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紅葉橋律乃介さんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[79351]2011年9月17日
紅葉橋律乃介
[78869]2011年8月4日
紅葉橋律乃介
[78810]2011年7月23日
紅葉橋律乃介
[77936]2011年4月26日
紅葉橋律乃介
[77876]2011年4月8日
紅葉橋律乃介
[77864]2011年4月3日
紅葉橋律乃介
[77653]2011年2月13日
紅葉橋律乃介
[77118]2010年12月26日
紅葉橋律乃介
[76940]2010年11月30日
紅葉橋律乃介
[76339]2010年10月17日
紅葉橋律乃介
[75407]2010年6月26日
紅葉橋律乃介
[75361]2010年6月16日
紅葉橋律乃介
[75171]2010年5月22日
紅葉橋律乃介
[74903]2010年4月13日
紅葉橋律乃介
[74515]2010年4月1日
紅葉橋律乃介
[74361]2010年3月15日
紅葉橋律乃介
[74352]2010年3月14日
紅葉橋律乃介
[74089]2010年2月2日
紅葉橋律乃介
[72824]2009年11月12日
紅葉橋律乃介
[72719]2009年11月2日
紅葉橋律乃介
[71765]2009年8月23日
紅葉橋律乃介
[71745]2009年8月21日
紅葉橋律乃介
[71717]2009年8月19日
紅葉橋律乃介
[71687]2009年8月16日
紅葉橋律乃介
[70908]2009年7月21日
紅葉橋律乃介
[70883]2009年7月19日
紅葉橋律乃介
[70732]2009年7月6日
紅葉橋律乃介
[70727]2009年7月5日
紅葉橋律乃介
[70232]2009年5月20日
紅葉橋律乃介
[70174]2009年5月16日
紅葉橋律乃介

[79351] 2011年 9月 17日(土)23:32:53紅葉橋律乃介 さん
北海道での「廃置分合」というもの
[79348] 9月16日(金) 16:10:46【2】 むっくんさん

 旧制度(市制・町村制施行以前)の道内町村を成立順に並べたことがないので、この表は大変興味深いです。細かい点として、#123は「栗沢村」が適当かと。「當麻村」は町制施行時に「当麻町」に改めたのに対して、栗沢は最後まで「栗沢町」と称していましたし。

 詳細はまた調べてみたいのすが、「明治22年」で区切ってしまってよいのかどうか疑問があります。
 本州・四国・九州は明治22~23年を「起点」とするのは納得が行きます。それらの年に市制・町村制を施行しなかった北海道と沖縄もその時代から変遷を記載するのも理解したいところですが、北海道について、明治22年以降はまさに“旧制度”の町村がどんどん設置された時代であり、他府県の「施行時」よりもさらに前の時代? になります。何より、我が岩見沢村が設置された明治17年は一体どうやって記載するのか。これが一番の問題なんですが(笑)。

 それはともかく、#160以降の日付にあるように、北海道区制・町村制施行後も“旧制度”の町村が設置されています。“旧制度”と新制市(区)町村が混在している場合は「市区町村変遷情報」では想定していなかったのではないかと思います。
 北海道民としては、“旧制度”市町村も北海道区制・町村制と並行していた時代もあるので、明治以降なりを一括して記載してはどうか? と考えた次第です。

 日付が「村名」の設置か「戸長役場」の設置かによって当該自治体の考え方が変わって来るようですが、それはまた別の話とします(幌向村→名前は同じで別の領域→南幌町のような例が記載しきれないといったややこしい例も後日へ)。
[78869] 2011年 8月 4日(木)00:25:39紅葉橋律乃介 さん
「北海道 市制町村制施行時の情報に相当する情報について」について
 「市制町村制施行時の情報」に北海道も加わりまして、これで他の都府県と肩を並べることが出来ました。おめでとうございます。

 と言いつつ不可解な点はあるもので、北方領土の6村が現存しているのは納得出来ますが、“本編”である「市区町村変遷履歴情報」では設置や廃止の情報はないものの支庁の区域に含まれている千島3郡(「得撫郡, 新知郡, 占守郡 」)が、その後どうなったのかは特に触れられていません。

 ここで北海道ならでは、というか特有の問題が発生します。実際に「施行時の情報」を見て分かるとおり、町村制は1900年~1923年まで段階的に施行され、実に20年以上も未施行の町村と混在しています。その中で、
[78865] むっくんさん
73 1918(T7).2.1 新設/区制 室蘭区 室蘭郡 室蘭町(, 輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村)
 このような例があります。( )は紅葉橋が勝手に付けたものですが、町村制での室蘭「町」と未施行の“村”との合併(?)は、単純に区制を施行したのみならず「北海道区制」という近代制度が旧室蘭町周辺に広がったことを示します。

 前述の千島3郡を含め、「市区町村変遷履歴情報」の区制や町村制施行以前の支庁の改廃情報では、支庁の設置では区・郡名が、その後の管轄区域変更では村名(倶知安村、富良野村)が見えますが、郡はともかく村名は町村制未施行の村々です。「市制町村制施行時の情報」よりも前の“村”が登場していることで、ではこの2村はいつ設置されたの? という疑問が湧いて来ないとも限りません。

 「北海道町村制」が全道に亘って施行されるまで、未施行の村々にもやはり異動はあったのでしょう(すぐには具体例を示せませんが)。町村制施行後の変遷を載せるのがここでの目的なわけですが、気になるところではあります。

 もっとも大事なことは、未施行の村々は町村制を施行した町村と並存しており、決して施行時に誕生したわけでも無人の荒野だったわけでもないということです。



 ちなみに、わたしが道民だからかも知れませんが、88さんとの認識の違いが出て来ました。hmtさんの意見に近いものがあります。

[78854]88さん
例えば、「二級村」から「一級村」への変更や、「一級町」から「町村制の町」への切り換え、「二級村」から「指定村」への切り換えは、「市制町村制施行後の情報」に相当するものと考え、廃置分合等を伴わないものは、何も表示していません。

[78867]hmtさん
開拓時代の変則的な制度である 北海道二級町村制から、府県における町村制に準じた制度である 北海道一級町村制への「昇格」も、実質的な「自治体の誕生」に近いもので、変遷情報に記録する価値があるのではないでしょうか。

 「一級町村」から「町村制の町村」への切り換え、「二級町村」から「内務省指定町村」への切り換えは、まあ「市制町村制」から「地方自治法」に切り替わったように、実態としてはあまり変わりがないと思われます。
 一方で「二級町村」から「一級町村」へは「昇格」であり、中身が変わっていると言えます。

 この時代の道内の町村は、道外での「町」「村」の2種類ではなく、「一級町」「一級村」「二級町」「二級村」(それと「未施行の村」)の4~5種類あったと認識しています(「二級町」から「一級村」の“昇格”はあり得ませんが…)。


 「内地」に編入された樺太の処遇も気になるところですが、まずは北海道の扱いを…。
[78810] 2011年 7月 23日(土)14:23:06【1】紅葉橋律乃介 さん
控えから
[78809] faithさん
もしかして趣旨を誤解しているかも知れませんが、郡区町村編制法時代は…町でも村でも戸長が職名なのでは?

 [78798]hmtさんがおっしゃったように、町村制施行後は「宿」(「駅」や「浦」「新田」も同様の疑問がありますが)の首長がどう呼ばれていたか、ということではないかと。

 郡区町村編制法下では確かに「○○村戸長」のように呼ばれていたわけですが、町村制では「市長」「町長」「村長」と呼ばれるようになったわけで、“町でも村でもないが郡区町村編制法からの名称をそのまま引き継いだ自治体”の長がどういう職名だったのか。それはわたしも興味があります。
[77936] 2011年 4月 26日(火)21:27:07紅葉橋律乃介 さん
くび長
[77933] k-aceさん
夕張市の鈴木直道市長の任期は今日からの模様。
 夕張市は前市長が市議選立候補により失職しているので、鈴木市長は選挙日の24日から既に市長の任期が始まっています。

 このように任期前後では首長・一般人と立場が大きく変わりますから、新規採用はともかく、これまでに採用したアカウントについては、在任しているかどうかのチェックが日々必要ではないかと思います。退任しているにもかかわらず「首長」と主張してしまうのは、あまり良いこととは思えませんので…。
[77876] 2011年 4月 8日(金)18:27:28紅葉橋律乃介 さん
輝け九万、岩見沢
 合併によって9万人台だった岩見沢市の人口ですが、住基では3月31日現在ついに9万人を割り込みました(89,770人)。4月には若干増えるかも知れませんが、9万人台回復は難しいでしょう。

 国調ではかろうじて90,153人でしたから、唯一の9万都市の記録として刻んでおきたいと思います。

岩見沢市ホームページより 市のプロフィール
[77864] 2011年 4月 3日(日)01:00:39紅葉橋律乃介 さん
公式ツイッター
[77862] オーナー グリグリさん
…新規メニュー「公式ツイッターアカウント」を「公式ツイッター」に変更しました。長ったらしかったので簡潔にしました。

 市町村等が「公式に作ったツイッター」ではなくて、あくまでも「アカウント」が公式なのではないかと。
 「公式アカウント」か、長くなりますが「ツイッターの公式アカウント」ではどうでしょう?
[77653] 2011年 2月 13日(日)21:02:07紅葉橋律乃介 さん
市役所に近いかも知れない駅
[77651] 2011年 2月13日(日)19:49:06 futsunoおじさん
北海道庁-◎札幌駅 580
北海道庁-札幌駅(地下鉄) 360

 地下鉄の駅は「さっぽろ」駅です。
 それはともかく、地下鉄駅の方が道庁より遠い気がしますが、誤差の範囲(?)なのでしょうか。


 ちなみに、振興局と近い駅は探すのが難しい?
[77118] 2010年 12月 26日(日)23:40:30紅葉橋律乃介 さん
学校の少ない市
[77113] 2010年12月26日(日)16:54:38【1】 オーナー グリグリさん
なお、「中学校が1校だけの市」は、歌志内市と西之表市の2市になるようです。

 今春から夕張市も3校あった中学校が統合され、「夕張中学校」のみになりました。小学校も来春統合され、確か「ゆうばり小学校」のみになると聞いてます。北海道以外の状況は知りませんが、まだ他の都府県にも小中学校が1校のみの市があるかも知れません。

 「高校のない市」は、現状北海道では歌志内市のみ。三笠市も再来年から仲間入りしそうですが、三笠市立で存続の話もあります。なるべく「高校のない市」は増えて欲しくないんですが…。


 ちなみに、細かい話ですが
今年の4月に歌志内小学校と歌志内西小学校が統合されて、歌志内小学校1校になったためでした。
 統合されたのは歌志内小学校と(歌志内市立)西小学校でした。市立を省略して「歌志内西」小学校と表記されたのでしょうが、他の市町村の学校と併記しない限り、わざわざ「歌志内」を書く必要性はないと思います。
[76940] 2010年 11月 30日(火)23:12:50紅葉橋律乃介 さん
寺社仏閣
[76939] 2010年11月30日(火)22:27:26
「お寺」と「神社」の違いを判らないヒトがいた

 「お寺」は葬式に行くところ、「神社」は初詣に行くところ。「お寺」は毛がないから「発毛で」は行かないでしょう…ってな感じでどうでしょう。

 神社は巡ったことありますが、お寺はなかなか行く機会がありません。

※タイトルを見て違和感がない方は、どっちがどっちでも良い人に違いない
[76339] 2010年 10月 17日(日)22:27:30紅葉橋律乃介 さん
希望
[76336] 2010年10月17日(日)16:17:20 オーナー グリグリさん
以上、不具合などありましたらご指摘ください。

 早速ですが、何点か申し上げます…の前に、「市町村変遷情報」には、支庁→総合振興局及び振興局への改組が反映されていませんね。網走支庁→オホーツク総合振興局のように改称された例はもちろん、幌加内町(空知支庁→上川総合振興局)と幌延町(留萌支庁→宗谷総合振興局)という地図の形まで変わる大きな変遷も洩れています。

 そのせいかどうか、市町村プロフィール_北海道では、相変わらず支庁が総合振興局及び振興局に変わっただけで、所属振興局は従前のままになっています。
 また、同じく末尾の“同名の郡”欄においては、新たに雨竜郡が対象に加わります。天塩郡はもともと分断されていたので、影響はない(?)と思います。


 北海道のデータ_総合振興局・振興局の一覧は、総合振興局及び振興局の変更が反映されていますが、
なお、北海道の自治体の並び順については、2010.4.1以降のデータベースについては市町村コード順(市が最初)に並ぶようにしました。 2010.3.31以前は支庁単位にコード順のままです。

 一応総合振興局と振興局は同格とされていますが、名前に違いがあるように、総合振興局が振興局の事務を所管することが出来るようで、設置条例に次のような条文があります。
第3条 前条の規定にかかわらず、広域的に処理することにより効果的かつ効率的に執行することができる事務については、規則で定めるところにより、別表第2の左欄に掲げる総合振興局が同表の当該右欄に定める振興局の所管区域に係る事務を所掌することができる。

 以上のようにありまして、設置条例上の総合振興局及び振興局の並び順は、それらを踏まえた順番になっています。


 これらは以前から書いていることですから、グリグリさんは考慮する必要なしと切り捨ててしまったのでしょう。従って、ここに書くだけに留めておきます。
[75407] 2010年 6月 26日(土)00:40:57紅葉橋律乃介 さん
あなたの母校はありますか?
 皆さんの中には、北海道の高校に通った方や、ご家族が通っていた、あるいは関係者だったという方もいらっしゃると思います。

 最初は、各校の校歌を知りたくて。その前に、“校歴”を知りたくなりまして、このたび「北海道高等学校変遷表」というものを作ってみました。
 PDF版なので見づらいとは思いますが、とりあえずこの街にも高校があったのか、というようなことが分かれば良いかと思います。

 実際に通われた時期に、その名前だったかどうか、あるいは周辺に存在していたかどうか。まずはご確認頂ければと思います。
[75361] 2010年 6月 16日(水)18:04:02紅葉橋律乃介 さん
同じ地名かどうか
[75360] 2010年 6月16日(水)15:23:19 YASUさん
北海道岩見沢市岡山町/三笠市岡山

 知ってはいたものの、どなたも挙げないので逆に該当しないのかと思っていました。
 これが該当し、自治体を越えて同じ地名…ということであれば、この近くにも存在します。

 北海道岩見沢市峰延町/美唄市峰延町東・峰延町本町・峰延町峰樺・峰延町公園

 また、合併してしまいましたが、合併前は別の自治体で同じ地名だったもの(合併後も別の町域として存続)しているものもあります(ポイントが微妙なところにありますが、境界線上のつもり)。

 北海道岩見沢市大願町/岩見沢市北村大願


 それはともかく、指定都市の区を含めた場合、こういうのはどうなのでしょうか。

 北海道札幌市??区北n条

 ちょっと分かりづらいのですが、JR札幌駅・函館本線から下の部分が中央区、中心点の左側が北区、右側が東区です。住所は「北n条西n丁目」や「北n条東n丁目」でずっと続いていきますが、あるところから急に区名が変わっています。
 まあ、「北1条」とか「北1条東」やらで1つの町域と考えれば…?
[75171] 2010年 5月 22日(土)23:15:45紅葉橋律乃介 さん
「網走」だと子供が読めないから?
[75158] 2010年5月22日(土)06:38:07 白桃さん
やっと、3月末の北海道の住基人口が発表となり、見ていたら「オホーツク」があり、一瞬「なんじゃ、これ???」と思い、(後略)

 これはおかしいですね。「3月末」即ち「3月31日現在」の数字のはず。ならば、「網走」のままであるはずだし、何より順位も石狩・渡島・檜山…でなければなりません。「支庁設置条例」の改正施行は4月1日付ですからね。

 ちなみに、新聞のおくやみ欄で「オホーツク管内○○町」という表記を初めて発見しました。随分広大な領域のようですが、もともとの網走管内でしかないんですねえ…。


 ところで、
釧路振興局釧路郡釧路町
 正しくは「釧路総合振興局釧路郡釧路町」ですね。


 だいぶ前の話ですが、
[74906] 2010年4月13日(火)07:09:16【1】 白桃さん
ところで、元関脇で優勝経験1回の栗沢出身(生まれは樺太)の名力士の本名は当然ご存じですよね。(笑)
 わたしが生まれる前に引退していますが、長谷川ですね。佐渡ケ嶽部屋なのにずっと琴も付かずに「長谷川」のままでした。

 ちなみに、十両止まりの修羅王が本名「江戸」でしたが、ますます関係ありません。
[74903] 2010年 4月 13日(火)01:29:25紅葉橋律乃介 さん
道でもいい話
 既に[74901]でMasAkaさんが書かれていますが、

[74897] 4月12日 (月)23:22:51 白桃さん
都道府県庁所在市名と同じ苗字の芸能人を探します
○全く思いつかない・・・札幌、青森、盛岡、仙台、前橋、さいたま、新潟、富山、甲府、岐阜、静岡、津、京都、和歌山、
鳥取、松江、徳島、福岡、熊本、大分、鹿児島、那覇
 わたしもやっぱり「さいたまんぞう」さんが浮かびました。「さいた・まんぞう」なのが残念でなりません。富山敬さんは、やはり「とみやま」なので違っていますね。
 幕内の隠岐の海が本名「福岡」ですが、それはどうでもいいでしょう。

○なんとなくいそう・・・福島、千葉、金沢、福井、長野、岡山、広島、佐賀
 声優さんで言えば、千葉繁さん・千葉紗子さん・千葉千恵巳さん・千葉進歩さん・千葉一伸さんなど、そう珍しい名字ではありません。
 千代大海の旧姓が「廣嶋」ですが、それもどうでもいいでしょう。ここでは書けない「金沢」という有名人(?)もいますが、これは大人になってから調べる気があれば…ということで。

○インチキ・・・宇都宮(宇津宮雅代)、横浜(横浜銀蝿)、大阪(大坂志郎)、神戸(神戸=『かんべ』一郎)
 「若山」という名字の方はいらっしゃいますね。


 で、「北海道」はともかく、「北海」という名字の方は…?
[74515] 2010年 4月 1日(木)17:21:38紅葉橋律乃介 さん
新興局
 本日より北海道庁の「支庁」が「総合振興局」と「振興局」に衣替えしました。
 実際には一部支庁の管轄区域の変更と「網走」→「オホーツク」への名称変更くらいで、今のところは大きく変更された点は少ないのでしょう。

 今のところ、北海道内向けの短いニュースでは「網走」→「オホーツク」(総合振興局が入っている合同庁舎の名称)に変わった看板の除幕場面が流れるくらいで、大きく扱われてはいません。

 実際に空知総合振興局の庁舎に出向いてみると、石に刻まれた看板には鉄の板で「空知総合振興局」などと書かれていて、一応変化はありました。中の様子は、「支庁長」「副支庁長」…が「局長」「副局長」…と、よくある上にシールを貼っての変更が見て取れました。
 道税窓口と同居している銀行の「空知支庁出張所」(「出張所」では変換出来ないんですが、読み方は「しゅっちょうじょ」?)は変わらず、旧称のまま。
 入口にある管内各市町村の特産品を並べたガラスケースにも、管外になった幌加内町のものが並んだまま。まあ、初日だからしょうがないのでしょう。ちなみに、縦に3市町村入れられるケースが9列並んでいて、空きが2市町村分。4年前に合併した北村と栗沢町の分が入っていたのでしょう。

 その他、あちこちにある案内地図・案内板上の「空知支庁」はどうなるのか。今日は降雨なのでそこまで見て来なかったのですが、いずれ変更されるのでしょうか。


 その前、石狩支庁(当時)にも出向いてみました。札幌市にあるはずですが、場所が分かりません。地図によれば、道庁本庁の裏。出向いてみると、確かに裏にある「道庁別館」の中。ここには窓口のようなものもなく、完全に道庁の一部局という扱いでした。
 改めて出向いたところで、シールで「振興局」に変えられているくらいでしょうね。


 気象庁の予報区分では、「網走~」はそのままの模様。それはともかく、今日からは「オホーツク地方」と呼ぶべきか…。
[74361] 2010年 3月 15日(月)22:00:09紅葉橋律乃介 さん
樺太の市町村の続き
[74355] 3月14日(日)23:24:42【1】 Issieさん
“行政区画”としての郡町村は,「樺太町村制」の施行(1929((昭和4)年7月1日)より前,「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)が施行された1915(大正4)年8月1日までさかのぼれそうです。

 樺太については、Issie先生とは何度かやりとりしていますね。
 それはともかく、1915年8月1日には、17郡・4町・58村が編成されています。1929年の町村制の前にも、1922年と23年に「樺太町村制」が施行されていますが、その時点では7町・30村に再編されています。郡も16に減っていますね。

 もっとも、「市の変遷」という点だけ見ると、豊原市しかありませんから、反映するのはそう難しいことではなさそうですが、どうなのでしょうか。


[74358] 12:55:10 右左府さん
名好郡所属が確認できると思います。

 前後の告示29号・30号を官報で確認したはずなんですが、肝心の告示コピーが見つかりませんでした。ご指摘ありがとうございます。

 郡の再編成が行なわれたのは1938年4月以降ということなのでしょう。やはり42年11月なのでしょうか。これを裏付ける資料を見たことがないのですが。
[74352] 2010年 3月 14日(日)21:49:14【1】紅葉橋律乃介 さん
樺太の市町村
[74318] 2010年3月10日(水)19:42:54 namoさん
いわゆる終戦から沖縄返還までの間の、沖縄県、鹿児島県奄美地方、樺太などにあった市について、詳しく記録してほしい。

 既に[74330]でオーナー グリグリさんが述べられておりますが、もともとの「変遷情報」自体が入力されていませんから、入力待ちというところなのでしょう。

 樺太について、手許に少し資料があります。どこを起点にするかは議論がありそうですが、北海道と同様に、一級・二級の樺太町村制が施行された時点を起点とすれば、下記のようになります。

1929.07.01町制豊原郡豊原町豊原郡 豊原町
町制栄浜郡落合町栄浜郡 落合町
町制大泊郡大泊町大泊郡 大泊町
町制留多加郡留多加町留多加郡 留多加町
町制本斗郡本斗町本斗郡 本斗町
町制真岡郡真岡町真岡郡 真岡町
町制野田郡野田町野田郡 野田町
町制泊居郡泊居町泊居郡 泊居町
町制名好郡恵須取町名好郡 恵須取町
村制元泊郡元泊村元泊郡 元泊村
町制元泊郡知取町元泊郡 知取町
村制豊原郡豊北村豊原郡 豊北村
村制栄浜郡栄浜村栄浜郡 栄浜村
村制栄浜郡白縫村栄浜郡 白縫村
村制大泊郡千歳村大泊郡 千歳村
村制大泊郡深海村大泊郡 深海村
村制長浜郡長浜村長浜郡 長浜村
村制長浜郡遠淵村長浜郡 遠淵村
村制富内郡富内村富内郡 富内村
村制留多加郡三郷村留多加郡 三郷村
村制留多加郡能登路村留多加郡 能登路村
村制本斗郡好仁村本斗郡 好仁村
村制本斗郡内幌村本斗郡 内幌村
村制真岡郡広地村真岡郡 広地村
村制真岡郡蘭泊村真岡郡 蘭泊村
村制真岡郡清水村真岡郡 清水村
村制野田郡小能登路村野田郡 小能登路村
村制泊居郡名寄村泊居郡 名寄村
村制久春内郡久春内村久春内郡 久春内村
村制久春内郡三浜村久春内郡 三浜村
村制鵜城郡鵜城村鵜城郡 鵜城村
村制元泊郡帆寄村元泊郡 帆寄村
村制敷香郡敷香村敷香郡 敷香村
村制敷香郡泊岸村敷香郡 泊岸村
村制敷香郡内路村敷香郡 内路村
1930.07.01町制敷香郡敷香町敷香郡 敷香村
1932.04.01村制長浜郡知床村長浜郡 知床村
村制名好郡名好村名好郡 名好村
1937.07.01市制豊原市豊原郡 豊原町
1938.04.01分立名好郡塔路町名好郡 恵須取町の一部
1941.04.01分立名好郡西柵丹村名好郡 名好村の一部
町制本斗郡内幌町本斗郡 内幌村
町制/改称久春内郡珍内町久春内郡 三浜村
町制名好郡名好町名好郡 名好村
村制豊原郡川上村豊原郡 川上村
村制本斗郡海馬村本斗郡 海馬村
村制散江郡散江村散江郡 散江村

 支庁の変遷については記していません。支庁についても変遷があり、出張所も絡んでくるので複雑になってきます。

 上記の表のあと、1943年4月1日に内地編入され、“48番目の府県”になったわけですが、「樺太市制」と「樺太町村制」が廃止されたのは6月1日。2ヶ月間は、同じ「市」でも違う法制だったようです(それぞれ市制・町村制に統合されましたが、二級町村は内務省指定町村に移行)。


 その前、1942年11月1日には、戦時体制として行政組織が簡素化されています。支庁の統合はもちろん、郡も再編されたようで、それまでの郡名とは異なっています。

 豊原郡・栄浜郡→豊栄郡
 大泊郡・長浜郡・富内郡→大泊郡
 真岡郡・野田郡→真岡郡
 久春内郡久春内村→泊居郡に変更
 久春内郡珍内町→恵須取郡に変更(恵須取郡新設、久春内郡消滅))
 鵜城郡鵜城村→恵須取郡に変更
 名好郡恵須取町→恵須取郡に変更
 名好郡塔路町→恵須取郡に変更?
 敷香郡・散江郡→敷香郡

 この郡変更が42年11月1日付だったのかどうかは分かりません。38年の塔路町分立時、果たして「名好郡」だったのかどうか…。


 まずは、分かっている範囲だけでも「変遷情報」に反映すべきだとは思いますが、さて?


[74358]右左府さんを受けて、敷香町制施行日時を訂正。確かに、6月4日は告示日で、施行日は7月1日でした(官報によって、何年か前に確認しています)。
 
[74089] 2010年 2月 2日(火)18:31:16紅葉橋律乃介 さん
支庁の痕跡を訪ねる
 だいぶ時間が経ってしまいましたが、北海道の支庁改メ総合振興局・振興局について。

 年が変わり、2月にも入りました。2ヶ月後には、正式に北海道から「支庁」という名称が消えます。
 これは既にどんどん反映されていて、たとえばお正月に会社などが社名入りのカレンダーを作成する。会社によっては、北海道地図にカレンダーと社名を入れている、カレンダーが主なのか地図が主なのか分からないようなものもあるわけですが、2010年版の地図には、「支庁」の代わりに「総合振興局」・「振興局」と書かれていて、空知や上川・留萌の形も変わっています。

 昭文社から発行されている都市地図が、これまでの「岩見沢市・美唄市・三笠市」版から、「江別市・岩見沢市」版に変更されました。従来の赤い表紙の場合は地名や施設名が見やすかったのですが、増えてきた灰色の表紙版では、ちょっと見づらいようですね。岩見沢市内の支庁のある場所の施設名は、既に「総合振興局」となっています。今後発行される各地の地図でも、「支庁」という名称は過去のものになってしまうのですね。


[73408] 2009年12月27日(日) 10:59:20 オーナー グリグリさん
今回の振興局への名称変更により、ますますその曖昧感が強くなるというのが私の懸念です。この際、すっきりと「支庁」という括りを廃止してもよいのではないかと考えた次第です。

 北海道になじみのない方にはそう思われても仕方ないかも知れませんが、道民として考えると、「支庁」の括りを取っ払ってしまうのは、はっきり申し上げると「「使えない」ものに変えましょう」と言っているようなものです。使えないもの、分かりづらいものに作り変えるというのは、奇妙な話ですよね。


住所表示として一般認知も高い「郡」は、統一されている区画情報としてまだまだ存在価値があると考えています。北海道の「郡」についても以前も議論しましたが、住所表示としては「支庁」よりも有意(優位)な存在であると認識していますが、いかがでしょうか。

 住所にしか使わないような「郡」の方が、重要だと仰る。住所に使っているから重要で、使っていないから不要。このようにお考えであれば、はっきり申し上げて北海道自体を削除されるか、逆に、どの町村が何郡なのかなんて街頭の住民くらいしか知らないでしょうから、「郡」の括りを取っ払った方が良いのではないか、と思うくらいです。
 でも、「郡」が有名無実化しているなんていうのは北海道に限ったことではなくて、存在しているから住所に使っている、という程度のものではないかと。


 ところで、
当サイトの市区町村プロフィールの北海道ページでは、コード順にすべての市を一覧したあと、町村を支庁区画にまとめて一覧表示しています。ところが、データベース検索の検索結果を「都道府県順」で並べると、市も含めて支庁区画ごとに並ぶため、北海道では市の表示がばらけてしまいます。例えば、このように。これは前から気になっていて直したいと思っています。

 確かに「このように」の表示方法では分かりづらいですね。しかし、「市」を全道一括にして、「町村」を支庁別にするのが一般的なようですが、そうではなくて、このまま支庁別に市も割り振れないでしょうか?

 現状では、石狩地方の市町村→渡島地方の…と続いていても、括りが「北海道」のまま。それを「石狩振興局」→「渡島総合振興局」…という括りに変えれば、分かりやすいと思います。


 ちなみに、「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」では、支庁の並び順が変わっています。もしかすると、道内の統計(条例の並び順)と全国の統計(市区町村コード順)では、見た目が大きく違って来るかも知れません。


 ところで、支庁の管轄が変わると、気象予報区分も変わるんでしょうかね。幌加内町は現在空知地方(北空知)に属しており、道央圏なので札幌周辺の天気予報で触れられます。上川地方に移ると道北圏になり、札幌周辺の予報では“圏外”になります。
 幌加内町といえば、北母子里でマイナス40度超えという記録もありますし、現在でも低温や豪雪地域でもあります。

 さて、どうなることやら…。
[72824] 2009年 11月 12日(木)02:42:18紅葉橋律乃介 さん
総合振興局と振興局
 折に触れて記している、「市区町村変遷情報」における、北海道の支庁の扱いについて。

 支庁設置条例の改正施行を受け、来年4月1日から、現在の支庁が総合振興局・振興局に変わります。また、空知支庁管内幌加内町は上川総合振興局へ、留萌支庁幌延町は宗谷総合振興局に移管され、網走支庁はオホーツク総合振興局に改称します。

 これらの予定は、「市区町村変遷予定情報」には記されていません。そもそも、道内では既に合併協議はどこもしておりませんので、「北海道」の項目すらありません。

 一方で「市区町村変遷履歴情報」の「北海道」では、北海道区制や町村制施行よりも(現在まで続く)支庁の設置が先なので、1行目から「支庁設置」が続きます。改称や移管についても、市区町村の変遷と同じように記載されています(仕様の問題で(?)改称も「支庁設置」と記されていますが…)。

 仮に予定情報に記載せずに施行期日を迎えた場合、突如履歴情報に今回の改組・移管・改称が記載されることになり、不自然ではないでしょうか。


 また、「市区町村プロフィール」の「都道府県別 市区町村一覧(北海道)について。他の都府県も含め、記載の市区町村の並び順は、何を基準にしているかは記されていませんが、地方公共団体コード順ではないでしょうか。
 ただし、北海道では町村は支庁別に付番されていますから、そのままでは郡別に表示できませんから、町村の再編でコードと郡が離れてしまった場合は、適宜処理されているようです。

 今般の支庁設置条例改正では、幌加内町は上川の末尾に、幌延町は宗谷の末尾に付番されました。これは、付番の原則からも妥当なところですが、条例上の「所管区域」並び順は、それぞれ移管先の筆頭に書かれています。
 また、支庁(総合振興局・振興局)の並び順自体も、「総合振興局」が「振興局」を含む広域事務を担当することができますから、これまで筆頭の「石狩支庁」改メ「石狩振興局」を所管する「空知総合振興局」が、条例上は筆頭に書かれています。


 これまでは施行期日が未定でしたが、はっきりと施行期日が公布された以上、何らかの対応が必要ではないか、と道民は思うのですが…。
[72719] 2009年 11月 2日(月)23:19:09紅葉橋律乃介 さん
第二十四回十番勝負
 参戦する気はなかったんですが、調査のヒントになったので御礼として。

問三:名寄市

 道内以外はさっぱり分かりません。
[71765] 2009年 8月 23日(日)01:04:50紅葉橋律乃介 さん
しむかっぷ
 北海道の人口についてのお話の続きです。

[71693] 8月17日(月)00:24:14 YTさん
ただ残念ながら公的機関のまとめたものにも関わらず、「村」と「町」の誤記が10箇所以上あったと思います(一々メモを取りませんでしたが)。国勢調査の報告書自体も「村」と「町」の誤記が同程度あったと思いますが、両者の間違いは色々異なったりします。
 道庁統計課のホームページについての話題ですが、エクセルファイルで公表されていることから、数年前に入力・公開された物なのでしょう。
 平成12年調査までのデータで“北海道の国勢調査人口”をうちのホームページに載せましたが、人口自体は合計で照合が容易なのに対し、市町村名は正しいのかどうかは疑問でした。調査日現在の市町村名で入力されているのかどうか、また、「町・村」と「むら・ちょう」といった読みがなが合わない例が多数見受けられました。

 ホームページのデータの原資料を読んだことはありませんが、これらの表を改めて入力した結果、前後の調査の市町村名を流用した結果、町制した村の読みを「むら」のまま「町」に変更した、あるいはその逆もあったのでしょう。

1944年の人口調査の扱いにも苦慮しています。改めてこの年の人口調査をみたところ、ほぼ全ての府県で市町村別人口の合計と都道府県の人口の間に不一致があります。


 さて、[71673]
大正2年12月31日調の日本帝国人口静態統計では、占冠村は室蘭支庁勇払郡占冠村として集計されています。同時期の虻田郡などは、わざわざ後志支庁と室蘭支庁に分けて集計していっます。

 これは、確かにおかしいですね。記録の上では、明治39(1906)年に占冠村は既に上川支庁に移管されています。
 虻田郡については、既に明治32(1899)年に倶知安村が岩内支庁に移管されていますが、43年に真狩村・狩太村が後志支庁の新設に合わせ、室蘭支庁から移管されており、上記の「日本帝国人口静態統計」に反映されています。所管支庁も、合併前の旧3支庁ではなく、統合された状態で記されています。

 疑問な点があります。この統計資料は、北海道の支庁内が郡別に記されています。こういった場合、道庁が国なりに報告する場合、「郡別」になっていたのでしょうか。「支庁別」の資料を国が郡別に分け直していたとすれば、あるいはこの段階で占冠村が室蘭支庁に“紛れ込んだ”のではないかと…。


 公的機関ですから、そういうことはない…のでしょうか?
[71745] 2009年 8月 21日(金)21:39:03紅葉橋律乃介 さん
支庁で考える
 「支庁を考える」シリーズを、興味深く読ませていただいております。北海道の人間だから、かも知れませんが。

 さて、このタイミングに合わせた? とも思ってしまうのですが、

[71685] 8月16日(日)15:02:29 hmtさん
施行日を定める規則が7月に制定されたかどうかは不明です。従って、10月1日施行もどうなることやら。

 「7月制定」という話は聞いたことがありません。聞いたことがないので、10月に施行されるわけがないと思っていました。

 北海道新聞「支庁再編、10月施行延期 町村会 農・水課集約に反発」より、一部抜粋。
道は20日、3月末に成立した改正支庁再編条例の施行時期について、目標としてきた10月1日から先送りする方針を固めた。道が示した再編後の組織体制や機能分担案に対し、道町村会などが修正を求めていることから、これらの調整を最優先すべきだと判断した。道は町村会などの理解が得られ次第、条例の施行日を決める方針だが、協議が難航すれば、新体制のスタートは来年度以降にずれ込む可能性もある。

 施行日は町村会との協議の後に決められますが、「周知期間」も設けなければなりませんから、とりあえず今年中の施行はないようです。

 それよりも気になるのが、「幌加内町、空知残留の可能性も 」の方。
道の支庁再編の10月1日施行がずれ込む見通しとなったことを受け、空知支庁から上川総合振興局管内への編入が決まっている空知管内幌加内町の森谷広町長は20日、北海道新聞の取材に対し「あらためて町民への説明会を開き、反対が大勢なら空知にとどまる」と述べ、移管希望を撤回する可能性を示した。道によると、同町が空知に残るには再び条例を改正する必要がある。

 当初の支庁の再編案では、石狩・空知・後志・胆振・日高が「道央支庁」になり、札幌に支庁が置かれるはずでした。それならば、札幌よりも近い旭川に置かれる支庁管内に移りたいと、幌加内町が要望。
 その後、紆余曲折を経て、支庁(総合振興局)は岩見沢に置かれ、支庁の数・範囲も含め、現在とほとんど体制が変わらない予定です。これでは、わざわざ変更を要望した意味がない…ということでしょう。

 情勢によっては、未施行のまま再改正される可能性もあります。


 道外の人にとっては“地名もどき”としてどうでも良い存在かも知れませんが、道民にとっては違うものと考えます。
 と言ったところで、気にしないんでしょうね…。
[71717] 2009年 8月 19日(水)00:36:24紅葉橋律乃介 さん
北海道市立高校
[71708] 8月18日(火)18:51:00 桜トンネルさん
 市立高校について。道内の公立高校名称については既述ですから、校名に「市立」と付いているもののみ拾っているのだと思います…が、[71713][71715]でMasAkaさんが、[71714][71716] ぺとぺとさんが“隠れ市立高校”を挙げておられますから、念のため道内の現存市立高校を挙げておきます。校名の「北海道」は省略し、「市立」は付けています。

市名学校名
札幌市札幌星園(※)、札幌啓北商業、札幌旭丘、札幌開成、札幌藻岩、札幌清田、札幌新川、札幌平岸(※)、市立札幌大通
函館市市立函館
岩見沢市岩見沢緑陵
滝川市滝川西
旭川市旭川北都商業(※)
士別市士別東
北見市北見似頃(※)
帯広市帯広南商業
釧路市釧路北陽

※札幌星園・札幌平岸高校は2011年廃止予定(市立札幌大通高校と再編統合)
※旭川北都商業は2011年廃止予定(改めて設置された旭川南高校と再編統合)
※北見似頃高校は2012年廃止予定(2009年度募集停止による)

 岩見沢緑陵高校は、私立岩見沢商業高校・岩見沢女子高校を統合して岩見沢市が引き継いだ学校。また、滝川西高校は、私立滝川商業高校を滝川市が引き継いだ学校。


 ついでに、私立で校名にひらがな・カタカナが入っている例。

札幌市札幌山の手
江別市とわの森三愛
函館市函館ラ・サール


 市立高校には、この春に閉校した学校もあったんですが…。
[71687] 2009年 8月 16日(日)18:46:00紅葉橋律乃介 さん
上富良野町を除く
[71673] 8月15日(土) 00:55:59【1】 YTさん
[71675] 同日 12:59:47 でるでるさん
[71677] 同日 18:30:55【1】 YTさん

 歌志内・占冠・大滝について、「北海道(庁)告示」の原典自体はすぐに確認できないので、市町村史等を読んで来ました。

・歌志内村→町の施行日
 『歌志内市史』には、告示の写しが載っています。
北海道庁告示第四百号
 空知郡歌志内村を昭和十五年四月一日より歌志内町と為すの件 昭和十五年三月二十七日許可したり(告示日以下省略、原文の旧字・カタカナは引用者が改めた。以下同じ)

 これによって、歌志内村の町制は昭和15(1940)年4月1日付であることが分かります。

※北海道庁のホームページ(過去の国政調査結果)には、調査時の市町村別の人口などが載っています。ここでは、昭和15年の調査は「歌志内町」と記されています。


 『占冠村史』は見当たらなかったので、『新北海道史年表』を読んでみました。出典は『法令全書』とありますから、近代デジタルライブラリーで確認してみました。
勅令第五十四号
明治三十年勅令第三百九十五号別表中左の通改正す
北海道庁上川支庁の項「中川郡天塩国」の下に「勇払郡の内占冠村」を加ふ
北海道庁室蘭支庁の項「勇払郡」の下に「占冠村を除く」を加ふ
(1行省略)
   附 則
本令は明治三十九年四月一日より之を施行す

 これによって、占冠村が室蘭支庁から上川支庁に移管されたのは、明治39(1906)年4月1日であることが分かります。また、『富良野地方史』にも、占冠を含むこの地方全体の沿革とともに、やはり明治39年4月1日と記されています。


 『大滝村史』も見つからなかったので、『新北海道史年表』を読んでみました。
 告示の原文は分かりませんが、徳舜瞥村が大滝村に改称したのは、昭和25(1950)年9月1日で、北海道庁告示は「8.18」ということです。11月施行であれば、告示が早すぎると思いますので、9月1日付で改称されたのではないでしょうか。


 ちなみに、北海道支庁図をだいぶ前に作りましたが、実際に勅令を確認してみると、やはり施行日が違う箇所がありますね。郡役所の異動は、さて、どこに原文があるのやら…。
[70908] 2009年 7月 21日(火)23:17:46紅葉橋律乃介 さん
姓名の神秘
[70886] 7月19日(日)17:36:14 オーナー グリグリさん
一応、「オーナー グリグリ」と名乗っていますので... もっとも、グリグリだけでいいですが。

 実は、この記事を読むまで、「グリグリ」さんというオーナーであると思っておりました。「オーナー グリグリ」さんだったのですね。

 わたしたちが書き込む際は、オーナー以外は「○○ さん」と表記されます。グリグリさんの場合、自ら「さん」を付ける代わりに、「オーナー」が頭に付いているのではないか、と思ったのです。

 「オーナー」というのは、“役職”ではないかと。例えば「社長島耕作」という表記があったとしても、「社長島耕作さん」とは呼ばない(○○社長、島耕作様 という呼び方はありますが)で、普通は「島耕作社長」になるはずです。
 そうすると、グリグリさんというオーナーを表記すると、「グリグリオーナー」になるのではないか…と思ったのですが、「オーナー グリグリ」がフルネームであるなら、やはりそのまま書くべきでしょうね。略す場合は、「オーナーさん」とは書かないでしょうから、「グリグリさん」でご容赦願います。


 グリグリさんの場合は半角スペースがあるから分かりやすいですが、ニックネームの中には、わたしのように姓・名を想定して付けている場合もあるでしょう。
 そうすると、“姓名型”の場合は「紅葉橋 律乃介」とでも表記した方が良いのかも知れませんが、どうなんでしょうねえ…。


 長い間、勘違いでご迷惑をお掛けいたしました。申し訳ありません。
[70883] 2009年 7月 19日(日)15:59:15紅葉橋律乃介 さん
おや?
[70874] 06:40:53 グリグリオーナー
地図力検定:
この部分のセミコロンです。半角に修正してみてください。

 「:」は「コロン」ではありませんでしたか? 「;」が「セミコロン」だったと思いますが…(ただし、「;」は押し間違い以外に使ったことはありません)。


 もしや、地方によって、時代によって呼び方が変わる!? ということはないと思いますが、念のため。
[70732] 2009年 7月 6日(月)01:10:53紅葉橋律乃介 さん
北都商でしょう
[70728] 7月5日(日)23:19:52【1】 ぺとぺとさん
遠慮なく元記事に追加させていただきました。
 わたしの書き方が、ちょっと悪かったようです。
 道内の公立高校は、「市立函館」(函館市立)・「市立札幌大通」(札幌市立)を除き、道立・市町村立の区別をせずに「北海道○○高等学校」と表記します。
 従って、旭川北都商業高校も、「北海道旭川北都商業高等学校」が正式名称となります(「北海道旭川北都商業高等学校 ホームページ」参照)。

 混乱させてしまって、大変申し訳ありません。


 ちなみに、今年度から募集停止(改めて設置された旭川南高校と再編統合)されていますので、平成23年3月で閉校することになります。
[70727] 2009年 7月 5日(日)23:14:19紅葉橋律乃介 さん
水産も難しい
[70723] ぺとぺとさん

 旭川市には、市立の旭川北都商業高校があります(今年度は2・3年生のみ)。
 商業・工業・農業の“揃い踏み”は、案外少ないのですね。
[70232] 2009年 5月 20日(水)20:11:09紅葉橋律乃介 さん
どさんこワイド179
[70226] 5月19日(火)19:36:41【1】 山野さん
湧別町・上湧別町両議会は本日、合併関連議案(廃置分合議案)を可決しました。

 「北海道新聞」によると、両町長が道知事へ合併申請書を提出したとのこと。
 これで10月5日の合併が“内定”したと言っても良いでしょう。

 「平成の大合併」以前に212あった市町村が、現在は180。そして、179まで減少することになるようですが、これ以上の変動は当分先になりそう。


 それにしても、北海道は広いですねえ…。
[70174] 2009年 5月 16日(土)21:24:27紅葉橋律乃介 さん
雄別の方が知名度が・・・
 どなたも言及しないと言うことは、注目していないと言うことなのでしょうが、一応書いておきます。

 網走管内湧別町と上湧別町の合併問題。湧別町の住民団体から挙がっていた住民投票の要求を受け、15日の湧別町議会で「住民投票条例案」が審議されましたが、反対多数で否決されました。

 既に両町で合併調印は済んでいるので、19日の両町議会で合併関連議案を可決予定。
 可決すれば、道内では「平成の大合併」以降で成立する、唯一の例となります。

※北海道新聞 「新「湧別町」誕生固まる 町議会住民投票条例案を否決」 より


 ちなみに、現行の14支庁を、支庁としての9総合振興局と出張所としての5振興局に再編する支庁設置条例は、結局未施行のまま3月31日再改正され、支庁としての9総合振興局・5振興局に名称変更し、10月の施行を目指すことになっています。
 総合振興局で名称変更を予定していた各支庁のうち、「網走→オホーツク」以外は、すべて現行の支庁の名称を引き継ぎます。2つの町で所属支庁が変わりますが、そちらは予定通り変更される見込み。「網走管内」という呼称は、施行後は使えなくなるようですね。


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