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三丁目さんの記事が50件見つかりました

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[14858]2003年5月7日
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[14810]2003年5月6日
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[14808]2003年5月6日
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[14718]2003年5月5日
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[14715]2003年5月5日
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[16209] 2003年 5月 31日(土)15:57:39【2】三丁目 さん
2日前のレスと、カッコ悪い記事訂正お願いと
[16136]両毛人さん
北海道でも30度を超えた地域があったようですね。三丁目さん、いかがですか?
あ。え~と。。ご挨拶を頂けたのは嬉しかったのですが、現在は、東京又は埼玉在住なのです。。。
それと、両毛人さんの[3186]を、アーカイブテーマ「北陸地方と、関西圏・中部圏との結びつき」に加えられてはいかがでしょうか?「鮮烈に存在した「日本海沿岸交流圏」-北前船の交易を中心に-」に採用済ですが、今回、最初から読みなおしていたときの第一印象は、前者のアーカイブテーマだなぁ、と思いましたよ。ちなみにやっと4500番くらいまで追っかけてきました。今回、改めて感じたのは、過去ログを読み返すのは、ものすごい勉強になりますね。皆さんがいろいろな情報を発信していらっしゃいますから。

さて、これからはお恥ずかしい話なのですが(オーナーグリグリさんとはメールの相性が良くないみたいなので(笑)、落書き帳にて堂々と)。書込みを初めた頃は、我が地理アドバイザー情報に、記憶を併せただけで書いていた部分が正直申し上げて、ありました。拙稿[9574]で「札幌側の明野などの工業用地を宅地化していること(駅で言うと植苗あたり)から、順調に人口が増えているところです。」という記述は、誤っていることに自分色登録をお願いした頃に気づきました。途中から、ちゃんと地図を見て確認するようにし始めたからです。

正確に言うと、ウトナイ湖南側(沼ノ端駅北側)、に該当しますから、「駅で言うと沼ノ端北側」、が正しい記述となります。アーカイブにも採用されていますから、間違ったままでは恥ずかしいと思い、記事訂正をお願いする次第です。

また、拙稿[11416]が、まさかアーカイブに採用されるとは思っていなかったので、「しゃっかてん」をメインテーマに、夜景情報をオマケとして、記憶で書いた部分がありました。苫小牧の夜景を糸魚川沿いに上がり、と記述しましたが、地図で確認する限りは、「有珠川」が正確だと思われますから、これまた記事訂正のほど、お願いいたします。

最後に、感想を少々。。。小学生は小学生なりに、中学生は中学生なりのコメントを、高校生は進路選択へ向けて気持ちの余裕がないかもしれませんからほどほどに、という感じで書込んでもらえると楽しいだろうなぁ、と思っています。決して基礎知識を蓄えてから書込むように、と敷居を高くしたいと、「私」は望んではおりません。その前段で生じる疑問が書き込まれれば、皆様方が何度となく過去にこういう話があったよ、とご紹介されておりますしね。

なお、それ以上の年齢の方は、それなりの知識を持った上で議論されると、より盛り上がれるのではないか、と思っておりますが。。。かくいう私も、受験のために一生懸命に勉強した世界史と倫理・社会という科目以外は、中学卒業までのレベルしか知りませんでした。それ以外は、高校を卒業するための最低限の試験勉強しかしませんでしたから。あ。ただし、地理Bについては、まだ受験科目を意識していない1年生のときに習いましたから、それなりに一生懸命勉強はしましたけどね。(まったくの蛇足ですが、私は理科については、生物・地学という文系の典型的な勝負科目を選択しました。ただし、地学が学校の授業にはなかったために、予備校等による独学で補いましたけど。)

しかし、興味を持っていると、新聞やテレビ等で、結構いろいろなお話が紹介されていることに気づかれるのではないでしょうか。そういう感じで、知識を蓄えられると広範な話題にもついていきやすいと思いますよ。とは言いながら、私自身はめったに議論には参加できませんけど。知らない、あやふや、又は時期を逸している、ことが多いものですから。

[16193]ニジェガロージェッツさん
この「落書き帳」への投稿に際しての心構えなどの諸兄からのご意見があったのですが、小生はありがたきさんが[16137]で述べておられるご意見に全く大賛成です。(中略)かなり下調べした上でないととてもではありませんが、書けないです。仮に知っている事象であっても、そのことに思い違いがないかなどの裏づけを取り、知らない事は徹底して調べてから書き込むようにしています。いつも反応が数日ずれてしまうのはそのためです。
「私」の考え方は以上のとおりです。また、私もマイペースで参加させて頂いており、レスが遅いのもニジェガロージェッツさんと同様な部分もありますが、グータラで書き落としたために、後から付け足すように書き加えていることが多々あります(汗)。
[16199] 2003年 5月 31日(土)10:44:33【2】三丁目 さん
旭川の観光スポットfrom地元からの情報
[15725]TACOさん
旭川市の有名な観光名所はどこがありますか?もしかしたら行くかもしれないので・・・
もう、だいぶ出揃った感がありますが、富良野の話のついでに、旭川観光の話もオマケに我が地理アドバイザーへ送ったら、予想していた通りに返事が返ってきました。旭川出身ですから、黙っちゃいられないだろう、と思ったからなのですけどね。
「別に投稿を要求するわけじゃないけど」と書き添えられていましたけれども、私には要求されたように感じられましたから、ご紹介しますね(寄せられた情報を、正確に記述するための確認作業に手間取りました)。。。私自身は、旭川観光といえば優佳良織工芸館と常盤公園くらいしか、思い浮かばなかったのですが、市内には結構あるのですねぇ。一部既出の観光スポットと重なり、亀々レスですが。

駅から歩いて回る、となると買い物公園、常盤公園くらいの範囲に限られてしまうので、車で回ることをお勧めし、それを前提にご紹介します。

高速道路で来た場合には、旭川鷹栖ICから近い場所に、アイヌ記念館、井上靖記念館、彫刻美術館があります。

アイヌ記念館とは、「川村カ子トアイヌ記念館」が正式名称で、昔のアイヌ部落を再現した施設です。文字どおりアイヌ民族の伝統芸能のお勉強と、工芸品のおみやげ購入に最適です。

井上靖記念館と彫刻美術館は同じ公園内にあります。彫刻美術館の建物は、かつては市立博物館、その昔は旧日本陸軍の旭川偕行社だった歴史的建造物で、国指定重要文化財です。白樺に囲まれた静かな公園で、文学と美術の世界に浸るのに最適です。

国道12号線で来た場合は、旭川市街地の平地に下りる手前の丘の上に、北海道伝統美術工芸村があります。優佳良織工芸館、雪の美術館、国際染織美術館の3館から成り立っており、アイヌ伝統の織物、工芸品のおみやげ購入ができますが、地味ながらお奨めは「雪の美術館」ですね。あまり広くはありませんが、北大低温研究所での雪や氷に関する研究成果の展示や、いろんな形の雪の結晶を観察できて、理科系人間(注1)にも楽しめる施設です。

お酒好きの方には、北見方面へ向かう途中、国道39号線沿いの永山に、男山酒造り資料館があります。銘酒男山の酒造工場の事務所内にあり、ドライバー以外の方ならば、日本酒の試飲もできます。

こうした施設は、定期観光バスのコースにも入っているでしょうが、郊外への移動があると、時間的制約で全ては回れないかもしれません。どれかをメインに絞って、選ぶのがいいかと思います。

「アイヌ記念館」で検索していたら、こんなURLが見つかりました。旭川の個人タクシー組合?作成で、観光ルート等、いろいろ紹介しています。
http://potato3.hokkai.net/~kei-moko/cousu.html
亀々レスだったから、旭川に行かれるまでに、間に合いましたでしょうか。いささか心配ではありますが。

注1:我が地理アドバイザーは、ちりたまさんと同窓の電気専攻出身ですから、かくいう発言があったものと思われます。
注2:書込み訂正作業をしたら、オーナーグリグリさんの[16198]が目にとまり、キュッキュッー狙いもいいのかな、と思い、本書込みを急遽アップしました。そうすると、16100~16199を見たときに、一番最初に表示されるのは16199ですから、旭川観光紹介がアピールできるかな。へへへ(^O^)y
[16169] 2003年 5月 30日(金)18:43:41【2】三丁目 さん
富良野と美瑛
拙稿[16032]にて予告申し上げた、我が地理アドバイザーがレスしたいとのお話。友人同士のメール口調を落書き帳用に改めたり等、私の方で若干編集しましたが、本人の了解を得ましたから、代理書込みにてご紹介いたします。正直なところ、私が知っていた古い美瑛観光が、そんなに様変わりしていたことを、初めて知りました。さてさて。

「「観光と開発」」編

[15669]スナフキんさんは,交通アクセスの悪さ,インフラ整備の遅れ等を,富良野地域からの将来の観光客離れの懸念要因に挙げられています。

こうした苦情が寄せられるのはごもっとも,とは思いますが,ではどうしようかとなると,なぜ観光客が訪れるのか,ということと相反することになってしまうのです。

10年前までの美瑛を訪れる観光客は,自家用車やレンタカーで丘を巡り,気に入った景色の場所に停車して写真を撮って回る,のどかなものでした。それが観光ブームによってツアー客がバスで押し寄せるようになると,元々が狭い農道だったからすぐに渋滞するし,ただの畑だから休憩する場所もない,と観光業界から苦情の嵐が寄せられました。

その結果として,道路を2車線に拡張し,駐車場・トイレ・アイスの売店等が丘の上に設置されましたが,さてどうなったでしょうか。このために畑が削られ,景観が損ねられてしまい,かつてのような素朴な風景が少なくなってしまったのです。昔の景色の方が良かったという感想を,地理アドバイザーは耳にしたことがあるそうですよ。

さらには,心無い観光客が,農家が耕す畑であることを忘れ(知らずに?),踏み荒らしてしまう有様もあり,地元では,税金を使ってまで観光誘致なんかしなくていい,という声も聞こえるほどだそうです。

観光客のために整備するインフラが,結果として売り物である自然を破壊しかねないことは,北海道各地の観光地が,悩んでいる問題でもあります。

バスや車がごった返すのは,年間を通して見ればほんの一瞬のことです。そのために,普段は不自由していない道路や駐車場を拡張したりするのは,過剰投資にならないでしょうか。台湾からのお客さんを案内したときに,ディズニーランドの人ごみに比べたら,美瑛の混みようの方がよっぽどマシ,とこぼしていたのを、地理アドバイザーは聞いたそうですよ。

スナフキんさんも最後に,それでも訪れようとする魅力があるとおっしゃっているわけですし,[15684]uttさんのように、ブームが去ったら訪れたいとおっしゃっている人もいることを思えば,これ以上開発をしなくとも,観光客は途絶えることはないのかなと,思えてきたそうです。

「「美瑛・富良野ウラ観光」」編

[15669] スナフキんさん
「富良野盆地は広いのだから,人がワラワラ集まらないところでも,きれいな場所は必ずあるはずだから,自分で走り回って探す」という人たちも
お決まりのポイントを,お決まりのルートで回ろうとすると,混雑と渋滞に辟易してしまうのは,どこの観光地でも同じかと思われますね。

観光ピーク期の休日の夕方などは,旭川空港から富良野に至る国道237号線は渋滞しますが,それを察知している地元住民は,国道を通るなんて愚の骨頂,とばかりに,ちゃんと迂回路を通り抜けて,普段と変わらず交通,流通しています。旭川から富良野に抜けるルートは,美瑛市街地を通らないルート,上富も中富も通らないルートがいくつかあるのです。丘陵地は道が曲っていてわかりにくいかもしれませんが,カーナビがあれば,迷うことはないかと思われます。

美瑛では,観光バスが通らない,または通過する所でも,景色が楽しめる場所は多くあります。お勧めは,水沢ダムから千代田ファームの辺りとか,混んでる拓真館には行かずにその丘の上とか,美馬牛のペンションWITH YOUの前の空き地とか。

中富良野では,ファーム富田がゲキ混みの時も,少し離れた場所にある町営ラベンダー園には駐車スペースがあり,ゲレンデ一面の花畑をリフトで見下ろしながら,山を登り降りできます。山の上は森林公園にもなっており,そこから眺める富良野盆地と十勝岳連峰は,それはいい景色です。

富良野では学田の丘の上,ワイン工場のレストランは眺めもよくて,バーベキューも味わえるし,比較的空いていてGoodですって。

こういったところが,実際にお客さんを個人的に観光案内した経験から,最混雑期でも楽しく観光できるコースだそうです。

もっともこれは,お金があれば観光ハイヤーをチャーターして回るなり,レンタカーで回ることができれば,の話ですから,選択の余地のないバスツアーでは,いい思いができなくてもゴメンなさい,と言うしかないかもしれませんね。

こんなに地元情報を満載にして、インターネットで公開していいの?と不安になって私は聞きましたが、富良野・美瑛観光のピークが少しでも緩和され、より多くの観光客を迎えられるようになればありがたやぁ、なのだそうです。落書き帳で書込むことで、地元の裏ルート交通が麻痺するようになれば、それこそバンバンザイだ、と。。。そこまでの渋滞にはならないんじゃないの、と申しておりました。一応。
[16147] 2003年 5月 30日(金)07:10:11【1】三丁目 さん
記録ホルダーさん?へ、と昨晩のこと
[16122]紅葉橋瑤知朗さん
わたしがはじめて書き込んだのは、まだ3桁のころでした。去年のはじめ頃だったような……。
やはりそうだったのですね。「もみじばし銀之助」「もみじばし銀治助」さんの時代から書込まれているから、初登場は[801]と、なんと、雑魚さんよりも古株でいらっしゃったのですね。もしかして、「初書込みから自分色登録されるまでの期間が最長」という記録ホルダーになられたのでは、ないでしょうか???

さて、北陸新幹線関連で、いろいろと皆さんからのレスを頂き、ありがとうございました。私としては、新幹線についてお話したかったわけではなくて、その前提条件となる認識が、「失礼ながら少々お勉強不足では?」と感じたものですから、「調査・分析」という言葉を使ったつもりでした。もし、私の言葉遣いで、波紋をよんだのだとすれば、その点については反省します。必ずしも、書込む前提条件として、他の方にも調査をお願いするつもりではないのです。

ただ、以前もいくつか、基本的認識が異なることによるギャップがあり、他の方からも「失礼ながら少々お勉強不足では?」とご指摘があったことが念頭にありました。議論を深めるためには、ある程度の共通した認識(知識?常識?)が必要だと思います。とはいえ、私も、それはガイドラインで示すようなことではなく、まさに暗黙の了解だと思っています。

自分では当たり前と思っている話を、いざ文字にしようとすると、言葉につまってしまうことが私にはあります。今回の件がまさにそうでしたから、他の方から適切に表現して頂ければありがたいなぁ、と思い、フォローをお願いした次第です。その点で、多くの方から様々な点からの書込みがあったことを、興味深く拝見しました。

最後になりましたが、special-weekさんの問題提起は、面白い視点があることには感心していますから、今回の件でお気を悪くなさらず、よろしくお願いしますね、ということで。
[16120] 2003年 5月 29日(木)20:08:17【1】三丁目 さん
もう少し、いろいろと調査・分析されてからの方が・・・
[16119]special-weekさん
北陸の人がわざわざ大阪に行くのも考えにくいし、大阪の人が北陸に行くのも考えにくい。
北陸と、関西(特に京都)との結びつきを、もうちょっと何か文献で調べられた方が・・・。例えば、加賀「友禅」とか、福井と京都の距離的な近さから来る親近感とか。。。元金沢市民の私としては、黙っているには、あまりにしのびなさすぎるお話だった故、ご容赦ください。だんなさん、はじめ皆さんから、フォローを頂けることを期待しております(ちょっと無責任かな?)。
[16115] 2003年 5月 29日(木)18:44:38【1】三丁目 さん
レス関係を3つほど
[16067]雑魚さん
国道五号線
この話題は反応したい!と昨日から思ってはいたのですが、調べてネタを集めてからにしよう、と思い直しました。どこまで書けますことやら。

[16078]kenさん
>早来町を過ぎると、(美瑛と)似たような丘の風景が見えてきます
そうだったんですか。(中略)千歳から早来、追分、由仁、栗山と走って岩見沢、三笠、桂川湖、芦別経由で美瑛に向かったのですが、心が本美瑛に向かって焦っていたせいか、ニセ美瑛については、「由仁町に入った」とか、看板は思い出すものの、周囲の風景があまり印象に残ってませんでした。惜しいことをしました。
たぶん、新千歳空港~道道10号線~早来町早来~国道234号線~早来町安平~追分町と走られたのだと思いますが、まぁこれは、私は元地元民として、美瑛をもともと知っているのと、何度となく往復して記憶に残った国道234号線の印象ですから、観光で一過性で通られた方にはわかりにくい景色かもしれませんね。ただ、馬追丘陵については、[16072]NSさんからレスを頂いたように、今度機会があれば、注意してご覧になってみてくださいね(笑)。ゆっくり見る価値はある、と私は思いますよ。。。と言いながらも、自分自身は、立ち止まったことがないのです。ゴメンナサイ。

[16089]紅葉橋瑤知朗さん
自分色登録を申請したこと
先般、[15878]Issieさんが
ずーーっと以前(これは本当に)に話題になったことがあるのですが
とおっしゃっていたので、記事番号1から、もう一度、読み直していたところでした。たしかに、初期の頃はショート書込みが多かったのですね。その中で、以前は書込みを追いかけるので精一杯だったから、自分色非登録の方はあまり印象に残っていなかったのですが、今回、初めて気づいたことがあります。でも、それは紅葉橋瑤知朗さんが自分色登録をどのように申請されたか、その結果を見てからでないと、ちょっと。。。迂闊なことを書いてもいけませんから、とりあえず控えておきますけど、ね。

それにしても、[1665]が、ちょうど1年前の5月29日の最終書込みとは、隔世の感ですねぇ。シミジミ。。。私もたくさん書込んでいる1人なのですけど、ね。

それと、富良野・美瑛の、地元(旭川出身地理アドバイザー)からの観光情報。まだラベンダーの時期じゃないから、ヨサコイソーラン祭りまでには、間に合わせて書込みますので、今しばらくご猶予のほどを。

1日1回は書込みしたいという思いを持ってはいるのですが、私のようなこんなマイペースな書込みでもレスを頂けることに、感謝しております。どうも、最近夜に気力がなくて、これくらいの時間に書き込んで、後は明日に書き込もう、な~んてグータラこいてます(汗)。
それはそうと、[16099]だんなさん。100書込みおめでとうございます。淡々と、いきましょうね(笑)。私もこんなペースですが、許してもらえてるようです(笑)。
[16070] 2003年 5月 28日(水)16:58:44【2】三丁目 さん
美瑛の風景
「美瑛」といえば、丘のある景色を写真等で見られたことがあるかもしれません。
しかし、必ずしも、美瑛だけがあのような丘陵風景をつくっているわけではありません。

苫小牧方面から国道234号線で早来町、追分町、由仁町、栗山町、と続きますが、早来町(遠浅、早来、安平)を過ぎると、似たような丘の風景が見えてきます。私は「ニセ美瑛」と勝手に呼んでましたが。手元のSuper Mapple北海道道路地図2003年1月発行で確認すると、たぶん追分町弥生又は豊栄のあたりだと思います。

私の記憶が誤っていないことを確認しようと、我が地理アドバイザーに聞いたところ、印象に残っているのはそちらよりは、札幌から帯広へ向かう国道274号線の、長沼町から由仁町三川までの山越え区間で、馬追丘陵と呼ばれている地帯、だそうです。ネット地図マピオン(1/15万での表示)では、長沼町・由仁町・千歳市という表示の真中に馬追丘陵があります。言われてみれば、この辺りも似たような丘陵風景があったのを思い出しました。この辺りは、地理アドバイザーによると、広くは石狩平野の範囲に当たりますが、千歳川流域の千歳・長沼の平地と、夕張川流域の追分・由仁・栗山の平地との間に、侵食されずに残ったような細長い丘陵なのだそうです。

また、十勝平野で、似たような風景が見られる場所もある(芽室町や士幌町の山麓地域)と申しておりますが、ある一方向だけからならそう見える程度だそうでして(これは、私も場所がよくわかりません。)。根釧台地も、丘陵地形の畑作地帯ですが、標高差がないために、一面平らな原っぱの風景で、絵にはなりにくいですねぇ。

さてさて、長い前ふりにお付き合い頂き申し訳ありませんでしたが、ホンモノ美瑛のお話。
いや。実は、ニセ美瑛からホンモノ美瑛へ話をつなごうと思いつき、書き始めたのですが、あまり文章が書けなくて、地理アドバイザー(旭川出身)にどうかな?と相談したところ、こんな感じでどぅお?と返事が来たのです。実は、美瑛についてはもともと書きたかったらしく、私のメールが呼び水になったようでして、「満を持して美瑛」というコメント付きでした。ということで、結構、原文を尊重して。

美瑛の丘の風景は、今ではすっかり有名となりましたが、これらの風景は、意図していなかったのに、作られたものです。これには、いくつかの理由、要因があります。

美瑛から上富良野にかけての原始地形としては、十勝岳山麓の火山灰地質の緩い傾斜地が、いくつかの小川によってなだらかに侵食されたことにより、眺めとしては、折り重なるように連なった丘陵地形が見られます。

元は全て山林だったものが、伐採、開墾されて畑になりましたが、表土飛散を防止する目的で、林の一部を残して、防風林としています。これが、タバコのCMに使用された、雪原上の真っ直ぐな林で、見る角度からはとてもきれいな風景です。

畑の真ん中にポツンと1本だけ立つ木は、防風林ではなくて、農作業中の休みをとるための日よけか、雨宿り用の木でしょうね。これは、哀愁がただよう風景です。

丘の畑が、ツギハギしたように色が変わっていて、パッチワークの丘と呼ばれている風景の場所があります。これは、農地を区画別に輪作しているためです。輪作は、同じ土地に同じ作物を続けて耕作すると、土地がやせてしまうため、麦類の次はイモ類、その次は豆類、といった具合に、毎年耕作する作物を替えることです。また、ある年に同じ作物ばかり作ると、特定の病気や害虫、気象条件等のために、凶作になると収穫が全滅する恐れがあるため、危険分散の目的で、区画に分けて複数の作物を耕作しているのです。

ある場所から見ると、畑と木と遠くの山ばかりで、家などの建造物がほとんど見えないことがあります。家や道路がないわけではありません。これは、住宅の多くが谷の下の方にあるためで、それを結ぶ道路や電線なども谷筋を経過しており、眺めとしては丘の陰になって見えないのです。

こうした要因によって、美瑛の丘は、図らずもきれいな風景が出来上がっていったのです。

隣の東神楽町も、美瑛と同じような丘陵地形ですが、上流からの灌漑用水によって稲作が行われているために、棚田になっています。これでは、日本各地で見られる風景と同じになってしまい、あまり独特な風情を感じさせることが、できません。

丘陵風景だけであれば、道内でもいくつか散見されますが、美瑛の真骨頂は、やはりパッチワークの丘につきるのかもしれません。私のようなエセ道産子でさえも、アレは一見の価値アリ、とご推奨したくなるシロモノです。

[15667]NSさん
ま、この他にも美瑛には見どころが満載ですので、楽しみにお待ちしております。
物理的な記述ばかりで、観光情報的ではなくて、スイマセン。拙稿[16032]にてお話した富良野(予告編)については、現在、地理アドバイザーと細部をつめているところであります。そちらの書込みには、地元からの観光情報が結構ありまして、明日、ご披露できることと思います(たびたび焦らしてるなぁ)。(汗・汗・汗)
[16032] 2003年 5月 27日(火)19:55:19【2】三丁目 さん
お礼、と富良野(予告編?)
[15997]ゆうさん
「転載」というのはいわゆるコピペのような行為のことですね。リンクすることは「参照」であり、「転載」には当たらないと思います。(中略)
私の場合は「無断リンク絶対お断り、見つけたら訴えます」と書いてない限り積極的にご紹介しています。
アドバイス、ありがとうございました。この書込みで一緒にして、参照URLを表示することは場違いで、失礼かもしれないとは思いましたが、私が見つけた(どうやって検索したかは、もう忘れました)、北海道を14支庁に分けた地図は、
http://www.htb.co.jp/links/towns/map.html
でして、道外の方は普段、あまり目にしないだろうなぁと思いましたから、ご紹介したかったのです。道内では、天気予報で(網走支庁だけ例外ですが)お馴染みですよね。ちなみに、上記URLの支庁の順が、私には全く意味不明なのです。

[16018]般若堂そんぴんさん
>Mac環境だと何文字目で改行されて表示されているのか
Netscape 7.0では51文字でした.ぎりぎり一杯でセーフです.IE5やiCabでも大丈夫です.
お返事ありがとうございました。私の字図は、本当にギリギリの表示だったのですね。パソコン通信時代のメールが全角40文字表示に対して、37文字で改行するのがネチケットと聞いていましたから、単純に55マイナス3の52文字で、大丈夫かなぁと思っていたのですが、教えて頂きホッとしました。以後、簡易表作成に際しても、気をつけたいと思います。
最後になりましたが、700書込みおめでとうございます。

なお、拙稿富良野編[15652][15715]を書込んだ後に、皆さんからレスやフォローを頂き、落書き帳でさらに話が弾んだ旨、我が地理アドバイザーにご報告したところ、「アドバイザー(情報提供者)としても、ちょっと気になるので、簡単なやりとり内容だけでも、知らせてくんなはれ。」とのことでした(自分で読めばいいのに。ブツブツ。とはいえ、アドバイスもらってるからなぁ)。ザッとした流れを送ったところ、何やらモノ申したそうな様子。もしかしたら、代理書込みとすることになるかもしれませぬ。
[16031] 2003年 5月 27日(火)19:19:51【2】三丁目 さん
東京の近郊って?
かねてから、東京の近郊区間の駅の表示の差については、面白いなぁ、と思っており、比べる書込みを用意していたところでした。すると、[15990]yamadaさんの書込みがちょうどあり、いくつかレスがありましたね。
というのも、JR東日本の電車内に貼ってあるものと、日常的に使っている駅間検索ソフトの差は、JR東日本の図が北方へ長い(1都6県の県庁所在地を表記するため?と、自社線の新幹線駅をできるだけ表したいから?)のに対して、検索ソフトの方は、房総半島を全て含んでいるから北方面は短めで、西に妙に長いからです。今回改めて4つを比べただけでも、微妙に違うので、なおさらその感を強くしました。
JR東日本による近郊路線図ですから、JR線だけでの比較としましたが、

JR東日本JTB(株)交通新聞社検索ソフト
東海道本線熱海平塚二宮沼津
伊東線全線
相模線全線全線全線全線
御殿場線全線
総武本線成東成東成東成東
東金線全線全線全線全線
成田線成田成田久住久住
成田線成田空港成田空港成田空港成田空港
久留里線下郡馬来田全線
外房線茂原大原茂原全線
内房線君津青堀青堀全線
中央本線大月大月初狩塩山
八高線全線寄居寄居寄居
高崎線全線熊谷熊谷熊谷
上越線新前橋
両毛線全線
東北本線宇都宮小山小山小山
常磐線勝田土浦土浦内原
水戸線全線全線

注1:JR東日本の表示は「東京近郊路線図,JR EAST Railway Lines in Greater Tokyo」です。
注2:JTBとは、JTB時刻表のことで、「東京付近拡大図」と表記されています。
注3:(株)交通新聞社(いわゆる旧鉄道弘済会と呼ぶのですか?)時刻表では「拡大図(東京付近)」と表記されています。
注4:検索ソフトでは「東京近郊」と表示されています。
注5:「―」は、その線についての表示そのものがないことを表し、「全線」とはその線の全駅が表示されていることを表します。該当する線の、始発駅のみしか表示されておらず、あとはヘビのシッポのようにチョロッと出ているだけの場合も、これに含めました。

私の好みを申し上げると、房総半島地域よりは北関東方面に親近感を覚えるから、JR東日本の表示の方が好きなんですけどね。
検索ソフトには、この他「名古屋近郊」と「大阪近郊」もあるのですが、鉄道の事業主体であるJRが、どのように表記しているかわからなかったので、私は、諦めましたが。
[15973] 2003年 5月 26日(月)19:47:25【2】三丁目 さん
レスを複数形にて
[15878]Issieさん
河口から水系をたどって編成された「郡」から,
恥ずかしい話で恐縮ですが、いつ頃話題に上がっておりましたでしょうか?アーカイブテーマになっている「分水界、川の流れに関する雑学集」を見る限りは、具体的な記述を見つけられなかったものですから。記事検索しようにも、何をキーワードにしたらよいのか、ちょっと手がかりが乏しくて。
最初にアーカイブテーマをいくつか読んで、次に記事番号1から9000記事ほどを追いつけるまで、斜め読み&飛ばし読みしてましたから、印象に残る話題でなければ、正確には覚えていないのです(汗)。

[15883]TKS-Hさん
ワタクシ的には、こういう方面に興味がありました。なぜ、その名称が採用されたのか、ですね。丁寧にご紹介頂いてましたから、わかりやすかったです。少なくとも、自分の中では、積年の疑問が晴れた思いです。また、現在の支庁再編案は拙稿[12025]でご紹介しましたが、戦後間もない時期の案は、[15944]紅葉橋瑤知朗さんと同様、私も興味深く拝見しました。そんな以前からあったのか、という思いです。
アーカイブテーマ「北海道支庁名の由来」が、個人アーカイブ的な様相を呈して、面映く思っていましたから、TKS-Hさんの書込みが加えられたことで充実されましたから、良かったぁと思いました。

[15900]紅葉橋瑤知朗さん
素晴らしい! 漢字の国でよかったです。
[15941]太白さん
この文字地図は、とにかく「凄い!!」の一言です。(中略)行いっぱいに書いてしまうと、Macでは2行になってしまわないのでしょうか?
なんか、頂いたお褒めの言葉を自分が並べるのも、照れくさかったのですが、恐縮です。もともと旧19支庁図を作成したくなり、最初に現行の14支庁を作ってから修正を加えていったのですが、そうすると対比させてご紹介したくなってしまい。。。ホントは、ネットでリンクフリーのところをご紹介できれば、と思っていたのですけれど。私が見つけた、14支庁図を載せていた道内の放送局のHPには「ここに掲載の記事・写真・図表・映像など、掲載内容の無断転載を禁止します。すべての内容は日本の著作権法ならびに国際条約により保護されています。」とあったので、無断リンクしてはいけないのかな?と思ったものですから。

さて、枠いっぱいの表示については確かに気にしましたが、一応、あの字図は、ワードで普通の文章と同様に作成して、落書き帳の新規書込みのメッセージ欄に、コピーして貼りつけました。簡易表機能は使っておりませんので、大丈夫かなぁ、と思っていたのですが、どうなんでしょうかねぇ。私もWindows+IEの環境で、1行の最大表示幅が全角55文字目までであることを数えてから、51文字目まで字図を書いて52文字目で改行しました。できるだけ大きな表示にすることで、1文字しかない「函」をそれなりに表したかったからです。逆に、Mac環境だと何文字目で改行されて表示されているのか、どなたかからお話を頂けると幸いです。

[15904]紅葉橋瑤知朗さん
いずれ、(倶知安町に後志支庁が設置された)真相を調べたいと思います。
ぜひ、お願いします。私の調査の限りでは、この類の資料に秀でているのは、北海道立文書館(赤レンガ庁舎1階北東側)のようですよ。私もかねてから疑問に思っておりましたが、たしか、uttさんも同様の疑問を、書かれていた記憶があります。

実は、私の調査の限りではわからなくて、ある町役場に問い合わせたら、文書館からいきなり返答がきて、ビックリしたことがありました。よく文書館にその類の質問がふられてくる、とおっしゃってました。でも私の経験では、今まで質問してきた中で初めてでしたけど。質問の内容は、その町に関することなのだから、町の中で完結してほしいと思いましたけれどねぇ。例えば役場でわからなければ、郷土資料館とか、図書館の町史編纂担当とか。恥ずかしくないのかしら?その町の名誉のために、名前は伏せますけれど。
ホントは、直前の4連続書込みで、初めての切り番を狙いたかったのですが、思ったより番号が進んでいなかったため、書込み時間との関係もこれあり、15900は紅葉橋瑤知朗さんの手にわたっちゃいましたね。。。
[15875] 2003年 5月 25日(日)07:26:28【2】三丁目 さん
旧19支庁図をご紹介したくなった理由
支庁名の由来を調べるに当たり、初めて角川日本地名大辞典を読みましたが、そこに載っていた19支庁管轄図が現行14支庁と大きく違い、特に増毛支庁がやたらと広く、そのあおり?で上川支庁がずいぶん小さかったので、面白いと感じました。実際の違いは、ご自身で、地図で確認なさってみて下さいませ。

19支庁が発足して数年のうちに、管轄支庁がガラガラと変わったのは、山により交通ルートが大きく影響された、当時の交通体系(人力、又は馬)、及び地域間でのつながりのためではないか、と我が地理アドバイザーと意見交換していたところでした。逆な言い方をすると、19支庁発足時にそういうことを考えなかったのかしらん、とも思いましたけれど。単純に郡名で分けただけのようですから。

たとえば、旧富良野村(現在の、上・中・南富良野町+富良野市)の交通の結びつきは、旭川~富良野(富良野線)の方が、滝川~富良野(根室本線)よりも先に開通していることを考えると、当時の土木技術で容易な方から整備が進められたのではないかと考えられ、それは人馬による交通体系でも、旭川~富良野の方が利用しやすかったと思われます。ですから、空知支庁(空知郡)管轄から上川支庁管轄に変わったのは、交通の容易さからだろうね、と地理アドバイザーとは意見交換していたところです。

[15729]紅葉橋瑤知朗さん
富良野も我が岩見沢市周辺と同じく、空知郡なんです。上川地方なんで、あまり仲間意識はありません。滝川本拠の地元スーパーが、富良野にも支店を持っているんですが、<どうしてあんなところに?>というのが第一印象だったくらい。
まぁ、第一印象とおっしゃられていますから、もう既にお気づきかもしれませんが、根室本線、国道38号線というつながりを考えると、これまた自然な結びつき、じゃないでしょうかね。
[15874] 2003年 5月 25日(日)07:26:12【2】三丁目 さん
旧19支庁の管轄地域
札幌:石狩国の札幌区および同国札幌・石狩・厚田・浜益、胆振国千歳の5郡。
函館:函館区の区域。
亀田:渡島国亀田・上磯・茅部・山越の4郡。
松前:渡島国松前郡。
檜山:渡島国檜山・爾志、後志国久遠・奥尻・太櫓(後に瀬棚に合併)・瀬棚の6郡。

寿都:後志国島牧・寿都・歌棄・磯谷の4郡。
岩内:後志国岩内・古宇の2郡。明治32年に室蘭支庁虻田郡の一部を編入。
小樽:後志国小樽・高島・忍路・余市・古平・美国・積丹の7郡。
空知:石狩国空知・夕張・樺戸・雨竜の4郡。明治32年空知郡の一部(*1)を上川支庁に編入。

上川:上川郡。明治32年増毛支庁管下の上川郡(天塩国)(*2)と空知支庁管内空知郡の一部、明治34年増毛支庁管内中川郡(*3)、明治39年室蘭支庁管内勇払郡の一部(*4)を編入。
増毛:天塩国増毛・留萌・苫前・天塩・中川・上川の6郡。明治32年上川郡、明治34年中川郡が上川支庁の管轄となる。昭和23年手塩郡の一部(*5)を宗谷支庁に編入。

宗谷:北見国宗谷・枝幸・礼文・利尻の4郡。昭和23年留萌支庁手塩郡の一部を編入。
網走:北見国網走・斜里・常呂・紋別の4郡。
室蘭:管轄地域は胆振国虻田・有珠・室蘭・幌別・白老・勇払の6郡。明治32年虻田郡の一部(*6)を岩内支庁、明治39年勇払郡の一部を上川支庁、明治43年虻田郡の一部(*7)を後志支庁に編入。

浦河:日高国沙流・新冠・静内・三石・浦河・様似・幌泉の7郡。
釧路:釧路国釧路・白糠・足寄・阿寒・上川・厚岸の6郡。昭和23年足寄郡が十勝支庁の管轄となる。
河西:十勝国河東・上川・河西・当縁・中川・広尾・十勝の7郡。明治39年当縁郡が広尾郡・十勝郡に分割して廃止。昭和23年釧路国支庁足寄郡(*8)を編入。
根室:根室国根室・花咲・野付・標津・目梨郡・千島国得撫・新知・占守・国後・色丹の10郡。
紗那:千島国択捉・紗那・振別・蕊取の4郡。

*1:上富良野町、中富良野町、富良野市、南富良野町。
*2:名寄市、下川町、風連町、士別市、剣淵町、朝日町、和寒町。
*3:中川町、音威子府村、美深町。
*4:占冠村。
*5:旧幌延村から旧豊富村が分村し、その数年後に支庁変更。
*6:京極町(旧東倶知安村)、倶知安町。
*7:ニセコ町、真狩村、留寿都村、喜茂別町。
*8:旧東足寄村、陸別町[旧東足寄村(釧路支庁)と旧西足寄村(十勝支庁)が合併して、足寄町となる前に、編入された。]。
町村レベルでの動きだけを、字図で表しました。

注1:旧支庁名の記述の一部に、後志・留萌・釧路国支庁欄の記述を含みます。
注2:町村名の前に、「旧」を付けていない場合は、現在の町村名を表します。
注3:旧支庁の管轄についての記述は、角川日本地名大辞典によります。なお、「北海道支庁のあゆみ」(北海道総務部総務課)も、参考資料として使いましたが、ン?と思ったところは、資料の突合せにより、自分で判断した部分もあります。

この他、「芦別市の一部(奈江)が、中富良野町へ編入(空知支庁の一部が上川支庁へ編入)」は、地図で地形を見ると、そういう編入はスムーズだよね、と納得できたり、「南幌町の一部(江別太、豊幌)が江別市に編入(空知支庁の一部が札幌支庁へ編入)」は、平坦地なのにそうなったということは住民の意向だったの?等、細かい動きはあるのですが、あまりにマニアックな話すぎると思ったのと、ご紹介するにしても結構多くて、全部をちゃんと捕捉し切れているか自信がなかったので、やめました。
[15873] 2003年 5月 25日(日)07:25:55【1】三丁目 さん
目で見る北海道(1897年・明治30年当初の旧19支庁、ただし紗那支庁は省略)
――凡例――――――――――宗-宗――――――――――――――――――――――――――――――――――
札:札幌支庁――――――――宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――――――
函:函館支庁―――――――宗宗宗宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――――
田:亀田支庁―――――――増増増増宗宗宗宗――――――――――――――――――――――――――――――
松:松前支庁―――――――増増増増増増宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――
檜:檜山支庁――――――――増増増増増宗宗宗宗――――――――――――――――――――――――――――
寿:寿都支庁――――――――増増増増増増宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――
岩:岩内支庁――――――――増増増増増増増宗宗宗網――――――――――――――――――――――――――
樽:小樽支庁――――――――増増増増増増増増網網網網網――――――――――――――――――――――――
空:空知支庁――――――――増増増増増増増増増網網網網網網――――――――――――――――網根――――
上:上川支庁――――――――増増増空空増増増増増網網網網網網網―――――――――――――網根―――――
増:増毛支庁――――――――増増増空空増増増増増増網網網網網網網網網網網―――――――網根――――――
宗:宗谷支庁――――――――増増増空空増増増増増増増網網網網網網網網網網網網―――網網根根――――――
網:網走支庁――――――――増増増空空増増増増増増増増網網網網網網網網網網網網網網網根根根――――――
蘭:室蘭支庁――――――――増増増空空空増上上上上上上上網網網網網網網網網網網網網網根根根根―――――
浦:浦河支庁―――――――増増増空空空空上上上上上上上上網網網網網網網網網網網釧網根根根根根―――――
釧:釧路支庁――――――札増増空空空空空上上上上上上上上上網網網網釧釧網網釧釧釧釧釧根根根根―――――
西:河西支庁――――――札札札空空空空空空上上上上上西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧根根根根根――根根
根:根室支庁――――――札札札空空空空空空空空空西西西西西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧根根根根根根根―
――――――――――――札札札空空空空空空空空空西西西西西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧根根―――
――――樽樽樽―――――札札札札空空空空空空空空空西西西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧――――――
――――岩樽樽樽樽樽樽樽札札札札空空空空空空空空空西西西西西西西西釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧――――――――
―――――岩岩樽樽樽樽札札札札札空空空空空蘭蘭蘭蘭西西西西西西西西西釧釧釧――――――――――――――
―――――岩岩岩蘭蘭札札札札札札札札空空蘭蘭浦浦浦西西西西西西西西西西西―――――――――――――――
――――岩岩岩蘭蘭蘭蘭札札札札札蘭蘭蘭蘭蘭蘭浦浦浦西西西西西西西西西―――――――――――――――――
――寿寿寿寿蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭浦浦浦浦西西西西西西西西――――――――――――――――――
寿寿寿寿寿蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭蘭―――蘭蘭浦浦浦浦浦浦西西西西西西―――――――――――――――――――
檜檜檜檜田―――蘭蘭蘭蘭蘭―――――――浦浦浦浦浦浦浦西西西西西―――――――――――――――――――
檜檜檜檜田―――――蘭蘭――――――――――浦浦浦浦浦浦西西西――――――――――――――――――――
檜檜檜田田―――――蘭――――――――――――――浦浦浦浦浦西――――――――――――――――――――
-檜檜田田田―――――――――――――――――――――浦浦浦浦――――――――――――――――――――
――檜檜田田田田田――――――――――――――――――――浦浦――――――――――――――――――――
―――檜檜檜田田田田田――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――檜檜檜田田田田田田田――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――檜檜田田――函田田―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――檜檜田田田――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――松松松松―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――松松―――――――――――――――――(注)簡略図ですから、島嶼部については、省略してあります。

下記URLは、以前、鰊漁をご紹介したときに見つけたものですが、旧国名で分けた地図を、紹介されています。
http://www.onitoge.org/nyumon/gyosei3.htm
[15872] 2003年 5月 25日(日)07:25:36三丁目 さん
目で見る北海道(現14支庁)
――凡例――――――――――宗-宗――――――――――――――――――――――――――――――――――
石:石狩支庁――――――――宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――――――
後:後志支庁―――――――宗宗宗宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――――
空:空知支庁―――――――宗宗宗宗宗宗宗宗――――――――――――――――――――――――――――――
渡:渡島支庁―――――――萌萌萌萌萌萌宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――――
檜:檜山支庁――――――――萌萌萌萌上宗宗宗宗――――――――――――――――――――――――――――
胆:胆振支庁――――――――萌萌萌上上上宗宗宗宗―――――――――――――――――――――――――――
日:日高支庁――――――――萌萌萌上上上上宗宗宗網――――――――――――――――――――――――――
上:上川支庁――――――――萌萌萌上上上上上網網網網網――――――――――――――――――――――――
萌:留萌支庁――――――――萌萌萌上上上上上上網網網網網網――――――――――――――――網根――――
宗:宗谷支庁――――――――萌萌萌空空上上上上上網網網網網網網―――――――――――――網根―――――
網:網走支庁――――――――萌萌萌空空上上上上上上網網網網網網網網網網網―――――――網根――――――
十:十勝支庁――――――――萌萌萌空空上上上上上上上網網網網網網網網網網網網―――網網根根――――――
釧:釧路支庁――――――――萌萌萌空空上上上上上上上上網網網網網網網網網網網網網網網根根根――――――
根:根室支庁――――――――萌萌萌空空空上上上上上上上上網網網網網網網網網網網網網網根根根根―――――
―――――――――――――萌萌萌空空空空上上上上上上上上網網網網網網網網網網網釧網根根根根根―――――
――――――――――――石萌萌空空空空空上上上上上上上上上網網網網十十網網釧釧釧釧釧根根根根―――――
――――――――――――石石石空空空空空空上上上上上十十十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧根根根根根――根根
――――――――――――石石石空空空空空空上上上十十十十十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧釧根根根根根根根―
――――――――――――石石石空空空空空空上上上十十十十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧根根―――
――――後後後―――――石石石石空空空空空上上上上十十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧――――――
――――後後後後後後後後石石石石空空空空空上上上上十十十十十十十十釧釧釧釧釧釧釧釧釧釧――――――――
―――――後後後後後後石石石石石空空空空空上上上上十十十十十十十十十釧釧釧――――――――――――――
―――――後後後後後石石石石石石石石空空胆胆日日日十十十十十十十十十十十―――――――――――――――
――――後後後後後後後石石石石石胆胆胆胆胆胆日日日十十十十十十十十十―――――――――――――――――
――後後後後胆後後胆胆胆胆胆胆胆胆胆胆胆胆日日日日十十十十十十十十――――――――――――――――――
後後後後後胆胆胆胆胆胆胆胆胆胆―――胆胆日日日日日日十十十十十十―――――――――――――――――――
檜檜檜檜渡―――胆胆胆胆胆―――――――日日日日日日日十十十十十―――――――――――――――――――
檜檜檜檜渡―――――胆胆――――――――――日日日日日日十十十――――――――――――――――――――
檜檜檜渡渡―――――胆――――――――――――――日日日日日十――――――――――――――――――――
-檜檜渡渡渡―――――――――――――――――――――日日日日――――――――――――――――――――
――檜檜渡渡渡渡渡――――――――――――――――――――日日――――――――――――――――――――
―――檜檜檜渡渡渡渡渡――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――檜檜檜渡渡渡渡渡渡渡――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――檜檜渡渡――渡渡渡―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――檜檜渡渡渡――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――渡渡渡渡―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――渡渡―――――――――――――――――-(注)簡略図ですから、島嶼部については、省略してあります。
[15820] 2003年 5月 24日(土)15:58:59【1】三丁目 さん
お礼と、レスと。
[15664]TKS-Hさん
>「北海道大百科辞典」は、朝日新聞社から出版されていた本だそうですが、現在は絶版です。
書店も来店客の依頼にはしっかり調べて欲しいですね。北海道新聞社の発行です。
情報、どうもありがとうございました。最初に行った大きな書店で聞いたら「朝日新聞社から出版されていますが、当店には在庫がございません」と言われたので、次の大きな書店で確認したら「現在、絶版です」だったのです。そういう意味では、最初の書店のツミ?が深いのでしょうかね。

国会図書館はもとより、都立3図書館にもあります。ネット上での蔵書検索が可能な10か所の区立図書館の中では江東区と墨田区にあります。
また、本の所在についても、教えて頂きありがとうございました。自分の定期券利用の範囲内で、行きやすい区立図書館を探したものですから、都立図書館は盲点でした。上下巻に分かれているほどですから、しっかりした辞典のようですね。さっそく明日行きやすいところへ、と思ったら「5月22日(木)から6月5日(木)まで特別整理のため休館します。」とHPに出てました。でも、区立図書館のバックアップということで、都立図書館から区立図書館への貸出でも閲覧可能とも聞きましたから、とりあえずそれでお願いしてしまいました。

[15684]uttさん
「北海道のへそ」は、一つの「島」としての北海道(もちろん、利尻とかも除いて)では富良野市になるのでしょうか??
富良野市HPによると「北海へそまつり」の紹介文中で、
昭和44年7月、富良野市民憲章が制定された。その中に「私達は北海道の中心標の立つ富良野市民です」の一文がある。
物にはすべて中心があり、人体の中心はへそ。だから、北海道の中心標は、いわば北海道のへそである。これを郷土芸能に具象して将来の観光や商業の発展に結びつける方法はないものか...。誰いうともなしに、その発想は波紋を広げていくことになる。つまり、「北海へそ祭り」のすべては、この市民憲章から始まったのだ。
だそうでして、uttさんが[11313]でご紹介されているのは、面積重心地点(数値的データに基づき計算により算出したもの)なのに対して、富良野市は漠然とヘソ宣言している程度ですから、まぁ、そんなとこ、ということでいかがでしょうか、ね(笑)。

[15718]NSさん
[15724]雑魚さん
南富良野町について、フォローありがとうございました。
[15789] 2003年 5月 23日(金)18:30:00【1】三丁目 さん
本、の関係でレスをまとめて見ました 
[15748]太白さん
私なんか、三丁目さんに北海道の話を「気になりますねえ…」とか調子に乗りながら、一方的に教えてもらってばかりですけどね(笑)。
あれは、「塩」ですからね(笑)ムシャムシャ。特に、北海道の支庁名の由来みたいなものは、図書館で調べないと出てこなかったし、アメリカ在住の人では、調べたくともそういう類の本は近くにないですし、ね。

[15728]カッパーさん
質問の原文を読んでいないから、わかりませんけれども、落書き帳の大人たちのレベル(高い!と思う)は時間をかけて、身につけていきましょうね。ただ、自分がちゃんと調べたいときには、ネット検索ではなくて、図書館で調べるのを基本にしてほしいなぁ、という思いはあります。ネット検索を否定するつもりはありませんが、最終的なよりどころは、やはり本(図書館)だと私は思うのです。
ところで、参考になるかどうか。図書館で自分が探したい件について記述されている本を、見つけ出すのも一苦労です。そんなときは「北海道の支庁名の由来を調べたいのですが。例えば、胆振支庁とか日高支庁など」と図書館の人に具体的に相談すると、比較的早く見つけられますよ。実は、そうやって、私は角川辞典があることを教えてもらったのです。

[15747]Issieさん
フィンランドについて具体的なイメージを持てたのは「カトリ」のおかげなのですよね(中略)。
全般にマイナーな原作の少なくないこのシリーズの中でも,「カトリ」の原作のマイナーさはぬきんでています。おそらく,きちんとした完訳本など,放送以前も以後もないのではないかと思われます。
え~っと。この件は私の同僚がフィンランド等へ行く際に、私が数点ほどかの国にかかる資料を示してあげたら、後日この本を貸してくれました。いのちのことば社から出版されていて、小学校3、4年生向け、という感じでしょうか。大人がまじめに読むには物足りませんが、これが、現在日本で唯一、手に入る翻訳モノだそうです。

[15720]黒髪さん
「幸福の王子」であることはすぐにわかるのですが,地理ネタにからめるにはちょっと調査が必要かと思い,(中略)これはフランスのお話です。
他意がないのは理解しているつもりですが、私の書込みも、全く地名に触れなかったわけでは、ないわけでして。
さて、きょうは有給休暇を取ってましたから、午前中に時間があったこともあり、図書館で少しだけ調べてみましたが、「幸福な王子」富山多佳夫訳(青土社)を読む限りは、
「ヨーロッパの北の天気って、ほんとにひどい。」
「わたしが住んでいた悲しみのないサン・スシの宮殿には」
指している宮殿が、サン・スーシ宮殿のことだとすれば、ドイツではないかと思いましたが、いかがでしょうか。というのも、私が授業で読んだときには、舞台はイギリスとなぜか覚えていて、気になったものですから。
オスカー・ワイルド研究本か何かで記述されているのだとすれば、別に構わないのですけどね。サン・スーシ宮殿は、世界史で聞いた記憶があったので、辞典で調べてなんとか見つけました。
[15716] 2003年 5月 22日(木)19:02:39三丁目 さん
ちょっと遅いレスも含め、もろもろ
富良野関連で、あれほどレスを頂けるとは、予想もしておりませんでした。どこか、皆さんの琴線にふれるところがあったのでしょうかねぇ。ジツは、皆さんの多くは、女性だったりして。マサカぁ?
ちなみに私が北海道で好きなところは、地元だったクッタラ湖(漢字で倶多楽湖と書くこともあるようですが、私はカタカナ表記の方が好きです)なのです。あるいは、初めてダイヤモンドダストを目にした、サホロスキー場も、地名として忘れがたいですけれど、ね。あ。ここからは独り言ですが、また執筆テーマが、そろそろ数少なくなってきちゃいました。何か思い浮かぶところがあれば、ヒントを頂けると幸いです。さて。。。

[15550]でるでるさん
こんなところにも合併情報が(*^^*)
丁寧に読んで頂いていることに、感謝です。たまには、私の書込みの中でも合併を絡めた話をすることがあるのですよ(笑)。実は、未定稿は、どちらかというと合併をメインにしたストーリーにしようかと考えておりました。
遅れ馳せながら、400書込み、おめでとうございました。

[15648]kenさん
メールをお送りしようかと一瞬思ったのですが、自分の観察のご紹介というより、kenさんの書込みへの感想ばかりになるので、やめちゃいました。でもあの中では、私が知っていた説もいくつかご紹介されていたから、フムフムそうだよねぇ、と思いながら、とても興味深く拝見しておりましたよ。
これまた遅れ馳せながら、500書込み、おめでとうございました。

[15670]雑魚さん
欧州と思しき街に建つ王子様の銅像に関する童話
こういう類は、落書き帳では「それは~~では」と、すかさず誰かが反応されるのに、珍しいこともあるものですねぇ。マイペースの私でも、追いつけるだけの時間がありました。オスカー・ワイルド作「幸福の王子」ですね。ダブリン生まれのイギリスの劇作家・小説家、と紹介されますね。たまたま、大学の英語の授業で読まさせられたのが、記憶に残っておりました、

[15701]雑魚さん
「雑魚」というよりは「外道」と感じられる事でしょうが、実は私、「北の国から」は とんねるずのパロディーしか存じませんで、「昨日、悲別で」に至っては知識ゼロ。
いや。実は、私もTVドラマは見かけた程度、というだけで、ほとんど知らないのです。だから、ドラマの舞台と現地との関連性が、サッパリわからんのです。観光に大きな影響を与えたことを知っているくらいでして(汗)。
[15715] 2003年 5月 22日(木)18:38:40【1】三丁目 さん
富良野(オマケ編)
富良野市については、合体市制施行ということで、ちょうど興味を持っていたところでした。ということで、まずは富良野史のご紹介から。左から右へ、分村していった経緯となります。

富良野村上富良野村上富良野町(1951年、町制施行)
中富良野村中富良野町(1964年、町制施行)
下富良野村富良野町富良野市(1966年、市制施行)
南富良野村南富良野町(1967年、町制施行)

ちなみに、富良野市は、確かに合体市制施行ではありますが、今回調べてわかったのは、もともと旧山部村が下富良野村(旧富良野町)から分村し、そことまた富良野町がくっついて市制施行したのですね。

それで、富良野地区については、それぞれ、かみふ、なかふ、ふらの、と略して呼び分けますが、南富良野町だけは、我が地理アドバイザーと私は、少なくとも略すのを聞いたことがありません。ところが、ネット検索をしてみたら、なんぷnanpuと出てきたので、オドロキました。「「観光客に対してガイドさんが「なんぷ」と呼んでいると紹介することを、決してやめろなどとは言いませんが、私としては断固として、なんぷと呼ぶのは一般的ではないという態度を取りたい。」」と、アドバイザー殿は申しております。私も同感です。どうにも、コジツケにしか思われないのですよねぇ。地元からの反対意見があれば、お待ちしたいところです。もしかして、NSさんて、南富良野町にご関係がおありなのでしょうか?

また、アドバイザー殿の父君は、南富良野町のことは、幾寅、落合、金山、と集落名(駅名)でしか呼ばないそうです。上・中富良野町がひとつの集落名としてまとまっているのに対して、南富良野町という呼称は集落名として定着しておらず、町民もそれぞれの集落名の方に愛着をもっているからかなぁ、と思いましたが。

ちなみに、このような認識だったため、さすがのアドバイザー殿も、今回、共同調査するまでは、幾寅村、落合村、金山村あたりが合併して、南富良野町になったのだと誤認していたそうです。恥ずかしい話だけど紹介していいよ、とOKをもらいましたので、蛇足のエピソードです。その程度の私たちなものですから、
[15667]NSさん
あと、富良野地域といえば、1市2町以外にもう1つ、「南富良野町」もお忘れなく。
(1日コースに入れるにはちと厳しい立地ではありますが、ここにも見どころはいくつかあります。あえて書きません。三丁目さん、こちらの方のアップもお待ちしております)
せっかくお待ち頂いたのに、あつかましいお願いで恐縮ではありますが、南富良野町については、フォローして頂けませんでしょうか?この書込みをもって、用意していた富良野編は、全部終わりなのでした(大汗)。
[15661] 2003年 5月 21日(水)20:43:19【1】三丁目 さん
「Re: 富良野」、を頂けるとは思ってもおりませんでした。
[15658]NSさん
美瑛町の「パッチワークの丘」「拓真館」も旭川空港と富良野地域の間の目玉として観光コースに組み入れられていますね。
レス、ありがとうございます。ジツハ、美瑛については、別稿を暖めておりました。我が地理アドバイザーも、あの書込みの元原稿の中では、美瑛についてふれていたのですが、あえて私の判断で落としてしまったのです。

と申しますのも、美瑛は、やはり単体で述べたいのです。富良野と、たしかに風景が似ており、観光ルートとしても一体化されている感はありますが、美瑛はあくまでビエイ。その名はあえて、独立してご紹介したかっのです。。。それは、私のコダワリ、でもあります。ということで、今しばらく、お待ち頂けますでしょうか?

でも、用意していた未定稿の一部をちょっと、NSさんにコメントされちゃったなぁ。
[15659] 2003年 5月 21日(水)20:25:33【2】三丁目 さん
推奨アーカイブ作業、スムーズでした。
[15605]オーナーグリグリさん
アーカイブズ推奨における暗証コード不具合の件、修正しました。まがみさん、情報をありがとうございました。三丁目さん、もう大丈夫だと思います。ご確認ください。
先ほど作業したところ、暗証コードを入れなおすことなく、作業を終えられました。オーナーグリグリさんにおかれましては、お疲れ様でした。とともに、どうもありがとうございました。ちなみに、私が新たにご推奨したアーカイブテーマは、コアなためなのか、今のところワタクシだけが推奨するテーマのようですね。ま、それも、自分の基準をかつて述べましたから、経緯を好む私の、傾向を現しているような気がしました。

なお、体調を崩されたゆえ、ご養生なさってくださいね。

かくいう私も、昨日は、早朝から熱が出て、マサカSARS?かと思ったのですが、よく考えてみたら、前日の深酒が原因のようでした。たぶん、長時間にわたるお酒の飲みすぎのために、脱水症状を起こしたようです。中学3年生のとき、初めての受験勉強のために張り切って頑張りすぎて、風邪をものともせず、肺炎=脱水症状まで至ってしまった自分がカワイカッタ。。。申し訳ありません、これは独り言です。
[15652] 2003年 5月 21日(水)18:35:50【2】三丁目 さん
富良野(太白さんからの戴きもの編)
[14604]太白さん
むしろ、富良野が観光開発に成功したのは何故かが若干気になります。ソフト面で成功したのか、あるいは「北の国から」効果か…(例えば、大河ドラマの舞台となった街は観光客が増えると聞きますので)

この件に係るお答については、我が地理アドバイザー(旭川出身だから、自分の庭のようなものと豪語してますが)からの情報をメインに進めます。それで、結論からすると、なんといっても、「北の国から」効果が大きいと思われます。

大河ドラマならば1年限りで、観光ブームもすぐに冷めてしまいますが、「北の国から」は、20年にわたって何年かおきに続編が放送されるという、一地方を舞台とするTVドラマとしては異例に長いシリーズであったため、富良野は長い間、観光客に忘れられることなく、ネームバリューを保ち続けることができたのでしょうね。倉本聡サマサマです。

上富良野町のラベンダー、中富良野町の富田ファーム、富良野市の麓郷の森(北の国からのロケ地)と、1日コースで回れる一連の観光の目玉が、特に若い女性にウケたことと、フラノスキー場周辺に、ホテル、ペンション街が発展し、宿泊客の収容力となって、多くの観光客が訪れることとなりました。

また、北海道の真ん中という地理的条件も、発展の一因と思われます(富良野市自称、北海道のヘソ)。古くからの観光地である、登別温泉・洞爺湖地域と、阿寒湖・摩周湖地域からは距離が遠いため、同様な立地であるトマム(占冠村)、サホロ(新得町)などとともに、その中間宿泊地点にあたります。これら二つが山岳リゾートなのに対して、富良野は、広大な田園風景が特徴的だったために、異なった風景を持つ魅力が、アピールしたものと考えられます。

北の国からシリーズが始まった頃は、ちょうど石勝線が開通した時期(拙稿[15543]をご参照下さい。)と重なり、それまで道東行きの特急列車が停車していた富良野は、スキー客も観光客もトマム等に奪われ、今後さびれてしまうのではないか、と悲観されていましたが、良いタイミングで「北の国から」が始まったものですね。

かつては、スキー場の名は「北の峰スキー場」でした。それがフラノと改称され、本州からもスキー客が押し寄せる、一大スキーリゾートに発展しました。また、ワールドカップが開催されたことも、ゲレンデのイメージアップにつながっていると思います。スキー場の知名度としては、トマム、サホロも躍進したのですが、いかんせん夏の観光目玉に乏しかったために、通年観光客を引き付けることができた、富良野の方が、成功しているのではないでしょうか。

そうはいっても、観光イメージを保ちつづけることは難しいですから、「北の国から」が終わってしまった今は、富良野はこれからどうしようかと、模索しているところのようです。と、地理アドバイザーは申しておりますが、私は、一度よい観光イメージが植えつけられれば、大きなマイナス要因でも発生しない限り、そこそこやっていけるのではないか、と考えております。皆さんは、どう思われますか?やっぱりいずれは、斜陽都市の仲間入り、ですか?

なお、北海道のヘソの話の蛇足として、富良野市では「北海へそ祭り」が、毎年7月に開かれています。HPを読むと、市制施行時に制定された富良野市民憲章に由来するそうで、そういえば、私の先輩社員が富良野在勤時に、この祭りに参加させられた、と言ってたことを思い出しました。
[15601] 2003年 5月 20日(火)19:53:10【2】三丁目 さん
北九州市よりも金沢市の方が?
先日、北陸経済特集をしていた新聞記事の中で、「日銀金沢支店長に聞く」というコーナーがあり、その中で現支店長の経歴が簡単に紹介されていました。本店課長~北九州支店長~本店参事役~金沢支店長、でした。記事では、もうちょっと詳しい経歴が紹介されていましたが、これを見る限りでは、ご栄転されているようでして、えっ?北九州市より金沢市の方が日銀にとって格が上なの?と一瞬思いましたが、

[14440]TKS-Hさん
小樽支店の廃止は北九州支店の廃止と抱き合わせで表明されたのですが、小樽支店のほうが廃止まで進んだのに対し、北九州支店のほうは事実上沙汰やみの状況になった、この違いがどこにあるのかはちょっとわかりません。
を覚えていましたから、納得しました。一般事業会社の人事異動でのご栄転ルートは、たしかに、その都市の経済規模に見合った事業所があることが多いとは思いますが、その会社にとって、その都市がどれだけ大事か(あるいは管轄地域)ということも反映していることを考慮すると、日銀の支店長の人事異動=「支店の格」は、(経済規模的に)比較的ニュートラルな判断で行われているのではないか、と私は思っています。

そういう点で、日銀支店長の人事異動ウォッチャーも、面白いのではないかと思ったのですが、私自身が日銀に勤めているわけではありませんから(苦笑)、全体を見るのは困難なのです。また、何かの機会で目にとまり、面白そうだったら、ご紹介したいと思いました。
ちなみに、経歴を見ると2年に1度異動されているようですから、ちょうど、今年でまる2年の任期を迎えるため、金沢支店長の次はどちらへ異動されるのかなぁと、勝手に興味を持ってしまいました。
[15543] 2003年 5月 20日(火)00:21:24【1】三丁目 さん
道央(札幌)から道東(帯広、釧路)へのルートの変遷
現在は、国道274号線(石勝樹海ロード)で、札幌から一気に道東方面へ行けますが、始めは違いました。まさに、北海道開拓の歴史(比較的最近のこと)、と呼ぶにふさわしい、ルートの変更がありましたから、ご紹介したいと思います。

道東方面へとつながる道路の最初の整備は、狩勝峠越えで、滝川~富良野~帯広へと、1897年(明治30年)に開通しました。ただし、この道路は、現在の狩勝峠越えよりも6km南の別ルートで、馬車の通行もままならない狭路だったため、現在の狩勝峠に道路開削されたのは、1931年(昭和6年)です。

このルートが、最も低い標高で山を越えられるためで、国道38号線として、最初の道東への幹線道路でした。この道路は、札幌から国道12号線で北上し、滝川を起点としてここで東へ曲がり、芦別、富良野、南富良野(幾寅、落合)から狩勝峠を越えて、新得、清水、芽室を通って帯広、釧路へと続きます。

札幌から帯広への最短コースは、夕張市、清水町、と抜けていく山間部ルートですが、その一部として、日高町から清水町までの日勝峠ルート(国道274号線)ができます。これは1965年(昭和40年)のことです。このルートは、札幌~(国道36号線)~苫小牧~(国道235号線)~富川~(国道237号線)~日高町~(国道274号線)~帯広、と大きく南を回るため、札幌~帯広間は、札幌~滝川~帯広(国道12、38号線)ルートに比べると、43kmの短縮にしかなりませんでした。

次に、夕張市から穂別町までの山間ルートが、道道から国道274号線へと1970年(昭和45年)に移行し、苫小牧を回らずにすむようになったことから、札幌からの経路は国道274号線の札幌市・厚別~長沼~由仁~夕張(川端、紅葉山、楓)のコースに変わりました。この時は、夕張から山越えした後、一度穂別町稲里で現道道74号で南下し、穂別町の中心を通り、現道道131号で穂別町富内を通って、平取町幌毛志、振内に出ます。ここから国道237号線で、日高町まで行くというルートです。

1985年(昭和60年)、国道274号線は、穂別町福山まで開通しました。このときは、国道274号線で福山まで行き、そこから現道道610号で南下して穂別町富内まできて、それから現道道131号で幌毛志に出て国道237号線を北上と、このあたりは先述のルートと同様です。たぶん、私が通ったのがこのルートだと思うのですが、片道1回しか通っていないので、記憶に自信がないのです。また、道道の状況から考えると、冬場はたぶん、穂別町福山まで東進はせず、穂別町稲里で南下したと思います。

そして、1991年(平成3年)に、夕張から日高町までの通称石勝樹海ロード(国道274号線)が全線開通し、札幌~夕張~日高町~日勝峠~清水町~(国道38号線)~帯広の最短コースが、道東への主要幹線になりました。最後に完成した、穂別町福山~日高町の区間は最も難所で、長いトンネルと谷間橋が連なる、近代土木技術ならではのルートです。

その後、道央自動車道の恵庭、千歳間のジャンクションから夕張まで高速道路ができ、清水町から池田町までの道東自動車道もできましたが、石原行革担当大臣をして、熊しか通らないと言わしめた、「閑」線道路となっております。

ちなみに、道央から帯広・釧路方面への鉄道ルートは、1907年(明治40年)に、札幌~旭川~富良野~落合~帯広経由として開通しました。それが、1913年(大正2年)に滝川~富良野間が開通したことにより、長らくそのルート(現根室本線)による輸送が続きました。それから遅れること約70年、1981年(昭和56年)に石勝線が開通したことで、ようやく現在の鉄道体系ができあがったのでした。以後、札幌と帯広・釧路とを結ぶ特急列車は、滝川・富良野経由から、すべて石勝線経由に変更されて、所用時間が1時間余り短縮されました。

かつて、陸の孤島と呼ばれた占冠村は、石勝線開通以前は、根室本線・金山駅から、または旧富内線・日高町駅から峠を越えていくか、しか交通がありませんでした。しかし、同線開通後は、石勝高原駅(現トマム駅)、占冠駅が特急停車駅となり、日高町は富内線の廃線で、立場が逆転してしまいました。

日高町も、その後の石勝樹海ロード開通のおかげで、陸の孤島にはならなかったものの、鉄道を利用して札幌へ行くためには、バスで占冠に行ってJRに乗り継ぐのが最短コース、という状況なのと、バスで札幌へ行く場合の直通の本数が多くないことから、立場の低下は否めません。ただ、札幌から帯広へ向かう観光バスは、「夕張市紅葉山から清水までの長い山岳区間のうち、町らしい町は、ほぼ中間の日高町だけであるため、道の駅・日高は、行楽シーズンには、トイレや売店レジに行列ができる大盛況です。」とのコメントも、我が地理アドバイザーからもらっています。

どちらかというと、占冠村は躍進、日高町はそこそこ、穂別町は無念(主要幹線から町の中心がはずれた)、なのではないでしょうか。

[14259]uttさん、
○占冠の無念・・・石勝線は通っているものの、なぜ石勝樹海ロードのコースから外れたのだろうか?峠の高さから見て、占冠~トマム経由のルートの方が経済的で維持(除雪)も容易と思われるのだが。
ということで、国道274号線のルートの経緯、そして鉄道の石勝線開通とあわせると、前述のように、私には思えたのですが、いかがでしょうか?

[15510]seahawkさん
道東自動車道
工事の難所でも札幌とつなげなければ意味がないと思います。もし道央道とつながれば、道東は農業、漁業がさかんなのである程度のメリットは期待できるのではないかと思います。
このお話しがありましたので、この原稿を繰り上げ書き込みしましたが、「熊の道」がそれほど改善されるとは、私には思えないのですけれど、ね。まっすぐな道でトンネルが山を貫くルートばかりだと、冬場の利用は少しはマシかもしれませんけど。でも、それだと建設費がかなり高くつきますよね。
[15459] 2003年 5月 18日(日)16:21:52【2】三丁目 さん
アーカイブテーマの推奨エラー、は、解消できました。
[15452]オーナーグリグリさん
>以前、一度作業したからでしょうが、暗証コードの入力は求められません。
この件、よく分かりません。「暗証コードが違っています」のエラーが出た場合には、次回も「暗証コードの入力」を求める設計になっています。技術的に言えば、エラーの場合にはクッキー保存は行いません。
舌足らずな表現で、申し訳ありませんでした。この件については、両毛人さんが、[15380]で教えて下さった
Cookieを削除してみてください。ツール→インターネットオプションと選択し、真ん中の「インターネット一時ファイル」の部分の「Cookieの削除」で、Cookieを削除します。
で、対処できました。私が以前、まとめてアーカイブ推奨したときは、1件登録が終わるたびに、戻るボタンで戻したところ、最初の2、3件はうまく入ったのですが、それ以外はうまく推奨が入っていなかったのです。それで、昨日改めて、推奨作業を行ったところ、前述の暗証コードエラーメッセージが表示されたのです。両毛人さん、お礼が遅くなりましたが、どうもありがとうございました。
ちなみに、今朝は、1件推奨が終わるごとに、落書き帳トップページを改めてよんで、そこからアーカイブを推奨するようにしました。ただ、どこに私の暗証コードが保存されたのかわからないのですが、それでも暗証エラーが出ましたから、毎回「Cookieの削除」を行い、暗証コード画面を呼び出して、推奨しました。今回は、気になりましたから、念のため、全部の推奨を終えてから、いったん電話を切って、もう一度つなぎ直してから確認したら、全部推奨が入っていました。
たぶん、今後も新規テーマで私が推奨する際は、毎回「Cookieの削除」を行ってから、という手順になるのかな、とは思っていますが、私自身は、その作業はたいした手間とは思っておりませんけれど。

なお、フォントサイズについては、現在の表示に私は慣れましたから、このままが良いと私は思っています。たしかに、マルなのかテンテンなのか判別し難いという点はありますが、文脈の流れで、わかりますし、自分が手持におきたいお話については、ワードにコピーするなどで、個人的に保存していますしね。

あ。それと付け加えるようにお願いして申し訳ありませんが、拙稿[15186]にある「トカチプ」を「トカプチ」に直して頂けませんでしょうか。その後の文章の流れが若干、崩れてしまいますが、[15272]を、アーカイブで一緒にして頂けなければ、誤ったままになってしまい、それでは角川書店に申し訳ないものですから。
[15377] 2003年 5月 17日(土)06:07:45【1】三丁目 さん
アーカイブテーマの推奨エラー
このアーカイブを推奨する>初めてのときは暗証コードの入力>推奨しますをクリック
とすると、以前、一度作業したからでしょうが、暗証コードの入力は求められません。それで、推奨しますをクリックすると、暗証コードが違っています、とエラーになってしまうのです。もう一度、暗証コード入力作業をする必要があると思いますが、WindowsXPが?IEが?PCが?覚えてしまっているようなので、どうすれば入力画面を呼ぶことができるのでしょうか?
お恥ずかしい質問で恐縮なのですが、ワタクシ、パソコンは作業のツールとして、必要最低限のことしか知らないのです。基本的には自助努力するのですが、知らないことのほうが多いものですから(汗)。
[15351] 2003年 5月 16日(金)19:10:46【2】三丁目 さん
記事検索機能アップでオーナーグリグリさんに感謝っ!、とレス、とリンクの仕方について
[15292]オーナーグリグリさんへ
実はかねてから、記事検索については、期間よりは、記事番号で区切った方が良いのではないか、と思っていました。でも、そのことは、なんか余計な作業をお願いするようで、控えていたのです。それと、最近は、検索をすることなく、辞典丸写しネタで、コツコツとやってましたし。
久しぶりに記事検索画面を開いて、私のイメージしていたとおりになっていたので、うれしくなりました。これで、釧路区の検索をサボッたりはできなくなりましたね(笑)。本当に、どうもありがとうございました。

[15260]太白さん
(北海道の支庁名の由来が)アーカイブスに収録されたようですので、お勧めに指定させていただきました。
過分なお言葉、ありがとうございます。せっかく頂いた塩ですから、大切にしていますよ、フフッ(笑)。でも、こんなにダラダラと、他のことまで書くとは、予想されていなかったのではないでしょうか?私が手をつけるからには、19支庁まで遡って、ゼ~ンブ調べちゃいますよ\(^O^)/
なお、他のテーマについても、我が地理アドバイザーからは、コメントをもらったところなのですが、空港や苫東とは異なり、私のテイストを少々加えているところですので、今しばらくお待ち下さいませ。
ただ、今回の語源調査で、室蘭の由来モロランは、室蘭民報かどこかで読んだ記憶はあったのですが、あそこまで具体的な記述があることをもっと早く知っていれば、崎守付近をもう少し注意深く見ておけば良かったのに、とちょっと後悔しました。
また、「箱」館も、諸説があることを初めて知りました。館が箱に見えるから、と、どこかで目にしたそのままと、思っていましたから。

[14259]uttさんへ、も、太白さんと同様なのです。ただし、大樹町については、いろいろと調べているのですが、どうしても、雪印という一企業の話がメインになってしまうから、どのようにまとめたら三丁目風味にできるか、悩んでいるところなのです。大樹町HPからは、私が期待するような情報が得られなくて、雪印の話に深入りしないようにすると、辞典情報の切り貼りになってしまうから、話が膨らまないのですよねぇ。ちょっと難しそう、というか、テキトーにしてしまうかもしれません。その節は、ご容赦くださいね。

[15280]YSKさん
問題提起→提起への回答→問題の解答編 という流れを重視しました。
了解しました。いろいろ工夫されているのですね。ご努力には、頭の下がる思いです。
ちなみに、今朝、推奨作業を行ったのですが、職場で確認したら、また入らなかったので、もう一度しますね。手順は、以前行ったとおりしていますから、間違っていないはずなのですが。
それと、これは迷っているところです。北海道の14支庁管轄字図(作成済)と、1897年当初の19支庁管轄字図(作成中)なのですが、書き込むかどうか、です。支庁境に必ずしも大きな意味があるような気はしませんが、なかなか、19支庁で分かれた図が、ネットでは見つからなかったものですから。見比べるのも面白いかな、と思ったものですから(現在に至るまでには、郡の一部が動いたりしているので)。旧国名別はリンクフリーサイトを見つけましたから、そのURLをご紹介しようかと考えていましたけれど。
それで、これに関連して下記の質問につながりますが、

[13277]ゆうさん
まず、相手先サイトでリンクに対する考え方が書いてあれば、それに従うように努めるのがいいと思います。
私がURLを紹介する場合は、公共団体以外の、法人又は個人が作られているHPの場合、トップページを探してリンクフリーに類する言葉があればご紹介しますが、そのような言葉が見つからなかった場合は、控えているのです。この姿勢でのぞんだ方が、安全ですよね?
[15347] 2003年 5月 16日(金)18:40:06【2】三丁目 さん
支庁名の由来(旧19支庁等編。ラストです。)
今回の出典も、角川日本地名大辞典(昭和62年10月8日発行)です。

札幌:古くは「しやつほろ」ともいい、察糸晃(糸辺に晃です)・札糸晃(糸辺に晃です)などとも書いた。石狩地方中部、石狩平野西部の琴似川・伏籠(ふしこ)川・豊平川流域。地名の由来には諸説があるが、アイヌ語のサッポロベツ[乾いた大きな川・乾く広い川の意]による説が通説となっている(札幌市史)。

函館:函館の地名は、享徳3年に松前藩の祖武田信広とともに蝦夷地に渡ったといわれる河野加賀守政通が建てた館が箱の形にみえたので箱館となったとする説、アイヌ語のハクチャシ[小さな館]からきたとする説(北海道蝦夷語地名解)、河野政通が文安2年に館を築いたとき、土中から筐筥(かごと箱)が出たので地名にしたとする説(蝦夷実地検考録)など諸説がある。

亀田:地名の由来には諸説がある。第1は、亀田一帯をシコツ[大谷の意]と称したが(北海道蝦夷語地名解)、和人が死骨に通ずるとして亀田と改めたとする説(松前紀行)。第2は、「(蛎崎)蔵人十ケ年前より北州カンメテ(今云亀田)切開と号」により(東北太平記)、カンメテが亀田となったとする説。第3は、現青森・秋田・新潟の3県に亀田の地名が多く、同地方からの移住者が出身地名をつけたとする説。第4は、「(亀田村の)湖は往古より大亀の済めるを以って四方を亀太の郡と云ふ」による説(明治19年各村創立聞取書)などがある。

松前町:地名は、アイヌ語のヲマツナイ[帰人のいる沢の意]に由来するとも(蝦夷地名考并里程記)、マッオナイ[帰人のいる所の意]に由来するともいわれる(北海道蝦夷語地名解)。いずれも、もとは現在の大松前川沿いの地名を指したものらしい。
すつつべつ:地名は、アイヌ語のシュフキペッ[茅の多い川の意]に由来し、寿都の語源ともなったという(北海道蝦夷語地名解)。なお、シュプウ[茅のある山崎の意]によるともいう(西蝦夷日誌)。
岩内:地名の由来には、アイヌ語のイワヲナイ[硫黄沢の意]による説(蝦夷地名考并里程記・西蝦夷日誌)、イヤウナイ[熊肉を乾かす沢の意]やイェオナイ[軽石が多い川の意]による説(北海道蝦夷語地名解)がある。

小樽:古くはヲタルナイといい、小樽内・穂足内とも書いた。地名の由来には、アイヌ語のヲタルナイ[砂の解ける小川の意]による説(蝦夷地名考并里程記)、ヲタルーナイ[砂路沢の意]による説(西蝦夷日誌)、オタナイ[砂川の意]による説(北海道蝦夷語地名解)、オタオルナイ[砂浜の中の川の意]による説(北海道駅名の起源・小樽市史)などがある。
増毛:古くはマスケともいい、増慶とも書いた。地名は、アイヌ語のマシュキニ[漁獲がとても多い所の意]に由来するという(北海道蝦夷語地名解)。また、マシケの意味には「鴎の多いところ」(西蝦夷日誌)、「焼いて背負う」(蝦夷地名考并里程記)、「良い」(丁巳日誌)などの諸説があるが、どれも鯡が多い、漁獲が多い意味に関連している。

室蘭:古くはモロランといい、諸蘭・茂呂蘭とも書いた。地名は、アイヌ語のモルエラニ[小さな下り路の意]に由来し(新室蘭市史)、この坂道は現崎守町仙海寺下の小路にあたる。
浦河:古くは「むくち」ムコチといった。地名は、アイヌ語のウララペッ[霧川の意]に由来し、元浦川の河川名にちなむ(北海道蝦夷語地名解)。なお、旧名のムクチは、アイヌ語のムコッチ[ツルニンジンのあるところの意]に由来(同前)。
河西郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、十勝川の西部に位置することによるというが、実際には十勝川の南に位置している(北海道の地名)。

紗那:地名は、アイヌ語のシャンナイに由来するといい、下る沢の意。
千島国:国名は、古くより北海道の本島を含めて「蝦夷ケ千島」と称していたことによる。
[15277] 2003年 5月 15日(木)20:32:07【2】三丁目 さん
推奨アーカイブテーマ
実は、朝に作業したときは、もうちょっと多くご推奨したのですが、IEで「戻る」を繰り返したら、少しだけになってしまいました。だから、朝の電話回線がすいている時間に、もう一度作業します。ただ、私がお奨めするのは、「自分」が面白いと思ったテーマ、興味を持ったテーマ、かねてから疑問・不思議に思っていたテーマ、ということになってしまうのですけれど、ね。
ところで「西宮市北部、塩瀬地区と山口地区が「西宮市」である経緯」を、朝お奨めしたのですが、あれも入らなかったようですから、もう一度やり直しますけど。同じ西宮市内なのに、市外局番が078で、あの地域に住むクラブ員に連絡するときは、なぜ同じ西宮市内なのに、市外通話なんだろう、と思っていたからです。それで、あのテーマが記事番号順になっていないのは、何か意味があるのでしょうか?通常は、若い番号の順ですよね。でも、あれは、らるふさん、ニジェガロージェッツさんの書込みが、後ろの方になっているので、あれれ?と思いました。
[15273] 2003年 5月 15日(木)20:05:13【2】三丁目 さん
3市広域行財政検討会(室蘭市、登別市、伊達市)
3市広域行財政検討会が平成14年に設置されましたが、各市のHPを見ると、トップページで市町村合併がすぐにわかるようになっているのは、室蘭市くらいで、登別市、伊達市のHPではどこにあるのか、見つけられませんでした。

そもそも、この3市が合併して「西いぶり市」(ワタクシの案)になるかというと、はてさて。というのも、室蘭市と登別市は、隣接する地区同士で、平坦地で一体となった市街地を形成しています。しかし、室蘭市から伊達市方面へ向かうと、ちょうど崎守のあたりから高くなり、白鳥台があって、黄金、稀府と地形的な制約を受けていることもあり、集落が途切れているのです。
ということで、登別市は細かくご紹介しますが。

1873年(明治6年)幌別郡村名布告、登別村・幌別村・鷲別村の3村となる。
1874年(明治7年)幌別郡各村戸長役場を幌別村に設置。
1919年(大正8年)三か村を大字とし、幌別村発足。(合併、と言うことでしょうね。)
1950年(昭和25年)幌別村開基80年記念式典。
1951年(昭和26年)幌別町制施行。
1961年(昭和36年)幌別町を登別町に改称。
1970年(昭和45年)登別市制施行。

この経緯から見ると、幌別がこれら地域の中心的な存在(行政的にも、郡名にあるくらいですし)だったから、幌別村になったのだと思われます。それが、全国的に有名な登別温泉の名を自治体名に使用することで、知名度のアップを図ったのでしょうか。

以前、白桃さんが[12140]で、幌別町と書かれていたことから、初めて登別市が幌別町であったことを私は知った、と書きましたが、それでも人口(今回はご紹介していませんが世帯数も)は、下記データのとおり、鷲別地区の方が多いです。ここは、室蘭市と隣接して、一体となった市街地を形成している地域です。かつては、幌別地区の方が人口が多かったのですが、1960年頃から鷲別地区内で区画整理が始まったことで、人口が増えました。

ご紹介が遅れましたが、登別市は大きく4地区に分かれ、ちょうど室蘭本線の駅と、概ね一致します(富浦駅周辺は、登別地区になります)。地区別の人口推移は、各年の9月末現在での住民基本台帳ベースになりますが、

地区名平成12年平成13年平成14年平成12年から14年へ減少した率(単位:%)
温泉地区1,9171,8281,7458.97
登別地区5,2995,2235,1383.04
幌別地区23,17922,99623,0970.35
鷲別地区25,29325,16025,0131.11
全市計55,68855,20754,9931.25

本当は、登別市HPによると1983年(昭和58年)時が最盛期人口59,481人ですから、それと比較すれば、差がわかりやすいのではないかと思いましたが、今回は、簡易な調査で済ませています。この3年間での推移だけでも、温泉地区での減少が顕著ですね。斜陽都市と言われると引っかかるところはありますが、人口が減少傾向にあることには間違いありません。

登別市から他市町村への就業者のうち、室蘭市へ向かう人は89%、伊達市のそれは49%です。また、通学者のそれは、登別市から室蘭市が92%、伊達市のそれが56%と、いずれの割合も、登別市と室蘭市の結びつきは強いです。大雑把に言うと、伊達市の室蘭市との親密度は、登別市の半分くらい、という感じです。(いずれも平成12年の国勢調査による)

それで、仮に3市が合併するとなると、どうなるでしょうか。
まず、伊達市は、地名・歴史へのこだわりが根強いのでは、という印象を受けました。伊達市HP>まちの歴史>伊達誕生記、を見ると、市町村の公式HPで、こんなに長く歴史を紹介しているところを、見たことがありません。開拓の祖伊達氏の起こりとして、12世紀から書き始めて長々と。とりあえずA4で打ち出してみたら、18ページにもなりました。とても、全部には目を通す気になりませんでしたよ、私は。だから、伊達市は、3市合併には加わらないのではないでしょうか。どちらかというと、虻田町、壮瞥町、洞爺村の方へ目が向いているようです。

と、だいぶ前からこの原稿を用意していたら、昨日(5/14)の北海道新聞に「伊達市に隣接する4町村(虻田町、壮瞥町、洞爺村、大滝村)が、伊達市への合併に動き始めた、と載っていました」との情報が、我が地理アドバイザーから寄せられました。私もネット道新を早速見ましたが、紙でパラパラと読むのとは違うから、この情報は見つけられませんでした。

なお、室蘭市については、新しく加える記述も特に浮かばないため、記憶だけで書いた拙稿[9574]、それを[11075]にて補足しましたから、もしよろしければご参照下さい。

ということで、合併の可能性があるとすれば、室蘭市・登別市ではないかと、私は思っています。「登別・室蘭合併協議会設置を求める市民の会」というのもできましたしね。もともと、両地域の市外局番も0143で共通でしたし。そうなると、新・室蘭市の誕生でしょうか。

でも、いろいろと調べてみると、登別市民にもいろいな思いがあるようです。室蘭市との合併に前向きな意見がある一方で、「なぜ室蘭市と一緒になるのか、白老だってある」など、合併相手を室蘭市に限定することに、慎重な意見の方が多いみたいです。そもそも、昭和の大合併時に、やはり登別・室蘭での合併話が浮かんだそうですが、当時は、日の出の勢いの室蘭市と、町制施行から日が浅い幌別町という関係でも、結局、立ち消えになってしまいました。

現在も、室蘭市議会では、登別・室蘭合併協議会設置を可決したのに、登別市議会は、この3月に否決しました。室蘭との合併しか考えられない、ではなく、広域的な視野で検討したいから、が理由だそうです。室蘭側からすると、4月の選挙を受けて、登別側がどう変わるかなぁ、という感じのようです。

元登別市民のワタクシとしましては、鷲別地区に住んでいたからかもしれませんが、室蘭市との合併がスムーズだと思うのですけれどねぇ。登別市と白老町とでは、ちょうど室蘭市・伊達市が地形的に一体でないのと同様に、市街地が途切れていますから。ちなみに、私のコア(笑)な調査によると、登別市内での4地区では、室蘭市との一体感に、温度差がある、と聞きました。そのあたりが、登別市内で、一体となって室蘭に目を向ける、という感じになっていない理由のようです。
[15272] 2003年 5月 15日(木)19:46:58【1】三丁目 さん
Re: 岩見沢支庁じゃないわけ
[15231]紅葉橋瑤知朗さん
>[角川日本地名大辞典には]北方領土関係について(千島国と紗那支庁)の、記載はありませんでした。
下巻の最後のほうに、北方領土だけ別になっていますが……。
昼休みに、図書館で確認してきました。上巻が地名編、下巻が地誌編ですから、前回図書館にこもったときは、上巻をメインで調べていましたので、下巻にはあまり目を通していなかったのです。でも、すぐおわかりになったということは、あのように高価な本をお持ちなのですか?私は、辞典系は、図書館を頼りにしているのですが・・・。

>帯広支庁にはならなかったのかというと、1897年(明治30年)当時は、まだ帯広という集落は、内陸だったために、開拓が進んでおらず大きくなかったからではないか、と。

う~ん、元が郡役所だったということを考えると…?
逆に、郡役所が置かれながら、帯広の地名が採用されていなかったということは、広域地名としては使えなかったからではないか、と私は考えましたが。それは、岩見沢も同様だし、旭川、もでしょうか。沿岸部は、江戸期から「場所」による広域名が、ある程度はあって、馴染まれていたのに対して、内陸部では、明治以降の開拓の歴史の中で、漢字地名が付けられていったから、帯広・岩見沢・旭川は、一集落の名ではありますが、広域地名にならなかったのではないか、と私は考えました。

ちなみに、我が地理アドバイザーのコメントは、「旧支庁名を見ると、全て旧国名か郡名のようなので、帯広、旭川、岩見沢は、郡名として存在していなかったからじゃないでしょうか。・・・簡単すぎる?」だそうですが。

なお、拙稿[15186]にて、十勝国の由来を、アイヌ語のトカチプとご紹介したのは、誤りでした。私の転記ミスでして、トカプチが正しいのです。本日、図書館にて確認しました。書込み訂正時間には間に合わなかったので、この原稿にて、訂正させて頂きます。

ついでにもう一つ補足すると、拙稿[13312]で、根釧台地の範囲を地質的(土地の成り立ち的)にご紹介しましたが、角川日本地名大辞典の下巻を見ていたら、「地形区分概要図」が載っており、そこには、釧路平野以外の東側は、根釧台地として大雑把に分けられていました。
ちょうど平野の定義のように、土地の成り立ちに注目するか、表面的に見える地形に注目するか、で分類が異なるのかな?と思いました。
[15222] 2003年 5月 14日(水)21:15:50【1】三丁目 さん
Re:十勝
[15209]YSKさん
フォローありがとうございました。
>十勝国:国名は、アイヌ語のトカチプにちなみ、
十勝の旧名はトカプチ
「チプ」ではなくて「プチ」なんですかねぇ。明日の昼休みに、もう一度、図書館で角川日本地名大辞典を確認してみます。
それはそうと、「帯広」の語源は調査されましたか?
ネット検索してみたら、「帯広とは、アイヌ語「オペレペルプナイ」(川尻の壊れたる川の意)から転化したものである。」なんて記述が見つかりました。なお、今回の調査は、ネット検索ではなく、古典的に、図書館ベースで行っていますので、今しばらくお時間を下さいな。というのも、全ての地名由来がネット検索で出てくれば、それを使っちまえ、と思っていたのですが、全部は見つからなかったので、こういう場合は原点に帰って、辞典だな、と。やっぱり、一つの書込みとして纏める場合は、出典は統一しないと、私はあまり好きじゃないのです。
ただ、拙稿[15187]での河西支庁についての感想は、旧国名由来(石狩、後志、渡島、胆振、日高、釧路、根室)以外の旧支庁名(札幌、函館、亀田、松前、寿都、岩内、小樽、増毛、室蘭、浦河、河西)のうちで、現市町名ではないのが河西だけだから、面白いな、程度のつもりだったのです。なぜ、帯広支庁にはならなかったのかというと、1897年(明治30年)当時は、まだ帯広という集落は、内陸だったために、開拓が進んでおらず大きくなかったからではないか、と。帯広市HPからは、市の歩みについての情報を得られなかったものですから。今度、河西を調べるついでに例の辞典で、帯広の項目も見てみようと考えていました。

そ・れ・と。なぁ~んだ。空知の語源をご存じないのかと思っちゃいましたよ、紅葉橋瑤知朗さん(笑)。
[15197]があったので、書込みする順番を変えて、急遽拙稿[15221]をアップしたのですが。[15213]を拝見する限りでは、ご存じのようですね。
[15221] 2003年 5月 14日(水)20:58:19三丁目 さん
北海道の支庁名の由来・2/2(そのものではありませんが)
今回の出典も、特に記述しない限り、角川日本地名大辞典(昭和62年10月8日発行)です。

釧路郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のクスリ場所の一部地域にあたる。郡名は、場所名による。
釧路:古くはクスリといい、久寿里・久摺・久須里などとも書いた。地名の由来に関しては、アイヌ語のクッチャロ[咽喉の意]にちなみ、屈斜路湖畔のアイヌを寛永12年松前藩が現在の釧路に移して場所を開いたことによる説(北海道蝦夷語地名解)、クシュル[越える道・通る道の意]の転訛で、釧路川上流から斜里方面や標津方面へ越す交通路があったことによる説(蝦夷地名考并里程記・東夷周覧)、クスリ[薬・温泉の意]にちなみ、かつて悪病が流行したとき、釧路川の水を呑んだ者は一人も死ななかったという伝承による説(戊午日誌)などがある。

空知郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、アイヌ語のソラプチペッ[滝が下る川の意]にちなむ。
檜山郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、往古当地が檜山であったことによる。
上川郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、十勝川の上流域に位置するところによる。
留萌郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。成立当初は「るるもっぺぐん」と称した。江戸期のル・モツペ場所の地域にあたる。
留萌:古くは「るるもっぺ」「るるもい」「るもえ」ともいい、留萌の漢字表記もあった。地名はアイヌ語のルルモッペに由来し、「此ノ川自然ト奥深ク、汐入ル故ニ号ク」といい(西蝦夷日誌)、「湖ノ静カニ入ル所」の意ともいう(北海道蝦夷語地名解)、1869年(明治2年)開拓史は松浦武四郎提言の地名、留萌(るるもえ)、留持(るるもつ)の中から留萌の漢字名に決定。その後「るるもえ」が「るもえ」となり、住民の大多数が東北・北陸地方の人であったためにエとイの発音が明確でなく、自然にエがイになったという(留萌市史)

宗谷郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のソウヤ場所の一部地域とサンナイ場所の地域にあたる。郡名は場所名による。
宗谷:地名の由来には、アイヌ語のショウヤ[海獣のとまる磯の岳の意]による説(蝦夷地名考并里程記)、ソウヤ[峰の巣の意]と呼ばれていた岩名による説(廻浦日記)、ソーヤ[岩嶼、あるいは裸岩の地の意]による説(北海道蝦夷語地名解・アイヌ語地名考)がある。江戸期にソウヤ場所が開設する前の当地の地名に関しては諸説がある。一般的な説は、元来ウエントマリ[悪い泊の意]と称していたが、場所開設に際しウエントマリの名を嫌って、サンナイ(珊内)近くにあったソーヤという大岩名をつけたとする説である(北海道蝦夷語地名解)。このほか、もとはモンセンルモ、訛ってマウサンルム[風の当たる岬の意]と称したとする説(再航蝦夷日誌)、ヒリカトマリと称したとする説(廻浦日記)、パラキナイと称したとする説(蝦夷地名考并里程記)などがある。

網走郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のアバシリ場所の地域にあたる。
網走:地名の由来は、アイヌ語のアパシリ[我らが発見した土地の意]による(アイヌ語地名解)。また、アパシリはもとチパシリといい、「幣場・島」の意で、かつて網走湖口近く(現大曲付近)の海中にあった帽子岩を指した名称であった。漁民であったアイヌはこの岩に紙の幣場を設け崇拝したという(戊午日誌)。また一説に、アパシリは「漏る所」の意で、窟の入口が雨漏のようにぬれることによるという。

「場所」とは、「江戸期に、支配人、番人などの和人が滞在して交易や漁業を行った拠点」のことです。

なお、檜山支庁経済部林務課「檜山の地名由来とヒノキアスナロの歴史」によると、
「「今回の文献等について調査を実施してきた結果、ヒノキアスナロ(檜)が生育している山を指して、「檜山(ひのきやま)」という記述がされているが、特定の地名を表す「檜山(ひやま)」あるいは「檜山(ひのきやま)」という記述は確認できなかった。
1869年(明治2年)の国郡制施行にあたり、松浦武四郎が明治政府に提出した建議書において、「古くから檜山(ひのきやま)のあったあたりを、郡名として残したい」という事由で、ここで初めて「檜山(ひやま)郡」と命名されていた。
このことから「檜山(ひやま)」の地名由来は、檜山(ひのきやま)からきているものと考えられる。」」だそうです。これといった定説は、ないようですね。

なお、文中で紹介された説の出典略称一覧は、
蝦夷地名考并里程記:松前并東西蝦夷地場所々地名荒増和解休泊里数山道行程等大概書
廻浦日記:竹四郎廻浦日記
戊午日誌:戊午東西蝦夷山川地理取調日誌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、注記がありました。

天塩、釧路については、旧国名の記述の中では、由来が記載されていませんでした。また、北方領土関係について(千島国と紗那支庁)の、記載はありませんでした。
なお、胆振国の由来(拙稿[15186])で引用した「北海道大百科辞典」は、都内の大きな書店をまわって確認したところ、朝日新聞社から出版されていた本だそうですが、現在は絶版です。国会図書館へ行って調べるまではしませんでしたが、都内4区の図書館にはありませんでした。北海道の図書館ならば、あると思いますが。
[15187] 2003年 5月 14日(水)00:47:10【1】三丁目 さん
支庁名の由来(感想編)、と石狩市の難読地名
最初は、19支庁名の由来から全部調べよう、と意気込んでいたのですが、旧国名から書き写し始めたら、途中で挫折してしまいました。でも、残りの、札幌、函館、亀田、松前、寿都、岩内、小樽、増毛、室蘭、浦河、河西、については、追っかけ調べたいと考えております。郡名にしかないのは河西のみで、それ以外は全て市町名でもあるのが、私には興味深かったです。帯広市のことを詳しく調べる必要がありそうですが、たぶん、内陸だから、開拓が遅かったためではないでしょうか。札幌は、本府が置かれた地だから直接海に面してなくとも、関係ないでしょうし。亀田市はなくなっちゃいましたね。

なお、角川日本地名大辞典には、いろいろなことが書いてあり、非常に面白かったです。私が図書館に半日こもってしまったのも、そのためなのですが、例えば、丘珠空港は陸軍の飛行場で、なんて記述もありましたよ。何度もチェックしたので、打ち終わって、ちょっと気が抜けてしまいました。

[15065]紅葉橋瑤知朗さん
>生振村、花畔村
難読ですが、皆さんならなんと読むでしょう(三丁目さんは13日になったら答えを書き込んでください)。
ご指名頂いて恐縮です(汗)。知っていたのと知らないのが混在だったから、ちょっと焦りました。花畔「ばんなぐろ」は知っていましたが、生振「おやふる」は、調べました。ちなみに、我が地理アドバイザーのコメントは「これは札幌人でも難読地名ですなあ」だそうですが。スイマセン、13日を超えてしまいましたね。
[15186] 2003年 5月 14日(水)00:43:31【2】三丁目 さん
北海道の支庁名の由来・1/2(そのものではありませんが)
[14050]太白さん
三丁目さんの「作風」を若干離れますが、北海道の各支庁名の由来も気になります。アイヌ風じゃないので。
ハイ。書いていて、自分でも本来の作風とは、ちょっと違ってたような気が、なんとなくしました(笑)。

Issieさんが、ご自身のHPで「郡の変遷(北海道)」として、表にまとめておられますが、私は最初は、年表風にしてみます。なお、今回の出典は、特に記述しない限り、角川日本地名大辞典(昭和62年10月8日発行)です。コピーではなく手書きで写したため、読点の打ち方等が原文と異なる場合があるかもしれません。その場合は、ひらにご容赦を。

1897年(明治30年):郡役所を廃止し、19支庁を置いた(札幌、函館、亀田、松前、檜山、寿都、岩内、小樽、空知、上川、増毛、宗谷、網走、室蘭、浦河、釧路、河西、根室、紗那)。
1899年(明治32年):札幌、函館、小樽に区制が施かれたため、亀田支庁は函館支庁と改称。(注1)
1903年(明治36年):松前支庁を函館支庁に、紗那支庁を根室支庁に併合。
1910年(明治43年):寿都・岩内・小樽3支庁を廃して、さらに室蘭支庁から虻田郡の一部を合わせて後志支庁を新設。これで、現行の14支庁となる。
1914年(大正3年):増毛支庁は留萌支庁と改称した。
1922年(大正11年):札幌支庁は石狩支庁、函館支庁は渡島支庁、室蘭支庁は胆振支庁、釧路支庁は釧路国支庁と改称した。
1932年(昭和7年):河西支庁は十勝支庁、浦河支庁は日高支庁と改称した。
1957年(昭和32年):釧路国支庁は釧路支庁と改称した。

注1:1897年に設置された函館支庁は、函館区が設置されたことにより、支庁管轄区域から分離したたため、函館支庁は廃止され、函館区役所に移管された。
IssieさんのHPを見たときに、支庁の数を19と見つけられなくて、変だなぁと思っていたのですが、1897~1899年にかけて存在した旧・函館支庁とは、函館市街地(函館区)域を管轄していた支庁で、それが1899年に廃止された。そして1897~1899年に亀田支庁だったものが、1899年以降から新・函館支庁となった、と私は理解したのですが、それでよろしいでしょうか、Issieさん?

それで、支庁名の由来そのものの解説はありませんでしたので、まずは、旧国名の由来から。記述に濃淡が見られますが、原文のままご紹介します。

石狩国:国名は、石狩川に由来し、アイヌ語の河川名イシカラ・ペッ[屈曲の多い・川の意]の音訳による。
後志国:国名は、阿倍比羅夫が郡領を置いたという後方羊蹄(しりべし)の語音にちなんだもので、中央部を流れる尻別川のアイヌ語シリ・ペッ[山の・川の意]を採り、音訳して後志と松浦武四郎が名づけた。
渡島国:古く、斉明天皇の頃より「渡島(わたりしま)」は北海道の入口をさしており、また南部津軽の人たちは、この地を「おしま」と呼んだので、渡島と書いて「おしま」と読むことにしたいという、松浦武四郎の建議書によって国名とされた(北海道の地名)。

胆振国:国名は、日本書紀の斉明天皇4年、阿倍臣が胆振金且(金辺に且と書きます)(いぶりさえ)その他の蝦夷(えみし)を歓待したという故事により命名(北海道駅名の起源)。
なお、ネット検索で出てきたもので、「胆振」の由来については、日本書紀の話に加えて、下記の記述もありました。
古く新井白石が胆振とは北海道の勇払(イブツ)地域のことではないかと物の本に書いています。明治初年、松浦武四郎が、北海道の国郡名について「噴火湾の山越内から沙流境までを一国にしたい。その中で、勇払は大場所でアイヌも多いから、中心地としたらよい」とし、その国名としては「日本書記の胆振に気が付いたので、“胆振”でいかがでしょうか」と北海道開拓使長官に建議したことから、胆振という国名ができました。(北海道大百科事典から)
http://www.yanatec.com/side_pege/muroran-rekisi.htm の「7.開拓の先駆者たち」に記述されています。

日高国:国名は、当地は南向きで暖かく、太平洋岸特有の濃霧も早く晴れ、陽を仰ぐことが多く、「日本書紀」の景行天皇27年に東夷のうちに日高見国ありとの故事から、日高の字を用いて命名したという(北海道駅名の起源、北海道の地名)。
北見国:松浦武四郎の「国名之義ニ付申上候書付」によれば、この地域のソウヤ・モンベツ・シヤリ等の地名は、国名にふさわしくなく、当地一帯が一般的には北海岸などと呼ばれていることや、快晴の日には樺太(サハリン)が見えることなどから北見などはどうであろうか、との武四郎の意見によって北見国とつけられたという。

十勝国:国名は、アイヌ語のトカチプにちなみ、十勝川の河口が2つ並んでいる形を呼んだとの伝承による。(注2)
根室国:国名は、松浦武四郎の「国郡名建議書」をもとにしたもので、ネモロにちなみ根諸国とする案もあった。ネモロはアイヌ語のニ・ムイにより[木・湾]の意(知床日誌)。
天塩郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のテシホ場所の一部地域にあたる。郡名は、場所名による。
天塩:古くはテシヲ・テシホ・テシユなどと書いた。留萌地方の北西部、天塩川河口域に位置する。地名はアイヌ語のテッシ[梁の意]に由来する(天塩町史)。
注2:「トカチプ」を「萱野茂のアイヌ語辞典」で調べましたが、出ていなかったので、意味は不明です。 to be continued
[15185] 2003年 5月 14日(水)00:39:53【1】三丁目 さん
Re:もし村山市が北村山市だったなら、と市町村雑学の見やすさ
[15147]軒下提灯さん
楯岡町とその周辺の村々が「村山」という広域地名を背負い込むのは、ちょっと荷が重すぎたように思います。村山と言う名は、山形に任せておいたほうが幸せかも。
軒下提灯さんが、初めて書きこまれたのが[14419]からのようですので、拙稿[12833]「楯岡の無念」は、ご覧になって頂けてましたでしょうか?私が調べた限りでは、合併が50年近くも前であり、市名決定の経緯は、わからなかったのです。
ただ、現実的に考えると、山形県より南の地方に、当時、村山市がなかったので、北を冠する北村山市はありえなかったでしょうね。以前[12891]で述べましたが、楯岡市と名乗っていれば、市のHPで、楯岡地域の数字を間違えて掲載することはなかったのでは、と下衆の勘ぐりをしてしまいました。

全然違う話ですが、「村山」市の同名回避を確認しようと、市町村雑学を久しぶりに覗いたら、見やすく、きれいになってたのですね。書き込みを読む前は、こちらやアーカイブズを何度となく見ていましたから、ちょっと感想を言いたくて。オーナーグリグリさんのご努力には、改めて敬意を表したい、と思ったものですから。

本日は、残業のために、私の活動限界時間(0時)を越えてしまいましたが、なんとか用意していた原稿を書込みするしだいです。
[15126] 2003年 5月 12日(月)20:23:20三丁目 さん
Re:市名と中心集落名が異なる市
[15083]軒下提灯さん
市名が集落名に勝つ
非常に興味深いお話でした。私は自分に直結している楯岡(村山市)のことにしか、ピンとは来ませんでしたけれど、いつの日か「楯岡へ行く」が「村山へ行く」になるとは、少なくとも私が生きている間(笑)は、ならないように思います。そのような感覚からすると、現実に切り替わった市を、具体的に列挙して頂いたので、あるところにはある?のね、と感心しました。「村山へ行く」が村山駅へ行く際に使われるのに、抵抗感がなくなったときが、もしかしたら切り替わるタイミングなのかもしれませんね。それであれば、もう少し近い将来なのかしらん。ハテ???これは、その地域で生活していないと、いつ頃からなのか、分からない感覚なのでしょうね。
でも、私がこの「落書き帳選挙区」において、雑魚候補には投票しないことだけは、間違いのないことなのですが(ちょっとしつこかったかな、雑魚さんゴメンナサイ)。
[15122] 2003年 5月 12日(月)19:55:47【1】三丁目 さん
川の疑問へのレス
[15062]Issieさん
>一般的に、太平洋側では北から南に川が流れ、日本海側では南から北に流れるのですが
いろいろなスケールの話が混じりあっていて…。
たしかにそうですね。私も迂闊でした。かねてから歩いていて、神田川を不思議に思っており、思いつきで質問した、浅いものでしたね、と、ちょっと反省。私がイメージしていた河川は、広島県の太田川放水路、兵庫県の神崎川、武庫川(ちょっとマイナーなのを付け加えると藻川も。嗚呼、秘密基地を作って遊んでいた川原)、大阪府の淀川、東京都の多摩川、荒川、石川県の犀川あたりなのですが、神田川では、ちょっと比較するのが無茶でしたね。丁寧にフォローして頂き、ありがとうございました。

[15069]uttさん
松山市を流れる御手洗川の例を紹介します。
松山には、一度しか行ったことがなくて、あまり土勘が働かないのですが、地図と併せて、興味深く拝見しました。
あ、そうそう。昨日の私の疑問にお返事を頂き、どうもありがとうございました。早速、ワードで打ち始めました。改めてきちんとまとめると、調査の行き届いていない部分が見つかりましたから、明日の昼休みに近所の図書館で、もう少しだけ追加調査してから、ご紹介したいと思います。例によって、また長くなっちゃいました(^。^;)。参考文献の記述があるから、書込みを分けずらくて・・・。オーナーグリグリさん、データ量として負担をかける書込みが多くて、申し訳ありません。ペコリ。

[15094]雑魚さん
>このように、逆流?している川は、他にもあるのでしょうか?
屁理屈気味ですが、局地的な蛇行が多い佐賀県の六角川や、最上川における真室川の様な支流も含めれば、該当例は結構あるでしょう。南北云々の視点からは外れますが、源流地が意外に海岸に近い四国の肱川や四万十川などは、経路全般で見るに、途中で大きく屈曲していますね。
蛇行、屈曲は、ちょっと屁理屈じゃないですか、と思ったものの、考えてみたら、自分が例に出した神田川自体、蛇行の例でしたね。結局、部分だけを見ると、不思議な流れ=逆流に見える、ということになってしまうのでしょうか。
[15052] 2003年 5月 11日(日)18:49:08三丁目 さん
太平洋側で南から北に流れる川、又は日本海側で北から南に流れる川、は?
かねてから、青梅街道、又は大久保通りを歩いたときに、なぜ、東京の川が、北に向かって流れるのだろう、と思っていました。今、ジックリと神田川の流れ方を地図で見ましたが、(それが歩いているときに見かけた、南から北へ逆流している川だったのです。)、その源流は、井の頭池、又は善福寺池であることを地図で確認しました。思わず、関東平野は構造盆地、ということを思い出しました。

このように、逆流?している川は、他にもあるのでしょうか?私がお聞きしたいのは、一般的に、太平洋側では北から南に川が流れ、日本海側では南から北に流れるのですが(両地域に住んだ者としての認識です)、そうではない流れ方をする川があるとすれば、その土地での高低差の影響を受けているはずですから、そのような例があるのかな?と思ったのです。

というのも、札幌で、北大生が、川が北から南に流れるのを初めて見た、と言ったのを聞いて、あぁ、この人は太平洋側(神奈川以西)で育ったのね、と思ったものですから。

もちろん、東北地方では、川の流れは南北というよりは、東西であることを前提にお聞きしているつもりです。それは、九州地方においても、同様ですね。

ちなみに、私の神戸に住んでいた後輩は、神戸は北が山で南が海と、わかりやすいのに、東京は何がなんだか方角がさっぱりわからん、と申しておりました。
[15044] 2003年 5月 11日(日)15:03:57【2】三丁目 さん
Re:神戸・明石間の市境変更、と、どなたか教えてください(と、祝15000)
[15016]ニジェガロージェッツさん
この市境変更部分ですが、西神戸・明石間の地図好きの間では結構有名な話です。
興味深いお話を、どうもありがとうございました。私が知っている地域は、思い浮かべながら拝見いたしました。

それで、皆さんにお聞きしたかったことというのは、太白さんからリクエストを頂いていた北海道の支庁名の由来についてなのです。結構、図書館にこもって書き写してきましたけれど(コピーするには量が多かったので)、出典を明らかにすれば、インターネット上で書き込んで構わないのですよね?
ふだんは、私が知っていることと我が地理アドバイザーの話と、それを補足する少々の調べ物(市役所等が公式に出しているものからの引用とか)で書いているものですから、あまり「引用(著作権)」のことを意識していなかったのですが、今回は、もろ「地名辞典」の書き写しだから、このまま書き込んでいいのかなぁ、とフト思ったものですから。

最後になりましたが、
[15017][15020][15025]太白さん
大変面白いデータを提供して頂き、ありがとうございました。平均書込み文字数を下げないように?今後も、執筆活動に励まなくちゃ、と元気づけられました(笑)。
[14992] 2003年 5月 9日(金)21:02:34【1】三丁目 さん
小樽市、市境変更編
今回は、のっけから歴史のご紹介からのスタートで失礼しますが。
石狩市のあゆみ(石狩市HPから、かなり抜粋して引用)
1882年(明治15年):樽川村、開村。
1902年(明治35年):親船町ほか9町と生振村が合併して石狩町に、花畔村と樽川村が合併して花川村になる。
1907年(明治40年):石狩町と花川村が合併して、石狩町になる。
1968年(昭和43年):石狩町、開基300年、開町100年記念式典。
1973年(昭和48年):石狩湾新港が重要港湾に指定され、港湾工事に着手。
1975年(昭和50年):石狩町と小樽市との境界変更施行。
1982年(昭和57年):石狩湾新港入船式典(一部伴用開始)。
1996年(平成8年):市制施行(石狩市誕生)。

昔の地図では、小樽市の領域は銭函から大浜海岸までで、市町境は、新川に注ぐ支流の清川と新川河口により定められており、河川による自然境界となっていました。当時は、新川河口より北側は石狩町大字樽川村でした。

これに比べて、現在の地図では、小樽市の領域は新川よりも北の石狩新港地区まで伸びていて、小樽市銭函4、5丁目となっています。旧来の銭函地区からは離れていますが、新たに小樽市域となった地区とはいえ、住居表示には、銭函が採用されています。

現在も、石狩市には樽川地区があり、市の南西側の3市境にあります。ちょうど手稲通りを挟んで、北西側が樽川地区で、南東側が花川地区になります

経緯を詳細に記述することは、避けたいと思いますが、小樽市が発展してきた経緯、そして石狩新港構築の決定等の前後の流れから、ご想像くださいませ。ちなみに、小樽市HPの「小樽市のあゆみ」には、1975年の欄はありますが、境界変更については、記述されていませんでした。

なお、「樽川村」で検索すると、50件ほど出てきます。長野県木曽郡の、あるいは映画「およう」関連ではない樽川村を見て頂ければ、見る件数は、相当絞れます。私の記述でスッキリしなかった方は、ご自身で検索なさってみてください。

念のため「市境変更」「境変更」で検索してみたところ、小樽市と旧石狩町の話は見つけられませんでした。

ちなみに、検索で出てきた神戸市と明石市の間には、市境変更が何度も行われているのですね。明石市HPに出ていた市域の変遷に関するデータだけでも、1966年、1971年、1972年、1977年、1984年、1986年、1992年、と7回もあったので、驚きました。調べてみたい誘惑にかられたのですが、ニジェガロージェッツさんのお膝元に手をつけるのは、たとえ私が大学生活を送った街とはいえ、地元の図書館で調べないとわからないかもしれない、と思いましたから、やめました。

なお、明石市HP>市のプロフィール>統計情報>明石市統計書 平成14年版(2002年)の中の「土地及び気象」PDFファイルP.3の<地勢>欄に出ていますが、神戸市HP側からは、この情報を見つけることはできませんでした。市境付近で、どちらに帰属するか、区画整理も絡んだ話らしく、両市間で何度か協議されているようですが。詳細は不明です。

町田市と八王子市の市境変更についても、検索結果として出てきたのですが、こちらはよくわかりませんでした。たぶん、変更していないのではないでしょうか。
[14940] 2003年 5月 8日(木)19:57:30【1】三丁目 さん
釧路、ホイホイ編
[14259]uttさん
○釧路の無念・・・鈴木宗男事務所は今、どうなっているのだろうか??ムネオ道路(春別道路)は、どうなるのだろうか??
釧路市の概況、現況については、ご紹介したURLをご覧になって頂けましたでしょうか?
あぁ、そうそう。。占冠村の件については、最初はなんだろう?と思ったのですけれど、もしかしたら、私が準備中だった原稿が、それについてのお返事になるのかもしれません。もう少し、調査するお時間を下さいね。

それで、実は以前、友人とのメールのやり取りの中で、ムネオ君のことにふれていましたから、「久しぶりに鈴木宗男ネタに触れられて、光栄でござりまする」との返事が、やっと到着しました。ということで、以下のほとんどは、原文のとおりです(落書き帳には合わないと私が思う、政治が絡んでいるコメントが、多々ありましたから、半分以上カットしちゃいましたけど)。

鈴木宗男事務所は,今も健在です。釧路市役所のすぐ横の,5,6階建ての小さなビルの2(3?)階の窓にクマの絵のシンボルステッカーが貼ってあり,以前と変わらず鈴木宗男事務所が入居しています。

ムネオ道路(春別道路)とは,国道272号のことだと推定します。この国道は,釧路町別保から別海町上春別,中標津町を通って,標津町までの道路で,釧路から中標津に行く幹線道路としてよく利用されています。この国道のうち,ちょうど別海町域に当たる西春別~上春別の区間だけが,近年特に整備されていて,ちょうど鈴木宗男氏が北海道開発政務次官だった頃ですから,ムネオ道路と呼ばれる所以のようです。

数箇所の交差点で,国道を掘り下げ,交差道を陸橋にしてランプを設けた立体交差ができていて,交通量の少なさを考えると,目を見張る立派さです。工事は今も続けられていて,まだ2,3箇所の立体交差化が進められるようです。地元では,ムネオがどうのこうのではなく,この不況下でありがたい雇用対策として,必要な工事と受けとめているのではないでしょうか。
[14938] 2003年 5月 8日(木)18:56:16【2】三丁目 さん
苫東の感想
[14905]太白さん
苫東については、「全体としては原野」なのでしょうが、それなりの工場等の進出もあるようですね。
拙稿[14858]で、補足してよかったぁと思いました。私には分かりきっていた地域なものですから、原野とは言え、そこそこ工場はあるのよという自分の認識を前提に、大雑把なお返事をしてしまいましたが、もしかして、工場等が進出していることは、意外と知られていないのでしょうか?たしかに、失敗例として名前はよくあがりますが、面積が広いだけに工場がまばらに立地しているためであって、集まっているところでは「それなりに」工業地帯を形成しています。
ちなみに、私はあの勇払原野が、いかにも原野らしい風景に感じられるから、とても好きなのです。
[14937] 2003年 5月 8日(木)18:39:07【1】三丁目 さん
Re:町名、字名、丁目、住居表示
[14928]りょうさん
丁目までが大字なので、漢数字が正しい
ハイ、そのとおりです。ちょうど身近にいた土地家屋調査士の方にも、念のため確認してしまいました。土地家屋調査士の講座で、先生が言ってたそうですよ。書込みをプリントアウトしてその人に見せたら、このような類のことを、一般の人が質問してるんですか?と驚かれました。
ちなみに私が「三」丁目なのも、公式な表示にしたい、との思いからです。
[14863] 2003年 5月 7日(水)19:52:06【3】三丁目 さん
本落書き帳での検索方法(工夫)
[14822]ゆうさんの書込み
[14851]雑魚さん
最近不機嫌気味のデータ検索機能の代替措置を示されましたが、過去ログ検索が今ひとつ実効的でない
ワタクシより以前の、いにしえからこの落書き帳の常連さんでいらっしゃる方々から、さようなお話を頂くとは、意外に思いました。たしかに、昨今必ずしも自分が指定した条件では、検索結果をえられないことが、ありましたけれど。
私は、以前、オーナーグリグリさんから示された(この件に関しては、記事検索しませんでした、スミマセン)期間を区切って検索する方法で、対処しております。というのも、今回加えられた機能を見ますと、2003年2月以降から書込み件数は急増しています。だから、私が検索するときには、期間を分け(今のところは2003年以降と2002年以前)、件数も最大20件までにしています。そうすれば、私が検索した限りでは、だいたい結果を得られますよ。それで、いかがでしょうか?今後もこの書込みペースだと、もう少し期間を短くする工夫が必要かもしれませんが。
なお、私が釧路区を外からの検索で見つけたのは、私の怠慢です。まさか、そんな話題は過去に出とらんかったろう(過去ログを飛ばし読みした私の記憶にもなかったし)、という思い込みで、落書き帳内では、検索をサボっていたのでした。
[14859] 2003年 5月 7日(水)18:41:02【1】三丁目 さん
太白さんからの戴き物(その2)
[14050]太白さん
○丘珠空港の無念:いや、別に丘珠のことが知りたいのではなく、何故新空港は離れた千歳に立地されたのでしょうか。また、なぜまだ新しいのに「新」千歳空港になったのでしょうか。
空港の話は、私自身は全く知らなかったものですから、我が地理アドバイザーと協議の上、一部表現に手を加えましたが、以下は、ほぼ原文のとおりです。

丘珠空港は、未だにプロペラ機しか飛べない飛行場であるため、航空機のジェット化によって千歳空港へ需要が移りました。別の言い方をすると、千歳でなくても構わない、プロペラ機を使用する日本近距離航空(現エアーニッポン)が、丘珠に拠点を置いたとも言えます。

丘珠空港は陸軍の飛行場、千歳空港は海軍の飛行場として戦前からあり、どちらも戦後は自衛隊の滑走路を民間が共用する形で、空港ができたのです。

なお、新空港となった経緯については、[14105]まがみさんがご説明されているとおりなのですが、新滑走路は旧滑走路とクランク状(厳密には、H形の縦棒2本が並行にずれて2割くらい重なっている、といった形です。)につながっており、民航機用滑走路がトラブルに陥った場合には、自衛隊用滑走路に降りることもあります。実際に、友人の乗った飛行機が、冬の東京出張からの帰りに、旧滑走路に降りたことがあるそうです。
また、新・旧滑走路の管制塔は一つで、以前と同様に、航空自衛隊が主導権を握っていると何かで見たそうです。そういう点では、「厳密には」共用を解消できたとは言えないのでは、と申しております。

新千歳空港は、旧千歳空港(航空自衛隊千歳基地)とは全く別の飛行場だと思われている節があるから、その誤解?を解くためにも、よろしく紹介してほしいとのことでした。
(でも、考えてみたら、丘珠空港が自衛隊と共用なのかどうかくらいは、自分でも調べた方が良かったかも、と今、気づきました。普段は、自分が調べていることにアドバイスを求めているから、それなりに自信を持って書き込むのですが、この件に関しては、我が地理アドバイザーの言葉を鵜呑みにしておりました。)
[14858] 2003年 5月 7日(水)18:40:46【1】三丁目 さん
太白さんからの戴き物(その1)
[14050]太白さん
○苫東の無念:特に、今この場所がどうなっているのか気になります。
以下、我が地理アドバイザーが、一言もの申したいそうです。
というのも、私がコメントした「苫東は原野のまま」ではちょっと大雑把すぎる、との指摘がありました。私も仕事の関係で走り回っていた地域ですから、言われれば、ああそうだったなぁ、とイメージが沸いてくるので、せっかく書いてくれた友人の丁寧な原文に、若干の加除修正を加え(もちろん本人の了解を得ましたが)ご紹介したいと思います。それで。

苫東工業地帯は大きく3つのエリアに分けると説明しやすい、と友人は申しております。(行政的には6つに分かれ、臨空柏原地区、臨空東地区、臨海臨港地区、臨海東地区、臨海北地区、臨海西地区、となりますが、以下は原文を尊重します。)

1つめは苫小牧市街地に最も近い勇払北部の地域で、ここにはいすヾ自動車が早くから工場進出しています。

2つめは、苫小牧東港付近の浜厚真地区で、北海道電力の苫東厚真発電所と共同石油備蓄基地が早くから進出しており、近年はリサイクル施設や、サニックスという廃プラ燃料発電所も建設されています。また、東港にはフェリーターミナルができて流通拠点になりつつあり、海洋レジャーの普及から、マリーナ構想もあるとも聞いています。

3つめは、早来町遠浅に近い北部の柏原地区で、新千歳空港に近いという利便性から臨空工業団地として、自動車部品工場や、ハイテク関連の工場が進出しており、最も工業団地らしい体裁を見せています。

全体としては、重厚長大産業を意識した臨海部の広大な用地は、ほとんど空地のままで、内陸の一部地区だけが、臨空工業団地としてそこそこの発展をしている、といったところではないでしょうか。

なお、今の風景は、元々の原野が開発に失敗したためそのまま残っている、という印象がありますが、苫東構想以前には、既に開拓された土地だった部分もあります。だから、必ずしも手付かずの原野が、以前の姿のまま残っている、というわけではないようです。申し訳ありませんが、どのあたりが買収された土地で、どのくらいの割合か、等の詳細については、苫小牧市立図書館で調べる必要があるものですから、この程度の記述にとどめさせて下さい。

太白さん、重ね重ね、ありがとうございました。頂いた塩をかじりながら、書き込み日数を長らえているところです。[14732]uttさんには申し訳ないのですが、用意している胆振・日高関係は、書込めるまでにもう少し時間を頂けますか?そのかわり、4週間ほどの間に熟成?してくるはずですので。
[14810] 2003年 5月 6日(火)23:04:13三丁目 さん
「てん」の略称に続けて(蛇足につられて)
[14805]まがみさん
大阪教育大学附属天王寺高校のことは「ふてん」と略し、私立四天王寺高校のことは「よんてん」と略します。NHKのドラマ「まんてん」の舞台になったのは、「てんよん」とか「てんろく」のある辺り。その中間の「てんご」には、大阪市北区役所があります。
「てんこう」=大阪府立天王寺高校でしたよね。たしか。つい「てんご」に惹かれてしまいました。
[14808] 2003年 5月 6日(火)22:47:40三丁目 さん
一応の報告、とお礼、と宿題?と。
[14696]kenさん
ここの外から、いきなり、Googleで居住地、出身地で、メンバー表がヒットしてしまうというのは、(よく考えればあたりまえですが)ちょっと恐い感じもします。
[14698]オーナーグリグリさん
検索エンジンロボットからの検索対象外とするタグを過去ログ、メンバー紹介ページなどに追加しました。

実はこの件、拙稿[13312]を書くにあたり、「釧路区」でネット検索したときに、落書き帳の過去ログに引っかかって、[4848]夜鳴き寿司屋さんと、[4867]ゆうさんの書込みが出てきたのです。このときは、当時の「区」になるための条件を、念のため調べたいと思って検索したのですが、過去に釧路区のことが話題に出ていたのに気づいたから、助かった、落書き帳はさすが侮れない、と思っていたのでした。

私は、BIGLOBEサーチAttayoを検索に愛用しているのですが、本日、職場から検索してみたら、過去ログにやはり引っかかって、読めますね。
落書き帳 過去ログ [4800][4899]
... [4867] 2002 年 11 月 14 日 (木) 00:07:21, ゆう さん. 釧路・釧路. [4848]夜鳴き寿司屋さん >1920年に当時の釧路郡釧路町が北海道区制が施行された際に「釧路区」と「釧路村」に分離市街化していない地域を「区 ...
と出てきて、読めます。なぜ私の書込みには引っかからないのか、よくわからないのですけれど。
気になったから「居住地」「出身地」「メンバー紹介」の3つを並列のキーワードにすると、「落書き帳メンバー紹介」が、いきなり2番目に出てきて、ビックリしました。とりあえずの、ご報告です。

[14287]でるでるさんへ
連休明けでやっと返事がもらえて、我が地理アドバイザーも、たぶんこの話だと思う、とのことでした。ありがとうございました。

[14732]uttさん
>胆振・日高地方であれば、風景がまぶたに浮かぶ?得意ジャンルなのですが・・・
おお!!楽しみにしておりますよ!!
ZZZ、ZZZ。すいません。まぶたを閉じたら、眠ってしまいました。Zzzさん、お名前を語ったみたいですいません。やると思われてたかなぁ(汗)。見え見えでしたか?
[14718] 2003年 5月 5日(月)19:29:11【1】三丁目 さん
YSKさんと、TKS-Hさんへのレス
YSKさんへ
ヒョエェエェ~。素早い対応に驚きました。北方領土について、書き込んでから1時間も経たないうちに、アーカイブズに採用されていたので、ビックリしてしまいました。書き込み訂正したついでに、気が向いたのでアーカイブズを覗いてみたら、北方領土がテーマに。拙稿も採用されているではありませぬか。。あまり、ご無理なさらないでくださいね。

[14440]TKS-Hさん
(日銀の)小樽支店の廃止は北九州支店の廃止と抱き合わせで表明されたのですが、小樽支店のほうが廃止まで進んだのに対し、北九州支店のほうは事実上沙汰やみの状況になった、この違いがどこにあるのかはちょっとわかりません
あなたさまは、何ゆえ、さようなことを存じていらっしゃるのですか?私は、地元北海道民として小樽支店廃止のことを知っていましたが。はたして政府系のCIA、はたまたKGB(古いかな?)あるいは「エロイカより愛をこめて」バリのご活躍???
ちょっと真面目に考えると、日銀北九州支店は、まがりなりにも政令指定都市にあるのに対して、小樽支店は、たかだか16万人という人口・経済規模だったから、小樽のみ廃止されたのではないでょうか。また、
[14440]TKS-Hさん
戦前、源頼朝の征夷大将軍就任の年は「鎌倉、人でいっぱいに」と覚えていたそうです。
建久3年=西暦1192年=皇紀1852年  →→  1852=イッパイニ
かつて「班日記」という、ま、いわば学級運営上担任の先生が実施していた「集団交換日記」で、私は皇紀とかイスラム暦で何年とかカッコツケテ?書いていましたが、さような年号の覚え方は、初めて知りました。
[14715] 2003年 5月 5日(月)17:15:17【2】三丁目 さん
北方領土、from根室
[14066]TACOさん
[14083][14149]ニジェガロージェッツさん
[14153]kenさん
[14279]TACOさん
としばらく北方領土関係が続きましたが、遅ればせながら、私は、根室市の立場から。というか、自分自身では、このことについて、特段の意見を持ってはいないのです。だから、市のHPからは統計的なデータをほとんど得られなかったため、別件も併せて根室市役所にお問い合わせしたときに、下記資料を送って下さったので、そのご好意に感謝する原稿とします。
頂いたものは
(1)根室(2003市勢要覧)
(2)根室市統計書(平成14年度)

それで、長くなりますが、根室市の歩みを2/3くらいに端折って、以下「」内に引用します。

「1882年(明治15年)に北海道三県の一つとして根室県庁が設置され、根室の開発が進みました。カニ、コンブ、サケなどの北方領土近海の豊かな資源に恵まれ、水産業を中心に発展し、1900年(明治33年)には人口14,000人余りを数え、道東一の活況をみせました。

1945年(昭和20年)の戦災によりマチの大半を消失し、さらに北方領土をソ連邦に不法占拠されたため人口は減少し、産業、経済の復興も一時は危ぶまれましたが、北洋漁業を中心とした水産業で立ち直り、我が国有数の水産都市として発展してきました。

1977年(昭和52年)の経済専管水域200カイリ施行、さらに1992年(平成4年)からは公海でのサケ・マス沖獲り禁止などにより、漁獲高が減少し厳しい状況におかれています。

新しい海洋時代に対応するため、沿岸漁業資源の増養殖をはじめ、水産資源の高次加工などの振興策を積極的に取り組んでいます。また、北方領土返還要求運動原点の地として、さらに国民世論を高め、北方領土返還実現による日ロ両国の平和条約が、早期に締結されるよう全国民の先頭に立って変換運動を展開しています。」とあります。

また、市史とは別に、北方領土返還運動の歩みも載っていました。これは一部の紹介にとどめますが、
「日本固有の領土である国後島、択捉島および色丹島、歯舞群島は、父祖伝来の地であり、これをふたたび我々の手にもどそうとの目的のもとに、この根室の地から叫ばれたのは、終戦直後である昭和20年の秋ごろからである。(中略)

昭和20年9月5日までに北部、中部千島、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の占領を終えたソ連は、9月19日、クリル諸島(千島列島)と南樺太の領土宣言を行った。(中略)

根室と国後、択捉などの島との関係は地理的にも歴史的にも、経済的にも切り離して考えることのできない深い間柄にあった。島の人々は根室の人たちを「本家の人」と呼び、根室の人々は「島の人」と呼んで、たがいに行き来し、また、親戚関係の人もかなりあって、両者の間における親密の度合いは想像以上のものがあった。(以下省略)」

ちなみに、北方領土に係る組織(課以上という意味で)が道内の自治体の中であるのは、下記のとおりです。
北海道庁総務部北方領土対策本部
根室支庁地域政策部北方領土対策室
根室市役所総務部北方領土対策室

なお、根室支庁管内の4町(別海町、中標津町、標津町、羅臼町)では、それぞれ「係」として事務局を設けていますが、支庁管内で横で連携して何かを行う、というよりは、縦組織として道庁~支庁~市町とつながっているそうです。だから何ってわけでもありませんが、個人的興味で確認してしまいました。

根室市統計書には、根室市役所内だけで作成されたものばかりではなく、民間事業者を含め、いろいろなところから集められたデータが載っており、私には興味深かったのです。たとえば、根室市内では、鉄道駅でよりも、バス路線での乗降客の減少のほうが大きかったのは、意外でした。データをどのように紹介したものか、難しかったものですから、今回はご紹介しませんでしたが、載せたほうが良かったですか?

もともとは、北海道に県が置かれたときに、なぜ釧路県でなくて根室県なのだろうという興味だったのです。根室、釧路ともネモロ、クスリとアイヌ語に由来する古い地名で、ともに沿岸部で初期から開拓はされているのです。根室市のあゆみには「道東一の活況」とありますし、根室県が設置の1882年(明治15年)当時は、釧路よりは根室の方が、中心的な存在だったのだろう、と推測しました。あるいは、北方警備の要衝の地として考えられていたからでしょうか?

よくわからなかったながら勝手に述べますが、土地に執着する傾向が強い、日本人の心情を考えると、たとえ釧路集落の方が大きかったとしても、根室の名前を前面に出すことで、根室地元民の、北方警備へのプライドを高めたのかしら、とも思いましたが。これは、完全に私の推測です。


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