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紅葉橋律乃介さんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[84118]2013年9月23日
紅葉橋律乃介
[84066]2013年9月8日
紅葉橋律乃介
[84058]2013年9月7日
紅葉橋律乃介
[84004]2013年8月26日
紅葉橋律乃介
[82959]2013年3月2日
紅葉橋律乃介
[81907]2012年10月5日
紅葉橋律乃介
[80443]2012年3月28日
紅葉橋律乃介
[80204]2012年1月23日
紅葉橋律乃介
[80017]2012年1月8日
紅葉橋律乃介
[79678]2011年11月28日
紅葉橋律乃介

[84118] 2013年 9月 23日(月)01:42:30紅葉橋律乃介 さん
工藤新一にも解けない謎
[84116] hmt さん
[84117] オーナー グリグリさん

 道から「久遠郡」は「くどうぐん」と読む旨の回答を頂いたことは覚えておりますが、市区町村プロフィールがずっと「くどおぐん」のままだったとは気付きませんでした。まあ、書き方が悪かったのでしょう。

 村名も含めて、読みを示す資料を探すのは難しいようです。hmt さんが挙げてくださった資料の読みも、細かく見ると、現行の郡名とも違う部分があります。
 Issie 先生のWeb ページ府県の変遷(北海道)では、その違いが一目瞭然となっているわけですが、どこかで現行の読みに変わった(統一された)のでしょう。村名の読みは、さて村名新設や戸長役場の設置告示に載っているのかどうか。


 何にせよ、ちょうど8年経ってからの修正に際し、こんな古い書き込みを拾ってくださったhmt さん並びに、対応してくださったオーナー グリグリさんに感謝いたします。


 この「読み」の問題って、「久遠」(くおん)に続くのでは…?
[84066] 2013年 9月 8日(日)17:06:13紅葉橋律乃介 さん
戸長は「こちょう」と読むのか
[84060]YTさん

鈴江英一氏で検索すると、確かに北海道の町村制に関する著作が多いようです。いくつか見たことあるような書名も見受けられますが、じっくり読んだことはありません。その中に、道外の制度との違いなどのヒントがありそうですね。

量徳町にあった小樽支庁役場が戸長役場の業務を兼ねていました。この場合連合戸長役場の管轄名として「量徳町外三十八箇町村連合」を採用するのは正しいのでしょうか?そして明治32年(1899年)10月1日には小樽区が成立しますが、高島郡高島村・祝津村は管轄外となり、『新北海道史年表』(1989年)によると明治33年(1900年)6月13日に高島郡祝津村に祝津村外一箇村戸長役場が設置されたとあります。ということは…すでに小樽区が設立された1899年10月1日から1900年6月13日までの約8ヵ月間、高島郡高島村・祝津村の戸長役場業務は小樽区量徳町の支庁役場が行っていたことになりますが、この間についても高島郡高島村・祝津村については、「祝津村外一箇村連合」の管轄だったとしてよいのでしょうか?

これを機会に『新北海道年表』を入手しようと思いましたが、書店では在庫切れ。図書館で借りてきました。まずは関係項目を抜き出してみようと思います。

上記管轄区域の変遷については、告示自体に載っていると思われます。町村の新設は新設で、それに伴う戸長役場の異動は、また別の告示となります。町村制施行の場合も別に告示があったようですが、いずれにせよ、『年表』を見ただけでは高島村や祝津村がどうなったかは分からないので、告示を詳細に検討する必要がありそうです。

役場の名称についても告示ごとに記載がありました。書き方は「A村外二箇村戸長役場 役場の位置:A村 管下村名:B村C村」の場合と、「A村B村C村戸長役場 役場の位置…」という場合があります。兼轄が多い時代と、少なくなった時代の差かも知れませんが、兼轄の場合はすべて「外○箇村」表記と思っていましたから、意外でした。


「戸長」の謎。役場の長なのか、当該地域の責任者という意味なのか。
明治15年に「字幌向太、字幌内太」に戸長が1名配置されます。16年に入って両地に「幌向村、幌内村」の村名が新設され、戸長配置の告示が修正(コピーでは薄い字でしたが、たぶん原本は朱線・朱字で訂正されているはず)され、「字」が消されて「村」が書き加えられています。
村の設置よりも戸長の配置が早いというのも、何だか不思議な気がしますね。

 ※戸長の配置については『年表』には記載がありません。
[84058] 2013年 9月 7日(土)02:58:31紅葉橋律乃介 さん
「北海道市町村沿革台帳」というもの
[83999] YT さん
[84004] 紅葉橋律乃介

北海道立文書館へ出向き、少し閲覧してみました。
「北海道市町村沿革台帳」というものの、中身は町村(名)の設置や戸長の配置・戸長役場の改廃の告示を手書きで抜き出したものでした。とは言え、公報等の現物から拾い集めるのは容易ではありませんから、最初から集められているなら、この1冊(実際に作られているのは10巻まで)を読むことにより、道内の市町村の変遷が分かる…はずです。

原本(カメラ撮影可、ゼロックス複写不可)、マイクロ資料(マイクロリーダープリンター複写可)とのことでしたが、ページ数が多いので、複写して家に持ち帰るかどうかは悩ましいところ。『新北海道史年表』で事前に抜き出しておいて、それをこの「台帳」と照らし合わせる方が効率的?

実際に読んでみると、「村名(町名)新設」「戸長の配置」「戸長役場の設置」などの記載があります。戸長の配置と戸長「役場」の設置は違うものなのでしょうか。その辺りはよく読んでみないと事情が分かりません。明治10年代は、「村名」を新設しているので、名もない土地が多かったのでしょう。

単純に「戸長役場の変遷が分かれば」と考えていましたが、当時の制度を勉強した方が良さそうです…。
[84004] 2013年 8月 26日(月)04:01:54紅葉橋律乃介 さん
北海道市町村沿革台帳
[83999] YT さん
北海道立公文館

「北海道立文書館」はよく行くので、「公文館」とはどこだろうと思いましたが、どうやらリンク先も「文書館」のようですね。札幌観光の経験があれば、入ったことはなくても、建物をご覧になった方はかなりいらっしゃるでしょう。

『新北海道史年表』で戸長役場を調べてみようと思ったことはありますが、仰る通り全部載っているわけではないようで、途中で止めてしまいました。

「北海道市町村沿革台帳」については、検索した覚えはありますが、実際に読むところまではいっていません。すぐ出向ける立場にいるわけですから、まずはどのような書かれ方をしているのか、近く確認してみようと思います。
[82959] 2013年 3月 2日(土)15:46:54紅葉橋律乃介 さん
連携型中高一貫校?
[82956] オーナー グリグリさん
文科省のデータを見ると、北海道をはじめ全国に町村立はかなりの数設置されています。

 道内では道立の中高一貫校は登別明日中等教育学校の1校のみ、市町村立も札幌市立の札幌開成高校を一貫校に転換する予定がある例しか知らないのですが、町村立は初耳でした。
 お示しの資料を読むと「連携型」となっていて、「設置者が異なる中学校と高等学校が教育課程の編成や教員・生徒間交流等の連携を深める形態」(北海道教育委員会のパンフレット「北海道の新しい高校づくり 2012」の「中高一貫教育とは」[PDF]より)ということで、中学校と高校では「連携」はしているものの、全く違う学校に見えます。
 また、1つの中学校と高校であれば一体感もありますが、複数の中学校と町内の高校が「連携」している場合もあり、私立に多く見られる「中高一貫校」とは大きく異なるように思います。

 「中高一貫校」と「中高一貫教育」を一緒くたにするのは早計かと。
[81907] 2012年 10月 5日(金)20:11:29紅葉橋律乃介 さん
となり町の話題
[81906] 10月 3日(水) 22:51:56【1】 白桃さん
町になった1949年以前には既に角田から栗山に中心が移っていたと考えられますが、役場所在地が角田から栗山に移ったのが1963年ということなので、角田地区も町制施行後一挙に廃れてしまったということではないようですね。(このあたりに詳しい方がいらっしゃいましたらお教えください。)

 隣の町の話題ではありますが、「栗丘」という地名が栗沢(岩見沢市内)か栗山のどちらにあるかもうろ覚えという有様ですから、角川「地名辞典」をちょっと読んでみました。
 町制の前年昭和23年に警察署が駅のある栗山に移転し、事実上栗山が町の中心になったということです。駅がある時点である程度発展していた? と思いますが、出向いた岩見沢市北村の図書館には「栗山町史」は置いていませんでした。思い出した時にでも調べてみます。


 となり町と言えば、三笠市の人口が1万人を割ったとか(住基ベース)。「三笠市 人口1万人割る 石炭産業の衰退で急激に減少」と題して、北海道新聞の記事がありました。
 【三笠】三笠市の住民基本台帳による人口が9月末時点で9996人となり、1万人を割っていたことが4日、明らかになった。旧産炭地の三笠市は、石炭産業の衰退とともに急激に人口が減った。人口が最も多かった1960年4月の6万3360人から8割以上減少した。
 同市の人口は、住友奔別炭鉱が閉山した71年には年間最大の約8500人が減少。88年には2万人を下回り、毎年300人程度減り続けてきた。
 三笠市の高齢化率(人口に占める65歳以上の割合)は43・2%で、全道平均の25・3%を大幅に上回る。市は「死亡数が出生数を大きく上回る。子育てしやすい環境をPRし、人口減に歯止めをかける努力を続ける」としている。
 道市町村課などによると、道内35市のうち住民基本台帳に基づく人口が1万人を割っているのは、歌志内市(4219人)のみ。

 赤平市や夕張市も1万人台ですが、産炭地の惨憺たる有様に…。
[80443] 2012年 3月 28日(水)21:16:52紅葉橋律乃介 さん
おや?
[80441] hmtさん
24.1.1上砂川町【変遷情報24.4.1】、24.11.1下川町【24.12.1】

 下川町は12月1日で良さそうですが、上砂川町は1月1日が分立日と思います。
 と言っても告示を確認したわけではなく、郷土史等が1月1日説であるのみ。官報ではどうなっているのでしょう…>88さん?
[80204] 2012年 1月 23日(月)21:08:02紅葉橋律乃介 さん
もしも師匠が西ノ海だったら
[80196]mikiさん
[80198]hmtさん
[80199]今川焼さん

 あまり「北はり磨」とは書きたくないんですが、今回だけ。
 シコ名の由来は雑誌「相撲」によれば、「師匠の現役名(北の湖)と出身地を含んだ旧国名「播磨」から、字画を考えて「石番」とした。」ということです。
 たまたま地域の呼称と一致したための“混乱”ですが、シコ名の付け方としては「師匠のシコ名の一部+出身地の地名」というごく一般的なものです。

 最近は地名以外のシコ名が多くなって面白くもありませんが、外国籍の力士は今場所優勝した「把瑠都」(エストニア)や「琴欧洲」(ブルガリア)のほか、「黒海」(グルジア)・「阿夢露」(あむうる、ロシア)、関取以外では「風斧山」(かざふざん、カザフスタン)・「舛東欧」(ハンガリー)といった分かりやすい名前もあります。


 そうは言っても、青森出身の「武州山」(旧武蔵川部屋所属)のように紛らわしい名前もありまして…。
[80017] 2012年 1月 8日(日)16:24:21紅葉橋律乃介 さん
事故や災害による合併の可能性
 本日の読売新聞一面に、帰還困難2万5000人 7市町村避難の3割という記事がありました(インターネット版は若干表題が異なります)。新聞本紙には「政府、浪江町に合併打診」という文字もあります。
 
(帰宅困難地域の)対象は避難者の約3割の約2万5000人に上る。大熊町と双葉町はそれぞれ人口の約9割、約7割の住む地域が含まれており、政府側が周辺自治体に合併を打診したことも判明した。
 インターネット上では記事の冒頭部分しか載っていませんので、上記のように「周辺自治体」としか記載されていませんが、新聞の続きの文章では、浪江町・大熊町・双葉町・葛尾村へ、政府から合併を打診したとのこと。浪江町町長のコメントが載っており、政府から「合併という選択肢もある。合併して都市基盤整備を進められたらどうか」という打診に対し、「町民の意向もある。簡単にはできない」と答えたそうです。


 合併というのは当該市町村や住民から発議して進んでいくものですが、災害等の場合に政府から打診されるという例は考えていませんでした。もちろん、様々な「特例」を用意して合併に向かわせるというのも、ある意味政府からの打診(?)と言えなくもないですが…。

 このように、「合併するかも知れない動き」というものも、記録していく価値があると思います。
[79678] 2011年 11月 28日(月)20:25:15紅葉橋律乃介 さん
首長任期?
[79675] オーナー グリグリさん
松井大阪府知事は本日から就任だと思いますので情報を更新しました。平松市長の任期は今月末までですので、更新は12月1日に行います。

 大阪府知事の就任日(任期起算日)は昨日ではないでしょうか? 根拠がどこにあるかは分かりませんが、欠員の場合は選挙日が就任日だったと思います。
 これは、北海道内のとある町村長が欠員となり、後任が無投票で当選した例が数ヶ月前にありました。この場合はどこが任期の起算か気になったのですが、新聞記事によると(投票の有無に関係なく)選挙日から起算されるとのことでした。確かに、投票の有無で任期の起算日が異なるのはおかしいですから。

 大阪市長の任期は、今朝のニュースでは12月中旬までと聞いたような気がします。
 こちらは根拠があります(大阪市 組織一覧)。12月18日に任期満了です。


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