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[16773] 2003年 6月 14日(土)16:59:14【3】三丁目 さん
北広島は、例にふさわしくないと思いますよ。
[16768]faithさん
北海道大百科事典(北海道新聞社、1981年発行)を読んでいたら、「北広島」と冠する、たくさんの記述を目にしました。北広島高等学校、北広島公営団地等です。広島町の時代から、町内にできた公的な施設の中には、すでに「北」広島と冠せられていたものがいくつかあるのです。
この話は、本当は恥ずかしいから、以前はふれなかったのですが、実は私、「北広島町」だと思い込んでいました。何度となく道路地図を目にし、自分の部屋には北海道地図を貼っていたのですが。それほど「きたひろ」は地元で浸透していた呼称なのです。我が地理アドバイザーにその旨を伝えたら、そう誤認してた人も多かったみたいだね、と申しておりましたが。ちなみに、私の道内での居住経験は、苫小牧市、登別市、札幌市ですから、比較的広島町に近いところにおりました。

ですから、広島町に関しては、市制施行に当たり、同名回避という部分が、いくばくかの割合があったとは思われますが、北広島市になったのは、ごく自然なことだったと私は思っていました。

なお、拙稿[16722]で、小学生の頃の思い出を語りましたが、同名回避は、あってしかるべきかな、と私は、思います。例としてあげられていた「大阪狭山市」は、その命名感覚のヒドサをこき下ろすべき問題かと、私には思われました。例えば旧国名から「摂」の字を使うとか、もうひとひねりあってもよかったのではないかと、思っていましたが。
[16763] 2003年 6月 14日(土)14:47:43三丁目 さん
雑魚さんのためならエ~ンヤコラ
まずは学習院から。さっき書込んだ後に、外出途上で気づいたのですか、JEOには「昭和22年に宮内省の管轄を離れ、私学として再スタート。」とありましたから、以前、大学の管轄官庁のことで話題になっていたように、旧文部省管轄下ではなかったために、旧制中学には該当しないのでしょうね。同様の記述が、下記受験案内にもありました。

それで残りは、旺文社版2002年入試用高校受験案内から引用します。
日本大学第二高等学校:1927年、日本大学の付属中学校として開校。
桐朋高等学校:1941年、山水育英会を母体に第一山水中学校創立。とあります。
他にも、創立年が古い学校が散見されますが、旧制の中学校ではなかったのでしょうね。よくわかりませんけど。

よくよく見たら、私立高校の沿革は出ていますが、都立は載っていませんでした、あしからず。私にできる情報提供は、ココマデ、ということで。めんどくさかったから、年不詳学校一覧はメモしないで出かけたのです。自宅にプリンターは、ないものですから。今日か明日のどちらかで、北海道大百科事典を返しに行こうと思っていたから、ついで、です。

いや、しかし、本日は夜遅くから雨が降る、という天気予報なのに、日中から雨が少しパラつくし、昨日は昨日で、一日中曇マークだったから、傘を持たないで外へ出たら、いきなり雨が降っているし。梅雨なんですねぇ。
[16757] 2003年 6月 14日(土)11:40:58【2】三丁目 さん
雑魚さんへ
手持ちの総合経済誌「JEO/総力特集日本を動かす人物を生んだ名門高校」より
オヂサマ達と話を合わせるのに、こういう知識を持っていてもいいかな、と思って10年くらい前に買ったものです。これを見て、初めて、進学実績での都立の凋落ぶりと、私立の躍進の差を知り、驚いたものでした。自分が大学に入ってしまえば、母校の進学実績がどうなっていようが、興味なかったですからね。さて、

九段:大正13年、第一東京市立中学校として設立。
学習院:前身は弘化4年、孝明天皇が京都に設置した公家学習所。明治10年華族の学校として神田に開校、明治天皇が学習院と命名。
桐朋:昭和15年、山下亀三郎の献金を基に財団法人山水育英会により、第一山水中学校として創立。

記事で取り上げられた全ての高校の創立年が出ているわけではないから、全部を網羅できなくてスイマセン。
図書館へ行けば、首都圏の高校受験案内があるから、それで調べれば創立年はわかるんですけどね。
桐朋が1年ずれているのが、気になるところです。また、雑魚さんも書かれていますが、学習院は、旧制中学ではないのですか?私にはよくわからないのですが。
[16747] 2003年 6月 14日(土)05:13:44【1】三丁目 さん
「北海道」という呼称
[16672]uttさん
「北海道」が「自治体名」であると同時に、「北海道という島」の名前だからなのでしょう。
自治体名(都道府県名)=都道府県という行政機関の名称=都道府県庁。それに加えて、「関東、東北、中部等と同列の、地方ブロック名」としての3つめの意味もありますね。ですから、なおさら、混乱しやすいのではないか、と思います。

なお、「道(どう)」を、日常的に「道の機関」「道の職員」「道の指導により」「それは道の権限で」等、「道庁」の意味で使っています。あえてこの言葉を使う理由は、「道庁」と言うと、札幌の本庁に限定した意味に取られかねないので、支庁も含めた北海道の機関、組織を指し示すためではないか、と思っていました。

ちなみに北海道独自の言い回しだなぁ、と思っていたのは「全道」です。「全県」とは、あまり使わないと思いませんか?「全都」「全府」は聞いたことがありません、少なくとも私は。。。それで、「全道では」「全道的に晴れです」等よく耳にしましたが、県で該当する使い方は、「本県」又は「県内」かと思っていました。「全道大会」に該当するのは「(全を付けない)県大会」でしょうか(なお、本都、全都、本府、全府も、使わないですよね。)。「北海道」を表す地域ブロック名として使っているから、「全」を付けるのかな、と思っていました。語呂の問題もあるのかもしれませんが。

この話は、書込むのを止めようと思っていたのですが、あまりの蒸し暑さに寝苦しく、目が覚めてしまったために、発泡酒を飲みながら、ツラツラと書いてしまいました。梅雨を実感するこの頃です。
6月の北海道は、梅雨のない季節だからサイコーダと聞きました。暖かい季節へ向かうときは、ちょうど本州よりも1ヶ月遅れ、と理解して頂ければ、と私は思っていました。(この場合は島の名称であるとともに、ブロック名としてのダブルミーニングで、使ってますかね?)
[16725] 2003年 6月 13日(金)19:55:42【1】三丁目 さん
Re:広島市の区を考える、ただし西区だけ
[16717]mikiさん
>西区→己斐区(「西広島駅」の旧駅名「己斐」より)
これも同じ意見で(字が難しいので)「井口区」ですね。
広島市が政令指定都市になったときに、当時、区名にいろいろな案が出ました。ちょうど、私は西区に該当する地域に住んでいたから覚えているのですが、「己斐区」という案もありました。あるいは「こい」の音にかけて「鯉区」とか。他に「カープ区」というわけの分からない案も出てましたっけ。私としては己斐区が良いのになぁ、と思っていました。西区に決まって、ガッカリしたものです。やはり抽象地名には、寂しいものを感じてしまいます。

井口と聞くと、私には、6校の中で最も新しい高校である、や、庚午中学校から井口中学校が分かれて新設された、ことが連想され、新興地域というイメージがあります。井口なんか(失礼!)に広島市の西域を、代表されたくないなぁ、と思ってしまいます。だから、老舗己斐にはガンバッてほしいですね。広島市の西の玄関口なのですから。

広電己斐が、広電西広島・己斐と変わっていたのを知ったときには、驚きました。まさか、西広島みたいな、なんの変哲もない名前(特に、JRの駅名として)に、己斐が負けるなんて、て感じです。広島以外の人に、分かりやすくしたのだろうとは思いますが。今は、老舗己斐は没落、新興井口はますます勢力拡大中、てな感じなのですか?
[16722] 2003年 6月 13日(金)19:14:39【1】三丁目 さん
府中と聞くと
しばらく府中の話題が続いたので、昔話を1つ。子供の頃、私が府中と聞いて連想していたのは、広島県府中市でした。ちょうど、3億円事件の時効が迫っていると世間で騒がれていた頃、現場の名前として「府中」がよく出てきました。転勤族でしたが、当時は高崎市に住む小学生で、ニュースを聞くと、どうも広島じゃないみたい、なんでだろう、と思っていました。逆に、自分がなぜ、身近な関東地方の府中ではなく、遠い中国地方の府中を連想していたのか、不思議ですね。東芝府中工場と聞いてたからかな?
蛇足ですが、府中と調布を、勘違いしたことがありました。「ふ」と「ちゅう」「ちょう」の音の組合せからだと思います。京王線沿線に疎い、というのも大きな理由かもしれませんが。
[16684] 2003年 6月 12日(木)21:23:30【1】三丁目 さん
雑魚さん宛レス:北海道大百科事典からの補足
[16681]NSさんを受けて、
函館東:1940年(昭和15年)4月、函館市船見町に函館市立中学校として設立。
岩内:1919年(大正8年)創立の岩内町立女子職業学校から発足した北海道庁立岩内高等女学校と、1941年(昭和16年)町立として開校した北海道庁立岩内中学校とが、1949年、統合して岩内高等学校となった。

1年、NSさんの情報と異なるのが、気になるところではあります。「年度」の捉え方でしょうか?
[16679] 2003年 6月 12日(木)20:08:01【1】三丁目 さん
勝手な推測を、カッコ悪く訂正します。
拙稿[14715]
土地に執着する傾向が強い、日本人の心情を考えると、たとえ釧路集落の方が大きかったとしても、根室の名前を前面に出すことで、根室地元民の、北方警備へのプライドを高めたのかしら、とも思いましたが。これは、完全に私の推測です。
一応、推測とお断りしましたが、訂正いたします。(アーカイブテーマに採用されてるから、恥ずかしいなぁ)

江戸時代後期のネモロ(根室)とクスリ(釧路)は同格だったかもしれませんが、明治前期は根室の方が発展しており、釧路は遅れていたようです。戸長役場は最初に根室と厚岸に置かれ、釧路は旧国名でありながら、根室、厚岸よりも小さい集落でした。1885年(明治18年)に郡役所が釧路に設置されたことが、釧路の発展の一大契機となったように、釧路史には書かれていました。それまでは、厚岸にも劣る寒村だったそうです。

ということで、[12033]uttさんの
根室支庁は南端の根室市にあるのは、一時期、根室県が設置されたこともあり、当時は根室が他を圧倒するほどの、道東の拠点だった名残りなのかなって推察されますね。
ご明察のとおり、です。
[16676] 2003年 6月 12日(木)19:02:35【2】三丁目 さん
雑魚さん宛、じゃないレス
[16642]般若堂そんぴんさん
久しぶりに、フィンランド語とノルウェー語の表記を見て、なんだか懐かしくなりました。ほとんど意味はわからないものの、フィンランド語では「~katu」が「~通り」だったなぁ、なんて思い出しました。

[16664]kenさん
気が狂ったかのような連続書き込みでしたが、(中略)一瞬7位になってみたいがための、
フフッ(笑)。ランキングを意識されてるのですね(笑)。以前から書込まれている方が、ランキング上位なのは当たり前、なので、私はマイペースで淡々と。

とはいえ、先日やっと100番単位のキリ番をゲットできたので、次は17000を狙ってみたいと思っておりました。志?は高く持たないと、ですからね。私が書込める時間だといいなぁ。深夜帯にかかってしまうと、お酒とオネムなために、起きてる努力をする気はないですし。一応、そのための、連続書込みネタを、密かに準備中なのでした(笑)。「北の防人」連載を、終了宣言する原稿も、5月上旬には書き終えたのですが、幸いにして、北海道大百科事典サマサマのおかげで、単発の書込みネタでいろいろと思いついているところです。また、皆さんからネタを振って頂いたおかげで、しばらく、食いつないでこられましたしね。感謝!です。懐かしついでにKiitos!とTak!

[16627]kenさん
>【4】
何気ないレスながら、4回も推敲されている。雑魚さんの繊細ぶりが窺えます。
おっ。実は、自分の書込み訂正回数が多いことを、私は気にしていたのです。フタケタの大台、狙っちゃおうかな(冗談ですよ(笑)、オーナーグリグリさん。見逃してくださいな)。
[16675] 2003年 6月 12日(木)19:02:20三丁目 さん
雑魚さん宛レス
[16633]雑魚さん
私は、Fを通る補助線や、Oを通る補助線を引いて考えたのですが、どうにも解けなくて、困ってノーベル賞田中さんの後輩に当たる友人と、学校の先輩に、メールで聞いたのです。「わかりそうで」という件名で返事が来て「わからん!」と本文に書いてありました。これでも私、共通一次の数学は、満点とれたんですけど(過去の話ですな)。かねてから、[16374]まがみさんで思っていたのですが、まがみさんも理数系でいらっしゃるのですかねぇ。
ちなみに、解答を送ったところ「補助線の引っ張り方だろうなと勘は立つところまではいきました。後は訓練ですよ、あれ。」友人からも同様なコメントをもらいました。そんなもんすかねぇ。

それにしても、[16665]雑魚さん。大型シリーズが始まりましたね。実にグッドタイミングな連載開始ですよ。ちょうど今週末に、北海道大百科事典を、図書館へ返すところだったのですが、その記述からご紹介すると、
北見北斗:1922年(大正11年)4月、北海道庁立野付牛中学校として開校した。
苫小牧東:1937年(昭和12年)町立苫小牧中学校として設立。
室蘭栄:1917年(大正6年)同市栄町に北海道庁立室蘭中学校として開校。
北海:創立は1885年(明治18年)の北海英語学校で、1901年北海英語学校中学部の認可、1905年に私立北海中学校(以下、略)

ちなみに、事典を職場へ持っていって、必要なところはスキャンしたりして、CDへの保存等してたのですが、本日、上巻を持って帰ってきたところでした。ところが、電車の野郎ときた日にゃあ、線路内に人が立ち入ったとの無線信号が発せられ、と、突然駅で緊急停車。おかげで15分ほど多く電車に乗る羽目になり、ただでさえ重い荷物に、ウッとなってしまいました。タイプする腕も、疲労困憊しております。
[16628] 2003年 6月 11日(水)20:58:09三丁目 さん
Re:回転禁止の青春さ/弾丸道路
私は、[16582]NSさんがおっしゃっているのは、棺桶道路=弾丸道路(国道36号線の札幌~千歳間)と理解していましたが。
ちなみに、弾丸道路と聞いて、私が連想したのは、国道5号線(長万部付近)の一般国道、又は、道東の一般国道でした。だって、高速道路を走っているようなスピードでも、抜かされるんですから。
でも、軒下提灯さん、て、サイクル野郎(死語?)だったのですねぇ。
[16625] 2003年 6月 11日(水)19:14:14三丁目 さん
1都4県?
6月6日付日本経済新聞首都圏版の記事を以下、かなり省略してご紹介します。
(見出し)1都4県:昨年度税収、軒並み減
(記事)首都圏一都四県の・・・山梨で・・・次いで神奈川・・・東京と千葉は・・・埼玉は、
1都3県(東京、埼玉、千葉、神奈川)は聞くけど珍しい括り方だなぁと思ったので、職場で相談したところ、これは記事を書いた日経に聞いてしまうのが手っ取り早いだろう、ということになり、電話してみました。逆に「山梨が入っていると不自然なのか」「隣の記事では関東財務局1都9県とある」(そりゃ管轄エリアだろう、と言ったのですが)と言われたので、このオッサンとは何を話しても無駄だな、と思い、早々に電話を切りました。

税金関係の記事だからと、財務省管轄下の関東「財務局」に電話したところ、東京「国税局」に問合せてもらった方が良いかもしれない、と教えてもらいました。ということで、改めて東京国税局に電話すると、管内は1都3県の「東京、千葉、神奈川、山梨」との回答を頂きました。東京国税局の中では「1都3県」と言ったら、前述の管内のことを指すそうです。ですから、たぶん、日経が記事にまとめるときに、東京国税局管内+埼玉県(関東信越国税局管内)と、したのではないでしょうか。。。これくらいの内容は、日経の方で答えろよなぁ、、、あ、これは独り言。

なお、ご紹介した両国税局の管内については、[4261]で雑魚さんが書かれています。蛇足ですが「国税局」で記事検索したら、出てきた8件中7件が雑魚さんの書込みでした。残り1件の両毛人さんの書込みは、雑魚さんの書込みを引用したものに引っかかったものですから、国税局ネタは、雑魚さんの独壇場でしたか?
[16624] 2003年 6月 11日(水)19:01:04【1】三丁目 さん
Re:♪どぉこかぁらぁ来るのかぁ、黄金道路!
ワタクシ的には「おぉごんどおぉぉぉ、ろっ」としたいところですが(笑)。
[16589]雑魚さん
開通以前、浦河、えりも界隈と十勝方面との相互往来需要は皆無に近かったのか、または船舶を介していたのですかね。
北海道大百科事典(北海道新聞社、1981年)の「黄金道路」の記述から、以下、引用しますが、

帯広―浦河間の国道236号のうち、十勝支庁広尾町広尾橋から日高支庁えりも町庶野市街間約31.7kmの別名。この間に初めて道路が造られたのは1798年(寛政10年)で、幕府勘定支配近藤重蔵が東蝦夷地の巡視の帰路、広尾から幌泉に至るが、海路が危険なため自らの資金でルベシベツ―ビタタヌンケの山道10km弱を開削した。北海道における道路築造の初めでもある。その後幕府は国防の見地から様似山道、猿留山道などを造った。(中略)1891年(明治24年)にルベシベツ―タニイソ間の海岸沿いの難所を開削した。(中略)1927年(昭和2年)に現道に近い所に8年の歳月をかけて広尾橋からビタタヌンケまでの16.3kmが完成した。

ということで、上記の記述から推測すると、道路開削以前から、江戸時代には既に、海路による往来があったようですね。

また、昨日は何らの疑問も抱かずに、[16582]NSさんの書込みを読んでいたのですが、「黄金道路」という呼称が、国道236号線から336号線に変わった、というのは、考えてみたら不思議じゃないですかねぇ。「本家」黄金道路が、別称を付けられて、由緒正しい名称を奪われてしまっただなんて。とはいえ、私自身は、336を黄金道路と聞きましたし、手元の地図でもそのように表示されているから、違和感はないのですが、なんとなく236が不憫に思えて(涙)。
[16623] 2003年 6月 11日(水)18:49:27【1】三丁目 さん
厳密な首都とは?
[16617]花の東京都民さん
日本の首都は東京でございますが厳密にいえばいったい何処でございますかしら?
下記URLで、東京都が、「首都とは何か。首都の定義は」について、衆議院「国会等の移転に関する特別委員会」委員等からの回答を紹介しています。
http://www.chijihonbu.metro.tokyo.jp/chosa/syuto/3_katudou/4_teigi/a111104a.htm
この中で「明確な定義づけは今後も議論の余地を残す。」「はっきりした定義はないと考える。」と示されています。

なお、三省堂の辞書では、首都という単語について「その国の中央政府のある都市。*日本では東京。」とあります。「東京都」が自身の問題として首都について考えていることから判断すると、「東京都」という答え方も一つかもしれませんね。都道府県単位になるから、わかりやすい分け方だと思いますし。ただし、「都市」に拘るならば、通常は「市」という行政単位が該当するのでしょうが、特別区である23区域をまとめて1つの「都市」と見る見方もあるでしょうね。
[16584] 2003年 6月 10日(火)20:22:41【3】三丁目 さん
おろおろ、してます
[16582]NSさん
フォローありがとうございました。事典が20年以上前に発行されたものであることをド忘れして、そのまま引用してしまいました。たしかに、おっしゃるとおり、国道番号は236ではなく336でしたね。失礼いたしました。でも、弾丸道路の別名をご存知ということは、私よりも、お歳が上でいらっしゃるのかしら?たぶん、私は雑魚さんと同学年、、、と私は信じていますが。。。あ、いえ、別に、お返事を頂きたいわけではありませんから、テキトーに流してくださいね。

石勝樹海ロードは、uttさんの書込みにもありましたが、道外でも知られているのでしょうかねぇ。また、知床横断道路も、有名か(特に雪解け時期に通れるかどうかは毎年情報になりますね)とは思いましたが。歴史的に、「最も」知られているかな?という基準で選んでみたつもりでした。

[16544]白桃さん
解説、ありがとうございました。実は拙稿[16535]は、書込む前に我が地理アドバイザーにどぅお?と聞いてみたところ、人口データが様々あることは、一般の人は知らないから(地理アドバイザーも含めて)書込んでみたら、と言われていたのでした。白桃さんの解説を頂いたものを、アドバイザーに紹介したところ、なんだかテキトーな自分の理解を言ってましたが、私たちにとっては、勉強になりました。重ね重ねの御礼です。
[16580] 2003年 6月 10日(火)19:04:30三丁目 さん
ニックネーム国道
北海道大百科事典の項目の1つに、標記件名がありました。私は、名前で呼ばれるよりも、国道ナンバーで言われたほうが、ピンとくる方なのです。例えば、
国道122号線:北本通り
国道254号線:川越街道、などです。
明治通り、目白通り等に至っては、私にはどの道路のことを言っているのか、サッパリイメージがわきません。また、
第一京浜:国道15号線
第二京浜:国道1号線
第三京浜:一般有料道路(世田谷区玉川IC~横浜市保土ヶ谷IC)
以前、国道15号線近くに住んでいましたが、私はこの第一から第三までの区別が覚えられなくて、必ず国道15号線、と説明していました。でも、15号線と言った方が、わからない人が多いように私には感じられました。海側から1、2、3と付けたんじゃないの、と職場の人は言ってましたけど。ぢゃあ、なぜ東名高速道路のことを第四京浜と呼ばないの?と、私は声を大にして言いたい!横浜ICだって、しっかりあるのに。。。ま、どうでもいいから、この話はこのくらいにして。

それでいよいよ?北海道のお話。
北海道で最も有名な(全道で知られているという意味で)ニックネーム国道と言えば、黄金道路(国道236号線)ではないか、と私は思っています。我が地理アドバイザーによると、小学校で習った、と言ってました。私は、この道路を通ったときに、小樽出身の人から教えてもらいました。ちなみに、黄金道路の由来は、この道路の建設に膨大な費用がかかったことから、黄金を敷きつめたような道路だ、ということからです。

また、札幌圏の人にとっては、石山通り=国道230号線も知られているでしょうね。実は私は、由来を知らなかったので、「まさか石山本願寺絡みで、本願寺街道(拙稿[16367]をご参照下さい)から石山通りと呼ぶの?」と地理アドバイザーに聞いたら、「そりゃまた本願寺つながりで、ずいぶん遠大な推論ですな。単純に石切り山があったから石山という地名になっただけだと思ってましたが」だそうでして。札幌市南区のHPに石山が出ていました。
http://www.city.sapporo.jp/minami/ トップページの左側にある「知っていますか南区の歴史」です。

他にも、私は知らなかったのですが、国道240号線のことを「まりも国道」と呼ぶのは、地元で知られているようですね。地理アドバイザー情報によると、道路標識にも示されているそうです。手元の最新版北海道マップルを見ると、いろいろと○○街道とか○○国道と表示されているので、ニックネームを付けたのが、増えたのか?それとも、積極的に表示するようになったのか?ハテナ?

さて、事典を見ていると、弾丸道路=国道36号線の札幌~千歳間、と出ていました。初めて聞きましたが、地理アドバイザーが調べていた資料でも出てきたので、なんだろうと思いましたが、これはあっさり判明しました。アドバイザー殿の父君が「昔は弾丸道路って言ったんだ」とおっしゃられていたそうでして。かつてはそう呼ばれてましたが、どうやら高速道路が出来ている時代(現代?)では、もう死語になっていたためのようです。

第三京浜道路のことが話題に上がったから、急遽アップした書込みです。でも、流れとは全然違う話でしたね。これが三丁目テイストなのかな?へへッ(^◇^;)。
[16535] 2003年 6月 9日(月)20:34:26【3】三丁目 さん
実人口って、登録人口ベースなのですか?
[7598]松戸さん
北九州よ~~100万を切らないでおくれ~~。。。

[9056]seahawkさん
北九州市も100万人を割りそうな勢いです。

[13077]TACOさん
北九州市ももう100万を割り込むのは時間の問題ですね。

本日、宮崎出身の人と話をしていて、北九州市の人口はもう100万人を割っているとい言われて、ほらぁ、と
http://dir.yahoo.co.jp/Regional/Japanese_Regions/Kyushu/Fukuoka/Cities/Kitakyushu/Outline/
を示されました。よくよく北九州市HPのデータと比べてみたら、これは、2002年3月末での住民基本台帳ベースの人口なのですね。落書き帳を読んでいた記憶では、[13026]で松戸さんが「セーフッッ」と書込まれていたし、まだ100万人を割っていないと思っていましたから。

それで、そもそも住民基本台帳って何?と思ったので、ネット検索したのですが、よくわかりませんでした。横浜市HPによると、
住民基本台帳とは?
住所・氏名・生年月日・性別など、法律で決められた事項を記載したものを住民票といいます。この住民票をまとめたものが住民基本台帳です。
だそうです。「住民基本台帳上の人口=日本国籍保持者数=日本の人口」かと思っていたものですから「日本国籍を持っていても、住民基本台帳に載らないようなケースはあるのですか?」と電話で聞いたところ、明確に具体例で、回答して頂きました。
(1)居住者が不在となった部屋に、マンションのオーナーが新しい人を入居させようとしたら、前居住者の住民票が残っている際に、近所に聞き込み等の現況確認をして、職権で前居住者を除票するケース。
(2)転勤等で海外へ出られた方が、異動手続きをして、除票のみ残っているケース。
(3)手続き上から(釧路で里帰り出産して出生届を出したが、住民票のある宮崎まで届くのに時間がかかる)、住民登録事務作業が終了するまでの間に発生するケース。
が、考えられるそうです。レアケースはまだあるのでしょうけれど。

それで、気になりましたから「人口が350万人を超えたという場合は、何ベースで考えるのですか?」とお聞きしたら、登録人口ベースなのだそうですね。私も迂闊でした。人口は、基本的に国勢調査ベースで考えていたのですが、直近の数字を知りたい場合は、住民基本台帳ベースでお聞きしていました。ということで、数値には、以後気をつけよう、と思いました。このあたりのお話は、白桃さんがお詳しいのでしょうね。

参考:北九州市の人口推移(単位:人)
推計人口登録人口住民基本台帳人口外国人登録人口
1999年1,011,7621,018,6341,008,18610,448
2000年1,011,4711,015,6561,005,35310,303
2001年1,008,6571,012,9261,002,49910,427
2002年1,006,4581,010,338  999,80610,532
2003年1,001,3971,008,197  997,39810,799
注1:推計人口は、各年10月1日現在。ただし、2003年のみ4月1日現在です。
注2:登録人口とは、住民基本台帳法に基づき住民基本台帳に登録された人口と、外国人登録法に基づき登録された外国人の数を合計したもの(注2のここまでは北九州市HPから引用)であり、時点は各年の3月末現在です。
[16533] 2003年 6月 9日(月)19:38:52【1】三丁目 さん
おばんでした(ちょうど「こんばんは」ですね)
[16520]般若堂そんぴんさん
山形県の少なくとも内陸部の一部で過去形が丁寧表現になる
苫小牧で独身寮に入ったとき、そこには単身赴任者も結構いて、挨拶について注意されたことがありました。風呂場で、私が目礼だけで通り過ぎようとしたら、「なんか挨拶したらどうだ?」と言われ、何と言ったら良いかわからなかったので、ズバリ聞いてしまいました。すると「おばんでした」と言うんだ、と教えられました。

北海道の言葉は、東北地方の影響を受けていることが多いと聞きますが、この言葉を教えてもらったときに、そのことを思い出したものでした。でも、なぜ過去形を丁寧用法として使うことを、東北地方と同様と思ったか、自分でもフシギ。たぶん、山形市の祖父母のところへ小学校卒業までは毎夏行っており、「おばん」という挨拶語を聞いていたためと、山形県村山市楯岡(父の出身地)に4歳の頃、40日ほど預けられていたからかな?と自分では思っているのですけど。あるいは、「おばんでした」と一緒に教えてもらったのかも。記憶が曖昧なのです。

ちなみに「おばんです」も使いますが、同年齢又は目下に対して使ってたはずですから、過去形の方が丁寧な意味になります。「おばんでございます」もありますが、「おばんでした」の方が伝統的?な用法だと、私は思っておりました。紅葉橋瑤知朗さん、NSさん、と地元の方がいらっしゃるのに、僭越でしたが。

ちなみに、先日私の父が「ゴミをなげる」と言ったので、北海道と一緒だぁ、と思ったものでした。
[16451] 2003年 6月 8日(日)08:27:00【1】三丁目 さん
書き落としてましたが、思い出した件です。
[16374]まがみさん
白老~沼ノ端です。堂々の(鉄道)直線区間第1位です。
昨日は、同じ書込み番号について、お礼を申し上げながら、こちらの方を書き落としておりました。失礼をお詫びするとともに、ありがとうございました。

[16349]雑魚さん
176は、やはり国道番号だったのですね。実は、その数字は関西を通る国道番号だったはずだ、とは記憶にあったのですが、どこを通っていたのやら思い出せなくて、国土交通省に電話して聞いてしまいました。「みた」を通ってと、教えてくれた方は言ってました。「さんだ」を知らないのね、と思ってしまいましたが。

ちなみに「さんだ」と聞くと「サンダ対ガイラ」をいつも連想してしまいます。般若堂そんぴんさんのテリトリーに踏み込んでしまいますが(笑)。実際に、同タイトルの映画を見たことはありませんが、たぶんソノシートで聞いていたのだと思います。
[16448] 2003年 6月 8日(日)06:49:58三丁目 さん
過去ログを読んでいて、思いついたレス
[4848]夜鳴き寿司屋さん
元々は、(釧路市と釧路町は)ひとつの行政単位だったわけで、2つに分離させた時点で「区」と「村」と異なる行政組織だったので、隣接していても同じ名前でも構わないとされたのだと思います。どうして別々の名称にしなかったかは謎です。
拙稿[13312]で引用した部分と、今回は異なる箇所の引用です。旧釧路村(現釧路町)は、旧釧路町=旧釧路区(現釧路市)からの分村にあたっていろいろな交渉条件を提示したのですが、その中の一つに「村名を釧路村とする」というのがありました。当初の案(道庁・釧路区側)では、村名を別保村とすることで内定されていたのですが、それを覆すことができたわけです。戦後の民主主義の時代しか知らない私たちですが、当時のことを考えると、よくぞ交渉しぬいたものだと感心しました。

たかだか80年前の出来事でも、立場が異なれば同じ事実であるにも関わらず、記録・記述する濃淡も異なりますから、[15794]Issieさんの
複数の資料をつきあわせる努力をすることでしょうね。
を、痛感したところでした。
[16412] 2003年 6月 7日(土)14:31:16三丁目 さん
お礼、をお伝えしたかった書込みです。
[16374]まがみさん、[16385]uttさん、クロソイド曲線について、ありがとうございました。

また、私の妙な質問に、[16398]雑魚さん
>アングラでは(鉄道直線最長区間について)どこか別の路線があるのですか?
うーん、ちょっと該当しそうな区間は思いつきませんね。
ご丁寧に、ありがとうございました。青葉駅についての記述が抜けているのだけ、ちょっと気にかかりましたけれど、お手持ちの文献がちょっと古めなのかしらん。苫小牧西高の生徒のためにつくられた、後から取ってつけられたように造った駅(確かホームだけ)ですから、線路形状には、影響がなかったのでは、と思ったのですけれどね。

[16383]スナフキんさん
鉄道直線最長区間ですが、(中略)「測量上の敷地中心線が一直線である」ことから直線最長区間であるとされているもののようです。
基準がよくわかりました。さっそく、我が地理アドバイザーには、休み明けに、職場からメールで、教えてあげようと思いました。
[16373] 2003年 6月 6日(金)21:11:09【2】三丁目 さん
「適当」という単語を、良い意味で使いたいレス
[16134]まがみさん
>JR東日本の図が北方へ長い
Suicaの使える範囲とだいたい一致しています。
かつて、Suicaが導入された当初は、ドコソコの駅では使えます、とか、使える範囲が広がりました、とか車内広告をよく見かけたものでしたが、最近は、スッカリ見ておりませんでした。Suicaのことは、スッカリ忘れておりましたがな。

[16370]雑魚さん
>そういえば、鉄道の日本最長直線区間は、室蘭本線の苫小牧?~白老?だったっけ、てな話になりました。
公式にはその様に聞きますが、駅構内の ポイントに伴う僅かな スライドまで考慮すると、少々 「?」 気味ですね。
ということは、アングラではどこか別の路線があるのですか?
[16368] 2003年 6月 6日(金)19:41:25【2】三丁目 さん
Re:国道五号線、の続き
ところで、道路関係をいろいろと見ているうちに、直線道路(北海道大百科事典)についての記述が目にとまりました。
北海道に多い直線道路の中で、日本一長いのが国道12号の美唄市光珠内跨線橋から砂川市空知太橋の間27.7kmの道路。これを上回る直線道路を造ろうとしても、地形や土地利用状況などから困難であること、直線道路はドライバーにとって単調であり、クロソイド曲線などの連続的な曲線道路が望ましいことから、可能性は少ない。
と、ありました。「クロソイド曲線」の専門的な意味はよくわかりませんでしたが、安全に高速運転するための理想的な曲線、という感じでしょうか。「数学的に滑らかでも、人間的には滑らかではない」という記述を見つけましたから、何やら、黄金比みたいなものかも、とも思いましたが。
この、直線道路の話を我が地理アドバイザーに紹介したら、そういえば、鉄道の日本最長直線区間は、室蘭本線の苫小牧?~白老?だったっけ、てな話になりました。いかんせん、私たち、鉄分不足なものですから。
[16367] 2003年 6月 6日(金)19:41:10三丁目 さん
Re:国道五号線
[16067]雑魚さん
ところで、国道の経路を考えると、(中略) 函館と札幌を結ぶ 5号線の経路選定については、その必然性において少々微妙なものを感じます。(中略)鉄道基準で見た場合、(以下、省略)
国道5号線は、道内唯一の1ケタ国道であり、函館~小樽~札幌と、最も早くから区制が施行された三都をつなぐ主要な道路ですから、ご興味を持たれるだろうな、と思います。でも、私自身は、初めての北海道旅行の時の、片道1回しか通ったことがありませんねぇ。なぜなら、函館から札幌へ一般国道で向かう場合、国道5号線~長万部町~37号線~豊浦町~230号線、が現在の最短ルートだからです。難しかった中山峠越えも、近代土木技術(定山渓トンネルより札幌側の無意根大橋、渓明大橋等)によって、通行が容易になりましたから、ね。

なお、我が地理アドバイザーからは「鉄道だと、山ルートは登りが厳しく、それに伴いカーブもきついことからスピードが極度に落ちるけれど、自動車だとその影響は小さく、狩勝峠よりも険しい日勝峠の方が短時間で着けるように、距離最短が第一だと思われます」とのコメントをもらいました。私は思いつかなかった話でしたが、ナルホドと納得しました。

ということで、以下は北海道道路史(参考文献も同名)になってしまいますから、もしなんであれば、飛ばしてくださいな。鉄道には、少~しだけふれます。

函館から札幌への陸路は、1870年(明治3年)から翌年にかけて開削された、本願寺街道が、開拓最初期の道路です。このときのルートは、軍川(七飯町)から砂原6里半(25.5km)の道路を開通させ、海(内浦湾)を渡って長流(伊達市)から、壮瞥、尻別(喜茂別町)、定山渓を経て平岸(札幌市)に至る26里10町(103.2km)です。現在の国道230号線に近いルートなのですが、厳密に言えば、230号線の起点が虻田又は豊浦なのに対して、本願寺街道は伊達を出発点として、洞爺湖を東回りで留寿都村に上っています。また、札幌市内を石山から豊平川左岸、石山通りが230号線ですが、本願寺街道は豊平川を渡らず真駒内を通って平岸に着いているあたりが異なります。

次に着手されたルートが、札幌本道です。初めは本願寺街道ルートと同様に考えられていましたが、変更されました。函館から森に出て、森から内浦湾を船で渡ってトキカラモイ(室蘭市海岸町)に上り、そこから苫細(苫小牧)を経て札幌・豊平橋に至るルートをとることとなりました。1873年(明治6年)に竣工し、幅員44尺(13.3m)ないし22尺(6.7m)の西洋式馬車道が完成しました。もう少し詳細にルートを記述すると、函館~亀田~峠下~森~(内浦湾)~室蘭港~登別~苫小牧~千歳~札幌、となります。

1885年(明治18年)の内務省告示によって、全国で44の国道が指定され、
6号「東京ヨリ函館港ニ達スル路線:東京~宇都宮~郡山~仙台~盛岡~青森~函館港」
42号「東京ヨリ札幌県ニ達スル路線:東京~6号・函館港~七飯~森~室蘭港~苫小牧~千歳~島松~札幌」
となりました。大雑把に言うと、現在の国道5号線~(内浦湾)~36号線という感じですね。

その後、札幌本道以外の道路も開削が進められ、1888年(明治21年)から森~長万部の道路工事に着手し、1894年(明治27年)頃までに礼文華山道(長万部~虻田)の改良が行われました。また、札幌~定山渓~虻田の旧本願寺街道も、1894年(明治27年)に改良・開通しています。しかし、車が未発達の時代にあっては、内浦湾の交通による船の方が速くて安価だったために、道路はあまり利用されず、1904年(明治37年)の小樽~函館間、1914年(大正3年)の伊達~長万部間の鉄道開通以降は、陸上輸送の主役は鉄道に譲ることとなりました。

なお、1907年(明治40年)内務省告示により国道が改正されて、
42号「東京ヨリ北海道庁ニ達スル路線:東京~6号・函館~森~長万部~蕨岱~倶知安~小沢~小樽~札幌」
43号「東京ヨリ第七師団ニ達スル路線:東京~6号・青森~室蘭~植苗~早来~追分~岩見沢~滝川~神居古潭~旭川」
と、この時に、現・国道5号線の全ルートが、主要国道として登場しました。

1918年(大正7年)に旧道路法が成立し、1920年(大正9年)の内務省告示で国道が指定されました。
4号「東京市ヨリ北海道庁所在地ニ達スル路線:東京~青森~函館~森~長万部~倶知安~小樽~札幌(北3条西5丁目)」
27号「東京市ヨリ第七師団司令部所在地ニ達スル路線(甲):東京~4号~札幌(北1条西4丁目)~岩見沢~旭川(4条通7丁目)」
28号「東京市ヨリ第七師団司令部所在地ニ達スル路線(乙):東京~4号・青森~室蘭~苫小牧~栗沢~岩見沢・27号」
と、この段階でも、まだ長万部~室蘭間のルートは主要国道としての要件を満たしていなかったようですね。

1952年(昭和27年)の道路法改正により、多くの幹線道路が国道に昇格し、一級国道、二級国道が指定され、北海道での一級国道は、以下の8路線でした。(注)
(1)札幌~余市~倶知安~長万部~八雲~森~函館
(2)札幌~岩見沢~滝川~旭川
(3)室蘭~苫小牧~早来~岩見沢
(4)旭川~名寄~音威子府~天塩~稚内
(5)滝川~富良野~狩勝峠~帯広~釧路~根室
(6)旭川~上川~白滝~遠軽~留辺蕊~北見~美幌~弟子屈~別海~根室市厚床
(7)長万部~虻田~室蘭
(8)札幌~千歳~苫小牧市植苗

その後、主要幹線の拡幅・舗装改良が進められ、1955年(昭和30年)札幌~小樽間、1961年(同36年)に現・国道36号線全線、1967年(同42年)に国道37号線の舗装、1970年(同45年)には国道5号線全線が舗装されました。

また、冬季は雪崩の危険から通行途絶となることが多かった、国道5号線の小沢~仁木間の稲穂峠は、1962年(昭和37年)に稲穂トンネルが開通、1965年(同40年)までに改良、舗装完成し、走行性が飛躍的に向上しました。これと並行して、1965年(同40年)に、礼文華峠のトンネルが開通したことで、国道37号線ルートもかつての難所が克服され、高速走行が可能となっています。

一方、二級国道だった札幌~虻田間の現・国道230号線は、1957年(昭和32年)から改良、舗装工事が行われ、最大の難所である中山峠は、大規模な橋が連なる近代的な道路(先述のとおりです)に生まれ変わり、1969年(同44年)に完成しました。これによって、札幌から函館への自動車ルートは、この国道230号線経由が距離、時間ともに最短となり、主役の座を奪うことになったのでした。ちなみに、現在の豊浦町から北へ行くルートは、かつては国道230号線ではなかったのですが、有珠山の噴火に伴い寸断された経路の迂回ルートとして、設定されました。もともと道道だった時代から、函館~札幌の近道として使われていました。

5号線なのか、37・36号線なのか、じゃなくなってしまいましたね。スイマセン。鉄道ルートは、小樽の地位低下を考えると、室蘭・苫小牧・千歳回りが経済的に、優先されるのでしょうね。特に、千歳空港駅(現・南千歳駅)の開業(1980年)と石勝線開通(1981年)が、決定的だったと思われます。

注:現在の国道と一致するのは、(1)=5号、(2)=12号、(4)=40号、(5)=38号+44号、(7)=37号だけで、(3)は室蘭~苫小牧が36号の一部+苫小牧~岩見沢が234号、(6)は旭川~上川が39号+上川~留辺蘂が273号と333号と242号+留辺蘂~美幌が39号+美幌~根室が243号、(8)は36号の一部です。
さらに留意点としては、国道39号の上川~留辺蘂の区間は、現在の石北峠ではなくて、鉄道と同じ北見峠ルートだったことです。また、苫小牧から早来までの区間は、現在の沼ノ端ではなく、植苗が分岐点だったことが、異なっています。
[16341] 2003年 6月 5日(木)22:00:59三丁目 さん
両毛人さんと、雑魚さんへ
一昨日はアーカイブが読めなかったために、本日、新着テーマ「地形図」に親しもう!を見たところ、私の書込みが採用されていたので、ビックリしました。もしかして、国土地理院HPを紹介していることが、採用して頂いた理由なのでしょうか?実は、ワタクシこの件については、オーナーグリグリさんに対して申し訳なく思っていたのです。1ヶ月くらい前に何気なく、都道府県市区町村 http://uub.jp/index.html を下の方までジックリ見ていたら、参考HPとして、国土地理院をリンクされていたのですね。普段は「サイトマップ」又は「落書き帳」をすぐクリックしてしまうから、見落としておりました。
さも自分が見つけたかのように書いてしまいましたから、いかにオーナーグリグリさんのHPをちゃんと見ていなかったことかと、反省しておりました。ハァ。

雑魚さん、メンバー紹介の更新、ありがとうございました。また、雑誌?の件、私は不興には感じておりませんので、どうぞご心配なく。それと、貴書込み[16067]から2つほど思いつき、現在、我が地理アドバイザーと情報交換しているところでした。あ。ところでナンバー176のナゾ解きは、いつして頂けるのでしょうか?興味津々なのですけど。
[16340] 2003年 6月 5日(木)22:00:45【2】三丁目 さん
uttさんからの預かりもの
[14259]uttさん
○大樹の無念・・・やはり雪印のイメージが。。。今はどうなっているのだろうか??
大樹町は、広大な十勝平野の南部一帯を占める。夏は海霧がかかりやすく、冬は寒さが厳しい気象条件のため開拓の初期から酪農経営の基盤づくりが進められた。第二次世界大戦中は軍馬の生産地として知られた。戦後は1964年(昭和39年)と1966年の2度の大冷害をきっかけに、豆中心の農業から酪農への転換がはかられた。(以上の記述は、「北海道大百科事典」北海道新聞社1981年発行からです。)

なぜ酪農が中心なのだろう?と思っていましたから、やっと関連する記述を見つけました。後は、我が地理アドバイザーからのコメントから、極秘ルート情報等を除いたために、原文を半分くらいにカットしましたけど、ほとんど雪印ネタですね。

酪農を基幹産業とする道東地域(十勝・釧路・根室地方)では、生乳を集荷する加工工場が各地に点在しており、最大手の雪印乳業は、大樹町、標茶町、中標津町、別海町で工場を操業しています。

同社大阪工場製品により発生した食中毒事件で、大樹工場から出荷された脱脂粉乳が、原料だったことが、警察の原因究明捜査で大きくクローズアップされ、地元では工場存亡の危機かと不安がられました。

しかし、道東の雪印乳業工場は、全て以前のまま操業しているようです。生産減による多少の人員削減はあったでしょうが、地域経済に大きな打撃を与えるほどの、工場縮小問題には、幸いにしてなっていません。

大樹工場は、チーズ製造が主力のようで、ワインブームによって好調な生産を続けているように見受けられますから、ご心配ご無用かと思われます。

[16332]uttさん
全て、きちんと調べてリリースするあたり、本当に頭が下がります。
たいしたことは、しとらんとですたい。この程度でごわす(苦笑)。それに、地理アドバイザーもアッシも、お互いに好きでしとうけぇねぇ。実は、アドバイザーからはuttさんが書き込まれてから、早々に回答をもらっていたのですが、私としては、冒頭の3行の記述がほしかったのです。大樹町HPはつまらないし、角川地名辞典の記述もワタクシ的には全然面白くなかったから、北海道大百科事典が届くのを楽しみにしていました。決して、調べるのに手間取ったわけではなかったのです。したっけ、待った甲斐があったべさぁ。これでおもろうなかったら、ガックシやったけんね。気が向いたので、いろいろ転調?してみました。西日本がほとんどだったかな?
[16300] 2003年 6月 2日(月)19:57:29【3】三丁目 さん
お礼、と諸々に(さ~んぴゃくね~んを、お~いおもえ~)
オーナーグリグリさん、どうもありがとうございました。書込みを直して下さったのですね。感謝です。アーカイブテーマ「いざ対決!ライバル都市」が更新されていたから、たぶんTACOさんの書込みが採用されたのだろうなぁと思い、何気なく覗いて気づきました。お手数おかけしましたことを、お詫び申し上げます。

[16263]Issieさん
>ウラジ「東方を」オストーク「征服する」
これは逆で,ヴラディ(征服せよ)+ ヴォストーク(東方を)という意味ですね。(中略)
同趣旨の地名として,カフカス(コーカサス)地方に ヴラディカフカス Vladikavkaz というのがあります。「カフカスを征服せよ」という意味になりますね。
[16279]ニジェガロージェッツさん
反響にお答えして、また続編を書かして頂きます。(中略)
「ヴォストーチヌイ(Восточный)」は形容詞で「東の」、一方の「ボストーク(Восток)」は名詞で「東」。この違いですね。
お二方のお話、とても面白かったです。ありがとうございました。それにしても、
現代のロシア人にとってそれほど露骨な都市名ではないようです。
帝政ロシアは、随分いろいろな地名をつけたものですね。でも、現代では露骨な都市名とは感じられないということは、もうすでに「音」として定着しているから、意味を考えないためでしょうかねぇ。とはいえ、私の記憶もいいかげんなものだ、と最近やっと気づきました。以後、気をつけます

[16297]両毛人さん
たぶん、私のことだと思うのですが、ナンカ、アリマシタッケ?よくわかりませんですのよ。

さて、メンバー紹介の件で、[16261]雑魚さんへのお願い、です。
ご紹介頂いている記述だと、私は今も道内居住中であるかのような印象を与えるかもしれませんね。北海道へ行ったものの、現在は首都圏在住ですから、そのあたりを、よしなにふれて頂けると嬉しいです。[14287]でるでるさんからは「謎?の地理アドバイザー」とのコメントも頂いていますから、敬意を表して、私の紹介文中に登場してもらってもいいのかもしれません。
なお、私の道内ネタは、自身の記憶と、ネット検索(特に市町村の公式HP)・図書館での調べモノと、地図と、我が地理アドバイザーとの意見交換(道内の図書館で調べたりしてくれている件もあります)の4本柱で99%書いているところです。だから、[16209][16244]で、苫小牧の川の記述に自信がないにもかかわらず、現地確認ができないのであります。一応、地理アドバイザーに聞いてみたら「苫小牧に夜景の名所なんてあったの?」なんて返事が返ってきました。2人とも最初の赴任地が苫小牧と一緒だったのですけれど、事務所も寮も別でしたから、人脈が違うこともあり、知らなくて当たり前かもしれません。決して名所ではなく、「苫小牧の」夜景が見える場所、くらいに理解して頂ければ、と。
とはいえ、どうやら今度の人事異動で勤務地が変わるみたいです。そうなると、今までのような執筆活動をする余裕がなくなりそうなので、疎筆のご挨拶をすることになるかもしれません。
と、ちょっと暗いトーンで書き始めたところ、雑魚さんのページをつい先ほど見て、ビックリしました。連載開始「北の防人」エッ???でした。「uttさんからの預かりもの」編を含め、道内ネタの未定稿は残り4つほど、と、そろそろまたネタに尽きてきたのです。。得意な、胆振・日高地方ばっかり書いててもねぇ、という感じなので雑魚さん、連載が続けられるように、何かございませんでしょうか?先般の太白さん、uttさんのように賜れれば、と。なお、uttさんからの預かりものについては、今週リリースする予定です。
それにしても「鉄人176号」には、大笑いしてしまいました(まがみさん、スイマセン)。176といえば国道のことでしょうか?私は神戸から海水浴に行ったのは、須磨ではなくて、なぜか丹後由良(京都北部)ばかりでして、そのときに通った国道が176号線だったから、思い出しましたが。でも、まがみさんとは関係なさそうですね(*^-^*)。

[16290]太白さん
面白いネタなどあれば、旅先から書き込むかも知れません。
最近ご無沙汰でしたから、どうされたのかと思っていました。旅をしていると、いろいろと面白いことを目にされるでしょうね。楽しみにしていますよ。

[13377]special-weekさんの
ネーミングライツ!
をきっかけに[13805]Zzzさん、[13912]太白さん、[13920]Zzzさん、としばらく続きましたが、ちょうどその頃(今から1ヶ月以上前)、職場の社内報に「サッカーのワールドカップの決勝戦の舞台となった横浜国際総合競技場の名称に、来年度からネーミングライツ(命名権)が導入されることになった」という記事が載っていました。なかなか裏が取れなくて困っていたのですが、やっと新聞記事になりましたから、ご紹介します。

5月31日(土)付日本経済新聞朝刊から(一部記述が重なりますが)
横浜市はサッカーのワールドカップの決勝戦会場となった横浜国際総合競技場へネーミングライツ(施設命名権)の導入を決めた。(中略)
募集要項によると、契約金額は年5億円程度で、期間は5年以上。(中略)
市は同競技場以外の公共施設へのネーミングライツ導入も検討していく。
日本語の訳としては、ただの「命名権」が妥当と思いますから、「施設」を付けるのは意訳しすぎかな?という気がしなくもありませんが、天下の日経がそう書くんだから、まぁ、そういうこと、てな感じでしょうか。
[16262] 2003年 6月 1日(日)17:25:29【1】三丁目 さん
Re:露国都市名考
[16251]ニジェガロージェッツさん
たいへん興味深いお話、ありがとうございました。ボリショイ・サーカスとはそういう意味だったのかぁ、と初めて理解しました。
さて、実は私は、世界史の授業で習った、ウラジオストク(地名の記述by帝国書院の地図帳,1995)の地名の由来が、強烈に印象に残っています。ウラジ「東方を」オストーク「征服する」と大変物騒な地名で、帝政ロシアが東方進出するための基地として築いた街だ、その野心を満々に表した地名だ、と教わった記憶があります。(南下政策=トルコ等への進出・圧迫とともに、東方進出により不凍港を獲得することが、ロシアの悲願だった。)

ご紹介頂いた一覧を拝見すると、ウラジオストクが、例の中になかったものですから、
ヴォストーチヌイ Восточный ヴォストーチノ Восточно 東の
で、「東の」と、「東方を」では単語が異なるのでしょうか?ロシア語を勉強したことが、全くないことからの質問で恐縮なのですが、ご教示頂けると幸いです。
[16250] 2003年 6月 1日(日)11:31:13【2】三丁目 さん
も~りのみ~やことぉ、ほぉ~こらえ~し~
タイトルを「北海道大百科事典から」、とするつもりだったのですが、[16247]だんなさんのタイトルを受けて、急遽変更しました。(オーナーグリグリさんとだんなさん以外には、なんのことやらサッパリお分かりにならないでしょうが、失礼いたしました)

朝、雨が小降りのうちに近所の図書館へ行ってきました。いきなりリクエストしていた北海道大百科事典が都立図書館から届いており、その厚さ・重さを見てゲッ(冷汗)・・・と思いましたが、汗をかきかき持って帰ってきました。(左腕が既に筋肉痛です。)
北海道にゆかりの人物も記述されていましたから(例えば作家の有島武郎など)、井上靖([15745]NSさん、[15803] OguriCapさん)もあるのかと思って探したところ、載っていませんでした。サビシー。。。

余計なお世話ではありますが、紅葉橋瑤知朗さんにおかれましても、この本は大変参考になると思いましたよ(笑)。1981年(昭和56年)発行といささか古めなために、数字データ等は自分で補足する必要があるにしても、記述自体は、私にとっては大変興味深かったです。例えば室蘭については「明治の半ばころまでは、室蘭と書いても、それをモロランと呼んでいたのだが、字に引かれて、いつか「むろらん」になってしまった」等、はとても面白かったです。

道内で行ったことがある図書館と言えば、室蘭市立図書館、登別市立図書館、白老町立図書館、苫小牧市立図書館、千歳市立図書館、札幌市立中央図書館、江別の道立図書館くらいなのですが、当時はこういう類の本に目を通すことなく、自分が興味を持っていた本を読むか、寝ているか、どちらかでしたけどね。最近は「居眠りお断り」と貼り出している図書館を目にしましたが、私の行いが悪かったからでしょうか?1回だけですが、開館から閉館まで、途中昼食をとったものの、ズ~ット寝ていたことがありました(汗)。

[16201]NSさん
>16100~16199を見たときに、一番最初に表示されるのは16199ですから、旭川観光紹介がアピールできるかな。
流石、心憎いですね。
単なる思い付きだったのですけど。。。キリ番を狙うのは難しそうだから、こういうのもアリかな、程度でして。過分な、お言葉に恐縮する次第であります。

なお、表記タイトルは金沢市立泉中学校の校歌の一節なのですが、これにより、私は「もりのみやこ」という単語を知りました。金沢のことを杜の都というのかぁ、と理解したのですが、後年(高校生くらいのとき?)、世間一般では「もりのみやこ」と言うと、仙台を指すことも知りました。
[16244] 2003年 6月 1日(日)07:14:47【1】三丁目 さん
1年ほど前のレスなど
[1925]雑魚さん
形式の上では、東京教育大は一旦解散して、現在地に新設した事になる様です。
元々が教育関係ですから、医学部等の理科系は事実上新設だった訳ですね。
かねてから、東京「教育」大学が、移転したらなぜ、「総合」大学である新生筑波大学になったのだろうと疑問に思っていました。[4993]Issieさんが官立旧制高等教育機関を一覧で紹介されておられたことと、東京教育大学で調べたことで、やっと理由がわかりました。旧制の、東京高等師範学校と東京文理科大学等が統合されて東京教育大学になったからなわけですが、
「東京教育大学」を支持する高師、農専、体専側と、それでは教員養成のみが強調されて学術研究の面がおろそかにされるから他の名称にすべきだという文理大側とはたがいにゆずらず
と下記URLに載っていました。もともと新制大学になった時点で、総合大学だったのですね。また、
東京教育大学は、文学部、教育学部、理学部が文京区大塚に、農学部が目黒区駒場に、体育学部が渋谷区幡ヶ谷に、学生寮その他の施設が都内各所に分散するいわゆる「タコ足大学」であった。
ですから、もともと理科系の学部があったのですね。医学部は新設されたようですが。あえて、地理ネタに絡めるとすれば、以前話題に上がった、タコ足大学の1つだったために、都内に関連施設が点在していたこと、でしょうか。
http://members.jcom.home.ne.jp/lionsboy/shousi.htm

[16193]ニジェガロージェッツさんの、雑魚さんへのメッセージ。
何か磨きが掛って黒光りの様相さえ感じるいい味出してますよ。
私は、子供の頃に作った土団子、を連想して笑ってしまいました。ワタクシ、テーマで分けていると言うよりも、書き忘れたから後で付け足してることの方が多いのです(汗)。でも、どうして土をナデナデしているとツヤが出てくるのか、未だに不思議。

[16211]両毛人さん。正直なところ、川の名前に自信がないのです。普段は、自分の記憶にある程度自信があるのですが、この件に関しては、糸魚川という名称がないとわかった時点でショックでした。じゃあ、小泉の沢川なのか小糸魚川なのか、はたまた有珠川だったのか。。。記憶では、それほど市街地から遠くなかったことと、ゴルフ場の入口だった、ことから判断すると、たぶんパークゴルフ倶楽部への登り口だったのかなぁ、と思った次第です。現地で夜景を楽しまれたい方は、ご自身でご確認くださいませ(いい加減な情報だなぁ)。

[16215]オーナーグリグリさん
過去記事の編集依頼は原則受け付けていません。記事削除のみ受け付けます。
了解しました。
[16209] 2003年 5月 31日(土)15:57:39【2】三丁目 さん
2日前のレスと、カッコ悪い記事訂正お願いと
[16136]両毛人さん
北海道でも30度を超えた地域があったようですね。三丁目さん、いかがですか?
あ。え~と。。ご挨拶を頂けたのは嬉しかったのですが、現在は、東京又は埼玉在住なのです。。。
それと、両毛人さんの[3186]を、アーカイブテーマ「北陸地方と、関西圏・中部圏との結びつき」に加えられてはいかがでしょうか?「鮮烈に存在した「日本海沿岸交流圏」-北前船の交易を中心に-」に採用済ですが、今回、最初から読みなおしていたときの第一印象は、前者のアーカイブテーマだなぁ、と思いましたよ。ちなみにやっと4500番くらいまで追っかけてきました。今回、改めて感じたのは、過去ログを読み返すのは、ものすごい勉強になりますね。皆さんがいろいろな情報を発信していらっしゃいますから。

さて、これからはお恥ずかしい話なのですが(オーナーグリグリさんとはメールの相性が良くないみたいなので(笑)、落書き帳にて堂々と)。書込みを初めた頃は、我が地理アドバイザー情報に、記憶を併せただけで書いていた部分が正直申し上げて、ありました。拙稿[9574]で「札幌側の明野などの工業用地を宅地化していること(駅で言うと植苗あたり)から、順調に人口が増えているところです。」という記述は、誤っていることに自分色登録をお願いした頃に気づきました。途中から、ちゃんと地図を見て確認するようにし始めたからです。

正確に言うと、ウトナイ湖南側(沼ノ端駅北側)、に該当しますから、「駅で言うと沼ノ端北側」、が正しい記述となります。アーカイブにも採用されていますから、間違ったままでは恥ずかしいと思い、記事訂正をお願いする次第です。

また、拙稿[11416]が、まさかアーカイブに採用されるとは思っていなかったので、「しゃっかてん」をメインテーマに、夜景情報をオマケとして、記憶で書いた部分がありました。苫小牧の夜景を糸魚川沿いに上がり、と記述しましたが、地図で確認する限りは、「有珠川」が正確だと思われますから、これまた記事訂正のほど、お願いいたします。

最後に、感想を少々。。。小学生は小学生なりに、中学生は中学生なりのコメントを、高校生は進路選択へ向けて気持ちの余裕がないかもしれませんからほどほどに、という感じで書込んでもらえると楽しいだろうなぁ、と思っています。決して基礎知識を蓄えてから書込むように、と敷居を高くしたいと、「私」は望んではおりません。その前段で生じる疑問が書き込まれれば、皆様方が何度となく過去にこういう話があったよ、とご紹介されておりますしね。

なお、それ以上の年齢の方は、それなりの知識を持った上で議論されると、より盛り上がれるのではないか、と思っておりますが。。。かくいう私も、受験のために一生懸命に勉強した世界史と倫理・社会という科目以外は、中学卒業までのレベルしか知りませんでした。それ以外は、高校を卒業するための最低限の試験勉強しかしませんでしたから。あ。ただし、地理Bについては、まだ受験科目を意識していない1年生のときに習いましたから、それなりに一生懸命勉強はしましたけどね。(まったくの蛇足ですが、私は理科については、生物・地学という文系の典型的な勝負科目を選択しました。ただし、地学が学校の授業にはなかったために、予備校等による独学で補いましたけど。)

しかし、興味を持っていると、新聞やテレビ等で、結構いろいろなお話が紹介されていることに気づかれるのではないでしょうか。そういう感じで、知識を蓄えられると広範な話題にもついていきやすいと思いますよ。とは言いながら、私自身はめったに議論には参加できませんけど。知らない、あやふや、又は時期を逸している、ことが多いものですから。

[16193]ニジェガロージェッツさん
この「落書き帳」への投稿に際しての心構えなどの諸兄からのご意見があったのですが、小生はありがたきさんが[16137]で述べておられるご意見に全く大賛成です。(中略)かなり下調べした上でないととてもではありませんが、書けないです。仮に知っている事象であっても、そのことに思い違いがないかなどの裏づけを取り、知らない事は徹底して調べてから書き込むようにしています。いつも反応が数日ずれてしまうのはそのためです。
「私」の考え方は以上のとおりです。また、私もマイペースで参加させて頂いており、レスが遅いのもニジェガロージェッツさんと同様な部分もありますが、グータラで書き落としたために、後から付け足すように書き加えていることが多々あります(汗)。
[16199] 2003年 5月 31日(土)10:44:33【2】三丁目 さん
旭川の観光スポットfrom地元からの情報
[15725]TACOさん
旭川市の有名な観光名所はどこがありますか?もしかしたら行くかもしれないので・・・
もう、だいぶ出揃った感がありますが、富良野の話のついでに、旭川観光の話もオマケに我が地理アドバイザーへ送ったら、予想していた通りに返事が返ってきました。旭川出身ですから、黙っちゃいられないだろう、と思ったからなのですけどね。
「別に投稿を要求するわけじゃないけど」と書き添えられていましたけれども、私には要求されたように感じられましたから、ご紹介しますね(寄せられた情報を、正確に記述するための確認作業に手間取りました)。。。私自身は、旭川観光といえば優佳良織工芸館と常盤公園くらいしか、思い浮かばなかったのですが、市内には結構あるのですねぇ。一部既出の観光スポットと重なり、亀々レスですが。

駅から歩いて回る、となると買い物公園、常盤公園くらいの範囲に限られてしまうので、車で回ることをお勧めし、それを前提にご紹介します。

高速道路で来た場合には、旭川鷹栖ICから近い場所に、アイヌ記念館、井上靖記念館、彫刻美術館があります。

アイヌ記念館とは、「川村カ子トアイヌ記念館」が正式名称で、昔のアイヌ部落を再現した施設です。文字どおりアイヌ民族の伝統芸能のお勉強と、工芸品のおみやげ購入に最適です。

井上靖記念館と彫刻美術館は同じ公園内にあります。彫刻美術館の建物は、かつては市立博物館、その昔は旧日本陸軍の旭川偕行社だった歴史的建造物で、国指定重要文化財です。白樺に囲まれた静かな公園で、文学と美術の世界に浸るのに最適です。

国道12号線で来た場合は、旭川市街地の平地に下りる手前の丘の上に、北海道伝統美術工芸村があります。優佳良織工芸館、雪の美術館、国際染織美術館の3館から成り立っており、アイヌ伝統の織物、工芸品のおみやげ購入ができますが、地味ながらお奨めは「雪の美術館」ですね。あまり広くはありませんが、北大低温研究所での雪や氷に関する研究成果の展示や、いろんな形の雪の結晶を観察できて、理科系人間(注1)にも楽しめる施設です。

お酒好きの方には、北見方面へ向かう途中、国道39号線沿いの永山に、男山酒造り資料館があります。銘酒男山の酒造工場の事務所内にあり、ドライバー以外の方ならば、日本酒の試飲もできます。

こうした施設は、定期観光バスのコースにも入っているでしょうが、郊外への移動があると、時間的制約で全ては回れないかもしれません。どれかをメインに絞って、選ぶのがいいかと思います。

「アイヌ記念館」で検索していたら、こんなURLが見つかりました。旭川の個人タクシー組合?作成で、観光ルート等、いろいろ紹介しています。
http://potato3.hokkai.net/~kei-moko/cousu.html
亀々レスだったから、旭川に行かれるまでに、間に合いましたでしょうか。いささか心配ではありますが。

注1:我が地理アドバイザーは、ちりたまさんと同窓の電気専攻出身ですから、かくいう発言があったものと思われます。
注2:書込み訂正作業をしたら、オーナーグリグリさんの[16198]が目にとまり、キュッキュッー狙いもいいのかな、と思い、本書込みを急遽アップしました。そうすると、16100~16199を見たときに、一番最初に表示されるのは16199ですから、旭川観光紹介がアピールできるかな。へへへ(^O^)y
[16169] 2003年 5月 30日(金)18:43:41【2】三丁目 さん
富良野と美瑛
拙稿[16032]にて予告申し上げた、我が地理アドバイザーがレスしたいとのお話。友人同士のメール口調を落書き帳用に改めたり等、私の方で若干編集しましたが、本人の了解を得ましたから、代理書込みにてご紹介いたします。正直なところ、私が知っていた古い美瑛観光が、そんなに様変わりしていたことを、初めて知りました。さてさて。

「「観光と開発」」編

[15669]スナフキんさんは,交通アクセスの悪さ,インフラ整備の遅れ等を,富良野地域からの将来の観光客離れの懸念要因に挙げられています。

こうした苦情が寄せられるのはごもっとも,とは思いますが,ではどうしようかとなると,なぜ観光客が訪れるのか,ということと相反することになってしまうのです。

10年前までの美瑛を訪れる観光客は,自家用車やレンタカーで丘を巡り,気に入った景色の場所に停車して写真を撮って回る,のどかなものでした。それが観光ブームによってツアー客がバスで押し寄せるようになると,元々が狭い農道だったからすぐに渋滞するし,ただの畑だから休憩する場所もない,と観光業界から苦情の嵐が寄せられました。

その結果として,道路を2車線に拡張し,駐車場・トイレ・アイスの売店等が丘の上に設置されましたが,さてどうなったでしょうか。このために畑が削られ,景観が損ねられてしまい,かつてのような素朴な風景が少なくなってしまったのです。昔の景色の方が良かったという感想を,地理アドバイザーは耳にしたことがあるそうですよ。

さらには,心無い観光客が,農家が耕す畑であることを忘れ(知らずに?),踏み荒らしてしまう有様もあり,地元では,税金を使ってまで観光誘致なんかしなくていい,という声も聞こえるほどだそうです。

観光客のために整備するインフラが,結果として売り物である自然を破壊しかねないことは,北海道各地の観光地が,悩んでいる問題でもあります。

バスや車がごった返すのは,年間を通して見ればほんの一瞬のことです。そのために,普段は不自由していない道路や駐車場を拡張したりするのは,過剰投資にならないでしょうか。台湾からのお客さんを案内したときに,ディズニーランドの人ごみに比べたら,美瑛の混みようの方がよっぽどマシ,とこぼしていたのを、地理アドバイザーは聞いたそうですよ。

スナフキんさんも最後に,それでも訪れようとする魅力があるとおっしゃっているわけですし,[15684]uttさんのように、ブームが去ったら訪れたいとおっしゃっている人もいることを思えば,これ以上開発をしなくとも,観光客は途絶えることはないのかなと,思えてきたそうです。

「「美瑛・富良野ウラ観光」」編

[15669] スナフキんさん
「富良野盆地は広いのだから,人がワラワラ集まらないところでも,きれいな場所は必ずあるはずだから,自分で走り回って探す」という人たちも
お決まりのポイントを,お決まりのルートで回ろうとすると,混雑と渋滞に辟易してしまうのは,どこの観光地でも同じかと思われますね。

観光ピーク期の休日の夕方などは,旭川空港から富良野に至る国道237号線は渋滞しますが,それを察知している地元住民は,国道を通るなんて愚の骨頂,とばかりに,ちゃんと迂回路を通り抜けて,普段と変わらず交通,流通しています。旭川から富良野に抜けるルートは,美瑛市街地を通らないルート,上富も中富も通らないルートがいくつかあるのです。丘陵地は道が曲っていてわかりにくいかもしれませんが,カーナビがあれば,迷うことはないかと思われます。

美瑛では,観光バスが通らない,または通過する所でも,景色が楽しめる場所は多くあります。お勧めは,水沢ダムから千代田ファームの辺りとか,混んでる拓真館には行かずにその丘の上とか,美馬牛のペンションWITH YOUの前の空き地とか。

中富良野では,ファーム富田がゲキ混みの時も,少し離れた場所にある町営ラベンダー園には駐車スペースがあり,ゲレンデ一面の花畑をリフトで見下ろしながら,山を登り降りできます。山の上は森林公園にもなっており,そこから眺める富良野盆地と十勝岳連峰は,それはいい景色です。

富良野では学田の丘の上,ワイン工場のレストランは眺めもよくて,バーベキューも味わえるし,比較的空いていてGoodですって。

こういったところが,実際にお客さんを個人的に観光案内した経験から,最混雑期でも楽しく観光できるコースだそうです。

もっともこれは,お金があれば観光ハイヤーをチャーターして回るなり,レンタカーで回ることができれば,の話ですから,選択の余地のないバスツアーでは,いい思いができなくてもゴメンなさい,と言うしかないかもしれませんね。

こんなに地元情報を満載にして、インターネットで公開していいの?と不安になって私は聞きましたが、富良野・美瑛観光のピークが少しでも緩和され、より多くの観光客を迎えられるようになればありがたやぁ、なのだそうです。落書き帳で書込むことで、地元の裏ルート交通が麻痺するようになれば、それこそバンバンザイだ、と。。。そこまでの渋滞にはならないんじゃないの、と申しておりました。一応。
[16147] 2003年 5月 30日(金)07:10:11【1】三丁目 さん
記録ホルダーさん?へ、と昨晩のこと
[16122]紅葉橋瑤知朗さん
わたしがはじめて書き込んだのは、まだ3桁のころでした。去年のはじめ頃だったような……。
やはりそうだったのですね。「もみじばし銀之助」「もみじばし銀治助」さんの時代から書込まれているから、初登場は[801]と、なんと、雑魚さんよりも古株でいらっしゃったのですね。もしかして、「初書込みから自分色登録されるまでの期間が最長」という記録ホルダーになられたのでは、ないでしょうか???

さて、北陸新幹線関連で、いろいろと皆さんからのレスを頂き、ありがとうございました。私としては、新幹線についてお話したかったわけではなくて、その前提条件となる認識が、「失礼ながら少々お勉強不足では?」と感じたものですから、「調査・分析」という言葉を使ったつもりでした。もし、私の言葉遣いで、波紋をよんだのだとすれば、その点については反省します。必ずしも、書込む前提条件として、他の方にも調査をお願いするつもりではないのです。

ただ、以前もいくつか、基本的認識が異なることによるギャップがあり、他の方からも「失礼ながら少々お勉強不足では?」とご指摘があったことが念頭にありました。議論を深めるためには、ある程度の共通した認識(知識?常識?)が必要だと思います。とはいえ、私も、それはガイドラインで示すようなことではなく、まさに暗黙の了解だと思っています。

自分では当たり前と思っている話を、いざ文字にしようとすると、言葉につまってしまうことが私にはあります。今回の件がまさにそうでしたから、他の方から適切に表現して頂ければありがたいなぁ、と思い、フォローをお願いした次第です。その点で、多くの方から様々な点からの書込みがあったことを、興味深く拝見しました。

最後になりましたが、special-weekさんの問題提起は、面白い視点があることには感心していますから、今回の件でお気を悪くなさらず、よろしくお願いしますね、ということで。
[16120] 2003年 5月 29日(木)20:08:17【1】三丁目 さん
もう少し、いろいろと調査・分析されてからの方が・・・
[16119]special-weekさん
北陸の人がわざわざ大阪に行くのも考えにくいし、大阪の人が北陸に行くのも考えにくい。
北陸と、関西(特に京都)との結びつきを、もうちょっと何か文献で調べられた方が・・・。例えば、加賀「友禅」とか、福井と京都の距離的な近さから来る親近感とか。。。元金沢市民の私としては、黙っているには、あまりにしのびなさすぎるお話だった故、ご容赦ください。だんなさん、はじめ皆さんから、フォローを頂けることを期待しております(ちょっと無責任かな?)。
[16115] 2003年 5月 29日(木)18:44:38【1】三丁目 さん
レス関係を3つほど
[16067]雑魚さん
国道五号線
この話題は反応したい!と昨日から思ってはいたのですが、調べてネタを集めてからにしよう、と思い直しました。どこまで書けますことやら。

[16078]kenさん
>早来町を過ぎると、(美瑛と)似たような丘の風景が見えてきます
そうだったんですか。(中略)千歳から早来、追分、由仁、栗山と走って岩見沢、三笠、桂川湖、芦別経由で美瑛に向かったのですが、心が本美瑛に向かって焦っていたせいか、ニセ美瑛については、「由仁町に入った」とか、看板は思い出すものの、周囲の風景があまり印象に残ってませんでした。惜しいことをしました。
たぶん、新千歳空港~道道10号線~早来町早来~国道234号線~早来町安平~追分町と走られたのだと思いますが、まぁこれは、私は元地元民として、美瑛をもともと知っているのと、何度となく往復して記憶に残った国道234号線の印象ですから、観光で一過性で通られた方にはわかりにくい景色かもしれませんね。ただ、馬追丘陵については、[16072]NSさんからレスを頂いたように、今度機会があれば、注意してご覧になってみてくださいね(笑)。ゆっくり見る価値はある、と私は思いますよ。。。と言いながらも、自分自身は、立ち止まったことがないのです。ゴメンナサイ。

[16089]紅葉橋瑤知朗さん
自分色登録を申請したこと
先般、[15878]Issieさんが
ずーーっと以前(これは本当に)に話題になったことがあるのですが
とおっしゃっていたので、記事番号1から、もう一度、読み直していたところでした。たしかに、初期の頃はショート書込みが多かったのですね。その中で、以前は書込みを追いかけるので精一杯だったから、自分色非登録の方はあまり印象に残っていなかったのですが、今回、初めて気づいたことがあります。でも、それは紅葉橋瑤知朗さんが自分色登録をどのように申請されたか、その結果を見てからでないと、ちょっと。。。迂闊なことを書いてもいけませんから、とりあえず控えておきますけど、ね。

それにしても、[1665]が、ちょうど1年前の5月29日の最終書込みとは、隔世の感ですねぇ。シミジミ。。。私もたくさん書込んでいる1人なのですけど、ね。

それと、富良野・美瑛の、地元(旭川出身地理アドバイザー)からの観光情報。まだラベンダーの時期じゃないから、ヨサコイソーラン祭りまでには、間に合わせて書込みますので、今しばらくご猶予のほどを。

1日1回は書込みしたいという思いを持ってはいるのですが、私のようなこんなマイペースな書込みでもレスを頂けることに、感謝しております。どうも、最近夜に気力がなくて、これくらいの時間に書き込んで、後は明日に書き込もう、な~んてグータラこいてます(汗)。
それはそうと、[16099]だんなさん。100書込みおめでとうございます。淡々と、いきましょうね(笑)。私もこんなペースですが、許してもらえてるようです(笑)。
[16070] 2003年 5月 28日(水)16:58:44【2】三丁目 さん
美瑛の風景
「美瑛」といえば、丘のある景色を写真等で見られたことがあるかもしれません。
しかし、必ずしも、美瑛だけがあのような丘陵風景をつくっているわけではありません。

苫小牧方面から国道234号線で早来町、追分町、由仁町、栗山町、と続きますが、早来町(遠浅、早来、安平)を過ぎると、似たような丘の風景が見えてきます。私は「ニセ美瑛」と勝手に呼んでましたが。手元のSuper Mapple北海道道路地図2003年1月発行で確認すると、たぶん追分町弥生又は豊栄のあたりだと思います。

私の記憶が誤っていないことを確認しようと、我が地理アドバイザーに聞いたところ、印象に残っているのはそちらよりは、札幌から帯広へ向かう国道274号線の、長沼町から由仁町三川までの山越え区間で、馬追丘陵と呼ばれている地帯、だそうです。ネット地図マピオン(1/15万での表示)では、長沼町・由仁町・千歳市という表示の真中に馬追丘陵があります。言われてみれば、この辺りも似たような丘陵風景があったのを思い出しました。この辺りは、地理アドバイザーによると、広くは石狩平野の範囲に当たりますが、千歳川流域の千歳・長沼の平地と、夕張川流域の追分・由仁・栗山の平地との間に、侵食されずに残ったような細長い丘陵なのだそうです。

また、十勝平野で、似たような風景が見られる場所もある(芽室町や士幌町の山麓地域)と申しておりますが、ある一方向だけからならそう見える程度だそうでして(これは、私も場所がよくわかりません。)。根釧台地も、丘陵地形の畑作地帯ですが、標高差がないために、一面平らな原っぱの風景で、絵にはなりにくいですねぇ。

さてさて、長い前ふりにお付き合い頂き申し訳ありませんでしたが、ホンモノ美瑛のお話。
いや。実は、ニセ美瑛からホンモノ美瑛へ話をつなごうと思いつき、書き始めたのですが、あまり文章が書けなくて、地理アドバイザー(旭川出身)にどうかな?と相談したところ、こんな感じでどぅお?と返事が来たのです。実は、美瑛についてはもともと書きたかったらしく、私のメールが呼び水になったようでして、「満を持して美瑛」というコメント付きでした。ということで、結構、原文を尊重して。

美瑛の丘の風景は、今ではすっかり有名となりましたが、これらの風景は、意図していなかったのに、作られたものです。これには、いくつかの理由、要因があります。

美瑛から上富良野にかけての原始地形としては、十勝岳山麓の火山灰地質の緩い傾斜地が、いくつかの小川によってなだらかに侵食されたことにより、眺めとしては、折り重なるように連なった丘陵地形が見られます。

元は全て山林だったものが、伐採、開墾されて畑になりましたが、表土飛散を防止する目的で、林の一部を残して、防風林としています。これが、タバコのCMに使用された、雪原上の真っ直ぐな林で、見る角度からはとてもきれいな風景です。

畑の真ん中にポツンと1本だけ立つ木は、防風林ではなくて、農作業中の休みをとるための日よけか、雨宿り用の木でしょうね。これは、哀愁がただよう風景です。

丘の畑が、ツギハギしたように色が変わっていて、パッチワークの丘と呼ばれている風景の場所があります。これは、農地を区画別に輪作しているためです。輪作は、同じ土地に同じ作物を続けて耕作すると、土地がやせてしまうため、麦類の次はイモ類、その次は豆類、といった具合に、毎年耕作する作物を替えることです。また、ある年に同じ作物ばかり作ると、特定の病気や害虫、気象条件等のために、凶作になると収穫が全滅する恐れがあるため、危険分散の目的で、区画に分けて複数の作物を耕作しているのです。

ある場所から見ると、畑と木と遠くの山ばかりで、家などの建造物がほとんど見えないことがあります。家や道路がないわけではありません。これは、住宅の多くが谷の下の方にあるためで、それを結ぶ道路や電線なども谷筋を経過しており、眺めとしては丘の陰になって見えないのです。

こうした要因によって、美瑛の丘は、図らずもきれいな風景が出来上がっていったのです。

隣の東神楽町も、美瑛と同じような丘陵地形ですが、上流からの灌漑用水によって稲作が行われているために、棚田になっています。これでは、日本各地で見られる風景と同じになってしまい、あまり独特な風情を感じさせることが、できません。

丘陵風景だけであれば、道内でもいくつか散見されますが、美瑛の真骨頂は、やはりパッチワークの丘につきるのかもしれません。私のようなエセ道産子でさえも、アレは一見の価値アリ、とご推奨したくなるシロモノです。

[15667]NSさん
ま、この他にも美瑛には見どころが満載ですので、楽しみにお待ちしております。
物理的な記述ばかりで、観光情報的ではなくて、スイマセン。拙稿[16032]にてお話した富良野(予告編)については、現在、地理アドバイザーと細部をつめているところであります。そちらの書込みには、地元からの観光情報が結構ありまして、明日、ご披露できることと思います(たびたび焦らしてるなぁ)。(汗・汗・汗)
[16032] 2003年 5月 27日(火)19:55:19【2】三丁目 さん
お礼、と富良野(予告編?)
[15997]ゆうさん
「転載」というのはいわゆるコピペのような行為のことですね。リンクすることは「参照」であり、「転載」には当たらないと思います。(中略)
私の場合は「無断リンク絶対お断り、見つけたら訴えます」と書いてない限り積極的にご紹介しています。
アドバイス、ありがとうございました。この書込みで一緒にして、参照URLを表示することは場違いで、失礼かもしれないとは思いましたが、私が見つけた(どうやって検索したかは、もう忘れました)、北海道を14支庁に分けた地図は、
http://www.htb.co.jp/links/towns/map.html
でして、道外の方は普段、あまり目にしないだろうなぁと思いましたから、ご紹介したかったのです。道内では、天気予報で(網走支庁だけ例外ですが)お馴染みですよね。ちなみに、上記URLの支庁の順が、私には全く意味不明なのです。

[16018]般若堂そんぴんさん
>Mac環境だと何文字目で改行されて表示されているのか
Netscape 7.0では51文字でした.ぎりぎり一杯でセーフです.IE5やiCabでも大丈夫です.
お返事ありがとうございました。私の字図は、本当にギリギリの表示だったのですね。パソコン通信時代のメールが全角40文字表示に対して、37文字で改行するのがネチケットと聞いていましたから、単純に55マイナス3の52文字で、大丈夫かなぁと思っていたのですが、教えて頂きホッとしました。以後、簡易表作成に際しても、気をつけたいと思います。
最後になりましたが、700書込みおめでとうございます。

なお、拙稿富良野編[15652][15715]を書込んだ後に、皆さんからレスやフォローを頂き、落書き帳でさらに話が弾んだ旨、我が地理アドバイザーにご報告したところ、「アドバイザー(情報提供者)としても、ちょっと気になるので、簡単なやりとり内容だけでも、知らせてくんなはれ。」とのことでした(自分で読めばいいのに。ブツブツ。とはいえ、アドバイスもらってるからなぁ)。ザッとした流れを送ったところ、何やらモノ申したそうな様子。もしかしたら、代理書込みとすることになるかもしれませぬ。
[16031] 2003年 5月 27日(火)19:19:51【2】三丁目 さん
東京の近郊って?
かねてから、東京の近郊区間の駅の表示の差については、面白いなぁ、と思っており、比べる書込みを用意していたところでした。すると、[15990]yamadaさんの書込みがちょうどあり、いくつかレスがありましたね。
というのも、JR東日本の電車内に貼ってあるものと、日常的に使っている駅間検索ソフトの差は、JR東日本の図が北方へ長い(1都6県の県庁所在地を表記するため?と、自社線の新幹線駅をできるだけ表したいから?)のに対して、検索ソフトの方は、房総半島を全て含んでいるから北方面は短めで、西に妙に長いからです。今回改めて4つを比べただけでも、微妙に違うので、なおさらその感を強くしました。
JR東日本による近郊路線図ですから、JR線だけでの比較としましたが、

JR東日本JTB(株)交通新聞社検索ソフト
東海道本線熱海平塚二宮沼津
伊東線全線
相模線全線全線全線全線
御殿場線全線
総武本線成東成東成東成東
東金線全線全線全線全線
成田線成田成田久住久住
成田線成田空港成田空港成田空港成田空港
久留里線下郡馬来田全線
外房線茂原大原茂原全線
内房線君津青堀青堀全線
中央本線大月大月初狩塩山
八高線全線寄居寄居寄居
高崎線全線熊谷熊谷熊谷
上越線新前橋
両毛線全線
東北本線宇都宮小山小山小山
常磐線勝田土浦土浦内原
水戸線全線全線

注1:JR東日本の表示は「東京近郊路線図,JR EAST Railway Lines in Greater Tokyo」です。
注2:JTBとは、JTB時刻表のことで、「東京付近拡大図」と表記されています。
注3:(株)交通新聞社(いわゆる旧鉄道弘済会と呼ぶのですか?)時刻表では「拡大図(東京付近)」と表記されています。
注4:検索ソフトでは「東京近郊」と表示されています。
注5:「―」は、その線についての表示そのものがないことを表し、「全線」とはその線の全駅が表示されていることを表します。該当する線の、始発駅のみしか表示されておらず、あとはヘビのシッポのようにチョロッと出ているだけの場合も、これに含めました。

私の好みを申し上げると、房総半島地域よりは北関東方面に親近感を覚えるから、JR東日本の表示の方が好きなんですけどね。
検索ソフトには、この他「名古屋近郊」と「大阪近郊」もあるのですが、鉄道の事業主体であるJRが、どのように表記しているかわからなかったので、私は、諦めましたが。
[15973] 2003年 5月 26日(月)19:47:25【2】三丁目 さん
レスを複数形にて
[15878]Issieさん
河口から水系をたどって編成された「郡」から,
恥ずかしい話で恐縮ですが、いつ頃話題に上がっておりましたでしょうか?アーカイブテーマになっている「分水界、川の流れに関する雑学集」を見る限りは、具体的な記述を見つけられなかったものですから。記事検索しようにも、何をキーワードにしたらよいのか、ちょっと手がかりが乏しくて。
最初にアーカイブテーマをいくつか読んで、次に記事番号1から9000記事ほどを追いつけるまで、斜め読み&飛ばし読みしてましたから、印象に残る話題でなければ、正確には覚えていないのです(汗)。

[15883]TKS-Hさん
ワタクシ的には、こういう方面に興味がありました。なぜ、その名称が採用されたのか、ですね。丁寧にご紹介頂いてましたから、わかりやすかったです。少なくとも、自分の中では、積年の疑問が晴れた思いです。また、現在の支庁再編案は拙稿[12025]でご紹介しましたが、戦後間もない時期の案は、[15944]紅葉橋瑤知朗さんと同様、私も興味深く拝見しました。そんな以前からあったのか、という思いです。
アーカイブテーマ「北海道支庁名の由来」が、個人アーカイブ的な様相を呈して、面映く思っていましたから、TKS-Hさんの書込みが加えられたことで充実されましたから、良かったぁと思いました。

[15900]紅葉橋瑤知朗さん
素晴らしい! 漢字の国でよかったです。
[15941]太白さん
この文字地図は、とにかく「凄い!!」の一言です。(中略)行いっぱいに書いてしまうと、Macでは2行になってしまわないのでしょうか?
なんか、頂いたお褒めの言葉を自分が並べるのも、照れくさかったのですが、恐縮です。もともと旧19支庁図を作成したくなり、最初に現行の14支庁を作ってから修正を加えていったのですが、そうすると対比させてご紹介したくなってしまい。。。ホントは、ネットでリンクフリーのところをご紹介できれば、と思っていたのですけれど。私が見つけた、14支庁図を載せていた道内の放送局のHPには「ここに掲載の記事・写真・図表・映像など、掲載内容の無断転載を禁止します。すべての内容は日本の著作権法ならびに国際条約により保護されています。」とあったので、無断リンクしてはいけないのかな?と思ったものですから。

さて、枠いっぱいの表示については確かに気にしましたが、一応、あの字図は、ワードで普通の文章と同様に作成して、落書き帳の新規書込みのメッセージ欄に、コピーして貼りつけました。簡易表機能は使っておりませんので、大丈夫かなぁ、と思っていたのですが、どうなんでしょうかねぇ。私もWindows+IEの環境で、1行の最大表示幅が全角55文字目までであることを数えてから、51文字目まで字図を書いて52文字目で改行しました。できるだけ大きな表示にすることで、1文字しかない「函」をそれなりに表したかったからです。逆に、Mac環境だと何文字目で改行されて表示されているのか、どなたかからお話を頂けると幸いです。

[15904]紅葉橋瑤知朗さん
いずれ、(倶知安町に後志支庁が設置された)真相を調べたいと思います。
ぜひ、お願いします。私の調査の限りでは、この類の資料に秀でているのは、北海道立文書館(赤レンガ庁舎1階北東側)のようですよ。私もかねてから疑問に思っておりましたが、たしか、uttさんも同様の疑問を、書かれていた記憶があります。

実は、私の調査の限りではわからなくて、ある町役場に問い合わせたら、文書館からいきなり返答がきて、ビックリしたことがありました。よく文書館にその類の質問がふられてくる、とおっしゃってました。でも私の経験では、今まで質問してきた中で初めてでしたけど。質問の内容は、その町に関することなのだから、町の中で完結してほしいと思いましたけれどねぇ。例えば役場でわからなければ、郷土資料館とか、図書館の町史編纂担当とか。恥ずかしくないのかしら?その町の名誉のために、名前は伏せますけれど。
ホントは、直前の4連続書込みで、初めての切り番を狙いたかったのですが、思ったより番号が進んでいなかったため、書込み時間との関係もこれあり、15900は紅葉橋瑤知朗さんの手にわたっちゃいましたね。。。
[15875] 2003年 5月 25日(日)07:26:28【2】三丁目 さん
旧19支庁図をご紹介したくなった理由
支庁名の由来を調べるに当たり、初めて角川日本地名大辞典を読みましたが、そこに載っていた19支庁管轄図が現行14支庁と大きく違い、特に増毛支庁がやたらと広く、そのあおり?で上川支庁がずいぶん小さかったので、面白いと感じました。実際の違いは、ご自身で、地図で確認なさってみて下さいませ。

19支庁が発足して数年のうちに、管轄支庁がガラガラと変わったのは、山により交通ルートが大きく影響された、当時の交通体系(人力、又は馬)、及び地域間でのつながりのためではないか、と我が地理アドバイザーと意見交換していたところでした。逆な言い方をすると、19支庁発足時にそういうことを考えなかったのかしらん、とも思いましたけれど。単純に郡名で分けただけのようですから。

たとえば、旧富良野村(現在の、上・中・南富良野町+富良野市)の交通の結びつきは、旭川~富良野(富良野線)の方が、滝川~富良野(根室本線)よりも先に開通していることを考えると、当時の土木技術で容易な方から整備が進められたのではないかと考えられ、それは人馬による交通体系でも、旭川~富良野の方が利用しやすかったと思われます。ですから、空知支庁(空知郡)管轄から上川支庁管轄に変わったのは、交通の容易さからだろうね、と地理アドバイザーとは意見交換していたところです。

[15729]紅葉橋瑤知朗さん
富良野も我が岩見沢市周辺と同じく、空知郡なんです。上川地方なんで、あまり仲間意識はありません。滝川本拠の地元スーパーが、富良野にも支店を持っているんですが、<どうしてあんなところに?>というのが第一印象だったくらい。
まぁ、第一印象とおっしゃられていますから、もう既にお気づきかもしれませんが、根室本線、国道38号線というつながりを考えると、これまた自然な結びつき、じゃないでしょうかね。
[15874] 2003年 5月 25日(日)07:26:12【2】三丁目 さん
旧19支庁の管轄地域
札幌:石狩国の札幌区および同国札幌・石狩・厚田・浜益、胆振国千歳の5郡。
函館:函館区の区域。
亀田:渡島国亀田・上磯・茅部・山越の4郡。
松前:渡島国松前郡。
檜山:渡島国檜山・爾志、後志国久遠・奥尻・太櫓(後に瀬棚に合併)・瀬棚の6郡。

寿都:後志国島牧・寿都・歌棄・磯谷の4郡。
岩内:後志国岩内・古宇の2郡。明治32年に室蘭支庁虻田郡の一部を編入。
小樽:後志国小樽・高島・忍路・余市・古平・美国・積丹の7郡。
空知:石狩国空知・夕張・樺戸・雨竜の4郡。明治32年空知郡の一部(*1)を上川支庁に編入。

上川:上川郡。明治32年増毛支庁管下の上川郡(天塩国)(*2)と空知支庁管内空知郡の一部、明治34年増毛支庁管内中川郡(*3)、明治39年室蘭支庁管内勇払郡の一部(*4)を編入。
増毛:天塩国増毛・留萌・苫前・天塩・中川・上川の6郡。明治32年上川郡、明治34年中川郡が上川支庁の管轄となる。昭和23年手塩郡の一部(*5)を宗谷支庁に編入。

宗谷:北見国宗谷・枝幸・礼文・利尻の4郡。昭和23年留萌支庁手塩郡の一部を編入。
網走:北見国網走・斜里・常呂・紋別の4郡。
室蘭:管轄地域は胆振国虻田・有珠・室蘭・幌別・白老・勇払の6郡。明治32年虻田郡の一部(*6)を岩内支庁、明治39年勇払郡の一部を上川支庁、明治43年虻田郡の一部(*7)を後志支庁に編入。

浦河:日高国沙流・新冠・静内・三石・浦河・様似・幌泉の7郡。
釧路:釧路国釧路・白糠・足寄・阿寒・上川・厚岸の6郡。昭和23年足寄郡が十勝支庁の管轄となる。
河西:十勝国河東・上川・河西・当縁・中川・広尾・十勝の7郡。明治39年当縁郡が広尾郡・十勝郡に分割して廃止。昭和23年釧路国支庁足寄郡(*8)を編入。
根室:根室国根室・花咲・野付・標津・目梨郡・千島国得撫・新知・占守・国後・色丹の10郡。
紗那:千島国択捉・紗那・振別・蕊取の4郡。

*1:上富良野町、中富良野町、富良野市、南富良野町。
*2:名寄市、下川町、風連町、士別市、剣淵町、朝日町、和寒町。
*3:中川町、音威子府村、美深町。
*4:占冠村。
*5:旧幌延村から旧豊富村が分村し、その数年後に支庁変更。
*6:京極町(旧東倶知安村)、倶知安町。
*7:ニセコ町、真狩村、留寿都村、喜茂別町。
*8:旧東足寄村、陸別町[旧東足寄村(釧路支庁)と旧西足寄村(十勝支庁)が合併して、足寄町となる前に、編入された。]。
町村レベルでの動きだけを、字図で表しました。

注1:旧支庁名の記述の一部に、後志・留萌・釧路国支庁欄の記述を含みます。
注2:町村名の前に、「旧」を付けていない場合は、現在の町村名を表します。
注3:旧支庁の管轄についての記述は、角川日本地名大辞典によります。なお、「北海道支庁のあゆみ」(北海道総務部総務課)も、参考資料として使いましたが、ン?と思ったところは、資料の突合せにより、自分で判断した部分もあります。

この他、「芦別市の一部(奈江)が、中富良野町へ編入(空知支庁の一部が上川支庁へ編入)」は、地図で地形を見ると、そういう編入はスムーズだよね、と納得できたり、「南幌町の一部(江別太、豊幌)が江別市に編入(空知支庁の一部が札幌支庁へ編入)」は、平坦地なのにそうなったということは住民の意向だったの?等、細かい動きはあるのですが、あまりにマニアックな話すぎると思ったのと、ご紹介するにしても結構多くて、全部をちゃんと捕捉し切れているか自信がなかったので、やめました。
[15873] 2003年 5月 25日(日)07:25:55【1】三丁目 さん
目で見る北海道(1897年・明治30年当初の旧19支庁、ただし紗那支庁は省略)
――凡例――――――――――宗-宗――――――――――――――――――――――――――――――――――
札:札幌支庁――――――――宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――――――
函:函館支庁―――――――宗宗宗宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――――
田:亀田支庁―――――――増増増増宗宗宗宗――――――――――――――――――――――――――――――
松:松前支庁―――――――増増増増増増宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――
檜:檜山支庁――――――――増増増増増宗宗宗宗――――――――――――――――――――――――――――
寿:寿都支庁――――――――増増増増増増宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――
岩:岩内支庁――――――――増増増増増増増宗宗宗網――――――――――――――――――――――――――
樽:小樽支庁――――――――増増増増増増増増網網網網網――――――――――――――――――――――――
空:空知支庁――――――――増増増増増増増増増網網網網網網――――――――――――――――網根――――
上:上川支庁――――――――増増増空空増増増増増網網網網網網網―――――――――――――網根―――――
増:増毛支庁――――――――増増増空空増増増増増増網網網網網網網網網網網―――――――網根――――――
宗:宗谷支庁――――――――増増増空空増増増増増増増網網網網網網網網網網網網―――網網根根――――――
網:網走支庁――――――――増増増空空増増増増増増増増網網網網網網網網網網網網網網網根根根――――――
蘭:室蘭支庁――――――――増増増空空空増上上上上上上上網網網網網網網網網網網網網網根根根根―――――
浦:浦河支庁―――――――増増増空空空空上上上上上上上上網網網網網網網網網網網釧網根根根根根―――――
釧:釧路支庁――――――札増増空空空空空上上上上上上上上上網網網網釧釧網網釧釧釧釧釧根根根根―――――
西:河西支庁――――――札札札空空空空空空上上上上上西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧根根根根根――根根
根:根室支庁――――――札札札空空空空空空空空空西西西西西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧根根根根根根根―
――――――――――――札札札空空空空空空空空空西西西西西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧根根―――
――――樽樽樽―――――札札札札空空空空空空空空空西西西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧――――――
――――岩樽樽樽樽樽樽樽札札札札空空空空空空空空空西西西西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧――――――――
―――――岩岩樽樽樽樽札札札札札空空空空空蘭蘭蘭蘭西西西西西西西西西釧釧釧――――――――――――――
―――――岩岩岩蘭蘭札札札札札札札札空空蘭蘭浦浦浦西西西西西西西西西西西―――――――――――――――
――――岩岩岩蘭蘭蘭蘭札札札札札蘭蘭蘭蘭蘭蘭浦浦浦西西西西西西西西西―――――――――――――――――
――寿寿寿寿蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭浦浦浦浦西西西西西西西西――――――――――――――――――
寿寿寿寿寿蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭―――蘭蘭浦浦浦浦浦浦西西西西西西―――――――――――――――――――
檜檜檜檜田―――蘭蘭蘭蘭蘭―――――――浦浦浦浦浦浦浦西西西西西―――――――――――――――――――
檜檜檜檜田―――――蘭蘭――――――――――浦浦浦浦浦浦西西西――――――――――――――――――――
檜檜檜田田―――――蘭――――――――――――――浦浦浦浦浦西――――――――――――――――――――
-檜檜田田田―――――――――――――――――――――浦浦浦浦――――――――――――――――――――
――檜檜田田田田田――――――――――――――――――――浦浦――――――――――――――――――――
―――檜檜檜田田田田田――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――檜檜檜田田田田田田田――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――檜檜田田――函田田―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――檜檜田田田――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――松松松松―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――松松―――――――――――――――――(注)簡略図ですから、島嶼部については、省略してあります。

下記URLは、以前、鰊漁をご紹介したときに見つけたものですが、旧国名で分けた地図を、紹介されています。
http://www.onitoge.org/nyumon/gyosei3.htm
[15872] 2003年 5月 25日(日)07:25:36三丁目 さん
目で見る北海道(現14支庁)
――凡例――――――――――宗-宗――――――――――――――――――――――――――――――――――
石:石狩支庁――――――――宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――――――
後:後志支庁―――――――宗宗宗宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――――
空:空知支庁―――――――宗宗宗宗宗宗宗宗――――――――――――――――――――――――――――――
渡:渡島支庁―――――――萌萌萌萌萌萌宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――
檜:檜山支庁――――――――萌萌萌萌上宗宗宗宗――――――――――――――――――――――――――――
胆:胆振支庁――――――――萌萌萌上上上宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――
日:日高支庁――――――――萌萌萌上上上上宗宗宗網――――――――――――――――――――――――――
上:上川支庁――――――――萌萌萌上上上上上網網網網網――――――――――――――――――――――――
萌:留萌支庁――――――――萌萌萌上上上上上上網網網網網網――――――――――――――――網根――――
宗:宗谷支庁――――――――萌萌萌空空上上上上上網網網網網網網―――――――――――――網根―――――
網:網走支庁――――――――萌萌萌空空上上上上上上網網網網網網網網網網網―――――――網根――――――
十:十勝支庁――――――――萌萌萌空空上上上上上上上網網網網網網網網網網網網―――網網根根――――――
釧:釧路支庁――――――――萌萌萌空空上上上上上上上上網網網網網網網網網網網網網網網根根根――――――
根:根室支庁――――――――萌萌萌空空空上上上上上上上上網網網網網網網網網網網網網網根根根根―――――
―――――――――――――萌萌萌空空空空上上上上上上上上網網網網網網網網網網網釧網根根根根根―――――
――――――――――――石萌萌空空空空空上上上上上上上上上網網網網十十網網釧釧釧釧釧根根根根―――――
――――――――――――石石石空空空空空空上上上上上十十十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧根根根根根――根根
――――――――――――石石石空空空空空空上上上十十十十十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧釧根根根根根根根―
――――――――――――石石石空空空空空空上上上十十十十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧根根―――
――――後後後―――――石石石石空空空空空上上上上十十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧――――――
――――後後後後後後後後石石石石空空空空空上上上上十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧――――――――
―――――後後後後後後石石石石石空空空空空上上上上十十十十十十十十十釧釧釧――――――――――――――
―――――後後後後後石石石石石石石石空空胆胆日日日十十十十十十十十十十十―――――――――――――――
――――後後後後後後後石石石石石胆胆胆胆胆胆日日日十十十十十十十十十―――――――――――――――――
――後後後後胆後後胆胆胆胆胆胆胆胆胆胆胆胆日日日日十十十十十十十十――――――――――――――――――
後後後後後胆胆胆胆胆胆胆胆胆胆―――胆胆日日日日日日十十十十十十―――――――――――――――――――
檜檜檜檜渡―――胆胆胆胆胆―――――――日日日日日日日十十十十十―――――――――――――――――――
檜檜檜檜渡―――――胆胆――――――――――日日日日日日十十十――――――――――――――――――――
檜檜檜渡渡―――――胆――――――――――――――日日日日日十――――――――――――――――――――
-檜檜渡渡渡―――――――――――――――――――――日日日日――――――――――――――――――――
――檜檜渡渡渡渡渡――――――――――――――――――――日日――――――――――――――――――――
―――檜檜檜渡渡渡渡渡――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――檜檜檜渡渡渡渡渡渡渡――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――檜檜渡渡――渡渡渡―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――檜檜渡渡渡――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――渡渡渡渡―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――渡渡―――――――――――――――――-(注)簡略図ですから、島嶼部については、省略してあります。
[15820] 2003年 5月 24日(土)15:58:59【1】三丁目 さん
お礼と、レスと。
[15664]TKS-Hさん
>「北海道大百科辞典」は、朝日新聞社から出版されていた本だそうですが、現在は絶版です。
書店も来店客の依頼にはしっかり調べて欲しいですね。北海道新聞社の発行です。
情報、どうもありがとうございました。最初に行った大きな書店で聞いたら「朝日新聞社から出版されていますが、当店には在庫がございません」と言われたので、次の大きな書店で確認したら「現在、絶版です」だったのです。そういう意味では、最初の書店のツミ?が深いのでしょうかね。

国会図書館はもとより、都立3図書館にもあります。ネット上での蔵書検索が可能な10か所の区立図書館の中では江東区と墨田区にあります。
また、本の所在についても、教えて頂きありがとうございました。自分の定期券利用の範囲内で、行きやすい区立図書館を探したものですから、都立図書館は盲点でした。上下巻に分かれているほどですから、しっかりした辞典のようですね。さっそく明日行きやすいところへ、と思ったら「5月22日(木)から6月5日(木)まで特別整理のため休館します。」とHPに出てました。でも、区立図書館のバックアップということで、都立図書館から区立図書館への貸出でも閲覧可能とも聞きましたから、とりあえずそれでお願いしてしまいました。

[15684]uttさん
「北海道のへそ」は、一つの「島」としての北海道(もちろん、利尻とかも除いて)では富良野市になるのでしょうか??
富良野市HPによると「北海へそまつり」の紹介文中で、
昭和44年7月、富良野市民憲章が制定された。その中に「私達は北海道の中心標の立つ富良野市民です」の一文がある。
物にはすべて中心があり、人体の中心はへそ。だから、北海道の中心標は、いわば北海道のへそである。これを郷土芸能に具象して将来の観光や商業の発展に結びつける方法はないものか...。誰いうともなしに、その発想は波紋を広げていくことになる。つまり、「北海へそ祭り」のすべては、この市民憲章から始まったのだ。
だそうでして、uttさんが[11313]でご紹介されているのは、面積重心地点(数値的データに基づき計算により算出したもの)なのに対して、富良野市は漠然とヘソ宣言している程度ですから、まぁ、そんなとこ、ということでいかがでしょうか、ね(笑)。

[15718]NSさん
[15724]雑魚さん
南富良野町について、フォローありがとうございました。
[15789] 2003年 5月 23日(金)18:30:00【1】三丁目 さん
本、の関係でレスをまとめて見ました 
[15748]太白さん
私なんか、三丁目さんに北海道の話を「気になりますねえ…」とか調子に乗りながら、一方的に教えてもらってばかりですけどね(笑)。
あれは、「塩」ですからね(笑)ムシャムシャ。特に、北海道の支庁名の由来みたいなものは、図書館で調べないと出てこなかったし、アメリカ在住の人では、調べたくともそういう類の本は近くにないですし、ね。

[15728]カッパーさん
質問の原文を読んでいないから、わかりませんけれども、落書き帳の大人たちのレベル(高い!と思う)は時間をかけて、身につけていきましょうね。ただ、自分がちゃんと調べたいときには、ネット検索ではなくて、図書館で調べるのを基本にしてほしいなぁ、という思いはあります。ネット検索を否定するつもりはありませんが、最終的なよりどころは、やはり本(図書館)だと私は思うのです。
ところで、参考になるかどうか。図書館で自分が探したい件について記述されている本を、見つけ出すのも一苦労です。そんなときは「北海道の支庁名の由来を調べたいのですが。例えば、胆振支庁とか日高支庁など」と図書館の人に具体的に相談すると、比較的早く見つけられますよ。実は、そうやって、私は角川辞典があることを教えてもらったのです。

[15747]Issieさん
フィンランドについて具体的なイメージを持てたのは「カトリ」のおかげなのですよね(中略)。
全般にマイナーな原作の少なくないこのシリーズの中でも,「カトリ」の原作のマイナーさはぬきんでています。おそらく,きちんとした完訳本など,放送以前も以後もないのではないかと思われます。
え~っと。この件は私の同僚がフィンランド等へ行く際に、私が数点ほどかの国にかかる資料を示してあげたら、後日この本を貸してくれました。いのちのことば社から出版されていて、小学校3、4年生向け、という感じでしょうか。大人がまじめに読むには物足りませんが、これが、現在日本で唯一、手に入る翻訳モノだそうです。

[15720]黒髪さん
「幸福の王子」であることはすぐにわかるのですが,地理ネタにからめるにはちょっと調査が必要かと思い,(中略)これはフランスのお話です。
他意がないのは理解しているつもりですが、私の書込みも、全く地名に触れなかったわけでは、ないわけでして。
さて、きょうは有給休暇を取ってましたから、午前中に時間があったこともあり、図書館で少しだけ調べてみましたが、「幸福な王子」富山多佳夫訳(青土社)を読む限りは、
「ヨーロッパの北の天気って、ほんとにひどい。」
「わたしが住んでいた悲しみのないサン・スシの宮殿には」
指している宮殿が、サン・スーシ宮殿のことだとすれば、ドイツではないかと思いましたが、いかがでしょうか。というのも、私が授業で読んだときには、舞台はイギリスとなぜか覚えていて、気になったものですから。
オスカー・ワイルド研究本か何かで記述されているのだとすれば、別に構わないのですけどね。サン・スーシ宮殿は、世界史で聞いた記憶があったので、辞典で調べてなんとか見つけました。
[15716] 2003年 5月 22日(木)19:02:39三丁目 さん
ちょっと遅いレスも含め、もろもろ
富良野関連で、あれほどレスを頂けるとは、予想もしておりませんでした。どこか、皆さんの琴線にふれるところがあったのでしょうかねぇ。ジツは、皆さんの多くは、女性だったりして。マサカぁ?
ちなみに私が北海道で好きなところは、地元だったクッタラ湖(漢字で倶多楽湖と書くこともあるようですが、私はカタカナ表記の方が好きです)なのです。あるいは、初めてダイヤモンドダストを目にした、サホロスキー場も、地名として忘れがたいですけれど、ね。あ。ここからは独り言ですが、また執筆テーマが、そろそろ数少なくなってきちゃいました。何か思い浮かぶところがあれば、ヒントを頂けると幸いです。さて。。。

[15550]でるでるさん
こんなところにも合併情報が(*^^*)
丁寧に読んで頂いていることに、感謝です。たまには、私の書込みの中でも合併を絡めた話をすることがあるのですよ(笑)。実は、未定稿は、どちらかというと合併をメインにしたストーリーにしようかと考えておりました。
遅れ馳せながら、400書込み、おめでとうございました。

[15648]kenさん
メールをお送りしようかと一瞬思ったのですが、自分の観察のご紹介というより、kenさんの書込みへの感想ばかりになるので、やめちゃいました。でもあの中では、私が知っていた説もいくつかご紹介されていたから、フムフムそうだよねぇ、と思いながら、とても興味深く拝見しておりましたよ。
これまた遅れ馳せながら、500書込み、おめでとうございました。

[15670]雑魚さん
欧州と思しき街に建つ王子様の銅像に関する童話
こういう類は、落書き帳では「それは~~では」と、すかさず誰かが反応されるのに、珍しいこともあるものですねぇ。マイペースの私でも、追いつけるだけの時間がありました。オスカー・ワイルド作「幸福の王子」ですね。ダブリン生まれのイギリスの劇作家・小説家、と紹介されますね。たまたま、大学の英語の授業で読まさせられたのが、記憶に残っておりました、

[15701]雑魚さん
「雑魚」というよりは「外道」と感じられる事でしょうが、実は私、「北の国から」は とんねるずのパロディーしか存じませんで、「昨日、悲別で」に至っては知識ゼロ。
いや。実は、私もTVドラマは見かけた程度、というだけで、ほとんど知らないのです。だから、ドラマの舞台と現地との関連性が、サッパリわからんのです。観光に大きな影響を与えたことを知っているくらいでして(汗)。
[15715] 2003年 5月 22日(木)18:38:40【1】三丁目 さん
富良野(オマケ編)
富良野市については、合体市制施行ということで、ちょうど興味を持っていたところでした。ということで、まずは富良野史のご紹介から。左から右へ、分村していった経緯となります。

富良野村上富良野村上富良野町(1951年、町制施行)
中富良野村中富良野町(1964年、町制施行)
下富良野村富良野町富良野市(1966年、市制施行)
南富良野村南富良野町(1967年、町制施行)

ちなみに、富良野市は、確かに合体市制施行ではありますが、今回調べてわかったのは、もともと旧山部村が下富良野村(旧富良野町)から分村し、そことまた富良野町がくっついて市制施行したのですね。

それで、富良野地区については、それぞれ、かみふ、なかふ、ふらの、と略して呼び分けますが、南富良野町だけは、我が地理アドバイザーと私は、少なくとも略すのを聞いたことがありません。ところが、ネット検索をしてみたら、なんぷnanpuと出てきたので、オドロキました。「「観光客に対してガイドさんが「なんぷ」と呼んでいると紹介することを、決してやめろなどとは言いませんが、私としては断固として、なんぷと呼ぶのは一般的ではないという態度を取りたい。」」と、アドバイザー殿は申しております。私も同感です。どうにも、コジツケにしか思われないのですよねぇ。地元からの反対意見があれば、お待ちしたいところです。もしかして、NSさんて、南富良野町にご関係がおありなのでしょうか?

また、アドバイザー殿の父君は、南富良野町のことは、幾寅、落合、金山、と集落名(駅名)でしか呼ばないそうです。上・中富良野町がひとつの集落名としてまとまっているのに対して、南富良野町という呼称は集落名として定着しておらず、町民もそれぞれの集落名の方に愛着をもっているからかなぁ、と思いましたが。

ちなみに、このような認識だったため、さすがのアドバイザー殿も、今回、共同調査するまでは、幾寅村、落合村、金山村あたりが合併して、南富良野町になったのだと誤認していたそうです。恥ずかしい話だけど紹介していいよ、とOKをもらいましたので、蛇足のエピソードです。その程度の私たちなものですから、
[15667]NSさん
あと、富良野地域といえば、1市2町以外にもう1つ、「南富良野町」もお忘れなく。
(1日コースに入れるにはちと厳しい立地ではありますが、ここにも見どころはいくつかあります。あえて書きません。三丁目さん、こちらの方のアップもお待ちしております)
せっかくお待ち頂いたのに、あつかましいお願いで恐縮ではありますが、南富良野町については、フォローして頂けませんでしょうか?この書込みをもって、用意していた富良野編は、全部終わりなのでした(大汗)。
[15661] 2003年 5月 21日(水)20:43:19【1】三丁目 さん
「Re: 富良野」、を頂けるとは思ってもおりませんでした。
[15658]NSさん
美瑛町の「パッチワークの丘」「拓真館」も旭川空港と富良野地域の間の目玉として観光コースに組み入れられていますね。
レス、ありがとうございます。ジツハ、美瑛については、別稿を暖めておりました。我が地理アドバイザーも、あの書込みの元原稿の中では、美瑛についてふれていたのですが、あえて私の判断で落としてしまったのです。

と申しますのも、美瑛は、やはり単体で述べたいのです。富良野と、たしかに風景が似ており、観光ルートとしても一体化されている感はありますが、美瑛はあくまでビエイ。その名はあえて、独立してご紹介したかっのです。。。それは、私のコダワリ、でもあります。ということで、今しばらく、お待ち頂けますでしょうか?

でも、用意していた未定稿の一部をちょっと、NSさんにコメントされちゃったなぁ。
[15659] 2003年 5月 21日(水)20:25:33【2】三丁目 さん
推奨アーカイブ作業、スムーズでした。
[15605]オーナーグリグリさん
アーカイブズ推奨における暗証コード不具合の件、修正しました。まがみさん、情報をありがとうございました。三丁目さん、もう大丈夫だと思います。ご確認ください。
先ほど作業したところ、暗証コードを入れなおすことなく、作業を終えられました。オーナーグリグリさんにおかれましては、お疲れ様でした。とともに、どうもありがとうございました。ちなみに、私が新たにご推奨したアーカイブテーマは、コアなためなのか、今のところワタクシだけが推奨するテーマのようですね。ま、それも、自分の基準をかつて述べましたから、経緯を好む私の、傾向を現しているような気がしました。

なお、体調を崩されたゆえ、ご養生なさってくださいね。

かくいう私も、昨日は、早朝から熱が出て、マサカSARS?かと思ったのですが、よく考えてみたら、前日の深酒が原因のようでした。たぶん、長時間にわたるお酒の飲みすぎのために、脱水症状を起こしたようです。中学3年生のとき、初めての受験勉強のために張り切って頑張りすぎて、風邪をものともせず、肺炎=脱水症状まで至ってしまった自分がカワイカッタ。。。申し訳ありません、これは独り言です。
[15652] 2003年 5月 21日(水)18:35:50【2】三丁目 さん
富良野(太白さんからの戴きもの編)
[14604]太白さん
むしろ、富良野が観光開発に成功したのは何故かが若干気になります。ソフト面で成功したのか、あるいは「北の国から」効果か…(例えば、大河ドラマの舞台となった街は観光客が増えると聞きますので)

この件に係るお答については、我が地理アドバイザー(旭川出身だから、自分の庭のようなものと豪語してますが)からの情報をメインに進めます。それで、結論からすると、なんといっても、「北の国から」効果が大きいと思われます。

大河ドラマならば1年限りで、観光ブームもすぐに冷めてしまいますが、「北の国から」は、20年にわたって何年かおきに続編が放送されるという、一地方を舞台とするTVドラマとしては異例に長いシリーズであったため、富良野は長い間、観光客に忘れられることなく、ネームバリューを保ち続けることができたのでしょうね。倉本聡サマサマです。

上富良野町のラベンダー、中富良野町の富田ファーム、富良野市の麓郷の森(北の国からのロケ地)と、1日コースで回れる一連の観光の目玉が、特に若い女性にウケたことと、フラノスキー場周辺に、ホテル、ペンション街が発展し、宿泊客の収容力となって、多くの観光客が訪れることとなりました。

また、北海道の真ん中という地理的条件も、発展の一因と思われます(富良野市自称、北海道のヘソ)。古くからの観光地である、登別温泉・洞爺湖地域と、阿寒湖・摩周湖地域からは距離が遠いため、同様な立地であるトマム(占冠村)、サホロ(新得町)などとともに、その中間宿泊地点にあたります。これら二つが山岳リゾートなのに対して、富良野は、広大な田園風景が特徴的だったために、異なった風景を持つ魅力が、アピールしたものと考えられます。

北の国からシリーズが始まった頃は、ちょうど石勝線が開通した時期(拙稿[15543]をご参照下さい。)と重なり、それまで道東行きの特急列車が停車していた富良野は、スキー客も観光客もトマム等に奪われ、今後さびれてしまうのではないか、と悲観されていましたが、良いタイミングで「北の国から」が始まったものですね。

かつては、スキー場の名は「北の峰スキー場」でした。それがフラノと改称され、本州からもスキー客が押し寄せる、一大スキーリゾートに発展しました。また、ワールドカップが開催されたことも、ゲレンデのイメージアップにつながっていると思います。スキー場の知名度としては、トマム、サホロも躍進したのですが、いかんせん夏の観光目玉に乏しかったために、通年観光客を引き付けることができた、富良野の方が、成功しているのではないでしょうか。

そうはいっても、観光イメージを保ちつづけることは難しいですから、「北の国から」が終わってしまった今は、富良野はこれからどうしようかと、模索しているところのようです。と、地理アドバイザーは申しておりますが、私は、一度よい観光イメージが植えつけられれば、大きなマイナス要因でも発生しない限り、そこそこやっていけるのではないか、と考えております。皆さんは、どう思われますか?やっぱりいずれは、斜陽都市の仲間入り、ですか?

なお、北海道のヘソの話の蛇足として、富良野市では「北海へそ祭り」が、毎年7月に開かれています。HPを読むと、市制施行時に制定された富良野市民憲章に由来するそうで、そういえば、私の先輩社員が富良野在勤時に、この祭りに参加させられた、と言ってたことを思い出しました。
[15601] 2003年 5月 20日(火)19:53:10【2】三丁目 さん
北九州市よりも金沢市の方が?
先日、北陸経済特集をしていた新聞記事の中で、「日銀金沢支店長に聞く」というコーナーがあり、その中で現支店長の経歴が簡単に紹介されていました。本店課長~北九州支店長~本店参事役~金沢支店長、でした。記事では、もうちょっと詳しい経歴が紹介されていましたが、これを見る限りでは、ご栄転されているようでして、えっ?北九州市より金沢市の方が日銀にとって格が上なの?と一瞬思いましたが、

[14440]TKS-Hさん
小樽支店の廃止は北九州支店の廃止と抱き合わせで表明されたのですが、小樽支店のほうが廃止まで進んだのに対し、北九州支店のほうは事実上沙汰やみの状況になった、この違いがどこにあるのかはちょっとわかりません。
を覚えていましたから、納得しました。一般事業会社の人事異動でのご栄転ルートは、たしかに、その都市の経済規模に見合った事業所があることが多いとは思いますが、その会社にとって、その都市がどれだけ大事か(あるいは管轄地域)ということも反映していることを考慮すると、日銀の支店長の人事異動=「支店の格」は、(経済規模的に)比較的ニュートラルな判断で行われているのではないか、と私は思っています。

そういう点で、日銀支店長の人事異動ウォッチャーも、面白いのではないかと思ったのですが、私自身が日銀に勤めているわけではありませんから(苦笑)、全体を見るのは困難なのです。また、何かの機会で目にとまり、面白そうだったら、ご紹介したいと思いました。
ちなみに、経歴を見ると2年に1度異動されているようですから、ちょうど、今年でまる2年の任期を迎えるため、金沢支店長の次はどちらへ異動されるのかなぁと、勝手に興味を持ってしまいました。
[15543] 2003年 5月 20日(火)00:21:24【1】三丁目 さん
道央(札幌)から道東(帯広、釧路)へのルートの変遷
現在は、国道274号線(石勝樹海ロード)で、札幌から一気に道東方面へ行けますが、始めは違いました。まさに、北海道開拓の歴史(比較的最近のこと)、と呼ぶにふさわしい、ルートの変更がありましたから、ご紹介したいと思います。

道東方面へとつながる道路の最初の整備は、狩勝峠越えで、滝川~富良野~帯広へと、1897年(明治30年)に開通しました。ただし、この道路は、現在の狩勝峠越えよりも6km南の別ルートで、馬車の通行もままならない狭路だったため、現在の狩勝峠に道路開削されたのは、1931年(昭和6年)です。

このルートが、最も低い標高で山を越えられるためで、国道38号線として、最初の道東への幹線道路でした。この道路は、札幌から国道12号線で北上し、滝川を起点としてここで東へ曲がり、芦別、富良野、南富良野(幾寅、落合)から狩勝峠を越えて、新得、清水、芽室を通って帯広、釧路へと続きます。

札幌から帯広への最短コースは、夕張市、清水町、と抜けていく山間部ルートですが、その一部として、日高町から清水町までの日勝峠ルート(国道274号線)ができます。これは1965年(昭和40年)のことです。このルートは、札幌~(国道36号線)~苫小牧~(国道235号線)~富川~(国道237号線)~日高町~(国道274号線)~帯広、と大きく南を回るため、札幌~帯広間は、札幌~滝川~帯広(国道12、38号線)ルートに比べると、43kmの短縮にしかなりませんでした。

次に、夕張市から穂別町までの山間ルートが、道道から国道274号線へと1970年(昭和45年)に移行し、苫小牧を回らずにすむようになったことから、札幌からの経路は国道274号線の札幌市・厚別~長沼~由仁~夕張(川端、紅葉山、楓)のコースに変わりました。この時は、夕張から山越えした後、一度穂別町稲里で現道道74号で南下し、穂別町の中心を通り、現道道131号で穂別町富内を通って、平取町幌毛志、振内に出ます。ここから国道237号線で、日高町まで行くというルートです。

1985年(昭和60年)、国道274号線は、穂別町福山まで開通しました。このときは、国道274号線で福山まで行き、そこから現道道610号で南下して穂別町富内まできて、それから現道道131号で幌毛志に出て国道237号線を北上と、このあたりは先述のルートと同様です。たぶん、私が通ったのがこのルートだと思うのですが、片道1回しか通っていないので、記憶に自信がないのです。また、道道の状況から考えると、冬場はたぶん、穂別町福山まで東進はせず、穂別町稲里で南下したと思います。

そして、1991年(平成3年)に、夕張から日高町までの通称石勝樹海ロード(国道274号線)が全線開通し、札幌~夕張~日高町~日勝峠~清水町~(国道38号線)~帯広の最短コースが、道東への主要幹線になりました。最後に完成した、穂別町福山~日高町の区間は最も難所で、長いトンネルと谷間橋が連なる、近代土木技術ならではのルートです。

その後、道央自動車道の恵庭、千歳間のジャンクションから夕張まで高速道路ができ、清水町から池田町までの道東自動車道もできましたが、石原行革担当大臣をして、熊しか通らないと言わしめた、「閑」線道路となっております。

ちなみに、道央から帯広・釧路方面への鉄道ルートは、1907年(明治40年)に、札幌~旭川~富良野~落合~帯広経由として開通しました。それが、1913年(大正2年)に滝川~富良野間が開通したことにより、長らくそのルート(現根室本線)による輸送が続きました。それから遅れること約70年、1981年(昭和56年)に石勝線が開通したことで、ようやく現在の鉄道体系ができあがったのでした。以後、札幌と帯広・釧路とを結ぶ特急列車は、滝川・富良野経由から、すべて石勝線経由に変更されて、所用時間が1時間余り短縮されました。

かつて、陸の孤島と呼ばれた占冠村は、石勝線開通以前は、根室本線・金山駅から、または旧富内線・日高町駅から峠を越えていくか、しか交通がありませんでした。しかし、同線開通後は、石勝高原駅(現トマム駅)、占冠駅が特急停車駅となり、日高町は富内線の廃線で、立場が逆転してしまいました。

日高町も、その後の石勝樹海ロード開通のおかげで、陸の孤島にはならなかったものの、鉄道を利用して札幌へ行くためには、バスで占冠に行ってJRに乗り継ぐのが最短コース、という状況なのと、バスで札幌へ行く場合の直通の本数が多くないことから、立場の低下は否めません。ただ、札幌から帯広へ向かう観光バスは、「夕張市紅葉山から清水までの長い山岳区間のうち、町らしい町は、ほぼ中間の日高町だけであるため、道の駅・日高は、行楽シーズンには、トイレや売店レジに行列ができる大盛況です。」とのコメントも、我が地理アドバイザーからもらっています。

どちらかというと、占冠村は躍進、日高町はそこそこ、穂別町は無念(主要幹線から町の中心がはずれた)、なのではないでしょうか。

[14259]uttさん、
○占冠の無念・・・石勝線は通っているものの、なぜ石勝樹海ロードのコースから外れたのだろうか?峠の高さから見て、占冠~トマム経由のルートの方が経済的で維持(除雪)も容易と思われるのだが。
ということで、国道274号線のルートの経緯、そして鉄道の石勝線開通とあわせると、前述のように、私には思えたのですが、いかがでしょうか?

[15510]seahawkさん
道東自動車道
工事の難所でも札幌とつなげなければ意味がないと思います。もし道央道とつながれば、道東は農業、漁業がさかんなのである程度のメリットは期待できるのではないかと思います。
このお話しがありましたので、この原稿を繰り上げ書き込みしましたが、「熊の道」がそれほど改善されるとは、私には思えないのですけれど、ね。まっすぐな道でトンネルが山を貫くルートばかりだと、冬場の利用は少しはマシかもしれませんけど。でも、それだと建設費がかなり高くつきますよね。
[15459] 2003年 5月 18日(日)16:21:52【2】三丁目 さん
アーカイブテーマの推奨エラー、は、解消できました。
[15452]オーナーグリグリさん
>以前、一度作業したからでしょうが、暗証コードの入力は求められません。
この件、よく分かりません。「暗証コードが違っています」のエラーが出た場合には、次回も「暗証コードの入力」を求める設計になっています。技術的に言えば、エラーの場合にはクッキー保存は行いません。
舌足らずな表現で、申し訳ありませんでした。この件については、両毛人さんが、[15380]で教えて下さった
Cookieを削除してみてください。ツール→インターネットオプションと選択し、真ん中の「インターネット一時ファイル」の部分の「Cookieの削除」で、Cookieを削除します。
で、対処できました。私が以前、まとめてアーカイブ推奨したときは、1件登録が終わるたびに、戻るボタンで戻したところ、最初の2、3件はうまく入ったのですが、それ以外はうまく推奨が入っていなかったのです。それで、昨日改めて、推奨作業を行ったところ、前述の暗証コードエラーメッセージが表示されたのです。両毛人さん、お礼が遅くなりましたが、どうもありがとうございました。
ちなみに、今朝は、1件推奨が終わるごとに、落書き帳トップページを改めてよんで、そこからアーカイブを推奨するようにしました。ただ、どこに私の暗証コードが保存されたのかわからないのですが、それでも暗証エラーが出ましたから、毎回「Cookieの削除」を行い、暗証コード画面を呼び出して、推奨しました。今回は、気になりましたから、念のため、全部の推奨を終えてから、いったん電話を切って、もう一度つなぎ直してから確認したら、全部推奨が入っていました。
たぶん、今後も新規テーマで私が推奨する際は、毎回「Cookieの削除」を行ってから、という手順になるのかな、とは思っていますが、私自身は、その作業はたいした手間とは思っておりませんけれど。

なお、フォントサイズについては、現在の表示に私は慣れましたから、このままが良いと私は思っています。たしかに、マルなのかテンテンなのか判別し難いという点はありますが、文脈の流れで、わかりますし、自分が手持におきたいお話については、ワードにコピーするなどで、個人的に保存していますしね。

あ。それと付け加えるようにお願いして申し訳ありませんが、拙稿[15186]にある「トカチプ」を「トカプチ」に直して頂けませんでしょうか。その後の文章の流れが若干、崩れてしまいますが、[15272]を、アーカイブで一緒にして頂けなければ、誤ったままになってしまい、それでは角川書店に申し訳ないものですから。
[15377] 2003年 5月 17日(土)06:07:45【1】三丁目 さん
アーカイブテーマの推奨エラー
このアーカイブを推奨する>初めてのときは暗証コードの入力>推奨しますをクリック
とすると、以前、一度作業したからでしょうが、暗証コードの入力は求められません。それで、推奨しますをクリックすると、暗証コードが違っています、とエラーになってしまうのです。もう一度、暗証コード入力作業をする必要があると思いますが、WindowsXPが?IEが?PCが?覚えてしまっているようなので、どうすれば入力画面を呼ぶことができるのでしょうか?
お恥ずかしい質問で恐縮なのですが、ワタクシ、パソコンは作業のツールとして、必要最低限のことしか知らないのです。基本的には自助努力するのですが、知らないことのほうが多いものですから(汗)。
[15351] 2003年 5月 16日(金)19:10:46【2】三丁目 さん
記事検索機能アップでオーナーグリグリさんに感謝っ!、とレス、とリンクの仕方について
[15292]オーナーグリグリさんへ
実はかねてから、記事検索については、期間よりは、記事番号で区切った方が良いのではないか、と思っていました。でも、そのことは、なんか余計な作業をお願いするようで、控えていたのです。それと、最近は、検索をすることなく、辞典丸写しネタで、コツコツとやってましたし。
久しぶりに記事検索画面を開いて、私のイメージしていたとおりになっていたので、うれしくなりました。これで、釧路区の検索をサボッたりはできなくなりましたね(笑)。本当に、どうもありがとうございました。

[15260]太白さん
(北海道の支庁名の由来が)アーカイブスに収録されたようですので、お勧めに指定させていただきました。
過分なお言葉、ありがとうございます。せっかく頂いた塩ですから、大切にしていますよ、フフッ(笑)。でも、こんなにダラダラと、他のことまで書くとは、予想されていなかったのではないでしょうか?私が手をつけるからには、19支庁まで遡って、ゼ~ンブ調べちゃいますよ\(^O^)/
なお、他のテーマについても、我が地理アドバイザーからは、コメントをもらったところなのですが、空港や苫東とは異なり、私のテイストを少々加えているところですので、今しばらくお待ち下さいませ。
ただ、今回の語源調査で、室蘭の由来モロランは、室蘭民報かどこかで読んだ記憶はあったのですが、あそこまで具体的な記述があることをもっと早く知っていれば、崎守付近をもう少し注意深く見ておけば良かったのに、とちょっと後悔しました。
また、「箱」館も、諸説があることを初めて知りました。館が箱に見えるから、と、どこかで目にしたそのままと、思っていましたから。

[14259]uttさんへ、も、太白さんと同様なのです。ただし、大樹町については、いろいろと調べているのですが、どうしても、雪印という一企業の話がメインになってしまうから、どのようにまとめたら三丁目風味にできるか、悩んでいるところなのです。大樹町HPからは、私が期待するような情報が得られなくて、雪印の話に深入りしないようにすると、辞典情報の切り貼りになってしまうから、話が膨らまないのですよねぇ。ちょっと難しそう、というか、テキトーにしてしまうかもしれません。その節は、ご容赦くださいね。

[15280]YSKさん
問題提起→提起への回答→問題の解答編 という流れを重視しました。
了解しました。いろいろ工夫されているのですね。ご努力には、頭の下がる思いです。
ちなみに、今朝、推奨作業を行ったのですが、職場で確認したら、また入らなかったので、もう一度しますね。手順は、以前行ったとおりしていますから、間違っていないはずなのですが。
それと、これは迷っているところです。北海道の14支庁管轄字図(作成済)と、1897年当初の19支庁管轄字図(作成中)なのですが、書き込むかどうか、です。支庁境に必ずしも大きな意味があるような気はしませんが、なかなか、19支庁で分かれた図が、ネットでは見つからなかったものですから。見比べるのも面白いかな、と思ったものですから(現在に至るまでには、郡の一部が動いたりしているので)。旧国名別はリンクフリーサイトを見つけましたから、そのURLをご紹介しようかと考えていましたけれど。
それで、これに関連して下記の質問につながりますが、

[13277]ゆうさん
まず、相手先サイトでリンクに対する考え方が書いてあれば、それに従うように努めるのがいいと思います。
私がURLを紹介する場合は、公共団体以外の、法人又は個人が作られているHPの場合、トップページを探してリンクフリーに類する言葉があればご紹介しますが、そのような言葉が見つからなかった場合は、控えているのです。この姿勢でのぞんだ方が、安全ですよね?
[15347] 2003年 5月 16日(金)18:40:06【2】三丁目 さん
支庁名の由来(旧19支庁等編。ラストです。)
今回の出典も、角川日本地名大辞典(昭和62年10月8日発行)です。

札幌:古くは「しやつほろ」ともいい、察糸晃(糸辺に晃です)・札糸晃(糸辺に晃です)などとも書いた。石狩地方中部、石狩平野西部の琴似川・伏籠(ふしこ)川・豊平川流域。地名の由来には諸説があるが、アイヌ語のサッポロベツ[乾いた大きな川・乾く広い川の意]による説が通説となっている(札幌市史)。

函館:函館の地名は、享徳3年に松前藩の祖武田信広とともに蝦夷地に渡ったといわれる河野加賀守政通が建てた館が箱の形にみえたので箱館となったとする説、アイヌ語のハクチャシ[小さな館]からきたとする説(北海道蝦夷語地名解)、河野政通が文安2年に館を築いたとき、土中から筐筥(かごと箱)が出たので地名にしたとする説(蝦夷実地検考録)など諸説がある。

亀田:地名の由来には諸説がある。第1は、亀田一帯をシコツ[大谷の意]と称したが(北海道蝦夷語地名解)、和人が死骨に通ずるとして亀田と改めたとする説(松前紀行)。第2は、「(蛎崎)蔵人十ケ年前より北州カンメテ(今云亀田)切開と号」により(東北太平記)、カンメテが亀田となったとする説。第3は、現青森・秋田・新潟の3県に亀田の地名が多く、同地方からの移住者が出身地名をつけたとする説。第4は、「(亀田村の)湖は往古より大亀の済めるを以って四方を亀太の郡と云ふ」による説(明治19年各村創立聞取書)などがある。

松前町:地名は、アイヌ語のヲマツナイ[帰人のいる沢の意]に由来するとも(蝦夷地名考并里程記)、マッオナイ[帰人のいる所の意]に由来するともいわれる(北海道蝦夷語地名解)。いずれも、もとは現在の大松前川沿いの地名を指したものらしい。
すつつべつ:地名は、アイヌ語のシュフキペッ[茅の多い川の意]に由来し、寿都の語源ともなったという(北海道蝦夷語地名解)。なお、シュプウ[茅のある山崎の意]によるともいう(西蝦夷日誌)。
岩内:地名の由来には、アイヌ語のイワヲナイ[硫黄沢の意]による説(蝦夷地名考并里程記・西蝦夷日誌)、イヤウナイ[熊肉を乾かす沢の意]やイェオナイ[軽石が多い川の意]による説(北海道蝦夷語地名解)がある。

小樽:古くはヲタルナイといい、小樽内・穂足内とも書いた。地名の由来には、アイヌ語のヲタルナイ[砂の解ける小川の意]による説(蝦夷地名考并里程記)、ヲタルーナイ[砂路沢の意]による説(西蝦夷日誌)、オタナイ[砂川の意]による説(北海道蝦夷語地名解)、オタオルナイ[砂浜の中の川の意]による説(北海道駅名の起源・小樽市史)などがある。
増毛:古くはマスケともいい、増慶とも書いた。地名は、アイヌ語のマシュキニ[漁獲がとても多い所の意]に由来するという(北海道蝦夷語地名解)。また、マシケの意味には「鴎の多いところ」(西蝦夷日誌)、「焼いて背負う」(蝦夷地名考并里程記)、「良い」(丁巳日誌)などの諸説があるが、どれも鯡が多い、漁獲が多い意味に関連している。

室蘭:古くはモロランといい、諸蘭・茂呂蘭とも書いた。地名は、アイヌ語のモルエラニ[小さな下り路の意]に由来し(新室蘭市史)、この坂道は現崎守町仙海寺下の小路にあたる。
浦河:古くは「むくち」ムコチといった。地名は、アイヌ語のウララペッ[霧川の意]に由来し、元浦川の河川名にちなむ(北海道蝦夷語地名解)。なお、旧名のムクチは、アイヌ語のムコッチ[ツルニンジンのあるところの意]に由来(同前)。
河西郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、十勝川の西部に位置することによるというが、実際には十勝川の南に位置している(北海道の地名)。

紗那:地名は、アイヌ語のシャンナイに由来するといい、下る沢の意。
千島国:国名は、古くより北海道の本島を含めて「蝦夷ケ千島」と称していたことによる。
[15277] 2003年 5月 15日(木)20:32:07【2】三丁目 さん
推奨アーカイブテーマ
実は、朝に作業したときは、もうちょっと多くご推奨したのですが、IEで「戻る」を繰り返したら、少しだけになってしまいました。だから、朝の電話回線がすいている時間に、もう一度作業します。ただ、私がお奨めするのは、「自分」が面白いと思ったテーマ、興味を持ったテーマ、かねてから疑問・不思議に思っていたテーマ、ということになってしまうのですけれど、ね。
ところで「西宮市北部、塩瀬地区と山口地区が「西宮市」である経緯」を、朝お奨めしたのですが、あれも入らなかったようですから、もう一度やり直しますけど。同じ西宮市内なのに、市外局番が078で、あの地域に住むクラブ員に連絡するときは、なぜ同じ西宮市内なのに、市外通話なんだろう、と思っていたからです。それで、あのテーマが記事番号順になっていないのは、何か意味があるのでしょうか?通常は、若い番号の順ですよね。でも、あれは、らるふさん、ニジェガロージェッツさんの書込みが、後ろの方になっているので、あれれ?と思いました。
[15273] 2003年 5月 15日(木)20:05:13【2】三丁目 さん
3市広域行財政検討会(室蘭市、登別市、伊達市)
3市広域行財政検討会が平成14年に設置されましたが、各市のHPを見ると、トップページで市町村合併がすぐにわかるようになっているのは、室蘭市くらいで、登別市、伊達市のHPではどこにあるのか、見つけられませんでした。

そもそも、この3市が合併して「西いぶり市」(ワタクシの案)になるかというと、はてさて。というのも、室蘭市と登別市は、隣接する地区同士で、平坦地で一体となった市街地を形成しています。しかし、室蘭市から伊達市方面へ向かうと、ちょうど崎守のあたりから高くなり、白鳥台があって、黄金、稀府と地形的な制約を受けていることもあり、集落が途切れているのです。
ということで、登別市は細かくご紹介しますが。

1873年(明治6年)幌別郡村名布告、登別村・幌別村・鷲別村の3村となる。
1874年(明治7年)幌別郡各村戸長役場を幌別村に設置。
1919年(大正8年)三か村を大字とし、幌別村発足。(合併、と言うことでしょうね。)
1950年(昭和25年)幌別村開基80年記念式典。
1951年(昭和26年)幌別町制施行。
1961年(昭和36年)幌別町を登別町に改称。
1970年(昭和45年)登別市制施行。

この経緯から見ると、幌別がこれら地域の中心的な存在(行政的にも、郡名にあるくらいですし)だったから、幌別村になったのだと思われます。それが、全国的に有名な登別温泉の名を自治体名に使用することで、知名度のアップを図ったのでしょうか。

以前、白桃さんが[12140]で、幌別町と書かれていたことから、初めて登別市が幌別町であったことを私は知った、と書きましたが、それでも人口(今回はご紹介していませんが世帯数も)は、下記データのとおり、鷲別地区の方が多いです。ここは、室蘭市と隣接して、一体となった市街地を形成している地域です。かつては、幌別地区の方が人口が多かったのですが、1960年頃から鷲別地区内で区画整理が始まったことで、人口が増えました。

ご紹介が遅れましたが、登別市は大きく4地区に分かれ、ちょうど室蘭本線の駅と、概ね一致します(富浦駅周辺は、登別地区になります)。地区別の人口推移は、各年の9月末現在での住民基本台帳ベースになりますが、

地区名平成12年平成13年平成14年平成12年から14年へ減少した率(単位:%)
温泉地区1,9171,8281,7458.97
登別地区5,2995,2235,1383.04
幌別地区23,17922,99623,0970.35
鷲別地区25,29325,16025,0131.11
全市計55,68855,20754,9931.25

本当は、登別市HPによると1983年(昭和58年)時が最盛期人口59,481人ですから、それと比較すれば、差がわかりやすいのではないかと思いましたが、今回は、簡易な調査で済ませています。この3年間での推移だけでも、温泉地区での減少が顕著ですね。斜陽都市と言われると引っかかるところはありますが、人口が減少傾向にあることには間違いありません。

登別市から他市町村への就業者のうち、室蘭市へ向かう人は89%、伊達市のそれは49%です。また、通学者のそれは、登別市から室蘭市が92%、伊達市のそれが56%と、いずれの割合も、登別市と室蘭市の結びつきは強いです。大雑把に言うと、伊達市の室蘭市との親密度は、登別市の半分くらい、という感じです。(いずれも平成12年の国勢調査による)

それで、仮に3市が合併するとなると、どうなるでしょうか。
まず、伊達市は、地名・歴史へのこだわりが根強いのでは、という印象を受けました。伊達市HP>まちの歴史>伊達誕生記、を見ると、市町村の公式HPで、こんなに長く歴史を紹介しているところを、見たことがありません。開拓の祖伊達氏の起こりとして、12世紀から書き始めて長々と。とりあえずA4で打ち出してみたら、18ページにもなりました。とても、全部には目を通す気になりませんでしたよ、私は。だから、伊達市は、3市合併には加わらないのではないでしょうか。どちらかというと、虻田町、壮瞥町、洞爺村の方へ目が向いているようです。

と、だいぶ前からこの原稿を用意していたら、昨日(5/14)の北海道新聞に「伊達市に隣接する4町村(虻田町、壮瞥町、洞爺村、大滝村)が、伊達市への合併に動き始めた、と載っていました」との情報が、我が地理アドバイザーから寄せられました。私もネット道新を早速見ましたが、紙でパラパラと読むのとは違うから、この情報は見つけられませんでした。

なお、室蘭市については、新しく加える記述も特に浮かばないため、記憶だけで書いた拙稿[9574]、それを[11075]にて補足しましたから、もしよろしければご参照下さい。

ということで、合併の可能性があるとすれば、室蘭市・登別市ではないかと、私は思っています。「登別・室蘭合併協議会設置を求める市民の会」というのもできましたしね。もともと、両地域の市外局番も0143で共通でしたし。そうなると、新・室蘭市の誕生でしょうか。

でも、いろいろと調べてみると、登別市民にもいろいな思いがあるようです。室蘭市との合併に前向きな意見がある一方で、「なぜ室蘭市と一緒になるのか、白老だってある」など、合併相手を室蘭市に限定することに、慎重な意見の方が多いみたいです。そもそも、昭和の大合併時に、やはり登別・室蘭での合併話が浮かんだそうですが、当時は、日の出の勢いの室蘭市と、町制施行から日が浅い幌別町という関係でも、結局、立ち消えになってしまいました。

現在も、室蘭市議会では、登別・室蘭合併協議会設置を可決したのに、登別市議会は、この3月に否決しました。室蘭との合併しか考えられない、ではなく、広域的な視野で検討したいから、が理由だそうです。室蘭側からすると、4月の選挙を受けて、登別側がどう変わるかなぁ、という感じのようです。

元登別市民のワタクシとしましては、鷲別地区に住んでいたからかもしれませんが、室蘭市との合併がスムーズだと思うのですけれどねぇ。登別市と白老町とでは、ちょうど室蘭市・伊達市が地形的に一体でないのと同様に、市街地が途切れていますから。ちなみに、私のコア(笑)な調査によると、登別市内での4地区では、室蘭市との一体感に、温度差がある、と聞きました。そのあたりが、登別市内で、一体となって室蘭に目を向ける、という感じになっていない理由のようです。
[15272] 2003年 5月 15日(木)19:46:58【1】三丁目 さん
Re: 岩見沢支庁じゃないわけ
[15231]紅葉橋瑤知朗さん
>[角川日本地名大辞典には]北方領土関係について(千島国と紗那支庁)の、記載はありませんでした。
下巻の最後のほうに、北方領土だけ別になっていますが……。
昼休みに、図書館で確認してきました。上巻が地名編、下巻が地誌編ですから、前回図書館にこもったときは、上巻をメインで調べていましたので、下巻にはあまり目を通していなかったのです。でも、すぐおわかりになったということは、あのように高価な本をお持ちなのですか?私は、辞典系は、図書館を頼りにしているのですが・・・。

>帯広支庁にはならなかったのかというと、1897年(明治30年)当時は、まだ帯広という集落は、内陸だったために、開拓が進んでおらず大きくなかったからではないか、と。

う~ん、元が郡役所だったということを考えると…?
逆に、郡役所が置かれながら、帯広の地名が採用されていなかったということは、広域地名としては使えなかったからではないか、と私は考えましたが。それは、岩見沢も同様だし、旭川、もでしょうか。沿岸部は、江戸期から「場所」による広域名が、ある程度はあって、馴染まれていたのに対して、内陸部では、明治以降の開拓の歴史の中で、漢字地名が付けられていったから、帯広・岩見沢・旭川は、一集落の名ではありますが、広域地名にならなかったのではないか、と私は考えました。

ちなみに、我が地理アドバイザーのコメントは、「旧支庁名を見ると、全て旧国名か郡名のようなので、帯広、旭川、岩見沢は、郡名として存在していなかったからじゃないでしょうか。・・・簡単すぎる?」だそうですが。

なお、拙稿[15186]にて、十勝国の由来を、アイヌ語のトカチプとご紹介したのは、誤りでした。私の転記ミスでして、トカプチが正しいのです。本日、図書館にて確認しました。書込み訂正時間には間に合わなかったので、この原稿にて、訂正させて頂きます。

ついでにもう一つ補足すると、拙稿[13312]で、根釧台地の範囲を地質的(土地の成り立ち的)にご紹介しましたが、角川日本地名大辞典の下巻を見ていたら、「地形区分概要図」が載っており、そこには、釧路平野以外の東側は、根釧台地として大雑把に分けられていました。
ちょうど平野の定義のように、土地の成り立ちに注目するか、表面的に見える地形に注目するか、で分類が異なるのかな?と思いました。
[15222] 2003年 5月 14日(水)21:15:50【1】三丁目 さん
Re:十勝
[15209]YSKさん
フォローありがとうございました。
>十勝国:国名は、アイヌ語のトカチプにちなみ、
十勝の旧名はトカプチ
「チプ」ではなくて「プチ」なんですかねぇ。明日の昼休みに、もう一度、図書館で角川日本地名大辞典を確認してみます。
それはそうと、「帯広」の語源は調査されましたか?
ネット検索してみたら、「帯広とは、アイヌ語「オペレペルプナイ」(川尻の壊れたる川の意)から転化したものである。」なんて記述が見つかりました。なお、今回の調査は、ネット検索ではなく、古典的に、図書館ベースで行っていますので、今しばらくお時間を下さいな。というのも、全ての地名由来がネット検索で出てくれば、それを使っちまえ、と思っていたのですが、全部は見つからなかったので、こういう場合は原点に帰って、辞典だな、と。やっぱり、一つの書込みとして纏める場合は、出典は統一しないと、私はあまり好きじゃないのです。
ただ、拙稿[15187]での河西支庁についての感想は、旧国名由来(石狩、後志、渡島、胆振、日高、釧路、根室)以外の旧支庁名(札幌、函館、亀田、松前、寿都、岩内、小樽、増毛、室蘭、浦河、河西)のうちで、現市町名ではないのが河西だけだから、面白いな、程度のつもりだったのです。なぜ、帯広支庁にはならなかったのかというと、1897年(明治30年)当時は、まだ帯広という集落は、内陸だったために、開拓が進んでおらず大きくなかったからではないか、と。帯広市HPからは、市の歩みについての情報を得られなかったものですから。今度、河西を調べるついでに例の辞典で、帯広の項目も見てみようと考えていました。

そ・れ・と。なぁ~んだ。空知の語源をご存じないのかと思っちゃいましたよ、紅葉橋瑤知朗さん(笑)。
[15197]があったので、書込みする順番を変えて、急遽拙稿[15221]をアップしたのですが。[15213]を拝見する限りでは、ご存じのようですね。
[15221] 2003年 5月 14日(水)20:58:19三丁目 さん
北海道の支庁名の由来・2/2(そのものではありませんが)
今回の出典も、特に記述しない限り、角川日本地名大辞典(昭和62年10月8日発行)です。

釧路郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のクスリ場所の一部地域にあたる。郡名は、場所名による。
釧路:古くはクスリといい、久寿里・久摺・久須里などとも書いた。地名の由来に関しては、アイヌ語のクッチャロ[咽喉の意]にちなみ、屈斜路湖畔のアイヌを寛永12年松前藩が現在の釧路に移して場所を開いたことによる説(北海道蝦夷語地名解)、クシュル[越える道・通る道の意]の転訛で、釧路川上流から斜里方面や標津方面へ越す交通路があったことによる説(蝦夷地名考并里程記・東夷周覧)、クスリ[薬・温泉の意]にちなみ、かつて悪病が流行したとき、釧路川の水を呑んだ者は一人も死ななかったという伝承による説(戊午日誌)などがある。

空知郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、アイヌ語のソラプチペッ[滝が下る川の意]にちなむ。
檜山郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、往古当地が檜山であったことによる。
上川郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、十勝川の上流域に位置するところによる。
留萌郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。成立当初は「るるもっぺぐん」と称した。江戸期のル・モツペ場所の地域にあたる。
留萌:古くは「るるもっぺ」「るるもい」「るもえ」ともいい、留萌の漢字表記もあった。地名はアイヌ語のルルモッペに由来し、「此ノ川自然ト奥深ク、汐入ル故ニ号ク」といい(西蝦夷日誌)、「湖ノ静カニ入ル所」の意ともいう(北海道蝦夷語地名解)、1869年(明治2年)開拓史は松浦武四郎提言の地名、留萌(るるもえ)、留持(るるもつ)の中から留萌の漢字名に決定。その後「るるもえ」が「るもえ」となり、住民の大多数が東北・北陸地方の人であったためにエとイの発音が明確でなく、自然にエがイになったという(留萌市史)

宗谷郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のソウヤ場所の一部地域とサンナイ場所の地域にあたる。郡名は場所名による。
宗谷:地名の由来には、アイヌ語のショウヤ[海獣のとまる磯の岳の意]による説(蝦夷地名考并里程記)、ソウヤ[峰の巣の意]と呼ばれていた岩名による説(廻浦日記)、ソーヤ[岩嶼、あるいは裸岩の地の意]による説(北海道蝦夷語地名解・アイヌ語地名考)がある。江戸期にソウヤ場所が開設する前の当地の地名に関しては諸説がある。一般的な説は、元来ウエントマリ[悪い泊の意]と称していたが、場所開設に際しウエントマリの名を嫌って、サンナイ(珊内)近くにあったソーヤという大岩名をつけたとする説である(北海道蝦夷語地名解)。このほか、もとはモンセンルモ、訛ってマウサンルム[風の当たる岬の意]と称したとする説(再航蝦夷日誌)、ヒリカトマリと称したとする説(廻浦日記)、パラキナイと称したとする説(蝦夷地名考并里程記)などがある。

網走郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のアバシリ場所の地域にあたる。
網走:地名の由来は、アイヌ語のアパシリ[我らが発見した土地の意]による(アイヌ語地名解)。また、アパシリはもとチパシリといい、「幣場・島」の意で、かつて網走湖口近く(現大曲付近)の海中にあった帽子岩を指した名称であった。漁民であったアイヌはこの岩に紙の幣場を設け崇拝したという(戊午日誌)。また一説に、アパシリは「漏る所」の意で、窟の入口が雨漏のようにぬれることによるという。

「場所」とは、「江戸期に、支配人、番人などの和人が滞在して交易や漁業を行った拠点」のことです。

なお、檜山支庁経済部林務課「檜山の地名由来とヒノキアスナロの歴史」によると、
「「今回の文献等について調査を実施してきた結果、ヒノキアスナロ(檜)が生育している山を指して、「檜山(ひのきやま)」という記述がされているが、特定の地名を表す「檜山(ひやま)」あるいは「檜山(ひのきやま)」という記述は確認できなかった。
1869年(明治2年)の国郡制施行にあたり、松浦武四郎が明治政府に提出した建議書において、「古くから檜山(ひのきやま)のあったあたりを、郡名として残したい」という事由で、ここで初めて「檜山(ひやま)郡」と命名されていた。
このことから「檜山(ひやま)」の地名由来は、檜山(ひのきやま)からきているものと考えられる。」」だそうです。これといった定説は、ないようですね。

なお、文中で紹介された説の出典略称一覧は、
蝦夷地名考并里程記:松前并東西蝦夷地場所々地名荒増和解休泊里数山道行程等大概書
廻浦日記:竹四郎廻浦日記
戊午日誌:戊午東西蝦夷山川地理取調日誌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、注記がありました。

天塩、釧路については、旧国名の記述の中では、由来が記載されていませんでした。また、北方領土関係について(千島国と紗那支庁)の、記載はありませんでした。
なお、胆振国の由来(拙稿[15186])で引用した「北海道大百科辞典」は、都内の大きな書店をまわって確認したところ、朝日新聞社から出版されていた本だそうですが、現在は絶版です。国会図書館へ行って調べるまではしませんでしたが、都内4区の図書館にはありませんでした。北海道の図書館ならば、あると思いますが。
[15187] 2003年 5月 14日(水)00:47:10【1】三丁目 さん
支庁名の由来(感想編)、と石狩市の難読地名
最初は、19支庁名の由来から全部調べよう、と意気込んでいたのですが、旧国名から書き写し始めたら、途中で挫折してしまいました。でも、残りの、札幌、函館、亀田、松前、寿都、岩内、小樽、増毛、室蘭、浦河、河西、については、追っかけ調べたいと考えております。郡名にしかないのは河西のみで、それ以外は全て市町名でもあるのが、私には興味深かったです。帯広市のことを詳しく調べる必要がありそうですが、たぶん、内陸だから、開拓が遅かったためではないでしょうか。札幌は、本府が置かれた地だから直接海に面してなくとも、関係ないでしょうし。亀田市はなくなっちゃいましたね。

なお、角川日本地名大辞典には、いろいろなことが書いてあり、非常に面白かったです。私が図書館に半日こもってしまったのも、そのためなのですが、例えば、丘珠空港は陸軍の飛行場で、なんて記述もありましたよ。何度もチェックしたので、打ち終わって、ちょっと気が抜けてしまいました。

[15065]紅葉橋瑤知朗さん
>生振村、花畔村
難読ですが、皆さんならなんと読むでしょう(三丁目さんは13日になったら答えを書き込んでください)。
ご指名頂いて恐縮です(汗)。知っていたのと知らないのが混在だったから、ちょっと焦りました。花畔「ばんなぐろ」は知っていましたが、生振「おやふる」は、調べました。ちなみに、我が地理アドバイザーのコメントは「これは札幌人でも難読地名ですなあ」だそうですが。スイマセン、13日を超えてしまいましたね。
[15186] 2003年 5月 14日(水)00:43:31【2】三丁目 さん
北海道の支庁名の由来・1/2(そのものではありませんが)
[14050]太白さん
三丁目さんの「作風」を若干離れますが、北海道の各支庁名の由来も気になります。アイヌ風じゃないので。
ハイ。書いていて、自分でも本来の作風とは、ちょっと違ってたような気が、なんとなくしました(笑)。

Issieさんが、ご自身のHPで「郡の変遷(北海道)」として、表にまとめておられますが、私は最初は、年表風にしてみます。なお、今回の出典は、特に記述しない限り、角川日本地名大辞典(昭和62年10月8日発行)です。コピーではなく手書きで写したため、読点の打ち方等が原文と異なる場合があるかもしれません。その場合は、ひらにご容赦を。

1897年(明治30年):郡役所を廃止し、19支庁を置いた(札幌、函館、亀田、松前、檜山、寿都、岩内、小樽、空知、上川、増毛、宗谷、網走、室蘭、浦河、釧路、河西、根室、紗那)。
1899年(明治32年):札幌、函館、小樽に区制が施かれたため、亀田支庁は函館支庁と改称。(注1)
1903年(明治36年):松前支庁を函館支庁に、紗那支庁を根室支庁に併合。
1910年(明治43年):寿都・岩内・小樽3支庁を廃して、さらに室蘭支庁から虻田郡の一部を合わせて後志支庁を新設。これで、現行の14支庁となる。
1914年(大正3年):増毛支庁は留萌支庁と改称した。
1922年(大正11年):札幌支庁は石狩支庁、函館支庁は渡島支庁、室蘭支庁は胆振支庁、釧路支庁は釧路国支庁と改称した。
1932年(昭和7年):河西支庁は十勝支庁、浦河支庁は日高支庁と改称した。
1957年(昭和32年):釧路国支庁は釧路支庁と改称した。

注1:1897年に設置された函館支庁は、函館区が設置されたことにより、支庁管轄区域から分離したたため、函館支庁は廃止され、函館区役所に移管された。
IssieさんのHPを見たときに、支庁の数を19と見つけられなくて、変だなぁと思っていたのですが、1897~1899年にかけて存在した旧・函館支庁とは、函館市街地(函館区)域を管轄していた支庁で、それが1899年に廃止された。そして1897~1899年に亀田支庁だったものが、1899年以降から新・函館支庁となった、と私は理解したのですが、それでよろしいでしょうか、Issieさん?

それで、支庁名の由来そのものの解説はありませんでしたので、まずは、旧国名の由来から。記述に濃淡が見られますが、原文のままご紹介します。

石狩国:国名は、石狩川に由来し、アイヌ語の河川名イシカラ・ペッ[屈曲の多い・川の意]の音訳による。
後志国:国名は、阿倍比羅夫が郡領を置いたという後方羊蹄(しりべし)の語音にちなんだもので、中央部を流れる尻別川のアイヌ語シリ・ペッ[山の・川の意]を採り、音訳して後志と松浦武四郎が名づけた。
渡島国:古く、斉明天皇の頃より「渡島(わたりしま)」は北海道の入口をさしており、また南部津軽の人たちは、この地を「おしま」と呼んだので、渡島と書いて「おしま」と読むことにしたいという、松浦武四郎の建議書によって国名とされた(北海道の地名)。

胆振国:国名は、日本書紀の斉明天皇4年、阿倍臣が胆振金且(金辺に且と書きます)(いぶりさえ)その他の蝦夷(えみし)を歓待したという故事により命名(北海道駅名の起源)。
なお、ネット検索で出てきたもので、「胆振」の由来については、日本書紀の話に加えて、下記の記述もありました。
古く新井白石が胆振とは北海道の勇払(イブツ)地域のことではないかと物の本に書いています。明治初年、松浦武四郎が、北海道の国郡名について「噴火湾の山越内から沙流境までを一国にしたい。その中で、勇払は大場所でアイヌも多いから、中心地としたらよい」とし、その国名としては「日本書記の胆振に気が付いたので、“胆振”でいかがでしょうか」と北海道開拓使長官に建議したことから、胆振という国名ができました。(北海道大百科事典から)
http://www.yanatec.com/side_pege/muroran-rekisi.htm の「7.開拓の先駆者たち」に記述されています。

日高国:国名は、当地は南向きで暖かく、太平洋岸特有の濃霧も早く晴れ、陽を仰ぐことが多く、「日本書紀」の景行天皇27年に東夷のうちに日高見国ありとの故事から、日高の字を用いて命名したという(北海道駅名の起源、北海道の地名)。
北見国:松浦武四郎の「国名之義ニ付申上候書付」によれば、この地域のソウヤ・モンベツ・シヤリ等の地名は、国名にふさわしくなく、当地一帯が一般的には北海岸などと呼ばれていることや、快晴の日には樺太(サハリン)が見えることなどから北見などはどうであろうか、との武四郎の意見によって北見国とつけられたという。

十勝国:国名は、アイヌ語のトカチプにちなみ、十勝川の河口が2つ並んでいる形を呼んだとの伝承による。(注2)
根室国:国名は、松浦武四郎の「国郡名建議書」をもとにしたもので、ネモロにちなみ根諸国とする案もあった。ネモロはアイヌ語のニ・ムイにより[木・湾]の意(知床日誌)。
天塩郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のテシホ場所の一部地域にあたる。郡名は、場所名による。
天塩:古くはテシヲ・テシホ・テシユなどと書いた。留萌地方の北西部、天塩川河口域に位置する。地名はアイヌ語のテッシ[梁の意]に由来する(天塩町史)。
注2:「トカチプ」を「萱野茂のアイヌ語辞典」で調べましたが、出ていなかったので、意味は不明です。 to be continued
[15185] 2003年 5月 14日(水)00:39:53【1】三丁目 さん
Re:もし村山市が北村山市だったなら、と市町村雑学の見やすさ
[15147]軒下提灯さん
楯岡町とその周辺の村々が「村山」という広域地名を背負い込むのは、ちょっと荷が重すぎたように思います。村山と言う名は、山形に任せておいたほうが幸せかも。
軒下提灯さんが、初めて書きこまれたのが[14419]からのようですので、拙稿[12833]「楯岡の無念」は、ご覧になって頂けてましたでしょうか?私が調べた限りでは、合併が50年近くも前であり、市名決定の経緯は、わからなかったのです。
ただ、現実的に考えると、山形県より南の地方に、当時、村山市がなかったので、北を冠する北村山市はありえなかったでしょうね。以前[12891]で述べましたが、楯岡市と名乗っていれば、市のHPで、楯岡地域の数字を間違えて掲載することはなかったのでは、と下衆の勘ぐりをしてしまいました。

全然違う話ですが、「村山」市の同名回避を確認しようと、市町村雑学を久しぶりに覗いたら、見やすく、きれいになってたのですね。書き込みを読む前は、こちらやアーカイブズを何度となく見ていましたから、ちょっと感想を言いたくて。オーナーグリグリさんのご努力には、改めて敬意を表したい、と思ったものですから。

本日は、残業のために、私の活動限界時間(0時)を越えてしまいましたが、なんとか用意していた原稿を書込みするしだいです。
[15126] 2003年 5月 12日(月)20:23:20三丁目 さん
Re:市名と中心集落名が異なる市
[15083]軒下提灯さん
市名が集落名に勝つ
非常に興味深いお話でした。私は自分に直結している楯岡(村山市)のことにしか、ピンとは来ませんでしたけれど、いつの日か「楯岡へ行く」が「村山へ行く」になるとは、少なくとも私が生きている間(笑)は、ならないように思います。そのような感覚からすると、現実に切り替わった市を、具体的に列挙して頂いたので、あるところにはある?のね、と感心しました。「村山へ行く」が村山駅へ行く際に使われるのに、抵抗感がなくなったときが、もしかしたら切り替わるタイミングなのかもしれませんね。それであれば、もう少し近い将来なのかしらん。ハテ???これは、その地域で生活していないと、いつ頃からなのか、分からない感覚なのでしょうね。
でも、私がこの「落書き帳選挙区」において、雑魚候補には投票しないことだけは、間違いのないことなのですが(ちょっとしつこかったかな、雑魚さんゴメンナサイ)。
[15122] 2003年 5月 12日(月)19:55:47【1】三丁目 さん
川の疑問へのレス
[15062]Issieさん
>一般的に、太平洋側では北から南に川が流れ、日本海側では南から北に流れるのですが
いろいろなスケールの話が混じりあっていて…。
たしかにそうですね。私も迂闊でした。かねてから歩いていて、神田川を不思議に思っており、思いつきで質問した、浅いものでしたね、と、ちょっと反省。私がイメージしていた河川は、広島県の太田川放水路、兵庫県の神崎川、武庫川(ちょっとマイナーなのを付け加えると藻川も。嗚呼、秘密基地を作って遊んでいた川原)、大阪府の淀川、東京都の多摩川、荒川、石川県の犀川あたりなのですが、神田川では、ちょっと比較するのが無茶でしたね。丁寧にフォローして頂き、ありがとうございました。

[15069]uttさん
松山市を流れる御手洗川の例を紹介します。
松山には、一度しか行ったことがなくて、あまり土勘が働かないのですが、地図と併せて、興味深く拝見しました。
あ、そうそう。昨日の私の疑問にお返事を頂き、どうもありがとうございました。早速、ワードで打ち始めました。改めてきちんとまとめると、調査の行き届いていない部分が見つかりましたから、明日の昼休みに近所の図書館で、もう少しだけ追加調査してから、ご紹介したいと思います。例によって、また長くなっちゃいました(^。^;)。参考文献の記述があるから、書込みを分けずらくて・・・。オーナーグリグリさん、データ量として負担をかける書込みが多くて、申し訳ありません。ペコリ。

[15094]雑魚さん
>このように、逆流?している川は、他にもあるのでしょうか?
屁理屈気味ですが、局地的な蛇行が多い佐賀県の六角川や、最上川における真室川の様な支流も含めれば、該当例は結構あるでしょう。南北云々の視点からは外れますが、源流地が意外に海岸に近い四国の肱川や四万十川などは、経路全般で見るに、途中で大きく屈曲していますね。
蛇行、屈曲は、ちょっと屁理屈じゃないですか、と思ったものの、考えてみたら、自分が例に出した神田川自体、蛇行の例でしたね。結局、部分だけを見ると、不思議な流れ=逆流に見える、ということになってしまうのでしょうか。
[15052] 2003年 5月 11日(日)18:49:08三丁目 さん
太平洋側で南から北に流れる川、又は日本海側で北から南に流れる川、は?
かねてから、青梅街道、又は大久保通りを歩いたときに、なぜ、東京の川が、北に向かって流れるのだろう、と思っていました。今、ジックリと神田川の流れ方を地図で見ましたが、(それが歩いているときに見かけた、南から北へ逆流している川だったのです。)、その源流は、井の頭池、又は善福寺池であることを地図で確認しました。思わず、関東平野は構造盆地、ということを思い出しました。

このように、逆流?している川は、他にもあるのでしょうか?私がお聞きしたいのは、一般的に、太平洋側では北から南に川が流れ、日本海側では南から北に流れるのですが(両地域に住んだ者としての認識です)、そうではない流れ方をする川があるとすれば、その土地での高低差の影響を受けているはずですから、そのような例があるのかな?と思ったのです。

というのも、札幌で、北大生が、川が北から南に流れるのを初めて見た、と言ったのを聞いて、あぁ、この人は太平洋側(神奈川以西)で育ったのね、と思ったものですから。

もちろん、東北地方では、川の流れは南北というよりは、東西であることを前提にお聞きしているつもりです。それは、九州地方においても、同様ですね。

ちなみに、私の神戸に住んでいた後輩は、神戸は北が山で南が海と、わかりやすいのに、東京は何がなんだか方角がさっぱりわからん、と申しておりました。
[15044] 2003年 5月 11日(日)15:03:57【2】三丁目 さん
Re:神戸・明石間の市境変更、と、どなたか教えてください(と、祝15000)
[15016]ニジェガロージェッツさん
この市境変更部分ですが、西神戸・明石間の地図好きの間では結構有名な話です。
興味深いお話を、どうもありがとうございました。私が知っている地域は、思い浮かべながら拝見いたしました。

それで、皆さんにお聞きしたかったことというのは、太白さんからリクエストを頂いていた北海道の支庁名の由来についてなのです。結構、図書館にこもって書き写してきましたけれど(コピーするには量が多かったので)、出典を明らかにすれば、インターネット上で書き込んで構わないのですよね?
ふだんは、私が知っていることと我が地理アドバイザーの話と、それを補足する少々の調べ物(市役所等が公式に出しているものからの引用とか)で書いているものですから、あまり「引用(著作権)」のことを意識していなかったのですが、今回は、もろ「地名辞典」の書き写しだから、このまま書き込んでいいのかなぁ、とフト思ったものですから。

最後になりましたが、
[15017][15020][15025]太白さん
大変面白いデータを提供して頂き、ありがとうございました。平均書込み文字数を下げないように?今後も、執筆活動に励まなくちゃ、と元気づけられました(笑)。
[14992] 2003年 5月 9日(金)21:02:34【1】三丁目 さん
小樽市、市境変更編
今回は、のっけから歴史のご紹介からのスタートで失礼しますが。
石狩市のあゆみ(石狩市HPから、かなり抜粋して引用)
1882年(明治15年):樽川村、開村。
1902年(明治35年):親船町ほか9町と生振村が合併して石狩町に、花畔村と樽川村が合併して花川村になる。
1907年(明治40年):石狩町と花川村が合併して、石狩町になる。
1968年(昭和43年):石狩町、開基300年、開町100年記念式典。
1973年(昭和48年):石狩湾新港が重要港湾に指定され、港湾工事に着手。
1975年(昭和50年):石狩町と小樽市との境界変更施行。
1982年(昭和57年):石狩湾新港入船式典(一部伴用開始)。
1996年(平成8年):市制施行(石狩市誕生)。

昔の地図では、小樽市の領域は銭函から大浜海岸までで、市町境は、新川に注ぐ支流の清川と新川河口により定められており、河川による自然境界となっていました。当時は、新川河口より北側は石狩町大字樽川村でした。

これに比べて、現在の地図では、小樽市の領域は新川よりも北の石狩新港地区まで伸びていて、小樽市銭函4、5丁目となっています。旧来の銭函地区からは離れていますが、新たに小樽市域となった地区とはいえ、住居表示には、銭函が採用されています。

現在も、石狩市には樽川地区があり、市の南西側の3市境にあります。ちょうど手稲通りを挟んで、北西側が樽川地区で、南東側が花川地区になります

経緯を詳細に記述することは、避けたいと思いますが、小樽市が発展してきた経緯、そして石狩新港構築の決定等の前後の流れから、ご想像くださいませ。ちなみに、小樽市HPの「小樽市のあゆみ」には、1975年の欄はありますが、境界変更については、記述されていませんでした。

なお、「樽川村」で検索すると、50件ほど出てきます。長野県木曽郡の、あるいは映画「およう」関連ではない樽川村を見て頂ければ、見る件数は、相当絞れます。私の記述でスッキリしなかった方は、ご自身で検索なさってみてください。

念のため「市境変更」「境変更」で検索してみたところ、小樽市と旧石狩町の話は見つけられませんでした。

ちなみに、検索で出てきた神戸市と明石市の間には、市境変更が何度も行われているのですね。明石市HPに出ていた市域の変遷に関するデータだけでも、1966年、1971年、1972年、1977年、1984年、1986年、1992年、と7回もあったので、驚きました。調べてみたい誘惑にかられたのですが、ニジェガロージェッツさんのお膝元に手をつけるのは、たとえ私が大学生活を送った街とはいえ、地元の図書館で調べないとわからないかもしれない、と思いましたから、やめました。

なお、明石市HP>市のプロフィール>統計情報>明石市統計書 平成14年版(2002年)の中の「土地及び気象」PDFファイルP.3の<地勢>欄に出ていますが、神戸市HP側からは、この情報を見つけることはできませんでした。市境付近で、どちらに帰属するか、区画整理も絡んだ話らしく、両市間で何度か協議されているようですが。詳細は不明です。

町田市と八王子市の市境変更についても、検索結果として出てきたのですが、こちらはよくわかりませんでした。たぶん、変更していないのではないでしょうか。
[14940] 2003年 5月 8日(木)19:57:30【1】三丁目 さん
釧路、ホイホイ編
[14259]uttさん
○釧路の無念・・・鈴木宗男事務所は今、どうなっているのだろうか??ムネオ道路(春別道路)は、どうなるのだろうか??
釧路市の概況、現況については、ご紹介したURLをご覧になって頂けましたでしょうか?
あぁ、そうそう。。占冠村の件については、最初はなんだろう?と思ったのですけれど、もしかしたら、私が準備中だった原稿が、それについてのお返事になるのかもしれません。もう少し、調査するお時間を下さいね。

それで、実は以前、友人とのメールのやり取りの中で、ムネオ君のことにふれていましたから、「久しぶりに鈴木宗男ネタに触れられて、光栄でござりまする」との返事が、やっと到着しました。ということで、以下のほとんどは、原文のとおりです(落書き帳には合わないと私が思う、政治が絡んでいるコメントが、多々ありましたから、半分以上カットしちゃいましたけど)。

鈴木宗男事務所は,今も健在です。釧路市役所のすぐ横の,5,6階建ての小さなビルの2(3?)階の窓にクマの絵のシンボルステッカーが貼ってあり,以前と変わらず鈴木宗男事務所が入居しています。

ムネオ道路(春別道路)とは,国道272号のことだと推定します。この国道は,釧路町別保から別海町上春別,中標津町を通って,標津町までの道路で,釧路から中標津に行く幹線道路としてよく利用されています。この国道のうち,ちょうど別海町域に当たる西春別~上春別の区間だけが,近年特に整備されていて,ちょうど鈴木宗男氏が北海道開発政務次官だった頃ですから,ムネオ道路と呼ばれる所以のようです。

数箇所の交差点で,国道を掘り下げ,交差道を陸橋にしてランプを設けた立体交差ができていて,交通量の少なさを考えると,目を見張る立派さです。工事は今も続けられていて,まだ2,3箇所の立体交差化が進められるようです。地元では,ムネオがどうのこうのではなく,この不況下でありがたい雇用対策として,必要な工事と受けとめているのではないでしょうか。
[14938] 2003年 5月 8日(木)18:56:16【2】三丁目 さん
苫東の感想
[14905]太白さん
苫東については、「全体としては原野」なのでしょうが、それなりの工場等の進出もあるようですね。
拙稿[14858]で、補足してよかったぁと思いました。私には分かりきっていた地域なものですから、原野とは言え、そこそこ工場はあるのよという自分の認識を前提に、大雑把なお返事をしてしまいましたが、もしかして、工場等が進出していることは、意外と知られていないのでしょうか?たしかに、失敗例として名前はよくあがりますが、面積が広いだけに工場がまばらに立地しているためであって、集まっているところでは「それなりに」工業地帯を形成しています。
ちなみに、私はあの勇払原野が、いかにも原野らしい風景に感じられるから、とても好きなのです。
[14937] 2003年 5月 8日(木)18:39:07【1】三丁目 さん
Re:町名、字名、丁目、住居表示
[14928]りょうさん
丁目までが大字なので、漢数字が正しい
ハイ、そのとおりです。ちょうど身近にいた土地家屋調査士の方にも、念のため確認してしまいました。土地家屋調査士の講座で、先生が言ってたそうですよ。書込みをプリントアウトしてその人に見せたら、このような類のことを、一般の人が質問してるんですか?と驚かれました。
ちなみに私が「三」丁目なのも、公式な表示にしたい、との思いからです。
[14863] 2003年 5月 7日(水)19:52:06【3】三丁目 さん
本落書き帳での検索方法(工夫)
[14822]ゆうさんの書込み
[14851]雑魚さん
最近不機嫌気味のデータ検索機能の代替措置を示されましたが、過去ログ検索が今ひとつ実効的でない
ワタクシより以前の、いにしえからこの落書き帳の常連さんでいらっしゃる方々から、さようなお話を頂くとは、意外に思いました。たしかに、昨今必ずしも自分が指定した条件では、検索結果をえられないことが、ありましたけれど。
私は、以前、オーナーグリグリさんから示された(この件に関しては、記事検索しませんでした、スミマセン)期間を区切って検索する方法で、対処しております。というのも、今回加えられた機能を見ますと、2003年2月以降から書込み件数は急増しています。だから、私が検索するときには、期間を分け(今のところは2003年以降と2002年以前)、件数も最大20件までにしています。そうすれば、私が検索した限りでは、だいたい結果を得られますよ。それで、いかがでしょうか?今後もこの書込みペースだと、もう少し期間を短くする工夫が必要かもしれませんが。
なお、私が釧路区を外からの検索で見つけたのは、私の怠慢です。まさか、そんな話題は過去に出とらんかったろう(過去ログを飛ばし読みした私の記憶にもなかったし)、という思い込みで、落書き帳内では、検索をサボっていたのでした。
[14859] 2003年 5月 7日(水)18:41:02【1】三丁目 さん
太白さんからの戴き物(その2)
[14050]太白さん
○丘珠空港の無念:いや、別に丘珠のことが知りたいのではなく、何故新空港は離れた千歳に立地されたのでしょうか。また、なぜまだ新しいのに「新」千歳空港になったのでしょうか。
空港の話は、私自身は全く知らなかったものですから、我が地理アドバイザーと協議の上、一部表現に手を加えましたが、以下は、ほぼ原文のとおりです。

丘珠空港は、未だにプロペラ機しか飛べない飛行場であるため、航空機のジェット化によって千歳空港へ需要が移りました。別の言い方をすると、千歳でなくても構わない、プロペラ機を使用する日本近距離航空(現エアーニッポン)が、丘珠に拠点を置いたとも言えます。

丘珠空港は陸軍の飛行場、千歳空港は海軍の飛行場として戦前からあり、どちらも戦後は自衛隊の滑走路を民間が共用する形で、空港ができたのです。

なお、新空港となった経緯については、[14105]まがみさんがご説明されているとおりなのですが、新滑走路は旧滑走路とクランク状(厳密には、H形の縦棒2本が並行にずれて2割くらい重なっている、といった形です。)につながっており、民航機用滑走路がトラブルに陥った場合には、自衛隊用滑走路に降りることもあります。実際に、友人の乗った飛行機が、冬の東京出張からの帰りに、旧滑走路に降りたことがあるそうです。
また、新・旧滑走路の管制塔は一つで、以前と同様に、航空自衛隊が主導権を握っていると何かで見たそうです。そういう点では、「厳密には」共用を解消できたとは言えないのでは、と申しております。

新千歳空港は、旧千歳空港(航空自衛隊千歳基地)とは全く別の飛行場だと思われている節があるから、その誤解?を解くためにも、よろしく紹介してほしいとのことでした。
(でも、考えてみたら、丘珠空港が自衛隊と共用なのかどうかくらいは、自分でも調べた方が良かったかも、と今、気づきました。普段は、自分が調べていることにアドバイスを求めているから、それなりに自信を持って書き込むのですが、この件に関しては、我が地理アドバイザーの言葉を鵜呑みにしておりました。)
[14858] 2003年 5月 7日(水)18:40:46【1】三丁目 さん
太白さんからの戴き物(その1)
[14050]太白さん
○苫東の無念:特に、今この場所がどうなっているのか気になります。
以下、我が地理アドバイザーが、一言もの申したいそうです。
というのも、私がコメントした「苫東は原野のまま」ではちょっと大雑把すぎる、との指摘がありました。私も仕事の関係で走り回っていた地域ですから、言われれば、ああそうだったなぁ、とイメージが沸いてくるので、せっかく書いてくれた友人の丁寧な原文に、若干の加除修正を加え(もちろん本人の了解を得ましたが)ご紹介したいと思います。それで。

苫東工業地帯は大きく3つのエリアに分けると説明しやすい、と友人は申しております。(行政的には6つに分かれ、臨空柏原地区、臨空東地区、臨海臨港地区、臨海東地区、臨海北地区、臨海西地区、となりますが、以下は原文を尊重します。)

1つめは苫小牧市街地に最も近い勇払北部の地域で、ここにはいすヾ自動車が早くから工場進出しています。

2つめは、苫小牧東港付近の浜厚真地区で、北海道電力の苫東厚真発電所と共同石油備蓄基地が早くから進出しており、近年はリサイクル施設や、サニックスという廃プラ燃料発電所も建設されています。また、東港にはフェリーターミナルができて流通拠点になりつつあり、海洋レジャーの普及から、マリーナ構想もあるとも聞いています。

3つめは、早来町遠浅に近い北部の柏原地区で、新千歳空港に近いという利便性から臨空工業団地として、自動車部品工場や、ハイテク関連の工場が進出しており、最も工業団地らしい体裁を見せています。

全体としては、重厚長大産業を意識した臨海部の広大な用地は、ほとんど空地のままで、内陸の一部地区だけが、臨空工業団地としてそこそこの発展をしている、といったところではないでしょうか。

なお、今の風景は、元々の原野が開発に失敗したためそのまま残っている、という印象がありますが、苫東構想以前には、既に開拓された土地だった部分もあります。だから、必ずしも手付かずの原野が、以前の姿のまま残っている、というわけではないようです。申し訳ありませんが、どのあたりが買収された土地で、どのくらいの割合か、等の詳細については、苫小牧市立図書館で調べる必要があるものですから、この程度の記述にとどめさせて下さい。

太白さん、重ね重ね、ありがとうございました。頂いた塩をかじりながら、書き込み日数を長らえているところです。[14732]uttさんには申し訳ないのですが、用意している胆振・日高関係は、書込めるまでにもう少し時間を頂けますか?そのかわり、4週間ほどの間に熟成?してくるはずですので。
[14810] 2003年 5月 6日(火)23:04:13三丁目 さん
「てん」の略称に続けて(蛇足につられて)
[14805]まがみさん
大阪教育大学附属天王寺高校のことは「ふてん」と略し、私立四天王寺高校のことは「よんてん」と略します。NHKのドラマ「まんてん」の舞台になったのは、「てんよん」とか「てんろく」のある辺り。その中間の「てんご」には、大阪市北区役所があります。
「てんこう」=大阪府立天王寺高校でしたよね。たしか。つい「てんご」に惹かれてしまいました。
[14808] 2003年 5月 6日(火)22:47:40三丁目 さん
一応の報告、とお礼、と宿題?と。
[14696]kenさん
ここの外から、いきなり、Googleで居住地、出身地で、メンバー表がヒットしてしまうというのは、(よく考えればあたりまえですが)ちょっと恐い感じもします。
[14698]オーナーグリグリさん
検索エンジンロボットからの検索対象外とするタグを過去ログ、メンバー紹介ページなどに追加しました。

実はこの件、拙稿[13312]を書くにあたり、「釧路区」でネット検索したときに、落書き帳の過去ログに引っかかって、[4848]夜鳴き寿司屋さんと、[4867]ゆうさんの書込みが出てきたのです。このときは、当時の「区」になるための条件を、念のため調べたいと思って検索したのですが、過去に釧路区のことが話題に出ていたのに気づいたから、助かった、落書き帳はさすが侮れない、と思っていたのでした。

私は、BIGLOBEサーチAttayoを検索に愛用しているのですが、本日、職場から検索してみたら、過去ログにやはり引っかかって、読めますね。
落書き帳 過去ログ [4800][4899]
... [4867] 2002 年 11 月 14 日 (木) 00:07:21, ゆう さん. 釧路・釧路. [4848]夜鳴き寿司屋さん >1920年に当時の釧路郡釧路町が北海道区制が施行された際に「釧路区」と「釧路村」に分離市街化していない地域を「区 ...
と出てきて、読めます。なぜ私の書込みには引っかからないのか、よくわからないのですけれど。
気になったから「居住地」「出身地」「メンバー紹介」の3つを並列のキーワードにすると、「落書き帳メンバー紹介」が、いきなり2番目に出てきて、ビックリしました。とりあえずの、ご報告です。

[14287]でるでるさんへ
連休明けでやっと返事がもらえて、我が地理アドバイザーも、たぶんこの話だと思う、とのことでした。ありがとうございました。

[14732]uttさん
>胆振・日高地方であれば、風景がまぶたに浮かぶ?得意ジャンルなのですが・・・
おお!!楽しみにしておりますよ!!
ZZZ、ZZZ。すいません。まぶたを閉じたら、眠ってしまいました。Zzzさん、お名前を語ったみたいですいません。やると思われてたかなぁ(汗)。見え見えでしたか?
[14718] 2003年 5月 5日(月)19:29:11【1】三丁目 さん
YSKさんと、TKS-Hさんへのレス
YSKさんへ
ヒョエェエェ~。素早い対応に驚きました。北方領土について、書き込んでから1時間も経たないうちに、アーカイブズに採用されていたので、ビックリしてしまいました。書き込み訂正したついでに、気が向いたのでアーカイブズを覗いてみたら、北方領土がテーマに。拙稿も採用されているではありませぬか。。あまり、ご無理なさらないでくださいね。

[14440]TKS-Hさん
(日銀の)小樽支店の廃止は北九州支店の廃止と抱き合わせで表明されたのですが、小樽支店のほうが廃止まで進んだのに対し、北九州支店のほうは事実上沙汰やみの状況になった、この違いがどこにあるのかはちょっとわかりません
あなたさまは、何ゆえ、さようなことを存じていらっしゃるのですか?私は、地元北海道民として小樽支店廃止のことを知っていましたが。はたして政府系のCIA、はたまたKGB(古いかな?)あるいは「エロイカより愛をこめて」バリのご活躍???
ちょっと真面目に考えると、日銀北九州支店は、まがりなりにも政令指定都市にあるのに対して、小樽支店は、たかだか16万人という人口・経済規模だったから、小樽のみ廃止されたのではないでょうか。また、
[14440]TKS-Hさん
戦前、源頼朝の征夷大将軍就任の年は「鎌倉、人でいっぱいに」と覚えていたそうです。
建久3年=西暦1192年=皇紀1852年  →→  1852=イッパイニ
かつて「班日記」という、ま、いわば学級運営上担任の先生が実施していた「集団交換日記」で、私は皇紀とかイスラム暦で何年とかカッコツケテ?書いていましたが、さような年号の覚え方は、初めて知りました。
[14715] 2003年 5月 5日(月)17:15:17【2】三丁目 さん
北方領土、from根室
[14066]TACOさん
[14083][14149]ニジェガロージェッツさん
[14153]kenさん
[14279]TACOさん
としばらく北方領土関係が続きましたが、遅ればせながら、私は、根室市の立場から。というか、自分自身では、このことについて、特段の意見を持ってはいないのです。だから、市のHPからは統計的なデータをほとんど得られなかったため、別件も併せて根室市役所にお問い合わせしたときに、下記資料を送って下さったので、そのご好意に感謝する原稿とします。
頂いたものは
(1)根室(2003市勢要覧)
(2)根室市統計書(平成14年度)

それで、長くなりますが、根室市の歩みを2/3くらいに端折って、以下「」内に引用します。

「1882年(明治15年)に北海道三県の一つとして根室県庁が設置され、根室の開発が進みました。カニ、コンブ、サケなどの北方領土近海の豊かな資源に恵まれ、水産業を中心に発展し、1900年(明治33年)には人口14,000人余りを数え、道東一の活況をみせました。

1945年(昭和20年)の戦災によりマチの大半を消失し、さらに北方領土をソ連邦に不法占拠されたため人口は減少し、産業、経済の復興も一時は危ぶまれましたが、北洋漁業を中心とした水産業で立ち直り、我が国有数の水産都市として発展してきました。

1977年(昭和52年)の経済専管水域200カイリ施行、さらに1992年(平成4年)からは公海でのサケ・マス沖獲り禁止などにより、漁獲高が減少し厳しい状況におかれています。

新しい海洋時代に対応するため、沿岸漁業資源の増養殖をはじめ、水産資源の高次加工などの振興策を積極的に取り組んでいます。また、北方領土返還要求運動原点の地として、さらに国民世論を高め、北方領土返還実現による日ロ両国の平和条約が、早期に締結されるよう全国民の先頭に立って変換運動を展開しています。」とあります。

また、市史とは別に、北方領土返還運動の歩みも載っていました。これは一部の紹介にとどめますが、
「日本固有の領土である国後島、択捉島および色丹島、歯舞群島は、父祖伝来の地であり、これをふたたび我々の手にもどそうとの目的のもとに、この根室の地から叫ばれたのは、終戦直後である昭和20年の秋ごろからである。(中略)

昭和20年9月5日までに北部、中部千島、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の占領を終えたソ連は、9月19日、クリル諸島(千島列島)と南樺太の領土宣言を行った。(中略)

根室と国後、択捉などの島との関係は地理的にも歴史的にも、経済的にも切り離して考えることのできない深い間柄にあった。島の人々は根室の人たちを「本家の人」と呼び、根室の人々は「島の人」と呼んで、たがいに行き来し、また、親戚関係の人もかなりあって、両者の間における親密の度合いは想像以上のものがあった。(以下省略)」

ちなみに、北方領土に係る組織(課以上という意味で)が道内の自治体の中であるのは、下記のとおりです。
北海道庁総務部北方領土対策本部
根室支庁地域政策部北方領土対策室
根室市役所総務部北方領土対策室

なお、根室支庁管内の4町(別海町、中標津町、標津町、羅臼町)では、それぞれ「係」として事務局を設けていますが、支庁管内で横で連携して何かを行う、というよりは、縦組織として道庁~支庁~市町とつながっているそうです。だから何ってわけでもありませんが、個人的興味で確認してしまいました。

根室市統計書には、根室市役所内だけで作成されたものばかりではなく、民間事業者を含め、いろいろなところから集められたデータが載っており、私には興味深かったのです。たとえば、根室市内では、鉄道駅でよりも、バス路線での乗降客の減少のほうが大きかったのは、意外でした。データをどのように紹介したものか、難しかったものですから、今回はご紹介しませんでしたが、載せたほうが良かったですか?

もともとは、北海道に県が置かれたときに、なぜ釧路県でなくて根室県なのだろうという興味だったのです。根室、釧路ともネモロ、クスリとアイヌ語に由来する古い地名で、ともに沿岸部で初期から開拓はされているのです。根室市のあゆみには「道東一の活況」とありますし、根室県が設置の1882年(明治15年)当時は、釧路よりは根室の方が、中心的な存在だったのだろう、と推測しました。あるいは、北方警備の要衝の地として考えられていたからでしょうか?

よくわからなかったながら勝手に述べますが、土地に執着する傾向が強い、日本人の心情を考えると、たとえ釧路集落の方が大きかったとしても、根室の名前を前面に出すことで、根室地元民の、北方警備へのプライドを高めたのかしら、とも思いましたが。これは、完全に私の推測です。
[14706] 2003年 5月 5日(月)14:24:40【4】三丁目 さん
オーナーグリグリさんへ、と、こまごまと。
オーナーグリグリさんへ
これはホントは気恥ずかしいから、メールでこっそりお願いしたかったのですが、メールの相性が良くない(笑)みたいなので、落書き帳にて堂々と。拙稿[11156]を、中国地方の由来に加えて頂けないでしょうか。原文は友人からの3度にわたるメールでしたが、最終的に私がまとめ、これで書き込んでいいかと照会したら、新たに友人が修正してくれたものなのです。代理書込みだからアーカイブに入らないのかなぁ、とかいろいろ考えていたのですけれど、ね。

[14581]夜鳴き寿司屋さん
かえって辛い思いをさせたようであれば謝罪します。
ワタシはワタシと、割り切っていますから、その点は大丈夫です。かつては、出身と呼べる地域を持っている人を羨ましく思いましたが、こればっかりは、どうしようもないですからね。ないものねだりをしても、しょうがないのです。

「エースをねらえ」を読み終えたから一言だけ感想をば。少女漫画系のスポ根モノを初めて読みましたが、ちょっと入れ込みすぎ、感情を言葉で表しすぎ、と思いました、「キャンディキャンディ」から少女漫画に入った者としては。。。その後、少女漫画は多数読んでますけど。

なお、ワタクシが積極的に?書込みしなかったときでも、多くのレスを頂いたことに、感謝しております。謹んで御礼申し上げます。

そうそう、YSKさん、主位奪取おめでとうございます。
私には遠い道のりではありますが、とりあえずは太白さんとのつばぜり合いからでしょうか。KMKZさんは、一回あたりの書込み文字数はそれほど多くはないから、自分のペースを続けられれば、文字数では抜かれないのでは、と慢心。回数では圧倒的に抜かされてますけど。

最後になりましたが、般若堂そんぴんさんへ。
TACOさんに、連続書込み日数記録が抜かされないように(笑)、頑張ってくださいね。若い人は体力があるから、徹夜を続けてでも?グングンと追っかけてきますゾ。いろいろと、どうもありがどうございました。
[14695] 2003年 5月 5日(月)06:55:01【3】三丁目 さん
ご挨拶
オーナーグリグリさん、と他の皆様方へ

一連の流れは、ふだんはマイペースを心がけている私も、正直なところ戸惑っていました。賛同が表明されたら、雪崩を打ったように、皆さんが進んで申告する雰囲気が醸成され、事実そのように流れたからです。あの中では、反対とは表明し難かったです。付和雷同だろうと言われればそれまでですが、もともと、結構個人情報を書き込んでいましたから、今更「秘密」「不詳」でもなかったことを踏まえ、私のできる範囲でご協力をと思ったわけです。
かねてから、文字だけでのコミュニケーションは難しいと思っていました。ですから、基本的な私の態度としては、議論には加わらないようにしてきたつもりです。加われない、というのが最も大きな理由ではありますが。
今回の件は、普段は一過性で終わるから慣れているのですが、今までに経験したことがないほど長い期間にわたったことで、思わず悲鳴をあげてしまいました。行き過ぎた言葉により、ご不快に思われた点については、深くお詫び申し上げます。
新たに明かした個人情報は確かにありますが、自分では大丈夫と思っている範囲にとどめています。もちろん、自己責任の範囲です。ですから、責任を取ってなどと、申し上げるつもりはありません。ただ、私は、若年者が自分色登録した際に、出身地、居住地欄があることで、必要以上に個人情報を明かすことを懸念しております。その当たりには、ご配慮を頂ければと思います。当然了解事項と思われることであっても、いろいろな方がこの落書き帳を読まれていることを考えると、言葉で表して頂けませんでしょうか。
最後になりましたが、ご多忙中にもかかわらず、落書き帳を楽しく、心地よく、適切に運営してくださっているオーナーグリグリさんには、心から感謝しております。
[14639] 2003年 5月 4日(日)08:46:10【1】三丁目 さん
オーナーグリグリさんへ
[14594]オーナーグリグリさん
昨日、恐る恐る落書き帳を覗いてみたら、メールが届いていないとのこと。自分色登録をお願いしたときに、返信されたメールアドレス宛にお送りしたのですが。また、そのアドレスは、メンバー紹介欄にも載っているのですけれども。送信エラーは戻ってきていないので、あれ以外であれば、どちらへお送りしたらよろしいのでしょうか?
時間がたち、皆さんからもいろいろ意見が出て、件の欄も修正されましたから、あまりほじくり返すのもどうかと思い始めたので、お伝えしようかと考えていたことも、もういいか、と思いました。読まれていないのであれば、読まずに破棄して頂けませんか。ご相談したい話を変えます。もう読んだよ、ということであれば、お手数おかけしますが、メール等で、ご連絡頂けないでしょうか。
[14587] 2003年 5月 3日(土)09:16:54【1】三丁目 さん
お騒がせしました。それと、ありがとうございます。
[14515]般若堂そんぴんさん
[14517]てへへさん
[14524]ゆうさん
ありがとうございました。私は、皆さんからご教示頂いた案の、どれかで十分妥当だと思いました。ただ、プライバシーに関わる話であり、出身地、居住地ともども、表示すること自体いかがかと思っています。いろいろ思うところはありますが、この話を落書き帳ではもういたしません。オーナーグリグリさんにメールをお送りしましたから、そのお返事をお待ちしてから、この次、新たに書き込むかどうするか考えたいと思います。

また、てへへさん。わざわざ中島みゆきを検索し、そのURLをご紹介して頂いたことにも感謝しております。もしよろしければ、歌を聴いて頂くと、もっと深刻になってしまうかも(笑)。何せ、かつての「みゆき」節の頃の歌ですから。昨今よりも、もっとジットリくると思います。

一昨日はちょうど、大島弓子作「綿の国星」という漫画を職場の人から借りていたので、それを読んで、少し、ホンワカした気持ちになれました。また、昨日は山本鈴美香作「エースをねらえ」を貸してもらったので、半分ほど読みました。前向きな気持ちなれるよ、と言われたのですが、30年前の女子高校生はこういう感じだったのね、というのが正直な感想です。漫画の貸し借りができる、良い職場でしょう(笑)ちなみに、「陰陽師」岡野玲子作画(原作:夢枕獏)も、借りて手元にはあるのですが、文字が多くて、ちょっと重いです。面白いのですが。
[14491] 2003年 5月 1日(木)19:54:37三丁目 さん
心の古傷
落書き帳について、です。
元本籍:山形県
出生地:東京都
卒業した高校:東京都内の高校(初めて、同じ学校に3年間通いました)
卒業した大学:神戸市内の大学(初めて、同じ学校に4年間通いました)
どこ出身?と聞かれたら、両親は山形出身ですが、私自身は住んだことがなくて、生まれたのは東京です、と答えています。

親の転勤の関係で、概ね2年に1度、引越してきました。金沢市立泉中学校に思いを残しつつ、公式には、私の卒業した中学校は、別の学校になります。中学卒業間近に、急遽、親元を離れて東京の高校へ通うべく、単身上京することになり、旧海軍予備校へ進むことになりました。都立高の受験資格がなかったため、やむを得ない選択でした。私は、自分が進学した学校名を受験するまで知りませんでしたが、金沢の友人は知っていました。

その後、いろいろな経緯を経て、現在は首都圏に住んでいますが、やむを得ざる選択であって、少なくとも現居住地は、できるだけ近い将来に転居したいと考えています。私にとっては、「仮の宿」にしかすぎないからです。もしかしたら、一生、この感覚は消えないかもしれませんが。

[13695]オーナーグリグリさん
「不詳」が続くのは不気味なのでできるだけ入れたい(中略)管理画面で入力可能なので編集をお願いできますでしょうか。>雑魚様
雑魚さんに編集を一任されたものと思っていましたから、雑魚さん流に記述して頂けていたので、やれやれ、と思っていました。が、[14388]で突然、厳密なガイドラインが設けられ、私の欄はブランクになりました。あれが、オーナーグリグリさんからのご回答ということなのでしょうか?

一晩、考えこんでしまいました。なんてことない話じゃないの、と思う人がほとんどでしょう。が、かつて私がこだわり、悩んできたことでしたから、久しぶりに古傷が疼きました。突然出てきた出身地、居住地の話がなければ、必要以上に個人情報を明かすことはなかったのです。心境が複雑であり、困った、と今まで何回も言ってきました。できる限りのご協力を、したいと思うからこそ、です。

今回示されたガイドラインは、私にとっては苦痛です。施行錯誤されているのは理解できますが、せめて、
(1)最初に、ガイドラインを示す。
(2)雑魚さんにお願いした以上、一任する。
どちらかにして頂きたかったですね。メンバー紹介欄については、雑魚さんの所掌事項として終わるのかと思っていました。だから、[14123]で途中から方向を変えられるのが、最も困ります。それで、拙稿[14205]にて、ご相談したつもりです。もし、検討の余地はない、ということであれば、出身地、居住地はなくして頂けませんか?

ブランクにされると、何のために私が必要以上の話をしたのやら。せめて回答があった者については「準備中」「工事中」等の何らかの記述をするなりの、ご配慮をして頂ければ、と思います。体裁を大事にされる気持ちはわかりますが、それであれば最初から示して頂かないと。もちろん、拘られる理由を聞くものではありません。

メンバー紹介からはずしてもらうために、自分色登録抹消、あるいは思い切って落書き帳から撤退することも考えました。あまりに寝つかれなかったので、久しぶりに軽い睡眠薬を飲みました。せっかく見つけた楽しみをどうするか、は、結構深刻な問題ですから。

4/30にメンバー紹介を更新された方を見ると、出身地、居住地がブランクになっているのは、私以外にはYSKさんと黒髪さん、それと最近自分色登録された、くはさんですかね。私の記憶では、以前は表示されていながらブランクになったのは、YSKさんと私だけかな?

中島みゆきのアルバム「生きていてもいいですか」に収録されている「異国」という歌。普段は忘れている話なのですが、きっかけがあると顔を出す、私の古傷を、適切に表現してくれています。

この文章自体、5時間以上何度も書き直し、書きこむかどうするか悩んだ挙句のものであることを、ご理解ください。仕事の合間をぬって、ではありません。私の最も触れられたくない話の一つで、今回のように宣言されたことについて、こうした反応をせざるをえませんでした。書き込み内容と、出身地、現居住地は、必ずしも関連があるものではありません。

オーナー殿が絶対的であることは理解しておりますが、最近のように多くの書込みがある落書き帳となった今は、皆さんと一緒に作り上げているものでもある、と信じております。
[14402] 2003年 4月 30日(水)22:17:10三丁目 さん
失礼しました
[14383]雑魚さん
さじ加減が難しいところを、深めないでさらっといく書き方が、私には難しくて困難なのに、上手ですね、というつもりだったのですが、お気にさわったらごめんなさい、です。
[14381] 2003年 4月 30日(水)18:36:46【2】三丁目 さん
北海道は、元気ですゾ、マル
[14259]uttさん
たくさんの宿題(笑)ありがとうございます。一度に返事をしきれないのは、漫然としている私の悪い癖なのですが、釧路については、拙稿[12542]にてご紹介したURLをご覧になっていただけないでしょうか?釧路の概要がコンパクトにまとめてあります。

それ以上の情報、特に現場確認が必要なものについては、一応、友人に聞いてみますが、ワタクシ的には、政治家が絡んでいることもあり、あまり興味を持てないジャンルなのでした。胆振・日高地方であれば、風景がまぶたに浮かぶ?得意ジャンルなのですが、実は、その方面で原稿を温めているところです。フッフッフッ。

雑魚さんのように、絶妙なバランスをとって大人チックな話題にふれられれば良いのですが、私には難しいテクニックです。君子危きに近寄らず。。。私は君子じゃありませんが、自分が苦手なことには、ふれないようにしてます。いろいろな街について、私が書き込むのをやめたのも、紹介の仕方が難しいと思ったからです。もう少し知恵を持っていればねぇ。

[14287]でるでるさん
やっと、でるでるさんとの接点を持てて、うれしく思います。空知市構想について、ありがとうございました。本日は、出勤していれば、早々に地理アドバイザーに確認しているところなのですけれども、ワタクシは有給休暇をとっておりました故、明日、メールにて聞いてみます。何せ、われわれ、職場でしかメールのやり取りをしてないものですから。ちなみに私の、ネットを使う調査も、職場でしかやってません。自宅はダイヤルアップ接続で、必要最小限の機能しか果たしていないものですから。[14367]だんなさんだけじゃないのですよ(笑)。日本の国際競争力は、こんなことでいいのかしら?とちょっと反省する素振りを見せても、懲りてない三丁目なのでした。
[14350] 2003年 4月 30日(水)08:57:22【1】三丁目 さん
ちょっと気にかかりましたから、少々
以前あった、東京・神奈川とその他、そして今回の件。基本的に私の書込みスタンスとは異なるから、黙っているのが一つの方法かとは思いつつ、今回は看過するには重すぎると感じましたので、私のスタンスを述べたくなりました。

私がご紹介しているお話は、地域ネタ系ですから、一歩間違えると、その地域にお住まいの方の感情を害さないとも限りません。釧釧についても、我が地理アドバイザーは、書込みとは無関係な友人同士でのメールでのやり取りだから、相当辛辣な感想を書いていましたが、私が書き込む段階では、「あれでも」相当トーンダウンさせて、ムニャムニャにしたつもりです。新南陽市についても、調べた結果出てきたデータをご紹介するにとどめ、私の感想はほとんど述べないようにしました。

また、街の成り立ちとして、川口駅周辺が労働者の街で、その両隣の駅が、その憩いの場として商業が集積した話を書き込もうかと、いったん未定稿は用意したのですが、それをご紹介するのはやめました。ちょっとこの落書き帳の雰囲気とは違うかなぁ、と思ったからです。昨日秋葉原へ行ったのも、新聞で読んだ街の変貌ぶりを見たかったからなのですが、そのことは書きませんでした。「飛び地の定義」などのような、楽しい議論は良いのですが、そうでない場合は、あまり、ね。

[14329]で、雑魚さんからガイドラインでの予防というご提案があり、私も賛成です。地理についての議論は楽しいのですが、地域について、特に主観が入ってくる議論は、この落書き帳にはそぐわないのでは、と感じております。地域事情について議論したい場合は、他に似つかわしい掲示板があるのではないでしょうか?今回の件は、いささか、残念です。
[14285] 2003年 4月 29日(火)19:00:31三丁目 さん
新宿~秋葉原のお散歩
本日は陽気に誘われ、久しぶりに標記タイトルのルートを歩いてきました。靖国通り沿いに歩けば、私の足なら片道1時間強ですから。明日は、所用があるため有給休暇をとるという事情もあり、まぁ、疲れてもいいだろうということで。スタートの新宿では、歩行者天国を実施していました。目的地の秋葉原でも歩行者天国でした。

だいぶ前の新聞記事で、全国的に、歩行者天国を廃止する動きがある、と読んだことを思い出しました。たしか、日本で最初に歩行者天国を実施したのは、旭川市での1971年(昭和46年)じゃなかったかな?と思いつつも。スイマセン、今日は、記憶だけを頼りに書いています。

そういえば、北海道出身の友人が、東京の大学に進学して、街を目の当たりにしたときの感想を思い出しました。「札幌がいっぱいある」と。電車で移動しても、新宿、渋谷、原宿、池袋、銀座(有楽町)、上野など、山手線沿線だけでもたくさんありますからね。地方から出てきた人の、メガシティ東京についての感想としては、秀逸ではないか、と私は思っていました。

今回は、いろいろな話を盛りだくさんにしてしまいますが、友人は札幌北高校の出身でして、どちらかというと、傾向としては札幌北高からは北大に進学する人が多いのだとか。目の前に北大があるからね、と言ってました。そういう点で、道内では札幌北と双璧をなす進学校、札幌南は、どちらかというと道外志向が強いそうで。でも、私の友人て、札幌北から道外へ行き、札幌南から北大に進むなど、私が聞いた傾向とは、チト違うような。類は友を呼ぶのかしら???
[14275] 2003年 4月 29日(火)17:22:49【3】三丁目 さん
嬉しい悲鳴
[14259]uttさん
予期していなかった反響に、オドロキました(笑)。太白さんに101回目の書込みだからとプロポーズをしたら、プロポーズ(返し)=宣戦布告を頂戴したし(笑)。ま、私も人事異動までは余裕があるので、鋭意努力して、お調べする次第であります。でも、今度の異動では変わらないみたいだから、今しばらくは、楽しく調査活動ができそうです。我が地理アドバイザーも、北海道大好き人間ですから、釧路市立図書館に半日こもって調べてくれたり。あ、一応注釈すると、友人は、自分が調べたかった鉄道関係の話のついでに、探してくれたようですが。

注釈:propose:(結婚を)申し込む、という意味で日本語では使われることが多いかと思いますが、念のため手持ちの辞書を調べると、宣戦布告=declaration of warとなっていました。太白さん、又はZzzさん。アメリカ英語ではproposeを宣戦布告の意味に使うことがあるのでしょうか。英検ウン級(1ではありません)を持っている者としては気になるところであります。でも、私もpropose=宣戦布告、という記憶はあったのですけれどハテナ???

注が長くなりましたが、函館の無念は、私の感想としては、函館市は我が道を行くのよ、ということで、納得しているのでは、と思っていましたが。拙稿[11539]で、そこまでは記述しませんでしたけれども、そういうこと、ということで。。。ではご納得されませんか?

でも、あまり北海道関連で「無念シリーズ」を続けると、道民から怒られそうな気が・・・。紅葉橋瑤知朗さん、いかがでしょうかねぇ?
[14256] 2003年 4月 29日(火)08:55:05【1】三丁目 さん
歌志内と芦別
[14050]太白さん
○芦別の無念:富良野は観光開発に成功したのに、カナディアンワールドはどうして倒産したのか?
○歌志内の無念:コメント不要かも。今、ここの主要産業は何なのでしょうか…。
この話は、職場で友人とメールのやりとりをしていた中で、若干ふれていたので、昨日は出勤しましたから、ちょっとご紹介します。

というのも、旧炭鉱町を大合併した「空知市」構想が、あったらしいのです。ただし、相当以前に、我が地理アドバイザーが、新聞かなにかで見たくらいなので、正確な記述ができません。というか、これをテーマに調査しようと思っていたのですが、信憑性、具体性があまりに乏しく、話が膨らまなさそうだったので、途中でやめていたのです。それで。

人口も面積も小さい歌志内市、上砂川町などは、砂川市と合併するのが現実的なのですが、どうせするなら、赤平市、芦別市、三笠市、夕張市もと、面積ばかりが広がってしまい、どこが中核になるかで収拾がつかなくなってしまったのではないか、と、詳しい資料を見つけられない中では、思いました。

いわき市のように、大きな市へと合併していくのが最適な道だったのではないか、と私は思います。構想はあったようですが、具体的な動きはこれまで見受けられません。現在ある、中空知地域任意合併協議会(赤平市、滝川市、砂川市、歌志内市、奈井江町、上砂川町、浦臼町、新十津川町、雨竜町)も、はてさて、どうなることやら。

そもそも各市町は、交通・流通がそれぞれが滝川、砂川、岩見沢などの函館本線沿線から櫛状に東西に連絡していて、地形的にも各地域同士の南北のつながりが(たぶん)薄かったのではないでしょうか。また、旧炭鉱会社も芦別が三井、赤平が住友、歌志内が北炭、上砂川が三井、夕張が北炭と三菱、などのように、歴史的にも交流が少なかったことが、連携が進まなかった要因と考えられます。

なお、歌志内市HP>歌志内の概要>人口、で、簡単に歌志内市の人口盛衰がわかります。また、市HP>PDFファイル(下の方にあります)>PDFファイルのダウンロード、からダウンロードすると、P.7~9にかけて、産業・経済がありますから、ご参照頂けますか。企業誘致に頑張っているようですよ。

それで、芦別市のカナディアンワールドについてですが、現在は、同名の公園になっているのですね。
[14171]で紅葉橋瑤知朗さんがおっしゃられているように、不人気だったから破綻した、につきてしまうと思うのですが。結論としては、当たり前過ぎて、面白くないですか?
念のため「破綻した第三セクター」で検索しましたが、50件と出てきませんでした。いくつか見ると「今日実質的に破綻している苫小牧東部開発もその一例である。」なんて記述もありました。

ノホホンとしていたら、[14221]でYSKさんが広域市町村のエリア北海道編をご紹介されていますね。その中の中空知広域市町村圏組合が、現在の合併協議会とほぼ同じですから、これが我が地理アドバイザーがどこかで見たという「空知市」構想だったのかもしれません。

また、忙しいとおっしゃっていた太白さんも、[14250]にて書き込まれていて。今晩あたりノンビリと書き込もうと思っていたのですが、急遽、朝にリリースします。
[14205] 2003年 4月 28日(月)19:02:56【1】三丁目 さん
困ったなぁ、と鰊漁、と新千歳空港関係
[14123]オーナーグリグリさん
居住地、出身地については、皆さんからのご回答がある程度出揃ってから、どのようにお答えしたものかと考えていたのですが、先ほどメンバー紹介を見ましたら、私の欄が若干修正されているようですね。出身地は、あれで良いでしょうか?いつも複雑な心境になってしまう項目なのです。公に書くときは、やむを得ず「不本意」ながら東京都としているのですが。
聞かれてもいませんがタラタラ続けると、私の本籍はもともと山形県村山市楯岡だったのですが、社会人になって何かの手続きをする際に、市役所の方から「あなたの本籍は山形県じゃないですよ」と言われ、ビックリしたことがありました。父が家を建てた際に本籍を動かしたことを後で知りましたが、目に見える公的な山形との繋がりは、これでなくなってしまったのかぁ、とちょっと寂しく思ったものです。
また、居住地も「首都圏」又は「1都1県」を思いついたのですが、ガイドラインにはあてはまりませんよね。今さら「内緒♪」でもないですし、「不定」もちょっとニュアンスが違うし。今のままで構わなければ、自分が最も納得できる書き方を、現在はして頂けているものですから。差し支えるようであれば、私の書き込みの中から「これにします」、とご教示頂けませんか?

[14142]Issieさん
>鰊は、だんだん北の方へ移動し、留萌方面では、1950年代までは獲れた、と聞きました。
1960年代前半でしょうか、
フォローありがとうございます。昭和30年代までは獲れたと聞いていたので、落書き帳では西暦表示を心がけていたものですから、どのように書いたものか、と考えたのですが、昭和30年代後半までだったのですね。

[14151]スナフキんさん
スキーリゾート列車や富良野行の臨時直行特急などはわざわざ札幌からやってくると、南千歳~空港地下駅間を1往復して客拾ってから各地へ散っていく、みたいな運転方式をとる列車もたまにありますね。JR北海道も新千歳空港なしではやっていけないことがよくわかっているはずなので、
地元紙を読んでいたら、道南方面から新千歳空港駅への直接乗入れを要望した地元に対して、JR北海道は、含みを残す回答をした、とありました。実際のところは、そのような工事はしないだろうと、私は思ってますが。道南方面への対応工事をすると、道東からのルートはどうするの?になりますしね。
でも、現在の新千歳空港駅への列車の乗入れ体制は、道内の観光ルートに影響を与えたのではないか、と思ってました。

あとは独り言。拙稿[14060]のタイトルが、先日見たときは、1行ギリギリになんとか収まったと思っていたのですが、2行に変わってしまいました。長ったらしいとの自覚はありましたが、なんか、ちょっと恥ずかしいな(・。・)
[14137] 2003年 4月 27日(日)20:37:52【1】三丁目 さん
ニシン、補遺編
先般、拙稿[14009]で、鰊御殿をご紹介いたしましたが、ネット検索では私が見落としている可能性があると思ったものですから、念のため、檜山支庁、留萌支庁、後志支庁に電話して聞いてみました。檜山支庁は、資料を送りますよ、と向こうから言ってくれました。留萌支庁は、参考URLを教えてくれました。後志支庁は「小樽、泊、寿都以外にありますか」という私の質問に「それで全部です」でした。

対応してくださった方の性格?によるところもありますが、支庁が再編される可能性があるところは、観光や地域振興のためでしょうけれども、いろいろと教えて頂けたなぁ、と思いました。

それで、私が鰊御殿は檜山支庁管内では、「旧中村家」「横山家」以外にありますか?とお聞きして、送って下さった資料は、
(1)旧中村家住宅のパンフレットのコピー
(2)「江差」(旧中村家住宅が所在する江差町の概要パンフレット)
(3)「ひやま」(江差町が所在する檜山(北海道南西部)の概要パンフレット)
です。せっかく資料を頂きましたので、そのご好意にお応えせねば、と思い、少々檜山地方をご紹介、ということで。(1)、(2)、(3)の順でだんだん範囲が広がるようにして頂いているのは、丁寧だなぁ、という印象を持ちました。

さて。江戸時代に、松前藩は、寒冷地ということもあり、米がほとんどとれませんでした。しかし、多量に獲れる鰊によって、藩の経済は支えられていました。だから、「ニシンは魚に非ず、米である」とのことで「魚編に米」と書いて「鯡」と表していました。なお、上記に資料一覧を書きましたが、面白いことに「江差」の中では、全て「鯡」で表記が統一されています。

文政の頃(江戸時代後期)には、3港の戸数、江差2千戸、福山(現松前町)3千戸、箱館1千戸と言われ、「江差の5月は江戸にもない」と言われるほど、盛んでした。5月になると海が安定し、獲れた鰊等の海産物を取引するために、北前船が多く出入りしていた様子を表現したものです。

しかし、鰊の回遊が見られなくなり、やがて鰊漁は衰退してしまいました。ちなみに、資料には1913年(大正2年)を最後に回遊が見られなくなった、とあり、江差方面が道内では最も早い時期に獲れなくなったところです。鰊は、だんだん北の方へ移動し、留萌方面では、1950年代までは獲れた、と聞きました。

ところで、「ひやま」には「北海道南部に位置する檜山は10町で構成され、北海道で最も古い300年の歴史を持つ地域です。北海道のイタリアと呼ばれ…」とあったので、えっ???イタリア?たしかに伊達市は、北海道では比較的温暖なので「北海道の湘南」、とは耳にしたことがありましたが、イタリアとは。これわオドロきました。ということで、さっそく我が地理アドバイザーにご意見を伺ったところ、やっぱり聞いたことない、とのことでした。

個人的な感傷を少々述べますと、檜山支庁管内では、奥尻島のことが気にかかっています。私が北海道にいた当時、奥尻島で地震が起こり、津波によって青苗地区が壊滅的な被害を受けました。ちょうど阪神・淡路大震災のときのように、お手伝いに行く話があったのですが、私事都合により、そのときはお断りせざるをえませんでした。だから、その後の復興状況を知りたかったのですが、首都圏ではなかなか情報が入ってきません。ネットの北海道新聞では、過去記事の検索が有料なのですよねぇ。ウ~ラ~メシヤァ。室蘭民報、苫小牧民報でさえ、無料なのにぃ。。。あ、今気づいたのですが「ひやま」の裏に「北海道南西沖地震。全国通々浦々の皆様方の暖かいご支援と励ましのお言葉。そして、今、檜山は元気になりました。」とあるから、もう、お元気なのでしょうか。

最後になりましたが、「北海道檜山支庁商工労働観光課観光振興係」様、資料を送って頂き、ありがとうございました。と、この場をお借りして、お礼申し上げます。
[14060] 2003年 4月 26日(土)18:52:17【3】三丁目 さん
痛いっ!本当に塩を頂くとは!(敵に塩を送るとは、ホントはカッコいい意味ですよ。念のために。中学生の皆さん)
[14050]太白さん
[14020] 三丁目 さん
>太白さん、北海道について、何かお知りになりたいことはございませんでしょうか?
宣戦布告(プロポーズ)されたからには、受けて立ちましょう(笑)。
○苫東の無念:特に、今この場所がどうなっているのか気になります。
○芦別の無念:富良野は観光開発に成功したのに、カナディアンワールドはどうして倒産したのか?
○歌志内の無念:コメント不要かも。今、ここの主要産業は何なのでしょうか…。
○丘珠空港の無念:いや、別に丘珠のことが知りたいのではなく、何故新空港は離れた千歳に立地されたのでしょうか。また、なぜまだ新しいのに「新」千歳空港になったのでしょうか。(千歳空港建設時に、その後の乗客の伸びが予想できなかった?)
○夕張の無念と復活:なぜ、メロンに目をつけたのか(笑)
普段は、こんなに長く引用は、しないように心がけているのですが。それで、太白さんへ。

[14055]雑魚さんのお答えを、千歳空港と夕張についての、とりあえずのお返事とさせて頂きつつも(雑魚さん、ありがとうございます)、紅葉橋瑤知朗さんが地元から的確にお返事されるかもという思いもありながらも、調査させて頂きます(笑)。ところで、苫東は、原野のままです、、、じゃだめですか?私が北海道にいた頃と変わっていなかったことを、3、4年前に行きましたから、確認したのですが。

しかし、アメリカにいらっしゃって、よくカナディアンワールドをご存知で・・・たしか私も、2回行きましたが。ゴールデンウィークに行って、雪がチラついたのは、さすが北海道だと思ったものです。今にして思えば、雨後の筍のようにできたテーマパークは、数少なくも私が感じることができた、日本のバブル現象の一つだったかもしれません。
なお、歌志内市については、おっしゃっられているように、コメントは不要じゃないかと、私も思います。とりあえず、三丁目的分析は、行ってみますけれど。

それにしても、「無念」。。。多いですねぇ。共同執筆で、無念シリーズを手がけませんか?(笑)私は、楯岡、小樽、平の3部作で、終わりかなぁ、と思っていたのですけれども(^.^)/
[14020] 2003年 4月 26日(土)09:27:26【2】三丁目 さん
お返事し忘れてた失礼なレス、近畿地方は2府4県、それと101回目だから・・・
[13854]KMKZさん
KMKZは「さらりひまんのけものみち」の真下(?)の「さらりひまんのもぐらみち」を毎日往復しています。
#地下鉄大江戸線の愛称を「ゆめもぐら」にする案もあったとか。
「ゆめもぐら」案も、確かにありましたね。そういえば、都営12号線(光が丘~練馬)が、大江戸線(全線開通)として新宿まで乗換ナシで行けるようになってから、光が丘駅まで、遠方から自転車で来る人が増えて、電車が混むようになったと新聞で読んだ記憶があります。
と、これだけだったら、一昨日までで書けてたはずなので、昨日、電車の中吊り広告を見て気づいた話を付け加えます。手塚治虫マガジンなる雑誌が創刊されており、「どろろ」を連載中と、初めて知りました。元手塚治虫ファンクラブ会員としては、名作が新たに読まれる機会のあることは、喜ばしい、と思ったのでした。
なお、付け加えますと、「さらりひまんのけものみち」は、エルタワー内の非常階段を通るところがミソです。こんな使われ方をされるとは、想定もしていなかった作りだからでしょう。階段が細いので、対面交通が大変なのです。

[13953]カッパーさん
はい。ぼくの学校では2府4県と習いました。
ありがとうございました。よかったぁ。今でもそのように教わるのですね。ニジェガロージェッツさんは私よりも年上だし、まがみさんは、年齢を探る手かがりが書き込みの中から見つからないし(笑)。ということで、カッパーさんを頼りにしてました。それで。。。三重県さん、しつこいようですが少なくとも、近畿地方ではあなたのことを、お仲間とは思っておりませんので、あしからずぅ。あ、でも、もしかしたら関西地方という括りだとお仲間なのかな?

[14007]太白さん
三丁目さんの追い上げが急ですので(笑)。それはさておき、三丁目さんは次が100件目の書き込みのようですね(前祝)。
前祝、ありがとうございます。実は、先般、太白さんからご祝辞を頂いてから、100回目の書き込み内容は、意識してしまいました。だから、三丁目らしい北海道ネタにしてみました。ホントは小樽関連の書き込みを続けるつもりだったのですが、予期せぬところから、私には珍しい東京ネタを、間に入れてしまいましたが。ところで、この書き込みは101回目ですからプロポーズ?を。太白さん、北海道について、何かお知りになりたいことはございませんでしょうか?(これぐらいは営業トークで、丁寧に御用聞きしなくちゃね)。我が地理アドバイザーとともに、全力を傾けて調査いたしますぞ\(^^\) (/^^)/敵?に塩を送るのも、武士の情けですよ(笑)。ま、とりあえず、新ネタで楽しく調査を続けているところですけどね。

最後になりましたが、オーナーグリグリさん、お忙しいにもかかわらずメンテナンスして頂き、ありがとうございました。
[14009] 2003年 4月 25日(金)15:05:05【1】三丁目 さん
小樽、ニシン編
私が、鰊漁といえば、鰊御殿がある小樽市のイメージがあるんだけど、と釧路在住友人にメールで書いたところ、「ソーラン節で知られる、江差を中心とした檜山地方のイメージがある」との返事が返ってきました。友人は旭川出身ですから、地元的には、留萌地方というイメージもあるんだけどね、とのこと。
(注:正確を期すと、ソーラン節は、積丹半島方面が発祥とされていて、余市町等が、我町こそがふるさとである、と諸説入り乱れているところです。檜山方面の歌としては、1963年から全国大会が開催されている、江差追分が有名です。)

その後、しばらくメールのやり取りを続けたのですが、鰊については、若干の調査を踏まえて、少々、補足したくなりました。

というのも、小樽で鰊漁が栄えて、そのなごりが鰊御殿だということは、間違いではありません。しかし、鰊漁と言えば小樽のことで、小樽を中心に栄えたと理解されるとなると、檜山方面の郷土愛好家の方々にしてみれば、納得がいかないのではないだろうか、ということなのです。

現在残っている鰊御殿は、かつての鰊漁の繁栄ぶりを示す文化遺産ではありますが、維持管理している市町村等からみれば、観光資源の1つとなっています。元々は、網元と呼ばれた豪商と、その使用人の住居だった鰊御殿は、鰊漁が衰退していくとともに傷んでいった建物を譲り受け、市町村等がお金をかけて修復し、維持管理しているのが、現在の姿でしょう。

小樽には観光客が多く、現存する最大規模の鰊御殿が、市内祝津の高台にあり、目立ちますから、鰊御殿&鰊漁=小樽というイメージにつながりやすいのですが、後志、檜山の昔を知る人に言わせれば、元はこちらにたくさんあったのに、という感じでしょうか。

それで、ご参考までに。私が確認した、道内での鰊御殿です。
[檜山地方]
旧中村家(檜山郡江差町。)
横山家(檜山郡江差町。ただし、横山さんが現在もお住まいなので、全部を見学できるわけではありません。)

[後志地方]
鰊御殿(旧青山別邸)(小樽市。現存する中で最大規模を誇る建物。泊村から移築。)
もと鰊御殿「銀鱗荘」(小樽市。現在は、旅館として営業しています。)
もと鰊御殿(泊村郷土館)(古宇郡泊村。)
もと鰊御殿「お宿鰊御殿」(寿都郡寿都町。現在は、旅館として営業しています。)

[留萌地方]
留萌旧佐賀家漁場(国指定史跡)(留萌市。)
花田家番屋(国指定重要文化財)(留萌郡小平町。)
岡田家にしん番屋(苫前郡苫前町。)

なお、留萌地方については、北海道人という道庁が運営するサイトの「留萌のニシン街道」としてまとめられており、参考URLは、http://www.hokkaido-jin.jp/heritage/01.html となります。

と、ここまで書いたところで、念のため、「鰊御殿」の検索結果を、もう一度丁寧に見ていったところ(だって1000件以上出てきて、大変なのですから)、リンクフリーのURLを見つけました。鰊御殿については、このURLをスクロールすると、「ニシン漁」のところに記述されています。せっかくたくさんタイプしたのに、その文章を破棄するのは悔しかったので、最後までお付き合いさせてしまって、申し訳ありません。
http://www.onitoge.org/nyumon/rekishi9.htm
こちらは、個人の方が作成されていますが、全体を読んでいくと、北海道のことが、全般的にわかるようになっています。

オマケの情報
検索結果の中には、「純米大吟醸、鰊御殿(にしんごてん)製造元、北の誉酒造株式会社」というのも、出てきました。飲まれた方ぁ、おいしかったですかぁ?(-.-)凸
[13937] 2003年 4月 24日(木)19:06:26【1】三丁目 さん
レス&レス
[13891]てへへさん
数字の地名の数字の読み方で、京都読みは昇順読み、丁目読みは降順読みとも言えるのではないでしょうか?
言われるまで、気がつかなかったですよぉ。思わずうなずいてしまいました。

[13892]白桃さん
本当に充実した半年でした。皆様、ではまたお逢いできる日を楽しみに、ごきげんよう。
残念ではありますが、また、戻られる機会をお待ちしております。条件が整えば、月の輪熊さんのように(かな?)、復帰されることを楽しみにしております。私自身も、人事異動までは、今のペースで書き込みができるのですが、変わったら参加は難しくなるかもしれません。「あんたは変わらないよ」と飲んだ席で言われましたが。

[13899]まがみさん
>これが、まがみさんが用意しておられた未定稿の1つなのですね?
いえ、[13745]のレスのために急遽つくったものです。なので未定稿とは別物。
なんと!!やっぱりテーマを分けてくださいぃ。。。あ、でも、まがみさんから頂けたとしても、私が消化不良を起こすかもしれませんね。その人に合った、持ち味というものがありますよね。私が頂いたレスは、一般向けの方ですし、ね。

[13913]太白さん
10万字達成おめでとうございます!
ありがとうございます!書き込みランキングをよく見ておられるのですねぇ。私も、言われて初めて気づきました。いつのまにやらseahawkさんを抜いてしまったではありませんか。3月末には、太白さんとseahawkさんが、ハゲシク争っていたのを書き込みで知り、印象に残っていたのですけれど。2回リリースした「Re:神戸M&M」で、文字数を稼いだんじゃないかと、ヒヤヒヤしてましたよ。

[13931]カッパーさん
拙稿[13859]で2府4県と書きましたが、私が習った20年以上大昔に比べて、今でもそう聞きますか?実は、書き込むときに、カッパーさん、どうですか?とお聞きしようかと思いつつも、まぁいいかなと考え、お願いするようには振らなかったのですけれどもね。
[13859] 2003年 4月 23日(水)22:50:50三丁目 さん
三重県は中部地方
[5462]二ジェガロージェッツさん
このうち、「道州制案」は(中略)北海道、東北(6県)、関東(山梨を含む1都7県)、北陸(長野を含む5県)、東海(三重を含む4県)、近畿(2府4県)、中国(5県)、四国(4県)、九州(7県)

[11116]なもさん
近畿地方(2府4県)の中心点→大阪府 堺市から沖合4㎞の大阪湾上

2府4県で検索したら、過去の記事は2件だけ検索できましたが、私がかねてから不思議に思っていたのは、確かに経済圏として、中部地方(愛知県)との結びつきが強い一方で、県の一部は関西圏のベッドタウンでもあるという不思議な立地の県ですね。でも、尼崎市で「近畿地方は2府4県」と習った記憶があるので、疑問の余地のない話だと思っていました。2府4県は、私にとって固有名詞のような感じです。ちょうど、「関東地方は1都6県」と高崎で教わったのと同じように。
都道府県のことを習う小学4年生の、8月に転校したから、私にはこのような記憶があるのですけどね。

だから、私には三重県が近畿地方に入るとなると、非常に違和感があるのです。え?中部地方じゃないの?という感じです。近畿に入ってくるなよぉ、とまで言っちゃいましょうか?

中部ではないとすれば、ニジェガロージェッツさんがご紹介されている、東海、でしょうかねぇ。
[13839] 2003年 4月 23日(水)21:23:31三丁目 さん
さらりひまんの「けものみち」
大辞林(国語辞典)によると「けもの-みち」[獣道]
けものの往来によって、いつの間にかできた山中の細い道。「―に迷い込む」……だそうですが。

今回は東京ローカル、というか西新宿限定で。釧路の友人に、メールで先に送って読んでもらったところ、地の利がないからさっぱりイメージがわかない。新宿西口って、どこが地上なのかさっぱりわからないところだ、ということは知っている程度だそうで。ということで、わからない人には、全然面白くない話のようですが、ご容赦のほどを。新宿にいらっしゃる機会があるときの、ガイドブック代わり(になるかなぁ)にでも使ってくださいな。

新宿駅の西方向といえば、都庁へ向かう、動く歩道(西方向)が知られていますが、それよりちょっと北側方面へ行く際の、通勤ルートのご紹介ということで。

JR新宿駅西口を出ると、出来るだけ北側(新大久保側)をしばらくそのまま、まっすぐ西へ向かって歩いてください。
右手に見える、みどりの窓口、OX SHOPを過ぎるとエスカレーターがあります。
エスカレーターを過ぎるとすぐ右(北方向)に曲がってください。

40mくらい歩くと左手(西方向)に、小田急エース館の入口が2つあります。
ツウは手前(南側)からエース館に入りますが、一般の方は、奥(北側)から左折してエース館に入ってください。そちらの方が、人通りが多いはずです。

そのまま、道なりにエース館の中を西方向へ歩くと、いったん建物が終わり通路を横切ることになりますが、5mくらい先で、またエース館に入れますから、そのまま続けて歩いてください。
また、道なりに歩いて行くと、とうとうエース館を出ます。

出たら右(北方向)に曲がり、30mほど歩くと、左手(西方向)に階段と短いエスカレーターがあります。
そこを上がって、新宿エルタワーに入ってください。
エルタワー内を、西方向へ直進すると、正面の遠くの方に埼玉県領事館があります。

その領事館の手前左側(南方向)に、上の方に「非常口」と緑の表示がある、人がやっとすれ違える細い階段があるから、そこを上がってください。螺旋状の階段を上ると、地上に出られます。

地下をグルグル歩いて、方向がわからなくなったかもしれませんが、これで西方向へ歩いていけば、損保ジャパンビル、新宿野村ビル、新宿アイランドタワー、そして新宿警察署へ行けます。
これをマスターすれば、きょうからあなたも西新宿・北側方面の、一人前の「さらりひまん」。

平日の日中も、それなりに人通りがありますが、圧巻は夕方5~7時頃へかけての、帰り道でしょう。ご紹介した行き方を、ちょうど逆方向へ歩くことになりますが、エルタワーに人が吸い込まれていく様子は、まるで蟻が巣に帰っていくようです。

ちなみに、朝の通勤時には、小田急エース館がまだ開いていないから(午前10時開店でしょうか)、ご紹介したルートでエース館を抜けていくことはできません。
職場の人が「さらりひまんのけものみち」と言っていたのは、言い得て妙だと思ったものですから。たまには、フィールドワークに基づいたお話をご提供、ということで。地下部分から地上へつながっていくルートは、さすがに地図には表記されていないのではないでしょうか?

昨日、保険勧誘員の人に見せた原稿が、これです。
[13828] 2003年 4月 23日(水)20:06:07【2】三丁目 さん
北部方面三丁目師団からのお返事
なにやら、私が知らないうちに、重要な任務をおおせつかったようで。

[13763][13764][13765][13766]YSKさん
お気遣いありがとうございます。書き込み、拝見いたしました。道北は、道東とならんで、私の土地勘が鈍い地域ではありますが、たいへん興味深かったです。本日、友人とのメールのやり取りを読み直したことと併せて、3つほど新ネタを思いつきました。どこまでモノにできるかわかりませんが、とりあえず調査に取りかかり始めました。
調べ始めると、いろいろと話が膨らむものですから(膨らませてる?)、小樽編については、実はあと2つ用意しております。それに絡んで、檜山支庁に先日電話したのですが、先方から送りましょうか、と言ってくれた資料が、本日郵便で届いておりました。観光PRになるとの判断で、送ってくれたのだとは思いますが、檜山支庁や江差町のためにも、ネタ探し道を、より一層精進せねば、と誓いを新たにするところでした。

[13777]まがみさん
これが、まがみさんが用意しておられた未定稿の1つなのですね?恐れ入りました。これは受けましたよ。

[13791]KMKZさん
迅速な対応、ありがとうございました。実は、昨晩のうちに気づいたのですが、お酒により、書き込み不能状態となっておりましたゆえ、お礼が遅くなりました。

[13800]雑魚さん
メンバー紹介文の出身地、居住地に関する項目ですが、一通り対処したつもりです。
出身地をどのように書かれたのか、興味を持って早速見たところ、笑ってしまいました。職場で読んでいるんだから、あんまり面白いことを書かないでください!!プンップンッ(と言いながら、笑いを抑えられなかったのですけれど)。私の気持ちを汲んで頂き、ありがとうございました。

[13802]般若堂そんぴんさん
喜国雅彦氏「三丁目防衛軍」という作品がありましたね.良い子の皆様は絶対に読まないように!(三丁目さん,どうか御容赦ください)
あ。その漫画を読んだことがなくて、なんのことやらさっぱりわかりませんので、反応のしようがありません(笑)。これから漫画喫茶に行って、読んでみようかな。ちなみに「三丁目」は、私の転居歴の中では最も多かったから、馴染んでいるし、好きなのです。住んだ中での最大数値は、「西16丁目」でしたが、これは番外編ですね(笑)。

[13820]ありがたきさん
「47都道府県制覇」って言葉を使ったりしますが、住民票を置いた事のある方って居るんでしょうか?
そのように、転勤族を刺激するような言葉をおっしゃらないでください。私は7都道県ですね。北海道で3市、東京都で3区、埼玉県で3市、兵庫県で3市がダブッてますから、ちょっと損?してますかね。ちなみに、私は都会への憧れはありません。ただ、仕事の関係で首都圏におりますけどね。でも、献血したことがあるのは、40都道府県ですゾ。エヘン(ちょっと自慢)。目標は、47都道府県制覇にしているのですが、残すところは九州地区で、現在居住地からは、いかんせん遠くて。


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