[41837]白桃 さん
呉が「広島なみ」の人口を擁していた時期はありましたでしょうか?
広島市と呉市の戦前・戦中・戦後にかけての人口推移を載せておきます。
| 広島市 | 呉市 |
昭和10年国勢調査(10/1実施) | 310,118 | 231,333 |
昭和15年国勢調査(10/1実施) | 343,968 | 238,195 |
昭和19年人口調査(2/22実施) | 336,483 | 293,632 |
昭和20年人口調査(11/1実施) | 137,197 | 152,184 |
昭和21年人口調査(4/26実施) | 171,902 | 170,285 |
昭和22年臨時国勢調査(10/1実施) | 224,100 | 185,740 |
昭和23年常住人口調査(8/1実施) | 246,134 | 188,949 |
昭和25年国勢調査(10/1実施) | 285,712 | 187,775 |
昭和20(1945)年11月1日(昭和20年人口調査 総理府統計局)には、広島原爆投下から3ヶ月あまりしか経っていないことから、
広島よりも呉のほうが人口が多く、呉市はこの年の広島県最大の都市になっております。
また、昭和21(1946)年(昭和21年人口調査 総理府統計局)においても、呉と広島の人口はほぼ同じとなっています。
また、
呉市の人口ピーク では
昭和18(1943)年には
呉市人口40万4千人で最高となる
とあります。
昭和19(1944)年2月22日(昭和19年人口調査 総理府統計局)では、呉市の人口が293,632人となりますが、呉市はたった1年で11万人も人口が激減したことになりますね。
もし総理府統計局が昭和18年にも人口調査を行っていれば、この年は呉が広島県第1の都市だったんでしょうね