接する同一名町村
昨日調べながら見つかったことを思い出したので記しておきます。
「郡は異なる」ので[105340]には全く該当しないものなのですが、二つの例が見つかりました。

市町村A市町村B開始日終了日
新潟県中蒲原郡白根町西蒲原郡白根村1889.04.011901.11.01
京都府久世郡淀町乙訓郡淀村1889.04.011936.02.11

 ひなたGIS で古い地形図を御覧ください。
白根町と白根村(五万分一「新津」昭06要部修正)
 北流する中ノ口川右岸(東)が中蒲原郡白根町、左岸(西)が西蒲原郡白根村(1901年に合併しており地図では味方村白根)
淀町と淀村(五万分一「京都西南部」昭和07第二回部分修正)
 京阪線淀駅のあたりが久世郡淀町、北へ向かい桂川を挟んだ右岸が乙訓郡淀村

 同様の例はまだまだありそうな気がするのですが。
[105345] 2022年 8月 26日(金)12:44:43MI さん
堺市と堺区のデータは誤りでした
[105343] オーナー グリグリ さん
大阪府堺市A 堺市堺区B 2006.04.01 ★
これは内包関係ですから特殊な例で本来の趣旨には合わないかと思います
 おっしゃる通りです。大急ぎでデータを拾っているうちに自分でも混乱していたようです。ただ[105340]を直してしまうと、グリグリさんの[105343]が繋がらなくなってしまいますので、堺市と堺区のデータはここで削除すると記すだけにしておきます。大変失礼致しました。

 今回は「市制町村制施行以後」でデータを纏めましたが、「市制町村制施行直前」まで該当していたものが実際には相当数あることが分かっています。さらに、同一郡内の同一名町村だが時期がずれており共存はしていないものもかなりあります。これには合併によって別な名称になったが再び元の町村名に復したようなものも含まれますね。
[105340] 2022年 8月 26日(金)00:09:16【1】訂正年月日
【1】2022年 8月 26日(金)05:53:55
MI さん
同一郡内の同一名町村リスト
[105333] オーナー グリグリ さん
[105336] ぺとぺと さん
[105338] 白桃 さん

 原則市制町村制施行以後で該当するものを、自作データベースから拾い出してみました。流石に自動的というわけにはいきませんが、同一郡内の同一名町村には名称の末尾にABCなどを付加してありますので、そのうちで同時に存在していたもののみリストアップしたうえで、共存期間と並べてみました。おまけとして「同一県内の同一郡名」も入っています。

市町村A市町村B開始日終了日
北海道札幌郡札幌村A札幌市B1922.08.011955.03.01
北海道釧路区A釧路郡釧路村B1920.07.011922.08.01
北海道釧路市A釧路郡釧路村B1922.08.011980.04.01
北海道釧路市A釧路郡釧路町B1980.04.01
山形県西置賜郡長井町A長井村B1889.04.011954.11.15
埼玉県北足立郡大谷村A大谷村B1889.04.011913.04.01
千葉県市原郡市原村A市原町B1955.03.311956.07.01
東京府北豊島郡巣鴨村A巣鴨町B1889.05.011918.07.20
新潟県西頸城郡名立町A名立村B1901.11.011955.11.01
石川県石川郡大野村A大野町B1898.05.121935.12.16
福井県丹生郡越前町A越前市B2005.10.01
長野県上伊那郡伊那町A伊那村B1898.06.171954.04.01
長野県伊那市A上伊那郡伊那村B1954.04.011954.07.01
長野県東筑摩郡松本町A松本村B1889.04.011907.05.01
長野県松本市A東筑摩郡松本村B1907.05.011925.02.01
岐阜県大野郡A(美濃国)大野郡B(飛騨国)1879.02.181897.04.01
岐阜県下石津郡高須町A高須村B1889.07.011897.04.01
愛知県渥美郡豊橋町A豊橋村B1889.10.011895.02.25
愛知県額田郡岡崎町A岡崎村B1889.10.011916.07.01
愛知県岡崎市A岡崎村B1916.07.011928.09.01
京都府船井郡園部町A園部村B1889.04.011929.04.01
大阪府堺市A堺市堺区B2006.04.01
大阪府南郡岸和田町A岸和田村B1889.04.011896.04.01
大阪府泉南郡岸和田町A岸和田村B1896.04.011912.01.01
大阪府錦部郡長野村A長野村B1889.04.011896.04.01
大阪府南河内郡長野村A長野村B1896.04.011896.05.04
鳥取県西伯郡大山村A大山町B1955.09.011955.11.03
島根県神門郡杵築町A杵築村B1889.04.011896.04.01
島根県簸川郡杵築町A杵築村B1896.04.011925.04.01
岡山県川上郡成羽村A成羽町B1901.04.011906.04.01
広島県安芸郡府中町A府中市B1954.03.31
愛媛県伊予郡郡中村A郡中町B1889.12.151940.01.01
愛媛県喜多郡大洲町A大洲村C1908.04.011934.01.01
高知県四万十市A高岡郡四万十町B2006.03.20
高知県土佐郡土佐村A土佐市B1959.01.011970.04.01
高知県土佐郡土佐町A土佐市B1970.04.01
佐賀県杵島郡武雄町A武雄村B1889.04.011900.06.07
佐賀県西松浦郡有田町A有田村B1895.11.131947.01.01
佐賀県東松浦郡唐津町A唐津村B1889.04.011931.02.01
佐賀県藤津郡鹿島町A鹿島村B1912.12.011954.04.01
長崎県北高来郡諫早町A諫早村B1889.04.011923.04.01
長崎県北松浦郡平戸町A平戸村B1889.04.011925.04.01
長崎県南高来郡島原町A島原村B1889.04.011924.04.01
熊本県玉名郡玉名村A玉名町B1942.05.201954.04.01
大分県大分市A大分郡大分村B1955.02.011957.04.01
大分県大分市A大分郡大分町B1957.04.011963.03.10
鹿児島県大島郡十島村A十島村B1946.02.021952.02.10

※最後の十島村A(じっとうそん)と十島村B(としまむら)は、米国による占領のために特殊な扱いとなったものです。
なお、ミスや漏れが含まれている可能性があります。ご指摘いただければ幸いです。
※土佐町の日付を修正しました。
[104806] 2022年 6月 8日(水)17:59:40MI さん
徳島県名東郡北井上村祖母ヶ島
[104803] むっくん さん
兵庫県の公報である兵庫縣報第二千四百五十五號昭和二十三年四月二十四日p6彙報では(以下略)
 久しぶりに落書き帳を拝見したところ、補足できる内容がありましたので書き込みます。
徳島県立図書館で閲覧した『徳島縣報』(昭和23年4月9日)に以下の記載がありました。
徳島縣告示第百四十三號
 名東郡新居村北新居字名田、同郡北井上村東黒田字小塚、同村祖母ヶ島の全地域は、昭和二十三年四月一日から板野郡藍園村の區域に編入せられた。
  昭和二十三年四月九日
   徳島縣知事 阿部五郎
 よって市町村変遷情報に追加していただく内容は変わりありません。典拠が徳島県告示となります。
[102287] 2021年 8月 28日(土)08:31:54MI さん
白い獅子
[102285] 般若堂そんぴん さん
 なんだか気になったので、YouTubeで確認しました。エンディングテーマも覚えていましたが、なるほど、分かりました。弘田三枝子も懐かしいですねえ。
[102187] 2021年 7月 18日(日)13:53:41MI さん
1898(明治31)年11月21日
[102186] 白桃 さん
川之江が「町」になった日はいつなのか?
 については[99302]に記したとおり、1898(明治31)年11月21日正当です。
具体的には、明治31年11月21日愛媛県告示第187号によって、宇摩郡三島村、川之江村、温泉郡北条村、周桑郡小松村がそれぞれ「町」になっております。これは愛媛県立図書館で実見しているのですが、あいにくこの告示だけ撮影をし忘れてしまい、告示文そのものは不明です。
[102156] 2021年 7月 6日(火)22:24:25MI さん
Re:尼崎市の市制施行と変遷情報の表示順序について
[102141] グリグリ さん
[102145] 白桃 さん
 国会図書館のデジタルコレクションを探したところ、尼崎市制直後の1916(大正5)年9月20日発行の 富田玆嘉・前川佐雄編, 『市制実施記念 尼崎市現勢史 』,土井源友堂,1916 があり、その p197「尼崎市制實施の經過」と、また図書館送信限定ながら『尼崎市史 第三巻』,尼崎市,1970 p412「市制の施行」などの記述をまとめると以下のようになります。

 尼崎町が工業地帯として発展し人口三万に近づいてきたことにより、数年前から市制実施を望むようになってきた。それには町勢膨張の結果、川辺郡費への町の負担が重くなってきたという理由もあった。そこで町長代理の木俟友藏は各有力者から意見を聞いて準備調査をする一方、市制施行の要件である人口三万人を確保するために隣接村合併に取り組んだ。まず小田村南部(阪神杭瀬駅付近など)を候補としたが、これは不成立に終わった。そこで立花村のうち東難波村、西難波村(両「村」は立花村の大字にあたるもので、阪神出屋敷駅とJR立花駅の中間あたり)に合併交渉を進めた結果、1915(大正4)年7月1日に同意を取り付けた。
 尼崎町は同月6日町会に「市制施行」と「立花村ノ内東西兩難波村編入」の議案を提出し満場一致で可決すると、上申書、市制施行理由書それに尼崎町現況調査書等を作成し、13日内務大臣宛に提出した。ところがこの時点で立花村から両難波村分離について異議が出たが、川辺郡長の斡旋により尼崎町から報償金を寄贈することで収めることができた。翌1916(大正5)年3月11日に内務大臣からの諮問書、同月15日には県知事からの諮問書が下り、同日郡長より「17日までに意見書を提出せよ」「県から市制実施を4月1日と上申する予定」との通牒があり、16日に臨時町会を開き内務大臣および県知事への答申書を議決した。そして29日内務省告示([102105]参照)、4月1日にはれて市制施行となった。

吉原淸三郎,『實地測量 尼崎市街明細全圖』,吉原文榮堂,1917
今昔マップ

 ということで、変遷情報を「境界変更/市制」とすることで異論はありません。
なお、[102145] 白桃 さんのおっしゃる
「尼ヶ崎町と立花村が合体・市制施行し、旧立花村の一部が(新)立花村として分立」
あるいは、
「立花村が分割、その一部が尼崎市に編入され、残りの一部が(新)立花村となる」
と言う感覚で処理されたのではないかと考えます。
についてはどうでしょう。上述した経緯を見ても「立花村の一部を割譲し、尼崎町とあわせて尼崎市になった」と、まさしく境界変更と市制で宜しいのではないでしょうか? 旧12ヶ村+飛地で構成されたうちの2ヶ村が尼崎市となり、村役場は栗山(東海道本線より北)に置かれたままのようです。

#なお、兵庫県の市制町村制施行時の情報31.立花村の項にある「竹川辺郡」は「川辺郡」の誤りと思われます。ご確認ください。
[102139] 2021年 7月 1日(木)22:23:52MI さん
村廢置竝市區域變更
[102137] 白桃 さん
そもそも、上の変遷情報は正確ではない、つまり、国衙村も一部が市殿村の一部と一緒になって城南村となり、国衙村の残部は同日に姫路市に組み込まれているのです。それはさておき、城南村は「新設」つまり「合体」で問題ないのですが、姫路市の変更種別が「境界変更」になっている点です。1912年4月1日の時点で市殿村(国衙村も)が消滅しているのですから、ここは、「境界変更」ではなく「編入」つまり「廃置分合」にならないとオカシイのではないかと言うのが私の見解なのです。
 おっしゃることはよく分かります。しかし、当該の変遷情報は[99336] むっくん さんのご指摘を受け、[99387] グリグリ さんが対応されたものですが、兵庫県告示や官報広告欄の記載どおりに表現していると思うのです。
 明治45年4月4日官報p99は以下のとおりです。
○村廢置竝市區域變更
本月一日ヨリ左記飾磨郡國衙村、市殿村ノ區域ヲ姫路市ニ編入シ及國衙村、市殿村ヲ廢シ其區域ヲ以テ新ニ城南村(ジヨウナム)ヲ置ク
  明治四十五年四月 兵庫縣
 國衙村ノ内
豐澤村(飾磨生野間縣道以南ノ芝原垣内ヲ除ク)但シ(以下略)
北條村ノ一部(山陽鐵道線路以北)但シ(以下略)
 市殿村ノ内
神屋村全部、國府寺村全部、市ノ郷村ノ一部但シ(以下略)
 また、これの元になった県告示は数年前に兵庫県公館で閲覧済です。
兵庫縣告示第百三十號
明治四十五年四月一日ヨリ左記飾磨郡國衙村及市殿村ノ區域ヲ姫路市ニ編入シ及國衙村及市殿村ヲ廢シ其ノ區域ヲ以テ新ニ城南村(ジヨウナム)ヲ置ク
 明治四十五年三月二十八日 兵庫縣知事 服部一三
(以下官報と同様に付き省略)
 つまり、これら告示や官報で述べているのは
1.国衙村と市殿村の一部区域を姫路市に編入          →この時点では両村ともに存続
2.国衙村と市殿村を廃し、その区域をもって新たに城南村を置く →両村(実際は姫路市に編入した残部)が城南村となる
なので、姫路市へは編入でなく境界変更と判断したということだと思います。
[102105] 2021年 6月 16日(水)22:42:01【1】MI さん
Re: 津田沼町・西尾町と尼ヶ崎町
[102101] 白桃 さんからご指摘の3市について、それぞれ典拠をあたってみました。

●習志野市 1954.08.01 境界変更/改称/市制 千葉郡 津田沼町, 千葉市の一部
1954(昭和29)年7月31日総理府告示第683号
地方自治法第7条第1項の規定により、昭和29年8月1日から千葉県千葉郡津田沼町と千葉市の境界を次のとおり変更する旨、千葉県知事から届出があつた。
 千葉郡津田沼町に編入する区域
千葉市大字実籾、愛宕、安生津、長作、天戸、馬加の内字屋敷台、蟹ケ沢、新田台、鳥ケ崎、起天堀、前田、前畑、外畑、内畑、吹上、台畑、米ノ内および小谷津2430
ただし、上区域を千葉市から津田沼町に編入する場合において、上区域内の住民が、上区域内に所有する小作地を除き、上区域内の住民が、上区域外に所有する小作地を加える。
1954(昭和29)年7月27日条例第1号
「津田沼町」を「習志野町」とする。
附則 この条例は、昭和29年8月1日から施行する。
1954(昭和29)年7月31日総理府告示第684号
地方自治法第3条第4項の規定により、昭和29年8月1日から、千葉県千葉郡津田沼町の名称を 習志野(ならしの)町に変更することを許可した旨、千葉県知事から報告があつた。
1954(昭和29)年7月31日総理府告示第685号
地方自治法第8条第3項の規定により、昭和29年8月1日から、千葉県千葉郡習志野町を習志野市とする旨、千葉県知事から届出があつた。

●西尾市 1953.12.15 境界変更/市制 幡豆郡 西尾町, 平坂町の一部
1953(昭和28)年12月14日総理府告示第246号
地方自治法第七条第一項の規定により、昭和二十八年十二月十五日から、愛知県幡豆郡平坂町の区域のうち、大字田貫、大字中畑、大字国森、大字新在家の区域を西尾町に編入する旨、愛知県知事から届出があつた。
1953(昭和28)年12月8日愛知県告示第479号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第8条の規定に基づき、幡豆郡西尾町(にしおちょう)を西尾市(にしおし)とし、昭和28年12月15日から施行する
1953(昭和28)年12月14日総理府告示第247号
地方自治法第八条第三項の規定により、昭和二十八年十二月十五日から愛知県幡豆郡西尾町を西尾市とする旨、愛知県知事から届出があつた

●尼崎市 1916.04.01 新設/市制 川辺郡 尼ヶ崎町, 立花村の一部
1916(大正05)年3月29日内務省告示第15号
明治四十四年法律第六十八號市制第三條及同年法律第六十九號町村制第三條ニ依リ大正五年四月一日ヨリ兵庫縣川邊郡尼ヶ崎町ヲ廢シ其ノ區域ト同郡立花村ノ内大字東難波村及西難波村ノ區域トヲ以テ尼崎市ヲ置ク

 これらを見比べますと、
「千葉県千葉郡習志野町を習志野市とする」
「愛知県幡豆郡西尾町を西尾市とする」
「兵庫縣川邊郡尼ヶ崎町ヲ廢シ其ノ區域ト同郡立花村ノ内大字(中略)ノ區域トヲ以テ尼崎市ヲ置ク」
ということで、尼崎に関しては「新設」であることがお分かりいただけるものと思います。
 なお、この尼崎は1936(昭和11)年3月23日内務省告示第117号
市制第三條及町村制第三條ニ依リ昭和十一年四月一日ヨリ兵庫縣尼崎市及川邊郡小田村ヲ廢シ其區域ヲ以テ尼崎市ヲ置ク
1936(昭和11)年4月1日尼崎市告示第1号
本年3月23日内務省告示第117号ヲ以テ昭和11年4月1日ヨリ尼崎市及川辺郡小田村ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ尼崎市ヲ設置セラル
 で再度「新設」されているのですね。

#日付の誤りを訂正しました。
[102104] 2021年 6月 16日(水)19:29:21MI さん
Re: テキストリンク機能の改善
[102103] オーナー グリグリ さん
テキストリンク機能(URL直接記述も含め)の仕様を強化し、角括弧など特殊文字を含むURLにも的確に対応できるようにしました。
 早速のご対応有難うございます。[102092]は正しくリンクされておりますし、[102094] ekinenpyou さんのもマーカーを含めてうまく作動しているように思います。なお、
角括弧内は数字限定でかつURLで1組しか現れない
については、例えば今昔マップで4画面にするとこんな感じに3組も角括弧が出てくるのですが、ちゃんと URL 内であると判定してくれています。どうも有難うございました。
 取り急ぎ、確認と御礼まで。
[102099] 2021年 6月 14日(月)15:22:21【1】MI さん
Re: URLの直接記述へのリンク(仕様不十分)
[102097] オーナー グリグリ さん
角括弧は自動リンクなどの意味ある記号としているため適正処理が難しいのですが、URL記述に角括弧が入る条件などからプログラム判定ができる可能性もあるので、検討してみるつもりです。
 [102092]を作成しながら、今昔マップで旧版地形図を2種類(以上)表示する状態だとリンクがうまく効かないことに気づきました。
これはテキストリンクの書式が
[リンクするテキスト:http(s)://........]
であるのに対して url に文字列 "kjmap[1]" 等が含まれるため、"]" の時点で url の末尾であると判断してしまうことが原因だと分かりました。そこで「 https: から =2 までをコピーし」などと記すことで取り敢えず凌いでおりましたが、これはグリグリさんにお願いしなければならないかなと思っていたところでした。ご検討いただけるとのこと、どうも有難うございます。

 上述のとおり、url 記述に "]" が入るときは必ずその前に "[" もあることを利用すれば、プログラム判定できるような気がします。さもなければ url 記述全体をダブルクオートで括るとか、または "]" の直前に特別な文字(たとえば "\")を付加するとか、考えられると思います。どうぞよろしくお願いします。

#文字の欠落を修正しました。
[102098] 2021年 6月 14日(月)15:21:56【1】MI さん
日宇村から佐世保市への境界変更などの詳細
[102094] ekinenpyou さんから戴いたヒントを手掛かりに、明治36年11月24日長崎県告示第583号を確認することが出来ました。どうも有難うございました。
長崎縣告示第五百八十三號
東彼杵郡日宇村福石免字下拼ノ本、鹽濱、羅漢、上羅漢、カシケ浦、吉原、川ヶ浦、下川ヶ浦、乘越、上大野、長ノ谷、戸井ノ谷、白拼、馬ノ内、三ヶ浦ヲ割キ佐世保市ニ編入ス
佐世保市庵ノ浦免字高崎、立石、雨ノ浦、後ノ谷、黒岩、東野崎、透山、西ノ久保、野崎ノ中、西野崎、古屋敷ヲ割キ北松浦郡山口村ニ編入ス
(中略)
右市制第四條町村制第四條ニ依リ縣參事會ノ議決ヲ經明治三十七年四月一日ヨリ施行ス
 明治三十六年十一月二十四日 長崎縣知事 荒川義太郎

 なお、上記に2つある「拼」の漢字は、県公報ではいずれも「手偏に亠廾」と印刷されていますが、前者について朱書きで「拼」に訂正してあるものです。後者に訂正はないのですが、「昭和時代の佐世保」中の三浦町に「字白拼」が記載されていることから同様であると判断しました。
 それぞれの「小字」の位置については【させぼ街ナビ情報】インターネット版「佐世保市小字地図」で確認できます。利用条件に同意して御覧ください。ただこの小字地図には「拼」ではなくどちらも「椪」の漢字が用いられています。
 また、[102092]で示したように『佐世保郷土誌』では佐世保市から北松浦郡山口村への境界変更は3月31日としていましたが、告示によると4月1日施行が正しいことになります。3月31日まで佐世保市に所属し、翌日から山口村へ変更されたという解釈だったのかもしれませんが、施行日としては4月1日正当になると思います。

#「字(アザ)」と「字(ジ)」を混乱しないように一部修正しました。
[102092] 2021年 6月 12日(土)16:01:50【2】MI さん
日宇村から佐世保市への境界変更
[102084] ekinenpyou さん
※なお日宇村はS2.4.1に佐世保市へ編入消滅しておりますが
(駅が佐世保市と日宇村の境界付近にあった影響か?)それ以前に所在地表記の変更があったようで
鐵道停車場一覽. 大正6年3月31日現在(左上)では既に佐世保市白南風町となっております。
 今昔マップで1901(明治34)年測図と1924(大正13)年測図(この時点で日宇村は存続)のものを並べてみますと、佐世保駅は開業当初たしかに日宇村に位置していたのが佐世保市に変わっており、駅を含む一帯で境界変更が行われたことが分かります。
https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=33.163213&lng=129.728144&zoom=16&dataset=sasebo&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=kjmap[1]&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2
(※urlに "[" や "]" が含まれており、うまくリンクできないときは https: から =2 までをコピー(ctrl+C)し、新規タブ(ctrl+T)のアドレスバー(ctrl+L)に貼付け(ctrl+V)、Enter を行って下さい)
 しかしこの境界変更については、変遷情報はもちろん当方のデータベースにも収録されていないことが分かりましたので、ちょっと調べたところウィキペディアの日宇村に、
・1904年(明治37年)4月1日 - 福石免の一部を佐世保市に編入
とあり、その典拠として『長崎県東彼杵郡誌』(1917)p650が挙げられていました。
明治三十七年四月福石川に沿ひ福石山の上部を境界として福石免の内鹽濱外十四字を割きて佐世保市に編入のことあり今の福石町・潮見町・白南風町・三浦町即ち是なり
 さらに検索すると『佐世保郷土誌』(1919)p36で日付が明記されており、
明治三十七年四月一日日宇村福石免の内十五箇字を割きて本市に編入す
またその前日には、佐世保市から北松浦郡山口村への境界変更もあることが分かりました。
明治三十七年三月三十一日本市庵の浦免の内十一箇字を北松浦郡山口村に分讓す

 なお、上記ウィキペディアにはこの境界変更が明治36年11月24日付「長崎県公報」に掲載の県告示第583号であると記され、その画像データへのリンクも記されているのですが、現在使用できなくなっており、当方も確認できないでおります。以前、長崎県立長崎図書館は明治23年~昭和10年の県公報を jpg 画像化しネット上で公開していたのですが、一昨年ミライON図書館へ移転すると同時にHPリニューアルが行われた際、「作業容量および予算の兼ね合いもあり」公開をとりやめたということです。以前不思議に思って問い合わせたところ、そのような返答を戴きました。現在は目次のみ Excel ファイルで公開されています。

※「広報」を「公報」に訂正しました。
[101512] 2021年 4月 9日(金)23:48:56MI さん
千葉県夷隅郡旭町
[101511] ekinenpyou さん
 ご指名に応じてコメントします。町村制施行時の県令を含む県報は千葉県立図書館の菜の花ライブラリーで公開されておりまして、
○千葉縣令第十八號
本縣町村ノ儀別冊之通リ分合改稱シ本月三十一日ヨリ施行ス
  (別冊ハ別ニ之ヲ頒ツ)
 明治廿ニ年三月廿七日  千葉縣知事石田英吉
○千葉縣令第十九號
明治二十一年法律第一號中町村制ノ儀同制第百三十七條ニ依リ内務大臣ノ指揮ヲ經テ本年四月一日ヨリ施行ス
 明治廿ニ年三月廿七日  千葉縣知事石田英吉
○千葉縣令第二十號
縣令第十九號ヲ以テ本年四月一日ヨリ町村制施行ノ儀及布令候ニ付テハ町村役塲位置別冊之通相定ム
 明治廿ニ年三月廿七日  千葉縣知事石田英吉
  (別冊ハ別ニ之ヲ頒ツ)

 別冊は上記pdfの4コマから始まり、夷隅郡は次のpdfの4コマから掲載されているのですが、なんと「旭村」となっております。
旭村(アサヒ) 長者町、江塲土村、三門村(東中瀧村ヘノ飛地ヲ除ク)、井澤村(東中瀧村ヘノ交換地ヲ除ク)、東小高村、東中瀧村飛地
 これは恐らく誤植でありまして、同年4月6日縣報p20正誤で次のように訂正されているのです。(pdfの11コマ)
○正誤 縣令第十八號別冊八ページ土村區域根本内新田ハ根木内新田同四十三ページ新町村旭村ハ旭町(中略)の誤
 ということで「旭町」が正当だったのです。しかしながら一度県令として公になってしまったために、ekinenpyou さんが調べられた文献などでは「旭村」がそのまま使われてしまったということなのだろうと思います。
 その後、明治三十三年に改称するときは、
○千葉縣告示第百七十號
夷隅郡旭町ヲ長者町ト改稱ス
 明治三十三年七月二十五日 千葉縣知事阿部 浩

当然「旭町」からとなっています。(pdfの8コマ)
[101394] 2021年 2月 9日(火)20:10:12MI さん
Re: 旧国名のつく駅
[101384] ekinenpyou さん
武蔵大和駅のように旧国名が複数連続する鉄道駅をお答えください
[101393] 駿河の民 さん
伊勢鉄道の「伊勢上野」が未出ですね。

 伊勢上野は新旧ありましたね。今昔マップでどうぞ。
また廃線ですが、北恵那鉄道に美濃下野がありました。こちらは米スタンフォード大所蔵の地形図でどうぞ。
[101383] 2021年 2月 7日(日)10:40:41【1】MI さん
蘇原町?蘓原町?
[101381] ekinenpyou さん
目を凝らしてよーく見ますと、ある字の字体が違うことがおわかりになりますでしょうか?
 なにやらご指名のようにも感じましたのでコメントします。引用されたとおり各務原市設置時の自治省告示が「蘓原町」であったことは以前から承知しておりましたが、これは誤植であろうと判断していたものです。その理由は、以下の史料がいずれも「蘇原」であったことによります。

1897(明治30)年0331 岐阜県告示第58号(明治30年『岐阜県令達全書』)
町村制第四條ニ依リ各郡町村中明治三十年四月一日ヨリ左ノ通廃置分合ス
  明治三十年三月三十一日 岐阜縣知事 樺山資雄
各務郡伊飛島村大宮村和合村古市塲村持田村及三柿野村ヲ合シ其ノ區域ヲ以テ蘇原村(ソハラ)ヲ置ク
 これについては、岐阜県立図書館所蔵の岐阜県公報(号外)でも確認済、

1943(昭和18)年0402 官報広告p171
◎町村變更
稻葉郡蘇原村ヲ町ト爲シ本月一日ヨリ施行セリ
 昭和十八年四月 岐阜縣

さらに 1942(昭和17)年0519 鉄道省告示第103号 でも蘇原ですし、
昭和十七年六月一日ヨリ高山本線那加各務ヶ原間ニ左ノ停車場ヲ設置シ定期乘車券所持ノ旅客ニ限リ取扱ヲ爲ス
 昭和十七年五月十九日 鐵道大臣 八田 嘉明
蘇原(そはら) 岐阜縣稻葉郡蘇原村大字三柿野
古い地形図(今昔マップ) も蘇原町なのです。

 しかし ekinenpyou さんの [101381] を拝見し、あらためて各務原市例規集を確かめますと、

1963(昭和38)年0212 岐阜県告示第67号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条第1項の規定に基づき、昭和38年4月1日から稲葉郡那加町、稲羽町、鵜沼町及び蘓原町を廃し、その区域をもって 各務原市(かかみがはらし)を置く。
ばかりか、町制施行についても
1943(昭和18)年0430 岐阜県告示第198号
稲葉郡蘓原村を町となし、昭和18年4月1日より施行する。
とあることから、単純な誤植では片付けられないことが分かってきました。ただこの例規集は稻を稲、漢数字をアラビア数字に改めており、原文通りかどうか疑わしくもあります。県立図書館で昭和18年や38年の県告示を確かめなかったのが悔やまれるところです。

 そこで、官報情報検索サービス(有料)で1947(昭和22)年0503以降を検索したところ、大部分は「蘇原町」としている一方で、以下の告示では「蘓原町」と表記していることが分かりました。
1947(昭和22)年1226 総理庁告示第 60号「都道府県郡市区町村別人口」
1951(昭和26)年1002 総理府告示第342号「町村警察の廃止」
1958(昭和33)年0927 自治省告示第 61号「自転車競走を行うことができる町」
1959(昭和34)年0130 郵政省告示第 51号「無線局免許」
1961(昭和36)年0425 総理府告示第 11号「郡市町村別人口」

 どうやら「蘇原」と「蘓原」両方の表記があったということのように思いますが、それ以上については分かりませんでした。ご教示いただければ幸いです。

#誤字を訂正しました。
[100193] 2020年 8月 25日(火)18:34:51MI さん
Re: 1956年9月30日、日和佐町を編入したのは赤河内村?
[100190] 白桃 さん
官報で調べらることが出来ればよいのですが
 はい。調べてあります。総理府告示では以下の通りになっています。

◎総理府告示第七百五十七号 村を町とする処分
 地方自治法第八条第三項の規定により、徳島県海部郡赤河内村を赤河内町とする旨、徳島県知事から届出があつた。
 右の処分は、昭和三十一年九月三十日からその効力を生ずるものとする。
 昭和三十一年九月三十日 内閣総理大臣 鳩山 一郎

◎総理府告示第七百五十八号 町の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、徳島県海部郡日和佐町を廃し、その区域を赤河内町に編入する旨、徳島県知事から届出があつた。
 右の廃置分合は、昭和三十一年九月三十日からその効力を生ずるものとする。
 昭和三十一年九月三十日 内閣総理大臣 鳩山 一郎

◎総理府告示第七百五十九号 町の名称変更
 地方自治法第三条第四項の規定により、昭知三十一年九月三十日から、徳島県海部郡赤河内町の名称を日和佐町(ひわさ)に変更することを許可した旨、徳島県知事から報告があつた。
 昭和三十一年九月三十日 内閣総理大臣 鳩山 一郎

 ということで、市区町村変遷情報はこれら告示のとおりに記述されていることが分かります。町史が異なる順序で記載されているのは何か深い訳でもあるのでしょうか?

 一方、福島県の伊達町と伏黒村に関するものは二段階に分かれており、第一段階は奇しくも上記と同じ日の告示にありました。
◎総理府告示第七百十五号 町村の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、福島県伊達郡伊達町を廃し、その区域を伏黒村に編入する旨、福島県知事から届出があつた。
 右の廃置分合は、昭和三十一年九月三十日からその効力を生ずるものとする。
 昭和三十一年九月三十日 内閣総理大臣 鳩山 一郎

 そして三ヶ月後、首相も交代していますが
◎総理府告示第九百二十二号 村を町とする処分
 地方自治法第八条第三項の規定により、福島県伊達郡伏黒村を伏黒町とする旨、福島県知事から届出があつた。
 右の処分は、昭和三十ニ年一月一日からその効力を生ずるものとする。
 昭和三十一年十二月二十九日 内閣総理大臣 石橋 湛山

◎総理府告示第九百二十三号 町の名称変更
 地方自治法第三条第四項の規定により、昭知三十ニ年一月一日から、福島県伊達郡伏黒町の名称を伊達町(だて)に変更することを許可した旨、福島県知事から報告があつた。
 昭和三十一年十二月二十九日 内閣総理大臣 石橋 湛山

という経緯を辿っており、変遷情報は第一段階第二段階でそのとおりに記載されております。
[100107] 2020年 8月 16日(日)21:22:46MI さん
Re: 熊本県八代郡郡築村の発足日
[100106] hmt さん
[76230] 88さん
■八代郡 郡築村 の発足年月日について M42(1909).7.4 or M42(1909).4.7

 [100104]では官報のみご紹介しましたが、数年前に熊本県立図書館で県公報を確認しております。
明治四十二年四月七日 熊本縣令第二十一號
本縣八代郡ニ於テ築造シタル同郡八代町、松高村及八千把村(ママ)地先海面埋立地ヲ以テ新ニ八代郡々築村ヲ置キ役場位置ヲ仝村七番割ニ相定ム
 八千杷村が誤植されていますが、上記の通りであり、特に日付の記載がないため M42(1909).7.4 が施行日になると思います。

 なお、この郡築村は S18(1943).4.1 に八代市に編入されます(昭180405官報広告p203)が、昭和25(1950).7.1 に改めて分村(昭250720総理府告示235号)し、そして昭和29(1954).7.1 に再度八代市に編入される(昭290701総理府告示603号)という経緯を辿っています。
[100104] 2020年 8月 15日(土)14:29:59MI さん
Re: 新潟市、長岡市は百超え
[100097] 白桃 さん
MIさんが挙げて戴いた中で以下は、まるまる別の市を構成しているようです。
 ご指摘有難うございます。#10095 で使用した awk スクリプトは、以下のような仕様になっております。
「○年○月○日」(日付1)に「○県○郡○村」(市町村1)であった区域が、過去の「○年○月○日」(日付2)にはどのような市町村であったかを検索する場合、

1. 各都道府県ごとの市町村変遷データを、時系列の並びを変えずに1つのファイルに統合する(「統合データ」)。
2. その「統合データ」を逆順に並べ替えて、現在から過去に遡るようにして作成する(「逆順データ」)。
3. 市町村1をまず「市町村リスト」に登録する。
3. 「逆順データ」を、日付1から始めて日付2になるまで読み進めながら、以下のことを繰り返し行う。
4. 廃置分合の結果が「市町村リスト」に含まれているとき、その内容に応じて「市町村リスト」の追加・削除を行う。
 つまり、前身となる市町村をリストに追加し、また当該の廃置分合によって新設された市町村はリストから削除する。

 これを行うことで「市町村リスト」には日付2における市町村が得られるのですが、しかし廃置分合には市町村の全域でなく一部に関わるものも含まれるために、実際には前身とはならない市町村も紛れ込んでしまうのはご指摘のとおりです。正確に調べるには[100098] k_ito さんもされたように直接数えるしかないように思います。

 しかし、
また、[100094]でも書きましたように藤田村は町村制施行時に存在しておりません。
 は上記スクリプトのミスですね。失礼いたしました。間違った原因は次のとおりです。
市町村の廃置分合には埋立地を編入したものも数多くあり、上記スクリプトではそのような埋立地も「市町村リスト」に追加されてしまいます。そこで仕様4. を行う際に、埋立地からの編入は読み飛ばすようにしていました。そのため児島郡藤田村に関しては1912(明治45)年4月1日に「兒島灣開墾既成地第二區ノ區域ヲ以テ兒島郡藤田村ヲ置」くデータが反映されず、藤田村が「市町村リスト」から削除されないで残ってしまったというわけです。
 既存の市町村に編入するのでなく、埋立地だけで新たな市町村を設置したというデータは仕様4. で読ませるようにスクリプトを修正いたしました。同様の例は熊本県八代郡郡築村秋田県南秋田郡大潟村だろうと思います。
[100095] 2020年 8月 13日(木)16:54:55MI さん
Re: 市制・町村制成立時の市町村数が最多
[100000] オーナー グリグリ さん
 大変遅くなりましたが、記事番号6桁どうもおめでとうございます。
いつも楽しませて戴いております。今後とも宜しくお願いします。

[100092] 未開人 さん
[100094] 白桃 さん
 直接の回答にはならないのですが、当方では市町村変遷データベースに付随して、
○年○月○日に○県○郡○村であった区域が、○年○月○日にどうなっているかを検索するスクリプト
なるものは自作してあります。過去に遡るのと、過去から後年に辿る、どちらにも対応しています。
年表データを順に読み込んでカウントしていき、一部が構成したものも数えているために正しくない町村が紛れ込んでいる可能性はありますことを、予めお断りしておきます(後段で簡単に説明します)。
 これを用いてまず白桃 さんの調べられたものをまず、本日(20200813)岡山市であった区域が岡山県の市制町村制施行日(18890601)にはどうであったかと調べましたら丁度100市町村と出ました。

岡山市
賀陽郡岩田村高松村真金村生石村足守村大井村庭瀬村日近村福谷村
久米南条郡福渡村
久米北条郡鶴田村
御野郡伊島村古鹿田村御野村今村鹿田村石井村大野村福浜村芳田村牧石村
児島郡甲浦村西興除村大門村東興除村藤田村灘村彦崎村福岡村木見村
上道郡宇野村沖田村可知村角山村玉井村金岡村金田村九蟠村古都村御休村
光政村高島村財田村三櫂村三蟠村西大寺村操陽村津田村幡多村富山村
浮田村平井村平島村芳野村雄神村
赤阪郡葛城村五城村西高月村竹枝村布都美村
津高郡一宮村宇垣村宇甘西村宇甘東村横井村金川村建部村上建部村馬屋下村馬屋上村
白石村平津村牧山村野谷村
都宇郡加茂村山田村大福村撫川村妹尾村箕島村可真村潟瀬村吉岡村小野田村
太田村物理村豊田村
邑久郡笠加村幸島村今城村太伯村大宮村朝日村福田村豊原村豊村本庄村
邑久村
和気郡熊山村

 同様にして、本日新潟市であった区域を新潟県施行日(18890401)で調べてみると、158市町村です。
新潟市
三島郡間瀬村
西蒲原郡井随村稲島村越前浜村燕町横戸村下坂井輪村加奈居村河西村鎧郷村角海浜村
角田浜村潟前村潟南村巻村岩室村共和村曲通村金巻村五ケ浜村五十嵐浜村
五之上村鴻巣村黒鳥村佐渡山村三針村三方崎村七穂村漆山村秋津村升潟村
小吉村小高村小池村小中川郷村松長村松野尾村上坂井輪村新貝村新通村仁ヶ村
西川村石瀬村赤塚村川前村船越村曽根村太花野村打越村大関村竹野町村
中合村中野小屋村鳥原村島方村東太田村道上村内野村馬堀村白根村板井村
福木岡村米納津村味方村木山村木場村和納村杣木村
中蒲原郡阿賀浦村茨曽根村臼井村横越村横水村荻野村嘉瀬村割野村茅ノ城村亀田町
吉沢村橋田村五泉町江口村根岸村三興野村山岡村山潟村山通村七谷村
酒屋村女池村小吉村小鹿村小須戸町小杉村小梅村庄瀬村松島村沼垂町
浄楽寺村新関村新津町新飯田村新保村須田村菅名村石山村川結村川東村
曽野木村早通村巣本村村松町太川村袋津村大郷村大淵村沢海村鳥屋王村
津島村二本木村日本岡村白根町菱潟村満日村木戸村木津村矢代田村林村
和舞村鷲巻村
東蒲原郡下条村綱木村三川村揚川村
南蒲原郡下条村加新村加茂町狭口村
北蒲原郡安田村越岡村嘉山村葛塚村亀浦村佐々木村笹山村三森村小浮村松ケ崎浜村
赤坂村太田古屋村大久保村濁川村長場村鳥屋村島崎村藤井村南浜村
#上記データのうち東蒲原郡は恐らく誤りですが、例えば東蒲原郡三川村の一部が北蒲原郡安田村に編入、安田村の一部が五泉市に編入、五泉市の一部が新津市に編入、新津市は新潟市に編入、という経過を辿っているためにスクリプトでは拾い出されているわけです。

 浜松市は63市町村、北九州市は思いのほか少なくて28市町村でした。
どうも新潟県が多そうに思えたので調べたところ、長岡市116、上越市115となりました。
[99894] 2020年 6月 9日(火)07:58:24MI さん
Re: 慣用されていた 巌手県 から 正式の 岩手県 に統一する手続
[99889] ekinenpyou さん
[99890] hmt さん

 岩手県では県報に掲載するだけではなく、各府県知事宛に次のような通報を1924(大13).2.1付で送っていました。
 大正十三年二月一日 岩手縣知事
○○縣知事殿
  縣名ノ文字ニ關スル件照會
本縣名ノ文字ハ明治五年一月改稱ノ際太政官ヨリ岩手縣ト達相成其ノ後改訂サレタルコトナキニ拘ラス今日ニ於テハ「巖」「岩」二樣ノ文字使用セラレ官記辭令其ノ他公文書ノ多クハ巖手縣ト記サルルニ至リ候之一見些末ノ事ニ屬スルカ如キモ此ノ如キハ事務簡捷ノ本旨ニ反シ各方面ニ影響ヲ及ホスコト尠カラサルノミナラス一般人ヲシテ其ノ孰カ眞ナルヤ疑惑ヲ抱カシムル所以ナルヲ以テ昨年九月内閣書記官長ノ諒解ヲ得テ官記法令其ノ他一切ノ公文書ニ改稱當初ノ太政官達通「岩」ノ文字ヲ使用スルコトト致候條御含ミ置相成度

 明治以降の県報がネット公開されている三重県の場合、1924(大13).2.8三重県告示第六十五号(2コマ目)で、
岩手縣ヨリ縣名の文字使用ニ關シ左記ノ通通報アリタリ
と三重県知事名で述べた後、上記の文面を掲載しております。

 hmt さんご紹介の岩手県報彙報欄の文面と内容的にはまず同じです。太政官布告当初の表記に統一した(戻した)のだから、「正式に変更」したわけではないということだと思われます。

#別件ですが、
[99893] サヌカイト さん
 ホントだ。確かに似ているようですが、だからといって全然問題があるわけではないですよね。お気になさらず、宜しくお願いします。
[99887] 2020年 6月 7日(日)14:03:40MI さん
高知県長岡郡西本山村から本山村への改称
[99886] ekinenpyou さん

 ええと、ご指名のようですね。これまでにも参考文献として挙げられているもので確かめてみました。

高知県長岡郡西本山村から本山村への改称日
『全国市町村名変遷総覧』p1083 1890(M23).6.1
『市町村名変遷辞典』p602,796 1890(M23).6.1 (1891(M24).5.9 )括弧書きで併記
『市町村名変遷系統図総覧』2-p1525 1890(M23).6.1
『新版旧市町村名総覧』p437,577 1890(M23).6.1
 また、ご紹介の明治24年5月13日付官報は「改稱セリ」と過去形で記述してあるのみです。

 これについて、高知県立図書館は昭和20年7月の空襲で焼失してしまったため、古い県政資料は「池川町役場所蔵資料」を撮影したものを所蔵しており、それを閲覧することが出来ました。
高知縣告示第七十三号
本縣長岡郡西本山村ヲ本山村ト改稱ス
 明治廿四年五月九日 高知縣知事調所廣丈
 なぜか明治23年が幅を利かせてしまったようですが、改称日は 1891(M24).5.9 が正しいと判明しております。詳細情報は修正をしていただければ幸いです。

#全国の各図書館に出向くためには、それまでに分かっていることと分からないこととの整理が出来ていなければなりません。上掲の類書や官報史料を一通り確かめてあるからこそ、ある程度の効率性をもって「図書館巡り」ができると自負しております。
[99876] 2020年 6月 3日(水)05:39:59MI さん
Re: 岐阜県の変遷情報更新
[99873] オーナー グリグリ さん
以下の通り修正しました
 修正していただいた変遷情報を手許のデータと照合しました。どうも有難うございました。
[99874] 2020年 6月 2日(火)06:27:57MI さん
法令の公布日
[99872] _ さん
[99189] むっくん さん
今後はぜひこのような表現方法を採用されるよう期待いたします。

 ご指摘ありがとうございます。また、むっくん さんには折角ご教示戴きながらそれを活かせず申し訳ありませんでした。
 法令を説明や引用する際、各種文献では「明治○○年法律第○○号」のように記されていることが多いと思います。法令全書など種類毎に分類・整列されていれば探しやすいですが、官報を直接探そうとすると日付も記したほうがよいだろうと考えました。ところが上諭に記された日付と官報の日付は概ね一致しないのですね。そこで両者を併記する形で記しておりました。
 「官報掲載日が公布日」であるというルールがあることを認識いたしましたので、これ以降はそれに従った形で記すことと致します。さしあたり当方のデータベースで上記のような記載方法を採っていたものを訂正することとします。
 皆様にはご迷惑をおかけいたしました。


 
[99867] 2020年 5月 30日(土)20:26:46【1】MI さん
岐阜県「明治大合併」と「郡の再編成」
[99866] hmt さん
1897/4/1に 岐阜県特有の「郡の再編成と同時の明治大合併」を迎えました。
 「郡の再編成」と「明治大合併」の順序を入れ替えました。順を追って説明します。

 まず「明治大合併」ですが、これは明治30.3.31岐阜県告示第58号に拠るものであり、『明治三十年 岐阜県令達全書』p.167や、明治30.6.2官報附録p.1で全文を確認することができます。
町村制第四條ニ依リ各郡町村中明治三十年四月一日ヨリ左ノ通廢置分合ス
 明治三十年三月三十一日 岐阜縣知事 樺山資雄
 ご指摘の八神村に関するものは以下の2項目に記載されております。
・中島郡大須村ノ一部(字平太島)ノ區域ヲ八神村ニ合併ス
・中島郡小藪村及午南新田ヲ合シ其ノ區域ト大須村ノ一部(字平太島ヲ除キタル部分)ト八神村ノ一部(字前野、字法六、字尾崎、字外ニ、其他字圦六堤塘藪以南)トノ區域トヲ以テ小藪村(コヤブ)ヲ置ク
 従って八神村は存続しており、hmtさんの書かれたとおり詳細情報の「八神村を廃し」の部分は誤りですね。
 そして注意しなければならないのは、この告示による廃置分合は「従前の郡」で行われているということなのです。羽栗郡と中島郡とあって、羽島郡は全く出てきません。郡の再編成の前に町村合併が行われたのです。

 つぎに「郡の再編成」ですが、これはなんと明治29.4.18法律第86号(4.20官報p.300)です。
朕帝國議會ノ協贊ヲ經タル岐阜縣下郡廢置及郡界變更法律ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
 御名 御璽
  明治二十九年四月十八日
   内閣總理大臣 侯爵伊藤博文
   内務大臣   伯爵板垣退助
(略)
岐阜縣美濃國羽栗郡及中島郡ヲ廢シ其ノ區域ヲ以テ羽島郡ヲ置ク
(略)
附則 此ノ法律ハ明治三十年四月一日ヨリ施行ス
 この法律により成立した羽島郡の内訳は次のとおりです。
旧郡名従来からの町村         当日新設の町村
羽栗郡笠松町、川島村、竹ケ鼻町、柳津村中屋村、下羽栗村、上羽栗村、八剣村、
                   松枝村、足近村、福寿村、小熊村
中島郡堀津村、八神村         正木村、駒塚村、江吉良村、
                   上中島村、下中島村、小藪村
 したがって、詳細情報#192は、
羽栗郡, 中島郡 の区域をもって 羽島郡 を設置することに伴い 羽栗郡 川島村, 笠松町, 竹ヶ鼻町, 柳津村, 中島郡 堀津村、八神村 と 新設された 14村を 羽島郡 所属とする
が正当であると思います。

#上葉栗村と誤っていたものを訂正しました。
[99832] 2020年 5月 23日(土)17:03:25MI さん
Re: 岐阜県加茂郡大平賀村
[99831] hmt さん
ところが、大正2年(1913/7/1)になってから、「大平賀村の一部」の 境界変更記録 がありました。

 ご指摘を拝見し、詳細情報や、さらに「大平賀村」の記事検索で見つかった過去の記事なども確認して状況が分かってきました。混乱なきよう整理しておこうと思います。

[66845] むっくん さんが紹介されていた「岐阜県市町村合併等経過一覧表(PDF)」は現在リンクが生きておりません。少々探したところ、ウェイバックマシンによるアーカイブで閲覧やダウンロードができます。
 その64コマに「明治28.1.1 (加治田村のうち)旧川小牧村の区域は、大平賀村へ編入」とありますが、[65942] むっくん さんより示された明28.1.9岐阜県告示第1号
本縣加茂郡加治田村ノ内左記ノ地籍ヲ同郡大平賀村ニ編入シ両村ノ境界ヲ變更シタリ
 一字坂本 字南大水 字北大水 字川平 字川ノ上 字山下 字南坂 字下南坂 字小竹原 字黒ヶ谷
と併せて考えると、上記十ヶ字が「旧川小牧村」で間違いないでしょう。ただ詳細情報の「変更年月日」は告示日である1895(M28).1.9が宜しいように思います。

・大正2年の境界変更については、上記で変更した旧川小牧村の区域を再び加治田村に戻すものであったために、詳細情報は「大平賀村」と記載してしまったのだと思われます。実際には明治30.3.31岐阜県告示第58号
町村制第四條ニ依リ各郡町村中明治三十年四月一日ヨリ左ノ通廃置分合ス
加茂郡肥田瀬村鋳物師屋村市平賀村及大平村(ママ)ヲ合シ其ノ區域ヲ以テ富岡村(トミオカ)ヲ置ク
により、大平賀村は富岡村に変わっておりますので、上記詳細情報の「加茂郡大平賀村」の部分を「加茂郡富岡村」に修正が必要だということになります。

#最後に、[99831] hmt さん
膨大な NDL官報からの検索がうまくできていません。
広告欄は検索対象になっていないようだ。
適切な手段をご存知の方があれば、ぜひご教示をお願いします。
 まったくその通りであります。そんな訳で当方は長年にわたって官報全文をなめるように探しては市町村変遷情報をデータベースに取り込んできました。それだけの苦労をかけても官報公告欄に未掲載の情報が多々あることも分かってきて、結局は全国の都道府県立図書館や文書館巡りをすることとなってしまいました。


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