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三丁目さんの記事が50件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[17281]2003年6月24日
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[16451]2003年6月8日
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[16448]2003年6月8日
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[16412]2003年6月7日
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[16373]2003年6月6日
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[16368]2003年6月6日
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[16367]2003年6月6日
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[16341]2003年6月5日
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[16340]2003年6月5日
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[16300]2003年6月2日
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[16262]2003年6月1日
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[16250]2003年6月1日
三丁目
[16244]2003年6月1日
三丁目

[17281] 2003年 6月 24日(火)16:41:59【1】三丁目 さん
地名、勘違い編(中高生頃)。だけだと恥ずかしいから、失礼ながらレスも一緒に
高校受験のために上京し、親の知人を「しながわ」に住んでいる方、と紹介されました。10年ぶりの東京だったから(言い訳です)耳だけの情報で「しながわ」→「信濃川から『濃』をとる」と連想したため、最初は「信川」を思い浮かべました。フ~ン、どこなんだろうと思ったものです。品川は知っていましたが、音だけで聞くと、当時の私の連想は、そういう感じでした。今は、少しはマシになっているはず、と自分では思っていますけど。

また、神保町を「じんぼちょう」と読んで、高校のときクラスメートに笑われたことがありましたっけ。東京に長く住んでりゃ知っとろうが、半年もおらんもんに、そんなんわかるかい、なんて思ったものでした。。。言いませんでしたけど。

[17280]のような、他人の「意見」を代理書込みするだけなのは、悔しかったので、ボツにするつもりだった、恥ずかしい原稿を、アップしてみました。明日、最後の長作文編「沙流3町、続編」を書込む予定です。

[17253]地球人さん
対馬
[17257]faithさんと同様、私にも興味深いお話でした。ありがとうございました。 [17274]U+3002さんが、なぜ長崎県所属なのか、とおっしゃられていますが、この手の話は、地元の情報量にはかないませんから、 もしお手間でなければ、ご教示頂けると幸いです。
[17280] 2003年 6月 24日(火)16:20:47三丁目 さん
釧・釧。NSさんへ(我が地理アドバイザーから)
[17244]NSさん
三丁目さんの地理アドバイザーさん(釧路在住)が合併問題についてどのように考えておられるのか、聞いてみたい
A4で1枚くらいの量かと思いきや、私(三丁目)の予想を超えた分量が、到着しました。ということで、以下は、本人とやり取りして了解を得、落書き帳向けに一部修正した、代理書込みです。

まずは,私(地理アドバイザー、以下の「私」はアドバイザー氏の一人称です。)は釧路市民なので,釧路町民の意見や感情は代弁できず,あくまで報道などによる感触に過ぎないことをお断りしておきます。

現在進められている広域合併協議になる前の,釧釧(センセン)合併は,2年前に市・町の住民による署名活動によって合併協議会が設置されたことに始まっています。もっとも,署名の依頼元が市役所の筋から来ていることは明白でしたが,それはともかく,多数の釧路市民と釧路町民が,合併推進に賛同したことによって,合併協議が始まったわけで,決して市長や市役所のゴリ押しや,無理強いで進められたのではありません。

ご指摘のとおり,釧路市と地続きの雪裡太地区は,釧路市への通勤者が多い新興住宅地であることから,歴史的な経緯など知らない(知っても気にしない)人が多いため,「合併してもいいんでないかい」みたいな考えが強いようです。この地区の人口が釧路町の約6割を占めるために,署名も多く集まったわけです。

また釧路市民としては,雪裡太地区には旧サティを中核とする釧路最大のショッピングセンターがあり,日常的に往来するものの,途中に市町境界があることなど,別に意識しないことでした。

しかし,それを意識させる大きな出来事が,4年前の地域振興券でした。釧路市の振興券が,釧路サティでは使えない!ことがお茶の間の大問題となり,合併問題を俄然身近な問題に浮上させることになったのです。
その後,合併特例法で市町村合併の動きが高まり,20万都市に復活したい釧路市役所にとって,この騒ぎは渡りに舟で,「やっぱりサティは釧路市にあった方がいいでしょ?」と,市民に合併を問いかけたようなもので,これに多くの市民が賛成署名で応じたのだと考えられています。

釧路町民には,歴史的経緯にこだわる人もいる一方で,「そんな昔のこと・・・」と意に介しない人が多いのも確かで,当初はすんなり和解して合併に進んでいくかのように思われました。

しかし,町長はじめ町議などの有力者は,大半が雪裡太以外の農村部の代表者であり,合併すれば自らの地位が失われることは必至でした。役場職員も同じく,合併後の組織統廃合による人員削減等に対する危機感など,住民の意思をさて置き,釧路町の慎重な態度によって協議会は停滞したため,業を煮やした前市長が町長選挙に介入してしまったのです。

その後,2市町の合併協議から6市町村の広域合併協議に移ってからは,他の市町村合併と同じく,過疎と高齢化で財政が破綻しそうな町村の救済のための合併か,広域行政によって地域の埋没,独自性の喪失を危惧しての現状維持か,の定番の議論になっています。

構図としては,
「財政が破綻するから,釧路市に入れてちょうだい」の4町村
「別に合併なんかしなくてもいいんだけどさ」の釧路町
「そこをなんとかお願いしますよ」の釧路市
てな感じで,一番鍵を握っているはずの釧路町が斜に構えてしまっているために,協議は大詰めに差しかかる手前で停まっている状態です。私がシャレてみるには,釧釧合併とは,合併センセン,の意味だったのではと。

最後に一市民としての私の意見ですが,救済合併は動機が消極的であり,釧路市だって産業が衰退し,過疎高齢化の問題は同類なので,合併によるメリットは何もないと思います。釧路町は,雪裡太地区があれば単独で生き残れると考えているようだし,地域振興券のようなことがなければ,境界を意識することはなく,市がへりくだってまで合併してもらわなくてもいいと考えます。

ちなみに,この6市町村はごみを釧路市の処分場で一括処分しており,4町村は単一の消防組合を運営していて,釧路市の火葬場と墓地が釧路町にあったり,雪裡地区の上下水道は釧路市に依存していたり,既に広域行政が行われています。住民サービスの充実,効率化という点では,もうこれで十分じゃないかと思われます。

結局のところ,釧路市の人口を増やすためだけの合併は,市民生活に何の利益もなく,合併なんかしなくてもいいんじゃないか,と思っています。
地理愛好家としては,面積で日本最大,という栄誉(?)に惹かれる気持ちもないではないのですが。
[17242] 2003年 6月 23日(月)19:33:05【1】三丁目 さん
細かく、もろもろと
[17168]mikiさん
私事ですが、6/25にめでたく(?)30歳になってしまいます。
すでに、いくつかレスがありましたが、遅れ馳せながら、お誕生日について、おめでとうございます。先日私は上司から、三丁目君は、とても40歳に近いようには見えないよなぁ、と言われ、軽くショックを受けました。まだまだ、まだ30歳台だから、40は遠い数字だと思っていました。でも、その歳になればなったで、自然に受け入れてしまうのだろうと、自分では思っています。何はともあれ、ボチボチと。

[17183]ありがたきさん
横浜の人の多くは大宮~横浜(あるいは桜木町)を「京浜東北線」と呼び、以南を特に限定すれば「根岸線」と意識しているみたいです。(『あるいは桜木町』な訳はまた別の機会に)
これって、横浜線がそこから乗り入れてくる関係からだと、私は思っていましたが。違いましたっけ?

[17189]yamadaさん
岩手ネタ「衣川・平泉・一関」
おっ。いよいよyamadaさん動く!?ですね。楽しみにしていますよ。

[17192]紅葉橋瑤知朗さん
>紫雲古津という地名も、きれいな字を当てたものだ、と妙に記憶に残っています。
きれいな字は良いとして、漢字にはもともとの意味がありますから、字によってイメージが固定されないとも限りません。
私には、現地の景色の記憶がありますが、たしか、ちょっとした丘・山のある田園風景だったと思いました。とはいえ、北海道の地名自体、明治時代に漢字を充てていったケースが多いわけですから、明治人の漢字に対する教養の深さを、いつも感じておりました。しかし、とみに痛感するのは、自身で現地確認できない歯がゆさです。私の記憶と、我が地理アドバイザーの記憶で情景を補強しているから、田舎部分(失礼!)については、大きく変わっていないことを鑑み、間違っていないだろうと、油断していますけど。

[17193]かつさん
国道の重複
拙稿[15543]を調べていたときに、国道と道道の重複の話を見つけました。道道夕張~平取線がそれで、道道としての路線認定は1965年(昭和40年4月1日)、廃止は1993年(平成5年4月9日)で、国道274号線として移管されてからも、30年近く重複していました。国道同士の重複は見かけるから知っていましたが、道路管理者が異なる国道と道道で重複しているとは、意外でした。「実際の道路整備、補修等は、国道として国がやっていた」とのことでしたから、北海道庁とすれば、自分の道を国がカネかけて直してくれてありがたい、という感じでしょうか。道道をたくさん持ってると、もしかしたら、補助金の関係か何かで、オトクだったのかもしれません。そうでないと30年にわたる重複は、あまりに不自然ですよね。あくまで、推測ですが。

[17241]uttさん
そうなると益々(釧路市と釧路町は)合併によって一体化した行政の運営が望まれるところですね。
いえいえ。かねてから経緯を申し上げているように、一筋縄ではいきませぬですのよ。情報収集する限りでは、釧路町は、自町のせいではなくて、合併がうまくいかなかったというストーリーをつくろうとしているように、「私には」思えてなりませぬ。
蛇足ですが、私は同じタイトルを2度使いたくない、と変なところにこだわって、日夜?頭を悩ませています。そのうちuttさんのタイトルも、盗作として使わせてもらうかもしれません。見逃してくださいね(笑)。
[17237] 2003年 6月 23日(月)15:43:23三丁目 さん
お返事頂く前ですが、勝手に「釧路市と釧路町○○○」というアーカイブテーマをご提案しま~す
よくよくアーカイブテーマ「シリーズ・地域の地理雑学-北海道編-」を見ると、記事数が多いのもさることながら、私の書込みが長いために、スクロールに手間がかかるのですね。失礼いたしました。また、冒頭で、過分なお言葉を頂き、恐縮しております。千葉県、神奈川県、新潟県、長野県編では、Issieさんについてコメントされていないので、できれば、同じ並びで、テキトーに修正して頂けると、嬉しいです。ホントに、我が地理アドバイザーも私も、好きでやってることですから。(それよりは、[17033]雑魚さん、メンバー紹介文を美化しまくって下さいね。)・・・あ。冗談です。

さて、拙稿[17170]にてご提案した、新着テーマ。「釧路」で検索して、私なりに選んでみました。ご参考にして頂ければ、幸いです。もしかしたら、見落としがあるかもしれません。少しでも、北海道編を軽く出来れば、と思っております。せっかく初めて見られた方が、記事の多さと、文章の長さに(私のせいです)辟易されてもなぁ、と心配なのです。
KNさん[933]
夜鳴き寿司屋さん[4848]
ゆうさん[4867]
両毛人さん[10135]
uttさん[11974][12876]
KMKZさん[13738]
kenさん[15711]
拙稿[12542][12717][13312][14940][16648][16679][17234]

両毛人さんにおかれましては、ほどほどに。全ての記事を丁寧に読まれているのだろうなぁ、と想像すると、興味がわかない話は流し読みしている私からすると、お疲れなのではないか、とちょっと心配になります。

それにしても、霧については、予想通り、お話がなかったですねぇ。「やはり」と思いました。
[17234] 2003年 6月 23日(月)15:23:04【1】三丁目 さん
釧路♪くしろ♪
[16502]utt さん
個人的には釧路市と釧路町あたりの表記の仕方が気になります(笑)

[16507]でるでるさん
私も気になります(笑)。

[17121]般若堂そんぴんさん
釧路市と釧路町の場合も,案内板はどうなっているか,近隣の自治体ではこの二つの釧路をどのように呼び分けているのか,気になりますね.

[17141]NSさん
・基本的には「↑釧路」といえば釧路市を示す
・釧路町内の地域を表示したいときには「←遠矢(とおや)」「↑別保(べっぽ)」「→昆布森(こんぶもり)」「←仙鳳趾(せんぽうし)」等、町内でも一定以上の人口を持つ主要集落名を示す(今一つ自信なし)。
この件は、我が地理アドバイザー(釧路在住5年目)に確認しました。ちょっと遅かったのですが、下記の通りだそうです。

一般に、「釧路」とだけ言えば、釧路市のことを言うか、または、釧路市と釧路町を合わせた地域のことを言います。
自治体として区別する場合は、単純に、釧路シ、釧路チョウと呼び分けるだけのことで、特段不便も不思議もないのではと。

また、出身を尋ねられて「釧路市」、「釧路町」と殊更に言う人は滅多におらず、「釧路から来ました」とだけ言います。
地域としては同じ釧路ですから、広義にまとめることに関しては、なんの抵抗もありません。
釧路の何処ですか?と聞かれれば、「あ、釧路町の別保です」などと答えるまでのことです。

釧路市にも釧路町にも、釧路という地点名は存在せず、地名を言う場合には、釧路市黒金町、釧路町別保などと呼ぶので、釧路町の何処かへの道路標識も、別保、遠矢、昆布森などの集落名になります。

国道などの標識で、「釧路 ○○km」とあれば、それは釧路の中心地である釧路駅前か、国道38号と44号との分岐点(北大通十字街)か、どちらかを起点にしているでしょう。これに対して釧路町民はケチをつけることもないです。事実として逆らいようがないですからね。
[17170] 2003年 6月 22日(日)17:55:34【4】三丁目 さん
祝☆シリーズ・地域の地理雑学-北海道編-
両毛人さんのご努力には、頭が下がる思いです。「北海道」などという単語で検索した日には、恐ろしいほどの記事が引っかかったと想像できますから、それに目を通されるとは、「落書き帳の鏡」ですよねぇ。私のようにテキトーに書込ませて頂いているものにとっては、身が引き締まる思いでした。

さて。。。という、タイトルでありながら、もの申す感じで申し訳ありません。実は、Issieさんの書込みをベースにして、各都道府県別雑学として纏められたアーカイブテーマを見たときに、もしかして「北海道編」を作られるお考えもあるのかしらん、と訝って?おりました。自分で自覚はしていないものの、道内の「コア」な話題を提供することで、落書き帳防衛線の、お役に立てれば、とは思っていましたが。逆に、自分が書込めるテーマは、人が手をつけていないところだな、という思いもありました。
ワタクシ的には、北海道は広すぎますから、アーカイブテーマとして各々纏めたけれど、それには入れにくかったものを、北海道編とされる分には良いとは思うのですが、初めて落書き帳に来られた方が、アーカイブテーマの一つとして、北海道編を読まれるとすると、記事数が結構多いですから、もう少し減らせたらいいかもなぁ、とは、私の勝手な感想です。

実は「釧路」で検索すると、夜鳴き寿司屋さん、ゆうさん、uttさん、他の書込みに、ヒットします。ですから、釧路については、独立したテーマで纏められてはいかがかと、思っておりました。ただし、纏め方が難しそうかもしれない=テーマの名づけ方が難しい、と思っていましたから、ご提案を遠慮しておりました。この件、ダイヤルアップ自宅ではなく、職場で勤務中に?存分に検索して、これらの記事を纏めて、釧路編とされてはいかがですかねぇ(依然として、テーマの付け方は難しいのですが)と、ご提案した方が親切でしょうか?お返事頂ければ、明日サッソクヤリマスゾ(笑)。人事異動でかわる前の、最後のご奉公ですヨ。異動先では、さのやふな作業が、できなくなってしまいますから。

TACOさんが、(これから書込まれるかもしれない、と勝手な想像)新鮮な香川県ネタで「香川県雑学」を、地球人さんの書込みをベースにした「長崎県編」ができると、楽しいだろうなぁ、と期待しておりますよ。

私の最近の印象を申し上げると、参院、産院、じゃなくて山陰(文字変換の候補にあるからつい・・・)や、九州方面が全般的に話題としては薄めかなぁ、と感じておりました。そういう点でも、[17167]地球人さんの書込み予告編は、楽しみですね。
[17164] 2003年 6月 22日(日)10:21:20【1】三丁目 さん
霧、など
[17053]白桃さん
皆様、お住まいのところにはどんな風が吹いていて、なんという名前がついているか
たまたま、我が地理アドバイザーと、霧についてやりとりしてました。苫小牧では「ガス」と呼んでたね、と(これはたぶん、他の地方でも呼びそうですね。)。釧路では「ジリ」と呼ぶそうです。ガスなんかとは、比べ物にならないくらい、スゴイと聞きました。語感を聞くだけでも、地を這ってジワジワと海から霧が来るような感じを、受けました。他に、霧の地元での呼び方は、あるのでしょうか?霧が恒常的に発生する地域自体、少なさそうな気もしますから、風に比べるとマイナーな印象もあり、なんか、あまりなさそうな予想もしています。

この話を、鹿児島出身の方にしてみたら、鹿児島では「露」を「つ」と呼ぶ、と教えてもらいました。霧、とはちょっと違いますけどね。

[17157]夜鳴き寿司屋さん
全国放送での天気予報ですが、私の場合には広島と岡山の中間と勝手に解釈(中略)民放の場合には岡山がなかったりする局もありますので、その時には高松を参考にします。
興味深いお話、ありがとうございました。
[17110] 2003年 6月 21日(土)11:05:17【1】三丁目 さん
沙流3町
沙流川沿いに位置する3町(日高町、平取町、門別町)の、合併問題調査研究会が、平成14年から始まりました。もともと3町は、門別村として始まっています。沿岸から内陸へ開拓が進むにつれ、入植者が増えていき、平取村、右左府村へと分村していきました。町制を施行していったのも、沿岸部の村からです。公式HPからの情報では、経緯は以下のようになります。
沙流郡各村戸帳役場門別村門別町(1952年町制施行)
平取村平取町(1954年町制施行)
右左府村日高村日高町(1962年町制施行)

ですから、この3町が合併するとなれば、元のさやに収まるだけですから、実に分かりやすい研究会だと思っておりました。
ところが、ここに穂別町が、加わったのです。最初は、沙流3町プラスアルファ、で原稿を進めようと思って書き始めたのですが、記述が長くなってしまったため、稿を分けます。穂別町、鵡川町が加わった日高町・平取町・門別町・穂別町・鵡川町任意合併協議会については、次回ということで。

それで、まずは門別町からですが、もともと役場は、以前は富川地域にありましたが、1889年(明治22年)に佐瑠太(富川の古い地名)戸長役場、佐瑠太警察分署(浦河警察署門別分署)が門別(本町)に移転し、現在の本町地域にあります。100年以上前に移転した話ですから、今となっては、理由はよくわかりませんが、本町地域の方が発展すると考えられたからでしょうか。

実は、これは私の認識不足だったのですが、富川は知っていたし、門別も紋別と違うということは知っていましたが、富川が門別町の中の一地名とはつゆほども思っておりませんでした。というのも、富川は、苫小牧方面から国道235号線で来ると、そのまま静内町・浦河町・えりも町方面へ続く街であり、また国道237号線で平取町、日高町方面と分かれていく交通の要衝として、人口も本町地区より多いのです。

付け加えますと、平成14年3月末現在の門別町の地域別人口は、富川地域(7653人)、門別本町地域(3405人)、厚賀地域(2248人)です。なんと、富川地域には門別本町地域の倍以上の人口があり、それだけ大きな市街地(集落)が形成されているのです。

だから、一般的にも、富川という町があるように誤認するのも、やむをえなかったかな、と自己弁護。ちなみに、門別町HPに載っていた、字別世帯人口が富川東、富川西、富川駒丘、福満……と細かく分かれていたので、なんだかよく分からなかったものですから、大きな括りを町役場に聞いてしまいました。それで、先述の3支所(富川、本町、厚賀地域)を教えて頂きました。ついでに、私が富川町があると誤認していた、と言うと、「えぇ、町外ではそう思われている方も結構いらっしゃるんですよねぇ」とのことで、私だけではないようです。一応。

それで、苫小牧~鵡川~富川~門別本町とつながっていく景色を、簡単にご紹介しますと、
国道235号線を車で走っていくと、苫小牧から鵡川までは、平坦な原野、湿原が広がっています。そして、鵡川町の市街地から鵡川橋を渡ると、田園風景が広がってきます。しばらくすると丘を登り、一旦は牧場風景になるのですが、すぐ丘を下って沙流川河口に面する富川市街地に出ます。沙流川河口近くの平地は田園地帯で、鵡川ほど平地が広くないものの、似たような風景です。

沙流川橋を渡るとまた丘を登り、それ以降はずっと牧場風景が続きます。富川から静内・浦河方向へ走ると、気をつけていないと、門別本町には気づかずに通り過ぎてしまいます。富川を過ぎて丘に登ってから集落が途絶え、海岸線に降りてきたところが門別本町となりますが、役場と駅のある市街地は国道から横道にそれたところにあるのです(現道路は、バイパス新道と思われます)。

風土として、富川は沙流川流域の稲作地帯であり、平取町や鵡川町と似ているのに対して、門別本町は漁港と馬産地なので、新冠以東の日高地域と似ているように、私は思います。苫小牧から静内へ向かうと、鵡川、富川までが胆振地方という印象があるのに対し、門別本町近郊に入ってから、あぁ、日高に来たな、と感じられると思います。つまり、富川と門別本町付近とは、違う町だ、という印象を受けるのです。

今度は、富川から沙流川沿いに北方へ曲がり、国道237号線を上っていくと、平取町に入ります。まず思い浮かぶのは、二風谷アイヌ文化博物館です。同様な施設としては、白老町の、ポロトコタンもあります。
また、義経神社があること、それと振内に鉄道記念館があることでしょうか。廃止された富内線のことを、私はなぜか振内線と記憶していたのですが、鉄道記念館のイメージがあったからかもしれません。紫雲古津という地名も、きれいな字を当てたものだ、と妙に記憶に残っています。

さらに進むと、日高町に到着します。ちょうど、国道274号線と合流する近くに町役場があり、町の中心部となります。日高町は、もともとは、日高山脈の木材の切り出し地として発展しましたが、当時の木材の運搬方法は、沙流川を流したそうです。

でるでるさん、TNさん、はやいち@大内裏さん、はじめ合併情報にお詳しい皆さん。合併についての話は、次の稿でもふれますから、ちょっと待ってて下さいね。(ちなみに、今回TNさんをニックネーム検索して、半角「TN」では出てこなかったので、全角なのに初めて気づきました。)

なお、人事異動により勤務地が変わることとなり、角筈も遠くなりますので、今までのような余裕がなくなりそうでして、連載?系は、次の長文書込みをもって、終わりになる予定です。
[17106] 2003年 6月 21日(土)08:24:50【2】三丁目 さん
Re:角筈
[17086]kenさん
角筈が西新宿に、柏木は北新宿になったのは、いつごろだったでしょうか。
中野で幼少時を過ごした私には、角筈は、歴史上の地名ではないですが、つまり、三丁目さんの上司の方と同じ世代
[17090]Issieさんから、「いつごろ」については、簡単にご紹介頂きましたが、新宿区史、角川地名辞典、あるいは東京大百科事典でしたっけ?あたりを調べてみれば、正確な年が分かるかもしれないとは思いつつ、私の推測を書いてしまいますね。淀橋浄水場廃止の段階で、土地の譲渡先が決まっていたから?、計画的に、浄水場跡地の地番を分筆し、同時に、あるいはやや遅れて、西新宿の住居表示が設定された、くらいでしょうか。こういうことについては、推測を書くべきではないかもしれないなぁ、とは思いつつ。

なお、拙稿[17080]に登場した上司は、新潟で生まれ育ち、就職して初めて東京へ来られた方です。kenさんよりも10よりは多く年上で、自身の事務所所在地を、新宿区角筈と書いていたからでしょう。思うに「筈」という漢字を、手書きではめったに使わないから、印象に残った地名だったのではないでしょうか。

余談ですが、西新宿の高層ビル群が完成する前の状況を、あるドラマのワンシーンで目にした私は、現況しか知らないものですから、はぁ、こういう感じだったのか、と街の変貌ぶりに、驚いたものです。
[17104] 2003年 6月 21日(土)07:59:17【1】三丁目 さん
天気予報の、レス
[17040]両毛人さん
NHK全国版の天気予報の場合は、宇都宮を参考にしますね。
悲願?がかなったわけですからね。やはりそうですか。でも、ローカル天気予報の場合も、同じ群馬県内である前橋ではなく、埼玉県熊谷市の方を参考にされるのですね。つまるところ、どちらが距離的に近いか、と、ニアリーイコールになるのかな、と思いました。と言いながら、拙稿[17024]で例に出した苫小牧は、ローカル天気予報では、天気は(遠い)札幌を、夏の気温は(近い)室蘭を、冬の気温は札幌を参考にする、てな感じで使い分けていました。蛇足ですが、私は苫小牧市内から毎日のように樽前山を見ていて、少々の雨でも見えるのですが、雲で隠れて見えない日は相当雲が厚いのだな、と判断材料に使っていました。我が地理アドバイザーは、市内にそびえる王子製紙の高い煙突の煙の流れる方向で、風向きを見ていた、と言ってましたっけ。すなわち、夏の晴れた日の海風であれば、霧が立ち込めるのかな、という具合に、だそうです。

[17074]ぴょんさん
私は一応東京を参考にしますが、自分なりに地域特性を考慮します。
たとえば冬場で東京が「雨か雪」であればほぼ積もらなかったとしても「雪」、夏場の「一部で夕立があるかもしれません」は「夕立あり」など..。
レスありがとうございました。やはり皆さん、いろいろと工夫されているのですね。興味深いお話でした。ところで、ぴょんさんは、八王子市に在んでいらっしゃるのですね。私はてっきり、現在も北九州市在住かと、思っていました。だから、北九州市についての記述を、福岡市民の立場から聞いた話のとおりには書かずに、マイルドに直したのです。最初は聞いたそのままを書いたのですが、ちょっとまずいかなぁ、と反省したから、書込みを訂正しました。他人の勝手な感想の聞き書き、ですからね。
[17080] 2003年 6月 20日(金)19:16:05三丁目 さん
地名、懐かし編
昼休みに図書館へ行ってくるから、戻りが遅れたらゴメンナサイ、と上司に断って、出かけてきました。どこへ行ったの?と聞かれたので、角筈図書館です、と答えたら、懐かしいねぇ、と言われました。以前は、このあたり一帯は角筈だったんだよ、と教えられました。淀橋浄水場跡周辺に、現在の西新宿高層ビル群の姿が造られ、それに合わせて現在の住居表示に変わったのですね。地図を見ると、角筈という地名は、見つかりません。公共施設等で、その名が残っているだけですね。ちなみに、新宿の変遷を紹介されているURLを見つけました。
http://www.interq.or.jp/happy/walkaway/m03map/m03e_station/m03e_shinjuku/mview_shinjuku00.htm
トップページは  http://www.interq.or.jp/mars/omr/index.html です。
これを作られている方は、相当な地図好きなようですね。もしかしたら、落書き帳の中で、知己の方がいらっしゃいそうな気もしました。私にとっては非常に興味深いページで、いろいろなところを楽しませてもらいました。
[17026] 2003年 6月 19日(木)19:03:47三丁目 さん
南富のお礼、とレス2つ
[16970]フラヌさん
南富="なんぷ"って略して言っていたと思います。ただ実生活で南富を使うシチュエーションは少なかったかも知れません。
南富町外にいる人が南富に対して使うのかもしれません。とすれば、旭川市役所の人が南富と言うのはありがちといった感じです。
この件、我が地理アドバイザー(旭川出身。落書き帳のメンバー紹介で簡単にふれられています。 http://uub.jp/frm/member/index.html )に早速報告したところ、「ナゾが解けましたわ。役所や組織名としては使うとすれば,ただの旭川市民の耳に入らないのも当然か」と返事が来ました。どうもありがとうございました。私も、南富良野の略称を耳にしたことがなかったので、納得しました。

[17021]NSさん
「北海道大百科事典」を閲覧可能な三丁目さん辺りが、これら各高校についての沿革を確かめて頂けると
あ。。。あの重い本は、先週末に、図書館に返してしまいました。再調査するとなると、今度は都立図書館に出かけるのが早そうですね。でも、私。たぶん、近々に、県立図書館の方が便利なところへ、転居するかと思います。

[17000]01:31:03まがみさん
#キリ番いただきました(^0^)
ああ。この時間は、完全に私、寝てました。朝起きてから確認したら、[17000]を過ぎていたので、はぁ、過ぎてしまったかぁ、とタメイキをついてしまいました。拙稿[16676]にて、言ったのにぃ(笑)。まがみさん、これで[14000][16000]に続いて、1000番単位で、3度目ですよ。私は、このときに備えて?4連続書き込みネタを用意していたのですが、使うタイミングを失ってしまいました。ショートネタですから、2つずつくらいの、小出しにして使います。ちぇッ(笑)。

なお、私が落書き帳選挙区にて当選した暁には「青少年がキリ番をゲットできるように、タバコの自動販売機と同じく、23時から5時(だったかな?吸わないから、知らないのです)を、書込み禁止時間とする」ことをお約束いたします。[13706]雑魚さんに比べると、公約が少ないかな?自分色登録された未成年者のうちで、100番単位のキリ番未ゲット者はTACOさんと、売れ残りのねぎさん、のお2人ですね。
[17024] 2003年 6月 19日(木)18:33:12【2】三丁目 さん
NHKの全国天気予報で、どの地域を見ますか
[16989]両毛人さん
>関東地方は東京だけだと覚えていたのですが、勘違いでしたか。
長らく東京だけだったのですが、1年前くらいあたりから宇都宮を掲載するようになりました。
ああ、そうだったんですか。東京だけだと思いこんで見ていると、目に写ったものも、見えなくなってしまうのですねぇ。ついでに、この件は、気になったからNHKに聞いてしまいました。最新で増やした地点としては、2001年10月1日の放送から、帯広、宇都宮、熊本、なのだそうです。どうりで。北海道は3ヶ所だったはず、と思っていましたから、納得しました。

実は、これ、かねてから疑問に思っていたのです。例えば、岡山市の人は、広島や大阪ではなく高松を見るのだろうな、とか、静岡市だったら名古屋かな、とか。両毛人さんは、不本意?ながら、参考データとして東京を見られていたのかな、とか。
私が、神戸市、又は西宮市に住んでいたときは、全国天気予報のときは、大阪を見ていました。
苫小牧市のときは、札幌を見ていました。登別市のときは、予報を知ることを、諦めていました。ローカルな天気予報が、今ほど頻繁に流されていなかったからです。当時の私の生活では、21時前と23時前の天気予報を見逃してしまうと、朝に見ることもほとんどできず、天気予報を見ることなく、出かけることが多かったのです。

現在、NHKの全国地図で表示されている地域は、次のURLのとおりです。 http://www3.nhk.or.jp/weather/
住んでいる方が、どの地域と天気が似ているか、実感されている情報だから、興味があります。例えば、雑魚さんが、東京を見ているのか、宇都宮を参考にされているのか、気になります。それとも、今は、ローカル天気予報も結構流されるようになりましたから、関係ないですか?

ご参考までに。宮崎市出身の、私の年齢に近い方に聞いてみたら、県都宮崎にあっては、例え全国版で表示されてなくても、いろいろなところで天気予報を目にするから、不自由しない、と言われてしまいました。強いてあげれば、鹿児島かなぁ、という感じだそうです。
[16985] 2003年 6月 18日(水)22:47:04三丁目 さん
作業ミス、勘違い
[16936]ありがたきさん
わたしはこの発言が128個目だとおもいます。160発言なされてるのは、順位が1つ上のちりたまさんですね。
仕事だったら、この程度のデータ量はもう一度チェックするのですが、今回は手抜きしてしまいました。失礼いたしました。

[16975]両毛人さん
NHKは、関東地方で東京と宇都宮の予報を出します。
あれ?私は、関東地方は東京だけだと覚えていたのですが、勘違いでしたか。昨日、テレビ東京が気になった後で、NHKを確認したつもりだったのですが。たしかに、最近は、全国の県庁所在地(ただし、北海道は更に細かく、ですね)を、何度も表示するようになりましたね。

[16976]まがみさん
スペースワールドは八幡東区にあり、八幡製鉄所の遊休地を利用したものです。
一応、50歳の方に、若松でしたよね、と確認して、そうそう、と言われたから安心してたのですが。。。

フォローありがとうございました。はぁ。きょうは、ボロボロですね。
[16969] 2003年 6月 18日(水)19:14:25【2】三丁目 さん
体調が悪いと、マイナス思考になります。
昨日は、胃が機能停止したため、水を飲んでも吐き気がし、1日絶食しました。体調が悪いとマイナス思考になるもので、今は復活しましたが、ここのところ、人様の書込みに注文つけるようなものが多かったかもと反省し、自己嫌悪に陥ってました。中高生の皆さんへは、余計なお世話ながら、アドバイスになればと思って書いてたのですが。。。と言いながら、

[16793]TACOさん
もう1回だけ、私が持っている教材「身近な地域」から引用させてください。
問題8の続きをちょっと書くと「なぜ、このような都市化現象が起こったのだろうか。金沢市の人口動態の社会増減とあわせて、つぎのてんなどから原因を考えてみよう。(地形や交通機関、地価、工場や都市施設、県や市の住宅対策、公害など)」中学校の教材だからといって、侮るべからず、と私は思いました。ご参考までに、地価は、毎年、1月1日現在の国土交通省「地価公示」、7月1日現在の都道府県発表「基準地」があり、最新のデータは概ね3ヶ月後に入手できます。

北九州市については、[16797]両毛人さんからフォロー頂いていますが、福岡市出身の40歳台後半の方から聞いた話をご紹介しましょう。この方は、北九州市が政令指定都市になったときには、小学生だったわけですが、「福岡市より先に、北九州市が政令指定都市になったのは、悩んでいた5市がなんとかしようと合併したけど、結局、産業構造の変化に対応し切れていない。」とのこと。鹿児島出身で、福岡市に15年住んでいた50歳の方に、こんな理解でいいですか?と聞いたら、ウン、それでいいんじゃない、と言われました。[16929]ぴょんさん、初め北九州市民の皆さん、不適切な表現があれば、ご指摘下さいな。教えてもらったままを、書いてしまいました。

[2830]で両毛人さんが、人口推移のデータをご紹介されていますが、福岡市の伸びが急なのに、北九州市はそれほどではなく、1980年代には、既に減少傾向を示していますね。ちなみに、私は北九州市について土地勘はないのですが、イメージがわくのは、日清戦争の賠償金を基につくった八幡製鉄の八幡市、経済の中心・小倉市、門司港の門司市、というところでしょうか。若松市は企業遊休地にスペースワールドができたくらいだから、八幡と一帯で工業都市だったようですね。戸畑市は、わからなかったので、宮崎出身の方に聞いたら、戸畑も北九州工業地帯の一環、と教えてもらいました。

京都市については、[16914]まがみさんからフォローして頂きましたが、京都市周辺の市の人口動向あたりに気をつけると、何か見えてくるかもしれませんね。

[16766]TACOさん
TACOさんは合衆国に、興味がおありなようですね。私はデータ系について、あまり、これと思いつくところはないのですが、逆に地元に住んでいる利点として、白桃さん、uttさん、夜鳴き寿司屋さんも知らないような、高松市、香川県、四国の情報を、新聞やテレビ等で目にするところがあるのでは、と思っていました。例えば、[15664]TKS-Hさんがご紹介されている、香川県大百科事典(四国新聞社)は、私が読んでも香川県のことをあまり知らないから、ピンと来ないでしょうが、TACOさんだったら、これ、と思うような記述に気づかれるかもしれませんね。
もう一つ、ついでの情報。日経新聞は、毎週月曜日に「地域総合面」を出しており、見開いた左下に「市町村合併ここが知りたい」を連載しています。今週は群馬県の富士見村をとり上げていますが、地図が付いていて、わかりやすいですよ。

昨日は、横になりながら、テレビを漫然と見ていました。テレビ東京が、全国の天気予報をニュースで流すのを、初めて知りました(失礼!)。民放は、自分のネット局がある地域の予報を放送するものですが、テレビ東京はそんなにネットがないのになぁと、興味深く見てしまいました。ネットのある地域はmikiさんの[3018]を見て頂くとして、放送終了後、テレビ東京に電話して、聞いてしまいました。「何かの統計ですか?」と怪しまれたので、いえいえ、面白いなぁと思ったから、個人的興味でお聞きする次第です、と答えました。それで、教えて頂いた順に書き出すと、

那覇、鹿児島、福岡、高知、岡山、大阪、松江、名古屋、静岡、東京、前橋、新潟、金沢、仙台、秋田、青森、札幌、旭川、釧路、です。私は、NHKの全国予報が記憶にあったので、面白い差だなぁ、と思いました。記憶で書くと、NHKは、関東地方は東京しか出さないのにテレビ東京は前橋も。北海道は、NHKは帯広まで伝えています。
[16955] 2003年 6月 18日(水)06:15:36三丁目 さん
富良野(オマケ編)、の続き
拙稿[15715]では、HPのご紹介をしませんでしたが、[15997]ゆうさんからアドバイスを頂いたこともあり、しつこく南富良野町を略すかどうかのお話。
http://allabout.co.jp/travel/travelhokkaido/closeup/CU20010603A/
上記URLの「旅の前に:知ってて損はないアレコレ」の個所に「この特集では地元風に、かみふ・なかふ・ふらの・なんぷと略して表記」と書いてあります。

たまたま、別件データの関係で、わからなくて旭川市役所に問い合わせたら、回答頂いた方が「かみふ」とおっしゃったので、「もしかして南富良野町を略しますか?」と聞いてしまいました。「私はnanpuと言います」でした。これはきっと我が地理アドバイザーから面白いコメントが出るに違いない、と思ったら「ううむ。最近呼ぶようになったのかな。。。どうにも違和感があってしようがない。」でした。地元情報に一言述べたい気持ちは、分かるような気がします。

なお、南富良野町役場宛メールアドレスを見ると、nanpu@town.minamifurano.hokkaido.jp と、自らnanpuと名乗ってますね。

これだけだとアレなんで、ついでにもう一つ。占冠村のHPを見ていたら、「富良野・美瑛キャンペーン:美瑛、上富良野、中富良野、富良野、南富良野、占冠」とトップページに、わかりやすく出ていました。 なぜ占冠が「富良野・美瑛キャンペーン」に?と思いましたが、上川支庁管内で一体なのと、この5市町村が「富良野地区広域市町村圏振興協議会」で研究中だからなのでしょうね。ちなみに、占冠村役場宛のメールアドレスはshimu2@furano.ne.jp とフラノを名乗っています。・・・オシマイ。
[16927] 2003年 6月 17日(火)03:53:58【1】三丁目 さん
kenさんの書込みが気になったので(今目が覚めたら、書込んでいなかったので、でも、又寝ます)
[16804]kenさん
100番切り番狙ってるんだけど、全然取れないですね。
エッ?kenさんて、取られたことなかったんでしたっけ?と気になったので、調べてしまいました。作業を終えてから、記事ken索したら、[15259]で太白さんが「100番単位のキリ番」を、発表済だったのですね。すっかり忘れておりました。でも、私は自分色を登録されていない方も含めて、[16872]までの記事で作業してしまったので、簡単に発表させて下さい。私が調べたのは、ゲット率(ゲット数/書込み数)と、初ゲットまでに要した記事番号数(初ゲット記事番号マイナス初書込み記事番号)です。それで、まずは、自分色登録されている方でご紹介すると、

現在のゲット回数トップは、両毛人さんと般若堂そんぴんさんで、14回です。
ゲット率トップは、唯一3%を超えたありがたきさん(5/160)です。ちなみに、ゲット者の平均ゲット率は1.23%ですから、かなりの高率と言えましょう。
初ゲットまでの書込みが最短だったのは、22回の、いなさんです([3500][3478])。ただし、Issieさんが、100番をゲットされているのですが、この時期は書込み記事数が少なかったことを考慮すると、46回(第2位[100][54])も、貴重かと思われます。

また、連続ゲットはIssieさんの[100][200][300]がありますが、ありがたきさんの[14800][14900][15000]は、書込み数が多くなった時期であることから考えると、狙って書込まれましたか?(笑)と、お聞きしたくなるデータでした。この3連続ゲットが、最多連続ゲット数です。

逆に、ゲットされていない方のうち、書込み数の多い方から順に、初書込みと合わせてご紹介すると、ベスト?5は、以下の方々です。
第1位でるでるさん414回[1411]
第2位uttさん291回[6671]
第3位ゆうさん206回[2490]
第4位TACOさん113回[11820]
第5位三鈴さん112回[10759]
この他、11名、未ゲット者がいらっしゃいます。

なお、初登場いきなりゲットという方は、自分色登録者の中では該当者がおられず、登録されていない[700]川さん、[3400]八神太一さん、[12600]千島県知事さん、[15600]U+3002さん、と4名いらっしゃいます。また、ゲット率も、書込み回数を11回以上とすると、神田川博士とU+3002さんが、共に書込み回数11回で、9%を超えています。なお、登録されていない方の中で、唯一2回ゲットされたのは、ちりたまさんで他の方は1回だけです。

松戸さんが[16882]で久しぶりに書込まれたので、特別扱いでご紹介すると、松戸さんは[11000]の1回だけのゲットですが、1000番単位も同時にゲットされてますね。

ところで、まがみさん。これ、エクセルで表にしましたから、ご入り用とあらば、メールでお送りしましょうか?

ということで、これだけだっら、全然地理ネタじゃないので、落書き帳史編纂事業部員ではない?ものですから、レスも失礼ながら、2つだけ一緒にさせてください。
[16740]uttさん
市内に住む友人に「己斐まで迎えに来て」と言っても、「え?どこ?」と聞き返される
ウ~ム。そこまで己斐の名は、知られなくなってしまったのですか?失礼ながら、そのご友人が、広島市内の西方面に疎い方ですか?いずれにしても、己斐区になっていれば、こんなことにならなかったのに。重ね重ね、残念でなりません。

[16861]両毛人さん
その圏域の一部事務組合なり、協議会なりの長がいる自治体と、事務局のある自治体とが違う場合もあるのでしょうか・・・。長のポストは持ち回りにしているところも多いようですし・・・。
貴稿[14221]と拙稿を照らし合わせてチェックしましたが、互選となっているのは、南空知、北空知、北網の3圏ですね。それから考えると、互選による会長市町と、中心市町(事務局設置市町)とが異なることは、十分あり得るのではないでしょうか?
また、静内町は、浦河町よりも人口が多いことを考えると、支庁所在地の浦河町ではなく、静内町が中心町であり、会長町であることもむべなるかな、と思われます。それ以外で、支庁所在地以外が中心市となっているのは、滝川市、深川市、富良野市、紋別市、苫小牧市、で、私はこれらは納得できます。
ご質問の趣旨が良く分からなかったものですから、トンチンカンなお返事になっていたら、申し訳ありません(汗)。
拙稿[16819]は、北海道大百科事典に載っていた記述に過ぎないのです。道庁に確認したのは、「広域市町村圏の中心市町の選び方って、何か基準があるのですか?」だけなものですから。

本当は、拙稿[16773]の「摂」を「河内」に訂正したかったのですが、[16786]でNSさんが引用されたのを見かけたので、まぁ、恥さらしもしょうがないか、と諦めました。

まさか、上司が保険勧誘員にヘンシン!するとは思いませんでした。シコタマお酒を飲みました。職場で用意したレスをやっと、書込んでいる次第です。
[16819] 2003年 6月 15日(日)07:33:09三丁目 さん
中心市町って?
拙稿[12025]で、北海道の支庁再編案をご紹介し、その中の最も細かい区分として、20に分けられた広域市町村圏にふれました。ところで、北海道大百科事典を見ていたら、「広域市町村圏」という項目でその圏名ごとの中心市町が載っており、私にはたいへん興味深かったので、一部重なりますが、ご紹介いたします。また、[14220][14221]両毛人さんとも、ダブッて恐縮ですが。

圏名市町村数中心市町支庁所在地支庁
札幌10札幌市札幌市石狩
渡島17函館市函館市渡島
檜山10江差町江差町檜山
後志20倶知安町倶知安町後志
南空知11岩見沢市岩見沢市空知
中空知10滝川市岩見沢市空知
北空知 6深川市岩見沢市空知
富良野 5富良野市旭川市上川
上川中部 9旭川市旭川市上川
上川北部10士別市旭川市上川
留萌 9留萌市留萌市留萌
宗谷10稚内市稚内市宗谷
北網14網走市網走市網走
遠紋12紋別市網走市網走
西胆振 8室蘭市室蘭市胆振
東胆振 7苫小牧市室蘭市胆振
日高 9静内町浦河町日高
十勝20帯広市帯広市十勝
釧路10釧路市釧路市釧路
根室 5根室市根室市根室

この中で、上川北部の中心市町が士別市。エッ?どうして名寄市じゃないの?でして、しばらく我が地理アドバイザーと意見交換しました。2人の意見は、都市の規模・歴史・風格からして名寄だよねぇ、で一致しました。静内町については、それもアリだろう、と思いましたので。。。それで、道庁に問い合わせたら、あっさりわかりました。ちなみに、[14221]両毛人さんのデータでは会長(名寄市長)、副会長(士別市長、剣淵町長)とご紹介されていますが。

そもそも、この「広域市町村圏」両毛人さんがおっしゃられている通り、1969年(昭和44年)がスタートですが、現在は、H12.3.31自治振興第53号自治事務次官通達「広域行政圏計画策定要綱」(その後2度改正)に基づき策定されているもので、構成する市町村間で話し合われ、どこに事務局を置くか等、ということなのでした。そのため、上川北部の「事務局が置かれている所」を「中心市町」と表示しており、それは士別市、ということなのでした。

なお、アドバイザーコメントとして「過疎化は士別も名寄と同じですが、元の発展が名寄ほどではなかった。あら、アンタも私と同格まで落ちぶれたのね、みたいな感じ。『名寄=根室、士別=中標津』の図式に近いのかしらん。」をもらっています。[10424]uttさん以外の方には、わかりにくい例えだったかもしれませんね(汗)。ちなみに、uttさんの書込みを教えていないにもかかわらず、根室市、中標津町の例えが出てきたことに、私は驚きました。道東では、この構図は常識なのですかねぇ。

参照URLは  http://www.soumu.go.jp/pdf/k_youkou.pdf で、先述の事務次官通達が出てきます。
[16787] 2003年 6月 14日(土)20:14:10【1】三丁目 さん
残された手段は、人名ですかね。
[16784]faithさん
私のイメージでお話しておりますから、恐縮ではありますが、当地に因んだ歴史上、有名な人物の名前から、どこか「字」をもらうかなにかすればよかったのかな、と、思いました。もし、アイデンティティいう部分でこだわられるなら、という意味です。逆に、歴史上の有名な人物の一「字」があれば、ご納得されたのでしょうか?
申し訳ありません。私、関西は程々にはわかるものの、体感的には、兵庫県以外は、わからないものですから。

あまり、この件については、割ってはいるつもりではなかったものですから、お酒も飲んでいることですし(逃げるつもりではありません)、次のお返事はできないかもしれません。その点については、ご容赦くださいね。

ただ、北広島の公共施設が、市制施行する、15年以上先を見越して、名づけられたというのは、考えにくいと思いませんか?「北広島」が、広島町内にあっても、自然な命名だったからだと、私は思いますよ。あえて、北海道大百科事典の発行年を書いたのは、そのつもりからです。
[16776] 2003年 6月 14日(土)18:00:33【8】三丁目 さん
書込んじゃったからなぁ、TACOさんへ
[16766]TACOさん
気になるのですが政令指定都市の中では北九州市と京都市は人口が減少しています。これな何故なのでしょうか?
この件、どなたかから横レスを入れて頂けることを期待して、見なかったことにしてしまえぇ、と思っていたのですが、拙稿[16773]を書込んでしまいましたから、読んでいたことがバレバレですので、三丁目的レスでお返しいたします。

政令指定都市なのに、人口が減少している原因ですかぁ。。。ではまず、北九州市。鉄冷え(この言葉自体古いですかね?)+αにつきるのかな?と私は思っていました。というか、北九州市の人口が減少しているのは、世間一般の常識ではないか、くらいに(申し訳ありません)、私は思っていました。逆に、人口が増える要因が、北九州市には見当たらない、とも言えるでしょうね。

次に京都市。そもそも私は、京都市の人口が減っていることを、知りませんでした。それに加えて、京都市の現状を知ることもできませんから(関西在住、ではないものですから)、TACOさんのご指摘から推測すると、ドーナツ化現象が、大きな意味で起きていることからなのかな、と思いました。
参考文献「身近な地域」金沢市中学校教育研究会社会科部会編(私が中1のときに習った教材で、このときに初めて「ドーナツ化現象」という言葉を、教わりました)。
問題7:このような人口の現象をなんと呼ぶか。
問題8:なぜ、このような都市化現象が起こったのだろうか。

逆に、これからの時代は、なぜ人口が増えているのだろうか?、そのような吸引力が(他のところから人が引き寄せられるという意味で)、なぜその都市にはあるのだろうか?、という疑問から、考えてみるのもよいのではないか、と思いました。

現在、高校生でいらっしゃるTACOさんに、このようなお話をするのは厳しかったですかねぇ。高校卒業以上のレベルかもしれないかも?と思いつつも、ご参考までに、お話しようかな、と思ってしまいました。

仕事の話として申し上げると、「どうしたらいいですか?私にはわからないのです。」は新入社員+αまでが許される範囲です。その年代を過ぎてしまうと、同様な質問をしたときには、逆に「君はどうしたらいいと思う?」と聞かれます。だから、「私は、何々したいと考えているのですが、如何でしょうか?」という相談の仕方が、好まれます。
ワタクシ的には、TACOさん(高校生)としては、「自分は、人口が減少している原因を、こう考えているんだけど、どうですか?」という感じで質問して頂けると、嬉しかったです。。。(高校生レベルでは)ちょっと厳しかったかな?ご指名頂いてしまったので、なんだか教育的になってしまいましたね(滝汗)。申し訳ありません。
[16773] 2003年 6月 14日(土)16:59:14【3】三丁目 さん
北広島は、例にふさわしくないと思いますよ。
[16768]faithさん
北海道大百科事典(北海道新聞社、1981年発行)を読んでいたら、「北広島」と冠する、たくさんの記述を目にしました。北広島高等学校、北広島公営団地等です。広島町の時代から、町内にできた公的な施設の中には、すでに「北」広島と冠せられていたものがいくつかあるのです。
この話は、本当は恥ずかしいから、以前はふれなかったのですが、実は私、「北広島町」だと思い込んでいました。何度となく道路地図を目にし、自分の部屋には北海道地図を貼っていたのですが。それほど「きたひろ」は地元で浸透していた呼称なのです。我が地理アドバイザーにその旨を伝えたら、そう誤認してた人も多かったみたいだね、と申しておりましたが。ちなみに、私の道内での居住経験は、苫小牧市、登別市、札幌市ですから、比較的広島町に近いところにおりました。

ですから、広島町に関しては、市制施行に当たり、同名回避という部分が、いくばくかの割合があったとは思われますが、北広島市になったのは、ごく自然なことだったと私は思っていました。

なお、拙稿[16722]で、小学生の頃の思い出を語りましたが、同名回避は、あってしかるべきかな、と私は、思います。例としてあげられていた「大阪狭山市」は、その命名感覚のヒドサをこき下ろすべき問題かと、私には思われました。例えば旧国名から「摂」の字を使うとか、もうひとひねりあってもよかったのではないかと、思っていましたが。
[16763] 2003年 6月 14日(土)14:47:43三丁目 さん
雑魚さんのためならエ~ンヤコラ
まずは学習院から。さっき書込んだ後に、外出途上で気づいたのですか、JEOには「昭和22年に宮内省の管轄を離れ、私学として再スタート。」とありましたから、以前、大学の管轄官庁のことで話題になっていたように、旧文部省管轄下ではなかったために、旧制中学には該当しないのでしょうね。同様の記述が、下記受験案内にもありました。

それで残りは、旺文社版2002年入試用高校受験案内から引用します。
日本大学第二高等学校:1927年、日本大学の付属中学校として開校。
桐朋高等学校:1941年、山水育英会を母体に第一山水中学校創立。とあります。
他にも、創立年が古い学校が散見されますが、旧制の中学校ではなかったのでしょうね。よくわかりませんけど。

よくよく見たら、私立高校の沿革は出ていますが、都立は載っていませんでした、あしからず。私にできる情報提供は、ココマデ、ということで。めんどくさかったから、年不詳学校一覧はメモしないで出かけたのです。自宅にプリンターは、ないものですから。今日か明日のどちらかで、北海道大百科事典を返しに行こうと思っていたから、ついで、です。

いや、しかし、本日は夜遅くから雨が降る、という天気予報なのに、日中から雨が少しパラつくし、昨日は昨日で、一日中曇マークだったから、傘を持たないで外へ出たら、いきなり雨が降っているし。梅雨なんですねぇ。
[16757] 2003年 6月 14日(土)11:40:58【2】三丁目 さん
雑魚さんへ
手持ちの総合経済誌「JEO/総力特集日本を動かす人物を生んだ名門高校」より
オヂサマ達と話を合わせるのに、こういう知識を持っていてもいいかな、と思って10年くらい前に買ったものです。これを見て、初めて、進学実績での都立の凋落ぶりと、私立の躍進の差を知り、驚いたものでした。自分が大学に入ってしまえば、母校の進学実績がどうなっていようが、興味なかったですからね。さて、

九段:大正13年、第一東京市立中学校として設立。
学習院:前身は弘化4年、孝明天皇が京都に設置した公家学習所。明治10年華族の学校として神田に開校、明治天皇が学習院と命名。
桐朋:昭和15年、山下亀三郎の献金を基に財団法人山水育英会により、第一山水中学校として創立。

記事で取り上げられた全ての高校の創立年が出ているわけではないから、全部を網羅できなくてスイマセン。
図書館へ行けば、首都圏の高校受験案内があるから、それで調べれば創立年はわかるんですけどね。
桐朋が1年ずれているのが、気になるところです。また、雑魚さんも書かれていますが、学習院は、旧制中学ではないのですか?私にはよくわからないのですが。
[16747] 2003年 6月 14日(土)05:13:44【1】三丁目 さん
「北海道」という呼称
[16672]uttさん
「北海道」が「自治体名」であると同時に、「北海道という島」の名前だからなのでしょう。
自治体名(都道府県名)=都道府県という行政機関の名称=都道府県庁。それに加えて、「関東、東北、中部等と同列の、地方ブロック名」としての3つめの意味もありますね。ですから、なおさら、混乱しやすいのではないか、と思います。

なお、「道(どう)」を、日常的に「道の機関」「道の職員」「道の指導により」「それは道の権限で」等、「道庁」の意味で使っています。あえてこの言葉を使う理由は、「道庁」と言うと、札幌の本庁に限定した意味に取られかねないので、支庁も含めた北海道の機関、組織を指し示すためではないか、と思っていました。

ちなみに北海道独自の言い回しだなぁ、と思っていたのは「全道」です。「全県」とは、あまり使わないと思いませんか?「全都」「全府」は聞いたことがありません、少なくとも私は。。。それで、「全道では」「全道的に晴れです」等よく耳にしましたが、県で該当する使い方は、「本県」又は「県内」かと思っていました。「全道大会」に該当するのは「(全を付けない)県大会」でしょうか(なお、本都、全都、本府、全府も、使わないですよね。)。「北海道」を表す地域ブロック名として使っているから、「全」を付けるのかな、と思っていました。語呂の問題もあるのかもしれませんが。

この話は、書込むのを止めようと思っていたのですが、あまりの蒸し暑さに寝苦しく、目が覚めてしまったために、発泡酒を飲みながら、ツラツラと書いてしまいました。梅雨を実感するこの頃です。
6月の北海道は、梅雨のない季節だからサイコーダと聞きました。暖かい季節へ向かうときは、ちょうど本州よりも1ヶ月遅れ、と理解して頂ければ、と私は思っていました。(この場合は島の名称であるとともに、ブロック名としてのダブルミーニングで、使ってますかね?)
[16725] 2003年 6月 13日(金)19:55:42【1】三丁目 さん
Re:広島市の区を考える、ただし西区だけ
[16717]mikiさん
>西区→己斐区(「西広島駅」の旧駅名「己斐」より)
これも同じ意見で(字が難しいので)「井口区」ですね。
広島市が政令指定都市になったときに、当時、区名にいろいろな案が出ました。ちょうど、私は西区に該当する地域に住んでいたから覚えているのですが、「己斐区」という案もありました。あるいは「こい」の音にかけて「鯉区」とか。他に「カープ区」というわけの分からない案も出てましたっけ。私としては己斐区が良いのになぁ、と思っていました。西区に決まって、ガッカリしたものです。やはり抽象地名には、寂しいものを感じてしまいます。

井口と聞くと、私には、6校の中で最も新しい高校である、や、庚午中学校から井口中学校が分かれて新設された、ことが連想され、新興地域というイメージがあります。井口なんか(失礼!)に広島市の西域を、代表されたくないなぁ、と思ってしまいます。だから、老舗己斐にはガンバッてほしいですね。広島市の西の玄関口なのですから。

広電己斐が、広電西広島・己斐と変わっていたのを知ったときには、驚きました。まさか、西広島みたいな、なんの変哲もない名前(特に、JRの駅名として)に、己斐が負けるなんて、て感じです。広島以外の人に、分かりやすくしたのだろうとは思いますが。今は、老舗己斐は没落、新興井口はますます勢力拡大中、てな感じなのですか?
[16722] 2003年 6月 13日(金)19:14:39【1】三丁目 さん
府中と聞くと
しばらく府中の話題が続いたので、昔話を1つ。子供の頃、私が府中と聞いて連想していたのは、広島県府中市でした。ちょうど、3億円事件の時効が迫っていると世間で騒がれていた頃、現場の名前として「府中」がよく出てきました。転勤族でしたが、当時は高崎市に住む小学生で、ニュースを聞くと、どうも広島じゃないみたい、なんでだろう、と思っていました。逆に、自分がなぜ、身近な関東地方の府中ではなく、遠い中国地方の府中を連想していたのか、不思議ですね。東芝府中工場と聞いてたからかな?
蛇足ですが、府中と調布を、勘違いしたことがありました。「ふ」と「ちゅう」「ちょう」の音の組合せからだと思います。京王線沿線に疎い、というのも大きな理由かもしれませんが。
[16684] 2003年 6月 12日(木)21:23:30【1】三丁目 さん
雑魚さん宛レス:北海道大百科事典からの補足
[16681]NSさんを受けて、
函館東:1940年(昭和15年)4月、函館市船見町に函館市立中学校として設立。
岩内:1919年(大正8年)創立の岩内町立女子職業学校から発足した北海道庁立岩内高等女学校と、1941年(昭和16年)町立として開校した北海道庁立岩内中学校とが、1949年、統合して岩内高等学校となった。

1年、NSさんの情報と異なるのが、気になるところではあります。「年度」の捉え方でしょうか?
[16679] 2003年 6月 12日(木)20:08:01【1】三丁目 さん
勝手な推測を、カッコ悪く訂正します。
拙稿[14715]
土地に執着する傾向が強い、日本人の心情を考えると、たとえ釧路集落の方が大きかったとしても、根室の名前を前面に出すことで、根室地元民の、北方警備へのプライドを高めたのかしら、とも思いましたが。これは、完全に私の推測です。
一応、推測とお断りしましたが、訂正いたします。(アーカイブテーマに採用されてるから、恥ずかしいなぁ)

江戸時代後期のネモロ(根室)とクスリ(釧路)は同格だったかもしれませんが、明治前期は根室の方が発展しており、釧路は遅れていたようです。戸長役場は最初に根室と厚岸に置かれ、釧路は旧国名でありながら、根室、厚岸よりも小さい集落でした。1885年(明治18年)に郡役所が釧路に設置されたことが、釧路の発展の一大契機となったように、釧路史には書かれていました。それまでは、厚岸にも劣る寒村だったそうです。

ということで、[12033]uttさんの
根室支庁は南端の根室市にあるのは、一時期、根室県が設置されたこともあり、当時は根室が他を圧倒するほどの、道東の拠点だった名残りなのかなって推察されますね。
ご明察のとおり、です。
[16676] 2003年 6月 12日(木)19:02:35【2】三丁目 さん
雑魚さん宛、じゃないレス
[16642]般若堂そんぴんさん
久しぶりに、フィンランド語とノルウェー語の表記を見て、なんだか懐かしくなりました。ほとんど意味はわからないものの、フィンランド語では「~katu」が「~通り」だったなぁ、なんて思い出しました。

[16664]kenさん
気が狂ったかのような連続書き込みでしたが、(中略)一瞬7位になってみたいがための、
フフッ(笑)。ランキングを意識されてるのですね(笑)。以前から書込まれている方が、ランキング上位なのは当たり前、なので、私はマイペースで淡々と。

とはいえ、先日やっと100番単位のキリ番をゲットできたので、次は17000を狙ってみたいと思っておりました。志?は高く持たないと、ですからね。私が書込める時間だといいなぁ。深夜帯にかかってしまうと、お酒とオネムなために、起きてる努力をする気はないですし。一応、そのための、連続書込みネタを、密かに準備中なのでした(笑)。「北の防人」連載を、終了宣言する原稿も、5月上旬には書き終えたのですが、幸いにして、北海道大百科事典サマサマのおかげで、単発の書込みネタでいろいろと思いついているところです。また、皆さんからネタを振って頂いたおかげで、しばらく、食いつないでこられましたしね。感謝!です。懐かしついでにKiitos!とTak!

[16627]kenさん
>【4】
何気ないレスながら、4回も推敲されている。雑魚さんの繊細ぶりが窺えます。
おっ。実は、自分の書込み訂正回数が多いことを、私は気にしていたのです。フタケタの大台、狙っちゃおうかな(冗談ですよ(笑)、オーナーグリグリさん。見逃してくださいな)。
[16675] 2003年 6月 12日(木)19:02:20三丁目 さん
雑魚さん宛レス
[16633]雑魚さん
私は、Fを通る補助線や、Oを通る補助線を引いて考えたのですが、どうにも解けなくて、困ってノーベル賞田中さんの後輩に当たる友人と、学校の先輩に、メールで聞いたのです。「わかりそうで」という件名で返事が来て「わからん!」と本文に書いてありました。これでも私、共通一次の数学は、満点とれたんですけど(過去の話ですな)。かねてから、[16374]まがみさんで思っていたのですが、まがみさんも理数系でいらっしゃるのですかねぇ。
ちなみに、解答を送ったところ「補助線の引っ張り方だろうなと勘は立つところまではいきました。後は訓練ですよ、あれ。」友人からも同様なコメントをもらいました。そんなもんすかねぇ。

それにしても、[16665]雑魚さん。大型シリーズが始まりましたね。実にグッドタイミングな連載開始ですよ。ちょうど今週末に、北海道大百科事典を、図書館へ返すところだったのですが、その記述からご紹介すると、
北見北斗:1922年(大正11年)4月、北海道庁立野付牛中学校として開校した。
苫小牧東:1937年(昭和12年)町立苫小牧中学校として設立。
室蘭栄:1917年(大正6年)同市栄町に北海道庁立室蘭中学校として開校。
北海:創立は1885年(明治18年)の北海英語学校で、1901年北海英語学校中学部の認可、1905年に私立北海中学校(以下、略)

ちなみに、事典を職場へ持っていって、必要なところはスキャンしたりして、CDへの保存等してたのですが、本日、上巻を持って帰ってきたところでした。ところが、電車の野郎ときた日にゃあ、線路内に人が立ち入ったとの無線信号が発せられ、と、突然駅で緊急停車。おかげで15分ほど多く電車に乗る羽目になり、ただでさえ重い荷物に、ウッとなってしまいました。タイプする腕も、疲労困憊しております。
[16628] 2003年 6月 11日(水)20:58:09三丁目 さん
Re:回転禁止の青春さ/弾丸道路
私は、[16582]NSさんがおっしゃっているのは、棺桶道路=弾丸道路(国道36号線の札幌~千歳間)と理解していましたが。
ちなみに、弾丸道路と聞いて、私が連想したのは、国道5号線(長万部付近)の一般国道、又は、道東の一般国道でした。だって、高速道路を走っているようなスピードでも、抜かされるんですから。
でも、軒下提灯さん、て、サイクル野郎(死語?)だったのですねぇ。
[16625] 2003年 6月 11日(水)19:14:14三丁目 さん
1都4県?
6月6日付日本経済新聞首都圏版の記事を以下、かなり省略してご紹介します。
(見出し)1都4県:昨年度税収、軒並み減
(記事)首都圏一都四県の・・・山梨で・・・次いで神奈川・・・東京と千葉は・・・埼玉は、
1都3県(東京、埼玉、千葉、神奈川)は聞くけど珍しい括り方だなぁと思ったので、職場で相談したところ、これは記事を書いた日経に聞いてしまうのが手っ取り早いだろう、ということになり、電話してみました。逆に「山梨が入っていると不自然なのか」「隣の記事では関東財務局1都9県とある」(そりゃ管轄エリアだろう、と言ったのですが)と言われたので、このオッサンとは何を話しても無駄だな、と思い、早々に電話を切りました。

税金関係の記事だからと、財務省管轄下の関東「財務局」に電話したところ、東京「国税局」に問合せてもらった方が良いかもしれない、と教えてもらいました。ということで、改めて東京国税局に電話すると、管内は1都3県の「東京、千葉、神奈川、山梨」との回答を頂きました。東京国税局の中では「1都3県」と言ったら、前述の管内のことを指すそうです。ですから、たぶん、日経が記事にまとめるときに、東京国税局管内+埼玉県(関東信越国税局管内)と、したのではないでしょうか。。。これくらいの内容は、日経の方で答えろよなぁ、、、あ、これは独り言。

なお、ご紹介した両国税局の管内については、[4261]で雑魚さんが書かれています。蛇足ですが「国税局」で記事検索したら、出てきた8件中7件が雑魚さんの書込みでした。残り1件の両毛人さんの書込みは、雑魚さんの書込みを引用したものに引っかかったものですから、国税局ネタは、雑魚さんの独壇場でしたか?
[16624] 2003年 6月 11日(水)19:01:04【1】三丁目 さん
Re:♪どぉこかぁらぁ来るのかぁ、黄金道路!
ワタクシ的には「おぉごんどおぉぉぉ、ろっ」としたいところですが(笑)。
[16589]雑魚さん
開通以前、浦河、えりも界隈と十勝方面との相互往来需要は皆無に近かったのか、または船舶を介していたのですかね。
北海道大百科事典(北海道新聞社、1981年)の「黄金道路」の記述から、以下、引用しますが、

帯広―浦河間の国道236号のうち、十勝支庁広尾町広尾橋から日高支庁えりも町庶野市街間約31.7kmの別名。この間に初めて道路が造られたのは1798年(寛政10年)で、幕府勘定支配近藤重蔵が東蝦夷地の巡視の帰路、広尾から幌泉に至るが、海路が危険なため自らの資金でルベシベツ―ビタタヌンケの山道10km弱を開削した。北海道における道路築造の初めでもある。その後幕府は国防の見地から様似山道、猿留山道などを造った。(中略)1891年(明治24年)にルベシベツ―タニイソ間の海岸沿いの難所を開削した。(中略)1927年(昭和2年)に現道に近い所に8年の歳月をかけて広尾橋からビタタヌンケまでの16.3kmが完成した。

ということで、上記の記述から推測すると、道路開削以前から、江戸時代には既に、海路による往来があったようですね。

また、昨日は何らの疑問も抱かずに、[16582]NSさんの書込みを読んでいたのですが、「黄金道路」という呼称が、国道236号線から336号線に変わった、というのは、考えてみたら不思議じゃないですかねぇ。「本家」黄金道路が、別称を付けられて、由緒正しい名称を奪われてしまっただなんて。とはいえ、私自身は、336を黄金道路と聞きましたし、手元の地図でもそのように表示されているから、違和感はないのですが、なんとなく236が不憫に思えて(涙)。
[16623] 2003年 6月 11日(水)18:49:27【1】三丁目 さん
厳密な首都とは?
[16617]花の東京都民さん
日本の首都は東京でございますが厳密にいえばいったい何処でございますかしら?
下記URLで、東京都が、「首都とは何か。首都の定義は」について、衆議院「国会等の移転に関する特別委員会」委員等からの回答を紹介しています。
http://www.chijihonbu.metro.tokyo.jp/chosa/syuto/3_katudou/4_teigi/a111104a.htm
この中で「明確な定義づけは今後も議論の余地を残す。」「はっきりした定義はないと考える。」と示されています。

なお、三省堂の辞書では、首都という単語について「その国の中央政府のある都市。*日本では東京。」とあります。「東京都」が自身の問題として首都について考えていることから判断すると、「東京都」という答え方も一つかもしれませんね。都道府県単位になるから、わかりやすい分け方だと思いますし。ただし、「都市」に拘るならば、通常は「市」という行政単位が該当するのでしょうが、特別区である23区域をまとめて1つの「都市」と見る見方もあるでしょうね。
[16584] 2003年 6月 10日(火)20:22:41【3】三丁目 さん
おろおろ、してます
[16582]NSさん
フォローありがとうございました。事典が20年以上前に発行されたものであることをド忘れして、そのまま引用してしまいました。たしかに、おっしゃるとおり、国道番号は236ではなく336でしたね。失礼いたしました。でも、弾丸道路の別名をご存知ということは、私よりも、お歳が上でいらっしゃるのかしら?たぶん、私は雑魚さんと同学年、、、と私は信じていますが。。。あ、いえ、別に、お返事を頂きたいわけではありませんから、テキトーに流してくださいね。

石勝樹海ロードは、uttさんの書込みにもありましたが、道外でも知られているのでしょうかねぇ。また、知床横断道路も、有名か(特に雪解け時期に通れるかどうかは毎年情報になりますね)とは思いましたが。歴史的に、「最も」知られているかな?という基準で選んでみたつもりでした。

[16544]白桃さん
解説、ありがとうございました。実は拙稿[16535]は、書込む前に我が地理アドバイザーにどぅお?と聞いてみたところ、人口データが様々あることは、一般の人は知らないから(地理アドバイザーも含めて)書込んでみたら、と言われていたのでした。白桃さんの解説を頂いたものを、アドバイザーに紹介したところ、なんだかテキトーな自分の理解を言ってましたが、私たちにとっては、勉強になりました。重ね重ねの御礼です。
[16580] 2003年 6月 10日(火)19:04:30三丁目 さん
ニックネーム国道
北海道大百科事典の項目の1つに、標記件名がありました。私は、名前で呼ばれるよりも、国道ナンバーで言われたほうが、ピンとくる方なのです。例えば、
国道122号線:北本通り
国道254号線:川越街道、などです。
明治通り、目白通り等に至っては、私にはどの道路のことを言っているのか、サッパリイメージがわきません。また、
第一京浜:国道15号線
第二京浜:国道1号線
第三京浜:一般有料道路(世田谷区玉川IC~横浜市保土ヶ谷IC)
以前、国道15号線近くに住んでいましたが、私はこの第一から第三までの区別が覚えられなくて、必ず国道15号線、と説明していました。でも、15号線と言った方が、わからない人が多いように私には感じられました。海側から1、2、3と付けたんじゃないの、と職場の人は言ってましたけど。ぢゃあ、なぜ東名高速道路のことを第四京浜と呼ばないの?と、私は声を大にして言いたい!横浜ICだって、しっかりあるのに。。。ま、どうでもいいから、この話はこのくらいにして。

それでいよいよ?北海道のお話。
北海道で最も有名な(全道で知られているという意味で)ニックネーム国道と言えば、黄金道路(国道236号線)ではないか、と私は思っています。我が地理アドバイザーによると、小学校で習った、と言ってました。私は、この道路を通ったときに、小樽出身の人から教えてもらいました。ちなみに、黄金道路の由来は、この道路の建設に膨大な費用がかかったことから、黄金を敷きつめたような道路だ、ということからです。

また、札幌圏の人にとっては、石山通り=国道230号線も知られているでしょうね。実は私は、由来を知らなかったので、「まさか石山本願寺絡みで、本願寺街道(拙稿[16367]をご参照下さい)から石山通りと呼ぶの?」と地理アドバイザーに聞いたら、「そりゃまた本願寺つながりで、ずいぶん遠大な推論ですな。単純に石切り山があったから石山という地名になっただけだと思ってましたが」だそうでして。札幌市南区のHPに石山が出ていました。
http://www.city.sapporo.jp/minami/ トップページの左側にある「知っていますか南区の歴史」です。

他にも、私は知らなかったのですが、国道240号線のことを「まりも国道」と呼ぶのは、地元で知られているようですね。地理アドバイザー情報によると、道路標識にも示されているそうです。手元の最新版北海道マップルを見ると、いろいろと○○街道とか○○国道と表示されているので、ニックネームを付けたのが、増えたのか?それとも、積極的に表示するようになったのか?ハテナ?

さて、事典を見ていると、弾丸道路=国道36号線の札幌~千歳間、と出ていました。初めて聞きましたが、地理アドバイザーが調べていた資料でも出てきたので、なんだろうと思いましたが、これはあっさり判明しました。アドバイザー殿の父君が「昔は弾丸道路って言ったんだ」とおっしゃられていたそうでして。かつてはそう呼ばれてましたが、どうやら高速道路が出来ている時代(現代?)では、もう死語になっていたためのようです。

第三京浜道路のことが話題に上がったから、急遽アップした書込みです。でも、流れとは全然違う話でしたね。これが三丁目テイストなのかな?へへッ(^◇^;)。
[16535] 2003年 6月 9日(月)20:34:26【3】三丁目 さん
実人口って、登録人口ベースなのですか?
[7598]松戸さん
北九州よ~~100万を切らないでおくれ~~。。。

[9056]seahawkさん
北九州市も100万人を割りそうな勢いです。

[13077]TACOさん
北九州市ももう100万を割り込むのは時間の問題ですね。

本日、宮崎出身の人と話をしていて、北九州市の人口はもう100万人を割っているとい言われて、ほらぁ、と
http://dir.yahoo.co.jp/Regional/Japanese_Regions/Kyushu/Fukuoka/Cities/Kitakyushu/Outline/
を示されました。よくよく北九州市HPのデータと比べてみたら、これは、2002年3月末での住民基本台帳ベースの人口なのですね。落書き帳を読んでいた記憶では、[13026]で松戸さんが「セーフッッ」と書込まれていたし、まだ100万人を割っていないと思っていましたから。

それで、そもそも住民基本台帳って何?と思ったので、ネット検索したのですが、よくわかりませんでした。横浜市HPによると、
住民基本台帳とは?
住所・氏名・生年月日・性別など、法律で決められた事項を記載したものを住民票といいます。この住民票をまとめたものが住民基本台帳です。
だそうです。「住民基本台帳上の人口=日本国籍保持者数=日本の人口」かと思っていたものですから「日本国籍を持っていても、住民基本台帳に載らないようなケースはあるのですか?」と電話で聞いたところ、明確に具体例で、回答して頂きました。
(1)居住者が不在となった部屋に、マンションのオーナーが新しい人を入居させようとしたら、前居住者の住民票が残っている際に、近所に聞き込み等の現況確認をして、職権で前居住者を除票するケース。
(2)転勤等で海外へ出られた方が、異動手続きをして、除票のみ残っているケース。
(3)手続き上から(釧路で里帰り出産して出生届を出したが、住民票のある宮崎まで届くのに時間がかかる)、住民登録事務作業が終了するまでの間に発生するケース。
が、考えられるそうです。レアケースはまだあるのでしょうけれど。

それで、気になりましたから「人口が350万人を超えたという場合は、何ベースで考えるのですか?」とお聞きしたら、登録人口ベースなのだそうですね。私も迂闊でした。人口は、基本的に国勢調査ベースで考えていたのですが、直近の数字を知りたい場合は、住民基本台帳ベースでお聞きしていました。ということで、数値には、以後気をつけよう、と思いました。このあたりのお話は、白桃さんがお詳しいのでしょうね。

参考:北九州市の人口推移(単位:人)
推計人口登録人口住民基本台帳人口外国人登録人口
1999年1,011,7621,018,6341,008,18610,448
2000年1,011,4711,015,6561,005,35310,303
2001年1,008,6571,012,9261,002,49910,427
2002年1,006,4581,010,338  999,80610,532
2003年1,001,3971,008,197  997,39810,799
注1:推計人口は、各年10月1日現在。ただし、2003年のみ4月1日現在です。
注2:登録人口とは、住民基本台帳法に基づき住民基本台帳に登録された人口と、外国人登録法に基づき登録された外国人の数を合計したもの(注2のここまでは北九州市HPから引用)であり、時点は各年の3月末現在です。
[16533] 2003年 6月 9日(月)19:38:52【1】三丁目 さん
おばんでした(ちょうど「こんばんは」ですね)
[16520]般若堂そんぴんさん
山形県の少なくとも内陸部の一部で過去形が丁寧表現になる
苫小牧で独身寮に入ったとき、そこには単身赴任者も結構いて、挨拶について注意されたことがありました。風呂場で、私が目礼だけで通り過ぎようとしたら、「なんか挨拶したらどうだ?」と言われ、何と言ったら良いかわからなかったので、ズバリ聞いてしまいました。すると「おばんでした」と言うんだ、と教えられました。

北海道の言葉は、東北地方の影響を受けていることが多いと聞きますが、この言葉を教えてもらったときに、そのことを思い出したものでした。でも、なぜ過去形を丁寧用法として使うことを、東北地方と同様と思ったか、自分でもフシギ。たぶん、山形市の祖父母のところへ小学校卒業までは毎夏行っており、「おばん」という挨拶語を聞いていたためと、山形県村山市楯岡(父の出身地)に4歳の頃、40日ほど預けられていたからかな?と自分では思っているのですけど。あるいは、「おばんでした」と一緒に教えてもらったのかも。記憶が曖昧なのです。

ちなみに「おばんです」も使いますが、同年齢又は目下に対して使ってたはずですから、過去形の方が丁寧な意味になります。「おばんでございます」もありますが、「おばんでした」の方が伝統的?な用法だと、私は思っておりました。紅葉橋瑤知朗さん、NSさん、と地元の方がいらっしゃるのに、僭越でしたが。

ちなみに、先日私の父が「ゴミをなげる」と言ったので、北海道と一緒だぁ、と思ったものでした。
[16451] 2003年 6月 8日(日)08:27:00【1】三丁目 さん
書き落としてましたが、思い出した件です。
[16374]まがみさん
白老~沼ノ端です。堂々の(鉄道)直線区間第1位です。
昨日は、同じ書込み番号について、お礼を申し上げながら、こちらの方を書き落としておりました。失礼をお詫びするとともに、ありがとうございました。

[16349]雑魚さん
176は、やはり国道番号だったのですね。実は、その数字は関西を通る国道番号だったはずだ、とは記憶にあったのですが、どこを通っていたのやら思い出せなくて、国土交通省に電話して聞いてしまいました。「みた」を通ってと、教えてくれた方は言ってました。「さんだ」を知らないのね、と思ってしまいましたが。

ちなみに「さんだ」と聞くと「サンダ対ガイラ」をいつも連想してしまいます。般若堂そんぴんさんのテリトリーに踏み込んでしまいますが(笑)。実際に、同タイトルの映画を見たことはありませんが、たぶんソノシートで聞いていたのだと思います。
[16448] 2003年 6月 8日(日)06:49:58三丁目 さん
過去ログを読んでいて、思いついたレス
[4848]夜鳴き寿司屋さん
元々は、(釧路市と釧路町は)ひとつの行政単位だったわけで、2つに分離させた時点で「区」と「村」と異なる行政組織だったので、隣接していても同じ名前でも構わないとされたのだと思います。どうして別々の名称にしなかったかは謎です。
拙稿[13312]で引用した部分と、今回は異なる箇所の引用です。旧釧路村(現釧路町)は、旧釧路町=旧釧路区(現釧路市)からの分村にあたっていろいろな交渉条件を提示したのですが、その中の一つに「村名を釧路村とする」というのがありました。当初の案(道庁・釧路区側)では、村名を別保村とすることで内定されていたのですが、それを覆すことができたわけです。戦後の民主主義の時代しか知らない私たちですが、当時のことを考えると、よくぞ交渉しぬいたものだと感心しました。

たかだか80年前の出来事でも、立場が異なれば同じ事実であるにも関わらず、記録・記述する濃淡も異なりますから、[15794]Issieさんの
複数の資料をつきあわせる努力をすることでしょうね。
を、痛感したところでした。
[16412] 2003年 6月 7日(土)14:31:16三丁目 さん
お礼、をお伝えしたかった書込みです。
[16374]まがみさん、[16385]uttさん、クロソイド曲線について、ありがとうございました。

また、私の妙な質問に、[16398]雑魚さん
>アングラでは(鉄道直線最長区間について)どこか別の路線があるのですか?
うーん、ちょっと該当しそうな区間は思いつきませんね。
ご丁寧に、ありがとうございました。青葉駅についての記述が抜けているのだけ、ちょっと気にかかりましたけれど、お手持ちの文献がちょっと古めなのかしらん。苫小牧西高の生徒のためにつくられた、後から取ってつけられたように造った駅(確かホームだけ)ですから、線路形状には、影響がなかったのでは、と思ったのですけれどね。

[16383]スナフキんさん
鉄道直線最長区間ですが、(中略)「測量上の敷地中心線が一直線である」ことから直線最長区間であるとされているもののようです。
基準がよくわかりました。さっそく、我が地理アドバイザーには、休み明けに、職場からメールで、教えてあげようと思いました。
[16373] 2003年 6月 6日(金)21:11:09【2】三丁目 さん
「適当」という単語を、良い意味で使いたいレス
[16134]まがみさん
>JR東日本の図が北方へ長い
Suicaの使える範囲とだいたい一致しています。
かつて、Suicaが導入された当初は、ドコソコの駅では使えます、とか、使える範囲が広がりました、とか車内広告をよく見かけたものでしたが、最近は、スッカリ見ておりませんでした。Suicaのことは、スッカリ忘れておりましたがな。

[16370]雑魚さん
>そういえば、鉄道の日本最長直線区間は、室蘭本線の苫小牧?~白老?だったっけ、てな話になりました。
公式にはその様に聞きますが、駅構内の ポイントに伴う僅かな スライドまで考慮すると、少々 「?」 気味ですね。
ということは、アングラではどこか別の路線があるのですか?
[16368] 2003年 6月 6日(金)19:41:25【2】三丁目 さん
Re:国道五号線、の続き
ところで、道路関係をいろいろと見ているうちに、直線道路(北海道大百科事典)についての記述が目にとまりました。
北海道に多い直線道路の中で、日本一長いのが国道12号の美唄市光珠内跨線橋から砂川市空知太橋の間27.7kmの道路。これを上回る直線道路を造ろうとしても、地形や土地利用状況などから困難であること、直線道路はドライバーにとって単調であり、クロソイド曲線などの連続的な曲線道路が望ましいことから、可能性は少ない。
と、ありました。「クロソイド曲線」の専門的な意味はよくわかりませんでしたが、安全に高速運転するための理想的な曲線、という感じでしょうか。「数学的に滑らかでも、人間的には滑らかではない」という記述を見つけましたから、何やら、黄金比みたいなものかも、とも思いましたが。
この、直線道路の話を我が地理アドバイザーに紹介したら、そういえば、鉄道の日本最長直線区間は、室蘭本線の苫小牧?~白老?だったっけ、てな話になりました。いかんせん、私たち、鉄分不足なものですから。
[16367] 2003年 6月 6日(金)19:41:10三丁目 さん
Re:国道五号線
[16067]雑魚さん
ところで、国道の経路を考えると、(中略) 函館と札幌を結ぶ 5号線の経路選定については、その必然性において少々微妙なものを感じます。(中略)鉄道基準で見た場合、(以下、省略)
国道5号線は、道内唯一の1ケタ国道であり、函館~小樽~札幌と、最も早くから区制が施行された三都をつなぐ主要な道路ですから、ご興味を持たれるだろうな、と思います。でも、私自身は、初めての北海道旅行の時の、片道1回しか通ったことがありませんねぇ。なぜなら、函館から札幌へ一般国道で向かう場合、国道5号線~長万部町~37号線~豊浦町~230号線、が現在の最短ルートだからです。難しかった中山峠越えも、近代土木技術(定山渓トンネルより札幌側の無意根大橋、渓明大橋等)によって、通行が容易になりましたから、ね。

なお、我が地理アドバイザーからは「鉄道だと、山ルートは登りが厳しく、それに伴いカーブもきついことからスピードが極度に落ちるけれど、自動車だとその影響は小さく、狩勝峠よりも険しい日勝峠の方が短時間で着けるように、距離最短が第一だと思われます」とのコメントをもらいました。私は思いつかなかった話でしたが、ナルホドと納得しました。

ということで、以下は北海道道路史(参考文献も同名)になってしまいますから、もしなんであれば、飛ばしてくださいな。鉄道には、少~しだけふれます。

函館から札幌への陸路は、1870年(明治3年)から翌年にかけて開削された、本願寺街道が、開拓最初期の道路です。このときのルートは、軍川(七飯町)から砂原6里半(25.5km)の道路を開通させ、海(内浦湾)を渡って長流(伊達市)から、壮瞥、尻別(喜茂別町)、定山渓を経て平岸(札幌市)に至る26里10町(103.2km)です。現在の国道230号線に近いルートなのですが、厳密に言えば、230号線の起点が虻田又は豊浦なのに対して、本願寺街道は伊達を出発点として、洞爺湖を東回りで留寿都村に上っています。また、札幌市内を石山から豊平川左岸、石山通りが230号線ですが、本願寺街道は豊平川を渡らず真駒内を通って平岸に着いているあたりが異なります。

次に着手されたルートが、札幌本道です。初めは本願寺街道ルートと同様に考えられていましたが、変更されました。函館から森に出て、森から内浦湾を船で渡ってトキカラモイ(室蘭市海岸町)に上り、そこから苫細(苫小牧)を経て札幌・豊平橋に至るルートをとることとなりました。1873年(明治6年)に竣工し、幅員44尺(13.3m)ないし22尺(6.7m)の西洋式馬車道が完成しました。もう少し詳細にルートを記述すると、函館~亀田~峠下~森~(内浦湾)~室蘭港~登別~苫小牧~千歳~札幌、となります。

1885年(明治18年)の内務省告示によって、全国で44の国道が指定され、
6号「東京ヨリ函館港ニ達スル路線:東京~宇都宮~郡山~仙台~盛岡~青森~函館港」
42号「東京ヨリ札幌県ニ達スル路線:東京~6号・函館港~七飯~森~室蘭港~苫小牧~千歳~島松~札幌」
となりました。大雑把に言うと、現在の国道5号線~(内浦湾)~36号線という感じですね。

その後、札幌本道以外の道路も開削が進められ、1888年(明治21年)から森~長万部の道路工事に着手し、1894年(明治27年)頃までに礼文華山道(長万部~虻田)の改良が行われました。また、札幌~定山渓~虻田の旧本願寺街道も、1894年(明治27年)に改良・開通しています。しかし、車が未発達の時代にあっては、内浦湾の交通による船の方が速くて安価だったために、道路はあまり利用されず、1904年(明治37年)の小樽~函館間、1914年(大正3年)の伊達~長万部間の鉄道開通以降は、陸上輸送の主役は鉄道に譲ることとなりました。

なお、1907年(明治40年)内務省告示により国道が改正されて、
42号「東京ヨリ北海道庁ニ達スル路線:東京~6号・函館~森~長万部~蕨岱~倶知安~小沢~小樽~札幌」
43号「東京ヨリ第七師団ニ達スル路線:東京~6号・青森~室蘭~植苗~早来~追分~岩見沢~滝川~神居古潭~旭川」
と、この時に、現・国道5号線の全ルートが、主要国道として登場しました。

1918年(大正7年)に旧道路法が成立し、1920年(大正9年)の内務省告示で国道が指定されました。
4号「東京市ヨリ北海道庁所在地ニ達スル路線:東京~青森~函館~森~長万部~倶知安~小樽~札幌(北3条西5丁目)」
27号「東京市ヨリ第七師団司令部所在地ニ達スル路線(甲):東京~4号~札幌(北1条西4丁目)~岩見沢~旭川(4条通7丁目)」
28号「東京市ヨリ第七師団司令部所在地ニ達スル路線(乙):東京~4号・青森~室蘭~苫小牧~栗沢~岩見沢・27号」
と、この段階でも、まだ長万部~室蘭間のルートは主要国道としての要件を満たしていなかったようですね。

1952年(昭和27年)の道路法改正により、多くの幹線道路が国道に昇格し、一級国道、二級国道が指定され、北海道での一級国道は、以下の8路線でした。(注)
(1)札幌~余市~倶知安~長万部~八雲~森~函館
(2)札幌~岩見沢~滝川~旭川
(3)室蘭~苫小牧~早来~岩見沢
(4)旭川~名寄~音威子府~天塩~稚内
(5)滝川~富良野~狩勝峠~帯広~釧路~根室
(6)旭川~上川~白滝~遠軽~留辺蕊~北見~美幌~弟子屈~別海~根室市厚床
(7)長万部~虻田~室蘭
(8)札幌~千歳~苫小牧市植苗

その後、主要幹線の拡幅・舗装改良が進められ、1955年(昭和30年)札幌~小樽間、1961年(同36年)に現・国道36号線全線、1967年(同42年)に国道37号線の舗装、1970年(同45年)には国道5号線全線が舗装されました。

また、冬季は雪崩の危険から通行途絶となることが多かった、国道5号線の小沢~仁木間の稲穂峠は、1962年(昭和37年)に稲穂トンネルが開通、1965年(同40年)までに改良、舗装完成し、走行性が飛躍的に向上しました。これと並行して、1965年(同40年)に、礼文華峠のトンネルが開通したことで、国道37号線ルートもかつての難所が克服され、高速走行が可能となっています。

一方、二級国道だった札幌~虻田間の現・国道230号線は、1957年(昭和32年)から改良、舗装工事が行われ、最大の難所である中山峠は、大規模な橋が連なる近代的な道路(先述のとおりです)に生まれ変わり、1969年(同44年)に完成しました。これによって、札幌から函館への自動車ルートは、この国道230号線経由が距離、時間ともに最短となり、主役の座を奪うことになったのでした。ちなみに、現在の豊浦町から北へ行くルートは、かつては国道230号線ではなかったのですが、有珠山の噴火に伴い寸断された経路の迂回ルートとして、設定されました。もともと道道だった時代から、函館~札幌の近道として使われていました。

5号線なのか、37・36号線なのか、じゃなくなってしまいましたね。スイマセン。鉄道ルートは、小樽の地位低下を考えると、室蘭・苫小牧・千歳回りが経済的に、優先されるのでしょうね。特に、千歳空港駅(現・南千歳駅)の開業(1980年)と石勝線開通(1981年)が、決定的だったと思われます。

注:現在の国道と一致するのは、(1)=5号、(2)=12号、(4)=40号、(5)=38号+44号、(7)=37号だけで、(3)は室蘭~苫小牧が36号の一部+苫小牧~岩見沢が234号、(6)は旭川~上川が39号+上川~留辺蘂が273号と333号と242号+留辺蘂~美幌が39号+美幌~根室が243号、(8)は36号の一部です。
さらに留意点としては、国道39号の上川~留辺蘂の区間は、現在の石北峠ではなくて、鉄道と同じ北見峠ルートだったことです。また、苫小牧から早来までの区間は、現在の沼ノ端ではなく、植苗が分岐点だったことが、異なっています。
[16341] 2003年 6月 5日(木)22:00:59三丁目 さん
両毛人さんと、雑魚さんへ
一昨日はアーカイブが読めなかったために、本日、新着テーマ「地形図」に親しもう!を見たところ、私の書込みが採用されていたので、ビックリしました。もしかして、国土地理院HPを紹介していることが、採用して頂いた理由なのでしょうか?実は、ワタクシこの件については、オーナーグリグリさんに対して申し訳なく思っていたのです。1ヶ月くらい前に何気なく、都道府県市区町村 http://uub.jp/index.html を下の方までジックリ見ていたら、参考HPとして、国土地理院をリンクされていたのですね。普段は「サイトマップ」又は「落書き帳」をすぐクリックしてしまうから、見落としておりました。
さも自分が見つけたかのように書いてしまいましたから、いかにオーナーグリグリさんのHPをちゃんと見ていなかったことかと、反省しておりました。ハァ。

雑魚さん、メンバー紹介の更新、ありがとうございました。また、雑誌?の件、私は不興には感じておりませんので、どうぞご心配なく。それと、貴書込み[16067]から2つほど思いつき、現在、我が地理アドバイザーと情報交換しているところでした。あ。ところでナンバー176のナゾ解きは、いつして頂けるのでしょうか?興味津々なのですけど。
[16340] 2003年 6月 5日(木)22:00:45【2】三丁目 さん
uttさんからの預かりもの
[14259]uttさん
○大樹の無念・・・やはり雪印のイメージが。。。今はどうなっているのだろうか??
大樹町は、広大な十勝平野の南部一帯を占める。夏は海霧がかかりやすく、冬は寒さが厳しい気象条件のため開拓の初期から酪農経営の基盤づくりが進められた。第二次世界大戦中は軍馬の生産地として知られた。戦後は1964年(昭和39年)と1966年の2度の大冷害をきっかけに、豆中心の農業から酪農への転換がはかられた。(以上の記述は、「北海道大百科事典」北海道新聞社1981年発行からです。)

なぜ酪農が中心なのだろう?と思っていましたから、やっと関連する記述を見つけました。後は、我が地理アドバイザーからのコメントから、極秘ルート情報等を除いたために、原文を半分くらいにカットしましたけど、ほとんど雪印ネタですね。

酪農を基幹産業とする道東地域(十勝・釧路・根室地方)では、生乳を集荷する加工工場が各地に点在しており、最大手の雪印乳業は、大樹町、標茶町、中標津町、別海町で工場を操業しています。

同社大阪工場製品により発生した食中毒事件で、大樹工場から出荷された脱脂粉乳が、原料だったことが、警察の原因究明捜査で大きくクローズアップされ、地元では工場存亡の危機かと不安がられました。

しかし、道東の雪印乳業工場は、全て以前のまま操業しているようです。生産減による多少の人員削減はあったでしょうが、地域経済に大きな打撃を与えるほどの、工場縮小問題には、幸いにしてなっていません。

大樹工場は、チーズ製造が主力のようで、ワインブームによって好調な生産を続けているように見受けられますから、ご心配ご無用かと思われます。

[16332]uttさん
全て、きちんと調べてリリースするあたり、本当に頭が下がります。
たいしたことは、しとらんとですたい。この程度でごわす(苦笑)。それに、地理アドバイザーもアッシも、お互いに好きでしとうけぇねぇ。実は、アドバイザーからはuttさんが書き込まれてから、早々に回答をもらっていたのですが、私としては、冒頭の3行の記述がほしかったのです。大樹町HPはつまらないし、角川地名辞典の記述もワタクシ的には全然面白くなかったから、北海道大百科事典が届くのを楽しみにしていました。決して、調べるのに手間取ったわけではなかったのです。したっけ、待った甲斐があったべさぁ。これでおもろうなかったら、ガックシやったけんね。気が向いたので、いろいろ転調?してみました。西日本がほとんどだったかな?
[16300] 2003年 6月 2日(月)19:57:29【3】三丁目 さん
お礼、と諸々に(さ~んぴゃくね~んを、お~いおもえ~)
オーナーグリグリさん、どうもありがとうございました。書込みを直して下さったのですね。感謝です。アーカイブテーマ「いざ対決!ライバル都市」が更新されていたから、たぶんTACOさんの書込みが採用されたのだろうなぁと思い、何気なく覗いて気づきました。お手数おかけしましたことを、お詫び申し上げます。

[16263]Issieさん
>ウラジ「東方を」オストーク「征服する」
これは逆で,ヴラディ(征服せよ)+ ヴォストーク(東方を)という意味ですね。(中略)
同趣旨の地名として,カフカス(コーカサス)地方に ヴラディカフカス Vladikavkaz というのがあります。「カフカスを征服せよ」という意味になりますね。
[16279]ニジェガロージェッツさん
反響にお答えして、また続編を書かして頂きます。(中略)
「ヴォストーチヌイ(Восточный)」は形容詞で「東の」、一方の「ボストーク(Восток)」は名詞で「東」。この違いですね。
お二方のお話、とても面白かったです。ありがとうございました。それにしても、
現代のロシア人にとってそれほど露骨な都市名ではないようです。
帝政ロシアは、随分いろいろな地名をつけたものですね。でも、現代では露骨な都市名とは感じられないということは、もうすでに「音」として定着しているから、意味を考えないためでしょうかねぇ。とはいえ、私の記憶もいいかげんなものだ、と最近やっと気づきました。以後、気をつけます

[16297]両毛人さん
たぶん、私のことだと思うのですが、ナンカ、アリマシタッケ?よくわかりませんですのよ。

さて、メンバー紹介の件で、[16261]雑魚さんへのお願い、です。
ご紹介頂いている記述だと、私は今も道内居住中であるかのような印象を与えるかもしれませんね。北海道へ行ったものの、現在は首都圏在住ですから、そのあたりを、よしなにふれて頂けると嬉しいです。[14287]でるでるさんからは「謎?の地理アドバイザー」とのコメントも頂いていますから、敬意を表して、私の紹介文中に登場してもらってもいいのかもしれません。
なお、私の道内ネタは、自身の記憶と、ネット検索(特に市町村の公式HP)・図書館での調べモノと、地図と、我が地理アドバイザーとの意見交換(道内の図書館で調べたりしてくれている件もあります)の4本柱で99%書いているところです。だから、[16209][16244]で、苫小牧の川の記述に自信がないにもかかわらず、現地確認ができないのであります。一応、地理アドバイザーに聞いてみたら「苫小牧に夜景の名所なんてあったの?」なんて返事が返ってきました。2人とも最初の赴任地が苫小牧と一緒だったのですけれど、事務所も寮も別でしたから、人脈が違うこともあり、知らなくて当たり前かもしれません。決して名所ではなく、「苫小牧の」夜景が見える場所、くらいに理解して頂ければ、と。
とはいえ、どうやら今度の人事異動で勤務地が変わるみたいです。そうなると、今までのような執筆活動をする余裕がなくなりそうなので、疎筆のご挨拶をすることになるかもしれません。
と、ちょっと暗いトーンで書き始めたところ、雑魚さんのページをつい先ほど見て、ビックリしました。連載開始「北の防人」エッ???でした。「uttさんからの預かりもの」編を含め、道内ネタの未定稿は残り4つほど、と、そろそろまたネタに尽きてきたのです。。得意な、胆振・日高地方ばっかり書いててもねぇ、という感じなので雑魚さん、連載が続けられるように、何かございませんでしょうか?先般の太白さん、uttさんのように賜れれば、と。なお、uttさんからの預かりものについては、今週リリースする予定です。
それにしても「鉄人176号」には、大笑いしてしまいました(まがみさん、スイマセン)。176といえば国道のことでしょうか?私は神戸から海水浴に行ったのは、須磨ではなくて、なぜか丹後由良(京都北部)ばかりでして、そのときに通った国道が176号線だったから、思い出しましたが。でも、まがみさんとは関係なさそうですね(*^-^*)。

[16290]太白さん
面白いネタなどあれば、旅先から書き込むかも知れません。
最近ご無沙汰でしたから、どうされたのかと思っていました。旅をしていると、いろいろと面白いことを目にされるでしょうね。楽しみにしていますよ。

[13377]special-weekさんの
ネーミングライツ!
をきっかけに[13805]Zzzさん、[13912]太白さん、[13920]Zzzさん、としばらく続きましたが、ちょうどその頃(今から1ヶ月以上前)、職場の社内報に「サッカーのワールドカップの決勝戦の舞台となった横浜国際総合競技場の名称に、来年度からネーミングライツ(命名権)が導入されることになった」という記事が載っていました。なかなか裏が取れなくて困っていたのですが、やっと新聞記事になりましたから、ご紹介します。

5月31日(土)付日本経済新聞朝刊から(一部記述が重なりますが)
横浜市はサッカーのワールドカップの決勝戦会場となった横浜国際総合競技場へネーミングライツ(施設命名権)の導入を決めた。(中略)
募集要項によると、契約金額は年5億円程度で、期間は5年以上。(中略)
市は同競技場以外の公共施設へのネーミングライツ導入も検討していく。
日本語の訳としては、ただの「命名権」が妥当と思いますから、「施設」を付けるのは意訳しすぎかな?という気がしなくもありませんが、天下の日経がそう書くんだから、まぁ、そういうこと、てな感じでしょうか。
[16262] 2003年 6月 1日(日)17:25:29【1】三丁目 さん
Re:露国都市名考
[16251]ニジェガロージェッツさん
たいへん興味深いお話、ありがとうございました。ボリショイ・サーカスとはそういう意味だったのかぁ、と初めて理解しました。
さて、実は私は、世界史の授業で習った、ウラジオストク(地名の記述by帝国書院の地図帳,1995)の地名の由来が、強烈に印象に残っています。ウラジ「東方を」オストーク「征服する」と大変物騒な地名で、帝政ロシアが東方進出するための基地として築いた街だ、その野心を満々に表した地名だ、と教わった記憶があります。(南下政策=トルコ等への進出・圧迫とともに、東方進出により不凍港を獲得することが、ロシアの悲願だった。)

ご紹介頂いた一覧を拝見すると、ウラジオストクが、例の中になかったものですから、
ヴォストーチヌイ Восточный ヴォストーチノ Восточно 東の
で、「東の」と、「東方を」では単語が異なるのでしょうか?ロシア語を勉強したことが、全くないことからの質問で恐縮なのですが、ご教示頂けると幸いです。
[16250] 2003年 6月 1日(日)11:31:13【2】三丁目 さん
も~りのみ~やことぉ、ほぉ~こらえ~し~
タイトルを「北海道大百科事典から」、とするつもりだったのですが、[16247]だんなさんのタイトルを受けて、急遽変更しました。(オーナーグリグリさんとだんなさん以外には、なんのことやらサッパリお分かりにならないでしょうが、失礼いたしました)

朝、雨が小降りのうちに近所の図書館へ行ってきました。いきなりリクエストしていた北海道大百科事典が都立図書館から届いており、その厚さ・重さを見てゲッ(冷汗)・・・と思いましたが、汗をかきかき持って帰ってきました。(左腕が既に筋肉痛です。)
北海道にゆかりの人物も記述されていましたから(例えば作家の有島武郎など)、井上靖([15745]NSさん、[15803] OguriCapさん)もあるのかと思って探したところ、載っていませんでした。サビシー。。。

余計なお世話ではありますが、紅葉橋瑤知朗さんにおかれましても、この本は大変参考になると思いましたよ(笑)。1981年(昭和56年)発行といささか古めなために、数字データ等は自分で補足する必要があるにしても、記述自体は、私にとっては大変興味深かったです。例えば室蘭については「明治の半ばころまでは、室蘭と書いても、それをモロランと呼んでいたのだが、字に引かれて、いつか「むろらん」になってしまった」等、はとても面白かったです。

道内で行ったことがある図書館と言えば、室蘭市立図書館、登別市立図書館、白老町立図書館、苫小牧市立図書館、千歳市立図書館、札幌市立中央図書館、江別の道立図書館くらいなのですが、当時はこういう類の本に目を通すことなく、自分が興味を持っていた本を読むか、寝ているか、どちらかでしたけどね。最近は「居眠りお断り」と貼り出している図書館を目にしましたが、私の行いが悪かったからでしょうか?1回だけですが、開館から閉館まで、途中昼食をとったものの、ズ~ット寝ていたことがありました(汗)。

[16201]NSさん
>16100~16199を見たときに、一番最初に表示されるのは16199ですから、旭川観光紹介がアピールできるかな。
流石、心憎いですね。
単なる思い付きだったのですけど。。。キリ番を狙うのは難しそうだから、こういうのもアリかな、程度でして。過分な、お言葉に恐縮する次第であります。

なお、表記タイトルは金沢市立泉中学校の校歌の一節なのですが、これにより、私は「もりのみやこ」という単語を知りました。金沢のことを杜の都というのかぁ、と理解したのですが、後年(高校生くらいのとき?)、世間一般では「もりのみやこ」と言うと、仙台を指すことも知りました。
[16244] 2003年 6月 1日(日)07:14:47【1】三丁目 さん
1年ほど前のレスなど
[1925]雑魚さん
形式の上では、東京教育大は一旦解散して、現在地に新設した事になる様です。
元々が教育関係ですから、医学部等の理科系は事実上新設だった訳ですね。
かねてから、東京「教育」大学が、移転したらなぜ、「総合」大学である新生筑波大学になったのだろうと疑問に思っていました。[4993]Issieさんが官立旧制高等教育機関を一覧で紹介されておられたことと、東京教育大学で調べたことで、やっと理由がわかりました。旧制の、東京高等師範学校と東京文理科大学等が統合されて東京教育大学になったからなわけですが、
「東京教育大学」を支持する高師、農専、体専側と、それでは教員養成のみが強調されて学術研究の面がおろそかにされるから他の名称にすべきだという文理大側とはたがいにゆずらず
と下記URLに載っていました。もともと新制大学になった時点で、総合大学だったのですね。また、
東京教育大学は、文学部、教育学部、理学部が文京区大塚に、農学部が目黒区駒場に、体育学部が渋谷区幡ヶ谷に、学生寮その他の施設が都内各所に分散するいわゆる「タコ足大学」であった。
ですから、もともと理科系の学部があったのですね。医学部は新設されたようですが。あえて、地理ネタに絡めるとすれば、以前話題に上がった、タコ足大学の1つだったために、都内に関連施設が点在していたこと、でしょうか。
http://members.jcom.home.ne.jp/lionsboy/shousi.htm

[16193]ニジェガロージェッツさんの、雑魚さんへのメッセージ。
何か磨きが掛って黒光りの様相さえ感じるいい味出してますよ。
私は、子供の頃に作った土団子、を連想して笑ってしまいました。ワタクシ、テーマで分けていると言うよりも、書き忘れたから後で付け足してることの方が多いのです(汗)。でも、どうして土をナデナデしているとツヤが出てくるのか、未だに不思議。

[16211]両毛人さん。正直なところ、川の名前に自信がないのです。普段は、自分の記憶にある程度自信があるのですが、この件に関しては、糸魚川という名称がないとわかった時点でショックでした。じゃあ、小泉の沢川なのか小糸魚川なのか、はたまた有珠川だったのか。。。記憶では、それほど市街地から遠くなかったことと、ゴルフ場の入口だった、ことから判断すると、たぶんパークゴルフ倶楽部への登り口だったのかなぁ、と思った次第です。現地で夜景を楽しまれたい方は、ご自身でご確認くださいませ(いい加減な情報だなぁ)。

[16215]オーナーグリグリさん
過去記事の編集依頼は原則受け付けていません。記事削除のみ受け付けます。
了解しました。


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