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[15652] 2003年 5月 21日(水)18:35:50【2】三丁目 さん
富良野(太白さんからの戴きもの編)
[14604]太白さん
むしろ、富良野が観光開発に成功したのは何故かが若干気になります。ソフト面で成功したのか、あるいは「北の国から」効果か…(例えば、大河ドラマの舞台となった街は観光客が増えると聞きますので)

この件に係るお答については、我が地理アドバイザー(旭川出身だから、自分の庭のようなものと豪語してますが)からの情報をメインに進めます。それで、結論からすると、なんといっても、「北の国から」効果が大きいと思われます。

大河ドラマならば1年限りで、観光ブームもすぐに冷めてしまいますが、「北の国から」は、20年にわたって何年かおきに続編が放送されるという、一地方を舞台とするTVドラマとしては異例に長いシリーズであったため、富良野は長い間、観光客に忘れられることなく、ネームバリューを保ち続けることができたのでしょうね。倉本聡サマサマです。

上富良野町のラベンダー、中富良野町の富田ファーム、富良野市の麓郷の森(北の国からのロケ地)と、1日コースで回れる一連の観光の目玉が、特に若い女性にウケたことと、フラノスキー場周辺に、ホテル、ペンション街が発展し、宿泊客の収容力となって、多くの観光客が訪れることとなりました。

また、北海道の真ん中という地理的条件も、発展の一因と思われます(富良野市自称、北海道のヘソ)。古くからの観光地である、登別温泉・洞爺湖地域と、阿寒湖・摩周湖地域からは距離が遠いため、同様な立地であるトマム(占冠村)、サホロ(新得町)などとともに、その中間宿泊地点にあたります。これら二つが山岳リゾートなのに対して、富良野は、広大な田園風景が特徴的だったために、異なった風景を持つ魅力が、アピールしたものと考えられます。

北の国からシリーズが始まった頃は、ちょうど石勝線が開通した時期(拙稿[15543]をご参照下さい。)と重なり、それまで道東行きの特急列車が停車していた富良野は、スキー客も観光客もトマム等に奪われ、今後さびれてしまうのではないか、と悲観されていましたが、良いタイミングで「北の国から」が始まったものですね。

かつては、スキー場の名は「北の峰スキー場」でした。それがフラノと改称され、本州からもスキー客が押し寄せる、一大スキーリゾートに発展しました。また、ワールドカップが開催されたことも、ゲレンデのイメージアップにつながっていると思います。スキー場の知名度としては、トマム、サホロも躍進したのですが、いかんせん夏の観光目玉に乏しかったために、通年観光客を引き付けることができた、富良野の方が、成功しているのではないでしょうか。

そうはいっても、観光イメージを保ちつづけることは難しいですから、「北の国から」が終わってしまった今は、富良野はこれからどうしようかと、模索しているところのようです。と、地理アドバイザーは申しておりますが、私は、一度よい観光イメージが植えつけられれば、大きなマイナス要因でも発生しない限り、そこそこやっていけるのではないか、と考えております。皆さんは、どう思われますか?やっぱりいずれは、斜陽都市の仲間入り、ですか?

なお、北海道のヘソの話の蛇足として、富良野市では「北海へそ祭り」が、毎年7月に開かれています。HPを読むと、市制施行時に制定された富良野市民憲章に由来するそうで、そういえば、私の先輩社員が富良野在勤時に、この祭りに参加させられた、と言ってたことを思い出しました。
[15601] 2003年 5月 20日(火)19:53:10【2】三丁目 さん
北九州市よりも金沢市の方が?
先日、北陸経済特集をしていた新聞記事の中で、「日銀金沢支店長に聞く」というコーナーがあり、その中で現支店長の経歴が簡単に紹介されていました。本店課長~北九州支店長~本店参事役~金沢支店長、でした。記事では、もうちょっと詳しい経歴が紹介されていましたが、これを見る限りでは、ご栄転されているようでして、えっ?北九州市より金沢市の方が日銀にとって格が上なの?と一瞬思いましたが、

[14440]TKS-Hさん
小樽支店の廃止は北九州支店の廃止と抱き合わせで表明されたのですが、小樽支店のほうが廃止まで進んだのに対し、北九州支店のほうは事実上沙汰やみの状況になった、この違いがどこにあるのかはちょっとわかりません。
を覚えていましたから、納得しました。一般事業会社の人事異動でのご栄転ルートは、たしかに、その都市の経済規模に見合った事業所があることが多いとは思いますが、その会社にとって、その都市がどれだけ大事か(あるいは管轄地域)ということも反映していることを考慮すると、日銀の支店長の人事異動=「支店の格」は、(経済規模的に)比較的ニュートラルな判断で行われているのではないか、と私は思っています。

そういう点で、日銀支店長の人事異動ウォッチャーも、面白いのではないかと思ったのですが、私自身が日銀に勤めているわけではありませんから(苦笑)、全体を見るのは困難なのです。また、何かの機会で目にとまり、面白そうだったら、ご紹介したいと思いました。
ちなみに、経歴を見ると2年に1度異動されているようですから、ちょうど、今年でまる2年の任期を迎えるため、金沢支店長の次はどちらへ異動されるのかなぁと、勝手に興味を持ってしまいました。
[15543] 2003年 5月 20日(火)00:21:24【1】三丁目 さん
道央(札幌)から道東(帯広、釧路)へのルートの変遷
現在は、国道274号線(石勝樹海ロード)で、札幌から一気に道東方面へ行けますが、始めは違いました。まさに、北海道開拓の歴史(比較的最近のこと)、と呼ぶにふさわしい、ルートの変更がありましたから、ご紹介したいと思います。

道東方面へとつながる道路の最初の整備は、狩勝峠越えで、滝川~富良野~帯広へと、1897年(明治30年)に開通しました。ただし、この道路は、現在の狩勝峠越えよりも6km南の別ルートで、馬車の通行もままならない狭路だったため、現在の狩勝峠に道路開削されたのは、1931年(昭和6年)です。

このルートが、最も低い標高で山を越えられるためで、国道38号線として、最初の道東への幹線道路でした。この道路は、札幌から国道12号線で北上し、滝川を起点としてここで東へ曲がり、芦別、富良野、南富良野(幾寅、落合)から狩勝峠を越えて、新得、清水、芽室を通って帯広、釧路へと続きます。

札幌から帯広への最短コースは、夕張市、清水町、と抜けていく山間部ルートですが、その一部として、日高町から清水町までの日勝峠ルート(国道274号線)ができます。これは1965年(昭和40年)のことです。このルートは、札幌~(国道36号線)~苫小牧~(国道235号線)~富川~(国道237号線)~日高町~(国道274号線)~帯広、と大きく南を回るため、札幌~帯広間は、札幌~滝川~帯広(国道12、38号線)ルートに比べると、43kmの短縮にしかなりませんでした。

次に、夕張市から穂別町までの山間ルートが、道道から国道274号線へと1970年(昭和45年)に移行し、苫小牧を回らずにすむようになったことから、札幌からの経路は国道274号線の札幌市・厚別~長沼~由仁~夕張(川端、紅葉山、楓)のコースに変わりました。この時は、夕張から山越えした後、一度穂別町稲里で現道道74号で南下し、穂別町の中心を通り、現道道131号で穂別町富内を通って、平取町幌毛志、振内に出ます。ここから国道237号線で、日高町まで行くというルートです。

1985年(昭和60年)、国道274号線は、穂別町福山まで開通しました。このときは、国道274号線で福山まで行き、そこから現道道610号で南下して穂別町富内まできて、それから現道道131号で幌毛志に出て国道237号線を北上と、このあたりは先述のルートと同様です。たぶん、私が通ったのがこのルートだと思うのですが、片道1回しか通っていないので、記憶に自信がないのです。また、道道の状況から考えると、冬場はたぶん、穂別町福山まで東進はせず、穂別町稲里で南下したと思います。

そして、1991年(平成3年)に、夕張から日高町までの通称石勝樹海ロード(国道274号線)が全線開通し、札幌~夕張~日高町~日勝峠~清水町~(国道38号線)~帯広の最短コースが、道東への主要幹線になりました。最後に完成した、穂別町福山~日高町の区間は最も難所で、長いトンネルと谷間橋が連なる、近代土木技術ならではのルートです。

その後、道央自動車道の恵庭、千歳間のジャンクションから夕張まで高速道路ができ、清水町から池田町までの道東自動車道もできましたが、石原行革担当大臣をして、熊しか通らないと言わしめた、「閑」線道路となっております。

ちなみに、道央から帯広・釧路方面への鉄道ルートは、1907年(明治40年)に、札幌~旭川~富良野~落合~帯広経由として開通しました。それが、1913年(大正2年)に滝川~富良野間が開通したことにより、長らくそのルート(現根室本線)による輸送が続きました。それから遅れること約70年、1981年(昭和56年)に石勝線が開通したことで、ようやく現在の鉄道体系ができあがったのでした。以後、札幌と帯広・釧路とを結ぶ特急列車は、滝川・富良野経由から、すべて石勝線経由に変更されて、所用時間が1時間余り短縮されました。

かつて、陸の孤島と呼ばれた占冠村は、石勝線開通以前は、根室本線・金山駅から、または旧富内線・日高町駅から峠を越えていくか、しか交通がありませんでした。しかし、同線開通後は、石勝高原駅(現トマム駅)、占冠駅が特急停車駅となり、日高町は富内線の廃線で、立場が逆転してしまいました。

日高町も、その後の石勝樹海ロード開通のおかげで、陸の孤島にはならなかったものの、鉄道を利用して札幌へ行くためには、バスで占冠に行ってJRに乗り継ぐのが最短コース、という状況なのと、バスで札幌へ行く場合の直通の本数が多くないことから、立場の低下は否めません。ただ、札幌から帯広へ向かう観光バスは、「夕張市紅葉山から清水までの長い山岳区間のうち、町らしい町は、ほぼ中間の日高町だけであるため、道の駅・日高は、行楽シーズンには、トイレや売店レジに行列ができる大盛況です。」とのコメントも、我が地理アドバイザーからもらっています。

どちらかというと、占冠村は躍進、日高町はそこそこ、穂別町は無念(主要幹線から町の中心がはずれた)、なのではないでしょうか。

[14259]uttさん、
○占冠の無念・・・石勝線は通っているものの、なぜ石勝樹海ロードのコースから外れたのだろうか?峠の高さから見て、占冠~トマム経由のルートの方が経済的で維持(除雪)も容易と思われるのだが。
ということで、国道274号線のルートの経緯、そして鉄道の石勝線開通とあわせると、前述のように、私には思えたのですが、いかがでしょうか?

[15510]seahawkさん
道東自動車道
工事の難所でも札幌とつなげなければ意味がないと思います。もし道央道とつながれば、道東は農業、漁業がさかんなのである程度のメリットは期待できるのではないかと思います。
このお話しがありましたので、この原稿を繰り上げ書き込みしましたが、「熊の道」がそれほど改善されるとは、私には思えないのですけれど、ね。まっすぐな道でトンネルが山を貫くルートばかりだと、冬場の利用は少しはマシかもしれませんけど。でも、それだと建設費がかなり高くつきますよね。
[15459] 2003年 5月 18日(日)16:21:52【2】三丁目 さん
アーカイブテーマの推奨エラー、は、解消できました。
[15452]オーナーグリグリさん
>以前、一度作業したからでしょうが、暗証コードの入力は求められません。
この件、よく分かりません。「暗証コードが違っています」のエラーが出た場合には、次回も「暗証コードの入力」を求める設計になっています。技術的に言えば、エラーの場合にはクッキー保存は行いません。
舌足らずな表現で、申し訳ありませんでした。この件については、両毛人さんが、[15380]で教えて下さった
Cookieを削除してみてください。ツール→インターネットオプションと選択し、真ん中の「インターネット一時ファイル」の部分の「Cookieの削除」で、Cookieを削除します。
で、対処できました。私が以前、まとめてアーカイブ推奨したときは、1件登録が終わるたびに、戻るボタンで戻したところ、最初の2、3件はうまく入ったのですが、それ以外はうまく推奨が入っていなかったのです。それで、昨日改めて、推奨作業を行ったところ、前述の暗証コードエラーメッセージが表示されたのです。両毛人さん、お礼が遅くなりましたが、どうもありがとうございました。
ちなみに、今朝は、1件推奨が終わるごとに、落書き帳トップページを改めてよんで、そこからアーカイブを推奨するようにしました。ただ、どこに私の暗証コードが保存されたのかわからないのですが、それでも暗証エラーが出ましたから、毎回「Cookieの削除」を行い、暗証コード画面を呼び出して、推奨しました。今回は、気になりましたから、念のため、全部の推奨を終えてから、いったん電話を切って、もう一度つなぎ直してから確認したら、全部推奨が入っていました。
たぶん、今後も新規テーマで私が推奨する際は、毎回「Cookieの削除」を行ってから、という手順になるのかな、とは思っていますが、私自身は、その作業はたいした手間とは思っておりませんけれど。

なお、フォントサイズについては、現在の表示に私は慣れましたから、このままが良いと私は思っています。たしかに、マルなのかテンテンなのか判別し難いという点はありますが、文脈の流れで、わかりますし、自分が手持におきたいお話については、ワードにコピーするなどで、個人的に保存していますしね。

あ。それと付け加えるようにお願いして申し訳ありませんが、拙稿[15186]にある「トカチプ」を「トカプチ」に直して頂けませんでしょうか。その後の文章の流れが若干、崩れてしまいますが、[15272]を、アーカイブで一緒にして頂けなければ、誤ったままになってしまい、それでは角川書店に申し訳ないものですから。
[15377] 2003年 5月 17日(土)06:07:45【1】三丁目 さん
アーカイブテーマの推奨エラー
このアーカイブを推奨する>初めてのときは暗証コードの入力>推奨しますをクリック
とすると、以前、一度作業したからでしょうが、暗証コードの入力は求められません。それで、推奨しますをクリックすると、暗証コードが違っています、とエラーになってしまうのです。もう一度、暗証コード入力作業をする必要があると思いますが、WindowsXPが?IEが?PCが?覚えてしまっているようなので、どうすれば入力画面を呼ぶことができるのでしょうか?
お恥ずかしい質問で恐縮なのですが、ワタクシ、パソコンは作業のツールとして、必要最低限のことしか知らないのです。基本的には自助努力するのですが、知らないことのほうが多いものですから(汗)。
[15351] 2003年 5月 16日(金)19:10:46【2】三丁目 さん
記事検索機能アップでオーナーグリグリさんに感謝っ!、とレス、とリンクの仕方について
[15292]オーナーグリグリさんへ
実はかねてから、記事検索については、期間よりは、記事番号で区切った方が良いのではないか、と思っていました。でも、そのことは、なんか余計な作業をお願いするようで、控えていたのです。それと、最近は、検索をすることなく、辞典丸写しネタで、コツコツとやってましたし。
久しぶりに記事検索画面を開いて、私のイメージしていたとおりになっていたので、うれしくなりました。これで、釧路区の検索をサボッたりはできなくなりましたね(笑)。本当に、どうもありがとうございました。

[15260]太白さん
(北海道の支庁名の由来が)アーカイブスに収録されたようですので、お勧めに指定させていただきました。
過分なお言葉、ありがとうございます。せっかく頂いた塩ですから、大切にしていますよ、フフッ(笑)。でも、こんなにダラダラと、他のことまで書くとは、予想されていなかったのではないでしょうか?私が手をつけるからには、19支庁まで遡って、ゼ~ンブ調べちゃいますよ\(^O^)/
なお、他のテーマについても、我が地理アドバイザーからは、コメントをもらったところなのですが、空港や苫東とは異なり、私のテイストを少々加えているところですので、今しばらくお待ち下さいませ。
ただ、今回の語源調査で、室蘭の由来モロランは、室蘭民報かどこかで読んだ記憶はあったのですが、あそこまで具体的な記述があることをもっと早く知っていれば、崎守付近をもう少し注意深く見ておけば良かったのに、とちょっと後悔しました。
また、「箱」館も、諸説があることを初めて知りました。館が箱に見えるから、と、どこかで目にしたそのままと、思っていましたから。

[14259]uttさんへ、も、太白さんと同様なのです。ただし、大樹町については、いろいろと調べているのですが、どうしても、雪印という一企業の話がメインになってしまうから、どのようにまとめたら三丁目風味にできるか、悩んでいるところなのです。大樹町HPからは、私が期待するような情報が得られなくて、雪印の話に深入りしないようにすると、辞典情報の切り貼りになってしまうから、話が膨らまないのですよねぇ。ちょっと難しそう、というか、テキトーにしてしまうかもしれません。その節は、ご容赦くださいね。

[15280]YSKさん
問題提起→提起への回答→問題の解答編 という流れを重視しました。
了解しました。いろいろ工夫されているのですね。ご努力には、頭の下がる思いです。
ちなみに、今朝、推奨作業を行ったのですが、職場で確認したら、また入らなかったので、もう一度しますね。手順は、以前行ったとおりしていますから、間違っていないはずなのですが。
それと、これは迷っているところです。北海道の14支庁管轄字図(作成済)と、1897年当初の19支庁管轄字図(作成中)なのですが、書き込むかどうか、です。支庁境に必ずしも大きな意味があるような気はしませんが、なかなか、19支庁で分かれた図が、ネットでは見つからなかったものですから。見比べるのも面白いかな、と思ったものですから(現在に至るまでには、郡の一部が動いたりしているので)。旧国名別はリンクフリーサイトを見つけましたから、そのURLをご紹介しようかと考えていましたけれど。
それで、これに関連して下記の質問につながりますが、

[13277]ゆうさん
まず、相手先サイトでリンクに対する考え方が書いてあれば、それに従うように努めるのがいいと思います。
私がURLを紹介する場合は、公共団体以外の、法人又は個人が作られているHPの場合、トップページを探してリンクフリーに類する言葉があればご紹介しますが、そのような言葉が見つからなかった場合は、控えているのです。この姿勢でのぞんだ方が、安全ですよね?
[15347] 2003年 5月 16日(金)18:40:06【2】三丁目 さん
支庁名の由来(旧19支庁等編。ラストです。)
今回の出典も、角川日本地名大辞典(昭和62年10月8日発行)です。

札幌:古くは「しやつほろ」ともいい、察糸晃(糸辺に晃です)・札糸晃(糸辺に晃です)などとも書いた。石狩地方中部、石狩平野西部の琴似川・伏籠(ふしこ)川・豊平川流域。地名の由来には諸説があるが、アイヌ語のサッポロベツ[乾いた大きな川・乾く広い川の意]による説が通説となっている(札幌市史)。

函館:函館の地名は、享徳3年に松前藩の祖武田信広とともに蝦夷地に渡ったといわれる河野加賀守政通が建てた館が箱の形にみえたので箱館となったとする説、アイヌ語のハクチャシ[小さな館]からきたとする説(北海道蝦夷語地名解)、河野政通が文安2年に館を築いたとき、土中から筐筥(かごと箱)が出たので地名にしたとする説(蝦夷実地検考録)など諸説がある。

亀田:地名の由来には諸説がある。第1は、亀田一帯をシコツ[大谷の意]と称したが(北海道蝦夷語地名解)、和人が死骨に通ずるとして亀田と改めたとする説(松前紀行)。第2は、「(蛎崎)蔵人十ケ年前より北州カンメテ(今云亀田)切開と号」により(東北太平記)、カンメテが亀田となったとする説。第3は、現青森・秋田・新潟の3県に亀田の地名が多く、同地方からの移住者が出身地名をつけたとする説。第4は、「(亀田村の)湖は往古より大亀の済めるを以って四方を亀太の郡と云ふ」による説(明治19年各村創立聞取書)などがある。

松前町:地名は、アイヌ語のヲマツナイ[帰人のいる沢の意]に由来するとも(蝦夷地名考并里程記)、マッオナイ[帰人のいる所の意]に由来するともいわれる(北海道蝦夷語地名解)。いずれも、もとは現在の大松前川沿いの地名を指したものらしい。
すつつべつ:地名は、アイヌ語のシュフキペッ[茅の多い川の意]に由来し、寿都の語源ともなったという(北海道蝦夷語地名解)。なお、シュプウ[茅のある山崎の意]によるともいう(西蝦夷日誌)。
岩内:地名の由来には、アイヌ語のイワヲナイ[硫黄沢の意]による説(蝦夷地名考并里程記・西蝦夷日誌)、イヤウナイ[熊肉を乾かす沢の意]やイェオナイ[軽石が多い川の意]による説(北海道蝦夷語地名解)がある。

小樽:古くはヲタルナイといい、小樽内・穂足内とも書いた。地名の由来には、アイヌ語のヲタルナイ[砂の解ける小川の意]による説(蝦夷地名考并里程記)、ヲタルーナイ[砂路沢の意]による説(西蝦夷日誌)、オタナイ[砂川の意]による説(北海道蝦夷語地名解)、オタオルナイ[砂浜の中の川の意]による説(北海道駅名の起源・小樽市史)などがある。
増毛:古くはマスケともいい、増慶とも書いた。地名は、アイヌ語のマシュキニ[漁獲がとても多い所の意]に由来するという(北海道蝦夷語地名解)。また、マシケの意味には「鴎の多いところ」(西蝦夷日誌)、「焼いて背負う」(蝦夷地名考并里程記)、「良い」(丁巳日誌)などの諸説があるが、どれも鯡が多い、漁獲が多い意味に関連している。

室蘭:古くはモロランといい、諸蘭・茂呂蘭とも書いた。地名は、アイヌ語のモルエラニ[小さな下り路の意]に由来し(新室蘭市史)、この坂道は現崎守町仙海寺下の小路にあたる。
浦河:古くは「むくち」ムコチといった。地名は、アイヌ語のウララペッ[霧川の意]に由来し、元浦川の河川名にちなむ(北海道蝦夷語地名解)。なお、旧名のムクチは、アイヌ語のムコッチ[ツルニンジンのあるところの意]に由来(同前)。
河西郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、十勝川の西部に位置することによるというが、実際には十勝川の南に位置している(北海道の地名)。

紗那:地名は、アイヌ語のシャンナイに由来するといい、下る沢の意。
千島国:国名は、古くより北海道の本島を含めて「蝦夷ケ千島」と称していたことによる。
[15277] 2003年 5月 15日(木)20:32:07【2】三丁目 さん
推奨アーカイブテーマ
実は、朝に作業したときは、もうちょっと多くご推奨したのですが、IEで「戻る」を繰り返したら、少しだけになってしまいました。だから、朝の電話回線がすいている時間に、もう一度作業します。ただ、私がお奨めするのは、「自分」が面白いと思ったテーマ、興味を持ったテーマ、かねてから疑問・不思議に思っていたテーマ、ということになってしまうのですけれど、ね。
ところで「西宮市北部、塩瀬地区と山口地区が「西宮市」である経緯」を、朝お奨めしたのですが、あれも入らなかったようですから、もう一度やり直しますけど。同じ西宮市内なのに、市外局番が078で、あの地域に住むクラブ員に連絡するときは、なぜ同じ西宮市内なのに、市外通話なんだろう、と思っていたからです。それで、あのテーマが記事番号順になっていないのは、何か意味があるのでしょうか?通常は、若い番号の順ですよね。でも、あれは、らるふさん、ニジェガロージェッツさんの書込みが、後ろの方になっているので、あれれ?と思いました。
[15273] 2003年 5月 15日(木)20:05:13【2】三丁目 さん
3市広域行財政検討会(室蘭市、登別市、伊達市)
3市広域行財政検討会が平成14年に設置されましたが、各市のHPを見ると、トップページで市町村合併がすぐにわかるようになっているのは、室蘭市くらいで、登別市、伊達市のHPではどこにあるのか、見つけられませんでした。

そもそも、この3市が合併して「西いぶり市」(ワタクシの案)になるかというと、はてさて。というのも、室蘭市と登別市は、隣接する地区同士で、平坦地で一体となった市街地を形成しています。しかし、室蘭市から伊達市方面へ向かうと、ちょうど崎守のあたりから高くなり、白鳥台があって、黄金、稀府と地形的な制約を受けていることもあり、集落が途切れているのです。
ということで、登別市は細かくご紹介しますが。

1873年(明治6年)幌別郡村名布告、登別村・幌別村・鷲別村の3村となる。
1874年(明治7年)幌別郡各村戸長役場を幌別村に設置。
1919年(大正8年)三か村を大字とし、幌別村発足。(合併、と言うことでしょうね。)
1950年(昭和25年)幌別村開基80年記念式典。
1951年(昭和26年)幌別町制施行。
1961年(昭和36年)幌別町を登別町に改称。
1970年(昭和45年)登別市制施行。

この経緯から見ると、幌別がこれら地域の中心的な存在(行政的にも、郡名にあるくらいですし)だったから、幌別村になったのだと思われます。それが、全国的に有名な登別温泉の名を自治体名に使用することで、知名度のアップを図ったのでしょうか。

以前、白桃さんが[12140]で、幌別町と書かれていたことから、初めて登別市が幌別町であったことを私は知った、と書きましたが、それでも人口(今回はご紹介していませんが世帯数も)は、下記データのとおり、鷲別地区の方が多いです。ここは、室蘭市と隣接して、一体となった市街地を形成している地域です。かつては、幌別地区の方が人口が多かったのですが、1960年頃から鷲別地区内で区画整理が始まったことで、人口が増えました。

ご紹介が遅れましたが、登別市は大きく4地区に分かれ、ちょうど室蘭本線の駅と、概ね一致します(富浦駅周辺は、登別地区になります)。地区別の人口推移は、各年の9月末現在での住民基本台帳ベースになりますが、

地区名平成12年平成13年平成14年平成12年から14年へ減少した率(単位:%)
温泉地区1,9171,8281,7458.97
登別地区5,2995,2235,1383.04
幌別地区23,17922,99623,0970.35
鷲別地区25,29325,16025,0131.11
全市計55,68855,20754,9931.25

本当は、登別市HPによると1983年(昭和58年)時が最盛期人口59,481人ですから、それと比較すれば、差がわかりやすいのではないかと思いましたが、今回は、簡易な調査で済ませています。この3年間での推移だけでも、温泉地区での減少が顕著ですね。斜陽都市と言われると引っかかるところはありますが、人口が減少傾向にあることには間違いありません。

登別市から他市町村への就業者のうち、室蘭市へ向かう人は89%、伊達市のそれは49%です。また、通学者のそれは、登別市から室蘭市が92%、伊達市のそれが56%と、いずれの割合も、登別市と室蘭市の結びつきは強いです。大雑把に言うと、伊達市の室蘭市との親密度は、登別市の半分くらい、という感じです。(いずれも平成12年の国勢調査による)

それで、仮に3市が合併するとなると、どうなるでしょうか。
まず、伊達市は、地名・歴史へのこだわりが根強いのでは、という印象を受けました。伊達市HP>まちの歴史>伊達誕生記、を見ると、市町村の公式HPで、こんなに長く歴史を紹介しているところを、見たことがありません。開拓の祖伊達氏の起こりとして、12世紀から書き始めて長々と。とりあえずA4で打ち出してみたら、18ページにもなりました。とても、全部には目を通す気になりませんでしたよ、私は。だから、伊達市は、3市合併には加わらないのではないでしょうか。どちらかというと、虻田町、壮瞥町、洞爺村の方へ目が向いているようです。

と、だいぶ前からこの原稿を用意していたら、昨日(5/14)の北海道新聞に「伊達市に隣接する4町村(虻田町、壮瞥町、洞爺村、大滝村)が、伊達市への合併に動き始めた、と載っていました」との情報が、我が地理アドバイザーから寄せられました。私もネット道新を早速見ましたが、紙でパラパラと読むのとは違うから、この情報は見つけられませんでした。

なお、室蘭市については、新しく加える記述も特に浮かばないため、記憶だけで書いた拙稿[9574]、それを[11075]にて補足しましたから、もしよろしければご参照下さい。

ということで、合併の可能性があるとすれば、室蘭市・登別市ではないかと、私は思っています。「登別・室蘭合併協議会設置を求める市民の会」というのもできましたしね。もともと、両地域の市外局番も0143で共通でしたし。そうなると、新・室蘭市の誕生でしょうか。

でも、いろいろと調べてみると、登別市民にもいろいな思いがあるようです。室蘭市との合併に前向きな意見がある一方で、「なぜ室蘭市と一緒になるのか、白老だってある」など、合併相手を室蘭市に限定することに、慎重な意見の方が多いみたいです。そもそも、昭和の大合併時に、やはり登別・室蘭での合併話が浮かんだそうですが、当時は、日の出の勢いの室蘭市と、町制施行から日が浅い幌別町という関係でも、結局、立ち消えになってしまいました。

現在も、室蘭市議会では、登別・室蘭合併協議会設置を可決したのに、登別市議会は、この3月に否決しました。室蘭との合併しか考えられない、ではなく、広域的な視野で検討したいから、が理由だそうです。室蘭側からすると、4月の選挙を受けて、登別側がどう変わるかなぁ、という感じのようです。

元登別市民のワタクシとしましては、鷲別地区に住んでいたからかもしれませんが、室蘭市との合併がスムーズだと思うのですけれどねぇ。登別市と白老町とでは、ちょうど室蘭市・伊達市が地形的に一体でないのと同様に、市街地が途切れていますから。ちなみに、私のコア(笑)な調査によると、登別市内での4地区では、室蘭市との一体感に、温度差がある、と聞きました。そのあたりが、登別市内で、一体となって室蘭に目を向ける、という感じになっていない理由のようです。
[15272] 2003年 5月 15日(木)19:46:58【1】三丁目 さん
Re: 岩見沢支庁じゃないわけ
[15231]紅葉橋瑤知朗さん
>[角川日本地名大辞典には]北方領土関係について(千島国と紗那支庁)の、記載はありませんでした。
下巻の最後のほうに、北方領土だけ別になっていますが……。
昼休みに、図書館で確認してきました。上巻が地名編、下巻が地誌編ですから、前回図書館にこもったときは、上巻をメインで調べていましたので、下巻にはあまり目を通していなかったのです。でも、すぐおわかりになったということは、あのように高価な本をお持ちなのですか?私は、辞典系は、図書館を頼りにしているのですが・・・。

>帯広支庁にはならなかったのかというと、1897年(明治30年)当時は、まだ帯広という集落は、内陸だったために、開拓が進んでおらず大きくなかったからではないか、と。

う~ん、元が郡役所だったということを考えると…?
逆に、郡役所が置かれながら、帯広の地名が採用されていなかったということは、広域地名としては使えなかったからではないか、と私は考えましたが。それは、岩見沢も同様だし、旭川、もでしょうか。沿岸部は、江戸期から「場所」による広域名が、ある程度はあって、馴染まれていたのに対して、内陸部では、明治以降の開拓の歴史の中で、漢字地名が付けられていったから、帯広・岩見沢・旭川は、一集落の名ではありますが、広域地名にならなかったのではないか、と私は考えました。

ちなみに、我が地理アドバイザーのコメントは、「旧支庁名を見ると、全て旧国名か郡名のようなので、帯広、旭川、岩見沢は、郡名として存在していなかったからじゃないでしょうか。・・・簡単すぎる?」だそうですが。

なお、拙稿[15186]にて、十勝国の由来を、アイヌ語のトカチプとご紹介したのは、誤りでした。私の転記ミスでして、トカプチが正しいのです。本日、図書館にて確認しました。書込み訂正時間には間に合わなかったので、この原稿にて、訂正させて頂きます。

ついでにもう一つ補足すると、拙稿[13312]で、根釧台地の範囲を地質的(土地の成り立ち的)にご紹介しましたが、角川日本地名大辞典の下巻を見ていたら、「地形区分概要図」が載っており、そこには、釧路平野以外の東側は、根釧台地として大雑把に分けられていました。
ちょうど平野の定義のように、土地の成り立ちに注目するか、表面的に見える地形に注目するか、で分類が異なるのかな?と思いました。
[15222] 2003年 5月 14日(水)21:15:50【1】三丁目 さん
Re:十勝
[15209]YSKさん
フォローありがとうございました。
>十勝国:国名は、アイヌ語のトカチプにちなみ、
十勝の旧名はトカプチ
「チプ」ではなくて「プチ」なんですかねぇ。明日の昼休みに、もう一度、図書館で角川日本地名大辞典を確認してみます。
それはそうと、「帯広」の語源は調査されましたか?
ネット検索してみたら、「帯広とは、アイヌ語「オペレペルプナイ」(川尻の壊れたる川の意)から転化したものである。」なんて記述が見つかりました。なお、今回の調査は、ネット検索ではなく、古典的に、図書館ベースで行っていますので、今しばらくお時間を下さいな。というのも、全ての地名由来がネット検索で出てくれば、それを使っちまえ、と思っていたのですが、全部は見つからなかったので、こういう場合は原点に帰って、辞典だな、と。やっぱり、一つの書込みとして纏める場合は、出典は統一しないと、私はあまり好きじゃないのです。
ただ、拙稿[15187]での河西支庁についての感想は、旧国名由来(石狩、後志、渡島、胆振、日高、釧路、根室)以外の旧支庁名(札幌、函館、亀田、松前、寿都、岩内、小樽、増毛、室蘭、浦河、河西)のうちで、現市町名ではないのが河西だけだから、面白いな、程度のつもりだったのです。なぜ、帯広支庁にはならなかったのかというと、1897年(明治30年)当時は、まだ帯広という集落は、内陸だったために、開拓が進んでおらず大きくなかったからではないか、と。帯広市HPからは、市の歩みについての情報を得られなかったものですから。今度、河西を調べるついでに例の辞典で、帯広の項目も見てみようと考えていました。

そ・れ・と。なぁ~んだ。空知の語源をご存じないのかと思っちゃいましたよ、紅葉橋瑤知朗さん(笑)。
[15197]があったので、書込みする順番を変えて、急遽拙稿[15221]をアップしたのですが。[15213]を拝見する限りでは、ご存じのようですね。
[15221] 2003年 5月 14日(水)20:58:19三丁目 さん
北海道の支庁名の由来・2/2(そのものではありませんが)
今回の出典も、特に記述しない限り、角川日本地名大辞典(昭和62年10月8日発行)です。

釧路郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のクスリ場所の一部地域にあたる。郡名は、場所名による。
釧路:古くはクスリといい、久寿里・久摺・久須里などとも書いた。地名の由来に関しては、アイヌ語のクッチャロ[咽喉の意]にちなみ、屈斜路湖畔のアイヌを寛永12年松前藩が現在の釧路に移して場所を開いたことによる説(北海道蝦夷語地名解)、クシュル[越える道・通る道の意]の転訛で、釧路川上流から斜里方面や標津方面へ越す交通路があったことによる説(蝦夷地名考并里程記・東夷周覧)、クスリ[薬・温泉の意]にちなみ、かつて悪病が流行したとき、釧路川の水を呑んだ者は一人も死ななかったという伝承による説(戊午日誌)などがある。

空知郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、アイヌ語のソラプチペッ[滝が下る川の意]にちなむ。
檜山郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、往古当地が檜山であったことによる。
上川郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、十勝川の上流域に位置するところによる。
留萌郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。成立当初は「るるもっぺぐん」と称した。江戸期のル・モツペ場所の地域にあたる。
留萌:古くは「るるもっぺ」「るるもい」「るもえ」ともいい、留萌の漢字表記もあった。地名はアイヌ語のルルモッペに由来し、「此ノ川自然ト奥深ク、汐入ル故ニ号ク」といい(西蝦夷日誌)、「湖ノ静カニ入ル所」の意ともいう(北海道蝦夷語地名解)、1869年(明治2年)開拓史は松浦武四郎提言の地名、留萌(るるもえ)、留持(るるもつ)の中から留萌の漢字名に決定。その後「るるもえ」が「るもえ」となり、住民の大多数が東北・北陸地方の人であったためにエとイの発音が明確でなく、自然にエがイになったという(留萌市史)

宗谷郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のソウヤ場所の一部地域とサンナイ場所の地域にあたる。郡名は場所名による。
宗谷:地名の由来には、アイヌ語のショウヤ[海獣のとまる磯の岳の意]による説(蝦夷地名考并里程記)、ソウヤ[峰の巣の意]と呼ばれていた岩名による説(廻浦日記)、ソーヤ[岩嶼、あるいは裸岩の地の意]による説(北海道蝦夷語地名解・アイヌ語地名考)がある。江戸期にソウヤ場所が開設する前の当地の地名に関しては諸説がある。一般的な説は、元来ウエントマリ[悪い泊の意]と称していたが、場所開設に際しウエントマリの名を嫌って、サンナイ(珊内)近くにあったソーヤという大岩名をつけたとする説である(北海道蝦夷語地名解)。このほか、もとはモンセンルモ、訛ってマウサンルム[風の当たる岬の意]と称したとする説(再航蝦夷日誌)、ヒリカトマリと称したとする説(廻浦日記)、パラキナイと称したとする説(蝦夷地名考并里程記)などがある。

網走郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のアバシリ場所の地域にあたる。
網走:地名の由来は、アイヌ語のアパシリ[我らが発見した土地の意]による(アイヌ語地名解)。また、アパシリはもとチパシリといい、「幣場・島」の意で、かつて網走湖口近く(現大曲付近)の海中にあった帽子岩を指した名称であった。漁民であったアイヌはこの岩に紙の幣場を設け崇拝したという(戊午日誌)。また一説に、アパシリは「漏る所」の意で、窟の入口が雨漏のようにぬれることによるという。

「場所」とは、「江戸期に、支配人、番人などの和人が滞在して交易や漁業を行った拠点」のことです。

なお、檜山支庁経済部林務課「檜山の地名由来とヒノキアスナロの歴史」によると、
「「今回の文献等について調査を実施してきた結果、ヒノキアスナロ(檜)が生育している山を指して、「檜山(ひのきやま)」という記述がされているが、特定の地名を表す「檜山(ひやま)」あるいは「檜山(ひのきやま)」という記述は確認できなかった。
1869年(明治2年)の国郡制施行にあたり、松浦武四郎が明治政府に提出した建議書において、「古くから檜山(ひのきやま)のあったあたりを、郡名として残したい」という事由で、ここで初めて「檜山(ひやま)郡」と命名されていた。
このことから「檜山(ひやま)」の地名由来は、檜山(ひのきやま)からきているものと考えられる。」」だそうです。これといった定説は、ないようですね。

なお、文中で紹介された説の出典略称一覧は、
蝦夷地名考并里程記:松前并東西蝦夷地場所々地名荒増和解休泊里数山道行程等大概書
廻浦日記:竹四郎廻浦日記
戊午日誌:戊午東西蝦夷山川地理取調日誌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、注記がありました。

天塩、釧路については、旧国名の記述の中では、由来が記載されていませんでした。また、北方領土関係について(千島国と紗那支庁)の、記載はありませんでした。
なお、胆振国の由来(拙稿[15186])で引用した「北海道大百科辞典」は、都内の大きな書店をまわって確認したところ、朝日新聞社から出版されていた本だそうですが、現在は絶版です。国会図書館へ行って調べるまではしませんでしたが、都内4区の図書館にはありませんでした。北海道の図書館ならば、あると思いますが。
[15187] 2003年 5月 14日(水)00:47:10【1】三丁目 さん
支庁名の由来(感想編)、と石狩市の難読地名
最初は、19支庁名の由来から全部調べよう、と意気込んでいたのですが、旧国名から書き写し始めたら、途中で挫折してしまいました。でも、残りの、札幌、函館、亀田、松前、寿都、岩内、小樽、増毛、室蘭、浦河、河西、については、追っかけ調べたいと考えております。郡名にしかないのは河西のみで、それ以外は全て市町名でもあるのが、私には興味深かったです。帯広市のことを詳しく調べる必要がありそうですが、たぶん、内陸だから、開拓が遅かったためではないでしょうか。札幌は、本府が置かれた地だから直接海に面してなくとも、関係ないでしょうし。亀田市はなくなっちゃいましたね。

なお、角川日本地名大辞典には、いろいろなことが書いてあり、非常に面白かったです。私が図書館に半日こもってしまったのも、そのためなのですが、例えば、丘珠空港は陸軍の飛行場で、なんて記述もありましたよ。何度もチェックしたので、打ち終わって、ちょっと気が抜けてしまいました。

[15065]紅葉橋瑤知朗さん
>生振村、花畔村
難読ですが、皆さんならなんと読むでしょう(三丁目さんは13日になったら答えを書き込んでください)。
ご指名頂いて恐縮です(汗)。知っていたのと知らないのが混在だったから、ちょっと焦りました。花畔「ばんなぐろ」は知っていましたが、生振「おやふる」は、調べました。ちなみに、我が地理アドバイザーのコメントは「これは札幌人でも難読地名ですなあ」だそうですが。スイマセン、13日を超えてしまいましたね。
[15186] 2003年 5月 14日(水)00:43:31【2】三丁目 さん
北海道の支庁名の由来・1/2(そのものではありませんが)
[14050]太白さん
三丁目さんの「作風」を若干離れますが、北海道の各支庁名の由来も気になります。アイヌ風じゃないので。
ハイ。書いていて、自分でも本来の作風とは、ちょっと違ってたような気が、なんとなくしました(笑)。

Issieさんが、ご自身のHPで「郡の変遷(北海道)」として、表にまとめておられますが、私は最初は、年表風にしてみます。なお、今回の出典は、特に記述しない限り、角川日本地名大辞典(昭和62年10月8日発行)です。コピーではなく手書きで写したため、読点の打ち方等が原文と異なる場合があるかもしれません。その場合は、ひらにご容赦を。

1897年(明治30年):郡役所を廃止し、19支庁を置いた(札幌、函館、亀田、松前、檜山、寿都、岩内、小樽、空知、上川、増毛、宗谷、網走、室蘭、浦河、釧路、河西、根室、紗那)。
1899年(明治32年):札幌、函館、小樽に区制が施かれたため、亀田支庁は函館支庁と改称。(注1)
1903年(明治36年):松前支庁を函館支庁に、紗那支庁を根室支庁に併合。
1910年(明治43年):寿都・岩内・小樽3支庁を廃して、さらに室蘭支庁から虻田郡の一部を合わせて後志支庁を新設。これで、現行の14支庁となる。
1914年(大正3年):増毛支庁は留萌支庁と改称した。
1922年(大正11年):札幌支庁は石狩支庁、函館支庁は渡島支庁、室蘭支庁は胆振支庁、釧路支庁は釧路国支庁と改称した。
1932年(昭和7年):河西支庁は十勝支庁、浦河支庁は日高支庁と改称した。
1957年(昭和32年):釧路国支庁は釧路支庁と改称した。

注1:1897年に設置された函館支庁は、函館区が設置されたことにより、支庁管轄区域から分離したたため、函館支庁は廃止され、函館区役所に移管された。
IssieさんのHPを見たときに、支庁の数を19と見つけられなくて、変だなぁと思っていたのですが、1897~1899年にかけて存在した旧・函館支庁とは、函館市街地(函館区)域を管轄していた支庁で、それが1899年に廃止された。そして1897~1899年に亀田支庁だったものが、1899年以降から新・函館支庁となった、と私は理解したのですが、それでよろしいでしょうか、Issieさん?

それで、支庁名の由来そのものの解説はありませんでしたので、まずは、旧国名の由来から。記述に濃淡が見られますが、原文のままご紹介します。

石狩国:国名は、石狩川に由来し、アイヌ語の河川名イシカラ・ペッ[屈曲の多い・川の意]の音訳による。
後志国:国名は、阿倍比羅夫が郡領を置いたという後方羊蹄(しりべし)の語音にちなんだもので、中央部を流れる尻別川のアイヌ語シリ・ペッ[山の・川の意]を採り、音訳して後志と松浦武四郎が名づけた。
渡島国:古く、斉明天皇の頃より「渡島(わたりしま)」は北海道の入口をさしており、また南部津軽の人たちは、この地を「おしま」と呼んだので、渡島と書いて「おしま」と読むことにしたいという、松浦武四郎の建議書によって国名とされた(北海道の地名)。

胆振国:国名は、日本書紀の斉明天皇4年、阿倍臣が胆振金且(金辺に且と書きます)(いぶりさえ)その他の蝦夷(えみし)を歓待したという故事により命名(北海道駅名の起源)。
なお、ネット検索で出てきたもので、「胆振」の由来については、日本書紀の話に加えて、下記の記述もありました。
古く新井白石が胆振とは北海道の勇払(イブツ)地域のことではないかと物の本に書いています。明治初年、松浦武四郎が、北海道の国郡名について「噴火湾の山越内から沙流境までを一国にしたい。その中で、勇払は大場所でアイヌも多いから、中心地としたらよい」とし、その国名としては「日本書記の胆振に気が付いたので、“胆振”でいかがでしょうか」と北海道開拓使長官に建議したことから、胆振という国名ができました。(北海道大百科事典から)
http://www.yanatec.com/side_pege/muroran-rekisi.htm の「7.開拓の先駆者たち」に記述されています。

日高国:国名は、当地は南向きで暖かく、太平洋岸特有の濃霧も早く晴れ、陽を仰ぐことが多く、「日本書紀」の景行天皇27年に東夷のうちに日高見国ありとの故事から、日高の字を用いて命名したという(北海道駅名の起源、北海道の地名)。
北見国:松浦武四郎の「国名之義ニ付申上候書付」によれば、この地域のソウヤ・モンベツ・シヤリ等の地名は、国名にふさわしくなく、当地一帯が一般的には北海岸などと呼ばれていることや、快晴の日には樺太(サハリン)が見えることなどから北見などはどうであろうか、との武四郎の意見によって北見国とつけられたという。

十勝国:国名は、アイヌ語のトカチプにちなみ、十勝川の河口が2つ並んでいる形を呼んだとの伝承による。(注2)
根室国:国名は、松浦武四郎の「国郡名建議書」をもとにしたもので、ネモロにちなみ根諸国とする案もあった。ネモロはアイヌ語のニ・ムイにより[木・湾]の意(知床日誌)。
天塩郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のテシホ場所の一部地域にあたる。郡名は、場所名による。
天塩:古くはテシヲ・テシホ・テシユなどと書いた。留萌地方の北西部、天塩川河口域に位置する。地名はアイヌ語のテッシ[梁の意]に由来する(天塩町史)。
注2:「トカチプ」を「萱野茂のアイヌ語辞典」で調べましたが、出ていなかったので、意味は不明です。 to be continued
[15185] 2003年 5月 14日(水)00:39:53【1】三丁目 さん
Re:もし村山市が北村山市だったなら、と市町村雑学の見やすさ
[15147]軒下提灯さん
楯岡町とその周辺の村々が「村山」という広域地名を背負い込むのは、ちょっと荷が重すぎたように思います。村山と言う名は、山形に任せておいたほうが幸せかも。
軒下提灯さんが、初めて書きこまれたのが[14419]からのようですので、拙稿[12833]「楯岡の無念」は、ご覧になって頂けてましたでしょうか?私が調べた限りでは、合併が50年近くも前であり、市名決定の経緯は、わからなかったのです。
ただ、現実的に考えると、山形県より南の地方に、当時、村山市がなかったので、北を冠する北村山市はありえなかったでしょうね。以前[12891]で述べましたが、楯岡市と名乗っていれば、市のHPで、楯岡地域の数字を間違えて掲載することはなかったのでは、と下衆の勘ぐりをしてしまいました。

全然違う話ですが、「村山」市の同名回避を確認しようと、市町村雑学を久しぶりに覗いたら、見やすく、きれいになってたのですね。書き込みを読む前は、こちらやアーカイブズを何度となく見ていましたから、ちょっと感想を言いたくて。オーナーグリグリさんのご努力には、改めて敬意を表したい、と思ったものですから。

本日は、残業のために、私の活動限界時間(0時)を越えてしまいましたが、なんとか用意していた原稿を書込みするしだいです。
[15126] 2003年 5月 12日(月)20:23:20三丁目 さん
Re:市名と中心集落名が異なる市
[15083]軒下提灯さん
市名が集落名に勝つ
非常に興味深いお話でした。私は自分に直結している楯岡(村山市)のことにしか、ピンとは来ませんでしたけれど、いつの日か「楯岡へ行く」が「村山へ行く」になるとは、少なくとも私が生きている間(笑)は、ならないように思います。そのような感覚からすると、現実に切り替わった市を、具体的に列挙して頂いたので、あるところにはある?のね、と感心しました。「村山へ行く」が村山駅へ行く際に使われるのに、抵抗感がなくなったときが、もしかしたら切り替わるタイミングなのかもしれませんね。それであれば、もう少し近い将来なのかしらん。ハテ???これは、その地域で生活していないと、いつ頃からなのか、分からない感覚なのでしょうね。
でも、私がこの「落書き帳選挙区」において、雑魚候補には投票しないことだけは、間違いのないことなのですが(ちょっとしつこかったかな、雑魚さんゴメンナサイ)。
[15122] 2003年 5月 12日(月)19:55:47【1】三丁目 さん
川の疑問へのレス
[15062]Issieさん
>一般的に、太平洋側では北から南に川が流れ、日本海側では南から北に流れるのですが
いろいろなスケールの話が混じりあっていて…。
たしかにそうですね。私も迂闊でした。かねてから歩いていて、神田川を不思議に思っており、思いつきで質問した、浅いものでしたね、と、ちょっと反省。私がイメージしていた河川は、広島県の太田川放水路、兵庫県の神崎川、武庫川(ちょっとマイナーなのを付け加えると藻川も。嗚呼、秘密基地を作って遊んでいた川原)、大阪府の淀川、東京都の多摩川、荒川、石川県の犀川あたりなのですが、神田川では、ちょっと比較するのが無茶でしたね。丁寧にフォローして頂き、ありがとうございました。

[15069]uttさん
松山市を流れる御手洗川の例を紹介します。
松山には、一度しか行ったことがなくて、あまり土勘が働かないのですが、地図と併せて、興味深く拝見しました。
あ、そうそう。昨日の私の疑問にお返事を頂き、どうもありがとうございました。早速、ワードで打ち始めました。改めてきちんとまとめると、調査の行き届いていない部分が見つかりましたから、明日の昼休みに近所の図書館で、もう少しだけ追加調査してから、ご紹介したいと思います。例によって、また長くなっちゃいました(^。^;)。参考文献の記述があるから、書込みを分けずらくて・・・。オーナーグリグリさん、データ量として負担をかける書込みが多くて、申し訳ありません。ペコリ。

[15094]雑魚さん
>このように、逆流?している川は、他にもあるのでしょうか?
屁理屈気味ですが、局地的な蛇行が多い佐賀県の六角川や、最上川における真室川の様な支流も含めれば、該当例は結構あるでしょう。南北云々の視点からは外れますが、源流地が意外に海岸に近い四国の肱川や四万十川などは、経路全般で見るに、途中で大きく屈曲していますね。
蛇行、屈曲は、ちょっと屁理屈じゃないですか、と思ったものの、考えてみたら、自分が例に出した神田川自体、蛇行の例でしたね。結局、部分だけを見ると、不思議な流れ=逆流に見える、ということになってしまうのでしょうか。
[15052] 2003年 5月 11日(日)18:49:08三丁目 さん
太平洋側で南から北に流れる川、又は日本海側で北から南に流れる川、は?
かねてから、青梅街道、又は大久保通りを歩いたときに、なぜ、東京の川が、北に向かって流れるのだろう、と思っていました。今、ジックリと神田川の流れ方を地図で見ましたが、(それが歩いているときに見かけた、南から北へ逆流している川だったのです。)、その源流は、井の頭池、又は善福寺池であることを地図で確認しました。思わず、関東平野は構造盆地、ということを思い出しました。

このように、逆流?している川は、他にもあるのでしょうか?私がお聞きしたいのは、一般的に、太平洋側では北から南に川が流れ、日本海側では南から北に流れるのですが(両地域に住んだ者としての認識です)、そうではない流れ方をする川があるとすれば、その土地での高低差の影響を受けているはずですから、そのような例があるのかな?と思ったのです。

というのも、札幌で、北大生が、川が北から南に流れるのを初めて見た、と言ったのを聞いて、あぁ、この人は太平洋側(神奈川以西)で育ったのね、と思ったものですから。

もちろん、東北地方では、川の流れは南北というよりは、東西であることを前提にお聞きしているつもりです。それは、九州地方においても、同様ですね。

ちなみに、私の神戸に住んでいた後輩は、神戸は北が山で南が海と、わかりやすいのに、東京は何がなんだか方角がさっぱりわからん、と申しておりました。
[15044] 2003年 5月 11日(日)15:03:57【2】三丁目 さん
Re:神戸・明石間の市境変更、と、どなたか教えてください(と、祝15000)
[15016]ニジェガロージェッツさん
この市境変更部分ですが、西神戸・明石間の地図好きの間では結構有名な話です。
興味深いお話を、どうもありがとうございました。私が知っている地域は、思い浮かべながら拝見いたしました。

それで、皆さんにお聞きしたかったことというのは、太白さんからリクエストを頂いていた北海道の支庁名の由来についてなのです。結構、図書館にこもって書き写してきましたけれど(コピーするには量が多かったので)、出典を明らかにすれば、インターネット上で書き込んで構わないのですよね?
ふだんは、私が知っていることと我が地理アドバイザーの話と、それを補足する少々の調べ物(市役所等が公式に出しているものからの引用とか)で書いているものですから、あまり「引用(著作権)」のことを意識していなかったのですが、今回は、もろ「地名辞典」の書き写しだから、このまま書き込んでいいのかなぁ、とフト思ったものですから。

最後になりましたが、
[15017][15020][15025]太白さん
大変面白いデータを提供して頂き、ありがとうございました。平均書込み文字数を下げないように?今後も、執筆活動に励まなくちゃ、と元気づけられました(笑)。
[14992] 2003年 5月 9日(金)21:02:34【1】三丁目 さん
小樽市、市境変更編
今回は、のっけから歴史のご紹介からのスタートで失礼しますが。
石狩市のあゆみ(石狩市HPから、かなり抜粋して引用)
1882年(明治15年):樽川村、開村。
1902年(明治35年):親船町ほか9町と生振村が合併して石狩町に、花畔村と樽川村が合併して花川村になる。
1907年(明治40年):石狩町と花川村が合併して、石狩町になる。
1968年(昭和43年):石狩町、開基300年、開町100年記念式典。
1973年(昭和48年):石狩湾新港が重要港湾に指定され、港湾工事に着手。
1975年(昭和50年):石狩町と小樽市との境界変更施行。
1982年(昭和57年):石狩湾新港入船式典(一部伴用開始)。
1996年(平成8年):市制施行(石狩市誕生)。

昔の地図では、小樽市の領域は銭函から大浜海岸までで、市町境は、新川に注ぐ支流の清川と新川河口により定められており、河川による自然境界となっていました。当時は、新川河口より北側は石狩町大字樽川村でした。

これに比べて、現在の地図では、小樽市の領域は新川よりも北の石狩新港地区まで伸びていて、小樽市銭函4、5丁目となっています。旧来の銭函地区からは離れていますが、新たに小樽市域となった地区とはいえ、住居表示には、銭函が採用されています。

現在も、石狩市には樽川地区があり、市の南西側の3市境にあります。ちょうど手稲通りを挟んで、北西側が樽川地区で、南東側が花川地区になります

経緯を詳細に記述することは、避けたいと思いますが、小樽市が発展してきた経緯、そして石狩新港構築の決定等の前後の流れから、ご想像くださいませ。ちなみに、小樽市HPの「小樽市のあゆみ」には、1975年の欄はありますが、境界変更については、記述されていませんでした。

なお、「樽川村」で検索すると、50件ほど出てきます。長野県木曽郡の、あるいは映画「およう」関連ではない樽川村を見て頂ければ、見る件数は、相当絞れます。私の記述でスッキリしなかった方は、ご自身で検索なさってみてください。

念のため「市境変更」「境変更」で検索してみたところ、小樽市と旧石狩町の話は見つけられませんでした。

ちなみに、検索で出てきた神戸市と明石市の間には、市境変更が何度も行われているのですね。明石市HPに出ていた市域の変遷に関するデータだけでも、1966年、1971年、1972年、1977年、1984年、1986年、1992年、と7回もあったので、驚きました。調べてみたい誘惑にかられたのですが、ニジェガロージェッツさんのお膝元に手をつけるのは、たとえ私が大学生活を送った街とはいえ、地元の図書館で調べないとわからないかもしれない、と思いましたから、やめました。

なお、明石市HP>市のプロフィール>統計情報>明石市統計書 平成14年版(2002年)の中の「土地及び気象」PDFファイルP.3の<地勢>欄に出ていますが、神戸市HP側からは、この情報を見つけることはできませんでした。市境付近で、どちらに帰属するか、区画整理も絡んだ話らしく、両市間で何度か協議されているようですが。詳細は不明です。

町田市と八王子市の市境変更についても、検索結果として出てきたのですが、こちらはよくわかりませんでした。たぶん、変更していないのではないでしょうか。
[14940] 2003年 5月 8日(木)19:57:30【1】三丁目 さん
釧路、ホイホイ編
[14259]uttさん
○釧路の無念・・・鈴木宗男事務所は今、どうなっているのだろうか??ムネオ道路(春別道路)は、どうなるのだろうか??
釧路市の概況、現況については、ご紹介したURLをご覧になって頂けましたでしょうか?
あぁ、そうそう。。占冠村の件については、最初はなんだろう?と思ったのですけれど、もしかしたら、私が準備中だった原稿が、それについてのお返事になるのかもしれません。もう少し、調査するお時間を下さいね。

それで、実は以前、友人とのメールのやり取りの中で、ムネオ君のことにふれていましたから、「久しぶりに鈴木宗男ネタに触れられて、光栄でござりまする」との返事が、やっと到着しました。ということで、以下のほとんどは、原文のとおりです(落書き帳には合わないと私が思う、政治が絡んでいるコメントが、多々ありましたから、半分以上カットしちゃいましたけど)。

鈴木宗男事務所は,今も健在です。釧路市役所のすぐ横の,5,6階建ての小さなビルの2(3?)階の窓にクマの絵のシンボルステッカーが貼ってあり,以前と変わらず鈴木宗男事務所が入居しています。

ムネオ道路(春別道路)とは,国道272号のことだと推定します。この国道は,釧路町別保から別海町上春別,中標津町を通って,標津町までの道路で,釧路から中標津に行く幹線道路としてよく利用されています。この国道のうち,ちょうど別海町域に当たる西春別~上春別の区間だけが,近年特に整備されていて,ちょうど鈴木宗男氏が北海道開発政務次官だった頃ですから,ムネオ道路と呼ばれる所以のようです。

数箇所の交差点で,国道を掘り下げ,交差道を陸橋にしてランプを設けた立体交差ができていて,交通量の少なさを考えると,目を見張る立派さです。工事は今も続けられていて,まだ2,3箇所の立体交差化が進められるようです。地元では,ムネオがどうのこうのではなく,この不況下でありがたい雇用対策として,必要な工事と受けとめているのではないでしょうか。
[14938] 2003年 5月 8日(木)18:56:16【2】三丁目 さん
苫東の感想
[14905]太白さん
苫東については、「全体としては原野」なのでしょうが、それなりの工場等の進出もあるようですね。
拙稿[14858]で、補足してよかったぁと思いました。私には分かりきっていた地域なものですから、原野とは言え、そこそこ工場はあるのよという自分の認識を前提に、大雑把なお返事をしてしまいましたが、もしかして、工場等が進出していることは、意外と知られていないのでしょうか?たしかに、失敗例として名前はよくあがりますが、面積が広いだけに工場がまばらに立地しているためであって、集まっているところでは「それなりに」工業地帯を形成しています。
ちなみに、私はあの勇払原野が、いかにも原野らしい風景に感じられるから、とても好きなのです。
[14937] 2003年 5月 8日(木)18:39:07【1】三丁目 さん
Re:町名、字名、丁目、住居表示
[14928]りょうさん
丁目までが大字なので、漢数字が正しい
ハイ、そのとおりです。ちょうど身近にいた土地家屋調査士の方にも、念のため確認してしまいました。土地家屋調査士の講座で、先生が言ってたそうですよ。書込みをプリントアウトしてその人に見せたら、このような類のことを、一般の人が質問してるんですか?と驚かれました。
ちなみに私が「三」丁目なのも、公式な表示にしたい、との思いからです。
[14863] 2003年 5月 7日(水)19:52:06【3】三丁目 さん
本落書き帳での検索方法(工夫)
[14822]ゆうさんの書込み
[14851]雑魚さん
最近不機嫌気味のデータ検索機能の代替措置を示されましたが、過去ログ検索が今ひとつ実効的でない
ワタクシより以前の、いにしえからこの落書き帳の常連さんでいらっしゃる方々から、さようなお話を頂くとは、意外に思いました。たしかに、昨今必ずしも自分が指定した条件では、検索結果をえられないことが、ありましたけれど。
私は、以前、オーナーグリグリさんから示された(この件に関しては、記事検索しませんでした、スミマセン)期間を区切って検索する方法で、対処しております。というのも、今回加えられた機能を見ますと、2003年2月以降から書込み件数は急増しています。だから、私が検索するときには、期間を分け(今のところは2003年以降と2002年以前)、件数も最大20件までにしています。そうすれば、私が検索した限りでは、だいたい結果を得られますよ。それで、いかがでしょうか?今後もこの書込みペースだと、もう少し期間を短くする工夫が必要かもしれませんが。
なお、私が釧路区を外からの検索で見つけたのは、私の怠慢です。まさか、そんな話題は過去に出とらんかったろう(過去ログを飛ばし読みした私の記憶にもなかったし)、という思い込みで、落書き帳内では、検索をサボっていたのでした。
[14859] 2003年 5月 7日(水)18:41:02【1】三丁目 さん
太白さんからの戴き物(その2)
[14050]太白さん
○丘珠空港の無念:いや、別に丘珠のことが知りたいのではなく、何故新空港は離れた千歳に立地されたのでしょうか。また、なぜまだ新しいのに「新」千歳空港になったのでしょうか。
空港の話は、私自身は全く知らなかったものですから、我が地理アドバイザーと協議の上、一部表現に手を加えましたが、以下は、ほぼ原文のとおりです。

丘珠空港は、未だにプロペラ機しか飛べない飛行場であるため、航空機のジェット化によって千歳空港へ需要が移りました。別の言い方をすると、千歳でなくても構わない、プロペラ機を使用する日本近距離航空(現エアーニッポン)が、丘珠に拠点を置いたとも言えます。

丘珠空港は陸軍の飛行場、千歳空港は海軍の飛行場として戦前からあり、どちらも戦後は自衛隊の滑走路を民間が共用する形で、空港ができたのです。

なお、新空港となった経緯については、[14105]まがみさんがご説明されているとおりなのですが、新滑走路は旧滑走路とクランク状(厳密には、H形の縦棒2本が並行にずれて2割くらい重なっている、といった形です。)につながっており、民航機用滑走路がトラブルに陥った場合には、自衛隊用滑走路に降りることもあります。実際に、友人の乗った飛行機が、冬の東京出張からの帰りに、旧滑走路に降りたことがあるそうです。
また、新・旧滑走路の管制塔は一つで、以前と同様に、航空自衛隊が主導権を握っていると何かで見たそうです。そういう点では、「厳密には」共用を解消できたとは言えないのでは、と申しております。

新千歳空港は、旧千歳空港(航空自衛隊千歳基地)とは全く別の飛行場だと思われている節があるから、その誤解?を解くためにも、よろしく紹介してほしいとのことでした。
(でも、考えてみたら、丘珠空港が自衛隊と共用なのかどうかくらいは、自分でも調べた方が良かったかも、と今、気づきました。普段は、自分が調べていることにアドバイスを求めているから、それなりに自信を持って書き込むのですが、この件に関しては、我が地理アドバイザーの言葉を鵜呑みにしておりました。)
[14858] 2003年 5月 7日(水)18:40:46【1】三丁目 さん
太白さんからの戴き物(その1)
[14050]太白さん
○苫東の無念:特に、今この場所がどうなっているのか気になります。
以下、我が地理アドバイザーが、一言もの申したいそうです。
というのも、私がコメントした「苫東は原野のまま」ではちょっと大雑把すぎる、との指摘がありました。私も仕事の関係で走り回っていた地域ですから、言われれば、ああそうだったなぁ、とイメージが沸いてくるので、せっかく書いてくれた友人の丁寧な原文に、若干の加除修正を加え(もちろん本人の了解を得ましたが)ご紹介したいと思います。それで。

苫東工業地帯は大きく3つのエリアに分けると説明しやすい、と友人は申しております。(行政的には6つに分かれ、臨空柏原地区、臨空東地区、臨海臨港地区、臨海東地区、臨海北地区、臨海西地区、となりますが、以下は原文を尊重します。)

1つめは苫小牧市街地に最も近い勇払北部の地域で、ここにはいすヾ自動車が早くから工場進出しています。

2つめは、苫小牧東港付近の浜厚真地区で、北海道電力の苫東厚真発電所と共同石油備蓄基地が早くから進出しており、近年はリサイクル施設や、サニックスという廃プラ燃料発電所も建設されています。また、東港にはフェリーターミナルができて流通拠点になりつつあり、海洋レジャーの普及から、マリーナ構想もあるとも聞いています。

3つめは、早来町遠浅に近い北部の柏原地区で、新千歳空港に近いという利便性から臨空工業団地として、自動車部品工場や、ハイテク関連の工場が進出しており、最も工業団地らしい体裁を見せています。

全体としては、重厚長大産業を意識した臨海部の広大な用地は、ほとんど空地のままで、内陸の一部地区だけが、臨空工業団地としてそこそこの発展をしている、といったところではないでしょうか。

なお、今の風景は、元々の原野が開発に失敗したためそのまま残っている、という印象がありますが、苫東構想以前には、既に開拓された土地だった部分もあります。だから、必ずしも手付かずの原野が、以前の姿のまま残っている、というわけではないようです。申し訳ありませんが、どのあたりが買収された土地で、どのくらいの割合か、等の詳細については、苫小牧市立図書館で調べる必要があるものですから、この程度の記述にとどめさせて下さい。

太白さん、重ね重ね、ありがとうございました。頂いた塩をかじりながら、書き込み日数を長らえているところです。[14732]uttさんには申し訳ないのですが、用意している胆振・日高関係は、書込めるまでにもう少し時間を頂けますか?そのかわり、4週間ほどの間に熟成?してくるはずですので。
[14810] 2003年 5月 6日(火)23:04:13三丁目 さん
「てん」の略称に続けて(蛇足につられて)
[14805]まがみさん
大阪教育大学附属天王寺高校のことは「ふてん」と略し、私立四天王寺高校のことは「よんてん」と略します。NHKのドラマ「まんてん」の舞台になったのは、「てんよん」とか「てんろく」のある辺り。その中間の「てんご」には、大阪市北区役所があります。
「てんこう」=大阪府立天王寺高校でしたよね。たしか。つい「てんご」に惹かれてしまいました。
[14808] 2003年 5月 6日(火)22:47:40三丁目 さん
一応の報告、とお礼、と宿題?と。
[14696]kenさん
ここの外から、いきなり、Googleで居住地、出身地で、メンバー表がヒットしてしまうというのは、(よく考えればあたりまえですが)ちょっと恐い感じもします。
[14698]オーナーグリグリさん
検索エンジンロボットからの検索対象外とするタグを過去ログ、メンバー紹介ページなどに追加しました。

実はこの件、拙稿[13312]を書くにあたり、「釧路区」でネット検索したときに、落書き帳の過去ログに引っかかって、[4848]夜鳴き寿司屋さんと、[4867]ゆうさんの書込みが出てきたのです。このときは、当時の「区」になるための条件を、念のため調べたいと思って検索したのですが、過去に釧路区のことが話題に出ていたのに気づいたから、助かった、落書き帳はさすが侮れない、と思っていたのでした。

私は、BIGLOBEサーチAttayoを検索に愛用しているのですが、本日、職場から検索してみたら、過去ログにやはり引っかかって、読めますね。
落書き帳 過去ログ [4800][4899]
... [4867] 2002 年 11 月 14 日 (木) 00:07:21, ゆう さん. 釧路・釧路. [4848]夜鳴き寿司屋さん >1920年に当時の釧路郡釧路町が北海道区制が施行された際に「釧路区」と「釧路村」に分離市街化していない地域を「区 ...
と出てきて、読めます。なぜ私の書込みには引っかからないのか、よくわからないのですけれど。
気になったから「居住地」「出身地」「メンバー紹介」の3つを並列のキーワードにすると、「落書き帳メンバー紹介」が、いきなり2番目に出てきて、ビックリしました。とりあえずの、ご報告です。

[14287]でるでるさんへ
連休明けでやっと返事がもらえて、我が地理アドバイザーも、たぶんこの話だと思う、とのことでした。ありがとうございました。

[14732]uttさん
>胆振・日高地方であれば、風景がまぶたに浮かぶ?得意ジャンルなのですが・・・
おお!!楽しみにしておりますよ!!
ZZZ、ZZZ。すいません。まぶたを閉じたら、眠ってしまいました。Zzzさん、お名前を語ったみたいですいません。やると思われてたかなぁ(汗)。見え見えでしたか?
[14718] 2003年 5月 5日(月)19:29:11【1】三丁目 さん
YSKさんと、TKS-Hさんへのレス
YSKさんへ
ヒョエェエェ~。素早い対応に驚きました。北方領土について、書き込んでから1時間も経たないうちに、アーカイブズに採用されていたので、ビックリしてしまいました。書き込み訂正したついでに、気が向いたのでアーカイブズを覗いてみたら、北方領土がテーマに。拙稿も採用されているではありませぬか。。あまり、ご無理なさらないでくださいね。

[14440]TKS-Hさん
(日銀の)小樽支店の廃止は北九州支店の廃止と抱き合わせで表明されたのですが、小樽支店のほうが廃止まで進んだのに対し、北九州支店のほうは事実上沙汰やみの状況になった、この違いがどこにあるのかはちょっとわかりません
あなたさまは、何ゆえ、さようなことを存じていらっしゃるのですか?私は、地元北海道民として小樽支店廃止のことを知っていましたが。はたして政府系のCIA、はたまたKGB(古いかな?)あるいは「エロイカより愛をこめて」バリのご活躍???
ちょっと真面目に考えると、日銀北九州支店は、まがりなりにも政令指定都市にあるのに対して、小樽支店は、たかだか16万人という人口・経済規模だったから、小樽のみ廃止されたのではないでょうか。また、
[14440]TKS-Hさん
戦前、源頼朝の征夷大将軍就任の年は「鎌倉、人でいっぱいに」と覚えていたそうです。
建久3年=西暦1192年=皇紀1852年  →→  1852=イッパイニ
かつて「班日記」という、ま、いわば学級運営上担任の先生が実施していた「集団交換日記」で、私は皇紀とかイスラム暦で何年とかカッコツケテ?書いていましたが、さような年号の覚え方は、初めて知りました。
[14715] 2003年 5月 5日(月)17:15:17【2】三丁目 さん
北方領土、from根室
[14066]TACOさん
[14083][14149]ニジェガロージェッツさん
[14153]kenさん
[14279]TACOさん
としばらく北方領土関係が続きましたが、遅ればせながら、私は、根室市の立場から。というか、自分自身では、このことについて、特段の意見を持ってはいないのです。だから、市のHPからは統計的なデータをほとんど得られなかったため、別件も併せて根室市役所にお問い合わせしたときに、下記資料を送って下さったので、そのご好意に感謝する原稿とします。
頂いたものは
(1)根室(2003市勢要覧)
(2)根室市統計書(平成14年度)

それで、長くなりますが、根室市の歩みを2/3くらいに端折って、以下「」内に引用します。

「1882年(明治15年)に北海道三県の一つとして根室県庁が設置され、根室の開発が進みました。カニ、コンブ、サケなどの北方領土近海の豊かな資源に恵まれ、水産業を中心に発展し、1900年(明治33年)には人口14,000人余りを数え、道東一の活況をみせました。

1945年(昭和20年)の戦災によりマチの大半を消失し、さらに北方領土をソ連邦に不法占拠されたため人口は減少し、産業、経済の復興も一時は危ぶまれましたが、北洋漁業を中心とした水産業で立ち直り、我が国有数の水産都市として発展してきました。

1977年(昭和52年)の経済専管水域200カイリ施行、さらに1992年(平成4年)からは公海でのサケ・マス沖獲り禁止などにより、漁獲高が減少し厳しい状況におかれています。

新しい海洋時代に対応するため、沿岸漁業資源の増養殖をはじめ、水産資源の高次加工などの振興策を積極的に取り組んでいます。また、北方領土返還要求運動原点の地として、さらに国民世論を高め、北方領土返還実現による日ロ両国の平和条約が、早期に締結されるよう全国民の先頭に立って変換運動を展開しています。」とあります。

また、市史とは別に、北方領土返還運動の歩みも載っていました。これは一部の紹介にとどめますが、
「日本固有の領土である国後島、択捉島および色丹島、歯舞群島は、父祖伝来の地であり、これをふたたび我々の手にもどそうとの目的のもとに、この根室の地から叫ばれたのは、終戦直後である昭和20年の秋ごろからである。(中略)

昭和20年9月5日までに北部、中部千島、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の占領を終えたソ連は、9月19日、クリル諸島(千島列島)と南樺太の領土宣言を行った。(中略)

根室と国後、択捉などの島との関係は地理的にも歴史的にも、経済的にも切り離して考えることのできない深い間柄にあった。島の人々は根室の人たちを「本家の人」と呼び、根室の人々は「島の人」と呼んで、たがいに行き来し、また、親戚関係の人もかなりあって、両者の間における親密の度合いは想像以上のものがあった。(以下省略)」

ちなみに、北方領土に係る組織(課以上という意味で)が道内の自治体の中であるのは、下記のとおりです。
北海道庁総務部北方領土対策本部
根室支庁地域政策部北方領土対策室
根室市役所総務部北方領土対策室

なお、根室支庁管内の4町(別海町、中標津町、標津町、羅臼町)では、それぞれ「係」として事務局を設けていますが、支庁管内で横で連携して何かを行う、というよりは、縦組織として道庁~支庁~市町とつながっているそうです。だから何ってわけでもありませんが、個人的興味で確認してしまいました。

根室市統計書には、根室市役所内だけで作成されたものばかりではなく、民間事業者を含め、いろいろなところから集められたデータが載っており、私には興味深かったのです。たとえば、根室市内では、鉄道駅でよりも、バス路線での乗降客の減少のほうが大きかったのは、意外でした。データをどのように紹介したものか、難しかったものですから、今回はご紹介しませんでしたが、載せたほうが良かったですか?

もともとは、北海道に県が置かれたときに、なぜ釧路県でなくて根室県なのだろうという興味だったのです。根室、釧路ともネモロ、クスリとアイヌ語に由来する古い地名で、ともに沿岸部で初期から開拓はされているのです。根室市のあゆみには「道東一の活況」とありますし、根室県が設置の1882年(明治15年)当時は、釧路よりは根室の方が、中心的な存在だったのだろう、と推測しました。あるいは、北方警備の要衝の地として考えられていたからでしょうか?

よくわからなかったながら勝手に述べますが、土地に執着する傾向が強い、日本人の心情を考えると、たとえ釧路集落の方が大きかったとしても、根室の名前を前面に出すことで、根室地元民の、北方警備へのプライドを高めたのかしら、とも思いましたが。これは、完全に私の推測です。
[14706] 2003年 5月 5日(月)14:24:40【4】三丁目 さん
オーナーグリグリさんへ、と、こまごまと。
オーナーグリグリさんへ
これはホントは気恥ずかしいから、メールでこっそりお願いしたかったのですが、メールの相性が良くない(笑)みたいなので、落書き帳にて堂々と。拙稿[11156]を、中国地方の由来に加えて頂けないでしょうか。原文は友人からの3度にわたるメールでしたが、最終的に私がまとめ、これで書き込んでいいかと照会したら、新たに友人が修正してくれたものなのです。代理書込みだからアーカイブに入らないのかなぁ、とかいろいろ考えていたのですけれど、ね。

[14581]夜鳴き寿司屋さん
かえって辛い思いをさせたようであれば謝罪します。
ワタシはワタシと、割り切っていますから、その点は大丈夫です。かつては、出身と呼べる地域を持っている人を羨ましく思いましたが、こればっかりは、どうしようもないですからね。ないものねだりをしても、しょうがないのです。

「エースをねらえ」を読み終えたから一言だけ感想をば。少女漫画系のスポ根モノを初めて読みましたが、ちょっと入れ込みすぎ、感情を言葉で表しすぎ、と思いました、「キャンディキャンディ」から少女漫画に入った者としては。。。その後、少女漫画は多数読んでますけど。

なお、ワタクシが積極的に?書込みしなかったときでも、多くのレスを頂いたことに、感謝しております。謹んで御礼申し上げます。

そうそう、YSKさん、主位奪取おめでとうございます。
私には遠い道のりではありますが、とりあえずは太白さんとのつばぜり合いからでしょうか。KMKZさんは、一回あたりの書込み文字数はそれほど多くはないから、自分のペースを続けられれば、文字数では抜かれないのでは、と慢心。回数では圧倒的に抜かされてますけど。

最後になりましたが、般若堂そんぴんさんへ。
TACOさんに、連続書込み日数記録が抜かされないように(笑)、頑張ってくださいね。若い人は体力があるから、徹夜を続けてでも?グングンと追っかけてきますゾ。いろいろと、どうもありがどうございました。
[14695] 2003年 5月 5日(月)06:55:01【3】三丁目 さん
ご挨拶
オーナーグリグリさん、と他の皆様方へ

一連の流れは、ふだんはマイペースを心がけている私も、正直なところ戸惑っていました。賛同が表明されたら、雪崩を打ったように、皆さんが進んで申告する雰囲気が醸成され、事実そのように流れたからです。あの中では、反対とは表明し難かったです。付和雷同だろうと言われればそれまでですが、もともと、結構個人情報を書き込んでいましたから、今更「秘密」「不詳」でもなかったことを踏まえ、私のできる範囲でご協力をと思ったわけです。
かねてから、文字だけでのコミュニケーションは難しいと思っていました。ですから、基本的な私の態度としては、議論には加わらないようにしてきたつもりです。加われない、というのが最も大きな理由ではありますが。
今回の件は、普段は一過性で終わるから慣れているのですが、今までに経験したことがないほど長い期間にわたったことで、思わず悲鳴をあげてしまいました。行き過ぎた言葉により、ご不快に思われた点については、深くお詫び申し上げます。
新たに明かした個人情報は確かにありますが、自分では大丈夫と思っている範囲にとどめています。もちろん、自己責任の範囲です。ですから、責任を取ってなどと、申し上げるつもりはありません。ただ、私は、若年者が自分色登録した際に、出身地、居住地欄があることで、必要以上に個人情報を明かすことを懸念しております。その当たりには、ご配慮を頂ければと思います。当然了解事項と思われることであっても、いろいろな方がこの落書き帳を読まれていることを考えると、言葉で表して頂けませんでしょうか。
最後になりましたが、ご多忙中にもかかわらず、落書き帳を楽しく、心地よく、適切に運営してくださっているオーナーグリグリさんには、心から感謝しております。
[14639] 2003年 5月 4日(日)08:46:10【1】三丁目 さん
オーナーグリグリさんへ
[14594]オーナーグリグリさん
昨日、恐る恐る落書き帳を覗いてみたら、メールが届いていないとのこと。自分色登録をお願いしたときに、返信されたメールアドレス宛にお送りしたのですが。また、そのアドレスは、メンバー紹介欄にも載っているのですけれども。送信エラーは戻ってきていないので、あれ以外であれば、どちらへお送りしたらよろしいのでしょうか?
時間がたち、皆さんからもいろいろ意見が出て、件の欄も修正されましたから、あまりほじくり返すのもどうかと思い始めたので、お伝えしようかと考えていたことも、もういいか、と思いました。読まれていないのであれば、読まずに破棄して頂けませんか。ご相談したい話を変えます。もう読んだよ、ということであれば、お手数おかけしますが、メール等で、ご連絡頂けないでしょうか。
[14587] 2003年 5月 3日(土)09:16:54【1】三丁目 さん
お騒がせしました。それと、ありがとうございます。
[14515]般若堂そんぴんさん
[14517]てへへさん
[14524]ゆうさん
ありがとうございました。私は、皆さんからご教示頂いた案の、どれかで十分妥当だと思いました。ただ、プライバシーに関わる話であり、出身地、居住地ともども、表示すること自体いかがかと思っています。いろいろ思うところはありますが、この話を落書き帳ではもういたしません。オーナーグリグリさんにメールをお送りしましたから、そのお返事をお待ちしてから、この次、新たに書き込むかどうするか考えたいと思います。

また、てへへさん。わざわざ中島みゆきを検索し、そのURLをご紹介して頂いたことにも感謝しております。もしよろしければ、歌を聴いて頂くと、もっと深刻になってしまうかも(笑)。何せ、かつての「みゆき」節の頃の歌ですから。昨今よりも、もっとジットリくると思います。

一昨日はちょうど、大島弓子作「綿の国星」という漫画を職場の人から借りていたので、それを読んで、少し、ホンワカした気持ちになれました。また、昨日は山本鈴美香作「エースをねらえ」を貸してもらったので、半分ほど読みました。前向きな気持ちなれるよ、と言われたのですが、30年前の女子高校生はこういう感じだったのね、というのが正直な感想です。漫画の貸し借りができる、良い職場でしょう(笑)ちなみに、「陰陽師」岡野玲子作画(原作:夢枕獏)も、借りて手元にはあるのですが、文字が多くて、ちょっと重いです。面白いのですが。
[14491] 2003年 5月 1日(木)19:54:37三丁目 さん
心の古傷
落書き帳について、です。
元本籍:山形県
出生地:東京都
卒業した高校:東京都内の高校(初めて、同じ学校に3年間通いました)
卒業した大学:神戸市内の大学(初めて、同じ学校に4年間通いました)
どこ出身?と聞かれたら、両親は山形出身ですが、私自身は住んだことがなくて、生まれたのは東京です、と答えています。

親の転勤の関係で、概ね2年に1度、引越してきました。金沢市立泉中学校に思いを残しつつ、公式には、私の卒業した中学校は、別の学校になります。中学卒業間近に、急遽、親元を離れて東京の高校へ通うべく、単身上京することになり、旧海軍予備校へ進むことになりました。都立高の受験資格がなかったため、やむを得ない選択でした。私は、自分が進学した学校名を受験するまで知りませんでしたが、金沢の友人は知っていました。

その後、いろいろな経緯を経て、現在は首都圏に住んでいますが、やむを得ざる選択であって、少なくとも現居住地は、できるだけ近い将来に転居したいと考えています。私にとっては、「仮の宿」にしかすぎないからです。もしかしたら、一生、この感覚は消えないかもしれませんが。

[13695]オーナーグリグリさん
「不詳」が続くのは不気味なのでできるだけ入れたい(中略)管理画面で入力可能なので編集をお願いできますでしょうか。>雑魚様
雑魚さんに編集を一任されたものと思っていましたから、雑魚さん流に記述して頂けていたので、やれやれ、と思っていました。が、[14388]で突然、厳密なガイドラインが設けられ、私の欄はブランクになりました。あれが、オーナーグリグリさんからのご回答ということなのでしょうか?

一晩、考えこんでしまいました。なんてことない話じゃないの、と思う人がほとんどでしょう。が、かつて私がこだわり、悩んできたことでしたから、久しぶりに古傷が疼きました。突然出てきた出身地、居住地の話がなければ、必要以上に個人情報を明かすことはなかったのです。心境が複雑であり、困った、と今まで何回も言ってきました。できる限りのご協力を、したいと思うからこそ、です。

今回示されたガイドラインは、私にとっては苦痛です。施行錯誤されているのは理解できますが、せめて、
(1)最初に、ガイドラインを示す。
(2)雑魚さんにお願いした以上、一任する。
どちらかにして頂きたかったですね。メンバー紹介欄については、雑魚さんの所掌事項として終わるのかと思っていました。だから、[14123]で途中から方向を変えられるのが、最も困ります。それで、拙稿[14205]にて、ご相談したつもりです。もし、検討の余地はない、ということであれば、出身地、居住地はなくして頂けませんか?

ブランクにされると、何のために私が必要以上の話をしたのやら。せめて回答があった者については「準備中」「工事中」等の何らかの記述をするなりの、ご配慮をして頂ければ、と思います。体裁を大事にされる気持ちはわかりますが、それであれば最初から示して頂かないと。もちろん、拘られる理由を聞くものではありません。

メンバー紹介からはずしてもらうために、自分色登録抹消、あるいは思い切って落書き帳から撤退することも考えました。あまりに寝つかれなかったので、久しぶりに軽い睡眠薬を飲みました。せっかく見つけた楽しみをどうするか、は、結構深刻な問題ですから。

4/30にメンバー紹介を更新された方を見ると、出身地、居住地がブランクになっているのは、私以外にはYSKさんと黒髪さん、それと最近自分色登録された、くはさんですかね。私の記憶では、以前は表示されていながらブランクになったのは、YSKさんと私だけかな?

中島みゆきのアルバム「生きていてもいいですか」に収録されている「異国」という歌。普段は忘れている話なのですが、きっかけがあると顔を出す、私の古傷を、適切に表現してくれています。

この文章自体、5時間以上何度も書き直し、書きこむかどうするか悩んだ挙句のものであることを、ご理解ください。仕事の合間をぬって、ではありません。私の最も触れられたくない話の一つで、今回のように宣言されたことについて、こうした反応をせざるをえませんでした。書き込み内容と、出身地、現居住地は、必ずしも関連があるものではありません。

オーナー殿が絶対的であることは理解しておりますが、最近のように多くの書込みがある落書き帳となった今は、皆さんと一緒に作り上げているものでもある、と信じております。
[14402] 2003年 4月 30日(水)22:17:10三丁目 さん
失礼しました
[14383]雑魚さん
さじ加減が難しいところを、深めないでさらっといく書き方が、私には難しくて困難なのに、上手ですね、というつもりだったのですが、お気にさわったらごめんなさい、です。
[14381] 2003年 4月 30日(水)18:36:46【2】三丁目 さん
北海道は、元気ですゾ、マル
[14259]uttさん
たくさんの宿題(笑)ありがとうございます。一度に返事をしきれないのは、漫然としている私の悪い癖なのですが、釧路については、拙稿[12542]にてご紹介したURLをご覧になっていただけないでしょうか?釧路の概要がコンパクトにまとめてあります。

それ以上の情報、特に現場確認が必要なものについては、一応、友人に聞いてみますが、ワタクシ的には、政治家が絡んでいることもあり、あまり興味を持てないジャンルなのでした。胆振・日高地方であれば、風景がまぶたに浮かぶ?得意ジャンルなのですが、実は、その方面で原稿を温めているところです。フッフッフッ。

雑魚さんのように、絶妙なバランスをとって大人チックな話題にふれられれば良いのですが、私には難しいテクニックです。君子危きに近寄らず。。。私は君子じゃありませんが、自分が苦手なことには、ふれないようにしてます。いろいろな街について、私が書き込むのをやめたのも、紹介の仕方が難しいと思ったからです。もう少し知恵を持っていればねぇ。

[14287]でるでるさん
やっと、でるでるさんとの接点を持てて、うれしく思います。空知市構想について、ありがとうございました。本日は、出勤していれば、早々に地理アドバイザーに確認しているところなのですけれども、ワタクシは有給休暇をとっておりました故、明日、メールにて聞いてみます。何せ、われわれ、職場でしかメールのやり取りをしてないものですから。ちなみに私の、ネットを使う調査も、職場でしかやってません。自宅はダイヤルアップ接続で、必要最小限の機能しか果たしていないものですから。[14367]だんなさんだけじゃないのですよ(笑)。日本の国際競争力は、こんなことでいいのかしら?とちょっと反省する素振りを見せても、懲りてない三丁目なのでした。
[14350] 2003年 4月 30日(水)08:57:22【1】三丁目 さん
ちょっと気にかかりましたから、少々
以前あった、東京・神奈川とその他、そして今回の件。基本的に私の書込みスタンスとは異なるから、黙っているのが一つの方法かとは思いつつ、今回は看過するには重すぎると感じましたので、私のスタンスを述べたくなりました。

私がご紹介しているお話は、地域ネタ系ですから、一歩間違えると、その地域にお住まいの方の感情を害さないとも限りません。釧釧についても、我が地理アドバイザーは、書込みとは無関係な友人同士でのメールでのやり取りだから、相当辛辣な感想を書いていましたが、私が書き込む段階では、「あれでも」相当トーンダウンさせて、ムニャムニャにしたつもりです。新南陽市についても、調べた結果出てきたデータをご紹介するにとどめ、私の感想はほとんど述べないようにしました。

また、街の成り立ちとして、川口駅周辺が労働者の街で、その両隣の駅が、その憩いの場として商業が集積した話を書き込もうかと、いったん未定稿は用意したのですが、それをご紹介するのはやめました。ちょっとこの落書き帳の雰囲気とは違うかなぁ、と思ったからです。昨日秋葉原へ行ったのも、新聞で読んだ街の変貌ぶりを見たかったからなのですが、そのことは書きませんでした。「飛び地の定義」などのような、楽しい議論は良いのですが、そうでない場合は、あまり、ね。

[14329]で、雑魚さんからガイドラインでの予防というご提案があり、私も賛成です。地理についての議論は楽しいのですが、地域について、特に主観が入ってくる議論は、この落書き帳にはそぐわないのでは、と感じております。地域事情について議論したい場合は、他に似つかわしい掲示板があるのではないでしょうか?今回の件は、いささか、残念です。
[14285] 2003年 4月 29日(火)19:00:31三丁目 さん
新宿~秋葉原のお散歩
本日は陽気に誘われ、久しぶりに標記タイトルのルートを歩いてきました。靖国通り沿いに歩けば、私の足なら片道1時間強ですから。明日は、所用があるため有給休暇をとるという事情もあり、まぁ、疲れてもいいだろうということで。スタートの新宿では、歩行者天国を実施していました。目的地の秋葉原でも歩行者天国でした。

だいぶ前の新聞記事で、全国的に、歩行者天国を廃止する動きがある、と読んだことを思い出しました。たしか、日本で最初に歩行者天国を実施したのは、旭川市での1971年(昭和46年)じゃなかったかな?と思いつつも。スイマセン、今日は、記憶だけを頼りに書いています。

そういえば、北海道出身の友人が、東京の大学に進学して、街を目の当たりにしたときの感想を思い出しました。「札幌がいっぱいある」と。電車で移動しても、新宿、渋谷、原宿、池袋、銀座(有楽町)、上野など、山手線沿線だけでもたくさんありますからね。地方から出てきた人の、メガシティ東京についての感想としては、秀逸ではないか、と私は思っていました。

今回は、いろいろな話を盛りだくさんにしてしまいますが、友人は札幌北高校の出身でして、どちらかというと、傾向としては札幌北高からは北大に進学する人が多いのだとか。目の前に北大があるからね、と言ってました。そういう点で、道内では札幌北と双璧をなす進学校、札幌南は、どちらかというと道外志向が強いそうで。でも、私の友人て、札幌北から道外へ行き、札幌南から北大に進むなど、私が聞いた傾向とは、チト違うような。類は友を呼ぶのかしら???
[14275] 2003年 4月 29日(火)17:22:49【3】三丁目 さん
嬉しい悲鳴
[14259]uttさん
予期していなかった反響に、オドロキました(笑)。太白さんに101回目の書込みだからとプロポーズをしたら、プロポーズ(返し)=宣戦布告を頂戴したし(笑)。ま、私も人事異動までは余裕があるので、鋭意努力して、お調べする次第であります。でも、今度の異動では変わらないみたいだから、今しばらくは、楽しく調査活動ができそうです。我が地理アドバイザーも、北海道大好き人間ですから、釧路市立図書館に半日こもって調べてくれたり。あ、一応注釈すると、友人は、自分が調べたかった鉄道関係の話のついでに、探してくれたようですが。

注釈:propose:(結婚を)申し込む、という意味で日本語では使われることが多いかと思いますが、念のため手持ちの辞書を調べると、宣戦布告=declaration of warとなっていました。太白さん、又はZzzさん。アメリカ英語ではproposeを宣戦布告の意味に使うことがあるのでしょうか。英検ウン級(1ではありません)を持っている者としては気になるところであります。でも、私もpropose=宣戦布告、という記憶はあったのですけれどハテナ???

注が長くなりましたが、函館の無念は、私の感想としては、函館市は我が道を行くのよ、ということで、納得しているのでは、と思っていましたが。拙稿[11539]で、そこまでは記述しませんでしたけれども、そういうこと、ということで。。。ではご納得されませんか?

でも、あまり北海道関連で「無念シリーズ」を続けると、道民から怒られそうな気が・・・。紅葉橋瑤知朗さん、いかがでしょうかねぇ?
[14256] 2003年 4月 29日(火)08:55:05【1】三丁目 さん
歌志内と芦別
[14050]太白さん
○芦別の無念:富良野は観光開発に成功したのに、カナディアンワールドはどうして倒産したのか?
○歌志内の無念:コメント不要かも。今、ここの主要産業は何なのでしょうか…。
この話は、職場で友人とメールのやりとりをしていた中で、若干ふれていたので、昨日は出勤しましたから、ちょっとご紹介します。

というのも、旧炭鉱町を大合併した「空知市」構想が、あったらしいのです。ただし、相当以前に、我が地理アドバイザーが、新聞かなにかで見たくらいなので、正確な記述ができません。というか、これをテーマに調査しようと思っていたのですが、信憑性、具体性があまりに乏しく、話が膨らまなさそうだったので、途中でやめていたのです。それで。

人口も面積も小さい歌志内市、上砂川町などは、砂川市と合併するのが現実的なのですが、どうせするなら、赤平市、芦別市、三笠市、夕張市もと、面積ばかりが広がってしまい、どこが中核になるかで収拾がつかなくなってしまったのではないか、と、詳しい資料を見つけられない中では、思いました。

いわき市のように、大きな市へと合併していくのが最適な道だったのではないか、と私は思います。構想はあったようですが、具体的な動きはこれまで見受けられません。現在ある、中空知地域任意合併協議会(赤平市、滝川市、砂川市、歌志内市、奈井江町、上砂川町、浦臼町、新十津川町、雨竜町)も、はてさて、どうなることやら。

そもそも各市町は、交通・流通がそれぞれが滝川、砂川、岩見沢などの函館本線沿線から櫛状に東西に連絡していて、地形的にも各地域同士の南北のつながりが(たぶん)薄かったのではないでしょうか。また、旧炭鉱会社も芦別が三井、赤平が住友、歌志内が北炭、上砂川が三井、夕張が北炭と三菱、などのように、歴史的にも交流が少なかったことが、連携が進まなかった要因と考えられます。

なお、歌志内市HP>歌志内の概要>人口、で、簡単に歌志内市の人口盛衰がわかります。また、市HP>PDFファイル(下の方にあります)>PDFファイルのダウンロード、からダウンロードすると、P.7~9にかけて、産業・経済がありますから、ご参照頂けますか。企業誘致に頑張っているようですよ。

それで、芦別市のカナディアンワールドについてですが、現在は、同名の公園になっているのですね。
[14171]で紅葉橋瑤知朗さんがおっしゃられているように、不人気だったから破綻した、につきてしまうと思うのですが。結論としては、当たり前過ぎて、面白くないですか?
念のため「破綻した第三セクター」で検索しましたが、50件と出てきませんでした。いくつか見ると「今日実質的に破綻している苫小牧東部開発もその一例である。」なんて記述もありました。

ノホホンとしていたら、[14221]でYSKさんが広域市町村のエリア北海道編をご紹介されていますね。その中の中空知広域市町村圏組合が、現在の合併協議会とほぼ同じですから、これが我が地理アドバイザーがどこかで見たという「空知市」構想だったのかもしれません。

また、忙しいとおっしゃっていた太白さんも、[14250]にて書き込まれていて。今晩あたりノンビリと書き込もうと思っていたのですが、急遽、朝にリリースします。
[14205] 2003年 4月 28日(月)19:02:56【1】三丁目 さん
困ったなぁ、と鰊漁、と新千歳空港関係
[14123]オーナーグリグリさん
居住地、出身地については、皆さんからのご回答がある程度出揃ってから、どのようにお答えしたものかと考えていたのですが、先ほどメンバー紹介を見ましたら、私の欄が若干修正されているようですね。出身地は、あれで良いでしょうか?いつも複雑な心境になってしまう項目なのです。公に書くときは、やむを得ず「不本意」ながら東京都としているのですが。
聞かれてもいませんがタラタラ続けると、私の本籍はもともと山形県村山市楯岡だったのですが、社会人になって何かの手続きをする際に、市役所の方から「あなたの本籍は山形県じゃないですよ」と言われ、ビックリしたことがありました。父が家を建てた際に本籍を動かしたことを後で知りましたが、目に見える公的な山形との繋がりは、これでなくなってしまったのかぁ、とちょっと寂しく思ったものです。
また、居住地も「首都圏」又は「1都1県」を思いついたのですが、ガイドラインにはあてはまりませんよね。今さら「内緒♪」でもないですし、「不定」もちょっとニュアンスが違うし。今のままで構わなければ、自分が最も納得できる書き方を、現在はして頂けているものですから。差し支えるようであれば、私の書き込みの中から「これにします」、とご教示頂けませんか?

[14142]Issieさん
>鰊は、だんだん北の方へ移動し、留萌方面では、1950年代までは獲れた、と聞きました。
1960年代前半でしょうか、
フォローありがとうございます。昭和30年代までは獲れたと聞いていたので、落書き帳では西暦表示を心がけていたものですから、どのように書いたものか、と考えたのですが、昭和30年代後半までだったのですね。

[14151]スナフキんさん
スキーリゾート列車や富良野行の臨時直行特急などはわざわざ札幌からやってくると、南千歳~空港地下駅間を1往復して客拾ってから各地へ散っていく、みたいな運転方式をとる列車もたまにありますね。JR北海道も新千歳空港なしではやっていけないことがよくわかっているはずなので、
地元紙を読んでいたら、道南方面から新千歳空港駅への直接乗入れを要望した地元に対して、JR北海道は、含みを残す回答をした、とありました。実際のところは、そのような工事はしないだろうと、私は思ってますが。道南方面への対応工事をすると、道東からのルートはどうするの?になりますしね。
でも、現在の新千歳空港駅への列車の乗入れ体制は、道内の観光ルートに影響を与えたのではないか、と思ってました。

あとは独り言。拙稿[14060]のタイトルが、先日見たときは、1行ギリギリになんとか収まったと思っていたのですが、2行に変わってしまいました。長ったらしいとの自覚はありましたが、なんか、ちょっと恥ずかしいな(・。・)
[14137] 2003年 4月 27日(日)20:37:52【1】三丁目 さん
ニシン、補遺編
先般、拙稿[14009]で、鰊御殿をご紹介いたしましたが、ネット検索では私が見落としている可能性があると思ったものですから、念のため、檜山支庁、留萌支庁、後志支庁に電話して聞いてみました。檜山支庁は、資料を送りますよ、と向こうから言ってくれました。留萌支庁は、参考URLを教えてくれました。後志支庁は「小樽、泊、寿都以外にありますか」という私の質問に「それで全部です」でした。

対応してくださった方の性格?によるところもありますが、支庁が再編される可能性があるところは、観光や地域振興のためでしょうけれども、いろいろと教えて頂けたなぁ、と思いました。

それで、私が鰊御殿は檜山支庁管内では、「旧中村家」「横山家」以外にありますか?とお聞きして、送って下さった資料は、
(1)旧中村家住宅のパンフレットのコピー
(2)「江差」(旧中村家住宅が所在する江差町の概要パンフレット)
(3)「ひやま」(江差町が所在する檜山(北海道南西部)の概要パンフレット)
です。せっかく資料を頂きましたので、そのご好意にお応えせねば、と思い、少々檜山地方をご紹介、ということで。(1)、(2)、(3)の順でだんだん範囲が広がるようにして頂いているのは、丁寧だなぁ、という印象を持ちました。

さて。江戸時代に、松前藩は、寒冷地ということもあり、米がほとんどとれませんでした。しかし、多量に獲れる鰊によって、藩の経済は支えられていました。だから、「ニシンは魚に非ず、米である」とのことで「魚編に米」と書いて「鯡」と表していました。なお、上記に資料一覧を書きましたが、面白いことに「江差」の中では、全て「鯡」で表記が統一されています。

文政の頃(江戸時代後期)には、3港の戸数、江差2千戸、福山(現松前町)3千戸、箱館1千戸と言われ、「江差の5月は江戸にもない」と言われるほど、盛んでした。5月になると海が安定し、獲れた鰊等の海産物を取引するために、北前船が多く出入りしていた様子を表現したものです。

しかし、鰊の回遊が見られなくなり、やがて鰊漁は衰退してしまいました。ちなみに、資料には1913年(大正2年)を最後に回遊が見られなくなった、とあり、江差方面が道内では最も早い時期に獲れなくなったところです。鰊は、だんだん北の方へ移動し、留萌方面では、1950年代までは獲れた、と聞きました。

ところで、「ひやま」には「北海道南部に位置する檜山は10町で構成され、北海道で最も古い300年の歴史を持つ地域です。北海道のイタリアと呼ばれ…」とあったので、えっ???イタリア?たしかに伊達市は、北海道では比較的温暖なので「北海道の湘南」、とは耳にしたことがありましたが、イタリアとは。これわオドロきました。ということで、さっそく我が地理アドバイザーにご意見を伺ったところ、やっぱり聞いたことない、とのことでした。

個人的な感傷を少々述べますと、檜山支庁管内では、奥尻島のことが気にかかっています。私が北海道にいた当時、奥尻島で地震が起こり、津波によって青苗地区が壊滅的な被害を受けました。ちょうど阪神・淡路大震災のときのように、お手伝いに行く話があったのですが、私事都合により、そのときはお断りせざるをえませんでした。だから、その後の復興状況を知りたかったのですが、首都圏ではなかなか情報が入ってきません。ネットの北海道新聞では、過去記事の検索が有料なのですよねぇ。ウ~ラ~メシヤァ。室蘭民報、苫小牧民報でさえ、無料なのにぃ。。。あ、今気づいたのですが「ひやま」の裏に「北海道南西沖地震。全国通々浦々の皆様方の暖かいご支援と励ましのお言葉。そして、今、檜山は元気になりました。」とあるから、もう、お元気なのでしょうか。

最後になりましたが、「北海道檜山支庁商工労働観光課観光振興係」様、資料を送って頂き、ありがとうございました。と、この場をお借りして、お礼申し上げます。
[14060] 2003年 4月 26日(土)18:52:17【3】三丁目 さん
痛いっ!本当に塩を頂くとは!(敵に塩を送るとは、ホントはカッコいい意味ですよ。念のために。中学生の皆さん)
[14050]太白さん
[14020] 三丁目 さん
>太白さん、北海道について、何かお知りになりたいことはございませんでしょうか?
宣戦布告(プロポーズ)されたからには、受けて立ちましょう(笑)。
○苫東の無念:特に、今この場所がどうなっているのか気になります。
○芦別の無念:富良野は観光開発に成功したのに、カナディアンワールドはどうして倒産したのか?
○歌志内の無念:コメント不要かも。今、ここの主要産業は何なのでしょうか…。
○丘珠空港の無念:いや、別に丘珠のことが知りたいのではなく、何故新空港は離れた千歳に立地されたのでしょうか。また、なぜまだ新しいのに「新」千歳空港になったのでしょうか。(千歳空港建設時に、その後の乗客の伸びが予想できなかった?)
○夕張の無念と復活:なぜ、メロンに目をつけたのか(笑)
普段は、こんなに長く引用は、しないように心がけているのですが。それで、太白さんへ。

[14055]雑魚さんのお答えを、千歳空港と夕張についての、とりあえずのお返事とさせて頂きつつも(雑魚さん、ありがとうございます)、紅葉橋瑤知朗さんが地元から的確にお返事されるかもという思いもありながらも、調査させて頂きます(笑)。ところで、苫東は、原野のままです、、、じゃだめですか?私が北海道にいた頃と変わっていなかったことを、3、4年前に行きましたから、確認したのですが。

しかし、アメリカにいらっしゃって、よくカナディアンワールドをご存知で・・・たしか私も、2回行きましたが。ゴールデンウィークに行って、雪がチラついたのは、さすが北海道だと思ったものです。今にして思えば、雨後の筍のようにできたテーマパークは、数少なくも私が感じることができた、日本のバブル現象の一つだったかもしれません。
なお、歌志内市については、おっしゃっられているように、コメントは不要じゃないかと、私も思います。とりあえず、三丁目的分析は、行ってみますけれど。

それにしても、「無念」。。。多いですねぇ。共同執筆で、無念シリーズを手がけませんか?(笑)私は、楯岡、小樽、平の3部作で、終わりかなぁ、と思っていたのですけれども(^.^)/
[14020] 2003年 4月 26日(土)09:27:26【2】三丁目 さん
お返事し忘れてた失礼なレス、近畿地方は2府4県、それと101回目だから・・・
[13854]KMKZさん
KMKZは「さらりひまんのけものみち」の真下(?)の「さらりひまんのもぐらみち」を毎日往復しています。
#地下鉄大江戸線の愛称を「ゆめもぐら」にする案もあったとか。
「ゆめもぐら」案も、確かにありましたね。そういえば、都営12号線(光が丘~練馬)が、大江戸線(全線開通)として新宿まで乗換ナシで行けるようになってから、光が丘駅まで、遠方から自転車で来る人が増えて、電車が混むようになったと新聞で読んだ記憶があります。
と、これだけだったら、一昨日までで書けてたはずなので、昨日、電車の中吊り広告を見て気づいた話を付け加えます。手塚治虫マガジンなる雑誌が創刊されており、「どろろ」を連載中と、初めて知りました。元手塚治虫ファンクラブ会員としては、名作が新たに読まれる機会のあることは、喜ばしい、と思ったのでした。
なお、付け加えますと、「さらりひまんのけものみち」は、エルタワー内の非常階段を通るところがミソです。こんな使われ方をされるとは、想定もしていなかった作りだからでしょう。階段が細いので、対面交通が大変なのです。

[13953]カッパーさん
はい。ぼくの学校では2府4県と習いました。
ありがとうございました。よかったぁ。今でもそのように教わるのですね。ニジェガロージェッツさんは私よりも年上だし、まがみさんは、年齢を探る手かがりが書き込みの中から見つからないし(笑)。ということで、カッパーさんを頼りにしてました。それで。。。三重県さん、しつこいようですが少なくとも、近畿地方ではあなたのことを、お仲間とは思っておりませんので、あしからずぅ。あ、でも、もしかしたら関西地方という括りだとお仲間なのかな?

[14007]太白さん
三丁目さんの追い上げが急ですので(笑)。それはさておき、三丁目さんは次が100件目の書き込みのようですね(前祝)。
前祝、ありがとうございます。実は、先般、太白さんからご祝辞を頂いてから、100回目の書き込み内容は、意識してしまいました。だから、三丁目らしい北海道ネタにしてみました。ホントは小樽関連の書き込みを続けるつもりだったのですが、予期せぬところから、私には珍しい東京ネタを、間に入れてしまいましたが。ところで、この書き込みは101回目ですからプロポーズ?を。太白さん、北海道について、何かお知りになりたいことはございませんでしょうか?(これぐらいは営業トークで、丁寧に御用聞きしなくちゃね)。我が地理アドバイザーとともに、全力を傾けて調査いたしますぞ\(^^\) (/^^)/敵?に塩を送るのも、武士の情けですよ(笑)。ま、とりあえず、新ネタで楽しく調査を続けているところですけどね。

最後になりましたが、オーナーグリグリさん、お忙しいにもかかわらずメンテナンスして頂き、ありがとうございました。
[14009] 2003年 4月 25日(金)15:05:05【1】三丁目 さん
小樽、ニシン編
私が、鰊漁といえば、鰊御殿がある小樽市のイメージがあるんだけど、と釧路在住友人にメールで書いたところ、「ソーラン節で知られる、江差を中心とした檜山地方のイメージがある」との返事が返ってきました。友人は旭川出身ですから、地元的には、留萌地方というイメージもあるんだけどね、とのこと。
(注:正確を期すと、ソーラン節は、積丹半島方面が発祥とされていて、余市町等が、我町こそがふるさとである、と諸説入り乱れているところです。檜山方面の歌としては、1963年から全国大会が開催されている、江差追分が有名です。)

その後、しばらくメールのやり取りを続けたのですが、鰊については、若干の調査を踏まえて、少々、補足したくなりました。

というのも、小樽で鰊漁が栄えて、そのなごりが鰊御殿だということは、間違いではありません。しかし、鰊漁と言えば小樽のことで、小樽を中心に栄えたと理解されるとなると、檜山方面の郷土愛好家の方々にしてみれば、納得がいかないのではないだろうか、ということなのです。

現在残っている鰊御殿は、かつての鰊漁の繁栄ぶりを示す文化遺産ではありますが、維持管理している市町村等からみれば、観光資源の1つとなっています。元々は、網元と呼ばれた豪商と、その使用人の住居だった鰊御殿は、鰊漁が衰退していくとともに傷んでいった建物を譲り受け、市町村等がお金をかけて修復し、維持管理しているのが、現在の姿でしょう。

小樽には観光客が多く、現存する最大規模の鰊御殿が、市内祝津の高台にあり、目立ちますから、鰊御殿&鰊漁=小樽というイメージにつながりやすいのですが、後志、檜山の昔を知る人に言わせれば、元はこちらにたくさんあったのに、という感じでしょうか。

それで、ご参考までに。私が確認した、道内での鰊御殿です。
[檜山地方]
旧中村家(檜山郡江差町。)
横山家(檜山郡江差町。ただし、横山さんが現在もお住まいなので、全部を見学できるわけではありません。)

[後志地方]
鰊御殿(旧青山別邸)(小樽市。現存する中で最大規模を誇る建物。泊村から移築。)
もと鰊御殿「銀鱗荘」(小樽市。現在は、旅館として営業しています。)
もと鰊御殿(泊村郷土館)(古宇郡泊村。)
もと鰊御殿「お宿鰊御殿」(寿都郡寿都町。現在は、旅館として営業しています。)

[留萌地方]
留萌旧佐賀家漁場(国指定史跡)(留萌市。)
花田家番屋(国指定重要文化財)(留萌郡小平町。)
岡田家にしん番屋(苫前郡苫前町。)

なお、留萌地方については、北海道人という道庁が運営するサイトの「留萌のニシン街道」としてまとめられており、参考URLは、http://www.hokkaido-jin.jp/heritage/01.html となります。

と、ここまで書いたところで、念のため、「鰊御殿」の検索結果を、もう一度丁寧に見ていったところ(だって1000件以上出てきて、大変なのですから)、リンクフリーのURLを見つけました。鰊御殿については、このURLをスクロールすると、「ニシン漁」のところに記述されています。せっかくたくさんタイプしたのに、その文章を破棄するのは悔しかったので、最後までお付き合いさせてしまって、申し訳ありません。
http://www.onitoge.org/nyumon/rekishi9.htm
こちらは、個人の方が作成されていますが、全体を読んでいくと、北海道のことが、全般的にわかるようになっています。

オマケの情報
検索結果の中には、「純米大吟醸、鰊御殿(にしんごてん)製造元、北の誉酒造株式会社」というのも、出てきました。飲まれた方ぁ、おいしかったですかぁ?(-.-)凸
[13937] 2003年 4月 24日(木)19:06:26【1】三丁目 さん
レス&レス
[13891]てへへさん
数字の地名の数字の読み方で、京都読みは昇順読み、丁目読みは降順読みとも言えるのではないでしょうか?
言われるまで、気がつかなかったですよぉ。思わずうなずいてしまいました。

[13892]白桃さん
本当に充実した半年でした。皆様、ではまたお逢いできる日を楽しみに、ごきげんよう。
残念ではありますが、また、戻られる機会をお待ちしております。条件が整えば、月の輪熊さんのように(かな?)、復帰されることを楽しみにしております。私自身も、人事異動までは、今のペースで書き込みができるのですが、変わったら参加は難しくなるかもしれません。「あんたは変わらないよ」と飲んだ席で言われましたが。

[13899]まがみさん
>これが、まがみさんが用意しておられた未定稿の1つなのですね?
いえ、[13745]のレスのために急遽つくったものです。なので未定稿とは別物。
なんと!!やっぱりテーマを分けてくださいぃ。。。あ、でも、まがみさんから頂けたとしても、私が消化不良を起こすかもしれませんね。その人に合った、持ち味というものがありますよね。私が頂いたレスは、一般向けの方ですし、ね。

[13913]太白さん
10万字達成おめでとうございます!
ありがとうございます!書き込みランキングをよく見ておられるのですねぇ。私も、言われて初めて気づきました。いつのまにやらseahawkさんを抜いてしまったではありませんか。3月末には、太白さんとseahawkさんが、ハゲシク争っていたのを書き込みで知り、印象に残っていたのですけれど。2回リリースした「Re:神戸M&M」で、文字数を稼いだんじゃないかと、ヒヤヒヤしてましたよ。

[13931]カッパーさん
拙稿[13859]で2府4県と書きましたが、私が習った20年以上大昔に比べて、今でもそう聞きますか?実は、書き込むときに、カッパーさん、どうですか?とお聞きしようかと思いつつも、まぁいいかなと考え、お願いするようには振らなかったのですけれどもね。
[13859] 2003年 4月 23日(水)22:50:50三丁目 さん
三重県は中部地方
[5462]二ジェガロージェッツさん
このうち、「道州制案」は(中略)北海道、東北(6県)、関東(山梨を含む1都7県)、北陸(長野を含む5県)、東海(三重を含む4県)、近畿(2府4県)、中国(5県)、四国(4県)、九州(7県)

[11116]なもさん
近畿地方(2府4県)の中心点→大阪府 堺市から沖合4㎞の大阪湾上

2府4県で検索したら、過去の記事は2件だけ検索できましたが、私がかねてから不思議に思っていたのは、確かに経済圏として、中部地方(愛知県)との結びつきが強い一方で、県の一部は関西圏のベッドタウンでもあるという不思議な立地の県ですね。でも、尼崎市で「近畿地方は2府4県」と習った記憶があるので、疑問の余地のない話だと思っていました。2府4県は、私にとって固有名詞のような感じです。ちょうど、「関東地方は1都6県」と高崎で教わったのと同じように。
都道府県のことを習う小学4年生の、8月に転校したから、私にはこのような記憶があるのですけどね。

だから、私には三重県が近畿地方に入るとなると、非常に違和感があるのです。え?中部地方じゃないの?という感じです。近畿に入ってくるなよぉ、とまで言っちゃいましょうか?

中部ではないとすれば、ニジェガロージェッツさんがご紹介されている、東海、でしょうかねぇ。
[13839] 2003年 4月 23日(水)21:23:31三丁目 さん
さらりひまんの「けものみち」
大辞林(国語辞典)によると「けもの-みち」[獣道]
けものの往来によって、いつの間にかできた山中の細い道。「―に迷い込む」……だそうですが。

今回は東京ローカル、というか西新宿限定で。釧路の友人に、メールで先に送って読んでもらったところ、地の利がないからさっぱりイメージがわかない。新宿西口って、どこが地上なのかさっぱりわからないところだ、ということは知っている程度だそうで。ということで、わからない人には、全然面白くない話のようですが、ご容赦のほどを。新宿にいらっしゃる機会があるときの、ガイドブック代わり(になるかなぁ)にでも使ってくださいな。

新宿駅の西方向といえば、都庁へ向かう、動く歩道(西方向)が知られていますが、それよりちょっと北側方面へ行く際の、通勤ルートのご紹介ということで。

JR新宿駅西口を出ると、出来るだけ北側(新大久保側)をしばらくそのまま、まっすぐ西へ向かって歩いてください。
右手に見える、みどりの窓口、OX SHOPを過ぎるとエスカレーターがあります。
エスカレーターを過ぎるとすぐ右(北方向)に曲がってください。

40mくらい歩くと左手(西方向)に、小田急エース館の入口が2つあります。
ツウは手前(南側)からエース館に入りますが、一般の方は、奥(北側)から左折してエース館に入ってください。そちらの方が、人通りが多いはずです。

そのまま、道なりにエース館の中を西方向へ歩くと、いったん建物が終わり通路を横切ることになりますが、5mくらい先で、またエース館に入れますから、そのまま続けて歩いてください。
また、道なりに歩いて行くと、とうとうエース館を出ます。

出たら右(北方向)に曲がり、30mほど歩くと、左手(西方向)に階段と短いエスカレーターがあります。
そこを上がって、新宿エルタワーに入ってください。
エルタワー内を、西方向へ直進すると、正面の遠くの方に埼玉県領事館があります。

その領事館の手前左側(南方向)に、上の方に「非常口」と緑の表示がある、人がやっとすれ違える細い階段があるから、そこを上がってください。螺旋状の階段を上ると、地上に出られます。

地下をグルグル歩いて、方向がわからなくなったかもしれませんが、これで西方向へ歩いていけば、損保ジャパンビル、新宿野村ビル、新宿アイランドタワー、そして新宿警察署へ行けます。
これをマスターすれば、きょうからあなたも西新宿・北側方面の、一人前の「さらりひまん」。

平日の日中も、それなりに人通りがありますが、圧巻は夕方5~7時頃へかけての、帰り道でしょう。ご紹介した行き方を、ちょうど逆方向へ歩くことになりますが、エルタワーに人が吸い込まれていく様子は、まるで蟻が巣に帰っていくようです。

ちなみに、朝の通勤時には、小田急エース館がまだ開いていないから(午前10時開店でしょうか)、ご紹介したルートでエース館を抜けていくことはできません。
職場の人が「さらりひまんのけものみち」と言っていたのは、言い得て妙だと思ったものですから。たまには、フィールドワークに基づいたお話をご提供、ということで。地下部分から地上へつながっていくルートは、さすがに地図には表記されていないのではないでしょうか?

昨日、保険勧誘員の人に見せた原稿が、これです。
[13828] 2003年 4月 23日(水)20:06:07【2】三丁目 さん
北部方面三丁目師団からのお返事
なにやら、私が知らないうちに、重要な任務をおおせつかったようで。

[13763][13764][13765][13766]YSKさん
お気遣いありがとうございます。書き込み、拝見いたしました。道北は、道東とならんで、私の土地勘が鈍い地域ではありますが、たいへん興味深かったです。本日、友人とのメールのやり取りを読み直したことと併せて、3つほど新ネタを思いつきました。どこまでモノにできるかわかりませんが、とりあえず調査に取りかかり始めました。
調べ始めると、いろいろと話が膨らむものですから(膨らませてる?)、小樽編については、実はあと2つ用意しております。それに絡んで、檜山支庁に先日電話したのですが、先方から送りましょうか、と言ってくれた資料が、本日郵便で届いておりました。観光PRになるとの判断で、送ってくれたのだとは思いますが、檜山支庁や江差町のためにも、ネタ探し道を、より一層精進せねば、と誓いを新たにするところでした。

[13777]まがみさん
これが、まがみさんが用意しておられた未定稿の1つなのですね?恐れ入りました。これは受けましたよ。

[13791]KMKZさん
迅速な対応、ありがとうございました。実は、昨晩のうちに気づいたのですが、お酒により、書き込み不能状態となっておりましたゆえ、お礼が遅くなりました。

[13800]雑魚さん
メンバー紹介文の出身地、居住地に関する項目ですが、一通り対処したつもりです。
出身地をどのように書かれたのか、興味を持って早速見たところ、笑ってしまいました。職場で読んでいるんだから、あんまり面白いことを書かないでください!!プンップンッ(と言いながら、笑いを抑えられなかったのですけれど)。私の気持ちを汲んで頂き、ありがとうございました。

[13802]般若堂そんぴんさん
喜国雅彦氏「三丁目防衛軍」という作品がありましたね.良い子の皆様は絶対に読まないように!(三丁目さん,どうか御容赦ください)
あ。その漫画を読んだことがなくて、なんのことやらさっぱりわかりませんので、反応のしようがありません(笑)。これから漫画喫茶に行って、読んでみようかな。ちなみに「三丁目」は、私の転居歴の中では最も多かったから、馴染んでいるし、好きなのです。住んだ中での最大数値は、「西16丁目」でしたが、これは番外編ですね(笑)。

[13820]ありがたきさん
「47都道府県制覇」って言葉を使ったりしますが、住民票を置いた事のある方って居るんでしょうか?
そのように、転勤族を刺激するような言葉をおっしゃらないでください。私は7都道県ですね。北海道で3市、東京都で3区、埼玉県で3市、兵庫県で3市がダブッてますから、ちょっと損?してますかね。ちなみに、私は都会への憧れはありません。ただ、仕事の関係で首都圏におりますけどね。でも、献血したことがあるのは、40都道府県ですゾ。エヘン(ちょっと自慢)。目標は、47都道府県制覇にしているのですが、残すところは九州地区で、現在居住地からは、いかんせん遠くて。
[13758] 2003年 4月 22日(火)22:08:00三丁目 さん
書き込み材料の、ヒントを下さいぃっ
[13751]まがみさん
じゃあ私の未定稿をお分けしましょう(笑)(中略)あと10回分ぐらいは(中略)私の書込みがなくなっちゃうので、やっぱりあげない
そんなに持ってらっしゃるのですかぁ?さりげない、皆様方の書き込みの中から、コツコツと「コア」な分野を見つけているワタクシといたしましては、羨ましい限りです。ジツは、北海道方面にいるアナザー友人にも、何かな~い、と聞いているところなのですけれども、ちょっと期待ウス、かなぁ?これわ、と思われた話に、チラッと北海道方面の話をかまして頂ければ、至急、調査いたしますので、どうぞ、三丁目探偵事務所にご用命のほどを。。。あ、、、でも、、、難しそうなテーマは、目にとまらないかもしれませんし、調査報告も遅いかもしれません。あしからず、ご了承お願いいたします、とともに、ご贔屓、ご用命くださいませ。
[13746] 2003年 4月 22日(火)20:52:51【1】三丁目 さん
K、、KMKZさん
あ、タイトルは「ク、クムクズさん」と読んでくださいね。
それで[13738]KMKZさん
釧路市と釧路町の複雑な関係は、確かに拙稿[13312]にてご披露いたしましたが、「自治体の分離」とサラッと流して頂けませんでしょうか。こう見えても?一応気を使っているつもりなのです。現実に今も、その地域に住んでいらっしゃる方に、不快感を与えないように、と。未定稿で用意しているものも、ナマナマしい記述は避けて、事実を淡々と述べる姿勢に、チョビッとヒントを混じえようとは、思ってましたけれど。
[13744] 2003年 4月 22日(火)20:32:13【1】三丁目 さん
お礼、と日本銀行をちょびっと、とレス
[13563]紅葉橋瑤知朗さん
三丁目さんだけひいきしているわけではなくて、
ご贔屓ありがとうございます\(^O^)/。というか、そちらのお礼ではなくて、「福島県双葉郡久之浜村は、明治35年6月1日に町制施行しています。」と補足して頂き、ありがとうございました。書きこむときには、資料をちゃんと手元に持ってきとかなきゃ、と反省した矢先、昨日も資料を忘れたために、日銀の支店の順を間違えてしまいました。
釧路支店を2回表記したことに気づき、慌てて1つを削除したのですが、道内での正しい日銀上の組織順は、釧路支店、札幌支店、函館支店でした。

[13670]uttさん
北のウォール街、小樽は北緯43度付近、本場のウォール街(ニューヨーク)は北緯41度で「北」と称しながら、緯度はそれほど差がないような気がする
ぃきた~のお~、ぇさかばどおりにぃわ~♪。ここでいう「北」とは北海道を表していて「北海道のウォール街」と、私は思っていましたけれど。あ。。。歌は、直接は関係ありませんかね。失礼しました。

[13666]雑魚さん
札幌の玄関口、ないしは開拓政策上の重要な港湾としての小樽の拠点性は、私なんぞが想像するより遥かに大きいのですね。
「大きかった」と過去形になるかとは、思いますけどね。だって、小樽支店が閉鎖されてしまったくらいですから。
ちなみに、道内での日本銀行の支店・事務所開設順は、以下のとおりです。
1888年(明治21年)函館出張所
1893年(明治26年)小樽派出所
1897年(明治30年)小樽出張所
1906年(明治39年)小樽支店
1911年(明治44年)函館支店
1942年(昭和17年)札幌支店
1946年(昭和21年)帯広事務所
同年旭川事務所
1952年(昭和27年)釧路支店

なお、日本銀行の支店、事務所所在地一覧で、私が興味深く思ったのは、下関支店です。山口県下随一の人口を誇り、県内で最も古くから市制施行されたところ。福島県での支店所在地が郡山市ではなく、県都福島市内にありますが、下関市が山口県の中では、県都山口市も足元にも及ばない(とまで言って良いのかしら?)他を凌駕する、抜きんでた存在であることを、改めて認識しました。

[13706]雑魚さん
私が当選した暁には、以下の公約を実施致すべく、御誓いを申し上げます。
(中略)○ 街の中心となる鉄道駅名は、無理矢理自治体名に合わせる。
あぁ、こ~れ~はっ♪、、、私は対立候補に投票しま~す(^o^)/~~~~~私の無念シリーズをご覧になってらっしゃらないのでしょうか(笑)。ね、雑魚さんのこの公約は、落書き帳仲間といえども、投票できませんよね、Issieさん。

[13742]月の和熊さん
>トルコには、トーゴー通り、トーゴー公園や、ノギ通りもあるようですが。
これはロシアに負けたトルコが、日露戦争で戦功を立てた両名をたたえたものでしょうか。
トルコの事情に詳しくはありませんが、日露戦争で大国ロシアを破った日本に対して、トルコ国民は親日的、と、どこかで読みましたから、まぁ、そのような経緯で名づけられたものと思われます。当時、生まれた子供に「トーゴー」「ノギ」と名づける人がいた、とも、どこかで読みました。もしかしたら、フィンランドの話と混ざっているかもしれません。それであればゴメンナサイ(..)ペコリ。

[13695]オーナーグリグリさん
生まれた場所:東京都(両親の出身は山形県ですが、私自身は住んだことがありません。)、居住地:東京都、又は埼玉県。現在は、主な生息地を首都圏に構えていますが、転勤族として育ち、北海道の会社に就職したものの転職した私は、フクザツな心境なのでありました。説明するのが、メンドくさいからなのですけれど、ね。
[13739] 2003年 4月 22日(火)20:05:25【2】三丁目 さん
太白さんへのお礼、とちょっと独り言(愚痴かな?)
[13041]太白さん
横レスですが
横レス、大歓迎です。お礼を申し上げねば、と思いつつも、10日ほど経ってしまいました。道路について私は、あまり興味を持っていないものですから、連名でご指名もかかっていたし、どうしたものかと思っていましたから、助かりました。ありがとうございました。ご存知の方から、どんどんお返事を頂けるのが、この落書き帳の魅力の一つですよね。少々遅くても、許して頂けてるし。それに甘えているワタクシなのでした。((((((^_^;)

[13692]太白さん
「北の防人」の北海道の都市紹介、興味深く拝見しています。(中略)「無念」シリーズですか(笑)。
過分なお言葉、ありがとうございます。実は、そろそろ、ネタがつきてきたのです。ハァ(ため息)。あと、3回分までの原稿を準備してはいるのですが、その後はどうしたらよいでしょうか(→。←)聞かれてもいませんが「無念」シリーズは、ホントは、楯岡、小樽、までは実際に地元の無念さを知っているから、その順に出して、平を最後にするつもりだったのです。平は、地元の情報をよく知らないので「平も無念、なのかな?」にするつもりだったのです。

でも、先般も申し上げましたが、いわき市の話が流れた中に載せた方がスムーズかなぁ、と思って、急遽、順番を変更したのでした(中学生の皆さん、英語ではsmooth[smu:th]ですから、発音に注意しましょうね。と書いておいたら、thの発音記号でエラーメッセージが出てしまったので、thへ緊急で直しました。ティエィチですゾ、中学生の皆さん!)。だから、というわけではありませんが、ちょっと調査が行き届いていない、荒い原稿だったかもなぁ、と反省している部分がありました。「平について、三丁目からの調査未了分のリベンジ」編でもやってみようかなぁ。

きょうはきょうで、昼休みに来た生命保険の勧誘員に、未定稿の感想を聞こうと思って見せたところ、もらっていいですか?と聞かれ、渡してしまったのですが、帰宅途中に思いました。渡さなければ良かった、と。生命保険の勧誘員って、いろいろなところで話をするから、せっかく私が、この落書き帳用に用意したネタを、方々で話すかもしれない。そうするとマスコミがかぎつけて、面白おかしく取り上げるかもしれない。私の著作権わぁ???と、妄想が広がっていったのでした。来週、書き込む予定だったのですが、繰り上げて明日ご披露する予定です(本日は、手元に持ってくるのを忘れました)。

実は、自分色登録をためらっていたのも、いずれネタに尽きるであろうことは、わかっていたからなのです。いつまで、現在のような調査・書き込みペースを続けられますことやら。レス専科になってしまうと、レスできるお話も、私では限られているものですから。

纏めレスにしようと思って書き始めたのですが、長くなってしまいましたので、分けますね。
[13664] 2003年 4月 21日(月)22:15:51三丁目 さん
Re:こだわるJR北海道
[13662]ちりたまさん
函館本線で移動中、車窓からは北海道新幹線の早期完成(だったかな?)を求める(中略)長万部駅にも・・
こちらの掲示板では、新幹線に対して歓迎的なムードが比較的多いように感じていたものですから、あまり否定的な話をするのはと、差し控えていたのですが、北海道新幹線については、釧路在住友人も、私もきわめて懐疑的です。ホンキでツクルノ?とメールでやり取りしていたところです。たとえ、青函トンネルが新幹線対応でつくられていても、です。

地元が早期建設促進を求めているのは、当然のことですよね。それをポーズと言うつもりはありません。ただ、新幹線は、かえって一極集中を加速しているように、私には思えるのです。出張で山形市へ行った際に、上山温泉に4人で泊まりましたが、旅館の方が言っていたのは、山形新幹線ができたおかげで、東京からの出張は日帰りされるようになり、泊まってもらえなくなった、と。あるいは、何かの記事で読みましたが、交通が便利になったおかげで、東北地方での営業所関係が、仙台拠点への集約化が進んでいるとか。

話がそれましたが、少なくとも北海道新幹線に関しては、昭和の三大~~査定と比較されるようなシロモノにはならないように、と願っております。いらないんじゃないのかな?という意味です。
[13648] 2003年 4月 21日(月)19:23:22【1】三丁目 さん
小樽の無念
今回の無念のテーマは、日本銀行小樽支店が閉鎖されたことについて、です。というのも、日本銀行は、日本の経済・金融活動の拡大に伴って、各地に支店、又は事務所を配置してきました。これまでは、事務所から支店へ移行したことはありましたが、支店から事務所への移行はありません。そういう点で、支店、又は事務所を廃止したのは、日銀史上、初めてのことなのです。私が北海道にいた頃から、支店廃止反対運動がありましたので、気になってはいたのですが、ついに、2002年9月16日に廃止されました。

もともと、日本銀行小樽支店は、1893年(明治26年)に日本銀行派出所として設置されました。その4年後には出張所となり、1906年(明治39年)に支店になりました。現在は、2003年5月14日に「日本銀行旧小樽支店金融資料館」として開館すべく、準備が進められているところです。皆さんも、小樽観光の際には、ぜひお立ち寄りください。いかにも明治の建物らしい、重厚感がドッシリときます。

小樽市HPによると、小樽は、1865年(元治2年)に「幕府は「オタルナイ」を村並とする。」とあり、1965年に開基100年式典を実施したとあります。道内でも最も早い時期から入植が進んだ地域です。また、北海道最初の鉄道が、手宮(小樽)~札幌間に開通したところでもあります。

簡単に小樽市の歩みをご紹介しますと、開拓の本府が札幌に置かれると、北海道開拓の最も重要な港湾として位置づけられて、商業港湾都市として急速に発展しました。やがて、中央の金融機関が多数進出してきて、通称「北のウォール街」と呼ばれた銀行街を形成するようになります。これらの建物が、現在、市内で歴史的建造物としての街並みになっています。

以前、拙稿[13312]にて道内の都市(札幌、函館、小樽、旭川、室蘭、釧路)に区制が施行された順、また[11539]ではその6市の国勢調査による人口推移をご紹介しておりますので、ご興味をお持ちになられた方は、併せてご参照くださいませ。

最後に、日本銀行の支店、事務所所在地をオマケに載せておきます。先般は、ナマモノの「血」にかかる血液センター所在地をご紹介しましたが、今度は経済の「血」ということで。カッコ内は、日本銀行が所在する都市名です。事務所の記載順は、日銀のHPのとおりですが、地域・管轄別という形には分かれていませんので、私が見やすいように、勝手に改行しました。

本店(東京都中央区)

札幌支店(札幌市中央区)、函館支店(函館市)、釧路支店(釧路市)

青森支店(青森市)、秋田支店(秋田市)、仙台支店(仙台市青葉区)、福島支店(福島市)

前橋支店(前橋市)、横浜支店(横浜市中区)、新潟支店(新潟市)、金沢支店(金沢市)、甲府支店(甲府市)、松本支店(松本市)、静岡支店(静岡市)、名古屋支店(名古屋市中区)

京都支店(京都市中京区)、大阪支店(大阪市北区)、神戸支店(神戸市中央区)

岡山支店(岡山市)、広島支店(広島市中区)、松江支店(松江市)、下関支店(下関市)

高松支店(高松市)、松山支店(松山市)、高知支店(高知市)

北九州支店(北九州市小倉北区)、福岡支店(福岡市中央区)、大分支店(大分市)、長崎支店(長崎市)、熊本支店(熊本市)、鹿児島支店(鹿児島市)、那覇支店(那覇市)

水戸事務所(水戸市、常陽銀行本店別館内)
帯広事務所(帯広市、帯広北洋ビル内=旧北海道拓殖銀行ビル内)
旭川事務所(旭川市、旭川北洋ビル内=旧北海道拓殖銀行ビル内)
盛岡事務所(盛岡市、岩手銀行本店内)
山形事務所(山形市、山形銀行本店内)
富山事務所(富山市、北陸銀行本店内)
福井事務所(福井市、福井銀行本店内)
長野事務所(長野市、八十二銀行本店内)
鳥取事務所(鳥取市、山陰合同銀行鳥取営業部内)
徳島事務所(徳島市、阿波銀行本店内)
佐賀事務所(佐賀市、佐賀銀行本店内)
宮崎事務所(宮崎市、宮崎銀行本店内)

ニューヨーク事務所、ワシントン事務所、ロンドン事務所、パリ事務所、フランクフルト事務所、香港事務所

日本銀行は、日銀短観を発表しているわけですから(役割はそれだけではありませんが)、経済活動の拠点地域から、直接現場で情報を収集するためもあるのだろう、と思っています。もしかしたら、支店や事務所の設置基準があるのかもしれませんが、それは確認しませんでした。

ちなみに、地図上で見ると「日銀」と表示されていますから、私が知っている限りでは、全て独立した建物だろうとは思っていたのですが、念のため一般広報部とやらに、電話して聞いてしまいました。支店は、それぞれ1つの独立した建物だそうです。サスガは、日本銀行ですね。

長野県が、長野「事務所」と松本「支店」に分かれているところは、興味深いものを感じました。また、面積が圧倒的に広い北海道を除くと、2つあるのは、長野県と福岡県だけですからね。北九州市には、小倉市の時代(明治時代)から支店があったことと、福岡都市圏からは距離も離れているし、独立した経済圏であることから、そうだろうな、と思いました。

このお話。先週からのんびりと調査していたのですが、ちょうど本日書き込もうと思っていたら、太白さん[13623]から銀行のお話が。。。おぉっ、とあまりのタイミングの良さに驚いてしまいました。
[13556] 2003年 4月 20日(日)18:52:26【2】三丁目 さん
JR東日本殿、ごめんなさい。陳謝いたします。
拙稿[12833]にて、「楯岡駅が改称されたのは、JR東日本からの働きかけだったという話を耳にしました。真偽のほどはわかりませんが。」と書きましたけれども、それは誤りだったようです。

その件に関連して、平駅が、いわき駅へ改称したケースを調べていたのですが(楯岡駅が、山形新幹線延伸に伴う改称と同事例として、どのようなタイミングで改称したのか?)、平成7年に福島国体が開催されるのにあたり、「JR線活性化推進協議会」から、いわき市をアピールしたいとの要望があったため、JR東日本は平成6年12月3日に改称したとのことです。念のため、JR東日本広報部にお聞きしたら「駅名の改称は、地元からの要望がない限り、行いません。」との回答を頂きました。
謹んで、お詫び申し上げます、JR東日本殿。

それで、せっかくいろいろと調べて用意していたものですから、ただではコロバナイ三丁目としましては、いわき市のデータだけ、淡々と、ご紹介したくなりました。タイプするのも疲れましたが、これだけの経緯があって、よくぞ大合併に至ったものだと感心しました。現在の広域合併(平成の大合併)の、まさにお手本ですよね。全国から視察は来ているのでしょうか??

平市を除いて、1950年代の合併に限定してご紹介することにしましたが、それだけでもたいした量です。古地図があると、楽しめるのですけれども、現在の地域名を見るだけでも、十分面白いかもしれません。いわき市になる直前は、下記の5市4町5村です。最初は全部「旧」を付けたのですが、あまりにうるさくなってしまったので、駅名紹介の方にだけ、残しました。

平市(1937年市制施行:平町と平窪村が合併)
   1950年に飯野村・神谷村と合併
   1954年に夏井村・高久村・草野村・豊間町と合併
  1957年に赤井村の一部(大字赤井)と合併
内郷市(1954年市制施行:内郷町が単独で移行)
  1955年に箕輪村の一部(大字高野)と合併
常磐市(1954年市制施行:湯本町と岩崎村が合併
  その前段として、1954年の市制施行2日前に湯本町と鹿島村の3部落が合併
磐城市(1954年市制施行:江名町、泉町、渡辺村、小名浜町が合併)
  その前段として、1953年に鹿島村と小名浜町が合併、半年後に鹿島村の3部落が分離し湯本町と合併
勿来市(1955年市制施行:植田町、錦町、勿来町、川部村、山田町が合併)
石城郡遠野町(1955年町制施行:上遠野村と入遠野村が合併)
石城郡小川町(1955年町制施行:赤井村の一部と上小川村、下小川村が合併)
石城郡四倉町(1955年町制施行:大野村、大浦村、四倉町が合併)
石城郡好間村(1955年に箕輪村の一部と好間村が合併)
石城郡三和村(1955年に永戸村、沢渡村、三阪村が合併)
石城郡田人村、川前村
双葉郡久之浜町、大久村

それで、もともとは駅名を調べていたので、こちらもご紹介しますと、
常磐線
勿来駅(旧勿来町~旧勿来市~いわき市)
植田駅(旧植田町~旧勿来市~いわき市)
泉駅(旧泉町~旧磐城市~いわき市)
湯本駅(旧湯本町~旧磐城市~いわき市)
内郷駅(旧内郷町~旧内郷市~いわき市)
いわき駅(旧平駅:旧平町~旧平市~いわき市)
草野駅(旧草野町~旧平市~いわき市)
四ツ倉駅(旧四倉町~いわき市)
久ノ浜駅(旧久之浜町~いわき市)
末続駅(旧末続村~旧久之浜村~旧久之浜町~いわき市)

磐越東線
赤井駅(旧赤井村~旧平市・旧小川町~いわき市)
小川郷駅(旧上小川村・旧下小川村~旧小川町~いわき市)
江田駅(もともとの字名~いわき市)
川前駅(旧川前村~いわき市)

ちなみに、いわき市未来づくりセンター(電話0246-22-7408)というところが「いわき市内地域別データファイル2002」(572円プラス税)を発行しており、こちらに詳しく載っています。

本来、引用は前段に持ってくるべきではと思ったのですが、構成上、コメントを最後にしたかったものですから、失礼ながら。

[1254]Issie さん
「いわき」の場合,合併前に「磐城市」を名乗っていたのは小名浜でしたね。幸い,小名浜には常磐線の駅がなかったのですが,合併後40年が経過して「磐城市」の記憶が薄れたことと,平の地位がゆるぎないものになって初めて可能になったのでしょう。
でも,私は「平」を残してほしかった。

[6829]YSKさん
(3)いわき市(旧平市、旧常磐市、旧磐城市、旧内郷市、旧勿来市を中心とした広域合併)のケース
新産業都市の指定を受けて都市基盤の強化が行われた(主に住宅地と工業用地の拡大)が、官公署等の行政・文化の拠点となる施設は主に平地区に配置されて拠点化する一方で、小名浜地区や常磐地区等では観光機能を強化する施設配置がみられた(小名浜地区には、一部港湾関係の官公署も立地)。その結果、対等合併であったものの、その後の施設配置は、平地区の拠点性を強化させる方向であった。

[11984]蜜蜂 さん
対等合併であれば、いわき市の14市町村の合併(5市4町5村)というのがありました。

[13365]ken さん
平市、内郷市、常磐市、勿来市、磐城市、遠野町、小川町、四倉町、田人村、好間村、三和村、川前村、久之浜村、大久村が合併した福島県の「いわき市」も磐城市があったにも関わらず、いわきの名を生かしつつ、なおかつ磐城市とは別物というニュアンスをということで、ひらがな市が誕生しましたから、ちょっと似てますね。

はぁ。。。いわき市のように注目されている市は、皆さんいろいろ書きこまれているのですねぇ。過去ログを調べたらずいぶんと多かったので、私のようなものが立ち入るジャンルじゃなかった、と後から反省しました。最初は「平も無念、なのかな?」で、原稿を用意し始めたのですが、トーンをだいぶ変えました。Issieさんも、残念がっておられますし、ね。

平は、私が調べた限りでは「平藩」(ということは、地名としては、それより相当以前に遡ることができるはずですが)、あるいは勿来の関など、いろいろありましたけれど、ご興味を持たれた方は、ご自身でお調べくださいませ。なにせ、平藩だけでも、たいへんだったので、私は途中で、やめてしまいました。内郷市も、常磐炭田の中心地だった、等いろいろ見つかりますよ。

本当は、いわき市の話題が出た直後に書き込もうと思って、急遽、調査スピードを上げて(もうひとつ用意していたものよりもこちらを優先して)、職場から自宅に送っておいた原稿なのですが、私事「不」都合により、本日の書き込みとなりました。しかし、「いわき市」だけで、一つのアーカイブができそうなくらい、皆さん、たくさん言及されているのですねぇ。

ネット検索を、最初は平市で行っていたのですが、赤「平市」と小「平市」にやたらと多く引っかかったため、磐城市、常磐市、内郷市、勿来市での検索に切り替えました。

最後になりましたが、Issieさん。貴兄のHPで、地理>市一覧表>福島県の「いわき市」合併前の市町村のうち、久之浜が「村」になってますよぉ。あれ?蜜蜂さんがおっしゃられたように5市4町5村の合併だったのですが、kenさんも久之浜村と記述されてますね?少なくとも、合併直前は「町」だったはずですが。資料を職場に置いてきてしまったため、今、手元では確認できないのですけれども。合併直前の町制施行だったのかな?
[13549] 2003年 4月 20日(日)17:54:33【1】三丁目 さん
遅い話も含めて、纏めレスです。
[13388] 紅葉橋瑤知朗さん
どうして(岩見沢市には)こんなに人口がいるんだろう、とわたしも思います。(中略)
物流の、というか、鉄道の町ではありました。
どうして、なんておっしゃらないでください。私が旭川出身の友人に、どうして旭川市に36万もの人口がいるのだろう、と聞いたら、理由なんているのか?と逆に聞かれました。札幌市に180万もの人が住んでいるのは、そこに住んでいる人を相手にする、第三次産業が集積し、その好循環だからじゃないか、という話になりました。旭川市も同様であり、岩見沢市も然り、なのではないでしょうか。少なくとも、現在の姿は、というカッコ付きですけど。人口が減少傾向ではないのは、札幌通勤圏に入っているからかな、と思っていました。まあ、どちらかというと通勤圏といえば、北広島市、恵庭市、千歳市方面に、その傾向が強いのではと、見聞の限りでは思っていましたけどね。
鉄道の町、というご説明は、ナルホドと思いました。ありがとうございました。

[13542]月の輪熊(地域研究家)さん
ご復帰おめでとうございます。私が印象に残っていたのは、数少ない北海道の都市をあげていらっしゃったからなのですが、ボチボチといきましょうね。よろしくお願いいたします。

そうそう。地理学で皆様方から書き込みが続いて、金曜日の午前中にフムフムと思いつつも、職場だし後でゆっくり読もうと思っていたので、今、改めて拝見しました。たいへん興味深いお話でした。ありがとうございました。
[13535] 2003年 4月 20日(日)14:45:11【1】三丁目 さん
私の無念
やっと書き込めるようになりました。私事ではありますが、せっかく用意した原稿を書き込んで、楽しい週末を迎える予定だったのですが、パソコントラブルのため(ちょうど13300番代事件?の頃と重なりましたが)、憂鬱な週末となってしまいました。拙稿[13426]の書き込み自体、モデム不調により、なかなかダイヤルアップ接続できず(雑魚さんと同じ通信環境なのでは?)やっとつながって書き込めたと思ったら、タイミングがずれた間抜けな書き込みになってしまい。。。書き込みを訂正しようと思ったら、キーボードが突然作動せず(涙)。[13338]と、かなり内容が重なっていますが、放っておいてよろしいでしょうかねぇ。

日本から撤退した、アメリカの会社のパソコンを使っていたのですが、撤退前の迅速な修理体制を心強く思っていましたが、撤退してからは・・・。諸般の事情が重なったことと、修理費用と期間を考えると、急遽、新しいパソコンを購入することにしました。本来は、お買い物って楽しいはずなのですが、どうしても涙、です。以前のパソコンに比べれば性能はあがったし、ちょっと古めのものを買えたから、価格的にはそれなりに抑えられたのですけれどね。あ。。。決して外国産のパソコンは良くない、と申しているつもりではありませんから、誤解なさらないでくださいね。

でも、これから気を取り直して、せっかく調べたものもあるので、書き込みま~す(って現金なワタクシ)。
[13426] 2003年 4月 18日(金)20:52:38三丁目 さん
Re:神戸 メモリーズ・アンド・メロディーズ
[13184][13185][13186]YSKさん
とても、楽しみにしております。実は、どこまで細かくレスしようか、迷いましたが、大学生活を神戸で過ごし、実際に地震後にかの地でお手伝いした者としての体験も交えて、簡単に。(と言いつつも、高速神戸、新開地、長田方面はあまりわからないのですけれども)

神戸市内では、西区、中央区、灘区、東灘区が私の行動範囲でした。神戸市営バスの2系統沿いに、三宮~六甲もよく歩いたものです。また、三宮~元町界隈もよくウロウロしていました。地震のニュースを朝7時のNHKで見たときには、神戸で地震がありました。フ~ン、大変そうだなぁ、と第一報では思ったものです。

ところが、時間が経つにつれ、伝わってくる情報がどんどん深刻になってくるのです。始業時刻を過ぎ、午前10時くらいには、深刻さが判明しました。それからは、いてもたってもいられませんでした。職場には1週間くらい休んでボランティアに行かせてくれぇ、と言ったのですが、ダメと言われました。

地震発生後10日め(1月26日)にして、現地(この言葉を不快に思わないでくださいね、ニジェガロージェッツさん)に、職場から行かせてもらえました。行けることになったから後輩に何がほしいか聞くと、「乾電池がほしい」と言うので、アルカリ電池を1万円分くらい買って行きました。重かったのですが、お手伝い作業が終わった後に、暗い中を自転車で走って行くと、街の明かりはあまりないし、周囲は倒れかけた建物も多く、崩れてくるのではないかと思うと、正直なところ怖かったです。

話が前後しますが、初日は大阪に集合だったのですが、大阪に着くと何も変わらない日常風景だったので、あのテレビの報道は何?と思ったものです。ところが、たしか大阪から甲子園口まではJRが運転していたと思いますが、武庫川を渡ると景色が、あまりに違うのに轟然としました。親しんでいた甲子園口の商店街も、半分くらいは建物が倒れていたでしょうか。

私が作業したのは、灘区の篠原公園でのお仕事だったと思いましたが、短い間でしたが、お手伝いできました。しかし、上空にはヘリコプターが、バラバラと音を立てたくさん飛んでおり、不謹慎ですが、その音はベトナム戦争を扱った映画のように、私には感じられました。

私が神戸を離れたのは、たしか日曜日だったと思いますが、倒れた建物を見に来たのか、結構、見物客がいました。後日、大阪在住の友人に聞くと「こういうことがあるっちゅうことを、肝に命じるために見に行ったんや」と言うておりましたが、私には、単なるケンブツキャクにしか、思えませんでした。

YSKさんからは、私がポランティアで神戸に行った、と、現時点では消失している13300番台でレス頂いてましたが、実はボランティアとはちょっと違うので~す((((((^_^;)。あえて「お手伝い」と書きましけれど、ボカしている点については、悪く思わないでくださいね(^O^)。これ以上、細かくコメントすると、私の正体にかかわる話になりかねないので、このお話は、このへんで。

私が通った学校も、わかるような書き方にしてしまうか、迷ったのですが、一応、ウヤムヤにできてますよね?消失している13300番台で、白桃さんも、ご卒業された学校と思われる学校名(一期校でしたっけ?、共通一次世代にはわからないのですぅ、スミマセン)を出されていたので、私も思い切って、とは思いましたが、私のことを知っている人が経歴を照らし合わせて読むと、何者なのかバレバレなので、一応、伏せたつもりです。

ところでこれは、職場に残っている原稿に、加筆修正しました。13300番台が復活するようであれば、そちらの方を削除して頂けますか?一晩寝た後で考えると、新しいコメントも沸いてきましたので、ワガママなお願いで申し訳ありません。
この質問は、ご多忙を極めてらっしゃるオーナーグリグリさんにすることになってしまうような気がするのですけれど、13300番台が復活できるようであれば、職場に残っていた原稿(釧路、補遺編だけですが)の、再書き込みはしませんが、どうしたものでしょうか?
[13341] 2003年 4月 17日(木)19:46:30【1】三丁目 さん
理数系さん、いらっしゃぇあい!と、他の話も纏めるのが悪い癖です。
[13337]KMKZさん
大学は理学部でした。(中略)この掲示板に出没しているのは何でだろう~~♪(^^)
やはりそうでしたか。私が覚えているだけでも、YSKさん(理学部)、uttさん(化学系ですから工学部?)といらっしゃって、あんどれさんの反応も、数学がお好きなのだろう、と思っていました。
ジツはわたくし、北海道方面地理アドバイザーを抱えておりまして、拙稿に何度となく登場する釧路在住友人が、その人なのであります。友人の専門は電気(工学部)なのですが、北海道大スキ人間なものですから、話題をふると、ああだこうだ、メールで返事してくれるのです。私もたいへん助けられており、この場をお借りして、友人に謝辞申し上げる次第です。ワタクシ一人の力では、とてもあないにコアなお話は、ご披露できまへん(笑)。
とは言いつつも、もちろん、自分自身でも調べておりまするのですよ(一応、謙遜?)。
KMKZさんがおっしゃって下さった、アーカイブには未登録の、中国地方の由来(異説)も、友人の文章の代理書き込みなのです。。。と言いながら、次なる書き込みも、検討中なのでしたけれど、、フッフッフッフッ(笑)フゥオッフゥオッフゥオッフゥオッ(あ、これはバルタン星人です)。

この落書き帳を知ってから、地理学とはいかなる学部で扱っているのだろう、と思い、大学入試案内を調べました。と言うのも、物理学系的な理学部地理学科なのか、歴史系と同様な文学部地理学科なのか、どっちなのだろう、と思ったからです。。。どうやら、どっちもありなのですね?好きだから、文理関係なく、楽しくお互いに書き込めているのね、と思いました。友人によると、日本で一番ホニャララなのは?のような数字が好きなのであれば、数的感覚を持っている皆さんじゃないの、とのことでしたが。

[13339]だんな さん
百万石ストアは数年前に倒産してしまいました。地場スーパーは(中略)苦戦気味のようです。
さふでありましたか。さびしくおもひまする。ぜふほふ(でいいのかな?)ありがとふござひます。

本日は6時前に目がさめてしまい、早起きは三文の得とばかりに職場へ早く行ってしまったため、既に、すこぶる眠いのです。かやふな時間ではありますが、お酒も十分飲んでおり、いささか?ハテナでありまする。一応、青少年に配慮するとすれば、このような私でも、中学卒業時では、仲間と飲んだ蛎鍋パーティで、ビールがあまりに苦く、とても飲めませんでした。お酒の「味」をわかるようになってから、飲まれた方が楽しいのではないか、と若年時には飲めなかったワタクシが思う次第です。
[13338] 2003年 4月 17日(木)17:26:51三丁目 さん
Re:神戸 メモリーズ・アンド・メロディーズ(震災後、のお手伝い体験も踏まえて)
[13184][13185][13186]YSKさん
神戸に行かれたということで、ご執筆を楽しみにしておりました。とともに、かつ、拝見しております。実は、どこまで細かくレスしたものか、躊躇しましたけれども、大学生活を神戸で過ごし、実際に地震後に、かの地でお手伝いした者としての体験も交えて、簡単に。(と言いつつも、高速神戸、新開地、長田方面はあまりわからないのですけれどね。)

私が通った関西の大学というのは、神戸市内にありますが、自分自身の主な行動範囲は西区、中央区、灘区、東灘区でした。また、三宮~元町界隈もよく歩いてウロウロしたものです。地震のニュースを朝7時のNHKで見たときには、神戸で地震がありました。。。フ~ン、大変そうだなぁ、と思ったものです。

ところが、時間が経つにつれ、伝わってくる情報がどんどん深刻になってくるではないですか。職場の始業時刻を過ぎ、午前10時くらいには、深刻さが判明してきました。それからは、いてもたってもいられませんでした。職場には1週間くらい休んでボランティアに行かせてくれぇ、と言ったのですが、ダメと言われました。

地震発生後10日め(1月26日)に、現地(この言葉を不快に思わないでくださいね、ニジェガロージェッツさん)に、職場から行かせてもらえました。行けることになったから、後輩に何がほしいか聞くと「乾電池がほしい」と言うので、アルカリ電池を1万円分くらい買って行きました。重かったのですが、お手伝い作業が終わった後で、暗い中を折りたたみの自転車をこいで持って行くと、街の明かりは少ないし、周囲は倒れかけた建物も多く、崩れてくるのではないかと思うと、正直に言うと怖かったです。

話は前後しますが、初日は大阪に集合だったものですから、すわ、新幹線で!とばかりに新大阪駅に着いたら、何も変わらない日常風景が目の前にありました。あれ?あのテレビの報道はナニ?と思ったものです。ところが、たしか在来線は、大阪から甲子園口まではJRが運転していたと思いますが、大阪から武庫川を渡ると景色が、あまりに違うのに轟然としました。親しんでいた甲子園口の商店街も、半分くらいは建物が倒れていたでしょうか。

私がお手伝いできたのは、神戸市灘区の篠原公園だったと思いましたが、短い間でしたけれども、その場の雰囲気は、肌で感じたつもりです。あのときは、上空にヘリコプターが、バラバラと音を立ててたくさん飛んでおり(TV中継のためだったのでしょうか?今から思うと)、不謹慎かもしれませんが、その音はベトナム戦争を扱った映画のように、私には感じられました。当時は、手探り状況の中で、毎日毎日議論して良い方法を考えながら、被災された方々にとって最も良い方法は何だろう、としていたのです。だって、三文判すら、持っておられないわけですから。

とりとめもなく、思うがままにここまで書いて、どのように終わらせるか考えていたのですが、うまくまとめられないものですから、唐突ですがこれで終わりにします。あまり詳細に書き込みすぎると、自己紹介みたいになる、と思ったものですから(汗)。
[13336] 2003年 4月 17日(木)16:43:15【2】三丁目 さん
SEICO MART
[13331]雑魚さん
当地ゆかりらしい 「セイコー・マート」、北海道ではダントツの業界最大手なのだとか。(驚)
北海道地場のコンビニだと思っていました。ヘェ、茨城発なのですかぁ。意外でした。道内ではあれだけ目にするオレンジの看板。私は、日本最大手のコンビニよりは、品揃えが好きで、愛用していましたよ。気のせいか、若干、安めだったように感じてましたし。
コンビニではありませんが、スーパーのカスミ(という名称だったかな?)はニュースで記憶にあり、仕事で龍ヶ崎市へ行ったときは、オォあるある、と思ったものです。そういえば、金沢の百万石ストアは、元気にしてるかなぁ。よく、親に買い物に行かされたものです。
[13312] 2003年 4月 16日(水)22:39:19【4】三丁目 さん
釧路、補遺編
[4848]夜鳴き寿司屋さん
釧路市と釧路町のケースですが(中略)当時の釧路郡釧路町が北海道区制が施行された際に「釧路区」と「釧路村」に分離して、それが現在の「釧路市」と「釧路町」になったそうです。

[4867]ゆうさん
市街化していない地域を「区」から切り離すための分離だったという内容の文献を、(中略)読んだ記憶があります。

しばらく釧路方面の話を、拙稿[12542][12717]にて続けましたが、補遺編ということで。たぶん、これで終わりになると思いますけど。釧路史を調べていく中で、いろいろと、私が興味深いと感じ、ご紹介したくなったものですから。

北海道では、1879年に札幌と函館に区制が施行され、それぞれ札幌区、函館区になりました。その後、1899年に小樽区、1914年に旭川区、1918年に室蘭区、1920年7月1日に釧路区が誕生しています。釧路での区制施行は、先述の6区が1922年に市制施行した中では、最も遅かったのです。第1回の国勢調査が1920年(10月1日現在)に実施されていますから、いかにも、駈込んで区制を施行したのだなぁ、という印象を、私は持ちました。

区になるためには、ゆうさんもふれられていますが、人口が集中する市街地の割合が大きいことが条件であり、釧路は当時から面積が大きかったために、要件を満たしていなかったそうです。それでも、なんとか「区」になりたかった旧釧路町(現釧路市)は、人口が少なく面積が広い地域を分離することで、市街地の比率を増し、釧路区の実現を果たそうとしたのでした。

旧釧路町としては、釧路川より東の山間部の別保地区だけを分村しようとしたものの、住民は、当時は湿原だった雪裡太(せちりぶと)地区も含めることを要求し、旧町側もいろいろと検討した結果、2地区を分村したとありました。現在の姿は、釧路市愛国地区と隣接する雪裡太地区が、住宅、商業地域として発展したために、現釧路町が2万を超える人口を有する町となったのも、雪裡太地区があるおかげと言えましょう。

釧路市としては、この雪裡太地区を譲り渡したことが、後になって悔やまれることとなり、現釧路町ともどもお互いに、いろいろな思いをもつところ、となったそうです。釧路史によると、分村が、旧釧路町役場と北海道庁との間で非公式に進められた秘策だったため、表に出るや地区住民が猛反発して大問題となり、道庁が仲裁に入って解決に至った、そうです。

ところで、夜鳴き寿司屋さん、ゆうさんがふれられているとおり、分離「された」地区は旧釧路村となり、現在の釧路町になったわけですが、釧路町の公式HPには、
「1920年(大正9年)
 釧路町(現釧路市)に区制が施行されるため、11万円の年賦助成金を受けて釧路村が分村独立する。」
と載っていますから、これまた正直なHPだなぁ、としみじみ思いました。「ゼニをもろたから、しゃあないけど分かれたってん」と言うてるように、私には見えてしまいました。調べて書き込むときは公式HPを必ず見ているのですが、南陽市のHPではありませんけれど、ときどきこのような記述があるから、調べるかいもあるというものです。

なお、分離された釧路村は、1955年に、沿岸部の昆布森村と合併して新・釧路村となり、1980年には町制が施行され、現在の釧路町になりました。

このような経緯があったため、釧路町は、今まで何度となく釧路市との合併話があっても、拒み続けてきたようです。でも、こうした歴史にこだわる町民も少なくなったことから、合併に応じたらどうか、との意見もあるそうです。とはいえ、釧釧合併(釧路市・釧路町合併協議会)が、より広域の釧路地域6市町村合併協議会(釧路市、釧路町、阿寒町、鶴居村、白糠町、音別村)になってしまいましたから、どうなることでしょうね。

そう言えば、昨日の釧路在住友人からのメールでは「本日の視界300m。朝の全道の天気をみると、札幌、旭川は快晴で、室蘭は霧でした。苫小牧も室蘭も、この時期はキリが多かったっけかね。」とありました。私が苫小牧に赴任したときに、「三丁目えぇ、苫小牧ってのはなぁ。春、霧、秋、冬と、夏はないんだぁ。」と言われたのを思い出しました。そういえば、夏に晴れてて良い天気だなぁ、と思っていると、昼過ぎにみるみる霧が出てくることが、結構ありました。

4月に霧が発生しやすかったかどうか、記憶が定かではありませんが、黒潮と親潮がぶつかる潮境だから、霧が発生しやすい、と誰かに教わりました。潮境だから魚が豊富で、三陸海岸から北海道太平洋岸にかけては、漁業が盛んなのだと聞きました。これは耳学問ですので、申し訳ありませんが、文献での確認はしていません。少なくとも、体験的に知っているのは、北海道の太平洋側では、よく霧が発生するということです。三陸海岸から北側全般の太平洋沿岸では、霧が発生しやすいのですか?あまり、東北地方の気候がよくわからないものですから。夏に「やませ」が吹くと、農作物に被害が出るとは聞きましたが。

[12876]uttさん
根釧台地の範囲に厳密な定義はあるのでしょうか??
[12891]拙稿
スイマセン、自分では確認しておりません。
友人からの情報だったので、出典を聞いてしまいました。以下は、友人が記述してくれた文章の、引用です。

台地の定義を、平野でも山地でもない中間で、海抜数十メートルの比較的平坦な地域、とするならば、根釧台地の西端は、釧路湿原に面する別保、細岡、茅沼、多和平までになるでしょう。湿原から見ると、崖状に高く、高い部分も平に見えます。

それじゃ、釧路市東部の丘陵地も含まれるか、となると、それは違うと思われる記述が、釧路史の資料にありました。
釧路東部丘陵は、米町から緑ヶ岡までの丘と、桜ヶ岡から武佐までの丘と、桂恋から高山、別保に続く丘陵との3段階に高くなっており、前の2丘は地質的に新しく、かつては海岸や海底だった履歴があるとのこと。
つまり地質的に、根釧台地から一連なのは、桂恋、高山、別保までのようです。
[13310] 2003年 4月 16日(水)22:16:37【3】三丁目 さん
血液センターにかかる話メインで、遅いレス
[13153]三鈴さん
福島県や長野県が3センター体制なのに、新潟県は、あれだけの面積・南北距離・人口がありながら1センターのみ!!
福島県が3センター体制なのは、浜通り地方、中通り地方、会津地方に分けたのでしょうね。私は福島県を、主に南北の移動しかしたことがないものですから推測なのですが、東西の交通は、南北移動に比べると、山越えが不便なのではないでしょうか。長野県が3センター体制なのも、山間部ごとの拠点地区に設けられたものと思いました。冬の交通事情なのでしょうね。ただ、新潟県は、私もナゾです。日本赤十字社に聞いてみましょうか?(*^-^*)(半分、本気)。もしかしたら[13174]で白桃さんがおっしゃっているように、地域の医療機関との関係があるのかもしれませんね。最後になりましたが、三鈴さん、お気遣いありがとうございました。

実はワタクシ、全国で献血をしている献血功労者?なのです。最近でこそあまりしていませんが、10歳台、20歳台までは、年間の制限回数(200mlで6回、400mlだったら3回)までガンガンしたものです。ということで、若い皆さんも(16歳以上)、時間に余裕があって、体力がそこそこであれば、献血してくださいね。分析結果を送ってくれるから、定期的な健康診断にもなりますし。

[13181]黒髪さん
>愛知県(瀬戸市)、・・・福岡県(筑紫野市)、・・・
なぜに政令指定都市を差し置いてのブロック基幹血液センター(・・?)
私もナゾでした。政令指定都市から離れていた方が、渋滞に巻き込まれなくて、車の便が良いからでしょうか???

[13161]KMKZさん
>KMKZさんて一体???
KMKZの正体ですか?それは、
URLにodayujiとあった時点で、気づいてしまい(笑)見ませんでした。スイマセン(*^-^*)いったい何をご専門とされたのかな?という興味なのでした。YSKさんやuttさんのように理数系でいらっしゃるのかいな、と思ったものですから。

なお、拙稿[11362]で四全総のことにチラッとふれましたが、五全総「第五次全国総合開発計画」も1998年3月に閣議決定されておりました。職場での回覧物で気づきました。ただし「五全総、今や破綻、総点検を」というトーンで記事が出ていましたけれど。

19時、20時台の接続でダメだったから、これでダメだったら今日は諦めようと思っていたので、用意しておいた原稿を書き込めて良かったです。もともと亀レス系なものですから。昨日は、歓送迎会があり、夜遅かったため、パソコンにはとても向かえませんでした。
[13146] 2003年 4月 14日(月)19:36:19【1】三丁目 さん
さまざまな地域
本日(4月14日)の読売新聞朝刊「編集手帳」から、ほんの一部を、かなり端折って、ご紹介します。
「だいぶんけん」。大分県の平松守彦知事は24年前(中略)負けてなるものかと思ったという。企業誘致の担当者が有力企業の幹部から県の名をそう呼ばれたと聞いたからだ。(中略)そこで提唱したのが「一村一品運動」だった。運動は全国各地に波及し(中略)「おおいたけん」はいつしか、アジアで最も知られる県の一つになった。

平松知事は最近「地域力」という言葉をよく使う。「豊かな自然や文化を持つ地方が潜在力を発揮し、「東京力」「都会力」に対抗していかなければ日本はよくならない」と。

[13016]YSKさん
私は地域が好きです。(中略)なるべく、まっさらな気持ちで、客観的に書くことに努めています。その工夫の一つに、「格差」という言葉を極力使わず、「較差」という言葉を使うことを徹底するということを行っております。

私も地域が好きです。私が顕著に地域の彩りを感じるのは、その土地の人同士が話す言葉からです。例えば、高知で献血したときに、血液センターの方が地元の皆さんと話されているのを聞いて、幕末の土佐の志士は、こういう感じで話していたのかなぁ、と思いました。テレビの影響が大きいために、各地の独自色が薄まってきているのは確かですが、地元の方同士の会話は、やはり気の置けない同士?なのか、旅行者に接する言葉とは違うのでは、と思っています。

もう一つ街のカラーの差を感じるとすれば、広告看板でしょうか。全国区である企業の看板が多いのはたしかですが、その中に地元企業と思われるものを見つけると、おっ、と思います。だんだん街の顔の見分けが、つかなくなってきてはいますが、興味を持って見ていると、おもしろいですよね。

以前、いろいろな分類の仕方で日本を分け、管轄とか、広島VS岡山など、の話題がありましたが、ナマモノを扱う、血液センターの所在地をご紹介しようと思います。技術が進んだから、以前ほど遠方地域への輸送は困難ではなくなりましたが、それでも中国・四国地方での基幹センターは岡山にあるなど、面白い視点かな、と思ったものですから。

改行で区切ったところが、それぞれのブロックが分かれるところです。また、その行で最初に書いた血液センター名が、そのブロックの基幹血液センターになります。カッコ内は、所在市区町名です。地理的、時間的な考慮をされた配置だろうか、と考えると、私には興味深かったです。

北海道(札幌市)、北海道旭川(旭川市)、北海道釧路(釧路市)、北海道室蘭(室蘭市)、北海道函館(函館市)

宮城県(仙台市)、青森県(青森市)、青森県八戸(八戸市)、岩手県(盛岡市)、秋田県(秋田市)、山形県(山形市)、福島県(福島市)、福島県会津(会津若松市)、福島県いわき(いわき市)

東京都(渋谷区)、茨城県(水戸市)、栃木県(宇都宮市)、群馬県(前橋市)、埼玉県(日高市)、埼玉県伊那(北足立郡伊奈町)、埼玉県熊谷(熊谷市)、千葉県(船橋市)、千葉県千葉港(千葉市)、東京都東(葛飾区)、東京都西(立川市)、東京都北(豊島区)、東京都武蔵野(武蔵野市)、神奈川県(横浜市)、神奈川県川崎(川崎市)、神奈川県湘南(厚木市)、新潟県(新潟市)、山梨県(甲府市)

愛知県(瀬戸市)、富山県(富山市)、石川県(金沢市)、福井県(福井市)、長野県(長野市)、長野県松本(松本市)、長野県諏訪(諏訪市)、岐阜県(岐阜市)、静岡県(静岡市)、静岡県沼津(沼津市)、静岡県浜松(浜松市)、愛知県豊橋(豊橋市)

大阪府(大阪市)、三重県(津市)、滋賀県(草津市)、京都府(京都市)、京都府福知山(福知山市)、大阪府北大阪(茨木市)、大阪府南大阪(貝塚市)、兵庫県(神戸市)、兵庫県姫路(姫路市)、奈良県(大和郡山市)、和歌山県(和歌山市)、和歌山県田辺(田辺市)

岡山県(岡山市)、鳥取県(鳥取市)、島根県(松江市)、広島県(広島市)、山口県(山口市)、徳島県(徳島市)、香川県(高松市)、愛媛県(松山市)、高知県(高知市)

福岡県(筑紫野市)、福岡県天神(福岡市)、福岡県北九州(北九州市)、佐賀県(佐賀市)、長崎県(長崎市)、長崎県佐世保(佐世保市)、熊本県(熊本市)、大分県(大分市)、宮崎県(宮崎市)、鹿児島県(鹿児島市)、沖縄県(那覇市)

最新の情報を念のために確認したら、面白くなくなってしまいました。私が持っていた10年前の資料では、都道府県名を血液センター名の前につけていないところが、結構ありました。

旭川、釧路、室蘭、函館、熊谷、葛飾(現在は東京都東)、大田(現在は、ないようです)、八王子(現在は、立川市に移転して東京都西?)、川崎、湘南、諏訪、浜松、豊橋、姫路、佐世保です。これらの都市名(湘南を除きますが)は、地理に詳しくない人でもわかるから、付けないのかな?と思ったものですから。例えば同じ長野県内にあっても、松本が長野県松本なのに対して、諏訪にはついていなかったので、ご紹介したくなったのですけれどね。
[13145] 2003年 4月 14日(月)19:27:27【1】三丁目 さん
たけもとさんへのお礼、とKMKZさんて?
[13093]たけもとさん
ここで話題になってる京葉線が…。
常磐新線にはJR東日本は出資していません。
ありがとうございました。京葉線は、貨物線の利用線だと思いこんでおりました。
また、常磐新線のお話もわかりました。

[13037]KMKZさん
素数などという、この掲示板らしからぬ用語が出てきたので悪乗りしちゃいます。
私は文系とはいえ、入試科目に数学があったから、複素数や数列(複利計算)くらいまでは付いていけますが、、、ご教示頂いたURLを見ました。いや、まったく知らなかった話でしたから、とても面白かったです。守備範囲がお広いのですね。KMKZさんて一体???あ、いえ、別にお返事を頂きたいわけではありませんので、、、感想です。

と用意しておいたら、[13137]あんどれさんまで。皆さん、数「字」大好き、数「学」大好き、なのですか?私も数学は、きらいじゃないですけど。
[13144] 2003年 4月 14日(月)19:16:54【2】三丁目 さん
大阪府西宮市上甲子園
[13135]uttさん
西宮も宝塚も芦屋も三田も、み~んな「大阪」と一緒にされているのでしょうか??
[13091]たけもとさん
[13072]uttさん
三田、は少なくとも知られていないでしょう。東京の人は東京の地名の「みた」を連想するでしょうね。三田市、と書くと別でしょうけれど、はたして兵庫県とわかるかどうか。宝塚は、ウ~ン、どうでしょうか?タカラヅカ歌劇は有名ですが、兵庫県と意識されているかどうか。それよりは、芦屋は、神戸市の隣ということもあり(その方が知られていないですかね)少しは大阪から遠いから、大阪とは違う、と思われていると思いますけど。関西の高級住宅地として知られていますし。

東京の高校を卒業した後、当時、親が住んでいた西宮市上甲子園に移りましたが、東京の友人から来た手紙の宛名。「大阪府西宮市上甲子園」でした。関西の地理を知らないと、甲子園=大阪というイメージがあるのだなぁ、としみじみ思ったものです。これは、たけもとさんがおっしゃっているとおりです。高校野球の中継の中でも、ほとんど「兵庫県西宮市にある甲子園球場」と聞かないと思います。それは阪神-巨人戦でも、同様です。

関西の人にとっては甲子園が西宮市にあるのは常識ですが、全国的には「甲子園」、は独立したイメージで捉えられますから、関西にあることはわかっていても、残念ながら、東日本では特に、誤解している人がいるようです。

ま、私も地域愛(住んだ中で愛着のある土地へ)を持っているつもりですが、このお話は簡単にして終わりたいと思います。きょうはどうも体調が悪く、お酒は飲まない日にするのですが、あらかじめ用意した原稿だけ書き込みます、淡々と。
[13084] 2003年 4月 13日(日)20:44:16三丁目 さん
「れ」歴史に名高い新田義貞by上毛カルタ
[13078]Issieさん
私は是非,皇国史観で「逆賊」とされた人々の名誉回復を,と思っているのです。あとは,蘇我入鹿かな…(中略)ショーケンの新田義貞を最後まで見たかったなぁ…。

あのときはショーケン倒れる、で、急遽代役が立てられたのでしたね?たしか。

私は、世界史を受験科目に選択した者なので、歴史の話はできるだけしないように努めているのですが。引きずり込まない下さいぃ(笑)。

史実に忠実かどうかは別として、黒岩重吾氏が、奈良ご出身ということもあって、奈良時代前後の話を小説で書かれていますね。私は大好きで、ほとんど読みましたけれど。蘇我入鹿も、黒岩氏が「落日の王子」だったかな?(以前、タイトルはメモしたのですが、今すぐには出てこないものですから)描かれています。ちなみに私は、氏の小説で「磐井の乱」を初めて知りました。どうやら、九州方面の人にとっては、知ってるのが常識らしいですね。

私がスカンジナビア諸国で、「ノルウェー、スウェーデン、デンマークの関係はどうなの?」と質問したら、逆に「日本は、アジア諸国との関係はどうなの?」と聞かれ、返答に窮したことがありました。それ以来、反省して、日本とアジア諸国との関係(情報)には、意識して注意するようになりました。自国のことを知らずして、他国の人に他国のことを聞く恥かしさ、を肌で知ったものですから。
[13074] 2003年 4月 13日(日)19:11:28【1】三丁目 さん
Re:肖像画
書き込みを訂正したら、目にとまってしまいました。
[13068]Issieさん
足利尊氏といえば,以前の教科書によく載っていた「足利尊氏の肖像画」は,どうも本人ではない,というのが最近は有力ですね。家来の高師直らしい,とか…。
私もその話は、どこかで耳にしました。「こうのもろなお」。大河ドラマのイメージがあるものですから、どうにも。

道鏡と孝謙(称徳)女帝との間に世間で言われるような「関係」はなかった,という視点で描いたものがありましたが。ま,それ以前にマイナーすぎてダメでしょうね
ワタクシ的には「メジャーな聖徳太子」を「日出処の天子」漫画by山岸涼子でドラマ化して欲しいと思っていましたけれど。ちなみに、Issieさんご教示のお話は、黒岩重吾が小説化しております。小説名は?、スイマセン失念しました。たぶん「ゆげのどうきょう」だったと思います。実はワタクシ、奈良時代以前のお話が大好きでありまして、奈良ダイ好きなのでした。

話を変えてしまいますが、たまたま12月7日に、以前スウェーデンに滞在しておりまして、パールハーバーをどう思う?と質問されたときは、時差を意識したものです。そうか、日本では12月8日だけれど、欧米では12月7日と覚えておられるのね、と。

ジョン・レノンが1980年に射殺されたのも、日本時間の12月8日でしたけれど。
[13064] 2003年 4月 13日(日)18:03:54【3】三丁目 さん
楠木正成
神戸の湊川公園に、楠木正成の銅像があり、湊川合戦のことを思うと、しみじみ思ったものです。それで、

[13042]special-weekさん
皇居の楠木正成と関連性を見出せないんですが
[13050]kenさんのように、参考資料をお知らせできなくて申し訳ありませんが、たぶん、ネットで「楠木正成とは」で検索するだけで、結構いろいろな情報を得られると思いますよ。少なくとも、昭和20年までは、楠木正成は忠君、足利尊氏は逆賊、と日本国民に教育されておりました。戦後、足利尊氏に対する評価は、大きく見直されたそうですが。

付け足すようで申し訳ありませんが、本日、投票に行ってまいりまして、投票所である小学校には、今、「話題」の二宮金次郎石像があって、おぉ、と思いました。私の得意?な歴史系ネタですいませんでした。

それにしても、[13051]kenさん、お詳しいのですねぇ。田中角栄像が建っていたのは私も覚えておりましたが、浦佐駅でしたか。。。像の話は、どちらかというとその個人、偉人?の話に関わる話になりそうかな?と私は思っていたものですから、控えていたのでありました。

追伸:[13066]ちりたまさんの引用が、拙稿[13064]本文と異なってしまったのは、優柔不断な私が拙稿を書き換えてしまったからであります。なんだか、ちりたまさんには、申し訳ありませぬ。
[13055] 2003年 4月 13日(日)17:01:25【3】三丁目 さん
Re:りんかい線~京葉線
[13007]雑魚さん
[13038]Issie さん
[13043]太白さん
[13047]白桃さん
昼休みに立ち読みして知った話としては、線路の構造的にはりんかい線と京葉線の直通運転は可能ですが、直通運転をすると、りんかい線がスルーパスされる恐れがあるために、りんかい線側が嫌がっているのだとか。京葉線とりんかい線が直通すると、JRの切符を買うだけで、新木場から大崎まで行けてしまいますからね(太白さんがふれられている通りです)。ただでさえ経営が苦しいのに。。。話は変わりますが、3月の半蔵門線と東武線の直通運転も、東武が悩んだとか、書いてありましたよ。ご参考までに。

分割民営化されてから、三島弱小のJR北海道でさえ、新千歳空港への乗り入れ新線をつくったのに、JR東日本は、自身での新線建設はありませんよね。常磐新線くらい、JR東日本自身の線となってほしかったという思いを私はもっていましたが、せいぜい東京モノレール的に、イオカードを使えるようにする程度なのでしょうかねぇ。JR東日本が、常磐新線に出資はしてましたよね?確か?
[12965] 2003年 4月 12日(土)18:06:39【4】三丁目 さん
Re:2のべき乗に興味を持つ理由
[12960]N-Hさん
早々にありがとうございます。いや。実は私もそうかな?と思ったのですが、数学を絡めた話にしよう、と思ったのです。でも、こちらでは(私も含めて)皆さんが個人情報をちりばめてお話されているから、構わなかったのでしょうかねぇ。N-Hさんご自身も
私の仕事はコンピュータのハードウェア設計なので
とおっしゃって、自らのお仕事を明かされていますし。私自身は、ナゾのサラリーマンとしか申し上げたことはありませんけれど。

ワタクシ、ネットの掲示板というものを、こちらしか知らないものですから、ルールがよくわからないのです。だから、どこまで書いてよいのやら、と思う気持ちがあり、できるだけ押さえ気味にして(お酒が入ってるときは暴走?)、地理系情報を心がけています。とは言いつつも、皆さんがハラハラ?成り行きを見られていたであろう「ぢょしこおせぇなのかどうか解明事件?」はリアルタイムでとても面白く拝見しておりました。男なのか女なのか、くらいは個人情報として、聞いて構わない話だろうと思っていましたし。ご自身が「バレンタインでクッキーを」とポロッ?と書かれていましたから。

以前、2チャンネルなどでは変な大人が隣国を馬鹿にしたような、という話があったので、一度だけ覗いてみたのですが、なんだかチャット(携帯のメール)のようで、ついていけないと感じましたから、それっきりです。こちらでは、マイペースで書き込ませて頂いているので、ホッとしておりました。

たまたま、拙稿を訂正しようと思ったらN-Hさんの書き込みを拝見し、とりあえずのレスです。しかし、インターネットとは油断ならず、なのですなぁ(笑)。こんなに早くレスを頂けているとは、思ってもおりませんでした。

念のため。全体としてはあくまでN-Hさんが解説して下さったことへのお礼のトーンのつもりですので、誤解なさらないで下さいね。量的には、私の感想のほうが多くなってしまいましたけれども。(この文章は、書きあげてから1時間くらい、書き込むかどうするか、迷ってしまいました。)

追伸:[12964]はやいち@大内裏さんへ
>貴方様は一体何者なのでございましょうか?
内緒(笑)。やんごとなき
同期のよしみで、私だけにこの掲示板で教えてくださいよぉ(笑)。ちなみに私は北の防人と申します(笑)。
[12958] 2003年 4月 12日(土)15:10:52【1】三丁目 さん
Re:サマータイムブルース(私の場合はエディ・コクラン)
There ain`t no cure for the summertime blues(歌詞カードを見ました)
[12938]太白さん
524288(私が暗記している中で最大です)を2で割ってください。それをまた2で
ありがとうございました。そういう興味の持ち方もあるのかと、感心してしまいました。2進法系ですかね。数学的には、どちらかというと、素数に向かうのかと思っていました。

それで、[12936]太白さんのサマータイム導入については、私は賛成です。雇用創出、社会負担の話については太白さんと同意見なものですから、自分自身の個人的傾向からだけのお話にします。というのも、私は朝型人間なのです。朝、鳥が鳴き、あたりが明るくなってくると、目がさめてしまいます。だから夏は苦手なのです。ということでかねてから「日本にもサマータイムの導入を」と、雑談では言ってました。外が明るいのに人間が活動しないなんて、もったいないじゃないですか。

古い話ですが、狩猟採集や農業の時代、太陽とともに生活していたことを考える?と、文明の利器でそれら自然を克服してきたとはいえ、どこかで太陽に合わせる生活をしてもいいのではないか、と朝型人間としては、痛切に思うのでした。
[12937] 2003年 4月 12日(土)05:54:00【2】三丁目 さん
メンバー紹介、鉄道、と数字が不明なのです
夜明け前なのに目がさめてしまいました。それで、落書帳を覗いたところ、書き込みが、またまたおおぜいなので、つれづれなるままに(昨晩は体調が悪かったため、珍しく酒を飲まなかったので、買い置きの発泡酒を飲みながら、眠気が来るまで)。

[12887]三鈴さん
(メンバー紹介を)読ませていただいて汗みずくになってしまった三鈴ですが、
三鈴さんて、丁寧な方なのですねぇ。私は、お返事系は、失礼ながらまとめてしまっています。いったんある程度網羅して、以前にお返事したためたつもりだったのですが、このように気が向いて思いついたときには、また、書き込んでしまいます。雑魚さんのメンバー紹介は、雑魚節?が発揮されるところですから、お気楽にいくことでいかがでしょうか?職場で笑っていた、だんなさんや私のように。でも、将来は幹部になってくださいね(笑)。私はあなたについていきます~。ちなみに、私が改名したのはYSKさんと最初の「Y」が同じだったので、同名回避したつもりだったのですが、三丁目と同じ「三」鈴さんが、いらっしゃったことを、失念しておりました。改名を思いついた時期は、三鈴さんご登場よりも早かったとはいえ、改名そのものは遅かったわけですから、うかつでした。半角に比べると全角の方がまだ見分けやすいかな?と思っていたものですから、今までこの話はふれなかったのですが、、、失礼いたしました。拙稿[12096]で冒頭「ふぃ」の音が似ている話をご説明いたしましたが、それに似た話になるのでしょうかねぇ。目と音の違いはありますけれども。

[12911]まがみさん
住宅・都市整備公団(中略)都市基盤整備公団に改組されたのは、1999年10月1日です。(中略)「会社」じゃないのか。何て言うんだろ?
ご参考までに。行政改革が進められる中で、都市基盤整備公団は、独立行政法人化される予定であります。私が聞く限りでの音は、独立行政法人ということで「ドッポー」ですから、北総ドッポー鉄道となるのではないでしょうか???

ちなみに、「乗り鉄」として鉄分が少しだけある私ですが、東京の地下鉄で~号線、という言い方が一般的ではなかったのは、都営新宿線だけなのだそうですね。それ以外は、当初は~号線と一般にも呼ばれていたと、先日、昼休みに立ち読みしていて初めて知りました。都営大江戸線のことを12号線と言われて、同僚にエッ?それは古くないですか?と言ってしまいましたが、私自身も、自分が3年間通学で使っていた東急「新玉川線」を田園都市線、と呼ぶのには、抵抗があるのでした。当時、新玉川線と田園都市線を併せ「デンタマ」線と、一部では言うと聞いていましたし。ま、そもそも「シンタマ」と呼んでいましたが。

[12929]ゆうさん
職業柄なのか、1000や10000よりも1024とか16384とかに惹かれる私です。
???ゴロ合わせですか?1192、いいくにつくろう鎌倉幕府、はわかるのですが、どのような意味があるのでしょうか?16384に至ってはお手上げです。私にはさっぱりわかりませぬ。
[12891] 2003年 4月 11日(金)20:10:38【4】三丁目 さん
視力検査、お礼、根釧
[12877]えっすさん、はじめ、視力で悩み始めた皆様方へ
私自身は、高校生になって初めて、授業用の眼鏡を買いましたが、20歳を過ぎてからいつもかけるようになりました。それで、即効性があるワザではありませんが、努力すれば少なくとも悪くなるのはおさえられるのでは、と実感した目の体操をご紹介します。

寝る直前に、目をつぶって右、左と10往復くらい、目玉を動かすのです。次に上、下に10往復くらい、最後は目玉をグルリとやはり10回くらい動かすと良い、と何かの本でだいぶ前に読みました。私はさらに工夫して斜めに動かす体操もするようにしましたが、悪くなり始めた頃にちゃんとやっとけばよかったかも、と後悔しました。まだ筋肉がやわらかい皆様方のことですから、動かすことで、目の良い運動になると思いますよ。

Issieさんへ
どうにも、礼儀に欠けているせいか、タイミングは間が抜けているのですが、拙稿[12833]で、IssieさんのHPにたどりついた旨を述べましたが、お礼をお伝えしなければ、と思っていたのに落としていました。最初は、楯岡をメインにした村山市の話だけにするつもりで、調べ始めたのですが、Issieさんがまとめられている市一覧表を見ているうちに、合体市制に目が止まり、山形県内で比較するのも面白いかも、と思いついたのです。ヒントを頂き、ありがとうございました。また、利用させて頂くことがあるかもしれません。メンテナンス大変だとは思いますが、今後もよろしくお願いいたします。。。で、そういう理由で、例によって長文を作成してしまったのでした。



話は変わりますが、ご紹介した村山市の地域別データのうち、楯岡地域の世帯数(戸)が誤っていたために、楯岡以外の計にも狂いが生じましたので、訂正しました。いえいえ、私が書き込みミスしたのではありませぬですのよ。村山市の公式HPに載せられていたデータが違っていたのです。地域別の数字を足し算すると、載せられている合計値を超えるから、確認しました。「ご指摘ありがとうございます」と言われました。マッタク。これが楯岡市だったら、こんなミスはなかったでしょうに。今からでも良いから楯岡市に改称しろ~~!

[12872]雑魚さん
メンバー紹介、どうもありがとうございました。どのように書いて頂けるのかと期待しておりましたところ、
道内のコアな情報を多々提供し
には、勤務中にコッソリ読んでいたにもかかわらず、クスクスと笑ってしまいました。自覚しておりませんでした(笑)。私が自分でニッチだのマイナーだのと言っているのに、ウマイ言葉を選ばれたものだ、と恐れ入りました。以後、ヒヒ道ならぬコア道に精進したいと思いました。

[12876]uttさん
根釧台地の範囲に厳密な定義はあるのでしょうか??
お久しぶりでしたね。。。それで範囲につきましてはスイマセン、自分では確認しておりません。釧路在住友人の言葉を信頼しておりました。最初、この話を釧路関係拙稿[12545]でふれなかったのは、出すかどうするか迷っていたからなのです。え?そうなの?という話だったものですから。でも、[12717]泥炭地編を書きこむに当たり、つい出来心でオマケをつけたくなってしまいました。

そう言えば、[10541]
リンの話は本来の専門なので、
とおっしゃっていたので、化学系でいらっしゃるのかなとは思っていましたから、炭化関係の話は釈迦に説法だったでしょうか。それにしても、復帰されたと思いきや、早い書き込みペース、恐れ入るばかりです。
[12833] 2003年 4月 10日(木)22:13:59【4】三丁目 さん
楯岡の無念
何かと言うと、山形新幹線が新庄まで延伸された1999年に、奥羽本線楯岡駅が、村山駅に改称されてしまったことなのです。父は山形県村山市楯岡の出身ですが、我家では村山とは聞いたことがありませんでした。昨年、久しぶりにお墓参りのため「楯岡」へ行きましたが、ついでに図書館に寄り、お話を伺ったら、駅名から楯岡がなくなったのは、楯岡界隈の人にとってはショックだったという話を聞きました。すなわち、楯岡の地名が、市名にもなっておらず、また駅名でもなくなってしまったということなのであります。

そもそも、村山市は1954年に楯岡町、西郷村、大倉村、大久保村、冨本村、戸沢村の1町5村が合併して、できました。山形県下では、合併により誕生した市はほかに、寒河江市、上山市、長井市、南陽市がありますが、従前の自治体名を引き継ぐ新市名にしなかったのは、村山市と南陽市です。南陽市については後述しますが、簡単な年表を見ただけでも、合併が一筋縄ではいかなかった経緯がよくわかりました。

もともと楯岡は、江戸時代から羽州街道の宿場町であり、1876年に置賜、山形、鶴岡の3県が合併し、現在の山形県になったときには第三大区区務所が置かれ、2年後には北村山郡役所(管轄は、現在の村山市、東根市、尾花沢市、大石田町)が設置されました。周辺の村々に先がけて、町政が施行されたのは1892年のことです。ちなみに、楯岡駅の開業は、奥羽本線の延伸が進む中(全線開通前)での、1901年のことです。

だから、合併時には、他の村に比べ経済の中心地であった「楯岡」を冠する、楯岡市も候補に上がったのですが、村山地方ということで「村山」を採用することになりました。決定の理由まで調べ上げることはできませんでしたが、合併して誕生した村山市に、1ヶ月後には袖崎村、さらにその1ヶ月後に大高根村が合併してますから、いろいろと複雑だったようだなと、思いました。

市のHPに掲載されていた地域別データをご紹介しますと、
地域世帯数(戸)人口農家数農家人口事業所数商店数
楯岡3,11910,3424061,838758221
西郷1,0234,2546112,83016435
大倉4741,8952441,1419524
大久保6032,5503611,69114440
冨本6582,4983771,74011728
戸沢9303,9446352,99619338
袖崎5262,0113401,42310930
大高根5432,3454121,98810426
楯岡以外の計4,75719,4972,98013,809926221
ただし、世帯数(戸)・人口は2001年4月1日現在、農家数・農家人口数は2000年2月1日現在、事業所数は1996年7月1日現在、商店数は1999年7月1日現在、と時点は、それぞれ異なります。

世帯数は、楯岡と楯岡以外の計が拮抗していますが、人口では大きな差が開いています。このことは、楯岡以外の地域は、一家族当たりの人数が多いことを示しています。逆に、楯岡は、いわゆる都市部に見られる小人数家族の傾向があります。先ほど「経済の中心地」と述べましたが、事業所数、商店数を見るとわかりやすいかと思います。周辺が農村的な集落なのに対し、楯岡には集積しています。

楯岡のお話の最後に付け加えると、楯岡駅が改称されたのは、JR東日本からの働きかけだったという話を耳にしました。真偽のほどはわかりませんが。

それで、南陽市は、データだけご紹介しますが、
[2644]黒髪さん
山形県南陽市
昭和42年4月1日 赤湯町・宮内町・和郷村が合併して誕生。
市名の由来
当時の県知事、故安孫子藤吉氏が命名。

[9998]般若堂そんぴんさん
南陽市,という言い方はしますが,南陽と単体で使うことは少ないように思います.むしろ,赤湯,宮内などと旧自治体名またはより小さい地域名を使うことの方が多いようです.

経緯と、2000年の国勢調査ベースでの地区別人口は以下のとおりです。
表は、時系列でタテに見て頂いて、左に寄せて記したのが、合併後の自治体名になります。例えば、宮内町、漆山村、金山村、吉野村が合併して、次の行の宮内町になった、などです。

宮内町漆山村金山村吉野村梨郷村沖郷村赤湯町中川村
宮内町和郷村赤湯町
赤湯町の一部が上山市へ分町
赤湯町に高畠町の一部から合併
南陽市
8,4752,9626581,0572,0057,07612,0701,888

ややこしいですよね。南陽市のHPにも「この「南陽」によって2町1村の良識が、年来の懸案を解決して三位一体、九十九鱗悉く宇宙時代の大活躍を示してもらいたい。と命名の意味を結んでいます。」と載せているくらいですから、正直だなぁ、というのが、私の感想です。

ただ、赤湯町にとっては、温泉があるためでしょうが、JRの駅名でその名が残っていますから、楯岡の場合とは異なりますね。

念のため、寒河江市、上山市、長井市の最近の地区別人口だけは調べてみましたが、それぞれ旧寒河江町、旧上ノ山町、旧長井町(ただし、旧長井村も合わせるとですが)、地区の人口は、市全体人口の少なくとも半分を占めています。それに対し、村山市、南陽市では、どこか1地区の人口が市の半数を占めていることはありません。

ほかに、楯岡のようなお話をご存知の方がいらっしゃれば、ご教示頂ければ興味があります。弟子屈駅が、町名由来から有名観光地由来になった逆の例を、[2178]で雑魚さんがふれられておりますが。

最後になりましたが、ネットで「楯岡町」で検索していたら、IssieさんのHPに当たりました。以前、拝見したときには全ページを見たわけではなかったので、最初は便利なサイトに当たったものだと喜んでいたのですが、ン?このデータ整理のマメさはIssieさんでは?とすぐに気づきました。
[12829] 2003年 4月 10日(木)21:56:18【4】三丁目 さん
纏めているレス
[12792]yamadaさん
拙稿[12757]で、高崎での休みについて北日本型の述べましたが、説明不足でした。
[12787]般若堂そんぴんさんが
夏は北日本型,冬は多勢型……どうも損をしたような気がしてなりません.
とおっしゃってますが、まさに同じパターンで、高崎では夏休みだけ短かったのです。でも
[12764]なきらさんの
小学校時代夏休みが7月21日頃~8月25日頃(終わりが早い)で、6月初めに5日くらいの農繁期の休み
の名残で、農繁休みだけがなくなって、夏休みは短いままだったのかも、と思いました。理由がわかっても、損してることには変わりないのですけどね。

[12781]雑魚さん
ローカル線の都市間連絡機能が低下している現況にあっても、やはり鉄道の存在は役所にとって意義があるのでしょうか。
私も、わかりかねますねえ。ただ、少なくとも出張で該当する支庁所在地と札幌とを往復する場合は、公共交通機関を使うのがルールですから、鉄道又はバスを使っていると思われますが。念のため時刻表を調べると、乗換不要な直行バスは、江差町、浦川町、留萌市、根室市ともあるようですね。出張時に乗換は嫌がるでしょうから、すでに鉄道は使われていないのですかね?

[12794]紅葉橋瑤知朗さん
ご指摘ありがとうございました。ところでいきなり話は変わりますが、私が興味を持っていた道内の諸都市の1つに、岩見沢市があります。私自身の岩見沢市の記憶は、選挙活動のお手伝いの一環で、市街地の一部と近郊の農村部?をまわった程度なのです。道内の、戦前から市制施行された市の1つで、人口は8万を超える。市のHPで岩見沢市のあらましを読みましたが、強引に例えると、物流の集散地として北見市に似たタイプの発展の仕方、が簡単な説明になるのでしょうか。

[12808]三鈴さん
別立てでの投稿を五月雨的にしている訳ですが、やはりそれよりも、まとめレスにした方が、
私の、「あくまで」私のスタンスですが、テキトーです。人それぞれで良いと思っていますけれど。同時期に自分色登録して頂いた同期生?としましては。

本日は、突然上司に飲みに行こう、と誘われまして、あらかじめ職場で用意しておいた原稿を書き込むものであります。ただひま、必死で?レスしておりまする。

酔った勢いで、訂正しましたが、まがみさん[12834]のお話を見て、原文をできるだけ再現するようにします。
私の、「あくまで」私のスタンスですが、テーマが独立するのかな?アーカイブに入るのかな?と思ったときは分けた書き込みを心がけていますが、これはそれほどでもないかな?と自分で思っているときの書き込みは、一緒くたんにしています。もともと私の1回あたりの書き込みが長いから、分けているという切実な問題もありますけれど。
[12762] 2003年 4月 9日(水)20:57:06三丁目 さん
支庁再編、に鉄道を絡めて
拙稿[12025]で、北海道の支庁再編が検討されていることをご紹介しましたが、鉄道の話も絡めて。

留萌本線、日高本線、江差線、根室本線には、北海道庁の出先機関である、支庁所在地が関わっています。支庁所在地の留萌市、浦河町、江差町、根室市への交通路として、存続を余儀なくされていると見られなくもないのです。JR北海道としては、経営に重荷になる線は廃止したいのでしょうけれど。

これで、支庁が再編され、案どおりの8支庁に集約されれば、鉄道はどうなるのでしょうね。地元が廃止に反対するときに、北海道庁の後ろ盾がないと、その運動も弱いものになってしまうような気がします。それで、

[11375]まがみさん
旭川駅付近の高架工事に伴い(中略)改装列車の輸送などに必要なため旭川~北旭川運転所の間を電化工事中のようです。ただ、電化されても旅客列車としての電車は走らないのでしょうね。

この話に関連させていいのかわかりませんが、小耳にはさんだお話を少々。
数年前に,上川支庁庁舎が市中心部から永山に移転しましたが、支庁職員からは、永山まで電化延長して、札幌行の特急電車を永山始発にしろ、という運動が起こったそうです。JRは難色を示しつつ将来に含みを残したのに対して、一般市民からは、役人のエゴだ、と非難を浴びたようです。ちょうど、先述の廃線の可能性とは、逆の動きだな、と思ったものです。

以前[443]で、鉄道なし市をケンさんがまとめられていましたが、廃線によって鉄道なしになるケースは、寂しいものがありますね。私の手元にある1978年文部省検定済地図帳には、ほとんどが記載されているものですから、見てみました。逆に、予定線が載っているくらいですから、今議論されている高速道路の比じゃないですが、シミジミ思いました。鉄道が記載されていない地図帳で見ると、わかりにくいかもしれませんが、ご参考までに、道内の廃止された路線一覧をオマケということで。よくここまで廃止したなあ、というより、作っていたものだと感心してしまいました。

白糠線:根室本線白糠(釧路支庁白糠町)~北進(同町)(1983年10月)
相生線:石北本線美幌(網走支庁美幌町)~北見相生(同支庁津別町)(1985年3月)
万字線:室蘭本線志文(空知支庁岩見沢市)~万字炭山(同支庁栗沢町)(1985年3月)
渚滑線:名寄本線渚滑(網走支庁紋別市)~北見滝ノ上(同支庁滝上町)(1985年3月)
岩内線:函館本線小沢(後志支庁共和町)~岩内(同支庁岩内町)(1985年6月)
興浜北線:天北線浜頓別(宗谷支庁浜頓別町)~北見枝幸(同支庁枝幸町)(1985年7月)
興浜南線:名寄本線興部(網走支庁興部町)~雄武(同支庁雄武町)(1985年7月)
美幸線:宗谷本線美深(上川支庁美深町)~仁宇布(同町)(1985年9月)
富内線:日高本線鵡川(胆振支庁鵡川町)~日高町(日高支庁日高町)(1986年10月)
胆振線:室蘭本線伊達紋別(胆振支庁伊達市)~函館本線倶知安(後志支庁倶知安町)(1986年10月)
広尾線:根室本線帯広(十勝支庁帯広市)~広尾(同支庁広尾町)(1987年2月)
瀬棚線:函館本線国縫(渡島支庁長万部町)~瀬棚(檜山支庁瀬棚町)(1987年3月)
湧網線:名寄本線中湧別(網走支庁上湧別町)~石北本線網走(同支庁網走市)(1987年3月)
士幌線:根室本線帯広(十勝支庁帯広市)~十勝三股(同支庁上士幌町)(1987年3月)
羽幌線:留萌本線留萌(留萌支庁留萌市)~宗谷本線幌延(同支庁幌延町)(1987年3月)
幌内線:函館本線岩見沢(空知支庁岩見沢市)~幌内(同支庁三笠市)(1987年7月)
松前線:江差線木古内(渡島支庁木古内町)~松前(同支庁松前町)(1988年1月)
歌志内線:函館本線砂川(空知支庁砂川市)~歌志内(同支庁歌志内市)(1988年4月)
標津線:釧網本線標茶(釧路支庁標茶町)~根室標津(根室支庁標津町)(1989年4月)
     中標津(根室支庁中標津町)~根室本線厚床(同支庁根室市)
名寄本線:石北本線遠軽(網走支庁遠軽町)~宗谷本線名寄(上川支庁名寄市)(1989年4月)
      中湧別(網走支庁上湧別町)~湧別(同支庁湧別町)
天北線:宗谷本線音威子府(上川支庁音威子府村)~宗谷本線南稚内(宗谷支庁稚内市)(1989年4月)
池北線:根室本線池田(十勝支庁池田町)~石北本線北見(網走支庁北見市)(1989年6月~第三セクター化)
函館本線上砂川支線:砂川(空知支庁砂川市)~上砂川(同支庁上砂川町)(1994年5月)
深名線:函館本線深川(空知支庁深川市)~宗谷本線名寄(上川支庁名寄市)(1995年9月)

なお、士幌線は、全線廃止される前、1978年に糠平~十勝三股間が一部廃止になっています。
また、札沼線はかつては名前のとおり札幌から石狩沼田まででしたが、1972年6月に新十津川(空知支庁新十津川町)~石狩沼田(同支庁沼田町)の区間が廃止されています。

たぶん、漏れはないと思いますが、テツな方のご指導をあおげれば、と。ちなみに私は「乗り鉄」であることに、数年前気づきました。といっても、乗りつぶし派ではなく、目的地へ行くのに、極力、各駅停車を使う、というだけのことなのですが。おかげで、何度も往復した青森~大宮間での乗り継ぎ駅である、八戸、盛岡、一関、仙台、福島、黒磯の駅名は、時刻表を見ずともスラスラ出るようになりました。場合によっては、北上、郡山での乗り換えもありましたが。乗り継ぎ時間の短い間に駅前をウロウロするのが好きなのです。ただし、大垣夜行から小倉まで各駅停車でズ~ッと乗り継いだときには、乗り鉄を自認する私も、さすがに疲れました。とともに、懲りました。でも、その帰りも、もちろん各駅停車でしたが。
[12757] 2003年 4月 9日(水)20:26:12三丁目 さん
レスばっかり
[12715]ゆうさんへ。お言葉に甘えて、拙稿[12713]に、参考までに原文も加えておきました。このたびはご迷惑をおかけしました。それで、[12723]なのですが、もし訂正時間に間に合うようであれば、せっかくの表ですから、余計なおせっかいで申し訳ありませんが、
道府県 市町村 町名
北海道  千歳市 長都駅前
と、いう感じでタイトルを入れて頂ければ、と思いました。

[12724]般若堂そんぴんさん
以前から三丁目さんの御両親が山形県出身であることを知りつつ,つい御挨拶が遅くなりました.
いえいえ、ご丁寧に、恐縮です。こちらこそよろしくお願いいたします。実は、拙稿[12722]にて東北地方の書き込みを考えている旨、申し上げましたが、考えてみたら、自分が興味を持つところしか調べる気がないのですよ。当たり前かあ。だから、あまり書けないような気がしてきました。実は、南陽市を絡めた話を調査中でしたので、書き込んだ際には、舌足らずなところ等にフォロー頂ければありがたいと思っておりました。

[12755]yamadaさん
全国的に休みの始まる日や学校の始まる日って同じなのですか?
これは、主に北日本の学校と、それ以外の学校にわかれるようですよ。すなわち、夏休みが短めで冬休みが長め、というのが北日本型(主に北海道、東北地方)で、それ以外は全国ニュースで流れる多勢型(夏休み:7月25日頃~8月31日、冬休み:12月25日頃~1月7日頃、春休み:3月20日頃~4月5日頃)です。ただ、高崎で私が通った小学校が、北日本型だったので、北日本でもないのに、と思ったものです。
[12722] 2003年 4月 8日(火)22:11:52【1】三丁目 さん
東北の話題も少ないのでは、と思っていました。
[12720]津軽衆さん
珍しく青森市の話題がでたもので
私の両親の出身地が山形県であることに鑑み、北海道に続き調査するお話は、東北地方にしたいと考えておりました。できますれば、青森方面のホッとな、お話しをご提供いただければ、ワタクシは、ありがたいと思っております。

ところで最近ようやく気づいたこと。雑魚さんは、マメにレスされているのですね。私には反応できかねることにも、丁寧にレスされているのだ、と思いました。まさに、ヒヒひろくなのですね?
[12717] 2003年 4月 8日(火)21:15:03三丁目 さん
でえたんち、釧路?、北海道限定の話題です。
[11974]uttさん
釧路川の北側は湿原の泥炭地帯が広がっていた

泥炭地だとよく聞いていたのは、石狩平野の一部や、サロベツ原野などだったので釧路?泥炭地?と思いました。確かに、釧路市には炭坑がありますけれども。それで、調べた結果をご紹介します。

現在の釧路市平地部と釧路町、標茶町、鶴居村にわたる釧路湿原の低地一帯は、内陸部の丘陵地に縄文期の貝塚遺跡が発見されていることから、数千年前までは海湾であったと推定されます。それが現在の海岸線付近に砂洲ができたことで汽水の潟湖となり、海面の低下により浅い湖沼となって、水草の沼沢地に変わっていったと考えられています。

北海道のような寒冷地では、こうした低層湿原の湖底には、枯草が腐敗せず泥として堆積することにより、泥炭層が形成されています。つまり、釧路の地質は、釧路川左岸の丘陵地は、数万年前から陸地だった岩盤または火山灰地であり、釧路川右岸は河口から大楽毛に至る海岸線は、1~2キロメートルの幅で砂丘地で、それにより内陸部は泥炭地(低湿地)ということになります。

オマケの情報。
今回調べていく中で、私は初めて知ったのですが、根釧台地は、根室支庁の別海町、中標津町を中心として、一部が釧路支庁の浜中町、厚岸町、標茶町にわたっている地域のことで、根室市域も釧路市域も入っていないのですね。おそらく旧国名で、根室国と釧路国にまたがる台地なので、そう命名されたのでしょうけど。

自分が知らないことを調べる、って面白いですね。久しぶりに、感じました。。。イエイエ、ワタクシが何もかも知っている、ということでは、ありませぬのですよ。逆に、こちらの掲示板では教えて頂くことばかりです。
[12713] 2003年 4月 8日(火)19:56:56【4】三丁目 さん
バリアフリーに取り組む基本的な考え方、と、ゆうさんへ
仕事で関係する者として、ご参考までにお話しさせてください。
今までの日本は、高度成長の中で量的な充足を求めて、経済成長をとげてきました。それは、道路の整備しかり、街づくりしかりです。しかし、ここ10年来、やっと、他のことに目を向ける余裕が、でてきました。それは、今までのつくり方は、健康な人向けであったと。

健康であろうが、そうでなかろうが、誰でも自由に、自分がしたいときに、他の人の手を借りずとも行きたいところへ行ける、そんな社会が必要なのではないか、と。他の先進諸国に比べ、日本はそういう点での整備が遅れている、と気づきました。それで、遅ればせながら、遅々と進められているところです。願わくば、そういう点で、日本が先進国になりたいものです。だって「ヒト」の社会って、さのやふにつくられてきたのでは、ありませぬか?

この話を書き込むかどうするか、迷いましたが、職場の人と話をし、簡単にお話することにしました。議論するつもりではないことを、ご承知おきください。こちらのけひじばんの、趣旨からはずれると思ふものですから。また、ワタクシはコホムヒンでもありませんので、いちおふ。

それで、これだけだと気恥かしいものですから、付けたしのやふでゆうさんには申し訳なひのですが、、、
[12660]ゆうさん
>高田馬場は同じ鉄腕アトムの主題歌、旋律をうまくアレンジして差を作ったものだ
音の高さが違うだけ、アレンジ(?)は同じです。
えっ?さふなんですか?音楽的教育を25歳でヤマハフルート教室で初めて受けた者としては、気づきませんでした、絶対音感は持っていると、自信があったのですけれど。
本稿は、酔はないやふに、できるだけ気をつけてはおりますが、旧仮名遣い誤用と併せ、ひらにご容赦下さりませ。

書込訂正機能はとても重宝しているのですが、ゆうさんの[12715]の中で、ツマという言葉があるのは、ワタクシの責任であります。ツマは、ゆうさんに対してあまりに失礼かな?と思い削除してしまいました。

追加の追伸:ゆうさん[12715]の暖かいお言葉に甘えて、原文をご参考まで。
「それで、これだけだと気恥かしいものですから、「サシミのツマ」のやふでゆうさんには申し訳なひ」
と、当初は書いておりました。話し言葉のような抑揚がなく、目にとまる文字でしか表現できないから、言葉遣いは気をつけなきゃ、と深く反省しました。オーナーグリグリさんも、ガイドラインを書いてらっしゃることですし。お互いに相手をわかっている、友人とのメールのやり取りでさえ、できるだけ丁寧にするよう気をつけてはいるのに。。。酒を飲んでいるときの書き込みは控えなきゃ。。。?そしたら私は書き込めなくなってしまう。から、とにかく気をつけます。
[12710] 2003年 4月 8日(火)19:05:31【4】三丁目 さん
お礼、池袋、国土地理院、と、どろろ
[12664]YSKさん
私の[3904]の「平野」についての基準(中おもいっきり略)間氷期(氷期と氷期の間の暖かい時期)
詳しく解説して頂き、ありがとうございました。用語に注釈をつけてお話されるのは、さすがに丁寧で、いろいろと配慮されるYSKさんだなあと、思いました。実は、拙稿[12643]での書き方が舌足らずだったと反省してまして、かねてから「金沢平野は(中略)川の運んだ土砂でできた平野で、この中心は手取川扇状地である」の記述に引っかかっていたのです。平野の中心を形作っているのが扇状地ということは、平野の方が面積としても用語としても広いのかな、扇状地<平野、三角州<平野、河岸段丘<平野なのかな、そうすると平野って一体何?と思っていたのです。本当は授業で習ったときに、先生に質問すべきだったのですけれどね。最後に付け加えるようで申し訳ありませんが、ご復帰おめでとうございます。

[12662]スナフキんさん
「池袋」が出てこないことに改めて気付きました。よくよく考えると、あれほどのターミナルにもかかわらず、ペデデッキはおろか歩道橋の類いも駅前から見えたような記憶が全然ありません。
池袋の話が出ましたから、ちょっとだけデパート関連本で読んだお話。池袋は、駅の東西に西武と東武という巨艦デパートがひしめいているために、街としてあまり広がらなかった、とありました。サンシャイン60が起爆剤となって東口が開けるかと思われましたが、サンシャイン通りが整備された程度にとどまり、中途半端な形に終わったそうです。

西口も、東京芸術劇場をはじめきれいに整備されましたが、人の回遊は結局、駅周辺からサンシャインまでの線的な動きで、あまり面として広がっていないとありました。なるほど、と思ったものですからご紹介した次第です。池袋止まりだった赤羽線が、埼京線として新宿、渋谷と延伸されたことも、埼玉方面からの人の動きに影響しているそうですね。

この話題でのご提供によって、池袋「単品」では話がふくらませられないと思っていたものですから、きっかけを頂き、ありがとうございました。

[12584]KMKZさん
以下のページで大宮駅西口の変遷が良くわかります。
お礼が遅くなって申し訳ありませんでしたが、ご紹介頂き、ありがとうございました。早速、昨日見ておりました。大宮駅西口の、再開発により大変貌していく様子が、よくわかりました。


ところで話は変わりますが、職場で面白そうなものを見ている人がいたので、「それな~に?」と聞いたら、国土地理院の航空写真紹介でした。まだ載せられている地域は狭いのですが、ご興味を持たれましたら、国土地理院トップページhttp://www.gsi.go.jp/ から>(右下黄緑の欄)地理情報の閲覧・提供サービス>(真ん中あたり)空中写真を見る(東京・大阪・名古屋)、とやっていけば、見られます。よくよく見ると、このHPは、このサイトの皆さんにとって、宝の山のようですね。

最後にまたレスですが
[12657]雑魚さん
手塚漫画は決して子供向けだけではない、と思い知らされたものでした。
[12680]KMKZさん
>私の好きな「どろろ」をしみじみと読むこの頃です。
KMKZも「どろろ」は好きですよ。
どろろでレスを頂けるとは、思ってもいませんでしたので、調子に乗って少々。最初はあえて地理に絡めておくと、ときは応仁の乱後の戦国時代、舞台は北陸地方と、よく紹介されていますね。東尋坊を思わせる断崖絶壁、ばんもんの巻で出てくる富樫領(加賀)と朝倉領(越前)の争いなど、手塚治虫らしい、異色時代劇です。アニメの方も(ここからアニメの話しに切り替えますが)、カラーが主流だった1969年放送にもかかわらず、流血シーンが多いのと製作費の関係で白黒でつくられました。アニメブームの頃には、まだ画像の再生技術が廉価でなかったため、LPレコードを買って、音だけで私はドラマを楽しんだものです。昨年、DVDソフトを買って、やっと音と映像で全話を楽しみました。体の48箇所を魔物に取られた百鬼丸(主人公)が、魔物を倒すごとに体を取り戻し、最後の妖怪として自分の父親を倒すことで取り戻した部分が「人としての心」とは、、、そして、どろろ(主人公)に込められた手塚治虫の思いは、、、と、どこかの解説で読みました。原作の漫画とはラストが異なりますので、ご存知でない方には、念のためお知らせいたします。

[12472]で太白さんがおっしゃっていた、1件当たりの書き込み文字数が多いことを、最近自覚しました(笑)。計算はしていませんが、Issieさんの方が、1件当たりは上かとは思っていましたよ。自覚はしましたが、私のペースはたぶん変わらないだろうと思うのでした(笑)。長々と失礼いたしました。
[12658] 2003年 4月 7日(月)22:44:37三丁目 さん
Re:?発車メロディー
[12654]Issieさん
高田馬場も蒲田も,方面・ホームに関係なく同じ音が鳴り響いていますが。

えっ?明らかに違う曲調ですよ、少なくとも高田馬場は。蒲田で乗り降りしたときの記憶は定かではありませんが、高田馬場は同じ鉄腕アトムの主題歌、旋律をうまくアレンジして差を作ったものだ、ということ自体には感心していましたが。

たしかに、ヨーロッパの鉄道では発車ベルが鳴らずに列車がスーッと走り出しましたが。それを念頭において書かれているのかな?とも思っていましたけれど。

Issieさんとは逆に、きょうはお酒を飲んでいないから、冷静に淡々と書いていますけど、だんだん私の活動時間の限界をこえそうなので、できるだけ参加しようとは思いますが。寝てしまったらごめんなさい。
[12652] 2003年 4月 7日(月)21:42:18三丁目 さん
手塚治虫を少々
[12642]Issieさん

誕生日、だからちょっとふれてみたのですが、私もIssieさんより年下ということもあり、実はリアルタイムでの手塚アニメの記憶があるのは、ワンサくんくらいでしょうか。白黒の鉄腕アトムは、山形の祖父母のところで再放送を1、2回見たことがあるくらいです。高崎在住時に群馬テレビで見ていた「悟空の大冒険」も、後年、再放送だったことを知りましたし(これはアニメとしては、子供なりに好きでしたが)。

たしかに、今はいいように解釈されて(ある意味で使いまわされて?)、鉄腕アトムが一人歩きしている印象があります。実は、私は鉄腕アトムは単行本で結構読みましたが、あの作品そのものはあまり好きではないのです。もともとは、国産TVアニメ初ということで、そういう面での興味から入りましたが、どうも、違うというか。昨年のNHK・BSでの取り上げ方には、違和感を感じていました。

科学に対してシニカルだったとは思いませんが、少なくとも科学万能、パラ色の未来を描く、という姿勢なかったのは確かです。ただ、そうではないからと言って「人間とロボットの対立を通じて、わかりあうことの難しさを描いた」部分はあるにせよ、それが強調されてしまうと、ちょっと違うのでは?と思ってますし。ヒューマニズムの大切さを謳ったと解釈するトーンが落ちてきたのだけは、ホッとしてますが。

最近の持ち上げすぎ、には私は困惑しています。だからそれには背を向けて、私の好きな「どろろ」をしみじみと読むこの頃です。もちろん、メジャーな火の鳥やブラックジャックも、手塚治虫の入門書として最適だと思いますが、なにせ私はマイナー派なものですから。
[12643] 2003年 4月 7日(月)21:07:17三丁目 さん
YSKさんありがとうございます。
[12638]YSKさん
地図帳などにおける「平野」は、標高の低い平坦地(標高100メートル以下のことが多いようです)を指すことが多いように思います。

[3904]を、さっそく拝見いたしました。
(1)一定の基準の標高よりも低い地域を機械的に呼ぶ場合
(2)標高の低い地域で、かつ地表が比較的平坦な地域を呼ぶ場合
(3)河川の堆積作用により形成された低平な土地を指す場合

まさに、地図帳で目にする平野は(1)の「機械的」なのですね。その土地がどのような地質なのかに関係ないと。ありがとうございます。

ところで、私たちがふだん目にする機会が多いのは地図帳ですから、(1)以外の使い方をする平野、すなわち(2)、(3)であえて使うケースは、どちらかというと学問的に分類する場合に使うのでしょうか?

私が中1で学んだ社会科の副読本には「金沢平野は大聖寺川、梯川、手取川、犀川、浅野川などの運んだ土砂が積み重なってできた平野で、この中心は手取川扇状地である」と細かく書いてあるのですが、地図帳には金沢平野とあり、これも理由は(1)なのですね。

しつこくて申し訳ありませんでしたが、単純に(2)、(3)として使うのはどういう場合なのかな?と思ったものですから。
これとは別に、低湿地だった釧路も、(1)の適用ではなくとも、(2)には該当しますから、やはり平野になるのですよね?
[12639] 2003年 4月 7日(月)20:25:31三丁目 さん
「テツ」腕アトムの誕生日
本日、2003年4月7日は、手塚治虫氏が漫画の中でアトムの誕生日としたことで、本年はいろいろなイベントが企画されているようですね。昨日、本日と高田馬場へ行きましたが、大きな画面が設置されており、なにやらやっているようでしたが、通りすがりなので、あまりよくわかりませんでした。

いえ、「テツ」分多めの方が多いようですので、ちょっと「テツ」にふれてみたくなったのでした。

実はワタクシ、その昔は、手塚治虫ファンクラブに入っていたことがありまして、初めて高田馬場のファンクラブ事務局へ行ったときは、嬉しかったものです。

強引に「テツ」の話に関係させますと、高田馬場駅の発車を知らせるベルが鉄腕アトムの主題歌になったと新聞記事で読んでいたので、3月のいつだったか忘れましたが、本当にそうだったので、なんとも言えませんでした。

いろいろな話題があがるので、この話題も出るかなあと思っていましたが、ちょっと遠い話題でしたか?
[12637] 2003年 4月 7日(月)19:54:47三丁目 さん
平野、盆地
[12556]での太白さんのお話をきっかけに、

[12578]三鈴さん
東京の都心は、武蔵野台地と荒川などによる沖積平野との縁(へり)に位置しているので、その結果として、台地に侵食して入り込んだ谷や、台地と低地とを結ぶ坂が多くなっているわけです。

[12586]KMKZさん
構造的には関東平野は盆地でして、東京は、その盆地の縁にあたります。

[12632]KMKZさん
関東平野に限らず日本の大きな平野の幾つかは実質的な盆地(構造盆地)らしいのですが

と、東京都心部の地形的な成り立ちがわかり、大変勉強になりました。ありがとうございました。

ところで、これは地理学なのか、地形、地勢、地質学?の話になるのかわかりませんが、そもそも「平野」の定義はあるのでしょうか。

実は、拙稿[12542]を書きこむに当たり、友人とメールのやりとりしているときに、釧路平野ってあるのかな?という話になり、私の高校時代の古地図で確かめてみたら、しっかりと釧路平野と書いてあったので、この質問は一旦やめたのです。

ちなみに、このときの疑問は、釧路湿原のような湿地帯は、乾燥していない土壌だから平野とは言わないのかな?あまり釧路平野とは聞かないよなあ、だったのですが、先述のとおり「平野」でした。

もともと、三角州、扇状地、など海岸に面してできた平地を総称して平野と言うのでしょうか。河岸段丘でできた平地も場所によっては平野になるのでしょうか。関東平野と括られた表現になるから、東京は平坦だ、というイメージにつながるのでは、と思っていたものですから。

同様に、盆地は、周囲を山に囲まれた平坦な土地、という理解でよいのでしょうか。平野と同様に、厳密な分類はされないものなのでしょうか。ご教示頂けると幸いです。

それにしても、十勝平野、関東平野、濃尾平野、大阪平野は構造盆地というのも驚きました。いやあ、本当に勉強になります。

実はこの文章は、職場で用意しておいた原稿なのですが、「[12632]KMKZさん」は、一生懸命追いかけて読んで、たった今付け加えたのでした。
[12562] 2003年 4月 6日(日)16:05:33【1】三丁目 さん
Re:東京の地形
[12556]太白さん
「茗荷谷」「四ツ谷」「渋谷」と、谷が付く地名が3つもあります。

デパート関係の本を読んだときに、「すり鉢状の渋谷」という記述されていたのが、とても印象に残りました。確かに思い出してみると、JR渋谷駅が低く、スペイン坂など坂のつく名もあるし、国道246号線も渋谷駅あたりから東西に上っていくし、街も緩やかな傾斜地を上がっていくように形成されています。

ところで、23区内で私がすぐに思い出した坂の名は、神楽坂と九段坂です。

実はかねてから思っていたのですが。。。東京、というと、広い関東平野の海に近い方なので平坦な印象がありますが、結構アップダウンがあるのですよね。四国出身の人から聞いてなるほどとうなずいたのは「讃岐平野に比べると、東京はアップダウンが多いから、坂道発進が多くて車の運転はイヤだ」でした。電車に乗っているとわかりにくいのですが、歩くとよくわかります。YSKさんじゃありませんが、私も歩くのは好きで、新宿~秋葉原、品川~渋谷、東京~田端、新宿~下北沢など、結構歩いているので、実感しているところです。電車代をケチってるのもありますけどね。一石二鳥と言うことで。

この話、あまりふくらませることができないから、躊躇していたのと、ここまでしか書けないものですから、「街を知る一番の手段は、歩くことだと思います」で終わりにします。自転車も良いのですが、私のように、歩くのは速いけど注意散漫な者にとっては、歩くのがちょうど良いスピードなのです。ちなみに、私が海外で街歩きをした中で気持ちよかったのは、碁盤の目のニューヨークでしょうか。マンハッタンの中にセントラルパークがあることも含め、平坦だったから、楽でした。それほど海外の都市を歩いたことがあるわけでもないですけれど。
[12554] 2003年 4月 6日(日)11:37:44【2】三丁目 さん
歩行者連絡橋
しばらくペデストリアンデッキの話題が続いていたので、遅いのですけれども、ちょっとだけ加わらせてください。
[12369]で、太白さんが
P.S. ペデストリアンデッキの日本語訳って、確かにありませんね。

という書込と共に「車人分離立体歩道橋」とタイトルをあげられてましたが、通勤中に電車の中で漫然と思いついたのが、表記タイトルです。少し短くして、歩者連絡橋でもいいのですが。既存の歩道橋とはちょっと違う、というニュアンスを表したくて、連絡橋にしてみました。

この話は終わりにしましょう、ということでしたので、議論するつもりはありませんから、念のため。ただ、私が拝見していて、大宮駅西口のペデストリアンデッキの話がなぜ出ないかなあ、と思っておりました。首都圏近郊の新幹線駅でもありますし、具体例として引用されてもいいはずなのに、と。以前の大宮駅西口の姿はわからないのですが、1985年にそごうが出店したと聞きましたから、再開発がらみでできたのだろうとは、思っていましたけれど。

ペデの話だけにするつもりはないので、マルチレスにしてしまいますが。

[12518]mikiさん
広陵高校は元・男子校ですが、今は共学

ビックリしました。私が広島市に住んでいたときは、広島学院、修道、城北などなど全ての私立が男子校だったのに、変わったのですねえ。逆に、当時から共学だったところは、思い当たらないのです。西条秀樹の出身校をはじめ、ですが。

[12519]ちりたまさん
今思えばなぜ(仙台の学区を)北と南をすっぱり分けたんでしょうか・・?

私が、仙台一高出身の人から聞いた話では、学区分け当時の宮城県知事だか副知事だかの出身校が二高で、二高の進学率を高めようと、あのような線引きになった、そうです。真偽のほどを私自身は確認しておりませんが、あり得る話だなあ、とは思いました。

[12465]三鈴さん
ほかに、2,000平方キロを超すような巨大合併構想というと、どこかありますでしょうか?

少なくとも、北海道での合併話は、ポーズだよねえ、と友人と話しておりました。もともと、道内の自治体は比較的面積が広いから、実際の問題としては、合併で都府県よりも広い市町村をつくったとしても、ただ面積がベラポーに広くなるだけで、人口は少ないから、ナンボノモノかなあ、とは思ってました。先日、網走市の分村を拙稿[12383]にてご紹介しましたが、分村などの経緯があるところは、平成の大合併で元の鞘に戻るのだ、という意識があるようですよ。

[12535]special-weekさん
[12532]白桃さん

佐賀市のお話。佐賀市へは、1986年の春以来訪れておりませんが、佐賀駅で降りて驚いたのは、県都の駅前にいきなり田んぼが広がっていたことです。恐らくバブル時の開発の波の中で、変わったとは思いますが、その印象がとても強く残っています。
[12542] 2003年 4月 6日(日)08:21:56三丁目 さん
釧路市
釧路市の市内観光といえば、有名どころはMOO(釧路フィッシャーマンズワーフ)、幣舞橋、春採湖等かとは思いますが、釧路湿原、阿寒湖、川湯、摩周湖といった道東観光地への入口の拠点市という位置付けもできるかな、と。

まずは、釧路方面の情報から。社会科で習ったのは「根釧」台地として、記憶にある音は「コンセン」ですが、地元では「センコン」と言うそうです。例えば新聞の「釧根版」などです。根室県が置かれたくらい、根室という地名にも由緒がありますが、市制施行は根室市に比べると、釧路市が道内最古参市の1つであることなど釧路市の方が大きく発展したことなどから、釧を先につけるのかな、と思いました。

それと、釧路では吐瀉物が道端で凍っていると聞いたことがあり、私自身は見たことがなかったので、釧路在住5年目の友人に聞いてみました。それは事実あるそうで、友人は危うく踏んで滑るところだったとのことです。雪が少なく、冷たく乾燥した風が吹きすさぶため、フリーズドライされるのでしょうね。端的に土地柄を表現すると、このような、お上品でない言葉になってしまうのでしょうか。

私が調べた情報源の1つを明かしますが、コンパクトにまとめた下記HPを見つけましたから、宜しければ、そちらもご参照なさってください。
http://www.kuhcci.or.jp/as_for_us/city.htm

それで、かなりの遅レスですが、調べるのに時間がかかったものですから。

[11974]uttさん
釧路川の北側は湿原の泥炭地帯が広がっていたそうで、住むのには適さなかったようです。
鉄道開通をきっかけに、ようやく北側も区画整理され、人が住むようになったらしいですが、
それでも今よりもっと港寄りに駅があり、今の釧路駅周辺は何もない原野だったそうで、
漁業と炭鉱のおかげか、相変わらず南側の丘陵地帯が街の中心だったようです。

このお話は、きっと友人は何か言いたくなるだろうと思い、聞いてみたら、案の定、返事が返ってきました。私自身も地図を見、釧路市史等を調べたのと、しばらく友人とメール交換しましたから、それらを併せ、ご紹介いたします。まったく、なぜ友人が自分で書きこまないのか不思議なのですが。。。通常、私は読点に「,」は使わないのですが、以下は友人の文章の方が多いので、トーンを合わせるために、今回はカンマにします。

ということで。

釧路の開拓が釧路川南岸の丘陵地から始まり,その地域から発展していったことは間違いないのですが,釧路駅付近が鉄道開通後も原野だった,というのは歴史的に誤解があると思います。

鉄道開通前の明治期から,釧路川北岸にも入植が進んでおり,今の釧路駅周辺より西の地域は鳥取村といい,農業集落が点在していました。名前のとおり鳥取地域からの入植者が多かったところです。釧路市と1949年に対等合併する前は,鳥取町でした。

根室本線が釧路まで開通し,終着駅だった当時は,釧路川北岸はまだ市街地ではなく,南岸市街地への利便のため,今の釧路駅よりも釧路川側に駅がありました。その後,鉄道が根室方面へ延伸するにあたり,釧路駅は現在位置に移され,旧釧路駅は貨物駅となりました。これは遅くとも大正期の頃と思われます。これ以降,釧路駅前から釧路川までの北大通りの市街地化が進み,昭和初期には,多くの商店が立ち並ぶ商業地域に発展していました。

南北市街地間を結ぶ幣舞橋が明治期からあって,その往来が盛んだったことからも,2市街地が両立発展してきたのが,1960年代頃までの釧路の歴史だと考えられます。つまり,南岸地域は漁業と炭鉱という古くからの基幹産業によって栄えた地域であり,北岸地域は陸上交通と第3次産業を中心に栄えた地域であって,南大通りと北大通りはそれぞれの中心市街地だったと言えます。

南地区の方が市の中心と考えられたのは,1960年代までは幣舞橋の南,つまり南大通の北端に官庁街があった(釧路支庁,財務事務所は今もそこにあります)ためで,そこから両方向に市街地が発展していたと言えます。ちなみに,市役所が現在のきた北地区に移転したのは,1965年のことで,それ以前は官庁街を形成したうちの1つでした。

1970年代後半から,漁業と炭鉱の衰退によって,南地区の人口が減少したことと,新しい築港と工業地域が西地区に伸びていったことから,北大通りを中心に新しいビル街が発展したため,南大通りのかつての繁栄は見る影もなくなりました。これが現在の釧路の南北市街地の姿です。しかし,その北大通りも今や,郊外型スーパーにお客を取られ,テナントがなくシャッターの閉まったビルが増えて,ドーナツ化による衰退の途をたどっているようです。

なお,北大通り周辺地区は,平地で計画的に区画化されたらしく,ほぼ碁盤の目の区画で,条・丁目制としてもよいような街区です。具体的には,西から順に,幸町,黒金町,末広町,栄町などの南北に細長い住所区画が横一列に並び,東西に同じ丁目が仕切られています。つまり,町の名前を~条にあてはめれば,条・丁目制だと言えます。逆に,南岸の丘陵地帯は,細い道が曲がりくねり,北とは対照的な
街区です。(オシマイ)
[12497] 2003年 4月 5日(土)14:49:27三丁目 さん
産後のお礼
すいません。「三顧の礼」と書かれていたので。ツイ出来心でヤッてしまいました。

[12390]白桃さん
町時代の人口につきまして白桃はデータをもちあわせておりません。(中略)いったいどこで手に入るのかご教授いただければ

ヂツは、データ記入に当たり、「白桃さん、チェック方お願いいたします(笑)」と付け加えようかと思ったのですが、それではあまりに自分の書き込みとして無責任かな、と思い、遠慮しました。基本的に、紙の資料(図書館)とネットで入手できるものを利用しておりますが、入手できなかったときは、ソノスジの人に聞くことにしています。さて、ソノスジって誰だと思いますか?

では、お答は次の書き込みで(笑)。

と、焦らすほどのソースでもありませんので、、、、、地元である市役所に電話で聞いてしまってます。数字データですから、12,345人は、いち・に・さん・よん・ご、と棒読みしてもらい、私も復唱しながらテンキーでエクセルに打ちこんでいます。5分とかからずに終わります。本来、こういうやり方が良くないのはわかってはいますが、学問的検証のためではなく、オマケデータ作成という気持ちからなので、簡便法として、これですませてしまっています。

ちなみに、市役所の電話番号は104で問い合わせるとお金がかかるのと、近所の大きなNTTで調べるのも大変ですから、このサイトの市区町村プロフィール>北海道市区町村一覧から、調べたい市のHPを立ち上げます。するとだいたいトップページに市役所の代表電話が載っていますから、104の手間は省けます。そのような使い方をしているのは、意外に思われるかもしれませんが、そういう点でもこちらには感謝しております。もちろん、市の公式HPですから、そこから得られる情報も結構あります。

しかし、本来のデータ請求の方法としては、お手紙で資料請求すべき、とは思っています。そうすれば、データを回答として手元に残せますしね。もしかしたら、HPのご意見お寄せくださいコーナーあたりにメールを送ると、電子データでお返事を頂けるかもしれませんね。そもそも、市役所の職員を私のようなつまらぬ用事で対応させてしまっていることについては、申し訳なく思っています。

本来は、公僕として市民向けのお仕事をすべき時間に、市外からの妙な問い合わせに付き合わせてしまっているわけですから。たぶん、私自身、今後は電話聞き取りはしないと思いますが。学生の皆さんは、手間と時間を惜しまずに、データ収集を心がけてくださいね。自分への反省も込めて。

実は、平日の文章の多くは、職場で作成し、自宅へ送って書き込んでいるのです。職場から直接書き込むのは、控えようと思ってるものですから。この文章も、昨晩のうちに書き込もうと用意してたのですが、不幸にも、お酒を飲みに誘われてしまったものですから(嬉?涙?)遅くなりました。深く飲んでしまったため、午前中は久しぶりに死んでました。

最後になりましたが、オーナーグリグリさん、自分色登録、ありがとうございました。粗忽者の私にとっては、書込を訂正できるのは、本当に助かります。
[12386] 2003年 4月 3日(木)21:00:59三丁目 さん
非常に遅い「正直」なレス、ともろもろ
他の方が引用されて、白抜きになって初めて気づくマヌケな私ですが、太白さんが[12273]で「正直にレスしましょう」とおっしゃってたのですね。また、[12335]で夜鳴き寿司屋さんが、まとめて下さったので、改めて、読み直しました。皆様方の書き込みをフムフムと読んでいましたが、昨日の段階で、エープリルフールだからの話題だったのかと、やっと気づかされていたのですが、脱帽です。

それで、
[12325]雑魚さん
>私は旧海軍予備校出身ですが、
おっと、三丁目さんは江田島の御出身ですか

江田島がすんなり出てくるところはさすがですね。私は自分の通った学校とはいえ、好きではないのですが、昔の校章が錨のマークにNS(Navy School)だったという話を聞いたときは、その方がカッコイイのに、と思ったものです。ちなみに、10年くらい前に、たまたま本屋に並んでいる雑誌のタイトルで「日本を動かす人物を生んだ名門高校」が目にとまり、買ってしまいました。旧中につながる話をオヂさんたちとできると、その場の話題しのぎにもなると思ったからです。まあ、自分が興味あるというのも理由ですが。しかし、雑魚さんの守備範囲の広さには、驚くばかりです。

[12371]三鈴さん
[12337]TKS-Hさん
私は、たとえお二人の往復書簡「的」だったとしても、ふだん自分では調べないことを、いろいろと紹介して下さっていることには感謝しておりました。日に一度くらいしか書き込まないグータラな私にすれば、お話が続いているので、ありがたかったです。

実は小学生さんへ

初めてHNを見たときに、不思議なHNを使う大人がいるものだと思っていましたが、いろいろと読み進めるうちに本当に小学生(当時)だったことを2ヶ月ほど前に知り、驚いたものです。文章がしっかりしていらっしゃるから、まさか小学生だったとは思いませんでした。実は、先日「天然の良港」が、参考書でどのように記載されているか興味があったので、中学生向参考書を何冊か比べて読んでみました。

それで、結果的には、どの参考書にも天然の良港という言葉は出てこなかったですね。逆に私が驚いたのは、日本の分類の仕方として「マクドナルドをマックというかマクドというか」「使う方言の種類」など、様々な切り口で記載してありました。私の頃は、気候風土など、物理的側面での分類しかなかったはずですが。それで、テーマを絞って北海道地方の産業をどのように書いているか見ましたが、大きく括ったところはごく少数の都市しか紹介されないのに、ある参考書は白老町など、ずいぶん細かく載せているなあ、と感心したものです。でも、いろいろと興味を引くように、出版社も努力しているのね、と思いました。

これからも、アーカイプ編集は大変だとは思いますが、よろしくお願いしますね。(このすぐ上の段落は、中学生になられる皆さん全員へ、うらやましいと思う気持ちをこめて書きました。)
[12383] 2003年 4月 3日(木)20:06:49三丁目 さん
北海道の東半分のお話
[11974]utt さん
あと、北見市は網走支庁の中心に位置しており、圧倒的に人口も多いのに、
なぜ網走に支庁が設置されたのでしょうか??

[11983]Issieさん
内陸の北見市(旧称:野付牛)が都市として発展したのは比較的に新しかったのではないでしょうか。北海道に「支庁制」が実施されるのは1897年のことですが,この段階では網走の方が大きな集落だったのでは。

[12033]uttさん
やはり、(以下略)

で、お話は終わっていますが、私自身がかねてから気になっていたことでもあり、調べておりました。そもそもの興味は、なぜ北見市に11万もの人口があるのか、でしたけれど。旭川市が36万であるのと、同様の興味なのでした。以前も書きましたが、物流の集散地として、道北の札幌が旭川であり、道東の旭川が北見、が私の最終的な理解の仕方ですけれども。

Issieさんがふれられている話と一部ダブリますが、公式に出ているものを、簡単に年表風にしました。なお、内陸の開拓は、道路網が整備されてから本格化していますから、沿岸だった網走市よりも、内陸の北見市の方が開基は遅いのですね。ちなみに、旧北見国のうちで最初に市となることから、北見市と改称したそうです。

1872年:アバシリ村開基。
1886年:北海道庁設置とともに、網走に郡役所設置。
      (それ以前から郡役所はありましたが、道庁組織ということで)。
1889年:札幌~旭川間「上川道路」開削。
1891年:旭川~網走間「北見道路」開削。
1897年:5月、野付牛村(現北見市)開基。
      11月、郡役所を廃止し、19支庁の1つとして網走支庁設置。

国勢調査による市別人口推移のオマケ
(半角数字の単位:人)網走北見紋別帯広釧路根室
市制施行年194719421954193319221957
1920年27,89930,1526,97216,08139,39224,770
1925年24,48623,3928,84520,20842,33328,890
1930年26,94627,76610,42128,13551,58629,986
1935年31,66831,12916,12035,69556,17032,012
1940年32,73232,84919,85436,55563,18035,543
1947年34,85040,98917,86346,77461,36826,047
1950年39,21845,95223,04651,79493,35729,934
1955年42,96152,98837,38870,027119,53635,799
1960年44,05266,93240,281100,915150,62442,740
1965年44,19574,84140,389117,253174,10545,149
1970年43,90482,72735,110131,568191,94845,381
1975年43,82591,51932,825141,774206,84045,817
1980年44,777102,91533,860153,861214,69442,880
1985年44,283107,28132,163162,932214,54140,675
1990年44,416107,24731,078167,384205,63936,912
1995年44,176110,45230,137171,715199,32334,934
2000年43,395112,04028,476173,030191,73933,150

オマケのオマケ(第1回国勢調査以降の動き)
網走市:1921年、女満別村(当時)が分村、1947年、東藻琴村が分村。
北見市:1956年、かつて分村した相内村と合併。
紋別市:1954年、紋別町(当時)が上渚滑村、渚滑村と合併。
帯広市:1957年、川西村、大正村と合併。
釧路市:1949年、鳥取町と合併。
根室市:1957年、根室町(当時)が和田村と合併、1959年歯舞村と合併。

uttさんへのレスとして、釧路市の話を一緒にまとめようかと思ったのですが、長くなりましたので、分けることにします。
[12381] 2003年 4月 3日(木)19:48:18三丁目 さん
北東北の印象
[12359]seahawk さん
ごめんなさい、盛岡以北在住経験があるんですが、よくわかりませんでした。どういうことなのかご説明いただけませんか?
推測するに、青森市だったら青森市街と浅虫のことと捉えればよいのでしょうか?

わかりにくい表現でゴメンナサイ。実は、青森市街と浅虫温泉の関係は、何年も前の年末に雪道の中を、首都圏へ向けて700kmを車でひた走る際に、国道4号線沿いを夜中通過した記憶しかないので、あまりピンと来ないのです。その機会とは別にもう一度、車で4号線から6号線へ抜けて青森から水戸まで行ったこともあるのですが、たぶん、そのときに受けた印象だと思います。それでも、青森市街と浅虫温泉のつながりの記憶はないのですけれど。

2つの話をゴチャ混ぜにしそうなので、予め定義しますと、
(1)青森市という1つの行政単位の中で、市街地が、青森市街と浅虫温泉ではつながっていない。
(2)大都市圏では、例えば、川口市、戸田市、蕨市など、行政をまたがっているのに市街地がわかれていない=つながっている。

それで、何をお話したかったというと、市街地の連続性から受けた印象のことなのです。大都市圏は別格ですが、市街地が連続してつながり、川で分かれたりしていないと、どこが市境だかわかりにくいことが多いです。これは、(2)のことです。

それよりは、密度は落ちますが、仙台~水戸間の国道6号線での印象ですが、海沿いでつながっている関係もあるかもしれませんが、それほど集落と集落の間があいていたとは感じませんでした。たぶん、ときどきガソリンスタンドなど、いくつかお店や人家があったからだと思います。これは、(2)の話でもあり、(1)とも言えます。

というのも、車を運転しているときは、たしかに標識案内を見てどこそこの市町村に入った、とは思いますが、あまり市町村境を強く意識はしていないのです。そういう点では、漫然とした印象、になっているかもしれませんが。

一方、同じ海沿いにもかかわらず、函館~室蘭間を国道5、37号線と走ると、函館市街を抜けてしまえば、極端に言うとですが、店もあまりなく、ときどき集落はあるけれど、まわりに何もない印象が強いのです。

同じ印象を、4号線で仙台から北上したときに盛岡を過ぎてからの風景で、感じたのです。なぜ、覚えているかと言うと、「だから東北新幹線の開業は盛岡までだったんだ」と思ったからです。それは、以前は東北線を各駅停車でしばしば往復していたのですが、客車で感じたのが、盛岡以南は電車タイプ(自走タイプと言うのですか?)であるのに、盛岡以北は客車が牽引されるタイプだな、と思ったからです。どういうタイプの車両をどこで使うのか、お詳しい方に解説して頂けるとありがたいですが。

客車タイプにはデッキ部分があって、電車タイプほど乗客は乗れない、乗せるほどの需要がないからかと思いました。話が前後してすいませんが、東北新幹線が盛岡までだったのも、それほどの需要がないからだったのかな、とも思っていたものですから。

話がそれて申し訳ありませんでしたが、拙稿[12312]で書いた内容は、登別市内で集落が分かれているという(1)の話と、4号線沿いの盛岡~青森間の印象を混ぜて書いてしまったため、わかりにくくしてしまいました。その点は反省しております。

私の受けた印象を表?のようにご説明すると、
大都市圏:街・街・街・街・街・街・街
水戸~仙台:街・ナシ・街・ナシ・街・ナシ・街
盛岡~青森:街・ナシ・ナシ・ナシ・街・ナシ・ナシ・ナシ・街
函館~室蘭:街・ナシ・ナシ・ナシ・街・ナシ・ナシ・ナシ・街
という感じなのですが、おわかり頂けたでしょうか?なお、街は集落と読み替えて頂くこともあるのと、「ナシ」は集落が途切れているという意味であり、他意はありませんので、ご容赦のほどを。

一方、登別市内での話としては、西から順に、
鷲別地区・ナシ・幌別地区・ナシ・登別温泉地区、という感じです。
青森市内を、わからないなりに駅名で地区を表現すると、
青森・東青森・小柳・矢田前・野内・ナシ・浅虫温泉、という感じになるのでしょうか?
なにせ青森市内は、駅周辺をウロウロしたのと、アスパムと言いましたっけ?三角の建物(物産館でしたよね)くらいしか、覚えていないものですから。

以上、長くなりましたが、わかりにくい点等あれば、ご指摘頂ければ、と思います。

なお、旧登別市民と書いてしまいましたが、元登別市民が正しい言い方ですね。書き込むときに、読み直してチェックしてはいるのですが、今朝、気づきました。「旧」だと、それがなくなってしまったときに使う言い方ですよね。例えば、旧浦和市民とか。
[12313] 2003年 4月 2日(水)20:54:00三丁目 さん
しつこく条・丁目
[11997]地理好きのケンさん
北海道で条・丁目を使用している市は札幌市、石狩市、江別市、岩見沢市、美唄市、旭川市、深川市、砂川市、芦別市、帯広市、名寄市、士別市、北見市、網走市です。
[12087]てへへさん
地理好きのケンさんの挙げている14市です。北海道の町村でも調べてみました。

条・丁目について、引き続き考察しましたので、ご紹介いたします。

まず、現在、条・丁目を住居表示に採用している市町村のうち、せっかくてへへさんが全て挙げてくださったのですが、とりあえず市だけで考えました。住居表示は古くからあることを鑑みて、石狩市が新しい市制施行(と言っても7年前ですが)ということで除くと、それ以外は基本的に海に面していない市です。このうち、網走市だけが、例外です。ちょっと話はそれますが、町村まで範囲を広げると、海に面しているところが増えるので、考察対象を絞り込むために、市だけにしたものです。

それで、私の疑問は、海に面した網走市が、なぜ条・丁目を採用しているのか、でした。海に面した人口の多い市は、函館市、小樽市、室蘭市、苫小牧市、釧路市を思い浮かべましたが、それらの市では採用していません。結論を先に申し上げてしまうと、明解なこれだという理由はわかりませんでした。

網走市の古くからの集落は北見町と言い、現在、条・丁目が採用されている地区にあたります。簡単に述べると、平坦地だから、につきるのかな、と思いました。

では逆に、平坦地なのに、苫小牧市は、なぜ条・丁目制を採用していないのだろう、とも思いました。この疑問は、苫小牧市役所に聞いてしまいました。回答としては、住居表示は2通りあり、道路方式(条・丁目)と街区方式(町名を付けていく)なのだそうです。それで、どちらを採用するかはそれぞれの市町村の判断となり、苫小牧市では街区方式を採用した、とのことでした。なんか、あまりあっさり言われると、拍子抜けしました。

実際のところ、苫小牧市は、一部は碁盤の目ですが、あちこち斜めに曲っていたり、T字路が多かったりして、広い範囲には条里制を適用できなさそうに思われます。逆に、都市計画の観点から言うと、もっと計画的にできたはずで、網走市のように条・丁目を採用できたのでは?と思わずにはいられませんでした。

以上ですが、こねくりまわした割りには、たいした結論を導けなくて、申し訳ありません。
[12312] 2003年 4月 2日(水)20:53:34三丁目 さん
御茶ノ水女大附属
[12771]雑魚さん
未確認情報ですが、御茶ノ水女大附属では中学に限り共学とか。

過去ログをず~っと読んでいたときにも記憶に残りましたが、時間が経ってるからいいや、と思ってお返事しませんでしたが、共学ですよ。念のため、大きな本屋さんで中学受験本を確認しましたから、間違いありません。

私は旧海軍予備校出身ですが、同級生に、御茶女出身がいました。高校は女子高だからねえ、と言ってました。たまたま、確認しているときに、早実が2002年から共学化、という字が目にとまり、オドロキました。男子校系だと思っていたあのワセダが、女子も受け入れるとは・・・。

それで、地理ネタじゃない話のついでに。
[12140]白桃さん
いやぁ、まったく、よくこれだけ斜陽都市を選んで頂いたものです。

その言葉、聞き捨てなりませぬうぅ!!(笑)。あれだけ都市名を挙げられた雑魚さんもスゴイと思いましたが、反応される白桃さんもサスガ、と思いました。

旧登別市民といたしましては、幌別町に登別市役所がある理由がわかり(もともと幌別町だから)、ありがとうございました。登別市は駅名であげると、鷲別地域、幌別地域、登別温泉地域と3つに分かれています。同じ市なのに一体化していないのは、盛岡以北の東北地方の風景と同じだなあと思っています。それは、集落が山間部の平地にポツンポツンとあり、市街地が一体化していない、ということなのです。

これは、本州(盛岡以南、とシツコイのですが)にしかいらっしゃらなければ、わかりにくい感覚かもしれません。

今はニッチと言うより、サッチにもいかないかもしれないマイナーな話題で調査中でしたので、書き込みたいと考えております。
[12252] 2003年 4月 1日(火)20:38:39三丁目 さん
年度末・年度始で、社会(会社)人はツライよ♪
年度末・年始のため?か、いささかお酒が入っておりますが、感情をこめずに淡々と進めるよう努力してます。

[12120]三鈴さん、、、以降の役所についてのお話。たしかに、以前、お話があったことではありましたが、どんどん内容が深まっているので、興味深く、職場で拝見しておりました。職場でROMくらいはできるのと、私が知識を持ち合わせていないため意見を述べられないことと併せ、興味深く読ませて頂いております。

今は、uttさんへお返事したいと思いつつも、道東方面の情報を集めているところです。道東は、土地勘がなくあまりわからないのですけれども。。。なにせ、手持ち資料がないため、外から入手しないと、自分からは発信できないものですから・・・。
[12119] 2003年 3月 30日(日)20:13:42三丁目 さん
支庁の出張所
[12117]白桃さん
行政管轄が広くなると、行政サービスの質が低下するおそれはあります。

それは、まさに言われるとおりでありまして、支庁統廃合、及び支庁舎廃止は道の裁量次第とはいえ、地元の意向は無視できないでしょう。実は、私自身がパスポートの申請をしたのは、県(及び道)庁だけで、でして、そこから遠い地域、例えば兵庫県では日本海側の城崎。その地域の方々がどこで手続きされるのかな?とは思ってましたが、たぶん、市町村役場で、受け付けるのではないでしょうか?

同じように、例え支庁が廃止されても、人数は減るもののいくばくかの人数は残して、出張所機能は残すという形でないと、地元からは反対されっぱなしだろう、と思っていました。妥協するためには、そういう形になるのではないでしょうか。その出張所が、市町村役場の中に入るのか、入れてもらえない(笑)かは別にしてですけれど。

それは、市町村合併でも同じことだと思っていました。合併前から各々、支所、出張所を設けて、市民への行政サービスが、低下しないように努めており、合併後も、旧市町村役場の建物を活用しているのですよね?

先ほど書き込んだ後で思ったのですが、住民票は「異動」が正しいですよね?どうにも、異動というと、人事異動のイメージしかわかなかったものですから。

ところで話は変わりますが、市「役所」に対して町村「役場」なのは、呼び方としての慣習なのでしょうか?それとも、何か根拠があるのでしょうか?ご教示頂けると幸いです。


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