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[96941]2018年10月21日
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[96929]2018年10月12日
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[101436] 2021年 3月 2日(火)18:49:45ekinenpyou さん
Re:クイズなど
[101419]伊豆之国 さん
他のメンバーの方、それ以外でROMしている方も、どうぞ落書き帳上で答を書き込んでください。
即答できるクイズですが【問一】だけヒントを追加サービス

こちらのリストにも該当があった。もっとひねくれると?新潟にある旧国名JR線も同様(これは即答できればかなり鉄マニア?)

[101423]勿来丸 さん
住所表記の整理が進んでいる地域では、「小字」が使われている場所は少なく、実用的な地名ではないとどうしても考えてしまいます。私の住むところも、宅地開発によって元の地名が地図上から消えた場所でした。
いわゆる市街になっている場所でも土地の用途など、条件次第で古い地名が残ることがありますね。
【参考】名古屋の町名一覧より
町名があっても道路・河川・鉄道用地等で残るだけで一般の建造物や住所として使われていない場合もあり、その場合は備考欄に表示しています。

過去ログでは[96453]伊豆之国 さん・[97171]ニジェガロージェッツ さんなども参考になります。

また、同ページより
町名の字については省略しています。詳しい内容については所管の区役所・支所またはこのページの作成担当へお問い合わせください。
住所の表示などに通常用いられない小字の大半は地図サイトで確認困難ですが、稀にリスト化して公表している自治体があります。
【参考】字名一覧(阿蘇市ホームページ)

以下余談、跡地がタワマンとなる予定ですが今でも(消えずに)残っているツイッターのアカウントをこちらに一つ
[101428][101430]千本桜 さん関連は、別途投稿しますので少しお待ちください

【おまけ】[25060] いっちゃん さん
鉄ネタですけど駅名も地名の亜種だと捉えれば、
「甲斐上野(JR東海 身延線)」って立派なaiueo地名ですよね。
他にもあるのかな?
【注】母音が「aiueo」の順番になる現存駅は恐らく甲斐上野「KAIUENO」だけです。(この条件では非常に厳しいので)
同様に母音を全種類網羅する読み仮名5文字の駅リスト(甲斐上野を除く)を参考として以下に示しておきますが
「?」の部分(5駅)は伏せて謎々にしておきます。(後日フォロー予定、わかる方は回答してもOK)

都道府県駅名(よみがな)「ローマ字」・所属
北海道
長野
岐阜
三重伊賀上野(いがうえの)「IGAUENO」・JR西(関西本)&伊賀鉄道
大阪
福岡

【注】ローマ字表記はヘボン式変換君による一括変換とします。
変換ルールが異なることも当然ありますが、その点は考慮していませんのであくまでも参考ということでご了承ください。

高輪ゲートウェイのローマ字表記は「Takanawa Gateway」ですが一括変換では「TAKANAWA GETOEI」
[101429] 2021年 2月 27日(土)19:42:52ekinenpyou さん
自治体のローマ字表記など・前編?
表題の件で小ネタを投稿しておきます、自治体のローマ字表記データが全国分一括して掲載されたものとしては
過去ログで地名集日本が取り上げられていますが、[89922]グリグリさんで
箕面市(Minoo Shi)、山武市(Sanmu Shi)は市の表記とは異なっていました。

とあまりお気に召さない?ようなので、今回は郵便番号データダウンロード 住所の郵便番号(ローマ字)日本郵便も参照してみます。

※当該データで山武市は「SAMMU SHI」で自治体URL表記(sammu)と一致していますが、
箕面市は「MINO SHI」となっております、[27870]YSK[両毛人] さんにもありますが、
「OH」という変換・表記が一般的な表記法とは異なり、設置主体によっても(「みのお」ローマ字変換が)区々なため、
この点は許容範囲ということにしておきます。

なお、[86597]安打ーソン さんより
また、"b"、"m"、"p"の前の「ン」も"m"にするか"n"にするか自治体によって異なるようです。

上記のように、例えば地名集日本ではなぜ山武市が「Sanmu Shi」となったのか?
(理由を)ご存知の方もいらっしゃると思いますがおさらいしておくと

ヘボン式ローマ字 - Wikipediaより
国土地理院は原則として訓令式ローマ字を使用してきたが、2004年11月11日の国土地理院長達34号でヘボン式に改められた。道路標識と同様の修正ヘボン式であり、撥音は常にnと書くが、母音やyの前ではハイフンで区切る。また、長母音は短母音と区別されない
および
日本郵便は国際郵便のローマ字方式について特に規定していないが、郵便番号データファイルでは旧ヘボン式を用いており、撥音はb/m/pの前でmと記し、長母音は短母音と区別しない
日本の地方公共団体ではその名称のローマ字表記にヘボン式を用いていることが大半であるが、長母音など記号類は省略される場合が多い。撥音の扱いについては地方公共団体によって旧ヘボン式を採用するか修正ヘボン式を採用するか方針が分かれており、二本松市(Nihonmatsu)、紋別市(Monbetsu)などで修正ヘボン式が、丹波市(Tamba)、仙北市(Semboku)などでは旧ヘボン式が用いられている。

以上の点から郵便番号データとは異なり地名集日本では(山武市が採用した旧ヘボン式準拠の表記ではなく)
「Sanmu Shi」という表記になったと推測されます。
※したがって、丹波市のほか、京丹波町も「tamba」ではなく「tanba」になっている(恐らく丹波篠山市も同じ)

【以下、恒例の謎々を1問】過去ログでは(平成大合併の最中)2003年に以下のような問題が出されておりました。
[8736]深海魚[雑魚] さん
自治体名をローマ字で表記した場合について、以下の設問に答えよ。ただし、ここで言う 「母音」 とは
「A」 「I」 「U」 「E」 「O」 を指し
中略
問四) 例えば 「山口百恵」 の様に、母音を全種類網羅する市町村名を挙げよ。

(当然過去ログに答えもありますが)前述の郵便番号データ(ローマ字)のローマ字表記を用いた場合には、
上記条件に合致する(母音を全種類網羅する)自治体は何個になるかお答えください。
対象自治体は(郵便番号データ2020年6月現在掲載の)1,741市区町村
町村の郡名(ISHIKARI GUNなど)・市区町村末尾のローマ字(SHI,KU,CHO,SONなど)は含めません・・・
回答フォローは翌週あたりに行えるはず???
[101417] 2021年 2月 23日(火)19:14:26ekinenpyou さん
奥羽街道の金ヶ瀬宿は複数郡に跨っていた?
[101332]千本桜 さんでご紹介いただいた金ヶ瀬宿の「家向き俗説」を(個人的に裏付け調査もしながら)ようやく読破しました。
この俗説は各所で引用されており、(観光などで)現地を訪れた方も(その説で)納得してしまっているようですね。

以下、千本桜 さんのサイトより内容を一部引用しますが、この俗説が生じた経緯として柴田郡誌(M36)(金ヶ瀬村)にある
金ヶ瀬の市街は藩政の頃、おおよそ中央を境に二分して柴田、刈田の両郡に分属し、
東方は柴田郡平村と称し、西方は刈田郡金ヶ瀬驛と称していた。
という記述の他、日本地名大辞典(S13)(金ヶ瀬村)には
「藩政の頃までは西部刈田郡・東部柴田郡に分属し、東は伊達公直属の百姓・西は片倉氏の足軽の居住地だった」

という記述も見られました、これらを(都合よく解釈して)混同してしまった場合
「町の中央で家向きが転換し、西は片倉氏の足軽・東は伊達公直属の百姓居住地」という説に発展しうるのではないかと思われます。

なお、柴田郡誌(M36)には「(明治)維新の際(刈田郡)金ヶ瀬駅を平村に合併し柴田郡に編入」という記述もありますが

大河原町の住所と大字の考察 改訂版(千本桜 さんサイト内の「江戸時代の村とその領域」)・金ヶ瀬宿古図 (尾形彰さん制作)
なども参考にすると柴田郡誌(M36)において「町の中央が郡境になっている」とした点(大正の柴田郡誌で位置を訂正)に加え、
郡境が存在したという記述自体も不適切(誤り?)だったのかもしれません。
(戦後の資料では宿内における郡境有無についてはっきり明記されなくなった?)
刈田郡の飛び地?が柴田郡の宿内に存在し、それが「金ヶ瀬駅」だったという可能性もゼロではありませんが・・・

【参考】(江戸時代の資料類における金ヶ瀬宿の表記、複数郡に跨っていたことをはっきりと示す資料は見つかりませんでした)
柴田郡→日本分国図(仙台領)(正保国絵図摸写図?平村とは別々)・天保国絵図陸奥国仙台(こちらは平村之内)
刈田郡→武奥増補行程記(千本桜 さんサイト内で、寛延4年(1751)の道中図「増補行程記」とあるものと同じ?)

【おまけ】
金ケ瀬8,000歩コースというPDFを見てみると、現在の小学校近郊にある古い建物として光澤山 明増寺(浄土真宗本願寺派)という
お寺があり嘉禄2(1226)年創建とのことで、位置が変わっていなければ(寛永の)金ヶ瀬宿移転前から存在していたことになります。
(寺院関係者の方は)この俗説についてどのような見解を持っているのでしょうか・・・
[101402] 2021年 2月 13日(土)19:54:44ekinenpyou さん
「蘇」と「蘓」【続編】
予定投稿は後日とし、[101400]伊豆之国 さん・[101396]hmt さんの投稿などを踏まえ表題の件についてもう少し調査しました。

江戸時代の辞書(三重大学附属図書館)の(11コマ・漢字辞書)より
漢字辞書は、顧野王撰『玉篇』(543 成)が輸入され盛行したのち、空海編『篆隷万象名義(てんれいばんしょうめいぎ)』(830)が編まれ、以後漢和辞典が作られるようになった。その後『大広益会玉篇』(1013)が輸入され、江戸時代はそれを元にした漢和辞典(展示本11)が用いられた。
より簡易な漢字字書(展示本13)も存在する。清代の『康煕字典』など最新の辞書もいち早く移入され、校訂がつき明治期まで利用された(展示本12)。
ということで、(康煕字典以外の)下記辞書類について確認
大広益会玉篇画像の右上)・※1 新増字林玉篇画像の右下

いずれも「蘇」で特に気になる点はありません

※1 前述PDF(12コマ)より引用
辞書、刊、横本、1 冊、鎌田環斎編、自序寛政9(1797)、無刊記、個人蔵。
寛政頃に編まれた漢字辞書。現代の辞書と同様に漢字の部首、画数で検索できる。漢字の読みも記す。『康煕字典』(展示番号12 参照)の三万三千百七十九字より多い四万三千六十余字を収録し、簡潔ながらより網羅的。寛政10 年版以降幕末まで多数出版された。

次に「阿蘇郡」「安蘇郡」の表記を江戸時代の※2下記資料類で確認

国郡全図で「阿蘇」は目次地図ともに「阿蘇」ですが、「安蘇」は目次は「安蘇」地図は「安蘓」
と、「安蘇郡」では双方混在が見られます。

更に天保郷帳の下野(125コマ)・肥後(140コマ)および天保国絵図の下野肥後
伊能大図彩色図(肥後 熊本 筑後)・地図の「阿蘇山」も「阿蘓山」

いずれも「蘓」で幕末期の(特に幕府主導作成の)資料類に「蘓」の字が(辞書類字体の「蘇」に代わり?)使われているようです、
ということで[101400]伊豆之国 さんご要望の
この「阿蘇」や、栃木県の「(旧)安蘇郡」、千葉市の「蘇我」などでも、果たして過去に「蘓」という字体が使われていた例があるか、知りたいところでもあります。
「蘓」と書かれた例は見つかりました。

※2 資料類の「魚」の部分は異体字表記も見られましたが、同一視しています。

漢字の字体について専門ではありませんが、こういった経緯をたどった字は珍しいのでしょうか???その成立過程については
[101400]伊豆之国 さん
「蘓」という字体はおそらく中国にはなく、「国字」とは少し違いますが、「日本で作られた異体字」である可能性がありそうです。
あたりが正しいのかもしれませんが、ジャッジが困難で確証はありませんね。
(古代の中文に「蘓」という字体が含まれているか探すというのが方法の一つですが・・・)

【おまけ】旧国名のついた貨物駅・信号場を鉄道停車場一覧などからリストアップしておきます(まだあるかもしれませんが)
貨物駅→筑前中山武蔵多摩川美濃大久保紀伊河瀬
信号場→伊予若宮肥前三川および、越後大沢・越後下島・越後山辺【参考】(上越線)
(少ないので、以下参考)末尾の「州」を国名と見なす場合→武州原谷上州岩鼻

相模国分越後関原など、過去に旅客を取り扱ったものは除きました。
相模貨物は「旧国名」+「貨物」駅と考えることもできますが、現在は類似の駅名が各地にあるため枠外としておきました。
[101397] 2021年 2月 10日(水)19:45:49【1】ekinenpyou さん
蘇原と蘓原(補足編)
予告投稿その1です。表題の件、いくつか(蘓原の表記が)確認できた資料などを分類し列挙しておきます。
【A】字体がいわゆる「文字コード」で表記されたもの
蘇原町 - Wikipedia
本来ならば蘇原町の「蘇」の文字は「蘓」と表記されるのが正しいが、常用漢字から外れたため、「蘇」の文字を使用するに至った。

各務原市 例規集より各務原市の町区域の画定及び名称の変更(昭和38年4月30日岐阜県告示第246号)
合併後、旧蘓原町の町名には蘇原を冠する旨の表あり([101383]MI さんにもある通り、原文通りかどうかは不確実)

岐阜県市町村合併等経過一覧表より各務原市 (1コマ)では蘓原村→町、現在は加茂郡白川町(3コマ)となった蘇原村と異なる。

【B】画像ベース(原文は当時の印刷)のもの([101384]拙稿紹介の土地宝典以外)
美濃国稲葉郡志(T4)
村名由来となった古名、曾原郷・蘇原荘とは明らかに別字体、なぜ「蘓」の字を採用するに至ったかについては記載なし

蘇原村北柿沢地内ニ停車場設置ノ件(岐阜県稲葉郡蘇原村長横山多賀治外五十四名呈出)
[101383]MI さんで蘇原停車場設置の鉄道省告示が示されていますが、その設置請願に関する文書のようです。
(「蘓」の字が多用されています。)

臨時国勢調査結果報告(昭和22年)昭和40年国勢調査(付表3市区町村の廃置分合・5コマ)
[101383]MI さんにもある通り、戦後稀に官報で「蘓」の字を使った表記が見られるようになったことと関係?

訂正康煕字典の字体は「蘇」で戦前も「蘓」という字体はほとんど知られておらず、かなり使用機会が低かったものと思われます。
異体字に言及した大漢和辞典などにも記載が無く辛うじて詳解漢和大字典に「また「蘓」に作る?」という記述がある程度でした。

戦前地元では「蘓」の字を使っていたことはよく知られていたが、多くの出版物では「蘇」の字に置き換えられていた。
戦後?何らかの理由で「蘓」の字表記が国側にも伝わり官報や国勢調査報告などにごく一部使われるようになった、
合併消滅時にどちらの字体が正しかったかについては人により見解が異なるということになるのでしょう・・・
以上、(あまり資料価値のない)中途半端な内容になってしまいましたがログには残しておこうと思います。

本文誤記訂正&追記お礼
[101396]hmt さん、コメントありがとうございます。
「蘇」が正字として使われることが多く、変遷情報の記載も「蘇原」に統一された。
おおむね認識通りと思われます、「蘓」という字は実は当方も最近まで知りませんでした。
[101316] 勿来丸さん[101319] hmt さんの投稿について調査していたところ偶然気が付いたということです)
[101395] 2021年 2月 9日(火)21:34:56ekinenpyou さん
旧国名駅・宮城島など
皆様、思いのほか楽しんでいただけているようで何よりです。
[101393]駿河の民 さん・[101394]MI さん(美濃下野は[101389]デスクトップ鉄 さんが先行)については当然正解となります。

[101390]N さん
(追加問題の方)早速の正解です。
駅があった位置的な関係で?Wikipediaでは身延線善光寺駅の方に主要な解説があるようですが、
甲斐善光寺は地方鉄道の富士身延鉄道ではなく国有鉄道(鉄道院)の駅でした。

【参考】T6.3.20官報(鉄道院告示10号・中央上)
こうした仮停車場といわれるものは営業実態が把握しづらいですが(書類上だけ存在したものもあります)
確かに旅客を取り扱ったという証拠として鉄道統計資料(T6年度)を示しておきます。

[101389]デスクトップ鉄 さん
停車場変遷大事典で調べたら、そのとおりでした。1917(T6)年4月5日から6月3日まで甲斐善光寺の大開帳と武田信玄公350年祭にあわせて営業したのですね。甲斐大島より2年早かった。
仰る通りです、詳細な解説ありがとうございます。なお最初に旧国名を冠した駅は「筑前植木」であったと考えて良さそうです。

※非常に邪道なのですがこちらの駅開業はM28.12.28(官報M29.1.22中央上「通運」・地名由来は[38328]hmt さん参照)

[101391]千本桜 さん
旧国名の定義次第ですが、奈良時代に短期間だけ存在した石城国がOKなら、伊予石城駅も該当しますね。
鋭いご指摘です、例えば「明治維新期以降」のように年代を明示するなどした方がよかったですね。
(明確な定義を示さなかったので)追加で正解とさせていただきます。

余談ですが、最初に旧国名を冠したと官報に示された駅は現在のJR常磐線「磐城太田」だと思われます。
官報M31.11.26(左下「通運」停車場改称)
※改称日の根拠がやや曖昧な「筑前植木」を除く

【おまけ】[101358]伊豆之国 さん「番外編」のクイズについて
宮城島(沖縄県うるま市)は、かつて別称「高離島」で地図表記されていた島ですね・参考

「宮城島(みやぎしま)」という苗字は、沖縄の苗字ではありません。本土のある場所に集中して見られる苗字です。その場所とはどこでしょうか?
既に第二ヒントのStreet Viewを準備中かもしれませんが・・・過去ログでも仰っていた通り
晩年はそこに行く鉄道は1日たった1往復となっておりある意味?有名でした。
(中高年層以上のメンバーの方で乗りに行ったことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか・・・
次の列車まであまりにも時間が空いたため、片道はバスという方も少なくなかったことでしょう)
[101388] 2021年 2月 8日(月)20:09:46ekinenpyou さん
旧国名駅名など
[101384]拙稿関連小ネタ、こちらも早速のフォローありがとうございます。

[101385]伊豆之国 さん
甲斐大和は比較的最近の改称駅名ですね(会社要覧 2019-2020)2コマ
[101386]まがみ さん
伊賀上野

お二方とも見事正解です、この他山梨県には甲斐上野駅(JR身延線)もありますね。

余力?がありそうなので問題を追加しておきます。(実はこちらが本題???)
内地の鉄道で国名「大和」を最初に冠した駅は「大和新庄」(T4.9.11改称)ですが
「甲斐」を最初に冠した駅をお答えください、大和池尻(右上)のような改称・廃駅など(現在は消滅したもの)も対象とします。

※当時は大阪鉄道所属、現在の近鉄(南大阪線)橿原神宮西口駅

【ヒント】こちらに載っています。くれぐれも「解なし」などとお答えにならぬよう・・・
[101384] 2021年 2月 7日(日)19:15:30ekinenpyou さん
茨城・千葉両県の佐貫と牛久
今年は丑年ということで似た名前同士2駅についての所在地変遷などをまとめてみました。(少々表が見にくい点はご容赦を・・・)

JR常磐線佐貫駅同左牛久駅JR内房線佐貫町駅小湊鉄道上総牛久駅
M22町村制施行時馴柴村牛久村佐貫町明治村
M33.8.14駅開業M29.12.25駅開業
T4.1.15駅開業※1T13.7.15牛久町
T14.3.7駅開業
S29.3.20龍ケ崎市S29.1.1牛久町S30.3.30大佐和町S29.11.15南総町
S46.4.25富津町→9.1富津市S42.10.1市原市
S61.6.1牛久市
R2.3.14龍ケ崎市駅に改称※2

※1 鉄道院告示4号(T4.1.14官報右上)によると所在は(大字)亀田・佐貫とある、
事業者サイト(現状)は亀田ですが付近の地図(マピオン)を見ると佐貫もまばらに点在している。
※2 JR駅のみ(関東鉄道は従来のまま)
JR常磐線佐貫駅駅名改称の取り組み|龍ケ崎市公式ホームページ

【上記外の所在地参考資料】帝国鉄道要鑑(右下)・T14.3.14官報彙報(左下「通運」)
各駅名リンク先は今昔マップ on the web

要約すると、M22町村制施行時には後のJR佐貫駅(茨城)所在地は「村」、対してJR佐貫町駅(千葉)は当時既に「町」
ただし「市」への変更は佐貫駅(茨城)が先行
後のJR牛久駅(茨城)・小湊鉄道上総牛久駅(千葉)の所在地は双方とも「村」だったが、「町」「市」への変更は
JR幹線(常磐線)にある牛久駅(茨城)ではなく、地方私鉄の上総牛久駅(千葉)が先行と少々ややこしくなっています。

当駅は「マザー牧場」最寄りではありません!JR佐貫駅、駅名変更で乗り間違いなくなる?(産経ニュース)
効果のほどは不詳ですが、近くに「牛」が付く駅がある点については・・・

【至極簡単な謎々】
武蔵大和駅のように旧国名が複数連続する鉄道駅をお答えください
※神戸(こうべ・かんべ・ごうど)のように同じ漢字であればOKで読み方は不問とします。

[101383] MI さん早速のフォローありがとうございます、[101381]拙稿関連ついては後日まとめて投稿予定です。
少しネタバレしておくと、参考史料の一つとしてこちらをご紹介・・・
[101381] 2021年 2月 6日(土)09:21:53ekinenpyou さん
Re:小字地名など
本年もよろしくお願いいたします、関連投稿は[101316] 勿来丸さん・[101319]hmt さん

(大字起番の地域など、地図サイトで確認できない)小字地名が残っているか確認する方法の一例として
競売の売却結果-岐阜地方裁判所本庁<開札期日:令和1年7月16日>を見てみると

関市武芸川町八幡(字下池田)・山県市大字東深瀬(字鴻ケ池)
とあり、これらの地域では()内で示した小字地名の記載がある(残っている?)ことがわかります。
いっぽうで各務原市の場合、蘇原東栄町二丁目/鵜沼各務原町二丁目という表記で小字地名の記載はありません。

【参考】
小字 - Wikipedia(小字の廃止)より
都市部では、かつて小字が存在していても、区画整理事業や住居表示の導入によって小字は消滅していることが多い(大字は住居表示実施後の町名に引き継がれることが多い)。

住所・本籍・土地・建物の所在の表し方 横浜市
(住居表示前の住所&本籍には小字地名が無いが、土地では「字 内山」という小字表記が存在→ただし住居表示で消滅)

今昔マップ on the webで各務原市蘇原申子町の近傍を見てみると、
地名の変遷とともに宅地化が進んでおり現在では町名と丁目で区切られた地域になっています。

以上より、各務原市の小字図は全域で小字が残されていた時点のもので現状とは異なる可能性があると推測されます。
(作成過程は不明ですが各務原の地名(平成3年3月発行)の小字地名を記した地図などを参考としたもの???)

※本件に関し、現在でも各務原市に残っている可能性がある小字地名および、資料による小字地名の表記ゆれなどに
ついては少し文章が長くなるので状況に応じて後日追記いたします。

【恒例の?おまけ謎々1点】(簡単なものですが、こちらも後日回答をフォローします)
各務原市 例規集より
○町の廃置分合 昭和38年3月16日自治省告示第24号

地方自治法第7条第1項の規定により、岐阜県稲葉郡那加町、稲羽町、鵜沼町及び蘓原町を廃し、その区域をもって各務原市を置く旨、岐阜県知事から届出があった。

上記の廃置分合は、昭和38年4月1日からその効力を生ずるものとする。
詳細情報(市区町村変遷情報)では
1963(S38).4.1 岐阜県 新設/市制 各務原市 稲葉郡 那加町, 稲羽町, 鵜沼町, 蘇原町
となっていますが、目を凝らしてよーく見ますと、ある字の字体が違うことがおわかりになりますでしょうか?
(この件に関し過去ログをあたりましたがMIさんやむっくんさんなど、詳しい方からのご指摘も無い模様でした)
[100918] 2020年 12月 28日(月)19:16:06ekinenpyou さん
地方公共団体の長の任期
相野田 敏之さんについては[100911]N さんと類似しますが以下の経過をたどったと推察いたします。
S30.3.31 佐伯郡中村(村長)失職(翌日新設合併による任期満了)
4.1 同郡能美町成立(公職選挙法第33条第3項の規定により選挙は設置日から50日以内に行えばよい、この間は職務執行者を置いておく)
4.30 統一地方選挙
5.1 当選人の告示(任期の起算日)・能美町長となる

※多くの方はご存知の通り(地方公共団体の長の)任期4年&任期満了前30日以内に選挙というルールは必須ではない
【参考】群馬県 - 市町村選挙データ集1「任期満了日の変遷に関する調べ」(長)(令和2年1月1日現在)
市町村選挙が統一地方選挙から逸脱した時期と理由(2コマ)

統一地方選挙の度に地方公共団体の議会の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律にもある通り特例法が作られる。
(これらにより通常と異なる選挙期日等のルールが定められることがある)

S30の第3回統一地方選挙の際につくられた特例法は下記参照
地方公共団体の議会の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律(S30.1.24法律第2号)
[100910] 2020年 12月 27日(日)19:29:58ekinenpyou さん
岡山県南広域都市圏など
なぜ実現しなかった!岡山県南百万都市建設計画の頓挫(-岡山の事件簿4-岡山の街角から)より
実は合併の調印式当日に、話は頓挫しました。倉敷市の市長が必要な書類に記入をしないまま、公印を隠して東京へ失踪してしまったのです。勿論、理由は合併反対の為です。
この方のお名前は???回答は過去ログに・・・
[28115]警笛中毒 さん
当時の倉敷市長・高橋勇雄(倉敷レーヨン出身)は合併期日前、公印の市長印を隠して上京し消息不明となり
市長履歴はこちら(8コマ監査役)

上記で示された倉敷歴史ミニ辞典(1月24日(金)「県南百万都市構想」のネットアーカイブ)より
倉敷の名が消えることへの反発や諸々の事情があるのでしょうが、当事者の肉声はあまり伝わってこないようです。

とありますが、地域開発と広域都市圏 岡山県南広域都市圏 (岡山大学学術成果リポジトリ)に当時の実況詳細あり(ごく一部引用)
その5(22コマ)
高橋は37年12月20日の昼過ぎに秘書の中田に「これから上京する,東京に着いたら電話で連絡する。帰るのは27日だ」といい残して市役所を出た,それ以来38年1月7日に登庁するまで所在不明であった。
以下欄外脚注
(54)当時倉敷市の企画室長であった今城松二郎は筆者に「倉敷にいると議決の執行を強要されるので,一緒に上京した。第一ホテルにとまっていると夕刊新聞の記者に見られたので従業員エレベーターで外に出て,日航ホテルに行き私の満鉄時代の知人に頼み偽名で宿泊し私だけ先に倉敷に帰り絶えず連絡をとっていた。」と語った。
その6(2コマ)
当時副知事であった曽我与三郎は生前筆者に「高橋さんが雲がくれしたので助役の保津君に判を押せと激しくつめ寄ったこら、とうとう泣き出したのでどうにもならなかった」と語った。

【おまけ】短い市区町村名・長い市区町村名(市区町村雑学)
過去にも漢字五文字の市がありました。1959年(昭和34年)9月1日に青森県の大湊町と田名部町が合体して大湊田名部市ができました。

上記については前述その4(18コマ)に詳しい経緯が書かれており、
当時の大湊町長が「大湊市」・田名部町長が「下北市」を強く希望したらしく、
町議会の議決がないがしろになるなど泥沼化していたよう・・・この名前は県知事側からの提案だったようです。

[80486]伊豆之国 さん
現市名 新市名(私案) 理由
むつ市 下北市 「むつ」の名に忌まわしい過去を思い起こす人も。この際広く知られた半島名に
[51814]矢作川太郎 さん
何故その代替案が「むつ市」だったのでしょうか。どちらかの旧町名を採用するのはまずいとしても、「下北市」辺りが妥当では無いでしょうか。(自分は今回(平成)の合併で駅名・郡名に因んで「下北市」になると思っていた。)
以上は過去の経緯より使用に抵抗があったのかもしれません・・・
[100905] 2020年 12月 26日(土)08:40:03ekinenpyou さん
香川県人口(1995境域組替)の追加版
拙稿[100902]での投稿予定分です、以下略号(a)は1920年・(b)は1889年人口とします。
([100896]サヌカイト さんの表順番に準拠したが、2015境域・比率は容易に計算できるため省略)

市町村1920年(a)1889年(b)備考
高松
-高松144,869129,622(b)寺井村(774人)を含む
-国分寺7,8167,947
-牟礼6,5516,276
-庵治5,3254,772
-香川8,4408,836(b)東谷村(1,071人)を含む、寺井村(774人)を含まず
-香南5,7966,112
-塩江8,1666,969(b)東谷村(1,071人)を含まず
丸亀
-丸亀47,45948,976
-飯山8,1077,859
-綾歌9,5449,824
坂出44,60934,386
善通寺27,15119,242
観音寺
-観音寺31,50836,024(b)本大村(1,066人)&木郷村(1,306人)を含む
-大野原14,14016,792(b)木郷村(1,306人)を含まず
-豊浜8,60310,820
三豊
-高瀬15,72716,452
-豊中10,45610,838(b)本大村(1,066人)を含まず
-詫間15,05513,475
-仁尾7,0288,081
-三野8,3328,772
-山本7,5669,096
-財田5,3405,561
さぬき
-志度14,79616,852
-長尾9,69310,650
-津田7,7349,079
-寒川5,4626,316
-大川7,5588,256
東かがわ
-大内12,65414,669
-白鳥10,18211,968
-引田9,32511,196
三木21,87623,135
綾川
-綾南12,50913,433
-綾上9,98610,434
宇多津5,9215,371
多度津18,46618,591
琴平10,98913,806(b)五條村(1,097人)を含む
まんのう
-満濃14,29613,429(b)五條村(1,097人)を含まず
-仲南5,5375,568
-琴南5,6805,897
土庄21,29322,758
小豆島
-池田8,5649,590
-内海14,79911,373
直島2,9441,640

出典について、(a)はT9.10.1国調人口(香川県合計677,852人)・(b)はM22.12.31市町村現住人口(香川県)
※(b)合計は670,743人で日本帝国人口静態統計などでの合計(668,548人)と若干相違がありますが、
近似値で支障なしと解釈(いくつか原因は思い当たりますが確証は無いので記さず)

原則として前述人口を(町村別に)1995境域各エリアごとに分類合計したものですが、
別々のエリアに分割された町村人口については(比率按分はあえて行わず)人数が多いと思われる片方へのみ計上しています。
なお(b)は後の大字単位になっているため、(大字単位に分解できない)(a)と異なるエリアに計上したものがあります、
(備考にも記しましたが)詳細は以下の通りです。()内は分割&境界変更時の(直前国調ベース)人口異動数で当然(b)とは異なる。

(1)S31.9.5 香川町の一部(553人) → 一宮村(現在の高松市)・S33.4.1香川町の一部(369人) → 高松市
寺井(北部&中部)が高松市に編入
(2)S31.10.25 塩江町の一部(1,548人) → 香川町 東谷(ほぼ全域?)が香川町に編入
(3)S30.4.10 紀伊村(分割編入) → 観音寺市(1,178人)&大野原町(2,255人) 木郷(全域?)が観音寺市に編入
(4)S31.3.31 満濃町の一部(964人) → 琴平町・S32.10.10 満濃町の一部(477人) → 琴平町
五條(条)(ほぼ全域?)が琴平町に編入

【参考】香川県市町行財政要覧(令和2年3月発行)11.市町村の変遷-168-185香川県公布類纂. 明治21,22年
自治体越えの地名(地名コレクション)(香川県)
[100902] 2020年 12月 23日(水)19:04:18ekinenpyou さん
Re:茶番第15回 2020国勢調査発表を前に
[100896]サヌカイト さん
国勢調査結果がもうすぐ(といってもまだかなり先ですが)発表されますが、比較対象が1995年までだと寂しいので、自分の住んでいる香川県の2015境域と1995境域(市町村名の前に「-」)で組替人口を作ってみました。一応、分割や境界変更等も考慮しましたが、かなり大雑把に、しかも電卓でやったので恐らく間違いだらけとなっていると思われます。
2015・1995年は恐らく問題ないようです、(中高生の方の作品?としては)非常によくできていると思います。

香川県全体の人口ですが1970年(10.1)は907,897人/1950年(10.1)は946,022人になるはずですが
(サヌカイト さん作成の表をもとに)合計すると若干足りず905,206人/928,392人になってしまっているようです。

(2015境域のみで1995境域の内訳は省きますが)以下の通り変更が適切と推察いたします。
1970年は観音寺(64,962→66,653人)&三豊(74,210→75,210人)に変更
1950年は高松(251,977→269,160人)&琴平(16,115→16,087人)&まんのう(30,926→31,401人)に変更

どのように計算すると上の値になるかについては、年明けの十番勝負の後にでも(まだ興味があるようでしたら)
チャレンジしてみてください。

本当は1945年でして2020年ができたら25年ごとになりちょうどよかったのですが、あるはずもないので1950年となり、微妙な間隔となっています。
ご要望のものかどうかはわかりかねますが、1920・1890年の分も(分割や境界変更等による人口異動については
ほとんど考慮せず相当妥協してありますが)一応データが手元にあるので後日当方より投稿します、少々お待ちください。
[100897] 2020年 12月 21日(月)19:32:13ekinenpyou さん
地名の表記ゆれ?など
[100804]白桃 さん
「戸」の由来だけでなく、「四戸」がどこにあったかについても諸説あるようですが
上記については「四戸」はどこにあるの?「戸」地名について(落書き帳アーカイブズ)でも議論されたようですが、
「戸」の由来(岩手県)にも詳しい解説がありました。

前置きが少し長くなりましたが、1件小ネタを投稿しておきます。
大坂→大阪のようにかつては別の字を用いた表記が幅を利かせていた地名を2点ほど示します。

【1】金田一(現在の岩手県二戸市)
国郡全図天保郷帳(陸奥国郷帳下・89コマ左側)・官板実測日本地図(畿内 東海 東山 北陸)
ではいずれも「金田市」でした、なお金田一村 - Wikipediaには以下の記述もあります。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、二戸郡金田市村、野々上村、釜沢村、下斗米村(一部)が合併し、金田一村が成立。

地名索引(真ん中下部)は「金田一」とあり、合併前村名は金田一村で支障ないと思われます。
[65241] じゃごたろ さんより
四戸氏は、軍事的に勢力を拡張してきた九戸氏への抑えとして現在の二戸市に移され、それが金田一氏のとなったとも言われています。現在地名として失われた「四戸」ですが、二戸市内に「四戸城跡」があるのもそのためと考えられているわけです。

(明治初期?)四戸(後の金田一)氏と字を揃えた表記が定着していった?
余談ですが、Issie さんのサイト・郡の変遷(東北地方)にもある通り、
二戸郡は明治4年の1次府県統合では青森県でしたが、明治9年に岩手県の管轄になりました。
【参考】宮城県下気仙郡青森県下二戸郡岩手県ヘ管轄伺

【2】宇多津(現在の香川県宇多津町)
国郡全図天保郷帳(讚岐国郷帳・16コマ左側)・官板実測日本地図(山陰 山陽 南海 西海)
ではいずれも「宇足津」でした、宇多津町の歴史より
町名の由来ですが、古代鵜足郡(うたのこおり)の郡津に由来しています。

とある通り、讃岐国名勝図会(鵜足郡42コマ)右側表記は「鵜足津村」ですが、左側は「宇足津全図」とあります。

地名索引(左側中央)は「宇多津」とあるので町村制施行前の村名は宇多津村で支障ないと思われます、大日本地名辞書 上巻 二版(左下)鵜足郡に古訓は「宇多」とあり、(明治初期?)これに倣う形に回帰した表記が定着していった?

【おまけ・ある程度の年齢以上の方には簡単すぎる年内最後の謎々】
明治新政府は慶応4(明治元)年閏4月の政体書公布からほどなくして府藩県の印鑑を作成するよう命じました、復古記(左側参照)
その印影を収めた箇所はこちらで府藩県の印影ははじめおわりの範囲内にあります。例えば[100893]白桃 さん
オグリキャップ、デビューの地
の県印については105コマ(左pp.193)右1列目の上から2番目がその印影と思われますが、
四国の讃岐国にあった「丸亀藩」の藩印はどこにあるでしょうか?
(若い方でもサヌカイト さんとか地元の方ならすぐに答えがわかる???)

年明けまで時間も短いので(回答を解説しなくても良いように)大甘ヒントつき、[100864]hmt さん
立派なヒゲの百円札
より百円券(日本銀行サイト内)を見ると・・・

※府藩県三治制について詳しくはIssie さんのサイトを参照のこと(以下引用)
公式名称でないのであれば,同一の藩に「伊達藩/仙台藩」「毛利藩/長州藩/萩藩」などというようにいくつもの呼称があるのも不思議ではないわけです。
上記の通り「正式な藩名」なるものは恐らく無いのですが、「某藩印と刻すべし」と命じたにもかかわらず、
その通りにしない(少数派ひねくれ?)藩に対し新政府は(作り直しは命じず)大目に見ていた模様です・・・
[100895] 2020年 12月 18日(金)08:34:19ekinenpyou さん
Re:「茂原→睦沢は無かった」など
[100878]白桃 さん
睦沢町には川島という飛地があって、そこは茂原市に隣接していますが、面白いのは茂原市の地区名に川島飛地があるのです。「川島」と「川島飛地」は隣接していないのですからこれまた面白い???
「飛地」の漢字を含む町域名は千葉県に多くあるようで、このうち(現在は茂原市内にある)川島飛地ですが、
茂原市モバラの地名由来では成立年代不詳だが(睦沢町)川島の飛地であった?という旨記載がありました。

これらは多くが非常に狭い領域のようで今昔マップ on the webで確認したものの5万図はいずれの年代でも
地名表記がありませんでした。(地理院地図でもズームレベルを最大の18にしないと表示されない)

以下は推測になりますが・・・
千葉県新旧町村対照 : 附・新旧戸長役場之位置長生郡東郷村(当時は長柄郡)の旧町村名に「川島村飛地」とありこの時に成立?

※(上記の類は大字には分類されないため?)市町村大字読方名彙などには記載がありませんが、
千葉県長生郡統計書. 明治41年の東郷村に「川島飛地」という地名が確認できます。(統計書では大字として便宜カウント?)

[100887]未開人 さん
へき地の学校には興味があります。ちょうど情報提供しようと思っていたのが全国へき地教育研究連盟のへき地学校一覧ですが、情報が古かったり福島県など一部県の情報がなく不完全です。
「へき地学校」の一覧が掲載された資料は文部科学省から出版されているか(レファレンス協同データベース)によると
かつては「へき地学校便覧」という資料があったようですが、現在は刊行されていないようですね。

【参考】本州唯一のへき地5級校を訪ねる旅佐井村立牛滝小中学校 - Wikipedia
Wikipediaの脚注リンク先に青森県例規集のへき地手当等(昭和35年04月26日 人事委員会規則第7-51号)が示されており、
下部の別表というものに一覧が掲載されています。
他県の例規集でも似たような別表があるようですが、千葉県のようにネット上で別表が確認できないものがあり
(数が少ないので省略されている?)そうした場合は問い合わせるなどしないとわからないかもしれません。

【参考】高知県例規集のへき地等学校等を指定する規則(平成16年3月30日教育委員会規則第2号・下部別表)
福島県例規集の市町村立学校職員の給与の支給に関する規則(昭和35年12月8日 人事委員会規則第8号・下部別表)
千葉県例規集のへき地手当等の支給に関する規則(昭和四十六年三月二十六日人事委員会規則第七号)
別表に掲げるへき地学校(市原市及び君津市に所在するものに限る。)
(上記のようにあるが、ネット上で別表が閲覧できない)

※福島県・千葉県は例規集へのURLをうまく示せないため条例Webアーカイブデータベースで代用
[100891] 2020年 12月 13日(日)19:30:35ekinenpyou さん
Re:海と島(41)「沖の島」情報に感謝など
[100886]hmt さん
「沖の島」については他にも色々書けることがあるのですが、内容が非常に長くなりそうなので
※高知県の離島に行こう。宿毛市の「沖の島」がおすすめ!(たびこふれ)・Google マップ(ストリートビュー)

などをご覧いただき、島めぐりをした気分を味わっていただければと思います。

※地元在住の地域おこし協力隊の方が作成したもので大戦中の遺構なども写真に収められており一見の価値ありです。
(作者の方のプロフィールに「新人狩猟者」とあって、時には危険も伴うお仕事も???)

[100874] サヌカイト さん
十島村と三島村役場って鹿児島市にあるけど、不便じゃないのかな
十島村役場 - Wikipediaを見る限りでは、役場移転の案もあるようですが(諸事情より)積極的ではないような気もしますね。

例えば薩摩川内市役所は甑島列島に無いので、(合併で)不便になった?というわけではないということでしょうか・・・

協議会だより(第2号)(3コマ・4「公共施設の基本的な考え方」より)
本庁については、新庁舎建設までの間は合併前の川内市役所とし、従前の関係各町村役場は、各種窓口業務機能だけでない従来の町村役場とほぼ同等の機能を有する総合的な業務を行う支所として、市民サービスの向上を図るよう必要な機能の整備・充実を図ります。

以下余談、甑大橋(藺牟田瀬戸架橋工区)が開通しましたより
令和2年9月6日~7日にかけて接近した台風10号に伴い,下甑島の鹿島でも災害に伴う断水が発生しましたが,開通した甑大橋により上甑島から給水車を輸送することができました。
新しい橋は早速役立っているようです。

本来は[100878]白桃 さん(川島飛地)にもコメントしようと思ったのですが
[100887]未開人 さん(へき地学校一覧)とあわせて後日投稿予定につきしばしお待ちください
[100882] 2020年 12月 8日(火)20:05:55ekinenpyou さん
Re:海と島(40)土佐と伊予とに分断されていた 沖の島、他
表題の島は過去ログにはあまり登場していなかったのでしょうか、(北部の母島は)複数回訪れたことがあるのでコメントします。
[100875]hmt さん
沖の島の愛媛県管轄区域が高知県に移管されたのは、明治9年という記載がありました。
そのように書かれている資料が多いようです。沖の島 (高知県) - Wikipedia
1876年(明治9年)2月25日 - 母島浦・久保浦・小矢野浦・鵜来島の所属県と所属郡が、愛媛県宇和郡から高知県幡多郡に変更される。

とありますが、[100875]冒頭の
明治7年までは 沖の島【現在は全島高知県宿毛市】に県境があった
厳密にはこちらが正しいと思われます、M7.7.7達により(M9より先行すること2年前に)所属県が高知県となり、M9.2.25布告21号で
「高知県管下」の「伊予国宇和郡」沖ノ島外二島を「土佐国幡多郡」に編入しました、太政類典へのリンクなども下記に示します。
愛媛県下沖ノ島外二島高知県ニ属ス高知県下伊予国沖ノ島外二島ヲ土佐国ヘ編入
【参考】府県及北海道境域沿革一覧

現在、孤島・沖の島の陸上では 過疎化が進行しています。
戦後の一時期に最大人口千数百人を数えた弘瀬部落は、2016年時点で 100人を切っているとか。
仰る通りです、本年は宿毛市の沖の島中学校9年ぶり再開へ 地元で1人が進学(高知新聞)
というニュースもありましたが、(へき地学校の条件を満たす)小中学校は(最も高い)5級地に区分されます。

へき地等学校等を指定する規則の一部を改正する規則議案(5コマ・沖の島中学校の再開についてより)
へき地学校とは、交通条件及び自然的、経済的、文化的諸条件に恵まれない山間地、離島その他の地域に所在する小学校及び中学校等をいい、当該学校に勤務する教職員等には、へき手当支給を支給する。

【参考】へき地教育振興法施行規則(昭和三十四年文部省令第二十一号)
廃校・休校 ~山から人が消えてゆく~ 高知県(左フレームの宿毛市)

以下、地元の方から「ここは離島ですが、居ますよ」というお話を伺ったので、それを裏付けるデータ

高知県第二種特定鳥獣(イノシシ)管理計画(H27.5.29の8,9コマ)
宿毛市沖の島でも55頭のイノシシが捕獲されており、県内全域においてイノシシの生息と捕獲が確認できます。
同上(H29.4の7コマ、毎年度50頭程度捕獲されているらしい、メッシュを見ると沖の島北西の鵜来島にも生息している模様)

【参考】沖の島の動物(酒井明 説話集29)
(現在生息しているものは過去に捕獲しきれなかったものの生き残りなのか、近年移動してきたものなのか謎は残ります)

[100878]白桃 さん
「この頃(1995年3月31日頃)茂原から睦沢に編入された区域は無かった。」ということです。
編入された地域が無いのに32人(1990年国調)の人口異動があったというのは本当に不可解ですね。
同感です、本件については恐らく統計図書館の国調関連資料をあたっても解決に至れるかどうか自信がありません・・・
川島飛地については後日コメントする?かもしれません・・・
[100872] 2020年 12月 5日(土)11:08:59ekinenpyou さん
Re:茂原と睦沢の境界変更
[100871]白桃 さん
私の手元にある「附表6市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧(平成2年10月2日~平成7年10月1日)」には
1995.3.1睦沢町→茂原市 人口異動 0
1995.3.1茂原市→睦沢町 人口異動 32
となっております。
仰る通りです、[81967]YT さんでも同趣旨の内容ですが、当方も原典コピーを所持&確認しております。

茂原から睦沢に編入された区域もあったのではないでしょうか。
もしそうであれば平成7年面積調(60コマ)
自治省告示第23号,市町の境界変更(長生郡睦沢町の一部を茂原市に編入)

は、「各一部を相互に編入」と記載されているような気もします。
もしくはこの告示以外にH7.3.1付で茂原から睦沢に境界変更が行われたという告示があれば話は変わってきますが、
確認できないので当方では不可解であると解釈しました。
[100870] 2020年 12月 4日(金)19:47:17ekinenpyou さん
Re:「クイズ」というか「なぞなぞ」というか
[100869]白桃 さん
氷川
早速の正解一番乗りです、お付きあいいただきありがとうございました。

「謎々」[100809]が出ていましたが、ヒントも出てはいるのですが、何が不可解なのか良く分かりません。
拙稿[100836]で示した通りH7.3.1の境界変更では睦沢町の一部区域のみが茂原市に編入されていますが、
国調組替人口では茂原市の人口が32人減少・睦沢町で32人増加したとしている点になります。
(千葉県統計年鑑では茂原市15人増加とありこれとも相違、人口異動の方向が反対で睦沢町→茂原市とするのが適切か)

※茂原市83,405人&睦沢町7,988人はH7.10.1現在の市区町村の境域に基づいて組み替えたH2.10.1現在人口
[100868] 2020年 12月 3日(木)19:54:28ekinenpyou さん
熊本県庁の所在地など
関連投稿[99139]さざ波 さん・[99140]グリグリ さん
表題の件、現在の所在地は同市中央区ですが明治期はまだ市外の郡部(飽託郡出水村健軍村の境界付近)で
大正初期に※鉄道駅名にもなった水前寺は公称の大字名ではありませんでした。

※駅開業時の所在地は出水村(字)国府(T3鉄道院告示48より)

従来の県庁は現在地よりも西側に存在、移転時期については熊本県庁の位置に関する条例より法的には
昭和42年3月規則第5号で、同42年3月3日から施行
【参考】熊本市の発足(三井住友トラスト不動産サイト)

余談ですが、明治期まで健軍村の大字はいずれも難読で健軍(たけみや)・神水(くわみず)でした。
後者は現在でも同じ読みですが、前者についてWikipediaでは
大正末期から本来の「たけみや」ではなく音読みの「けんぐん」と読まれることが一般的になっており、合併後の町名の読みは正式に「けんぐん」となった。
とあります、(裏付けもかねて)以下に当時のもので読み(ローマ字含む)が記載された資料をいくつか示します。

「たけみや」としている資料
郡区町村一覧新旧対照市町村一覧
地名索引(健宮とあるが、読み「たけみや」から気を利かせて「軍」を「宮」に変えてしまったところ実はそれが誤りだった?)

「けんぐん」としている資料
市町村大字読方名彙(ただし大字の読みは「たけみや」としている)・熊本県下市町村要覧日本地名大辞典(ローマ字「Kengun」)

(Wikipediaの記述通り)確かに大正期以降の資料で既に「けんぐん」としているものが存在しているようです。
なお、Wikipediaでは昭和11年の合併後正式に読みが変更されたともありますが、
合併まで「たけみや」という読みが正式なものだったかについては議論の余地があるかもしれません。

【おまけ】
今回は至極簡単な謎々です、過去ログから察するに千本桜さん・伊豆之国さんあたりは即正解できそうですが・・・

1・現存している市区町村名(名称から末尾「市区町村」は除く、政令市は市名のみで区名は対象外)
2・かつて国鉄(日本国有鉄道が存在したS24.6.1~62.3.31の間に限る)にあった国鉄の鉄道駅名(現在同一駅名なし)
3・地名の入った歌コレクション(落書き帳アーカイブズ)に記載のある演歌歌手の苗字

以上の3条件を全て満たすものをお答えください、条件2は石川駅(弘前市)など現存していたり
石川町駅(横浜市)など少しでも名前が異なる場合は×とします。(つまり「石川」は条件1&3は○ですが2は×)
条件3の定義がややあいまいなので複数回答があるかもしれませんが恐らく同じものを思いつくはず???
[100852] 2020年 11月 22日(日)19:12:50ekinenpyou さん
Re2:海と島(39) 日本の領海等外縁の根拠となる島 と 低潮線の保全政策
表題の件、別投稿で追加補足しておきます。
[100846] hmt さん
この中で、地名探しに苦労したのが 139鳥屋鼻でしたが、今回の記事中で引用した★直線基線・九州の終点(ラ地点)でした。
上記リンク先には
35°02′28″ 132°15′15″ (鳥屋鼻北端)
とありましたが、地理院地図では「鳥屋鼻」という名称は見あたりませんね、ただし拙稿[100847]で触れたPDFには
「十島」(島根県江津市・鳥屋鼻)とありその近傍とみて支障ないでしょうか。

【参考】地理院地図における低潮線保全区域の表示(総合海洋政策本部)

(こうした地名は)近年の海図には記載されているのかもしれませんが、例えば本洲沿岸水路誌(右下)で
多用されている「鳥山鼻(岩和田角)」も各種地図サイトでは記載が無いようです。

※前述資料は戦前のものですが、例えば海の難所(12コマ右上)にも「鳥山鼻~野島埼間」と記載があることから
(地名・地形の変更は無く)現存していると思われる。

【参考】鞆浦とその周辺の海岸部地名より
ここに言う「地名」は、一般に理解・受容されている地名と、次のような点で、少し異なっている。
1.文字(とくに漢字)で表されることが少なく、地形図・海図等の地図類に記載されることが稀である。
2.生業に密着していて、その数はきわめて多く、しかも、生業従事者の口頭伝承が、地名の存続・変遷に大きく関与している。
3.通用する範囲は小規模にとどまりがちで、使用語・理解語において、個人差が認められる。
前述「鳥屋鼻」「鳥山鼻」などの地名は(近年地図サイトに掲載された)「ソビエト」などの奇妙な島名と同様に
上記の類なのかもしれません・・・

【おまけ】
地名コレクション(海岸系)を見てみると、この類の地名(岬角など)は各種地図サイト間で
比較的掲載内容の共通性が保たれているようなので、前述本洲沿岸水路誌(巻末地名索引あり)の他、
少し年代の古い資料を見ると、あまり地図で見かけないような地名が見つかることがあります。

帝国地名大辞典(岬角)など、単に別名という場合もありますが・・・
[100847] 2020年 11月 20日(金)19:24:46ekinenpyou さん
Re:海と島(39) 日本の領海等外縁の根拠となる島 と 低潮線の保全政策
[100846] hmt さん
かつて奇妙な島名に注目した[86180]ことがある #111「ソビエト」という島も、地理院地図に登場。海面から聳え立つ島?
地理院地図で名称ローマ字は(連想されるものとは微妙に異なる?)「Sobieto」とありました、その類ですと

【こちら】も恐らく過去ログには未登場のような気も・・・

末尾の「ソリ」は平成23年5月に地図・海図に記載する名称を決定した離島(10島)の8番ある島と
同類のネーミングと思われるが実は戦前の地図にもあるかなりの古参です。
【参考】(南東隅の方)

と、投稿予定だった内容を大幅に逸脱していますが、小ネタ故ご容赦ください・・・近日本題を・・・

[100839]スカンデルベクの鷲 さんは既に正解していると思いますが、その他の方向け?
[100838] 拙稿謎々追加最終?ヒント → [100830] 白桃 さんの投稿の中にあります。
[100841] 2020年 11月 16日(月)19:36:03ekinenpyou さん
Re:過去の隣接数など
[100839]スカンデルベクの鷲 さん
早速のフォローありがとうございます。

隣接対象を政令区まで広げて
説明が漏れておりました。元データ(行政区域データ)で政令市は区ごとに境域が作成されていますが、
統合した状態に加工して隣接数をカウントしております、従って政令区は回答の選択肢にはなりません。

パラパラ地図(つかんぼやと)でも10自治体に隣接しているようには描かれていないので
こちらも確認しました、(パラパラ地図には)完全版と簡易版があり後者のみで判断していました。
(前者では仰る通り非隣接であるように描かれているとみて差し支えありません)

とヒントを少し増やしてみましたが、具体的な正解の発表については後日行う予定です。

【おまけ・コレクション担当者ではありませんが】
[100837]勿来丸 さん
大田原市北大和久/那須烏山市南大和久

那須郡 - Wikipediaにもありますが、従来は双方とも単に「大和久村」と称していたようです。
(同一名を区別するために?明治期に改称)

那須郡誌(金田村・中央付近)にも以下の記述があります。
「(大字)北大和久は下江川村(大字)南大和久に対して称す」

コレクションの趣旨は「同一地域を表す地名が、都道府県境、市町村境、区境によって分断された地名」であり、たまたま一致しただけの地名は対象としていません。
恐らく「たまたま一致した(していた)だけの地名」に該当するのでしょうか・・・
福島県の矢吹村にも同じ名前の大字があったようです。
【参考】矢吹町 - Wikipedia
[100838] 2020年 11月 15日(日)10:23:02ekinenpyou さん
市区町村隣接関係一覧(GISソフト使用)など
日本一隣接する自治体が多い市区町村はどこ? ArcGISブログ
雑学的な内容の課題をきっちり計算で求めることができるのも、GIS の魅力のひとつです。

ということで、ちょっとした気分転換もかねてサイト内にある【A】市区町村隣接関係一覧(いつもNAVI準拠)と
【B】国土数値情報 行政区域データ(令和2年1月1日時点)を簡単に比較してみました。(北海道の北方地域6村は除く)

※GISソフトはArcGISではなく、QGISを使用
【参考】
無償・低コストでGISを導入する方法知りたい
Find Neighbor Polygons in a Layer - QGIS Tutorials and Tips
今回は全数を比較しただけで内訳までは未精査、隣接数が同じで内訳不一致というものがごくまれに存在するかもしれません

【A】で隣接としているが【B】では隣接していない(非隣接)としているものは以下の通りでした
(GISソフト仕様上非隣接となる)架橋等隣接(サイト内薄緑色)の全て(15組・詳細略)及び
東京都檜原村&山梨県小菅村・愛知県半田市&高浜市・大阪府河南町&奈良県御所市

その逆【B】で隣接としているが【A】では隣接していない(非隣接)としているものは以下の通り
宮城県蔵王町&山形県山形市・秋田県井川町&大潟村・群馬県中之条町&嬬恋村
山梨県北杜市&長野県原村・南牧村&原村・麻績村&生坂村・大阪府千早赤阪村&奈良県葛城市
福岡県那珂川市&佐賀県上峰町・福岡県岡垣町&鞍手町・佐賀県佐賀市&白石町・鹿児島県姶良市&さつま町

元データ(行政区域データ)の内容に少々(大いに?)疑問があるもの※も含まれておりますが
過去ログに登場しているもの(境界未定のため地図サイトによる見解相違など)もありますので
この程度の違いであれば及第点といえるでしょうか・・・(国土数値情報を利用する上での注意点も判明しました)

佐賀県上峰町など(リンク先下部参照)、他の市区町村との位置関係で隣接行政区域としているが、
行政区域境界の歴史的変遷で確認すると2015-01-01時点以降から北部の境界未定地域の境域が変化している(行政区域データのミス?)

【おまけ謎々】
前述の通り、行政区域データは過去の境域のものもあるのでその時点での隣接数も容易に調べることができます。
そこで、北海道内で10以上の隣接数となる(なっていた)市町村を以下にリストアップしてみます。
市町村隣接数(現状)隣接数(H7)
芦別市1313
札幌市1111
旭川市1111
北見市11-
上川町1112
幌加内町1112
-10

表中の-は10未満、「?」にあてはまる市町村をお答えください

白桃さんが「平成の大合併」なかりせばというコンテンツを作ったようなので今回は1995(H7.10.1時点)隣接数を選んでみました。

ヒント
全国都道府県別・市町村合併新旧一覧図ではいまいちよくわからず、
つかんぼやと(市町村変遷パラパラ地図)などを参考にした方が良いでしょうか・・・
[100836] 2020年 11月 14日(土)20:18:38ekinenpyou さん
平成27年国勢調査における人口異動を伴う境界変更一覧について【続編結び】など
拙稿[100809]謎々について最終ヒントです(ほとんど答えそのままですが・・・[100198]勿来丸さんの投稿に類似)
茂原市例規集から引用
○市町の境界変更

平成7年2月22日自治省告示第23号

市町の境界変更

地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条第1項の規定により、千葉県茂原市と長生郡睦沢町との境界を次のとおり変更する旨、千葉県知事から届出があった。

右の境界変更は、平成7年3月1日からその効力を生ずるものとする。

茂原市に編入する区域

長生郡睦沢町大字川島字目黒1960の1から1960の11まで、1961の1から1961の12まで、1962の1から1962の29まで、1963、1964の1、1964の2及びこれらの区域に隣接する道路である国有地の全部

千葉県統計年鑑(平成8年)の市町村廃置分合,境界変更及び名称変更(エクセル:175KB)から引用
この表は大正元年から平成 8年10月 1日までの間の市町村の廃置分合,境界変更,名称変更を市町村別一覧表に揚げたものである。ただし、廃置分合,境界変更で面積及び人口の移動が伴わないもの,又は土地改良によるもの,移動面積が僅少の場合は揚げていない。なお,面積,人口は各回の国勢調査によるものであるが,分割合併,境界変更によるものは地方課の資料による。
(表中の)茂原市の箇所
平 7. 3. 1 長生郡睦沢町の一部を編入 0.0 15

以上で(どの箇所が不可解かという)答えがわかるはずです。

[100834]白桃 さん
熊本県・前編の冒頭では、関係ない石川県の話をしてしまいましたが、石川さゆりさんは熊本出身ですからお許しを。

成程、事前に投稿順序を考えているのでしょうか?あまり詳しくありませんが
こちら(PDF3コマ)左側に懐かしい?記事がありました。
[100816] 2020年 11月 9日(月)18:17:40ekinenpyou さん
Re:大島コレクション 更新しましたなど
[100814]星野彼方 さん
お忙しいところ、地名コレクションへ登録していただきありがとうございます。
読みは地理院地図でも確認できますが、こちら(25&26)の記載と相違ないようです。

【参考】読めない地名も読み上げてくれます ~地名情報を機械判読可能なデータ形式でウェブ提供実験開始~

大変便利でありがたい機能なのですが若干気になる点もあり、
一例として埼玉県小鹿野町両神小森にある2つのバス停と地名の対比を示します。
その1

地理院地図

こちらは特に問題ないのですが・・・

その2

地理院地図

小鹿野町サイト(町営バス)ストリートビューでも調べたが読み方までは記載なし?
バス停と地名の読み方が必ずしも同じではなくても良いのですけれど・・・

[100811]伊豆之国 さん
都県境変更による人口移動は、相模原市民から町田市民になったほうがその逆よりも断然多い

もしかすると拙稿[100809]での謎々の正解が既にわかっていらっしゃいます???
もう少しはっきり書いてしまっても良かったのかもしれませんね
追加ヒントは[100198]勿来丸さんの投稿とでも書いておきましょうか・・・
(これでだいたいの方は答えがわかると思いますが)
[100809] 2020年 11月 7日(土)20:16:45ekinenpyou さん
平成27年国勢調査における人口異動を伴う境界変更一覧について【続編2】
拙稿[100806]の続きです、相模原市と町田市でしばしば発生している境界変更については
過去ログでもしばしば取り上げられていますが、要約したものとして
東京・町田市と神奈川・相模原市で一部地域を交換! なぜ“トレード”するのか聞いてみたも別途参考になるものと思われます。

※以下(相模原市のサイトからは既に削除されているようなので)WARPでのリンクを示しておきます。(PDFも閲覧可)
平成22年12月1日から町田市との行政境界の一部が変わります
平成25年12月1日から町田市との行政境界の一部が変わりました

以上を踏まえ、平成27年国勢調査の第1巻と2巻で内容の異なる2点について補足しておきます。
相模原市(南区)から町田市への異動(23人)がH22.12.1ではなく、H25.12.1になっている

上記に関しては[81933]hmtさんに詳細な解説があり
この人口異動は、もちろん相模原市南区上鶴間本町8丁目から町田市金森に変更された 10棟の住宅 の住人です。

との分析通りで異動日付は第1巻のH22.12.1とするのが妥当と思われます。
(H25.12.1境界変更でも南区からのごくわずかな領域が町田市へ編入されていますが、多数の人口は異動していないと思われる。)

しかしながら
相模原市(中央区)から町田市への異動(合計6人)がH22.12.1(1人)とH25.12.1(5人)の2回に分かれている
上記については大半がH25.12.1の異動であることは推察できますが、全数であるかは不確実であり
結論は出せませんでした。(同一資料だが別々の巻号で内容が異なるというのは珍しい?)

【おまけの謎々1点】
人口異動を伴う境界変更一覧の中に不可解な人口異動が当方の知る限り1件混ざっています。(前述内容は除く)
それはどの箇所でしょうか?理由を添えてお答えください

ヒント・H2.10.2以降の境界変更の中にあり、国勢調査人口にあまり詳しい方でなくても恐らく正解できます。
※サイト記載内容の誤りではなく、国勢調査報告の内容自体が不可解ということになります
(回答は後日投稿予定ですが必要であれば追加ヒントを出します、多分不要と思いますが・・・)
[100806] 2020年 11月 6日(金)20:34:32ekinenpyou さん
平成27年国勢調査における人口異動を伴う境界変更一覧について【続編1】
以下、投稿保留(長期放置してすみません)分から

表題のサイト内コンテンツはこちら
関連投稿は拙稿[99122]の【おまけ】および[99130]YT さん・[82014]グリグリさん参照のこと

「参考5 市区町村の変更情報一覧(平成22年10月2日~平成27年10月1日)」の方は、熊本市の区の設置以外、基本的に人口の異動を伴う境界変更の情報が皆無です。
中略
総務省統計局の方針が変わったのでしょうか?どうみても境界変更の情報が足りていません!

ということでしたが、
平成27年国勢調査報告 第2巻 人口等基本集計結果 その2 都道府県・市区町村編(12分冊)
参考6に当該情報が掲載されていることを確認しました。

※12分冊のいずれにも全国分の境界変更情報掲載(したがって、どれか1分冊だけ見れば良いです)

内容はサイト内コンテンツとほぼ同じでしたが
2011年(平成23年)4月1日の稲沢市と清須市の人口異動は相互に異動していることが判明していますが、正確な異動人口は今のところ不明です

以上の点については
稲沢市 減少94・清須市 増加94&減少10となっていました。(差引は清須市 増加84)

なお、同書には以下の記述(内容は抜粋要約)もありましたが

H22.12.1 東京都町田市 増加1・神奈川県相模原市(中央区) 減少1
H25.12.1 同上 増加5・同上(中央区) 減少5
H25.12.1 同上 増加23・同上(南区) 減少23

[99130]YT さんで示していただいた内容(一部改変)は以下の通りで
平成22.12.1 神奈川県相模原市の一部(9世帯23人)を町田市に編入
平成25.12.1 神奈川県相模原市の一部(4世帯6人)を町田市に編入

上記に倣ったサイト内コンテンツとは少々異なるため※、本件については(少し長くなるので)後日別途補足を追記予定ですが、
取りあえずログに残す目的でここまでの内容を分割投稿しておきます。

※以下の2点
相模原市(南区)から町田市への異動(23人)がH22.12.1ではなく、H25.12.1になっている
相模原市(中央区)から町田市への異動(合計6人)がH22.12.1(1人)とH25.12.1(5人)の2回に分かれている
[100800] 2020年 11月 5日(木)20:51:03ekinenpyou さん
Re:国勢調査 低い回収率 期限を 10/20 まで延長など
引き続き、本題に入る前に小ネタ1件追加

[100463]hmt さん
デジタル通信環境が普及しつつあるとは言え、国勢調査オンライン回答 35.1% という数字を見せられた実感。

(上記の数字と意味が少し異なると思いますが)令和2年国勢調査の概要(9コマ)では
インターネット回答率のチャレンジ目標50%(必達目標は40%)とありました。
数字は暫定ですから、(必達目標にほど遠いというわけでもないので)それなりに健闘はしているのかもしれません・・・

なお、前回は全体の36.9%がオンライン回答だったそうです。
【出典】平成27年国勢調査の実施状況 ~世界最大規模のオンライン調査の実施~(5コマ)

また、同上資料(7,8コマ)では前回調査におけるオンライン回答者のうち
「操作が簡単だった」「次回もインターネットで回答したい」→「いいえ」
と回答した(アンチな?)方【注】は70歳以上の高齢者層ではなく20歳未満の若年層で最も割合が高くなっています。

【注】上記内容について回答義務はなかったと思うので、オンライン回答を行った方の全数ではないと思われる。

【おまけ参考】
国勢調査員が「インターネット回答」を勧める理由 「紙」でもできるけど...実際どう違う? J-CAST ニュース

諸外国のセンサスの状況
(2コマ・例えばアメリカでは2000年のセンサスで、従来の調査方法に加え、
新たに地域等に応じてインターネット等による回答を採用)

直接調査員が出向かないと回答を得られない世帯が一定割合存在するとか、
回答項目数が多いと回答率が低くなる傾向があるという点は恐らく万国共通のようですが・・・
[100789] 2020年 11月 4日(水)18:41:45ekinenpyou さん
第五十五回全国の市十番勝負(問六)関連
前回投稿から少し間が開きましたが、手持ち島名リストと比較したところ以下も該当するようなのでご確認ください。
■大島のある市(大島コレクション)
参考HP:地名コレクション 大島コレクション

日立市いすみ市
【参考】こちら詳細リスト(43&45)

その他は少し長くなるのでまた後日・・・
[100023] 2020年 7月 25日(土)10:08:57ekinenpyou さん
Re:連担 DID 別統計
[100021]千本桜 さん
mg さんではありませんが・・・[100013]mg さん作成のリストについて

ご覧になられているブラウザの左上隅に「ファイル」というメニューがあり、
その中の「ダウンロード」からエクセルなど各種形式に変換できます。

推定中心地については例えば拙稿[100018]で示した成田市2(H27国調10,530人)では
こちらの位置となっておりました。(詳細はmg さんの解説待ち)

【参照】平成26年商業統計メッシュデータ
第2次メッシュコード(5340-53)新東京国際空港
[100018] 2020年 7月 24日(金)18:57:24ekinenpyou さん
商業統計とメッシュデータについてなど
予定投稿は後日延期として小ネタを1件投稿しておきます。
タイトルの件、調査の概要|商業統計|経済産業省(調査の沿革)には
○平成14年
平成14年3月に日本標準産業分類が改訂(第11回)されたことに伴い、商業統計表の産業分類を変更。大分類「I-卸売・小売業、飲食店」から「J-卸売・小売業」に改訂、飲食店は「M-飲食店、宿泊業」に移行。
なお、平成11年の数値は14年の定義に合わせて組み替えているため、11年の公表値とは必ずしも一致しない。
中略
○平成26年
平成26年商業統計調査は、総務省所管の「経済センサス-基礎調査」との同時実施。
平成19年11月に日本標準産業分類が改訂(第12回)されたことに伴い、商業統計表の産業分類を変更(大分類「J-卸売・小売業」から「I-卸売業・小売業」に改訂。管理・補助的経済活動を行う事業所の新設、無店舗小売業の新設、料理品小売業の一部が「持ち帰り飲食サービス業」「配達飲食サービス業」へ転出等)。
とあります。
【参考】日本標準産業分類分類関係資料

[99990]mg さん
C 人口: それ以外の、買い物に行ったり、旅行に行ったり、休日に出かけたりする場所でカウントする人口
中略
中心地の判定には三種類の小売メッシュ統計を用いて総合的に判断する
[100013]mg さん
次に連担 DID ごとに、その連担 DID を覆うような四次メッシュを取ってきて、その合計値として各種経済・商業統計を算出します。

小売業の事業所数・従業者数、年間販売額、売場面積に限ったデータでも上記内容を十分把握できそうですが、
例えば日本標準産業分類における※宿泊業,飲食サービス業生活関連サービス業,娯楽業などに関する指標も
あわせて参照すると色々と参考になるかもしれません。

※飲食サービス業のうち持ち帰り飲食サービス業・配達飲食サービス業は商業統計(2014)では飲食料品小売業の一部となる
産業分類対応表(平成26年/平成19年)5コマ参照

なお、4次メッシュ(500mメッシュ)ごとの統計データについては
経済センサス-基礎調査では2014年データも「全産業事業所数及び全産業従業者数」までしか得られないようですが、
経済センサス-活動調査は2016年データは「産業(大分類)別事業所数及び従業者数 」も得られるようです。
(地図で見る統計(統計GIS) などで表示可能)

【参考】Q&A|商業統計|経済産業省より
質問:経済センサス‐活動調査という調査票が届く年がある。何が違うのでしょうか?

回答:経済センサス‐活動調査は、我が国における全産業分野の経済活動を同一時点で網羅的に把握すること等を目的として創設され、5年に1度実施される統計調査です。統計調査の重複を防ぐことから、経済センサス‐活動調査実施年には商業統計調査は中止となり、経済センサス‐活動調査として実施されます。

(平成28年経済センサス‐活動調査)統計表一覧はこちら

【おまけ】
[100002]千本桜 さん
結局、DIDにしてもメッシュ統計にしても、地図や各種資料と照らし合わせながら使用することが肝要なのでしょう。
全くもって同感です、面白いDIDの例として成田市2(H27国調10,530人)があり、地図上の領域はこちらになります。

[100013]mg さん作成のリストでは推定中心地をDID領域北東古込成田国際空港内としていますが、
人口の大半は(正反対の)南西部に集中しており(参考・成田市の人口世帯数マップ)、中心地の解釈は人により異なると思われます。
[99994] 2020年 7月 18日(土)11:42:49【1】ekinenpyou さん
Re:三宅島・八丈島など(2)
[99981]伊豆之国 さん
三宅島と八丈島に関しては、設計図に載せる物件の所在地名は、島名を省くこともあるのですが、たいていは「八丈島八丈町〇〇(=大字名)△△番地」のような「島名+自治体名」のような表記になっています。

(解釈例の一つとして)司法書士法人様のブログには以下のようにありました。
マザーシップ司法書士法人(赤羽)小笠原村から失礼します。※1より
島の自治体としての正式名称をご存じだろうか。例えば、大島は、東京都大島町、三宅島は、東京都三宅島三宅村、八丈島は、東京都八丈島八丈町である。普段見聞きする地名と違うはずだ。そう郡名がない。

過去ログにも頻出している不動産登記法(平成十六年法律第百二十三号)には
第三十四条 土地の表示に関する登記の登記事項は、第二十七条各号に掲げるもののほか、次のとおりとする。
一 土地の所在する市、区、郡、町、村及び字

とあるのですから、「郡名なし」ですと「三宅島と八丈島」がどの部分に該当するのかいまいち不明瞭です。
(郡名に代えて島名としているとみなすのが一般的かもしれませんが)仮に町村名の一部と解釈されますと
短い市区町村名・長い市区町村名(市区町村雑学)などにも影響が出てきます。

【おまけ】(歴史上の経緯から)色々訳ありの経緯がある土地なので専門家も手を焼いているようだ
前述※1より
伊豆諸島は、旧土地台帳法適用除外だった関係で、前述の「土地台帳法の一部改正」により、それまで、税務署に備え置かれていた土地台帳・公図が登記所に移管されていないので、いわゆる一元化登記要領に基づき旧土地台帳と旧登記簿の一元化登記がなされていない。これは、現在の登記簿の起源が法令により作成されたものではないことを指す。つまり、無根拠だ。しかも、例えば、三宅島では、およそ1000筆の土地が、事故簿として旧登記簿から登記簿に移記されていないことがわかっている。

土地問題から見る伊豆諸島・小笠原三宅島(5)~土地台帳はあった~より
多くがいわゆる旧土地台帳から移記されたという事実と、その旧土地台帳は三宅村にあって、法務局に移管されなかった事実はわかりました

不動産登記制度の沿革と役割「(6) 登記簿と台帳の一元化作業」より
この表題部の改製または新設の作業(登記簿・台帳の一元化作業)は、1970(昭和45)年に完了した(ただし、土地台帳法等の適用のなかった伊豆七島管轄の東京法務局の新島、三宅島および八丈島の各出張所は1977[昭和52]年に完了した)。

【おまけ2】リニューアルに伴う記事訂正機能確認のため、都内町村の公印画像などが例規集で確認できるものを以下リンクに示す。
西多摩郡瑞穂町日の出町奥多摩町檜原村/島嶼部大島町利島村三宅島三宅村八丈島八丈町青ヶ島村小笠原村
※新島、神津島、御蔵島の3村を除く、郡名はあったり無かったりと区々で共通ルールはない模様

続きはまた後日・・・
[99984] 2020年 7月 13日(月)20:33:49ekinenpyou さん
Re:三宅島・八丈島など
[99981] 伊豆之国 さん
早速の解説ありがとうございます、(推測の検証もかねて)以下2点を参照しますと・・・

東京都支廳ノ名稱等(S18.6.29 内務省告示第470号・中央下部)
東京都支庁設置条例(S38.10.10 東京都条例第60号)

いずれも島名までは記されていません、恐らくこの表記で(公称地名として正当で)十分なのでしょうが、
例えば戦前の告示にある「東京都元村・神着村・大賀郷村」では場所がわかりにくいなどの理由から、
住所を記す際などに島の名前も記すという習慣が生じて、多方面に幅を利かせ主流になったと思われます。
例)自治年鑑. 1948年版

※公文書の告示などでも用いられた。(以下例)
村の廃置分合(S31.1.28 総理府告示第16号)
地方自治法第7条第1項の規定により、東京都三宅島三宅村、阿古村及び坪田村を廃し、その区域をもって三宅村を置く旨、東京都知事から届出があった。右の廃置分合は、昭和31年2月1日からその効力を生ずるものとする。


村を町にする処分(S30.3.25 東京都告示第225号の3)
地方自治法第8条第3項の規定により、東京都八丈島八丈村を町とし、昭和30年4月1日から施行する。


【おまけ】(というかこちらがメイン?)
自治体名でも郡名でもない「島名」表記の有無について関連する事例(雑学?)を1つ紹介

青ヶ島について(青ヶ島村ホームページ)の沿革には
S15.04.01 普通町村制施行
S63.10.01 村名称表示統一

とありますが、S63.10.01に行った「村名称表示統一」については市区町村変遷情報の収録対象外で
(具体的に何をしたのか)あまり知られていないと思われます。

本件について、菅田正昭さん(詳細[24183]hmt さん参照)のサイト
でいらほん通信拾遺(第26話)には以下記述が見られます。
昭和63年10月1日付けで「八丈島」を削除するという「村名称表示統一」を村議会が行ったからである。


青ヶ島は(八丈島からは相当離れているが)八丈支庁の管轄で「東京都八丈島青ヶ島村」という表記になってしまった?
理由は定かではありませんが、なぜわざわざ村議会に諮る必要が生じたのか?

地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)
第四条 地方公共団体は、その事務所の位置を定め又はこれを変更しようとするときは、条例でこれを定めなければならない。
中略
○3 第一項の条例を制定し又は改廃しようとするときは、当該地方公共団体の議会において出席議員の三分の二以上の者の同意がなければならない。

との規定より

例えば東京都八丈島八丈町役場の位置を定める条例(S31.4.6 八丈町条例第7号)では
地方自治法(昭和22年法律第67号)第4条第1項の規定に基き、東京都八丈島八丈町役場の位置を次のように定める。
東京都八丈島八丈町大賀郷2551番地2

のようになっているので

青ヶ島村事務所の位置を定める条例(H12.3.9 条例第14号)も過去の条例では役場の位置を
「東京都八丈島青ヶ島村無番地」としており、「東京都青ヶ島村無番地」へ変更するためには必要な手続きだった。

以上のように推測してみましたが、真相は???
[99980] 2020年 7月 12日(日)08:27:59ekinenpyou さん
Re:変遷情報 小笠原など
[99962]hmt さん
[79266]でリンクした小笠原村沿革」の代りに、現在閲覧できる同名のページ をリンクしておきますが、当時リンクしたページに巧く辿り着ける自信はありません。
恐らくこちらでしょうか?(内容ほぼ同じ)
小笠原村のサイト自体は過去10年程度であればWARPでも閲覧できます

同村(小笠原諸島)については小笠原支庁のサイトにある資料も参考になると思われます。

令和元年版管内概要小笠原支庁50年の記録

本件に関しては(大幅に書き足りず)後日追記を行うかもしれませんが、
やや多忙なため(前振りとして)初心者向けの?謎々を1問

市区町村の役所・役場一覧(東京都)には所在地の住所が記されているが
島嶼部(大島町から小笠原村までの部分)は郡名が無いので「東京都」+「町村名」以下・・・
となるところ何故かルール通りになっていない仲間はずれが2つ存在している、それはどの部分か?

【おまけ大ヒント】
地理院地図などの地図サイトの多くは(住所が)省略表記となっているが(マピオンは例外)、
郵便番号自動車登録関係コード検索システム三宅支庁八丈支庁も同様に仲間はずれ表記である。

※自治体名の手前に違いがあるので、例えば京都市の通り名(町名の手前)とは性格が異なる
ここまで書いておけば、伊豆之国 さんあたりが即正解を書いて片付けてしまうでしょうか???
[99947] 2020年 7月 1日(水)07:41:36ekinenpyou さん
印旛郡龍服寺村?など
[99923]むっくん さん
99 新設 印旛郡本郷村 印旛郡 龍「服」寺村, 笠神村, 中根村, 滝村, 物木村, 荒野村, 角田村, 惣深新田(微)
龍福寺村→龍服寺村

(居住地を佐倉市としている)グリグリさんの対応後、投稿でも良かったのですが
上記「龍福寺村→龍服寺村」訂正依頼の件、簡単にまとめておきます。(「龍・竜」は同一とみなす)
※本郷村はT2.4.1埜原村と合併本埜村となる。

現在は印西市竜腹寺、地名は寺院名と関係が深いと思われる。以下、龍腹寺 - Wikipediaより引用
天和元年(1681年)に書かれたという略縁起によれば、大同2年(807年)の創建で、開山は慈観、初めは慈雲山延命院勝光寺と号したとされ、また龍福寺とも称されたが、釈命上人が雨乞いの祈願をした時、龍が死んでその腹が落ちた地であるため、龍腹寺に改めたとされる。

利根川図志(天龍山龍腹寺)にも同趣旨記載あり

資料ごとの表記(例)
【龍腹寺】
天保郷帳(下総国)(124コマ)・明治22年千葉県町村分合資料(印旛郡2-2)(17コマ右上)
(いずれもやや不鮮明だが恐らく龍腹寺)・同左(16コマ中ほど)
千葉県印旛郡本埜村誌市町村大字読方名彙(左下の本埜村)・通信区画便覧(左側)
時系列地形図(今昔マップ on the web)・Google マップ標識(同左ストリートビュー)
【龍福寺】
郵便区画町村便覧(M19.6調査)(中央)
【龍服寺】
下総国輿地全図(2コマ地図中の中央付近、ただし左下の略目では龍腹寺)
地名索引郵便区画町村便覧(M28)(左側)

以上を踏まえ考察
歴史的な経緯から龍腹寺の表記が地元では幅を利かせているようで、
県令などに記された龍服寺の表記はあまり定着しなかったのではないかと思われる。
(法的根拠の県令表記としても良いが、龍服寺→龍腹寺の改称履歴も示していただければつじつまが合うのでベスト)

【おまけ】[99341]MI さん
あらためて『高畠町史』下巻の第二章第五節 補筆・特筆の第一項(p.691~711)を読み直してみました。執筆者の思い入れが強烈に入っている感じもしますが、如何に高畑と高畠が混用されてきたかを検証しています。
中略
 明治の村々大合併以前の元村「高畑村」の地名は「高畑」であって、「高畠」ではなく、むしろ幕藩体制期を通じ地元では、「高畑村」と書記している。

資料ごとの表記
【高畑】
国郡全図(右上)・郡区町村一覧(右1列1行)・地方行政区画便覧(東置賜郡1列1行)
【高畠】
天保国絵図(右側四角で囲まれた村)・天保郷帳(2コマ)

高畠は幕府側の資料で用いられたが、地元では高畑という解釈?
[99937] 2020年 6月 26日(金)20:20:09ekinenpyou さん
越後府(初代)の管轄区域など
思いつき小ネタを投稿しておきます。

(越後府について)多くの方はご存知と思いますが(明治)維新期に越後国(新潟県)に存在していたもので、
詳細は[75457] [75459]hmtさんなどを参照のこと

さて、その管轄区域は越後府 - Wikipediaでは
7月27日、柏崎県(第1次)が設置され、8月5日にその管轄区域が越後国南半の頸城郡・刈羽郡・魚沼郡内の旧幕府直轄地および新政府の没収地などとされた。これにより、越後府(第1次)の管轄地域は越後国北半の三島郡・古志郡・蒲原郡・岩船郡となった。

ということですが
公文録(三島郡外四郡管轄ノ儀達)
三島・古志・蒲原・沼垂・岩船郡(5郡)
法令全書(慶応4=M1.9.3・715)
三島・古志・蒲原・沼垂・巖船郡(5郡)

では上記の通りで、どこかで見た表記ゆれが・・・という点は置いておき、
注目したいのは三島・古志・蒲原・岩船4郡の他※沼垂郡を加えた5郡が管轄区域とされている点でしょうか。

※沼垂郡とは?詳細は過去ログでうまく見つけられませんでしたが
新潟市の歴史(古代)沼垂郡 - Wikipediaに解説があります。

実態として蒲原郡の一部であるという解釈で例えば天保国絵図でも蒲原・岩船郡のみの色分けとなっております。
(三島・古志郡はこちら)

なお※新潟県史(8コマ左)には沼垂郡の記載に関する考察があり、復古記(右)の注にも引用され、
(達書は誤りで)4郡が妥当との解釈です。

※(達書)を改ざんせず原文掲載とあり、例えば「岩船郡」は「岩舩郡」と書かれていた???

そもそも、なぜ「沼垂郡」が記載されてしまったのか?
個人的な推測としては新政府の行政官が※国郡全図(市川東谿作)のような越後国を8郡としている
(幕末期の)資料を元に郡名を記したものと思われる。

同図には「沼垂郡」も記載されている。(凡例はこちら)

【以下、蛇足】[72041]伊豆之国 さん
鈴木良徳氏(栃木県岩舟町出身)の著書に「時刻表マニア」(昭和48年発行)というのがあります。この本を読むと、著者が小学生時代(明治末期)に「汽車・汽船旅行案内」という本を愛読し、
東海道線の新橋から大阪・神崎・西ノ宮・住吉・灘・三ノ宮・神戸までと、信越線の加茂・羽生田・矢代田・新津・亀田・沼垂・新潟までを暗記していた

生粋の鉄道マニア?と思われそうですが・・・こんな人でした。
[99928] 2020年 6月 23日(火)19:15:42ekinenpyou さん
「畑」と「畠」(補足編)
拙稿[99926]の続きです、以下に特徴的な3例(村名に「畑」と「畠」を含むものの資料ごと表記)を示します。

番号天保郷帳郡区町村一覧地方行政区画便覧M22.4.1町村制施行新旧対照市町村一覧5万図(図歴番号)現状(地理院地図)
【1】小畑村(8コマ)(4列5行)(7列3行)小畠村(左側の三浦村)(左下)小畑・鶴川(120-7-2)(北西部の三浦村)(豊後高田市)小畑
【2】菅畠村(92コマ)←古志郡の(8列5行)(6列2行)菅畑村(中央右側の前東谷村)(左上)菅畠・守門岳(73-16-3)(北西部の※東谷村)(長岡市)菅畑
【3】小畑村(59コマ)←神石郡の(3列4行)←神石郡の(3列4行)(中央左側)・合併なし(右下)小畠村・油木(109-12-2)(南西部の小畠村)(神石高原町)小畠

表中の「←」は左の資料と同じ表記
M34.11.1合併で東谷村

以下、各番号ごと簡単に要約
【1】M22.4.1合併時県令に記された「小畠」の表記ほとんど定着せず?
郵便区画町村便覧(M22.4調査)(中央右側の三浦村大字)でも「小畑」と書かれている。

【2】(戦前地形図は「菅畠」だが)M22.4.1合併時県令に記された「菅畑」が徐々に定着?

【3】年代が進むと徐々に「小畑」から「小畠」が幅を利かせているようにも思われるが、
(天保郷帳 天保国絵図でも表記ゆれがあり)判断が難しい
「小畑」表記例・広島県小誌
「小畠」表記例・天保国絵図(神石郡の中央部)、神石郡地誌広島県史

郵便区画町村便覧(M28)では「小畠郵便局」「小畑村」とどっちつかずの表記
S17.4.1新設合併時は「小畠村」S17.3.26官報広告右下(町村廃置3番目)
町村制施行以降に(高畑→高畠町のような)小畑→小畠村という改称履歴はみあたらず。
[99926] 2020年 6月 21日(日)10:02:47ekinenpyou さん
桐畑村→桐畠村など
[99923]むっくん さん
236 新設/村制 鳳至郡柳田村 鳳至郡 鴨川村, 国光村, 石井村, 柳田村, 桐「畠」村, 笹川村, 長尾村, 鈴ヶ嶺村, 小間生村
桐畑村→桐畠村


以前どこかで見たようなネタ???とグリグリさんも共感しているかどうかはともかくとして、
ご指摘にあるよう県令第23号の通りとしても構わないのですが

鳳至郡柳田村の領域から恐らく現在の能登町字桐畑付近と思われます。

【参考】地方行政区画便覧(左側の5列3番目)・地名索引(少し字が見にくいので補足)
(いずれも内務省地理局刊行)
5万地形図宝立山(図歴リスト番号87-8-2)

[99917]拙稿の高知県高岡郡与津村→興津村について

答えはこちら

上記にもあるが、興津峠の北側にある与津地は東又村だった
地理院地図

残り投稿分は少し間が空くかもしれません・・・
[99917] 2020年 6月 15日(月)08:20:32ekinenpyou さん
過去の変遷情報要修正箇所について補足
だいぶ時間を遡ってしまい恐縮ですが
[85558]YT さんで変遷情報を修正する必要があるのではないか?と指摘があった件について補足投稿します。

まず以下4件については
(1) 鳥取県日野郡江尾町の町制実施の年月日 (鳥取県#82)
(2) 徳島県麻植郡山瀬町の町制実施の年月日 (徳島県#35)
(3) 福岡県田川郡彦山村の編入先 (福岡県#155)
岡山県和気郡英保村→英保町→吉永町の変遷

[85567][85569][85570][85571]MI さんなどで速やかに回答が示されましたが

広島県豊田郡木ノ江町から木江町への改称(広島県#130)、高知県高岡郡興津村から与津村への改称(高知県#75)が、『昭和25年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月 や『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その34 広島県』・『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その39 高知県』などで名称変更情報として扱われていません。

(恐らく回答がなかったと思われる)上の2件について・・・

まず、1943(S18).10.1 広島県 改称 豊田郡 木江町 豊田郡 木ノ江町
S18.10.2官報広告右上中ほど(町改称)に記載があり国勢調査報告の記載漏れが妥当と解釈します。

次に、1948(S23).5.3 高知県 改称 高岡郡 興津村 高岡郡 与津村ですが
高岡郡 - Wikipediaも同趣旨の記載があるものの当時の官報類に告示などはみあたらず、そうした関係からか
高知県高岡郡興津村(歴史的行政区域データセットβ版)でも有効期間開始年月日が1889-04-01になっています。

本件については、時間の都合で補足追加を後日投稿予定です。
(例によって、詳細をご存知の方は先行して示していただいても可)

[85558]YT さんでは高知県高岡郡興津村から与津村への改称とあるが逆(これは変遷情報の通り)
以下2資料でローマ字読みが変化している点は確認済み

昭和23年常住人口調査報告(左上8番目)
"Yotsu-mura"
昭和25年国勢調査の都道府県郡市区町村別人口
34広島県~40福岡県(9コマ高岡郡19番目)
"Okitsu-mura"
[99914] 2020年 6月 14日(日)17:43:32ekinenpyou さん
Re:岩手県への表記統一など
拙稿[99907]の続きもかねて投稿します。

[99911]hmt さん
明治9年当時は 正式の「岩手縣」と慣用の「巌手縣」とが共に使われており、旧印鑑の欠損を機会に、慣用している「巌手縣」の印鑑も彫刻し、届出をしたのでしょうか?


(欠損前の印鑑がどのような印影だったかは定かではありませんが)おおむねその通りだと思います、
以下に公文録に残されたM9.10.9届出当時の原本を示します。
岩手県県印改刻届

当時は岩手県・国側双方で「岩」が「巖」である程度なら特に気にしなかったというのが実情でしょうか。

※法規分類大全の印影「岩手縣」は同書がM24年刊行であり、
「巖」を「岩」に置き換えた可能性があると推測しております。
(複数改刻届があって、その印影を模写するなどした可能性もありますが・・・)

なお、府藩県印の印影については色々と興味深いものがあり
例えばこちらに関連した投稿も後日行うかもしれません。

牛塚虎太郎


統計局ホームページ-国勢調査100年のあゆみPDF(4コマ左中ほど)に記載があります。

※大正6年提出の意見書は下記より閲覧可能です。(先述PDFには書かれていませんが、実際はかなりのページ数)
国勢調査実施ニ関スル意見書牛塚統計局長ヨリ提出ノ件

要望実現のための文書作成などに長けた方だったようで、
同氏が「巖手縣」をお気に入りだった場合「岩」が「巖」になっていたかもしれませんね・・・
[99910] 2020年 6月 13日(土)10:22:38ekinenpyou さん
地図上の「令和」
[99880]鳴子こけし さん
昨年5月の改元以降、『年号』コレクションに収録されている大津市の瀬田川令和大橋や、平成筑豊鉄道の令和コスタ行橋駅などが誕生し、「令和」の名が地図上に登場してきていますが


例えばこちら
とでも(無駄に?)小ネタを量産投稿しておくと、[99906]グリグリさんで触れた件が予想よりも早く実現???
[99907] 2020年 6月 12日(金)19:19:12ekinenpyou さん
Re:慣用されていた 巌手県 から 正式の 岩手県 に統一する手続など
[99890]hmt さん、[99894]MI さん
正解です、お二人に示していただいた文面ですが
恐らくT12.9.10付で国側へ照会し了解を得た文書が元になっていると思われます。
県名ノ文字ニ関シ岩手県知事ヨリ照会ノ件(2コマ)

その後官報での表記はT10.8.27(左下)→T15.6.11(左中ほど)のように変化した箇所も多いですが、
(国側で告示などは無く)周知が徹底されていたとは言い難い状況だった?のか

[35710]Issie さん
衆議院議員の選挙区(いわゆる中選挙区制)についての「別表第1」で,岩手県の第1区にしっかりと「巖手郡」という表記が行われています(「小六法・昭和58年版」による)。


官報(号外)S25.4.15(左上)のような表記も残ったようですね。(上記例は郡名ですが・・・)

(いとも容易に謎が解かれてしまったので)次投稿までのつなぎとしてもう1問用意しておきます。

【その1】法規分類大全
【その2】諸県県印彫刻・九条(9コマ)

上の資料二点にM9.10.9岩手県届けによる印鑑の印影が示されていますが、明らかに違いがあるのは
どなたでもおわかりいただけるかと思います、どちらが(岩手県より)届け出た印影画像に近いものでしょうか?
(できれば証拠を示していただければ最善ですが、次回投稿で示すので・・・ひとまず投稿終了とします)
[99889] 2020年 6月 8日(月)08:26:16ekinenpyou さん
Re:高知県長岡郡西本山村から本山村への改称など
[99887]MI さん
明治23年が幅を利かせてしまったようですが、改称日は 1891(M24).5.9 が正しいと判明しております。

その通りです、以前配布されていたファイル(ctv_total_pref.xlsx)に
18910509 +1村 -1村

とありましたのでご存知なのだと思いました、的確なフォローありがとうございます。

逓信公報(M24.8.27)82コマ(右上告知欄)・官報(M25.7.15)の記述からも
M23年実施は疑わしいことが確認できます。

思いのほか速やかな正解が示されましたので、1件追記しておきます。

射水市サイト内の射水市の名誉市民・牛塚虎太郎の詳細な功績を記したワードファイルに

岩手県知事時代には、県名を「巌手」から「岩手」に改め


という記載※がありますが、
このような変更手続は法的には行われていないという見解を多くの方がお持ちだと思います。
(高畑町→高畠町のように読みは同じで字が違うだけの変更ですが、何しろ県名という重要な名前なので
正式に変更となれば官報なり何らかで周知されるはず)

牛塚虎太郎 - Wikipediaにも同趣旨記載あり

過去ログでは

[35708]Issie さん
「巖」と「岩」とは“交換可能”な文字のペアーであったようで,特に明治期には県・郡ともに「巖手」という表記がよく見られます。

[50713]hmt さん
これらの名前は特別な変更手続なしに、「いつの間にか」現在の表記が定着するようになったようで、「巖手県」ではなく「岩手県」の形で現行法に引き継がれたと思います。


とありますが、この件が何故知事個人の功績として記されているかの詳細についてまでは
答えをうまく検索できなかったので、関連内容を後日投稿予定です。
(本件は既に詳細をご存知の方もいらっしゃると思うので、先行して示していただいても構いません)
[99886] 2020年 6月 7日(日)10:36:19ekinenpyou さん
官報に掲載された変遷履歴情報など
ひとまず、小ネタから・・・

[99831]hmt さん
NDL官報に基づく変遷情報
中略
変遷施行日はわかるが、必ずしも施行日付とは一致しない官報発行日を絞り込めない。


[99832]MI さんでも言及されていますが、全ての変遷履歴が官報に掲載されているわけではないので
使い勝手が良いものではないことは確かです。ただし(掲載されたものに関しては)当方や一部のメンバーの方々で
ほとんど発見&把握されているはずなので、関連投稿の際に「官報掲載箇所は未確認」とでも併記していただければ、
何らかレスが入るのではないかと思います。

【おまけ】官報の掲載箇所についてはだいたい施行日のあたりに掲載されていることが多いですが、
その日付に疑わしき点がある情報源を参照してしまうと捜索?困難になる場合があります、以下例

1890(M23).6.1 改称 長岡郡 本山村 長岡郡 西本山村
長岡郡 - Wikipediaも同じ

官報掲載は1年ほど後の1891(M24).5.13(左下の村名改称)
高知県処務提要. 上巻右上欄外も参照のこと
従って、どのように解釈すれば正しいのかは

結局は全国の都道府県立図書館や文書館巡りをすることとなってしまいました。

と仰っているMI さんが恐らくご存知かと思われますので省略・・・
[99353] 2020年 4月 6日(月)20:29:18ekinenpyou さん
東置賜郡高畠町
[99336]むっくん さん・[99341]MI さん・[99349]グリグリ さん

本件に関しての詳細はこちら63コマ(左ページ以降)参照のこと

1905(M38).1.13 改称 東置賜郡 高畠町 東置賜郡 高畑町


とありますが国側は通牒を出したM38.9.25改称許可(右ページ中央)とみなしているので、
この日付(あるいはそれ以降)とした方が(法的には※許可前に実施扱いにはできないはずなので)良いかもしれません。
(極めて特殊な事例であり山形県が改称として告示したかまでは未確認)

※詳細[86677]むっくん さんの
(C)市制町村制施行時(M22)~地方自治法施行以前(S22.5.2)
も参照のこと
[99332] 2020年 4月 3日(金)19:16:14ekinenpyou さん
Re:明治12年当時の北海道 北見国網走郡と釧路国網尻郡など
[99293]hmt さん
明治35年の北海道二級町村制で誕生した「網走町」を構成した旧町村の一つである「網走郡北見町」です。この町は、明治12年の公文録に記載されておらず、その実体が不詳でしたが、網走町の市街地部分でしょうか?


その通りと思われます、なお過去ログ検索では以下のようにありました。

[6060]グリグリ さん
現在の網走市の中心部を北見町としていましたが、網走町に取り込まれて字名も無くなったため、野付牛町が市制施行時に北見市を採用しました。この時、網走の住民から強い反対があったそうです。

[12313]三丁目 さん
網走市の古くからの集落は北見町と言い、現在、条・丁目が採用されている地区にあたります。


M35合併後は大字北見町となり大正末期に消滅
網走市歴史年表の大正時代北海道市町村行政区劃. 昭和17年10月1日現在も参照のこと

記載がなかった原因を推測すると、明治12年から35年の間に【例えば】網走村からの分割 or 分立により誕生していたのか? それとも、公文録の記載漏れか?


沿革類聚布令目録 : 沿革類聚. 明治23年編纂(国郡町村(附)大小区画)よりM14.11.15誕生と思われます。
開拓使事業報告. 附録 布令類聚上に布達本文あり
網走市歴史年表の明治時代北海道史. 管轄略譜・年表・統計表の記述も同じ

[99288]hmt さん
北海道における 郡区町村編制法の実際の施行日は、M12/7/28? との疑惑。


完全に疑惑を払拭できるかわかりませんが、M12.7.23布達により施行で変更は無かったと思われます、以下資料参照
記録材料・開拓使第五期報告書
北海道史. 管轄略譜・年表・統計表の記述も同じ

※開拓使時代の管轄変遷については開拓使事業報告. 第1編も参照のこと

[99289]YT さん
戦前の『広島県史』の記述と、公文録の記録からすると、広島県 甲第137号布達が出されたのは明治11年11月1日の可能性の方が高いと思います。


こちら(13コマ)でも布達本文までは記されておらず(確証が持てなかったので)疑問としておきましたが、
的確な調査回答を示していただきありがとうございました。
[99290] 2020年 3月 23日(月)19:16:08【1】ekinenpyou さん
Re4:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
引き続き、[99252]MI さん・[99259] むっくん さん関連
(上記引用文中「第貳拾貳號」とは明治13年5月5日太政官布告第22号のことで、各府県の郡分割などを示したもの。)


法令全書のリンクはこちらですが、
後に出版された府県及北海道境域沿革一覧では、この布告を以て(郡区町村編制法施行に伴う)
郡区の新設・分割・改称が行われたという説明が複数あります、これについては不適切とみて良いでしょう。

(一例)沿革図表(M13の箇所)・愛知県(名古屋区設置・設楽郡、加茂郡、春日井郡の分割が同時扱い)

【参考】例えば日本全国郡区分人口表(M12.1.1現在)(国刊行の戸籍統計・M13.3編纂)では
既に多くの府県で新しい郡区名になっている。(当然ながらM13.5.5布告以前から存在していた点明白)

※ただし長野県(M12.1.4郡区町村編制法施行)はM13.1.1現在(M14.3編纂)から、
愛知県はM13.2.5春日井郡分割(東春日井郡と西春日井郡)を同じくM13.1.1現在から反映している。

また、滋賀県はM13.5.29浅井郡の分割(東浅井郡と西浅井郡)がM13.1.1現在には反映されず
M14.1.1現在(M15.2編纂)から反映している。

同書で区名のそばに郡名も併記されているのは何故か?
新旧名対照という目的もあるかもしれませんが、恐らく以下のような理由からです。
東京府下区郡ノ改正ハ行政上ノ区域ニテ地理上ニ於テハ旧ノ郡界ヲ存ス

【おまけ】滋賀県浅井郡の分割についてなど(以下、最初の投稿内容で説明に不備・不足があったので若干修正あり)
[99252]MI さん(従来の浅井郡は2つ)
明治12年の時点では浅井郡が2つあったが郡役所の名称だけは東西を付けて区別していた。13年に郡名も東西を付けて文字通り別の郡となった、と判断することにしました。

[99259] むっくん さん(従来の浅井郡は1つ)
滋賀県 甲第61号布達 M13.5.29 浅井郡→東浅井郡、西浅井郡


上記の通りお二人の見解が少々分かれておりますが、資料によっても説が若干異なっており

東浅井郡志. 巻3(S2発行)の左ページでは
従来は便宜上郡名を東西に分称→M13.5.5太政官布告第22号により完全に分割
(ややMIさんの解釈と近い?ただし従来の浅井郡が2つとまでは明記していない)、
滋賀県沿革略誌(M23.9出版)の右ページ真ん中付近では
5.29浅井郡に東西の字をつけて2郡に分割 (むっくんさんの解釈とほぼ同じ?)という内容になっています。

※東浅井郡志では便宜上郡名を分称とあるが郡役所名に使用されたぐらいなので、比較的通称?として
浸透していたらしく、滋賀県管内浅井郡誌(M13.3)その1その2にも記載が見られる。
また現行滋賀県布令類纂の内容はごくまれに誤記や後に変更した内容に置き換わってしまっていることがあるので、
郡長任命時の記述(57コマ)も確認したところ、確かに「東浅井郡郡長」「伊香・西浅井郡長」とあった。

(M13.5.5太政官布告第22号で)国側が東浅井郡、西浅井郡と布告を出してしまった原因ですが、
前述(紛らわしい郡役所名を記した布達)のほか岐阜県の石津郡のように地理的な要因もあり、
(郡区町村編制法施行に伴い)分割されたと誤解されたのかもしれませんね、
参考として布告第22号が出た頃に国が作成したと思われる地図のリンクを示しておきます。

公文附属の図・一八〇号 大日本分国輿地全図(郡区編制全ノ図)
公文附属の図・一八一号 府県新設区ノ図

以上で関連投稿を一旦終えます。(他にも書けることがありますが、いつごろ投稿するかは検討中)
[99285] 2020年 3月 22日(日)10:37:15ekinenpyou さん
Re3:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
(大区小区制が廃止され)郡区町村編制法施行の布達が使府県より出されると、
ほぼ同時期に郡区長が置かれるという点はご存知の通りかと思いますが
当時の(郡区長)任命に関する記録(履歴)が多くの府県で残されており、いくつか実例を示します。

[99264]YT さん関連
熊本県(M12.1.20施行)(9コマ)・茨城県(M11.12.2施行)(199コマ)
新潟県(M12.4.28施行)(17コマ)・長野県(M12.1.4施行)(1および8コマ)

[99263][99270]白桃 さん関連
愛媛県(M11.12.16施行)(76コマ)・和歌山県(M12.1.20施行)(5コマ)

以上の通り、(おおむね)布達の日以降に任命を行っている事実が確認できますので
(郡区町村編制法)施行時期の実態を把握するという点で参考になるかもしれません・・・

【おまけ】[99259] むっくん さんで示された表について補足

高知県 甲第267号布達 M11.12.6 M12.1.1

上記の布達の後、甲第278号布達(M11.12.14)でM12.1より実施と示された。

広島県 甲第137号布達 M11.11.11 M11.11.11

郡区町村編制法 - Wikipediaでの施行日がM11.11.1とあったため、以下の資料類を再確認した。

広島県史. 第1編(左隅)
公文録・明治十二年・第百七十一巻・府県判任官進退録第九(2コマ)

以上より、布達がM11.11.11に出されたという点に少々疑問が生じました。
(絶対にあり得ない話ではないと思いますが・・・)
[99282] 2020年 3月 21日(土)10:44:40ekinenpyou さん
Re2:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
昨日の続きです。(つなげると1投稿が長くなるので別投稿に分割しました)

[99252]MI さん
大島郡だけは同年4月8日太政官布告第15号で
鹿兒島縣管轄大島喜界島徳ノ島沖永良部島與論島ヲ以テ大島郡ト爲シ大隅國ヘ被屬候條此旨布告候事
とありますので、これのみ4月8日としました。

[99259]むっくん さん
(大島郡) 太政官布告第15号 M12.4.8 M12.4.8


上記は当方も郡設置を以て郡区町村編制法施行とみなしているのですが、初代郡長はM12.7.1に任免されている
らしく、この日を(郡役所設置&行政区画としての大島郡発足)施行日としているケースもあるようです。

大島郡 (鹿児島県) - Wikipedia

【参考】
日本の国郡区域と新しい広域行政区画の展望 - J-Stage(6~8コマなど)
奄美大島史その1その2
[99279] 2020年 3月 20日(金)19:48:06ekinenpyou さん
Re:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
同日別投稿で失礼します、[99259]むっくん さん [99264] YT さんに補足
開拓使 乙第4号布達 M12.7.23 M12.7.23


リンク先のものは本文が大幅に省略されておりますので
こちら(2コマ)も参考になるかと思います。

熊本県 甲第5号布達 M12.1.20 M12.1.20


『新熊本市史』は、現在熊本市の主な境域となっている熊本区・飽田郡・詫摩郡分しか掲載しておりませんが


こちら(3コマ)に全文掲載されています。

新潟県 甲第42号布達 M12.4.28 M12.4.28


同日に甲第42号布達と甲第43号布達が出ており、郡区役所位置は分けて公布したようです。ただ最初に確認した『新潟県史 資料編15 近代三 政治編I』の方では「「県治報知」明治十二年」を典拠とする甲第43号しか収録されていなかったため、非常に混乱しました。困ったことに、『新潟県史 別冊1 年表・索引』の方では、以下のように謎のM12.4.9という数字が登場してしまいます。


甲第42号布達がM12.4.28であることが間違いないならばそちらが妥当と解釈します。
([99252]MI さんでも異論は示されなかった)

【参考】
新潟県郡区長ヘ委任条件并郡区名称区域表ノ件二条(9コマ)
南魚沼郡志その1その2

なお、新潟県のM12.4.9大区小区制廃止説については以下など色々拡散中のようですね・・・
新潟県年表を調べる明治11年~明治20年(PDF形式:385KB)
郡区町村編制法 - Wikipedia
[99278] 2020年 3月 20日(金)10:44:46ekinenpyou さん
Re:「茨城県民の日」の日付など
[99256]hmt さん
上記[55178]からのスレッド記事として、Issieさん [55181]、hmt [55199] があります。
古い日付の扱いに関して、参考になることもあると思うので、関心のある方はご一読いただければ幸いです。


本件ある程度目を通しました、以下コメントしておきます。

[55199]hmt さん
山川の便覧では、入間県だけが1日早くなっている


個人的には太政官布告594(M4.11.14)を根拠とみていますが、
M4.11.13説も色々と拡散しているらしく、例えば入間県 - Wikipediaでも
(明治4年太政官布告第594号と記載があるにも関わらず)そのようになっています。
(地方沿革略譜も同日でその影響を受けた???)

このズレが何故生じたかについて当方で推測している内容は以下の通りです。

1・M4.11.14前日付の太政官日誌(M4.11.13)で布告に先立って長官(県令など)が任命されている記述がある。
(法令全書には併記されない内容)

2・(廃藩置県より前、府藩県三治制当初の)法令には府県設置明記の記述が見あたらず、
(辞令の時点で設置とみなしている)ケースがある。

参考・2)最初の府県(Issieさんのサイト) より
「法令全書」が付した注のように,各府県を設置したことを明記する布告は見られない。したがって,「法令全書」では各府県知事の辞令をもって「府県の設置」としている。


以上より、地方沿革略譜で(入間県の執筆を担当した方に)前倒しで長官の任命されたM4.11.13が置県と
解釈(誤解?)された。ただしこの解釈は(法令として翌日付の太政官布告が存在していることもあり)異端であり、
埼玉県など多くは(布告通り)M4.11.14が置県と解釈された。(後年作成の法令全書でも注釈は入らず)

当時の府県の変遷(日付)には色々と面白いものがあり、書ききれなかったので日を改めて別途投稿予定です。
(過去ログと重複しないようにしたいとは思いますが、完璧には検索しきれない点もあるのでご容赦ください)
[99260] 2020年 3月 16日(月)18:49:07ekinenpyou さん
既存47都道府県の成立(設置)日について
簡単なものですが下記に示しておきます。(東京は府の成立日とした)
「地方沿革略譜」に記載のあるものは和暦の日付をクリックすると説明頁が表示されます。
(同書の詳細は[85015]hmtさん参照のこと)

道府県和暦西暦法令全書【おまけ】
北海道M19.1.2718860127布告118860126
青森県M4.11.218711213太政官布告56618760525
岩手県(※1)M4.11.218711213太政官布告56618760525
宮城県(※2)M4.11.218711213太政官布告56618760821
秋田県M4.11.218711213太政官布告56618711102
山形県M4.11.218711213太政官布告56618760821
福島県(※3)M4.11.218711213太政官布告56618760821
茨城県M4.11.1418711225太政官布告59418750507
栃木県M4.11.1418711225太政官布告59418760821
群馬県(※4)M6.6.1518730615太政官布告21418760821
埼玉県M4.11.1418711225太政官布告59418760821
千葉県M6.6.1518730615太政官布告21418750507
東京府※M4.11.1418711225太政官布告59418711114
神奈川県M4.11.1418711225太政官布告59418760418
新潟県M4.11.2018711231太政官布告60818760418
富山県M16.5.918830509太政官布告15同左
石川県(※5)M4.11.2018711231太政官布告60818760418
福井県M14.2.718810207太政官布告3同左
山梨県M4.11.2018711231太政官布告60818711120
長野県M4.11.2018711231太政官布告60818760821
岐阜県M4.11.2218720102太政官布告61418760821
静岡県M4.11.1518711226太政官布告60218760821
愛知県(※6)M4.11.2218720102太政官布告61418721127
三重県(※7)M4.11.2218720102太政官布告61418760418
滋賀県(※8)M4.11.2218720102太政官布告61418760821
京都府M4.11.2218720102太政官布告61418760821
大阪府M4.11.2018711231太政官布告60918711120
兵庫県M4.11.2018711231太政官布告60918760821
奈良県M20.11.1018871110勅令5918871104
和歌山県M4.11.2218720102太政官布告61418711122
鳥取県M14.9.1218810912太政官布告42同左
島根県M4.11.1518711226太政官布告60118760821
岡山県M4.11.1518711226太政官布告60118760418
広島県M4.11.1518711226太政官布告60118760418
山口県M4.11.1518711226太政官布告60118711115
徳島県M13.3.218800302太政官布告6同左
香川県M21.12.418881204勅令7918881203
愛媛県M6.2.2018730220太政官布告6018760821
高知県M4.11.1518711226太政官布告60018760821
福岡県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
佐賀県M16.5.918830509太政官布告15同左
長崎県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
熊本県(※9)M4.11.1418711225太政官布告59518760222
大分県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
宮崎県M16.5.918830509太政官布告15同左
鹿児島県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
沖縄県M12.4.418790404太政官布告14同左

※1)M5.1.8(18720216) 太政官布告1で盛岡県から改称
※2)M5.1.8(18720216) 太政官布告1で仙台県から改称
※3)M4.11.14(18711225) 太政官布告593で二本松県から改称
※4)M9.8.21(18760821) 太政官布告112で熊谷県から改称
※5)M5.2.2(18720310) 太政官布告31で金沢県から改称
※6)M5.4.2(18720508) 太政官布告108で名古屋県から改称
※7)M5.3.17(18720424) 太政官布告85で安濃津県から改称
※8)M5.1.19(18720227) 太政官布告14で大津県から改称
※9)M5.6.14(18720719) 太政官布告178で熊本県から(白川県へ)改称&
M9.2.22(18760222) 太政官布告19で白川県から改称

※地方沿革略譜ではM4.11.3(18711214)

(取り急ぎ)短時間作成のためミスなどがあると思いますがご容赦ください、本格的なものは
府県の変遷(Issieさんのサイト)などを参照のこと

【おまけ】[99241]MIさんで示されたリスト(ctv_total_pref)との対比も示しておきました。
(成立時をいつにするかの解釈の違いがありますので多くは一致しませんが・・・)
[99255] 2020年 3月 15日(日)10:27:36ekinenpyou さん
Re2: 郡区町村編制法による郡の制定
[99252]MI さん
チラ見ですが、下記に関連する日付のずれ?がまだ残っているようでした。

[99189]むっくん さん
公文式(M19.2.26)第十条では
凡そ法律命令は官報を以て布告し官報各府県庁到達日数の後七日を以て施行の期限と為す
とありますので、法律と勅令は裁可され、その後に官報に記載されて初めて公布されたことになります。


東蒲原郡の移管(M19.5.10裁可→5.12公布)

【おまけ】市制施行日・市の誕生日・市名誕生日というものはありますが、
既存47都道府県の誕生日も調べてみると結構面白いかも・・・(以下のような事例があったらしいので)

「茨城県民の日」は県誕生の日ではなかった!! 本当のお誕生日は明日11月14日!「1日ズレていた」ことに30年以上県も気付かず ロケットニュース24

【参考】M4.11.14太政官布告594(新暦では12.25)
(茨城)県民の日を定める条例
[99237] 2020年 3月 1日(日)10:00:28ekinenpyou さん
Re3: 北海道の郡など
[99235] MIさん
早速の解説ありがとうございます(北海道の郡増減基準が)理解できました、以上を踏まえますと

★の2郡はいずれも平成20年6月30日 条例78号で、
留萌支庁 天塩郡A 幌延町→宗谷総合振興局 天塩郡C 幌延町
胆振支庁 虻田郡A 洞爺湖町→胆振総合振興局 虻田郡C
★天塩郡Cは(520)幌延町で良いですが、★網走郡Bは(564)大空町と思われますがいかがでしょうか?

虻田郡洞爺湖町(01584)と勇払郡安平町(01585)、むかわ町(01586)のコードは本来の虻田郡(01571~01573)、勇払郡(01579~01583)の場所ではなく、胆振支庁の末尾に付加された形となってしまいました。


上記は(北海道に関しては郡ではなく支庁をひとまとめにしますので)コードの仕様です。

「全国地方公共団体コード」仕様より
6.2.5 北海道の区域内にある町村 : 301 から779 までの数字を、301~329、331~359、
……751~779 の29 ずつのグループに区分し、各支庁の所管区域にそれぞれのグループを割り当て、
各支庁の所管区域内の町村を、各グループの範囲内の連番号で表示する。


【おまけ疑問1件(ctv_total_pref.xlsx)】
[99157] MIさん
市制・町村制以前はカウントしておりませんので


とあるので、札幌区・函館区のカウントは市区町村変遷情報に倣い
明治32年(1899年) 10月1日 北海道 北海道区制施行 3区設置以降とすべきではないでしょうか?

01北海道
18971105 +19支 +88郡 +2區
18991001 -1支 +1區

18971105 +19支 +88郡
18991001 -1支 +3區
[99233] 2020年 2月 28日(金)18:50:54ekinenpyou さん
Re:北海道の郡など
[99223] MIさん
明治24年時点での史料


北海道の郡数については法令全書. 明治2年で示された数から増減を行って(=86+3-2+1)88郡としているはずです。

なお、都道府県の市区町村数(2019年(平成31年-令和元年))
[99217] MIさんで示されたファイル内容には下記の相違点があるようです。
(現在の郡数・区数は)以下の通りではないかと思われますがいかがでしょう?

・01北海道 78郡とあるが64(+5)=69郡ではないか?
(78郡をどのように数えているのか?複数支庁にまたがる郡を別々としても不足がある)

・14神奈川 29区とあるが28区ではないか?

他、ctv_total_pref.xlsxの日付毎というシートで"20191001"と入れると内訳がマイナス値になる
箇所があるようです。(この点は[99195]で公開されたものでは問題なし)

以上、ご確認をお願いいたします。
[99220] 2020年 2月 25日(火)19:16:46ekinenpyou さん
Re:全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(改訂版)など
予定外ですが取り急ぎコメントしておきます。

[99217]MIさん
更新ファイルを拝見しました、(想定外に)迅速な対応恐れ入ります、ありがとうございました。

伊豆七島などは所属する郡がないわけです。ところが郡が空欄のままですと記入漏れと区別がつかないので、便宜上ハイフン(-)を郡名の代用としております。そして更にはその郡の「成立日」も必要となる


上記内容もおおむね理解しました、一つ気になりましたが北海道の郡を1897(M30)1105以降から
計上対象としているのも独自の仕様ということでよろしいでしょうか?
【参考】大日本帝国内務省統計報告. 第7回(M24.12.31現在の北海道郡数は88)

[99218]グリグリさん
更新が必要な点については当方の認識と一致しています。
※以下は、今後都道府県別内訳も示す場合は必要

18930401 (+3郡 -3郡 +7町 -7町 +84村 -84村) 14神奈川→13東京

なお、[99217]MIさんで示された新しい都道府県別ファイル(ctv_total_pref.xlsx)では
東京の市町村計上から上記内容が欠落しているのを確認しておりますので

5 1922 8 17 +1市 -1市 北海道の4支庁の改称?


あたりも(改良に伴う)影響があったのかもしれません、当該箇所の内訳増減は無しで良いと思われます。

以上お手数ですが、お時間のある時に確認をお願いします>MIさん
[99195]で公開されたものも控えてあるので個人的には特に支障はないです)
[99208] 2020年 2月 23日(日)18:47:10ekinenpyou さん
Re4:北海道の市区町村数推移の照合(1922年8月17日まで)
[99195]MI さん
年月日(YYYYMMDD)を8桁の半角数字で入力すると、その当日における各都道府県の市区町村数および全国の市町村数を表示するようにしてみました。


上記新ファイル&優れた新機能?を拝見しました、(それを踏まえて1つ)お伺いしたいのですが・・・

現状では名称の改称、所属郡・支庁の変更、北海道の2→1級町村への変更など
市区町村数の内訳に変化が生じない場合もプラス・マイナス1として増減の列に含めて表示していますが、
これらを別計上として表示させることは(元データの作りの関係で)難しいのでしょうか?

一例を挙げますと、[99185]MI さんの
19090401 +1町 -1町 +28村 -8村


こちらを
19090401 +20村 (市区町村数の内訳変化を生じないものは)+1町 -1町 +8村 -8村

のような形で表示させるということになります、もし容易に実現できるならば
(市区町村変遷情報)で市制町村制施行時と施行時以降の履歴情報を別々にしているので

19090401 +1村 新規施行は+19村 (市区町村数の内訳変化を生じないものは)+1町 -1町 +8村 -8村

といった具合に表示できるようになると、一部拙稿[99174]の繰り返しになりますが

[99173]グリグリ さんの
改称や郡変更だけの変遷日については一覧からは除いたほうが良いのではと考えています。


複数の合併が重なってたまたまプラスマイナスゼロになるようなケース(例:1894.7.23の分立で+1村、新設で-1村)についても、市町村数の遷移という趣旨からは変化なしとして除くという考えもあるかもしれませんが、さすがにこのようなケースについては残したほうが良いと考えます。


といった条件にあうものを(データ利用者側で)容易に抽出できるため価値がより高まると思われます。

【おまけ】全国版(13東京)の19080201は増減の列に何も書かれていませんが、必要な行なのでしょうか?
このあたりを見る限りでは・・・(残りは後日コメント予定)
[99179] 2020年 2月 16日(日)15:59:55【2】ekinenpyou さん
Re:下蒲刈、宇島、多良見、小長井など
[99177]MIさん
度々の確認&解説お礼申し上げます。
※1下蒲刈島村・宇島市の改称2例は(正誤情報などが一切無ければ※2地元の見解が異なっていても)
法的には告示の文章通りかもしれません、実態として国調の廃置分合情報は告示内容をベースにしたものです。

【参考】(1)(PDF21コマ)・(2)(PDF16と17コマ)

※1)拙稿[99176]で34広島「19620101 +1町 -1村?」としたが「19620101 +1町 -1町 -1村」の誤り
(既に別投稿で引用されているので修正はせずこちらに記載)

※2)原因として都道府県公報で別途告示する場合がありますが(国の告示と)内容が異なっているのかもしれません
(告示内容の修正を希望したが国側にうまく伝わらなかったなどなど理由は色々考えられますが真相は???)

[99173]グリグリさん
当サイトの変遷情報と改称日などの日付が一致していないデータもあるため、MIさんのデータを元に今後確認させていただければと思います。


前述のような例において、市区町村変遷情報も揃えて変更するかどうかについては判断が難しいと思われます。
(この点は恐らくMIさんも類似の見解でしょう)
(下蒲刈島村・宇島市の改称2例は)どちらの日付でも数の推移に影響はないのでそのままでも良いですが、
影響を及ぼすケースもあり得ます(S27.9.1より前の古い年代のものになると判断が難しいものが多くなる)、
どのあたりまでの精査をご希望でしょう?
(その都度MIさんに説明をしてもらうのは負担が大きいと思われますので・・・)

【以下、追記】
【参考】当該年次に近い2つの県統計年鑑記述は下記の通りで国の告示と異なる
広島県統計年鑑(S37)、4市町村の変遷(382KB)(Excel文書)tone-b03.xls

下蒲刈島村 昭和37年1月1日 町制施行,名称変更

ファイル冒頭に以下注意書きあり(一部そのまま引用、原文の「不備もあるここと」→「不備もあることと」?)
 この表は,昭和29年4月までは県地方課の資料を基にし,それ以降は官報・県報告示を調査して極力現況に添うものを整備したが,なお不備もあるここと思われるので利用の上では留意されたい.


福岡県統計年鑑(S31)、本編その1(PDFファイル)2コマ

宇島市(昭和30年4月14日豊前市と名称変更)
[99176] 2020年 2月 15日(土)20:14:20ekinenpyou さん
Re:鯖江市、近江八幡市など
[99175]MIさん
鯖江市が「鯖」の漢字表記を改めた(というか統一した)というものでした。

承知しました、字体の細かい変更ですがH23の蓮田市のような例は告示されているので(廃置分合は)有効ですね。

[83614]むっくんさんで
市の新設・廃止を伴わない場合においても、市町村の廃置分合の法的根拠が総理府告示となったのは、この法改正が為された昭和27年9月1日以降と言えます。
とあるので、区切りのいいところまでもう少しだけ遡って出しておきます。(S27.9.1~44.12.31)

34広島
19611228 +1村 -1村
19620101 +1町 -1町 -1村

19620101 +1町 -1村?
【参考】こちら(PDF13コマ下方)

40福岡
19550413 +1市 -1市

19550414?
【参考】(1)(2)

42長崎
19651113 +1町 -1村

19651123?

19661001 +1町 -1村

19661101?
【参考】(1)(2)

※ここまでは市区町村変遷情報も当方と同一見解です
[99174] 2020年 2月 15日(土)15:04:57【1】ekinenpyou さん
Re:「全国の市区町村数の推移」リリース!など
[99173]グリグリさん
改称や郡変更だけの変遷日については一覧からは除いたほうが良いのではと考えています。
ということで理解しました、いきなりですみませんが
廃置分合等情報を探す 政府統計の総合窓口のS45.1.1以降などとの違いで気が付いた点から・・・

47沖縄
19720515 +10市 -10市 +5郡 -5郡 +6町 -6町 +38村 -38村

のような例も除外(削除対象)としても良いということですね?なお以下のような事例があるようなので
都道府県版の作成は(全国版と連動しているので)少し待ったほうが良いかもしれません

[99172]MIさん
18福井
19930401 +1市 -1市

というのが詳細不明で、
25滋賀
20100322 +1市 -1市 -1町

20100321【参考】H22面積調(77コマ)

ではないかと思いますが、いかがでしょうか?
(あま市の新設は3.22で良いので、全国版も3.21の行追加・分割が必要?)
[99169] 2020年 2月 13日(木)18:36:03ekinenpyou さん
Re2:全国および各都道府県の市町村数推移一覧表など
[99168]MIさん
お忙しいところ些細な指摘ですみません
(多分実作業を行うグリグリさんも同じような疑問を抱いていたと思うので一応確認しました)、
対応についてはごゆっくりどうぞ、なお数の推移を知りたい場合、例えばレファ協では
こちらのような回答を出しているようですが

[99157]MIさんで
当初は『市町村名変遷辞典』などを参考にしていましたが、現在では各県公報や官報など極力一次史料にあたり正確なデータの蒐集に努めています。


とあり、(示されるデータは)既存のものとは一線を画した有用なものになっていると確信しております。
参考情報(都道府県市区町村)にもある
つかんぼやと※市町村変遷パラパラ地図との違いにも要注目ですね。(完全版には市町村数増減併記)

※現状で完全版にない新潟・岐阜・岡山は全域でM22に市制・町村制を施行済みであり
拙稿[99156]で示した資料でもある程度数の推移を把握可能
[99166] 2020年 2月 12日(水)19:26:36ekinenpyou さん
Re:全国の市町村数推移一覧表など
[99157] MIさん
標題のデータを(少しだけ)拝見いたしました。
政府統計の総合窓口※市区町村数を調べるでも1970(S45).4.1以降は日ごとのデータを得られるので
(市区町村数はそちらと)同一のものと思っていたのですが1972(S47).5.15以降に沖縄県(本土復帰)、
1983(S58).4.1以降に北方領土6村(推定)が計上対象となっているので若干差異があることに気がつきました、
当方も類似データを構築してあるので参考にさせていただきます。

※市区町村数以外では、支庁(振興局)等・郡をどこまで数えるかが異なる

[99159] グリグリさん
ページ編集の過程でデータは加工することになると思いますが、市区町村の捉え方が当サイトの変遷情報とおそらく整合しているようですので、レイアウト編集が中心になると思います。


恐らく都道府県別の集計データで対応がなされるはずですが、市制・町村制施行時点からカウント対象とする場合は
18890301(+31町 +305村)・18890331(+1市 +40町 +335村)の2点を18890401へ移しそれ以前を削除して、
20161010(-1町 +1市)・20181001(-1町 +1市 -1郡)の2点を末尾に加えれば全国の分は完成するでしょうか・・・
(細かい点はデータができてから必要に応じてコメントしたいと思います)

いずれにしても無理のないペースで作業を行っていただければと・・・
[99156] 2020年 2月 10日(月)20:43:18ekinenpyou さん
Re:全国の市町村数など
[99155]hmt さん

1-12表 都道府県別市区町村数(エクセル:65KB)

そちらのエクセルですが原資料名「国勢調査」とあるので、恐らく下のデータと同じだと思われます、
国勢調査最終報告書にH22まで付属しているのを確認しています。(H27未見)
【参考】3 都道府県の市区町村の推移(大正9年~平成17年)(エクセル:88KB)

過去に遡って「町村制施行以来の全国市町村数の経年データを求める」

以下の資料類が現存しております。(2系統に分けてご紹介します)

※1【内務省統計報告、記録材料・功程報告・内務省】M21.12.31(2コマ)・M22.12.31(3コマ)・M23.12.31

上記でM21.12.31の町数は12,316、村数は58,998とあり合計は71,314で、
総務省サイトの市町村数の変遷と明治・昭和の大合併の特徴にある
明治21年 - (71,314) 71,314

と一致します、なお
明治22年 39 (15,820) 15,859

とは一致しませんが、内務省統計報告(第7回)の右側にM22.12.31現在の市町村数がありそれと同じです。
したがって内務省統計報告の第5回に道府県別内訳が記されているかもしれませんが、
同書の第3~6回は未見のため記録材料・功程報告・内務省で代用しました。

※2【日本帝国統計年鑑】M21.12.31M22.12.31(その1)(その2)M23.12.31

双方の資料群は若干異なる箇所があり、※1はM22~29まで町村別内訳が無く※2はM22~29まで沖縄県の区村数が記載されておりません、またおおむね道府県別の市(区)町村数内訳は一致しておりますがしばらくの間完全には一致せず、T4.12.31現在で初めて(市区町村数内訳まで)一致します。

【参考】
大日本帝国内務省統計報告. 第31回
日本帝国統計年鑑. 第三十五

【以下、謎々が得意な方向け?おまけ】
戦前の国勢調査報告(S10)において全国市町村数が国勢調査最終報告書(H22)と完全に一致しないのは
なぜでしょうか???(複数箇所で異なるので資料の誤植ではありません)

1920(T9) 12,244 → 12,244(ここだけ同じ)
1925(T14)12,018 → 12,019(以降、国勢調査報告S10では+1)
1930(S5) 11,864 → 11,865(+1)
1935(S10)11,545 → 11,546(+1)
[99152] 2020年 2月 8日(土)20:18:05ekinenpyou さん
Re:「都道府県の人口」サブメニュー独立など
[99147]グリグリさん

出典に使われている総務省統計局の統計データ(日本の長期統計系列)なのですが今年に入り削除されたようですね・・・
詳しくはこちら

【おまけ豆知識?】
[99130] YTさんで「1944.2.22銃後人口」と強調されているのでご存知の方も多いと思いますが、
1940(S15).10.1国調の人口73,114,308人は(他の国調とは異なり)銃後人口ではありません(以下PDFより一部引用)

昭和15年の調査では,軍人・軍属等についてはそれらが海外にいるか否かを問わず,全てその家族などのいる応召前の住所で調査した。したがって,これらの軍人・軍属等を含めた「全人口」及びそれらを除外した「銃後人口」が集計されているが,本書には全人口を掲載した。


例えば※日本の長期統計系列(第2章人口・世帯)の2-5都道府県,男女別人口などでは
全国人口を71,933,000人としており、エクセルファイル末尾に下記の通り解説があります

国勢調査の「全人口」73,114,308人(男36,566,010, 女36,548,298)から,外地にいた軍人・軍属等の推計数1,181,321人(男1,178,660, 女2,661)を差し引いて 得た補正人口。


【参考】
昭和15年国勢調査昭和15年国勢調査の概要,調査の範囲及び用語の解説(PDF5コマ)

昭和15年国勢調査人口 全国,道府県
(こちらは軍人・軍属等1,694,428人の全数を差し引いて銃後人口を71,419,880人としている、
前述エクセルで外地にいたと推定される1,181,321人を差し引いているのとは異なるので注意)

※2-7都道府県・市部・郡部別人口,人口密度,人口集中地区人口及び面積では73,114,308人を
採用しておりますので特にサイトコンテンツの修正は不要です。
[99144] 2020年 2月 1日(土)20:05:33ekinenpyou さん
Re:国勢調査報告書の情報の劣化?など
[99130] YTさん
「参考4 都道府県間の境界変更一覧(大正9年10月2日~平成27年10月1日)」に記入されている平成22年10月2日以降の異動は以下の相模原市~町田市のみです。


お忙しい中お手数おかけしました、人口異動を伴う境界変更一覧に関する報告ありがとうございます。
現状は当該国調における(前回国調の)組替人口と確定人口に相違があった場合に(人口異動が生じた旨の)
都道府県告示を探すという方法で対応しておりますが、今後も継続するということになりそうです。
(政令指定都市の区内のみの人口異動や、差引異動人口がゼロとなる場合など完璧に把握できるか不確実な要素あり)

【以下、過去ログと重複する箇所も多いと思うので、蛇足?】
(人口異動が生じた旨の)告示内容については[81944][81945] むっくんさんにて詳細な解説がなされておりますが、
(戦前から戦後間もなくの)国勢調査報告では境界変更を含めた廃置分合情報(T8.1.1以降)および過去国調の組替人口が一部年次で示されているものの、具体的な人口異動の内容詳細については戦後の※S25国勢調査報告(都道府県別冊子)以降に継続して掲載されるようになったので、(人口異動が生じた旨の)都道府県告示が存在しているが国調の組替人口などへの反映自体が漏れているケースも若干あるように思われます。(特にT9.10.2~S25.10.1までの期間)

※恐らく全国分はダウンロード可能な形では提供されていませんが、一部抜粋したと思われるものとして三重県統計書が閲覧できます。(各回国勢調査人口(市町村別)もありますが、S10国勢調査報告の市町村別人口などと異なり組替人口ではないので注意)

また、国勢調査が始まる前は人口異動を伴う境界変更一覧を示した国作成の資料は恐らく存在しておらず、
廃置分合情報を記した郡市町村廃置分合表という資料(M31.12.31以降)のみ刊行されていましたが、
境界変更に関する記載内容は少々頼りない(誤解を招きやすい?)箇所もあります。

例えばT5.4.1の尼崎市設置では尼崎町(原文)が単独で市となったように記されていますが、
内務省告示第15号(左上中ほど)では立花村の2大字も区域に含まれます。

市区町村変遷情報では前述のような例は当然正しく表記されておりますが、
(郡市町村廃置分合表でほぼ掲載対象外となっている)合併などを伴わない単なる境界変更については
(市区町村変遷情報で)掲載対象としている基準

細かい事例を含めると膨大な数になるため、概ね大字単位のものおよび実質的に「分割」に相当するものだけを独自の判断で選択し掲載している


とありますので、こちらのような村の一部を編入したケース(M37.12.14/M41.10.1など)はある程度まとまった人口異動を伴っていても(市区町村変遷履歴情報の)掲載内容には含まれない場合もあり得るので、(関心のある方は)各人で把握してまとめておくと良いでしょうか・・・
[99129] 2020年 1月 28日(火)19:39:45ekinenpyou さん
可住地面積など
[99116]グリグリさんで都道府県別のデータを更新していただきましたが少々補足

こちらで各種データを抽出&ダウンロードできますので、下記のような市区町村別のデータも簡単にわかります。
(1km2=100ha=1,000,000m2で換算)

【1】茨城県高萩市(2015国調人口29,638)に対応する可住地面積は37.39km2で面積1km2当たり人口密度は792.7
また1985国調人口33,968に対応する可住地面積は35.76km2で同上人口密度は949.9

【2】沖縄県嘉手納町の総面積(2014年度)は15.12km2(うち可住地12.50km2/主要湖沼0km2/林野2.62km2)で
※評価総地積(課税対象土地)は10.65km2(うち宅地1.10km2)

評価総地積の地目についてはこちらを参考(地目の宅地とはいわゆる住宅地だけではないので注意)

データによって提供年度や作成内容・方法に違いがあるようですので詳細を知りたい場合は
基礎データ項目定義より項目定義指標計算式および、
整備している項目の基礎データ項目一覧(エクセル形式)をご確認ください。

【少し長めのおまけ】
拙稿[99102]の補足としてS22.11末→24.1末→25.12国調における那覇周辺の市町村別人口も示しておきます。
(S24.1末人口の出典は対米国民政府往復文書 1949年 受領文書の93コマ
Vital Statistics in January 1949 1949/03/18)

首里 17,864 → 17,843 → 20,014
真和志 12,840 → 14,796 → 30,935
那覇 13,593 → 22,045 → 44,790
みなと 7,086 → 8,653 → 那覇
小禄 11,913 → 12,175 → 12,923

那覇(みなと)・真和志の人口急増は同時期ではなく若干タイムラグがあったらしい、
今昔マップで見ればその理由が何となく推測できるでしょうか・・・
[99122] 2020年 1月 27日(月)19:05:29ekinenpyou さん
戦中・戦後の東京都(府)区部の人口についてなど
[85612] YT さん
昭和19年2月22日に日本の内地では、配給制度への備えを目的として銃後人口の人口調査を実施しました。その時の市町村別人口の詳細は戦後に『昭和19年人口調査 集計結果摘要』(1977年)として出版されておりますが、[82202]に示したように、東京都の人口に関しては、1955年1月頃の境界によって人口が集計されてしまっております。

[98110] YT さん
1977年出版の『昭和19年人口調査 集計結果摘要』において、東京都に関しては1955年1月頃の境界によって人口が集計されてしまった原因は、おそらく「昭和19年人口調査結果原表」に通し番号が振られた時期(1949年出版の『昭和15年國勢調査昭和19,20,21年人口調査結果報告摘要』のために整理されたと思われる)から、1977年出版の『昭和19年人口調査 集計結果摘要』のために「昭和19年人口調査結果原表」をマイクロフィルム化した時期までの約30年弱の間に、職員の誰かが東京都の部分の表3頁を抜き去ったまま、返さなかったことが原因と考えられます。


上記の詳しい経緯はわかりかねますが、S19.2人口調査における東京35区人口を記した資料は現存しています。
【こちら】
(付帯S16,17,18人口についてはこちらに算出方法など記載あり)

結論から申し上げますと、[85700][85612] YT さんで示された表でほとんど正解なので、
少々修正すれば区部合計はぴったり6,558,162人になるはずです、ご確認ください。

品川区+荏原区→品川区に関しては『昭和19年人口調査 集計結果摘要』よりも1人多く


6,558,162(-1)人になった原因は恐らくこちらの表に(当時としては大変?)お年を召された方が1人いらっしゃり、
カウント対象外になったからなどと推測してみますが真偽のほどは???

【そろそろ次回の国調なので?おまけ】
[90077][90092] グリグリさんで作成していただいた人口異動を伴う境界変更一覧ですが、
2010(H22)国調まで市区町村の境界変更一覧という形(PDF)で存在を確認しておりますが、
2015(H27)国調では見あたりません。

CD収録一覧の6コマ(参考)に
10 都道府県間境界変更一覧
11 市区町村合併情報
とあってそのあたりに記載があるのかもしれませんが、統計表(CD収録)には含まれていないようなので、
冊子媒体付属のCDを確認しなければならないのでしょうか???
[99106] 2020年 1月 22日(水)19:39:46ekinenpyou さん
Re:「動物名の入った市区町村」リニューアル
明治の町村制以前の町村名は除外という点は理解しているのでログに残すか迷いましたが・・・

[99097] グリグリさん
T7.2.1に既に北海道一級町村制が施行されていた室蘭郡室蘭町と合併した千舞鼈村は恐らく
爬虫類に該当はしませんね・・・

参考
市区町村変遷履歴情報 都道府県別一覧【北海道】
漢字辞典オンライン【鼈】
[99102] 2020年 1月 21日(火)19:05:31ekinenpyou さん
1947(S22)年の沖縄群島(本島)地方における市町村別人口について
表題の件、連日の投稿で恐縮ですが(以前投稿を予定していたものなので)別にしておきます。

[84957] hmt さん
仮に 1947年10月又は12月に国勢調査[40016]が実施されたとしても、みなと村の地域は含まれないことになりそうです。
しかし、みなと村分立(1947年5月)前の真和志村は、人口3万人以上の村であった可能性が大きいように思います。


沖縄県公文書館の所蔵資料に当時の市町村別人口調査結果がいくつか記載されていることを
確認しておりますので下記にリンクを示しておきます。

沖縄民政府当時の軍指令及び一般文書 5-3 1947年
240コマ 警察署管内人口調査表 1947/9/10
(S22.6.30現在とあり、246コマに警察署名称管轄地域も別途記載)
272コマ 1947年7月分人口動態報告 1947/9/27
(S22.6末および7末の市町村別人口、警察署調査のものと少々差異あり)

沖縄民政府当時の軍指令及び一般文書 5-4 1948年
86コマ 12月分人口動態調べ 1948/2/12
(S22.11末および12末の市町村別人口)

[84953] 白桃 さん
沖縄については、1947年の国勢調査に相等する人口調査はなく、1950年については「琉球列島軍政本部」に、1955、60、65、70年については「琉球政府」によって行われた人口調査の数値です。(従って、特に1950年に3万人以上を記録した具志川、真和志の1947年時の人口がどれぐらいであったか知りたいものである。)


国勢調査ではありませんのであくまで参考ですが前述S22.7末と11末のデータをいくつか並べると下記の通りです。

具志川 32,789 → 33,304

首里 17,908 → 17,864
真和志 12,458 → 12,840
那覇 11,919 → 13,593
みなと 7,283 → 7,086
小禄 11,314 → 11,913

※S25.8那覇へ合併
みなと村を除く周辺地域の那覇市への合併沿革はこちら
[99095] 2020年 1月 20日(月)19:00:09ekinenpyou さん
明治期以降、全国の市区町村数が最も長く変動しなかった(合併が無かった)期間についてなど
少々久々なのでウォーミングアップを兼ねて簡単な小ネタ(雑学?)などを投稿しておきます。
(過去にも話題になったかもしれません・・・)
タイトルの件、明治期に比べると市区町村数もどんどん減少しているので単純な比較は意味がないかもしれませんが
都道府県の市区町村数などをもとに調べてみると・・・

S54.2.1S59.12.1の2130日(3,278市区町村で変動なし)】

あたりが該当すると思われます(違っていたらすみません)、昭和の末頃の記録ですが平成の大合併などもあり恐らく?
現在でも破られていません。
しかしながらH26.4.5~現在まで市区町村の増減を伴う合併は行われておらず(1,741市区町村で変動なし)、
R2.2.4にはその継続状態が2131日となる見込みで記録更新は時間の問題と思われます、
その後はいつまで継続日数が伸びるでしょうか・・・

これだけだと寂しいので役に立つかどうかわかりませんが、以下おまけ

[98720]グリグリさん
で、差し引きすると1つ余ると思いますが、岩舟町を入れていました。^^;
駅データ.jpを使ってざっと確認したのですが、合併反映や廃駅などのデータ精度が今ひとつのようでした。

当方では当該データを精査しておりませんが、事業者のサイトの所在地も
下都賀郡岩舟町大字静和2143
のままなので、そういった内容が稀に含まれているのは仕方ないと思われます。
(データの多くが無償提供されているだけでもありがたいでしょう)

もしより精度の高いものが必要であれば、配布データベースをご自身で再度チェックして
誤りを修正したものを作成しておくとよいと思います。(以下、作成方法の一例を示します)

現状は駅データ.jpの仕様書(駅)の住所から市区町村を抜粋確定していると推測されますが、
緯度・経度の情報もあるのでこれをもとに住所に一括変換します。
(いわゆる逆ジオコーディングの方法は色々あるので解説は省きます)

得られた情報と駅データ.jpの駅住所を比較して市区町村で相違のあるものを※他の駅データベースサイトなどで確認
上記によりかなり精度は高まるはずですが、実際に地図や写真上で駅の位置を見てみるとどの市区町村を所在地と
するか悩ましい例もあり、新たに色々な疑問も湧きますのでそのへんはあまり深入りしないほうが良いです・・・
(事業者の届け出る駅住所には基準が一応ある程度存在するのですが、細かい説明は省きます)

※所在地の変遷情報に詳しいサイトには都区内全駅ガイド平成の大合併前・大合併後の各駅所在地変遷早見表
ありますが、こちらの駅のような最近の所在地変化にはまだ追従していないようなので、
Wikipediaの駅所在地情報などでも良いです。
[98106] 2019年 7月 11日(木)18:50:45ekinenpyou さん
Re:南房総市(南三原)、都道府県の人口・面積・人口密度など
[98096]伊豆之国さん
「南三原」は「みなみはら」で一つの地名か、と言うのではないようで、近所に「下三原」「中三原」「上三原」と言う地名があるので、この辺り一帯を「三原」と呼んでいたと推測され、「三原地区の南にあるから『南三原』か」、と考えられそうです。「市区町村変遷情報」を見ると、明治の町村制施行時に「朝夷郡(→安房郡)」に「南三原村」と「北三原村」があり、その「南三原村」を見ると、「上三原村(微)」と、南三原駅がある「松田村」の名があり(上三原村の本体は「北三原村」に。「下三原」「中三原」は見えず、後に分割・統合によりできた大字か?)

南房総市の地名「三原」の変遷履歴などはおおむねその通りと思われます、見事な推理でした。
【参考】千葉県安房郡誌(南三原村)

少し補足しておくと1877(M10)に中三原村&下三原村&沼村が合併(※1)し
御原村(実用帝国大字辞典(M36.3)左下での読みは「みはら」)となり、1889(M22)の合併時は南三原村(大字御原)
でしたが、その後(明治末期?に)江戸期より長らく使っていた(中三原・下三原)へ再度変更(※2)しているようです。

※1 千葉県甲号布達、M10.3.30甲第48号(96・98コマ)で郡誌記述と一致している点確認済
※2 郵便区画市町村一覧(M35.5)(真ん中下の方)と最近市町村明覧(M45.2)(右下)で大字名に違いあり
はっきりした変更年月日は不明ですが、今昔マップのM39.6.30発行地形図では御原ではなく中三原・下三原の表記

次に[98087]グリグリさん関連
総務省統計局・日本の長期統計系列の都道府県別人口、面積、人口密度について初心者向け補足

都道府県別面積(1-11)
北海道の(S15)までの面積(88454.09および88775.04)は千島列島の全域を含むもの
【参考】全国市町村別面積調(S10)北海道庁統計書

都道府県・市部・郡部別人口,人口密度,人口集中地区人口及び面積(2-7)
鹿児島県のS22人口・面積は1746305・9170.97ですが人口密度は(単純に割った)190ではなく223になっている。
(理由の説明は不要と思いますが、S22に国調が行われなかった沖縄・奄美の人口については後日関連投稿を検討中)

※その他、解説にもありますが、沖縄県における国勢調査は1950/1955/1960年の3回は10月1日ではなく
12月1日が調査日となっております。

【おまけ】臨時北部南西諸島政庁公報44号(1948.9.5)の2コマ右下に選出市町村長名簿(1948.6.15)があり、
若年で当選した首長の一覧に記載のある大島郡東天城村の重村一郎さん(当時の現職)の他、
宇検村と西方村(現在の瀬戸内町)にも20代と思われる村長2名(新人)が記されていました。(任期などの詳細未調査)
[97639] 2019年 4月 19日(金)18:52:55ekinenpyou さん
日本の有人離島(H27国調人口・関連小地域境界データなど)をGoogleマップに表示したものを公開
拙稿[96941][96961][96946]グリグリさんなどに関連する投稿です。

タイトルの件、完璧ではありませんがひとまず作成完了したので公開します、
地図上に表示(掲載)対象とした有人離島は法対象303+1=304・法対象外111※の合計415です。
(本州、北海道、四国、九州、沖縄本島の5つを除く)

北海道地方(北海道)

東北地方(宮城・山形)
関東地方(千葉・東京・神奈川)※伊豆・小笠原諸島を含む
中部地方【01】(新潟・石川)【02】(静岡・愛知・三重)
近畿地方(滋賀・兵庫・和歌山)
中国地方【01】(島根・岡山)※香川県直島町の井島を含む【02】(広島)【03】(山口)

四国地方【01】(徳島・香川)【02】(愛媛・高知)

九州・沖縄地方【01】(福岡・佐賀)
同上【02】(長崎a)西彼諸島など・平戸諸島(長崎市・佐世保市・諫早市・西海市・時津町)
同上【03】(b)平戸諸島(平戸市・松浦市・小値賀町)
同上【04】(c)壱岐・対馬
同上【05】(d)五島列島(五島市)【06】(e)五島列島(新上五島町)
同上【07】(熊本)【08】(大分・宮崎)
同上【09】(鹿児島a)奄美群島を除く【10】(b)奄美群島
同上【11】(沖縄)

※法対象外の有人離島ついては一覧が示されている資料が見つからなかったため、推測による不確定なものと
なっておりますのでご注意ください。
参考資料(H30.4.1現在)では法対象外112となっており1島のみ不足しているだけのように見えますが、
他にも(互いのリストに共通して存在しない島があるなど)相違点が存在している可能性があります。

地図の見方については見ただけでおおむね理解できると思いますが以下、簡単に補足しておきます。
表示できる内容は有人離島一覧(地図上で赤枠境界表示)と、島の領域が含まれるH27国調小地域一覧
(地図上で黒枠境界表示、有人離島領域外も含むため初期設定では非表示)の2種類があります。

島名の先頭に「*」がついているものは法対象外の有人離島です。
島人口(H27国調)のうち、(国調の)小地域単位で集計が不可能だったもの
(基本単位区レベルでの確認を要したものなど)は備考にその旨を記しました。

島の位置や地形に関しては地図で見る統計(統計GIS)の境界データをもとに簡単に加工しただけなので、
地形が大ざっぱだったり位置がずれているなど明らかに不自然なものがありますが(一部の例外を除き)現状は
未訂正です、ご了承ください。
[97584] 2019年 3月 22日(金)18:59:54ekinenpyou さん
人口集中地区(S35・H27)とニュータウンの位置をGoogleマップ表示(全国版)したものを公開
[97583]YTさんにもある通り、Googleマップが色々と話題になっている?ようですが
拙稿[97574]のおまけとして、1960(S35)年と約半世紀後2015(H27)年のDIDおよび、
※ニュータウンの位置関係を示した簡単な地図も作成しておいたので
(あまり役に立たないと思いますが)ついでに公開しておきます。

※元データ国土数値情報(ニュータウン)

地図の見方についての説明は省略、ニュータウンの地区名など少々冗長だったり、位置が明らかに
不自然なものがありますが致命的な文字化けなど以外は訂正しておりません、ご了承ください
(面積1haについては0.01km2へ換算表示)

北海道

青森岩手宮城秋田山形福島
茨城栃木群馬埼玉千葉東京神奈川
新潟富山石川福井山梨長野岐阜静岡愛知三重
滋賀京都大阪兵庫奈良和歌山
鳥取島根岡山広島山口

徳島香川愛媛高知

福岡佐賀長崎熊本大分宮崎鹿児島沖縄

原典「全国のニュータウンリスト」はこちらでエクセルファイルが配布されていますが、
国土数値情報とは少々内容が異なっております。
なお当該ページの説明にもある通り、リストは漏れなどがあり不完全なものですから(正確性については)
地図をご覧になると色々と疑問が生じると思います、したがっておまけ程度の扱いとお考えください。

【参考】本リストにおける「ニュータウン」の定義(抽出条件)について(以下一部抜粋)

条件1 昭和30年度以降に着手された事業
条件2 計画戸数1,000戸以上又は計画人口3,000人以上の増加を計画した事業のうち、地区面積16ha以上であるもの
条件3 郊外での開発事業(事業開始時にDID外であった事業)


条件3より既成市街(事業開始時にDID内)の再開発などは除外されるようです。
※都市計画・用途地域などについては、補足投稿を近日予定しております。
[97580] 2019年 3月 18日(月)19:00:33ekinenpyou さん
Re:自治体の広報メディアのリニューアル
[97569]グリグリさん

公式HP内の1メニューを拾い出しているためリンク切れが頻繁に発生したり
こうしたリンク集については鮮度?を保つためのメンテナンスが大変そうですね、(必要以上に)何度も細かな
指摘をするのは控えたいと思いますが、以下をお時間のある時にでもこっそり更新しておいていただければ・・・

広報・公聴-大河原町
大河原町 例規集(内容現在 平成31年1月31日)

【おまけ参考】リンク切れチェックツールなどを使うとわかりやすいのですが、
httpsへの対応など?で転送(中継)だけを行うようになったと思われるURLもあるようですね。
(以下具体例、一部説明のためテキストリンク機能は使わずURLそのままで示します)

http://www.town.shichikashuku.miyagi.jp/
↓転送
https://town.shichikashuku.miyagi.jp/

http://www.town.shichikashuku.miyagi.jp/town/gyosei/reiki_int/reiki_menu.html
↓転送
https://town.shichikashuku.miyagi.jp/town/gyosei/reiki_int/reiki_menu.html

上記の場合は転送元は定型URL→転送先は準定形URL(地域型ドメイン)(URL)という分類になる?
[97578] 2019年 3月 16日(土)19:18:11ekinenpyou さん
Re:国勢調査データ 改め 国勢調査人口増減ランキング ほか
[97576]グリグリさん
メンバー紹介編集の件、早速のご対応ありがとうございました。

ところで、以前、当サイトの参考情報に掲載させていただいていた「鉄道旅客輸送統計【懐古編】」のURLがリンク切れになっていましたのでリストから削除しましたが、新しいURLを教えていただければあらためて掲載したいと思います。ご検討をよろしくお願いいたします。
お気遣いありがとうございます、当方作成のサイトはサービス終了のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズなどに伴い
更新&公開を停止しております。(ネットアーカイブで一部見られるようですが・・・)

現状HTMLファイルなどの保存はローカルPCに行っており、それらを1つの圧縮ファイルにして
(googleドライブなどの)オンラインストレージにアップロードしたものを提供することは可能です、
必要な方に対してはメールで対応したいと思いますのでご申請ください。
(共有ファイルのURLをお教えしますので、各自ダウンロードしてローカルPCで閲覧していただく形になります)
[97577] 2019年 3月 16日(土)18:44:59ekinenpyou さん
長崎県 西彼杵の島々について
hmtさんの少し前の投稿([97534][97554])関連ですが、当方からもコメントしておきます。

長崎市のページによると、中ノ島炭坑が稼働したのは 明治16年から明治26年まで(1883-1893)でした。
当時の※長崎県統計書(M22&23)の島嶼ノ戸数から中ノ島・端島の人口を推測できます。
(両島とも1戸あたりの平均人員が非常に多いのが特徴)

(後年の明治期統計書に島嶼人口データが無く)いつごろまで中ノ島に常住者がいたかは定かではありませんが、
だいぶ時代が進んで長崎県統計年鑑第2版(S28)土地【第12表】島しょでは確かに無人島になっています。
(シート3枚目(2)単一市町村 (常住者のいない島) の西彼杵郡→高浜村→中の島0.033km2)

※端島を高島村所属としているが恐らく高浜村が正当、町村制施行前の長崎県統計書(M20&21)での誤り?を
引継いだものと思われますが、端島 (長崎県) - Wikipedia(行政区域の変遷)に

江戸時代は幕府領の彼杵郡高浜村に属していた。ただし前述のように境界をめぐる争論があり、1773年(安永2年)に「幕府領・佐賀領とも端島に干渉しない」とされ、帰属先は定められていない。1889年(明治22年)4月1日の町村制施行により西彼杵郡高浜村端島名となる。

ともあったので、町村制施行前の所属村名については若干ながら不確定要素あり
(中ノ島は高浜村で間違いないので端島も位置的に同村所属が妥当と思われますが・・・)

推測ですが、「大字端島名の区域」は、有人島の端島の他に 無人島の中ノ島を含んでいたのではないでしょうか。
「大字端島名」がいつ頃成立し、どのような区域だったのかまでは調べていませんが、両島が所属していた
高浜村は単独での町村制施行ですから、中ノ島・端島は従来は(大字ではなく)別々の字だったようです。
【参考】
郵便区画町村便覧(M25.4)(左側に高浜村字中ノ島・字端島がある)

西彼杵郡現勢一班(T15)(右上の高浜村大字及び郷には明記なし、島嶼部の地名掲載省略?)

横島(長崎市香焼)

香焼島南西の同島と反対方向(北東)には蔭ノ尾島という小島もありました。([57361]hmtさんで少し言及あり)
【参考】消えた島 ~ 長崎市 蔭ノ尾島 アトリエ隼 仕事日記

こちらも中ノ島と同様に前述の長崎県統計書(M22&23)の島嶼ノ戸数では有人島だったようですが、
長崎県統計年鑑第2版(S28)土地【第12表】島しょでは無人島として区分されているようです。
(シート3枚目(2)単一市町村 (常住者のいない島) の西彼杵郡→香焼村→陰(原典は蔭?)之尾島0.112km2)

なお香焼島は町村制施行前に香焼村→M22.4.1深堀村(合併)M31.7.1香焼村(分立)以下略という所属村名ですが
蔭ノ尾島は長崎県統計書(M20&21)で香焼島と同じ香焼村ではなく、所属は深堀村で異なっており
後の香焼村深堀村の領域から推測すると香焼村所属の誤りなのかもしれませんが、町村制施行前の所属村名に
不確定要素がある点は端島と似通っています。

【おまけ蛇足】
[97521]YTさん
「有効桁数」が1桁に過ぎない、どころか1という数字で割るという行為により1桁目すら怪しいことを考慮すれば、そもそも人口密度が正確に5万人/km2以上だったのかも怪しいのですが
転じて、実態上の面積が0.1km2を下回っていた激レア?な人口集中地区がもしあった場合、
人口密度は5万を大きく上回ることもあるという事ですね・・・
[97574] 2019年 3月 15日(金)18:46:24【1】ekinenpyou さん
人口集中地区(DID)境界図の時系列Googleマップ表示(全国版)公開
タイトルの件、とりあえず作成完了したので公開します。

北海道 【1】【2】【3】

青森 【1】【2】【3】・岩手 【1】【2】【3】・宮城 【1】【2】【3】
秋田 【1】【2】【3】・山形 【1】【2】【3】・福島 【1】【2】【3】

茨城 【1】【2】【3】・栃木 【1】【2】【3】・群馬 【1】【2】【3】・埼玉 【1】【2】【3】
千葉 【1】【2】【3】・東京 【1】【2】【3】・神奈川 【1】【2】【3】

新潟 【1】【2】【3】・富山 【1】【2】【3】・石川 【1】【2】【3】・福井 【1】【2】【3】
山梨 【1】【2】【3】・長野 【1】【2】【3】・岐阜 【1】【2】【3】
静岡 【1】【2】【3】・愛知 【1】【2】【3】・三重 【1】【2】【3】

滋賀 【1】【2】【3】・京都 【1】【2】【3】・大阪 【1】【2】【3】・兵庫 【1】【2】【3】
奈良 【1】【2】【3】・和歌山 【1】【2】【3】

鳥取 【1】【2】【3】・島根 【1】【2】【3】
岡山 【1】【2】【3】・広島 【1】【2】【3】・山口 【1】【2】【3】

徳島 【1】【2】【3】・香川 【1】【2】【3】・愛媛 【1】【2】【3】・高知 【1】【2】【3】

福岡 【1】【2】【3】・佐賀 【1】【2】【3】・長崎 【1】【2】【3】・熊本 【1】【2】【3】
大分 【1】【2】【3】・宮崎 【1】【2】【3】・鹿児島 【1】【2】【3】・沖縄 【1】【2】【3】

各都道府県【】内の年代は【1】S35(沖縄45)~50【2】S55~H7【3】H12~27です※
地図の見方については従来通り、拙稿[97545]をご覧ください

東京都特別区部の所属未定地域など元データ(国土数値情報)に存在しない人口集中地区がごく稀にあります。
(上記ケースでは連合人口集中地区の人口・面積に計算相違が生じたものあり)

なお、元データの誤りについては(明白なもの※でも)現状未訂正なので、
[97499]YTさん他の指摘事項などについても当然ながら未反映です。

※H27長野県松本市DID1の人口は138,658・面積は30.02が正当など(元データは同市DID1&2合計値を誤記と推測)

以上のように把握済みの問題点も残されているため、今後は必要に応じ修正可否を検討し、
可能であれば対応するかもしれません、本件に関するご指摘については随時受け付けますが、
掲示板投稿を見落とすおそれもあるので、可能であればメンバー紹介欄のメールアドレスへもご連絡ください。

(メンバー紹介編集でメールアドレスを入力しようとしたのですが、「不正なアクセスです」と
表示されてしまい編集画面に進めませんので、編集できるようになり次第後日対応します・・・)
[97545] 2019年 2月 23日(土)07:58:59ekinenpyou さん
人口集中地区(DID)境界図の時系列Googleマップ表示について
少し間が空いてしまいましたが、拙稿[97512]の続きです、
国土数値情報人口集中地区データから作成したサンプルを示します。
北海道の人口集中地区時系列表示・その1【S35~50】その2【S55~H7】その3【H12~27】

※S35~H27の12年代を全て1つの地図にすると非常に重く見づらいので3分割としました。
(S35~50・S55~H7では最新H27の領域を参考として黒枠で表示)

初期状態では1つの年代のみ表示状態なので(非表示の)別の年代をご覧になりたい場合は
必要に応じ左側メニューのチェックボックスをクリックしてオンにしてください
(複数の年代を同時に多数表示させると描画が重く見づらくなるかもしれません、ご注意ください)

だいたいは見ただけで理解できるはずですが、一部国土数値情報に無い項目などが含まれますので
一応下記に簡単な補足説明をしておきます。

・タイトル番号(通番)のカッコ内は連合人口集中地区ではない人口集中地区を親番号のみ、
連合人口集中地区では親番号-子番号として順に付番したものです。
・項目末尾の(*)は人口密度など国土数値情報から計算したもので、国調データと若干異なる可能性があります。
・面積右側カッコ内の数値はGISソフト(MANDARA ver9.41使用)で測定した面積との差分です。
例)H27の札幌市中央区1 22.97km2(-0.20)とある場合、22.97km2はH27国調データなどと同じ値の面積で、
GISソフトでの測定面積は22.7665km2(約-0.20の22.77km2)です。※

地図で見る統計(統計GIS)の境界データではGISソフトでの測定面積が22.78558km2(約22.79km2)と
なります、国土数値情報と似通っているように思われますが全く同じものではありません。
(下記部分引用記載の内容が関係しているかもしれませんが断定はできず)

国土数値情報人口集中地区データの作成方法
総務省統計局発行の「我が国の人口集中地区」もしくは「国勢調査の統計地理情報」を基に、地域境界線については、国土数値情報行政区域データに合わせて修正を行った。属性は、「我が国の人口集中地区」より取得した。

人口集中地区境界図について
人口集中地区境界図は国土地理院発行の5万分の1の地形図を基図とし、その上に人口集中地区の境界データを重ね合わせて作成したものです。

人口集中地区の境界データの基になった地図は、各種の縮尺で作成された平成27年国勢調査調査区地図です。これら地図と5万分の1地形図とでは図法、精度等に差異があるため、人口集中地区境界図上の人口集中地区境界は、必ずしも調査区地図による同境界の位置を正確に反映しているとは限りません。また、人口集中地区境界は、国土地理院発行の地形図に合わせて都道府県・市区町村境界、河川、海岸線の一部を修正しています。


地図などの作成&公開にあたっては、事前に国土情報提供サイト運営事務局へメールで【参考サイト様】※を
例示した上で、同趣旨の内容を趣味的な非商用利用でネット公開することが可能かどうかお伺いしたところ
「出典を明記するなどした上であれば公開することが可能」と回答を得ております。
(データの使用許諾条件についてS35~H2の部分は明示がありませんが当面非商用利用に該当するとのことでした)

以上の内容で特段の支障が無ければ全国47都道府県の分も作成&公開する予定です。(目標はH30年度内公開ですが、
あくまで目安)仕様に関する要望・不明点などもしあれば(実現可否などはともかくとして)お伺いしたいと思います。

※H22・27については上記サイト様でも確認できますが、提供されたデータだけをそのまま表示するのではなく
参考・付加情報などを随時反映したり、色々とカスタマイズできる地図にしたいので当方でも別途作成します。
[97513] 2019年 2月 4日(月)19:02:51ekinenpyou さん
Re:昭和35年の北九州市人口集中地区と、昭和50年の横浜市連合人口集中地区に関する問題点
[97511]YTさん
資料価値の高い投稿ですね、拝見して気がついた部分を(補足もかねて)取り急ぎ以下に記しておきます。
(恐らくYTさんご自身ではおおむね正しい内容で理解されていらっしゃると推察しますが・・・)

投稿上の方、比較表タイトル行
都道府県 S35(S35/S40版) S35(S40/S45版) S35(差) S35(S55-H27版) S40(S40版) S35(差) S40(S45-H27版) S40(差)
正しくは表6・7列目のS40(S40版)とS35(差)が入れ替りS35(差) → S40(S40版)の順
また8列目のS40(S45-H27版)は恐らくS40(S55-H27版)が正当(S45 → S55)
参考・S45は全国1003・大阪府62(S50横浜市連合DIDのような集約漏れが原因?) → S55で全国1002・大阪府61

投稿最下部
昭和55年の横浜市連合人口集中地区の方は瀬谷区を除いた数値を採用
冒頭は昭和55年ではなく、昭和50年(S55横浜市連合DIDには同市瀬谷区DIDも含まれている)

※DIDの時系列推移(S35~H17)は[271]satoさん作成のエクセルファイルで確認すると非常にわかりやすいですね。
(ネットアーカイブ最終収集は2015/4/17付、現状ダウンロード可能なファイルは[96973]MIさん参照のこと)
[97512] 2019年 2月 2日(土)18:35:00ekinenpyou さん
Re2:初期の人口集中地区のデータの疑問点など
以下、追加で補足など記しておきます。
[97499][97507]他、YTさん
シェープファイルを地図上に表示する方法


上記件、人口集中地区の境域などを地図サイト上に表示させた当方作成のサンプルを2例示しておきます。
(H27・H22国勢調査の北海道における人口集中地区境界データなどをGoogleマップに表示)
※サンプルの閲覧期限などはありませんが予告なく削除することがあります、ご了承ください

【1】地図で見る統計(統計GIS)で配布されているKML(KMZ)形式をそのまま使用(元データはH27H22)
サンプルは【こちら】(作成所要5分程度)

非常に簡単な方法ですが、元データの構造上以下のような問題点もあります
・同じDID領域でも※複数に分断されているように見えると(左側一覧リストに)別々の項目として表示される、
例ではH27(苫小牧市DID1)が5項目の重複表示 ※地理院地図での表示状態も同様
・面積に小数点2桁より細かな数値が含まれている
前述例の地図でH27苫小牧市DIDの(赤色エリア)をクリックして左側に表示される面積が「33.159999800000001」
・H17より古いデータが未提供(地理院地図も同じ)

など諸々の問題があるので、(QGISなどの)GISソフトをお使いであれば次に示す方法が良いかもしれません。

【2】Shape形式で配布されているものを(GISソフトなどで)KML形式に加工して使用(元データはH27H22)
サンプルは【こちら】(作成所要15分程度、GISソフトMANDARAで少々カスタマイズしてKML形式で出力※)

GISソフトに関する知識が若干必要ですが前例で生じていた問題をまとめて解消可能、
国土数値情報人口集中地区データも上記と同じような方法で(Googleマップに)表示できると思います。
(もし必要でしたら当方でサンプル作成要検討)

※作成したKMLファイルは地理院地図でも(描画が少々重いですが)表示可能です。(詳細はマニュアル25コマなど参照)

【その他参考】Googleマップでマイマップを作成して共有する方法
DID(人口集中地区)の平成27年度版をGoogleマップで表示させる方法があれば教えてください

平成17年以降の国勢調査における人口集中地区の面積(小数点以下第2位で示されている)に関しては、個々の数字の合計が一致していない

上記は確かにおっしゃる通りです、なお当方で把握している点を1つ挙げておくと、(各都道府県の)
人口集中地区の面積はどの項目を選んで合計するかによって異なっており、そのあたりが関係しているの
かもしれませんが真相は不明です。(以下に実例を示します、元データはH27国勢調査の北海道)

795.73 北海道 人口集中地区(全体)の値(最終報告書も同じ)
795.75 市・町の人口集中地区面積を合計した値(札幌市235.5・小樽市23.42などを使用)
795.77 同上、ただし札幌市は区ごとの面積を合計した値(北区35.58などを使用)
795.79 個別面積を合計した値(札幌市北区29.05+5.4+1.12=35.57・小樽市19.44+1.72+2.27=23.43などを使用)

【おまけ蛇足】例年通り?平成30年全国都道府県市区町村別面積調(平成30年10月1日時点)が公表(H31.1.31付)
[97506] 2019年 1月 29日(火)18:48:48ekinenpyou さん
Re:初期の人口集中地区のデータの疑問点など
[97499][97502]YTさん
「正誤表」で対応できなかった修正が、次の国勢調査の報告書で修正されている例が色々あるみたいです。
こうした情報は貴重なもので(通常気が付かないので)、大いに参考になります。

あと、タイトル(人口集中地区)とあまり関係が無く恐縮ですが・・・
どっとうpろだ.orgにアップロードされた画像の閲覧(参照)可能期間は恐らくかなり短いので、
(掲示板のログなどで)画像参照用として使うのはあまり適さないかもしれません。

【参考】(Yahoo!知恵袋)
どっとうpろだ.orgは自動削除機能はありますか?
無料の画像置き場サーバを借りたいのですが良いサービスはご存知ないでしょうか?
[97500] 2019年 1月 26日(土)09:00:33ekinenpyou さん
国立国会図書館デジタルコレクション書誌情報の差分リストについて
以下、地理とは関連の薄い小ネタで失礼いたします。

下記2時点における国立国会図書館デジタルコレクションの書誌情報をもとに
資料種別が図書でインターネット公開となっている&いたものという条件で差分リストをExcelで作成しました。
平成30年7月1日時点(約35.5万件)と平成31年1月9日時点(約35.3万件)

※H30.7.1→31.1.9で削除されたインターネット公開資料(図書)は3,062件・追加は1,596件でした

差分リストについては知識のある方なら恐らく容易に作れますが、もし必要としている方がいらっしゃるようでしたら
配布も検討いたします、(どのような形で配布すれば適切かなど)本件についてのご意見をお伺いできれば幸いです。

【参考】2sc1815jの日記(国立国会図書館デジタルコレクションの公開範囲変動)

国立国会図書館(公式)や上記ブログの方などから具体的な差分情報が発信されていれば
そちらを紹介するだけで良かったのですが、最近のものはまだ見つからないようなので当方で差分を作成しました。
[97137] 2018年 12月 17日(月)18:58:57ekinenpyou さん
和田(玖須美)と川奈など
タイトルの件についても調べる時間があったので(あまり役に立たないかもしれませんが)一応ログに残します。
まず現在の伊東市域沿革ですが、下記サイトの解説が非常にわかりやすいです。

伊東市史だより第10号(町村合併の経緯)・伊東市史だより第11号(江戸時代初期の伊東)

以上を参考に和田(玖須美)と川奈近傍の地形図を今昔マップで確認すると、
いずれも明治期の集落中心は主に海沿いだったと推測

※伊能図も同様、アメリカ大図pdf一覧101熱海・三島(右下)
玖須美元和田という地名表記は戦前の地図に無く、明治の大合併以降しばらくは(大字)玖須美だったのかもしれません

次に伊東市のDID(人口集中地区符号2)人口(7,639人)の内訳は下記の通りです。
(出典は平成27年国勢調査小地域集計22静岡県)

大字・町名人口比率(%)
玖須美元和田253833.2
911.2
川奈501065.6

川奈駅周辺の空中写真比較(赤色はDID)(左側が2017年7月~8月撮影で右側が1961~69年)
約半世紀の間で特に駅南部の宅地化が顕著でS36に伊豆急が開通し駅ができた影響が大きかったと推測
(江戸・明治期からある和田&川奈の海沿い集落が拡大してこのDIDを形成したとは考えにくい)

【おまけ】
伊豆箱根鉄道(駿豆線)の駅所在地や開業日などはおおむね鉄道停車場一覧(T15)(右下)に記載の通りです

※田京・大仁は当時の資料鉄道局年報明治32年度(左上)でM32.7.17開業としており、
会社の沿革などもそれに倣っているが、官報の記述(左上中ほど)は17日開業免許状下付→19日営業開始
[97122] 2018年 12月 15日(土)18:49:32ekinenpyou さん
国勢調査の基本単位区・調査区など【補足追記】
連日の投稿で失礼いたします、拙稿[97106]の補足として少々変わり種の基本単位区(調査区)を紹介しておきます。

【滋賀県大津市の琵琶湖(基本単位区番号は156000990)】
H7国勢調査では名称が(水面調査区)になっていたが、H12国勢調査から名称が琵琶湖(当時の調査区番号は85.2.)
となり、(適切な分類かどうかはともかくとして)以降現在まで特別調査区(後置番号2)に分類されている模様

※調査区番号のうち後置番号のつけ方(番号自体が示す意味)はH7・H12で変更なし、出典はこちらのPDF3コマより
1980年から2010年まで、後置番号のつけ方は変わっておらず


以上を踏まえ、[97076]白桃さんにある
同じ大津市内でありながら、大津と瀬田のDIDが瀬田川によって分断されているのです。川がDIDを分断しているかどうかは、必ずしも川幅には関係しないようなので、それは仕方ないのですが、疑問に思うのは、1960年・1965年にDIDを有していた瀬田町が、1967年に大津市と合併をした後、1970年~1990年は同一DIDとなっていたという事実です。それが、1995年になぜ分離したのか。


上記の疑問に対する当方の推測を示すと・・・

H7国勢調査より従来の(調査区ベースの)DID画定方法から基本単位区等(調査区含む)をベースとして画定する方法に
変更したが、琵琶湖の基本単位区領域が広大で瀬田川の領域まで含んでおり、単一の基本単位区なのでこれ以上細分化
できず、かつ丸ごとDIDにするわけにもいかないので(やむを得ず?東西に)分離することにした。

※H2国勢調査以前のDID画定方法などについてはこちらのPDF11コマより一部抜粋
画定方法については、昭和35年国勢調査当時は調査区地図から方眼法といって縮尺の異なるトレシーングペーパーの方眼紙を用いて個々の調査区面積を測定、人口密度を推定し調査区を組み合わせて人口集中地区を画定していたが、平成7年国勢調査から地理情報システムを利用して人口集中地区を画定している。


【おまけ】大津市玉野浦(南部)地理院地図写真&DID領域(2008年4月~5月撮影とあり)とGoogleマップの写真
比較すると違いが明瞭です、H25.12.11に24時間営業のスーパーも開業したそうで、次回(2020年)の国勢調査では
(玉野浦南部の全域も)DIDに含まれるのでしょうか???
[97115] 2018年 12月 14日(金)19:01:26ekinenpyou さん
中郷と函南
村名になったのはいずれも明治の大合併(M22)より後ですが、伊豆之国さんと千本桜さんの間で関連する話題が
盛り上がっているので、いつごろからこの名称(地名?)が使われていたのか、簡単ですが少し調べてみました。

【その1・中郷】
大日本地名辞書 中巻 二版(右下中ほどの「中郷」)
現在(M40頃)は村名で三島駅(恐らく現在の三島田町駅)の南、狩野川に至る諸村を指す(指していた?)とのこと

※辞書読みはナカゴウだが明治大合併での村名はナカザト(右端)
伊豆国那賀郡(後の賀茂郡)にも中郷(左下)があり、区別のため読み変更?
(こちらの村名はナカノゴウM24.6.12告示で中川村へ改称)

三島市立中郷小学校の概要より(所在地は梅名453)
本校は、明治6年、八反畑村に中郷学校として開校しました。明治10年には梅名の現在地に移転し、成徳学校と称しました。昭和29年3月には三島市と合併し、三島市立中郷小学校となりました。


とのこと、田方郡中郷村誌(11コマ中ほど)中郷学校でもM6.5設立の記述確認
※12~13コマではM10.7梅名村に成徳学校を新築し中郷を分校とし、M19.3合併との記述があったので中郷小学校は
M10設立&開校と解釈しても良さそうです、学校幼稚園書籍館博物館一覧表. 明治14年(左端、成徳学校の設立年参照)

【その2・函南】
函南町立函南小学校の学校沿革より(所在地は仁田148)
明治6年6月20日
「第二大学区第一番中学区第八小学校函南学校」として大土肥妙高寺に開校
明治8年12月
現在地に伊豆地方最初の本格的学校校舎新築・落成


とのこと、大土肥妙高寺は現所在地より北の妙高寺付近と推測
学校幼稚園書籍館博物館一覧表. 明治14年(真ん中)函南学校設立年もM6なのでこちらは移転扱いらしい
田方郡函南村誌(36コマ~)でも同趣旨の記述確認(役場も当初学校内敷地にあった模様)

以上、(維新前の資料は詳細未調査ですが)明治の大合併よりも前に中郷・函南という名称が使われていた
具体例を紹介しておきます。(DID名称についてはどのあたりかわかれば便利だと思う程度なので、
個人的にはそれほどこだわりはありません)

[97107]伊豆之国さん
大場駅を含む旧中郷村の地域と、当時の函南村に属していた仁田・間宮などの地域がその当時から連続した集落を形成していたのかどうか


[97109]千本桜さんで
明治27年測量の地形図では、間宮、大場、中島、梅名の集落が繋がっているように見えます。

上記の通り説明されていますが、今昔マップで見ると時系列変化などがわかりやすいです。

※現在は大場・中島・梅名が三島市で間宮が函南町ですが、
大場と間宮は同じ(君沢郡)25学区だった時期があったようです。
(間宮は田方郡でM29郡再編まで学区が郡や村を跨いでいた)
その頃学校は大場村にあった(右中ほど)ようですが、前述函南村誌(39コマ)には
「M41.4中郷村大場尋常小学校にM14.5より通学していた間宮児童の委託解除、同時に函南小学校に収容」とあり、
中郷村誌(16コマ)によると「尋常小学校1村2校から1校に改めた」(大場は中郷に統合?)とありました。

【蛇足】巷で話題のネーミング先行例???
道の駅では「ゲートウェイ」って比較的名称に使われていそうだと思ったのですが、ここだけでしょうか?
※法律上はこちらも立派な鉄道駅ですが・・・
[97106] 2018年 12月 12日(水)19:08:21ekinenpyou さん
国勢調査の基本単位区・調査区など【多分初心者向け】
平成17年国勢調査小地域集計結果(鳥取県公式サイト)の用語の説明(PDFファイル)に
基本単位区番号や調査区番号をどのように決めているかについての解説が掲載されています。
(恐らく平成27年国勢調査でも全国的に同じようなルールだと思われる)

以上を踏まえ、平成27年国勢調査(小地域集計14神奈川県)の人口等基本集計に関する集計→男女別人口及び世帯数
基本単位区(14118横浜市都筑区~14204鎌倉市)をダウンロードし(実際のデータで)確認してみます。

今回は平塚市の久領堤という住居表示実施地域を選定、集計結果(一部抜粋)は下記の通りです。

基本単位区番号調査区番号人口集中地区符号総数(男女別)
11500010811.1. 11---
11500020811.1. 211394
11500030811.1. 31407367
11500040813.1. 11755322
11500051813.1. 21---
11500052811.1. 41---
11500060811.1. 5119109
11500070813.1. 311587
11500080812.8. 14848-

当該地域の(地図サイトで確認できる)街区数は7ですが、基本単位区の数は9(+2)存在しています。
前述PDFによると基本単位区番号の下5桁は基本単位区コードとなっており説明を一部抜粋すると

百位及び十位のけたは、各基本単位区に付す番号であり、街区が設定されている場合はその街区番号、それ以外の場合は万位及び千位のけたが示す地域ごとの一連番号となっている。

とあるので
基本単位区番号「11500010」(基本単位区コード「00010」)→街区番号1の領域
基本単位区番号「11500020」(基本単位区コード「00020」)→街区番号2の領域
以下略・・・といった具合に基本単位区の領域が設定されているものと思われます。

なお、基本単位区コードが「00051」および「00052」になっている箇所がありますが前述PDFによると

一位のけたは、通常「0」であるが、街区を分割して基本単位区を区画した場合、土地の区画形質等の変更により基本単位区を分割する必要が生じた場合などに、その分割番号として使用しており、「1」から「9」までの数字となっている。

とあり、街区番号5の領域(競輪場のある5街区)は2つの基本単位区に分割されていると推測されます。

また、集計結果一番下の基本単位区コード「00080」ですが、対応する調査区番号が「812.8.」となっており
前述PDFによると「.8」の部分は(調査区番号のうち)後置番号というもので

一般調査区、特別調査区及び水面調査区の種類を表す番号である。

とあり、後置番号「2~8」は特別調査区で「.8」は

8 おおむね50人以上の単身者が居住している寄宿舎・寮等のある区域

ともあるので、恐らく(街区番号8という意味ではなく)2街区北方にある独身寮の領域と推測されます。

以上より、住居表示実施地域では(調査区地図が無くても)基本単位区の領域をおおむね推定できることがありますが、
確証を得たければ調査区地図もあわせて閲覧した方が良いと思われます。

【参考】国勢調査における小地域統計の整備過程とその利用可能性
(PDF7コマに千代田区の一部地域の調査区地図がサンプルで示されています)

【以下、蛇足ですが実は本題かもしれない?】
久領堤の中で基本単位区コード「00030」(3街区)だけ人口集中地区符号がない(DIDではない)のは何故でしょうか?

Googleマップの赤線内のエリアは比較的狭い領域の住宅街でこの基本単位区だけで(久領堤の)
人口の半分近くが集計されているのですが・・・地図上でもDIDではないので統計データのミスではありません
[97099]ぺとぺとさんでも紹介されていますがこのあたり(人口統計ラボサイト内)がヒントになっているかも???

※恐らく水面調査区は無関係だと思われます、余談になりますが人口統計ラボで使われている地図の境界データは
地図で見る統計(統計GIS)の境界データだと思われますので水面調査区も領域表示などが可能です。
例・東京都中央区の水面調査区(町丁・字等名称が明記されていない場合でも分類コードが8154なら水面調査区)

以上、もう少し詳しく説明しておきたい点もありますが、不備などあれば必要に応じてコメントします。
[97086] 2018年 12月 8日(土)10:10:41ekinenpyou さん
Re:改称した自治体の例規集調査など
[97023]グリグリさん
ネットで得難い読み応えのあるリストで(しばらくの間眺めて)楽しめました、作成お疲れ様でした。
投稿後しばらく経ってからの指摘となり恐縮ですが以下、要訂正箇所(1個だけ)などコメントしておきます。

17 1955(S30).4.1 新設/改称 茨城県 稲敷郡 美浦村 新設/改称の記載なし
18 1955(S30).4.14 改称 福岡県 豊前市 改称:条例第10号

上記の市区町村変遷情報 詳細情報(稲敷郡美浦村への改称)の部分ですが
協議会名称・関連情報等に☆条例第10号:宇島市名称変更条例(昭和30年4月14日)へのリンクが
表示されているようです、正しくはこちら(宇島市から豊前市への改称)に表示されるべきかと思われます。

また、別の(個人的に)興味深い事例としては

9 1954(S29).1.1 改称/市制 奈良県 大和郡山市 改称/(市制):条例第30号

上記リンク先にある条例を一部引用すると

大和郡山町条例第30号
地方自治法(昭和22年4月法律第67号)第3条第3項の規定により、本町の名称を、大和郡山市と変更する。


ですが、これは恐らく【1】「大和郡山町を大和郡山市とする」条例で【2】「郡山町を大和郡山町とする」条例も
別途存在していた可能性があると思われます。(総理府の告示は【1】第267号・【2】第266号となり別々)

恐らく法律の解釈としては【1】のような(地方自治法第8条第3項の規定により手続きがなされる)場合でも、
同法第3条第3項の規定によると思われる条例も制定する必要がある(あった?)と推測
(市区町村名に変更が無い町村→市・村→町のような単なる市制・町制も名称変更との解釈?)

[97023]グリグリさんで示していただいたリストは市町村名に変更が伴う改称の例ですが、
単なる市制・町制の際に条例を制定し例規集に示しているものがあるかどうか探してみたところ、
宮城県の自治体で下記2件が見つかりましたので参考としてログに残します。

色麻村の名称を変更する条例(昭和53年3月10日条例第8号、色麻町例規集より)
富谷村の名称を変更する条例(昭和37年12月23日条例第11号、富谷市例規集より、町→市の名称変更条例は記載なし)

なおこうしたケースで条例を例規集に示しているものはあまり見かけないような気もしますので、解釈次第では
条例を制定する必要は無いのかもしれません、従って個別に例規集を確認する必要性は(面倒ですし)無いと考えます。

例規集への条例や告示の記載が自治体によってばらついています
拙稿[96995]でも類似の見解を述べましたが、おっしゃる通りかと思われます。

実態として、[97029]グリグリさん・[97040]にまんさんで言及されている読み替え(改正)条例については
ごく最近でも例規集に載っている(載せてしまった?)ものがあります。
例・那珂川町を那珂川市とすることに伴う関係条例の整理に関する条例

(条例や告示などの)例規集掲載基準は自治体ごと何らか存在するのかもしれませんが、実は明確な基準は無く
(周辺自治体の例規集を参考にするなどして)何となく載せても良さそうだと思ったものを掲載しているだけ
というのが事実なのかもしれませんね。

【以下蛇足】
即座に考え直すべき珍名「高輪ゲートウェイ駅」(JBpress)より引用
「高輪」と「ゲートウェイ」という、全く隔絶した2概念を合体させた名称が、たかだか6万の母集団の中で36通もあったというのは驚きです。


学術機関の専門の?方からも厳しいご意見がありますが、確かに統計(集計)結果は違和感があるかもしれせんね。
もっとも「高輪ゲートウェイ」という固有名(あるいはそれと非常に似通ったもの)が駅名公募前に
(既に誰かが考案していたなどで)ネット検索で表示されていたとかいう場合は
当然「全く隔絶した2概念」にあてはまらず、上記の説についても考え方が変わってきますが・・・

どうでもいいですが、(馬車鉄道などを含めると他にもあるかもしれませんけど)
純粋にカタカナだけの駅名元祖って釧路鉄道(M25開通)のカタカナ表記駅あたりでしょうか?
実は官報(左ページ真ん中上段)の駅名表記は前述資料などと比べると微妙に違っておりまして、
こうしたケースで駅名を一つに絞って確定するのは(専門の方でも見解が異なるので)難しい状況です・・・
[97032] 2018年 11月 25日(日)18:28:10ekinenpyou さん
人口集中地区などについて【初心者向け補足】
以下、分割投稿にて失礼します。
基本的な事柄の説明も含みますが、おさらいとして要点をまとめておきます。
まず、統計局ホームページ-平成22年国勢調査 地域区分に関する用語より引用

人口集中地区より
平成2年調査までは,国勢調査の調査員が担当する地域である調査区を基に設定してきましたが,平成7年調査からは基本単位区(リンク)を基にしています。


基本単位区より
通常,一つの基本単位区か,又は二つ以上の基本単位区を組み合わせて一つの調査区を設定します。ただし,世帯数の多い基本単位区については,これを分割して調査区を設定する場合があり,この場合は,基本単位区別の集計に加えて,各調査区についての集計も行っています。


【人口集中地区の領域・人口・面積などをおおまかな地図で確認する方法】

[97021]白桃さんでも紹介されていますが、
国土数値情報の人口集中地区データは一部(平成27年のものはまだ無いらしい)が
国土情報ウェブマッピングシステムにも登録されています。
(表示まで少々時間がかかる場合がありますが、しばらく待つと多分表示される)

サイトがブラウザに表示されたら左のツリーメニューから(基本地図の下にある)
表示地図→指定地域→人口集中地区→平成(22/17/12/7/2)年をチェックして設定反映をクリック(複数同時選択可能)
右側の地図画面をある程度拡大すると、設定反映した年の人口集中地区の領域が地図に着色表示されます。
(地図上で人口集中地区内をクリックすると人口集中地区符合・人口・面積なども確認することができる)

例えば[97019]白桃さんで取り上げられている腰越と鎌倉のDIDは[97025]千本桜さんにもある通り
現状(H27)ごくわずかな領域がつながっているだけですが、平成7年以降現状に近い領域になったらしく、
平成2年はもう少し広い領域(連担が明瞭)だったようです。(DID面積はH2→H7で27.6→24.1km2と縮小)

なお、都市計画区域内であれば参考ながら過去ログでも時折登場している市街化区域(H23/18)の領域表示も
可能ですので、地図で比較して大幅に領域が異なる箇所について小地域やメッシュ統計(地図で見る統計など)で
人口を調べてみると人口集中地区の領域設定に反映が漏れているのではないか?という疑問が生ずる
ケースが少々あるかもしれません。(準人口集中地区になっている領域もあると思いますが・・・)

【参考】市街化区域・市街化調整区域とはなにかわかりやすくまとめた
[97030] 2018年 11月 25日(日)12:24:28ekinenpyou さん
若年・女性首長
タイトルの件について記された資料を少し見つけましたのでログに残します。

毎日年鑑. 1947(昭和22年版)右上【知事・市町村長の異色】
茨城県真壁郡上野村長 赤城 ヒサ(原文は「ひさ」)さんの年齢43とあり
(当該資料は松野 友さんの年齢を36としており、数え年などが併用?されている可能性あり)

同上の左下、公選市長
三重県鈴鹿市長 杉本 龍造さんの年齢35とあり、新国会選挙大観も同様)
(リンク先Wikipediaに生年月日明記、長期間市長を務め地元では有名な方だと思われる)

また、[97012]hmtさん
この表では 千葉県安房郡神戸村早川村長の初当選が 1947年となっていますが、これはグリグリさんの 女性首長の一覧・冒頭説明にあるように、1948年が正しいようです


については上記が事実であるが、婦人年鑑(S24)の左下に婦人村長(S23.9末現在)として記載された4名をもとに
(=S22.4の選挙で当選した方という)憶測?によってリンク先にあるような

1947年、戦後最初の選挙で日本初の女性村長となった4人

という、(疑問の余地がある)解釈を表作成の参考とした可能性があるのではないかと考察

[97014]グリグリさんでも引用されていますが
当時の資料には性別が記載されていない
とありながら

1947年の町村長選挙で女性の当選者は5人

としている点が少々気になりました。
(女性当選者5人とする資料については具体的な名前が示されていないので確認できず)
[97013] 2018年 11月 20日(火)18:55:55ekinenpyou さん
Re:地名ではなく、温泉名だった「宝塚」など
以下、小ネタを投稿しておきます。

[97002]hmtさん
自治体名としての「宝塚」が出現したのは、宝塚市成立の約3年前、1951/3/15の町制/改称でした。
兵庫県川辺郡小浜村→宝塚町。
変遷情報を明治合併の 1889年まで遡っても、「宝塚」という旧村名は見当たりません。
「宝塚」が地名になったのは何時からか?


(察するに過去ログに言及が無いかもしれないので)自治体名ではなく、大字地名としての
「宝塚」のルーツを少し調べてみました。

宝塚温泉|宝塚温泉物語 第2章 宝塚温泉 その誕生より

大正4年11月には行政区画として宝塚町が誕生

とありましたので(原文は「ヽ」のある「塚」)、当時の官報をあたり
T4.11.13広告(右ページ真ん中下、大字新設)で

武庫郡良元村大字伊孑志村の一部を分離してT4.11.10より(大字)宝塚町を設置とありました。
(官報の大字に括弧がついておりますので、「大字宝塚町」ではなく「宝塚町」?)

改正新旧対照市町村一覧(T2)(右3段目)→最近検定市町村名鑑(T7)(右下)
比較により、良元村に「宝塚」が追加されている点も確認

なお、良元村のその他の大字が「村」まで地名表記に含めていた関係で?単なる「宝塚」ではなく
「宝塚町」が公称地名だったようです。
【参考】武庫郡誌(良元村)(左上)・付近の甲東村(左上)との双方の区画表記の違いに注目

[97012]hmtさん
岡田幾さんの年齢


[97002]でご紹介いただいたリンク先には生年月日1890(M23).2.22とありますから当選時の年齢はわかります。
(就任日は明記が無いですが、恐らく現職の宝塚市長と同じ年齢で就任??)
[97005] 2018年 11月 18日(日)16:39:12ekinenpyou さん
Re:地方公共団体の名称変更についてなど
[97003]ぺとぺとさんの投稿を受けて、地方自治法第三条と第七条・第八条の条文推移を対比再確認し
下記の点に気がつきましたので訂正を兼ねて投稿しておきます。

都道府県以外の地方公共団体の名称変更に関する法的根拠(法的効力が生じる根拠となるもの)についてですが
地方自治法第三条第3項の規定に基づく条例ではなく、第三条第7項の規定に基づく告示であると甚だ大胆な?
勘違い(誤解)をしておりました(=第七条8項・第八条3項と同じように解釈していた)、正しくは

[86677]むっくんさんより

(E)S27.9.1~現在

(3)廃置分合や境界変更、そして町村の郡変更において、国が官報に告示として掲載することで法的効力が生じるようになる。自治体名を改称した時場合については各市町村の条例で法的効力が生じる。

以上の通りと思われます。

したがって、拙稿[96993][96995]は前述の誤解を前提にした不適切な説明が部分的に多く含まれており、
例えば[96995]の 【少し長い補足】を(大幅に訂正し)差替えると下記の通りです。

【A】国の告示と【B】(地方自治法第三条3項に基づく)自治体の条例について

[83614]むっくんさんなどにもある通り、S27.9.1法改正施行以降は自治体名の名称変更(改称)についても
(地方自治法第三条7項により)国の告示が行われることとなったため【B】に対応する【A】が存在するが
法的根拠は従来通り【B】(地方自治法第三条3項に基づく)自治体の条例である。

なお、S27.9.1法改正施行前の鳴南市から鳴門市へ改称(S22.5.15)については、その旨
官報広告には(徳島県の名前で)掲載(4段目右側)されており、
同県の告示【A´】は別途存在している可能性があるが、同様に法的根拠は【B】条例になる。

上記に対し、※合併・編入などの廃置分合、町村→市・村→町などの処分については
地方自治法第七条7項または第八条3項の規定に基づく【A】国の告示がS27.9.1法改正施行以降は
(告示によりその効力を生ずる旨が明記され)法的根拠となっている。

※S23.1.1法改正施行以降、国の告示は存在していたが法的効力が生じるものではなかった。

また、[81869]むっくんさんなどにもある瞬間の市のような事例では、
町→市・名称変更が同日に実施されるが法的根拠は(国の告示と条例で)別々である。

大阪府三島郡三島町を三島市とする→地方自治法第8条第3項の規定による
町を市とする処分(例規集には【A】【A´】を記載、法的根拠は【A】自治省告示第145号)

同府三島市を摂津市に変更(改称)する→地方自治法第3条第3項の規定による
市の名称変更(例規集には【B】【A´】【A】を記載、法的根拠は【B】条例第26号)

以上のような解釈ですが、まだおかしな点などあるかもしれませんので、
ご指摘いただければ(修正コメントなどで)適宜対応いたします。
[96995] 2018年 11月 12日(月)18:52:01ekinenpyou さん
Re:市町村の漢字表記【その2】他
[96994]グリグリさんへのコメントを追加したため長文にて失礼します、拙稿[96993]の続きです。

【宝塚市の「塚」、なぜ「ヽ」があるの?】2015年11月28日朝日新聞デジタルより(以下、複数引用箇所の出典同じ)

市長印など公印のほか、市が発行する住民票などの証明書、市の広報誌を含め、公文書はすべて正式名

とのこと、調べてみると自治体例規集には公印や公文書に関する規則などがあり、公印については画像で
多数見られるので、いくつかリンクを示しておきます。(画像はおおむねページ真ん中より下の方)

葛城市公印規則葛飾区公印規則塩竈市公印規則四條畷市公印規則龍ケ崎市公印規則
袖ケ浦市公印規則茅ヶ崎市例規集(五十音の「こ」から茅ヶ崎市公印規則)・蓮田市公印規則五條市公印規程

[96969]スカンデルベクの鷲さんより
飛騨市例規集(第3編執行機関/第1章市長部局/第3節文書・公印→飛騨市公印規程)・逗子市公印規則蓬田村公印規程

[96972]右左府さんより
須恵町公印規程

以上より、公印使用の字体はおおむね予想の範囲内ですが、※飛騨市は「驒」を使っているとか、蓬田村は
1点しんにょう(JIS X 0213:2004における例示字形の変更非対応アプリで作成?)など少々変わり種もあるようです。
(宝塚市・梼原町は未確認、他にも面白いものがあるかもしれませんが未調査)

合併協定書も「驒」(3コマ、告示本文は未確認、22コマに合併した町村長の公印と思われるものあり)

なお上記リンク先画像の大半は恐らくどのような字体を用いて公印が作成されているかを参考程度に示したもの
(広義のひな型)であると思われます。(実物そのものだと字体がわかりにくいとか、偽造などを防止するため?)
実物は※曾爾村公印規程で示された画像のようなものと推測(こちらは実際の印影をスキャン作成?)

※例規集は曾爾村ですが正式名は曽爾村、公印の大きさによっては曽尓村長(画像14番)など「尓」という「爾」の
異体字を使用することもある模様、役場印(画像4番)は奈良「県」ではなく「縣」(かなり古くに作られたもの?)

また

法務局の場合、不動産や商業・法人の登記には、正式名を記載する決まりです。

 神戸地方法務局によると、提出書類の中には、宝塚市の塚の字に「ヽ」がない表記が多く見られるそうです。この場合、局側で「ヽ」のある字に置き換えて登記している

上記より住民票の住所表記や土地の不動産登記などに記される自治体名(市区町村までの部分)は
(当然ながら)同一字体に統一されているのが原則(好ましい)と思われます。
【参考】住所・本籍・土地・建物の所在の表し方(横浜市)

しかしながらやはり例外もあるらしく、[96982]グリグリさんによると※梼原町は現状住民票・戸籍は
「梼」であるのに対し、村を町とした告示や例規集の檮原町文書規程で示された
(町長署名欄がある)原本と思われる書式文例には「檮」が使用されています。

高知地方法務局でも檮原町とあり、不動産登記などは現状どちらの字体で行われているのでしょう??

最後に

市は国や県、他市町に対し、「ヽ」のつく正式な市名の使用を求めていません。このため他自治体が発行し、市に届く公文書は、常用漢字で「宝塚市」と表記されています。

上記のような運用・見解にしておくと、自治体成立時の法的根拠である国や都道府県の告示などが
仮に「塚」とあっても旧字の「塚」であると主張したい場合などに都合が良いような?気もするので

[96985]グリグリさんにある
正字体、旧字体、異字体、略字などの字体の揺らぎについては必ずしも明文化されないまま慣用的(暗黙的)に定着しているケースが多い


恐らく上記が(公印などの字体も表記揺れが見られますので)現状の実態をうまく表現していると思われます。

【少し長い補足】
【A】国の(自治体成立時)告示(いわゆる法的根拠)と【B】(地方自治法第三条3項に基づく)自治体の条例の違い

上記について妙高市例規類集より、具体例(と思われるもの)を以下に示すと
【A】市の名称変更(平成16年10月26日総務省告示第818号)
【B】市の名称変更に関する条例(平成16年7月1日条例第27号)

以上を踏まえ、[96994]グリグリさんで示された残りの例規集記載内容を分類すると・・・

【A】会津若松市・習志野市・みよし市(みよし町)【B】蓮田市・南幌町・日之影町・鳴門市
(何を典拠としているかは、国の告示か自治体の条例とおおむね本文他に書かれているので容易に判別できる)

[83614]むっくんさんにもある通り、法的根拠が国の告示になってからは【B】に対応する【A】が存在する。
(地方自治法第三条7項による)
例・日之影町(S31総理府告示第800号)、南幌町(S43自治省告示第34号)、蓮田市(H23総務省告示第1号)

上記の他、都道府県の告示【A´】も別途存在しているケースがある、
地方自治法の改正前は一部の廃置分合はこちらが法的根拠だった。
(鳴南市から鳴門市へ改称の場合も新設ではないので恐らく法的根拠は徳島県告示)

例規集では【A】【A´】【B】などをどの程度の範囲で掲載するかは自治体によって様々である。
(檮原町例規集のように何も掲載しないもの、蓮田市例規集などのように【A】を掲載しないものもあるが、
その場合でも当然唯一の法的根拠【A】または【A´】が別途存在する)

自治体において正式名の典拠を示す場合、(【A】【A´】とほとんど似たような条例の内容であっても)
【B】ではなく法的根拠【A】【A´】を示すことが主流であるように思われる。
(ただし【A】【A´】で自治体の主張する正式名と相違があるものが示されている場合は典拠として
【B】の原本などを示す可能性もある)

以上、少々長くなりましたが補足とします。
[96993] 2018年 11月 10日(土)14:51:25ekinenpyou さん
Re:市町村の漢字表記【その1】
本題の前に少々補足をします。

[96970]グリグリさん
「逗」「蓬」は1点しんにょうも2点しんにょうも文字コードが同じと思われ、表示環境(OS、ブラウザ、アプリなど)によってどちらの文字が表示されるかわかりません(私の場合、ブラウザでは1点しんにょう、エディタでは2点しんにょうの文字が表示されます)。「騨」「葛」「塚」については、表示環境によるぶれはなさそうです(古いパソコン環境では葛が葛城市のヒの表記になる場合はあると思います)。


例えば葛・逗・蓬・祁はこちらで示された168文字(JIS X 0213:2004における例示字形の変更)に含まれており、
対応環境では全てページ下部画像矢印右側の字体で表示されると考えていたのですが、
「葛」のみなど一部だけの対応になっている環境があるという点は把握しておりませんでした。
(なるべく字体が画像で表示されたページを示すなど、少し説明の仕方を工夫しなければなりませんね)

なお、自治体が正式名とする字体の根拠としては[96966][96977]グリグリさんにある
3 都道府県以外の地方公共団体の名称を変更しようとするときは、この法律に特別の定めのあるものを除くほか、条例でこれを定める。

自治体の「正式名称」は条例で定められている


上記の(自治体が定めた)条例本文の内容を根拠として説明に用いているケースは見あたらず、
国なり都道府県の(自治体成立時)告示で記された字体が根拠であるとしているケースが多いように思われます。
(以下[96956]グリグリさんで示されたリンクより一部抜粋)

葛城市(※総務省告示)・葛飾区(法的に見た「区名」の根拠、東京府告示)・龍ケ崎市(総理府告示)

以上を踏まえると、仮に自治体が定めた条例で告示と異なる字体が記載されていても、
やはり法的根拠である告示に記載されたものが有効(最優先)であるという解釈が主流と推測されます。
(ただし古くに法的根拠が示されただけの自治体は旧字体などをどの範囲で同一視して
新字体などに置き換えるか判断に迷うケースもあると思われる)

※當麻町を当麻町としているのは拙稿[96971]で告示文改変の疑いありとしたが、告示には確かに
当麻町とあり(適切なのかどうかはともかくとして)事実としては忠実に写しただけの模様
余談ですが、北葛城郡の「葛」は葛城市とは別の「葛」で葛飾区と同じらしい
【参考】新庄町・當麻町合併協議会(「葛」だけあえて画像で示されている)

【おまけ、旧字体の定義とは?】
[96976] 鳴子こけしさん
例えば砺波市・南砺市の「砺」の場合、常用漢字ではないため(常用漢字である「励」と同じ略し方でありながら)「砺」は「礪」の俗字・異体字という扱いとされています(拡張新字体といいます)。


上記はおっしゃる通りで、何でも安易に旧字体として良いかというとそういうわけではありません。

「壽」は「寿」の旧字体という表現は(恐らくおおむね)異議なし、
「檮」は「梼」の旧字体という表現は(人によっては)違和感ありといった具合でしょうか
(俗字・異体字あたりの表現が無難)

※ただし新旧字体表で示されたように漢和辞典等では常用漢字表外の漢字でも広義の旧字体と定義(区分)して
収録されている場合があり、もしかすると「檮」を「梼」の旧字体としている資料等があるかもしれません。

少し長くなったので、書き足りなかった残りは別途投稿します。
[96971] 2018年 11月 3日(土)10:21:12ekinenpyou さん
Re:テーマ型経県値についてなど
本題の投稿は後日としてひとまず別途コメントしておきます。
[96963][96965]グリグリさん

3.テーマについて
観光地、温泉、公園、遊園地、寺社、鉄道駅、建造物、テーマパーク、美術館・博物館、絶景、夜景、地酒、銘菓、名物等、都道府県ごとに抽出選定できるテーマを選ぶ。


できるだけ文句の出ない選定を目指すための拠り所として、著名サイトや書籍を許諾を得て引用する方法がありますが


観光地(テーマ)の定義があいまいですが、上記に該当する資料の一例としては観光資源台帳というものがあり、
国土数値情報の観光資源データにも一部が含まれています。(以下、内容の引用)

(財)日本交通公社が設置した「観光資源評価委員会」が検討・選定し作成した「観光資源台帳」に掲載されている観光資源のうち評価ランクがA級以上のもの、及び観光庁が保有する各都道府県の観光地点等に関する情報を整備した「観光地点等名簿」に記載されるものを統合したものである。


しかしながら、格付け云々の評価手法に関する疑問など、その他色々あると思いますので、
(繰り返しますが)あくまでも参考資料(観光地リスト)の一例ということでお考えください。
(本件において万人から異議の出ない選定というものはあり得ないと考えます)

【参考】観光資源の評価に関する研究
交通公社の新日本ガイド/観光資源評価台帳

[96966]グリグリさん
都祁村については奈良市に編入されて消滅したため、書体変更に関する公式HPなどでの確認ができません。


書体変更に言及したページがあったかどうかまでは不明ですがネットアーカイブでは
テキストの箇所は(示偏)で、画像の箇所は(ネ偏)でした。
(市区町村名の画数では過去の自治体構成も選択表示できるので、例示しました)
【参考】奈良市・月ヶ瀬村・都祁村合併協議会

梼原町の条例や宝塚市の条例では正式名の表記が使われていますが、葛城市の条例では「葛」のフォントが使われています。これは、Web上の表記の問題で、原本では正しく異字体の正式名が使われているのだと思いますが、このような認識で正しいのでしょうか。


どういったものが「原本」に該当するかは当方存じませんが(電子データ以外の手書き紙面媒体なども別途ある?)
下記のように當麻町を当麻町としているものなど、少々告示本文の字体を改変している?と思われるものも
それなりにあるというのが恐らく実態なのかもしれません。

奈良県北葛城郡新庄町及び同郡当麻町を廃し、その区域をもって葛城市を設置する
[96962] 2018年 10月 30日(火)18:56:17ekinenpyou さん
Re:新規雑学「市区町村名の画数」リリース
連続投稿にて失礼いたします、以下おまけの小ネタです。

[96956]グリグリさん
梼原町以外で同様の事例はあるでしょうか。


多くの方はご存知だと思いますが、字体を少し変えただけでわざわざ改称告示が出たのは珍しい?ので
類似例?を下記に示します。

埼玉県蓮田市
奈良県都祁村

なお「蓮」は康煕字典(右端)だと画数が更に・・・
【参考】表外漢字字体表
[96961] 2018年 10月 30日(火)18:49:50ekinenpyou さん
日本の島(有人島)について【続編その1】
拙稿[96941]の続きです。

【有人島の面積・国調人口などを調べる方法】
統計局ホームページ-統計FAQ 01A-Q04 日本の島の面積[85802]hmtさんでも紹介されていますが、
離島統計年報というものがあります。(国土交通省の資料出典にも採用)

なお、[85802]hmtさんで
最新版には当然2010年国勢調査結果も反映されているはずなのですが、掲載対象になっている「離島」は「離島振興法」など関係4法で指定された合計305島に限られています。


とありますが、2016離島統計年報利用の手引き(19コマ)を見てみると、実は法対象外離島のうち未指定離島や
指定を解除された有人島についても(附表という別の表に)面積・国調人口は掲載されておりますので、
(データが全く無い)未掲載の有人島はおおよそ30程度になります。(2015離島統計年報など過去のものも同じ)

【離島統計年報掲載の面積データに関する注意点】
前述2016離島統計年報利用の手引き(11&19コマ)には
面積は,国土交通省国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調(平成27年10月1日)等に基づく数値である。


とあるのですが、例えば網地島(宮城県石巻市)はH27.10.1面積調(105コマ)が6.49km2であるのに対し
前述国土交通省の資料(2016離島統計年報準拠)では6.80km2で、これはH25.10.1面積調(127コマ)と同じです。
[87373]hmtさんにあるH26.10.1の面積データリセットなど、
新しいデータが反映されていないと思われる?箇所があるようです。

以上を踏まえますと、(面積調に無い)1km2以下の島面積についても同様の傾向があると思われますので
[96946]グリグリさんで示された下記データは少し古い年代の?面積なのかもしれません。
・大飛島(岡山県笠岡市)86人/1.05km2
・六島(岡山県笠岡市)80人/1.02km2
・小宝島(鹿児島県十島村)54人/1.00km2


少し追跡調査をしてみたところ、
小宝島はH25.10.1面積調(134コマ)では1.00km2、H26.10.1面積調(109コマ)未掲載
【参考】十島村役場公式サイト(小宝島概要)では0.98km2(2017年12月9日時点のページでは1.00km2だった)

大飛島・六島はH16.10.1面積調(184コマ)で既に未掲載
【参考】しまっぷ岡山県では

※面積は、六管区本部が独自に計算した、あくまでも参考値です。

とありますが、大飛島0.97km2・六島0.91km2でした。

以上、長くなってしまったので人口データに関する補足説明などは後日続編その2を別途投稿したいと思います。
(実は謎々の答えがまだ残されており面積関連の解説も兼ねます)
[96944] 2018年 10月 21日(日)18:56:19ekinenpyou さん
Re:永田町の富士見坂など
同日複数分割投稿にて失礼いたします。
[96931][96934]hmtさん・[96933]MIさん
あまり詳しくありませんが、少しだけ・・・

千代田区の坂(3)~平河町・麹町方面 には 地図リンク もつけられていますが、説明文を見ると【標識なし】と記されています。

都区内坂道の標識設置状況については区によって対応に差があるようです。(下記参考)
はまだより・坂道
東京における坂道の標識

話を永田町の富士見坂に戻すと、この坂は 赤坂見附と三宅坂との間に位置するわけですが、明治16-17年の五千分一図には、まだ姿を見せていません。

東京の坂道に関する参考文献から明治20年代前半の資料東京地理沿革誌(M23.4)を見てみると
(現在のものと同じ坂かどうかはわかりませんが)ページ左側にそれらしき坂名の記載・解説がありました。
[96941] 2018年 10月 21日(日)12:19:14ekinenpyou さん
日本の島(有人島)について
[96929]拙稿にて離島航路について記しましたので、過去ログと重複する部分も多々ありますが、
あらためて日本の島(有人島)について簡単にまとめておきます。

【主要な有人島への交通手段などをまとめたサイト(少々情報が古いですが)】
日本の島 主な有人島について 交通 アクセス 案内
(上記サイト様の案内ではWeb公開は2019.3末までとのこと)

【有人島の数・一覧を調べる方法】
どのような基準で島とするか、有人・無人の判定については
日本の海と島(hmtマガジン)などでも過去にしばしば取り上げられていますが
一応、島の数は毎年度ごと?分類された内訳が国土交通省から公表されています。
(少し古いですが)新たな指定基準に基づく離島振興対策実施地域の見直しについて(2コマ)
H25.4.1現在(有人島418・無人島6,429の計6,847・本州、北海道、四国、九州、沖縄本島の5つを除く)

このうち、[96903]hmtさんで紹介されている離島振興対策実施地域の254島に加え、
法対象外離島113島のうち未指定離島22島の一覧については
指定離島・未指定離島一覧(PDF)と同一と思われます。
※未指定離島一覧に23島ありますが沖島(滋賀県近江八幡市)が追加されている(22+1島)

なお、(法対象外離島113島のうち)架橋等91島の一覧を国土交通省で示した資料は
残念ながら見つからなかったのですが
有人離島一覧(離島経済新聞)に示された島々が前述254島&22+1島と恐らく共通しており、
(沖島を除くと)ちょうど418島あるようなので、(残りの)架橋等91島についてもほぼ把握可能と思われます。

※島名をクリックするとH22国調人口と面積もおおむね記載、ただし(架橋等91島については)
国土交通省で示されたものと全く同一内容であるという保証は無いのでご了承ください。

一例として、[86248]hmtさんで示された高島(徳島県鳴門市)の記載が無く、
沖縄県の離島関係資料(各年)の島しょ一覧(面積0.01km2以上、PDF9コマ)などに記載が無いと思われる
瀬長島(豊見城市)が含まれており、恐らくこの手の分野でメジャーな日本離島センターの各種出版物などを
参考に推測しているのかもしれません。

H25.4.1以降現在までの(有人島・無人島数の)変化は恐らくごくわずかで下記の通り(無人島が3増加)
H30.4.1現在(有人島416・無人島6,832)
※(離島振興対策実施地域追加で)沖島を有人島数に含めるので415+1島(ただし離島合計には含めず6,847のまま)

【恒例?蛇足の謎々】
有人離島一覧(離島経済新聞)に示された島々のうち
平成29年全国都道府県市区町村別面積調付録・島面積(面積1km2以上)に記載が無いと思われる島があるが、
はたしてどの島でしょう?(当然ですが答えは面積1km2以上に限る、答えは多分後日投稿にて示します)
[96929] 2018年 10月 12日(金)19:04:22ekinenpyou さん
Re:突然の航路休止に驚く中通島など
[96903]hmtさん・[96904]Takashiさん
続報の一部は既にご存知の方も多いかもしれませんが
五島産業汽船の一部航路、九州商船が再開検討 (日本経済新聞10/9)
五島産業汽船元従業員が新会社設立(NCC長崎文化放送10/11)
とのことです。

(五島産業汽船の)長崎~鯛ノ浦航路は年間12万人の利用があり、黒字を確保していたようですが、
経営破綻の主要因になってしまった佐世保~有川航路は過去に美咲海送という別事業者もH25.5末限りで休止、
(競合のため赤字に対する補助などが無かった?と思われますので)色々と運営が難しい性格の航路のようです。

【参考】
九州離島航路経営改善ガイド(国土交通省 九州運輸局、少し古いですが要点は理解可能)
美咲海送「第三十八フェリー美咲」に乗船してみる(H25.5末限り休止間際の貴重な?乗船リポート)

[96926]グリグリさんの投稿がございましたので、
十番勝負前に予告していた投稿保留分は次週あたりから(状況に応じ)再開を予定しておりますが、
(気が変わって)別の新規内容で投稿するかもしれません、くどいのは承知の上ですが最後に以下やや長めの蛇足

[96916]伊豆之国さん
…ところで「重箱の隅」ですが、[96879] オーナー グリグリさん
28 中央市 昭和町(常永駅/JR身延線) 市川山郷町(甲斐上野駅/JR身延線)
「市川三郷町」ですね…。


上記の類は他にも気がついた方がいらっしゃると思いますのでそのままスルーでも全く問題ないと思いましたが、
一応記事の正確性を高める?という目的で(別の例も)ログに残しておきます。

まず、下記をどのように訂正すべきかは(こちらの皆様であれば容易にわかると思うので)説明を省略します。
20 成田市 酒々井町(酒々井駅/JR成田線) 神埼町(下総神崎駅/JR成田線)
21 香取市 神埼町(下総神崎駅/JR成田線) 東庄町(笹川駅/JR成田線)


46 伊予市 松崎町(伊予横田駅/JR予讃線) 内子町(伊予立川駅/JR予讃線)


また、下記も厳密には不適切です
4 青森市 七戸町(七戸十和田駅/東北新幹線) 今別町(奥津軽いまべつ駅/東北新幹線)


奥津軽いまべつ駅の所属路線は東北新幹線ではない
(時刻表などで用いられる東北・北海道新幹線などであれば許容範囲?)

[96879] の42で海田市駅をJR呉線としているがこの点は許容範囲とした
(ただし45では多度津駅をJR土讃線ではなく予讃線と記載しているので所属路線の考慮はしていると推測)

(誤表記の)原因については出典元のデータ?がそのように記されているのか、定かではありませんが
とりわけ自治体名の記載については(地理系サイトなので)なるべく正確を期したいところです。
([96880]にもあるように単に当日ご多忙だっただけと推測されますが・・・)


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