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三丁目さんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[16412]2003年6月7日
三丁目
[16373]2003年6月6日
三丁目
[16368]2003年6月6日
三丁目
[16367]2003年6月6日
三丁目
[16341]2003年6月5日
三丁目
[16340]2003年6月5日
三丁目
[16300]2003年6月2日
三丁目
[16262]2003年6月1日
三丁目
[16250]2003年6月1日
三丁目
[16244]2003年6月1日
三丁目
[16209]2003年5月31日
三丁目
[16199]2003年5月31日
三丁目
[16169]2003年5月30日
三丁目
[16147]2003年5月30日
三丁目
[16120]2003年5月29日
三丁目
[16115]2003年5月29日
三丁目
[16070]2003年5月28日
三丁目
[16032]2003年5月27日
三丁目
[16031]2003年5月27日
三丁目
[15973]2003年5月26日
三丁目

[16412] 2003年 6月 7日(土)14:31:16三丁目 さん
お礼、をお伝えしたかった書込みです。
[16374]まがみさん、[16385]uttさん、クロソイド曲線について、ありがとうございました。

また、私の妙な質問に、[16398]雑魚さん
>アングラでは(鉄道直線最長区間について)どこか別の路線があるのですか?
うーん、ちょっと該当しそうな区間は思いつきませんね。
ご丁寧に、ありがとうございました。青葉駅についての記述が抜けているのだけ、ちょっと気にかかりましたけれど、お手持ちの文献がちょっと古めなのかしらん。苫小牧西高の生徒のためにつくられた、後から取ってつけられたように造った駅(確かホームだけ)ですから、線路形状には、影響がなかったのでは、と思ったのですけれどね。

[16383]スナフキんさん
鉄道直線最長区間ですが、(中略)「測量上の敷地中心線が一直線である」ことから直線最長区間であるとされているもののようです。
基準がよくわかりました。さっそく、我が地理アドバイザーには、休み明けに、職場からメールで、教えてあげようと思いました。
[16373] 2003年 6月 6日(金)21:11:09【2】三丁目 さん
「適当」という単語を、良い意味で使いたいレス
[16134]まがみさん
>JR東日本の図が北方へ長い
Suicaの使える範囲とだいたい一致しています。
かつて、Suicaが導入された当初は、ドコソコの駅では使えます、とか、使える範囲が広がりました、とか車内広告をよく見かけたものでしたが、最近は、スッカリ見ておりませんでした。Suicaのことは、スッカリ忘れておりましたがな。

[16370]雑魚さん
>そういえば、鉄道の日本最長直線区間は、室蘭本線の苫小牧?~白老?だったっけ、てな話になりました。
公式にはその様に聞きますが、駅構内の ポイントに伴う僅かな スライドまで考慮すると、少々 「?」 気味ですね。
ということは、アングラではどこか別の路線があるのですか?
[16368] 2003年 6月 6日(金)19:41:25【2】三丁目 さん
Re:国道五号線、の続き
ところで、道路関係をいろいろと見ているうちに、直線道路(北海道大百科事典)についての記述が目にとまりました。
北海道に多い直線道路の中で、日本一長いのが国道12号の美唄市光珠内跨線橋から砂川市空知太橋の間27.7kmの道路。これを上回る直線道路を造ろうとしても、地形や土地利用状況などから困難であること、直線道路はドライバーにとって単調であり、クロソイド曲線などの連続的な曲線道路が望ましいことから、可能性は少ない。
と、ありました。「クロソイド曲線」の専門的な意味はよくわかりませんでしたが、安全に高速運転するための理想的な曲線、という感じでしょうか。「数学的に滑らかでも、人間的には滑らかではない」という記述を見つけましたから、何やら、黄金比みたいなものかも、とも思いましたが。
この、直線道路の話を我が地理アドバイザーに紹介したら、そういえば、鉄道の日本最長直線区間は、室蘭本線の苫小牧?~白老?だったっけ、てな話になりました。いかんせん、私たち、鉄分不足なものですから。
[16367] 2003年 6月 6日(金)19:41:10三丁目 さん
Re:国道五号線
[16067]雑魚さん
ところで、国道の経路を考えると、(中略) 函館と札幌を結ぶ 5号線の経路選定については、その必然性において少々微妙なものを感じます。(中略)鉄道基準で見た場合、(以下、省略)
国道5号線は、道内唯一の1ケタ国道であり、函館~小樽~札幌と、最も早くから区制が施行された三都をつなぐ主要な道路ですから、ご興味を持たれるだろうな、と思います。でも、私自身は、初めての北海道旅行の時の、片道1回しか通ったことがありませんねぇ。なぜなら、函館から札幌へ一般国道で向かう場合、国道5号線~長万部町~37号線~豊浦町~230号線、が現在の最短ルートだからです。難しかった中山峠越えも、近代土木技術(定山渓トンネルより札幌側の無意根大橋、渓明大橋等)によって、通行が容易になりましたから、ね。

なお、我が地理アドバイザーからは「鉄道だと、山ルートは登りが厳しく、それに伴いカーブもきついことからスピードが極度に落ちるけれど、自動車だとその影響は小さく、狩勝峠よりも険しい日勝峠の方が短時間で着けるように、距離最短が第一だと思われます」とのコメントをもらいました。私は思いつかなかった話でしたが、ナルホドと納得しました。

ということで、以下は北海道道路史(参考文献も同名)になってしまいますから、もしなんであれば、飛ばしてくださいな。鉄道には、少~しだけふれます。

函館から札幌への陸路は、1870年(明治3年)から翌年にかけて開削された、本願寺街道が、開拓最初期の道路です。このときのルートは、軍川(七飯町)から砂原6里半(25.5km)の道路を開通させ、海(内浦湾)を渡って長流(伊達市)から、壮瞥、尻別(喜茂別町)、定山渓を経て平岸(札幌市)に至る26里10町(103.2km)です。現在の国道230号線に近いルートなのですが、厳密に言えば、230号線の起点が虻田又は豊浦なのに対して、本願寺街道は伊達を出発点として、洞爺湖を東回りで留寿都村に上っています。また、札幌市内を石山から豊平川左岸、石山通りが230号線ですが、本願寺街道は豊平川を渡らず真駒内を通って平岸に着いているあたりが異なります。

次に着手されたルートが、札幌本道です。初めは本願寺街道ルートと同様に考えられていましたが、変更されました。函館から森に出て、森から内浦湾を船で渡ってトキカラモイ(室蘭市海岸町)に上り、そこから苫細(苫小牧)を経て札幌・豊平橋に至るルートをとることとなりました。1873年(明治6年)に竣工し、幅員44尺(13.3m)ないし22尺(6.7m)の西洋式馬車道が完成しました。もう少し詳細にルートを記述すると、函館~亀田~峠下~森~(内浦湾)~室蘭港~登別~苫小牧~千歳~札幌、となります。

1885年(明治18年)の内務省告示によって、全国で44の国道が指定され、
6号「東京ヨリ函館港ニ達スル路線:東京~宇都宮~郡山~仙台~盛岡~青森~函館港」
42号「東京ヨリ札幌県ニ達スル路線:東京~6号・函館港~七飯~森~室蘭港~苫小牧~千歳~島松~札幌」
となりました。大雑把に言うと、現在の国道5号線~(内浦湾)~36号線という感じですね。

その後、札幌本道以外の道路も開削が進められ、1888年(明治21年)から森~長万部の道路工事に着手し、1894年(明治27年)頃までに礼文華山道(長万部~虻田)の改良が行われました。また、札幌~定山渓~虻田の旧本願寺街道も、1894年(明治27年)に改良・開通しています。しかし、車が未発達の時代にあっては、内浦湾の交通による船の方が速くて安価だったために、道路はあまり利用されず、1904年(明治37年)の小樽~函館間、1914年(大正3年)の伊達~長万部間の鉄道開通以降は、陸上輸送の主役は鉄道に譲ることとなりました。

なお、1907年(明治40年)内務省告示により国道が改正されて、
42号「東京ヨリ北海道庁ニ達スル路線:東京~6号・函館~森~長万部~蕨岱~倶知安~小沢~小樽~札幌」
43号「東京ヨリ第七師団ニ達スル路線:東京~6号・青森~室蘭~植苗~早来~追分~岩見沢~滝川~神居古潭~旭川」
と、この時に、現・国道5号線の全ルートが、主要国道として登場しました。

1918年(大正7年)に旧道路法が成立し、1920年(大正9年)の内務省告示で国道が指定されました。
4号「東京市ヨリ北海道庁所在地ニ達スル路線:東京~青森~函館~森~長万部~倶知安~小樽~札幌(北3条西5丁目)」
27号「東京市ヨリ第七師団司令部所在地ニ達スル路線(甲):東京~4号~札幌(北1条西4丁目)~岩見沢~旭川(4条通7丁目)」
28号「東京市ヨリ第七師団司令部所在地ニ達スル路線(乙):東京~4号・青森~室蘭~苫小牧~栗沢~岩見沢・27号」
と、この段階でも、まだ長万部~室蘭間のルートは主要国道としての要件を満たしていなかったようですね。

1952年(昭和27年)の道路法改正により、多くの幹線道路が国道に昇格し、一級国道、二級国道が指定され、北海道での一級国道は、以下の8路線でした。(注)
(1)札幌~余市~倶知安~長万部~八雲~森~函館
(2)札幌~岩見沢~滝川~旭川
(3)室蘭~苫小牧~早来~岩見沢
(4)旭川~名寄~音威子府~天塩~稚内
(5)滝川~富良野~狩勝峠~帯広~釧路~根室
(6)旭川~上川~白滝~遠軽~留辺蕊~北見~美幌~弟子屈~別海~根室市厚床
(7)長万部~虻田~室蘭
(8)札幌~千歳~苫小牧市植苗

その後、主要幹線の拡幅・舗装改良が進められ、1955年(昭和30年)札幌~小樽間、1961年(同36年)に現・国道36号線全線、1967年(同42年)に国道37号線の舗装、1970年(同45年)には国道5号線全線が舗装されました。

また、冬季は雪崩の危険から通行途絶となることが多かった、国道5号線の小沢~仁木間の稲穂峠は、1962年(昭和37年)に稲穂トンネルが開通、1965年(同40年)までに改良、舗装完成し、走行性が飛躍的に向上しました。これと並行して、1965年(同40年)に、礼文華峠のトンネルが開通したことで、国道37号線ルートもかつての難所が克服され、高速走行が可能となっています。

一方、二級国道だった札幌~虻田間の現・国道230号線は、1957年(昭和32年)から改良、舗装工事が行われ、最大の難所である中山峠は、大規模な橋が連なる近代的な道路(先述のとおりです)に生まれ変わり、1969年(同44年)に完成しました。これによって、札幌から函館への自動車ルートは、この国道230号線経由が距離、時間ともに最短となり、主役の座を奪うことになったのでした。ちなみに、現在の豊浦町から北へ行くルートは、かつては国道230号線ではなかったのですが、有珠山の噴火に伴い寸断された経路の迂回ルートとして、設定されました。もともと道道だった時代から、函館~札幌の近道として使われていました。

5号線なのか、37・36号線なのか、じゃなくなってしまいましたね。スイマセン。鉄道ルートは、小樽の地位低下を考えると、室蘭・苫小牧・千歳回りが経済的に、優先されるのでしょうね。特に、千歳空港駅(現・南千歳駅)の開業(1980年)と石勝線開通(1981年)が、決定的だったと思われます。

注:現在の国道と一致するのは、(1)=5号、(2)=12号、(4)=40号、(5)=38号+44号、(7)=37号だけで、(3)は室蘭~苫小牧が36号の一部+苫小牧~岩見沢が234号、(6)は旭川~上川が39号+上川~留辺蘂が273号と333号と242号+留辺蘂~美幌が39号+美幌~根室が243号、(8)は36号の一部です。
さらに留意点としては、国道39号の上川~留辺蘂の区間は、現在の石北峠ではなくて、鉄道と同じ北見峠ルートだったことです。また、苫小牧から早来までの区間は、現在の沼ノ端ではなく、植苗が分岐点だったことが、異なっています。
[16341] 2003年 6月 5日(木)22:00:59三丁目 さん
両毛人さんと、雑魚さんへ
一昨日はアーカイブが読めなかったために、本日、新着テーマ「地形図」に親しもう!を見たところ、私の書込みが採用されていたので、ビックリしました。もしかして、国土地理院HPを紹介していることが、採用して頂いた理由なのでしょうか?実は、ワタクシこの件については、オーナーグリグリさんに対して申し訳なく思っていたのです。1ヶ月くらい前に何気なく、都道府県市区町村 http://uub.jp/index.html を下の方までジックリ見ていたら、参考HPとして、国土地理院をリンクされていたのですね。普段は「サイトマップ」又は「落書き帳」をすぐクリックしてしまうから、見落としておりました。
さも自分が見つけたかのように書いてしまいましたから、いかにオーナーグリグリさんのHPをちゃんと見ていなかったことかと、反省しておりました。ハァ。

雑魚さん、メンバー紹介の更新、ありがとうございました。また、雑誌?の件、私は不興には感じておりませんので、どうぞご心配なく。それと、貴書込み[16067]から2つほど思いつき、現在、我が地理アドバイザーと情報交換しているところでした。あ。ところでナンバー176のナゾ解きは、いつして頂けるのでしょうか?興味津々なのですけど。
[16340] 2003年 6月 5日(木)22:00:45【2】三丁目 さん
uttさんからの預かりもの
[14259]uttさん
○大樹の無念・・・やはり雪印のイメージが。。。今はどうなっているのだろうか??
大樹町は、広大な十勝平野の南部一帯を占める。夏は海霧がかかりやすく、冬は寒さが厳しい気象条件のため開拓の初期から酪農経営の基盤づくりが進められた。第二次世界大戦中は軍馬の生産地として知られた。戦後は1964年(昭和39年)と1966年の2度の大冷害をきっかけに、豆中心の農業から酪農への転換がはかられた。(以上の記述は、「北海道大百科事典」北海道新聞社1981年発行からです。)

なぜ酪農が中心なのだろう?と思っていましたから、やっと関連する記述を見つけました。後は、我が地理アドバイザーからのコメントから、極秘ルート情報等を除いたために、原文を半分くらいにカットしましたけど、ほとんど雪印ネタですね。

酪農を基幹産業とする道東地域(十勝・釧路・根室地方)では、生乳を集荷する加工工場が各地に点在しており、最大手の雪印乳業は、大樹町、標茶町、中標津町、別海町で工場を操業しています。

同社大阪工場製品により発生した食中毒事件で、大樹工場から出荷された脱脂粉乳が、原料だったことが、警察の原因究明捜査で大きくクローズアップされ、地元では工場存亡の危機かと不安がられました。

しかし、道東の雪印乳業工場は、全て以前のまま操業しているようです。生産減による多少の人員削減はあったでしょうが、地域経済に大きな打撃を与えるほどの、工場縮小問題には、幸いにしてなっていません。

大樹工場は、チーズ製造が主力のようで、ワインブームによって好調な生産を続けているように見受けられますから、ご心配ご無用かと思われます。

[16332]uttさん
全て、きちんと調べてリリースするあたり、本当に頭が下がります。
たいしたことは、しとらんとですたい。この程度でごわす(苦笑)。それに、地理アドバイザーもアッシも、お互いに好きでしとうけぇねぇ。実は、アドバイザーからはuttさんが書き込まれてから、早々に回答をもらっていたのですが、私としては、冒頭の3行の記述がほしかったのです。大樹町HPはつまらないし、角川地名辞典の記述もワタクシ的には全然面白くなかったから、北海道大百科事典が届くのを楽しみにしていました。決して、調べるのに手間取ったわけではなかったのです。したっけ、待った甲斐があったべさぁ。これでおもろうなかったら、ガックシやったけんね。気が向いたので、いろいろ転調?してみました。西日本がほとんどだったかな?
[16300] 2003年 6月 2日(月)19:57:29【3】三丁目 さん
お礼、と諸々に(さ~んぴゃくね~んを、お~いおもえ~)
オーナーグリグリさん、どうもありがとうございました。書込みを直して下さったのですね。感謝です。アーカイブテーマ「いざ対決!ライバル都市」が更新されていたから、たぶんTACOさんの書込みが採用されたのだろうなぁと思い、何気なく覗いて気づきました。お手数おかけしましたことを、お詫び申し上げます。

[16263]Issieさん
>ウラジ「東方を」オストーク「征服する」
これは逆で,ヴラディ(征服せよ)+ ヴォストーク(東方を)という意味ですね。(中略)
同趣旨の地名として,カフカス(コーカサス)地方に ヴラディカフカス Vladikavkaz というのがあります。「カフカスを征服せよ」という意味になりますね。
[16279]ニジェガロージェッツさん
反響にお答えして、また続編を書かして頂きます。(中略)
「ヴォストーチヌイ(Восточный)」は形容詞で「東の」、一方の「ボストーク(Восток)」は名詞で「東」。この違いですね。
お二方のお話、とても面白かったです。ありがとうございました。それにしても、
現代のロシア人にとってそれほど露骨な都市名ではないようです。
帝政ロシアは、随分いろいろな地名をつけたものですね。でも、現代では露骨な都市名とは感じられないということは、もうすでに「音」として定着しているから、意味を考えないためでしょうかねぇ。とはいえ、私の記憶もいいかげんなものだ、と最近やっと気づきました。以後、気をつけます

[16297]両毛人さん
たぶん、私のことだと思うのですが、ナンカ、アリマシタッケ?よくわかりませんですのよ。

さて、メンバー紹介の件で、[16261]雑魚さんへのお願い、です。
ご紹介頂いている記述だと、私は今も道内居住中であるかのような印象を与えるかもしれませんね。北海道へ行ったものの、現在は首都圏在住ですから、そのあたりを、よしなにふれて頂けると嬉しいです。[14287]でるでるさんからは「謎?の地理アドバイザー」とのコメントも頂いていますから、敬意を表して、私の紹介文中に登場してもらってもいいのかもしれません。
なお、私の道内ネタは、自身の記憶と、ネット検索(特に市町村の公式HP)・図書館での調べモノと、地図と、我が地理アドバイザーとの意見交換(道内の図書館で調べたりしてくれている件もあります)の4本柱で99%書いているところです。だから、[16209][16244]で、苫小牧の川の記述に自信がないにもかかわらず、現地確認ができないのであります。一応、地理アドバイザーに聞いてみたら「苫小牧に夜景の名所なんてあったの?」なんて返事が返ってきました。2人とも最初の赴任地が苫小牧と一緒だったのですけれど、事務所も寮も別でしたから、人脈が違うこともあり、知らなくて当たり前かもしれません。決して名所ではなく、「苫小牧の」夜景が見える場所、くらいに理解して頂ければ、と。
とはいえ、どうやら今度の人事異動で勤務地が変わるみたいです。そうなると、今までのような執筆活動をする余裕がなくなりそうなので、疎筆のご挨拶をすることになるかもしれません。
と、ちょっと暗いトーンで書き始めたところ、雑魚さんのページをつい先ほど見て、ビックリしました。連載開始「北の防人」エッ???でした。「uttさんからの預かりもの」編を含め、道内ネタの未定稿は残り4つほど、と、そろそろまたネタに尽きてきたのです。。得意な、胆振・日高地方ばっかり書いててもねぇ、という感じなので雑魚さん、連載が続けられるように、何かございませんでしょうか?先般の太白さん、uttさんのように賜れれば、と。なお、uttさんからの預かりものについては、今週リリースする予定です。
それにしても「鉄人176号」には、大笑いしてしまいました(まがみさん、スイマセン)。176といえば国道のことでしょうか?私は神戸から海水浴に行ったのは、須磨ではなくて、なぜか丹後由良(京都北部)ばかりでして、そのときに通った国道が176号線だったから、思い出しましたが。でも、まがみさんとは関係なさそうですね(*^-^*)。

[16290]太白さん
面白いネタなどあれば、旅先から書き込むかも知れません。
最近ご無沙汰でしたから、どうされたのかと思っていました。旅をしていると、いろいろと面白いことを目にされるでしょうね。楽しみにしていますよ。

[13377]special-weekさんの
ネーミングライツ!
をきっかけに[13805]Zzzさん、[13912]太白さん、[13920]Zzzさん、としばらく続きましたが、ちょうどその頃(今から1ヶ月以上前)、職場の社内報に「サッカーのワールドカップの決勝戦の舞台となった横浜国際総合競技場の名称に、来年度からネーミングライツ(命名権)が導入されることになった」という記事が載っていました。なかなか裏が取れなくて困っていたのですが、やっと新聞記事になりましたから、ご紹介します。

5月31日(土)付日本経済新聞朝刊から(一部記述が重なりますが)
横浜市はサッカーのワールドカップの決勝戦会場となった横浜国際総合競技場へネーミングライツ(施設命名権)の導入を決めた。(中略)
募集要項によると、契約金額は年5億円程度で、期間は5年以上。(中略)
市は同競技場以外の公共施設へのネーミングライツ導入も検討していく。
日本語の訳としては、ただの「命名権」が妥当と思いますから、「施設」を付けるのは意訳しすぎかな?という気がしなくもありませんが、天下の日経がそう書くんだから、まぁ、そういうこと、てな感じでしょうか。
[16262] 2003年 6月 1日(日)17:25:29【1】三丁目 さん
Re:露国都市名考
[16251]ニジェガロージェッツさん
たいへん興味深いお話、ありがとうございました。ボリショイ・サーカスとはそういう意味だったのかぁ、と初めて理解しました。
さて、実は私は、世界史の授業で習った、ウラジオストク(地名の記述by帝国書院の地図帳,1995)の地名の由来が、強烈に印象に残っています。ウラジ「東方を」オストーク「征服する」と大変物騒な地名で、帝政ロシアが東方進出するための基地として築いた街だ、その野心を満々に表した地名だ、と教わった記憶があります。(南下政策=トルコ等への進出・圧迫とともに、東方進出により不凍港を獲得することが、ロシアの悲願だった。)

ご紹介頂いた一覧を拝見すると、ウラジオストクが、例の中になかったものですから、
ヴォストーチヌイ Восточный ヴォストーチノ Восточно 東の
で、「東の」と、「東方を」では単語が異なるのでしょうか?ロシア語を勉強したことが、全くないことからの質問で恐縮なのですが、ご教示頂けると幸いです。
[16250] 2003年 6月 1日(日)11:31:13【2】三丁目 さん
も~りのみ~やことぉ、ほぉ~こらえ~し~
タイトルを「北海道大百科事典から」、とするつもりだったのですが、[16247]だんなさんのタイトルを受けて、急遽変更しました。(オーナーグリグリさんとだんなさん以外には、なんのことやらサッパリお分かりにならないでしょうが、失礼いたしました)

朝、雨が小降りのうちに近所の図書館へ行ってきました。いきなりリクエストしていた北海道大百科事典が都立図書館から届いており、その厚さ・重さを見てゲッ(冷汗)・・・と思いましたが、汗をかきかき持って帰ってきました。(左腕が既に筋肉痛です。)
北海道にゆかりの人物も記述されていましたから(例えば作家の有島武郎など)、井上靖([15745]NSさん、[15803] OguriCapさん)もあるのかと思って探したところ、載っていませんでした。サビシー。。。

余計なお世話ではありますが、紅葉橋瑤知朗さんにおかれましても、この本は大変参考になると思いましたよ(笑)。1981年(昭和56年)発行といささか古めなために、数字データ等は自分で補足する必要があるにしても、記述自体は、私にとっては大変興味深かったです。例えば室蘭については「明治の半ばころまでは、室蘭と書いても、それをモロランと呼んでいたのだが、字に引かれて、いつか「むろらん」になってしまった」等、はとても面白かったです。

道内で行ったことがある図書館と言えば、室蘭市立図書館、登別市立図書館、白老町立図書館、苫小牧市立図書館、千歳市立図書館、札幌市立中央図書館、江別の道立図書館くらいなのですが、当時はこういう類の本に目を通すことなく、自分が興味を持っていた本を読むか、寝ているか、どちらかでしたけどね。最近は「居眠りお断り」と貼り出している図書館を目にしましたが、私の行いが悪かったからでしょうか?1回だけですが、開館から閉館まで、途中昼食をとったものの、ズ~ット寝ていたことがありました(汗)。

[16201]NSさん
>16100~16199を見たときに、一番最初に表示されるのは16199ですから、旭川観光紹介がアピールできるかな。
流石、心憎いですね。
単なる思い付きだったのですけど。。。キリ番を狙うのは難しそうだから、こういうのもアリかな、程度でして。過分な、お言葉に恐縮する次第であります。

なお、表記タイトルは金沢市立泉中学校の校歌の一節なのですが、これにより、私は「もりのみやこ」という単語を知りました。金沢のことを杜の都というのかぁ、と理解したのですが、後年(高校生くらいのとき?)、世間一般では「もりのみやこ」と言うと、仙台を指すことも知りました。
[16244] 2003年 6月 1日(日)07:14:47【1】三丁目 さん
1年ほど前のレスなど
[1925]雑魚さん
形式の上では、東京教育大は一旦解散して、現在地に新設した事になる様です。
元々が教育関係ですから、医学部等の理科系は事実上新設だった訳ですね。
かねてから、東京「教育」大学が、移転したらなぜ、「総合」大学である新生筑波大学になったのだろうと疑問に思っていました。[4993]Issieさんが官立旧制高等教育機関を一覧で紹介されておられたことと、東京教育大学で調べたことで、やっと理由がわかりました。旧制の、東京高等師範学校と東京文理科大学等が統合されて東京教育大学になったからなわけですが、
「東京教育大学」を支持する高師、農専、体専側と、それでは教員養成のみが強調されて学術研究の面がおろそかにされるから他の名称にすべきだという文理大側とはたがいにゆずらず
と下記URLに載っていました。もともと新制大学になった時点で、総合大学だったのですね。また、
東京教育大学は、文学部、教育学部、理学部が文京区大塚に、農学部が目黒区駒場に、体育学部が渋谷区幡ヶ谷に、学生寮その他の施設が都内各所に分散するいわゆる「タコ足大学」であった。
ですから、もともと理科系の学部があったのですね。医学部は新設されたようですが。あえて、地理ネタに絡めるとすれば、以前話題に上がった、タコ足大学の1つだったために、都内に関連施設が点在していたこと、でしょうか。
http://members.jcom.home.ne.jp/lionsboy/shousi.htm

[16193]ニジェガロージェッツさんの、雑魚さんへのメッセージ。
何か磨きが掛って黒光りの様相さえ感じるいい味出してますよ。
私は、子供の頃に作った土団子、を連想して笑ってしまいました。ワタクシ、テーマで分けていると言うよりも、書き忘れたから後で付け足してることの方が多いのです(汗)。でも、どうして土をナデナデしているとツヤが出てくるのか、未だに不思議。

[16211]両毛人さん。正直なところ、川の名前に自信がないのです。普段は、自分の記憶にある程度自信があるのですが、この件に関しては、糸魚川という名称がないとわかった時点でショックでした。じゃあ、小泉の沢川なのか小糸魚川なのか、はたまた有珠川だったのか。。。記憶では、それほど市街地から遠くなかったことと、ゴルフ場の入口だった、ことから判断すると、たぶんパークゴルフ倶楽部への登り口だったのかなぁ、と思った次第です。現地で夜景を楽しまれたい方は、ご自身でご確認くださいませ(いい加減な情報だなぁ)。

[16215]オーナーグリグリさん
過去記事の編集依頼は原則受け付けていません。記事削除のみ受け付けます。
了解しました。
[16209] 2003年 5月 31日(土)15:57:39【2】三丁目 さん
2日前のレスと、カッコ悪い記事訂正お願いと
[16136]両毛人さん
北海道でも30度を超えた地域があったようですね。三丁目さん、いかがですか?
あ。え~と。。ご挨拶を頂けたのは嬉しかったのですが、現在は、東京又は埼玉在住なのです。。。
それと、両毛人さんの[3186]を、アーカイブテーマ「北陸地方と、関西圏・中部圏との結びつき」に加えられてはいかがでしょうか?「鮮烈に存在した「日本海沿岸交流圏」-北前船の交易を中心に-」に採用済ですが、今回、最初から読みなおしていたときの第一印象は、前者のアーカイブテーマだなぁ、と思いましたよ。ちなみにやっと4500番くらいまで追っかけてきました。今回、改めて感じたのは、過去ログを読み返すのは、ものすごい勉強になりますね。皆さんがいろいろな情報を発信していらっしゃいますから。

さて、これからはお恥ずかしい話なのですが(オーナーグリグリさんとはメールの相性が良くないみたいなので(笑)、落書き帳にて堂々と)。書込みを初めた頃は、我が地理アドバイザー情報に、記憶を併せただけで書いていた部分が正直申し上げて、ありました。拙稿[9574]で「札幌側の明野などの工業用地を宅地化していること(駅で言うと植苗あたり)から、順調に人口が増えているところです。」という記述は、誤っていることに自分色登録をお願いした頃に気づきました。途中から、ちゃんと地図を見て確認するようにし始めたからです。

正確に言うと、ウトナイ湖南側(沼ノ端駅北側)、に該当しますから、「駅で言うと沼ノ端北側」、が正しい記述となります。アーカイブにも採用されていますから、間違ったままでは恥ずかしいと思い、記事訂正をお願いする次第です。

また、拙稿[11416]が、まさかアーカイブに採用されるとは思っていなかったので、「しゃっかてん」をメインテーマに、夜景情報をオマケとして、記憶で書いた部分がありました。苫小牧の夜景を糸魚川沿いに上がり、と記述しましたが、地図で確認する限りは、「有珠川」が正確だと思われますから、これまた記事訂正のほど、お願いいたします。

最後に、感想を少々。。。小学生は小学生なりに、中学生は中学生なりのコメントを、高校生は進路選択へ向けて気持ちの余裕がないかもしれませんからほどほどに、という感じで書込んでもらえると楽しいだろうなぁ、と思っています。決して基礎知識を蓄えてから書込むように、と敷居を高くしたいと、「私」は望んではおりません。その前段で生じる疑問が書き込まれれば、皆様方が何度となく過去にこういう話があったよ、とご紹介されておりますしね。

なお、それ以上の年齢の方は、それなりの知識を持った上で議論されると、より盛り上がれるのではないか、と思っておりますが。。。かくいう私も、受験のために一生懸命に勉強した世界史と倫理・社会という科目以外は、中学卒業までのレベルしか知りませんでした。それ以外は、高校を卒業するための最低限の試験勉強しかしませんでしたから。あ。ただし、地理Bについては、まだ受験科目を意識していない1年生のときに習いましたから、それなりに一生懸命勉強はしましたけどね。(まったくの蛇足ですが、私は理科については、生物・地学という文系の典型的な勝負科目を選択しました。ただし、地学が学校の授業にはなかったために、予備校等による独学で補いましたけど。)

しかし、興味を持っていると、新聞やテレビ等で、結構いろいろなお話が紹介されていることに気づかれるのではないでしょうか。そういう感じで、知識を蓄えられると広範な話題にもついていきやすいと思いますよ。とは言いながら、私自身はめったに議論には参加できませんけど。知らない、あやふや、又は時期を逸している、ことが多いものですから。

[16193]ニジェガロージェッツさん
この「落書き帳」への投稿に際しての心構えなどの諸兄からのご意見があったのですが、小生はありがたきさんが[16137]で述べておられるご意見に全く大賛成です。(中略)かなり下調べした上でないととてもではありませんが、書けないです。仮に知っている事象であっても、そのことに思い違いがないかなどの裏づけを取り、知らない事は徹底して調べてから書き込むようにしています。いつも反応が数日ずれてしまうのはそのためです。
「私」の考え方は以上のとおりです。また、私もマイペースで参加させて頂いており、レスが遅いのもニジェガロージェッツさんと同様な部分もありますが、グータラで書き落としたために、後から付け足すように書き加えていることが多々あります(汗)。
[16199] 2003年 5月 31日(土)10:44:33【2】三丁目 さん
旭川の観光スポットfrom地元からの情報
[15725]TACOさん
旭川市の有名な観光名所はどこがありますか?もしかしたら行くかもしれないので・・・
もう、だいぶ出揃った感がありますが、富良野の話のついでに、旭川観光の話もオマケに我が地理アドバイザーへ送ったら、予想していた通りに返事が返ってきました。旭川出身ですから、黙っちゃいられないだろう、と思ったからなのですけどね。
「別に投稿を要求するわけじゃないけど」と書き添えられていましたけれども、私には要求されたように感じられましたから、ご紹介しますね(寄せられた情報を、正確に記述するための確認作業に手間取りました)。。。私自身は、旭川観光といえば優佳良織工芸館と常盤公園くらいしか、思い浮かばなかったのですが、市内には結構あるのですねぇ。一部既出の観光スポットと重なり、亀々レスですが。

駅から歩いて回る、となると買い物公園、常盤公園くらいの範囲に限られてしまうので、車で回ることをお勧めし、それを前提にご紹介します。

高速道路で来た場合には、旭川鷹栖ICから近い場所に、アイヌ記念館、井上靖記念館、彫刻美術館があります。

アイヌ記念館とは、「川村カ子トアイヌ記念館」が正式名称で、昔のアイヌ部落を再現した施設です。文字どおりアイヌ民族の伝統芸能のお勉強と、工芸品のおみやげ購入に最適です。

井上靖記念館と彫刻美術館は同じ公園内にあります。彫刻美術館の建物は、かつては市立博物館、その昔は旧日本陸軍の旭川偕行社だった歴史的建造物で、国指定重要文化財です。白樺に囲まれた静かな公園で、文学と美術の世界に浸るのに最適です。

国道12号線で来た場合は、旭川市街地の平地に下りる手前の丘の上に、北海道伝統美術工芸村があります。優佳良織工芸館、雪の美術館、国際染織美術館の3館から成り立っており、アイヌ伝統の織物、工芸品のおみやげ購入ができますが、地味ながらお奨めは「雪の美術館」ですね。あまり広くはありませんが、北大低温研究所での雪や氷に関する研究成果の展示や、いろんな形の雪の結晶を観察できて、理科系人間(注1)にも楽しめる施設です。

お酒好きの方には、北見方面へ向かう途中、国道39号線沿いの永山に、男山酒造り資料館があります。銘酒男山の酒造工場の事務所内にあり、ドライバー以外の方ならば、日本酒の試飲もできます。

こうした施設は、定期観光バスのコースにも入っているでしょうが、郊外への移動があると、時間的制約で全ては回れないかもしれません。どれかをメインに絞って、選ぶのがいいかと思います。

「アイヌ記念館」で検索していたら、こんなURLが見つかりました。旭川の個人タクシー組合?作成で、観光ルート等、いろいろ紹介しています。
http://potato3.hokkai.net/~kei-moko/cousu.html
亀々レスだったから、旭川に行かれるまでに、間に合いましたでしょうか。いささか心配ではありますが。

注1:我が地理アドバイザーは、ちりたまさんと同窓の電気専攻出身ですから、かくいう発言があったものと思われます。
注2:書込み訂正作業をしたら、オーナーグリグリさんの[16198]が目にとまり、キュッキュッー狙いもいいのかな、と思い、本書込みを急遽アップしました。そうすると、16100~16199を見たときに、一番最初に表示されるのは16199ですから、旭川観光紹介がアピールできるかな。へへへ(^O^)y
[16169] 2003年 5月 30日(金)18:43:41【2】三丁目 さん
富良野と美瑛
拙稿[16032]にて予告申し上げた、我が地理アドバイザーがレスしたいとのお話。友人同士のメール口調を落書き帳用に改めたり等、私の方で若干編集しましたが、本人の了解を得ましたから、代理書込みにてご紹介いたします。正直なところ、私が知っていた古い美瑛観光が、そんなに様変わりしていたことを、初めて知りました。さてさて。

「「観光と開発」」編

[15669]スナフキんさんは,交通アクセスの悪さ,インフラ整備の遅れ等を,富良野地域からの将来の観光客離れの懸念要因に挙げられています。

こうした苦情が寄せられるのはごもっとも,とは思いますが,ではどうしようかとなると,なぜ観光客が訪れるのか,ということと相反することになってしまうのです。

10年前までの美瑛を訪れる観光客は,自家用車やレンタカーで丘を巡り,気に入った景色の場所に停車して写真を撮って回る,のどかなものでした。それが観光ブームによってツアー客がバスで押し寄せるようになると,元々が狭い農道だったからすぐに渋滞するし,ただの畑だから休憩する場所もない,と観光業界から苦情の嵐が寄せられました。

その結果として,道路を2車線に拡張し,駐車場・トイレ・アイスの売店等が丘の上に設置されましたが,さてどうなったでしょうか。このために畑が削られ,景観が損ねられてしまい,かつてのような素朴な風景が少なくなってしまったのです。昔の景色の方が良かったという感想を,地理アドバイザーは耳にしたことがあるそうですよ。

さらには,心無い観光客が,農家が耕す畑であることを忘れ(知らずに?),踏み荒らしてしまう有様もあり,地元では,税金を使ってまで観光誘致なんかしなくていい,という声も聞こえるほどだそうです。

観光客のために整備するインフラが,結果として売り物である自然を破壊しかねないことは,北海道各地の観光地が,悩んでいる問題でもあります。

バスや車がごった返すのは,年間を通して見ればほんの一瞬のことです。そのために,普段は不自由していない道路や駐車場を拡張したりするのは,過剰投資にならないでしょうか。台湾からのお客さんを案内したときに,ディズニーランドの人ごみに比べたら,美瑛の混みようの方がよっぽどマシ,とこぼしていたのを、地理アドバイザーは聞いたそうですよ。

スナフキんさんも最後に,それでも訪れようとする魅力があるとおっしゃっているわけですし,[15684]uttさんのように、ブームが去ったら訪れたいとおっしゃっている人もいることを思えば,これ以上開発をしなくとも,観光客は途絶えることはないのかなと,思えてきたそうです。

「「美瑛・富良野ウラ観光」」編

[15669] スナフキんさん
「富良野盆地は広いのだから,人がワラワラ集まらないところでも,きれいな場所は必ずあるはずだから,自分で走り回って探す」という人たちも
お決まりのポイントを,お決まりのルートで回ろうとすると,混雑と渋滞に辟易してしまうのは,どこの観光地でも同じかと思われますね。

観光ピーク期の休日の夕方などは,旭川空港から富良野に至る国道237号線は渋滞しますが,それを察知している地元住民は,国道を通るなんて愚の骨頂,とばかりに,ちゃんと迂回路を通り抜けて,普段と変わらず交通,流通しています。旭川から富良野に抜けるルートは,美瑛市街地を通らないルート,上富も中富も通らないルートがいくつかあるのです。丘陵地は道が曲っていてわかりにくいかもしれませんが,カーナビがあれば,迷うことはないかと思われます。

美瑛では,観光バスが通らない,または通過する所でも,景色が楽しめる場所は多くあります。お勧めは,水沢ダムから千代田ファームの辺りとか,混んでる拓真館には行かずにその丘の上とか,美馬牛のペンションWITH YOUの前の空き地とか。

中富良野では,ファーム富田がゲキ混みの時も,少し離れた場所にある町営ラベンダー園には駐車スペースがあり,ゲレンデ一面の花畑をリフトで見下ろしながら,山を登り降りできます。山の上は森林公園にもなっており,そこから眺める富良野盆地と十勝岳連峰は,それはいい景色です。

富良野では学田の丘の上,ワイン工場のレストランは眺めもよくて,バーベキューも味わえるし,比較的空いていてGoodですって。

こういったところが,実際にお客さんを個人的に観光案内した経験から,最混雑期でも楽しく観光できるコースだそうです。

もっともこれは,お金があれば観光ハイヤーをチャーターして回るなり,レンタカーで回ることができれば,の話ですから,選択の余地のないバスツアーでは,いい思いができなくてもゴメンなさい,と言うしかないかもしれませんね。

こんなに地元情報を満載にして、インターネットで公開していいの?と不安になって私は聞きましたが、富良野・美瑛観光のピークが少しでも緩和され、より多くの観光客を迎えられるようになればありがたやぁ、なのだそうです。落書き帳で書込むことで、地元の裏ルート交通が麻痺するようになれば、それこそバンバンザイだ、と。。。そこまでの渋滞にはならないんじゃないの、と申しておりました。一応。
[16147] 2003年 5月 30日(金)07:10:11【1】三丁目 さん
記録ホルダーさん?へ、と昨晩のこと
[16122]紅葉橋瑤知朗さん
わたしがはじめて書き込んだのは、まだ3桁のころでした。去年のはじめ頃だったような……。
やはりそうだったのですね。「もみじばし銀之助」「もみじばし銀治助」さんの時代から書込まれているから、初登場は[801]と、なんと、雑魚さんよりも古株でいらっしゃったのですね。もしかして、「初書込みから自分色登録されるまでの期間が最長」という記録ホルダーになられたのでは、ないでしょうか???

さて、北陸新幹線関連で、いろいろと皆さんからのレスを頂き、ありがとうございました。私としては、新幹線についてお話したかったわけではなくて、その前提条件となる認識が、「失礼ながら少々お勉強不足では?」と感じたものですから、「調査・分析」という言葉を使ったつもりでした。もし、私の言葉遣いで、波紋をよんだのだとすれば、その点については反省します。必ずしも、書込む前提条件として、他の方にも調査をお願いするつもりではないのです。

ただ、以前もいくつか、基本的認識が異なることによるギャップがあり、他の方からも「失礼ながら少々お勉強不足では?」とご指摘があったことが念頭にありました。議論を深めるためには、ある程度の共通した認識(知識?常識?)が必要だと思います。とはいえ、私も、それはガイドラインで示すようなことではなく、まさに暗黙の了解だと思っています。

自分では当たり前と思っている話を、いざ文字にしようとすると、言葉につまってしまうことが私にはあります。今回の件がまさにそうでしたから、他の方から適切に表現して頂ければありがたいなぁ、と思い、フォローをお願いした次第です。その点で、多くの方から様々な点からの書込みがあったことを、興味深く拝見しました。

最後になりましたが、special-weekさんの問題提起は、面白い視点があることには感心していますから、今回の件でお気を悪くなさらず、よろしくお願いしますね、ということで。
[16120] 2003年 5月 29日(木)20:08:17【1】三丁目 さん
もう少し、いろいろと調査・分析されてからの方が・・・
[16119]special-weekさん
北陸の人がわざわざ大阪に行くのも考えにくいし、大阪の人が北陸に行くのも考えにくい。
北陸と、関西(特に京都)との結びつきを、もうちょっと何か文献で調べられた方が・・・。例えば、加賀「友禅」とか、福井と京都の距離的な近さから来る親近感とか。。。元金沢市民の私としては、黙っているには、あまりにしのびなさすぎるお話だった故、ご容赦ください。だんなさん、はじめ皆さんから、フォローを頂けることを期待しております(ちょっと無責任かな?)。
[16115] 2003年 5月 29日(木)18:44:38【1】三丁目 さん
レス関係を3つほど
[16067]雑魚さん
国道五号線
この話題は反応したい!と昨日から思ってはいたのですが、調べてネタを集めてからにしよう、と思い直しました。どこまで書けますことやら。

[16078]kenさん
>早来町を過ぎると、(美瑛と)似たような丘の風景が見えてきます
そうだったんですか。(中略)千歳から早来、追分、由仁、栗山と走って岩見沢、三笠、桂川湖、芦別経由で美瑛に向かったのですが、心が本美瑛に向かって焦っていたせいか、ニセ美瑛については、「由仁町に入った」とか、看板は思い出すものの、周囲の風景があまり印象に残ってませんでした。惜しいことをしました。
たぶん、新千歳空港~道道10号線~早来町早来~国道234号線~早来町安平~追分町と走られたのだと思いますが、まぁこれは、私は元地元民として、美瑛をもともと知っているのと、何度となく往復して記憶に残った国道234号線の印象ですから、観光で一過性で通られた方にはわかりにくい景色かもしれませんね。ただ、馬追丘陵については、[16072]NSさんからレスを頂いたように、今度機会があれば、注意してご覧になってみてくださいね(笑)。ゆっくり見る価値はある、と私は思いますよ。。。と言いながらも、自分自身は、立ち止まったことがないのです。ゴメンナサイ。

[16089]紅葉橋瑤知朗さん
自分色登録を申請したこと
先般、[15878]Issieさんが
ずーーっと以前(これは本当に)に話題になったことがあるのですが
とおっしゃっていたので、記事番号1から、もう一度、読み直していたところでした。たしかに、初期の頃はショート書込みが多かったのですね。その中で、以前は書込みを追いかけるので精一杯だったから、自分色非登録の方はあまり印象に残っていなかったのですが、今回、初めて気づいたことがあります。でも、それは紅葉橋瑤知朗さんが自分色登録をどのように申請されたか、その結果を見てからでないと、ちょっと。。。迂闊なことを書いてもいけませんから、とりあえず控えておきますけど、ね。

それにしても、[1665]が、ちょうど1年前の5月29日の最終書込みとは、隔世の感ですねぇ。シミジミ。。。私もたくさん書込んでいる1人なのですけど、ね。

それと、富良野・美瑛の、地元(旭川出身地理アドバイザー)からの観光情報。まだラベンダーの時期じゃないから、ヨサコイソーラン祭りまでには、間に合わせて書込みますので、今しばらくご猶予のほどを。

1日1回は書込みしたいという思いを持ってはいるのですが、私のようなこんなマイペースな書込みでもレスを頂けることに、感謝しております。どうも、最近夜に気力がなくて、これくらいの時間に書き込んで、後は明日に書き込もう、な~んてグータラこいてます(汗)。
それはそうと、[16099]だんなさん。100書込みおめでとうございます。淡々と、いきましょうね(笑)。私もこんなペースですが、許してもらえてるようです(笑)。
[16070] 2003年 5月 28日(水)16:58:44【2】三丁目 さん
美瑛の風景
「美瑛」といえば、丘のある景色を写真等で見られたことがあるかもしれません。
しかし、必ずしも、美瑛だけがあのような丘陵風景をつくっているわけではありません。

苫小牧方面から国道234号線で早来町、追分町、由仁町、栗山町、と続きますが、早来町(遠浅、早来、安平)を過ぎると、似たような丘の風景が見えてきます。私は「ニセ美瑛」と勝手に呼んでましたが。手元のSuper Mapple北海道道路地図2003年1月発行で確認すると、たぶん追分町弥生又は豊栄のあたりだと思います。

私の記憶が誤っていないことを確認しようと、我が地理アドバイザーに聞いたところ、印象に残っているのはそちらよりは、札幌から帯広へ向かう国道274号線の、長沼町から由仁町三川までの山越え区間で、馬追丘陵と呼ばれている地帯、だそうです。ネット地図マピオン(1/15万での表示)では、長沼町・由仁町・千歳市という表示の真中に馬追丘陵があります。言われてみれば、この辺りも似たような丘陵風景があったのを思い出しました。この辺りは、地理アドバイザーによると、広くは石狩平野の範囲に当たりますが、千歳川流域の千歳・長沼の平地と、夕張川流域の追分・由仁・栗山の平地との間に、侵食されずに残ったような細長い丘陵なのだそうです。

また、十勝平野で、似たような風景が見られる場所もある(芽室町や士幌町の山麓地域)と申しておりますが、ある一方向だけからならそう見える程度だそうでして(これは、私も場所がよくわかりません。)。根釧台地も、丘陵地形の畑作地帯ですが、標高差がないために、一面平らな原っぱの風景で、絵にはなりにくいですねぇ。

さてさて、長い前ふりにお付き合い頂き申し訳ありませんでしたが、ホンモノ美瑛のお話。
いや。実は、ニセ美瑛からホンモノ美瑛へ話をつなごうと思いつき、書き始めたのですが、あまり文章が書けなくて、地理アドバイザー(旭川出身)にどうかな?と相談したところ、こんな感じでどぅお?と返事が来たのです。実は、美瑛についてはもともと書きたかったらしく、私のメールが呼び水になったようでして、「満を持して美瑛」というコメント付きでした。ということで、結構、原文を尊重して。

美瑛の丘の風景は、今ではすっかり有名となりましたが、これらの風景は、意図していなかったのに、作られたものです。これには、いくつかの理由、要因があります。

美瑛から上富良野にかけての原始地形としては、十勝岳山麓の火山灰地質の緩い傾斜地が、いくつかの小川によってなだらかに侵食されたことにより、眺めとしては、折り重なるように連なった丘陵地形が見られます。

元は全て山林だったものが、伐採、開墾されて畑になりましたが、表土飛散を防止する目的で、林の一部を残して、防風林としています。これが、タバコのCMに使用された、雪原上の真っ直ぐな林で、見る角度からはとてもきれいな風景です。

畑の真ん中にポツンと1本だけ立つ木は、防風林ではなくて、農作業中の休みをとるための日よけか、雨宿り用の木でしょうね。これは、哀愁がただよう風景です。

丘の畑が、ツギハギしたように色が変わっていて、パッチワークの丘と呼ばれている風景の場所があります。これは、農地を区画別に輪作しているためです。輪作は、同じ土地に同じ作物を続けて耕作すると、土地がやせてしまうため、麦類の次はイモ類、その次は豆類、といった具合に、毎年耕作する作物を替えることです。また、ある年に同じ作物ばかり作ると、特定の病気や害虫、気象条件等のために、凶作になると収穫が全滅する恐れがあるため、危険分散の目的で、区画に分けて複数の作物を耕作しているのです。

ある場所から見ると、畑と木と遠くの山ばかりで、家などの建造物がほとんど見えないことがあります。家や道路がないわけではありません。これは、住宅の多くが谷の下の方にあるためで、それを結ぶ道路や電線なども谷筋を経過しており、眺めとしては丘の陰になって見えないのです。

こうした要因によって、美瑛の丘は、図らずもきれいな風景が出来上がっていったのです。

隣の東神楽町も、美瑛と同じような丘陵地形ですが、上流からの灌漑用水によって稲作が行われているために、棚田になっています。これでは、日本各地で見られる風景と同じになってしまい、あまり独特な風情を感じさせることが、できません。

丘陵風景だけであれば、道内でもいくつか散見されますが、美瑛の真骨頂は、やはりパッチワークの丘につきるのかもしれません。私のようなエセ道産子でさえも、アレは一見の価値アリ、とご推奨したくなるシロモノです。

[15667]NSさん
ま、この他にも美瑛には見どころが満載ですので、楽しみにお待ちしております。
物理的な記述ばかりで、観光情報的ではなくて、スイマセン。拙稿[16032]にてお話した富良野(予告編)については、現在、地理アドバイザーと細部をつめているところであります。そちらの書込みには、地元からの観光情報が結構ありまして、明日、ご披露できることと思います(たびたび焦らしてるなぁ)。(汗・汗・汗)
[16032] 2003年 5月 27日(火)19:55:19【2】三丁目 さん
お礼、と富良野(予告編?)
[15997]ゆうさん
「転載」というのはいわゆるコピペのような行為のことですね。リンクすることは「参照」であり、「転載」には当たらないと思います。(中略)
私の場合は「無断リンク絶対お断り、見つけたら訴えます」と書いてない限り積極的にご紹介しています。
アドバイス、ありがとうございました。この書込みで一緒にして、参照URLを表示することは場違いで、失礼かもしれないとは思いましたが、私が見つけた(どうやって検索したかは、もう忘れました)、北海道を14支庁に分けた地図は、
http://www.htb.co.jp/links/towns/map.html
でして、道外の方は普段、あまり目にしないだろうなぁと思いましたから、ご紹介したかったのです。道内では、天気予報で(網走支庁だけ例外ですが)お馴染みですよね。ちなみに、上記URLの支庁の順が、私には全く意味不明なのです。

[16018]般若堂そんぴんさん
>Mac環境だと何文字目で改行されて表示されているのか
Netscape 7.0では51文字でした.ぎりぎり一杯でセーフです.IE5やiCabでも大丈夫です.
お返事ありがとうございました。私の字図は、本当にギリギリの表示だったのですね。パソコン通信時代のメールが全角40文字表示に対して、37文字で改行するのがネチケットと聞いていましたから、単純に55マイナス3の52文字で、大丈夫かなぁと思っていたのですが、教えて頂きホッとしました。以後、簡易表作成に際しても、気をつけたいと思います。
最後になりましたが、700書込みおめでとうございます。

なお、拙稿富良野編[15652][15715]を書込んだ後に、皆さんからレスやフォローを頂き、落書き帳でさらに話が弾んだ旨、我が地理アドバイザーにご報告したところ、「アドバイザー(情報提供者)としても、ちょっと気になるので、簡単なやりとり内容だけでも、知らせてくんなはれ。」とのことでした(自分で読めばいいのに。ブツブツ。とはいえ、アドバイスもらってるからなぁ)。ザッとした流れを送ったところ、何やらモノ申したそうな様子。もしかしたら、代理書込みとすることになるかもしれませぬ。
[16031] 2003年 5月 27日(火)19:19:51【2】三丁目 さん
東京の近郊って?
かねてから、東京の近郊区間の駅の表示の差については、面白いなぁ、と思っており、比べる書込みを用意していたところでした。すると、[15990]yamadaさんの書込みがちょうどあり、いくつかレスがありましたね。
というのも、JR東日本の電車内に貼ってあるものと、日常的に使っている駅間検索ソフトの差は、JR東日本の図が北方へ長い(1都6県の県庁所在地を表記するため?と、自社線の新幹線駅をできるだけ表したいから?)のに対して、検索ソフトの方は、房総半島を全て含んでいるから北方面は短めで、西に妙に長いからです。今回改めて4つを比べただけでも、微妙に違うので、なおさらその感を強くしました。
JR東日本による近郊路線図ですから、JR線だけでの比較としましたが、

JR東日本JTB(株)交通新聞社検索ソフト
東海道本線熱海平塚二宮沼津
伊東線全線
相模線全線全線全線全線
御殿場線全線
総武本線成東成東成東成東
東金線全線全線全線全線
成田線成田成田久住久住
成田線成田空港成田空港成田空港成田空港
久留里線下郡馬来田全線
外房線茂原大原茂原全線
内房線君津青堀青堀全線
中央本線大月大月初狩塩山
八高線全線寄居寄居寄居
高崎線全線熊谷熊谷熊谷
上越線新前橋
両毛線全線
東北本線宇都宮小山小山小山
常磐線勝田土浦土浦内原
水戸線全線全線

注1:JR東日本の表示は「東京近郊路線図,JR EAST Railway Lines in Greater Tokyo」です。
注2:JTBとは、JTB時刻表のことで、「東京付近拡大図」と表記されています。
注3:(株)交通新聞社(いわゆる旧鉄道弘済会と呼ぶのですか?)時刻表では「拡大図(東京付近)」と表記されています。
注4:検索ソフトでは「東京近郊」と表示されています。
注5:「―」は、その線についての表示そのものがないことを表し、「全線」とはその線の全駅が表示されていることを表します。該当する線の、始発駅のみしか表示されておらず、あとはヘビのシッポのようにチョロッと出ているだけの場合も、これに含めました。

私の好みを申し上げると、房総半島地域よりは北関東方面に親近感を覚えるから、JR東日本の表示の方が好きなんですけどね。
検索ソフトには、この他「名古屋近郊」と「大阪近郊」もあるのですが、鉄道の事業主体であるJRが、どのように表記しているかわからなかったので、私は、諦めましたが。
[15973] 2003年 5月 26日(月)19:47:25【2】三丁目 さん
レスを複数形にて
[15878]Issieさん
河口から水系をたどって編成された「郡」から,
恥ずかしい話で恐縮ですが、いつ頃話題に上がっておりましたでしょうか?アーカイブテーマになっている「分水界、川の流れに関する雑学集」を見る限りは、具体的な記述を見つけられなかったものですから。記事検索しようにも、何をキーワードにしたらよいのか、ちょっと手がかりが乏しくて。
最初にアーカイブテーマをいくつか読んで、次に記事番号1から9000記事ほどを追いつけるまで、斜め読み&飛ばし読みしてましたから、印象に残る話題でなければ、正確には覚えていないのです(汗)。

[15883]TKS-Hさん
ワタクシ的には、こういう方面に興味がありました。なぜ、その名称が採用されたのか、ですね。丁寧にご紹介頂いてましたから、わかりやすかったです。少なくとも、自分の中では、積年の疑問が晴れた思いです。また、現在の支庁再編案は拙稿[12025]でご紹介しましたが、戦後間もない時期の案は、[15944]紅葉橋瑤知朗さんと同様、私も興味深く拝見しました。そんな以前からあったのか、という思いです。
アーカイブテーマ「北海道支庁名の由来」が、個人アーカイブ的な様相を呈して、面映く思っていましたから、TKS-Hさんの書込みが加えられたことで充実されましたから、良かったぁと思いました。

[15900]紅葉橋瑤知朗さん
素晴らしい! 漢字の国でよかったです。
[15941]太白さん
この文字地図は、とにかく「凄い!!」の一言です。(中略)行いっぱいに書いてしまうと、Macでは2行になってしまわないのでしょうか?
なんか、頂いたお褒めの言葉を自分が並べるのも、照れくさかったのですが、恐縮です。もともと旧19支庁図を作成したくなり、最初に現行の14支庁を作ってから修正を加えていったのですが、そうすると対比させてご紹介したくなってしまい。。。ホントは、ネットでリンクフリーのところをご紹介できれば、と思っていたのですけれど。私が見つけた、14支庁図を載せていた道内の放送局のHPには「ここに掲載の記事・写真・図表・映像など、掲載内容の無断転載を禁止します。すべての内容は日本の著作権法ならびに国際条約により保護されています。」とあったので、無断リンクしてはいけないのかな?と思ったものですから。

さて、枠いっぱいの表示については確かに気にしましたが、一応、あの字図は、ワードで普通の文章と同様に作成して、落書き帳の新規書込みのメッセージ欄に、コピーして貼りつけました。簡易表機能は使っておりませんので、大丈夫かなぁ、と思っていたのですが、どうなんでしょうかねぇ。私もWindows+IEの環境で、1行の最大表示幅が全角55文字目までであることを数えてから、51文字目まで字図を書いて52文字目で改行しました。できるだけ大きな表示にすることで、1文字しかない「函」をそれなりに表したかったからです。逆に、Mac環境だと何文字目で改行されて表示されているのか、どなたかからお話を頂けると幸いです。

[15904]紅葉橋瑤知朗さん
いずれ、(倶知安町に後志支庁が設置された)真相を調べたいと思います。
ぜひ、お願いします。私の調査の限りでは、この類の資料に秀でているのは、北海道立文書館(赤レンガ庁舎1階北東側)のようですよ。私もかねてから疑問に思っておりましたが、たしか、uttさんも同様の疑問を、書かれていた記憶があります。

実は、私の調査の限りではわからなくて、ある町役場に問い合わせたら、文書館からいきなり返答がきて、ビックリしたことがありました。よく文書館にその類の質問がふられてくる、とおっしゃってました。でも私の経験では、今まで質問してきた中で初めてでしたけど。質問の内容は、その町に関することなのだから、町の中で完結してほしいと思いましたけれどねぇ。例えば役場でわからなければ、郷土資料館とか、図書館の町史編纂担当とか。恥ずかしくないのかしら?その町の名誉のために、名前は伏せますけれど。
ホントは、直前の4連続書込みで、初めての切り番を狙いたかったのですが、思ったより番号が進んでいなかったため、書込み時間との関係もこれあり、15900は紅葉橋瑤知朗さんの手にわたっちゃいましたね。。。


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