[14050]太白さん
三丁目さんの「作風」を若干離れますが、北海道の各支庁名の由来も気になります。アイヌ風じゃないので。
ハイ。書いていて、自分でも本来の作風とは、ちょっと違ってたような気が、なんとなくしました(笑)。
Issieさんが、ご自身のHPで「郡の変遷(北海道)」として、表にまとめておられますが、私は最初は、年表風にしてみます。なお、今回の出典は、特に記述しない限り、角川日本地名大辞典(昭和62年10月8日発行)です。コピーではなく手書きで写したため、読点の打ち方等が原文と異なる場合があるかもしれません。その場合は、ひらにご容赦を。
1897年(明治30年):郡役所を廃止し、19支庁を置いた(札幌、函館、亀田、松前、檜山、寿都、岩内、小樽、空知、上川、増毛、宗谷、網走、室蘭、浦河、釧路、河西、根室、紗那)。
1899年(明治32年):札幌、函館、小樽に区制が施かれたため、亀田支庁は函館支庁と改称。(注1)
1903年(明治36年):松前支庁を函館支庁に、紗那支庁を根室支庁に併合。
1910年(明治43年):寿都・岩内・小樽3支庁を廃して、さらに室蘭支庁から虻田郡の一部を合わせて後志支庁を新設。これで、現行の14支庁となる。
1914年(大正3年):増毛支庁は留萌支庁と改称した。
1922年(大正11年):札幌支庁は石狩支庁、函館支庁は渡島支庁、室蘭支庁は胆振支庁、釧路支庁は釧路国支庁と改称した。
1932年(昭和7年):河西支庁は十勝支庁、浦河支庁は日高支庁と改称した。
1957年(昭和32年):釧路国支庁は釧路支庁と改称した。
注1:1897年に設置された函館支庁は、函館区が設置されたことにより、支庁管轄区域から分離したたため、函館支庁は廃止され、函館区役所に移管された。
IssieさんのHPを見たときに、支庁の数を19と見つけられなくて、変だなぁと思っていたのですが、1897~1899年にかけて存在した旧・函館支庁とは、函館市街地(函館区)域を管轄していた支庁で、それが1899年に廃止された。そして1897~1899年に亀田支庁だったものが、1899年以降から新・函館支庁となった、と私は理解したのですが、それでよろしいでしょうか、Issieさん?
それで、支庁名の由来そのものの解説はありませんでしたので、まずは、旧国名の由来から。記述に濃淡が見られますが、原文のままご紹介します。
石狩国:国名は、石狩川に由来し、アイヌ語の河川名イシカラ・ペッ[屈曲の多い・川の意]の音訳による。
後志国:国名は、阿倍比羅夫が郡領を置いたという後方羊蹄(しりべし)の語音にちなんだもので、中央部を流れる尻別川のアイヌ語シリ・ペッ[山の・川の意]を採り、音訳して後志と松浦武四郎が名づけた。
渡島国:古く、斉明天皇の頃より「渡島(わたりしま)」は北海道の入口をさしており、また南部津軽の人たちは、この地を「おしま」と呼んだので、渡島と書いて「おしま」と読むことにしたいという、松浦武四郎の建議書によって国名とされた(北海道の地名)。
胆振国:国名は、日本書紀の斉明天皇4年、阿倍臣が胆振金且(金辺に且と書きます)(いぶりさえ)その他の蝦夷(えみし)を歓待したという故事により命名(北海道駅名の起源)。
なお、ネット検索で出てきたもので、「胆振」の由来については、日本書紀の話に加えて、下記の記述もありました。
古く新井白石が胆振とは北海道の勇払(イブツ)地域のことではないかと物の本に書いています。明治初年、松浦武四郎が、北海道の国郡名について「噴火湾の山越内から沙流境までを一国にしたい。その中で、勇払は大場所でアイヌも多いから、中心地としたらよい」とし、その国名としては「日本書記の胆振に気が付いたので、“胆振”でいかがでしょうか」と北海道開拓使長官に建議したことから、胆振という国名ができました。(北海道大百科事典から)
http://www.yanatec.com/side_pege/muroran-rekisi.htm の「7.開拓の先駆者たち」に記述されています。
日高国:国名は、当地は南向きで暖かく、太平洋岸特有の濃霧も早く晴れ、陽を仰ぐことが多く、「日本書紀」の景行天皇27年に東夷のうちに日高見国ありとの故事から、日高の字を用いて命名したという(北海道駅名の起源、北海道の地名)。
北見国:松浦武四郎の「国名之義ニ付申上候書付」によれば、この地域のソウヤ・モンベツ・シヤリ等の地名は、国名にふさわしくなく、当地一帯が一般的には北海岸などと呼ばれていることや、快晴の日には樺太(サハリン)が見えることなどから北見などはどうであろうか、との武四郎の意見によって北見国とつけられたという。
十勝国:国名は、アイヌ語のトカチプにちなみ、十勝川の河口が2つ並んでいる形を呼んだとの伝承による。(注2)
根室国:国名は、松浦武四郎の「国郡名建議書」をもとにしたもので、ネモロにちなみ根諸国とする案もあった。ネモロはアイヌ語のニ・ムイにより[木・湾]の意(知床日誌)。
天塩郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。江戸期のテシホ場所の一部地域にあたる。郡名は、場所名による。
天塩:古くはテシヲ・テシホ・テシユなどと書いた。留萌地方の北西部、天塩川河口域に位置する。地名はアイヌ語のテッシ[梁の意]に由来する(天塩町史)。
注2:「トカチプ」を「萱野茂のアイヌ語辞典」で調べましたが、出ていなかったので、意味は不明です。 to be continued