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三丁目さんの記事が10件見つかりました

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[15652] 2003年 5月 21日(水)18:35:50【2】三丁目 さん
富良野(太白さんからの戴きもの編)
[14604]太白さん
むしろ、富良野が観光開発に成功したのは何故かが若干気になります。ソフト面で成功したのか、あるいは「北の国から」効果か…(例えば、大河ドラマの舞台となった街は観光客が増えると聞きますので)

この件に係るお答については、我が地理アドバイザー(旭川出身だから、自分の庭のようなものと豪語してますが)からの情報をメインに進めます。それで、結論からすると、なんといっても、「北の国から」効果が大きいと思われます。

大河ドラマならば1年限りで、観光ブームもすぐに冷めてしまいますが、「北の国から」は、20年にわたって何年かおきに続編が放送されるという、一地方を舞台とするTVドラマとしては異例に長いシリーズであったため、富良野は長い間、観光客に忘れられることなく、ネームバリューを保ち続けることができたのでしょうね。倉本聡サマサマです。

上富良野町のラベンダー、中富良野町の富田ファーム、富良野市の麓郷の森(北の国からのロケ地)と、1日コースで回れる一連の観光の目玉が、特に若い女性にウケたことと、フラノスキー場周辺に、ホテル、ペンション街が発展し、宿泊客の収容力となって、多くの観光客が訪れることとなりました。

また、北海道の真ん中という地理的条件も、発展の一因と思われます(富良野市自称、北海道のヘソ)。古くからの観光地である、登別温泉・洞爺湖地域と、阿寒湖・摩周湖地域からは距離が遠いため、同様な立地であるトマム(占冠村)、サホロ(新得町)などとともに、その中間宿泊地点にあたります。これら二つが山岳リゾートなのに対して、富良野は、広大な田園風景が特徴的だったために、異なった風景を持つ魅力が、アピールしたものと考えられます。

北の国からシリーズが始まった頃は、ちょうど石勝線が開通した時期(拙稿[15543]をご参照下さい。)と重なり、それまで道東行きの特急列車が停車していた富良野は、スキー客も観光客もトマム等に奪われ、今後さびれてしまうのではないか、と悲観されていましたが、良いタイミングで「北の国から」が始まったものですね。

かつては、スキー場の名は「北の峰スキー場」でした。それがフラノと改称され、本州からもスキー客が押し寄せる、一大スキーリゾートに発展しました。また、ワールドカップが開催されたことも、ゲレンデのイメージアップにつながっていると思います。スキー場の知名度としては、トマム、サホロも躍進したのですが、いかんせん夏の観光目玉に乏しかったために、通年観光客を引き付けることができた、富良野の方が、成功しているのではないでしょうか。

そうはいっても、観光イメージを保ちつづけることは難しいですから、「北の国から」が終わってしまった今は、富良野はこれからどうしようかと、模索しているところのようです。と、地理アドバイザーは申しておりますが、私は、一度よい観光イメージが植えつけられれば、大きなマイナス要因でも発生しない限り、そこそこやっていけるのではないか、と考えております。皆さんは、どう思われますか?やっぱりいずれは、斜陽都市の仲間入り、ですか?

なお、北海道のヘソの話の蛇足として、富良野市では「北海へそ祭り」が、毎年7月に開かれています。HPを読むと、市制施行時に制定された富良野市民憲章に由来するそうで、そういえば、私の先輩社員が富良野在勤時に、この祭りに参加させられた、と言ってたことを思い出しました。
[15601] 2003年 5月 20日(火)19:53:10【2】三丁目 さん
北九州市よりも金沢市の方が?
先日、北陸経済特集をしていた新聞記事の中で、「日銀金沢支店長に聞く」というコーナーがあり、その中で現支店長の経歴が簡単に紹介されていました。本店課長~北九州支店長~本店参事役~金沢支店長、でした。記事では、もうちょっと詳しい経歴が紹介されていましたが、これを見る限りでは、ご栄転されているようでして、えっ?北九州市より金沢市の方が日銀にとって格が上なの?と一瞬思いましたが、

[14440]TKS-Hさん
小樽支店の廃止は北九州支店の廃止と抱き合わせで表明されたのですが、小樽支店のほうが廃止まで進んだのに対し、北九州支店のほうは事実上沙汰やみの状況になった、この違いがどこにあるのかはちょっとわかりません。
を覚えていましたから、納得しました。一般事業会社の人事異動でのご栄転ルートは、たしかに、その都市の経済規模に見合った事業所があることが多いとは思いますが、その会社にとって、その都市がどれだけ大事か(あるいは管轄地域)ということも反映していることを考慮すると、日銀の支店長の人事異動=「支店の格」は、(経済規模的に)比較的ニュートラルな判断で行われているのではないか、と私は思っています。

そういう点で、日銀支店長の人事異動ウォッチャーも、面白いのではないかと思ったのですが、私自身が日銀に勤めているわけではありませんから(苦笑)、全体を見るのは困難なのです。また、何かの機会で目にとまり、面白そうだったら、ご紹介したいと思いました。
ちなみに、経歴を見ると2年に1度異動されているようですから、ちょうど、今年でまる2年の任期を迎えるため、金沢支店長の次はどちらへ異動されるのかなぁと、勝手に興味を持ってしまいました。
[15543] 2003年 5月 20日(火)00:21:24【1】三丁目 さん
道央(札幌)から道東(帯広、釧路)へのルートの変遷
現在は、国道274号線(石勝樹海ロード)で、札幌から一気に道東方面へ行けますが、始めは違いました。まさに、北海道開拓の歴史(比較的最近のこと)、と呼ぶにふさわしい、ルートの変更がありましたから、ご紹介したいと思います。

道東方面へとつながる道路の最初の整備は、狩勝峠越えで、滝川~富良野~帯広へと、1897年(明治30年)に開通しました。ただし、この道路は、現在の狩勝峠越えよりも6km南の別ルートで、馬車の通行もままならない狭路だったため、現在の狩勝峠に道路開削されたのは、1931年(昭和6年)です。

このルートが、最も低い標高で山を越えられるためで、国道38号線として、最初の道東への幹線道路でした。この道路は、札幌から国道12号線で北上し、滝川を起点としてここで東へ曲がり、芦別、富良野、南富良野(幾寅、落合)から狩勝峠を越えて、新得、清水、芽室を通って帯広、釧路へと続きます。

札幌から帯広への最短コースは、夕張市、清水町、と抜けていく山間部ルートですが、その一部として、日高町から清水町までの日勝峠ルート(国道274号線)ができます。これは1965年(昭和40年)のことです。このルートは、札幌~(国道36号線)~苫小牧~(国道235号線)~富川~(国道237号線)~日高町~(国道274号線)~帯広、と大きく南を回るため、札幌~帯広間は、札幌~滝川~帯広(国道12、38号線)ルートに比べると、43kmの短縮にしかなりませんでした。

次に、夕張市から穂別町までの山間ルートが、道道から国道274号線へと1970年(昭和45年)に移行し、苫小牧を回らずにすむようになったことから、札幌からの経路は国道274号線の札幌市・厚別~長沼~由仁~夕張(川端、紅葉山、楓)のコースに変わりました。この時は、夕張から山越えした後、一度穂別町稲里で現道道74号で南下し、穂別町の中心を通り、現道道131号で穂別町富内を通って、平取町幌毛志、振内に出ます。ここから国道237号線で、日高町まで行くというルートです。

1985年(昭和60年)、国道274号線は、穂別町福山まで開通しました。このときは、国道274号線で福山まで行き、そこから現道道610号で南下して穂別町富内まできて、それから現道道131号で幌毛志に出て国道237号線を北上と、このあたりは先述のルートと同様です。たぶん、私が通ったのがこのルートだと思うのですが、片道1回しか通っていないので、記憶に自信がないのです。また、道道の状況から考えると、冬場はたぶん、穂別町福山まで東進はせず、穂別町稲里で南下したと思います。

そして、1991年(平成3年)に、夕張から日高町までの通称石勝樹海ロード(国道274号線)が全線開通し、札幌~夕張~日高町~日勝峠~清水町~(国道38号線)~帯広の最短コースが、道東への主要幹線になりました。最後に完成した、穂別町福山~日高町の区間は最も難所で、長いトンネルと谷間橋が連なる、近代土木技術ならではのルートです。

その後、道央自動車道の恵庭、千歳間のジャンクションから夕張まで高速道路ができ、清水町から池田町までの道東自動車道もできましたが、石原行革担当大臣をして、熊しか通らないと言わしめた、「閑」線道路となっております。

ちなみに、道央から帯広・釧路方面への鉄道ルートは、1907年(明治40年)に、札幌~旭川~富良野~落合~帯広経由として開通しました。それが、1913年(大正2年)に滝川~富良野間が開通したことにより、長らくそのルート(現根室本線)による輸送が続きました。それから遅れること約70年、1981年(昭和56年)に石勝線が開通したことで、ようやく現在の鉄道体系ができあがったのでした。以後、札幌と帯広・釧路とを結ぶ特急列車は、滝川・富良野経由から、すべて石勝線経由に変更されて、所用時間が1時間余り短縮されました。

かつて、陸の孤島と呼ばれた占冠村は、石勝線開通以前は、根室本線・金山駅から、または旧富内線・日高町駅から峠を越えていくか、しか交通がありませんでした。しかし、同線開通後は、石勝高原駅(現トマム駅)、占冠駅が特急停車駅となり、日高町は富内線の廃線で、立場が逆転してしまいました。

日高町も、その後の石勝樹海ロード開通のおかげで、陸の孤島にはならなかったものの、鉄道を利用して札幌へ行くためには、バスで占冠に行ってJRに乗り継ぐのが最短コース、という状況なのと、バスで札幌へ行く場合の直通の本数が多くないことから、立場の低下は否めません。ただ、札幌から帯広へ向かう観光バスは、「夕張市紅葉山から清水までの長い山岳区間のうち、町らしい町は、ほぼ中間の日高町だけであるため、道の駅・日高は、行楽シーズンには、トイレや売店レジに行列ができる大盛況です。」とのコメントも、我が地理アドバイザーからもらっています。

どちらかというと、占冠村は躍進、日高町はそこそこ、穂別町は無念(主要幹線から町の中心がはずれた)、なのではないでしょうか。

[14259]uttさん、
○占冠の無念・・・石勝線は通っているものの、なぜ石勝樹海ロードのコースから外れたのだろうか?峠の高さから見て、占冠~トマム経由のルートの方が経済的で維持(除雪)も容易と思われるのだが。
ということで、国道274号線のルートの経緯、そして鉄道の石勝線開通とあわせると、前述のように、私には思えたのですが、いかがでしょうか?

[15510]seahawkさん
道東自動車道
工事の難所でも札幌とつなげなければ意味がないと思います。もし道央道とつながれば、道東は農業、漁業がさかんなのである程度のメリットは期待できるのではないかと思います。
このお話しがありましたので、この原稿を繰り上げ書き込みしましたが、「熊の道」がそれほど改善されるとは、私には思えないのですけれど、ね。まっすぐな道でトンネルが山を貫くルートばかりだと、冬場の利用は少しはマシかもしれませんけど。でも、それだと建設費がかなり高くつきますよね。
[15459] 2003年 5月 18日(日)16:21:52【2】三丁目 さん
アーカイブテーマの推奨エラー、は、解消できました。
[15452]オーナーグリグリさん
>以前、一度作業したからでしょうが、暗証コードの入力は求められません。
この件、よく分かりません。「暗証コードが違っています」のエラーが出た場合には、次回も「暗証コードの入力」を求める設計になっています。技術的に言えば、エラーの場合にはクッキー保存は行いません。
舌足らずな表現で、申し訳ありませんでした。この件については、両毛人さんが、[15380]で教えて下さった
Cookieを削除してみてください。ツール→インターネットオプションと選択し、真ん中の「インターネット一時ファイル」の部分の「Cookieの削除」で、Cookieを削除します。
で、対処できました。私が以前、まとめてアーカイブ推奨したときは、1件登録が終わるたびに、戻るボタンで戻したところ、最初の2、3件はうまく入ったのですが、それ以外はうまく推奨が入っていなかったのです。それで、昨日改めて、推奨作業を行ったところ、前述の暗証コードエラーメッセージが表示されたのです。両毛人さん、お礼が遅くなりましたが、どうもありがとうございました。
ちなみに、今朝は、1件推奨が終わるごとに、落書き帳トップページを改めてよんで、そこからアーカイブを推奨するようにしました。ただ、どこに私の暗証コードが保存されたのかわからないのですが、それでも暗証エラーが出ましたから、毎回「Cookieの削除」を行い、暗証コード画面を呼び出して、推奨しました。今回は、気になりましたから、念のため、全部の推奨を終えてから、いったん電話を切って、もう一度つなぎ直してから確認したら、全部推奨が入っていました。
たぶん、今後も新規テーマで私が推奨する際は、毎回「Cookieの削除」を行ってから、という手順になるのかな、とは思っていますが、私自身は、その作業はたいした手間とは思っておりませんけれど。

なお、フォントサイズについては、現在の表示に私は慣れましたから、このままが良いと私は思っています。たしかに、マルなのかテンテンなのか判別し難いという点はありますが、文脈の流れで、わかりますし、自分が手持におきたいお話については、ワードにコピーするなどで、個人的に保存していますしね。

あ。それと付け加えるようにお願いして申し訳ありませんが、拙稿[15186]にある「トカチプ」を「トカプチ」に直して頂けませんでしょうか。その後の文章の流れが若干、崩れてしまいますが、[15272]を、アーカイブで一緒にして頂けなければ、誤ったままになってしまい、それでは角川書店に申し訳ないものですから。
[15377] 2003年 5月 17日(土)06:07:45【1】三丁目 さん
アーカイブテーマの推奨エラー
このアーカイブを推奨する>初めてのときは暗証コードの入力>推奨しますをクリック
とすると、以前、一度作業したからでしょうが、暗証コードの入力は求められません。それで、推奨しますをクリックすると、暗証コードが違っています、とエラーになってしまうのです。もう一度、暗証コード入力作業をする必要があると思いますが、WindowsXPが?IEが?PCが?覚えてしまっているようなので、どうすれば入力画面を呼ぶことができるのでしょうか?
お恥ずかしい質問で恐縮なのですが、ワタクシ、パソコンは作業のツールとして、必要最低限のことしか知らないのです。基本的には自助努力するのですが、知らないことのほうが多いものですから(汗)。
[15351] 2003年 5月 16日(金)19:10:46【2】三丁目 さん
記事検索機能アップでオーナーグリグリさんに感謝っ!、とレス、とリンクの仕方について
[15292]オーナーグリグリさんへ
実はかねてから、記事検索については、期間よりは、記事番号で区切った方が良いのではないか、と思っていました。でも、そのことは、なんか余計な作業をお願いするようで、控えていたのです。それと、最近は、検索をすることなく、辞典丸写しネタで、コツコツとやってましたし。
久しぶりに記事検索画面を開いて、私のイメージしていたとおりになっていたので、うれしくなりました。これで、釧路区の検索をサボッたりはできなくなりましたね(笑)。本当に、どうもありがとうございました。

[15260]太白さん
(北海道の支庁名の由来が)アーカイブスに収録されたようですので、お勧めに指定させていただきました。
過分なお言葉、ありがとうございます。せっかく頂いた塩ですから、大切にしていますよ、フフッ(笑)。でも、こんなにダラダラと、他のことまで書くとは、予想されていなかったのではないでしょうか?私が手をつけるからには、19支庁まで遡って、ゼ~ンブ調べちゃいますよ\(^O^)/
なお、他のテーマについても、我が地理アドバイザーからは、コメントをもらったところなのですが、空港や苫東とは異なり、私のテイストを少々加えているところですので、今しばらくお待ち下さいませ。
ただ、今回の語源調査で、室蘭の由来モロランは、室蘭民報かどこかで読んだ記憶はあったのですが、あそこまで具体的な記述があることをもっと早く知っていれば、崎守付近をもう少し注意深く見ておけば良かったのに、とちょっと後悔しました。
また、「箱」館も、諸説があることを初めて知りました。館が箱に見えるから、と、どこかで目にしたそのままと、思っていましたから。

[14259]uttさんへ、も、太白さんと同様なのです。ただし、大樹町については、いろいろと調べているのですが、どうしても、雪印という一企業の話がメインになってしまうから、どのようにまとめたら三丁目風味にできるか、悩んでいるところなのです。大樹町HPからは、私が期待するような情報が得られなくて、雪印の話に深入りしないようにすると、辞典情報の切り貼りになってしまうから、話が膨らまないのですよねぇ。ちょっと難しそう、というか、テキトーにしてしまうかもしれません。その節は、ご容赦くださいね。

[15280]YSKさん
問題提起→提起への回答→問題の解答編 という流れを重視しました。
了解しました。いろいろ工夫されているのですね。ご努力には、頭の下がる思いです。
ちなみに、今朝、推奨作業を行ったのですが、職場で確認したら、また入らなかったので、もう一度しますね。手順は、以前行ったとおりしていますから、間違っていないはずなのですが。
それと、これは迷っているところです。北海道の14支庁管轄字図(作成済)と、1897年当初の19支庁管轄字図(作成中)なのですが、書き込むかどうか、です。支庁境に必ずしも大きな意味があるような気はしませんが、なかなか、19支庁で分かれた図が、ネットでは見つからなかったものですから。見比べるのも面白いかな、と思ったものですから(現在に至るまでには、郡の一部が動いたりしているので)。旧国名別はリンクフリーサイトを見つけましたから、そのURLをご紹介しようかと考えていましたけれど。
それで、これに関連して下記の質問につながりますが、

[13277]ゆうさん
まず、相手先サイトでリンクに対する考え方が書いてあれば、それに従うように努めるのがいいと思います。
私がURLを紹介する場合は、公共団体以外の、法人又は個人が作られているHPの場合、トップページを探してリンクフリーに類する言葉があればご紹介しますが、そのような言葉が見つからなかった場合は、控えているのです。この姿勢でのぞんだ方が、安全ですよね?
[15347] 2003年 5月 16日(金)18:40:06【2】三丁目 さん
支庁名の由来(旧19支庁等編。ラストです。)
今回の出典も、角川日本地名大辞典(昭和62年10月8日発行)です。

札幌:古くは「しやつほろ」ともいい、察糸晃(糸辺に晃です)・札糸晃(糸辺に晃です)などとも書いた。石狩地方中部、石狩平野西部の琴似川・伏籠(ふしこ)川・豊平川流域。地名の由来には諸説があるが、アイヌ語のサッポロベツ[乾いた大きな川・乾く広い川の意]による説が通説となっている(札幌市史)。

函館:函館の地名は、享徳3年に松前藩の祖武田信広とともに蝦夷地に渡ったといわれる河野加賀守政通が建てた館が箱の形にみえたので箱館となったとする説、アイヌ語のハクチャシ[小さな館]からきたとする説(北海道蝦夷語地名解)、河野政通が文安2年に館を築いたとき、土中から筐筥(かごと箱)が出たので地名にしたとする説(蝦夷実地検考録)など諸説がある。

亀田:地名の由来には諸説がある。第1は、亀田一帯をシコツ[大谷の意]と称したが(北海道蝦夷語地名解)、和人が死骨に通ずるとして亀田と改めたとする説(松前紀行)。第2は、「(蛎崎)蔵人十ケ年前より北州カンメテ(今云亀田)切開と号」により(東北太平記)、カンメテが亀田となったとする説。第3は、現青森・秋田・新潟の3県に亀田の地名が多く、同地方からの移住者が出身地名をつけたとする説。第4は、「(亀田村の)湖は往古より大亀の済めるを以って四方を亀太の郡と云ふ」による説(明治19年各村創立聞取書)などがある。

松前町:地名は、アイヌ語のヲマツナイ[帰人のいる沢の意]に由来するとも(蝦夷地名考并里程記)、マッオナイ[帰人のいる所の意]に由来するともいわれる(北海道蝦夷語地名解)。いずれも、もとは現在の大松前川沿いの地名を指したものらしい。
すつつべつ:地名は、アイヌ語のシュフキペッ[茅の多い川の意]に由来し、寿都の語源ともなったという(北海道蝦夷語地名解)。なお、シュプウ[茅のある山崎の意]によるともいう(西蝦夷日誌)。
岩内:地名の由来には、アイヌ語のイワヲナイ[硫黄沢の意]による説(蝦夷地名考并里程記・西蝦夷日誌)、イヤウナイ[熊肉を乾かす沢の意]やイェオナイ[軽石が多い川の意]による説(北海道蝦夷語地名解)がある。

小樽:古くはヲタルナイといい、小樽内・穂足内とも書いた。地名の由来には、アイヌ語のヲタルナイ[砂の解ける小川の意]による説(蝦夷地名考并里程記)、ヲタルーナイ[砂路沢の意]による説(西蝦夷日誌)、オタナイ[砂川の意]による説(北海道蝦夷語地名解)、オタオルナイ[砂浜の中の川の意]による説(北海道駅名の起源・小樽市史)などがある。
増毛:古くはマスケともいい、増慶とも書いた。地名は、アイヌ語のマシュキニ[漁獲がとても多い所の意]に由来するという(北海道蝦夷語地名解)。また、マシケの意味には「鴎の多いところ」(西蝦夷日誌)、「焼いて背負う」(蝦夷地名考并里程記)、「良い」(丁巳日誌)などの諸説があるが、どれも鯡が多い、漁獲が多い意味に関連している。

室蘭:古くはモロランといい、諸蘭・茂呂蘭とも書いた。地名は、アイヌ語のモルエラニ[小さな下り路の意]に由来し(新室蘭市史)、この坂道は現崎守町仙海寺下の小路にあたる。
浦河:古くは「むくち」ムコチといった。地名は、アイヌ語のウララペッ[霧川の意]に由来し、元浦川の河川名にちなむ(北海道蝦夷語地名解)。なお、旧名のムクチは、アイヌ語のムコッチ[ツルニンジンのあるところの意]に由来(同前)。
河西郡:1869年(明治2年)~現在の郡名。郡名は、十勝川の西部に位置することによるというが、実際には十勝川の南に位置している(北海道の地名)。

紗那:地名は、アイヌ語のシャンナイに由来するといい、下る沢の意。
千島国:国名は、古くより北海道の本島を含めて「蝦夷ケ千島」と称していたことによる。
[15277] 2003年 5月 15日(木)20:32:07【2】三丁目 さん
推奨アーカイブテーマ
実は、朝に作業したときは、もうちょっと多くご推奨したのですが、IEで「戻る」を繰り返したら、少しだけになってしまいました。だから、朝の電話回線がすいている時間に、もう一度作業します。ただ、私がお奨めするのは、「自分」が面白いと思ったテーマ、興味を持ったテーマ、かねてから疑問・不思議に思っていたテーマ、ということになってしまうのですけれど、ね。
ところで「西宮市北部、塩瀬地区と山口地区が「西宮市」である経緯」を、朝お奨めしたのですが、あれも入らなかったようですから、もう一度やり直しますけど。同じ西宮市内なのに、市外局番が078で、あの地域に住むクラブ員に連絡するときは、なぜ同じ西宮市内なのに、市外通話なんだろう、と思っていたからです。それで、あのテーマが記事番号順になっていないのは、何か意味があるのでしょうか?通常は、若い番号の順ですよね。でも、あれは、らるふさん、ニジェガロージェッツさんの書込みが、後ろの方になっているので、あれれ?と思いました。
[15273] 2003年 5月 15日(木)20:05:13【2】三丁目 さん
3市広域行財政検討会(室蘭市、登別市、伊達市)
3市広域行財政検討会が平成14年に設置されましたが、各市のHPを見ると、トップページで市町村合併がすぐにわかるようになっているのは、室蘭市くらいで、登別市、伊達市のHPではどこにあるのか、見つけられませんでした。

そもそも、この3市が合併して「西いぶり市」(ワタクシの案)になるかというと、はてさて。というのも、室蘭市と登別市は、隣接する地区同士で、平坦地で一体となった市街地を形成しています。しかし、室蘭市から伊達市方面へ向かうと、ちょうど崎守のあたりから高くなり、白鳥台があって、黄金、稀府と地形的な制約を受けていることもあり、集落が途切れているのです。
ということで、登別市は細かくご紹介しますが。

1873年(明治6年)幌別郡村名布告、登別村・幌別村・鷲別村の3村となる。
1874年(明治7年)幌別郡各村戸長役場を幌別村に設置。
1919年(大正8年)三か村を大字とし、幌別村発足。(合併、と言うことでしょうね。)
1950年(昭和25年)幌別村開基80年記念式典。
1951年(昭和26年)幌別町制施行。
1961年(昭和36年)幌別町を登別町に改称。
1970年(昭和45年)登別市制施行。

この経緯から見ると、幌別がこれら地域の中心的な存在(行政的にも、郡名にあるくらいですし)だったから、幌別村になったのだと思われます。それが、全国的に有名な登別温泉の名を自治体名に使用することで、知名度のアップを図ったのでしょうか。

以前、白桃さんが[12140]で、幌別町と書かれていたことから、初めて登別市が幌別町であったことを私は知った、と書きましたが、それでも人口(今回はご紹介していませんが世帯数も)は、下記データのとおり、鷲別地区の方が多いです。ここは、室蘭市と隣接して、一体となった市街地を形成している地域です。かつては、幌別地区の方が人口が多かったのですが、1960年頃から鷲別地区内で区画整理が始まったことで、人口が増えました。

ご紹介が遅れましたが、登別市は大きく4地区に分かれ、ちょうど室蘭本線の駅と、概ね一致します(富浦駅周辺は、登別地区になります)。地区別の人口推移は、各年の9月末現在での住民基本台帳ベースになりますが、

地区名平成12年平成13年平成14年平成12年から14年へ減少した率(単位:%)
温泉地区1,9171,8281,7458.97
登別地区5,2995,2235,1383.04
幌別地区23,17922,99623,0970.35
鷲別地区25,29325,16025,0131.11
全市計55,68855,20754,9931.25

本当は、登別市HPによると1983年(昭和58年)時が最盛期人口59,481人ですから、それと比較すれば、差がわかりやすいのではないかと思いましたが、今回は、簡易な調査で済ませています。この3年間での推移だけでも、温泉地区での減少が顕著ですね。斜陽都市と言われると引っかかるところはありますが、人口が減少傾向にあることには間違いありません。

登別市から他市町村への就業者のうち、室蘭市へ向かう人は89%、伊達市のそれは49%です。また、通学者のそれは、登別市から室蘭市が92%、伊達市のそれが56%と、いずれの割合も、登別市と室蘭市の結びつきは強いです。大雑把に言うと、伊達市の室蘭市との親密度は、登別市の半分くらい、という感じです。(いずれも平成12年の国勢調査による)

それで、仮に3市が合併するとなると、どうなるでしょうか。
まず、伊達市は、地名・歴史へのこだわりが根強いのでは、という印象を受けました。伊達市HP>まちの歴史>伊達誕生記、を見ると、市町村の公式HPで、こんなに長く歴史を紹介しているところを、見たことがありません。開拓の祖伊達氏の起こりとして、12世紀から書き始めて長々と。とりあえずA4で打ち出してみたら、18ページにもなりました。とても、全部には目を通す気になりませんでしたよ、私は。だから、伊達市は、3市合併には加わらないのではないでしょうか。どちらかというと、虻田町、壮瞥町、洞爺村の方へ目が向いているようです。

と、だいぶ前からこの原稿を用意していたら、昨日(5/14)の北海道新聞に「伊達市に隣接する4町村(虻田町、壮瞥町、洞爺村、大滝村)が、伊達市への合併に動き始めた、と載っていました」との情報が、我が地理アドバイザーから寄せられました。私もネット道新を早速見ましたが、紙でパラパラと読むのとは違うから、この情報は見つけられませんでした。

なお、室蘭市については、新しく加える記述も特に浮かばないため、記憶だけで書いた拙稿[9574]、それを[11075]にて補足しましたから、もしよろしければご参照下さい。

ということで、合併の可能性があるとすれば、室蘭市・登別市ではないかと、私は思っています。「登別・室蘭合併協議会設置を求める市民の会」というのもできましたしね。もともと、両地域の市外局番も0143で共通でしたし。そうなると、新・室蘭市の誕生でしょうか。

でも、いろいろと調べてみると、登別市民にもいろいな思いがあるようです。室蘭市との合併に前向きな意見がある一方で、「なぜ室蘭市と一緒になるのか、白老だってある」など、合併相手を室蘭市に限定することに、慎重な意見の方が多いみたいです。そもそも、昭和の大合併時に、やはり登別・室蘭での合併話が浮かんだそうですが、当時は、日の出の勢いの室蘭市と、町制施行から日が浅い幌別町という関係でも、結局、立ち消えになってしまいました。

現在も、室蘭市議会では、登別・室蘭合併協議会設置を可決したのに、登別市議会は、この3月に否決しました。室蘭との合併しか考えられない、ではなく、広域的な視野で検討したいから、が理由だそうです。室蘭側からすると、4月の選挙を受けて、登別側がどう変わるかなぁ、という感じのようです。

元登別市民のワタクシとしましては、鷲別地区に住んでいたからかもしれませんが、室蘭市との合併がスムーズだと思うのですけれどねぇ。登別市と白老町とでは、ちょうど室蘭市・伊達市が地形的に一体でないのと同様に、市街地が途切れていますから。ちなみに、私のコア(笑)な調査によると、登別市内での4地区では、室蘭市との一体感に、温度差がある、と聞きました。そのあたりが、登別市内で、一体となって室蘭に目を向ける、という感じになっていない理由のようです。
[15272] 2003年 5月 15日(木)19:46:58【1】三丁目 さん
Re: 岩見沢支庁じゃないわけ
[15231]紅葉橋瑤知朗さん
>[角川日本地名大辞典には]北方領土関係について(千島国と紗那支庁)の、記載はありませんでした。
下巻の最後のほうに、北方領土だけ別になっていますが……。
昼休みに、図書館で確認してきました。上巻が地名編、下巻が地誌編ですから、前回図書館にこもったときは、上巻をメインで調べていましたので、下巻にはあまり目を通していなかったのです。でも、すぐおわかりになったということは、あのように高価な本をお持ちなのですか?私は、辞典系は、図書館を頼りにしているのですが・・・。

>帯広支庁にはならなかったのかというと、1897年(明治30年)当時は、まだ帯広という集落は、内陸だったために、開拓が進んでおらず大きくなかったからではないか、と。

う~ん、元が郡役所だったということを考えると…?
逆に、郡役所が置かれながら、帯広の地名が採用されていなかったということは、広域地名としては使えなかったからではないか、と私は考えましたが。それは、岩見沢も同様だし、旭川、もでしょうか。沿岸部は、江戸期から「場所」による広域名が、ある程度はあって、馴染まれていたのに対して、内陸部では、明治以降の開拓の歴史の中で、漢字地名が付けられていったから、帯広・岩見沢・旭川は、一集落の名ではありますが、広域地名にならなかったのではないか、と私は考えました。

ちなみに、我が地理アドバイザーのコメントは、「旧支庁名を見ると、全て旧国名か郡名のようなので、帯広、旭川、岩見沢は、郡名として存在していなかったからじゃないでしょうか。・・・簡単すぎる?」だそうですが。

なお、拙稿[15186]にて、十勝国の由来を、アイヌ語のトカチプとご紹介したのは、誤りでした。私の転記ミスでして、トカプチが正しいのです。本日、図書館にて確認しました。書込み訂正時間には間に合わなかったので、この原稿にて、訂正させて頂きます。

ついでにもう一つ補足すると、拙稿[13312]で、根釧台地の範囲を地質的(土地の成り立ち的)にご紹介しましたが、角川日本地名大辞典の下巻を見ていたら、「地形区分概要図」が載っており、そこには、釧路平野以外の東側は、根釧台地として大雑把に分けられていました。
ちょうど平野の定義のように、土地の成り立ちに注目するか、表面的に見える地形に注目するか、で分類が異なるのかな?と思いました。


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