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蘭丸さんの記事が64件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[6770]2002年12月21日
蘭丸
[6698]2002年12月19日
蘭丸
[6633]2002年12月18日
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[6617]2002年12月18日
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[6615]2002年12月18日
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[6582]2002年12月17日
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[5187]2002年11月21日
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[5124]2002年11月20日
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[5016]2002年11月18日
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[4880]2002年11月14日
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[4861]2002年11月13日
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[4744]2002年11月10日
蘭丸
[4742]2002年11月10日
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[4718]2002年11月9日
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[4707]2002年11月9日
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[4678]2002年11月8日
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[4663]2002年11月8日
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[4581]2002年11月6日
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[4540]2002年11月5日
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[4533]2002年11月4日
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[4499]2002年11月4日
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[4480]2002年11月3日
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[4477]2002年11月3日
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[4441]2002年11月2日
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[4423]2002年11月2日
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[4344]2002年10月31日
蘭丸
[4306]2002年10月30日
蘭丸
[4299]2002年10月30日
蘭丸
[4273]2002年10月29日
蘭丸
[4265]2002年10月29日
蘭丸
[3862]2002年10月14日
蘭丸
[3841]2002年10月13日
蘭丸
[3797]2002年10月11日
蘭丸
[3779]2002年10月11日
蘭丸
[3764]2002年10月10日
蘭丸

[6770] 2002年 12月 21日(土)13:06:52【1】蘭丸 さん
住居表示板の「X丁目」
[6731]YSK さん
>その表示板は、縦書きでしたか?横書きでしたか?

 お~、そうでした。大事なポイントについて、言及が抜けておりました。申し訳ありません。

 東京都北区では、各戸に取り付けられている「町字名+街区符号+住居番号」の住居表示板は横書き、各街区の通り沿いに取り付けられている「町字名+街区符号」の街区表示板は縦書きとローマ字表記の併記、という形で統一されています。

 ですから、[6698]で私が述べたかったことは、横書きだから「1丁目」になっているのではないということなのです。すなわち、横書きスタイルの住居表示板に「一丁目」方式と「1丁目」方式が混在しているのです。そして、私が推測する限り、「一丁目」方式のほうが「1丁目」方式よりも比較的古いものであると考えらる、ということでした。
 あるいは、当初より両方の形が存在し、同時並行的に住居表示が行われてきたものの、ある時期から「1丁目」方式に統一されたとも考えられます。ひとつの町内全域でアラビア数字表記がされている地域を次々と発見したことから、今ではこのように考えています。

>行政が必ずしも「×丁目」を符号あるいは番号とはみなしていないと、私は思います。

 そうですね。あくまで、行政は「○○X丁目」までを町字名としていることには変わりはないと私も思います。
 北区でも、全部が全部「X丁目」表記をアラビア数字にしているというわけではなく、条例などの公的な文書ではきちんと漢数字表記になっていますし、区営住宅の公式の名称は「●●一丁目アパート」というふうになっているようです。(これらは北区のホームページを参照しました。)
 ただ、状況によって書き分けているとしても、私にとっては区役所から発せられたものが「1丁目」「2丁目」あるいは「1-23-4」となっていることが意外に思えたわけです。
[6698] 2002年 12月 19日(木)22:47:04蘭丸 さん
住居表示板
[6633]拙文
[6644]YSK さん

 東京都北区の住居表示板ですが、けさ、明るくなってから実際に確かめてみたところ、必ずしも「○○三丁目21-10」というパターンではないことが判明しました。

 「○○3丁目21-10」というアラビア数字で丁目を記した表示板も存在したのです。これは、比較的新しい建物で見られました。同じ街区であっても、周囲が「三丁目」表記なのに大通りに面した新築物件などでは「3丁目」と表記されていました。ある時期から表記方法を変更したと考えられます。
 さらに実地調査してみたところ、ひとつの町内すべてがアラビア数字で表記されているところを次々と発見しました。おそらく、こういった地域は住居表示の実施が比較的遅かったと考えられます。
 行政側が「1丁目」というふうなアラビア数字での表記を容認していることになります。もしかすると「1丁目」方式のほうが多いのかもしれません。

 しかし、道路沿いに取り付けられている街区表示板は、たとえその街区内の建物が「1丁目23-4」方式であっても、「●●一丁目23」という漢数字表記で一貫していました。
 住居表示板は建物の座標を示すことが目的であること、世間の多数が「●●4-32-1」という表記をしている実態に役所が合わせたこと、などの事情によるものと思われます。

 また、北区の区報『北区ニュース』の区役所所在地の表記は「東京都北区王子本町1-15-22」と、なんともっとも簡略化された方式で書かれていました。もはや、行政側でさえ「△△一丁目」そのものが町字名(固有名詞)であるという本質にこだわることなく、「X丁目」を符号あるいは番号とみなしているということなんでしょうね。
 住居表示実施がもたらした地名の平板化を象徴しているような気がします。
[6633] 2002年 12月 18日(水)20:25:57【1】蘭丸 さん
町丁字、住居表示
[6604]Issie さん
>おそらくは「字」という表記が先にあったのではなく,「あざ」という言葉がはじめにあって,それに「字」>という字を当てたのではないか,と思います。

 レスしていただきありがとうございます。
 漢和辞典を引いてみると、「字」の字義に地名の区分というものはもともとないようです。最後に「〈国訓〉あざ。村の小区分。」という記載があり、やはり、「あざ」という言葉に「字」の文字を当てた、という解釈が妥当なのでしょうね。

[6606]YSK さん
>また、住居表示が実施された地区では必ず「丁目」がつくというわけではなく、....最近の地図は、この>2つの意味の「丁目」が同じように扱われて区別できないので、ややこしいですね。

 基本的に「丁目」で分割することと(現実には複数の町字名を統合した上で分割することが多い)住居表示を実施することとは別問題ということなのだと思います。ただ、一般的に住居表示を行う際に、ひとつの町の領域を平均化する方法として「丁目」による分割がともなうことが多いのでしょう。
 ですから、千代田区、新宿区、板橋区などで「○○町」のまま「丁目」で割らずに住居表示をするケースが見られたり、反対に「丁目」で割っていても「△△二丁目123-4」のように地番そのまま(住居表示未実施)の地域もあるのだと思います。住居表示済みの「丁目」と住居表示未実施の「丁目」は本質的に同じもの、すなはち「△△二丁目」そのものが町字名であると考えていいと思います。
 このように考えると、「丁目」が成立した経緯は分割ですが、できたものは下位区分などではなく「△△一丁目」と「△△二丁目」はそれぞれ完結した町字名で、たがいに同格のものと解釈したほうがいいのではないかと思われます。
 私が住んでいる北区の住居表示板も「三丁目10-5」というスタイルで「3丁目10-5」というふうにはなっていません。「丁目」を含んだ固有名詞(町字名)という意図でつくられているのでしょう。

[6610]てへへ さん
>...「住居表示をしているしていない」「丁目の有無」は一致しないということですね。

 おっしゃるとおりだと思います。

[6603]YSK さん
 「町」も「丁」も歴史的には同義で使われてきたようです。ただ、かつては「町」は町人町、「丁」は武家屋敷地という区別があったようです。また、「町」は「まち」、「丁」は「ちょう」と読み分けていたようです。
 ところが、住居表示が普及するにつれて「町」も「ちょう」と読み、「丁」が「町」に変更される傾向にあるようです。それでも、仙台市や金沢市では「□□丁」という形がまだ残っているようですね。

[6614]般若堂そんぴん さん
>皆様はどのようにしていらっしゃいますか? また,どのようにお考えですか?

 私は、「△△1-23-4」よりも「△△一丁目23-4」(「1丁目」ではないのがポイントです)とするべきだと思います。あくまで「△△一丁目」という町字名に住居番号を付す、というのが住居表示法の精神でしょうから。
 では、私が実際にそうしているかといえばそうではなく、「△△1-23-4」式に簡略化してしまうというのが現実です...。

◆在京6紙の題字下の所在地表記がどのようになっているか調べてみました。
 ・読売新聞 「東京都千代田区大手町1-7-1」
 ・朝日新聞 「東京都中央区築地5丁目3番2号」
 ・毎日新聞 「東京都千代田区一ツ橋1-1-1」
 ・産經新聞 「東京都千代田区大手町1-7-2」
 ・日本経済新聞 「東京都千代田区大手町1-9-5」
 ・東京新聞 「東京都港区港南二丁目3番13号」
 東京新聞が正式な表記、朝日新聞がそれに準ずる表記をしているほかは、すべて簡略化されています。
[6617] 2002年 12月 18日(水)13:15:08蘭丸 さん
Re:村と町の間違い
[6590]start さん

 帝国書院のサイトを見ました。ここは、出版専門どころか地図専門ですよね。担当者はお気づきではないのか、もしくは何か考えあってのことなのか...。信用のある出版社だけに、とても意外な感じです。

 「中里村雪国はつらいよ条例」(本当は「中里村雪国はつらつ条例」)の件に関しては、昨夜のニュースステーションでも報じられていました。現地の映像が流されていましたが、それを見る限り、現時点ではだいぶ少雪のようでした(あるいは、除雪の効果かな)。
[6615] 2002年 12月 18日(水)12:26:20蘭丸 さん
新幹線の貨物輸送
[6602]たけもと さん

 はい。そのとおりですね。同時並行で複数の路線をちょっとずつ、という現在の新幹線の建設方式や新在直通問題の扱われ方からすると、新幹線(標準軌)を使用した貨物輸送には有効性が期待できないのは明らかです。もともと現行のスキームは貨物輸送など考慮に入れていませんから、これは必然のことです。

 しかし、はじめから貨物輸送が想定されていたとしたらどうでしょうか。新幹線建設のそれ以後の展開にもっと多様な可能性があり得たと考えられます。例えば、フリーゲージトレインの早い段階での本格的な研究開発、部分開業の積み重ねではなく路線ごとの一括での開通など、貨物の便宜を考慮した新幹線の整備方法が検討されたかもしれません。
 その上で新幹線での貨物列車の走行が可能だったとしたら、並行在来線問題は現在とはもっとちがった趣で、地域独自の問題として議論されたであろう。そういう意味です。

 とはいっても、東海道新幹線で検討されながら実現しなかった計画ですから、あくまでも「仮定」の域を出ない話なんですがね。
[6586] 2002年 12月 17日(火)17:08:07蘭丸 さん
新幹線の貨物輸送
[6564]夜鳴き寿司屋 さん

 新幹線でも貨物輸送の計画があったのですね。これが実現していたら、並行在来線問題がこんなにややこしくならなかったでしょう。
 フル規格新幹線開通後、貨物輸送をどうするかが整備新幹線建設では問題になっています。現在の並行在来線問題は、地域の交通機関を維持することと、貨物輸送のルートを確保することの2つの目的から議論されていますが、この片方の問題を心配しなくてよくなるわけですから、赤字を覚悟で第三セクター化したりしなくても、もっと明解に並行在来線の必要の是非が検討できるかと思われます。

 ただ、実現が困難とあれば致し方ありません。がんばって貨物路線を維持するか、自動車にシフトさせるかということになってしまいます。鉄道貨物は道路事情に影響されませんから、利用価値のある輸送手段なのですが、人の移動が高速になることの代償でしょうか。
[6584] 2002年 12月 17日(火)16:07:15【1】蘭丸 さん
雪国
[6580]雑魚 さん
[6581]いわ さん

 このニュース、けさの毎日新聞にも載っていましたね。これは多分に編集者の思い込みによるものでしょう。雪国=忍耐の世界というステレオタイプなイメージが現代でも根強く残っている証拠ですね。

 いまの上信越国境附近の豪雪地は除雪体制も充実し、また、年々小雪の傾向にあるようです。それに、各自治体が「克雪」や「利雪」の理念を掲げてさまざまな趣向を凝らした施策に取り組んで、雪のプラスイメージへの転換に努めています。
 そういったところに、悪意はないとはいえ「はつらつ」を「はつらいよ」と取り違えるなんて、まったく逆の効果を生んでしまいますから、「何のためにうちの村を取り上げたんだ!」というご当地の方々の憤りは察するに余りあります。
 しかも「中里村」となるところを「中里町」にしていたなんて、単純ミスでは説明のつかない大失態です。出版を専門にやっている会社でも、こんなことってあるんですね。

 ところで、一般に「新潟県は雪が多い」と思われていますが、実際には地域差に大きな開きがあります。冬、新幹線で新潟に向かうとよくわかりますが、越後湯沢あたりでは一面銀世界なのに長岡、燕三条と北上するにつれてだんだん雪が少なくなっていき、新潟に着くとほとんど雪が見られなくなります。また、越後湯沢で吹雪いていたかと思うと新潟では降っていない(あるいは雨)ということもあります。新潟市のことを言えば、現実の街は「雪国」の一般的イメージとはやや遠いような気がします。
 新潟県の広さや山脈の存在の大きさが現地に行くと実感できて面白いです。
[6582] 2002年 12月 17日(火)12:56:25蘭丸 さん
町と字
[6571]てへへ さん

 なるほど、そういう仕組みなのですね。ということは、字という大きなカテゴリーの中に町も含まれるわけですね。「大字永田町」となるべきところが、省略して「永田町」になってしまう。そう理解して差し支えないでしょうか。
 ただ、「町」の文字がつかない場合は字名だとすると、霞ヶ関、新宿、日本橋、渋谷なんかも字名ということになるのでしょうか。個人的には、なんだか理解しにくい感じがしますが...。

 それから、「字」を「あざ」と読ませるのはどんな経緯からなんでしょう。どなたかご存じの方はいらっしゃらないでしょうか。
[6576] 2002年 12月 17日(火)05:56:41【2】蘭丸 さん
静岡市
[6269],[6547]ヒロオ さん

 静岡県知事の並々ならぬ意気込みは解りますが、果たして静岡市の重要度ってそんなに高いのかなぁ、と私も思います。

 人口も、清水市を含まない単独では他の政令指定都市候補とは明らかに見劣りがしますし、交通の要衝性や政治・経済的な中核性もそれほど高くはありませんね。
 これには、静岡市の立地条件が大きく影響しているように思います。静岡県自体が駿河、遠江、伊豆にまたがる広い県であるため、静岡市は県都でありながら、県内からの都市的集積度が低い感があります。そのうえ、東京からの距離が遠くなく、東京経済圏の影響を多分に受けてしまう位置にあります。ですから、いまいち静岡市が都市規模を大きくできないのではないでしょうか。

 単に「政令指定都市になるんだから、『のぞみ』を停めて」という要求は、静岡市を客観的に見ることができないがゆえのものかと思われます。政令指定都市のブランドと中身とは別問題だと私は思います。

 静岡空港新駅問題然り、どうも静岡県は肩の力を入れ過ぎです。「のぞみ」を停車させたいのであれば、まず、JRが「のぞみ」を停めようかと思うような魅力ある都市をつくっていくことが先のような気がします。都市の魅力から人口が集積し、周辺での拠点性が高まってくるはずです。
 あせって体裁だけ大都市のふりをしなくてもいいです。「政令市だから」なんて気張る必要はありません。静岡には静岡の独自の有用な個性があることを忘れてはいけないでしょう。
[6544] 2002年 12月 16日(月)20:58:32【1】蘭丸 さん
新幹線の直通運転
[6492],[6527]せか さん

 新幹線の直通問題についてレスをいただきありがとうございました。

 利用者の観点では見えてこない複雑な問題が存在するわけですね。JR東日本は直通させたいがJR東海はお断り、という構図は面白いですね。東海道新幹線は、それだけで収益が上がってしまうドル箱ですし、ダイヤもいっぱいいっぱいですから、周りからあまちょっかい出されたくないといったところなのでしょう。
 これは、静岡空港新駅問題や北陸新幹線の米原接続問題でも一貫しているようですね。

 それから、雪害についてですが、なるほどバラスト軌道では大量の散水はむしろ危険のほうが大きいですね。スラブ軌道が多用されはじめたのは山陽新幹線からだったことを忘れていました。上越新幹線の盛土区間は全体の1%程度、スラブ軌道は約1割ですから、散水による融雪ができるわけですね。
 ちょっと調べてみましたが、上越新幹線のスプリンクラーでは加熱した水を循環させたり、区間によってはトンネルの湧水や温泉を利用しているようです。これも脊梁山脈を貫く上越新幹線ならではの方法と言えます。

>東海道新幹線と東北・上越新幹線との直通運転は、リニア中央新幹線が実現し、
>東海道新幹線の線路容量に余裕ができて初めて、考慮される問題だと思います。

 そういえば、リニアはどうなってしまったんでしょう。いまの東海道新幹線の現状では、ぜひとも、もう1本東京-大阪のルートが欲しいですね。
 私は、上越新幹線の新宿延伸にも賛成ですが、この中央新幹線(リニアでなくてもいい)の建設にも、もっと賛成です。あるいは、第二東海道新幹線でもいいかと思います。もう、リニアなど諦めてもいいような気がしますが...。東海道新幹線の老朽化を懸念する人もいますし、冬期の関ヶ原の問題もあります。整備新幹線の次は、ぜひこの路線の建設に着手して欲しいものです。

[6503]雑魚 さん

>首都圏の奥座敷である奥伊豆の入口にして、車両基地を持つ三島で折返すとしても、無理があるかな。
>さしずめ「湘南日光」「モントレー踊子」の様な感覚で。

 利用者として望まれるのは、やはり、こういった柔軟な運行形態ですね。那須塩原-熱海、越後湯沢-三島、軽井沢-新富士といった区間を活用して、旅行客を呼び込めそうな気がしますが、それはあくまで利用側の視点でしかないですからね。
 でも、こういった形で観光地の連携がとれれば、熱海の凋落のような、特定の観光地が目立って寂れてしまうケースは少なくなるような気がします。
[6536] 2002年 12月 16日(月)18:54:56蘭丸 さん
北海道の新幹線と高速道路
[6485]TN さん

>蘭丸さんの場合、南回りが優先されなかった理由をどうお感じでしょうか・・・。

 う~ん、難しいご質問です。
 ただ、私としては、札幌対東京の速達性を考慮しての結果ではないかと解釈します。南回りだと迂回してしまいますから。都市と都市を結ぶという目的のためには、南回りルートのほうがふさわしいわけですから、そのように考えるのが自然かと・・・。[6458]でTN さんがおっしゃっているように、航空機との対抗を意識したが上の北回り優先ではないでしょうか。
 ですから、競争相手の千歳空港周辺を避けたというのではなく、もし、千歳空港が小樽あたりにあったとしても、こちら側が優先されただろうと推測します。新幹線も航空機も、どちらも集客圏は広いですから。

 それから、これは憶測ですが、もしかすると政治的な判断が働いた可能性も考えられます。新幹線や高速道路のルート選定では、時折この要素が影響します。ここでも、ないとは言い切れないような気がします。

 それにひきかえ、高速道路は南回りルートが整備されています。これは、単純に都市を有機的に結び付ける目的からと推測します。特に、この周辺は工業地帯になっていますから、道路整備に好適と判断されたのではないでしょうか。

 今のところ、新幹線での貨物輸送は想定されていませんし、北海道ではもともと高速道路の対東京速達性は期待されないでしょうから、こういった新幹線と高速道路の役割分担ができたのでしょうね。
[6464] 2002年 12月 14日(土)19:46:13蘭丸 さん
新幹線 基本計画線
[6311],[6458]TN さん
[6350]らるふ さん

 「新幹線ルートからはずれた室蘭・苫小牧」とのことですが、室蘭経由の新幹線は全国新幹線鉄道整備法に基づく基本計画に含まれています。おそらく、苫小牧も経由するものと思われます。この路線は「北海道南回り新幹線」とされ、長万部-室蘭-札幌のルートが構想されています。
 しかし、この路線についての整備計画決定は、今のところまったく見通しが立っていません。北海道新幹線も、基本計画では旭川までとなっていますが、整備計画では札幌までとなっています。

 現在、整備新幹線問題で注目されている路線は整備計画路線と呼ばれる部分で、これは国土交通大臣(運輸大臣)が建設主体(鉄道建設公団等)の調査をもとにして「整備計画」を定めた路線です。その前段階として基本計画路線があり、これは全国新幹線鉄道整備法に基づいて国土交通大臣が決定した「基本計画」で定められている路線のことです。法律上は、どちらも「建設線」と言っていますが、便宜上このように区別されています。

基本計画路線は次の通りです。

路線名起点終点経由地
東北新幹線東京青森宇都宮、仙台、盛岡
上越新幹線東京新潟
成田新幹線東京成田
北海道新幹線青森旭川函館、札幌
北陸新幹線東京大阪長野、富山
九州新幹線福岡鹿児島
九州新幹線福岡長崎
北海道南回り新幹線長万部札幌室蘭
羽越新幹線富山青森新潟、秋田
奥羽新幹線福島秋田山形
中央新幹線東京大阪甲府、名古屋、奈良
北陸・中京新幹線敦賀名古屋
山陰新幹線大阪下関鳥取、松江
中国横断新幹線岡山松江
四国新幹線大阪大分徳島、高松、松江
四国横断新幹線岡山高知
東九州新幹線福岡鹿児島大分、宮崎
九州横断新幹線大分熊本
  ※成田新幹線までは昭和46年に運輸省告示
   九州新幹線までは昭和47年に運輸省告示
   九州横断新幹線までは昭和48年に運輸省告示
このほかに、当初は東北横断新幹線、常磐新幹線、紀勢新幹線なども構想されていたようですが、基本計画には載せられていません。実に、全国の幹線ルートのほぼすべてに新幹線が走る構想だったわけです。

 基本計画で定められた建設線は、遅くとも新全国総合開発計画(新全総)の目標年次である昭和60(198
5)年までに完成させるものとされていましたが、現在までに営業を開始しているのは、このうちの、ほんのわずかの部分ということになります。東北、上越新幹線建設以後の建設線の整備は、国鉄の赤字や国の財政問題などで停滞しているのが現状です。

 既存の営業路線のうち、東海道、山陽新幹線は全国新幹線鉄道整備法施行前に着工され、また、東北、上越新幹線は基本計画決定後、早々に整備計画も決定され(昭和46年)、着工に移されました。
 その後(昭和48年)整備計画がつくられた5線(北海道新幹線青森-札幌間、東北新幹線盛岡-青森間、北陸新幹線東京-大阪間、九州新幹線福岡-鹿児島間、九州新幹線福岡-長崎間)について、国土交通省は特に「整備新幹線」と称しています。この整備5線は整備計画決定が遅かった上に、建設時期や方法について紆余曲折を繰り返しながら現在にいたっています。

 現在、建設中の路線は東北新幹線八戸-新青森間、北陸新幹線長野-富山間、北陸新幹線石動-金沢間、九州新幹線博多-新八代間、九州新幹線新八代-西鹿児島間の3線5区間です(九州新幹線は、実質鹿児島ルートの全線)。このうち、北陸新幹線石動-金沢間がスーパー特急である以外はすべてフル規格です。
[6424] 2002年 12月 13日(金)20:32:32蘭丸 さん
新幹線の直通運転
[6304]せか さん
[6337]でるでる さん

 東海道新幹線と東北、上越、長野新幹線が直通運転しないことについての考察、読ませていただきました。

 やはり、詰まるところ費用の問題なのでしょうか。
 ただ、なにも全列車を直通させなくても、一部でも直通運転をさせようとかいう発想はJRにはないんでしょうかねぇ。老朽化した車両を引退させる際に順次両周波数対応に入れ替えて、その車両を使って部分的に直通運行させてもよさそうですが。

 それから、東京駅で新幹線を乗り継ぐ乗客は全体の1割未満というのは、驚きに近く感じられました。新幹線での移動は、対東京のビジネスでのものが多いからでしょうか。それとも、関西から東北、上信越から関西といった旅行者の移動が少ないからでしょうか。
 私は、もしかすると乗客の移動欲求が新幹線の運行形態に制約されてしまっている面もあるのではないかと思います。実際に直通運行を行ったら行ったで、結構需要は見込めるのではないか?と私は思います。

 あと、降雪時のダイヤ問題ですが、これは現実には逆で、雪害がダイヤに響く率が多いのは東北、上越新幹線よりも東海道新幹線のほうではないかと思いました。
 関東での大雪の際にテレビの大雪情報を視ると、必ずと言っていいほど東海道・山陽新幹線のダイヤの乱れが伝えられます。しかし、それとともに東北、上越新幹線が遅れていると言われることは滅多にありません。雪に対する備えの相違が如実にあらわれる場面です。
 東北、上越新幹線では路盤に融雪装置(スプリンクラー)が整備され、車両にスカート(雪掻き)が取り付けられていると聞いたことがあります。毎年毎年、雪害に悩まされ続けている東海道新幹線ですが、JR東海には関ヶ原付近などでもこのような設備を導入しようという気はないのでしょうか。ただし、費用はかかりますし、東北、上越新幹線のように稼働率は高くはないでしょう。もしかすると、年に数回の降雪時の損失など、はじめから織り込み済みということなのでしょうか。そうだとすれば、利用者としては複雑な思いを持ちますね。
[6357] 2002年 12月 12日(木)17:27:17【1】蘭丸 さん
新幹線 新宿延伸
[6268]たけもと さん

 これ以上の川島氏弁護は私の本意ではありませんし、私も氏の言説のすべてを把握しているわけではありませんので、本題の新宿延伸を中心に述べたいと思います。

>高速鉄道網として考えるならば、東京駅で分断されている運行をなんとかする方が先で、...

 最近、このページでもこのことが話題になりましたが、私もこれには同感です。在来線特急は自由自在に運行されているというのに、新幹線だけ東京で乗り換えを強いられるというのは、利用者の視点からは理解しにくいことです。世界に名立たる「新幹線」なのですから、利用者の便宜を考えた運行をするべきだと私も常々思っています。大阪-仙台や名古屋-新潟といった直通運転ができれば、人の流れも大きく変わると考えられます。
 長野新幹線「あさま」や北越急行・北陸本線経由の「はくたか」が現に両周波数をまたいで高速運転していることを思えば、技術的な課題は苦もなくクリアできるはずで、あとは費用の問題なのでしょう。
 しかし、この問題の解決を優先的に行うことと、新宿延伸を後回しにすることとは、あまり関連性がないように思われます。

>今後増発されるものを線路容量に応じて大宮どまりにする程度です。

 私は、この点を「サービスの低下」と思うわけです。もちろん、東京-大宮間のダイヤがパンクしたからといって、東北、上越、長野の全列車が大宮折り返しになるなどということは考えてもいません。これは、私の過去の書き込みを読めばお解りいただけるかと思います。

>それと「都心に直通」という都心中心主義は私にはあまり受け入れられないです。今では新幹線に乗るために>わざわざ東京駅まで出なくてはなりませんが、本当に東京駅に用がある人が何割いるのでしょう。

 これを言ってしまったら、ターミナル機能の存在意義自体への懐疑につながらないでしょうか?
 もとより、現在東京駅を利用する人々の大多数は、別に丸の内や八重洲に用事があって利用しているわけではありません。東京駅での乗り継ぎのためにやってくるのです。このようなターミナル駅があるおかげで、多様なパターンの乗り換えが可能となるのです。
 鉄道は道路とはちがい、単に線路が延びているからといって利用者が任意に移動できる代物ではありませんから、ターミナルを設けて乗り継ぎ需要を捌くことは必然的なことではないでしょうか。

 また、たけもと さんのおっしゃる「都心中心主義」は、もしかすると「ターミナル中心主義」との混同ではないでしょうか。私は、ただ「都心へ」乗り入れるべきと言っているのではなく、「都心のターミナルへ」乗り入れるべきと言っています。本来ならば、このような困難をともなう線増工事は、必要としないに越したことはありませんが、利用者の便宜のためにはその労をいとうべきではないと思います。
 東海道新幹線の新大阪や新横浜の利用者から、いまだにその利便性について不満の声が絶えないのは、結局のところ、都心の主要ターミナルに乗り入れられなかったことに起因しているからにほかならないからではないでしょうか。

 たけもと さんのご意見は「巨額な費用をかけてまですることではない」ということに集約されるようですが、本当に新宿-大宮間の建設費はそんなに高くつくのでしょうか。私にはそのようには思えないのです。地下鉄大江戸線のようなものができるくらいなのですから、(仮に)地下線とした場合のこの区間の建設は、それによる有益性に鑑みて、そんなに買い被って評価すべきこととは思えないのですが...。

 やはり、総合的な観点から、この区間の延伸の必要度は高いと私は認識します。

 その論拠を整理すると、
(1)東北新幹線東京-大宮間は、複線の線路上に3方面からの新幹線電車が乗り入れ、客観的に異常な構造となっており、複々線以上の線路容量の確保が求められる。
(2)新宿-大宮間は本来の上越新幹線のルートであって、この区間の建設は正式な全線開業に当たり、決して新しく発案された突飛な構想ではない。
(3)この区間は上越新幹線のルートであると同時に、上越新幹線に乗り入れる北陸新幹線(長野新幹線)のルートでもある。
(4)新宿-大宮間の建設には、地下線方式と埼京線直上高架方式の2通りが考えられ、建設方法に柔軟性がある。
(5)東京都心部の地下鉄等の計画では、今でも上越新幹線通過を考慮した設計がなされ、地下には新幹線向けのスペースが確保されている。
(6)長距離高速輸送を担う新幹線は、各都市の主要ターミナルを結んでこそ真価を発揮する。
(7)大宮止まりも可とする考え方は、東京のターミナルではなく東京周辺のターミナルまでの乗り入れでも充分とする考え方であり、利用者への便宜が考慮されていない。
(8)「新幹線リレー号」等は、あくまで暫定のサービスであって、これを本来的なサービスと同列に扱うようなことは本筋ではないはずである。
(9)中央線の2階建てホームに象徴される、物理的に飽和状態にある東京駅のターミナル機能を分散できる。
(10)新幹線乗り入れにより、新宿の副都心機能が一層充実する。
(11)今後の北陸新幹線、東北・北海道新幹線延伸が既定の方針となっており、これらが実現した場合には、運転本数増が確実視される。
 ということになります。

 私は、東京都心部の新幹線ターミナルは、東京と新宿の2カ所に分散させ、4方面からの新幹線がどちらへも乗り入れられるようにするのが理想だと思っています。すなわち、上越新幹線新宿ルートと東海道新幹線新宿ルートをつくり、東北新幹線電車を新宿へも直通させるという方法です。
 こうしてできた新幹線ターミナルを「新東京」としてもいいと思います。そうすれば、利用者のほうから見ても、新幹線から山手線への乗り換えが目的別に行えるようになって非常に便利になります。
 ただし、品川新駅設置によってダイヤの過密を解消しようとしたJR東海にとっては、簡単に受け入れられるような構想ではないとも思われます。

 赤羽以北の新幹線+埼京線の高架の状況を、実際に目で見て知っている私にとって、山陽、東北、上越新幹線開業以後の新幹線整備では、とかく下り方面への延伸ばかりがクローズアップされて、その反対の東京都心部の線路容量という基礎的な問題が顧みられないことは、とても不思議に感じられます。まだまだ現実問題ではないからといえばそのとおりなのですが、いったい、JR東日本はどのように考えているのでしょうか。
 しかし、いずれ富山・金沢、青森・札幌への延伸が現実問題となったとき、この新宿ルート問題(東京都心部線増問題)が新幹線論議の俎上に上ってくるはずです。それでも、いざ切羽詰まってからでは遅い(現在でも、相当切羽詰まっていますが)のではないかと私などは思ってしまいます。
[6248] 2002年 12月 10日(火)19:42:22【2】蘭丸 さん
上越新幹線新宿ルート&整備新幹線
[6118]たけもと さん

 川島令三氏の「トンデモ」ぶりの考察、拝読いたしました。

 もちろん、私も川島氏の提言の全てに賛同するものではありません。[5489]での例示は、氏がただ単に新しいものを造ればいいという思想の持ち主ではなく、柔軟な発想で(こういうことを「トンデモ」というのでしょうね)鉄道の利便性向上を考えているということがわかるようにするために引いてきたものです。
 単線新幹線など疑問の余地が多いですし、せっかくの新幹線ならば、できる限りフル規格で建設すべきだと私は思っています。

 まず、私が川島氏を全面的に支持しているわけではないということはご了解いただきたいと思います。

 しかし、だからといって川島氏の提言を全面的に否定してかかる態度は取りたくはありません。なぜなら、私が知る限り鉄道政策についてこれほど活発に発言をしている人はいないからです。
 鉄道行政は古くから政官業の駆け引きによって展開され、一般の人々はひたすら与えられるサービスを与えられた形で受け取ってきた感があります。川島氏のように鉄道行政を評価し提言するような言論はほとんどなかったのではないでしょうか。そういったところに川島氏のような人物がおられることによって、さまざまな政策的可能性を一般の人々が考えることができるようになったという点において、氏にも一定の役割があると、私は好意的に評価するのです。
 川島氏の基本的考え方は、「建設費を抑えながら早期に」整備新幹線を開業させようとするものではないかと私は解釈しています。そういうコンセプトで地域性を加味しながら建設方法を分析しているという限りにおいては、あながち「トンデモ」とばかり言えず、的確な論理展開ではないかと思います。
 もちろん、こういった基本思想についての賛否はあるはずです。

 また、たけもとさんご指摘の、川島氏の主張が変節する点についてですが、この原因には行政やJRの方針が一貫していないということも考えられないでしょうか。
 1987年に新規着工凍結解除が閣議決定されたのち、運輸省は明らかに在来線の高速化による新幹線への格上げ(建設費圧縮)を方針としていたと思われます。それは、当初フル規格での整備が整備計画線全体のうちで北陸新幹線高崎-軽井沢間と東北新幹線沼宮内-八戸間でしか想定されておらず、その一方で二重投資になりかねない北越北線(北越急行ほくほく線)の高規格(スーパー特急方式)での整備を進めたということに如実に現われています。
 また、JR西日本は当初、北陸新幹線の狭軌新幹線(スーパー特急)での整備を求め、フル規格の場合は全線一括での開業を条件にしていましたが、99年8月に南越または敦賀までの部分開業を容認しましたし、JR東日本は北陸への延伸を条件に、渋々長野-上越間の延伸を了承した経緯があります。
 しかし時を経て、今や九州新幹線長崎ルート以外の整備計画線全区間でフル規格での建設が予想される情勢となりました。

 [5489]の例示は、時系列での説明を欠いたために解りづらくなっていたものと思われます。

 まず、北陸新幹線の狭軌新幹線化についてですが、この提言を川島氏が行ったのは、まだ北陸方面の整備計画がフル規格ではなかった時期だったということがポイントです。それに加えて長野以遠の着工すら流動的だった当時の提言です。
 この時点においては、北陸新幹線の北陸本線並行区間は狭軌新幹線となる公算が大きかったため、フル規格は長野までの「長野新幹線」として、北陸へは別に北越急行・北陸本線経由で一部新線を建設するルートで金沢までの開通を目指したほうが安く早くできるし、あらゆる駅に新幹線電車を停車させられる、というのが氏の論説ではなかったかと思います。
 しかし99年9月、与党は全線フル規格へ向けた新スキームを取りまとめ、01年4月、ついに国土交通省は、富山までのフル規格への整備計画変更を鉄道建設公団に認可しました。これには多分に政治的決着の色合いが認められます。
 ですから、たけもとさんが
>結局富山・金沢まで新幹線が来ることが決まった現在、一時期だけスーパー特急方式を採用するメリットは無>いように思います。
とおっしゃるように、今となってはこの方法には何らの利点も感じられなくなるのです。

 また、東北新幹線盛岡以北ですが、これも北海道新幹線の去就が定かではないため、論調が一定していないように見えるのかもしれません。
 ですから、
>川島氏は以前は、東北新幹線はミニ新幹線で充分だ、という論調を展開されていたんですが前言を撤回したよ>うですね。
の部分は合ってはいますが、完全にそうとも言えないのではないでしょうか。
 川島氏は「北海道新幹線を造るのならば」東北新幹線は全線フル規格にするべきだとおっしゃっているのであり、ミニでも差し支えないだろうというのは、東北新幹線で終わってしまう想定でのコストと需要を勘案した提言だと思います。実際、今年1月にようやく鉄建公団から国土交通省に工事実施の認可申請は出されたものの、現在も北海道新幹線の着工時期は未定のままです。

>一部だけ東京に直通すればいいんですよ。(∧∧;)

 このような意見には賛同できませんね。

 たしかに、多額の費用を要する都心部の線増はそれだけを見れば「ぜいたく」だとか「無駄遣い」だとか思われるでしょう。しかし、全国的な高速鉄道網の一環としてとらえれば、決して浪費には当たらないと思います。
 この上越新幹線新宿ルートは、上越新幹線であると同時に北陸新幹線新宿ルートでもあるという点も忘れてはならないことです。北陸新幹線のほぼ全線のフル規格化への見通しがつき、北海道新幹線の着工も時間の問題となりつつある今、大宮以南の新幹線線増は実質的必要度が高いと私は認識します。

 高速鉄道たる新幹線は、長距離にわたって各地の主要都市を結んでこそ真価を発揮するものです。その新幹線が、肝心要の東京都心部の主要ターミナルに乗り入れられないというのであれば、せっかくの価値がグンと下がってしまいます。それこそ、何のために新幹線を建設したのかという意義すら問われかねません。
 本来ならば上越新幹線の正式な起点にこだわらず東京駅までの線増が望ましいのですが(私の個人的見解)、それが物理的に困難な状況下では、新宿延伸は、新宿あるいは新宿駅の都内での占める地位から見ても妥当性のある対応策だと思われます。
 また、今まで都心に直通していた電車が、その後に都心直通をしないというのは著しいサービスの低下になります。これまで、その逆はあってもこういったケースはなかったのではないでしょうか。

 私は、地球温暖化対策が求められる昨今、公共投資における鉄道事業はそんなに渋るべき部門ではないと考えています。それに、もともと整備新幹線の事業費が予算に占める割合は、他の公共事業と比べて非常に小さい(高速道路や空港整備関連とは桁がちがう)のが実情です。
 自動車や航空機の二酸化炭素排出による環境への負荷を考慮すれば、高速交通への投資は高速道路、空港から新幹線にシフトしていくのが好ましいと思います。単純に高速道路や空港を造らないほうがいいというわけではありませんが、自動車や航空機の特性も活用しながらより鉄路中心の整備をしていったらいいのではないかと私は考えます。
 その意味で、JR九州が九州新幹線(鹿児島ルート)のフル規格整備に協力的で、最高時速300キロでの営業運転を計画しているということは評価できることだと思っています。

 大局的見地から長距離高速輸送を考えたとき、新幹線大宮以南の整備は、コストはかかってもやはり必要なことだと思われます。もっと言えば、東海道新幹線の支線を新宿まで通して東京駅のターミナル機能を分散できればいいのですが、これには相当な困難がともなうものと予想されます。
 でも、そういったことがかつては構想されていたという事実は、単に画餅というわけではなく、現代にもいろいろな示唆を与えてくれるものではないかと思います。
[6065] 2002年 12月 7日(土)18:34:34蘭丸 さん
成田空港補完機能
[6018]YSK さん

 空港関連レス、ありがとうございました。

>とはいえ、羽田や成田の機能の一部が、たとえ仙台や新潟、静岡に移りその機能を代替するようになったとしても、北関東住民にとっては「空港が遠い」ということは変わりはないですね。

 まさにこういった東京周辺地域からの利用客をターゲットにしているのが、成田空港を補完する「首都圏第二空港」です。
 例えば、群馬県や神奈川県のある程度の範囲からは、在来線を乗り継いで成田を目指すよりも、新潟や静岡へ新幹線で直行したほうが利便性が高くなるかと思われます。場合によっては、国内線からの乗り継ぎ以外の首都圏の航空需要を新潟、静岡で捌くということも考えられるかもしれません。

 問題は、鉄道運賃ですが、JRと航空会社が共同して新幹線+飛行機の優待料金のようなものを提供して乗客を呼び込む、といったようなことが行われたら相乗効果で両業界の活性化にもつながりそうですね。(これは、あくまで私の希望的観測ですが...)

 昨今の経済の閉塞状況から、こういった夢のあるプロジェクトについて、時折思案をめぐらしてしまう私です。
[5982] 2002年 12月 6日(金)07:29:47蘭丸 さん
首都圏第三空港
[5893]YSK さん
[5832]夜鳴き寿司屋 さん
[5812]関西人 さん

 「首都圏第三空港」は、羽田、成田につづく東京周辺の新空港という意味合いの言葉ですが、羽田が国内線専用空港となっている状況から、この三番目の空港を「首都圏第二空港」と呼ぶ向きもあるようです。もし、この新空港が誕生するとしたら、明らかに成田空港の補完機能を持たされるわけですから、私もこの呼び方には一理あると思います。こちらのほうが実質的意義を含んだニュアンスが感じられます。

 羽田の沖合展開に明確な方向性が打ち出せない現状では、やはり新空港は必要です。国内の航空需要の約6割を成田、羽田でまかなっているという逼迫状況をなるべく早く緩和しなければいけないでしょう。

 この首都圏新空港には、これまで富津沖や本牧沖などが検討されているようですが、中距離地域から仙台、静岡、新潟も名乗りを挙げています。成田空港のアクセスの悪さを象徴するような話です。
 仙台は、東北本線経由の空港アクセス線の新設、静岡は新幹線新駅直結の空港新設、新潟は新幹線延伸による空港への直通といった具合に、それぞれ新幹線を媒介にした東京との連携を売り物にした計画が構想されています。東京周辺で無理に土地を確保したり、大規模な埋め立てを行ったりしなくても、既存のインフラを活用する仙台、静岡、新潟の構想は面白いと思います。

 YSKさんご報告の「仙台空港線」の着工は、まさにこの「首都圏第二空港」を見据えたプロジェクトであろうかと思われます。問題は、このアクセス線を使用した東京-仙台空港間の所要時間と鉄道運賃でしょう。これらが、成田へのそれと遜色ないものになるのであれば、仙台空港の首都圏新空港化は、あながち夢物語りではないと思われます。

 静岡の場合は、新幹線にいちばん近い(東海道新幹線の直上)という点で三者の中では立地条件は最良です。というよりも、はじめから新幹線直結を意図して造成されています。
 しかし、新幹線を営業する当のJR東海は重ね重ね新駅設置を否定しています。今年6月に赴任したJR東海静岡支社長も「東海道新幹線の輸送状態や設備能力は限界点に達しており、これ以上の新駅設置は不可能」と従来通りの見解を繰り返しています。JRの見解によれば、静岡-掛川間では適正な駅間距離が確保できないことも大きな障害になっているそうです。
 せっかくの好立地も新幹線のダイヤの逼迫状況では、何の役にも立たなくなる可能性が大きいというのが実情です。静岡県は、新駅設置を粘り強く要請していくとしていますが、無理矢理新駅を造ったところで、列車の停車本数が充分に確保されなければ宝の持ち腐れになりかねません。

 新潟の場合は、東京-新潟空港間の新幹線での直結という点がメリットですが、バブル崩壊で多額の費用(約410億円)を必要とする新幹線延伸ついて、地元政財界で推進論が一時の勢いを失っているのは確かです。
 ただ、新潟県の大綱政策としては今も生きているようです。新潟県では、将来の北陸新幹線延伸との関連で、上越-長岡-新潟-酒田のミニ新幹線と上越新幹線、北陸新幹線を連結させた高速鉄道と空港との連携を構想しているようです。
 しかし、昨今の経済状況では、何年かかって整備できるのか予想することは難しいのが現実です。それよりも、貨物線(新潟臨海鉄道)の空港への乗り入れや市街地を通る地下鉄の新設と一体の空港新駅開設といった、空港アクセス専用ではない方法が現実的かと思われます。

 いずれにしても、総体的には大変魅力的な夢のある(?)構想ですが、諸々の障壁をクリアしないことには話は始まらない、といったところが実際のところのようです。


◆この3空港関連のサイトを拾ってみました。

◎仙台空港
http://www.pref.miyagi.jp/kutai 仙台空港(宮城県土木部空港対策課)
http://www.senat.co.jp/ 仙台空港鉄道株式会社
◎静岡空港
http://www.pref.shizuoka.jp/kikaku/ki-08/ 静岡空港(静岡県空港建設局)
http://www.city.shimada.shizuoka.jp/shizuokakuukou.htm 島田市
http://www.tokai.or.jp/hatukura/airport/index.html 初倉商工会
◎新潟空港
http://www.niigata-airport.gr.jp/ 新潟空港(新潟空港整備推進協議会)
http://www.pref.niigata.jp/sec25/ja/01.html 新潟県港湾空港局空港課
http://www.pref.niigata.jp/koutuseisaku/taikou/b.html 新潟県総合政策部交通政策課
[5865] 2002年 12月 4日(水)08:09:30蘭丸 さん
[5842]いな さん
>京都府内に新設した市名で、旧町名に「京」をつけた事例2件
> (A),旧町名の後に京をつけた・・・乙訓郡長岡町→長岡京市(1972/10/01)
> (B),旧町名の前に京をつけた・・・綴喜郡田辺町→京田辺市(1977/04/01)

>これは、ふたつペアで見てはじめて面白い。

 長岡京市は新潟県長岡市(1906年4月1日市制施行)、京田辺市は和歌山県田辺市(1942年5月20日市制施行)との同名回避ですね。

 外見上はたしかに「後につけた」「前につけた」ということになるでしょうが、両者は若干意味合いが異なると思われます。

 京田辺市の「京」は、京都市と隔たりのある地理的状況から考えて、明らかに京都府の「京」であると思われます。田辺市との同名回避であるならば、通例では「山城田辺市」となるのが相場ですが、語呂の良さと、何よりも・京都ブランド・にあやかりたいという志向性が「京田辺市」の名を生んだのではないでしょうか。
 これは、単純に「京」の字を前にくっつけたと考えて差し支えないと思います。

 長岡京市の「京」は、京都府の「京」ではなく、この文字本来の字義である「みやこ」を意味する接尾語であると思います。
 長岡京市には、桓武天皇の時代に「長岡京」が置かれました。平城京から平安京に移行するまでの10年間だけでしたが、この地に都があったのです。また、一時、継体天皇の弟国宮も置かれていたようです。
 こういった歴史を踏まえて「長岡京市」が選定されたものと私は解釈しています。ですから、厳密にいうと、市制施行時に「長岡」町だったものが「長岡京」市へと基になる地名を変更したと考えられます。当市の場合、単純に「京」の字をくっつけたわけではないだろうと思われます。

   長岡京市=長岡京+市
   京田辺市=京+田辺+市  が妥当な解釈ではないでしょうか。

 今後、もし「京丹後市」が誕生すれば、京田辺市のパターンになりますね。

>京都のブランドイメージは絶大なものがあるから、京のつくのはこの先もっと来るかな?

 私は「京」は京都市だけで充分だと思います。というよりも、京都市のほかに「京」をつけるのは、語彙の用法からいって不自然だと思います。「京都」とは、そもそも地名というよりも「みやこ」という言葉を漢語風に書き表わした普通名詞に近いものです。その「みやこ」は、いうまでもなく平安京のことです。私たちは、この古都をして「京都」と称しているわけです。
 ですから、丹波や丹後の地域まで京都府下だからといって「京」でいいんだろうか? というのが私の率直な感想です。「京都府」は、あくまで「京都市を中心とする広域自治体」なのであって、京都府=京(or京都)という考え方は私はとりたくないです。

 また、ブランドだからといって、単純にイメージ先行で有名な地名を引用するようなことは、地域の独自性の希薄化につながりそうで、あまりやってほしくはないですね。なんだか、新宿の周辺に西新宿、北新宿があったり、池袋の周辺に東池袋、西池袋、南池袋、上池袋があったりするのと同じようなことのように思えてきます。

 その土地その土地のオリジナリティーをもっとアピールしたほうがいいと思います。
[5590] 2002年 11月 29日(金)15:00:45蘭丸 さん
ミニ新幹線
[5497]ヒロオ さん

 山形新幹線のトラウマ(「新幹線」とは名ばかりの低速だった)から、全国的にミニ新幹線が敬遠されていますが、この柏崎市の場合はちがいます。おそらく、北陸方面への特急が越後湯沢接続に変わり、長岡-直江津間が地盤沈下していることへの危機感が多分に影響しているのではないでしょうか。

 そのほか、ミニ新幹線を誘致している地域に羽越本線沿線地域(新発田市、村上市、酒田市など)もあります。山形新幹線の延伸で羽越本線が閑散路線になってしまうことを憂慮して、新幹線直通による活性化をはかりたいようです。

 柏崎のケースでは、「上越新幹線直行特急早期実現期成同盟会」なる会が新潟県知事を会長として組織されているようです。沿線市町村のみならず、新潟県もこのプロジェクトを推進していることがわかります。

 基礎調査によれば、長岡-上越間の概算事業費は519億円と見積もられたそうです。この額が高いと見るか安いと見るか、評価は別れるかと思いますが、この建設費はどうやって捻出するのでしょうか。私は、それがいちばん気になります。原発の恩恵を受けて、不交付団体である柏崎市にとっては、こんなもの大した出費ではないといったところでしょうか。
 このミニ新幹線の目的が、単に新幹線からの乗り換えをなくすというだけなのであれば、高いコストではないかと私は思います。
 せっかく建設するのであれば、カーブの多い信越本線のこの区間を線形改良した上で、レールの敷設を行うべきだと思います。線形を改良しておけば、この先、羽越本線でのミニ新幹線建設が具体化したときに、上越新幹線を中心に柏崎新幹線と羽越新幹線の3路線が相互直通するとか、北陸新幹線に接続するとかといった形で長距離輸送の役割も担えるはずです。

 もともと、この長岡-直江津間は整備新幹線の基本計画線である羽越新幹線(富山-新潟-秋田-青森)のルートの一部ですから、使いようによっては有益なものになる可能性はあると思います。しかし、その建設方法については、特定の自治体の思惑に影響されないよう、沿線自治体が充分調整をして決めてほしいです。
 ただでさえ、JR東日本の新幹線の運行系統は複雑なわけですから、広域的に有効なミニ新幹線にならなくてはいけないでしょう。

 ところで、もしこのプロジェクトが実現したとして、この路線は営業名称では「新幹線」と呼ばれるのでしょうか。もし、山形・秋田のような高速走行できないような結果になるのであれば、「新幹線」とは称すべきではないと私は思います。

 山形新幹線開業以来、「新幹線」の概念に混乱が生じています。
 全国新幹線鉄道整備法による本来の定義である「主たる区間を列車が200キロメートル毎時以上の高速度で走行できる幹線鉄道」からはかけ離れた路線を、ただ新幹線と直通しているというだけで「新幹線」と呼ぶ慣行ができました。地元自治体やJRとしては、「新幹線」の名称で路線の格が上がったように見せて乗客を呼び込みたいという意図があるのでしょうが、これでは詐称のようなものです。
 こういうミニ新幹線なんかよりも、スーパー特急の北越急行線などのほうがその速度や役割からいって「新幹線」に近いはずなのですが、こちらは「新幹線」とは名乗っていませんし、名乗ろうともしないようです。第三セクターによる経営や、北陸新幹線との関係といったことが絡んでいるのでしょう。

 私は個人的には、今後の整備新幹線計画への影響もありますから、あまり「新幹線」を安売りしてほしくはないと思います。このようなケースが多くなると、今後整備新幹線が建設される予定の地域で、ますますフル規格へのこだわりが強くなると予想されます。
「新幹線」は、あくまで大局的見地から体系的に整備された幹線鉄道であるべきです。
[5564] 2002年 11月 28日(木)21:47:41【1】蘭丸 さん
字体のちがい
 私も「鹿島」も「鹿嶋」も、伝統的な日本語の慣習からいったら本来「同じ」ものになります。戦後、文部省による漢字制限政策がとられるようになってから、この種の字体の異同が問題視されるようになりました。

 おもしろいのは戸籍で、私が聞いたある情報では、渡辺さんの「辺」に当る文字は実に10種類くらい存在するそうです。それには、一画多い、一画少ない、といった程度の俗字も多く含まれているのだろうと思います。
 とにかく、歴史的に見ると、俗字だろうがなんだろうが実際に書き表わされたものはすべて認めてきたという事実があります。活字印刷が普及していなかった時代には、字体を統一することは不可能だったという事情もあってか、古くは字体については非常におおらかだったのです。(私は大学時代、書道を選択科目でとっていまして、文字の歴史についても多少学んだことがあります。)

 しかし、外見がちがう以上、別物として扱うことには一理あるわけで、文字を区別することはいいことだと私は思います。ただ、字体がちがうから「鹿島市」と「鹿嶋市」は別物だというには、国語の歴史から見て多少の無理があるような気がします。佐賀の鹿島だって古くは「鹿嶋」と表記していた可能性は充分にありますから。

 ともあれ、総務省がそれで認めているわけですから、自治体の名称としては「別物」ということになります。

 行政区画の名称を見てみると、鹿児島県「曽於郡」はかつては「囎唹郡」と表記しましたし、富山県には(東・西)「礪波郡」と「砺波市」が併存していたりします。
 おおむね、古くから伝わる文字を平易な字体に変える傾向にあります。

 そういった漢字平易化の流れに同調しない吉城郡4町村の姿勢には、キラリと光るものがあります。でも、ツをロロとしても、パソコンなどでは出力できない(『超漢字』では出力できそうですが)のがなんとももどかしいですね。飛騨四町村合併協のホームページでは、毛筆で書かれた市名の写真の上下に「飛騨市」とツのほうで説明が付けられています。
(しかし、私はこの旧国名を流用した新市名には抵抗を感じています。)
[5489] 2002年 11月 27日(水)19:47:07【1】蘭丸 さん
上越新幹線 新宿ルート
[5321]たけもと さん
>川島さんは鉄道に関しては「トンデモ」の部類に入る方なのでなんとも・・・。

 私はそうは思いませんね。川島令三氏による諸々の提言は、採算性や効率性、地域性を充分考慮した上でなされていると私は認識しています。
 たしかに、氏は純粋な鉄道趣味というよりも政策的提言に重きを置いた研究活動を展開されているようです。そういう傾向から、一般的な鉄道研究者と比較して異彩を放つ存在に見えるのではないでしょうか。しかし、私は鉄道研究家としてのこういったスタイルを評価したいです。
 決して「トンデモ」なんかではないと思います。

 川島氏は、例えば、北陸新幹線は部分的に開業させても北越急行経由が整備されるのであまり需要は見込めない、金沢方面の利便性のためには北越急行線を利用した狭軌新幹線(スーパー特急)で早期開業をはかるべき。東北新幹線盛岡以北は北海道新幹線を建設するのであればフル規格でなくてはならない、その場合、単線新幹線として建設してもいい(効果実証後に複線化すればいい)。北越急行経由は多額の費用をかけたわりに短絡効果が小さい、既設区間でのスピードアップに力を入れなくてはいけない。等々、路線の事情に応じた的確な論評をされています。

>東北新幹線大宮-盛岡間の建設費用と、大宮-東京間のそれとを比較すると、なんとほぼ同じ!
>しかも後者のほうが多いのです。

 川島氏もそのことは認識されているようです。著書の中で同様の比較に言及されています。氏はそういった問題も考慮した上で、必要なものは必要、不要なものは不要、と是々非々の立場で必要性を論じていると私は解釈しています。

>もし容量が限界になったときは、かつての「新幹線リレー号」の復活等、
>在来線を最大限活用することで対応すれば良いと思います。

 川島氏のことですから、おそらくこのような解決策も検討したはずです。実際、山形・秋田のミニ新幹線車両同士で編成を組んで埼京線に乗り入れる方法を提案されています。しかし、それとて現在の埼京線の状況では多くは望めず、「ガス抜き」にしかならないとも付け加えています。
 私も、実際に「新幹線リレー号」を運行するとして、現在の東京都心部の在来線にそのような余力があるのかいささか疑問に思います。新幹線開業当初であれば、それまで運行していた特急の分の空きをそのまま利用して「新幹線リレー号」を通せたでしょうが、東北・上越新幹線開業から20年が過ぎた今日、そのような融通を利かせることはなかなか難しいのではないでしょうか。

 埼京線の北赤羽以北の駅で電車待ちをしていると、本当に絶え間なく新幹線車両が往来します。上下併せて5~6本通過することもざらにあります。待ち時間の長さや上り・下りの別など、詳細に観察したことはありませんが、日中は、少なくとも並走する通勤線(埼京線)よりも過密ダイヤで新幹線車両が行き交っているのは確かだと思います。

 やはり、今後の新幹線網の拡充を見越した場合、この未開業の新宿-大宮間の建設は、コストがかかるからといって安易に切り捨てていい問題だとは私は思いません。

 与党の運輸族の先生方は、新規着工にしか目がないせいか、こういった問題が表立ってまともに議論されないようです。地元思いの先生方だって、お望みの地域に新幹線が通ったはいいが、それに乗っても東京都心部には直通できないというようでは、はなはだ不本意なのではないかと思うのですが。
[5477] 2002年 11月 27日(水)13:01:26蘭丸 さん
「京丹後市」「北京都市」
[5433],[5454]YSK さん、[5444]あんどれ さん

 公募結果を見ると、予想通りというか、やはり「丹後」という言葉が相当数使われていましたね。この合併では、郡名は使えませんから必然的にこのような結果になったとも言えます。

 私が気になるのは「京」あるいは「京都」の用法についてです。YSK さんのおっしゃるように、「京丹後市」は、おそらく京田辺市になぞらえたものでしょう。語呂は悪くはありませんが、この地に「京」を冠するのは、率直に言って違和感大です。
 京田辺市の場合、京都市と同じ山城国であり、和歌山県田辺市との同名回避の必要性からまだうなずけますが、当地域の場合、単に京都府下であるということ意外、「京」が付く必然性がほとんどないと思われます。 あんどれ さんのおっしゃるように、意味のない接頭辞(冠称)になってしまいます。
「京都」というブランド地名への憧れはわかりますが、もっとその地域独自の風土やそれからくる魅力に着目したほうがいいと思います。

 「丹後市」も違和感を覚えます。そもそも「丹後」とは旧国名であり、その領域は、現行の行政区画では、舞鶴市、宮津市、加佐郡、与謝郡、中郡、熊野郡、竹野郡にわたる地域に相当します。現在、宮津市と与謝郡での合併協議も進行中です。丹後地域が1市に収斂されるというのなら「丹後市」もふさわしいでしょうが、このような状況で一部地域のみ「丹後」を僭称するのは妥当性を欠くと言えます。
 「丹後半島」に位置するといっても、その由来は「丹後国」であるわけですから、丹後半島の「丹後」と丹後国の「丹後」は、この場合、同義ととらえるべきだと思います。

 以上のようことを勘案して、私は「奥丹後市」あるいは「北丹後市」(「北丹市」ではなく)がいちばんふさわしいような気がします。
[5344] 2002年 11月 24日(日)21:08:29蘭丸 さん
Re:「奥丹後市」「下魚沼市」
[5324]YSK さん

 「奥丹後市」とは地勢を考慮していて、単に「丹後市」よりもこの地域にふさわしいと思います。この地域の合併は、3郡にまたがっていて、郡名をとるわけにもいかないという事情があります。それらを包括する意味で、「奥丹後」とするのはむしろ自然と言えるでしょう。
 それに、なんだか旅情を誘う、好感の持てる言葉ですね。

 しかし、「丹後市」だと、すでにある丹後町に編入されたような感情をもつ人もいるかもしれません(主に合併協議会の他の構成町で)ので、「丹後市」案が選考過程で生き残るかは微妙だと私は思っています。

 ですから、この案、私は「いい線いくのでは?」と思います。

 「下魚沼市」も、地勢を考慮した、周辺市町村との軋轢を回避できるいい案だと思います。「北魚沼市」だと、小千谷市や川口町も北魚沼地域に属すこととの兼ね合いが問題になりそうですから。ただ、上・下(かみ・しも)という区分は、当事者が受け入る可能性が低いのではなかろうかと思われます(個人的見解)。

 そこで、私が考えたところで「魚沼薮神市」というのがあります。これは、この地域にあった荘園の名前「薮神荘」からとりました。実際、公募で集まった案に「薮神市」「魚沼薮神市」もあったようですが、かつて薮神村という村が存在したことを考慮してか先般発表の10案には入っていませんでしたね。
(情報ソースは、北魚沼六か町村合併協議会のホームページ http://www7.ocn.ne.jp/~kitauo/
 あと「魚沼只見市」なんかもいいかなと思っています。しかし、私がいちばん推したいのは「美雪野市」です。その独創性を私は評価したいです。(拙文[4707]参照)この案は10候補にも含まれているみたいですし。

 「魚沼」は「飛騨」と同様、とても広いので、いろいろと難しいです。
[5315] 2002年 11月 24日(日)08:50:38蘭丸 さん
「飛騨吉城市」いいですね。
[5279]YSK さん

 「飛騨吉城市」とは名案だと私も思います。なにせ「飛騨」とは、この吉城郡のほか大野郡、益田郡にわたる広大な地域です。「奥飛騨」こそ独自のカテゴリーを形成している感がありますが、とにかく「飛騨」は広いのは確かです。
 それに、飛騨の中心地は高山市であるという認識が広く浸透していると思われますから、単に「飛騨」ではなく、そのうちのどこなのかを表わすようにすれば、周辺地域も納得するでしょう。

 これに対抗して「飛騨高山市」も誕生しかねませんが、「方位+広域地名」のパターンよりはオリジナリティーが感じられ、悪くはないと思います。「北飛騨市」「南飛騨市」などより「飛騨吉城市」「飛騨高山市」のほうが、受ける印象にずいぶん違いがあります。

 とはいっても、「吉城市」「高山市」でも充分いい名前だと思いますが。
[5313] 2002年 11月 24日(日)08:07:30蘭丸 さん
「阿賀野市」
[5302]元新潟県民 さん
[4897]で、でるでるさんも報告されていましたね。

 「阿賀野市」。私は妥当な選択だったと思っています。決選投票で平仮名にしなかった協議会委員の見識を私は評価したいです。「阿賀野」という地名(もちろん、現状では広域を指します)にはこれといった明確な定義はなく、観光関係では、単に「阿賀野川上流域」といった意味合いで使われることが多いようです(下流にいくと新潟平野になります)。
 この地名は郡名でもないですし、もちろん旧国名でもありません。ほぼ北蒲原郡南部がこの「阿賀野」に相当し、広域地名の転用とはいえ、大きすぎず分相応であると言えます。東蒲原郡もこの「阿賀野」に含まれるとも考えられますが、東蒲原では、これよりむしろ「奥阿賀」のほうが多用されているようです。この点「能登市」「魚沼市」「飛騨市」とは事情が多少異なっています。
 ただ、当初の10案の中にあった「阿賀北」は、北蒲原郡以北の新発田市や村上市、岩船郡までを含んだ新潟県下越北部の広域を意味する場合がありますので、少々ミスマッチの感があります。

 この地域は、[4931]で雑魚 さんがおっしゃっているように、まさに「山紫水明」を地で行く趣です。「阿賀野川ライン下り」なる観光コースがあり、四季折々の渓谷美を堪能できます(船頭さんの味わいある方言での案内も聞けます)。また、新市には白鳥飛来地で有名な瓢湖(水原町)もあります。ここには、毎年約5,000羽もの白鳥がシベリアから渡ってきます(註・鴨やほかの鳥も同じくらい多いです)。

 [4927]Firo さんのおっしゃるように、たしかに、阿賀野川はかつては公害の川でした。しかし、こういった観光資源のお蔭か、それはもはや過去のものとなりました。また、この公害病は新潟水俣病と通称されることが多いせいもあり、阿賀野川は今では過去のイメージを払拭しているようです。

 それにしても、こういった地域までが「市」になってしまうなんて、ちょっと前まではあまり考えられなかったことです。「平成の大合併」の威力ですね。

 阿賀野をちょっとだけ知っている私の「阿賀野市」評でした。
[5277] 2002年 11月 23日(土)19:41:31蘭丸 さん
「飛騨市」
[5213]でるでる さん、[5223]ヒロオ さん、[5240]いな さん、[5243]りゅうじ さん
 「飛騨市」の得票率が52%とは、いかに「飛騨」という地名が知名度が高く、また好感をもたれているかを示すものですね。

 しかし、これは旧国名飛騨国に由来する広域地名であり、やはり、ひとつの自治体の名前にしてしまうのはいかがかと思われます。「能登市」「魚沼市」などと同様の問題をはらんでいますね。
 また、この「飛騨」は観光などでは、すでに・ブランド地名・化していますから、周辺地域の反発は無理もないでしょう。「ちょっと待って下さい。『飛騨』はおたくだけのものじゃないですよ!」といったところでしょうか。

 私は、個人的には、この地名は「奥飛騨」「飛騨高山」といったように、あくまで広域地名(特定の地名を覆う地名)として使われ、一つの自治体を指す役割はもってほしくないです。飛騨の旅情は、「そのあたり一帯」の情緒からくるものです。大多数の人はそういった漠然としたイメージでこの地名を理解しているはずです。(なんだかとっても観念的というか主観的になってしまって申し訳ありません...)

 そういう性格をもった地名が、市町村合併という政治的動機をともなった事象の影響で、語義の変容を迫られるということは、私はあってほしくないと思っています。もちろん、地名は時を経てさまざまに変化するものですし、人為的につくり出されるものです(でなければ、地名は存在し得ない)。
 しかし、古くからある地名というものは、長い歳月を経て先人が思案し、改良し、多くの人々の合意を得ながら継承されてきたものと私は理解しています。そういう地名の「文化遺産的性格」をもっと尊重しましょうよ。というのが私の意見です。
[5234] 2002年 11月 22日(金)21:29:02蘭丸 さん
上越新幹線 新宿ルート
[5191]ヒロオ さん
>「尾久」という駅をご存じでしょうか?(利用したことがあるのは、蘭丸さんぐらいかもしれないなあ)

 北区民の私も、この駅にはほとんど(というか、まったく)用はございません。利用したこともございません。
 私の利用頻度は、埼京線9割、京浜東北線1割、宇都宮・高崎線ほぼ0(この先利用することがあるかも)、という具合です。以前、朝のラッシュ時に京浜東北線が快速運転しないことがもどかしく、赤羽から高崎線(宇都宮線かも)に試乗してみたことがありますが、件の駅はなんだか人気が少なくて、さながら原宿の宮廷ホーム(ここは平成になってから、ほとんど使われなくなりました)みたいでした。この駅がなぜここにあるのか私にもよくわかりません。上中里駅との間にある操車場の存在が、なにか関わりあるような気がしますが。

>また、新幹線の需要が増えたことから....上野駅の機能がパンクしそうになったら上中里駅に新幹線新駅>をつくればいいのではないかと思います。

 整備新幹線の新規建設論議が注目されるいっぽうで、実は、東北・上越新幹線大宮以南の近い将来のパンクが懸念されています。
 両新幹線は建設経過から、現在、東京、上野二つの始発を設定できるようになっています。しかし、山形・秋田新幹線、長野新幹線開業による列車本数の増大により、東京-大宮間は相当なフリークエント輸送を行っているようです。そのうえ、この12月には東北新幹線八戸開業にともない「はやて」が誕生します。
 山形・秋田新幹線こそ東北新幹線列車との連結により運行されていますが、このような状況から、当該区間に限っていえば、東海道新幹線以上の過密が予想されます。北陸新幹線上越開業あるいはさらなる延伸の暁には、繁忙期には大宮発着を設定せざるを得ない事態も予測されます。

 かかる状況の打開には、もはや東京-大宮間での始発駅の増設では、近接し過ぎて対応できかねると考えられます。そこで浮上するのが上越新幹線大宮-新宿間の建設です。

 上越新幹線は、当初の計画では起点は新宿とされていました。しかし、当面の需要を勘案して東北新幹線乗り入れで対応できると判断され、以来、東京-大宮間は東北・上越新幹線共用となっています。
 また、本来、複々線を想定して建設された同区間ですが、片側が沿線住民による激しい反対運動の懐柔策として通勤新線(埼京線)に変えられました。したがって、同区間は新幹線高架上に通勤線が並走し、上下1本ずつの複線に3方向への新幹線がひっきりなしに往来するという、非常に特異な構造になってしまっています。

 大動脈のこのような状況は不正常と言えます。未開業の新宿-大宮間の建設を検討するべきだと思います。(このような打開策は、鉄道研究家の川島令三氏が提唱しておられます。) 埼京線の直上高架で新宿にいたる方法と戸田公園近くの荒川あたりで地下にもぐる方法とが考えられるそうです。
 直上高架は難工事が予想されますし、地下トンネルも経費がかかります。しかし、都内に新しく用地を取得することは、ほぼ不可能でしょうから、このうちのどちらかをとらなくてはなりません。地下には、今でも新幹線通過を予定したスペースが確保されているとのことです。

 新宿ルートができれば、池袋や赤羽(直上高架の場合)でターミナルをつくることもでき、そうなればダイヤに大幅な余裕ができます。また、大宮を接点として東北新幹線が乗り入れることも可能となってきます。
 新幹線乗り入れによって、新宿の利便性とステイタスはさらに向上するでしょう。この区間の開業は、いろいろなメリットをともなうと考えられます。

 整備新幹線の新規着工に熱心な先生方には、ぜひその前に、この足下の問題にもっと注目してほしいと私は思っています。
[5229] 2002年 11月 22日(金)18:11:03蘭丸 さん
中央区
 千葉市中央区(or亥鼻区)、さいたま市中央区(or与野区)をめぐる是非論が展開されていましたが、ふと気づいたことがあります。東京都中央区ってどんなもんでしょうか。確かに、この区は銀座や日本橋といった日本を代表する商都を抱えており、東京都中央卸売市場築地市場も預かっています。

 戦後、日本橋区と京橋区が統合されて誕生した中央区ですが、銀座・日本橋の賑わいは今や新宿や渋谷に押され気味、築地市場も、都は地元の反対を振り切って江東区豊洲へ移転計画を進行中です。かつて大江戸、帝都の繁栄の中心であったこの地域も、最近やや地盤沈下の様相を呈しています。

 「中央区」の名称は、こういった歴史を自負してのものと思われます。ですが、考えてみるとこの区は23区全体から見ると右の端に位置しています。また、首都機能はとなりの千代田区にほとんどが集中していて、政治や行政の中心は千代田区になります。千代田区には、大手企業の中枢機能も数多く存在します。さらには、都庁は新宿区にあって、都政の中心は新宿区であることは明らかです。新宿西口には、都庁をはじめオフィスビルやホテルなどの高層ビルが林立し、「日本のマンハッタン」と表現されたりもします。

 位置的中心ならば文京区あたり、政治的中心ならば千代田区または新宿区、街の賑わいならば新宿区か渋谷区(若者中心ではありますが)、というのが実際のところではないでしょうか。

 なんだか東京都中央区もその区名の妥当性が怪しくなってきた。というのが私の印象です。でも、そもそも「中央区」という区名自体、とても観念的なものですから、考えたら止め処ない話になりそうですが....。
[5216] 2002年 11月 22日(金)08:42:01蘭丸 さん
宮号の由来
[5197]ken さん
高円宮殿下薨去。私も謹んでお悔やみ申し上げます。

ところで、宮家の宮号は地名からとられたものが多いですね。

秋篠宮奈良市の秋篠の里(秋篠町)、秋篠寺より
常陸宮常陸国より
秩父宮埼玉県秩父より
三笠宮奈良市の三笠山(いまの若草山)より ※北海道三笠市の市名もこの山に関連
高円宮奈良市の高円山より

高松宮は四国の高松との関連を連想しますが、それとは関係なく、お屋敷の中にあった松の木にちなむそうです。現在の高松宮とかつての高松宮(のち有栖川宮)は直接的な関係はありませんが、大正天皇の第三皇子宣仁親王が宮家の祭祀を継承しました。
桂宮は、江戸時代に創立されたものと現在のものとは全く関連がなく、かつてのものは京都・桂川より、現在のほうは親王のお印「桂」よりとられたとのことです。

また、過去にあったあった宮家でも、

伏見宮京都・伏見より(宮家創立時は京都とは別個の「伏見」)
山階宮京都・山科より
有栖川宮京都・有栖川より
久邇宮山城国恭仁京より(いまの京都府相楽郡加茂町あたり)
北白川宮京都・北白川より
竹田宮京都・竹田より
華頂宮京都・知恩院の山号「華頂山」より
(伏見宮より東伏見宮が、久邇宮より東久邇宮が別れています。)

と、地名由来のものが多いです。

このうち秩父は埼玉県の市名および郡名、伏見、山科は京都市の区名です。

また逆の例もあり、埼玉県朝霞市は、昭和初期に駒沢から当市(当時は膝折村)に移転してきた東京ゴルフ倶楽部の名誉会長朝香宮殿下の宮号をいただいたものです。昭和7年の町制施行の際に改称、「朝香」の文字を遠慮して「朝霞町」としたのだそうです。(朝霞市では、東京ゴルフ倶楽部より発せられた町名改称許可書を文化財として保管しています。)

※「浩宮」「礼宮」といった、内廷の皇族につけられる称号は、宮号とはまた別のものだそうです。こちらの場合は、主に幼少時の愛称のような性格があります。礼宮さまが独立後、秋篠宮となられたように。
また、宮号・称号は、一般の姓とは異なって、屋号のようなものだそうです(皇室には姓氏がない)。そのため、皇族の身分関係を記した公式な記録である皇統譜には記載されません。意外な感じがしますが、もし、苗字みたいなものだったらすべての皇族が同じものを称するでしょうね。

ちょっと脱線ぎみのネタでしたでしょうか?
[5189] 2002年 11月 21日(木)22:05:09蘭丸 さん
Re:武蔵野に住むということ
[5156]ゆう さん
 要するに、相手や状況によって言葉の持つ意味が変化するということですね。
 もちろん、私は武蔵野市を「武蔵野」と呼ぶべきではない、といっているのではありません。「武蔵野市」という自治体名は尊重した上で、客観的に分析してみた(そのせいで文がつっけんどんな印象になってもいますが)つもりでしたが、「ほぼ100%いないと思われます」は、やはり語弊があったと反省しています。(拙文[5056]

>西東京市民の私は、相手によって「○丁目に」「○○町に」「○○(駅名)に」「西東京市に」「東京都に」「in >Japan」などを使い分けてます。

 私の意図する論点とは、ちょっと逸れているような...。 あまり論理飛躍はなさらないようにお願いいたします。
[5187] 2002年 11月 21日(木)21:38:11蘭丸 さん
関東州、横浜都、大阪都
[5126]ヒロオさん
>(ただ佐々木教授も指摘しているようにそうなると北区は「北京」、文京区は「文京京」になってしまいます>が・・・)

 「北京」では、どこかの国の首都になってしまいますね。ここはひとつ、幻の「飛鳥山区」になぞらえて「飛鳥山京」はどうでしょう。あれ、なんだか奈良の地名のようになってしまいます。それならば、区でいちばん活況を呈しているところの地名を引っぱって「赤羽京」はどうでしょう。う~ん、これだと王子、滝野川の住民感情が許さないでしょうね。それならば「京北京」? そんなわけにもいかないし....。あ、「城北京」がありました!これがいい。でも、これはすべて北区の区名選定過程であがった候補じゃなかったでしたっけ?

 「文京京」では同義の文字が重複しますから、単に「文京」でどうでしょう。しかし、どこか据わりが悪いです。「小石川京」「本郷京」は、どちらも使わないほうが無難ですね。じゃあ、区の中心部の地名から「白山京」ではどうでしょう。あまりピンと来ませんね。そうだ、「後楽京」ならば様になります!

 新しい名称の選定に際しては、またひと波瀾ありそうですね。

> 横浜市も人口が多すぎるため自治体の機能としてなかなか動きが取れなくなってきております。横浜市を都>に昇格させて、....
  以前、大阪府でも大阪都構想がありました。今は、消えてしまったようですが・・・

 現行の地方自治法での「都」は、戦前(というか戦中)の「東京都制」とは違い、東京限定の制度ではありませんから、こういったことも法理論上は可能ですね。
 小さすぎる自治体も問題ですが、大きすぎる自治体もやはり問題です。政治や行政が住民と離れてしまっては自治体もなにもなくなってしまいます。大都市行政の方策として、このようなことがもっと検討されてもいいと私は思います。横浜市分割論だと、いろいろと問題多そうですから。
[5124] 2002年 11月 20日(水)20:34:26蘭丸 さん
武蔵野市、三鷹市
[5102]eternal さん
>東京の場合、市名よりも最寄り駅で住んでいる所を表現することが多いですね。

 そのとおりですね。東京の北区に住んでいる身では、そういった言い方を日常生活で実際にやっています。(拙文[4880]参照)でも、多摩地域に限っていえば、比較的自治体名(についてる地名)のほうが通りがいいのではないでしょうか。三鷹、小平、調布、小金井、立川、国分寺、日野、八王子....といったような具合に。 しかし、多摩、武蔵野は駅名を言うか、多摩市、武蔵野市というふうになるでしょうね。 西東京、あきる野は微妙でしょうね。市民はどう言っているのでしょうか。

>しかし、武蔵野市の場合、「武蔵野市」って市名自体にブランドがあるので、「武蔵野に住んでる」という人>もいると思いますよ。

 えっ、そうだったんですか?都内に住んでる人間から見ると、武蔵野市にいたるまでに、渋谷区や杉並区などの山の手の住宅地(京王線、井の頭線沿線)があるものですから、そうとは知らず、認識不足でした。
 私は地価のことは詳しくはありませんが、確かに賃貸の相場を見ても、武蔵野市、三鷹市あたりは都内の練馬区、板橋区なんかと比較したら高いですね~。世田谷区、目黒区あたりとほとんど変わりませんね、実際。(もっと高い?)武蔵野市と三鷹市でも違いがあるとまでは知りませんでした。

>武蔵野市は高額所得者が多く、....、足立区などよりも一般的なイメージがよいです。

 私もそう思います。都内の足立区、練馬区、板橋区、豊島区、江戸川区、そしてわが北区なんかは、好感度では武蔵野市、三鷹市周辺には負けてしまいます。特に、足立区の千住以外の大部分や、練馬区の埼玉寄りなんかより、この地域のほうがずっと「開けてる」感じがしますね。(あくまで私の私見です。当該地域の住民の方、ご容赦ください。)
 武蔵野市、三鷹市あたりのほうが、一般的な「都内」のイメージに近いかもしれません。私は、この地域を特別区にしてもいいのでは?なんて考えたこともありましたが、まだ地方自治も知らぬ頃、今から考えれば完全な自治体である「市」のほうが、当然いいだろうと思うのですが。


 しかし、やはり武蔵野市を単に「武蔵野」と言うのには違和感を感じます。会話の状況や文脈から、武蔵野市と周辺地域を区別するために使う場合には効力がありそうですが、「武蔵野の名所」「武蔵野の史跡」「武蔵野の自然」などという場合は、字面だけでは武蔵野市なのか武蔵野(広域)なのかは判断がつきません。
 今でも「武蔵野の面影」のように、武蔵野広域を表現する場合がしばしばあります。事実、皇居の杜が「武蔵野の面影」と云われますから。

 そういった関係で、「武蔵野」は自治体名としては荷が大きい、武蔵野市域を言い表わす場合にためらいがあるのでは、というのが私の感想です。
[5070] 2002年 11月 19日(火)20:07:04蘭丸 さん
多摩、多摩市、多摩ナンバー
[5061]ken さん
 多摩市も、しょってるものが重すぎますね。「多摩」とは本来、旧多摩郡もしくは三多摩のこと(現代ではもっぱらこの意味)ですから。
 現在、公式には西多摩郡しか存在しませんが、天気予報その他諸々の場面において、23区と区別したい場合などに「多摩」という呼称は現役で活躍しています。ですから、「多摩市」との整合性において、とても微妙なものがありますね。多くは、単に「多摩」と言った場合は広域名のことでしょうが、だからといってそれで割り切れるとは言い切れません。前後の文脈や状況から判断する、というようなことを無意識で行っているのでしょうね。私達は。

 ところで、車の多摩ナンバーは多摩市からとった「多摩」ではなく、三多摩のほうからとった「多摩」だったのですね。私はずっと多摩市の「多摩」だと思っていました。なにせ、東京にあるほかのナンバーは、すべて陸運局(自動車検査登録事務所)の所在地からとっていますから(品川、練摩、足立、八王子)。最近、多摩自動車検査登録事務所が国立にあることを知り、このことに気付きました。

 ということは、多摩ナンバーは、相模、湘南、飛騨なんかと同類になるわけです。しかし、このことを知っている人ってどのくらいいるでしょうか。案外、私のように誤解している人も多いのでは?と思っています。 (自分だけ?)
[5056] 2002年 11月 19日(火)07:59:34蘭丸 さん
武蔵野と武蔵野市
[5051]ちゃっきー さん
> それにしても吉祥寺に住んでる人は「どこに住んでるの?」と聞かれると市名でなく、「吉祥寺」とこたえ>る事が多いですね~。笑・・・地方の人が聞いても「東京の吉祥寺」っていう感じで・・・

 広域地名の借用がもたらす自治体名の没個性化と、その結果の無力化だろうと私は思います。そもそも「武蔵野」とは武蔵野台地全域の、とっても広汎な地域を漠然と指す地名です。国語辞典を引くと、武蔵国全域を指すこともあると書いてあります。要するに、一つの自治体の名称とするにはちょっと荷が大きすぎるんでしょうね。この「武蔵野」は。

 武蔵野市の市名は、明治22年の市制・町村制施行時の合併で誕生した「武蔵野村」(神奈川県北多摩郡)に由来するもので、自治体の名称としてはけっこう古いものです。ですが、合併でできる典型的な没個性的自治体名(瑞祥地名、借用地名、抽象地名など)であることは否めません。

 その後、武蔵野村は東京の近郊都市として人口が増加し、単独で町制、市制を施行しました。また、吉祥寺の街や井の頭恩賜公園などは地方でもかなりの知名度を得るようになりました。でも、市名は「武蔵野市」と従前のものを踏襲したままとなっています。

 これだけ有名な地名があるのに市名を改称しないのは、なにかわけがあるのでしょうか。私なんかは東京に住んでいながら、つい最近までは吉祥寺は吉祥寺市かと思ってたくらいです。

 武蔵野市に住んでいて「武蔵野に住んでます」なんて言う人はほぼ100%いないと思われます。(「武蔵野市に住んでます」はあるでしょうけど)以前、私の従姉妹が吉祥寺に住んでいました(このことがきっかけで、吉祥寺は武蔵野市だということを知りました。それも、つい4~5年前のこと)が、やはり「武蔵野」あるいは「武蔵野市」という言葉を一度も聞きませんでした。それくらい使い勝手の悪い市名なのです。武蔵野市民が「武蔵野市」を意識するのは、役所関係の公的な場面に限られるのではないかと私は推測します。

 こういったことが、安易な広域地名の借用あるいは創作の弊害だと私は思っています。「能登市」「魚沼市」「北四国市」「しこくなか市」等々と、最近の市名案は傾向が片寄ってしまっている感が強く、外野から見ても何となく予想できる、といったものが多いのは少し寂しい気がします。

 「南アルプスに住んでます」なんて言えないでしょうし、「道路標識で『南アルプス5・』となっていたが、まだまだ山は遠いじゃないか」なんて笑えない話が起こらないともいえないでしょう。

 私は、こういった方式の命名はあまりいただけないと思っています。
[5021] 2002年 11月 18日(月)18:59:52蘭丸 さん
合併への圧力が問題では?
[5019]eternal さん
>小規模自治体がこの先も行政サービスを維持できるのでしょうか?

 私も、この点は充分理解しています。しかし「あなたのところは規模が小さくて無理でしょう」といって国がちょっかい出す必要はないのではないかと思います。基本的な行政サービスを、補助金頼りで行っているような超小規模自治体は、いずれ財政破綻し、合併せざるを得なくなると思われます。
 補助金を減額するのは財政健全化のためには必要なことですが、私が問題に思うのは、なんで一般論として行われないのか、合併しなかったらカットするという方法なのかという点なのです。一般的な政策として、交付金などの補助金の削減を行って、その上で存立が困難な自治体は合併の必要性を悟り、自主的判断によって合併をすればいいのではないでしょうか。それが・自治・だと思います。
 気の長い話になるかもしれませんが、あくまで企業の合併や組織の統廃合などとは異質の問題だと思われますので。

>税の配分を変えても、小規模自治体では自身の税収が少ないため歳入が増えることはないでしょう。

 それでも、いいのではないでしょうか。税源配分を変えても、人口や事業所の少ない小規模町村は歳入が増えず、逆に多くは歳入減となることでしょう。そうなった時、必要性が明らかになった時に自治体が自主的判断で合併すればいいのではないでしょうか。

 政府は、親心からか、どうも合併を急かすようなことばかりしていますが、あまり圧力や強制力をともなった合併はしないほうがいいのではないかと私などは思います。
[5018] 2002年 11月 18日(月)15:01:14蘭丸 さん
日本では、なぜ連邦制ではなく道州制か
[4984]ヒロオ さん
>ロシア、ドイツなどは連邦制を採用していますが、日本では連邦制の論議がまったく見られません。お国柄ですかね。

 今の日本に連邦制を導入する必然性がないからだと思います。 たとえ、新しく制度を確立しても、おそらく日本国民はそれに馴染むのに相当の時間を要すると思います。

 現在、連邦制をとる国は、アメリカ、ロシア、スイス、ドイツ、オーストラリア、ベルギー、カナダ、ブラジル、マレーシア等々と世界には多数存在しますが、それらの国々は歴史的経過から連邦制をとるにいたっています。連邦制を「導入」したのではなく、結果的に連邦制になっていると言ってもいいと思います。
 それぞれ別個に成立したコミュニティーが対外的に連帯しようとしたり(アメリカ、スイスなど)、国土の広域性ゆえの統治の方策として編み出されたり(カナダ、オーストラリアなど)、あるいは、歴史的な地域主義の名残り(ドイツなど)だったりと、連邦国家には連邦制であるべき必然性があるのです。

 ひるがえって日本を考えると、確かに中世以降の地方制度は事実上の連邦制に近いもの(今日の民主主義下の連邦制とは性質が異なりますが、地方の独立性は相当程度ありました)でしたが、明治維新という大改革によって、中央集権体制への元帰りが断行され、富国強兵の近代化が推し進められました。その当時の地方体制と今日の地方体制は基本的には変えられずに推移してきました(都道府県の枠組みが100年にもわたって改編されていないのが象徴的な例)。
 変わったことといえば、都道府県が単なる行政区画から自治体に昇格したことぐらいです。それも、戦後の地方自治法制定時に存在した都道府県をそのまま存続させるための方策だったというだけで、都道府県の存在意義の検証や広域自治体の明確な定義づけもないまま、都道府県と市町村の二層制がとられているというのが実際のところだと思われます。

 近代化を果たして自他ともに認める先進国となった今、当時の中央集権体制の名残りを残しておくことはあまり適当とは思われませんが、なにせ100年にもわたってこの地方体制を維持しててきたわけですから、今さら「連邦制」なんていわれても唐突なんですね。おそらく。
 それに、近代化後の日本は標準語の浸透や東京一極集中などによって、地方の個性が薄れていますから、国民の生活実態からいっても連邦制は似つかわしくないと思われます。
 ですから、個々に主権を持った州によるところの連邦制ではなく、単に広域的自治を行うという意味合いで「道州制」なる言葉がつくられたものと私は解釈しています。
[5016] 2002年 11月 18日(月)14:00:10蘭丸 さん
合併の目的と都市の肥大化
[4967]issie さん
>別に百万都市にならなくたって,いいじゃない。
>人口が増えるのが都市の発展の象徴で,それで格が上がる・・・なんてのは,....
>もう,そんな時代じゃないと思いますよ。

[4971]わたらせG さん
> 私も同感です。習志野市のみならず。....
>少し立ち止まって冷静にその地域の歴史、環境、特性なども十分に考慮した上で....
>..「温故知新」大切なことですね。

 私も、このような意見に同感です。合併しない小規模町村から事務権限を奪うなんて、もってのほかと思います。([4423]拙文、[4482]くは さん 参照) 合併、合併、また合併と、国が音頭をとって自治体の再編を行うということを、近代日本はこれで3回行うことになります。自治体の大型化、都市の肥大化は、地方自治にとってそんなに大切なことなのでしょうか。

 政府は「国・地方を合わせた」財政健全化のために、市町村合併をするんだと言っています。しかし、「民主主義の学校」と云われる地方自治の、基本的単位である市町村の合併は、住民福祉の見地からの充分な検討と無理のない進め方が求められるはずです。財政健全化も重大事ですが、無駄があっても守らねばならないものもあるように私は思います。

 中核がどこか判然としないのに、ただ政令市を目指して合併したり(湘南市など)、単に見かけの人口規模を意識して合併したり(千葉市+四街道市など)というようなことは、はたしてそれが住民の福利につながるのか、はなはだ疑問です。
 [4959]ヒロオ さん、[4964]ケン(地理好き)さんご指摘のように、歴史的経緯を充分考慮せず、単に“隣接しているから”といって合併してたら際限のない話になってしまいます。最近話題にのぼった町田市と相模原市のように、住民の生活実態から見て合併が自然な場合に行われるべきでしょう。

 役所の目からは、とかく人口=財源というとらえかたをされます。しかし、人口確保のために合併しところで少子高齢化は止められるものではなく、いずれまた、同様の合併論議が浮上してくるでしょう。
 少子高齢化への対策は、自治システムの抜本的な改革でなければ効果はありません。現行の制度のままで小手先の対応(基礎自治体の大型化)をしておればいいという優しい問題ではないと思います。都道府県の再編あるいは廃止、道州制の検討、市町村の種別の廃止など、より広汎な議論をすべき時節にあると私は思います。

 「平成の大合併」の主目的は、「基礎自治体にふさわしい体力をつけるため」と表向きは説明されていますが、なぜ、国税と地方税の配分を見直すといったような根本的問題がクローズアップされないのでしょうか。
不思議です。

 私は、昨今の合併論議の伏線には、国の財政負担の軽減という一大目的があるように思います。(国と地方の税源配分に手を付けず、もっぱら地方財政の効率化のみ問題にされているようですから)地方にかかる負担を減らし、そこから得られた余裕を外交・防衛といった分野に振り向け、わが国の国際的地位を高める.....そんな意図が合併の旗ふりをする政府や政党にあるように感じます。
 実際、ひと昔前まで地方分権といえば、社会党などの革新勢力の専売特許の感がありましたが、今では逆に自民党や自由党といった保守の側から強く唱えられています。それも、合併の見返りとしての分権であるといことが従来とは違っています。
 人口段階別に小出しで分権なんかしないで、はじめから基礎自治体には無条件に分権をして、個々の行政事務をやるかやらないかは自治体の裁量に任せておけば済む話ではないかと私などは思います。その上で、行政サービスをこなせない自治体は合併を自主的に判断していけばいいのではないでしょうか。

 今の合併論議は、どうも地方切り捨て路線に感じられます。時代に見合った国の国際的地位向上ももちろん大切ですが、地方自治という政治の基本が軽んじられないようにしなければならないと思います。

 新市の名称がああなった、こうなった、とか、この市の人口がこれだけ増えて、あっちは減ってしまった、などと目先の現象にばかり気をとられていてはいけないな、と思うこの頃です。
[4887] 2002年 11月 14日(木)21:05:10蘭丸 さん
関越、上越、信越 ...
[4869]ゆう さん

>単に「『上越線』を含む路線の新線」の意味かもしれませんね。

 そのとおりですね。東海道新幹線は東海道本線の、山陽新幹線は山陽本線の、東北新幹線は東北本線の、北陸新幹線は北陸本線の、それぞれ新線として建設された(る)ものですから、上越新幹線の場合もこれが当てはまります。
 ですが、上越新幹線には、ほかとは違うところが一つあります。上越線は「本線」ではありません。ですから、正確には「高崎線+上越線+信越本線」の別線ということになるでしょう。

 今でこそ、東京と日本海側を結ぶ効率的ルートは、 上越新幹線および関越自動車道であって、 上越新幹線接続特急が北陸本線と羽越本線を走り、 東京から延びる関越自動車道が長岡で北陸自動車道に、その北陸道が新潟で日本海沿岸東北自動車道に接続しています (ですから、私は世間で云われているような「田中元首相の地元への利益誘導だ」式の固定的な評価は正しいとは思いません) が、明治の鉄道黎明期においては、清水峠越え(あるいは三国峠越え)は技術的に難しいと判断され、碓氷峠越えの長野-直江津-長岡を経由して新潟と結ぶルートが先行して建設されました。

 だいぶ遅れて開通した上越線(上越線全通は昭和6年、信越本線全通は明治37年)は、東北本線の支線というのが正式な位置づけです。しかし、対日本海側へは、長野へ迂回するルートより大幅な短絡効果があり(碓氷峠はアプト式、清水峠は電化されたループトンネル、という違いもありました)、やがて上越線は特急銀座となります。
 そのような関係で、将来的に上越線と高崎線を統合して「上越本線」とする計画もあったようですが、その前に上越新幹線が開業してその必要性がなくなったため、 一大幹線ルートでありながら、 「本線」 への格上げは実現しませんでした。

>私などは「関越新幹線」もありかなと思っています。

 私も「関越」という言葉は、結構馴染みやすいものがあると思います。 関越、上越、信越、磐越、羽越、上信越と「越」のつく地名の合成は数々ありますが、これがいちばん語感がいいと私は思います(あくまで個人的見解です)。

 ところで、この「越」の字ほど何にでも合うものは、ほかにはないのではないか、と私は思います。 京浜、京葉、京成がありつつ埼京がある、総武がありつつ常総(これは学校名ですが)がある、磐越がありつつ常磐がある、信越がありつつ上信、甲信がある、といった具合に、鉄道路線に多く見られる地名の1字と1字を併せるという方法は、ケースバイケースで語呂良く行われていますが、「越」の場合は必ず後ろにくっついて、全体の語感を整える役割をしています。

 仮に、新潟県(越後国)に隣接しない地域とこの方法を試してみると、総越、常越、甲越、武越、陸越、駿越(すんえつ)、讃越、備越(びえつ/びんえつ)、筑越 ...と、意外にもマッチしてしまいます。

 ところが、ただ一つ、「越」の字が頭になるものがあります。「越佐(えっさ)」です。佐渡海峡を俗に越佐海峡と言ったりして、おもに観光用に使われる言葉です。
 私なんかは「佐越」でも、別に違和感を感じません。しかし、このように言い習わしているのは、単にこっちのほうがより語呂がいいと思われているからでしょうか、それとも、両国が今はともに新潟県であるため、本土のほうを優先しようとする意図が働いているからでしょうか。

 ささやかな発見を、発表させていただきました。

※ 福井県には「越美北線」という路線がありますが、これは「九頭竜線」とも呼ばれていますし、この場合の「越」は、越前の「越」なので、埒外と考えました。(ちょっと、強引な論理展開かもしれません)
[4880] 2002年 11月 14日(木)13:06:38蘭丸 さん
東京都北区
[4868]ヒロオ さん

 東京都北区は、政令指定都市の行政区とは違って、 今では曲がりなりにも自治体なわけですから、 私もこの
区名には違和感を覚えるのはたしかですね。 しかしながら、 この区名はさまざまな苦悩の結果、 なかば妥協の産物として生まれたものです。

 もともと、 現在の北区の区域には、 戦前までは王子区と滝野川区が存在しました。 王子区はもとの北豊島郡王子町、同 岩淵町の、滝野川区は同 滝野川町の区域をもって昭和7年に設けられ、東京市35区の仲間入りを
しました。この時、滝野川は「1町1区」の猛運動を展開し、滝野川区設置を実現したそうです。 こういった
ことから、この地が地元への愛着の強い土地柄であったことを窺い知ることができます。

 両区を統合した新区の名称については、「城北区」「京北区」「飛鳥山区」「赤羽区」などが候補としてあげられていて、「飛鳥山区」については、区のシンボルであり、新生区の名にふさわしいという意見もあったようです。しかし、 当時は漢字をできるだけ簡素に使おうとする風潮が強く、「あすかやま」 と読ませることに対
する漢字の用法上の配慮から、 結局、平明簡潔な「北区」に落ち着いたのだそうです。
 今から考えればたいした問題ではありませんが、当時は、そういったことも区名選定においての検討要素だったんですね。時代の流れを感じさせるエピソードです。

 慎重な検討を重ねた末の区名ですが、 結果的には[3842]ken さんのおっしゃるような、いろんな場面における据わりの悪さを伴ってしまいました。 それは、紛れもない事実だと思います。 「北区」 と表記される限りにおいては問題はありませんが、行きがかり上、「北」としか表記されないケース(統計表・一覧表や23区名を列挙する場合など)もよくあって、そんな場合は‘これが北区を表わしているのか’と、その別物のような姿にちょっと目を疑うことがあります。また、各種団体の支部などは「○○協会北支部」といったようになってしまい、単独ではほかとの関連性がわからないので、都内北部地域の支部なのか、北区に限った支部なのか、正直言って見分けがつきません。

 実は、なにを隠そう私はその北区の住民です。(これも、「北区民」と言うと、どうもしっくりしない)この区名のなんともいえない違和感が、私に地名に対しての興味を持たせた一つの要因でもあります。わが北区には「北区立北中学校」なる学校もあり、私なんかは、もっと違う名前を考えられなかったものか、と思ってしまいます。

 とはいえ、慣れ親しんだ者にとっては、この中途半端さが逆に他の区と違う個性かな? なんて、どことなく
愛着を感じるのも、また、事実です。北区誕生からすでに50年以上が経ち、この区名のお蔭か、もとの2区は、今ではすっかり融合しているようです。

 もっとも、東京に住んでいると何区というよりも、もっと細かい地域名や(有名な駅周辺では)駅名のほうを地名として使うことが多く、 北区でも、王子・滝野川・赤羽と3地域に分け、 その区分や駅名を称することの
ほうが圧倒的に多いのが実情です。(Q.「お住まいどちらですか?」→ A.「赤羽です」/「滝野川です」/「東十条です」というふうな感じで) 区内はもとより、対外的にもそれで充分通じてしまいます。というよりも、「北区」より個々の地名のほうが存在感が大きいのです。
[4861] 2002年 11月 13日(水)21:42:55蘭丸 さん
町+町+町=村?
 宮城県加美郡の4町合併が、さきに色麻町の離脱によって破談となりました。今後は、残る3町のみで合併を進めるとのことです。4町は合併後市への移行を目指していましたが、この離脱によって合併特例法の人口要件3万人を満たさなくなったため市への移行は果たせなくなりました。

 さて、残る3町による合併となったため、合併後は市ではなく町になるかと思いきや、なんと、このままでは村になってしまうということです。 この3町で、 もちろん人口は町となるべき要件を満たすのですが、 問題は連檐戸数(宮城県条例では「中心の連戸区域内に在る戸数」)で、3町併せた場合の割合が、宮城県条例で定められた「五割以上」に届かなくなるそうです。
 宮城県市町村課によると、3町のうちで中心的存在となる中新田町で6割前後、他の2町を併せると、総戸数が増えるため、5割を切ってしまうのだそうです。

 市の成立要件をギリギリまで緩和し、なんとか合併の気運を盛り上げようとした政府の特例措置が、とんでもない事態を引き起こしたことになります。

 もっとも、町と村の間に実質的な差異はないわけで、「なんということはない」と受け止めればそれで済む話でしょうが、やはり、ご当地では、一様に困惑の色が広がっているとのことです。「市になってジャスコできてほしかったのに...」「市になれないのなら合併する必要なんてない」と、小・中学生にいたるまで青息吐息だそうです。(小学校高学年では、4町合併について勉強しているところだったとのこと)
 やはり、「町」から「村」になることへの心理的な抵抗は大きいようです。合併協議会の事務局は「町と村で事務的に違いはない」と言っているようですが。

 このような事態を回避するため、県は対応を検討し、合併特例法期限内は、町を含む合併で誕生する自治体は、県条例で定められた町の要件を問わず町とする、という条例の附則案を15日からの県議会に提出することにしたといいます。

 このニュースを知って、私が感じたことは、「そもそも市とはなに?」「町とは?」「村とは?」ということでした。明治時代から続くこの区別は、果たして今日的意義を持っているのだろうか、単に政府の合併誘導策の手段となってはいないだろうか、と思えてなりません。

[宮城県条例による町となるための要件]
 ・人口5,000人以上
 ・連檐戸数5割以上
 ・非農業的産業従事世帯人口5割以上
 ・非農業的産業従事世帯人口が過去5年間増加傾向
 ・病院、診療所、劇場、映画館等の施設があること
[4744] 2002年 11月 10日(日)10:13:59【1】蘭丸 さん
宇摩新市市名案について
[4705]でるでる さん

 この11案中、6つが方位づけ、4つが平仮名、1つが広域地名の借用ということになります。見事なほどに、いま流行りのパターンが出揃った、という感じです。

 なかでも注目は「東えひめ市」でしょうか。この、漢字+平仮名の案が、もし「東かがわ市」を意識したものだとしたら、二番煎じの感は否めません。「しこくなか市」も、茨城県ひたちなか市を想起させます。これも、もしかするとひたちなか市の影響を受けたものでしょうか。 そうだとすると、 こちらもオリジナリティーに欠
ける感じがします。
 しかも、ひたちなか市は、 常陸国那珂郡を意味するもので 「常陸中央」 の意ではありませんから、ご当地の場合、この方式を当てはめると「いようま」「えひめうま」か「しこくうま」となるはずです。

 「法皇市」は、 法皇山脈・法皇湖などに由来すると思われますが、 いかんせん全国的な知名度が低いため、 周辺の地理を知らない人にはいくぶん(というか、ずいぶん)突飛な印象を与えます。地図や道路標識などで、単に「法皇」と表記される場合があることを考慮すると、市の名称としてはやや不適切な感じがします。
 同じく自然地名からとられた「ひうち市」は、燧灘の「燧」が常用漢字にないため、平仮名にするのも致し方ないといえますが、これも「ひうち」単独だと何のことかさっぱりわからなくなります。

 「四国中央市」「北四国市」「東えひめ市」「東愛媛市」「愛東市」は、漠然とした広域、あるいは四国での位置を指す言葉を新たに創作したものですが、1自治体が名乗るにふさわしいかどうか、充分考える必要があると思います。すでに東予市、伊予市もあることとの兼ね合いもあるでしょう。
 「瀬戸内市」 も同様に、「瀬戸内」という広汎な地域を指す地名のなかに、 この市の個性が埋没してしまう
可能性は否定できません。

 「四国中央市」は、交通の要衝であるという地域のアピールポイントを表わしたものでしょうが、高松市や
松山市がどのような反応を示すでしょうか。気になるところです。

 数々の案の中でも、やはり「宇摩市」がいちばん適当かと思われます。川之江市、伊予三島市ともにかつては宇摩郡の所属でしたし、 今回の合併で、 別子山村を除いた郡のほぼ全域が新市に移行することになるわけです
から、 なにも、もともとあるこの地名を差し置いてまで新しいものを模索する必要はないように思われます。

 いつもの、外野の余計なお節介でした。
[4742] 2002年 11月 10日(日)07:56:06蘭丸 さん
法皇山脈の由来 その2
[4731]でるでる さん、[4735]rio さん

 「法皇市」案の由来となった法皇山脈ですが、通説はrio さんに示していただいたように、白河法皇とのゆかりにちなむとされています。伊予三島市もこの見解をとっているようですね。

 しかし、「ほうおう」にあてる文字は、もともとは「鳳凰」であったという説もあります。これは、山の形状が鳳凰が飛び立つ姿に似ており、この地方独特の「やまじ風」も鳳凰が飛び立つときのつむじ風に通ずる、というものです。

 私は、この説のほうが由来としては信憑性が高いと見ています。白河法皇ゆかり説については、果たして、時の法皇みずから「法皇」と称することを許すことなどあるのだろうかという疑問がまっ先に浮かびます。歴史ある地名のなかには、ときおり貴人とのゆかりを称するものがありますが、そういったもののほぼ100%に「みずからの名(称号)を許す」などというケースはありません。
 第一、日本の皇室は古来より質実剛健を旨とし、華美や驕りを戒めてきましたから、いかに法皇(上皇)とはいえ、「褒美」として法皇と称すことを許す、などという高飛車なことはおっしゃらないはずです。

 また、地名は時を経るごとに変化するものでもあり、例えば、補陀洛(ふだらく)→二荒(ふたら/にこう)→日光、粕壁→春日部のように、佳字に変化するということはよくあることです。(苗字でも窪→久保という
ふうに、同様の例はたくさんあります) ※

 「京に寺院を建て」た故事も、この時建立された寺は何寺か、年代はいつ頃なのか、といった点について、
あまり詳らかではないことが気になります。

 ですから、私は「鳳凰」転化説のほうが真実に近いのではないかと思います。

※ 日光市の語源は現在の二荒山(男体山)といわれ、はじめ梵語のポタラカ(観世音菩薩の
 住む山の意)を訳した補陀洛(ふだらく)だったものが二荒(ふたら)に転化し、さらにそ
 れを音読みしたもに日光の字を当てはめたといわれています。
  春日部市の「春日部」は「粕壁宿」に由来し、昭和19年の南埼玉郡粕壁町と同内牧村の合
 併の際に春日部町と表記を変更しています。 その後、昭和29年にこの春日部町と南埼玉郡
 豊春村、同武里村、北葛飾郡幸松村、同豊野村の大合併が行われ、その際に引き継がれて現在
 にいたっています。
[4718] 2002年 11月 9日(土)15:01:22蘭丸 さん
北陸新幹線上越駅(仮称)私的代案
大幅な亀レスで申し訳ありません。

[4602]いな さん

 やっぱり、「上越」のまま変更なしでしょうか。ほかに新幹線駅にふさわしい名称が見つからないのも事実
ですね。旧郡名の中頸城郡から「頸城」を採ったとしても全国的な知名度に問題がありますし、中頸城郡頸城村という村もありますから、適当とはいえません。

 いっそのこと「高田直江津」あるいは「直江津高田」なんていうのはどうでしょうか。実際に、東北新幹線「那須塩原」「水沢江刺」や上越新幹線「燕三条」といった同様の命名法による新幹線駅もありますから。

[4603]YSK さん
>混乱を避けるために、「上越市駅」とするのはいかがでしょうか。

 う~ん、これだと根本的な問題の解決にはならない気がします。
 私が[4441],[4533]で指摘した問題点は、上州(群馬県)と越後(新潟県)の併称として使われる「上越」と新潟県の地域区分である「上越」(「上越後」ではない ※ )が外見上全く同じで区別がつかないという点であって、「上越市」という駅名にしたところで上越新幹線との誤乗の懸念は払拭できないと思われます。


 「○○市駅」の具体例もいろいろ読ませていただきましたが、市町村の名称もさることながら、駅の名称を
どうするかという問題にも、各地でさまざまな苦労があるようですね。


※上越・中越・下越という新潟県の地域区分の呼称は、「越」の字そのものに「越後国」の意が含まれていて、「上越後」を約めたものではありません。ですから、上越後・中越後・下越後などという呼称はないのです。
もし、「上越」とともに「上越後」という呼称が現実に通用しているとすれば、それこそ「上越後」駅で問題
ないと思われます。
[4707] 2002年 11月 9日(土)08:50:55蘭丸 さん
「美雪野市」案について
[4686]Firo さん
>「美雪野」「美雪」という市名は好感が持てる感じがしますが、確かに該当地域は有数の豪雪地帯であります>けど、他にもそういった地域がないわけではなく、ある意味「魚沼」と同じに問題がないとは言えないと思い>ます。

 おっしゃるとおり、ご当地のみが豪雪地ではなく、魚沼全域が世界的な豪雪地帯です。ですが、だからといって「美雪野」も問題ありとは私は思いません。なぜなら、この「美雪野」は、これまで地名としては使われておらず、この合併を機に新たに創作されたものだからです。私は、その独創性を評価するわけです。

 「同じような地域がほかにもあるから問題」と言うことは、「新しい地名の命名は不可能だ」と言うことと同じになるのではないかと思います。例えば、大きな井戸はほかにもあるから「大井」はだめ、青い山はほかにもあるから「青山」はやめよう、新しい橋はほかにもあるから「新橋」はよそう、というふうにほとんどの地名の妥当性が疑われることになります。
 その土地の風土や歴史を表わし、 周辺地域との区別がつく限りにおいて、 新しい地名の創作は、 安易な合成地名や抽象地名に走るよりも賢明な方法であると私は考えています。

>ただ、逆に3地域が牽制しあって、いずれも「魚沼」の地名を使わない可能性もあるわけで、そうなると
>「魚沼」が消滅することになり、自分としては、それが一番懸念されます。

 ご懸念は無用と思われます。確かに「魚沼」のつく郡が消滅すれば、公式にはこの地名が姿を消すことになります。しかし、この「魚沼」という地名は郡がなくなるからといって消えてしまうようなものとは思えません。この地名は、最高級米の産地としてすでに自他ともに認める地位を築いていますから、地域の呼称として生き続けるものと予想できます。
 むしろ一定の知名度を確立している地名であるからこそ、 1つの自治体の名称としてしまって、 2市3郡に
わたる広域地名であったものが、本来の語義から離れて矮小化して理解されかねない、ということのほうが懸念されるのではないでしょうか。[4695]ken さんのおっしゃるような「ドメイン先取りの感じ」のほうが問題だと
思います。


[4695]ken さん
>「みゆき野市」だったら、最悪ですけど。

 そのとおりだと思います。創作した上に平仮名を使って意味不明にしていたら、私も好感を持たなかっただろうと思います。同じような意味であると思われる「美雪市」も、単に「美雪」と表記された場合の尻切れとんぼみたいなぶっきらぼうさがネックになると思います。


 というようなことで、やはり「美雪野市」に、なんだか惹かれてしまう私です。
[4678] 2002年 11月 8日(金)21:12:57【1】蘭丸 さん
「魚沼市」「うおぬま市」「越後魚沼市」「北魚沼市」案について
[4659]miki さん

 ここでも、またまた平仮名の市名案が登場しているようですね。 「うおぬま市」 なんてわざわざ平仮名にする必要性はここでもないと思われます。「魚沼」という文字は誰でも読み書き可能です。

 それとともに気になることは、この市名案中の「魚沼市」「うおぬま市」「越後魚沼市」「北魚沼市」についてです。これだけ「魚沼」のついた市名案が残っているということから、この地名をぜひ新市の名称に使いたいという強い志向性が窺えます。
 しかし、これらの市名案では広域地名の借用となります。魚沼とは旧魚沼郡域を指し、現行行政区画でいうと南魚沼郡、北魚沼郡、中魚沼郡、小千谷市、十日町市の地域となります。 この 「魚沼」 は単に広域地名であるだけでなく、名立たる・ブランド地名・でもあります。

 その地名を、もっぱら1自治体が公式に名乗るようなことになれば、おそらく周辺自治体の反発を招くこととなるでしょう。現在、魚沼地域では六日町を中心とした南魚沼、十日町市を中心とした中魚沼、小千谷市を中心とした地区の3地域 ※ で合併に向けた動きがあり、 これら地域はいずれも合併後の新自治体は市となって郡の呼称を伴わないため、「魚沼」を独占されることに対する警戒感を持っているであろうことは容易に推測できます。「北魚沼」にしても、小千谷市がもとは北魚沼郡の中心地であったこととの兼ね合いが問題になるかと思われます。

 いっぽう「美雪野市」は、他の案と比べて、オリジナリティーの点からも周辺自治体との兼ね合いの点からも評価できる、 ここ最近の新市町村名案では稀に見る秀作だと私は思います。 地域の特色を表わし、 しかも地名らしくまとめられている点がポイント高いと思います。(「美雪市」では、地図などで単に「美雪」と表記された場合の違和感が問題となるでしょう)

 こういった地名の創作ならば、出所不明の抽象地名とは違って対象地域を適切に表現することができるため、対等合併で従来からの地名を使いづらい場合に有効な解決策になると思います。 このような創作の例は、 過去
にも長野県駒ヶ根市などに見られますが、こういうセンスのいい創作地名が全国的にも広がればいいが、と私は秘かに思っています。

 とはいっても、いろいろ言ってみたところで「美雪野市」になるかどうかはわかりませんが、私としてはこの「美雪野市」、一押しです。

※ 南魚沼郡任意合併協議会加盟自治体-南魚沼郡六日町、同塩沢町、同大和町〈南魚沼郡の湯沢町を除く地域〉
  十日町広域圏六市町村合併問題研究懇談会加盟自治体-十日町市、中魚沼郡川西町、同津南町、同中里村、
                           東頸城郡松代町、同松之山町
                           〈十日町市+中魚沼郡全域+東頸城郡2町〉
  小千谷市が検討している合併枠-小千谷市、北魚沼郡川口町、三島郡越路町、古志郡山古志村、刈羽郡小国町
                 (川口町とは勉強会を結成)
[4663] 2002年 11月 8日(金)14:19:27蘭丸 さん
「ななお市」「能登市」「のと市」案について
[4601]miki さん

 七尾・能登、いずれも全国的に知名度のある地名ですから、この4案には突飛な感はなく、比較的妥当な線と言えるでしょう。 が、 しかし、やっぱり気にかかることがあります。 平仮名市名と広域地名の借用がここでもまた行われようとしています。

 なにゆえ「七尾市」「能登市」のみではなく「ななお市」「のと市」が入ってしまうのでしょうか?どちらも特に難しい文字を使っているわけでもなく、また全国的にも知られた地名ですから、わざわざ平仮名にすることはないと思われます。

 また、「能登市」あるいは「のと市」を採った場合、これは旧国名に由来する広域地名の借用となります。「能登」とは、通常は能登半島全体を指すと理解されていますから、1市の名称としてはあまりふさわしいとは思えません。同じく能登に位置する輪島市や珠洲市などの立場はどうなってしまうのでしょうか。
 一般的な傾向として自治体名を借用地名にするケースは、 合併でできた新しい自治体に多く、 結果的にあと からできた歴史の浅い自治体が、由緒ある広域地名を僭称してしまっている場合が多いようです。どんな市名をつけるかはその市の自由ですが、選考の際は他地域との関係という視点も忘れてはならない重要な検討要素だと思います。

 ということで、いつもの外野の余計なお節介ですが、この4案では「七尾市」がいちばん適当かと思われます。

※旧能登国は、現行行政区画では珠洲郡、風至郡、鹿島郡、羽咋郡(完全には一致しない)、珠洲市、輪島市、
 七尾市、羽咋市の地域。
[4581] 2002年 11月 6日(水)08:18:54蘭丸 さん
横浜
 みなさんの「横浜」に関するご意見を読ませていただきました。

 果たして横浜は独自に成長したのか否か。やはり、大きな目で見たら横浜は東京の多大なる影響下で成長してきた、ということになるでしょう。私もその点は充分理解しています。横浜が東京大都市圏の一翼を担っていることは紛れもない事実だと思います。

 しかし、そのような影響下にありながらも、横浜は他の東京周辺の衛星都市とは異なり、独自の求心力をもっていると私は思います。[4531]YSK さんのおっしゃるように、横浜を一般的な住宅都市と見るのは適切ではないような気がします。例えば、さいたま市と比較した場合、それがよくわかると思います。

 横浜には独自の都市の「印象」あるいは「外観」があるように思います。みなとみらい21を代表とする近代的なウォーターフロント、 国際都市を実感させる中華街、 多くの人々でにぎわう繁華街、 山の手に開けた閑静な住宅地、そういった都市を構成する要素が、必ずしも東京を補完することを意図してにつくられたようには思えないのです。
 もちろん、東京の外港としての機能はありますし、東京のベッドタウンとしての機能もあります。ですが私はこういった都市の「外観」を通しては、他の衛星都市のような東京の補助的な役割のようなものは感じません。
 東京の衛星都市の多くは、それぞれがまた、その都市の中心をもち、就業者や買い物客を吸引してはいますが、多くの場合は最終的には東京に依存することが多いのではないかと思います(例えば「あれを買いたいが近くにないので新宿まで行く」「銀座まで行く」といったようなことと思って下さい)。

 ですが、横浜の場合はそういうケースは比較的少なく、他の東京周辺の都市と比べて自己完結性が高いと私は見ています。ですから「横浜は独自に成長した」と私は思うのです。

 これらは非常に観念論に近いものであり、それを裏づける資料などは持ち合わせていませんが、私の横浜を見る目はそんな感じです。単に「東京の近くにあったから人口が膨張した」とばかり言えないような気がします。


(長々書いてそんな締めかい!と怒られそうですね)
[4540] 2002年 11月 5日(火)07:52:36蘭丸 さん
中心駅について
[4527]いな さん

 さいたま市の中央駅は大宮だと思うのですが、どうでしょうか?

[4528]YSK さん
>私は、密かに前橋市の中央駅はJR高崎駅なのではないかと思っています(笑)。

 そうですね。私もそんな感覚です。なんてったって長野新幹線開業で、この高崎は上越新幹線と長野新幹線(将来の北陸新幹線)※ が分岐する、全国的にも有数のターミナル駅となりましたから。そうでなくとも数多くの在来線特急が乗り入れる群馬県随一の要衝ですし。その駅がある高崎市が前橋市に隣接してるとなれば、前橋の力不足は否めませんね。

 こういったことを考えると、都道府県庁所在都市の中心駅もさることながら、都道府県全体から見た中心駅はどこか?という見方もおもしろいですよね。さいたま市ができる前まで、埼玉県の中心駅大宮は、県庁所在都市(浦和市)ではなく、そのとなりの市(大宮市)にあったように、こういう例はほかにももっとありそうですね。

 余談ですが、大宮は車のナンバーもありますが、こういったことからくる大宮の自負心というかプライドみたいなものが、さいたま市誕生まで紆余曲折があった要因だったように私は思っています。

 ※私は、今の長野新幹線は北陸新幹線とは思っていませんのでこのように書かせていただきました。
[4533] 2002年 11月 4日(月)23:12:13蘭丸 さん
高田と直江津と上越
[4530]Issie さん

 直江津の歴史を詳しく教えていただいてありがとうございました。


 直江津ってそんなに古い歴史があったのですね。(越後の国府は高田にあったと思っていました。勉強不足です...。)ということは、[4450]で雑魚 さんがおっしゃっていた飫肥と油津の関係などよりも、ずっと複雑なものがあるわけですね。
 [4441],[4480]のように、外野が本家「高田市」復活を、なんて軽率に言えないですね。直江津が高田を補完する都市だったと思われる、なんて浅はかなことを言ってしまいました。

 しかし私としては、どーしても「上越」という言葉がひっかかるんですよね。[4441]のなかでも大半を割いたように、北陸新幹線上越開業時での混乱が憂慮されますので。やっぱり・上越新幹線で行けない上越駅・は誕生するのでしょうか?それとも「脇野田」のままいくのでしょうか?私は、この点に非常~に興味をそそられるんですよね。

 ところで、ここまできて、ふと疑問に思ったことがあります。それは、じゃあ、なんで高田と直江津が合併することになったのか?です。

Issie さんは
>お互い厳しいライバル関係にあった両市の競争を止揚・統合(ジンテーゼ)して「上越」地方全体の発展を目>指すという意識があったはずです(少なくとも「建前」の上では)。

と書いていらっしゃいますが、この合併はそもそもどんなことが発端となってすすめられたのでしょうか。高田と直江津どっちが先に言い出したのでしょうか? 疑問はさらに深まりました。
[4499] 2002年 11月 4日(月)08:59:20蘭丸 さん
横浜の人口350万人突破!
[4494]白桃 さん
>神奈川県
> ◎横浜、350万に迫る

ちょっと補足させて下さい。

 先月28日、横浜市は人口が3500,184人となり、350万を突破したと発表しました。記念事業として、同日に出生届が出された新生児の家を市長や区長が訪れ、メッセージと記念品を贈ったそうです。

 これは、都道府県でいうと約299万人の茨城県(第11位)を上回り、静岡県に次ぐ規模となるそうです。
また、諸外国と比較した場合、レバノンやエリトリアに匹敵するとのことです。 市制施行時、約116,000人でスタートした横浜市は、2020年頃に370万~380万でピークに達し、その後緩やかに減少すると予測されているようです。(東京新聞10月29日付朝刊を参考にしました。)

 ところで、私が疑問に思っていることに、横浜のように大都市(東京)に近い都市が独自に発展して大都市に成長するようなことは、外国ではあるんだろうか?というものがあります。
 日本では、ほかにも神戸と大阪のように大都市と大都市が非常に近接していたり、比較的規模の大きい都市が連続して並んでいる(特に東海道沿い)という例が多々あります。こういうことは、国土の狭い日本の特徴なんでしょうか?
[4480] 2002年 11月 3日(日)19:48:22蘭丸 さん
ふたたび 「高田市」& 北陸新幹線
[4450]雑魚 さん、レスありがとうございます。

 そういった事情もありますから「上越市」よりも「高田市」のほうがしっくりきますね。直江津が交通の要衝であったとしても、歴史的に見れば、やはりそれは高田を補完する役割であったようにように思われますから。

                        * * * *

ところで、件の拙文[4441]に関連して新潟日報のおもしろい特集記事を見つけました。
http://www.niigata-nippo.co.jp/kokyo/kokyoindex.html
「揺らぐ公共王国 第7部 悲願の鉄路 北陸新幹線30年目の光と影」 です。

 整備新幹線の沿線地域が、政治に翻弄されてきた軌跡を取り上げていて、結構読みごたえありました。直江津も脇野田も同じ上越市ですし、上越市も十日町市も同じ選挙区だというのに、光と影とはいってもこんなに明暗が別れるとは....。

 並行在来線の経営分離問題もあります。フル規格にこだわる必要性がそんなにあったのかなあ、と感じました。
[4477] 2002年 11月 3日(日)18:36:16蘭丸 さん
レスありがとうございました。
[4469]てへへ さん。詳しい補足と解説、本当にありがとうございます。

 やはり、財政健全化は大問題なのですね。でも私は、合併で大きな自治体に飲み込まれてしまう町村の危惧も、わからないではないのです。そんなことであの[4423]の書き込みをしました。

 しかし、一方で失職を恐れる首長や議員の思惑で合併が進まないという地域もありますから、全国町村会などの言い分を真に受けるわけにもいかないですね。
[4441] 2002年 11月 2日(土)18:52:17【1】蘭丸 さん
「高田市」は遠慮したほうが...
[4425]いなさん
>まあ、新潟県の大本家は
>「おらとしては口出しできる立場じゃないが、ちぃ~っとあんまりじゃないかい?」程度でしょうが
>岩手県・奈良県・大分県の諸先輩方は黙っちゃあいないでしょう。
>「おまえなに考えてるんだ~」
>「こんなことだったら、義理も道理もあったもんじゃない・・・筋を通せ~」って、激怒また激怒ですよねえ

 ホント「高田市」なんてなったら、各方面から大反響が巻き起こるでしょうね。高田という土地が市制を敷く場合は冠称を付す、というのは、諸先輩方(陸前高田市・大和高田市・豊後高田市)が宗家に対して守ってきた礼節です。新参者がその美風を壊してしまうことになれば、先輩諸氏ならぬ諸市は「今までおれたちがやってきたことを無にするつもりか!」とおそらく穏やかではおられないでしょう。

 上越市民だって複雑だと思います。かつての高田市は、単にいち早く市制施行した高田だったというだけでなく、高田藩が徳川家康の六男・松平忠輝が60万石で入封した御家門であったという歴史的なことも含め「うちが本家だ」という自負をもっていたと思います。それに、直江津市と合併してからも「上越市高田」という呼ばれ方をされ(天気予報なんかで)、今でもご当地の方々の多くは「高田の人間だ」という思いをもっておられるようです。

 ところで私は、「上越」という言葉を見聞きする度に、上越市は高田市に改称しては?と思います。
それは「上越」という言葉が、
 1)新潟県上越市
 2)新潟県上越地方(気象予報区でもあり、行政上の区分でもある) ※
 3)群馬県と新潟県の併称(上越新幹線、上越国際スキー場などに登場)
という具合に多義性を含んでいるからです。
 高田市と直江津市が合併した際、この市が上越地方の中心都市だったことから「上越市」という名称になりました。高田は城下町として、直江津は陸海の交通の要衝として栄え、どちらも周辺地域の拠点的な性格をもっていたため、高田市にするわけにも直江津市にするわけにもいかなかったようです。しかし、合併当初から上越線の上越と同じになることから、この市名についてはいろいろ議論があったようです。とはいえ、「上越市」の名は別の名称に変更されることはなく、現在にいたっています。

 ところが、平成10年1月、北陸新幹線長野-上越間のフル規格での着工が決定しました。もし、「上越」という仮称駅名がそのまま通れば、・上越新幹線では行けない上越駅・が誕生します。こうなると新潟県民は別として、なにがなんだかわけがわからなくなってしまいます。
 今のところ、この駅についてほかの名称案はないようです。もともと建設地にあった「脇野田」駅では遠方からの旅客案内上あまりふさわしくないですし、「高田」だと新幹線の開通で特急「はくたか」が用済となり、
地盤沈下が予測される直江津(「はくたか」の停車駅)が黙ってはいないでしょう。いったい開業時にはどのような駅名になるのでしょうか?私個人としては、現脇野田駅が旧高田市域にあることから「高田」がいちばん
適当ではないかと思います。

 こういった諸々のことにかんがみ、ぜひ本家「高田市」の復活を、と思うわけです。「高田市にある高田駅」がいちばん分りやすいです。上越新幹線との誤乗の心配もないでしょう。上越新幹線「あさひ」と長野新幹線「あさま」の誤乗がしばしばあるそうですから。(その「あさひ」も、この12月から「とき」に変わりますが)
 実際、地元にも高田市への改称を求める声は根強くあるようですし、「高田市」の名は今も空席のままにされているわけですから、「高田市」への改称はできない話ではないと思います。

 本家「高田市」の復活の脈を残しておくために、ここはできれば「高田市」の名は遠慮していただきたい、と私は思います。同名回避の原則からすれば、現にほかに存在しない「高田市」でもOKですが、先輩諸市との絡みもあります。
 それに、もし「高田市」になった場合、北茨城市の例のように、外圧によって名称を変更しなければならなくなるようなことになりはしないでしょうか。

 ということで、いつもの外野の余計なお節介でした。

※新潟県は通常、大きく上越(じょうえつ・上越市中心)・中越(ちゅうえつ・長岡市中心)・下越(かえつ・
新潟市中心)・ 佐渡(両津市中心)の4地域に区分されることが多く、この区分はそのまま気象予報区の一次
細分区域にもなっています。

高田市と後発3市については、
http://uub.jp/zat/takada.html が詳しいです。
[4423] 2002年 11月 2日(土)14:15:24蘭丸 さん
町村制廃止!?
 今日の毎日新聞の朝刊1面に、首相の諮問機関である地方制度調査会の方針を伝える記事が載っていました。もし、これが実施されるとしたら結構大問題ではないかと思いました。内容は次のようなものでした。

合併特例法の期限後も一定の推進期間を設け、それでも合併にいたらない小規模町村について、
1)従来の町村と比べ、一部事務を都道府県に移管した簡素化した自治体にする。
2)他の基礎的自治体に編入し、内部団体とする。
3)両制度を併せて導入する。

 実質的な町村制廃止だと毎日新聞は書いています。対象とする小規模町村の判定基準は明示されていないようですし、他の自治体に編入し「内部団体」とするという概念が記事からはよく推測できませんでしたが、基礎的自治体からの事務権限剥奪は地方自治の本旨に照らして果たして妥当な方策といえるのか、おそらく全国町村会を中心に反発を受けることは必至でしょう。
 いくら聖域なき構造改革といっても、この案はちょっと過激ですね。

 この調査会は本当に地方自治を理解した人々が集まったものなのでしょうか。構造改革のための構造改革では、まともな議論はできないでしょう。もちろん、地方の財政状態の改善は大きな課題ですが、企業の合併などとは根本的に意味合いが違います。最近の政府側の(与党や民主党、自由党といった有力野党も含む)議論は、財政健全化の議論のみ先行し、将来の地方自治のシステムをどうするかといった大局的な見地からの議論が少ないことに私は危惧を感じています。
 基礎自治体を市に統一するならするで、何も合併という段階を必要条件とすることはないと思います。

 私は、郡制の復活による町村の連合体化といったような、思いきった発想の転換が必要な気がします。市と郡を同等の基礎自治体とし、町村はその内部団体として政令指定都市の行政区を発展させたような役割をもたせるようにしてみたらどうでしょうか。合併をしなくても基礎自治体の数が減り、また、慣れ親しんだわが町わが村の火を消さずにすみますから、小規模町村を傷つけることもありません。その際には、町村の合併ではなく、郡の再編成ですみます。一度こっちの郡に属したが、その後状況の変化であっちの郡に入りたいというような融通の利く制度にしてみたらおもしろいと思います。

 合併するかどうかという問題そのものも、本来「自治」の範囲内の問題であるはずなのに、合併をなかば強制するなんて何だか時代錯誤な感じですね。

 とまあ、いろいろ心配したって、この案が当の調査会で実際にまとめられるかどうかも不透明ですが。
[4344] 2002年 10月 31日(木)14:58:33【1】蘭丸 さん
「見沼区」はやっぱりいい名前です。
「見沼区」についてのみなさんの感想、読ませていただきました。ほとんどの方がこの区名を是としているようですね。

 [4321]猫使いさん、[4329]Issieさんのおっしゃる通り、「沼の字がつくから地価が安い」なんてとんでもない、という街が東京近郊に現にあります。
 拙文[4306]では、地名と云いながらも市町村名という感じで、全国的なレベルでの地名を考えていましたので、津田沼、鷺沼の存在を忘れていました。

 津田沼は、JR総武線と京成線が連絡する要衝で、習志野市の中心を形成しています。丸井やパルコをはじめとした商業施設も集積し、とても地価が安いようには思えません。

 鷺沼は、東急田園都市線沿線のハイソな住宅街です。東京周辺の人々にとっては東急沿線であることだけでもステイタスだというのに、この周辺の宮前平-鷺沼-たまプラーザ-あざみ野のラインはひときわ高級感が感じられますね。私も数年前までこの路線をよく利用していましたので(住んでいたわけではありませんが...)この周辺の土地の雰囲気の良さを覚えています。

 ほかに、都内には蓮沼というところ(正確には板橋区蓮沼町)もあります。ここは中山道と都営地下鉄三田線が通る交通至便の地で、都営三田線には本蓮沼駅もあります。周辺に建つマンションなどには、蓮沼町の町域外であっても「本蓮沼」を称するものが多いです。そこには沼の字を忌避する様子は感じ取れません。

 [4318]松戸さんのおっしゃるように、沼の字がつくこと=田舎なんて即座に連想する人はほとんどいないでしょう。同様に青山が山奥で、五反田や田園調布が農村だと連想する人もいないはずです。[4317]のような反対派の言い分は荒唐無稽と言わざるを得ません。
 [4307][4326]のように、確かに「見沼区」が100%完璧な選定結果とは言えない面もありますが、少なくとも「東区」や「大宮東区」なんかよりもずっとセンスのいい案だと思います。

 私の持論は、すでに[3797]でも述べましたが、住所として実際に書いて使われる市町村名や区名はできるだけオリジナリティーのあるものにしたほうがいい、です。さいたま市の区名案をも今一度考えてみると、A区は西区→指扇区、Bは北区→宮原区、E区は中央区→与野区、F区は桜区→秋ヶ瀬区、I区は緑区→美園区というように変更したほうがいいのでは?と思います。余計なお節介ですが。(H区の区名についてはなかなかいい案が思いつきません。)

 試しに「見沼田んぼ」でサイトを検索してみたところ、予想以上に多くのサイトがひっかかりました。全部覗いてみたわけではないですが、周辺の住民にとってはとても大きな存在であることが、おおよそ理解できました。都市に潤いを与えるこのような緑地帯が、多くの人々に愛されているということは、都市の理想像ではないかと私なんかは思います。大都市の中にこれだけのオアシスが存在するなんて自慢すべきことなのに、なんで反対派はあんなに嫌うのでしょうか。

 見沼区反対運動を熱心にされている方々は、裏磐梯にある五色沼の、あの筆舌に尽くせぬ美しさを、ぜひ一度ご覧になってはいかがでしょうか。きっと考え方が変わると思います。
[4306] 2002年 10月 30日(水)11:41:55蘭丸 さん
・沼・のつく地名あれこれ
[4299]に追加いたします。
・沼・のつく地名にどんなところがあるか思い出すままあげてみました。

気仙沼市「ふかひれ」をはじめ水産が盛ん。人口約60,000人
岩沼市仙台市のベッドタウンとして成長。人口約42,000人(市制施行以来漸増傾向)
鹿沼市日光例幣使街道の宿場町が発展。人口約94,000人
沼田市上州真田氏のお膝元。人口約46,000人
沼津市静岡県東部の中核都市。車のナンバープレートもある。かつては御用邸があった。大正12年市制施行。人口約207,000人
勝沼町「ぶどうとワイン」で知らない人はいないほど有名。人口約9,000人
魚沼最高級ブランド米「魚沼産こしひかり」の産地。苗場・越後湯沢をはじめとした著名な大規模リゾートが展開する。
※勝沼町は山梨県東山梨郡。魚沼とは新潟県南魚沼郡・北魚沼郡・中魚沼郡・小千谷市・十日町市の地域。

 私が知っている沼の字のつく地名です。これら地域が沼の字がつくからといって、不当に評価されているような事実は、私が知っている限りありません。
 それぞれ独自の歴史と個性・魅力を持った地域だと私は思います。「見沼区」は決して悪い名前ではないと思うのですが....。
[4299] 2002年 10月 30日(水)09:04:49【1】蘭丸 さん
「見沼区」ってそんなに悪いですか?
[4247][4298]
 私も東京新聞の特集を見て、この運動を知りました。
 「見沼」ってそんなに変な言葉でしょうか。私の感想では、今回示されたさいたま市の区名最終案の中では「見沼区」はいちばん個性的で、しかもその土地を的確に表しており、音韻も優しい感じで、もっとも好感を持っていました。それがご当地の住民にとっては、こんなに不評だったのですね。

 それにしても、住民のみなさんは「・沼・の字がつくと土地の値段が下がる」なんて本当に心配しているんでしょうか。沼津市、気仙沼市、鹿沼市、(南・北・中)魚沼郡といったように沼の字のつく有名な地名は多々ありますが、これらの地域が周辺と比べて土地の値段が安いなんて聞いたことがありません。沼津はかつて御用邸があったほどの風光明媚な土地ですし、魚沼は最高級ブランド米を産するこれまた山紫水明の地です。・沼・がつくから土地のイメージが悪くなるなんてことは断じてありません。

 思えば住居表示法施行以来、全国各地の由緒ある地名が抹殺され、「○○台」「○○ヶ丘」式の地名がいたるところに誕生し、新興住宅地のほとんどが同じような没個性的イメージ先行型地名でおおわれてきました。件の反対運動を見ると、当時から続いてきた地名狩りの影響がいまだに尾を引いているような気がします。

 私は、以前にも同様の書き込みをしましたが、自治体名や区名の選定にあたっては、慎重さと冷静さが必要なことを、今一度確認しておく必要があると思います。
[4273] 2002年 10月 29日(火)19:25:55蘭丸 さん
Re:4267
 白桃さんフォローありがとうございます。
 新潟市が単独で50万人を突破していたとは、恥ずかしながら初めて知りました。当の新潟市や地元マスコミ・財界などは、一様に「合併で50万都市になった」と言っているようでしたので、国勢調査の速報値は全然気にしていませんでした。
 早速調べたところ、次のような次第でした。

 合併直前の新潟市と黒埼町の人口
                  新潟市     黒埼町

国勢調査人口(速報値)501,378人25,893人
住民基本台帳人口490,194人26,384人

 新潟市は自力で50万の大台にのせていました。
 でも、当時地元は「合併によって50万人になった」と宣伝していたと思います。あれはあくまで住民票という公式の人口で見ていたためなのか、それとも政令指定都市移行をにらんで合併のメリットをアピールするためだったのか、なんて考えてしまいました。
[4265] 2002年 10月 29日(火)14:52:20【2】蘭丸 さん
新潟vs.金沢
 広島と岡山との相関関係が話題になっているようですが、私が同じように注目している関係に新潟と金沢の関係があります。いうまでもなく、この二つの都市は本州の日本海側(もっといえば北陸地方)で両雄をなす都市であり、 片や加賀百万石の御城下、片や三府五港の一角を占めた要港、 とそれぞれ都市としての歴史と由緒、 一定の風格を具えた中核市です。

 新潟市は昨年、西蒲原郡黒埼町を編入し、本州日本海側では初の50万都市となりました。全国的に見ればそれほどの人口規模ではないと思われる向きもあるでしょうが、明治以来、太平洋側偏重で経済が発展し、日本海側が太平洋側の人口供給基地となってきたを歴史を思えば、これは大きなインパクトを持った出来事だったと私は思っています。日本の歴史上はじめて日本海沿岸に地図に四角い印で表される都市ができたのです。

 その新潟市は現在、周辺市町村との合併により、人口約78万人での政令指定都市移行を目指しています。政令指定都市の人口要件が緩和され、静岡市がその基準によって移行する運びとなった状況から、新潟市のこの構想もにわかに現実味を帯びてきました。一方の金沢市も現在人口約46万人で、となりの野々市町(約4万5千人)と合わせると50万人を超えることになります。野々市町との合併は、相手側の消極姿勢で今のところ具体化してはいませんが、他の可能性も考えれば金沢市の50万都市実現は夢ではないといえます。

 このように人口規模では金沢市は新潟市に水をあけられた形ですが、両都市の広域的な拠点性を勘案すると、金沢市が一歩リードかな?という気がします。金沢は経済的に北陸地方の拠点としての地位を古くから占めており、全国規模の企業で北陸を統括する支社はたいがい金沢に置かれているようです。それと比べると新潟は経済的に見ると北陸というよりも関東(東京圏)に組み入れられるケースが多いようです。
 詳しく調べたわけではありませんが、身近なところで電機製品などの取扱説明書のカスタマーサービスの項目を見て、各社がどんな区分けをしているか調べてみましたが、新潟を北陸に入れるケースはあまり多くはないようです。
 これにはおそらく交通網の配置と両都市の位置からくる地勢的な要因が働いているように思います。新潟市はどうしても周辺の県を巻き込んだ広域圏を形づくれないでいます。

 新潟市が広域的な中枢性を高められない一番の原因は、新潟県が何地方に属すかはっきりしないところにあるようです。官公庁の管轄を見ても、新潟県は時には北陸、時には関東、時には信越といった具合に一定した所属がありません。衆議院の比例代表では「北陸信越」という、いかにも捉え所のないにブロックに括られます。また、NHKのニュースや天気予報などでは「関東甲信越」という括り方がしばしば使われます。しかし、金沢は一貫して北陸に属してその中心となっています。
 確かに、福井あたりから見ると新潟は地理的にも心理的にも「遠い」存在ですし、また逆に新潟から見た場合もそうです。ですから自然と金沢が中心性を持ってくるのでしょう。

 両都市の立地や都市基盤を比較した場合、今度は新潟が大きくリードします。
 特定重要港湾・中核国際港湾の新潟港と国際線8路線が就航する新潟空港は、金沢港(重要港湾)や国際線1路線の小松空港(金沢にはないのがミソ)と比べてその広域的重要度の違いは一目瞭然です。
 陸運でも北陸自動車道を介して関越自動車道、磐越自動車道、上信越自動車道と(いずれも自県内で)接続し、上越新幹線利用で東京まで最速で約1時間30分の新潟と、北陸自動車道1本で上越新幹線接続の特急利用の金沢は、やはり新潟の利便性の方が上でしょう。
 しかし、国際線の航空貨物の取扱量は小松空港の方が上回っていますから、一概に新潟が上とばかりいえない面もあります。

 長々と書いてしまいましたが、私の結論は、総合的に見てやや新潟がリードかな?といったところです。着実に足下を固め名実共に北陸の中心である金沢と北陸でありながらも多角的な連携を求める新潟、という両者の指向性の違いがそれぞれに今日の発展をたらしめたのではないだろうかと思います。
 なにせバブル期には新潟空港は上越新幹線乗り入れによる首都圏第二空港化を目指していたほどです。東京から日本海側に抜ける効率的なルートが上越新幹線だったということで、最終的には新潟の立地条件の優位性が両都市の都市としての性格の違いにつながっているようです。
[3862] 2002年 10月 14日(月)15:37:24【1】蘭丸 さん
「第二政令指定都市構想」ですか
「第二政令指定都市構想」。そんなものがあるとは全く知りませんでした。

 私の知っている限りでは、現在の中核市制度が全国市長会による第二政令指定都市構想の発表をきっかけにつくられたものなので、今度の「第二政令指定都市構想」とは如何ようのものなのか知りたいですね。

 この構想が実際に法律で定められるとすると政令指定都市と中核市の中間に位置付けられることになるでしょうが、そうなると市には実に5つのタイプができるわけですね。(政令指定都市、「第二政令指定都市」、中核市、特例市、一般市)
 こうなると、果たして5つもの区別が本当に必要なのかな?と思えてきます。政府・総務省の側からすれば、実質的な自治体の格付けによって市町村合併を促そうということなのでしょうが、法律上、市町村は基礎的な地方公共団体として同等の地位にあるという本質から、現実がだんだんかけ離れていくような気がします。

 その規模ゆえの特殊性から政令指定都市は別としても、そもそも地方自治の上で都市の格付けなんて必要なことではないはずです。地方自治で必要なことは、政府や都道府県の権限をいかにしてより身近な市町村に移譲していくかということなのですから。私個人の考えとしては、中核市以降の市への特例は、中核市の要件の緩和と中核市へのさらなる分権で対応すれば、ほかには必要無いような気がします。

 そうすれば、都市の箔付けを目指して広大な山村地域を抱えながら、単に人口規模のみを整えようとする無理な合併は少なくなると思います。

 そもそも、都市の格付けに制度上の保証なんかは必要ではなく、それは現実の都市の社会的・経済的な地位を多数の人々がどのように評価するかという客観的なものだと思うのですが。
[3841] 2002年 10月 13日(日)21:21:07【1】蘭丸 さん
適切な市町村名・区名の選定を
 YSKさんのご指摘、なかなか鋭いですね。確かに仙台市の区名は全て地名に由来するものです(太白区、若林区も)。このご指摘は、前掲の私の書き込みが舌足らずであったためのものと思います。

 >独自かつ方位を表す文字や抽象地名を使用しない区名

 という文は“当該区の区域となる土地を適切に指し示す地名に因み、方位を表す文字を使ったり、「旭」「緑」など特定の区の名称とする必然性のない言葉を使った区名ではない区名”という意図で書いたものです。独自というのは、政令市の区名を比較して独自というよりも、その区名の地名としての独自性という意味で使わせてもらいました。

 仙台市の区名中、「宮城野区」の名は、その区の区域を適切に表す区名ではありません。これは広域地名の借用です。すなわち、この区名は青葉区や太白区に付けられていたとしても通用するはずのものなのです。
 このような借用地名から採った市町村名・区名が全国いたる所にできたため(武蔵野市、多摩市、相模原市、むつ市、上越市、加賀市、備前市、さぬき市、筑紫野市、沖縄市....など枚挙にいとまがありません。)、多くの人があまり違和感を感じなくなっているのかもしれません。しかし、私はこのような命名法は市区町村名選定に用いるべきではないと思っています。

 例えば、単に「武蔵野」と言った場合、武蔵野台地全体(あるいは旧武蔵国全体)を指すのか武蔵野市を指すのか判然としません。「上越」にいたっては、それのみだと新潟県上越地方、上越市、新潟県と群馬県の併称という三つの可能性が出てくるのです。広域地名の借用を安易に行うことの弊害です。す。函館市や横浜市は「函館」「横浜」でも意味をなしますが、加賀市や大和市は「加賀」「大和」では、何のことか特定できません。もっとも、そのような場合は「加賀市」「大和市」として混乱を回避しますが、やはり一般的な市区町村名とのバランスがとれません。

 ただの考え過ぎと言えばそうなのですが、今後誕生する新市区町村名が、このようなことを考慮して決められることを私個人としては望むものです。「旭」や「緑」も、まだ「旭が丘」「緑原」とでもすれば地名らしくなると思うのですが。
[3797] 2002年 10月 11日(金)18:40:32蘭丸 さん
さいたま市の区名雑感
 さいたま市の区名の最終案を見ました。「これでホントにいいんですか?」と思いました。この味気無さは全国の政令市を見ても天下一品だと思います。(ちょっと言い過ぎでしょうか。関係者の方ごめんなさい。)全国あちらこちらにある、すでに使い古された、方位から採った区名を臆面も無く提示するセンスの無さには、正直愕然としました。(またまた関係者の方ごめんなさい。まだ正式決定ではないようなので許して下さい。)

 北区が、すぐ近くにある東京都北区と同一なのを筆頭に、中央区、西区、南区、緑区はすでに首都圏の政令市や特別区に存在する名称と重複してしまっています。中央区、緑区にいたっては、これで首都圏では3つめとなります。政令市の区の名称問題は市内部の組織上の問題であって、市の名称と異なり同名回避をする必要性はありませんが、すでに存在する区名はやはり避けるべきだったと思います。小規模町村ならまだしも、名立たる大都市なのですから。

 この分では、今後昇格する政令市でも、同様の没個性的な区名がぞろぞろと誕生するのだろうか、と思えてきて何だか淋しい気がします。政令市の区の名称を決めるということは、単に市の組織の名称を決めるばかりでなく、その地域の住所表記に使われる・地名・を決めることでもある、という認識が選考委員や投票した住民に欠けている様に思います。簡潔で当たり障りない、ということが選考基準で良いのでしょうか。会社や団体の名称を決めるのとはわけが違うのです。住民が愛着と誇りを持てる由緒ある区名を慎重に選ぶ努力がなされたのか私には疑問です。

 さいたま市を含む13市で、独自かつ方位を表す文字や抽象地名を使用しない区名のみなのは川崎市だけ、という状況を改めて見渡すと現代日本の文化的センスがどの程度なのかわかってしまうような気がします。(※)

 総務省は政令市の人口要件を70万人に引き下げ、今後も近い将来の政令市誕生が予想されますが、このへんで区の名称選定についてのガイドラインみたいなものを作ってみたらどうでしょうか。でも、そんなことしたら自治の制約ということになってしまうんでしょうね。

※川崎市には幸区がありますが、これは旧御幸村(みゆきむら)に因むもので、出所不明の抽象地名ではありません。その御幸村の名は明治天皇の梅園への行幸を記念したものであり、明確な事実をもとにしているので抽象地名ではありません。従って旭区、緑区、栄区といった区名とは性格が異なります。
[3779] 2002年 10月 11日(金)08:27:40【2】蘭丸 さん
都道府県の相違と来歴
 過去ログで、都道府県の違いや、歴史に関するものがありましたので、私の知っている限りの情報を書かせていただきます。

 現行の都道府県制度は、地方自治法上、地位についてその名称による差異は全くなく、同等のものとして一律に規定しています。単に現行法の制定当時に存在した沿革上の名称をそのまま踏襲したまでのことです。ですから、地方自治法や都道府県条例では、市となるための要件や町となるための要件などは規定されていても、「府となるための要件」や「都となるための要件」は存在しないわけです。

 特に府と県はその実態から言って全く同じものです。なぜ、「府と県は」かというと、東京都の特別区の存在が「都」に府県とは違った役割を持たせているからです。
 すなわち、東京都はその区域の内、市町村の区域については通常の府県の権能を有し、特別区の区域については府県と市の両方の権能を有するという離れ業をやってのけています。これも一言で言えば、沿革上の都の組織を踏襲した結果です。戦時中、首都の一体的な行政遂行を目的として東京府と東京市を統合した「東京都制」が施行されましたが、戦後も「東京市」が復活することなくそのままの形が残されたわけです。戦後、区長の公選が行われましたが、昭和27年に議会選任制(都知事の同意のもと、議会が選任)となり、特別区は再び都の内部団体としての色彩が濃くなります。しかし、これでは通常の有権者は基礎自治体である市町村と広域自治体である府県の両方の自治に参加できるのに、特別区の有権者は都の自治にしか参加できない(通常の地方自治は二層制だが、特別区では一層制)という問題点が指摘され、昭和50年、区長公選が復活し、平成11年には基礎自治体に昇格して他の市町村なみの体裁を整えるにいたったのです。
 しかし、依然として都区財政調整制度や、23区職員の一括採用、消防・水道の都による運営など、通常の市町村とは異なる面が多く、やはり現在も名実共に「特別区」なのです。

 また、現在の「都」は、戦前の「東京都制」とは違って、東京に限った制度ではないので、例えば神奈川県や大阪府を大都市行政の一手段として「都」とすることは法理論上は可能です。そもそも、都と特別区の定義自体が自治法にはない、と言った方が早いでしょうか。

 道についても、沿革上の呼称をそのまま用いているだけであり、元来、一地方名であったものが府県と同じ位置付けをされた、という経緯の違いがあるだけで府県と同様のものです。

 ちなみに王政復古ののち、府は10府ありました。このことに触れている書物がわりと少ないので以下に列挙してみます。

 箱館府、東京府(←江戸府)、神奈川府、新潟府(←越後府)、甲斐府、
 度会府、京都府、大阪府、奈良府、長崎府
 ※東京府は江戸府から、新潟府は越後府から改称したものですが、新潟府とその後別個に成立した越後府とが
  一時並立した時期もあった様です。これを含めると11府あったことになります。

 この10府の内、のちに残る3府以外は全て1年足らずで廃止されている様です。しかし、当時の政府がどこを要地と考えていたかを物語る興味深い事実だと思います。

 それにしても、いろいろな統計をとる際に、23区は一つの都市と見なされながら、それを指す適切な言葉が存在しないのにはやっぱり違和感ありますよね。例え「特別区」、「23区」と表記しても、他のケースでは「神奈川県-横浜市-都筑区」のように住所表記と一致するのに対し、「東京都-特別区-渋谷区」なんていう住所ないですよね。
[3764] 2002年 10月 10日(木)21:07:20蘭丸 さん
政令指定都市の拡大について
 政令指定都市の増大について、反対意見が見受けられる様ですが、私は、地方自治法の明文規定が「50万人以上」とのみある以上、総務省が基準を70万人に引き下げた措置は歓迎します。むしろ、国土の均衡ある発展を誘導するためにも、すでに中核市となっている市の内で社会経済的に広域的な中心となりうる都市は、今後の発展を促す意味で政令指定都市にするのがいいと思います。

 その際、新潟、浜松、岡山、熊本が第一次候補となるでしょうか。ここで注意したいのは、単なる人口規模を満たした市に対して政令指定を乱発しないことです。

 例えば、柏市を中心とした政令市構想や、神奈川県央4市政令市構想、湘南市構想などは、果たしてそれらの地域の中核はどこなのか、あるいは合併でできた新市がどれだけのフィールドを持った経済圏を形成しうるか、はなはだ疑問と言わざるを得ません。上記4市は岡山が広島から若干の影響を受けていますが、既存の政令指定都市を中心とした大都市圏の影響をあまり受けずに、独自の発展をしている感じがします。

 静岡がなれるのなら、比較対照上この4市は問題ないと思います。

 余談ですが、千葉が政令指定都市になれたのは、自治省出身の市長の存在が大きかった、ということを何かの本で読んだことがあります。


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