都道府県市区町村
落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

北海道、富良野・美瑛紀行

トップ > 落書き帳アーカイブズ > 北海道、富良野・美瑛紀行
記事数=25件/登録日:2003年6月26日/編集者:YSK

北海道の著名な観光地の1つとして、多くの観光客を惹きつける富良野と美瑛の魅力とは何か。また、観光地としての将来性はどうか。こういった観点からのメッセージを集めました。この地域、なかなか人も訪れない隠れたスポットもあるようで、なかなか奥が深いようです。

… スポンサーリンク …

★推奨します★(元祖いいね) BANDALGOM

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[281]2001年6月12日
Issie
[738]2002年1月27日
Issie
[10143]2003年3月1日
千葉市民
[15652]2003年5月21日
三丁目
[15658]2003年5月21日
NS
[15667]2003年5月21日
NS
[15669]2003年5月21日
スナフキん
[15677]2003年5月22日
カッパー
[15681]2003年5月22日
NS
[15684]2003年5月22日
ペーロケ
[15691]2003年5月22日
YSK
[15701]2003年5月22日
深海魚
[15711]2003年5月22日
ken
[15715]2003年5月22日
三丁目
[15718]2003年5月22日
NS
[15724]2003年5月22日
深海魚
[15729]2003年5月22日
紅葉橋律乃介
[15783]2003年5月23日
NS
[15875]2003年5月25日
三丁目
[16070]2003年5月28日
三丁目
[16072]2003年5月28日
NS
[16078]2003年5月28日
ken
[16169]2003年5月30日
三丁目
[16201]2003年5月31日
NS
[16955]2003年6月18日
三丁目

[281] 2001年 6月 12日(火)20:16:31Issie さん
RE:北海道の郡
北海道の「郡」は,松前藩支配時代の区画に起源をもつものです。
地図をご覧になればおわかりになるかと思いますが,ほとんどの郡が“川の水系”で区画されています(例外もありますが)。
たとえば石狩川支流の空知川水系は「空知郡」。だから,空知川上流の富良野盆地は「空知郡」。同じく,勇払川と鵡川の流域が「勇払郡」。だから,鵡川最上流の占冠村は「勇払郡」というように。
明治に入って内陸部の開拓が進むまでは,和人が出入りしたのは基本的に海岸部に限られ,内陸部に入る場合は河口から川をさかのぼっていった,という事情があるように考えています。
最初に述べたとおり,1869年に「北海道」という呼称を定め,11の「国」とたくさんの「郡」に区分したとき,以前からの区画がほぼそのまま踏襲されたのでしょう。

しかし,内陸部の開拓が進展して交通網が整備されれば,従来の「河口からさかのぼる」区画は不合理になります。
たとえば,富良野盆地は空知川の峡谷を介してつながっている石狩平野よりも石狩川上流の上川盆地(石狩国上川郡)に地形的に連続しているし,実際に鉄道の根室本線は当初,滝川からの空知川ルートではなく旭川から美瑛を経て富良野に向かうルートで開通しました。こういうつながりから,空知郡の富良野盆地は石狩平野の「空知支庁」から切り離されて,上川盆地を中心に,天塩川上流の天塩国上川郡・中川郡と,鵡川最上流の占冠地域をまとめた「上川支庁」の所管となったのだと考えています。
虻田郡の南部・噴火湾側が「後志支庁」ではなく「胆振支庁」に,天塩郡の最北部が「留萌支庁」ではなく「宗谷支庁」の所管なのも,同様の地域的つながりによるものでしょう。

ところで,「上川支庁」の「上川郡」はやや複雑で,塩狩峠を境に石狩川水系の「石狩国上川郡」と天塩川水系の「天塩国上川郡」とに分けられ,この2つは“別々の郡”として扱われます。
「上川郡」は「十勝支庁」にもありますが,これは「十勝国上川郡」。この3つは石狩国の上川郡を中心に山地を介して隣接していますが,お互いに関係があるのかどうかはわかりません。
中川郡も十勝支庁(十勝国)と上川支庁(天塩国)にありますが,もちろんこの2つも全く別の郡として扱われます。
「上川郡」も「中川郡」も,それ自体はアイヌ語起源ではなく完全な日本語で,しかも“没個性的”かつ“記号的”な単語ですから単に「川の上流または中流」程度の意味でつけられたものが,たまたま重複しただけなのかもしれません。
[738] 2002年 1月 27日(日)18:55:07Issie さん
続:上川郡
あっ,そういえば石狩国上川郡と十勝国上川郡も隣り合っていますね。
でも深山幽谷・人跡未踏の大雪山系でのことですから,地域としての連続性はないのではないでしょうか。
北海道に郡が設置されたのは1869(明治2)年のことですから,内陸部の測量なんてされていないだろうし,まさか隣接してるなどとは下手したら気づかなかったのでは,とも思います。
石狩国上川郡と天塩国上川郡の間,つまり塩狩峠にはすでに交通路が開かれていたようなのでお互いに隣接していることに気づいてはいたであろうと思いますが,「上川」という単一の地域名があったのではなく,3ヵ国の「上川郡」はそれぞれ別個の存在なのだろうと,私は考えています。

逆に,胆振国虻田郡,同勇払郡,石狩国空知郡,天塩国天塩郡の4郡が現在2つの支庁に分断されていますが,これは元々単一の郡であったものが支庁を設置する際に分割されたものです。
たとえば,現在占冠村となっている地域は勇払川の最上流部にあたります。郡分けが行われた段階(さらにさかのぼれば松前藩支配下で商人たちにアイヌとの交易のための縄張りを割り当てたとき)では海岸の河口から川をさかのぼっていくしか方法がなかったので,勇払川の河口から水源まで流域全体が「勇払郡」とされ胆振国に組み込まれました。しかし,支庁が設置された明治半ばには内陸部の交通路がある程度十分に整備され,占冠地域へは旭川から富良野を経て帯広へ抜ける交通路との結びつきが強くなります。そうなると,室蘭の胆振支庁よりは旭川の上川支庁の管轄に入った方が妥当ということになったのでしょう。
空知川流域の空知郡のうち上流部の富良野盆地が空知支庁でなく上川支庁の管轄なのも同じ理由でしょう。

つまり,“北海道庁制”が実施され道内を支庁に区分する頃には内陸部開拓の進展によって国郡制が実施された明治初めとは地域間の結びつきがかなり大きく変わってしまったので,支庁の管轄区域を区分するのに国郡の区画には必ずもこだわらなかった,あるいは国郡の区分が早くも実態を失った,ということなのでしょう。
[10143] 2003年 3月 1日(土)23:34:31千葉市民 さん
北海道在住経験者です
たま~にしか書き込みしない千葉市民です。
でもほとんど毎日こちらへは訪問しております。
それにしても10,000件(さらにもう140件を超えてますが)とはすごいですね。
最近の書き込みペースの速さにはビックリしてしまいます。
それに地理好きの人が世の中にこんなにたくさんいるなんてうれしくなっちゃいます!

[10135]YSKさん
私、以前北海道に住んでいました。といってももう10年以上前ですけど。
旭川市内在住だったんですが、仕事で留萌・滝川・富良野地方を担当しておりまして、
さすがに留萌方面と富良野方面を一日でまわるということはなかったですが、
旭川から富良野、占冠へは日帰り、また旭川から羽幌も日帰りということは
よくありました。
増毛から羽幌への移動というのもよくやりました。もちろん営業車で。
夏はすばらしい道なんですよねー国道232号線って。北へ向かうときはななめ左に
利尻富士が日本海にぽっかり浮かんでいるんです。
冬の吹雪の時には道だか海だか区別がつかなくて、かろうじて見える前の車の
テールランプが頼りという危険なドライブを何度も経験しました。
で、ここからが本題。
そのときの感覚からすると増毛から羽幌まで(初山別から北には残念ながら行ったことがないんです)は留萌を中心とした一つの「地方」ですね。
「平成の大合併」の現状からすれば、この地方が一つの自治体になったとしても
おかしくないんじゃないかな。
YSKさんもおっしゃっているようにその地域地域に応じた合併の枠組み、その地域の住民が最も
幸せな生活をおくることができるであろうと思われる合併を進めていくのが最適と私は思います。
「面積はこれぐらい、人口は1万人ないといけない」なんて誰が強制できましょう。
“多様性”が進化の推進力なのではないかな、などと思ってしまう今日この頃です。
[15652] 2003年 5月 21日(水)18:35:50【2】三丁目 さん
富良野(太白さんからの戴きもの編)
[14604]太白さん
むしろ、富良野が観光開発に成功したのは何故かが若干気になります。ソフト面で成功したのか、あるいは「北の国から」効果か…(例えば、大河ドラマの舞台となった街は観光客が増えると聞きますので)

この件に係るお答については、我が地理アドバイザー(旭川出身だから、自分の庭のようなものと豪語してますが)からの情報をメインに進めます。それで、結論からすると、なんといっても、「北の国から」効果が大きいと思われます。

大河ドラマならば1年限りで、観光ブームもすぐに冷めてしまいますが、「北の国から」は、20年にわたって何年かおきに続編が放送されるという、一地方を舞台とするTVドラマとしては異例に長いシリーズであったため、富良野は長い間、観光客に忘れられることなく、ネームバリューを保ち続けることができたのでしょうね。倉本聡サマサマです。

上富良野町のラベンダー、中富良野町の富田ファーム、富良野市の麓郷の森(北の国からのロケ地)と、1日コースで回れる一連の観光の目玉が、特に若い女性にウケたことと、フラノスキー場周辺に、ホテル、ペンション街が発展し、宿泊客の収容力となって、多くの観光客が訪れることとなりました。

また、北海道の真ん中という地理的条件も、発展の一因と思われます(富良野市自称、北海道のヘソ)。古くからの観光地である、登別温泉・洞爺湖地域と、阿寒湖・摩周湖地域からは距離が遠いため、同様な立地であるトマム(占冠村)、サホロ(新得町)などとともに、その中間宿泊地点にあたります。これら二つが山岳リゾートなのに対して、富良野は、広大な田園風景が特徴的だったために、異なった風景を持つ魅力が、アピールしたものと考えられます。

北の国からシリーズが始まった頃は、ちょうど石勝線が開通した時期(拙稿[15543]をご参照下さい。)と重なり、それまで道東行きの特急列車が停車していた富良野は、スキー客も観光客もトマム等に奪われ、今後さびれてしまうのではないか、と悲観されていましたが、良いタイミングで「北の国から」が始まったものですね。

かつては、スキー場の名は「北の峰スキー場」でした。それがフラノと改称され、本州からもスキー客が押し寄せる、一大スキーリゾートに発展しました。また、ワールドカップが開催されたことも、ゲレンデのイメージアップにつながっていると思います。スキー場の知名度としては、トマム、サホロも躍進したのですが、いかんせん夏の観光目玉に乏しかったために、通年観光客を引き付けることができた、富良野の方が、成功しているのではないでしょうか。

そうはいっても、観光イメージを保ちつづけることは難しいですから、「北の国から」が終わってしまった今は、富良野はこれからどうしようかと、模索しているところのようです。と、地理アドバイザーは申しておりますが、私は、一度よい観光イメージが植えつけられれば、大きなマイナス要因でも発生しない限り、そこそこやっていけるのではないか、と考えております。皆さんは、どう思われますか?やっぱりいずれは、斜陽都市の仲間入り、ですか?

なお、北海道のヘソの話の蛇足として、富良野市では「北海へそ祭り」が、毎年7月に開かれています。HPを読むと、市制施行時に制定された富良野市民憲章に由来するそうで、そういえば、私の先輩社員が富良野在勤時に、この祭りに参加させられた、と言ってたことを思い出しました。
[15658] 2003年 5月 21日(水)20:07:44NS さん
Re: 富良野
[15652]三丁目さん
上富良野町のラベンダー、中富良野町の富田ファーム、富良野市の麓郷の森(北の国からのロケ地)と、1日コースで回れる一連の観光の目玉
最近ではそれらに加え、美瑛町の「パッチワークの丘」「拓真館」も旭川空港と富良野地域の間の目玉として観光コースに組み入れられていますね。

・・・南空知某町で生まれ、現在の実家が北空知某町にあり、かつては旭川市内の某高校に通学していた(大学時代は札幌在住)者からのミニ情報でした・・・
[15667] 2003年 5月 21日(水)23:19:01NS さん
美瑛・富良野
[15661]三丁目さん
美瑛はあくまでビエイ。その名はあえて、独立してご紹介したかっのです。。。それは、私のコダワリ、でもあります。ということで、今しばらく、お待ち頂けますでしょうか?

でも、用意していた未定稿の一部をちょっと、NSさんにコメントされちゃったなぁ。
スミマセン(大汗)。
ま、この他にも美瑛には見どころが満載ですので、楽しみにお待ちしております。

あと、富良野地域といえば、1市2町以外にもう1つ、「南富良野町」もお忘れなく。
(1日コースに入れるにはちと厳しい立地ではありますが、ここにも見どころはいくつかあります。あえて書きません。三丁目さん、こちらの方のアップもお待ちしております)

かつてテレビ東京系の「出没!アド街ック天国」で「富良野」が取り上げられた回(1999年7月24日OA)には富良野市だけでなく周辺の3町も対象にしていましたね。
http://www.tv-tokyo.co.jp/bangumi/ad-matic/9907240.htm
[15669] 2003年 5月 21日(水)23:31:21スナフキん さん
Re:富良野
[15652]三丁目さん
私も、フツーの人に比べれば相当に「北海道狂い」な部類に入るくらい、かなり頻繁に訪れていますが、美瑛・富良野はたった1度、弟の結婚式ついでに親戚一同をレンタカーで導いた、それっきり訪れていません。
上富良野町のラベンダー、中富良野町の富田ファーム、富良野市の麓郷の森(北の国からのロケ地)と、1日コースで回れる一連の観光の目玉が、特に若い女性にウケたことと、
これは、発展要因として大いにあると思いますね。基本的に財布の紐を握っているのは女性のほうが多いわけで、不況に入って久しいこのご時世、女性の心を捉えるとやはりいろんな意味で、強いです。

そうはいっても、観光イメージを保ちつづけることは難しいですから、「北の国から」が終わってしまった今は、富良野はこれからどうしようかと、模索しているところのようです。
確かに、今後何らかの形で「落ち込み」が見えてくる可能性はありますね。私個人としては、「美しい景観にマンネリはない」とは思うのですが、それはあくまでも私の見方。何度も行っておればそのうち飽きる、という人も当然いらっしゃるでしょう。私が「落ち込む可能性がある」と思うのは、三丁目さんがご指摘の
また、北海道の真ん中という地理的条件
という観点からです。とにかく、北海道随一の大都市であり、観光の拠点として誰もが疑わない「札幌」からのアクセスに、これだけの集客があるにもかかわらず難がありすぎます。JRは申し訳程度に直通リゾート特急を走らせてくれますが、いざ富良野へ降り立ってからの行動は、自分の足をうまく確保できないと大変です。札幌からのバスツアーでは、途中の休憩ごとにトイレが大混雑するなどして辟易する人が少なからずいます(親の話なども聞くに及び、これは冗談や笑い事では済まない時期が本当にあるようです)。首尾よく札幌でレンタカーを手配しても、高速道路からの距離は半端じゃありません。赤平・芦別回りで富良野入りし、運が悪いと学田交差点で渋滞にはまって動けなくなってしまいま
す。旭川から美瑛を抜けようとすると、道央道から旭川市街を抜けるのが一苦労です。そこまで苦労して、富良野の景観を堪能しようと人が押し寄せるのですからすごいとは思いますが、何べんも北海道を訪れ、ユースホステルなどで情報交換をする限り、以下のような究極の感想を漏らす人が、結構いるのですよ。

「富良野にせよ美瑛にせよ、景色が美しいのは認める。けど、北海道くんだりまで来て、例えば駐車場の空き待ちだとか、レストランの空き待ちだとか、人込みに揉まれるのだけはご免だ」と。こういう人たちは自分で足を確保できれば、まず「ファーム富田」などは真っ先にターゲットから外すそうです。もっと割り切った人だと麓郷も無視するとか。「富良野盆地は広いのだから、人がワラワラ集まらないところでも、きれいな場所は必ずあるはずだから、自分で走り回って探す」という人たちと、結構いろいろ話をしてみるとそれはそれは、楽しそうなものです。人の多さに辟易する向きは、私もかなりあると思っていますが、それでもなお、上記のようなチャレンジャーがまた、富良野の勢いを盛り返してくれるのかもしれません。逆に、辟易してもなお訪れようとする魅力を、富良野はまだまだ持ち合わせていると思います。

私は「落ち込みが見えてくる」のは一時的であって、「斜陽一辺倒」にはならないのではないかと踏んでいます。とは言え、滝川・深川なら両手の指でも足りないくらい行っていても、富良野には1度の訪問きりの人間がする見方ですから、説得力はあまりないですが。
[15677] 2003年 5月 22日(木)00:11:09カッパー さん
未知の領域。北海道・・・(謎
[15669]
私も、フツーの人に比べれば相当に「北海道狂い」な部類に入るくらい、かなり頻繁に訪れています
ぼくは一度として北海道にはいったことはありません。(もっというと、東北地方・九州地方・沖縄県にも行ったこともありません・・・)

「富良野にせよ美瑛にせよ、景色が美しいのは認める。けど、北海道くんだりまで来て、例えば駐車場の空き待ちだとか、レストランの空き待ちだとか、人込みに揉まれるのだけはご免だ」
やはり観光都市なのでたくさんの観光客が来るというのは予想できますが、ぼくのイメージ上では
                北海道=のんびりできるところ
というようなイメージが先行しているので、観光客でごった返すような北海道にはあんまりいきたくないなあ・・・

「富良野盆地は広いのだから、人がワラワラ集まらないところでも、きれいな場所は必ずあるはずだから、自分で走り回って探す」
やっぱりよい自然があるところは、一部の人しか知らない『秘密のスポット』なのですね!!。

[15652]
皆さんは、どう思われますか?やっぱりいずれは、斜陽都市の仲間入り、ですか?
やはり何か行動を起こさないといけないと思います。はじめなければはじまらないのですから・・・。
[15681] 2003年 5月 22日(木)01:24:57NS さん
北海道観光論
[15669]スナフキんさん
(富良野は)「札幌」からのアクセスに、これだけの集客があるにもかかわらず難がありすぎます。
道内出身者として言わせて貰うと、車移動ができない道外からの観光客には、基本的に「札幌」を起点とした富良野へのアクセスはあまりお薦めできません。「不快さ」を回避したければ旭川空港からのバス利用の方が無難かと思います。
いざ富良野へ降り立ってからの行動は、自分の足をうまく確保できないと大変です。
札幌・小樽・函館以外の道内の大半の観光地(富良野も含む)は車がないと移動が大変に不便な所ばかりなので、旅の自由度を高めたければできるだけレンタカーを使用されることをお薦め致します。
首尾よく札幌でレンタカーを手配しても、高速道路からの距離は半端じゃありません。赤平・芦別回りで富良野入りし、運が悪いと学田交差点で渋滞にはまって動けなくなってしまいます。
札幌方面からレンタカーでアクセスするなら、私は
三笠IC~桂沢ダム~(国道452号)~三段滝~(道道美唄富良野線)~島ノ下~国道38号
というルートをお薦めしますね(この間は三笠市街地くらいしか信号の多い地域もなく高速並みにバンバン飛ばせますし)。
ま、確かにこのルートでも
運が悪いと学田交差点で渋滞にはまって動けなくなってしまいます。
は避けられませんが。
こういう人たちは自分で足を確保できれば、まず「ファーム富田」などは真っ先にターゲットから外すそうです。
結局「何を見たいか」による訳で、「大規模なラベンダー畑など別に見なくても良い」なら当然有りな選択肢でしょう。
人がワラワラ集まらないところでも、きれいな場所は必ずあるはずだから、自分で走り回って探す
現在景観の素晴らしさということで人気となっているスポットも、大半は数年前まで何の変哲もない、ただの人気(ひとけ)のない田舎道だったところであって、上記のような物好きな人々から口コミで広がってメジャー化しただけのものですね。
辟易してもなお訪れようとする魅力を、富良野はまだまだ持ち合わせていると思います。
結局、富良野に限らず、如何に道外の人々が「道内でしか見られない大自然」に普段飢えているか、ということなのでは?という気がつくづく致します。
滝川・深川なら両手の指でも足りないくらい行っていても
親類でも居られるのですか?

[15677]カッパーさん
北海道=のんびりできるところ
というようなイメージが先行しているので、観光客でごった返すような北海道にはあんまりいきたくないなあ・・・
それを実現するには、
・7~8月の道内全域
・6月上旬(YOSAKOIソーラン祭り)&2月上旬(さっぽろ雪まつり)の札幌
等を避け、十分な金と時間を確保してレンタカーで好きなだけ回る、というのに尽きますね。
(ただし一部山岳地帯は7~8月を外すと行けませんが)
[15684] 2003年 5月 22日(木)02:11:50ペーロケ[utt] さん
でっかいどう
[15543]三丁目さん
おお、石勝樹海ロードについてのレス、ありがとうございます。全線が一気に開通したわけでなく、長い年月をかけて順次開通していった経緯を考えると、よほどの難工事であったのかなと推測されますね。それと、
かつて、陸の孤島と呼ばれた占冠村は、・・・
だったとは意外です。

[15652](富良野市自称、北海道のヘソ)
拙稿[11313]で検証しましたが、「北海道のへそ」は実は富良野ではなく、十勝の新得町の山中になります(笑)。まあ、北方領土を含んだ行政区画としての「北海道」でしょうから、一つの「島」としての北海道(もちろん、利尻とかも除いて)では富良野市になるのでしょうか??

[15669]スナフキんさん、[15681]NSさん
こう言ったら富良野の方に怒られるかもしれませんが、私は富良野にはブームが去って観光客が落ち着いてから、ゆっくりと訪れたい場所だなあって思いますね。確かにラベンダーは綺麗ですが、人ごみにうんざりしたものです。また、冬の十勝岳連峰もなかなか絶景ですよ!!
[15691] 2003年 5月 22日(木)08:27:20【1】YSK[両毛人] さん
北海道の風
ちょっと宣伝も含めまして、北海道のお話を。

私は、北海道には都合4回行ったことがあります。7月下旬(道東)、8月上旬(道北)、3月下旬(道東)、2月上旬(札幌とオホーツク海沿岸)ですね。

このうち、8月上旬の道北へ赴いた記録は、地域文「北海道の風」として発表させていただきました([13763][13764][13765][13766])。

この文章では道北の部分(稚内~利尻・礼文)のみがクローズアップされていますが、実はけっこう広い範囲を移動しました。

2002年8月2日~6日のこの地域めぐりの行程は、札幌から夜行特急で稚内~利尻~礼文(1泊)~稚内(1泊)~クッチャロ湖~サロベツ原野~音威子府駅のそばを食べる~羽幌~留萌(1泊)~深川~滝川~歌志内(ここを通っているのがポイント!)~芦別~富良野~美瑛~旭川~札幌~(「北斗星」乗車)といった感じでした。この間、稚内から旭川までの一連の移動はレンタカーです。

確かに、美瑛のパッチワークの丘のあたりや、ファーム富田あたりは、人が多少多い印象は受けましたが、ごった返すほどではなかったような気がいたします。この地域めぐり(「旅行」でないことがポイントその2)では、ほとんど未踏の地をフォローしたのですが、利尻・礼文の豊かな自然景観、富良野あたりの雄大な眺め、美瑛の広大な畑の景観、留萌市の想像以上に発達した印象の町並み、日本海沿岸やサロベツの雄大な眺めなど、ほんとうに堪能いたしました。

やはり、どれだけ多くの平日を日程に取り込めるかなのかもしれませんね。

※なお、上記4回の北海道遠征のうち、2002年2月、雪祭りと流氷祭りに合わせて行ったときは、行きの飛行機でなんと「全額キャッシュバックキャンペーン」に当選し、無料で新千歳まで移動してしまうという幸運に恵まれました。
[15701] 2003年 5月 22日(木)12:12:13【1】深海魚[雑魚] さん
♪あーあーあああああーあー (by さだまさし)
三丁目さん、NSさん、スナフキンさんから見れば、「雑魚」 というよりは 「外道」 と感じられる事でしょうが、実は私、「北の国から」 は とんねるずのパロディーしか存じませんで、「昨日、悲別で」 に至っては知識ゼロ。学生時代の北海道旅行に際し、友人多数が上砂川駅にこだわる事情が判らなかった、という間抜け振りでした。(大汗)

さて、同作品の多大なる貢献により、札幌方面からのアクセスが今一つであるにもかかわらず人気観光地たり得る富良野界隈ですが、1981年の石勝線開業に伴い、特急 「おおぞら」 の経路から外れる事になった当時の地元では、やはり胸中穏やかならざぬものがあったのでしょうね。当時の特急停車駅が岩見沢、滝川、不富良野として、空知-道東の旅客需要が当時の国鉄でどの様に評価されていたのか、興味を覚えるところです。

もっともこの措置は、千歳空港を中心に据えて道内の鉄道体系を一新するという、壮大な構想の一環でしょうから、その後の道内の経済・産業に少なからず与した事でしょう。一方、特急が石勝線経由に移行した後も十年程度、急行 「狩勝」 が救済策よろしく旧来の経路で札幌-帯広を結んでいました。(確か、帯広-釧路は各駅停車として延長。)

[15662] せかさん
昨年リリースされた坂本龍一完全ベストのうちの1枚 「CM/TV」 の43曲目
情報、有難うございます。早速探して見ます。

[15667] NSさん
「南富良野町」 もお忘れなく。
上富良野町、中富良野町と併せて、「富良野」 という地名の広域性が感じられますね。確か町中心部の幾寅駅が 「鉄道員」 のロケ地と記憶しますが、これも特急街道が石勝線に移行したればこその現象かな。

[15684] uttさん
ブームが去って観光客が落ち着いてから、ゆっくりと訪れたい場所だなあって思いますね。
御意。必ずしも御約束の場所でなくとも、色々歩き回って、自分なりのポイントを確保して風景を楽しむ趣向が良いですね。今冬の那須連山に関しては、固有の撮影足場を求めて、那須郡に西白河郡と、計十数箇所を彷徨った雑魚でした。

冬の十勝岳連峰もなかなか絶景ですよ!!
厳冬期の富良野線の紹介写真を見る度に萌えますね。北海道の雪山で最も見応えがあるのは何処だろう? 個人的には、麓の平坦地のヒキを重視しているので、そうなると羊蹄山あたりかな? (駒ヶ岳だと、それ程積雪は無さそうですし。)

[15700] KMKZさん
おおっ、こんなにありましたか。(嬉) 津市の 「江戸橋」 は近鉄の駅名にもありましたね。すっかり失念。
[15711] 2003年 5月 22日(木)16:30:06ken さん
北海道レス
[15691] 両毛人 さん
[15684] utt さん
[15681] NS さん
[15669]スナフキんさん
[15677]カッパーさん
[15652]三丁目さん
他にもあるかもしれませんが。

美瑛は良いですよねえ。

私の北海道体験は、仕事では札幌に何度か行きましたが、印象的なのは道東ですね。
女満別空港→能取湖サンゴ草満開期→北見市内で前に会社で隣の席だった子(人妻)に会う(細君も一緒でしたよ)→チミケップ湖畔のチミケップホテルに滞在、ここ良いですよ。なにせ、付近にコンビニどころか、人家もないしテレビも映らないんですから。
http://www.phoenix-c.or.jp/~grounds/
ちょっと料金高いけど。
チミケップ滞在中、阿寒湖へ往復。
美幌峠、屈斜路湖、摩周湖、弟子屈の何て言ったか360度眺めの良いところ、標津までぶっ飛ばし、国後島を遠望、野付崎、この辺で日の暮れるのが早い北海道では暗くなりはじめ、その日の宿は霧多布だったので、別海町を超高速で飛ばし、霧多布のペンションのマスターに叱られながら夕食。
「夕食は皆揃って、食後もラウンジでお客様皆様で歓談しましょう」というノリのペンションでした。北海道、こういうの多いですよね。バイクのライダー用の宿とかもそうですが。
それと、美瑛でも、詩でも書きに来てるのかという感じの、真面目っぽい大学生っぽい一人旅女の子、よく見かけました。
霧多布の翌日は、霧多布湿原を見、霧多布岬まで行き、厚岸を経て、釧路湿原の近辺で泊。
翌日は、トウロ湖から漕ぎ出す、釧路湿原カヌーツアー。これ絶対お薦めです。(ちょと高いけど)
漕ぎ出すと、いきなり釧網線を潜ります。で、釧路川を下る。下りですし、ガイドのお兄さんが、漕いでますので、自分らは、お遊び程度にパチャパチャ濃いでれば良い。
で、細岡の上陸地まで、車を回送しておいてくれるのです。
あとは、釧路の有名ロシア料理店ルパシカで食事、和商市場で蟹類を買い、
釧路空港から帰路、という道東激走の旅。

これでも、知床行けてませんし、根室にも行けてない。

北海道旅行の注意事項:
内地の時間感覚よりも日が早く暮れる(特に道東)。季節にもよりますが、17時は夜、と思った方が良い。
集落間距離が内地の3倍あると思った方が良い。
余裕を持った時間設定を。

富良野はスキーと夏と両方行ってますが、
[15701] 雑魚 さん
♪あーあーあああああーあー
雑魚さん、ついに、バーストしたか、と思いましたが、さだまさし、ですね。
新富良野プリンスに泊まると、ロビーや客室廊下にずっとあの曲がかかってて(さすがにインストですが)刷り込まれますよお。
しかも、ホテルの空調にウッスラとラベンダーのフレグランスが、混入してあって、気が付くと
♪あーあーあああああーあー
とハミングしている。宿泊客全員がそういう状態だと思います。
一歩間違うと、宗教的色彩をも感じます。館内ムラサキ色だし。

富田ファームは一応行きましたが、初秋でしたから人影まばら。花もまばら。

スキーで富良野に行ったときは、2泊した中日は、ゲレンデスキーではなくて、クロカンスキーツアーを予約してあったのですが、天候不順により中止。これは心残りですね。
また行きたいですね。ゲレンデスキーも良いけれど、クロカンスキーも捨て難い。

[15677]カッパーさん
ツアーで行くのでなければ、車の免許取ってから、レンタカー旅行をお薦めします。
20年昔なら、鉄道の乗りつぶしの旅も絶対お薦めだったでしょうけれど。
ツアーも安いですからね。先日母親と叔母は、函館小樽\29,800とかいうやつに行ってました。
ただし旅行代金に含まれるのは航空機とホテルのみ。レンタカーと全食事は自前、というか、別勘定。
[15715] 2003年 5月 22日(木)18:38:40【1】三丁目 さん
富良野(オマケ編)
富良野市については、合体市制施行ということで、ちょうど興味を持っていたところでした。ということで、まずは富良野史のご紹介から。左から右へ、分村していった経緯となります。

富良野村上富良野村上富良野町(1951年、町制施行)
中富良野村中富良野町(1964年、町制施行)
下富良野村富良野町富良野市(1966年、市制施行)
南富良野村南富良野町(1967年、町制施行)

ちなみに、富良野市は、確かに合体市制施行ではありますが、今回調べてわかったのは、もともと旧山部村が下富良野村(旧富良野町)から分村し、そことまた富良野町がくっついて市制施行したのですね。

それで、富良野地区については、それぞれ、かみふ、なかふ、ふらの、と略して呼び分けますが、南富良野町だけは、我が地理アドバイザーと私は、少なくとも略すのを聞いたことがありません。ところが、ネット検索をしてみたら、なんぷnanpuと出てきたので、オドロキました。「「観光客に対してガイドさんが「なんぷ」と呼んでいると紹介することを、決してやめろなどとは言いませんが、私としては断固として、なんぷと呼ぶのは一般的ではないという態度を取りたい。」」と、アドバイザー殿は申しております。私も同感です。どうにも、コジツケにしか思われないのですよねぇ。地元からの反対意見があれば、お待ちしたいところです。もしかして、NSさんて、南富良野町にご関係がおありなのでしょうか?

また、アドバイザー殿の父君は、南富良野町のことは、幾寅、落合、金山、と集落名(駅名)でしか呼ばないそうです。上・中富良野町がひとつの集落名としてまとまっているのに対して、南富良野町という呼称は集落名として定着しておらず、町民もそれぞれの集落名の方に愛着をもっているからかなぁ、と思いましたが。

ちなみに、このような認識だったため、さすがのアドバイザー殿も、今回、共同調査するまでは、幾寅村、落合村、金山村あたりが合併して、南富良野町になったのだと誤認していたそうです。恥ずかしい話だけど紹介していいよ、とOKをもらいましたので、蛇足のエピソードです。その程度の私たちなものですから、
[15667]NSさん
あと、富良野地域といえば、1市2町以外にもう1つ、「南富良野町」もお忘れなく。
(1日コースに入れるにはちと厳しい立地ではありますが、ここにも見どころはいくつかあります。あえて書きません。三丁目さん、こちらの方のアップもお待ちしております)
せっかくお待ち頂いたのに、あつかましいお願いで恐縮ではありますが、南富良野町については、フォローして頂けませんでしょうか?この書込みをもって、用意していた富良野編は、全部終わりなのでした(大汗)。
[15718] 2003年 5月 22日(木)20:06:24NS さん
Re: 富良野(オマケ編)
[15715]三丁目さん

富良野地区各市町の略称については、確かに南富良野だけは私もあまり聞いたことがないですね。
(もっともそれ以外の略称についてもそう頻繁に聞いたわけではありませんが)
NSさんて、南富良野町にご関係がおありなのでしょうか?
何度かドライブで通ったことがある程度ですね。
(ちなみに津別・陸別・奥尻の3町以外の道内209市町村に足を踏み入れたことがあります)
南富良野町という呼称は集落名として定着しておらず
結局、どの集落も卓越した存在になり得ず、やむなく地理的に中間に位置する幾寅地区に役場が置かれたものかな?と類推するところでは有りますが、こればかりは詳しい史料を見ないと解りませんね。

南富良野町については、フォローして頂けませんでしょうか?
そういう返しが来るとは予想していませんでした(滝汗)。
大したフォローもできませんが、話題を振った手前一応紹介を。

南富良野町の目玉と言えば、何と言ってもかなやま湖、さらには「鉄道員」のロケ地となった幾寅駅ですね(既に[15701]で雑魚さんがレスしていますが)。
やはりカヌーを抜きにこの町は語れません。1989年のはまなす国体で、かなやま湖と空知川がカヌーの会場となったのを期にカヌーは文字通りまちづくりの「柱」となりました。実際、町立の南富良野高校にはカヌー部が現在も道内で唯一残っていますし、町内2箇所でカヌースクールも実施されています。
(かなやま湖は初心者向け、空知川上流部などは上級者向け)
他にも、キャンプ場が湖畔を中心に多数ありますし、冬場も幾寅地区の町営スキー場、凍結したかなやま湖でのワカサギ釣り、犬ぞりツアーなどが楽しめるとのことです。

・・・ということで、じっくり滞在してアウトドア生活を楽しみたい人に適した地域と言えるでしょうか。
(ちなみにドライブ派の人にとっても、幾寅地区の国道38号沿いに道の駅があり重宝します)
[15724] 2003年 5月 22日(木)22:10:47【2】深海魚[雑魚] さん
国道 38号線
[15715] 三丁目さん
南富良野町については、フォローして頂けませんでしょうか?
それでは、ちょっとした ネタを ……… と思ったら、ギリギリ富良野市域の話になってしまうのですが、国道38号線が一旦、空知川本流の谷から外れる東大演習林東側一帯には、「かえで」 「のぎく」 「つつじ」 など、植物を名乗る仮名表記の地名が集中していますね。道内各所で良く見る 「東○号線」 的な感覚の命名なのかな。

38号線と云えば、狩勝峠を越えた先、根室線の旧ルートを転用した実験線や SLホテルって、健在でしたっけ? あの一帯は、列車の車窓風景を漫然と眺めるだけでも楽しい所ですね。
[15729] 2003年 5月 22日(木)22:45:31紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
富良野も空知というものの
 そういえば、道東や道北へはあまり行ったことがありません。
 どうも観光地は行く気がしなくて……。

 富良野も我が岩見沢市周辺と同じく、空知郡なんです。上川地方なんで、あまり仲間意識はありません。滝川本拠の地元スーパーが、富良野にも支店を持っているんですが、<どうしてあんなところに?>というのが第一印象だったくらい。

 全然関係ないですが、「天塩」「北見」は支庁名になっていませんね。北見は都市名にありますが、「天塩」はたまに「手塩」なんて誤記されるくらい知名度が低いんです。

[15702]カッパーさん

>え、のび太と同じ人が声をしているのですか。(未来少年コナンを見たことが無い・・・)やっぱり僕は名探偵コナンですね。

 「アルプスの少女ハイジ」ペーターも担当していました。今となっては懐かしい限り。


 昨日、我が岩見沢市を含めて、任意合併協議会が設置されました。「合併」というものを経験したことがない我ら6市町村。この期に及んで、まだ実感が湧きません。
[15783] 2003年 5月 23日(金)16:24:06NS さん
雑魚さんへ
[15779]雑魚さん
空港との位置関係から見ると、美瑛、富良野界隈の方が優位にも思えますが。
美瑛・富良野地域については、なにぶん宿泊施設が少ないですからね。
宿泊施設の多い大雪山周辺地域でも、空港からの近さだけならば天人峡・旭岳温泉地区が一番有利ですが、行き止まりの形ですし、他地域へのさらなる移動を考慮すると十勝・網走方面への通り抜けの拠点になり得るという点で層雲峡が優位となるでしょう。
美瑛・富良野地域に関しては「北海道観光大全」 http://www.onitoge.org/ の中の「富良野・美瑛特集」にも詳しいですね(他にも読みごたえ満載です)。

函館線沿線における旭川への通勤、通学需要は、空知支庁内の場合、どの程度あるものやら。(所要時間で見ると、滝川付近までは許容範囲という雰囲気ですね。)
通勤需要はさほど感じませんでしたが、北空知地区(深川市、雨竜町を除く雨竜郡;空知第5学区)からは通学需要はそこそこありました。ただ、北空知地区から旭川(上川第1学区)への普通科高校の学区外受験枠はわずか2%(他の線区の沿線では学区外でも5%)ということで、地区内人口の割には旭川方面への通学は少なく(むしろ滝川方面の方が多い)、さらには普通列車も2~3両編成が多い(他線区は1~2両編成が主流)ということもあり、混雑もさほどなかったように感じられます。
滝川市の場合、中空知・北空知地区の拠点としての役割が昔からはっきりしていることもあり、旭川へは遊びでの需要は多少はあっても(最近は高速バスや特急などで札幌へ流れるケースも多いですが)、通勤・通学に関する需要はほとんどないですね。

その急峻性による空知支庁と上川支庁との隔たりは経済的にも結構大きいのか(中略)この区間の普通列車の便数は意外に少ないですね。
神居古潭による地形的な隔たりは確かにありますが、やはり旭川の隣接地域ということもあり、北空知地区は以前から旭川とのつながりの深い地域です。実際、行政・経済面に関しての管轄区分は、空知支庁の中でも北空知地区のみ旭川方面に属するものが多いです(他の地域は札幌方面に属します)。
便数の少なさについては、旭川自体の求心力が札幌等と比べて弱く、需要がさほど多くないためでしょう。
[15875] 2003年 5月 25日(日)07:26:28【2】三丁目 さん
旧19支庁図をご紹介したくなった理由
支庁名の由来を調べるに当たり、初めて角川日本地名大辞典を読みましたが、そこに載っていた19支庁管轄図が現行14支庁と大きく違い、特に増毛支庁がやたらと広く、そのあおり?で上川支庁がずいぶん小さかったので、面白いと感じました。実際の違いは、ご自身で、地図で確認なさってみて下さいませ。

19支庁が発足して数年のうちに、管轄支庁がガラガラと変わったのは、山により交通ルートが大きく影響された、当時の交通体系(人力、又は馬)、及び地域間でのつながりのためではないか、と我が地理アドバイザーと意見交換していたところでした。逆な言い方をすると、19支庁発足時にそういうことを考えなかったのかしらん、とも思いましたけれど。単純に郡名で分けただけのようですから。

たとえば、旧富良野村(現在の、上・中・南富良野町+富良野市)の交通の結びつきは、旭川~富良野(富良野線)の方が、滝川~富良野(根室本線)よりも先に開通していることを考えると、当時の土木技術で容易な方から整備が進められたのではないかと考えられ、それは人馬による交通体系でも、旭川~富良野の方が利用しやすかったと思われます。ですから、空知支庁(空知郡)管轄から上川支庁管轄に変わったのは、交通の容易さからだろうね、と地理アドバイザーとは意見交換していたところです。

[15729]紅葉橋瑤知朗さん
富良野も我が岩見沢市周辺と同じく、空知郡なんです。上川地方なんで、あまり仲間意識はありません。滝川本拠の地元スーパーが、富良野にも支店を持っているんですが、<どうしてあんなところに?>というのが第一印象だったくらい。
まぁ、第一印象とおっしゃられていますから、もう既にお気づきかもしれませんが、根室本線、国道38号線というつながりを考えると、これまた自然な結びつき、じゃないでしょうかね。
[16070] 2003年 5月 28日(水)16:58:44【2】三丁目 さん
美瑛の風景
「美瑛」といえば、丘のある景色を写真等で見られたことがあるかもしれません。
しかし、必ずしも、美瑛だけがあのような丘陵風景をつくっているわけではありません。

苫小牧方面から国道234号線で早来町、追分町、由仁町、栗山町、と続きますが、早来町(遠浅、早来、安平)を過ぎると、似たような丘の風景が見えてきます。私は「ニセ美瑛」と勝手に呼んでましたが。手元のSuper Mapple北海道道路地図2003年1月発行で確認すると、たぶん追分町弥生又は豊栄のあたりだと思います。

私の記憶が誤っていないことを確認しようと、我が地理アドバイザーに聞いたところ、印象に残っているのはそちらよりは、札幌から帯広へ向かう国道274号線の、長沼町から由仁町三川までの山越え区間で、馬追丘陵と呼ばれている地帯、だそうです。ネット地図マピオン(1/15万での表示)では、長沼町・由仁町・千歳市という表示の真中に馬追丘陵があります。言われてみれば、この辺りも似たような丘陵風景があったのを思い出しました。この辺りは、地理アドバイザーによると、広くは石狩平野の範囲に当たりますが、千歳川流域の千歳・長沼の平地と、夕張川流域の追分・由仁・栗山の平地との間に、侵食されずに残ったような細長い丘陵なのだそうです。

また、十勝平野で、似たような風景が見られる場所もある(芽室町や士幌町の山麓地域)と申しておりますが、ある一方向だけからならそう見える程度だそうでして(これは、私も場所がよくわかりません。)。根釧台地も、丘陵地形の畑作地帯ですが、標高差がないために、一面平らな原っぱの風景で、絵にはなりにくいですねぇ。

さてさて、長い前ふりにお付き合い頂き申し訳ありませんでしたが、ホンモノ美瑛のお話。
いや。実は、ニセ美瑛からホンモノ美瑛へ話をつなごうと思いつき、書き始めたのですが、あまり文章が書けなくて、地理アドバイザー(旭川出身)にどうかな?と相談したところ、こんな感じでどぅお?と返事が来たのです。実は、美瑛についてはもともと書きたかったらしく、私のメールが呼び水になったようでして、「満を持して美瑛」というコメント付きでした。ということで、結構、原文を尊重して。

美瑛の丘の風景は、今ではすっかり有名となりましたが、これらの風景は、意図していなかったのに、作られたものです。これには、いくつかの理由、要因があります。

美瑛から上富良野にかけての原始地形としては、十勝岳山麓の火山灰地質の緩い傾斜地が、いくつかの小川によってなだらかに侵食されたことにより、眺めとしては、折り重なるように連なった丘陵地形が見られます。

元は全て山林だったものが、伐採、開墾されて畑になりましたが、表土飛散を防止する目的で、林の一部を残して、防風林としています。これが、タバコのCMに使用された、雪原上の真っ直ぐな林で、見る角度からはとてもきれいな風景です。

畑の真ん中にポツンと1本だけ立つ木は、防風林ではなくて、農作業中の休みをとるための日よけか、雨宿り用の木でしょうね。これは、哀愁がただよう風景です。

丘の畑が、ツギハギしたように色が変わっていて、パッチワークの丘と呼ばれている風景の場所があります。これは、農地を区画別に輪作しているためです。輪作は、同じ土地に同じ作物を続けて耕作すると、土地がやせてしまうため、麦類の次はイモ類、その次は豆類、といった具合に、毎年耕作する作物を替えることです。また、ある年に同じ作物ばかり作ると、特定の病気や害虫、気象条件等のために、凶作になると収穫が全滅する恐れがあるため、危険分散の目的で、区画に分けて複数の作物を耕作しているのです。

ある場所から見ると、畑と木と遠くの山ばかりで、家などの建造物がほとんど見えないことがあります。家や道路がないわけではありません。これは、住宅の多くが谷の下の方にあるためで、それを結ぶ道路や電線なども谷筋を経過しており、眺めとしては丘の陰になって見えないのです。

こうした要因によって、美瑛の丘は、図らずもきれいな風景が出来上がっていったのです。

隣の東神楽町も、美瑛と同じような丘陵地形ですが、上流からの灌漑用水によって稲作が行われているために、棚田になっています。これでは、日本各地で見られる風景と同じになってしまい、あまり独特な風情を感じさせることが、できません。

丘陵風景だけであれば、道内でもいくつか散見されますが、美瑛の真骨頂は、やはりパッチワークの丘につきるのかもしれません。私のようなエセ道産子でさえも、アレは一見の価値アリ、とご推奨したくなるシロモノです。

[15667]NSさん
ま、この他にも美瑛には見どころが満載ですので、楽しみにお待ちしております。
物理的な記述ばかりで、観光情報的ではなくて、スイマセン。拙稿[16032]にてお話した富良野(予告編)については、現在、地理アドバイザーと細部をつめているところであります。そちらの書込みには、地元からの観光情報が結構ありまして、明日、ご披露できることと思います(たびたび焦らしてるなぁ)。(汗・汗・汗)
[16072] 2003年 5月 28日(水)18:54:04NS さん
馬追丘陵(Re: 美瑛の風景)
[16070]三丁目さん
美瑛その他の諸々の地域のレスありがとうございます。

国道274号線の、長沼町から由仁町三川までの山越え区間で、馬追丘陵と呼ばれている地帯(以下略)
ついに地理アドバイザーさんもここに言及してきましたか・・・

確かに馬追丘陵の一帯だけは広大な畑が広がり、その周辺の平野部は水田地帯が広がっていますね。
国道274号線(石勝樹海ロード)の、丘陵地帯西側にある道の駅(マオイの丘公園)の展望台からはその違いがよく解ります。
また、道外から新千歳に向かう航空便の一部では空港進入時に馬追丘陵北端部付近まで北上後に大きく左旋回して南下というルートをとるため、機内から雄大な畑作地帯・稲作地帯の風景を一度に捉えることができます。道外から新千歳経由で北海道にお越しの方々にはお薦めの風景です。

さらに、馬追丘陵と言えば、西麓に位置するハイジ牧場・アトリエハウス・ながぬま温泉(以上長沼町)、東麓に位置するユンニの湯(由仁町)などが観光スポットとしても知られていますし、他には憲法との絡みで世間を大きく揺るがした「長沼ナイキ基地訴訟」の舞台となった航空自衛隊長沼分屯基地が丘陵のほぼ中央部にありますね。

物理的な記述ばかりで、観光情報的ではなくて、スイマセン。
いえいえ、内容が大変濃く「落書き帳」らしくて宜しいのではないかと思いますが・・・
[16078] 2003年 5月 28日(水)21:54:25ken さん
re:ニセ美瑛
[16070] 三丁目 さん
早来町、追分町、由仁町、栗山町、と続きますが、早来町(遠浅、早来、安平)を過ぎると、似たような丘の風景が見えてきます
そうだったんですか。
私が先年、美瑛を訪問した折には、旭川便のチケット代が千歳便に比べて凄く高いので、以前の道東旅行の北海道都市間距離教訓を学習することなく、千歳から早来、追分、由仁、栗山と走って岩見沢、三笠、桂川湖、芦別経由で美瑛に向かったのですが、心が本美瑛に向かって焦っていたせいか、ニセ美瑛については、「由仁町に入った」とか、看板は思い出すものの、周囲の風景があまり印象に残ってませんでした。
惜しいことをしました。
本物の美瑛の方は、十分堪能しましたが。
白金温泉に向かう途中で、「歩人(ほびっと)」という自家製ハム・ソーセージ専門店があって、ハム・ソーセージ料理を供しているのですが、この店は美味かったなあ。
復路も全く学習することなく、地図上で何となく短絡できるような気がし、富良野から占冠経由で夕張に出ようという暴挙を犯し、娘はゲロを吐き、大変でした。

美瑛旅行をされる方は、遠距離ドライブ自体が大好き、という方でない限り、美瑛そのものを堪能されたい場合は、例え航空運賃が千歳便の2倍であろうとも、旭川便を利用されることをお薦めします。
[16169] 2003年 5月 30日(金)18:43:41【2】三丁目 さん
富良野と美瑛
拙稿[16032]にて予告申し上げた、我が地理アドバイザーがレスしたいとのお話。友人同士のメール口調を落書き帳用に改めたり等、私の方で若干編集しましたが、本人の了解を得ましたから、代理書込みにてご紹介いたします。正直なところ、私が知っていた古い美瑛観光が、そんなに様変わりしていたことを、初めて知りました。さてさて。

「「観光と開発」」編

[15669]スナフキんさんは,交通アクセスの悪さ,インフラ整備の遅れ等を,富良野地域からの将来の観光客離れの懸念要因に挙げられています。

こうした苦情が寄せられるのはごもっとも,とは思いますが,ではどうしようかとなると,なぜ観光客が訪れるのか,ということと相反することになってしまうのです。

10年前までの美瑛を訪れる観光客は,自家用車やレンタカーで丘を巡り,気に入った景色の場所に停車して写真を撮って回る,のどかなものでした。それが観光ブームによってツアー客がバスで押し寄せるようになると,元々が狭い農道だったからすぐに渋滞するし,ただの畑だから休憩する場所もない,と観光業界から苦情の嵐が寄せられました。

その結果として,道路を2車線に拡張し,駐車場・トイレ・アイスの売店等が丘の上に設置されましたが,さてどうなったでしょうか。このために畑が削られ,景観が損ねられてしまい,かつてのような素朴な風景が少なくなってしまったのです。昔の景色の方が良かったという感想を,地理アドバイザーは耳にしたことがあるそうですよ。

さらには,心無い観光客が,農家が耕す畑であることを忘れ(知らずに?),踏み荒らしてしまう有様もあり,地元では,税金を使ってまで観光誘致なんかしなくていい,という声も聞こえるほどだそうです。

観光客のために整備するインフラが,結果として売り物である自然を破壊しかねないことは,北海道各地の観光地が,悩んでいる問題でもあります。

バスや車がごった返すのは,年間を通して見ればほんの一瞬のことです。そのために,普段は不自由していない道路や駐車場を拡張したりするのは,過剰投資にならないでしょうか。台湾からのお客さんを案内したときに,ディズニーランドの人ごみに比べたら,美瑛の混みようの方がよっぽどマシ,とこぼしていたのを、地理アドバイザーは聞いたそうですよ。

スナフキんさんも最後に,それでも訪れようとする魅力があるとおっしゃっているわけですし,[15684]uttさんのように、ブームが去ったら訪れたいとおっしゃっている人もいることを思えば,これ以上開発をしなくとも,観光客は途絶えることはないのかなと,思えてきたそうです。

「「美瑛・富良野ウラ観光」」編

[15669] スナフキんさん
「富良野盆地は広いのだから,人がワラワラ集まらないところでも,きれいな場所は必ずあるはずだから,自分で走り回って探す」という人たちも
お決まりのポイントを,お決まりのルートで回ろうとすると,混雑と渋滞に辟易してしまうのは,どこの観光地でも同じかと思われますね。

観光ピーク期の休日の夕方などは,旭川空港から富良野に至る国道237号線は渋滞しますが,それを察知している地元住民は,国道を通るなんて愚の骨頂,とばかりに,ちゃんと迂回路を通り抜けて,普段と変わらず交通,流通しています。旭川から富良野に抜けるルートは,美瑛市街地を通らないルート,上富も中富も通らないルートがいくつかあるのです。丘陵地は道が曲っていてわかりにくいかもしれませんが,カーナビがあれば,迷うことはないかと思われます。

美瑛では,観光バスが通らない,または通過する所でも,景色が楽しめる場所は多くあります。お勧めは,水沢ダムから千代田ファームの辺りとか,混んでる拓真館には行かずにその丘の上とか,美馬牛のペンションWITH YOUの前の空き地とか。

中富良野では,ファーム富田がゲキ混みの時も,少し離れた場所にある町営ラベンダー園には駐車スペースがあり,ゲレンデ一面の花畑をリフトで見下ろしながら,山を登り降りできます。山の上は森林公園にもなっており,そこから眺める富良野盆地と十勝岳連峰は,それはいい景色です。

富良野では学田の丘の上,ワイン工場のレストランは眺めもよくて,バーベキューも味わえるし,比較的空いていてGoodですって。

こういったところが,実際にお客さんを個人的に観光案内した経験から,最混雑期でも楽しく観光できるコースだそうです。

もっともこれは,お金があれば観光ハイヤーをチャーターして回るなり,レンタカーで回ることができれば,の話ですから,選択の余地のないバスツアーでは,いい思いができなくてもゴメンなさい,と言うしかないかもしれませんね。

こんなに地元情報を満載にして、インターネットで公開していいの?と不安になって私は聞きましたが、富良野・美瑛観光のピークが少しでも緩和され、より多くの観光客を迎えられるようになればありがたやぁ、なのだそうです。落書き帳で書込むことで、地元の裏ルート交通が麻痺するようになれば、それこそバンバンザイだ、と。。。そこまでの渋滞にはならないんじゃないの、と申しておりました。一応。
[16201] 2003年 5月 31日(土)11:42:49NS さん
富良野、美瑛、旭川
[16169][16199]三丁目さん

富良野・美瑛・旭川各地域の詳細な情報提供ありがとうございます。
旭川については拙稿[15745]でも一応取り上げましたが、流石に出身者の情報だけあって質量ともに充実してますね。
16100~16199を見たときに、一番最初に表示されるのは16199ですから、旭川観光紹介がアピールできるかな。
流石、心憎いですね。

観光客のために整備するインフラが,結果として売り物である自然を破壊しかねないことは,北海道各地の観光地が,悩んでいる問題
本当にそうですね。
さらに言えば「自然が売り」というそれらの各自治体は背景に「深刻な過疎」を抱えている所が大半な訳で、自然を求めてやって来る観光客の方々には是非ともそのような裏の事情にも思いを馳せて頂きたいものだと北海道出身者の一人としてつくづく思いますね(自戒も込めてですが)。

そういえば、駅から行きやすいスポットというコンセプトで書いた拙稿[15745]で、平和通買物公園は取り上げていませんでした。旭川駅から北へ真っ直ぐに伸びる、世界初の恒久歩行者天国(当時の五十嵐広三市長(後に代議士)の発想により昭和47年に誕生)なのですが、当初は強烈なインパクトを残し後発組のお手本となりながらも、最近はいま一つ魅力に欠け空き店舗が目立つという実態からあえて外していました。

TACOさんが如何なる交通手段を用い、どの程度の日程的・金銭的な余裕をお持ちなのか、どのようなジャンルのスポットをお望みなのかは不明ですが、ここで多くのレスがあった旭川市内や美瑛・富良野地域以外に、余裕があるなら大雪山麓にある各温泉および渓谷美も選択肢に加えられますね。
参考になったのかな・・・?
[16955] 2003年 6月 18日(水)06:15:36三丁目 さん
富良野(オマケ編)、の続き
拙稿[15715]では、HPのご紹介をしませんでしたが、[15997]ゆうさんからアドバイスを頂いたこともあり、しつこく南富良野町を略すかどうかのお話。
http://allabout.co.jp/travel/travelhokkaido/closeup/CU20010603A/
上記URLの「旅の前に:知ってて損はないアレコレ」の個所に「この特集では地元風に、かみふ・なかふ・ふらの・なんぷと略して表記」と書いてあります。

たまたま、別件データの関係で、わからなくて旭川市役所に問い合わせたら、回答頂いた方が「かみふ」とおっしゃったので、「もしかして南富良野町を略しますか?」と聞いてしまいました。「私はnanpuと言います」でした。これはきっと我が地理アドバイザーから面白いコメントが出るに違いない、と思ったら「ううむ。最近呼ぶようになったのかな。。。どうにも違和感があってしようがない。」でした。地元情報に一言述べたい気持ちは、分かるような気がします。

なお、南富良野町役場宛メールアドレスを見ると、nanpu@town.minamifurano.hokkaido.jp と、自らnanpuと名乗ってますね。

これだけだとアレなんで、ついでにもう一つ。占冠村のHPを見ていたら、「富良野・美瑛キャンペーン:美瑛、上富良野、中富良野、富良野、南富良野、占冠」とトップページに、わかりやすく出ていました。 なぜ占冠が「富良野・美瑛キャンペーン」に?と思いましたが、上川支庁管内で一体なのと、この5市町村が「富良野地区広域市町村圏振興協議会」で研究中だからなのでしょうね。ちなみに、占冠村役場宛のメールアドレスはshimu2@furano.ne.jp とフラノを名乗っています。・・・オシマイ。

この特集記事はあなたのお気に召しましたか。よろしければ推奨してください。→ ★推奨します★(元祖いいね)
推奨するためには、メンバー登録が必要です。→ メンバー登録のご案内

… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

パソコン表示スマホ表示