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白桃研究所長による人口テーマ専門誌

名邑吟味

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記事数=97件/更新日:2023年5月11日

「名邑」という言葉から東京や大阪のような大都会はイメージしにくいのですが、そんな大きすぎてつまんないところも仲間に入れて、「明治の名邑」「大・昭の名邑」「昭・平の名邑」の三世代の名邑を人口面から吟味していきます。なお、「大・昭の名邑」とは、大正〜「昭和の大合併期」に、「昭・平の名邑」とは「昭和の大合併期」〜「平成の大合併期」に花を咲かせた街々なんですが、正直なところ「明治の名邑」に比べればなんかパッとせず、せいぜいシングルヒットぐらいの感じです。もちろん「明治の名邑」の多くは、後の世代の名邑でもあるのですが、ある深〜い?理由によって重複はさせておりません。また、白桃の名邑ルールによって、軽井沢、生野、仙崎、宇多津、といった街々を「泣いて馬謖を斬る」ことになったのは残念至極です。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[99245]2020年3月7日
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[99253]2020年3月15日
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[103212]2021年11月12日
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[107002]2023年2月28日
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[107056]2023年3月9日
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[107091]2023年3月17日
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[107111]2023年3月20日
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[107803]2023年5月10日
白桃

[99245] 2020年 3月 7日(土)13:50:18【1】白桃 さん
名邑三世代(改訂)
[99242]については誤入力があり、また、追加事項がありますので、申し訳ありませんが再投稿いたします。
【明治の名邑】(再掲)
白桃選「明治の名邑」とは、明治末における市町(村)であって、以下の3つの条件すべてをクリアする。
1.「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の第一表(市街及ヒ市街ノ体裁ヲナシタル名邑)に記載されている都邑を含む
2.1の戸口表に記載された1個の都邑・町村の現住人員が三千人以上
である
3.明治期に町制または市制施行
[77089]
新たに19世紀枠を設定し、運悪く名邑の条件をクリアできなかったけれども、なんら遜色のない34市町村を追加することになりました。
なお、選考にあたっては、私情をはさまず厳正な審査が行われたことを申し添えます。
で、その34市町村(明治末)とは
余市町、釧路町、岩内町、石狩町、室蘭町、増毛町、厚岸町(以上、北海道)、横手町、花輪町(以上、秋田)、磯浜町(茨城)、足尾町(栃木)、沼田町(群馬)、忍町(埼玉)、鎌倉町(神奈川)、鳴海町、常滑町、大浜町、瀬戸町(以上、愛知)、天王寺村、吹田町(以上、大阪)、門司市(福岡)、福江村、富江村、茂木村(以上、長崎)佐土原町(宮崎)、東南方村、指宿村、鹿屋村、垂水村、志布志村、加世田村、阿久根村、加治木町(以上、鹿児島)、糸満町(沖縄)
上記、石狩町を抹消し、旭川町を追加

【大・昭の名邑】
1950年(昭和25年)国勢調査時点における市町(村)であって、以下のいずれかの条件に適合するところ。(ただし、「明治の名邑」を除く)
1.1950年10月1日時点で市制施行している
2.1940年10月1日までに町制施行している町であって、1950年国勢調査においては1万人を超え、1920年国勢調査においては5千人を超えている。なお、1920年国調~1950年国調に廃置分合している場合は、1920年国勢調査においてその前身自治体が5千人を超えていること。
3.1950年国勢調査において3万人を超えている町村
「宮崎県及び鹿児島県の特例」
条件2を以下のようにする。
2.1940年10月1日までに町制施行している町であって、1950年国勢調査においては2万人を超え、1920年国勢調査においては1万人を超えている。なお、1920年国調~1950年国調に廃置分合している場合は、1920年国勢調査においてその前身自治体が1万人を超えていること。ただし、1920年10月1日時点で町制施行している場合は、1950年国勢調査において1万人を超え、1920年国勢調査において5千人を超えていれば可とする。
「沖縄県の特例」
条件2を以下のようにする
2.1950年10月1日までに町制施行している町であって、1950年国勢調査においては1万人を超え、1920年国勢調査においては5千人を超えている。なお、1920年国調~1950年国調に廃置分合している場合は、1920年国勢調査においてその前身自治体が5千人を超えていること。

【昭・平の名邑】
2000年(平成12年)国勢調査時点における市町(村)であって、以下のいずれかの条件に適合するところ。(ただし、「明治の名邑」、「大・昭の名邑」を除く)
1.2000年10月1日時点で市制施行している
2.2000年10月1日までに町制施行している町であって、2000年国勢調査においては2万人を超え、1960年国勢調査においては1万人を超えている。なお、1960年国調~2000年国調に廃置分合している場合は、1960年国勢調査においてその前身自治体が1万人を超えていること。
3.2000年国勢調査において5万人を超えている町村
4.1960年国調~2000年国調の全9回のうち5回以上DIDが存在した町村
「茨城県、栃木県、、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、静岡県、愛知県、大阪府、兵庫県、奈良県及び福岡県の特例」
条件2を以下のようにする。
2. 2000年10月1日までに町制施行している町であって、2000年国勢調査においては3万人を超え、1960年国勢調査においては1万5千人を超えていること。なお、1960年国調~2000年国調に廃置分合している場合は、1960年国勢調査においてその前身自治体が1万5千人を超えていること。ただし、1955年10月1日時点で町制施行している場合は、2000年国勢調査において2万人を超え、1960年国勢調査において1万人を超えていれば可とする。
「沖縄県の特例」
条件4を以下のようにする
4. 1970年の琉球政府による「国勢調査」~2000年国調の全7回のうち4回以以上DIDが存在した町村
[99253] 2020年 3月 15日(日)04:12:08【1】白桃 さん
名邑三世代.その1(和歌山県)
「明治の名邑」「大・昭の名邑」「昭・平の名邑」を47都道府県順番に見ていきます。・・・果たして無事終わるのかどうか・・・('◇')ゞ
なお、「名邑」の要件等の詳細については、[99245]を参照ください。また、「大・昭の名邑」「昭・平の名邑」については、「名邑」という呼称に違和感を覚え、「大・昭のマチ」、「昭・平のまち」に変更しようかな、どうしようかな・・・と迷っておりますが、とりあえずそのまま。
第一弾は~若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る~和歌の浦がある和歌山県です。
【明治の名邑】
和歌山県の「明治の名邑」は、和歌山(別格市街)、新宮、湯浅(代表名邑)、田辺、黒江、御坊、粉河、三輪崎の八つ。そして惜しくも名邑になれなかった街の中から、以下の五つを「準名邑」とします。
名邑名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
第一表和歌山和歌山市和歌山54,868和歌山市77,303
第一表新宮新宮市新宮9,590新宮町18,717
第一表湯浅湯浅町湯浅9,295湯浅町10,408
第一表田辺田辺市田辺6,281田辺町8,738
第一表黒江海南市黒江4,564黒江町7,184
第一表御坊御坊市御坊4,272御坊町6,163
第一表粉河(紀の川市)粉川4,153粉河町5,229
第一表三輪崎(新宮市)三輪崎3,116三輪崎町4,206
準名邑
第二表和歌浦(和歌山市)和歌4,323和歌浦町5,971
第二表加太(和歌山市)加太3,340加太町5,143
第一表日方(海南市)日方2,813日方町5,489
第一表南部みなべ町南部2,788南部町5,708
第一表箕島有田市箕嶋2,502箕島町10,734
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【大・昭の名邑】
和歌山県の「大・昭の名邑」は箕島ただ一つ。
名邑名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
条件二箕島有田市箕島町10,850箕島町17,733
注1:(人口)は国勢調査人口

【昭・平の名邑】
和歌山県の「昭・平の名邑」は橋本、かつらぎ、岩出、貴志川、那智勝浦、高野口、串本、白浜の八つ。
名邑名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
条件一橋本(9)橋本市橋本市32,015橋本市55,071
条件二かつらぎ(0)かつらぎ町かつらぎ町24,810かつらぎ町20,331
条件二岩出(0)岩出市岩出町12,810 岩出町48,156
条件二貴志川(0)紀の川市貴志川町10,099貴志川町21,079
条件四那智勝浦(9)那智勝浦町那智勝浦町25,775那智勝浦町19,417
条件四高野口(9)(橋本市)高野口町15,294高野口町15,398
条件四串本(8)串本町串本町22,000 串本町15,687
条件四白浜(6)白浜町白浜町16,631 白浜町19,722
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は9回の国調でDIDが存在していた回数
[99273] 2020年 3月 19日(木)17:51:16白桃 さん
名邑三世代.その2(山梨県)
はじめに
【名邑】について以下の通り整理しなおしました。
〇【明治の名邑】
1.名邑・・・要件は[99245]に記した通り

2.名邑のうち、以下に適合するものを特に【市街】と称する。
2-1「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の現住人員が三千人以上で、1908年「日本帝国人口静態統計」記載された」現住人口が5万人以上
2-2「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の現住人員が一万人以上で、1908年「日本帝国人口静態統計」記載された」現住人口が1.5万人以上

3.名邑のうち、以下に適合するものを特に【別格市街】と称する。
3-1「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の現住人員が三千人以上で、1908年「日本帝国人口静態統計」記載された」現住人口が10万人以上
3-2「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の現住人員が三万人以上で、1908年「日本帝国人口静態統計」記載された」現住人口が5万人以上
3-3 札幌及び福岡

4.名邑のうち、以下に適合するものを特に【特選市街】と称する。
4-1「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の現住人員が五万人以上で、1908年「日本帝国人口静態統計」記載された」現住人口が10万人以上

〇【大・昭の名邑】
別称を【秀邑】とする
一種(条件一に適合)、二種(条件二に適合)、三種(条件三に適合)
〇【昭・平の名邑】
別称を【卓邑】とする
一種(条件一に適合)、二種(条件二に適合)、三種(条件三に適合)、四種(条件四に適合)
・・・・・・
山梨県

山梨県の【明治の名邑】は、甲府(市街)、市川大門(筆頭名邑)、谷村、鰍沢(代表名邑)の四つ。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
市街甲府甲府市甲府18,411甲府市49,882
名邑市川大門市川三郷町市川大門4,683市川大門町5,828
名邑谷村都留市谷村4,054谷村町6,914
名邑鰍沢(富士川町)鰍沢3,505鰍沢町5,358
準名邑
第一表韮崎韮崎市韮崎2,636韮崎町2,909
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

山梨県の【大・昭の名邑】=【秀邑】は、下吉田、塩山、大月の三つ。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
二種下吉田富士吉田市瑞穂村9,269下吉田町19,721
二種塩山甲州市七里村9,267塩山町14,764
二種大月大月市広里村5,964大月町11,128
注:(人口)は国勢調査人口

山梨県の【昭・平の名邑】=【卓邑】は、山梨市、韮崎、上野原、石和、増穂の五つ
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
一種山梨市(8)山梨市山梨市30,792山梨市32,505
一種韮崎(9)韮崎市韮崎市30,244韮崎市32,707
二種上野原(8)上野原市上野原町25,887上野原町27,771
二種石和(0)笛吹市石和町10,973石和町26,989
四種増穂(6)富士川町増穂町13,996増穂町13,070
準卓邑
竜王(4) 甲斐市竜王町8,242竜王町40,559
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は9回の国調でDIDが存在していた回数
[99287] 2020年 3月 23日(月)08:12:02【1】白桃 さん
名邑三世代.その3(山口県)
山口県の【明治の名邑】は、下関(別格市街)、萩(市街)、山口(市街) 、徳山(筆頭名邑)、岩国、久賀、長府(代表名邑)、防府、福川、柳井、室積の十一。政治の中心が萩から山口に移ったことが人口推移からもうかがえます。なお、※長府は1911年(明治44年)、福川は1912年(明治45年)に町制施行。 
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
別格市街下関下関市赤間関30,525下関市58,254
市街萩市21,206萩町18,069
市街山口山口市山口11,447山口町21,100
名邑徳山周南市徳山村11,511徳山町13,930
名邑岩国(岩国市)岩国8,187岩国町10,802
名邑久賀(周防大島町)久賀8,129久賀町7,809
名邑長府(下関市)豊浦6,324長府村※ 9,012
名邑防府防府市三田尻6,098防府町23,916
名邑福川(周南市)福川5,439福川村※ 6,171
名邑柳井柳井市柳井4,486柳井町12,797
名邑室積(光市)室積3,747 室積町8,649
準名邑
第一表富田(周南市)富田6,283富田村7,100
第一表須佐(萩市)須佐3,935須佐村5,363
第一表仙崎(長門市)仙崎3,375仙崎村6,607
(参考)
第一表(防府市)宮市2,983(防府市)
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

山口県の【大・昭の名邑】=【秀邑】は、小野田、下松、宇部、岩国市(前身:麻里布町)、光、安下庄、厚狭、
小郡、富田、深川、秋穂、大嶺の十二。
【明治の名邑】で準名邑に甘んじた仙崎は、ここでも【秀邑】に届かなかった。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
条件一小野田山陽小野田市小野田町15,887小野田市52,877
条件一下松下松市下松町8,192下松市39,923
条件一宇部宇部市宇部村38,063宇部市128,569
条件一岩国市岩国市麻里布村 7,431岩国市61,532
条件一光市浅江村2,948光市35,090
条件二安下庄(周防大島町)安下庄町8,492安下庄町10,310
条件二厚狭(山陽小野田市)厚狭町7,936厚狭町18,348
条件二小郡(山口市)小郡町7,406小郡町13,127
条件二富田(周南市)富田町6,534富田町13,191
条件二深川長門市深川村9,217深川町13,037
条件二秋穂(山口市)秋穂村8,286秋穂町11,038
条件二大嶺美祢市大嶺村8,072大嶺町14,400
(参考)仙崎(長門市)仙崎町6,354仙崎町9,664
注:(人口)は国勢調査人口

山口県の【昭・平の名邑】=【卓邑】は、豊浦と和木の二つ。
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
条件二豊浦(0)(下関市)豊浦町22,132豊浦町20,499
条件四和木(7)和木町和木村5,627和木町6,732
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は9回の国調でDIDが存在した回数
[99301] 2020年 3月 27日(金)07:45:25白桃 さん
名邑三世代.その4(山形県)
【明治の名邑】
米沢、山形、酒田、鶴岡(以上は市街ですが、相撲に例えると、米沢と山形は正市街、酒田と鶴岡は張出市街)、新庄(筆頭名邑)、谷地(代表名邑)、寒河江、楯岡、上山、大山、天童、宮内、山辺、長崎、小松、以上十五。惜しいのは長井で、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」第一表には小出のほか、宮(2,224人)が記されています。さらに、第二表に記されたばかりに「準」に甘んじた東根、なぜ、第二表になったのか解りません。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
市街米沢米沢市米沢29,203米沢市35,380
市街山形山形市山形26,971山形市42,234
市街酒田酒田市酒田21,004酒田町23,513
市街鶴岡鶴岡市鶴ヶ岡19,666鶴岡町21,056
名邑新庄新庄市新庄10,546新庄町13,346
名邑谷地河北町谷地7,902谷地町11,373
名邑寒河江寒河江市寒河江5,395寒河江町8,828
名邑楯岡村山市楯岡5,302楯岡町8,516
名邑上山上山市上山4,711上山町7,947
名邑大山(鶴岡市)大山4,138大山町6,458
名邑天童天童市天童3,771天童町6,909
名邑宮内南陽市宮内3,582宮内町4,953
名邑山辺山辺町山辺3,494山辺町5,619
名邑長崎中山町長崎3,430長崎町5,794
名邑小松川西町上小松3,059小松町5,021
準名邑
第一表長井長井市小出2,681長井町6,550
第二表東根東根市東根4,420東根町8,650
第一表松嶺(酒田市)松嶺2,892松嶺町2,708
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【大・昭の名邑】=【秀邑】
【明治の名邑】を逸した東根と長井の【秀邑】は満場一致、高畠も文句なし。金山と温海はラッキー?
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
条件二東根東根市東根町8,341東根町19,943
条件二長井長井市長井町7,905長井町13,440
条件二高畠高畠町高畠町6,735高畠町10,591
条件二金山金山町金山村7,815金山町10,299
条件二温海(鶴岡市)温海村5,009温海町11,376
注:(人口)は国勢調査人口

【昭・平の名邑】=【卓邑】
やっと出ました「雪とスイカと花笠のまち」尾花沢。
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
条件一尾花沢(8)尾花沢市尾花沢市31,538尾花沢市22,010
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は9回の国調でDIDが存在した回数

山形の 影の名邑 赤湯かな
[99308] 2020年 3月 29日(日)09:10:39白桃 さん
名邑三世代.その5(宮崎県)
【明治の名邑】
都城(市街)、飫肥(筆頭名邑)、宮崎、高鍋(代表名邑)、延岡、細島と佐土原の七。なお、佐土原は「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」には第二表に記載されており、本来ならば「準名邑」扱いになるが、明治期の宮崎県の状況を考慮し、19世紀枠での名邑とします。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
市街都城都城市都城10,118都城町18,345
名邑飫肥(日南市)飫肥4,963飫肥町7,785
名邑宮崎宮崎市宮崎4,715宮崎町13,849
名邑高鍋高鍋町高鍋4,313高鍋町6,795
名邑延岡延岡市延岡※13,578延岡町3,883
名邑細島(日向市)細島3,454細島町4,444
拾玖世紀佐土原(宮崎市)佐土原3,415佐土原4,274
(参考)
第一表油津日南市油津2,386油津町3,578
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
注3:「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」に記載された延岡の現住人員(13,578)は、町村制施行後に成立した岡富村の境域をも含んでいる。

【大・昭の名邑】=【秀邑】
鹿児島県同様、大正~「昭和の合併期」の自治体人口が押しなべて多かった宮崎県については、【秀邑】の条件2を以下の通り厳しくしており、その厳しい条件2をクリアしたのが飯野と富島町。そして、条件2の「ただし、」以降によって救済?されたのが、高岡、本庄、都農、高千穂。よって、条件1に該当する小林、日南市を加えて、宮崎県の【秀邑】は八。
2.1940年10月1日までに町制施行している町であって、1950年国勢調査においては2万人を超え、1920年国勢調査においては1万人を超えている。なお、1920年国調~1950年国調に廃置分合している場合は、1920年国勢調査においてその前身自治体が1万人を超えていること。ただし、1920年10月1日時点で町制施行している場合は、1950年国勢調査において1万人を超え、1920年国勢調査において5千人を超えていれば可とする。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
条件一小林小林市小林町23,217 小林市41,410
条件一日南市日南市油津町5,257日南市41,432
条件二飯野えびの市飯野村13,405飯野町20,378
条件二富島町日向市富高村10,143富島町26,122
条件二但高岡(宮崎市)高岡町9,047高岡町13,312
条件二但本庄国富町本庄町8,550本庄町12,485
条件二但都農都農町都農町8,269都農町15,670
条件二但高千穂高千穂町高千穂町7,332高千穂町13,597
準秀邑
高崎(都城市)高崎村10,555高崎町17,779
注:(人口)は国勢調査人口
※前身でないところが【明治の名邑】になっている「秀邑」名称には「市」「町」を付けています。(例:日南市、富島町、岩国市)

【昭・平の名邑】=【卓邑】
宮崎県の【卓邑】は、串間、西都、三股、清武、門川の五つ。
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
条件一串間(0)串間市串間市41,143串間市23,647
条件一西都(8)西都市西都市37,661西都市35,381
条件二三股(0)三股町三股町15,249三股町24,056
条件二清武(2)(宮崎市)清武町11,113清武町27,127
条件四門川(9)門川町門川町15,764門川町19,287
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は9回の国調でDIDが存在した回数
[99315] 2020年 3月 30日(月)18:20:37白桃 さん
名邑三世代.その6(宮城県・前編)
郷土香川の町々よりも、学生時代にすごした岡山の都邑よりも、街歩きをして、この目に刻み込んでいるのが宮城県の数多く、そして質の高い名邑です。あらためて千本桜さんに感謝申し上げます。
2020年4月4日…スーパータウン大河原の一目千本桜は満開・・・(だったはず)。隣町村田では♪ここらで止めてもいいコロナ(ウィルス)~・・・を歌った(はず)。
2020年4月5日…フランク永井の生地?松山では「一ノ蔵」を試飲した(はず)。そして胸をワクワクさせて代表名邑の涌谷に向かった(はず)。そして、小牛田から岩手県人口3位に落っこちた一関乗り換えで、人口2位に繰り上がった奥州市の水沢へ。で目いっぱいお酒を飲んだ(はず)・・・
2020年3月30日…上記日程の切符を払い戻しに(取消手数料なし)、ついでに「一ノ蔵」を購入・・・
これも、[99314]グリグリさん
皆さん、極力外出はお控えください。
に素直に従った・・・というわけでもありません。(笑)
余計なことが長すぎました。

【明治の名邑】
仙台は惜しくも「別格名邑」にとどまる。石巻は流石の市街、筆頭名邑は古川、佐沼を押さえて涌谷に。代表名邑は若柳にしようかどうしようか大いに迷ったが、結局、登米に落ち着く。
ここで、想像以上の街であった若柳に贈る歌:
♪春の夜風に吹かれる若柳、見たぞ真の名邑を
その後に続くのが、白石、気仙沼、岩沼、角田、塩竈
そして、どういう訳だかウナギを食した岩出山にはこの歌を
♪本城が仙台に移って口惜しかったら、有備館の青いタタミの上で泣け
そして、名邑どん尻に控えますは、志津子と呼べば霧が流れる志津川。 
以上、宮城県の「明治の名邑」は14ですが、人口的には「名邑」に遜色ないが、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」では第二表に置かれた七つを「準名邑」とします。中新田は「名邑」にしたかった。スーパータウンは2,3歩届かず。

名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
別格市街仙台仙台市仙台61,709 仙台市97,944
市街石巻石巻市石巻16,618 石巻町19,444
名邑涌谷涌谷町涌谷7,793涌谷町7,419
名邑古川大崎市古川6,614古川町9,366
名邑佐沼登米市佐沼※5,820佐沼町4,542
名邑若柳(栗原市)若柳5,803若柳町8,570
名邑登米(登米市)登米5,408登米町8,141
名邑白石白石市白石5,251白石町9,123
名邑気仙沼気仙沼市気仙沼5,140気仙沼町8,322
名邑岩沼岩沼市岩沼5,040岩沼町6,506
名邑角田角田市角田4,197角田町6,898
名邑塩竈塩竈市塩竈4,176塩竈町7,706
名邑岩出山(大崎市)岩出山4,017岩出山町5,544
名邑志津川南三陸町志津川3,720志津川町5,467
準名邑
第二表丸森丸森町丸森4,404丸森町5,805
第二表(仙台市)原ノ町3,985原町6,950
第二表米谷(登米市)米谷3,461米谷町4,261
第二表亘理亘理町亘理3,447亘理町4,097
第二表渡波(石巻市)渡ノ波3,275渡波町5,309
第二表中新田加美町中新田3,230中新田町4,851
第二表松山(大崎市)松山3,073松山町5,809
(参考)
第二表大河原大河原町大河原2,489大河原町5,434
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
注3:「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」に記載された佐沼の現住人員(5,820)は、町村制施行後に成立した北方村の境域をも含んでいる・・・と思われる。
[99333] 2020年 4月 4日(土)16:26:09白桃 さん
秀邑・卓邑の級制
殆どの方は関心がないでしょうが、「名邑」三世代に関しオタク精神を遺憾なく発揮し、【秀邑】と【卓邑】に級制を導入します。
秀邑1920年国調人口1950年国調人口--- 卓邑1960年国調人口2000年国調人口
A(3万以上)a(5万以上)A(3万以上)a(5万以上)
B(1万以上3万未満)b(2万以上5万未満) B(1万5千以上3万未満)b(3万以上5万未満)
C(5千以上1万未満)c(1万以上2万未満) C(1万以上1万5千未満)c(2万以上3万未満)
上表の組み合わせで
一級:Aa,
二級:Ab,Ba,Bb,Ca,Ac
三級:Bc,Cb,Cc,その他
とし、これを【秀邑】一種、二種、三種、及び【卓邑】の一種、二種、三種に適用します。

既稿、和歌山、山梨、山口、山形、宮崎5県の【秀邑】及び(四種を除いた)【卓邑】を整理し、次の通り再掲いたします。
秀邑/種別名称現自治体-----卓邑/種別名称現自治体
一種一級宇部山口県宇部市一種一級橋本和歌山県橋本市
一種二級小林宮崎県小林市一種二級串間宮崎県串間市
小野田山口県山陽小野田市西都宮崎県西都市
岩国市山口県岩国市尾花沢山形県尾花沢市
一種三級下松山口県下松市山梨市山梨県山梨市
日南市宮崎県日南市韮崎山梨県韮崎市
山口県光市二種三級上野原山梨県上野原市
二種二級飯野宮崎県えびの市かつらぎ和歌山県かつらぎ町
富島町宮崎県日向市豊浦(山口県下関市)
二種三級箕島和歌山県有田市三股宮崎県三股町
高岡(宮崎市)岩出和歌山県岩出市
本庄宮崎県国富町清武(宮崎市)
安下庄(山口県周防大島町)石和山梨県笛吹市
東根山形県東根市貴志川和歌山県紀の川市
都農宮崎県都農町
厚狭(山口県山陽小野田市)
長井山形県長井市
小郡(山口市)
高千穂宮崎県高千穂町
高畠山形県高畠町
富田(山口県周南市)
下吉田山梨県富士吉田市
塩山山梨県甲州市
深川山口県長門市
秋穂(山口市)
大嶺山口県美祢市
金山山形県金山町
大月山梨県大月市
温海(山形県鶴岡市)
[99342] 2020年 4月 5日(日)18:44:04白桃 さん
名邑三世代.その7(宮城県・後編)
【大・昭の名邑】=【秀邑】
宮城県の【秀邑】は、槻木、村田、渡波、大河原、松島、女川、矢本の七つ。柴田郡の街が3つ入っているのが注目されますが、「準秀邑」の川崎を含め、この頃の柴田郡の群雄割拠(あるいは、団栗の背比べ?)ぶりが想像できます。現在では大河原とコナーベーションしている(と、ウィキに書かれている)船岡は、1939年海軍火薬廠の設置を契機に台頭してきたようです。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
二種三級槻木(柴田町)槻木町7,759槻木町11,572
二種三級村田村田町村田町6,973村田町10,264
二種三級渡波(石巻市)渡波町6,435渡波町13,269
二種三級大河原大河原町大河原町6,113大河原町11,627
二種三級松島松島町松島村7,644松島町15,333
二種三級女川女川町女川村7,490女川町16,475
二種三級矢本東松島市鷹来村6,378矢本町16,857
準秀邑
雄勝(石巻市)十五浜村7,737雄勝町10,982
小野田(加美町)小野田村7,731小野田町12,228
川崎川崎町川崎村7,011川崎町10,442
豊里(登米市)豊里村5,299豊里町10,044
(参考)
船岡柴田町船岡村3,337船岡町11,110
注:(人口)は国勢調査人口

【昭・平の名邑】=【卓邑】
宮城県の【卓邑】は、名取、多賀城、亘理、柴田町(前身は船岡)、大和、小牛田、七ヶ浜、中新田の八。仙台の成長に伴って人口を伸ばした街が並んでいます。
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
一種一級名取(9)名取市名取市33,026名取市67,216
一種二級多賀城(7)多賀城市多賀城町21,047多賀城市61,457
二種二級亘理(2)亘理町亘理町27,277亘理町34,770
二種二級柴田町(8) 柴田町柴田町23,515柴田町39,485
二種三級大和(7)大和町大和町20,163大和町24,410
二種三級小牛田(0)美里町小牛田町19,438小牛田町20,245
二種三級七ヶ浜(3)七ヶ浜町七ヶ浜町13,054七ヶ浜町21,131
四種中新田(6)加美町中新田町15,865中新田町13,929
準卓邑
富谷(4) 富谷市富谷村4,874富谷町35,909
(参考)
丸森(0)丸森町丸森町26,740丸森町17,868
築館(1)栗原市築館町19,042築館町15,866
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は9回の国調でDIDが存在した回数
※前身でないところが【秀邑】になっている「卓邑」名称には「市」「町」を付けています。(例:柴田町)
[99355] 2020年 4月 8日(水)19:47:30【1】白桃 さん
名邑三世代.その8(三重県)
【明治の名邑】
三重県の【明治の名邑】は、宇治山田、津、桑名、上野、松阪、四日市(以上の六つは市街)、尾鷲(筆頭名邑)、亀山、鳥羽、名張、関、久居、長島、木本の計十四。代表名邑は関にします。実は、今日の今日まで「関の弥太っぺ」ってここの人かと思っていたのですが、常陸の関本だったのですね。市街が六つもある三重ですが、そのトップ宇治山田は福岡と並ぶ明治の二大ツインシティです。準名邑の白子※も、白子村と江嶋村(第一表1,681人)等との連合邑であったのでは、と推測してます。また、城下町であった津※は、連担している地区を合計すると約2万人の市街となります。なお、参考として東海道の宿場であった、石薬師、庄野、坂下のデータを記しました。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
市街宇治山田伊勢市山田21,223宇治山田市37,539
宇治5,748(宇治山田市)
市街津※津市15,884津市41,229
市街桑名桑名市桑名15,204桑名町21,544
市街上野伊賀市上野12,785上野町16,310
市街松阪松阪市松阪11,958松阪町15,841
市街四日市四日市市四日市11,939四日市市30,704
名邑尾鷲尾鷲市尾鷲5,483尾鷲町10,239
名邑亀山亀山市亀山5,414亀山町10,755
名邑鳥羽鳥羽市鳥羽町4,547鳥羽町6,403
名邑名張名張市名張3,741名張町5,886
名邑(亀山市)3,682関町4,137
名邑久居(津市)久居3,608久居町3,478
名邑長島紀北町長島浦3,524長島町4,770
名邑木本熊野市木本浦3,203木本町5,096
準名邑
第一表白子※鈴鹿市白子村2,252白子町5,938
第一表富田(四日市市)東富田村3,753富田村6,641
第一表小俣(伊勢市)小俣村3,170小俣村3,285
第一表菰野菰野町菰野村3,131菰野村4,508
第一表神戸(鈴鹿市)神戸2,967神戸町3,798
(参考)
第二表石薬師(鈴鹿市)石薬師1,192石薬師村2,540
第一表庄野(鈴鹿市)庄野村1,372庄野村1,568
第一表坂下(亀山市)坂下村788坂下村934
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【大・昭の名邑】=【秀邑】
三重県の【秀邑】は、僅か鈴鹿一つです。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
一種二級鈴鹿鈴鹿市白子町5,320鈴鹿市68,755
注:(人口)は国勢調査人口

【昭・平の名邑】=【卓邑】
三重県の【卓邑】は、菰野、阿児、明和、楠、小俣、川越、大王の七つ。話が少しそれますが、現在の志摩市にはDIDがありませんが、かつては旧)大王町の波切のほかに、旧)志摩町の和具にも存在していました。その頃、バスで素通りしたのですが、やはり、両DIDよりも旧)阿児町の鵜方駅周辺にちょっとした「都会」を感じました。
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
二種二級菰野(6)菰野町菰野町20,217菰野町37,972
二種三級阿児(0)志摩市阿児町17,693阿児町22,995
二種三級明和(0)明和町明和町17,390明和町22,300
四種楠(7)(四日市市)楠町10,405楠町10,997
四種小俣(6)(伊勢市)小俣町10,988小俣町18,125
四種川越(6)川越町川越村8,388川越町11,782
四種大王(5)(志摩市)大王町11,019大王町8,465
(参考)
東員(4)東員町東員村8,255東員町26,305
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は9回の国調でDIDが存在した回数
[99357] 2020年 4月 11日(土)14:28:34白桃 さん
名邑三世代.その9(北海道・前編)
本題に入る前に:
スカイツリーで一般相対性理論が確認されたとか。これを聞いた白桃市町村人口研究所所長は、研究費用調達のための勝馬投票のヒントにならないか、と、一瞬本気で考えました。
また、[99356]hmt さん
心配事の材料は、コロナウイルスだけではない
地磁気逆転すると、上富良野町が下富良野町にならなくとも、北広島市が南広島市になるかもしれません。日本は南半球になって、太陽は北に見えるのか・・・、タヒチに行ったことがある奥さんに、「ボラボラ島では太陽が北に見えた?」って聞いた直後、質問したことを深く後悔。だって、完全方向音痴だもんね。いずれにしろ、地磁気逆転すると、国勢調査どころではありませんね。
・・・閑話休題・・・
【明治の名邑】
開発の歴史が浅い北海道ということで、他とは若干モノサシを変えています。まず、函館は文句なしの「別格市街」。札幌は人口要件では「市街」なのですが、1878年に制定された「郡区町村編成法」における区のひとつ、でありますから「別格市街」としています。そうなると、同じ「区」でも北海道区制の区にすぎない小樽は、1908年の人口が最多でありながら貧乏クジを引いた感じ。スミマセン、♪小樽のひとよ。
名邑筆頭は、こまどり姉妹ご推薦の♪「ソーラン渡り鳥」の江差恋しや。この他、人口要件を満たした名邑は、福山(松前)、根室と寿都(代表名邑)。そして、人口要件を満たしているが、二級町である古平と、残り七つの「一級町」である岩内、室蘭、釧路、余市、増毛、厚岸、旭川を「19世紀枠」での名邑としています。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
別格市街函館函館市函館45,477函館区87,875
別格市街札幌札幌市札幌15,041札幌区70,084
市街小樽小樽市小樽15,807小樽区91,281
名邑江差江差町江差11,615江差町9,774
名邑福山松前町松前10,187福山町4,902
名邑根室根室市根室5,191根室町10,906
名邑寿都寿都町寿都3,718寿都町9,552
19世紀枠古平古平町古平3,624古平町7,113
19世紀枠岩内 岩内町岩内1,966岩内町19,644
19世紀枠室蘭室蘭市室蘭1,156室蘭町20,335
19世紀枠釧路釧路市釧路2,779釧路町17,905
19世紀枠余市余市町余市2,915余市町13,380
19世紀枠増毛増毛町増毛601増毛町14,677
19世紀枠厚岸厚岸町厚岸572厚岸町9,319
19世紀枠旭川旭川市旭川旭川町40,453

続いて「準名邑」
明治に町制施行した以下の十の街を準名邑とします。このうち 「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(戸口表)に記載があるのは石狩、岩見沢、豊平の3つです。なお、滝川の町制施行年は1910年(明治43年)です。
戸口表名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
第一表石狩石狩市石狩1,858石狩町9,007
第三表岩見沢岩見沢市岩見沢1,594岩見沢町22,349
第三表豊平(札幌市)豊平834豊平町12,333
記載無留萌留萌市留萌町13,465
記載無稚内稚内市稚内町7,891
記載無帯広帯広市帯広町6,724
記載無美国積丹町美国町5,635
記載無網走網走市網走町5,336
記載無浦河浦河町浦河町5,119
記載無滝川滝川市滝川村※11,744
参考として、1908年の人口が1万以上を記します。
名称現自治体---1908年(人口)
江別江別市江別村12,477
八雲八雲町八雲村11,455
真狩喜茂別町/真狩村/留寿都村真狩村11,809
登川夕張市登川村10,334
角田栗山町角田村12,882
砂川砂川市/上砂川町/奈井江町砂川村12,797
沼貝美唄市沼貝村11,414
三笠山三笠市三笠山村16,866
歌志内歌志内市/赤平市歌志内村10,755
新十津川新十津川町新十津川村10,981
鷹栖鷹栖町/(旭川市)鷹栖村13,960
東旭川(旭川市)東旭川村11,436
伊達伊達市伊達村11,113
上表のうち、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」に記載があるのは、江別(第三表:2,401人)のみです。

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99365] 2020年 4月 13日(月)10:52:20白桃 さん
名邑三世代.その10(北海道・中編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
当然ながら、北海道の「秀邑」の数はものすご~~く多いのです。そんなわけで、殆ど表だけの書き込みになって恐縮です。
秀邑/種別名称現自治体--1920年(人口)--1950年(人口)
一種一級夕張夕張市夕張町51,064夕張市99,530
一種一級美唄美唄市沼貝村32,321美唄市87,095
一種二級北見北見市野付牛町30,152北見市45,952
一種二級網走網走市網走町27,899網走市39,218
一種二級岩見沢岩見沢市岩見沢町23,326岩見沢市47,951
一種二級苫小牧苫小牧市苫小牧町17,565苫小牧市39,226
一種二級帯広帯広市帯広町16,081帯広市51,794
一種二級留萌留萌市留萌町14,357留萌市32,513
一種二級稚内稚内市稚内町13,082稚内市34,529
二種二級江別江別市江別町17,343江別町31,647
二種二級名寄名寄市名寄町15,712名寄町23,131
二種二級八雲八雲町八雲町14,413八雲町20,525
二種二級士別士別市士別町13,103士別町20,880
二種二級豊平(札幌市)豊平町12,770豊平町37,209
二種二級富良野富良野市富良野町10,805富良野町20,345
二種二級滝川滝川市滝川町10,188滝川町27,844
二種二級歌志内歌志内市歌志内村24,745歌志内町40,954
二種二級砂川砂川市砂川村17,119砂川町24,604
二種二級美瑛美瑛町美瑛村13,580美瑛町20,578
二種二級伊達伊達市伊達村12,715伊達町24,203
二種二級森町森村11,024森町24,294
二種二級美幌美幌町美幌村10,713美幌町21,104
二種三級倶知安倶知安町倶知安町15,822倶知安町15,975
二種三級深川深川市深川町13,317深川町12,937
二種三級上磯北斗市上磯町10,676上磯町18,768
二種三級紋別紋別市紋別町6,972紋別町23,046
二種三級浦河浦河町浦河町6,853浦河町13,994
二種三級遠軽遠軽町遠軽村17,492遠軽町16,026
二種三級本別本別町本別村15,193本別町15,425
二種三級池田池田町川合村14,409池田町15,696
二種三級斜里斜里町斜里村14,353斜里町15,356
二種三級留辺蘂(北見市)武華村11,851留辺蘂町17,415
二種三級美深美深町美深村10,991美深町13,390
二種三級新得新得町屈足村8,435新得町11,004
二種三級羽幌羽幌町羽幌村7,849羽幌町17,664
二種三級清水清水町人舞村7,704清水町12,774
二種三級静内新ひだか町静内村6,731静内町15,496
三種二級芦別芦別市芦別村15,013芦別町58,547
三種二級三笠三笠市三笠山村20,914三笠町54,476
三種三級赤平赤平市(歌志内村)赤平町50,371
三種三級上砂川上砂川町(砂川村)上砂川町31,406
◎準秀邑
名称現自治体1920年1950年--名称現自治体1920年1950年
栗沢(岩見沢市)栗沢村20,154栗沢町25,619沼田沼田町上北龍村7,003沼田町18,859
芽室芽室町芽室村15,720芽室町15,767長万部長万部町長万部村6,732長万部町13,401
栗山栗山町角田村13,943栗山町22,563木古内木古内町木古内村6,588木古内町12,434
当別東別町當別村13,191当別町17,686苫前苫前町苫前村6,301苫前町11,212
幕別幕別町幕別村11,249幕別町17,822琴似(札幌市)琴似村5,990琴似町19,253
置戸置戸町置戸村9,917置戸町11,174津別津別町津別村5,895津別町14,005
枝幸枝幸町枝幸村9,571枝幸町10,518滝上滝上町滝上村5,879滝上町13,183
豊浦豊浦町弁辺村9,561豊浦町11,194中標津中標津町標津村5,669中標津町11,569
今金今金町利別村8,110今金町12,166千歳千歳市千歳村5,366千歳町20,030
(参考)
上記以外に、1950年国調時に1万人以上の「町」と1万5千以上の「村」を記します。
名称現自治体1920年1950年(人口)-----名称現自治体1920年1950年(人口)
弟子屈弟子屈町弟子屈村弟子屈町11,395長沼長沼町長沼村長沼村17,290
奈井江奈井江町(砂川村)奈井江町13,916 門別日高町門別村門別村15,610
下川下川町(名寄村)下川町13,420七飯七飯町七飯村七飯村17,223
西足寄足寄町(本別村)西足寄町11,821幌別登別市幌別村幌別村20,121
音更音更町音更村音更村21,893白糠白糠町白糠村白糠村16,711
新十津川新十津川町新十津川村新十津川村15,766阿寒(釧路市)舌辛村阿寒村17,779
東旭川(旭川市)東旭川村東旭川村16,814別海別海町別海村別海村17,291
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99375] 2020年 4月 18日(土)19:31:09白桃 さん
名邑三世代.その11(北海道・後編)
【卓邑】(昭・平の名邑)
北海道の卓邑は以下の20です。
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
一種一級千歳(9)千歳市千歳市44,522千歳市88,897
一種二級登別(9)登別市幌別町29,100登別市54,761
一種二級恵庭(9)恵庭市恵庭町26,642恵庭市65,239
一種三級石狩(5)石狩市石狩町9,358石狩市54,567
一種三級北広島(6)北広島市広島村7,564北広島市57,731
二種二級音更(7)音更町音更町23,699音更町39,201
二種三級当別(7)当別町当別町19,391当別町20,778
二種三級幕別(7)幕別町幕別町17,393幕別町24,276
二種三級七飯(2)七飯町七飯町16,657七飯町28,354
二種三級中標津(7)中標津町中標津町14,782中標津町23,179
二種三級白老(7)白老町白老町14,178白老町21,662
四種栗山(9)栗山町栗山町23,003栗山町14,847
四種芽室(7)芽室町芽室町17,839芽室町17,586
四種上富良野(7)上富良野町上富良野町17,101上富良野町12,809
四種広尾(7)広尾町広尾町12,592広尾町8,975
四種白糠(6)白糠町白糠町20,770白糠町11,359
四種枝幸(6)枝幸町枝幸町11,913枝幸町7,973
四種足寄(5)足寄町足寄町19,385足寄町8,871
四種津別(5)津別町津別町15,676津別町6,789
四種釧路町(5)釧路町釧路村7,337釧路町22,478
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数

(付録):2000年国調時において「町」であったところのDID履歴
注1:存在回数とは、1960年~2015年の12回の国調でDIDDIDが存在した回数
注2:DIDが消滅していないところは、消滅年欄に2015年のDID人口を記載
DID人口ピーク年種別存在回数ピークDID人口消滅年
1960年上砂川秀邑6回16,2051990年
1970年今金準秀邑1回5,0031975年
標茶1回5,2341975年
滝上準秀邑1回5,3071975年
下川2回5,2821980年
弟子屈2回5,3721980年
上川3回5,9871980年
美深秀邑5回5,9211985年
古平名邑3回5,9611985年
長万部準秀邑4回6,2591985年
本別秀邑7回6,5061995年
池田秀邑5回7,1441995年
白糠卓邑6回8,0051995年
留辺蘂秀邑8回6,7092000年
厚岸名邑9回10,7912005年
広尾卓邑8回7,9662010年
羽幌秀邑9回11,6502010年
江差名邑11回10,0482015年
岩内名邑12回22,79110,272人
1975年虻田3回5,9981985年
清水秀邑6回6,8041995年
津別卓邑5回6,8771995年
枝幸卓邑6回6,0352000年
1980年松前名邑2回5,6521990年
足寄卓邑5回7,7522000年
浦河秀邑8回10,3372005年
秀邑9回7,5882010年
美瑛秀邑9回7,7432010年
白老卓邑10回13,1535,484人
斜里秀邑11回9,0526,207人
栗山卓邑12回8,0976,441人
余市名邑12回19,1878,913人
遠軽秀邑12回16,00910,851人
美幌秀邑12回20,49013,273人
1985年八雲秀邑12回9,4707,500人
1990年倶知安秀邑12回12,90510,559人
静内秀邑12回16,49811,640人
1995年上富良野卓邑10回8,1256,569人
中標津卓邑10回10,5369,663人
2000年当別卓邑10回8,0905,957人
釧路町卓邑8回12,48610,923人
2005年芽室卓邑10回12,36712,054人
2010年上磯秀邑12回30,26229,668人
2015年七飯卓邑5回13,13213,132人
幕別卓邑10回14,56814,568人
音更卓邑10回36,436---36,436人
[99369]
北海道には、自治体人口はさほどでもないが、しっかりDIDを有する町がある、と私は考えます。北海道の町々は、中心部に人口が集中する傾向にある、ということの証明?
と書きましたが、
「地域によって居住の疎と密が明瞭で、中心部に人口が集中する北海道の町々では、町全体の人口が減少してもDIDは残る傾向にある。」
と言った方が良いでしょう。
[99377] 2020年 4月 20日(月)07:23:41白桃 さん
名邑三世代.その12(福島県)
【明治の名邑】
福島県の【明治の名邑】もなかなか粒ぞろいで、興味津々、勇気凛凛です。「市街」は若松のみですが、「市街」にほんの少しだけ届かなかった福島(筆頭名邑)、白河・二本松の城下町、この頃は微妙な関係にあった?須賀川と郡山、駒としだれ桜の三春、実力の本宮、磐城の平、蔵のまち・喜多方、阿武隈のライバル梁川・保原、おならはこかない小名浜、芭蕉も浸かった飯坂、NHK朝ドラ「エール」では相当な大都市に描かれている川俣、朝でも坂下、オーイ中村、そして最後に控えしは旧伊達郡役所が町のランドマークになっている桑折。計十八もありまして、人気者が多いクラスの学級委員長兼雑用係(代表名邑)を誰にしようか迷うところですが、桜だけではなく町自体しだれがかった三春にしときましょう。
市街若松会津若松市若松18,004若松市39,265
名邑福島福島市福島9,721福島市33,493
名邑白河白河市白河町9,600白河町14,683
名邑二本松二本松市二本松町8,015二本松町8,898
名邑須賀川須賀川市須賀川村6,780須賀川町14,757
名邑郡山郡山市郡山村6,412郡山町18,133
名邑三春三春町三春町6,050三春町9,505
名邑本宮本宮市本宮村5,948本宮町7,342
名邑いわき市平町5,823平町14,847
名邑喜多方喜多方市喜多方町5,478喜多方町9,039
名邑梁川(伊達市)梁川村4,763梁川町6,020
名邑保原伊達市保原村4,135保原町4,903
名邑小名浜(いわき市)小名浜村4,045小名浜町6,246
名邑飯坂(福島市)上飯坂村3,686飯坂町4,423
名邑川俣川俣町川俣村3,673川俣町7,454
名邑坂下会津坂下町坂下町3,520坂下町5,054
名邑中村相馬市中村3,262中村町7,734
名邑桑折桑折町桑折村3,074桑折町4,006
名邑になれなかった棚倉には、東北一の「準名邑」という称号でもさしあげましょうか。♪東京の空~灰色の空~で有名な智恵子が生まれた油井は街並みも結構しっかりしているし、人口的には名邑となっていてもおかしくはないのですが、なぜ町制施行がずっとずっと遅れたのか、♪本当の空を見たいという~
準名邑現自治体-----1886年戸口表人口-----1908年人口
棚倉棚倉町棚倉村第一表2,855棚倉町3,854
(参考)現自治体-----1886年戸口表人口-----1908年人口
油井(二本松市)油井村第一表3,506油井村3,745
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【大・昭の名邑】=【秀邑】
【秀邑】は、湯本、原、四倉、勿来、内郷と、全部浜通りの街です。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
二種二級湯本(いわき市)湯本村11,979湯本町28,363
二種三級南相馬市原町8,697原町17,404
二種三級四倉(いわき市)四倉町6,078四倉町10,271
二種三級勿来(いわき市)窪田村8,101勿来町16,839
三種二級内郷(いわき市)内郷村20,174内郷町37,082
(参考)
好間(いわき市)好間村 18,624好間村22,159
江名(いわき市)江名村 4,667江名町12,731
西郷西郷村西郷村6,500西郷村11,438
磐崎(いわき市)磐崎村11,024磐崎村11,391
赤井(いわき市)赤井村9,359赤井村11,191
富久山 (郡山市)富久山村4,266富久山町10,290
注:(人口)は国勢調査人口

【昭・平の名邑】=【卓邑】
【卓邑】は船引と浪江の二つ。意外なことに、(参考)に掲げた街も含め、DIDが存在していない。それにしても、浪江はどうなるのだろう・・・。
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
二種三級船引田村市船引町29,973船引町23,920
二種三級浪江浪江町浪江町25,234浪江町22,609
(参考)
石川石川町石川町24,493石川町19,914
猪苗代 猪苗代町猪苗代町26,058猪苗代町18,178
会津高田会津美里町会津高田町21,756会津高田町15,564
田島南会津町田島町20,703田島町13,747
注:(人口)は国勢調査人口
[99382] 2020年 4月 22日(水)12:14:25白桃 さん
名邑三世代.その13(福岡県・前編)
【明治の名邑】
福岡を「別格市街」としたのは、札幌と同様に1878年に制定された「郡区町村編成法」における区のひとつ、ということでありますが、1886年の人口も博多と福岡を併せれば3万、いや4万以上となり、合わせ技一本!、で文句も出ないでしょう。
「市街」は、「生まれながらの市」久留米と松島市五郎(無法松のモデル)が暮らした小倉。
名邑筆頭(筆頭名邑改め)の柳河ですが、柳河※12,350は旧城下全体(町村制施行後の城内村や沖端村の一部)を含んでいたと思われます。その他名邑として、アッシのほうが本当ですと言いたそうな芦屋、甘木、瀬高(♪恋の片道切符、を思い浮かべます)、姪浜、秋月、箱崎、太宰府、吉井、大川と、そして十九世紀枠で登場するた門司で名邑の合計は十四。福岡県ですから、この倍ぐらいあっても良いのじゃないか、ごっそり抜け落ちているのではないか、と訝しむ方もおられるかもしれませんが、下の「準名邑」や(参考)をご覧になればご納得いただけると思います。
なお、名邑代表(代表名邑改め)は、添乗で行ったけど何にもなかった秋月にお願いしましょう。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
別格市街福岡福岡市博多22,954福岡市82,106
福岡19,663
市街久留米久留米市久留米20,907久留米市35,928
市街小倉(北九州市)小倉11,594小倉市31,615
名邑柳河柳川市柳河※12,350柳河町7,237
名邑芦屋芦屋町蘆屋5,520蘆屋町10,110
名邑甘木朝倉市甘木5,429甘木町6,979
名邑瀬高みやま市瀬高5,429瀬高町16,935
名邑姪浜(福岡市)姪浜4,095姪浜町4,918
名邑秋月(朝倉市)秋月3,813秋月町2,070
名邑箱崎(福岡市)箱崎3,706箱崎町5,173
名邑太宰府太宰府市太宰府3,647太宰府町4,892
名邑吉井うきは市吉井3,361吉井町3,707
名邑大川大川市若津3,204大川町12,308
榎津2,560
19世紀門司(北九州市)(楠原村)1,189門司市55,682

つづいて準名邑
現自治体---1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
黒崎(北九州市)黒崎第一表2,971黒崎町8,836
行橋行橋市大橋第一表2,962行橋町7,797
行事第一表2,129
三池大牟田市三池第一表2,946三池町6,396
宇島(豊前市)宇ノ島第一表2,832宇島町3,975
福島八女市福島※第一表2,404福島町5,368
若松(北九州市)若松第一表2,601若松町27,774
八屋豊前市八屋第二表3,062八屋町4,966
福島※2,404の件ですが、福島(2,404)とは別に第三表に福島村(1,218)があり、また共武政表でも「福島町」が三千以上の人口になっていることから、2,500人には届いておりませんが、「準名邑」としました。というか、福岡県の準名邑は実質的には「名邑」と言っても言い過ぎにはならないでしょう。

最後に(参考)
現自治体---1886年戸口表人口---1908年人口
飯塚飯塚市飯塚第一表2,268飯塚町5,428
直方直方市直方第一表1,604直方町10,751
大牟田大牟田市大牟田村第三表2,370大牟田町45,681
戸畑(北九州市)戸畑村第三表1,464戸畑町6,238
八幡北九州市記載なし八幡町22,767

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99385] 2020年 4月 25日(土)11:33:04【1】白桃 さん
名邑三世代.その14(福岡県・中編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
福岡県の【秀邑】は、【明治の名邑】にもれた都市や、筑豊の炭鉱の街など数も多く豪華絢爛の顔ぶれです。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種一級八幡北九州市八幡市100,235八幡市210,051
一種一級大牟田大牟田市大牟田市64,317大牟田市191,978
一種一級若松(北九州市)若松市49,336若松市89,574
一種一級戸畑(北九州市)戸畑町33,824戸畑市87,885
一種二級飯塚飯塚市飯塚町28,876飯塚市53,653
一種二級田川田川市伊田町22,371田川市88,418
一種二級直方直方市直方町18,442直方市53,638
二種二級添田添田町添田町28,569添田町25,002
二種二級宮田宮若市宮田村20,275宮田町43,284
二種二級山田嘉麻市熊田村15,569山田町36,379
二種二級二瀬(飯塚市)二瀬村14,997二瀬町24,080
二種二級桂川桂川町桂川村14,900桂川町23,052
二種二級川崎川崎町川崎村14,237川崎町37,638
二種二級中間中間市長津村13,669中間町36,350
二種二級宇美宇美町宇美村11,979宇美町21,972
二種三級幸袋(飯塚市)幸袋町11,477幸袋町13,926
二種三級大隈(嘉麻市)大隈町8,639大隈町10,290
二種三級行橋行橋市行橋町7,365行橋町15,923
二種三級羽犬塚筑後市羽犬塚町7,090羽犬塚町13,983
二種三級福島八女市福島町5,619福島町10,262
二種三級二日市筑紫野市二日市町5,487二日市町11,209
二種三級香月(北九州市)香月村18,429香月町17,997
二種三級小竹小竹町勝野村15,613小竹町17,221
二種三級志免志免町志免村11,532志免町19,158
二種三級糸田糸田町糸田村10,327糸田町16,375
二種三級水巻水巻町水巻村7,636水巻町31,386
二種三級赤池福智町上野村6,804赤池町16,722
三種二級稲築(嘉麻市)稲築村16,976稲築町44,514
三種二級穂波(飯塚市)穂波村37,235穂波村39,771

「準秀邑」はありません。参考として「秀邑」になれなかった街を挙げます。
参考1:1950年国調時点では1万人を超えた町であったが、1920年国調人口が5千人未満であった
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
八屋豊前市八屋町4,575八屋町13,017
前原糸島市前原町4,482前原町17,129
碓井(嘉麻市)碓井村4,935碓井町12,045
苅田苅田町苅田村4,685苅田町12,256
大野大野城市大野村4,233大野町10,192
那珂(福岡市)那珂村3,854那珂町20,365
古賀古賀市席内村3,307古賀町10,900
参考2:人口では「秀邑」の要件を備えているが、1950年国調時点でも村であった
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
大和(柳川市)大和村13,670大和村19,671
三橋(柳川市)三橋村12,999三橋村17,611
水田(筑後市)水田村10,327水田村16,091
庄内(飯塚市)庄内村10,114庄内村21,570
方城(福智町)方城村9,992方城村15,038
須恵須恵町須恵村9,743須恵村19,423
岡垣岡垣町岡垣村8,765岡垣村14,339
夜須筑前町夜須村 8,087夜須村10,732
山川(みやま市)山川村7,324山川村10,720
頴田(飯塚市)頴田村7,040頴田村10,285
三輪(筑前町)三輪村6,172三輪村10,385
参考3:参考2より参考にならない(惜しくない)・・・1920年国調人口が5千人未満であったところ
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
志賀島(福岡市)志賀島村4,878志賀島村12,342
上穂波(飯塚市)上穂波村4,110上穂波村10,644
鞍手町劍村3,897劍村15,004
遠賀遠賀町島門村3,840遠賀村10,181
昭代(柳川市)浜武村3,811昭代村11,049
高田(みやま市)江浦村2,586高田村18,735
春日春日市春日村 2,450春日村14,857

注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99395] 2020年 4月 27日(月)18:16:17【1】白桃 さん
名邑三世代.その15(福岡県・後編)
【卓邑】(昭・平の名邑)
福岡県の卓邑は以下の16です。
卓邑/種別名称現自治体1960年(人口)2000年(人口)
一種一級前原(8)糸島市前原町31,462前原市63,883
一種二級豊前(9)豊前市豊前市34,818豊前市29,133
一種二級小郡(7)小郡市小郡町24,642小郡市54,583
一種二級春日(9)春日市春日町22,794春日市105,219
一種二級宗像(5)宗像市宗像町21,417宗像市81,588
一種二級古賀(8)古賀市古賀町18,877古賀市55,476
一種二級大野城(8) 大野城市大野町15,707大野城市89,414
二種二級苅田(9)苅田町苅田町22,430苅田町35,604
二種三級田主丸(0) (久留米市)田主丸町25,979田主丸町21,532
二種三級須恵(5)須恵町須恵町15,437須恵町25,086
二種三級篠栗(7)篠栗町篠栗町14,039篠栗町29,389
二種三級福間(8)福津市福間町12,463福間町41,480
四種岡垣(7)岡垣町岡垣村13,417岡垣町30,417
四種粕屋(6)粕屋町 粕屋町12,524粕屋町34,811
四種新宮(5)新宮町新宮町8,420新宮町22,431
四種鞍手(5)鞍手町鞍手町28,714鞍手町19,266
(準卓邑)
那珂川(4)那珂川市 那珂川町8,458那珂川町45,548
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「卓邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
注3:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数

付録:2000年国調時において「町」であったところのDID履歴
北海道に次いでDIDが存在する「町」が多い福岡県のDIDの履歴をみました。なお、表中の「存在回数」とは、1960年~2015年の12回の国調でDIDが存在した回数です。
DIDピーク年名称種別 存在回数ピークDID人口消滅年
1960年方城01回7,0181965
糸田秀邑01回4,8911965
小竹秀邑01回6,5261965
桂川秀邑02回5,1081970
宮田秀邑05回25,0741985
添田秀邑04回7,2221990
瀬高名邑09回7,2982005
赤池秀邑05回9,6422005
川崎秀邑10回13,5672010
稲築秀邑10回28,6342010
鞍手卓邑08回7,372
1975年芦屋名邑12回16,804
1985年岡垣卓邑10回12,908
1995年穂波※秀邑12回12,084 DID
2000年水巻秀邑12回23,683
2005年篠栗卓邑10回18,179
2010年宇美秀邑09回23,278
苅田卓邑12回24,488
2015年須恵卓邑08回18,925
新宮卓邑08回25,137
福間※卓邑11回37,617
粕屋卓邑09回38,977
那珂川準卓邑07回42,236
志免秀邑12回43,674
DIDが導入された1960年にピークを迎えた11町のうち、瀬高を除く10町が筑豊の炭鉱街ですが、鞍手以外はDIDが消滅しています。その鞍手も1965年に一旦消滅したのが復活したものです。かつての炭鉱街が目立つ中で、粕屋、志免などは福岡市のベッドタウンとなったことでDID人口を増加させています。
※穂波のDIDは、もともと飯塚市のDIDと連担しておりましたが、合併後、旧穂波町域のDIDは縮小しています。
※福間の2015年DID人口は旧福間町域のDID人口で、旧津屋崎町域のDIDを含んでいません。
[99404] 2020年 4月 29日(水)08:45:35白桃 さん
名邑三世代.その16(福井県)
【明治の名邑】
明治期、北陸の主要都市の人口は案外多かったのです。福井県も福井が「別格市街」、武生と敦賀が「市街」となっており少々驚く方があるかもしれません。「名邑」は筆頭の大野、小浜、三国、勝山、丸岡、金津、高浜と、現在の福井県と比べてもそんなに変わらない感じです。一つ違うのは、鯖江が「準名邑」になっているぐらいでしょう。名邑代表には三国になってもらいましょう。(※高浜の町制は1912年4月1日でギリギリ明治です。)

名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
別格市街福井福井市福井37,376福井市50,396
市街武生越前市武生13,074武生町17,952
市街敦賀敦賀市敦賀11,878敦賀町17,173
名邑大野大野市大野9,864大野町9,558
名邑小浜小浜市小浜9,649小浜町8,521
名邑三国(坂井市)阪井港9,466三国町10,056
名邑勝山勝山市勝山6,583勝山町6,834
名邑丸岡坂井市丸岡3,790丸岡町3,692
名邑金津あわら市金津3,127金津町3,439
名邑高浜高浜町高浜3,026高浜村※4,476
準名邑
名称現自治体---1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
鯖江鯖江市鯖江第一表2,713鯖江町3,953
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【大・昭の名邑】=【秀邑】
福井県には【秀邑】がありません。
準秀邑名称現自治体---1920年(人口)--- 1950年(人口)
春江(坂井市)春江村7,720春江町10,391
(参考)
鯖江鯖江市鯖江町4,384鯖江町14,869
注:(人口)は国勢調査人口

【昭・平の名邑】=【卓邑】
やっと鯖江にメガネがかけられました。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種一級鯖江(9)鯖江市鯖江市49,045鯖江市64,898
二種三級春江(7)(坂井市)春江町14,520春江町23,052
四種松岡(7)永平寺町松岡町10,059松岡町11,009
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99708] 2020年 5月 11日(月)14:51:51【1】白桃 さん
名邑三世代.その17(広島県・前編)
【明治の名邑】
広島県の「明治の名邑」は、現在の状況から連想することが難しいというか、整理しずらい、収拾がつかないほど混沌としています。その原因として挙げられるのが、「軍港呉」の存在と、瀬戸内島嶼部の異常なほどの人口稠密であります。これを理解するには、地域の歴史を振り返って資料を詳細に検証しなければいけないのですが、それは真の歴史地理学者にお任せするとして・・・
18の「明治の名邑」の中で、広島はこのシリーズ初めて登場する「特選市街」。呉は、1886年の人口は「市街レベル」なのですが、1908年には10万を超えていることで「別格市街」となっています。ここで注目されるのが、町村制施行時(1889年)に行政区画の名称としては無かった「呉」が、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(1888年「内務省総務局」に記載されていることです。大関クラス「市街」に尾道と福山が名を連ねるのは順当として、名邑筆頭が音戸と言うのは少々意外。「酔心」三原に続く阿賀は歴史も古いようですがどうもつかみどころがない。竹原、忠海と続くのも意外で、竹鶴のウィスキーでも飲んで気持ちを落ち着かせよう。三次は本来の?三次であるが、現在の三次市の前身ではありません。♪鞆よ~夜明け前の闇の中で~鞆よ~名邑代表をお願いします。府中は当然、備後の府中。仁方は古い時刻表にある仁堀航路がなつかしい。三津は安芸津と言った方がわかりやすい?。後は、毛利氏ゆかりの吉田、広島の西の草津(※町制施行は1909年)、東の海田市、下駄の音が聞こえそうな松永が続きます。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
特選市街広島広島市広島81,914 広島市142,763
別格市街呉市11,160呉市100,679
市街尾道尾道市尾道17,307尾道市30,367
市街福山福山市福山14,663福山町18,081
名邑音戸(呉市)瀬戸10,271音戸町12,643
名邑三原三原市三原8,265三原町11,229
名邑阿賀(呉市)阿賀7,980阿賀町11,058
名邑竹原竹原市下市7,241竹原町8,187
名邑忠海(竹原市)忠海6,253忠海町7,745
名邑三次(三次市)三次5,522三次町5,731
名邑(福山市)5,065鞆町10,534
名邑府中府中市府中市4,736府中町6,372
名邑仁方(呉市)仁方4,424仁方町4,997
名邑三津(東広島市)三津4,122三津町5,398
名邑吉田安芸高田市吉田3,780吉田町3,933
名邑草津(広島市)草津3,761草津村※5,083
名邑海田市海田町海田3,705海田市町3,981
名邑松永(福山市)松永3,388松永町4,109

◎「準名邑」
「準名邑」は瀬戸内の厳島(宮島)、内海(安浦)、廿日市、川尻と内陸の可部、加計(学園とは無関係)の六つ。
準名邑現自治体---1886年戸口表人口---1908年人口
厳島(廿日市市)厳島第一表2,953厳島町3,725
内海(呉市)内海第一表 2,743内海町3,193
可部(広島市)可部第一表2,655可部町3,011
廿日市廿日市市廿日市第一表2,655廿日市町2,649
川尻(呉市)川尻第一表 3,374川尻村4,723
加計安芸太田町加計第二表3,510加計町5,211

この他にも、人口的には「名邑」も顔負けするほどの街(とは言えないところも)が並んでいます。特に、広は村のまま呉と一緒になったので、「準名邑」にもしていませんが、戦前には3万人を超えており、市制施行していても不思議はないところです。(※貢村が糸崎町になったのは1912年2月11日でまだ明治、大竹の町制施行は1911年。)
(参考)現自治体---1886年戸口表人口---1908年人口
糸崎(三原市)東野第一表2,490貢村※5,744
庄原庄原市庄原第一表2,489庄原町4,489
瀬戸田(尾道市)瀬戸田第一表2,427瀬戸田町2,667
(呉市)第一表13,377広村14,780
倉橋島(呉市)倉橋第一表12,781倉橋島村16,145
下蒲刈島(呉市)蒲刈第一表11,253下蒲刈島村7,290
上蒲刈島(呉市)上蒲刈島村5,326
戸河内(安芸太田町)戸河内第二表5,896戸河内村7,685
大竹大竹市大竹村第三表5,524大竹村※6,549
仁保島(広島市)仁保島第三表14,766仁保島村13,221
江田島江田島市江田島第三表9,562江田島村13,683
向島西(尾道市)向島西村第三表7,693向島西村8,522
坂町坂村第三表6,724坂村7,975
吉浦(呉市)吉浦第三表6,210吉浦村6,616
熊野熊野町熊野村第三表5,764熊野村6,897
向島東(尾道市)向島東村第三表5,253向島東村6,488
大野(廿日市市)大野村第三表5,146大野村5,770
東野(大崎上島町)東野村第三表5,026東野村6,326

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99722] 2020年 5月 12日(火)07:50:06白桃 さん
名邑三世代.その18(広島県・後編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
広島県の【秀邑】は後に市となる土生(因島市の前身町)、大竹と現在は江田島市の一部になっている大柿の三つです。なお、下の表からは土生町の人口が横ばいのように見えますが、1925年には7,709人となっており、何故このような急減をみたのか、類推は出来ますが確かなことは言えません。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級土生(尾道市)土生町13,315土生町13,488
二種三級大竹大竹市大竹町6,375大竹町14,448
二種三級大柿(江田島市)大柿村9,574大柿町13,233
続いて
◎準秀邑
名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
向島(尾道市)向島西村9,814向島町13,571
坂町坂村6,934坂町14,089
大野(廿日市市)大野村6,008大野町10,848
(参考)
1920年の人口が5,000人未満で「準秀邑」にも成れなかったところや、人口面では「秀邑」の要件は満たしていたが、この期に町制施行が行われなかったところです。(細かい話で恐縮ですが、安浦の「前身町」は、「準名邑」の内海ではなく、三津口になっております。)
名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
十日市三次市十日市町4,410十日市町11,181
五日市(広島市)五日市町3,409五日市町10,319
西条東広島市西条町2,645西条町10,751
瀬戸田(尾道市)瀬戸田町2,286瀬戸田町10,707
府中町府中町府中村3,526府中町11,408
船越(広島市)船越村2,883船越町10,652
安浦(呉市)三津口村2,665安浦町※11,043
祇園(広島市)祇園村2,215祇園町12,841
倉橋島(呉市)倉橋島村14,051倉橋島村20,018
江田島江田島市江田島村13,945江田島村21,043

注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
以下、13の【卓邑】と、1960年の人口が1万人に届かなかったため、「卓邑」を逸した「筆の街・熊野」です。なお、「卓邑」の名称が「三次市」となっているのは、【前身】ではない「三次」が「明治の名邑」として既に存在していることによります(三次市の前身は十日市)。このように、このシリーズ、あまりにもマニアックで、いろいろ勝手な
ルールを作っているので、関心を持っておられる方は殆どいないと思います。ましてや、向島・坂・大野が、「明治の名邑の(参考)」→「準秀邑」→「卓邑」と一歩ずつ階段を上がっているのに気が付いた方は、まさかいないでしょうね。('◇')ゞ
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)---2000年(人口)
一種二級三次市(9) 三次市三次市42,163三次市39,503
一種二級庄原(8)庄原市庄原市30,663庄原市21,370
一種二級東広島(6) 東広島市西条町21,952東広島市123,423
一種二級廿日市(9) 廿日市市廿日市町20,933廿日市市73,587
二種二級神辺(5)(福山市)神辺町24,249神辺町40,361
二種二級府中町(8) 府中町府中町17,104府中町50,673
二種三級新市(7)(福山市)新市町20,911新市町21,695
二種三級大野(3)(廿日市市)大野町11,088大野町25,727
二種三級黒瀬(0)(東広島市)黒瀬町10,107黒瀬町25,351
四種坂(9)坂町坂町13,713坂町12,276
四種向島(8)(尾道市)向島町17,045向島町16,710
四種川尻(5)(呉市) 川尻町8,365川尻町10,380
四種江田島(5)江田島市江田島町19,185江田島町12,824
(参考 )
熊野(3) 熊野町熊野町9,324熊野町25,392
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「卓邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
注3:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99731] 2020年 5月 13日(水)12:41:56白桃 さん
名邑三世代.その19(兵庫県・前編)
このシリーズ、都道府県を逆五十音順に吟味しているのですが、47都道府県を逆五十音順にスラスラ言える方がいたら、私は尊敬します。それはともかく、このシリーズ次回十番勝負までに終わるのかどうか・・・。
【明治の名邑】
兵庫県の「明治の名邑」は二十二もあります。神~戸、♪そして神戸はもちろん「特選市街」。「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(以下「戸口表」)には「神戸」と「葺合」が第一表に掲載されています。「市街」は姫路、明石、尼ヶ崎、西宮の四都市。明石ですが、「戸口表」には「明石」以外に「大蔵谷」「王子」が第一表に出てきます。名邑筆頭は洲本。続いて二枚目は同じ淡路勢の由良。♪由良由良ゆれる初恋のもどかしさ~、「わたしの城下町」ではありませんが、洲本にお城が戻るまで、いっとき城下町だったそうな。地味ながらお目出度そうな高砂、柳行李の豊岡、♪赤とんぼの龍野、黒田官兵衛が閉じ込められた伊丹、また淡路の福良が続き、兵庫の名邑代表出石。伊豆市ではありません。脱線しますが、「名邑代表」って意味あるのか、選出規準はあるのか、って訊かれたら、こう答えます。「何もありま温せん。ただ、私好みの今はショボクレタ街を選んでいます。行き当たりばったりに決めていますが、香川県だけは既に決まっております(笑)」。続いて渋めの網干。私、小さい頃「あぼし」って、煮干か梅干の親戚かと思ってました。そして、今は橋下の街となった岩屋、デカンショ篠山、メガネのミキじゃなくて金物の三木、♪恋のしずく…恋のしづき(志筑)、個人的には忘れることが出来ない飾磨、浪士協調の赤穂(「戸口表」第一表には「加里屋」の他に「上仮谷」と「中村」も記載されている)、御影石より御影郷(美酒)の御影、シンガリはホタルイカ浜坂。名邑ザックザクの兵庫です。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)---1908年(人口)
特選市街神戸神戸市神戸80,446神戸市378,197
葺合5,418(神戸市)
市街姫路姫路市姫路22,677姫路市41,028
市街明石明石市明石18,587明石町25,951
大蔵谷3,013(明石町)
市街尼ヶ崎尼崎市尼ヶ崎12,742尼ヶ崎町19,888
市街西宮西宮市西ノ宮11,932西宮町18,396
名邑洲本洲本市洲本8,948洲本町9,302
名邑由良(洲本市)由良7,069由良町10,146
名邑高砂高砂市高砂6,519高砂町7,679
名邑豊岡豊岡市豊岡6,325豊岡町7,774
名邑龍野たつの市龍野5,840龍野町6,952
名邑伊丹伊丹市伊丹5,816伊丹町9,641
名邑福良南あわじ市福良5,771福良町6,848
名邑出石(豊岡市)出石5,253出石町5,264
名邑網干(姫路市)網干5,170網干町8,429
名邑岩屋(淡路市)岩屋4,886岩屋町6,870
名邑篠山丹波篠山市篠山4,884篠山町7,390
名邑三木三木市三木4,877三木町5,643
名邑志筑淡路市志筑4,548志筑町5,420
名邑飾磨(姫路市)飾萬津4,327飾磨町6,222
名邑赤穂※赤穂市加里屋3,865赤穂町6,793
名邑御影(神戸市)御影3,664御影町7,467
名邑浜坂新温泉町浜阪3,496浜坂町6,420

続いて「準名邑」
「戸口表」人口が三千人に僅かながら届かなかったのが、柏原(かいばら)、三田(さんだ)、生野(いくの)。なお、三田市の前身は三田ではなく三輪です。明治期に町になれなかった(ならなかった)のが曽根と今津。惜しいかな曽根の町制施行は1913年(大正2年)。
名称現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
柏原(丹波市)柏原第一表2,982柏原町5,105
三田(三田市)三田第一表2,976三田町3,781
生野(朝来市)生野第一表2,903生野町9,487
曽根(高砂市)曾根第一表3,075曾根村3,489
今津(西宮市)今津第一表3,703今津村4,000

ここに書き留めておきたい街がまだまだありますが、キリがなく、参考列挙は少な目に。
加古川※については「戸口表」第一表に「寺家」の他に「加古川」が記載されていますが、その現住人口は822人となっており、いずれにしろ当時の加古川は取り立てて言うほどの街でもなかったようです。尾崎、沼島は、ついに「町」になることはなかったのですが、白桃が関心を持っているところです。淡路島南方沖合にある沼島は、「国産み」伝承があることで有名です。今の人口は10分の1に近いのかな?
(参考)現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
加古川※加古川市 寺家第一表1,644加古川町4,118
尾崎(赤穂市)尾崎第一表4,586尾崎村 4,924
沼島(南あわじ市)沼嶋第二表 3,812沼島村3,679
相生相生市相生村第三表4,077相生村5,381

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99748] 2020年 5月 15日(金)09:50:01白桃 さん
名邑三世代.その20(兵庫県・後編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
兵庫県の「秀邑」は、この期に市制施行した相生、芦屋、加古川に、後に市となる小野、川西、「昭和の合併」で明石に吸収される大久保、二見、現在なお「町」のままの中、「村」でありながら名を連ねる鳴尾と、結構バライティに富んだ九つの街。相生は1920年当時は「おお(あう)」であり、広島の因島同様、人口変動が激しいのです。因島との共通点は「造船の町」。芦屋は「町」を飛び越えて市制施行。ついに「町」にもならず西宮に吸収された鳴尾は、甲子園が出来る前には高校野球のメッカでありました。
一種二級相生相生市相生町15,408相生市27,528
一種二級芦屋芦屋市精道村11,151芦屋市42,951
一種三級加古川加古川市加古川町7,483加古川市49,832
二種三級小野小野市小野町5,805小野町10,326
二種三級川西川西市川西村8,053川西町24,146
二種三級大久保(明石市)大久保村7,880大久保町24,713
二種三級多可町中村7,510中町11,613
二種三級二見(明石市)二見村5,050二見町10,683
三種三級鳴尾(西宮市)鳴尾村7,190鳴尾村33,812

参考として、「準秀邑」にもなれなかったのは以下の通り。生野はあと521人いたら、小浜はもう半年前に「町」となっていれば・・・タラ・レバの話。
名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
生野(朝来市)生野町8,069生野町9,489
西脇西脇市西脇町4,603西脇町15,066
本庄(神戸市)本庄村6,140本庄村13,538
魚住(明石市)魚住村5,727魚住村10,973
小浜宝塚市小浜村5,513小浜村15,090
良元(宝塚市)良元村4,640良元村21,687

注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
兵庫県の「卓邑」は以下の12。(参考)に掲げた氷上は、2000年に2万人をキープしていれば「卓邑」になれたのに、猪名川は同年の人口が3万人にのっていたら「準卓邑」でした。これは、レバ・タラの話。
卓邑名称現自治体-----1960年(人口)---2000年(人口)
一種一級宝塚(9)宝塚市宝塚市66,491宝塚市213,037
一種一級三田(9)三田市三田市32,528三田市111,737
一種二級西脇(9)西脇市西脇市42,238西脇市37,768
一種二級加西(7)加西市北條町23,294加西市51,104
二種二級稲美(0)稲美町稲美町18,525稲美町32,054
二種三級山崎(9)宍粟市山崎町27,243山崎町25,971
二種三級社(0)加東市社町17,966社町21,545
二種三級太子(6)太子町太子町14,296太子町31,960
二種三級夢前(0)(姫路市)夢前町13,649夢前町21,952
四種香住(7)香美町 香住町17,369香住町13,998
四種日高(7)(豊岡市)日高町21,685日高町18,410
四種播磨(6)播磨町阿閇村8,814播磨町33,766
(参考)
猪名川(4)猪名川町猪名川町7,178 猪名川町29,094
氷上(0) 丹波市氷上町20,802氷上町19,299

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「卓邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
注3:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99762] 2020年 5月 16日(土)13:20:13【1】白桃 さん
名邑三世代.その21(新潟県・前編)
【明治の名邑】
明治期の新潟県の人口の多さについては今さら言及するまでもありませんが、「明治の名邑」の数31は、他府県を圧倒して文句なしの全国一位です。
新潟は「別格市街」、高田、長岡に加え新発田も「市街」。新発田が「市街」なら三条もか、と予測していましたが、そうではありませんでした。その三条を押さえて、「名邑」筆頭はなんと相川。村上、小千谷、柏崎と続く名邑で異彩を放つのが沼垂。沼垂(渟足)の柵というのが日本史の教科書に出ていたような気もしますが、古くは、新潟と喧嘩、反目するほどの相当な湊町であったようです。直江津、村松、十日(町)と続いて、次に入るのが与板。直江家に養子に入った(樋口)兼続はここに住んでいたのだろうか?あまり知られていない与板の次は、お節料理買い出しツアー
で名高い寺泊。糸魚川、「越後の小京都」の加茂、そして、♪えち~ごのエキでいずもざき?、数ある名邑の中で現在も自治体名として残る最も寂れたマチ、出雲崎に名邑代表を。出雲崎には「明日がなかったさ」かも。白根、五泉、水原、見附、燕、そう言えば、♪越冬つばめ、は越後の燕で冬を越す???、消滅した一文字町・巻、あられの亀田、とまだまだ続きます。相川に次ぐ佐渡の名邑は小木。栃尾、小須戸、新津、中条、最後が今。だらだら書いているだけで疲れます。よせば良かった?('◇')ゞ
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)---1908年(人口)
別格市街新潟新潟市新潟40,778新潟市61,616
市街高田上越市高田24,511高田町◎28,021
市街長岡長岡市長岡16,152長岡市35,376
市街新発田新発田市新発田10,527新発田町18,307
名邑相川(佐渡市)相川10,704相川町10,849
名邑三条三条市三條町8,953三條町※14,777
(三条市)一ノ木戸村3,609(三條町)
名邑村上村上市村上※10,805村上町8,234
名邑柏崎柏崎市柏崎町8,345柏崎町9,383
名邑沼垂(新潟市)沼垂8,774沼垂町11,869
名邑直江津(上越市)直江津町7,353直江津町12,686
名邑村松(五泉市)村松町7,190村松町8,963
名邑十日十日町市十日町村5,531十日町7,249
名邑与板(長岡市)与板5,442与板町6,107
名邑寺泊(長岡市)寺泊町5,420寺泊町11,644
名邑糸魚川糸魚川市糸魚川5,275糸魚川町8,085
名邑加茂加茂市加茂町5,109加茂町※14,836
(加茂市)上條村3,714(加茂市)
名邑出雲崎出雲崎町出雲崎5,093出雲崎町※10,135
(出雲崎町)尼瀬2,785(出雲崎町)
名邑白根(新潟市)白根町4,908白根町7,511
名邑五泉五泉市五泉町4,834五泉町11,230
名邑水原阿賀野市水原町4,128水原町8,371
名邑見附見附市見附4,066見附町8,205
名邑燕市燕町3,980燕町4,518
名邑(新潟市)巻村3,975巻町6,138
名邑亀田(新潟市)亀田町3,876亀田町8,716
名邑小木(佐渡市)小木町3,819小木町6,338
名邑栃尾(長岡市)栃尾町村3,721橡尾町〇6,203
名邑小須戸(新潟市)小須戸町3,451小須戸町8,643
名邑新津(新潟市)新津村3,446新津町10,232
名邑中条胎内市中條町3,137中條町8,749
名邑(見附市)今町新田3,107今町3,845
高田町◎:1911年に高田市に
橡尾町〇:1911年に栃尾町に改称
村上※10,805人:町村制施行後の村上町と村上本町の区域を併せた人口
三條町※、加茂町※、出雲崎町※は、それぞれ「戸口表」第一表に記載されている一ノ木戸村、上條村、尼瀬を併合しています。

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99786] 2020年 5月 18日(月)11:51:03白桃 さん
名邑三世代.その22(新潟県・中編)
31もある新潟県の【明治の名邑】を現在の自治体ごとに整理すると以下のようになります。これを見て、アソコが入ってない、どうして?と思われる方がいれば私は嬉しいのです。
市町名---名邑
新潟市新潟、沼垂、白根、巻、亀田、小須戸、新津
長岡市長岡、与板、寺泊、栃尾
上越市高田、直江津
新発田市新発田
三条市三条
柏崎市柏崎
燕市
村上市村上
南魚沼市
佐渡市相川、小木
十日町市十日
五泉市村松、五泉
糸魚川市糸魚川
阿賀野市水原
見附市見附、今
魚沼市
小千谷市小千谷
妙高市
胎内市中条
加茂市加茂
出雲崎町出雲崎

入ってないところは、はたして「準名邑」となっているのでしょうか?
準名邑現自治体-----1886年戸口表 人口---1908年人口
地蔵堂(燕市)地蔵堂町第一表2,832地蔵堂町4,011
岩船(村上市)岩船町第一表2,824岩船町3,636
両津佐渡市湊町第一表1,924両津町※5,512
第一表1,497(両津町)
葛塚(新潟市)葛塚村第一表2,750葛塚町8,128
片貝(小千谷市)片貝村第一表4,953片貝村6,638
吉田(燕市)吉田村第一表4,039吉田村 7,556
柿崎(上越市)柿崎村第一表3,580柿崎村8,294
曽根(新潟市)曽根村第一表3,006曽根村3,850
両津町※---1901年に湊町、夷町と加茂歌代村の一部で新設

「準名邑」にも入っていなければ、多分以下にあるでしょう。
(参考)現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
津川阿賀町津川町第一表2,321津川町3,250
河原田(佐渡市)川原田第一表2,235河原田町2,320
塩沢(南魚沼市)塩沢村第一表1,990塩沢町6,794
小出魚沼市小出島村第一表1,885小出町5,227
六日南魚沼市六日町村第一表1,831六日町6,813
名立(上越市)名立大町村第一表1,147名立町2,124
瀬波(村上市)瀬波町第一表1,117瀬波町1,885
内野(新潟市)内野村第一表2,837内野村6,049
黒埼(新潟市)金巻村第一表2,501黒埼村10,129
真野(佐渡市)新町第一表1,293真野村7,295
新井妙高市新井村第三表2,684新井町7,250
石地(柏崎市)石地村第三表2,079石地町3,944
能生(糸魚川市)能生町村第三表1,895能生町3,884
沢根(佐渡市)五十里村第三表1,352沢根町3,751
高浜(柏崎市)宮川村第三表1,423高浜町※3,126
椎谷町第一表1,098(高浜町)
仙田(十日町市)仙田村第三表5,741仙田村5,410
中條(十日町市)中條村第三表3,967中條村7,355
横越(新潟市)横越村第三表3,401横越村8,000
高浜町※---1901年椎谷町と宮川町で新設

注1:表中1886年の人口は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の人口は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「準名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99800] 2020年 5月 19日(火)15:34:50白桃 さん
名邑三世代.その23(新潟県・後編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
新潟県の「秀邑」は、「準名邑」であった葛塚(豊栄市の前身)に、[99788]千本桜さんの、
「荒い(新井)海を六日(六日)も漕いで(小出)」
プラス堀之内の五つで、佐渡の両津は「準秀邑」にもなっていません。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級新井妙高市新井町7,050新井町11,884
二種三級葛塚(新潟市)葛塚町7,034葛塚町10,293
二種三級六日南魚沼市六日町 6,824六日町10,361
二種三級小出魚沼市小出町5,998小出町10,267
二種三級堀之内(魚沼市)堀之内村7,539堀之内町12,667
準秀邑
宮内(長岡市)上組村7,837 宮内町12,784
(参考)
両津佐渡市両津町6,507両津町9,402
内野(新潟市)内野村4,958内野町10,274
青海(糸魚川市)青海村3,686青海町12,208
中之島(長岡市)中之島村11,349中之島村14,056
板倉(上越市)板倉村10,172板倉村11,838
黒埼(新潟市)黒埼村9,410黒埼村13,440
安田(阿賀野市)安田村7,357安田村10,648
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
「昭・平の名邑」、すなわち「卓邑」になってやっと両津が登場します。もっとも、2000年国調時の時点で市になっていれば自動的に「卓邑」となりますので、あまり威張れたものではありません。もし、両津が市になっていなければ、2000年国調人口が2万人をきっているので、二種ではなく四種の「卓邑」だったのです。青海は企業城下町、分水の分身、いや、【前身】は地蔵堂、西川の【前身】は曽根ですから、新潟の主要な街は、大体、落ち着くところに落ち着いた、という感じですかね…
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)---2000年(人口)
一種三級両津(9)佐渡市両津市28,892両津市17,394
二種三級塩沢(0)(南魚沼市)塩沢町24,827塩沢町20,561
二種三級吉田(9)(燕市)吉田町18,782吉田町25,136
二種三級黒埼(7)(新潟市)黒埼村14,174黒埼町25,893
四種青海(9)(糸魚川市)青海町17,221青海町10,160
四種分水(9)(燕市)分水町16,285分水町15,681
四種西川(7)(新潟市)西川町8,474西川町12,365
(参考)
津南(0) 津南町津南町20,072津南町12,389
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「卓邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
注3:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99865] 2020年 5月 29日(金)08:12:07【3】白桃 さん
名邑三世代.その24(奈良県)
【明治の名邑】
奈良県は非常に簡単に説明できます。「市街」は奈良のみですが、名邑筆頭の郡山も他の名邑を大きく引き離して存在感を示しています。五條、御所、高田は予想通りといったところですが、現在奈良県下最少人口町の下市の「名邑」に驚かれる方もいるでしょう。もちろん、下市に名邑代表になってもらいましょう。話は全く飛んでイスタンブールになってしまいますが、奈良県の野球の強豪高校、天理は天理市、智弁学園は五條市、郡山は大和郡山市、御所実は御所市、高田商は大和高田市…県都奈良市はパット思いつかない。ならしの高校は、奈良市の高校ではありません。(笑)
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)-----1908年(人口)
市街奈良奈良市奈良22,666奈良市32,732
名邑郡山大和郡山市郡山12,834郡山町13,517
名邑五條五條市五條4,576五條町7,812
名邑御所御所市御所4,244御所町5,280
名邑下市下市町下市4,113下市町9,235
名邑高田大和高田市高田3,834高田町7,787

つづいて「準名邑」
「準名邑」は寺内町として有名な今井と田原本の二つ。
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
今井(橿原市)今井第一表2,677今井町3,432
田原本田原本町田原本第一表2,661田原本町3,204

(参考)現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
初瀬(桜井市)初瀬第一表2,466初瀬町4,050
櫟本(天理市)櫟本第一表2,454櫟本町5,137
三輪(桜井市)三輪第一表2,453三輪町3,978
桜井桜井市桜井第一表2197桜井町5201
龍田斑鳩町龍田第一表2,158龍田町4,060
上市(吉野町)上市第一表2,105上市町2,797
松山(宇陀市)松山第一表1,905松山町2,217
榛原宇陀市萩原第一表1,733榛原町5,023
八木(橿原市)八木第一表1,553八木町4,042
丹波市天理市丹波市第一表1,414丹波市町9,992
高取高取町土佐第一表545高取町3,557
龍田がでたところで・・・
ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
・・・の歌や落語、竜田揚げで有名な竜田川ですが、当時の竜田川は王寺より下流の大和川本流を指していたらしい。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【大・昭の名邑】=【秀邑】
奈良県の【秀邑】は丹波市、桜井、大淀、畝傍の四つですが、橿原市の【前身町】を畝傍とすることに大いなる違和感を覚える方も多いでしょうね。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)-----1950年(人口)
二種三級丹波市天理市丹波市町10,302丹波市町19,046
二種三級桜井桜井市桜井町6,390桜井町16,659
二種三級大淀大淀町大淀村9,217大淀町13,932
二種三級畝傍橿原市白橿村7,098畝傍町11,290
(参考)
大宇陀 (宇陀市)松山町1,898大宇陀町12,347
十津川十津川村十津川村13,157 十津川村12,145
斑鳩斑鳩町龍田町3,694斑鳩町10,589
二階堂 (天理市)二階堂村7,423二階堂村10,031
丹波市が「秀邑」になったことを記念して作られた歌が「丹波市の男」。
♪タンバイッチまん、タンバイッチまん、おいらは街のお道化者~~→かなり苦しいウソ('◇')ゞ
注:(人口)は国勢調査人口

【昭・平の名邑】=【卓邑】
ようやく、生駒と香芝が出てきます。
「アンナ、オカンが言うには、奈良県には秀邑にも卓邑にもなっていないけど、あと二つ、新しく出来た市があるって言うやけど、どうも名前を思い出せないって。ひとつは、阪神にそんな名前の選手がいて、タイマがとなりにあったけど、何の問題にもならんかったらしい。ナンデモ、新しい市の名前と読み方が同じ『ひらがな町』が和歌山県にあるらしい。もうひとつは、四国の大都会にある駅と同名の駅があって、新しい市名が山本リンダの♪狙い撃ち、の中でやたらと連呼されるらしい。」----そういうお母さんをお持ちの方は(参考)をご覧あれ。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)-----2000年(人口)
一種二級生駒(8)生駒市生駒町23,138生駒市112,830
一種二級香芝(7)香芝市香芝町15,009香芝市63,487
二種二級田原本(8) 田原本町田原本町19,769田原本町32,934
二種二級広陵(7)広陵町広陵町15,598広陵町31,444
二種三級斑鳩(7)斑鳩町斑鳩町10,657斑鳩町28,566
四種王寺(9)王寺町王寺町9,507王寺町23,782
四種三郷(7)三郷町三郷村6,723三郷町23,977
四種上牧(6)上牧町上牧村4,134上牧町24,005
(参考)
平群(3)平群町平群村6,141平群町20,497
河合(4)河合町河合村6,546河合町20,126
新庄(2)葛城市新庄町10,049新庄町19,454
榛原(3) 宇陀市榛原町12,934榛原町19,438
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99870] 2020年 6月 1日(月)09:08:38【1】白桃 さん
名邑三世代.その25(長野県)
【明治の名邑】
現在は佐久市が飯田市より人口が多くなっていますが、長野県の大きい市を四つ選べと言われたら、大抵の人は、長野、松本、上田、飯田を挙げるのではないでしょうか。その四つが「市街」となっています。名邑筆頭は「大本営」松代、これに上諏訪、飯山が続きますが、名邑代表はコヒガンザクラの高遠に。以下、中野、岩村田、大町、須坂、最後は唯一の「現役町」である福島で計13となります。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)-----1908年(人口)
市街長野長野市長野18,222長野市39,242
市街松本松本市松本17,478松本市35,011
市街上田上田市上田15,172上田町23,838
市街飯田飯田市飯田11,672飯田町17,098
名邑松代(長野市)松代7,404松代町8,438
名邑上諏訪諏訪市高島7,204上諏訪町13,405
名邑飯山飯山市飯山6,175飯山町7,462
名邑高遠(伊那市)高遠3,948高遠町4,124
名邑中野中野市中野3,859中野町7,735
名邑岩村田佐久市岩村田3,662岩村田町7,330
名邑大町大町市大町3,515大町5,776
名邑須坂須坂市須坂3,489須坂町7,860
名邑福島木曽町福島3,243福島町4,907

つづいて「準名邑」
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
小諸小諸市小諸第一表2,991小諸町8,483
屋代千曲市屋代第一表2,795屋代町3,977
あと9人で小諸が「名邑」を逸したことについて、シマザキさんもフジムラ?さんも至極残念でしょうが、小諸には47~48年前、ああしていれば、ひょっとして???白桃、ほろ苦い、いや、メチャメチャ苦い想い出があります。

(参考)現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
下諏訪下諏訪町下諏訪第一表1,814下諏訪町6,630
塩崎(長野市)塩崎第一表4,539塩崎村5,520
八幡(千曲市)八幡第一表3,850八幡村5,323
小布施小布施町小布施第一表3,224小布施村5,644
赤穂駒ヶ根市赤穂村第一表1,748赤穂村9,660
塩尻塩尻市塩尻第一表1,325塩尻村6,706
伊那伊那市伊那村第三表2,537伊那町※10,498
坂城坂城町坂城村第三表4,015坂城町5,599
喬木喬木村喬木村 第三表5,849喬木村7,552
平野岡谷市平野村第三表5,324平野村12,255
長野県は一筋縄ではいかないところがあって、名邑を「吟味」しきれていません。例えば、伊那町※は、戸口表第一表に記載された坂下(656人)、第二表に記載された西町(519人)、第三表に記載された伊那部村(2,446人)も含まれており、当時の伊那という地の実像を把握できてはいません。

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【大・昭の名邑】=【秀邑】
惜しくも「名邑」になれなかった小諸、(参考)に挙げた岡谷、伊那、下諏訪、赤穂、塩尻が順当に「秀邑」になりましたが、見逃せないのは大正期に製糸業が全盛を迎えた丸子の進出です。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)-----1950年(人口)
一種二級岡谷岡谷市平野村44,278岡谷市35,520
二種二級伊那伊那市伊那町14,018伊那町23,273
二種三級下諏訪下諏訪町下諏訪町15,608下諏訪町18,798
二種三級丸子(上田市)丸子町12,196丸子町 11,700
二種三級小諸小諸市小諸町11,095小諸町17,039
二種三級赤穂駒ヶ根市赤穂村12,346赤穂町 19,250
二種三級塩尻塩尻市塩尻村7,861塩尻町13,955
準秀邑
辰野辰野町伊那富村10,479辰野町11,679
中箕輪箕輪町中箕輪村9,426中箕輪町12,825
(参考)
篠ノ井 (長野市)篠ノ井町3,409篠ノ井町16,587
軽井沢 軽井沢町東長倉村4,798軽井沢町13,676

注:(人口)は国勢調査人口

【昭・平の名邑】=【卓邑】
屋代が更埴と名を変え、晴れて「卓邑」となったほか、茅野、穂高、東部、辰野、箕輪、戸倉といった比較的若い街や、ちょっと渋めの豊科、坂城が長野県の「卓邑」です。安曇野市の【前身】にDIDのない穂高がなっていることに異論を唱える方もいるでしょうけど、あの、まさに「田園都市」的雰囲気、嫌いではありません。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)-----2000年(人口)
一種一級茅野(7)茅野市茅野市35,220茅野市54,841
一種二級更埴(8)千曲市更埴市32,807更埴市39,402
二種二級穂高(0)安曇野市穂高町19,711穂高町30,966
二種三級東部(7)東御市東部町19,533東部町25,437
二種三級辰野(8)辰野町辰野町19,228辰野町22,407
二種三級豊科(5)(安曇野市)豊科町18,629豊科町27,079
二種三級箕輪(8)箕輪町箕輪町17,495箕輪町25,661
四級坂城(7)坂城町坂城町14,430坂城町16,830
四級戸倉(7)(千曲市)戸倉町13,372戸倉町18,326
(参考)
臼田(4) (佐久市)臼田町15,972臼田町15,962
山ノ内(4)山ノ内町山ノ内町19,645山ノ内町15,900

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99877] 2020年 6月 3日(水)08:34:46白桃 さん
名邑三世代.その26(長崎県・前編)
【明治の名邑】
長崎県を料理に例えるなら、一種独特の風味があって、ほとんどの方はその美味しさをわからないまま食している、実は白桃もよく分かっていないのですが、それでもいきますよ。
長崎は文句なしの「別格市街」。人口急増で村から(町を飛び越えて)市となった軍港・佐世保は「市街」。名邑筆頭は厳原、続いて、白桃ルールによって島原市の【前身】となる湊と【前身】とならなかった島原。名邑代表は湊に委嘱。諫早→平戸→大村の序列は平戸→大村→諫早でも良いかも。そして19世紀枠で福江、富江、茂木を追加した長崎県の【明治の名邑】は計11。茂木びわ食べたい。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)-----1908年(人口)
別格市街長崎長崎市長崎38,229長崎市176,480
市街佐世保佐世保市佐世保4,844佐世保市93,051
名邑厳原対馬市厳原7,562厳原町12,587
名邑島原市嶋原※17,593湊町6,746
名邑島原(島原市)島原町5,469
名邑諫早諫早市諫早※4,865諫早町4,051
名邑平戸平戸市平戸※10,775平戸町3,215
名邑大村大村市大村※9,814大村町2,549
19世紀福江五島市福江 8,976福江村9,848
19世紀富江(五島市)富江8,917富江村11,265
19世紀茂木(長崎市)茂木8,653茂木村10,809
嶋原※・・・町村制施行後の島原町、湊町、島原村の境域にあたると思われる。
諫早※・・・町村制施行後の諫早町、諫早村の境域にあたると思われる。
平戸※・・・町村制施行後の平戸町、平戸村の境域にあたると思われる。
大村※・・・町村制施行後の大村町、大村、西大村にあたると思われる。

つづいて「準名邑」
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
小浜(雲仙市)小浜第一表6,614小浜村8,690
口之津(南島原市)口之津第一表6,498口之津村11,602
川棚川棚町川棚第一表6,136川棚村7,076
人口的には「名邑」の要件を備えている街が非常に多い長崎県の「準名邑」選びは、難航の末、戸口表第一表に記載され、その人口が5千人以上で、戦前に町制施行の上記三つの街となりました。
以下、「準名邑」に近い街を参考として列挙します。
(参考)現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
時津時津町時津第一表5,407時津村5,307
矢上(長崎市)矢上第一表5,309矢上村6,111
瀬戸(西海市)瀬戸第一表4,978瀬戸村6,511
山口(佐世保市)山口第一表4,940山口村8,505
彼杵東彼杵町彼杵第一表4,676彼杵5,348
有川新上五島町有川第一表4,606有川村7,864
佐々佐々町佐々第一表3,404佐々村5,745
神代(雲仙市)神代第一表3,254神代村3,663
深堀(長崎市)深堀第一表3,167深堀村3,490
早岐(佐世保市)早岐第一表3,046早岐村4,709
西有家(南島原市)西有家村第三表10,012西有家村11,714
南有馬(南島原市)南有馬村第三表8,900南有馬村8,557
加津佐(南島原市)加津佐村第三表7,828加津佐村10,391
深江(南島原市)深江村第三表7,122深江村8,147
千々和(雲仙市)千々石村第三表6,904千々石村8,745
北有馬(南島原市)北有馬村第三表6,662北有馬村7,508
高島(長崎市)高島村第三表6,415高島村3,688
東有家南島原市東有家村第三表6,272東有家村7,462
岐宿(五島市)岐宿村第三表6,123岐宿村8,198
三重(長崎市)三重村第三表6,018三重村7,096
布津(南島原市)布津村第三表5,924布津村6,688
神浦(長崎市)神浦村第三表5,756神浦村6,696
上波佐見波佐見町上波佐見村第三表5,727上波佐見村6,835
南串山(雲仙市)南串山村第三表5,513南串山村6,221
式見(長崎市)式見村第三表5,433式見村6,684
黒崎(長崎市)黒崎村第三表5,424黒崎村6,456
江ノ浦(諫早市)江ノ浦村第三表5,323江ノ浦村5,723
長与長与町長與村第三表5,242長與村5,600

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99881] 2020年 6月 5日(金)00:00:42【3】白桃 さん
名邑三世代.その27(長崎県・後編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
長崎県の【秀邑】は、炭鉱の街として賑わった崎戸を筆頭に、南高来からは西有家、口之津、加津佐、小浜、南有馬、上五島の有川(第50代横綱・佐田の山の出身地)、東彼杵の上波佐見、川棚に北松浦の生月と計十の街であります。
注目されるのは、「平成の大合併」の中でも「多数町合併」によって誕生した西海市、雲仙市、南島原市の【前身町】は、どこも「秀邑」となっていないのであります。とりわけ、南島原に至っては、西有家、口之津、加津佐、南有馬と四つの街が「秀邑」となっているのにもかかわらず、【前身】の有家※(ありえ)の名が見当たらない。そんなことは有家ない、と冗談を言っている場合ではありません。そして、長崎県10の「秀邑」の中で、「卓邑」の要件を満たしているのは川棚だけであることからも、長崎の「秀邑」の殆んどは、全盛期の人口はそれなりのものがありましたが、恒久的な市街地を形成することもなく、後に衰退していく運命にあるのです。特に現在の南島原市には旧8町のどこもが、これと言った市街地を形成していないのですが、このことは、「島原の乱」後、無人の荒野と化したこの地へ、幕府領小豆島や各藩からの強制移住があったことと関係しているのではないかと白桃は邪推しています。
※有家の名誉の為に言っておきますが、南島原市旧8町の中で、町制施行が一番早かったのは有家です。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)-----1950年(人口)
二種二級崎戸(西海市)崎戸村12,825崎戸町22,723
二種三級西有家(南島原市)西有家村10,528西有家町14,071
二種三級口之津(南島原市)口之津村9,198口之津町10,614
二種三級加津佐(南島原市)加津佐村9,093加津佐町12,349
二種三級有川新上五島町有川村8,596有川町12,208
二種三級小浜(雲仙市)小浜村8,580小浜町13,172
二種三級南有馬(南島原市)南有馬村8,345南有馬町10,824
二種三級生月(平戸市)生月村7,752生月町10,718
二種三級上波佐見波佐見町上波佐見村7,180上波佐見町10,420
二種三級川棚川棚町川棚村6,934川棚町15,936
準秀邑
高島(長崎市)高島村8,907高島町10,400
岐宿(五島市)岐宿村7,584岐宿町10,021
佐々佐々町佐々村5,978佐々町20,166
鹿町(佐世保市)鹿町村5,966鹿町町20,405
小佐々(佐世保市)小佐々村5,932小佐々町15,275
(参考)
世知原(佐世保市)世知原村4,796世知原町10,222
江迎(佐世保市)江迎村4,706江迎町16,894
奈良尾(新上五島町)奈良尾村4,615奈良尾町10,790
小値賀小値賀町笛吹村4,462小値賀町10,968
新御厨松浦市御厨村4,236新御厨町10,594
大島(西海市)黒瀬村3,695大島町15,095
福島(松浦市)福島村5,997福島村11,094
長与長与町長與村5,370長与村10,979

注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
長崎県の【卓邑】は、(炭鉱の街)であった・松浦、と長崎市近郊の長与、時津と現在は長崎市となった高島、外海、の五つです。別に強調したくないのですが、松浦のDIDが0回は何とも言えません。「軍艦島」のある高島も、「卓邑」とは言え、長崎市に吸収される前に事実上の「廃村」となっていました。なお、外海にあったDIDを、白桃は「神浦池島」と名付けていますが、千本桜さんの「池島」の方が的確ですね。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)-----2000年(人口)
一種二級松浦(0)松浦市松浦市44,057松浦市22,082
二種三級長与(5)長与町長与村11,500長与町40,356
四種高島(6)(長崎市)高島町20,938高島町900
四種時津(5)時津町 時津町8,768時津町28,065
四種外海(5)(長崎市)外海町12,600外海町7,405
(参考)
多良見(3)(諫早市)多良見村9,324多良見町17,056
大島(2) (西海市)大島町18,373大島町6,055

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99899] 2020年 6月 11日(木)18:08:16白桃 さん
名邑三世代.その28(富山県)
富山県は市町村合併が進行した結果、現在は15市町村のみとなっていますが、舟橋村を除いた14市町に【明治の名邑】・【卓邑】併せて26が存在する「名邑県」です。
【明治の名邑】
富山は文句なしの「別格市街」、高岡の「市街」は当然として、いっとき高岡と一緒になっていた新湊も「市街」に喰いこんでいます。名邑筆頭の魚津は、62年前、板東英二と投げ合った村椿投手を思い出します。氷見、滑川あたりは名優でも上級の方、石動に続く八尾に名邑代表となってもらいますが、あの越中おわら節の胡弓の音色、何とも言えないです。現在、富山市となっているところからは八尾の他に東岩瀬、東水橋、四方が入ります。現在の南砺市からは瑞泉寺と木彫の井波、城端、福光。この三つは捨てがたい。中でも福光の街の立派さには驚きました。あと、黒部市の【前身】ではない生地、泊、伏木、上市、小杉と名邑合計19。充実してます。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)-----1908年(人口)
別格市街富山富山市富山53,556 富山市57,437
市街高岡高岡市高岡17,974高岡市33,603
市街新湊射水市新湊15,762新湊町16,988
名邑魚津魚津市魚津11,540魚津町13,892
名邑氷見氷見市氷見10,595氷見町12,983
名邑滑川滑川市滑川8,896滑川町10,078
名邑石動小矢部市今石動7,828石動町8,815
名邑八尾(富山市)八尾 6,267八尾町6,986
名邑東岩瀬(富山市)東岩瀬6,208東岩瀬町7,505
名邑井波(南砺市)井波5,164井波町5,318
名邑生地(黒部市)生地5,012生地町5,453
名邑東水橋(富山市)水橋※6,230東水橋町5,564
名邑朝日町4,846 泊町6,292
名邑伏木(高岡市)伏木 4,692伏木町8,040
名邑城端(南砺市)城端4,614城端町4,312
名邑福光南砺市福光4,477福光5,037
名邑四方(富山市)四方4,216四方町5,044
名邑上市上市町上市4,152上市町4,450
名邑小杉(射水市)小杉三ヶ3,664小杉町5,111
水橋※・・・町村制施行後の西水橋町の境域も含んでいると考えます。

つづいて「準名邑」等
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年人口)
大門(射水市)大門新第一表2,627大門町1,923
新庄(富山市)新庄新町第一表1,667新庄町3,210
町新庄第一表1,239(新庄町)
(参考)
福野(南砺市)福野第一表2,492福野町3,088
三日市黒部市三日市第一表2,363三日市町3,448
入善入善町入膳第一表2,242入善町2,945
砺波市杉木新第一表1,843出町4,721
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

「明治の名邑」で出尽くしたという訳でもないのですが、【秀邑】 はありません。
(参考)
名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
砺波市出町5,017出町6,868
雄山立山町五百石町3,603雄山町12,471
福野(南砺市)福野町3,431福野町12,538
桜井黒部市三日市町3,272桜井町22,721
雄山、福野、桜井いずれも途中で合併を行った結果の人口増です。

注:(人口)は国勢調査人口

【昭・平の名邑】=【卓邑】
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)-----2000年(人口)
一種二級砺波(3)砺波市砺波市36,453砺波市40,744
一種二級黒部市(7)黒部市黒部市31,968黒部36,531
二種二級婦中(2)(富山市)婦中町23,928婦中町34,528
二種三級立山(0)立山町立山町31,285立山町27,994
二種三級入善(6)入善町入善町29,658入善町28,276
二種三級大沢野(0) (富山市)大沢野町17,705 大沢野町22,642
四種福野(5)(南砺市)福野町16,386福野町14,682
やっと「名邑」となった砺波ですが、現在の砺波市にDIDは存在しません。「散居村」の名残でしょうか?、中心の出町も結構しっかりした街並みだと感じたのですが・・・
卓邑名が「黒部市」となっているのは、すでに生地が【明治の名邑】になっているからで、「黒部市」の【前身町】は桜井町で、【初代前身町】は三日市町となります。
入善のジャンボすいか、一人で食べられるのか???

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99925] 2020年 6月 21日(日)05:57:11白桃 さん
名邑三世代.その29(鳥取県)
シンプル鳥取県
【明治の名邑】
鳥取県の「明治の名邑」は、鳥取と米子が二つの「市街」に、倉吉(名邑筆頭)、境、赤碕の5つです。期待どおり?5つしかありません。でも、鳥取県より少ないのが、次の次で出てきます。乞うご期待。予想に反して名邑に選ばれ、千秋楽で思ってもみなかった「三役揃い踏み」をやることになった平幕力士のようにソワソワしている赤碕に名邑代表になってもらいましょう。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
市街鳥取鳥取市鳥取28,275鳥取市32,682
市街米子米子市米子11,860米子町19,291
名邑倉吉倉吉市倉吉7,095倉吉町8,121
名邑境港市4,139境町5,982
名邑赤碕(琴浦町)赤崎 3,107赤碕町3,912
「準名邑」はありません。
(参考)現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
淀江(米子市)淀江第一表2,449淀江町3,771
鹿野(鳥取市)鹿野第一表2,362鹿野町3,254
八橋琴浦町八橋第一表2,042八橋町3,028
若桜若桜町若桜第一表1,735若桜村※3,113
御来屋大山町御来屋第一表1,729御来屋町1,933
青谷(鳥取市)青谷第一表2,789青谷村3,417
賀露(鳥取市)賀露第二表2,879賀露村3,127
※若桜村は1909年に若桜町となります。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【秀邑】もありません。参考までに
名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
智頭智頭町智頭町3,243智頭町13,145
若桜若桜町若桜町6,236若桜町7,132
注:(人口)は国勢調査人口

【卓邑】もありません。参考までに
名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
岩美岩美町岩美町19,350岩美町14,015
注:(人口)は国勢調査人口
[99929] 2020年 6月 24日(水)08:04:46白桃 さん
名邑三世代.その30(栃木県・前編)
【明治の名邑】
栃木県の「明治の名邑」は、宇都宮と足利の二つの「市街」、名邑筆頭の鹿沼に続く、佐野、旧)県庁所在地の栃木、壬生、大田原、日光、真岡に19世紀枠の足尾を加えた十です。アラ、ハテ、当然入ると思っていたところが入っていませんネ。
栃木は明治12年の共武政表では栃木町14,633人となっており「戸口表」の数字とかけ離れています。「戸口表」の第三表には栃木城内村をはじめ、千人を超える5~6の村(町村制施行同時に栃木町となる)が記載されており、「町場」の範囲をどこまでとるかの違いだと思われます。
名邑代表には、かつて行われた(ことになっている)「東かがわ市より市らしい町」全国大会[45435]で優勝した壬生が満場一致?で選ばれました。
足尾は「戸口表」第三表となっておりますが、人口的には鹿沼・佐野・栃木(これを「下野三羽烏」と言いますが、烏山は入っていません)の上をいっています。これを名邑にしなければ、お天道様が許してくれませんぜ。
なお、栃木県は「戸口表」第二表に記載されたところがありません。因みに栃木県同様「二表なし」は、京都、新潟、滋賀、岐阜、福島、岩手、富山、島根、徳島、沖縄と北海道です。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
市街宇都宮宇都宮市宇都宮町20,475宇都宮市47,114
市街足利足利市足利町14,632足利町38,908
名邑鹿沼鹿沼市鹿沼宿6,922鹿沼町12,728
名邑佐野佐野市佐野町6,815佐野町12,405
名邑栃木栃木市栃木町5,591栃木町26,301
名邑壬生壬生町壬生町4,845壬生町7,517
名邑大田原大田原市大田原宿4,405大田原8,427
名邑日光(日光市)日光町3,495日光町10,229
名邑真岡真岡市真岡町3,110真岡町7,406
19世紀足尾(日光市)足尾村6,309足尾町28,618

続いて「準名邑」
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)----- 1908年(人口)
喜連川(さくら市)喜連川宿第一表2,975喜連川町7,823
藤岡(栃木市)藤岡町第一表2,889藤岡町4,535
烏山那須烏山市烏山町第一表 2,844烏山町4,982
葛生(佐野市)葛生町第一表2,765葛生町6,281
今市日光市今市宿第一表2,501今市町9,648
現在のさくら市ですが、明治期には氏家より喜連川が人口も「格」も上位にありました。アラ、あそこがまだ出てこない。

では、(参考)を見ることにしましょう。
(参考)現自治体---1886年 戸口表(人口)-----1908年(人口)
犬伏(佐野市)犬伏宿第一表2,339犬伏町5,968
小山小山市小山宿第一表2,273小山町6,965
黒羽(大田原市)黒羽町第一表2,268黒羽町5,645
佐久山(大田原市)佐久山宿第一表1,966佐久山町3,471
堀米(佐野市)堀米町第一表1,913堀米町3,182
茂木茂木町茂木町第一表1,885茂木町8,327
田沼(佐野市)田沼宿第一表1,885田沼町12,890
芦野那須町蘆野宿第一表1,601蘆野町3,843
石橋(下野市)石橋宿第一表883石橋町2,713
上三川上三川町上三川村第三表2,206上三川町5,312
益子益子町益子村第三表2,031益子町7,391
氏家さくら市氏家宿第三表1,712氏家町6,189
馬頭那珂川町馬頭村第三表1,211馬頭町6,401
矢板矢板市 記載なし矢板町5,602
犬伏は「犬伏の別れ」で有名ですが、何かの本には、真田親子は東西(徳川・石田)に分かれることを決めたのは、ここでは無かったと書いてありました。
小山がやっと登場しますが、1912年(明治45年)東那須野村が分離して町となった黒磯の名前はまだ出しません。って出している。(笑)
茂木、田沼などは後編で触れますが、矢板の名前が「戸口表」に出てこないのがどうも解せません。

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[99938] 2020年 6月 27日(土)07:30:08白桃 さん
名邑三世代.その31(栃木県・後編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
栃木県の「秀邑」は、「準名邑」であった今市、烏山、葛生に加え、小山、田沼、茂木と「戸口表」第一表に記載された街、さらに矢板、氏家、馬頭、益子、黒磯、ま、これぐらいかと思っていたら、間々田、山辺まで計13と数的には充実しています。少し脱線しますが、田沼は田沼氏の家祖が領した地であると伝えられております。また、茂木は「もてき」ではなく「もてぎ」で、ここにあるテーマパークの名は「ツインリング」ではなく「ツインリンクもてぎ」です。現在、激しい人口減少に悩む町では、活性化のために「♪モテキが俺を呼んでいる」という歌を流して…はいないようです。
「準秀邑」は赤見だけですが、(参考)の如く「昭和の大合併」前夜には、宇都宮周辺のみならず県のあちこちに1万人超の「村」が湧いてきています。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
二種二級小山小山市小山町10,769小山町21,439
二種三級田沼 (佐野市)田沼町12,595田沼町16,992
二種三級今市日光市今市町10,386今市町18,044
二種三級矢板矢板市矢板町8,340矢板町15,256
二種三級氏家さくら市氏家町7,854氏家町14,199
二種三級茂木茂木町茂木町7,600茂木町11,098
二種三級馬頭那珂川町馬頭町7,288馬頭町10,213
二種三級益子益子町益子町7,023益子町11,697
二種三級黒磯那須塩原市黒磯町6,165黒磯町10,952
二種三級烏山那須烏山市烏山町6,070烏山町10,939
二種三級葛生(佐野市)葛生町5,915葛生町11,112
二種三級間々田(小山市)間々田村5,455間々田町10,304
二種三級山辺(足利市)山辺村5,151山辺町13,835
「準秀邑 」
赤見(佐野市)赤見村7,789赤見町10,582
(参考)
西那須野(那須塩原市)西那須野村5,058西那須野町9,816
那須(那須町)那須村11,591那須村19,700
城山(宇都宮市)城山村9,843城山村13,349
北高根沢(高根沢町)北高根沢村8,654北高根沢村12,531
金田(大田原市)金田村8,312金田村13,548
野木野木町野木村7,982野木村11,018
毛野(足利市)毛野村7,601毛野村10,462
山前(真岡市)山前村6,768山前村10,947
国本(宇都宮市)国本村6,736国本村12,257
平石(宇都宮市)平石村6,364平石村11,179
姿川(宇都宮市)姿川村6,063姿川村14,244
清原(宇都宮市)清原村6,060清原村10,090
大谷(小山市)大谷村5,519大谷村10,155
狩野(那須塩原市)狩野村5,344狩野村10,214

注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
栃木県は「卓邑」もしっかりしています。西那須野、那須町、高根沢、上三川、石橋、河内の六つ。加えて、大平と南河内が「準卓邑」になります。「準名邑」であった藤岡が何にもなれず消え去っていくのが残念。なお、卓邑名を「那須」ではなく「那須町」としたのは、那須町の「前身」は那須村ではなく芦野町であることからです。正直言って、「現在の那須町の中心が芦野だ」と誰も思っていないことはわかっています。♪わかっちゃいるけどやめられない。このあたり、自分で作ったルールに自分自身縛られているようです。縛られていると言えば、下野市の「前身」を「卓邑」の石橋ではなく、「準卓邑」の南河内にしているのも何となく辛い。♪つ~らい恋ならネオンの…そこまで。関連するのが下野市のDID。合併によって旧)南河内と旧)国分寺のDIDが一つとなり、DID人口22,487人(2015年)。一方、旧)石橋のDID人口は10,593人(2015年)となっています。
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
二種二級西那須野(9)(那須塩原市)西那須野町18,614西那須野町43,186
二種二級那須町(0) 那須町那須町30,359那須町27,027
二種三級高根沢(0) 高根沢町高根沢町21,479高根沢町29,777
二種三級上三川(0) 上三川町上三川町17,766上三川町29,421
四種石橋(8)(下野市)石橋町12,168石橋町19,498
四種河内(5)(宇都宮市)河内村13,400河内町34,310
「準卓邑 」
大平(4) (栃木市)大平村17,228大平町28,490
南河内(2)下野市南河内村10,326南河内町21,235
(参考)
黒羽(0) (大田原市)黒羽町22,345黒羽町17,034
藤岡(0) (栃木市)藤岡町20,299藤岡町19,110
国分寺(2)(下野市)国分寺町9,907 国分寺町16,714
野木(3)野木町野木村9,974野木町26,674

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99942] 2020年 6月 29日(月)10:34:49白桃 さん
名邑三世代.その32(徳島県)
仕事に就いていたとき、地域伝統芸能のイベントで日本三大盆踊りの二つ、「西馬音内盆踊り」「郡上おどり」は見させていただきましたが、ナマ(現地で)のは見ていません。そして、残りの一つ「阿波踊り」(今年は新型コロナで中止とか)なんですが、これもナマで見たことはないのです。三本松から一時間もあれば徳島に行けたのですが、いつか見れるだろうという気持ち、よりも「県境をまたぐ移動」を控えた?気持ちが邪魔をしたのかもしれません。さすがに鳴門だけは何回も行っていますが、高松に行ったのを10とすれば、徳島(市内)へは1も無いのでは。まして、徳島の先へは学生時代に相生(東かがわ市の相生ではなく兵庫県相生市)の友人とただ牟岐線を乗りたくて富岡(阿南市)まで行った一回だけ。十番札所切幡寺から霊山寺までお参りしたことはあるのですが、徳島本線沿いでは鴨島(吉野川市)に行ったぐらい。脇町のうだつも土柱(阿波市)も知りません。かずら橋は渡りましたが、それは仕事での話。阿波池田のアーケード街は直に見た記憶があるのですが、ともかく、あんまり知らない徳島県です。でも、このシリーズ初めての四国なんで前置きを長くしました。('◇')ゞ

【明治の名邑】
徳島(市)は、今でこそ四国四県庁所在地の中で人口最少になってしまいましたが、明治初期には全国で十指に数えられる大都会でしたから「別格市街」も当然です。撫養(鳴門の「前身町」)も「市街」。名邑筆頭、と言っても二枚目以下は無いので「名邑幕尻」とも言えるのですが、小松島になります。1958年(昭和33年)に阿南市が出来るまで、徳島、鳴門、小松島の街は、「全国で市の数最少の徳島県」の看板をしょって立つ(少し意味が違いますか?)のです。このように、【明治の名邑】が三つしかないので、本来はヒラの名邑にお願いする「名邑代表」を、うや撫養にしときましょう。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
別格市街徳島徳島市徳嶋57,456徳島市65,561
市街撫養鳴門市撫養17,075撫養町18,837
名邑小松島小松島小松島浦3,917小松島町13,052

続いて「準名邑」
「準名邑」は脇町、池田、貞光の三つ。原則として、「戸口表」人口が2,500人以上でないと「準名邑」にはしないのですが、脇町は徳島県でたった二つしかない「生まれながらの町」(もう一つは撫養)であること、池田は町村制施行後の境域に第三表に記載された池田村(2,644人)が含まれていることから「準名邑」としました。
なお、脇町を「脇」としなかったのは、美馬市の前身町となる脇町(その前身は江原町)と区別するためです。愛着を込めて「脇町」と呼ばれる本来の脇町を「脇」とするのは抵抗感があります。「脇」としたのでは「うだつ」も上がらない?
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
脇町※(美馬市)脇町第一表2,483脇町 7,076
池田※三好市池田第一表1,482池田町6,403
貞光つるぎ町貞光村第三表3,399貞光町5,744
(参考)
富岡阿南市富岡第一表2,188富岡町7,077
日和佐美波町日和佐浦第一表1,571日和佐町4,685
川田(吉野川市)川田村第三表5,848川田村6,842
一條(阿波市)西條村第三表5,077一條村5,546

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
徳島県の「秀邑」は牟岐ひとつ。その牟岐ですが、今はまったく元気がありません。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
二種三級牟岐牟岐町牟岐町7,774牟岐町10,521
(参考)
富岡阿南市富岡町6,332富岡町9,575
池田三好市池田町5,954池田町9,801
山城谷(三好市)山城谷村8,627山城谷村10,303

注:(人口)は国勢調査人口

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
徳島県の「卓邑」は市制施行の阿南、菊人形の鴨島、地味?な石井、高校野球の「聖地」池田、人口密度四国ナンバーワンの北島、の五つです。
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
一種一級阿南(5)阿南市阿南市60,110阿南市56,728
二種三級鴨島(5)吉野川市鴨島町24,119鴨島町25,288
二種三級石井(0)石井町石井町21,505石井町26,023
四種池田(9)三好市 池田町28,403池田町17,163
四種北島(5)北島町北島町10,312北島町19,823
準卓邑
藍住(0) 藍住町藍住町9,912藍住町30,368
参考
脇(0)美馬市脇町21,820脇町18,376

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[99976] 2020年 7月 11日(土)07:23:05白桃 さん
名邑三世代.その33(東京都・前編)
本題に入る前に:
私にしては大分間のあいた書き込みですが、体調を崩していたわけではありません。体内のアルコール分が枯渇してエネルギー不足に陥っていただけです。昨晩、補給しましたので活動再開です。
[99969]ピーくん さん
新型コロナウイルスの影響で国勢調査の速報値の公表が来年2月から6月になりました。
確報値も公表が遅れますね。仕方ないとはいえ、調査から一年以上たってからの結果発表なんて、今の時代ありえない、と思うのですが…。それと、ネットでの調査回答を勧めていること、調査員が調査票回収にあたらないこと、これで正確な調査が行われるのか大変不安です。
・・・
【明治の名邑】
東京に関しては、名邑の選別にあたってアヤフヤな点が多くモヤモヤしているのですが、結城をもって決断しました。
言うまでもなく東京は「特選市街」、品川、八王子、千住の「市街」も納得です。大森の名邑筆頭は少し意外ですが、内藤新宿、府中、板橋、青梅、調布と続く「名邑」陣は順当な結果でしょう。お江戸日本橋から数えて最初の五街道宿場町(日光と奥州は共通なので四街道?は千葉県)がすべて入っています。そのうちの一つ、いち早く東京市に編入された内藤新宿クンに名邑代表をお願いしましょう。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
特選市街東京東京都東京1,121,883東京市2,186,079
市街品川(東京都)品川宿15,874品川町18,056
市街八王子八王子市八王子15,775八王子町27,550
市街千住(東京都)千住12,506千住町22,739
名邑大森(東京都)大森村9,040大森町13,738
名邑内藤新宿 (東京都)内藤新宿6,140内藤新宿町11,147
名邑府中府中市府中駅4,597府中町5,476
名邑板橋(東京都)下板橋宿4,349板橋町10,208
名邑青梅青梅市青梅町3,362青梅町6,174
名邑調布調布市布田五宿3,167調布町4,331

続いて「準名邑」
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
日暮里(東京都)金杉村※第一表4,428日暮里村8,751
大井(東京都)大井第二表4,676大井町16,010
南千住(東京都)千束※第二表3,446南千住町17,021
「アヤフヤな点が多くモヤモヤしている」総本山が「準名邑」
金杉村※・・・一部は東京市になったのですが、「本体」は日暮里村となったということで、日暮里を「準名邑」としましたが、どうもすっきりしません。
千束※・・・金杉村の3倍ぐらいモヤモヤしています。南千住町は、千住南組の大部分、千束村の一部…(以下略)で出来上がったのですが、問題は「戸口表」第二表に記載された「千束」がどこのことを指しているのかということです。千束村のことを指しているのであれば、南千住は「準名邑」から外れることになります。ですが、明治12年(1879年)の共武政表では
千束村1,113
千住南組2,335
となっており、また千住大橋から南一帯を「千束郷」と呼んでいたことから、「戸口表」の「千束」は千住南組も含んでいるのでは、と勝手に解釈した次第です。
(参考)は適当に見繕って作りました。
(参考)現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
田無(西東京市)田無町第一表2,368田無町2,994
日野日野市日野宿第一表2,353日野町5,127
五日市(あきる野市)五日市町第一表1,509五日市町2,645
新宿※(東京都)新宿町第一表1,366新宿町1,456
箱根ヶ崎瑞穂町箱根ヶ崎村第一表1,115箱根ヶ崎村1,600
氷川奥多摩町氷川村第一表1,095氷川村3,422
町田町田市原町田村第一表811町田村3,809
王子(東京都)王子第二表2,134王子町17,793
岩淵(東京都)岩淵本宿第二表 1,368岩淵町6,878
中野(東京都)中野村第三表3,602中野町10,042
羽田(東京都)羽田村第三表3,181羽田町13,318
淀橋(東京都)角筈村第三表3,126淀橋町18,082
千駄ヶ谷(東京都)千駄ヶ谷村第三表2,783千駄ヶ谷町20,207
渋谷(東京都)下渋谷村第三表1,910渋谷村※27,203
砂川(立川市)砂川村第三表3,885砂川村5,160
新宿※・・・「新宿ブルース」「新宿サタデーナイト」「新宿情話」「新宿そだち」「新宿の女」そして「新宿・みなと町」ン?の新宿ではなく、現在葛飾区となっている新宿(にいじゅく)です。
渋谷村※・・・1909年に渋谷町に

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します
[99979] 2020年 7月 12日(日)07:52:30白桃 さん
名邑三世代.その34(東京都・中編)
【秀邑】
東京都の「秀邑」はこの期に市となった武蔵野、立川と二種の条件をクリアした三鷹、日野の計四つです。
三鷹は、級においては武蔵野や立川より上になっています。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
一種三級武蔵野武蔵野市武蔵野村4,931武蔵野市73,149
一種三級立川立川市立川村4,633立川市51,651
二種二級三鷹三鷹市三鷹村5,725三鷹町54,820
二種三級日野日野市日野町5,033日野町18,108

続いて「準秀邑」と「準秀邑」にも成れなかった街々です。
準秀邑現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
東村山東村山市東村山村7,798東村山町17,993
小平小平市小平村6,068小平町21,659
(参考)
町田町田市町田町4,890町田町20,606
国分寺国分寺市国分寺村4,618国分寺町19,125
小金井小金井市小金井村3,866小金井町22,604
保谷西東京市保谷村3,594保谷町14,816
福生福生市福生村3,073福生町14,669
昭和昭島市中神村1,186昭和町24,059
村山武蔵村山市村山村7,165村山村10,989
(青梅市)霞村6,261霞村10,403
砂川(立川市)砂川村5,354砂川村11,567
大和東大和市大和村5,017大和村12,366
神代(調布市)神代村3,967神代村12,040
清瀬清瀬市清瀬村3,083清瀬村11,610
狛江狛江市狛江村2,679狛江村10,124
谷保国立市谷保村2,611谷保村14,333
神代村は調布と合併する前に神代町となっています。

注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

この期には、東京に吸収された数多くの町村があります。以下は1930年(昭和5年)国勢調査で3万人を超えていた39の町とその人口です。(◎は名邑、〇は準名邑)
荏原132,108-----大井〇70,080-----板橋◎44,717
西巣鴨115,654千住◎69,085蒲田44,030
渋谷102,056目黒67,236巣鴨43,239
滝野川100,746亀戸65,174大島43,140
王子89,009淀橋57,313碑衾40,972
中野87,263南千住〇56,010千駄ヶ谷40,900
吾嬬80,985品川◎55,639小松川39,928
三河島80,217大崎53,777岩淵37,664
杉並79,193寺島49,45734,657
尾久73,368高田48,542大久保33,815
世田谷73,110野方46,835戸塚31,781
日暮里〇71,021大森◎46,055駒澤31,043
代々幡70,577入新井45,209落合30,593
現在の新宿、池袋、高田馬場が何という町であったかお判りになりますか?
[99993] 2020年 7月 18日(土)05:03:01【1】白桃 さん
名邑三世代.その35(東京都・後編)
【卓邑】(昭・平の名邑)
東京都の「卓邑」は、現在の26市のうち、「名邑」八王子・府中・青梅・調布と「秀邑」武蔵野・立川・三鷹・日野の8市を除いた18市に瑞穂町の1町を加えた19、あれ、一つ多い、そうなんです。西東京市は保谷と田無で2つですから合計20あります。
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
一種一級町田(9)町田市町田市71,269町田市377,494
一種一級小金井(9)小金井市小金井市45,734小金井市111,825
一種一級昭島(9)昭島市昭島市44,805昭島市106,532
一種一級小平(9)小平市小平町52,923小平市178,623
一種一級保谷(9)西東京市保谷町46,768保谷市102,720
一種一級東村山(9)東村山市東村山町42,946東村山市142,290
一種一級国分寺(9)国分寺市国分寺町39,098国分寺市111,404
一種一級国立(9)国立市国立町32,609国立市72,187
一種一級田無(9)(西東京市)田無町31,323田無市78,165
一種二級狛江(9)狛江市狛江町25,252狛江市75,711
一種二級福生(9)福生市福生町21,998福生市61,427
一種二級東久留米(8)東久留米市久留米町19,637東久留米市113,302
一種二級清瀬(9)清瀬市清瀬町17,863清瀬市68,037
一種二級あきる野(7)あきる野市秋多町14,433あきる野市78,351
一種二級東大和(8)東大和市大和町14,239東大和市77,212
一種二級武蔵村山(7)武蔵村山市村山町12,065武蔵村山市66,052
一種二級稲城(7)稲城市稲城町11,012稲城市69,235
一種二級羽村(8)羽村市羽村町11,003羽村市56,013
一種三級多摩(7)多摩市多摩村9,746多摩市145,862
二種三級瑞穂(7)瑞穂町瑞穂町12,092瑞穂町32,892
(参考)
名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
八丈(1)八丈町八丈町11,818八丈町9,488
日の出(3)日の出町日の出村8,047日の出町16,631
伊豆大島には無いDIDが八丈島にあったとは、宇喜多秀家も知るまい。

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数

ついでに:
[99988]にてデスクトップ鉄さんにフォローいただいた件、♪まあるい緑の山手(やまのて)線、♪花の東京のド真ん中ぐるり回るは山手(やまて)線 、の駅だけですが、所在地を記載しときます。デスクトップ鉄さん、誤りがあればご指摘ください。
所在地恋の山手線---所在地恋の山手線
上野東京市下谷区♪上野オフィスの渋谷渋谷町♪渋谷顔など
鶯谷東京市下谷区恵比寿渋谷町
日暮里日暮里町目黒大崎町
田端滝野川町五反田大崎町
駒込巣鴨町大崎大崎町♪まず大崎は
巣鴨巣鴨町品川東京市芝区
大塚西巣鴨町♪始め大塚田町東京市芝区
池袋西巣鴨町浜松町東京市芝区
目白高田町新橋東京市芝区
高田馬場戸塚町有楽町東京市麹町区
新大久保大久保町東京東京市麹町区♪素ッ東京な
新宿淀橋町神田東京市神田区
代々木千駄ヶ谷町♪代々木泣くのは秋葉原東京市神田区
原宿千駄ヶ谷町御徒町東京市下谷区
※♪恋の山手線
この歌は1964年に作られ、上野から始まります。山手線の当時あった28駅のうち26駅が歌詞に入っています。なぜだか、「新大久保」「浜松町」の二駅は入っていません。歌詞を全部書くとマズイので一部だけ
[100027] 2020年 7月 25日(土)18:41:04白桃 さん
名邑三世代.その36(千葉県・前編)
千葉県の住人になってもう40年。なのに、千葉県民という意識はまったくない白桃です。千葉市より「先」に住んでいたら「千葉県民」という意識も持ったかもしれないのですが、東京に隣接する浦安では・・・。旅行先でも「千葉県に住んでます。」って言ったことはなく、(東京より向こうは闇夜の国)だと思っている人もいる四国に戻ったときは「東京に住んでます。」と言ってました。・・・でも、これからは「東京から来ました。」って言ったら煙たがられるのだろうか???
それでは・・・今回はいよいよ【地元】千葉県の名邑を吟味します。
【明治の名邑】
「市街」は千葉と本銚子。なお、「戸口表」に記載された「銚子:25,766人」は町村制施行後の本銚子町と銚子町を併せていると考え
ています。その片割れの銚子が「名邑」の一番上になっておりますが、名邑筆頭は船橋にしときましょう。平手造酒の耳にも佐原囃子が届いたほど水運で繁栄した佐原、次いで大原。「戸口表」に書かれた「中魚落」の読み方は「なかいおち」です。佐原が「佐原ばやし」なら木更津は「狸ばやし」です。続く佐倉は、四週間に一度行くと必ず「お酒は飲んでないでしょうね」と訊く先生のいる病院(順天堂)の発祥地です。(注:あのミスタージャイアンツの出身は臼井です。エ~、それからコノ落書き帳の・・・やめときましょう。)そして、♪ここは関宿 大利根川へ~そうなんです。野田は「名邑」ではなく、関宿が「名邑」それも「千葉県名邑協会代表」なんです。続いて、福岡。八日市場とモトの名に戻したのは大正になってからなので「名邑」の名は福岡でいきます。続いて入った天津、一宮も意外と言えば意外かも。五井は名邑五位ではありません。現在の千葉市からはもう一つ、検見川。そして、松戸がギリギリ滑りこみ。
以上、千葉県の「明治の名邑」は15。現在とはかなり様相が違っています。あの国際空港のある街や市川、柏、習志野等々は♪どこへ行ったのジュリー

名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
市街千葉千葉市千葉町18,204千葉町33,341
市街本銚子銚子市銚子※25,766本銚子町19,461
名邑銚子(銚子市)(銚子)銚子町9,619
名邑船橋船橋市船橋10,419船橋町12,934
名邑佐原香取市佐原町9,138佐原町14,624
名邑大原いすみ市中魚落郷5,759大原町8,622
名邑木更津木更津市木更津村5,625木更津町8,203
名邑佐倉佐倉市佐倉5,593佐倉町9,344
名邑関宿(野田市)関宿4,966関宿町3,861
名邑福岡匝瑳市八日市場村4,824福岡町6,508
名邑天津(鴨川市)天津村4,670天津町7,625
名邑一宮一宮町一宮本郷村4,541一宮町5,211
名邑五井市原市五井村3,304五井町7,681
名邑検見川(千葉市)検見川村3,226検見川町7,535
名邑松戸松戸市松戸駅3,063松戸町6,249

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[100043] 2020年 7月 30日(木)16:40:18白桃 さん
名邑三世代.その37(千葉県・中編)
千葉県の「準名邑」
城下町の大多喜、館山や東金、野田、成田などは、明治初期には名前が知られている割には、街の大きさはイマイチだったようです。
準名邑現自治体-----1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
小見川(香取市)小見川村第一表2,974小見川町6,586
姉崎(市原市)姉ヶ崎村第一表2,936姉崎町5,085
大多喜大多喜町大多喜第一表2,860大多喜町4,508
東金東金市東金町第一表2,827東金町9,386
野田野田市野田町第一表2,784野田町8,880
館山(館山市)舘山町第一表2,715館山町4,170
布佐(我孫子市)布佐村第一表2,648布佐町3,145
蘇我(千葉市)曽我野村第一表2,605蘇我町4,508
成田成田市成田町第一表2,519成田町5,698
船形(館山市)船形村第三表4,015船形町6,141
富津富津市富津村第三表3,688富津町5,679

続いて、「準名邑」にも入れない参考程度の街、随分多いのですが列挙します。
流山町※は、第一表に記載されている加村も含んでいます。
北條は現在の館山市の中心部で、館山駅もここにあります。
本納と茂原は同規模の街だったのでしょうか?
曦(あさひ)は難しい字ですね。後の千倉町です。
街道名にもなっている木下(きおろし)ですが、現在は印西市の中心である、とは誰も思っていません。
「飯岡」と聞けば、「笹川」を思い浮かべるのは???
下の方に市川の名が見えますが、第三表に記載される程度の街でした。
浦安村※は、第三表に記載されている猫実村も含んでいます。1909年(明治42年)に浦安町となります。
我孫子は「戸口表」に記載されていませんが、町村制施行と同時に「町」となっています。これと同じなのが、滑河、土気本郷です。
それにしても、まったく姿を現さない「大物」がいます。
(参考)現自治体-----1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
大網(大網白里市)大網宿第一表2,462大網町2,952
八幡宿(市原市)八幡宿第一表2,458八幡町4,415
流山流山市流山村第一表2,332流山町※5,067
北條館山市北條村第一表2,237北條町5,828
行徳(市川市)本行徳駅第一表2,205行徳町7,392
本納(茂原市)本納駅第一表2,111本納町3,663
茂原茂原市茂原町第一表2,060茂原町5,800
勝山鋸南町加知山村第一表1,930勝山町5,476
多古多古町多古村第一表1,799多古町5,260
庁南長南町長南宿第一表1,787庁南町4,001
南房総市北朝夷村第一表1,673曦町7,361
鴨川鴨川市前原町第一表1,616鴨川町7,367
木下(印西市)竹袋村第一表1,551木下町3,637
勝浦勝浦市勝浦町第一表1,345勝浦町6,182
鶴舞(市原市)鶴舞第一表1,275鶴舞町3,051
和田(南房総市)和田村第一表1,218和田町3,646
久留里(君津市)市場町第一表1,182久留里町4,411
小金(松戸市)小金町第一表1,178小金町2,479
(富津市)湊村第一表1,141湊町3,701
成東山武市成東町第一表1,137成東町3,520
本八幡(市川市)八幡町第一表1,096八幡町2,579
長者(いすみ市)長者町第一表916長者町3,558
佐貫(富津市)佐貫町第一表900佐貫町4,643
臼井(佐倉市)臼井村第一表814臼井町3,011
酒々井酒々井町酒々井村第一表736酒々井町4,367
大和田八千代市大和田村第一表379大和田町3,254
那古(館山市)那古第二表1,426那古町4,667
幕張(千葉市)馬加村第三表2,641幕張町8,741
飯岡(旭市)飯岡村第三表2,466飯岡町8,201
市川市川市市川村第三表1,901市川町6,002
旭市太田村第三表1,738旭町5,178
保田(鋸南町)本郷村第三表1,511保田町5,964
浦安浦安市堀江村第三表2,768浦安村※8,369
高神(銚子市)高神村第三表6,287高神村8,780
我孫子我孫子市記載なし我孫子町4,374

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「準名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[100056] 2020年 8月 3日(月)08:29:10【1】白桃 さん
名邑三世代.その38(千葉県・後編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
千葉県の「秀邑」は、この期に市となった野田、市川、館山と、「昭和の大合併」によって後に市となる津田沼、東金、成田、旭、
茂原、勝浦、柏(やっと登場)に加え、20世紀も終盤になって市となるピーナッツ・八街と青べか・浦安、それに今は自治体名としては残っていない行徳、幕張、片貝、二宮の計16です。言わずもがな、この当時の浦安と幕張は、今とは姿形が大きく異なっております。しかし、それでもジワジワと人口を増加させていったことが窺えます。二宮は、船橋市の東部、前原とか飯山満とか薬園台とか滝台とかがある地域(と言われても白桃もピンと来ない)にあって船橋市ではあるけれど、習志野市や八千代市とのつながりが深いようです。そう言えば、ナンギョウ(旧:南行徳町)に、三本松高校(☆旧制中学時代に東大総長・南原繁を輩出)出身の友人が住んでいるのですが、南行徳や行徳は市川市ではあるけれど、「市川、本八幡なんかには行くこともなく、ちょっとした買い物はもっぱら浦安(新浦安)で済ませる。」と言っていました。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種二級野田野田市野田町12,083野田市38,875
一種二級市川市川市市川町8,924市川市102,506
一種三級館山館山市北條町7,826館山市37,291
二種二級八街八街市八街町11,663八街町20,289
二種三級津田沼習志野市津田沼町9,881津田沼町23,660
二種三級浦安浦安市浦安町9,142浦安町15,679
二種三級東金東金市東金町8,819東金町13,141
二種三級行徳(市川市)行徳町7,242行徳町11,686
二種三級成田成田市成田町7,157成田町13,765
二種三級旭市旭町6,663旭町10,924
二種三級茂原茂原市茂原町6,484茂原町15,411
二種三級勝浦勝浦市勝浦町6,423勝浦町15,115
二種三級幕張(千葉市)幕張町6,049幕張町18,272
二種三級片貝九十九里町片貝村6,856片貝町11,436
二種三級二宮(船橋市)二宮村5,457二宮町12,844
二種三級柏市千代田村5,394柏町21,081
続いて「準秀邑」
名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
千代田四街道市千代田村6,770千代田町11,725
(参考)
名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
我孫子我孫子市我孫子町4,612我孫子町11,727
大貫(富津市)大貫町4,357大貫町10,299
富里富里市富里村8,181富里村12,891
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
この期に市となった我孫子、流山、八千代、印西、四街道、富津、袖ケ浦、鎌ケ谷、君津、鴨川と大網白里、小見川、成東、山武、富里、白井に加え、DID5回の千倉の計17の街が千葉県の「卓邑」です。当然、新しい街が多いのですが、山武が入るとは意外です。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口) 
一種二級我孫子(8)我孫子市我孫子町27,063我孫子市127,733
一種二級流山(8)流山市流山町25,672流山市150,527
一種二級八千代(8)八千代市八千代町21,709八千代市168,848
一種二級印西(3)印西市印西町17,315印西市60,468
一種二級四街道(9)四街道市四街道町16,623四街道市82,552
一種二級富津(3)富津市富津町16,567富津市52,839
一種二級袖ケ浦(3)袖ケ浦市袖ケ浦町13,974袖ケ浦市58,593
一種二級鎌ケ谷(7)鎌ケ谷市鎌ケ谷町13,496鎌ケ谷市102,573
一種二級君津(7)君津市君津町12,910君津市92,076
一種三級鴨川(8)鴨川市鴨川町17,897鴨川市29,981
二種二級大網白里(0)大網白里市大網白里町23,918大網白里町47,036
二種三級小見川(3)(香取市)小見川町22,638小見川町26,047
二種三級成東(0)山武市成東町19,770成東町24,494
二種三級山武(0)(山武市)山武町10,245山武町20,033
三種二級富里(3)富里市富里村12,307富里町50,176
三種三級白井(5)白井市白井村8,217白井町50,431
四種千倉(5)南房総市千倉町18,374千倉町13,161
続いて「準卓邑」
そういえば、沼南という街があったナ…もう、平成の合併も遠くなりにけり。
名称現自治体-----1960年(人口)---2000年(人口)
沼南(4)(柏市)沼南村11,849沼南町45,927
(参考)
名称現自治体-----1960年(人口)---2000年(人口)
多古(0)多古町多古町20,042多古町17,603
飯岡(2)(旭市)飯岡町12,171飯岡町10,916
栄(3)栄町栄町9,732栄町25,475
酒々井(4)酒々井町酒々井町6,093酒々井町19,885
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[100086] 2020年 8月 11日(火)16:28:20白桃 さん
名邑三世代.その39(島根県)
今回は島根県ですが、今日試合を行った島根県のチームがありますので・・・

祝:平田高校「甲子園初出場」

【明治の名邑】
島根県の「明治の名邑」は、まず「市街」に松江となるのですが、明治期、松江の人口が殆ど増加していないのはどういうこと?
名邑筆頭は、有名な割には人口がそれほどでもない町の最右翼、津和野です。続いて今市、杵築(後の大社)、安来、広瀬、平田となっています。名邑代表は、尼子氏の本拠地であった広瀬にお願いしましょう。七つのうち三つの名邑が現在の出雲市にあるのです。
杵築※…町村制施行後の杵築町と杵築村の二つを含んでいるものと考えます。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
市街松江松江市松江33,381松江市36,209
名邑津和野津和野町津和野5,959津和野町5,012
名邑今市出雲市今市4,904今市町6,264
名邑杵築(出雲市)杵築※8,286杵築町4,579
名邑安来安来市安来3,585安来町5,393
名邑広瀬(安来市)広瀬3,508広瀬町4,436
名邑平田(出雲市)平田3,292平田町6,423

続いて「準名邑」
浜田、益田と名邑となっていてもおかしくない街が「準名邑」となっています。特に浜田は、「戸口表」第一表に「浜田」以外に、
「浜田浦:1,242」「松原浦:887」が記載されており、実際のところは「名邑」と同等クラスです。
浜田町※…上記の三つの地区を含む。
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
浜田浜田市浜田第一表2,925浜田町※12,236
西郷隠岐の島町西郷第一表2,910西郷町4,762
益田(益田市)益田第一表2,767益田町4,175
参考
現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
江津江津市郷田第一表2,534江津村3,574
木次(雲南市)木次第一表2,487木次町2,975
大田大田市大田第一表2,278大田町4,800
大東雲南市大東第一表1,885大東町3,490
大森(大田市)大森第一表1,593大森町2,839
温泉津(大田市)温泉津第一表1,410温泉津町2,434
亀嵩(奥出雲町)亀嵩第一表328亀嵩村2,269
亀嵩は松本清張の「砂の器」で有名です。

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
島根県の「秀邑」は浜田だけです。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種二級浜田浜田市浜田町12,256浜田市40,440
参考として益田と江津を挙げます。
益田の変遷:1941年に益田、吉田、高津の3町が合併し石見町となり、その石見町が1943年に益田町に改称します。石見町になった際に一番人口が多かったのが吉田町。吉田は町制施行が一番遅かったのですが、白桃ルールでは益田市の【前身町】益田町の「前身」は石見町、その前身は、吉田町ということになります。これには私自身納得していませんが…
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
益田益田市吉田村3,931益田町22,059
益田町4,697
江津江津市江津町3,244江津町12,236

注:(人口)は国勢調査人口

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
島根県の「卓邑」は、ますだおかだ、じゃなく、益田、大田、江津と斐川の四つです。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種一級益田(9)益田市益田市56,053益田市50,128
一種二級大田(7)大田市大田市47,211大田市33,609
一種二級江津(2)江津市江津市33,485江津市25,773
二種三級斐川(0)(出雲市)斐川村24,207斐川町26,816
(参考)
大東(0)雲南市大東町20,513大東町14,607
西郷(4)隠岐の島町西郷町15,865西郷町13,194

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[100116] 2020年 8月 18日(火)07:16:20白桃 さん
名邑三世代.その40(静岡県・前編)
【明治の名邑】
東海道五十三次(◎印)のうちの22宿を占める静岡県は、名邑の数も21とさすがに多いです。「別格市街」の静岡、「市街」の浜松、「市街」に相当する沼津が名邑筆頭、続いて三島、島田、藤枝とここまでは53次の宿場。焼津を挟んで、掛川、江尻、見付と53次宿。下田の次の金谷に53次宿及び名邑代表になってもらいましょう。清水港の後の掛塚、ここに入るとは意外。石松さんで有名な遠州森町に次いで、蒲原、新居とまた53次宿。田沼意次も居た相良の次の白須賀も53次宿。榛原か静波と言った方がピンとくる川崎に次いでこれまた53次宿の吉原が最後。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
別格市街静岡静岡市静岡◎36,838静岡市53,614
市街浜松浜松市浜松◎12,141浜松町※32,381
名邑沼津沼津市沼津◎10,371沼津町13,693
名邑三島三島市三島宿◎8,694三島町11,222
名邑島田島田市島田宿◎8,599島田町13,720
名邑藤枝藤枝市藤枝宿◎7,066藤枝町9,392
名邑焼津焼津市焼津村5,902焼津町11,581
名邑掛川掛川市掛川宿◎5,546掛川町9,330
名邑江尻(静岡市)江尻宿◎5,500江尻町※5,425
名邑見付(磐田市)見付宿◎5,119見付町8,149
名邑下田下田市下田町4,883下田町5,693
名邑金谷(島田市)金谷宿◎4,880金谷町7,735
名邑清水(静岡市)清水町4,641清水町7,004
名邑掛塚(磐田市)掛塚村4,441掛塚町7,002
名邑森町森町村3,963森町6,522
名邑蒲原(静岡市)蒲原宿◎3,865蒲原町7,611
名邑新居(湖西市)新居宿◎3,699新居町7,658
名邑相良牧之原市相良町3,646相良町9,883
名邑白須賀(湖西市)白須賀宿◎3,522白須賀町4,764
名邑川崎(牧之原市)静波町3,237川崎町10,373
名邑吉原富士市吉原宿◎3,025吉原町3,403
浜松町※…1911年(明治44年)に市制施行
江尻町※…このとき既に辻村(後の辻町)が分立していた

続いて「準名邑」
いつも頭の中が混乱する大須賀(横須賀)を含めて4つの街が「準名邑」です。
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
大宮富士宮市大宮町第一表2,893大宮町13,626
熱海熱海市熱海村第一表2,590熱海町5,866
中泉磐田市中泉村第一表2,568中泉町6,105
大須賀(掛川市)横須賀町第一表3,377大須賀村6,448

以下(参考)です。多いです。
現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
戸田(沼津市)戸田村第一表2,975戸田村3,486
網代(熱海市)網代村第一表2,214網代村3,062
福島(磐田市)福田村第一表2,006福島村3,899
舞阪(浜松市)舞阪宿◎第一表1,910舞阪町3,396
興津(静岡市)興津宿◎第一表1,864興津町6,902
二俣(浜松市)二俣村第一表1,771二俣町5,095
(沼津市)原宿◎第一表1,675原町5,520
笠井(浜松市)笠井村第一表1,380笠井町3,275
岡部(藤枝市)岡部宿◎第一表1,293岡部町※5,397
松崎松崎町松崎村第一表1,131松崎町4,031
由比(静岡市)由比宿◎第一表1,087由比町8,348
日坂(掛川市)日坂宿◎第一表1,058日坂村1,652
気賀(浜松市)気賀村第一表945気賀町7,849
袋井袋井市袋井宿◎第一表848山名町※2,946
金指(浜松市)三和村第一表705金指町1,381
稲取東伊豆町稲取第二表3,984稲取村5,055
富士川(富士市)岩淵第二表1,991富士川町5,662
土肥(伊豆市)土肥第二表1,817土肥村3,349
修善寺伊豆市修善寺第二表1,756修善寺村4,316
池新田御前崎市池新田第二表1,749池新田村4,377
韮山伊豆の国市韮山第二表1,661韮山村7,032
御厨御殿場市御殿場第二表1,115御厨町8,062
山梨(袋井市)山梨第二表1,074山梨町2,323
吉田吉田町吉田村第三表3,261吉田村10,976
長田(静岡市)丸子宿◎第三表2,877長田村12,076
入江(静岡市)入江町第三表1,670入江町3,764
伊東伊東市松原村第三表1,344伊東町※9,290
岡部町※…岡部宿以外に第二表記載の内谷を含む
山名町※…1909年袋井町に改称
伊東町※…松原村以外に第三表記載の新井村、湯川村を含む

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[100200] 2020年 8月 28日(金)13:37:06【1】白桃 さん
名邑三世代.その41(静岡県・後編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
静岡県の「秀邑」は一種が富士宮、伊東、磐田市、熱海の四つ。このうち、富士宮(大宮)、磐田市(中泉)、熱海は「準名邑」でありました。二種は「東海道五十三次宿」組が由比と興津。後に市となるのが御殿場、二俣と富士。「浜名湖周辺」組が気賀、三ケ日と雄踏。そして、青島(藤枝駅はココ)、鷹岡と現役の「町」小山。一種・二種の合計は15。なお、小山は東海道線(現:御殿場線)の開通で紡績工場が進出したことによって人口が急増したのですが、以降は頭打ち状態になっています。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
一種二級富士宮富士宮市大宮町17,713富士宮市42,750
一種二級伊東伊東市伊東町12,183伊東市36,137
一種三級磐田市磐田市中泉町7,973磐田市35,655
一種三級熱海熱海市熱海町7,944熱海市34,509
二種三級小山小山町小山町17,563小山町16,803
二種三級由比(静岡市)由比町9,043由比町14,386
二種三級御殿場御殿場市御殿場町8,548御殿場町12,981
二種三級気賀(浜松市)気賀町8,255気賀町11,430
二種三級興津(静岡市)興津町8,052興津町14,605
二種三級二俣(浜松市)二俣町6,240二俣町10,493
二種三級三ケ日(浜松市)西浜名村9,020三ケ日町13,155
二種三級富士(富士市)加島村7,884富士町22,043
二種三級青島(藤枝市)青島村7,639青島町14,920
二種三級鷹岡(富士市)鷹岡村6,898鷹岡町12,036
二種三級雄踏(浜松市)雄踏村6,184雄踏町10,628
続いて「準秀邑」
名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
吉田吉田町吉田村11,532吉田町17,962
大仁(伊豆の国市) 田中村6,466大仁町10,181
(参考)として
名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
袋井袋井市袋井町3,017袋井町15,744
函南函南町函南村9,610函南村14,953
積志(浜松市)積志村8,486積志村12,660
北浜(浜松市)北浜村8,379北浜村17,735
韮山伊豆の国市韮山村7,326韮山村※10,809
富士根(富士宮市)富士根村7,002富士根村10,568
篠原(浜松市)篠原村6,827篠原村11,138
長泉長泉町長泉村6,494長泉村12,084
有度(静岡市)有度村5,946有度村12,026
鷲津湖西市吉津村4,873鷲津町10,032
袖師(静岡市)袖師村3,933袖師町10,342
小川(焼津市)小川村3,901小川村10,457
韮山村※…1950年選抜高校野球大会で韮山高校が優勝。その韮山高校は県下最古の公立高校。そんな韮山高校のある韮山は、古くから伊豆の政治の中心地であったにもかかわらず、「町」になったのは1962年という遅さ。「市街地」と言えるほどの市街地も形成されていないのですが、それにしても不思議です。

注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
静岡県の「卓邑」はこの期に市制施行の袋井、浜北、湖西市、裾野(以上一種)、菊川、長泉、函南、浜岡、吉田、大井川(以上二種)、富士川、舞阪、東伊豆、清水町、大仁、伊豆長岡(以上四種)の合計16の街となっています。
卓邑/種別名称現自治体1960年(人口)2000年(人口)
一種一級袋井(9)袋井市袋井市30,817袋井市59,835
一種一級浜北(9)(浜松市)浜北町53,548 浜北市84,905
一種二級湖西市(9)湖西市湖西町28,017湖西市43,711
一種二級裾野(7)裾野市裾野町22,336裾野市52,682
二種二級菊川(9)菊川市菊川町24,992菊川町31,528
二種二級長泉(8)長泉町長泉町15,853長泉町36,169
二種二級函南(6)函南町函南村15,505函南町38,611
二種三級浜岡(0)御前崎市浜岡町18,723浜岡町24,490
二種三級吉田(7)吉田町吉田町18,170吉田町27,492
二種三級大井川(0)(焼津市)大井川町16,585大井川町23,204
四種富士川(9)(富士市)富士川町13,645富士川町17,372
四種舞阪(8)(浜松市)舞阪町9,468舞阪町11,787
四種東伊豆(8)東伊豆町東伊豆町15,246東伊豆町15,807
四種清水町(7)清水町清水村10,841清水町30,870
四種大仁(7)(伊豆の国市)大仁町12,108大仁町15,419
四種伊豆長岡(5)(伊豆の国市)伊豆長岡町10,144伊豆長岡町15,233
続いて「準卓邑」・・・豊田ひとつだけ
名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
豊田(1)(磐田市)豊田村10,111豊田町28,829
(参考)として
名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
福田(2)(磐田市)福田町16,045福田町19,415
大東(0)(掛川市)大浜町9,251大東町21,791
韮山(2)伊豆の国市韮山村10,796韮山町19,410

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[100286] 2020年 9月 11日(金)12:06:41【1】白桃 さん
名邑三世代.その42(滋賀県)
滋賀県は人口統計をやっていて、簡潔、すっきりしていて、その割には充実?しているので好きな県です。
【明治の名邑】
「市街」は大津と彦根です。大津の人口は、明治になった頃は彦根の2/3ぐらいだったと推察されるのですが、滋賀県庁になって彦根を抜き去り、やがてその差を広げていったのです。彦根は県庁になることを嫌ったということになっていますが、それが本当だとすると、まあ、損なことをしたもんだ。名邑筆頭は長浜、続いて近江商人(八幡商人)の街・八幡。さらに、城下町膳所、甲賀忍者の里・水口、日野商人を輩出した日野、東海道と中山道が合流(分岐)する草津の合計8つの街が滋賀県の「明治の名邑」です。名邑代表はジェジェジェの膳所にお願いしましょう。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
市街大津大津市大津23,167大津市42,869
市街彦根彦根町彦根18,577彦根町20,648
名邑長浜長浜市長浜8,322長浜町11,646
名邑八幡近江八幡市八幡6,610八幡町6,550
名邑膳所(大津市)膳所6,507膳所町6,461
名邑水口甲賀市水口4,989水口町7,541
名邑日野日野町日野4,567日野町5,823
名邑草津草津市草津3,922草津町5,364
続いて「準名邑」
中山道の宿場・高宮と東海道の宿場・土山、石部、それに堅田の四つです。
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
高宮(彦根市)高宮第一表4,075高宮村※4,301
土山(甲賀市)土山第一表3,228土山村4,147
石部(湖南市)石部第一表2,876石部町2,745
堅田(大津市)本堅田第一表2,515堅田町3,735
高宮村※…高宮町になったのが1912年。といっても明治ではなく、大正元年でした。明治45年だったら「明治の名邑」だったのに。

さらに参考として以下を挙げておきます。
(参考)現自治体---1886年戸口表人口-----1908年人口
大溝(高島市)勝野第一表2,124大溝町2,854
今津(高島市)今津第一表2,023今津町4,763
守山守山市守山第一表1,484守山町2,475
愛知川愛荘町愛知川第一表1,388愛知川村※5,952
八日市東近江市八日市第一表815八日市町5,369
金屋第一表1,193
木之本(長浜市)木ノ本第一表1,507木之本村4,440
能登川(東近江市)能登川第一表1,033能登川村1,525
米原(米原市)米原第一表978入江村5,524
野洲野洲市野洲村第三表926野洲村※3,527
愛知川村※…1909年に愛知川町となります。
野洲村※…1911年に野洲町となります。

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
滋賀県の「秀邑」は瀬田のみです。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級瀬田(大津市)瀬田村5,459瀬田町10,509
参考として
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
能登川(東近江市)八幡村4,209能登川町16,162
甲南(甲賀市)寺庄村3,461甲南町12,026

注:(人口)は国勢調査人口

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
滋賀県の「卓邑」は、この期に市となった八日市と守山、後に市となる栗東、野洲、甲西と能登川の合計六つです。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種二級八日市(9)東近江市八日市市29,844八日市市44,351
一種二級守山(7)守山市守山町29,207守山市65,542
二種二級栗東(3)栗東市栗東町14,243栗東町54,856
二種三級能登川(2)(東近江市)能登川町15,323能登川町22,705
二種三級野洲(5)野洲市野洲町14,250野洲町36,217
二種三級甲西(3)湖南市甲西町10,364甲西町41,362
参考として
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
甲南(1)(甲賀市)甲南町10,895甲南町19,839
志賀(2)(大津市)志賀町9,128志賀町21,553
石部(1)(湖南市)石部町4,669石部町12,378

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[100296] 2020年 9月 13日(日)09:28:15【1】白桃 さん
名邑三世代.その43(佐賀県)
佐賀県は福井県に次いで目立たない県だと思うのは私だけでしょうか?
そう言えば、昔、祖先が佐賀鍋島藩の武士だったということで、ペンネームを佐賀潜(さが・せん)とした推理作家がいました。島田洋七、はなわ、どういうわけか、佐賀に関係する人間は「佐賀」に拘るのです。
【明治の名邑】
「市街」は佐賀だけ。名邑筆頭は唐津、次いで、伊万里、有田(名邑代表)。ところで、伊万里焼と有田焼は同じか違うか、皆様おわかりになりますか?ある試験に出題したのですが、出題者自身もうまく説明できないのです('◇')ゞ。続く小城は、小城ノ花(初代)の出身地かと思ったら関脇は隣の三日月出身だった。あとは武雄で合計六つ。そやそや、高校一年の担任で地理の先生、下の名前が武雄だったような…。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
市街佐賀佐賀市佐賀24,657佐賀市36,051
名邑唐津唐津市唐津7,718唐津町12,351
名邑伊万里伊万里市伊萬里6,982伊万里町4,257
名邑有田有田町有田皿山5,938有田町6,510
名邑小城小城市小城3,346小城町3,784
名邑武雄武雄市武雄3,270武雄町※8,071
武雄町※…1900年に武雄村を編入
続いて「準名邑」
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
南鹿島鹿島市鹿嶋第一表4,122南鹿島村6,066
塩田(嬉野市)塩田 第一表3,847塩田村6,651
八本木(鹿島市)第一表3,022八本木村4,086
上の三つは、いずれも大正期に町となりますが、南鹿島(鹿島)は大正元年ですので、もう少し早ければ・・・
☆祝☆ 大坂なおみ 全米OP優勝
以下は『参考』です。
現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
神埼神埼市神崎第一表2,003神埼町5,346
西嬉野嬉野市嬉野第一表2,926西嬉野村6,205
名古屋(唐津市)名古屋第一表 1,721名古屋村4,299
牛津(小城市)牛津第二表2,126牛津町4,790
鳥栖鳥栖市瓜生野第二表1,808鳥栖町6,170
多良太良町多良第二表3,060多良村6,488
呼子(唐津市)呼子第二表1,960呼子村5,891
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
後に市制施行する鳥栖、鹿島以外では、相知、山代、大町といった産炭地と嬉野が「秀邑」になっています。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級鳥栖鳥栖市鳥栖町9,365鳥栖町16,567
二種三級鹿島鹿島市鹿島町6,380鹿島町10,989
二種三級相知(唐津市)相知村23,881相知町15,913
二種三級山代(伊万里市)西山代村9,082山代町16,664
二種三級大町大町町大町村8,494大町町23,276
二種三級嬉野嬉野市西嬉野村5,618嬉野町13,870
続いて「準秀邑」(「参考」も併せて)
準秀邑名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
北方(武雄市)北方村18,087北方町16,126
北多久多久市北多久村9,463北多久町13,322
(参考)
呼子(唐津市)呼子村6,447呼子町9,867
北波多(唐津市)北波多村17,318北波多村10,041
厳木(唐津市)厳木村14,861厳木村18,648
入野(唐津市)入野村7,840入野村15,260
東多久(多久市)東多久村7,105東多久村12,460
江北江北町山口村3,087江北村14,830
注:(人口)は国勢調査人口

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
この期に市となった多久と大和が佐賀県の「卓邑」です。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種二級多久(4)多久市多久市45,627多久市23,949
二種三級大和(4)(佐賀市)大和町16,222大和町21,956
「参考」
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
厳木(2)(唐津市)厳木町18,370厳木町5,815
江北(1)江北町江北町16,379江北町9,584
川副(0)(佐賀市)川副町21,420川副町19,037
神埼(0)神埼市神埼町17,409神埼町19,700
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[100310] 2020年 9月 17日(木)19:02:47【1】白桃 さん
名邑三世代.その44(埼玉県・前編)
【明治の名邑】
40市と、現在最も市の数が多い埼玉県ですが、「明治の名邑」となるとその数は、「19世紀枠」の忍を含め18の街となります。数こそ半分以下となりますが、顔ぶれとしては、そんなに驚くほどの変容はありません。
「市街」は川越と熊谷。ま、これは予想通り、ということになりますが、名邑筆頭は浦和を押さえ本庄となります。「中山道最大の宿場町」ということで、これも納得がいきます。鴻巣、岩槻と続きますが、その次が所沢と言うのが私は(こんな上位にくるのかと言う意味で)少し意外です。粕壁、深谷の次の幸手ですが、この当時は結構な街であったようです。草加の次の大宮はアノ大宮ではなく、秩父のことです。松山は脇往還の宿場、中途半端?な陣屋町として栄えたようです。蕨の下に川口が来る。これ、結構面白い。唯一、市になっていない小川(「小川」と言うよりはやはり「小川町」と言った方がピンときますが)に名邑代表をお願いしましょう。越ヶ谷で「名邑」を打ち切ることもできたのですが、「のぼうの城」忍はどうしても外せないので、19世紀枠として名邑に追加しております。(◎印は中山道の、〇印は日光街道の宿場町)
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
市街川越川越市川越14,184川越町26,031
市街熊谷◎熊谷市熊谷10,461熊谷町17,605
名邑本庄◎本庄市本庄7,721本庄町10,330
名邑浦和◎さいたま市浦和6,415浦和町9,934
名邑鴻巣◎鴻巣市鴻巣5,887鴻巣町5,568
名邑岩槻(さいたま市)岩槻5,800岩槻町6,998
名邑所沢所沢市所沢5,734所沢町6,356
名邑粕壁〇春日部市粕壁5,288粕壁町5,900
名邑深谷◎深谷市深谷5,256深谷町9,149
名邑幸手〇幸手市幸手4,939幸手町5,683
名邑草加〇草加市草加4,756草加町4,756
名邑大宮(秩父)秩父市大宮4,713大宮町8,917
名邑松山東松山市松山3,854松山町6,501
名邑蕨◎蕨市3,429蕨町6,782
名邑川口川口市川口3,377川口町7,865
名邑小川小川町小川3,317小川町6,092
名邑越ヶ谷〇越谷市越ヶ谷3,138越ヶ谷町3,570
19世紀枠行田市行田2,716忍町※8,005
成田(第二表)2,617
忍町※…第一表記載の行田と第二表記載の成田を含みます。

続いて「準名邑」
現在は久喜市となっている菖蒲と栗橋が「準名邑」になっている。しかし久喜は・・・
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
菖蒲(久喜市)菖蒲第一表2,829菖蒲町4,683
入間川狭山市入間川第一表2,682入間川町5,812
栗橋〇(久喜市)栗橋第一表2,652栗橋町3,283
志木志木市志木第一表2,633志木町3,175

(参考)として書かざるを得ないところが沢山ありまして・・・
最下行の不動岡には1886年に、埼玉県最古の学校が創立された。(埼玉県立不動岡高校の前身となる私立埼玉英和学校)
現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
鳩ヶ谷(川口市)鳩ヶ谷第一表2,423鳩ヶ谷町6,462
児玉(本庄市)児玉第一表2,349児玉町4,983
飯能飯能市飯能第一表2,301飯能町7,361
大宮◎(さいたま市)大宮第一表2,263大宮町13,073
加須加須市加須第一表2,094加須町3,812
桶川◎桶川市桶川第一表2,076桶川町3,240
大沢(越谷市)大沢第一表2,049大沢町2,562
久喜久喜市久喜第一表2,027久喜町3,152
杉戸〇杉戸町杉戸第一表1,983杉戸町※3,950
與野(さいたま市)與野第一表 1,907與野町4,922
上尾◎上尾市上尾第一表1,777上尾町3,169
原市(上尾市)原市第一表1,699原市町1,932
羽生羽生市羽生第一表1,536羽生町4,249
小鹿野小鹿野町小鹿野第一表1,533小鹿野町4,727
寄居寄居町寄居第一表1,385寄居町4,282
大和田新座市大和田第一表1,246大和田町3,841
騎西(加須市)騎西第一表1,226騎西町2,555
豊岡入間市扇町屋第一表1,034豊岡町4,671
坂戸坂戸市坂戸第一表995坂戸町3,465
越生越生町越生第一表636越生町4,578
下吉田(秩父市)下吉田第一表2,478下吉田村4,423
吉川吉川市吉川第一表1,979吉川村5,381
皆野皆野町皆野第一表1,849皆野村2,556
妻沼(熊谷市)妻沼第一表1,445妻沼村2,655
鷲宮(久喜市)鷲宮第一表1,443鷲宮村3,608
不動岡(加須市)不動岡第一表1,188不動岡村3,707
杉戸町※…杉戸と第一表記載の清地を含む

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[100328] 2020年 9月 23日(水)14:55:33白桃 さん
名邑三世代.その45(埼玉県・中編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
埼玉県の「秀邑」は、この期に市となった大宮、「準名邑」であった入間川、そして、飯能、豊岡、与野、羽生の6つの街です。飯能が1950年国調で3万人超となっていますが、この飛躍的増加の一因は、1943年に周辺4村との合併を行ったことによるものです。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
一種二級大宮(さいたま市)大宮町19,057大宮市100,093
二種三級飯能飯能市飯能町8,717飯能町34,839
二種三級入間川狭山市入間川町6,848入間川町11,963
二種三級豊岡入間市豊岡町6,708豊岡町11,022
二種三級与野(さいたま市)与野町6,495与野町29,072
二種三級羽生羽生市羽生町5,850羽生町12,017

「準秀邑」はなく、以下は参考です。
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
寄居寄居町寄居町4,137寄居町11,965
上尾上尾市上尾町3,997上尾町11,665
桶川桶川市桶川町3,796桶川町10,303
戸田戸田市戸田村4,686戸田町12,727
朝霞朝霞市膝折村4,211朝霞町11,864
大和和光市白子村2,810大和町10,240
藤沢(深谷市)藤沢村7,120藤沢村11,289
北本宿北本市石戸村4,279北本宿村13,457

「名邑三世代」シリーズにおいて、千葉県が【前・中・後】の三編ありましたので、埼玉県も負けじと三編にすることにしましたが、「中編」はこれで終わりとなると短すぎる、かと言って「卓邑」を入れると長くなりすぎます。そこで・・・
「試合が早く終わりましたので、『特別企画・あの市の1950年国調人口』をお送りさせていただきます。」
特別企画、と言うほど大げさなものではありません。後に市となる埼玉県の自治体の「前身町・村」で、1950年国勢調査において人口が1万人未満だったところを、「参考の参考」として以下に記載しときます。
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
蓮田蓮田市綾瀬村4,109蓮田町8,789
幸手(名邑)幸手市幸手町4,593幸手町8,526
久喜久喜市久喜町3,431久喜町8,384
坂戸坂戸市坂戸町3,966坂戸町8,012
加須加須市加須町4,327加須町7,908
福岡ふじみ野市福岡村2,637福岡村7,461
吉川吉川市吉川町4,743吉川町7,349
越ヶ谷(名邑)越谷市越ヶ谷町3,240越ヶ谷町7,287
日勝白岡市日勝村4,469日勝村7,166
志木(準名邑)志木市志木町3,421志木町6,959
大和田新座市大和田町4,077大和田町6,847
鶴ヶ島鶴ヶ島市鶴ヶ島村4,022鶴ヶ島村6,826
東和三郷市戸ヶ崎村2,330東和村6,243
高麗川日高市高麗川村3,349高麗川村5,283
八幡八潮市八幡村3,074八幡村4,394
鶴瀬富士見市鶴瀬村2,571鶴瀬村4,332
鳩ヶ谷※(川口市)鳩ヶ谷町6,491(川口市)
鳩ヶ谷※…1950年国調時は、川口市の一部となっていました。

注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[100377] 2020年 10月 9日(金)18:48:14白桃 さん
名邑三世代.その46(埼玉県・後編)
【卓邑】(昭・平の名邑)
埼玉県の「卓邑」は実に37。多すぎて、ゆっくり吟味も出来ません。('◇')ゞ
それにしても、加須や上尾は、やっとなったか、と言う感じです。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種一級加須(9)加須市加須市41,756加須市68,445
一種一級上尾(9)上尾市上尾市38,889上尾市212,947
一種一級戸田(9)戸田市戸田町30,752戸田市108,039
一種二級朝霞(9)朝霞市朝霞町24,182朝霞市119,712
一種二級坂戸(7)坂戸市坂戸町23,569坂戸市97,381
一種二級久喜(9)久喜市久喜町23,114久喜市72,654
一種二級桶川(9)桶川市桶川町21,309桶川市73,967
一種二級蓮田(9)蓮田市蓮田町20,743蓮田市64,386
一種二級鳩ヶ谷(9)(川口市)鳩ヶ谷町20,711鳩ヶ谷市54,518
一種二級和光(9)和光市大和町17,242和光市70,170
一種二級日高(6)日高市日高町16,683日高市53,758
一種二級吉川(6)吉川市吉川町16,300吉川市56,673
一種二級新座(7)新座市新座町14,401新座市149,511
一種二級志木(9)志木市足立町12,259志木市65,076
一種二級北本(7)北本市北本町15,483北本市69,524
一種二級三郷(7)三郷市三郷村17,738三郷市131,047
一種二級上福岡(9)ふじみ野市福岡村16,652上福岡市54,630
一種二級八潮(7)八潮市八潮村13,307八潮市74,954
一種二級富士見(8)富士見市富士見村12,030富士見市103,247
一種三級鶴ヶ島(7)鶴ヶ島市鶴ヶ島村7,008鶴ヶ島市67,638
二種二級寄居(8)寄居町寄居町25,478寄居町37,724
二種二級杉戸(7)杉戸町杉戸町17,450杉戸町47,336
二種二級白岡(7)白岡市白岡町16,026白岡町46,999
二種二級上里(0)上里町上里村15,489上里町30,126
二種三級妻沼(0)(熊谷市)妻沼町21,317妻沼町28,182
二種三級児玉(0)(本庄市)児玉町19,125児玉町21,209
二種三級菖蒲(3)(久喜市)菖蒲町16,054菖蒲町22,410
二種三級騎西(2)(加須市)騎西町15,466騎西町20,382
二種三級栗橋(7)(久喜市)栗橋町12,890栗橋町25,179
二種三級吹上(8)(鴻巣市)吹上町12,095吹上町28,169
二種三級毛呂山(5)毛呂山町毛呂山町11,173毛呂山町39,711
二種三級宮代(7)宮代町宮代町11,152宮代町35,193
四種大井(7)(ふじみ野市)大井村4,949大井町45,488
四種庄和(6)(春日部市)庄和村14,815庄和町37,549
四種鷲宮(6)(久喜市)鷲宮町8,351鷲宮町34,049
四種三芳(6)三芳町三芳村4,329三芳町35,752
四種松伏(5)松伏町松伏村8,844松伏町29,021
続いて「準卓邑」
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
伊奈(3)伊奈町伊奈村6,755伊奈町32,216
川島(0)川島町川島村16,443川島町23,322
吉見(0)吉見町吉見村14,915吉見町22,246
(参考)
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
嵐山(3)嵐山町菅谷村9,014嵐山町19,816
鳩山(4)鳩山町鳩山村4,974鳩山町17,008

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[100782] 2020年 11月 2日(月)12:09:16白桃 さん
名邑三世代.その47(高知県・問題編)
ある県の地図(輪郭)を描くのは簡単です。
1.右から左斜め下に向かい短い直線を引く
2.直線の先端を始点に大きめの円弧を書く(円弧の終点は始点よりも下に←重要)
3.円弧の終点から左斜め上に向かい、ゆっくり、胡麻化しながらヤヤ短めのギザギザ線を書き入れる。(ここまでが海岸線となる)
4.ギザギザ線の終点から2.の円弧と同心の円弧を最初の点(直線の始点)まで結ぶ(これが県境ライン)
5.最初の円弧の最上部に切り込みを入れて完成(この切込みは、大きな湾にある小さな湾となる)
ここからが問題です。
問題(1)2.の円弧の始点と終点は有名な岬と灯台があります。始点も終点も「市」ですが、県内11市で最も人口が少ないのは始点のほう、終点のほう?(もう片一方も人口が少なく10位です。)
問題(2)2020年10月1日現在、県内で始点、終点の市より人口が多い「町」が3つありますが、その「町」の読みについて正しいものを次の中から選んでください。
A.三町とも濁点がある
B.三町とも濁点がない
C.一町だけ濁点がある

【明治の名邑】
難解な?クイズから始まった高知県ですが、「市街」は勿論高知だけ。
名邑筆頭が佐川というのが意外に思われるかもしれませんが、佐川は土佐藩筆頭家老の陣屋があったところですから、名邑筆頭も当然???。また、佐川は司牡丹で御馴染み、土佐の酒都です。佐川は「サガワ」ではありません。酒の匂いがしますから酒匂、すなわち「サカワ」なのです。この後に、野良時計の安芸、明徳義塾の須崎、県立商業高校のある伊野が続きます。余談ですが、高知商業は高知市立です。伊野商業は、選抜初出場・初優勝の偉業を遂げましたが、高知県の高校球界において、明徳・高知・高知商・(土佐)の三強半を撃破して甲子園、なんてことは並大抵のことではありません。ですから、伊野商や中村高校(24の瞳)が初出場で好成績を上げるのも頷けるのです。名邑代表は、「土佐の隠れ名邑」赤岡に頼みましょう。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
市街高知高知市高知30,987高知市38,279
名邑佐川佐川町佐川5,272佐川町5,107
名邑安芸安芸市安芸4,670安芸町7,184
名邑須崎須崎市須崎4,661須崎町7,345
名邑伊野いの町伊野3,808伊野町6,513
名邑赤岡(香南市)赤岡3,781赤岡町4,324

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

クイズを出してしまったので、高知県は問題編と解決編に分けることにします。
[100786] 2020年 11月 3日(火)11:02:08白桃 さん
名邑三世代.その48(高知県・解決編)
[100782]の続きです。
高知県の「準名邑」は後に市となる中村、高岡、山田の三つです。
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
中村四万十市中村第一表2,780中村町5,398
高岡土佐市高岡第二表6,361高岡町8,315
山田香美市山田野地第二表4,074山田町4,424
(参考)
名称現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
宿毛宿毛市宿毛第二表2,094宿毛町6,224
本山本山町本山第二表1,024本山村※5,308
後免南国市後免第二表879後免町1,028
久礼中土佐町久礼村第三表3,715久礼町4,791
江ノ口(高知市)江ノ口村第三表2,670江ノ口町3,313
室戸室戸市室津村第三表1,561室戸村※※7,269
越知越知町越知村第三表2,350越知町4,387
夜須(香南市)夜須村第三表5,654夜須村6,062
奈半利奈半利町奈半利村第三表4,350奈半利村4,849
宇佐(土佐市)宇佐村第三表3,886宇佐村6,058
野市香南市野市村第三表3,707野市村3,466
長浜(高知市)長浜村第三表3,479長浜村5,543
田野田野町田野村第三表3,475田野村3,515
本山村※…1910年に本山町。
室戸村※※…1910年に室戸町。なお、室戸村は戸口表では室津村より人口の多い浮津村(2,378人)も含んでいます。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級高岡土佐市高岡町8,535高岡町10,060
二種三級室戸室戸市室戸町6,927室戸町10,322
二種三級宿毛宿毛市宿毛町6,238宿毛町14,286
二種三級清水土佐清水市清松村8,058清水町16,280
二種三級窪川四万十町窪川村6,999窪川町11,397
突然ですが[100782]のクイズ答え
問題(1)2.の円弧の始点と終点は有名な岬と灯台があります。始点も終点も「市」ですが、県内11市で最も人口が少ないのは始点のほう、終点のほう?(もう片一方も人口が少なく10位です。)
始点のほうです。始点は室戸市(2020年10月1日推計11,662人:全国の市で788位)、終点は土佐清水市(同12,025人:787位)。両市は、室戸市が室戸・津呂・吉良川・佐喜浜、土佐清水市が清水・下ノ加江・三崎・下川口と4つの因子町([84180])を持つことも共通しています。とても素晴らしいライバル関係にあります。(笑)
問題(2)2020年10月1日現在、県内で始点、終点の市より人口が多い「町」が3つありますが、その「町」の読みについて正しいものを次の中から選んでください。
A.三町とも濁点がある
B.三町とも濁点がない
C.一町だけ濁点がある
答えはBです。高知県公表の2020年10月1日現在推計人口によりますと、土佐清水より多いのは、いの、四万十(しまんと)、佐川(さかわ)の3町です。
参考
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
中村四万十市中村町6,659中村町9,989
大方黒潮町田ノ口村3,463大方町11,898
梼原梼原町檮原村8,057檮原村10,735
注:(人口)は国勢調査人口

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
中村がやっと・・・めでたし、めでたし。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種二級南国(9)南国市南国市41,798南国市49,965
一種二級中村(9)四万十市中村市38,951中村市34,968
二種三級土佐山田(9)香美市土佐山田町22,650土佐山田町22,427
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[100822] 2020年 11月 11日(水)00:33:05白桃 さん
名邑三世代.その49(群馬県・前編)
「鶴舞う形の群馬県」と言っても、描くのは高知県よりは難しい?

【明治の名邑】
群馬県の「名邑」の様相は現況とそれほどかけ離れてはいません。「市街」は高崎と前橋。前橋は「生まれながらの市」を除いて最も古い、すなわち、「町」から「市」になった最初の都市ではありますが、ここは高崎を上位にとりました。名邑筆頭は館林。続いて伊勢崎、藤岡、桐生、そして製糸場の富岡、安中と順当な並び。名邑代表は大間々に頼みましょう。そのこころは、ザ・テンプターズが歌った♪「おかあさん」の歌詞・・・オーママ・ママ~オーママ・ママ。この後は渋川と倉賀野ですが、19世紀枠として沼田を潜り込ませます。というか、沼田がなぜ戸口表の第一表ではなく、第二表になっていたのか理解に苦しみます。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
市街高崎高崎市高崎駅20,212高崎市39,961
市街前橋前橋市前橋町16,585前橋市45,183
名邑館林館林市館林町8,439館林町10,931
名邑伊勢崎伊勢崎市伊勢崎町5,947伊勢崎町9,239
名邑藤岡藤岡市藤岡町5,098藤岡町8,872
名邑桐生桐生市桐生新町4,692桐生町※32,189
名邑富岡富岡市富岡町4,410富岡町10,464
名邑安中安中市安中駅4,394安中町8,199
名邑大間々(みどり市)大間々町3,463大間々町6,125
名邑渋川渋川市渋川村3,399渋川町7,046
名邑倉賀野(高崎市)倉賀野駅3,124倉賀野町3,640
19世紀沼田沼田市沼田4,732沼田町6,581
桐生町※・・・桐生新町以外に、戸口表第三表ではありますが3千人を超えていた安楽土村、新宿村を含む。

続いて「準名邑」ですが、
「準名邑」は太田だけなので、(参考)を一挙掲載します。沼田を「名邑」に潜り込ませたのだから太田も、と言う訳にはいきません。
準名邑現自治体---1886年戸口表人口-----1908年人口
太田太田市太田第二表3,769太田町4,380
(参考)現自治体1886年戸口表人口1908年人口
板鼻(安中市)板鼻駅第一表2,163板鼻町2,363
松井田(安中市)松井田駅第一表1,801松井田町3,815
(高崎市)新町駅第一表1,731新町3,893
原市(安中市)原市村第一表1,709原市町5,503
吉井(高崎市)吉井町第一表1,610吉井町6,548
鬼石(藤岡市)鬼石町第一表1,486鬼石町3,843
(伊勢崎市)境町第一表1,450境町3,214
玉村玉村町下新田村第一表1,254玉村町5,428
一ノ宮(富岡市)一ノ宮町第一表1,237一ノ宮町3,426
下仁田下仁田町下仁田町第一表1,147下仁田町4,183
坂本(安中市)坂本駅第一表1,102坂本町2,520
中之条中之条町中之條町第一表1,040中之条町4,773
尾島(太田市)尾島村第一表997尾島町7,516
福島(甘楽町)福島町第一表793福島町3,372
伊香保(渋川市)伊香保村第一表762伊香保町1,703
大胡(前橋市)大胡町第一表563大胡町4,913
妙義(富岡市)妙義町第一表208妙義町2,740
東吾妻町第二表1,723原町3,221
木崎(太田市)木崎第二表1,474木崎町2,761
薮塚本(太田市)本町第二表1,148薮塚本町4,329
室田(高崎市)下室田村第三表1,524室田町5,904
(高崎市)上室田村第三表1,113(室田町)
(高崎市)中室田村第三表1,063(室田町)
小泉大泉町上小泉村第三表1,305小泉町3,335
(大泉町)下小泉村第三表1,024(小泉町)
総社(前橋市)惣社町第三表1,776総社町3,721
金古(高崎市)金子駅第三表1,596金古町3,106
臼井(安中市)五料村第三表1,300臼井町3,028
長野原長野原町記載なし長野原町4,054
草津草津町記載なし草津町1,267

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[100826] 2020年 11月 11日(水)23:58:08白桃 さん
名邑三世代.その50(群馬県・後編)
【秀邑】(【大・昭の名邑】)
群馬県の「秀邑」は、太田、尾島、新、大胡の四つ。太田以外は現在「表舞台」に立っていない街です。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種三級太田太田市太田町5,803太田市49,556
二種三級尾島(太田市)尾島町7,863尾島町12,123
二種三級(高崎市)新町6,908新町11,504
二種三級大胡(前橋市)大胡町6,147大胡町10,352
(参考)
前橋、伊勢崎、太田等の周辺、県中央部の村が多いこと。
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
富士見(前橋市)富士見村10,855富士見村14,887
木瀬(前橋市)木瀬村9,610木瀬村13,841
南橘(前橋市)南橘村8,374南橘村11,292
荒砥(前橋市)荒砥村8,176荒砥村11,362
桂萱(前橋市)桂萱村8,171桂萱村13,372
毛里田(太田市)毛里田村7,946毛里田村10,201
新治(みなかみ町)新治村7,925新治村10,046
豊受(伊勢崎市豊受村7,149豊受村10,041
粕川(前橋市)粕川村6,938粕川村10,341
新里(桐生市)新里村6,855新里村10,132
宮郷(伊勢崎市)宮郷村6,707宮郷村10,001
嬬恋嬬恋村嬬恋村6,359嬬恋村13,757
(伊勢崎市)東村6,196東村10,059
宝泉(太田市)宝泉村5,359宝泉村12,464
注:(人口)は国勢調査人口

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
群馬県の「卓邑」は以下の8つの街で、注目されるのは1万人に達したことのない草津が、DIDを五度記録したことです。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
二種二級境(9)(伊勢崎市)境町27,583境町31,025
二種二級大泉(9)大泉町大泉町19,128大泉町41,403
二種三級榛名(0)(高崎市)榛名町20,750榛名町22,188
二種三級新田(0)(太田市)新田町19,599新田町29,606
二種三級吉井(3)(高崎市)吉井町18,594吉井町24,845
二種三級群馬町(0)(高崎市)群馬町14,548群馬町35,293
二種三級玉村(1)玉村町玉村町13,833玉村町37,522
四種草津(5)草津町草津町7,933草津町7,702
(参考)
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
中之条(0)中之条町中之条町22,853中之条町18,344
松井田(0)(安中市)松井田町21,825松井田町17,228
吾妻(0)東吾妻町吾妻町21,222吾妻町15,239
下仁田(0)下仁田町下仁田町20,640下仁田町11,171
笠懸(0)みどり市笠懸村8,382笠懸町25,799
富士見(0)(前橋市)富士見村13,741富士見村21,273
東(0)(伊勢崎市)東村9,605東村20,656
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[100833] 2020年 11月 14日(土)00:58:43白桃 さん
名邑三世代.その51(熊本県・前編)
今回は熊本県ですが、「熊」本や「鹿」児島は名前のせいか、力強い、個性的なイメージです。「熊」と言えば、Go To トラベルを利用して、とある温泉に行ったのですが、最近、その最寄りの「○○温泉駅」のスグ傍のショッピングセンターに熊が出没して「籠城」したらしい。その温泉は潟湖の畔にあります。近くにはラムサール条約に登録された湿地もあるようです。温泉のある市は5町4村の合併によって1月1日に誕生したのですが、その年の1月1日に誕生した市はソコだけです。「○○温泉駅」は新幹線の駅もできるようですが、その新幹線の工事、大幅に遅れてます。そうそう、駅からはでっかい観音像が見えます。その市は多核、というよりタコ足的な市でして、一応、中心はお寺のつく街(旧町のひとつ)。私が泊った温泉の名前は旧町名にもなっていますが、14年前にいったときも寂れた感じを受けましたが、今は寂寥感一杯でした。市内には他にも温泉があり、山○温泉(旧町名)、山●温泉(最近、この市と合併)は結構有名です。この市が発足した当時の残り2つの旧町は難読「町」と第3種漁港のある町です。
もう皆さまおわかりでしょう。私が泊ったのは、東かがわ市に含まれている市にある◐山△温泉でした。
さて、本題
【明治の名邑】
熊本県の名邑は以下の12の街です。熊本の「別格市街」は当然としても、八代が「市街」に成れなかったのは意外です。名邑筆頭の八代に続くのが牛深と言うのも意外。当時は本渡よりも大きな都会であったのでしょう。名邑代表は生まれながらの「町」ながら、今なお「町」の長洲。灯篭の山鹿、川尻、宇土(と言えば、新大関正代と小西行長)、本渡、人吉と続き、その後の富岡も意外と言えば意外。隈府の夫は誰なのだろう?名邑のトリは阿蘇神社の鳥居前町の宮地。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
別格市街熊本熊本市熊本44,384熊本市61,233
名邑八代八代市八代10,069八代町12,677
名邑牛深(天草市)牛深7,687牛深町9,719
名邑長洲長洲町長洲6,762長洲町7,919
名邑山鹿山鹿市山鹿5,542山鹿町8,168
名邑川尻(熊本市)川尻4,748川尻町5,409
名邑宇土宇土市宇土3,914宇土町5,630
名邑本渡天草市町山口3,698本渡町4,768
名邑人吉人吉市人吉3,246人吉町5,131
名邑富岡苓北町富岡3,134富岡町3,759
名邑隈府菊池市隈府3,126隈府町6,270
名邑宮地(阿蘇市)宮地3,046宮地町3,817

「準名邑」は来民と高瀬の少々
名称現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
来民(山鹿市)来民第一表2,839来民町4,048
高瀬玉名市高瀬第一表2,732高瀬町3,849
(参考)たっぷりあります。
名称現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
高橋(熊本市)高橋第一表2,205高橋町1,762
松橋宇城市松橋第一表2,166松橋町2,740
南関南関町第一表1,984南関町4,719
大津大津町大津第一表1,836大津町4,830
御船御船町御船第一表1,741御船町2,068
日奈久(八代市)日奈久第一表1,630日奈久町4,415
小川(宇城市)小川第一表1,614小川町4,125
隈庄(熊本市)隈庄第一表1,575隈庄町4,728
高森高森町高森第一表1,540高森町2,319
植木(熊本市)植木第一表1,237植木町1,935
水俣水俣市陣内第一表1,542水俣村16,453
浜村第三表3,001
三角(宇城市)三角浦第二表813三角町3,699
小島(熊本市)下松尾村第三表2,167小島町4,127
春日(熊本市)春日村第三表1,923春日町3,807
伊倉(玉名市)伊倉北方村第三表1,854伊倉町4,222
内牧阿蘇市内牧村第三表1,778内牧町4,128
大浜(玉名市)大浜町第三表1,729大浜町2,669
(八代市)鏡町第三表1,449鏡町5,266
山都町浜町第三表1,063浜町村※4,049
佐敷芦北町佐敷町第三表898佐敷町9,003
登立上天草市登立村第三表5,267登立村6,614
松合(宇城市)松合村第三表3,807松合村5,748
荒尾荒尾市荒尾村第三表1,628荒尾村6,503
甲佐甲佐町記載なし甲佐町4,300
宮原(氷川町)記載なし宮原町4,007
馬見原(山都町)記載なし馬見原町2,709
木山益城町記載なし木山町2,639
浜町村※…1912年(明治45年)に浜町

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[100834] 2020年 11月 14日(土)12:47:27白桃 さん
名邑三世代.その52(熊本県・後編)
熊本県・前編の冒頭では、関係ない石川県の話をしてしまいましたが、石川さゆりさんは熊本出身ですからお許しを。
【秀邑】(【大・昭の名邑】)
熊本県の「秀邑」は、この期に市制施行した荒尾と水俣、地味ながら人口を増加させた鏡、佐敷とオフ会でお邪魔した杖立温泉のある小国の五つです。荒尾と水俣は鉱工業によって人口を急増させましたが、特に荒尾の1950年国調人口は、八代を完全に上回って県下2位となっています。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
一種二級荒尾荒尾市荒尾町15,121荒尾市64,207
一種二級水俣水俣市水俣町20,498水俣市43,661
二種三級(八代市)鏡町8,924鏡町10,998
二種三級佐敷芦北町佐敷町8,205佐敷町11,424
二種三級小国小国町北小国村10,203小国町15,189
「準秀邑」はありません。
(参考)名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
玉名玉名市高瀬町3,600玉名町14,006
大津大津町大津町5,149大津町9,070
西合志合志市西合志村5,622西合志村10,073
注:(人口)は国勢調査人口

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
玉名がやっと「名邑(卓邑)」になりました。大津にはホンダ技研の生産拠点があり、1980年頃より人口を増加させています。
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
一種二級玉名(9)玉名市玉名市47,736玉名市45,648
二種二級植木(熊本市)植木町21,724植木町31,235
二種二級益城(5)益城町益城町20,000益城町32,160
二種三級大津大津町大津町21,885大津町28,021
二種三級松橋(2)宇城市松橋町18,315松橋町25,010
二種三級菊陽(5)菊陽町菊陽村11,304菊陽町28,360
「準卓邑」はありません。
阿蘇の内牧(温泉)は、初めての国内添乗で宿泊(第1泊目)したところなのですが、まるで、なんにも、さっぱり、まったく記憶がありません。ただ、「やまなみハイウェイ」が霧で視界が非常に悪かったのは覚えています。
(参考)名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
大矢野上天草市大矢野町24,938大矢野町17,354
矢部山都町矢部町24,822矢部町12,386
阿蘇阿蘇市阿蘇町23,730阿蘇町18,667
御船御船町御船町21,416御船町18,532
西合志(3)合志市西合志村9,890西合志町27,461
合志(2)(合志市)合志村9,310合志町21,930
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[100849] 2020年 11月 22日(日)08:01:01白桃 さん
名邑三世代.その53(京都府・前編)
京都府の形は異様で、向きを変えれば水があふれだした琵琶湖に見えなくもありません。日本国民で、京都に海があるのを知らない人が1割は居るのではないでしょうか。西舞鶴と久美浜出身の知り合いがいますが、二人とも、ちょっとチャラチャラしているわりに、どこか気品を感じるのは、私の中に「京都」という幻影があるからでしょうか。もっとも、日本海側の「京都人」には、海から離れた奥のどんずまりに、京都市はともかく、チマチマとした多くの街があることに嫌悪感に近い違和感を感じているかもしれません。
【明治の名邑】
京都府の「名邑」は10ですから、少ないと感じる方もいるかもしれません。旧国別で言うと、山城が6、丹波が2、丹後が2となっており、当時から山城優勢であったのです。旧都京都はもちろん「特選市街」、かつては、お城もあったし淀川の水運で栄えた酒処・伏見も文句のない「市街」。ただ、「黄桜」「松竹梅」「月桂冠」など伏見の有名なお酒とのつきあいは殆どありません。名邑筆頭は舞鶴を僅かに抑えて宮津に。抑えられた舞鶴ですが、いわゆる西舞鶴のことです。その後は、福知山、八幡、亀岡と現在は市となっている街が続き、そしてスワンが泳ぐ京都競馬場のある淀に名邑代表となってもらいましょう。この競馬場で馬券が外れて流した涙が♪スワンの涙。例年今頃(11月)は開催されているのですが、スタンド改修工事の為…あまり関係ない話はよしましょう。残りの名邑は木津と宇治。中学校の修学旅行で平等院に行って十円玉と見比べてみたような記憶もありますが、宇治はあんまり覚えていません。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
特選市街京都京都市京都245,675京都市442,462
市街伏見(京都市)伏見19,831伏見町24,883
名邑宮津宮津市宮津8,280宮津町9,289
名邑舞鶴(舞鶴市)舞鶴8,258舞鶴町14,827
名邑福知山福知山市福知山5,309福知山町8,399
名邑八幡八幡市八幡5,309八幡町6,582
名邑亀岡亀岡市亀岡4,652亀岡町7,447
名邑(京都市)淀※4,436淀町1,776
名邑木津木津川市木津3,353木津町5,368
名邑宇治宇治市宇治3,084宇治町4,368
淀※・・・町村制施行で淀町となるエリア以外に「淀村」となった区域(の一部)も含んでいたのでは、と推測しています。
続いて「準名邑」
野村監督の出身地の峰山と、よく知らない柳原の二つ。峰山を通過した際、アーケード街が見えたのですが、今でも残っているのかな?
名称現自治体---1886年戸口表人口-----1908年人口
峰山(京丹後市)峰山第一表2,541峰山町3,111
柳原(京都市)柳原庄第三表4,455柳原町5,208
(参考)はたっぷり大盛りに
名称現自治体---1886年戸口表人口-----1908年人口
綾部綾部市綾部第一表2,367綾部町5,358
園部南丹市園部第一表2,093園部町2,509
久美浜(京丹後市)久美浜第一表1,882久美浜町2,075
河守(福知山市)河守町第一表1,382河守町2,424
須知京丹波町須知村第一表989須知町3,297
加悦(与謝野町)加悦町第一表812加悦町3,546
向日町向日市向日町第一表409向日町4,480
新舞鶴舞鶴市市場村第一表251新舞鶴町※9,430
井手井手町玉水第一表2,249井手村3,011
嵯峨(京都市)上嵯峨村第一表1,915嵯峨村※5,555
岩瀧(与謝野町)岩瀧村第一表1,447岩瀧村3,682
八木(南丹市)八木村第一表884八木村1,221
網野京丹後市網野村第三表1,348網野町4,186
田辺京田辺市田辺村第三表1,188田辺町3,340
間人(京丹後市)間人村第三表3,272間人村3,604
上狛(木津川市)上狛村第三表2,227上狛村2,716
深草(京都市)深草村第三表1,228深草村10,948
笠置笠置町笠置村第三表1,214笠置村2,619
余部(舞鶴市)記載なし余部町※9,018
新舞鶴町※・・・市場村以外に戸口表第三表に記載ある行永村(1,107)を含む
余部町※・・・・後に中舞鶴町に改称

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[100876] 2020年 12月 6日(日)13:25:24白桃 さん
名邑三世代.その54(京都府・後編)
【秀邑】(【大・昭の名邑】)
京都の「秀邑」は舞鶴市、綾部、網野の三つです。秀邑の名称を「舞鶴市」としたのは、現在の舞鶴市の前身市は東舞鶴市で、その前身が新舞鶴町となっており、「明治の名邑」である舞鶴(城下町・西舞鶴)と区別するためです。大本教の聖地でもある綾部はグンゼ(郡是)の発展とともに人口が増加。網野の秀邑入りは1950年に四村と合併した「おかげ」です。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種二級舞鶴市舞鶴市新舞鶴町15,504舞鶴市91,914
一種二級綾部綾部市綾部町10,675綾部市33,573
二種三級網野京丹後市網野町5,876網野町18,000
「準名邑」は東宇治だけです。
準秀邑名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
東宇治(宇治市)宇治村6,190東宇治町11,563
(参考)名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
長岡長岡京市新神足村3,005長岡町10,614

注:(人口)は国勢調査人口

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
京都府の「卓邑」は、この期に市となった京田辺、長岡京、城陽、向日町に加え、五回以上DIDを記録した大山崎、園部、峰山、精華、井手、久御山の合計10の街です。新興の大山崎、精華、久御山、渋い園部、峰山はともかく、井手はさすがに意外です。「卓邑」名を「向日」とせず「向日町」としたのは、市内のJR駅名も「向日町」だし、合併しない市の代表に敬意を表したからです。「京向日」よりは良いでしょう。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種二級京田辺(6)京田辺市田辺町15,793京田辺市59,577
一種二級長岡京(8)長岡京市長岡町15,050長岡京市77,846
一種二級城陽(7)城陽市城陽町14,690城陽市84,346
一種二級向日町(8)向日市向日町12,734向日市53,425
四級大山崎(7)大山崎町大山崎村3,346大山崎町15,736
四級園部(5)南丹市園部町15,601園部町16,776
四級峰山(5)(京丹後市)峰山町15,146峰山町13,564
四級精華(5)精華町精華町9,373精華町26,357
四級井手(5)井手町井手町7,633井手町9,102
四級久御山(5)久御山町久御山町6,400久御山町17,080
(参考)
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
加茂(3)(木津川市)加茂町9,383加茂町16,004

注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[100893] 2020年 12月 14日(月)11:09:08白桃 さん
名邑三世代.その55(岐阜県・前編)
岐阜県のことは詳しく知っているわけではありませんが、良く言えばシブ~い県、悪く言えば、パッとしないとは言えないまでも 地味な県という印象があります。美濃地方の住人は大体、ドラゴンズと言うか名古屋が好きです?が、飛騨の住人はどうなんでしょう。 とにかく、一筋縄ではいかない一体感の無い県ではないでしょうか。
【明治の名邑】
岐阜県の「市街」は岐阜、大垣、高山の三つ。県庁所在地の岐阜の人口は、明治初期においては大垣とどっこいどっこいでした。ともかく、明治期の岐阜は、他の県庁所在地と比較しても、それほど大きい街ではなかったのです。
人口的には船津の方が多かったのですが、名邑筆頭は関にしました。というのも、「戸口表」の船津※は、町村制施行後に分離する村を含んでいるからです。いずれにしろ、当時の船津(後の神岡)は、かなり大きい街であったことには変わりありません。竹ヶ鼻に続いて笠松、古川、八幡と私好みの「名邑」が続きますが、オグリキャップ、デビューの地、笠松を名邑代表とします。明治期の多治見もさほどの街ではなかったようです。城下町&宿場町である加納に続いて今なお「町」である八百津が入り、1911年(明治44年)に上有知※から改称した美濃を挟んで、これまた今なお「町」である北方、そして中津(中津川)、高須(クリニックではない)という16のラインナップです。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
市街岐阜岐阜市岐阜23,377岐阜市41,488
市街大垣大垣市大垣16,339大垣町21,762
市街高山高山市高山15,267高山町17,309
名邑関市関村6,688関町5,428
名邑船津(飛騨市)船津※10,166船津町8,860
名邑竹ヶ鼻羽島市竹ヶ鼻5,340竹ヶ鼻町4,903
名邑笠松笠松町笠松5,057笠松町4,204
名邑古川飛騨市古川5,050古川町5,782
名邑八幡郡上市八幡5,047八幡町7,408
名邑多治見多治見市多治見5,014多治見町7,992
名邑加納(岐阜市)加納4,949加納町5,330
名邑八百津八百津町細目4,707八百津町5,926
名邑美濃美濃市上有知4,182上有知町※5,714
名邑北方北方町北方3,555北方町3,305
名邑中津中津川市中津川3,332中津町8,606
名邑高須(海津市)高須3,189高須町4,383
続いて準名邑
御嵩※は、当初「名邑」にしておりましたが、行司溜勝負審判より物言いが付き、審議の結果、「戸口表」の3,003は町村制施行後に分かれた中村も含んでいることが濃厚であり、格下げすることにしました。最近の御嶽海の精彩の無さによるものではありません。(因みに、御嶽海は隣の長野県の上松出身です。それと、新大関・正代のおばあさんの名前は正代(まさよ)らしい。)
名称現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
御嵩※(御嵩町)御嵩第一表3,003御嵩町2,557
岩村(恵那市)岩村第一表2,719岩村町3,320
高田養老町嶋田第一表2,688高田町4,517
付知(中津川市)付知村第三表4,137付知町5,585
小坂(下呂市)小坂村第三表3,026小坂町3,760
以下は(参考)です。
名称現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
今尾(海津市)今尾第一表2,439今尾町5,787
苗木(中津川市)苗木第一表2,200苗木町3,185
太田(美濃加茂市)太田第一表2,167太田町2,753
揖斐揖斐川町三輪第一表2,165揖斐町3,172
神戸神戸町神戸第一表2,030神戸町3,287
垂井垂井町垂井第一表1,940垂井町2,317
赤坂(大垣市)赤坂第一表1,758赤坂町2,700
高富山県市高富第一表1,632高富町2,144
金山(下呂市)金山第一表1,604金山町1,921
大井恵那市大井第一表1,387大井町2,827
明知(恵那市)明知第一表1,372明知町2,225
兼山(可児市)兼山第一表1,223兼山町1,482
長良(岐阜市)長良第一表4,429長良村6,551
関ケ原関ケ原町関ヶ原第一表2,086関ケ原村3,609
下呂下呂市下呂第一表1,959下呂村3,219
土岐津(土岐市)土岐口村第三表1,241土岐津町2,935
高山第一表846
萩原(下呂市)三郷村第三表2,573萩原町3,956
墨俣(大垣市)墨俣村第三表1,484墨俣町2,509
下麻生(川辺町)下麻生村第三表1,399下麻生町2,248
菅田(下呂市)桐堀村第三表1,336菅田町2,644
今渡(可児市)今渡村第三表1,159今渡町2,667
川辺川辺町中川辺村第三表1,036川辺町4,371
大名田(高山市)大名田村第三表7,175大名田村3,451
国府(高山市)国府村第三表6,578国府村7,090
鵜沼(各務原市)鵜沼村第三表3,658鵜沼村4,677
土岐津(瑞浪市)土岐村第三表3,099土岐村4,156
笠原(多治見市)笠原村第三表3,027笠原村4,642
妻木(土岐市)妻木村第三表2,424妻木村3,559
坂下(中津川市)坂下村第三表2,373坂下村4,073
下石(土岐市)下石村第三表1,692下石村3,186
古井美濃加茂市上古井村第三表1310古井村2697
土岐市久尻村第三表1,216泉村3,719
駄知(土岐市)駄知村第三表1,084駄知村3,091

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[100907] 2020年 12月 27日(日)05:05:17白桃 さん
名邑三世代.その56(岐阜県・後編)
先だって、どこの局か覚えていませんが、朝の天気予報で「全国の天気」として、画面に出てきた都市が六つ。宇都宮、銚子、東京、名古屋、福岡と岐阜だったのです。なんじゃい、コレ???

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
岐阜県の「秀邑」は笠原一つだけです。この笠原ですが、1951年に多治見市に編入されますが、1952年に笠原村として多治見から分立(一部地域は多治見に残る)するのです。分立後、すぐ町制施行して迎えた1955年国勢調査の人口が7,257人ですから、知らないヒトからは「どうしたの?そんなに細くなって。」と不思議がられたことでしょう。そして、「平成の合併」で再び多治見に編入される、ちょっと風変わりなマチです。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
二種三級笠原(多治見市)笠原村5,386笠原町10,143
(参考)
名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
那加各務原市那加村4,508那加町21,853
土岐市泉町5,292泉町9,845
注:(人口)は国勢調査人口

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
岐阜県の「卓邑」は、この期に市となった土岐、美濃加茂、瑞浪、恵那、可児、各務原…6つとも中心がどこかはっきりしない…と養老、垂井、池田、大野、穂積、神戸と御馴染み?に加え、岐南、御嵩の14です。
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
一種一級土岐(9)土岐市土岐市55,198土岐市63,283
一種一級美濃加茂(9)美濃加茂市美濃加茂市31,132美濃加茂市50,063
一種二級瑞浪(9)瑞浪市瑞浪市36,905瑞浪市42,298
一種二級恵那(9)恵那市恵那市30,990恵那市35,667
一種二級可児(5)可児市可児町26,063可児市91,652
一種二級各務原(9)各務原市那加町21,329各務原市131,991
二種二級養老(7)養老町養老町28,057養老町33,256
二種三級垂井(7)垂井町垂井町19,321垂井町28,935
二種三級池田(3)池田町池田町15,155池田町23,820
二種三級大野(5)大野町大野町15,024大野町23,071
二種三級穂積(6)瑞穂市穂積町11,048穂積町35,076
二種三級神戸(3)神戸町神戸町12,480神戸町20,750
四種岐南(5)岐南町岐南町6,867岐南町22,137
四種御嵩(5)御嵩町御嵩町15,853御嵩町19,653

(参考)名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
揖斐川(0)揖斐川町揖斐川町16,096揖斐川町19,027
下呂(2)下呂市下呂町16,042下呂町14,916
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[100941] 2020年 12月 31日(木)11:29:44白桃 さん
名邑三世代.その57(神奈川県・前編)
19市のうち3市が政令指定都市という神奈川県、日本最大(多)人口市である横浜市、「大阪都」構想をどんな気持ちで眺めていたのか、私は気になっています。
【明治の名邑】
当然ながら横浜は「特選市街」、軍港・横須賀はもちろん、城下町にして東海道有数の宿場町小田原も「市街」となります。名邑筆頭はペリー来航地の浦賀。その後は藤沢、大磯、保土ヶ谷と東海道の宿場町が続きますが、本日は大晦日でオオイソガシでしょうが、大磯に名邑代表を頼みましょう。唯一内陸にある秦野が川崎の上位に来る、これも真なり。三浦、戸塚と続くと某ヨットスクールを思い浮かべますが、最後は19世紀枠の鎌倉に締めてもらいましょう。それにしても、武士の都である鎌倉がどうして第二表になっているのか、謎。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
特選市街横浜横浜市横浜89,545横浜市394,303
市街横須賀横須賀市横須賀13,251横須賀市※70,964
市街小田原小田原市小田原駅14,009小田原町19,531
名邑浦賀(横須賀市)浦賀7,450浦賀町17,019
名邑藤沢藤沢市藤沢駅6,596藤沢町15,844
名邑大磯大磯町大磯駅4,432大磯町8,897
名邑保土ヶ谷(横浜市)程ヶ谷駅4,340保土ヶ谷町7,685
名邑秦野秦野市曾屋村4,217秦野町9,767
名邑川崎川崎市川崎駅4,031川崎町7,239
名邑三崎三浦市三崎4,020三崎町9,893
名邑戸塚(横浜市)戸塚駅3,272戸塚町4,402
19世紀枠鎌倉鎌倉市鎌倉6,346鎌倉町10,140
横須賀市※…第一表に記載ある逸見村(2,667人)、同じく第一表に記載ある深田村(1,697人:後の豊島町)を含む。

続いて「準名邑」といっても厚木ひとつ。
名称現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
厚木厚木市厚木町第一表2,821厚木町3,554
以下は(参考)
名称現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
平塚平塚市平塚駅第一表2,297平塚町6,615
伊勢原伊勢原市伊勢原村第一表733伊勢原町3,789
箱根(箱根町)箱根駅第一表659箱根町602
吉野(相模原市)吉野駅第一表801吉野駅1,144
葉山葉山町堀内村第一表2,133葉山村6,778
川尻(相模原市)川尻村第一表2,133川尻村2,512
川口(藤沢市)片瀬村第一表2,042川口村※2,811
相模原市上溝村第一表1,461溝村3,574
小坂(鎌倉市)山ノ内村第一表1,182小坂村3,347
足柄(小田原市)荻窪村第一表1,073足柄村10,317
井細田村第一表589
久野村第三表2,608
中野(相模原市)中野村第一表963中野村1,623
高津(川崎市)溝口村第一表891高津村4,876
寒川寒川町一ノ宮村第一表867寒川村6,011
海老名海老名市国分村第一表690海老名村5,105
湯本箱根町湯本村第一表670湯本村※2,195
南足柄南足柄市関本村第一表632南足柄村4,147
金沢(横浜市)金沢第二表7,130金沢村5,280
茅ヶ崎茅ヶ崎市茅ヶ崎村第三表4,553茅ヶ崎町17,318
大山(伊勢原市)大山町第三表1,150大山町1,824
松田松田町松田惣領第三表1,144松田村※3,096
大師河原(川崎市)大師河原村第三表4,757大師河原村6,401
長井(横須賀市)長井村第三表4,232長井村5,217
須馬(平塚市)須賀村第三表3,574須馬村6,349
生見尾生見尾生麦村第三表2,556生見尾村※6,280
田越逗子市小坪村第三表2,255田越村7,727
真鶴真鶴町真鶴村第三表1,813真鶴村3,030
国府津(小田原市)国府津村第三表1,562国府津村2,771
町田町田潮田村第三表1,417町田村※3,785
大和大和市下鶴間村第三表1,381大和村4,265
酒匂(小田原市)酒匂村第三表1,372酒匂村5,213
綾瀬綾瀬市深谷村第三表1,359綾瀬村5,867
浦郷(横須賀市)田浦村第三表1,203浦郷村14,838
座間座間市座間村第三表1,181座間村5,332
大野(相模原市)上鶴間村第三表1,178大野村4,477
淵野邊村第三表1,176
土肥湯河原町記載なし土肥村2,527
小原(相模原市)記載なし小原町513
与瀬(相模原市)記載なし与瀬駅1,042
川口村※・・・片瀬村以外に(第二表)江ノ島を含む
湯本村※・・・湯本村以外に(第一表)塔ノ沢村、湯本茶屋村を含む
松田村※・・・1909年松田町に
生見尾村※町田村※・・・何と見事な等差数列!
1921.4.1:生見尾村→鶴見町
1923.4.1:町田村→潮田町
1925.4.1:鶴見町が潮田町を編入
1927.4.1:横浜市が鶴見町を編入

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[100944] 2020年 12月 31日(木)16:36:23白桃 さん
名邑三世代.その58(神奈川県・前編補足)
神奈川県には、大正期を迎える前に消滅した町もあり、[100941]では把握しきれないところがあります。解り難い[100941]の補足というよりは、現行の19市を主体に整理したものです。でも、解り難さはあまり変わりないかも・・・('◇')ゞ
(1)三政令都市&横須賀・藤沢
現行市名原町名町制年戸口表名戸口表同人口
横浜横浜第一表89,545
神奈川1889年神奈川駅第一表11,345
芝生村第一表1,152
保土ケ谷1889年程ケ谷駅第一表4,340
戸塚1889年戸塚駅第一表3,272
戸太1895年戸部町第三表2,507
太田村第三表2,553
鶴見1921年生麦村第三表2,556
潮田1923年潮田村第三表1,417
金沢1926年金沢第二表7,130
川和1934年池邊村第三表1,034
川崎川崎1889年川崎駅第一表4,031
大師1923年大師河原村第三表4,757
田島1923年記載なし
中原1925年記載なし
高津1928年溝口村第一表891
稲田1932年菅村第三表1,753
登戸村第三表1,327
相模原上溝1926年上溝村第一表1,461
/相模湖町小原1889年記載なし
/相模湖町與瀬(駅)1889年記載なし
/藤野町吉野(駅)1889年吉野駅第一表801
/津久井町中野1925年中野村第一表963
/城山町城山1955年川尻村第一表2,133
横須賀横須賀1889年横須賀第一表13,251
逸見村第一表2,667
浦賀1889年浦賀第一表7,450
豊嶋1903年深田村第一表1,697
田浦1914年田浦村第三表1,203
浦郷村第三表2,726
長浦村第三表1,116
長井1926年長井村第三表4,232
大楠1935年秋谷村第三表18,045
藤沢藤沢大坂1889年藤沢駅第一表6,596
藤沢大富1889年記載なし
片瀬1933年片瀬村第一表2,042
江ノ島第二表891
渋谷※1944年記載なし
神奈川町は大正期まで続いておれば間違いなく「名邑」でした。
渋谷※…渋谷町の一部

(2)その他14市
現行市名原町名町制年戸口表名戸口表同人口
平塚平塚1889年平塚駅第一表2,297
須馬1927年須馬村第三表3,574
大野1944年記載なし
茅ヶ崎茅ヶ崎1908年茅ヶ崎村第三表4,553
大和大和1943年下鶴間村第三表1,381
(渋谷村)※福田村第三表1,388
厚木厚木1889年厚木町第一表2,821
小田原小田原1889年小田原駅第一表14,009
国府津1924年国府津村第三表1,562
足柄1940年荻窪村第一表1,073
井細田村第一表589
久野村第三表2,608
酒匂1942年酒匂村第三表1,372
山王原村第三表1,135
1955年前川村第三表1,493
鎌倉鎌倉1894年鎌倉第二表6,346
腰越1931年腰越村第三表1,666
大船1933年山ノ内村第一表1,182
秦野秦野1889年曽屋第一表4,217
南秦野1940年記載なし
西秦野1955年記載なし
座間座間1937年座間村第三表1,181
座間入谷村第三表992
栗原村第三表1,103
海老名海老名1940年国分村第一表690
伊勢原伊勢原1889年伊勢原村第一表733
大山1889年大山村第三表1,150
綾瀬綾瀬1945年深谷村第三表1,359
逗子逗子1913年小坪村第三表2,255
三浦三崎1889年三崎第一表4,020
南下浦1940年上宮田村第三表1,755
金田村第三表1,425
松輪村第三表1,353
南足柄南足柄1940年関本村第一表632
(渋谷村)※…1955年に藤沢市に編入された渋谷町の残余が渋谷村として発足

たぶん、今年最後の書き込みになるでしょう。このシリーズは十番勝負終了後、「神奈川県後編」から再開予定です。
では、皆様良いお年をお迎えください。
[101543] 2021年 4月 21日(水)15:28:12白桃 さん
名邑三世代.その59(神奈川県・後編)
落書き帳に復帰したら、まず行いたかったのは本シリーズの再開です。関心を持っていただいている方は殆どいないと思いますが、「遺作」にはしたくありません。('◇')ゞ

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
神奈川県の【秀邑】は、この期に市となった平塚、茅ケ崎に加え、逗子、葉山、二宮、山北、座間の二種五邑と全国的にも珍しい三種の相模原、合計八つです。個人的には、山北が意外です。
秀邑/種別名称現自治体1920年(人口)1950年(人口)
一種二級平塚平塚市平塚町12,960平塚市52,381
一種二級茅ヶ崎茅ヶ崎市茅ヶ崎町18,259茅ヶ崎市47,013
二種三級逗子逗子市逗子町9,152逗子町35,908
二種三級葉山葉山町葉山村7,558葉山町15,484
二種三級二宮二宮町吾妻村7,055二宮町12,679
二種三級山北山北町川村6,510山北町10,879
二種三級座間座間市座間村5,647座間町11,804
三種三級相模原相模原市溝村3,909相模原町68,898

準秀邑名称現自治体1920年(人口)1950年(人口)
大野(平塚市)大野村5,861大野町10,894
寒川寒川町寒川村5,364寒川町11,166
海老名海老名市海老名村5,099海老名町10,181

(参考)名称現自治体1920年(人口)1950年(人口)
厚木厚木市厚木町4,602厚木町10,989
大和大和市大和村4,527大和町17,586
湯河原湯河原町土肥村3,461湯河原町10,054
注:(人口)は国勢調査人口

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
神奈川県の【卓邑】は、厚木、大和、伊勢原、海老名、南足柄、綾瀬(以上は一種)、湯河原、津久井、愛川、寒川(以上は二種)、松田、真鶴、城山(以上は四種)の十三です。♪箱根の町は天下の険外・・・でした。
卓邑/種別名称現自治体1960年(人口)2000年(人口)
一種一級厚木(9)厚木市厚木市46,239厚木市217,369
一種一級大和(9)大和市大和市40,975大和市212,761
一種二級伊勢原(9)伊勢原市伊勢原市26,984伊勢原市99,544
一種二級海老名(7)海老名市海老名町17,938海老名市117,519
一種二級南足柄(7)南足柄町南足柄町19,663南足柄市44,156
一種三級綾瀬(7)綾瀬市綾瀬町8,304綾瀬市81,019
二種三級湯河原(9)湯河原町湯河原町19,743湯河原町27,721
二種三級津久井(3)(相模原市)津久井町13,978津久井町30,345
二種三級愛川(5)愛川町愛川町13,741愛川町42,760
二種三級寒川(7)寒川町寒川町11,564寒川町46,369
四種松田(9)松田町松田町10,389松田町12,987
四種真鶴(9)真鶴町真鶴町9,141真鶴町9,075
四種城山(5)(相模原市)城山町5,280城山町23,036

(参考)名称現自治体1960年(人口)2000年(人口)
箱根町(0)箱根町箱根町20,972箱根町15,829
大井(3)大井町大井町6,459大井町16,582
開成(4)開成町開成町4,781開成町13,396
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[101988] 2021年 5月 17日(月)13:11:14白桃 さん
名邑三世代.その60(鹿児島県・前編)
このシリーズ、ある意味で最も難解な鹿児島県にやってきました。鹿児島市は別として、加治木以外の鹿児島県の主な街が明治期になぜ町制施行とならなかった「謎」について、この落書き帳において何度か触れてきたものの、依然として「謎」は謎のままです。
【明治の名邑】
冒頭で述べたことと関係しますが、鹿児島以外は通常の【明治の名邑】の条件に適合するところはありません。そこで、東南方(枕崎)、指宿、鹿屋、垂水、東志布志(志布志)、加世田、阿久根、加治木の8つの街を19世紀枠として「名邑」に認定しました。鹿篭(かご)・東南方(ひがしみなかた)とコロコロ名前が変化した名邑筆頭の枕崎ですが、カツオをあてに焼酎を飲みすぎたのか、町村制施行以降今日まで廃置分合を行っていないという、天然記念物的街であります。さて、名邑代表をどこにするか非常に迷っています。人口要件では、「準名邑」にもならない加治木ですが、明治期において県下唯一の「町」であった加治木にしときましょう。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
別格市街鹿児島鹿児島市鹿児島45,097鹿児島市63,640
拾玖世紀東南方枕崎市鹿籠7,096東南方村24,034
拾玖世紀指宿指宿市揖宿5,465指宿村18,688
拾玖世紀鹿屋鹿屋市鹿屋3,710鹿屋村13,422
拾玖世紀垂水垂水市垂水3,653垂水村17,515
拾玖世紀東志布志志布志市志布志3,387東志布志村12,916
拾玖世紀加世田南さつま市加世田3,248加世田村※16,234
拾玖世紀阿久根阿久根市阿久根3,066阿久根村18,178
拾玖世紀加治木(姶良市)加治木2,454加治木村※13,742
加世田村※・・・戸口表第一表にある武田村(1,016人)他を含む
加治木村※・・・1912年(明治45年)6月1日に加治木町となる。本当にギリギリ・・・

続いて「準名邑」
鹿児島県の「準名邑」は高山、山川、伊作の3つです。
名称現自治体---1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
高山肝付町高山第一表2,904高山村10,898
山川(指宿市)山川第一表2,829山川村8,911
伊作(日置市)伊作第一表2,788伊作村15,305

以下は(参考)です。後に「市」や「町」になるところを優先してリストアップしており、「明治の合併」が大規模に行われた鹿児島県においては下表に掲げたところ以外にも、かなり人口を擁した邑があります。
名称現自治体---1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
上出水出水市出水第一表2,461上出水村13,068
宮之城さつま町宮之城第一表2,417宮之城村11,761
谷山(鹿児島市)谿山第一表2,329谷山村28,350
内之浦(肝付町)内之浦第一表1,733内之浦村5,861
重富(姶良市)重富第一表1,477重富村5,185
西市来(いちき串木野市)市來第一表1,187西市来村8,000
大口伊佐市大口第一表1,140大口村7,470
隈之城薩摩川内市向田第一表1,096隈之城村9,670
国分霧島市國分第一表1,084国分村8,647
西国分(霧島市)濱ノ市第一表1,049西国分村11,588
東串良東串良町柏原第一表949東串良村6,738
福山(霧島市)福山第一表775福山村9,776
中伊集院日置市伊集院第一表714中伊集院村10,436
串木野いちき串木野市串木野第一表470串木野村22,677
名瀬奄美市名瀬第二表2,860名瀬村16,510
大崎大崎町大崎第二表1,686大崎村9,268
大根占錦江町大根占第二表1,484大根占村8,243
川辺南九州市平山第二表293川辺村17,459
西串良(鹿屋市)串良第二表215西串良村8,321
知覧(南九州市)知覧第二表96知覧村※17,559
中出水(出水市)下知識村第三表3,740中出水村12,199
財部(曽於市)北俣村第三表2,725財部村9,366
岩川(曽於市)五十町村第三表2,665岩川村6,111
蒲生(姶良市)上久徳村第三表2,607蒲生村9,942
頴娃(南九州市)郡村第三表2,389頴娃村25,457
帖佐姶良市東餅田村第三表2,369帖佐村8,427
東市来(日置市)長里村第三表2,031東市来村13,838
東加世田(南さつま市)益山村第三表1,859東加世田村13,412
末吉曽於市二之方村第三表1,828末吉村14,218
栗野湧水町木場村第三表1,801栗野村7,328
横川(霧島市)中之村第三表1,604横川村7,821
高尾野(出水市)柴引村第三表1,444高尾野村6,931
北種子西之表市現和村※第三表1,333北種子村14,636
菱刈(伊佐市)前目村第三表1,320菱刈村5,873
東方瀬戸内町東方阿木名村第三表921東方村8,564
牧園(霧島市)記載なし牧園村7,292
知覧村※・・・戸口表第三表にある郡村(2,835人)他を含む。
現和村※・・・太平洋側方面にあり、西之表の現在の中心市街地とは異なる。

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します
[101993] 2021年 5月 19日(水)13:10:20【1】白桃 さん
名邑三世代.その61(鹿児島県・中間補足)
鹿児島県の主邑を語る場合、麓(集落)に触れないわけにはいきません。
麓(集落)については何度か取り上げてきましたが、改めて説明させていただこう…いやいや面倒なので、ここは平凡社「世界大百科事典」第2版の力を借りましょう。
近世薩摩藩領域内に分布する在郷武士団の居住集落で,軍事的・行政的機能を有する。府下あるいは府本とも書く。藩内では鹿児島城下に居住する城下士のほかに,領域内の100余から110前後の各地に外城(とじよう)を置き,外城衆中(しゆうじゆう)と呼ぶ郷士を配置して藩領の防衛を担当させ,支配層として定着させた。麓集落は藩領内の地方行政の中心であったので,例えば都城(みやこのじよう),国分,加治木,出水(いずみ)などの大きなものは小藩の城下町にも相当する程度の規模を有した。
下は、「町村合併促進法(1953年10月1日施行)」以前に鹿児島県に成立した「町」について、成立順に並べたものです。これをみると、大島郡(奄美大島以南)を除くと殆どの街が麓に関係していることが分かります。
※麓集落欄
◎:旧)村の中心部に麓があった。
○:旧)村域内に麓があった。
町制年月日町名町制前村名麓集落戸口表現在
1912.06.01加治木加治木第一表(姶良市)
1912.12.31鹿屋鹿屋第一表鹿屋市
1913.07.01志布志東志布志第一表志布志市
1917.04.01出水上出水第一表出水市
1918.04.01大口大口第一表伊佐市
1919.07.01宮之城宮之城第一表さつま町
1922.04.01伊集院中伊集院第一表日置市
1922.10.01名瀬名瀬第二表奄美市
1922.10.01末吉末吉第三表曽於市
1922.12.01伊作伊作第一表(日置市)
1923.07.01枕崎東南方第一表枕崎市
1923.07.01米ノ津中出水第三表(出水市)
1923.10.13川辺川辺第二表南九州市
1924.01.01加世田加世田第一表南さつま市
1924.04.01岩川岩川第三表(曽於市)
1924.09.01谷山谷山第一表(鹿児島市)
1924.12.01垂水垂水第一表垂水市
1925.01.01阿久根阿久根第一表阿久根市
1925.01.01万世東加世田第三表(南さつま市)
1926.04.01財部財部第三表(曽於市)
1926.04.01国分国分第一表霧島市
1926.04.01西之表北種子記載なし西之表市
1928.11.01蒲生蒲生第三表(姶良市)
1929.05.20川内隈之城第一表薩摩川内市
平佐第三表(薩摩川内市)
東水引第三表(薩摩川内市)
1929.10.10隼人西国分第一表(霧島市)
1929.11.01福山福山第一表(霧島市)
1930.01.01山川山川第一表(指宿市)
1930.04.01市来西市来第一表(いちき串木野市)
1932.01.01高尾野高尾野第三表(出水市)
1932.04.01知覧知覧第二表(南九州市)
1932.04.01高山高山第一表肝付町
1932.04.01栗野栗野第三表湧水町
1932.05.15串良西串良第二表(鹿屋市)
1932.10.01東串良東串良第一表東串良町
1932.10.01内之浦内之浦第一表(肝付町)
1933.05.01指宿指宿第一表指宿市
1933.08.01大根占大根占第二表錦江町
1935.04.01串木野串木野第一表いちき串木野市
1936.01.01大崎大崎第二表大崎町
1936.04.01古仁屋東方第三表瀬戸内町
1937.04.01東市来東市来第三表(日置市)
1940.04.01牧園牧園記載なし(霧島市)
1940.04.01横川横川第三表(霧島市)
1940.04.29菱刈菱刈第三表(伊佐市)
1940.11.10樋脇樋脇第三表(薩摩川内市)
1940.11.10山野山野第三表(伊佐市)
1940.11.10笠沙笠沙第三表(南さつま市)
1940.11.10中種子中種子第三表中種子町
1941.01.01根占小根占第三表南大隅町
1941.05.05和泊和泊第三表和泊町
1941.10.01喜界喜界第三表喜界町
1942.01.01亀津亀津第三表徳之島町
1942.04.01帖佐帖佐第三表姶良市
1946.09.01知名知名第三表知名町
1947.09.01佐多佐多第二表(南大隅町)
1947.10.15吾平姶良第二表(鹿屋市)
1948.10.01入来入来第三表(薩摩川内市)
1950.08.01頴娃頴娃第三表(南九州市)
1952.12.01東郷上東郷第三表(薩摩川内市)
1953.02.11吉松吉松記載なし(湧水町)
1953.05.03日当山日当山第三表(霧島市)
1953.05.03三笠三笠第三表(阿久根市)
[102001] 2021年 5月 19日(水)22:57:15白桃 さん
名邑三世代.その62(鹿児島県・後編)
【秀邑】(【大・昭の名邑】)
鹿児島県の【秀邑】は、この期に市となった、名瀬、串木野、川内と、出水、谷山、西之表、知覧、末吉、川辺、東市来、高山、米ノ津、宮之城、大口に加え、1950年国調時に3万人を超えていた頴娃の合計15を数えます。「明治の合併」が進んだ鹿児島県に対しては「秀邑」の資格要件を厳しくしているのですが、大島郡の名瀬は別として、麓集落のなかった米ノ津が「秀邑」となったのは注目に値します。[101993]で見たように、加治木から三笠までの町制施行は一町を除き「単独町制」となっています。その一町というのが隈之城、平佐、東水引の3村の合併によって成立した川内町です。この川内町には、旧村それぞれに麓集落(隈之城、平佐、水引)があったのですが、この3つの麓の中では平佐が大きかったようです。白桃ルールで川内町の【前身村】を隈之城村にしていますが、現在の薩摩川内市を見ても、平佐地区と隈之城(向田)が拮抗しているようですね。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種二級名瀬奄美市名瀬村25,816名瀬市28,970
一種二級串木野いちき串木野市串木野村22,497串木野市33,884
一種二級川内薩摩川内市隈之城村12,611川内市42,048
二種二級出水出水市出水町13,103出水町22,212
二種二級谷山(鹿児島市)谷山村25,986谷山町40,098
二種二級西之表西之表市北種子村18,154西之表町30,123
二種二級知覧(南九州市)知覧村17,414知覧町24,464
二種二級末吉曽於市末吉村17,184末吉町29,072
二種二級川辺南九州市川辺村16,315川辺町22,066
二種二級東市来(日置市)東市来村13,885東市来町20,304
二種二級高山肝付町高山村13,572高山町22,390
二種二級米ノ津(出水市)中出水村12,832米ノ津町20,280
二種三級宮之城さつま町宮之城町14,699宮之城町17,969
二種三級大口伊佐市大口町10,366大口町17,772
三種二級頴娃(南九州市)頴娃村27,092頴娃町39,483
続いて「準秀邑」
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
伊作(日置市)伊作村14,934伊作町18,868
隼人(霧島市)西国分村12,634隼人町19,705
大崎大崎町大崎村11,573大崎町18,867
蒲生(姶良市)蒲生村11,363蒲生町15,887
牧園(霧島市)牧園村11,337牧園町15,017
財部(曽於市)財部村11,321財部町18,631
万世(南さつま市)東加世田村11,104万世町13,251
串良(鹿屋市)西串良村10,551串良町18,390
伊集院日置市中伊集院村10,338伊集院町15,644
大根占錦江町大根占村10,326大根占町14,721
古仁屋瀬戸内町東方村10,211古仁屋町 11,987
山川(指宿市)山川村9,514山川町16,192
栗野湧水町栗野村9,334栗野町14,566
福山(霧島市)福山村9,110福山町12,125
横川(霧島市)横川村8,540横川町11,680
菱刈(伊佐市)菱刈村8,326菱刈町12,470
東串良東串良町東串良村8,059東串良町11,971
高尾野(出水市)高尾野村7,573高尾野町12,506
内之浦(肝付町)内之浦村7,395内之浦町11,423
国分霧島市国分村7,379国分町10,641
市来(いちき串木野市)西市来村7,205市来町10,474
岩川(曽於市)岩川村6,973岩川町11,626
参考として
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
笠沙(南さつま市)西加世田村14,990笠沙町19,930
知名知名町知名村14,615知名町15,049
喜界喜界町喜界村13,451喜界町10,999
亀津徳之島町亀津村12,911亀津町12,435
和泊和泊町和泊村12,422和泊町13,259
中種子中種子町中種子村11,072中種子町17,587
根占南大隅町小根占村9,140根占町13,430
樋脇(薩摩川内市)樋脇村8,887樋脇町13,852
佐多(南大隅町)佐多村8,730佐多町11,494
帖佐姶良市帖佐村8,637帖佐町12,980
入来(薩摩川内市)入来村7,814入来町12,135
吾平(鹿屋市)姶良村6,644吾平町10,825
注:(人口)は国勢調査人口

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
鹿児島県は「秀邑」の資格要件を厳しくしたので、「秀邑」には成れないまでも、【卓邑】なら・・・そうは問屋が卸さないのです。鹿児島県の「卓邑」は、この期に市制施行した国分と隼人、姶良、伊集院と四種の瀬戸内の5つしかありません。伊集院はやっと勝ち抜け?できましたが、憐れなのは、「準名邑」で「準秀邑」の山川です。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種一級国分(6)霧島市国分市34,256国分市53,966
二種二級隼人(6)(霧島市)隼人町26,657隼人町36,846
二種二級姶良(5)姶良市姶良町24,057姶良町42,969
二種三級伊集院(0)日置市伊集院町17,790伊集院町23,961
四種瀬戸内(8)瀬戸内町瀬戸内町23,798瀬戸内町11,649
(参考)名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
大隅(0)(曽於市)大隅町24,130大隅町13,581
大崎(0)大崎町大崎町23,922大崎町16,018
徳之島(4)徳之島町徳之島町 19,804徳之島町 13,127
山川(3)(指宿市)山川町18,186山川町10,835
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102063] 2021年 6月 4日(金)11:13:44白桃 さん
【明治の名邑並み】
今、継続中の「名邑三世代」シリーズ、「名邑三世代」の表現はあんまり適切ではなかったと反省しておりますが、ともかく、鹿児島県まで終了し、今度はいよいよ香川県となる・・・を変更し、出席番号トップの愛知県から始めます。変更の理由は、ただ単に香川県を一番最後に持っていきたいがため('◇')ゞです。残り1府11県については全てデータ原稿も準備しているのですが、ちょっと一休みします。
さて、本日は【明治の名邑並み】についてです。【秀邑】【卓邑】にも言えることですが、吟味対象期間の途中で自治体として消滅すると、残念ながらどんな「名邑」であっても「明治の名邑」「秀邑」「卓邑」にはなれません。そこで、そういった不遇?な名邑に光をあてようと、以下のようなことを画策いたしました。
まずは、「明治の名邑」と同等クラスに置きたい【明治の名邑並み】です。

白桃選「明治の名邑並み」とは、明治期に成立し消滅した「町」であって、以下の3つの条件すべてをクリアする。
1.「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」)の第一表(市街及ヒ市街ノ体裁ヲナシタル名邑)に記載されている都邑を含む
2.1の「戸口表」に記載された1個の都邑・町村の現住人員が三千人以上
である
3.明治期に町制または市制施行

推測していたのですが、以下の三つしかありません。
神奈川と熱田は【市街】と同等としても良いでしょう。少し判断に迷ったのが、1912年(明治45年)に岸和田町ほかと合併して消滅した岸和田浜です。1908年の人口も6,000人と「明治の名邑並み」と遜色はないのですが、「戸口表」が岸和田と合わさって記載されており、ここはとりあえず見送ることにしました。
名称現自治体戸口表名称戸口表人口---最終町名(消滅年)(人口)統計年
神奈川横浜市神奈川駅11,345神奈川町(1901年)18,8621898年
熱田名古屋市熱田16,390熱田町(1907年)26,0341903年
西浜大阪市西浜5,332西浜町(1897年)6,3041889年
※統計年の人口
1889年:内務省告示による現住人口
1898年:「日本帝国人口統計」による現住人口
1903年:「日本帝国人口静態統計」による現住人口
[102065] 2021年 6月 4日(金)18:54:25白桃 さん
【秀邑並み】
【明治の名邑並み】は数が少なく楽?だったのですが、【秀邑並み】はそう簡単にはいきません。

【秀邑並み】の定義
1920年(大正9年)国勢調査国勢調査時点において存在し、1950年(昭和25年)国勢調査時点には消滅している町村で、以下のいずれかの条件に適合するところ。(ただし、「明治の名邑」を除く)
1.1920年国調以降少なくとも四回の国調時点において存在し、1940年10月1日までに町制施行している町であって、最後に迎えた国勢調査においては1万人(宮崎県においては2万人)を超え、1920年国勢調査においては5千人(宮崎県においては1万人)を超えている。なお、1920年国調から消滅時点の間に廃置分合している場合は、1920年国勢調査においてその前身自治体が5千人(宮崎県においては1万人)を超えていること。
2.1920年国調以降少なくとも四回の国調時点において存在し、最後に迎えた国勢調査において3万人を超えている町村
3.1920年国調以降二回以上の国調時点において存在し、最後に迎えた国勢調査において10万人を超えている町
4.1920年国調以降二回以上の国調時点において存在し、最後に迎えた国勢調査及び1920年国勢調査の両回とも5万人を超えている町
条件1.条件2.に「1920年国調以降少なくとも四回の国調時点において存在し」という邪悪?な文言を付け加えるという苦肉の策によって、以下の71のマチが除外されます。(- の後は現在の市区名 )
豊崎-大阪-今宮-大阪-日暮里-荒川-淀橋-新宿-亀戸-江東-王子-北-大井-品川-大崎-品川
吾嬬-墨田鷺洲-大阪千駄ヶ谷-渋谷鶴橋-大阪中本-大阪愛知-名古屋中野-中野三河島-荒川
代々幡-渋谷巣鴨-豊島大久保-新宿高田-豊島大島-江東呼続-名古屋中津-大阪千種-名古屋
田浦-横須賀入新井-大田戸塚-新宿堅粕-福岡岩淵-北羽田-大田目黒-目黒鶴見-横浜
世田谷-世田谷寺島- 墨田彦島-下関隅田-墨田深草-京都田島-川崎砂-江東山科-京都
尾久-荒川杉並-杉並住吉-福岡玉出-大阪鯰江-大阪三川-大牟田大里-北九州伝法-大阪
千代-福岡小松川-江戸川三篠-広島板櫃-北九州潮田-横浜国分-久留米千船-大阪西中島-大阪
神津-大阪湊-八戸駒沢-世田谷野方-中野落合-新宿蒲田-大田本田-葛飾池上-大田
西新井-足立長崎-豊島松江-江戸川今津-西宮奥戸-葛飾練馬-練馬西灘-神戸
まるで辻褄合わせのような定義ですが、条件1によって後藤寺はじめ22の街が、条件2によって小田と大庄が、条件3によって渋谷、西巣鴨、滝野川、荏原が、条件4によって南千住、の合計29が「秀邑並み」に決定しました。
後藤寺は田川市の「前身町争い」で伊田の後塵を浴び、中舞鶴は東舞鶴市の「前身町争い」で新舞鶴に後れをとり…と勝手に決めつけていますが…ともかく救われて良かったです。
現在は北九州市となっている企救と曾根は旧小倉市に、折尾は旧八幡市に編入されています。
尼崎市と合併した2村のうち、小田は人口の上では旧尼崎市と遜色なく、編入ではなく新設合併であったのも頷けます。
大牟田に編入された駛馬ですが、何度聞いても読み方が覚えられませんが「はやめ」なんです。
大都市とは呼べないところと一緒になって消滅した街も結構見受けられますが、高千帆、栗原なんかはシブいところです。
私が最も馴染み深いのは宇野なんですが、富田、中関、春木も白桃好みです。
名称現自治体1920年(人口)---消滅前名称消滅年最終人口※
後藤寺田川市後藤寺町28,319後藤寺町1943年30,640
駛馬大牟田市駛馬村16,585駛馬町1941年21,870
中舞鶴舞鶴市中舞鶴町19,518中舞鶴町1938年11,688
企救北九州市企救町16,176企救町1937年18,843
加茂名徳島市加茂名町9,949加茂名町1937年12,997
浜寺堺市浜寺町8,511浜寺町1942年18,823
宇野玉野市宇野町8,223宇野町1940年10,468
折尾北九州市折尾町7,803折尾町1944年13,026
富田四日市市富田町7,056富田町1941年10,749
魚崎神戸市魚崎町5,023魚崎町1950年12,198
足柄小田原市足柄村11,945足柄町1940年※16,807
相浦佐世保市山口村11,133相浦町1938年14,606
中関防府市中関村10,361中関町1936年11,207
曾根北九州市曾根村9,580曾根町1942年12,335
垂水神戸市垂水村9,378垂水町1941年23,140
富洲原四日市市富洲原村8,906富洲原町1941年14,616
助川日立市高鈴村8,401助川町1939年22,494
春木岸和田市北掃部村8,136春木町1942年19,350
高千帆山陽小野田市高千帆村7,540高千帆町1940年※15,101
上飯田飯田市上飯田村7,478上飯田町1937年11,407
栗原尾道市栗原村7,195栗原町1937年10,316
小宮八王子市小宮村6,336小宮町1941年12,907
小田尼崎市小田村20,262小田村1936年54,484
大庄尼崎市大庄村5,666大庄村1942年43,971
渋谷渋谷区渋谷町80,799渋谷町1932年102,056
西巣鴨豊島区西巣鴨町51,478西巣鴨町1932年115,654
南千住荒川区南千住町50,713南千住町1932年56,010
滝野川北区滝野川町40,689滝野川町1932年100,746
荏原品川区平塚村8,522荏原町1932年132,108
※最終人口とは最後に迎えた国調の人口ですが、当然ながら消滅年より前に行われた国調となります。ただし、足柄と高千帆は1940年国調人口です。
[102068] 2021年 6月 6日(日)00:31:03白桃 さん
【卓邑並み】
どなたもお望みではない('◇')ゞでしょうが、【明治の名邑並み】【秀邑並み】の次は【卓邑並み】です。

【卓邑並み】の定義
1960年(昭和35年)国勢調査時点において存在し、2000年(平成12年)国勢調査時点には消滅している市町(村)で、以下のいずれかの条件に適合するところ。(ただし、「明治の名邑」、「秀邑」を除く)
1.消滅時点までに市制施行している
2.後に記す「特則」を適用する都府県を除いては、
消滅時点までに町制施行している町であって、最後に迎えた国勢調査においては2万人を超え、1960年国勢調査においては1万人を超えている。なお、1960年国調から消滅時点の間に廃置分合している場合は、1960年国勢調査においてその前身自治体が1万人を超えていること。
3.最後に迎えた国勢調査において5万人を超えている町村

「茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、静岡県、愛知県、大阪府、兵庫県、奈良県及び福岡県の特則」
条件2を以下のようにする。
2. 消滅時点までに町制施行している町であって、最後に迎えた国勢調査においては3万人を超え、1960年国勢調査においては1万5千人を超えていること。なお、1960年国調から消滅時点の間に廃置分合している場合は、1960年国勢調査においてその前身自治体が1万5千人を超えていること。ただし、1955年10月1日時点で町制施行している場合は、最後に迎えた国勢調査において2万人を超え、1960年国勢調査において1万人を超えていれば可とする。

「定義」に則り以下の13の街が「卓邑並み」に決まりました。
当然ながら「秀邑並み」に比して新興の街が多いのです。名称に関して、河内→河内市、宮城→宮城町としたのは、旧国名や県名と紛らわしいからです。枚岡→枚岡市としたのは、枚岡市の「前身町」を枚岡街ではなく、縄手町としているからです。筑波→筑波北条は筑波町の前身である北条町の名を付けました。奇しくも五日市が二つありましたので、旧国名を冠しました。
宮城町の四ヶ月後に仙台に編入された泉ですが、泉中央駅周辺は仙台の副都心だけあって、立派な大都会の景観を呈しています。もう、かなり前になりますが、足助から移動して猿投に着いたとき、「街歩き」をしてみようという気には…あんまりなれなかった…。
名称現自治体---1960年(人口)---消滅前名称消滅年最終人口※
河内市東大阪市河内市55,132河内市1967年91,853
枚岡市東大阪市枚岡市50,115枚岡市1967年79,524
仙台市泉町13,652泉市1988年124,216
亀田函館市亀田村18,613亀田町〇1973年50,623
篠ノ井長野市篠ノ井市29,329篠ノ井市1966年29,340
安芸五日市広島市五日市町23,629五日市町1985年87,325
祇園広島市祇園町15,878祇園町1972年39,922
筑波北条つくば市筑波町23,817筑波町1988年22,860
猿投豊田市猿投町21,610猿投町1967年22,561
可部広島市可部町17,628可部町1972年26,892
武蔵五日市あきる野市五日市町14,853五日市町1995年21,553
手稲札幌市手稲町11,158手稲町1967年26,309
宮城町仙台市宮城村15,991宮城町1987年27,694
〇亀田町:1970年国勢調査時点では町であったが、1971年に市制施行
※最終人口とは最後に迎えた国調の人口ですが、当然ながら消滅年より前に行われた国調となります。
[102106] 2021年 6月 17日(木)02:40:04白桃 さん
名邑三世代.その63(愛知県・前編)
[102063]でお伝えしたように、出席番号順?に愛知県から再開します。

【明治の名邑】
愛知県の「明治の名邑」は、「戸口表」に従うと「特選市街」の名古屋、「市街」の岡崎と豊橋、「市街」に成り損ねた名邑筆頭の一宮、中世より栄えてきた津島、尾張藩付家老成瀬家の城下であった犬山、三河の城下町・西尾、成岩・亀崎・半田の半田三人衆?、
豊田の前身・拳母、なぜだか蟹江、新城、知立、そして何やら怪しげな西枇杷島の15になります。えっ!愛知の「名邑」はたったの15!。アノ街、コノ街はなぜ入っていない???。愛知県から厳しいクレームが付いた…ワケではありませんが、客観的に見ても「戸口表」は愛知県に厳しすぎます。そこで白桃は、19世紀枠として東海道53次の40番目宿・鳴海、招き猫の常滑、碧海の主邑・大浜、そして陶都・瀬戸を追加いたしました。そして忘れてはならないのは、幻の「市街」熱田です。忘れそうになりましたが、名邑代表はヒマそうにしている「東かがわ市より都会な町」大会準優勝の蟹江にお願いしましょう。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
特選市街名古屋名古屋市名古屋131,492名古屋市378,231
熱田16,390(名古屋市)
市街岡崎岡崎市岡崎12,742岡崎町24,824
市街豊橋豊橋市豊橋10,904豊橋市43,980
名邑一宮一宮市一ノ宮9,548一宮町18,166
名邑成岩(半田市)成岩8,739成岩町8,813
名邑津島津島市津島8,317津島町13,056
名邑犬山犬山市稲置6,682犬山町10,205
名邑亀崎(半田市)亀碕6,012亀崎町14,190
名邑蟹江蟹江町蟹江本町5,919蟹江町11,275
名邑西尾西尾市西尾5,433西尾町14,149
名邑半田半田市半田5,100半田町8,292
名邑新城新城市新城3,820新城5,012
名邑挙母豊田市挙母3,698挙母町10,446
名邑知立知立市知立3,187知立町8,697
名邑西枇杷島(清須市)枇杷島※5,750西枇杷島町5,633
拾玖世紀枠鳴海(名古屋市)鳴海6,278鳴海町7,556
拾玖世紀枠常滑常滑市常滑6,078常滑町7,362
拾玖世紀枠大浜(碧南市)大浜5,441大浜6,102
拾玖世紀枠瀬戸瀬戸市瀬戸5,076瀬戸町 14,112
枇杷島※・・・戸口表第一表ある枇杷島ですが、西枇杷島町だけではなく、枇杷島町を含んでいると考えています。

続いて「準名邑」
準名邑現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
小牧小牧市小牧第一表2,989小牧町10,631
田原田原市田原第一表2,673田原町11,819
刈谷刈谷市刈谷第一表2,462刈谷町8,035
一色(西尾市)一色第一表3,165一色村※16,008
内海(南知多町)内海第二表4,615内海町5,944
武豊武豊町武豊第二表3,623武豊町4,335
岩倉岩倉市岩倉第二表3,197岩倉町8,749
三谷(蒲郡市)三谷第二表3,067三谷町4,378
刈谷は「準名邑内規」に38人足りないのですが、大目に見ることにしました。
一色村※・・・1892年~1906年は「町」でした。
さらに続きます。
(参考)現自治体---1886年戸口表(人口)--1908年(人口)備考
横須賀(東海市)横須賀第一表1,805横須賀町8,516
足助(豊田市)足助第一表1,651足助町2,531挙母より町制施行古い
知多大野(常滑市)大野第二表2,294大野町2,460
福岡(岡崎市)福岡第二表2,047福岡町3,556
清洲清須市清洲第二表2,036清洲町4,101
矢作(岡崎市)矢作第二表1,694矢作町10,648日吉丸が蜂須賀小六に出会ったのはこのあたり?
赤坂(豊川市)赤坂第二表1,545赤坂町1,616夏の月
御油(豊川市)御油第二表1,527御油町1,896御油より出でて赤坂や
豊川豊川市豊川第二表1,265豊川町7,894
有松(名古屋市)有松第二表1,253有松町2,194
福江(田原市)第二表1,150福江町10,990
八名大野(新城市)大野第二表1,012大野町1,544
海老(新城市)海老第二表925海老町2,936
碧海新川碧南市北大浜村第三表4,780新川町7,416
豊浜南知多町豊浜村第三表3,786豊浜町6,415
大高(名古屋市)大高村第三表3,405大高町3,993
高浜高浜市高浜村第三表3,343高浜町8,683
(一宮市)奥村第三表3,179奥町5,600
呼続(名古屋市)千竈村第三表2,951呼続町※10,803※呼続(よびつぎ)町は瑞穂村と合併
布袋(江南市)小折村第三表2,938布袋町7,616
祖父江(稲沢市)下祖父江村第三表2,682祖父江町14,764
安城安城市安城村第三表2,634安城町15,057
千種(名古屋市)千種村第三表2,462千種町10,209
木曽川(一宮市)黒田村第三表2,454黒田町※8,3931910年木曽川町に改称
岡田(知多市)岡田村第三表1,967岡田町2,133
蒲郡蒲郡市蒲郡村第三表1,921蒲郡町10,011
下地(豊橋市)下地村第三表1,787下地町6,163
牛久保(豊川市)牛久保村第三表1,770牛久保町5,195信玄軍師、山本勘助の墓
稲沢稲沢市稲葉村第三表1,700稲沢町12,562
(一宮市)起村第三表1,594起町11,439
知多西浦(常滑市)樽水村第三表1,518枳豆志村※5,017※難読「きずし」は1911年西浦町に
河和美浜町河和村第三表1,488河和町5,260
師崎(南知多町)師崎村第三表1,415師崎町4,682
愛知(名古屋市)米野村第三表1,272愛知町14,666
清水(名古屋市)清水町第三表1,246清水町1,786
弥富弥富市鯏浦村第三表1,230弥富町4,137
古知野江南市古知野村第三表1,159古知野町11,536
二川(豊橋市)二川村第三表1,127二川町8,423
萩原(一宮市)萩原村第三表1,111萩原町7,876
国府(豊川市)国府村第三表1,080国府町4,157
勝川春日井市勝川村第三表1,076勝川町※8,266※春日井村と合併
新川(清須市)土器野新田第三表1,072新川町 5,302
(清須市)須ヶ口村第三表1,063(新川町)※※新川町の前に桃栄町に
枇杷島(名古屋市)枇杷島村第三表1,016枇杷島町3,129
平坂(西尾市)平坂村第三表1,886平坂村※8,793※1893-1906平坂町
幡豆横須賀(西尾市)上横須賀村第三表1,127横須賀村※10,065※1892-1906横須賀町
大府大府市大府村第三表1,399大府村8,373
守山(名古屋市)記載なし守山町8,976
浅井(一宮市)記載なし浅井町5,055
田口設楽町記載なし田口町3,053
広幡(岡崎市)記載なし広幡町2,429
下之一色(名古屋市)記載なし?下之一色村6,817
愛知県は、1906年(明治39年)に大規模な廃置分合(「明治の合併」パートII?)が行われており、その関係で、一色、平坂、横須賀は「町」から「村」に降格?しています。
それにしても、横須賀、大野、新川、西浦…県下で同名の町が喧嘩する。

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します
[102205] 2021年 7月 27日(火)22:41:52【1】白桃 さん
名邑三世代.その64(愛知県・中編)
少し間があきましたが、愛知県の【秀邑】から再開します。
【秀邑】(【大・昭の名邑】)
愛知県の「秀邑」の数は37と北海道に次いで多く、その中身も充実しており、少なくとも層の厚さでは福岡県をも凌いでいるのでは。
この期に市となった豊川、刈谷、碧南、春日井のうち豊川と碧南は市制施行時に三町が関与した「多核」市であり、特に碧南については、「本源因子町」の大浜が「明治の名邑(19世紀枠)」になっているので、秀邑名も「碧南市」としたほうが良いかもしれない。春日井の人口増は合併が大きく関わっているが、刈谷は純粋な人口増であります。
秀邑の二種について現行の市ごとにまとめると分かりやすい?。
安城(安城市)、古知野・布袋(江南市)、蒲郡・三谷・形原(蒲郡市)、稲沢・祖父江(稲沢市)、起・木曽川(一宮市)、一色・平坂・幡豆(西尾市)、田原・福江(田原市)、小牧(小牧市)、矢作・岩津(岡崎市)、高浜(高浜市)、二川(豊橋市)、守山(名古屋市)、大府(大府市)、岩倉(岩倉市)、横須賀・上野(東海市)、新川(清須市)、佐織(愛西市)、八幡(知多市)、甚目寺(あま市)、御津・小坂井(豊川市)、高蔵寺(春日井市)。現在では市に成っているか、市に含まれているところが多い中で、唯一、町を継続しているのが、騎手ではない武豊です。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種二級豊川豊川市豊川町8,981豊川市55,178
一種三級刈谷刈谷市刈谷町8,648刈谷市30,868
一種三級碧南碧南市新川町8,177碧南市42,724
一種三級春日井春日井市勝川町7,954春日井市48,167
二種二級安城安城市安城町18,520安城町35,188
二種二級古知野江南市古知野町13,326古知野町21,137
二種二級蒲郡蒲郡市蒲郡町11,715蒲郡町26,080
二種二級稲沢稲沢市稲沢町11,706稲沢町22,857
二種二級(一宮市)起町10,766起町25,517
二種二級一色(西尾市)一色村14,994一色町22,164
二種三級田原田原市田原町12,467田原町17,836
二種三級祖父江(稲沢市)祖父江町12,019祖父江町15,701
二種三級小牧小牧市小牧町11,864小牧町18,392
二種三級福江(田原市)福江町11,108福江町15,802
二種三級矢作(岡崎市)矢作町11,055矢作町15,970
二種三級高浜高浜市高浜町10,831高浜町19,120
二種三級二川(豊橋市)二川町10,830二川町14,860
二種三級木曽川(一宮市)木曽川町9,688木曽川町16,852
二種三級守山(名古屋市)守山町9,060守山町33,951
二種三級大府大府市大府町8,774大府町20,427
二種三級岩倉岩倉市岩倉町8,534岩倉町13,029
二種三級横須賀(東海市)横須賀町8,420横須賀町14,614
二種三級布袋(江南市)布袋町7,801布袋町10,397
二種三級新川(清須市)新川町5,871新川町14,235
二種三級三谷(蒲郡市)三谷町5,240三谷町12,615
二種三級武豊武豊町武豊町5,101武豊町11,479
二種三級佐織(愛西市)佐織村9,229佐織町11,626
二種三級八幡知多市八幡村8,931八幡町14,802
二種三級平坂(西尾市)平坂村8,607平坂町14,108
二種三級岩津(岡崎市)岩津村8,118岩津町13,280
二種三級幡豆(西尾市)幡豆村7,881幡豆町12,331
二種三級甚目寺あま市甚目寺村7,357甚目寺町10,402
二種三級上野東海市上野村7,311上野町15,274
二種三級御津(豊川市)御津村6,968御津町10,750
二種三級形原(蒲郡市)形原村6,040形原町10,807
二種三級高蔵寺(春日井市)高蔵寺村5,896高蔵寺町10,929
二種三級小坂井(豊川市)小坂井村5,574小坂井町11,261
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

祝:ソフトボール優勝!!!
[102213] 2021年 7月 30日(金)02:44:11白桃 さん
名邑三世代.その65(愛知県・後編)
中途半端に、愛知県の「準秀邑」から始めます。
「準秀邑」
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
東浦東浦町東浦村8,848東浦町16,173
富田(名古屋市)富田村8,084富田町11,201
尾張旭市旭村7,122旭町12,040
今伊勢(一宮市)今伊勢村5,968今伊勢町11,295
以下は参考です。
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
萩原(一宮市)萩原町6,618萩原町9,625
豊浜南知多町豊浜町6,295豊浜町9,129
河和美浜町河和町5,079河和町9,347
吉田(西尾市)吉田村7,157吉田町9,398
明治安城市ほか明治村10,951明治村15,325
高岡(豊田市)高岡村9,398高岡村16,555
横須賀(西尾市)横須賀村9,089横須賀村11,500
六ツ美(岡崎市)六ツ美村8,845六ツ美村11,092
依佐美刈谷市ほか依佐美村8,482依佐美村12,452
扶桑扶桑町扶桑村8,347扶桑村10,549
阿久比阿久比町阿久比村7,776阿久比村12,061
幸田幸田町幸田村7,740幸田村13,319
日進日進市日進村7,518日進村10,880
上郷(豊田市)上郷村7,059上郷村10,950
富士松(刈谷市)富士松村6,859富士松村10,956
豊明豊明市豊明村6,403豊明村11,646
猿投(豊田市)猿投村5,940猿投村10,784
天白(名古屋市)天白村5,249天白村12,699
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
愛知県の「卓邑」は、この期に市となった尾張旭、豊明、日進に加え、「疑惑の5万人」東浦、現在人口増加進行形の幸田、金魚の弥富、上野介も仁吉もゆかりの吉良、名前は美しいが昔の名前は何だっけ?の美浜、ちょっと前の朝ドラの名前と間違いそうな阿久比、愛妻の新妻?佐屋(古妻は佐織)、昔は桑畑もあり養蚕が行われていたらしい扶桑。さらにDIDで卓邑入りしたところでは、お城と会議が有名な清洲、三冠因子町の師勝を差し置いて北名古屋市の代表市庁舎を置く西春、代表市庁舎が西春にあっても死活問題でもなさそうな師勝、 瑞祥町名の大治、何といってもイチローの豊山、蜂須賀小六に「♪まちぶせ」されてた石川ひとみの出身・美和、七宝焼きの七宝、そして、田舎だから?と大学が撤退した三好の合計19です。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種二級尾張旭(7)尾張旭市旭町18,577尾張旭市75,066
一種二級豊明(7)豊明市豊明町15,366豊明市66,495
一種二級日進(2)日進市日進町11,187日進市70,188
二種二級東浦(7)東浦町東浦町20,425東浦町45,168
二種二級幸田(2)幸田町幸田町 16,467幸田町 33,408
二種二級弥富(7)弥富市弥富町 15,784弥富町 36,575
二種三級吉良(0)(西尾市)吉良町 19,386吉良町 21,656
二種三級美浜(4)美浜町美浜町19,327美浜町26,083
二種三級阿久比(0)阿久比町阿久比町12,918阿久比町24,028
二種三級佐屋(2)愛西市佐屋町 12,026佐屋町 29,802
二種三級扶桑(6)扶桑町扶桑町 11,344扶桑町 31,728
四種清洲(7)清須市清洲町10,153清洲町19,122
四種西春(7)(北名古屋市)西春村8,765西春町33,391
四種師勝(7)北名古屋市師勝村7,839師勝町 42,337
四種大治(7)大治町大治村6,455大治町 27,073
四種豊山(7)豊山町豊山村4,612豊山町13,001
四種美和(6)(あま市)美和町7,374美和町23,969
四種七宝(6)(あま市)七宝村 6,433七宝町22,436
四種三好(5)みよし市三好町9,161三好町47,684
続いて、「準卓邑」
準卓邑名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
長久手(4)長久手市長久手村6,639長久手町43,306
東郷(4)東郷町東郷村6,200東郷町 36,878
大口(3)大口町大口村10,163大口町20,633
オマケの参考
参考名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
鳳来(0)(新城市)鳳来町21,420鳳来町14,355
南知多(0)南知多町豊浜町8,958南知多町23,250
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「卓邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
注3:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102235] 2021年 8月 8日(日)23:35:03白桃 さん
名邑三世代.その66(青森県・前編)
♪「津軽海峡冬景色」のせいか、白桃の青森県に対するイメージは暗くサビシイと言う感じがどこかにあるのですが、都市に関しては、人口下降一直線とはいえ、まだまだ捨てがたいものがあります。
【明治の名邑】
「市街」は「生まれながらの市」弘前、明治期に市制施行の青森に加え、八戸が入っています。県庁となった青森の人口は1908年には弘前を約1万人上回っています。「名邑」は、黒石を筆頭に七戸、鯵ヶ沢、野辺地、三戸、五所川原、田名部と続くのですが、着目したいのは1886年時の名称です。これは、1988年(明治21年)に作成された「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」をそのまま。転載しているのですが、黒石・鯵ヶ沢・三戸がそのままになっているのに対し、七戸・野辺地・五所川原・田名部は「村」が付いているのです。これは単なる偶然や気まぐれ?ではないと思っています。というのは、翌年1989年に施行された町村制において、青森と八戸に加え、黒石・鯵ヶ沢・三戸が「町」となり、七戸・野辺地・五所川原・田名部は「村」のままであったのです。白桃は、鯵ヶ沢と野辺地を同格にしておりますが、当時は格差があったのでしょうか。気になっているからというわけではないのですが、名邑代表はへのへの野辺地にしております。('◇')ゞ
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)---1908年(人口)
市街弘前弘前市弘前28,170弘前市37,487
市街青森青森市青森14,920青森市47,206
市街八戸八戸市八戸10,520八戸町16,109
名邑黒石黒石市黒石6,197黒石町7,423
名邑七戸七戸町七戸村4,997七戸町7,029
名邑鯵ヶ沢鯵ヶ沢町鯵ヶ沢4,806鯵ヶ沢町5,038
名邑野辺地野辺地町 野辺地村4,506野辺地町8,486
名邑三戸三戸町三戸3,590三戸町4,934
名邑五所川原五所川原市五所川原村3,290五所川原町5,346
名邑田名部むつ市田名部村3,216田名部町6,987
続いて「準名邑」
名称現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
木造つがる市木造村第一表2,651木造町3,831
五戸五戸町五戸村第一表4,846五戸村6,328
川内(むつ市)川内村第一表3,236川内村5,067
藤崎藤崎町藤崎村第一表3,021藤崎村4,504
以下は(参考)です。
三本木村※は、1910年に三本木町となっています。
名称現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
三本木十和田市三本木村第一表2,101三本木村※6,567
(八戸市)濱通村湊第一表2,622湊村7,868
大畑(むつ市)大畑村第一表2,412大畑村4,328
深浦深浦町深浦村第一表2,377深浦村3,741
金木(五所川原市)金木村第一表2,359金木村4,939
油川(青森市)油川村第一表2,296油川村3,709
小中野(八戸市)小中野村第一表2,064小中野村3,741
板柳板柳町板屋ノ木村第一表2,042板柳村4,825
鶴田鶴田町鶴田村第一表1,996鶴田村5,007
十三(五所川原市)十三村第一表1,444十三村1,489
浪岡(青森市)浪岡村第一表1,139浪岡村2,506
尾上(平川市)尾上村第一表899尾上村3,165
大鰐大鰐町大鰐第二表722大鰐村4,015
柏木町(平川市)柏木町第二表716柏木町村3,977
甲地東北町甲地村第三表3,774甲地村5,287
大湊(むつ市)大湊村第三表1,393大湊村5,240
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[102236] 2021年 8月 9日(月)03:02:09白桃 さん
名邑三世代.その67(青森県・後編)
青森県は一編で終わらせるつもりでしたが、このシリーズ、一年半近く惰性的に続けているうちに、(参考)として取り上げたいところが段々多くなって、原稿が長くなってきました。ですから逆に、初めのほうで書いたワ行やヤ行の県に対しては、一編で終わらせたことを申し訳なく思っています。
さて、地図や地理に疎い人でも、県の形を見れば県名が口に出てくる青森県の続きです。
【大・昭の名邑】=【秀邑】
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級三本木十和田市三本木町7,861三本木町20,352
二種三級五戸五戸町五戸町6,497五戸町11,157
二種三級大畑(むつ市)大畑村6,570大畑町12,448
二種三級大鰐 大鰐町大鰐村5,875大鰐町11,315
二種三級大湊(むつ市)大湊村5,735大湊町14,424
三本木はもちろん、五戸、大畑、大鰐、大湊。ま、順当なところでしょう。
余談ですが、大鰐は白桃にとって青森県唯一の宿泊経験地です。

準秀邑名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
大三沢三沢市三沢村7,015大三沢町24,790
大三沢(三沢)は町制施行が遅いばかりに、白桃ルールによって「秀邑」を逸しました。

参考名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
川内(むつ市)川内町10,236川内町9,391
小湊平内町中平内村5,370小湊町9,790
東通東通村東通村7,387東通村10,761
天間林(七戸町)天間林村6,644天間林村13,829
十和田(十和田市)法奥沢村6,141十和田村10,034
浦野舘(東北町)浦野舘村5,993浦野舘村10,464
甲地 東北町甲地村5,840甲地村11,564
六ヶ所六ヶ所村六ヶ所村5,802六ヶ所村10,702
川内は、大正初期には銅山によって栄え、1920年国勢調査では田名部や大湊の人口を上回っていました。
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

~よりみち:♪「みちのく風雪みちくさ旅」~
その昔、白桃は超有名な歌手が事実上の代表を務める音楽事務所に出入りをして(別に歌手になりたいわけでは無かった)いました。その歌手、~仮にキタサン(喜多さん?)としときましょう~は、数多くのGIレースを勝った馬を持っていましたが、なぜだか、私はいつもその馬の馬券を買っていません。それで、文句を言いたいわけではありませんが、キタサンが紅白歌合戦のトリで歌った曲の歌詞に文句をつけたいのです。2番の終わりが「小樽、函館、苫小牧」で、3番の終わりが「留萌、滝川、稚内」となっており、これも気になるところがあるのですが、問題は1番の終わり。「津軽、八戸、大湊」。これは千本桜さんも仰っているのですが、ここの「津軽」はつがる市のことではなく、「津軽地方」の意で広域名称です。そして八戸という都市名がきて、シメが旧町名の大湊。みもじ、よもじ、ごもじ、にしたいのはわかりますが、ものずごくアンバランス。私は、こう提案します。現在のむつ市で小回りにするなら、「田名部・川内・大湊」。もっと広くして、下北半島周遊コースにすれば、「大間・大畑・大湊」→これがイイなおすけ。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
寄り道したので早く帰りましょう。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種二級三沢(9)三沢市三沢市36,570三沢市42,495
二種三級平賀(4)平川市平賀町25,574平賀町22,861
二種三級浪岡(2)(青森市)浪岡町24,233浪岡町20,873

準卓邑名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
木造つがる市木造町29,105木造町19,988
木造は、本来なら(参考)程度にとどめておくべきなのですが、あまりにも可哀想なので「準卓邑」にしました。

参考名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
板柳(3)板柳町板柳町21,860板柳町16,840
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102255] 2021年 8月 21日(土)12:11:14白桃 さん
名邑三世代.その68(秋田県・前編)
「もう勉強はアキタ・ケン」と言いますが、飽きるほど勉強をしたことがない白桃です。でも、地図や人口統計は一日中眺めていても飽きることがありません。
秋田県については、オフ会で湯瀬温泉に一泊する前、鷹巣、大館を歩いたぐらい、あとは角館を観光しただけなので、白桃にとってはもう殆ど知らない土地なのであります。そこで、”行稼ぎ”にムダ話です。日本文理と敦賀気比の対戦を見てたオバさんが、「新潟と福井、となり同士なんだ。」と言ったので、「隣じゃないよ。」と教育的指導をしました。すると、「間に富山があるか?」と石川県民が聞いたら怒りそうなセリフ。ま、「都道府県をまたがない移動は良いのよ。」と大きな勘違いをしているヒトなので仕方ありません。
【明治の名邑】
秋田以外に能代港が「市街」になります。そして、惜しくも「市街」を逸したもう一つの「港」・土崎港が名邑筆頭で、大舘、本庄、湯沢、大曲と「戦後生まれの市」が続きます。角館が「名邑」に入るのは当然として、「戸口表」ではナント横手は「第二表」掲載となっているのです。これはイクラナンでもオカシイ。その代わりと言って良いのかどうか、「第一表」に横手前郷が名を連ねているのです。イクラちゃんもおかしい。当然、オフ会でお世話になった鹿角の本源因子町である花輪ととともに横手を、強権発動を行使して「拾玖世紀枠」として「名邑」に追加しました。名邑代表は地味ながら岩城氏の城下町・亀田にお願いしましょう。
亀田に着いたのは、十時近かった。駅は寂しかった。だが、その前の町並みは家の構造がしっかりしていた。古い家ばかりである。想像していたより、ずっと奥ゆかしい町だった。
と、松本清張が「砂の器」で書いていますが、当時は駅前にも家並みがあったのでしょうか???
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)---1908年(人口)
市街秋田秋田市秋田29,225秋田市36,294
市街能代港能代市能代10,737能代港町17,826
名邑土崎港(秋田市)土崎9,274土崎港町15,176
名邑大舘大館市大舘7,165大舘町9,685
名邑本荘由利本荘市本庄7,080本荘町10,617
名邑湯沢湯沢市湯沢6,567湯沢町8,983
名邑大曲大仙市大曲5,131大曲町8,218
名邑角館仙北市角館3,839角館町5,886
名邑亀田(由利本荘市)亀田3,028亀田町4,450
拾玖世紀枠横手横手市横手8,111横手町14,329
(横手市)横手前郷2,375(横手町)
拾玖世紀枠花輪鹿角市花輪5,780花輪町7,749
続いて「準名邑」
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
六郷(美郷町)六郷第二表4,388六郷町7,580
浅舞(横手市)浅舞第二表4,166浅舞町6,841
新屋(秋田市)百三段新屋第二表4,022新屋町4,556
増田(横手市)増田第二表3,884増田町6,517
五城目五城目町五十目第二表3,874五城目町5,301
角間川(大仙市)角間川第二表3,371角間川町4,008
その他、(参考)として忘れてはならない所が多いのですが、後編にまわします。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[102260] 2021年 8月 23日(月)07:39:19千本桜 さん
はりぼて準名邑
[99315] 白桃さん
「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」という字句から連想するのは、町場の規模です。それが白桃さんの意図に叶っているかどうかは分からないのですが、私にはそのように映るのです。そうした場合、町場だけで構成された町村と、周辺の農村集落を多く含んだ町村との間に、溝を感じてしまうのです。
例えば、準名邑に選ばれた宮城県丸森は、農山村集落を多く含んでいるため、面積が広くて人口も多い。しかし、町場の規模は、同じ凖名邑の亘理・中新田などに比して小規模である。それに対し、凖名邑に選出されなかった宮城県吉岡は、周辺集落を少ししか含まず、面積が狭く人口数も多くない。しかし、町場の規模は丸森より大きい。そのような訳で、私は丸森を「はりぼて凖名邑」または「上げ底凖名邑」・「粉飾凖名邑」と呼び、吉岡を「実質凖名邑」と呼びたいのですが、いかがでしょうか。でも、これを言うと、全国各地に同様事例があるので、面倒臭くなりそうですが‥‥。
白桃さんの体力が戻って来たので安心して、少し難問を投げかけてみました。
[102265] 2021年 8月 23日(月)16:09:03白桃 さん
Re:はりぼて準名邑
[102260]千本桜 さん
準名邑に選ばれた宮城県丸森は、農山村集落を多く含んでいるため、面積が広くて人口も多い。しかし、町場の規模は、同じ凖名邑の亘理・中新田などに比して小規模である。それに対し、凖名邑に選出されなかった宮城県吉岡は、周辺集落を少ししか含まず、面積が狭く人口数も多くない。しかし、町場の規模は丸森より大きい。そのような訳で、私は丸森を「はりぼて凖名邑」または「上げ底凖名邑」・「粉飾凖名邑」と呼び、吉岡を「実質凖名邑」と呼びたいのですが、いかがでしょうか。
いつもお世話になっております。仰っていることは良く理解できますし、ご提案のようなことを考えたこともないわけでは無いのです。ただ、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(以下、「戸口表」)を全面的に信頼しているわけではありませんが、「戸口表」以上に町場の規模を正確に伝える資料・データが見当たらない(正直、今から探す気が無い。)ので、もう一歩前に踏み出すことを躊躇しているのです。
「名邑」(「明治の名邑」)の定義は[99245]にても公表しておりますが、「準名邑」については、ぼやかしています。ただ、非公開文書(笑)には、以下の要件を備えたところと書かれています。
1.「明治期」に「町」となる。(ただし、他地域と比較して、当該地域・当該都邑が特に配慮すべき状況下にある場合などは、昭和初期までに町制施行している場合でも可とする、ことがある。)
2.「戸口表」第一表に記載され、その現住人口が2,500人以上、もしくは、「戸口表」第二表に記載され、その現住人口が3,000人以上となっている。(お酒がはいって気分がよいと、アバウト2,500人となる。)

以下に示した仙南地方に焦点を合わせると、白桃の内規ではご案内の通り丸森と亘理が「準名邑」になるのですが、どちらも町村制が施行された直後の明治22年末の内務省告示による現住人口(もちろん、町場の人口ではない)と「戸口表」現住人口(町場の人口であるはず)が大差がないことから、仰る通り丸森や亘理の「戸口表」現住人口は町場の人口ではないのでは、と言う気持ちが強まっています。(◎は第一表、○は第二表、△は第三表、に記載されたところです。)
明治22年内務省告示-----明治19年戸口表---明治12年共武政表---明治8年共武政表
白石町6,886白石◎5,251白石4,508白石驛3,313
七ヶ宿村2,512
小原村2,283小原村△2,070
越河村2,612
齋川村1,900齋川村△1,736
大平村1,689
大鷹澤村2,147
白川村2,305
福岡村3,891
宮村2,972宮村○2,716
圓田村4,130
大河原町4,297大河原○2,489大河原驛2,030大河原驛1,447
村田村4,639村田○1,758村田驛1,631村田村1,200
槻木村6,540入間野村△1,290
金ヶ瀬村2,366平村△1,492金ケ瀬驛1,411金ケ瀬驛1,063
船岡村3,269舟岡○1,784舩岡村1,181
沼邊村2,597
富岡村2,457
川崎村3,845前川村△1,394
角田町6,044角田◎4197角田3,829角田本郷3,105
丸森村4,852丸森○4,404丸森4,070
金山村2,062金山○1,782
筆甫村1,089
大内村3,144大内村△1,415
小齋村1,761小齋村△1,575
枝野村2,168
藤尾村3,417藤田村△1,530
尾山村△1,213
櫻村2,233佐倉村△1,550
東根村2,045
北郷村3,044
西根村3,265
舘矢間村3,390舘山村△1,169
大張村1,595
耕野村1,464
亘理町3,614亘理○3,447小堤2,847亘理驛1,712
坂元村3,357坂元村△2,674
山下村5,028山寺村△1,687
吉田村2,674吉田村△1,488
逢隈村5,650
荒濱村3,135荒濱○2,692高須賀2,301荒濱港1,555
[102269] 2021年 8月 24日(火)04:55:02白桃 さん
名邑三世代.その69(秋田県・後編)
[102255]にて、
秋田県については、オフ会で湯瀬温泉に一泊する前、鷹巣、大館を歩いたぐらい、あとは角館を観光しただけなので、白桃にとってはもう殆ど知らない土地なのであります。
と書きましたが、白桃にとって秋田(県)はまったく縁もゆかりもないわけではありません。まず、義理の姉(兄嫁)は能代出身です。それから、学生時代四畳半の下宿の壁には、後にナントカ協会の合同カントカで世間を騒がせた秋田出身のアイドルのポスターを貼っていました。そして、リハビリでお世話になった女性インストラクターは、(別にこちらから聞いたわけでは無いのですが)秋田大学を卒業したとか仰ってました。この方は多分、医学部保健学科だと思うのですが、秋田大学と言えばかつて鉱山学部がありました・・・とムリヤリ、鉱山の話にもってきました。
そうなんです。秋田県の市町村人口の推移を語るとき、鉱山を忘れてはならないのです。
以下は、「準名邑」にもなれない秋田県の街々です。
現自治体---1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
岩崎(湯沢市)岩崎第一表1,215岩崎町2,370
矢島(由利本荘市)矢嶋第一表1,184矢島町6,253
毛馬内(鹿角市)毛馬内第二表2,680毛馬内町4,909
扇田(大館市)扇田第二表2,662扇田町4,029
象潟にかほ市塩越第二表2,409象潟町3,578
十二所(大館市)十二處第二表2,312十二所町4,258
檜山(能代市)檜山第二表1,764檜山町3,142
鷹巣北秋田市鷹巣第二表1,500鷹巣町2,501
大森(横手市)大森第二表1,500大森町2,481
西馬音内羽後町西馬音内第二表1,392西馬音内町4,161
牛島(秋田市)牛島第二表1,206牛島町2,094
院内(湯沢市)院内銀山町第三表3,039院内町11,185
神宮寺(大仙市)神宮寺村第三表2,792神宮寺町3,546
刈和野(大仙市)刈和野村第三表2,031刈和野町2,269
阿仁合(北秋田市)小沢鉱山第三表2,021阿仁合町9,206
船越(男鹿市)船越村第三表2,007船越町2,677
金沢(横手市)金沢村第三表1,729金沢町6,265
平沢(にかほ市)平沢村第三表1,669平沢町3,570
稲庭(湯沢市)稲庭村第三表1,617稲庭町2,313
米内沢(北秋田市)米内沢村第三表1,443米内沢町4,241
北浦(男鹿市)北浦村第三表1,286北浦町7,061
金浦(にかほ市)金浦村第三表1,271金浦町3,194
沼舘(横手市)沼舘村第三表1,175沼舘町4,511
天王潟上市典農村第三表3,558天王村5,788
鹿渡(三種町)鹿渡村第三表3,184鹿渡村6,010
八森八峰町八森村第三表3,127八森村7,924
尾去沢(鹿角市)尾去沢鉱山第三表2,836尾去沢村4,444
大湯(鹿角市)大湯村第三表2,146大湯村5,104
小坂小坂町小坂村第三表1,939小坂村14,975
花岡(大館市)花岡村第三表1,485花岡村2,069
船川港男鹿市記載なし船川港町5,128
横堀(湯沢市)記載なし横堀町2,294
二ツ井(能代市)記載なし二ツ井町1,803
上の表で1908年(明治41年)の人口をみますと、鉱山のあった院内(銀山)、小坂、阿仁合は驚くほどの数字を示しています。鉱山のあるマチの人口統計は、(労働を強いられた)外国人労働者が多いことや短期間にヒトが入れ替わるなどの理由であまり正確でないかもしれませんが、とにかく人口が急増、激減するのが鉱山の街の人口推移の特徴と言えるでしょう。
上記の表で、岩崎、矢島、毛馬内、十二所、檜山は「生まれながら町」ですが、ちょっとソレにしては…と言う感じです。♪秋田名物八森ハタハタ~で有名な八森にも複数の鉱山が存在しており、それなりに賑わっていたようですが、八森が町制施行となるのはズウーと後のことです。話は逸れますが、西馬音内の盆踊りはナカナカのものです。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
秋田県の「秀邑」は以下の五つです。小坂は勿論、尾去沢、花岡も「鉱山の街」として有名です。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級小坂小坂町小坂町14,681小坂町13,109
二種三級矢島(由利本荘市)矢島町6,867矢島町10,139
二種三級船川港男鹿市船川港町6,739船川港町16,865
二種三級尾去沢(鹿角市)尾去沢村5,690尾去沢町10,322
二種三級花岡(大館市)花岡村5,668花岡町10,523
以下は参考です。増田も𠮷乃鉱山によって繁栄しました。
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
六郷(美郷町)六郷町6,986六郷町9,374
増田(横手市)増田町6,726増田町9,666
天王潟上市天王村6,558天王村11,385
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
秋田県の「卓邑」は、後に市となる三つの【前身因子町】です。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
二種三級鷹巣(9)北秋田市鷹巣町27,240鷹巣町21,818
二種三級天王(0)潟上市天王町11,847天王町21,687
四種象潟(9)にかほ市象潟町14,966象潟町13,288
象潟や 雨に西施が ねぶの花(芭蕉)
「北秋田」 大館の酒 ねぶたいな(白桃駄句)
(参考)
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
羽後(0)羽後町羽後町27,716羽後町19,485
平鹿(0)(横手市)平鹿町20,850平鹿町14,941
五城目(0)五城目町五城目町20,025五城目町12,372
比内(2)(大館市)比内町18,350比内町12,095
さーびす問題:メンナイチドリとヒナイジドリ、食べられるのはどっち???
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102299] 2021年 8月 30日(月)08:34:12白桃 さん
名邑三世代.その70(石川県・前編)
何回か経験したことなんですが・・・
「香川県の出身です。」と言うと、「県庁は松山でしたか?」 と香川県民や高松市民がガックリくるような質問を受けるのです。では、その香川県民百万人(昔はイタんだよ)のウチの百人に「金沢は何県の県庁所在地か」と尋ねてみたら、どうでしょう。多分、正確に答えられるのは10人いるかいないか、だと思います。「北陸県」という珍答もあるカポネ。ま、それぐらい金沢は誰でも知っていると思いますが、石川県の知名度は香川県と同等クラスではないでしょうか。そして、「金沢があって、ちょっと先の方へ行くと加賀屋のある温泉地がある。」ってなるぐらい能登は忘れ去られています。ま、「♪能登はいらんかいね」と坂本冬美によって売りにだされているのも致し方ないでしょう。
与太話はさて置き、石川県は当落書き帳にとって「最重要県」でありますから、前・後編なしの一編で終わらすことは出来ません。よってムダ話を続けます。('◇')ゞ
47~48年ぐらい前の話です。西洋史研究室にいた者が彼女とこっそり飛騨高山への旅行を計画していたのですが、彼女の親にバレて行けなくなってしまい「もう宿のキャンセル出来ないんで、白桃、かわりにオレの名前で行ってくれないか?」と頼まれました。「エッ、一人でか?!」となにか違和感を感じつつも承諾したのですが、案の定、高山の宿では「お一人ですか?」とヘンな目でみられました。で、せっかくだからその帰りに寄ってみよう、ということで訪れたのが私の金沢初参上です。なぜか兼六園を見物してまして、歩き回っているうちに”つっかけ”の鼻緒が切れてしまい、真夏の暑い最中、ハダシで金沢の街をウロウロしてました。で、どういうわけか、スリッパを求めに金沢大学の地理学教室に向かったのです。偶然、そこには大学の先輩で助手?をやっている先生がいて、私以上にラフな恰好(ステテコ???)のソノ先生と、いろいろ地理学方法論のハナシで盛り上がり…いやいや、そういうことは全くなく、しばし世間話をしてたような記憶が残っています。その先生は、ずっと後に岡山に教授として戻ってくるのですが、五年ほど前に岡山で再会しました。アレ、金沢の話がいつの間にか岡山のはなしに…になってはいけません。
ではアラタメまして。金沢はわが国では数少ない「都市観光に耐えうる」美しい都会だと思います。私は、上に書いた学生時代も含めて少なくとも5回は訪れているのですが、そのたびに新しい感動を覚えます。と、お世辞はこのあたりに本題に入りましょう。
【明治の名邑】
簡単に言えば、石川県は【特選市街】金沢と8つの【名邑】ということになります。
札幌、仙台や福岡が「別格市街」にとどまっているのに対して金沢は堂々の「特選市街」。ま、加賀百万石の威力はたいしたものです。名邑筆頭は「市街」になりそこねた小松。これに輪島、七尾と能登勢が続きますが、その後はすべて加賀の街。大聖寺はその名からして門前町と間違えられそうですが、城下町、宿場町として栄えていました。「城下町」と言っても「一国一城令」によって「城」を構えることは無く、陣屋があるのみ。幕末には10万石になったから、「日本最大の陣屋町」と言った方が格好いいかも。次の「名邑」の名称は「上金石」としていますが、これは、上金石町が金石町となるのが1920年(大正9年)なので仕方ありません。なお、「戸口表」時の「金石」が1889年の町村制施行時に「上金石町」と「下金石町」に分離し、「大野町」はその「下金石町」が改称したものです。美川、松任、鶴来と現在の白山市にある街が三つ入りますが、名邑代表は、当時は松任を凌いだらしい美川にしときましょう。余談ですが、アノ看板(「美川県一」)はもう無くなっていますね。鶴来は松本清張の「ゼロの焦点」に登場します。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
特選市街金沢金沢市金沢97,653金沢市110,994
名邑小松小松市小松11,721小松町14,505
名邑輪島輪島市輪島9,840輪島町11,376
名邑七尾七尾市七尾8,965七尾町11,382
名邑大聖寺加賀市大聖寺8,944大聖寺町8,920
名邑上金石(金沢市)金石9,110上金石町7,282
大野(金沢市)(金石)大野町2,222
名邑美川(白山市)美川5,524美川町5,753
名邑松任白山市松任5,154松任町6,873
名邑鶴来(白山市)鶴来3,590鶴来町4,488
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

「準名邑」からは後編に・・・
[102322] 2021年 9月 8日(水)07:42:21白桃 さん
名邑三世代.その71(石川県・後編)
現在はどうか知りませんが、「旅行業務取扱管理者」(私が関わっていた頃は「旅行業務取扱主任者」)の試験に、著名な観光地・温泉地が何県にあるか、という問題がやたら多く出されていたのですが、旅行会社の人間はともかく、旅行者は足利が栃木であろうが群馬であろうが、津和野が島根だろうが山口だろうが、そんなことは、あんまり気にしていないと思うのです。ましてや、温泉につかりながら、山中温泉のこの宿は何という市にあるのだろう、と考えている人はマズ、いないと思います。そんな事を考えていたら、お風呂から戻らないのを心配した添乗員によって発見されます。(もちろん、死体となって)
私も、温泉の大浴場でそんなことを考えることは全くありません。たとえ、ソコが杖立温泉であったとしても。というのは、温泉地に泊っても温泉に入らないことがあるし、入ったとしても、ウルトラマン同様5分以内に出なければいけないからです。
では、ソロソロ行かなくっちゃんは北海道。
[102299]の続きになります。
石川県の「準名邑」は以下の三つです。
準名邑現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
宇出津能登町宇出津第二表4,401宇出津町5,877
津幡津幡町津幡第二表3,146津幡町3,540
羽咋羽咋市羽咋第二表3,137羽咋町3,950
参考としては以下の通りです。
(参考)現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
安宅(小松市)安宅第二表2,081安宅町2,126
飯田(珠洲市)飯田第二表1,847飯田町2,498
高浜(志賀町)大念寺新第二表1,743高浜町2,378
穴水穴水町穴水第二表1,573穴水町6,660
高松(かほく市)高松第二表3,623高松村7,192
山中(加賀市)山中第二表2,393山中村3,617
小木(能登町)小木第二表1,679小木村5,412
富来(志賀町)富来第二表1,669富来村2,402
山代(加賀市)山代第二表1,622山代村2,373
木郎(能登町)松波第二表1,464木郎村7,040
田鶴浜(七尾市)田鶴浜第二表1,329田鶴浜村1,286
志雄(宝達志水町)子浦第二表1,290志雄村1,562
寺井野(能美市)寺井第二表1,230寺井野村5,818
櫛比(輪島市)門前第二表461櫛比村3,737
野々市野々市市野々市村第三表2,002野々市村2,051
上記うち、「準名邑」の宇出津、津幡、羽咋と、(参考)に記した安宅、飯田、高浜は”生まれながらの町”です。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

「秀邑」の前にブレイク…小木ですが、その変遷がややこしいので注目しています。
1921年:小木町→1955年3月宇出津町などと合併し能都町に→1955年10月に小木地区が松波町に組み込まれる→1958年松波町が内浦町に改称→2005年能都町・柳田村と新設合併により能登町に
小木には悪いですけど、なんか、主体性なくウロウロしていた感ありです。
さて、大浴場から出てきたところで、この有名な温泉は何市にあるのかジックリ考えてみましょう。(笑)
一番単純温泉は
粟津温泉・・・粟津村→1940年小松町、安宅町ほかと合併して小松市に
次に
山代温泉・・・山代村→1913年山代町→1958年大聖寺町ほかと合併して加賀市に
山中温泉・・・山中村→1913年山中町→2005年加賀市と新設合併で加賀市に
少しややこしいのが、
片山津温泉・・・1942年作見村・塩津村が合併し片山津町に(温泉は両村にまたがっていた)→1958年大聖寺町ほかと合併して加賀市に
そして
和倉温泉・・・1889年端村→1934年田鶴浜村ほかと合併して和倉町に→1939年和倉地区が七尾町ほかと合併して七尾市に
※1934年の合併の際に端村の一部にすぎなかった和倉が、中心だと思われる田鶴浜を差し置いて、なぜ町名となったのか不思議です。なお、和倉地区が抜けた後の和倉町は田鶴浜町となりますが、これは単なる「改称」としてはいけないと考えます。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
ですが、残念ながら「秀邑」も「準秀邑」もありません。
わずかに参考として
名称現自治体---920年 (人口)---1950年(人口)
七塚(かほく市)七塚村6,692七塚町9,990
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
石川県の「卓邑」は、この期に市となった珠洲、羽咋と二種二級の津幡(実質的には卓邑トップ)、四種の山中、野々市、内灘、根上(明徳に五連続敬遠された方や不適切発言の多い元首相の出身地)、能都の八つです。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種三級珠洲(3)珠洲市珠洲市35,827珠洲市19,852
一種三級羽咋(9)羽咋市羽咋市29,556羽咋市25,541
二種二級津幡(5)津幡町津幡町21,836津幡町34,304
四種山中(8)(加賀市)山中町13,650山中町10,195
四種野々市(6)野々市市野々市町8,758野々市町45,581
四種内灘(6)内灘町内灘村7,290内灘町26,560
四種根上(5)能美市根上町10,470根上町15,426
四種能都(5)能登町能都町19,348能都町11,433

参考名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
高松(2)(かほく市)高松町10,639高松町10,826
現在のかほく市においては、高松も七塚も「秀邑」「卓邑」ともに逸しています。なお、かほく市の「前身因子町」は宇ノ気です。
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102803] 2021年 10月 4日(月)10:04:53白桃 さん
名邑三世代.その72(茨城県・前編)
茨城県と言えば…、水戸黄門、なっとう、稀勢の里、ここ一番にメチャクチャ弱い高安、木内監督、豊田泰光(西鉄ライオンズ)、スカンデルベクの鷲さん、県庁が水戸の街中からエライ遠い場所にある、等々いろいろ思い浮かべるものがありますが、あまり人気の無い、はっきり言って隣の栃木県と人気の無さを張り合っている県です。私は、茨城(き)と栃木(ぎ)のナマリの区別がつきませんが、結城は茨城で、下館から行く真岡がなぜか栃木であることは知っています。そう言えば、高校一年生の初めての地理の授業で、白地図に47都道府県名を漢字で書き入れる、というテストがあって、茨木県、栃城県って書いたヤツがいました。(因みに、このテストの正解者は白桃ただ一人であった、ということは母校の名誉のためマル秘にしておきましょう。 )
人気はありませんが、茨城県は北海道に次いで「農業産出額」 が高く、メロン、くり、れんこん等、収穫量日本一の野菜・果物も多いのです。立派な「農業県」でありますが、鹿島臨海工業地帯なんかもあっていろんな顔を持っています。思い起こせば40年前、白桃まかり間違えば茨城県民(牛久市民か取手市民)になっていたかもしれません。つまり、県南は完全に東京の通勤圏でありますが、袋田の滝や筑波山、ひたち海浜公園のネモフィラを見に行くと小旅行した気分になります。
以上ゴチャゴチャ書きましたが、私にとって茨城県は、「生まれながらの町」がやたらと多い県なんです。その数40は、新潟、千葉に次いで3番目(埼玉と同数)なのです。「在郷町」の多さを物語っているのかもしれませんが、「町の安売り」をした感はぬぐえません。
【明治の名邑】
「市街」の水戸は北関東唯一の「生まれながらの市」であり関東最大の石高を誇る城下町ですが、この時代の人口規模でみると、宇都宮、高崎、前橋に「劣るとも勝らない」のです。これは、水戸藩の形式上の石高(表高)より実際の石高(内高)が常に下回っていたということに関係あるのでしょうか?
「名邑」は筆頭の土浦に続いて湊(後の那珂湊)が入ります。その後は石岡(常府)、古河、結城、太田、稲荷の笠間、下館、水海道と実にシブ~いラインナップです。よりシブい?下妻の上位にくる潮来には「橋幸夫歌手生活引退記念」に「名邑代表」になってもらいましょう。渋すぎるので、19世紀枠として磯浜(「戸口表」では第二表)を加えました。この味付けに、オオワライする者はいないでしょう。人口的には他の「名邑」とまったく遜色なく、どうして第一表でなかったのか不思議です。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
市街水戸水戸市水戸19,010水戸市38,435
名邑土浦土浦市土浦町10,295土浦町12,215
名邑(ひたちなか市)湊村9,893湊町13,367
名邑石岡石岡市石岡町8,937石岡町13,780
名邑古河古河市古河町8,647古河町13,381
名邑結城結城市結城町7,999結城町12,080
名邑太田常陸太田市太田町5,474太田町8,676
名邑笠間笠間市笠間村4,991笠間町6,972
名邑下館筑西市下館町4,691下館町7,233
名邑水海道常総市水海道駅4,655水海道町5,460
名邑潮来潮来市潮来村4,330潮来町5,403
名邑下妻下妻市下妻町3,921下妻町5,397
拾玖世紀枠磯浜大洗町磯浜8,496磯浜町13,856

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[102813] 2021年 10月 5日(火)09:01:19白桃 さん
名邑三世代.その73(茨城県・中編)
茨城県の「準名邑」は以下の6つです。
名称現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
北條(つくば市)北條村第一表2,675北條町3,744
真壁※(桜川市)真壁町第一表2,366真壁町7,081
平磯(ひたちなか市)平磯第二表5,839平磯町7,856
龍ヶ崎龍ヶ崎市龍ヶ崎第二表4,255龍ヶ崎町5,807
境町第二表3,497境町4,294
大津(北茨城市)大津第二表3,271大津町3,961
真壁※…「戸口表」の人口では、「準名邑」のレベルまでいってないが、明治12年の「共武政表」では3,035人となっており、「準名邑」に加えました。真壁は陣屋町にして、典型的な在郷町としてとり上げられています。

以下、「準名邑」にも届かないところを参考としてとりあげました。
○は「生まれながらの町」で、[102803]前編に記した「名邑」の12と「準名邑」の6を合わせると40になります。「生まれながらの町」の中には、1908年(明治31年)にもなって3,000人に届いてないところが目立ちます。
名称現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
平潟○(北茨城市)平潟村第一表1,880平潟町2,031
鹿島○鹿嶋市宮中村第一表1,803鹿島町2,479
守谷○守谷市守谷町第一表1,725守谷町2,087
鉾田○鉾田市鉾田村第一表1,426鉾田町2,225
筑波○(つくば市)筑波町第一表1,246筑波町3,285
高浜○(石岡市)高浜村第一表1,149高浜町3,276
大子大子町大子村第一表1,040大子町4,276
常磐(水戸市)常磐村第一表4,106常磐村3,361
布川○利根町布川第二表2,994布川町2,962
谷田部○つくば市谷田部第二表2,675谷田部町4,715
取手○取手市取手第二表2,416取手町3,978
江戸崎○稲敷市江戸崎第二表2,398江戸崎町2,956
玉造○(行方市)玉造第二表2,218玉造町2,626
岩井坂東市岩井第二表2,206岩井町3,961
麻生○行方市麻生第二表2,154麻生町3,907
大貫(大洗町)大貫第二表1,969大貫町2,813
豊浦○(日立市)川尻第二表1,720豊浦町3,946
柿岡○(石岡市)柿岡第二表1,709柿岡町3,277
大宮○常陸大宮市大宮第二表1,647大宮町2,607
真鍋○(土浦市)真鍋第二表1,633真鍋町3,254
小川○(小美玉市)小川第二表1,539小川町3,996
石下(常総市)本石下第二表1,169石下町※4,347
宍戸○(笠間市)平町第二表965宍戸町※5,023
松原○高萩市高萩第二表725松原町4,267
相馬○(取手市)藤代第二表595相馬町2,273
東下(神栖市)東下第二表5,103東下村6,698
高鈴(日立市)助川第二表1,667高鈴村3,639
石塚城里町石塚第二表914石塚村3,027
牛久牛久市牛久第二表859牛久村2,459
久慈(日立市)久慈村第三表2,615久慈町4,206
河原子○(日立市)河原子村第三表1,928河原子町2,907
日立日立市宮田村第三表1,143日立村2,692
関本○(筑西市)記載なし関本町4,225
石下町※…「戸口表」第二表に記載の新石下も含まれています。
宍戸町※…「戸口表」第二表に記載の太田町も含まれています。宍戸は後の友部です。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[102822] 2021年 10月 6日(水)15:41:22白桃 さん
名邑三世代.その74(茨城県・後編)
茨城県の「秀邑」と「卓邑」については、ムダ口をたたかず、サラ~といきます。
【秀邑】(【大・昭の名邑】)
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種二級日立日立市日立村25,263日立市56,066
二種三級高萩高萩市松原町7,635高萩町19,449
二種三級平磯(ひたちなか市)平磯町7,036平磯町10,604
二種三級龍ケ崎龍ケ崎市龍ケ崎町6,152龍ケ崎町13,848
二種三級久慈(日立市)久慈町5,685久慈町11,111
二種三級宍戸(笠間市)宍戸町5,336宍戸町11,018
二種三級磯原北茨城市北中郷村10,265磯原町13,696
二種三級波崎(神栖市)東下村7,775波崎町15,030
二種三級岩瀬桜川市西那珂村7,202岩瀬町10,935
二種三級岩間(笠間市)岩間村5,610岩間町10,098
三種三級多賀(日立市)河原子町2,822多賀町36,913
参考として
名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
真壁(桜川市)真壁町7,048真壁町9,785
取手取手市取手町3,888取手町10,780
勝田ひたちなか市中野村3,362勝田町24,033
南中郷(北茨城市)南中郷村8,976南中郷村11,493
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種一級ひたちなか(9)ひたちなか市勝田市43,286ひたちなか市151,673
一種二級岩井(5)坂東市岩井町33,366岩井市43,421
一種二級取手(9)取手市取手町22,582取手市82,527
一種二級つくば(5※)つくば市谷田部町20,570つくば市165,978
一種二級鹿嶋(4)鹿嶋市鹿島町16,132鹿嶋市62,287
一種二級牛久(5)牛久市牛久町16,131牛久市73,258
二種二級大子(0)大子町大子町40,178大子町23,982
二種二級茨城(0)茨城町茨城町30,845茨城町35,296
二種二級八郷(0)(石岡市)八郷30,670八郷町30,551
二種二級那珂(0)那珂市那珂町30,556那珂町45,983
二種二級阿見(4)阿見町阿見町22,326阿見町46,922
二種二級守谷(3)守谷市守谷町11,449守谷町50,362
二種二級総和(2)(古河市)総和村20,703総和町48,007
二種二級三和(0)(古河市)三和村19,269三和町39,718
二種二級神栖(4)神栖市神栖村16,326神栖町48,575
二種三級鉾田(0)鉾田市鉾田町28,657鉾田町28,225
二種三級大宮(0)常陸大宮市大宮町24,594大宮町27,126
二種三級境(6)境町境町22,587境町27,171
二種三級真壁(0)(桜川市)真壁町21,959真壁町20,039
二種三級石下(0)(常総市)石下町19,304石下町24,230
二種三級江戸崎(0)稲敷市江戸崎町13,017江戸崎町20,456
二種三級藤代(5)(取手市)藤代町12,606藤代町33,466
※つくばのDID5回のうち2回は、つくば市成立前に桜村が記録したものです。
続いて、「準卓邑」と(参考)です。
準卓邑
名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
東海(4)東海村東海村13,978東海村34,333
美野里(0)小美玉市美野里町14,680美野里町25,040
八千代(0)八千代町八千代村24,438八千代町24,352
伊奈(0)つくばみらい市伊奈村12,010伊奈町25,569
千代田(4)かすみがうら市千代田村11,620千代田町26,660
(参考)
名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
麻生(0)行方市麻生町20,182麻生町16,587
小川(0)(小美玉市)小川町15,762小川町19,501
利根(4)利根町利根町9,279利根町19,033
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102852] 2021年 10月 15日(金)18:02:11白桃 さん
名邑三世代.その75(岩手県・前編)
もうかなり前のことですが、旅行会社の社員を対象に行われる「旅行業務管理者研修」のテキストである「国内旅行実務・主要観光地」の中で(岩手県の県庁所在地:岩手市)という笑うに笑えない記載がありました。でも、県土面積全国一という広いこころでもって、その程度のことは許してくれるでしょう。ところで、岩手県の面積は北海道に次いで広いというのは紛れもない事実なのでしょうけど、彼女からプレゼントされた地図帳を眺めながら白桃少年は「福島、長野、新潟は絶対、岩手県より広い」とつぶやいていたのでした。その思いは60年以上経った今でも変わりません。
【明治の名邑】
「岩手市」に県庁を奪われそうになった盛岡ですが、もちろん、岩手県唯一の「市街」であります。名邑筆頭が遠野というのは、柳田國男もビックリ、でしょうが、明治期にはヒトもカッパも多かったに違いない。水沢、一関、宮古、釜石と続く名邑上位ラインナップにはさして驚くことも無いのですが、問題はその次の黒沢尻と花巻川口。「戸口表」第一表には「黒沢尻村町分」・「黒沢尻村里分」と「里川口」「川口」の4つが現住人員3000名を超える名邑として載っているのです。黒沢クンのお尻まわりはともかくとして、「川口」の存在と消息が不明なのです。いったいどこへ行ってしまったのでしょうか?まさに♪どこへ行ったのジュ~~リーです。このことは私の頭を大いに悩ませました。これに比べれば、あのアインシュタインが「一般相対性理論」を構築するのに悩んだことはどうってことないでしょう。詳しいことは不思議のクニの名邑(マチはラビリンス)に集めた関連記事をお読み頂ければ良いのですが、結局、各々は併存しているのではなく、「黒沢尻村町分」の中に「黒沢尻村里分」が、「里川口」の中に「川口」があると言うことで、自分自身を納得させました(確証があるわけではありません)。なお、「名邑」名称は「花巻川口」となっていますが、花巻市の「本源因子町」は町村制施行と同時に町となった「里川口」であります(1897年に里川口町から花巻川口町に名称変更)。二つの不可解な名邑に続き、山田、鍬ヶ崎(くわがさき)、岩谷堂(後の江刺市の中心地区)が入り、今夜のメインディッシュは豪華に前沢(牛)といきましょう。名邑代表は、学生時代にレポートを書いたかも、そんな微かな記憶がある岩谷堂にお願いしましょう。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
市街盛岡盛岡市盛岡30,166盛岡市36,012
名邑遠野遠野市横田6,236遠野町6,388
名邑水沢奥州市水沢5,408水沢町9,598
名邑一関一関市磐井4,969一関町8,277
名邑宮古宮古市宮古4,739宮古町6,947
名邑釜石釜石市釜石4,536釜石町8,641
名邑黒沢尻北上市黒沢尻村町分4,427黒沢尻町5,896
(黒沢尻)(北上市)黒沢尻村里分3,538(黒沢尻町)
名邑花巻川口花巻市里川口3,707花巻川口町5,672
(花巻川口)(花巻市)川口3,180(花巻川口町)
名邑山田山田町山田3,645山田4,297
名邑鍬ヶ崎(宮古市)浦鍬ヶ崎3,418鍬ヶ崎町3,856
名邑岩谷堂(奥州市)岩谷堂3,341岩谷堂町6,706
名邑前沢(奥州市)前沢3,100前沢町6,417

続いて「準名邑」
岩手県の「準名邑」は以下の二つです。
名称現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
大槌大槌町大槌第一表2,652大槌7,868
高田陸前高田市高田第一表2,643高田町3,687
大槌は(おおづち)ではなく、陸前高田は(りくぜんたかだ)ではありません。このあたり、入試には出ませんが、十番勝負に良く出題されますので、マークしときましょう。

以下は参考です。
名称現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
福岡二戸市福岡第一表2,461福岡町3,525
沼宮内岩手町沼宮内第一表2,275沼宮内町3,080
一戸一戸町一戸第一表2,085一戸町3,092
花巻(花巻市)花巻 第一表1,868花巻町3,075
日詰紫波町日詰新田第一表1,853日詰町1,947
大迫(花巻市)大迫第一表1,701大迫町2,584
久慈久慈市久慈第一表1,260久慈町5,355
(大船渡市)第一表1,243盛町2,260
千厩(一関市)千厩第一表1,043千厩町3,235
大原(一関市)大原第一表1,030大原町4,943
厨川(盛岡市)下厨川第一表2,705厨川村7,277
気仙(陸前高田市)今泉第一表2,412気仙村3,864
金田一(二戸市)金田一第一表 1,306金田一村3,776
軽米軽米町軽米第一表977軽米村5,355
藤沢(一関市)藤沢 第一表779藤沢村3,602
世田米住田町世田米第一表641世田米村4,590
金ケ崎金ケ崎町西根村第三表4,172金ケ崎村5,602
大船渡大船渡市大舟渡村第三表2,072大船渡村2,552
岩泉岩泉町岩泉村第三表1,789岩泉村3,497
最上位の福岡から盛までは「生まれながらの町」です。なお、花巻市の「本源因子町」が花巻町で無いのと同様に、大船渡市の「本源因子町」は大船渡町ではありません。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[102877] 2021年 10月 19日(火)03:33:37【1】白桃 さん
名邑三世代.その76(岩手県・後編)
【秀邑】(【大・昭の名邑】)
岩手県の「秀邑」は、準名邑であった大槌、”あまちゃん”で 脚光を浴びた北三陸の主邑・久慈、今や岩手県一の工業の街となっている金ケ崎の三つです。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級大槌大槌町大槌町9,254大槌町16,342
二種三級久慈久慈市久慈町5,583久慈町10,315
二種三級金ケ崎金ケ崎町金ケ崎村6,332金ケ崎町10,437
以下は、惜しくも「秀邑」になれなかったところです。
名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
大原(一関市)大原町5,883大原町7,724
湯田西和賀町湯田村6,900湯田村12,024
種市洋野町種市村6,420種市村11,096
松尾(八幡平市)松尾村4,300松尾村17,371
甲子(釜石市)甲子村3,548甲子村19,186
松尾村は「東洋一」と言われた硫黄鉱山があり、甲子村は釜石鉱山(鉄鉱石など)があり、村とは言え、人口だけで見ると水沢クラスです。1950年国勢調査では、甲子は県内6位、松尾が8位となっています。特に甲子は、釜石躍進の下支えとなった村であり、合併前から既に市街地も釜石と連担していたようです。
※釜石線に乗ったときに気付かなかったのですが、陸中大橋駅までの「うねり」はというか「くねり」はエグい!
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)超
岩手県の「卓邑」は、この期に市となった大船渡、陸前高田、二戸と盛岡近郊の紫波、矢巾、そして「村」でありながら5万人超ということで「卓邑三種」となった滝沢の六つです。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種二級大船渡(9)大船渡市大船渡市35,946大船渡市36,570
一種二級陸前高田(0)陸前高田市陸前高田市31,839陸前高田市25,676
一種三級二戸(7)二戸市福岡町24,710二戸市27,678
二種二級紫波(0)紫波町紫波町29,327紫波町33,038
二種三級矢巾(0)矢巾町矢巾村13,923矢巾町25,268
三種二級滝沢(3)滝沢市滝沢村11,188滝沢村51,241
参考として以下を挙げておきます。
「昭和の合併」で水膨れになったものの次第次第に水が漏れだした感じのところが目立ちます。この比喩はうまくない?ぬまくない?
名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
岩泉(0)岩泉町岩泉町27,813岩泉町12,845
大東(0)(一関市)大東町27,551大東町17,789
一戸(0)一戸町一戸町26,228一戸町16,933
岩手(0)岩手町岩手町23,230岩手町17,372
花泉(0)(一関市)花泉町22,094花泉町16,127
雫石(0)雫石町雫石町20,708雫石町19,750
胆沢(0)(奥州市)胆沢村20,778胆沢町17,651
西根(0)八幡平市西根村20,751西根町19,031
松尾(1)(八幡平市)松尾村20,553松尾村7,064
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[103178] 2021年 11月 1日(月)13:25:01白桃 さん
名邑三世代.その77(愛媛県・前編)
 春風や 闘志いだきて 丘に立つ
これは、十番勝負を前にした白桃が「打倒!超人」を誓って詠んだ句…ではなく、高浜虚子が宿敵・河東碧梧桐になみなみならぬ対抗心を燃やし、俳壇復帰を決意したときの句である、と中学校の国語の先生に教えてもらいました。この句は、
 遠山に 日の当たりたる 枯野かな
 桐一葉 日当たりながら 落ちにけり
に代表される、写実を重視した虚子本来の句と違って心情を素直に表したものですが、白桃好みの句です。愛媛県、特に松山は石手寺に見られるように俳句の街、聖地であります。虚子、碧梧桐以外にも、中村草田男、夏井いつき、など愛媛出身の俳人も数多いのですが、その極め付きは何といっても、虚子が兄事した
 春や昔 十五万石 城下哉
の正岡子規です。子規と言えば、「野球」。
そうなんです。もと香川県民の白桃にとって、愛媛県は「北四国」のライバル、いや、越えられない壁であったのです。その昔、野球が最も盛んでレベルが高かった地域は北四国だったと言ってもウソにはならないでしょう。高松商は強かった。でも、それ以上に強かったのは松山商なんです。松山商以外にも、今治西、宇和島東、西条、近年では済美など、強豪校は片手では数えきれません。(今では「四国の玄関」を名乗るのもどうかと思う)高松には悪いのですが、四国随一の都市は、やっぱり松山でしょう。高松や丸亀にはお城がありますが、お城の周りを廻る電車は走っておりません。石高も高松の松平は12万石、同じ松平でも久松系だから格下になるはずの松山は子規の句のとおり15万石。屋島はあっても、日本百名山の一であり西日本最高峰・石鎚山にはかないません。香川に道後に匹敵するような名湯は…ありません。讃岐うどんも伊予柑と一六タルトで相殺されます。東かがわ市の手袋も、今治のタオルとは分が悪い。仕方がありません。三本松、いや、香川県全体が愛媛県だったのですから・・・。
【明治の名邑】
松山はもちろん「市街」ですが、「別格市街」とまではいきません。その代わりというか、今治はかろうじて「市街」となっています。名邑筆頭は「市街」に一歩及ばなかった宇和島、これに続いて三津浜、伊予吉田、西条、川之江、郡中と少々地味な所が続きます。「伊予の大坂」八幡浜は意外にも下位にありまして、伊予三島、伊予小松で終わります。吉田、三島、小松に「伊予」を付けたのは他に同名の名邑がありますから致し方ありません。名邑代表は、「坊ちゃん」が降り立った港町、三津浜で決まり。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
市街松山松山市松山29,487松山市44,166
市街今治今治市今治13,101今治町16,765
名邑宇和島宇和島市宇和嶋11,705宇和島町12,358
名邑三津浜(松山市)三津6,465三津浜町10,075
名邑伊予吉田(宇和島市)吉田 5,920吉田町4,236
名邑西条西条市西條5,595西条町4,611
名邑川之江四国中央市川之江5,269川之江町6,985
名邑郡中伊予市郡中4,359郡中町5,059
名邑八幡浜八幡浜市八幡浜4,334八幡浜町7,458
名邑伊予三島(四国中央市)三島4,124三島町6,493
名邑伊予小松(西条市)小松3,181小松町3,981
続いて「準名邑」
名称現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
北條(松山市)北條第一表2,596北條町4,282
大洲大洲市大洲第一表2,601大洲町3,869
桜井(今治市)桜井第一表3,110桜井村7,351
新居浜新居浜市新居浜第二表3,858新居浜町6,886
伊予氷見(西条市)氷見第二表3,546氷見町4,951
大洲は「生まれながらの町」です。

(参考)は大盛りサービスです。
(名称)現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
内子内子町内ノ子第一表2,414内子町3,003
波止浜(今治市)波止浜第一表2,338波止浜町5,285
伊予長浜(大洲市)長浜第一表1,924長浜町4,019
宇和西予市卯之町第一表1,200宇和町2,879
道後湯之(松山市)道後第一表1,075道後湯之町1,663
久万久万高原町久萬町第一表1,021久万町2,049
上分(四国中央市)上分第一表1,368上分村2,784
岩松(宇和島市)岩松第一表1,255岩松村2,295
川之石(八幡浜市)川之石第一表955川之石村5,346
中山(伊予市)中山第一表948中山村7,422
城辺愛南町城辺第一表771城辺村2,708
五十崎(内子町)五十崎第一表575五十崎村1,798
明治(松丸)松野町松丸第一表362明治4,435
御荘(愛南町)平城第一表240御荘村5,548
壬生川(西条市)壬生川第二表2,110壬生川町3,805
菊間(今治市)浜村第二表1,634菊間町4,636
大町(西条市)大町第二表3,630大町村5,281
福岡(丹原)(西条市)丹原第二表1,139福岡村3,949
伊方伊方町伊方浦第三表6,355伊方村7,166
下灘(宇和島市)下灘浦第三表5,317下灘村6,237
西外海(愛南町)西外海浦第三表4,887西外海村6,844
泉川(新居浜市)泉川村第三表4,484泉川村5,357
寒川(四国中央市)寒川村第三表3,497寒川村3,933
宮窪(今治市)宮窪村第三表3,404宮窪村5,838
上灘(伊予市)上灘村第三表3,275上灘村5,595
松前松前町浜村第三表3,119松前村6,683
丸穂(宇和島市)丸穂村第三表3,104丸穂村3,240
東外海(愛南町)東外海浦第三表3,022東外海村4,326
金子(新居浜市)金子村第三表3,018金子村6,338
東伯方(今治市)木浦村第三表2,981東伯方村5,471
宮浦(今治市)宮浦村第三表2,227宮浦村3,843
弓削上島町下弓剥村第三表2,099弓削村4,977
野村(西予市)野村第三表2,043野村4,573
角野(新居浜市)角野村第三表2,027角野村5,040
金生(四国中央市)下分村第三表1,974金生村4,493
中萩(新居浜市)中村第三表1,670中萩村4,870
神山(八幡浜市)五反田村第三表1,516神山村3,925
宇和八幡(宇和島市)大浦第三表1,321八幡村6,002
砥部砥部町大南村第三表1,188砥部村5,217
三瓶(西予市)朝立浦第三表1,082三瓶村3,389
旭(近永)鬼北町記載なし旭村2,911
上記のうち、内子、(伊予)長浜、宇和、道後湯之は「生まれながらの町」です。

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[103200] 2021年 11月 5日(金)23:08:18【1】白桃 さん
名邑三世代.その78(愛媛県・後編)
【秀邑】(【大・昭の名邑】)
愛媛県の「秀邑」は、四国随一の工業都市・新居浜、伊予の「小京都」で、その昔(と言っても白桃は覚えている)NHK朝の連続ドラマ「おはなはん」の舞台となった城下町・大洲、国領川が形成した扇状地に開けた角野(すみの)、松山の先輩城下町である松前
(まさき)の四つです。
秀邑/種別名称現自治体-----1920年(人口)---1950年(人口)
一種二級新居浜新居浜市新居浜町7,484新居浜市57,421
二種三級大洲大洲市大洲町5,436大洲町18,572
二種三級角野(新居浜市)角野村7,374角野町13,960
二種三級松前松前町松前村5,636松前町11,931

続いて「準秀邑」
「準秀邑」は中萩ひとつ。
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
中萩(新居浜市)中萩村7,101中萩町10,967

(参考) として
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
桜井(今治市)桜井町6,578桜井町9,755
壬生川(西条市)壬生川町3,473壬生川町10,281
宮窪(今治市)宮窪村10,841宮窪村9,075
西外海(愛南町)西外海村6,545西外海村10,175
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
愛媛県の「卓邑」は、この期に市制施行の東予と北条、松山に隣接する重信、砥部焼で有名な砥部、港湾に密集地が存在する保内(川之石)と三瓶の六つです。因みに宇和(卯之町)を差し置いて「卓邑」となった三瓶は、草彅剛の出生地らしいのですが、それより何より、三瓶にある三瓶高校は、星稜高校並びに松井秀喜ファンにとっては思い出したくもないであろう明徳義塾高校野球部・馬淵監督の出身校なのです。
卓邑/種別名称現自治体-----1960年(人口)---2000年(人口)
一種二級東予(5)(西条市)壬生川町25,212東予市32,993
一種三級北条(9)(松山市)北条市29,160北条市28,547
二種三級重信(5)東温市重信町14,703重信町23,658
二種三級砥部(1)砥部町砥部町11,134砥部町20,961
四級保内(9)(八幡浜市)保内町14,646保内町10,921
四級三瓶(7)(西予市)三瓶町15,146三瓶町9,061
(参考) として
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
伊予津島(0)(宇和島市)津島町23,341津島町13,863
宇和(0)西予市宇和町22,803宇和町17,550
野村(0)(西予市)野村町20,850野村町11,093
伊予長浜(4)(大洲市)長浜町18,246長浜町9,266
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[103211] 2021年 11月 12日(金)17:07:23白桃 さん
名邑三世代.その79(大分県・前編)
大分県というのは、少し前までは高松から船でも行けたので、香川県人にとって九州一馴染みのある県であったかもしれません。
その大分県ですが、前・後編に分けるのではなく、一編で終わらせるつもりでして、「滑って転んでオオイタケン」などと悠長なことを言っている時間はありません。でも、脱線は確実でしょう。('◇')ゞ
【明治の名邑】
「市街」は三つあって、大分よりも中津が先に来るというのも驚きかもしれませんが、市街の三番目が別府でも日田でもなく、石仏と切支丹の街「臼杵」である、というのが、このシリーズ最大のサプライズの一つです。大分を差し置いて市街筆頭となった中津、中津と言えば福沢諭吉や先ごろ亡くなった大島康徳さん、よりも私が思い出すのは、岡山時代に「いつでも相手をしてくれる」というウワサを聞いて、それならと、牌箱だけを持って何度も通った錯和荘(英語でチョンボ・ハウス)のヌシ・某であります。彼は、(上家が時間をかけているとサキヅモをして牌をすり替えたり、炬燵カバーの破れ目から牌をこっそり出してきたり)とにかく強?かった。
…注:(  )内は確証があるわけではなく、あくまでも私の憶測であります。ついでながら、某の名前もはっきり知らず、何年先輩だったかどうか、いや学生であったのかどうか、は今でもわからず、ただ中津出身だったことだけは覚えています。
やはり脱線しました。それでは気持ちを入れ替えて・・・
名邑筆頭は天領・日田、続いて「荒城の月」ゆかりの竹田、温泉卓球で足が不自由だった母親に負けて悔しかった別府、ニンベンをとったら「左白」の佐伯、♪神田川・♪明豊高校校歌の作曲者が住んでいる、もう一つの「小京都」杵築、精錬所の街というより「関サバ」で有名な佐賀関、昭和レトロを売り?の豊後高田(濁音3つ)、国調で3万を記録していない鶴崎、そして、恋人はサウスポーらしい往年の歌手が生まれた日出。「市街」を入れて12の「名邑」となります。名邑代表は「城下カレイ」の日出にお任せします。(現在の日出町の【前身因子町】は日出ではありません。)
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
市街中津中津市中津15,518中津町18,329
市街大分大分市大分※14,315大分町※29,547
市街臼杵臼杵市臼杵11,370臼杵町20,923
名邑日田日田市日田※8,806日田町10,405
名邑竹田竹田市竹田7,959竹田町5,296
名邑別府別府市別府※6,366別府町14,045
名邑佐伯佐伯市佐伯5,830佐伯町9,146
名邑杵築杵築市杵築5,502杵築町6,938
名邑佐賀関(大分市)佐賀関5,406佐賀関町8,810
名邑豊後高田豊後高田市高田5,200高田町10,161
名邑鶴崎(大分市)鶴崎4,162鶴崎町3,864
名邑日出(日出町)日出3,600日出町4,298
大分※・・・「戸口表」の14,315は町村制施行同時に町となる大分町の町域よりも広いエリアの人口ではと推測
日田※・・・町村制施行後の隈町と豆田町、両エリアの合計と推測
別府※・・・別府町と同日に町制施行の浜脇町を含んでいると推測
大分市※・・・1911年に市制施行

続いて「準名邑」と言いたいところですが、やはり、稿を改めます。

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[103212] 2021年 11月 12日(金)19:27:02白桃 さん
名邑三世代.その80(大分県・後編)
では、中途半端になりますが・・・
大分県の「準名邑」は以下の通り、長洲たった一つです。
名称現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
長洲(宇佐市)長洲第二表5,885長洲町8,513
(参考)として
名称現自治体---1886年戸口表(人口)-----1908年(人口)
宇佐(宇佐市)宇佐第二表2,789宇佐町3,930
豊岡日出町豊岡第二表2,779豊岡町4,217
玖珠町第二表2,779森町5,740
犬飼(豊後大野市)犬飼第二表1,739犬飼町2,497
四日市宇佐市四日市第二表1,677四日市町3,487
国東国東市鶴川第二表1,051国東町7,394
三重町豊後大野市三重ノ市第二表1,032三重町6,575
香々地(豊後高田市)香々地村第三表2,205香々地町3,926
蒲江(佐伯市)蒲江浦第三表2,181蒲江村※3,844
立石(杵築市)立石村第三表1,349立石町3,689
富来(国東市)富来浦第三表1,282富来町4,894
御越(別府市)亀川村第三表1,162御越町3,828
玉来(竹田市)玉来村第三表1,078玉来町2,503
津組津久見市津久見村第三表2,132津組村5,306
武蔵(国東市)記載なし武蔵町3,870
安岐(国東市)記載なし安岐町2,938
上表行頭の宇佐は「生まれながらの町」です。なお、別府は「生まれながらの町」ではなく、大分県の「生まれながらの町」は、中津、大分、臼杵、隈&豆田(後の日田町→日田市)、竹田、佐伯、杵築、佐賀関、(豊後)高田、鶴崎、日出、宇佐と西大分の14です。西大分は、[103211]にて
大分※・・・「戸口表」の14,315は町村制施行同時に町となる大分町の町域よりも広いエリアの人口ではと推測
と記したエリアに含まれると推測しています。
また、「生まれながらの町」宇佐は宇佐八幡宮の門前町であり、宇佐市の【本源因子町】ではありますが、【前身因子町】ではありません。余談になりますが、宇佐は「われいまだ木鶏たりえず」の名言を残した69連勝の名横綱双葉山の出身地で有名ですが、それと全く関係なく、白桃は”邪馬台国宇佐説”を勝手に支持しています。
蒲江村※・・・1911年に町制

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
大分県の「秀邑」は長洲(名称を「宇佐長洲」とする)、三重(名称を「三重町」とする)、国東、大野(名称を「豊大野」とする)、高校野球とセメントの街・津久見の五つです。どこもイワクありげです。(笑)
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級宇佐長洲(宇佐市)長洲町7,763長洲町11,227
二種三級三重町豊後大野市三重町7,592三重町11,559
二種三級国東国東市国東町7,259国東町11,017
二種三級豊大野(豊後大野市)東大野10,258大野町13,193
二種三級津久見津久見市津組村5,593津久見町23,116
(参考)として
名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
玖珠町森町5,675森町9,316
坂ノ市(大分市)坂ノ市町4,739坂ノ市町15,148
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
大分県の「卓邑」はこの期に市となった宇佐(「前身」は四日市町)と日出町(名邑の日出と区別するため名称を「日出町」とする)の二つです。なお、「日出町」の「前身町」は僅か23人差で豊岡になります。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)-----2000年(人口)
一種二級宇佐宇佐市四日市町25,229宇佐市49,312
二種三級日出町日出町日出町21,494日出町26,142
(参考)として
名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
玖珠玖珠町玖珠町28,300玖珠町18,988
九重九重町九重町20,375九重町11,566
※「卓邑」も含め上記にはDIDは記録されていません。(宇佐市におけるDIDは四日市ではなく、長洲にあった。)

注:(人口)は国勢調査人口
[103235] 2021年 11月 25日(木)06:47:58白桃 さん
名邑三世代.その81(大阪府・前編)
コロナで三箇月入院したことによって駐輪場のパートは辞めたのですが、その駐輪場を管理する財団から「人手が足りないので復帰できないか?」という連絡があり、12月から復帰することになりました。その勤務場所は、以前勤めていたところより遠くなるのですが浦安市内には違いありません。考えてみると、入社以来私が勤務した所(自治体)は東京都区内とパートで勤めた浦安市だけなんですね。でも、正確に言うと、京阪神のヒトなら誰でも一度は乗ったことがあるだろうチョコレート色の電車を走らせている電鉄会社系列の旅行会社に入社したので、入社式と御殿場での研修後に辞令をもらいに行った二回(二日)は大阪市に勤務したことになるのでしょうね。
その旅行会社に就職しようかどうか迷っているときに、身元保証書か何だか知らないけどその類の書類が親元に送られ、親が私に相談なくハンコをついてしまったので、やむを得ずソコに就職することになったのですが、私の親に限らず四国、特に香川や徳島の古い人間にとって「大阪」という名前は一種の安心感を与えるのかもしれません。少なくとも東京よりは身近な存在なのでしょう。
私自身も、長兄の家が豊中にあって何度も「大阪」に足を運んでいるのですが、大阪市内の想い出といえば、小さい頃行った天王寺動物園、通天閣ぐらいしかないのです。10年ぐらい前に大阪城や四天王寺も行っているのですが、酔っていたのであまり覚えておりません。アベノミクス?、アベノハルカスやUSJなんぞは、死ぬまで行かないでしょう。
今回は、そういうことで私の人生にとって重要な土地にもかかわらず、案外馴染みのない大阪府の番です。

【明治の名邑】
大阪(大阪市)はもちろん「特選市街」。自由都市・堺は文句のない「別格市街」。名邑筆頭はダンジリとキヨハラの岸和田。続く平野郷は、どのあたりにあった街かも定かではない?(← ウソ)が、とにかく、「生まれながらの町」であります。さらに続く佐野(泉佐野)は、今でこそ関空の所在地で有名になりましたが、昔から泉州タオルの産地として名を馳せてきました。そして、北摂の要・池田、東洋の魔女が居た貝塚、早くから高校野球で名前を知られていた八尾、これまた野球と花火で有名な富田林、メンバーの誰かさんゆかりの高槻、大阪にあっても茨木と続きます。本来はココまでなのでしょうが、高槻が入るならば、お腹の吹田を入れない訳にはまいりません。そして、ついに「町」にならないで終わった天王寺も、阪田三吉流掟破りの一手で「拾玖世紀枠」として「名邑」にしちゃいます。
意外なことに、「名邑」の中で「生まれながらの町」は、平野郷の他では岸和田(及び岸和田浜)、池田、貝塚だけなのです。なお、名邑代表は、住んだことは勿論、行ったこともないのですが、大阪で最も馴染みの或る…(謎)…池田にします。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
特選市街大阪大阪市大阪361,694大阪市1,226,647
別格市街堺市44,015堺市61,103
名邑岸和田岸和田市岸和田12,366岸和田町7,351
(岸和田)岸和田浜町※6,000
名邑平野郷(大阪市)平野7,086平野郷町9,926
名邑佐野泉佐野市佐野6,080佐野村※8,449
名邑池田池田市池田5,977池田町6,716
名邑貝塚貝塚市貝塚5,098貝塚町5,292
名邑八尾八尾市八尾4,172八尾町8,202
名邑富田林富田林市富田林3,944富田林町3,409
名邑高槻高槻市高槻3,351高槻町3,539
名邑茨木茨木市茨木3,138茨木町4,333
拾玖世紀枠吹田吹田市吹田3,925吹田町6,167
拾玖世紀枠天王寺(大阪市)天王寺12,304天王寺村5,194
岸和田浜町※・・・1912年(明治45年)に岸和田町他と合併して岸和田町となる
佐野村※・・・1911年に佐野町となる

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[103879] 2022年 1月 21日(金)06:54:49【1】訂正年月日
【1】2022年 1月 21日(金)07:49:43
白桃 さん
名邑三世代.その82(大阪府・中編)
だいぶ間隔があきましたが、大阪府の「準名邑」から再開します。
大阪府の「準名邑」はたった二つです。(本来なら準名邑に届かない大津ですが、目をつむって抜擢)
名称現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
(堺市)第一表3,088湊村4,176
大津泉大津市大津第一表2,908大津村5,007

以下、「準名邑」にも届かないところを参考としてとりあげました。
名称現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
枚方〇枚方市枚方第一表2,381枚方町2,305
守口〇守口市守口第一表987守口町1,414
尾崎阪南市尾崎第一表2,324尾崎村2,734
国分(柏原市)国分第一表2,067国分村2,457
樽井(泉南市)樽井第一表1,948樽井村1,700
樟葉(枚方市)楠葉第一表1,514樟葉村2,029
芥川(高槻市)芥川第一表1,354芥川村1,943
豊中豊中市岡町第一表807豊中村2,770
富田(高槻市)富田第二表3,265富田村3,499
古市羽曳野市古市第二表2,017古市村3,122
多奈川岬町谷川第二表1,938多奈川村3,691
住道大東市三箇第二表1,812住道村4,143
津田(枚方市)津田第二表1,705津田村2,542
北信達泉南市市場第二表1,671北信達村2,859
深日(岬町)深日第二表1,558深日村2,223
北掃部(岸和田市)春木第二表1,440北掃部村2,918
私部交野市私部第二表1,357交野村3,312
庭窪(守口市)佐太第二表989庭窪村4,383
浜寺(堺市)下石津村第三表1,937浜寺村4,807
高石高石市高石南村第三表1,897高石村6,285
柏原柏原市柏原村第三表1,576柏原村2,411
(堺市)大鳥村第三表1,060鳳村3,132
長野河内長野市記載なし長野村※2,854
向井(堺市)記載なし向井村2,319
〇印の枚方と守口は「生まれながらの町」ですが、守口に至っては人口規模的にどうもね~・・・
長野村※・・・1910年(明治43年)に長野町となる
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「準名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
<付録>
大阪市は1897年と1925年に周辺の町村を大量編入しております。これらの中には、「名邑」「秀邑」に相当するものもあります。以下に大阪市に編入された主な町村を記します。(1889年の人口は町村制が施行された明治22年末の内務省告示34号に記された現住人口、1908年及び1918年の人口は「日本帝国人口静態統計」によります)
町村名町制年戸口表1889年人口---1908年人口---1918年人口
西浜1889第一表西浜町6,304(大阪市)(大阪市)
天保1889記載なし天保町612(大阪市)(大阪市)
平野1889第三表東平野町12,281(大阪市)(大阪市)
玉造1889第三表玉造町7,318(大阪市)(大阪市)
難波第一表難波村25,701(大阪市)(大阪市)
曾根崎第一表曾根崎村11,191(大阪市)(大阪市)
北野第一表北野村8,608(大阪市)(大阪市)
安立1889第三表安立町2,403安立町3,152安立町4,411
平野郷1889第一表平野郷町7,647平野郷町9,926平野郷町13,772
伝法1903記載なし伝法村3,183伝法町6,320伝法町10,946
鯰江1910第三表鯰江村3,520鯰江村6,728鯰江町14,792
中津1911第三表中津村2,421中津村7,652中津町22,853
鷺洲1911第三表鷺洲村2,939鷺洲村11,765鷺洲町35,728
豊崎1912第三表豊崎村3,620豊崎村12,157豊崎町45,894
鶴橋1912記載なし鶴橋村2,164鶴橋村3,899鶴橋町27,589
中本1912記載なし中本村3,137中本村9,319中本町26,877
田辺1914第三表田辺村2,475田辺村3,032田辺町4,618
榎並1914記載なし榎並村1,510榎並村2,732榎並町5,535
玉出1915第三表勝間村3,674勝間村5,060玉出町12,424
今宮1917第三表今宮村4,704今宮村5,309今宮町27,017
千船1922第三表千船村5,259千船村7,219千船村10,098
神津1922記載なし神津村2,394神津村4,057神津村8,222
稗島1922第三表稗島村4,031稗島村5,606稗島村9,325
西中島1923第三表西中島村4,915西中島村6,694西中島村11,608
天王寺第一表天王寺村14,754天王寺村5,194天王寺村22,984
[103924] 2022年 2月 5日(土)11:37:24白桃 さん
名邑三世代.その83(大阪府・後編)
【秀邑】(【大・昭の名邑】)
大阪府の「秀邑」は、我が国を代表する衛星都市である豊中、毛布のマチ・泉大津、ひらかたパーク&菊人形で有名な枚方、もう殆ど大阪市と言って良い守口、中小企業が集積する東大阪の中心・布施、町制施行が案外早かった高石、この期後半に合併もあって急激な人口増をみた寝屋川の七つです。
「秀邑」の中で唯一二級の豊中ですが、白桃の訪問回数では大河原・パリと拮抗しています。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種二級豊中豊中市豊中村6,218豊中市86,203
一種三級泉大津泉大津市大津町7,669泉大津市33,341
一種三級枚方枚方市枚方町4,325枚方市43,970
一種三級守口守口市守口町3,252守口市58,053
一種三級布施東大阪市布施村4,686布施市150,129
二種三級高石高石市高石町6,405高石町20,814
三種三級寝屋川寝屋川市九箇荘村5,017寝屋川町30,077
「準秀邑」はなく、参考として以下を挙げます。
(参考)名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
柏原柏原市柏原町4,714柏原町23,220
長野河内長野市長野町3,749長野町16,603
箕面箕面市箕面村4,520箕面町21,433
枚岡(東大阪市)枚岡村4,336枚岡町12,972
松原松原市松原村4,170松原町12,210
縄手(東大阪市)枚岡南村3,990縄手町14,922
住道大東市住道村3,945住道町12,628
和泉和泉市伯太村3,770和泉町19,074
庄内(豊中市)庄内村3,649庄内町14,896
福泉(堺市)鶴田村3,520福泉町10,701
盾津(東大阪市)東六郷村3,174盾津町15,457
登美丘(堺市)野田村2,378登美丘町12,340
(大阪市)巽村2,324巽町14,180
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
大阪府の「卓邑」は、この期に市となった和泉、松原、羽曳野、柏原、大東、河内長野、箕面、門真、泉南、藤井寺、摂津、阪南、交野、四條畷、大阪狭山に加え、熊取、忠岡、岬、田尻、島本、美原、豊能の二十二という多さ。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種一級和泉(9)和泉市和泉市70,701和泉市172,974
一種一級松原(9)松原市松原市47,037松原市132,562
一種一級羽曳野(9)羽曳野市羽曳野市36,982羽曳野市119,246
一種一級柏原(9)柏原市柏原市35,645柏原市79,227
一種一級大東(9)大東市大東市35,354大東市128,917
一種一級河内長野(9)河内長野市河内長野市34,399河内長野市121,008
一種一級箕面(9)箕面市箕面市34,249箕面市124,898
一種一級門真(9)門真市門真町34,228門真市135,648
一種一級泉南(9)泉南市泉南町32,075泉南市64,152
一種二級藤井寺(9)藤井寺市美陵町26,509藤井寺市66,806
一種二級摂津(8)摂津市三島町24,390摂津市85,065
一種二級阪南(7)阪南市南海町13,359阪南市58,193
一種二級交野(7)交野市交野町11,825交野市76,919
一種三級四條畷(8)四條畷市四條畷町9,698四條畷市55,136
一種三級大阪狭山(6)大阪狭山市狭山町9,648大阪狭山市56,996
二種三級熊取(6)熊取町熊取町10,815熊取町42,914
四種忠岡(9)忠岡町忠岡町12,218忠岡町17,509
四種岬(9)岬町岬町19,133岬町19,789
四種田尻(8)田尻町田尻町8,204田尻町6,785
四種島本(7)島本町島本町9,173島本町30,125
四種美原(7)(堺市)美原町12,057美原町37,618
四種豊能(5)豊能町東能勢村3,758豊能町25,722
「準卓邑」はなく、参考として以下の二つを・・・
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
太子(4)太子町太子町5,970太子町14,190
河南(2)河南町河南町8,839河南町17,341
ソレを言ったら終しめいよ、ということになりますが、現役の町村でまだ名前が出ていないのは二つだけですから、大阪府の場合は、「卓邑」にもなっていないところが希少価値?かも。
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[104029] 2022年 3月 2日(水)17:45:08白桃 さん
名邑三世代.その84(沖縄県)
順番から言うと岡山県なんですが、そこはその~~・・・、好物は後にとっておく、というか勝手が良く分からない沖縄県を先に済ませとこう、という訳です。
沖縄県の人口推移を見ていると、何だかよく分からない、が、やると決めたらやらなければなりませぬ。F.原田や海老原がアウェイのバンコック(この都市の正式名称はとても長いらしい)でチャンピョンベルトを守れなかったように、この沖縄で市町村人口研究所所長の看板を降ろさなければならないかもしれませんが・・・
【明治の名邑】
簡単と言えば簡単ですが、簡単すぎます。「区」からスタートした那覇と首里は貫禄の「市街」です。「戸口表」には第三表に記載されていた糸満ですが、沖縄県に町村制が施行された1908年には唯一の「町」だったこともあり、ここは「拾玖世紀枠」の「名邑」として取り立て、名邑筆頭に置きましょう。で、困ったのは名邑代表。那覇に都が移って暇そうな首里ちゃん、お願いします。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
市街那覇那覇市那覇27,193那覇区47,562
市街首里(那覇市)首里25,587首里区25,141
拾玖世紀枠糸満糸満市糸満村4,720糸満町7,738
お酒のツマミではありませんが、「名邑」があまりにも少ないので、(参考)として以下を取り上げておきます。
(参考)
名称現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
金武金武町金武村第三表2,720金武村7,024
大里(与那原)与那原町与那原村第三表2,678大里村※13,103
平良宮古島市東仲宗根村第三表2,232平良村※21,588
具志川うるま市具志川村第三表2,121具志川村16,099
大里村※…与那原は大里から分立するのですが、1908年の大里村には、「与那原」と後の南城市の区域となる「大里」を含んでいます。
平良村※…1908年の町村制で加わった砂川間切の西里村(「戸口表」では3,240人)ほかを含んでいます。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
沖縄県の「秀邑」は、この期に「市」となった平良、石垣、サプライズ石川、中部の双璧である本部と名護、地味ながらもの城辺に加え、村ながら3万人越えの具志川、真和志の8つです。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種二級平良宮古島市平良村21,277平良市30,897
一種三級石垣石垣市石垣村13,674石垣市19,872
一種三級石川(うるま市)(美里村)石川市17,789
二種二級本部本部町本部村22,492本部町21,010
二種三級名護名護市名護村13,311名護町14,842
二種三級城辺(宮古島市)城辺村12,265城辺町16,514
三種二級具志川うるま市具志川村17,842具志川村32,369
三種二級真和志(那覇市)真和志村12,787真和志村30,935
以下は(参考)です。
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
美里(沖縄市)美里村16,830美里村16,120
読谷読谷村読谷山村16,157読谷村16,574
今帰仁今帰仁村今帰仁村14,159今帰仁村15,398
宜野湾宜野湾市宜野湾村12,704宜野湾村15,930
与那城(うるま市)与那城村11,177与那城村16,197
越来沖縄市越来村8,912越来村18,431
注1:人口は国勢調査人口(1950年は、米国統治下において琉球政府が行った「国勢調査」)
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
沖縄県の「卓邑」は、一種一級の沖縄市、この期に「市」となった宜野湾、浦添と5万人超の三種・豊見城(村)に加え、四種(沖縄県の特例として「1970年の琉球政府による「国勢調査」~2000年国調の全7回のうち4回以以上DIDが存在した町村」に適用)の嘉手納、与那原、金武、北谷、読谷、南風原の十です。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種一級沖縄市(7)沖縄市コザ市46,695沖縄市119,686
一種二級宜野湾(7)宜野湾市宜野湾村29,501宜野湾市86,744
一種二級浦添(7)浦添市浦添村24,512浦添市102,734
三種二級豊見城(5)豊見城市豊見城村10,532豊見城村50,198
四種嘉手納(7)嘉手納町嘉手納村12,976嘉手納町13,661
四種与那原(7)与那原町与那原町8,234与那原町15,109
四種金武(7)金武町金武村8,846金武町10,106
四種北谷(6)北谷町北谷村9,532北谷町25,554
四種読谷(5)読谷村読谷村19,697読谷村36,115
四種南風原(4)南風原町南風原村9,104南風原町32,099
なお、「準卓邑」として、
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
西原(3)西原町西原村9,066 西原町32,777
を記しておきます。
注1:(人口)は国勢調査人口(1960年は、米国統治下において琉球政府が行った「国勢調査」)
注2:名称の後の(数字)は7回の国調でDIDが存在した回数
[106993] 2023年 2月 27日(月)09:08:06【1】訂正年月日
【1】2023年 2月 27日(月)09:22:01
白桃 さん
名邑三世代.その85(岡山県・前編)
久しく遠ざかっていた本シリーズですが、愈々詰めの段階に来ました。
「故郷・香川」と「青春の地・岡山」のどちらを最後にするか、はたまた、両方まとめて片付けるか、他人から見るとどうでも良いことを悩んだ挙句、18歳~23歳までいた岡山を先に、0歳~18歳まで住んでいた香川を最後に、と決めました。
さて、岡山ですが、「青春の地」ゆえに余計なことまで書かないように用心しています。('◇')ゞ
白桃の人生の中で最も嬉しかった事柄の一つが、大学に合格、しかもそれが第1志望の「地理」であったことです。というのは、願書提出の際に、第1~第14志望の専攻を書かされており、もし、第14志望の「美学・美術史」であったならば、絶対岡山には来ていなかったのですから。
大学で習う「地理」は、自分が漠然と思っていた「地理」とは可成り違ってはいましたが、白桃は結構真面目に研究に勤しみました。まだ入ったばかりの一年のときから「地理学研究室」にどっぷり浸かり、「研究室のおと」なるモノ(当落書き帳よりレベルが数段落ちる)を、外書講読の予習もほったらかして書き綴ってました。また、素晴らしい先生方にも巡り会えました。主任教授は、とても穏やかな方で、ご自分が講義されているのにもかかわらず、なぜだか居眠りをされる、ですから授業も非常に穏やかになってしまう。そう言えばこの先生、専門にしていた中国に行かれたとき、見学地で降りずにバスの中で居眠りしていたら、ブレーキの掛かっていなかったバスが谷底へ…とウソみたいな話が伝わっていました。また、別の先生は、たびたび白桃にお酒を御馳走してくれるばかりか、翌日の講義が、私たちの期待通りに休講となる、そんな素敵な方でした。
自分で言うのもなんですが、優秀な白桃は一単位も落とさず四年で大学を卒業、しかし、まだ学問を捨てがたく?、一年間「専攻科(何もセンコウカ、という陰口も有り)」に残ったのです。この辺りの事情につきましては、追究されると「青春の地」の真相に触れてきますので、♪ここらで八女てもいいコロ~ナ
【明治の名邑】
「郡区町村編制法」による「岡山区」に定められた岡山は当然ながら「別格市街」となります。(岡山※…「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」の第一表に記載されている三門、奉還町など当時の岡山と隣接するエリアを加算すると1886年の人口は40,908人となります。)1900年に第六高等学校が設立され学生も増えた岡山の人口は、明治の末期には十万人近くになります。
城下町・津山が「市街」というのは不思議でもないのですが、玉島が!と訝る方もおられるかもしれません。でも、当時の岡山県下第二の都市は、間違いなく玉島でした。
名邑筆頭は、商店街にも鮮魚の臭いが漂う(白桃の個人的感想)笠岡です。筆頭ですから、名前と風貌がかけ離れているお笑いの「千鳥」の面目も立つ?
その次にやっと倉敷が出てきます。天領であった倉敷は、それなりの街であったことは確かですが、当時はそれほどの街でもなかったようです。また、倉敷は中村晃子が歌う♪涙の匂う町では決してありません。
続く連島ですが、五年間岡山で過ごしたにもかかわらず、恥ずかしながら実態が把握できてないのです。「水島」の一角を占めている?、狭義の「水島」を除くエリア?…未だに、ここが連島だ!というのが不明なのです。(連島村※…1912年、明治もぎりぎりに「町」となります。)
その次に来るのが、備中松山城で有名な高梁。岡山県は、「生まれながらの町」と言うのが三つしかありません。津山と、1900年に津山に編入された津山東、と、この高梁ですから、「町の格」としてはもっと上になるかもしれません。
下津井節で知られた下津井、陣屋町・成羽に続く寄島は北前航路の寄港地で、浅口市の「本源・最古因子町」です。日生は決して「日本生命」の略ではありません。冗談はともかく、町の実力以上に「ひなせ」と言う名は結構有名です。
早島・妹尾と宇野線沿線の街が続きますが、四国の都会育ち?の私が「三本松よりだいぶ活気がない町という感じを受けました」と言ったら、主任教授が首をかしげていました。(笑)
井原と矢掛は今では「差」がつきましたが、当時はおんなじくらいの街だったのです。
そして、風光明媚な港町・牛窓は瀬戸内市の「本源・最古因子町」、隠れた実力のある久世は真庭市の「本源・最古因子町」です。
「名邑代表」は今なお「町」である矢掛と地域調査で何泊かした久世の二つにします。
名邑/種別名称現自治体1886年(人口)1908年(人口)
別格市街岡山岡山市-----岡山※32,989-----岡山市93,421
市街玉島(倉敷市)玉島16,325玉島町20,815
市街津山津山市津山14,582津山町16,191
名邑笠岡笠岡市笠岡7,465笠岡町11,132
名邑倉敷倉敷市倉敷6,975倉敷市9,822
名邑連島(倉敷市)西ノ浦6,104連島村※10,944
連島村3081(連島村)
名邑高梁高梁市高梁5,282高梁町6,878
名邑下津井(倉敷市)下津井4,933下津井町7,255
名邑成羽(高梁市)成羽4,508成羽町6,541
名邑寄島(浅口市)寄島4,369寄島町7,162
名邑日生(備前市)日生4,187日生町5,895
名邑早島早島町早島3,713早島町5,322
名邑妹尾(岡山市)妹尾3,687妹尾町6,992
名邑井原井原市井原3,489井原町4,894
名邑矢掛矢掛町矢掛3,365矢掛町4,826
名邑牛窓(瀬戸内市)牛窓3,311牛窓町4,473
名邑久世(真庭市)久世3,228久世町6,060
続いて「準名邑」
準名邑現自治体-----1886年戸口表人口-----1908年人口
新見新見市新見第一表2,847新見町4,175
西大寺(岡山市)西大寺第一表2,832西大寺町4,048
総社総社市総社第一表2,723総社町7,036
片上備前市片上第一表2,615片上町2,412
足守(岡山市)上足守第一表2,590足守町3,045
西江原(井原市)新町第一表3,118西江原村3,199
(参考)は多めに。コメントを加えたいところがワンサカありますが、キリがありません。
(参考)現自治体-----1886年戸口表人口-----1908年人口
勝山(真庭市)高田第一表2,292勝山町7,834
金浦(笠岡市)西浜第一表2,166金浦町6,289
美作倉敷美作市倉敷第一表2,007倉敷町2,922
落合真庭市落合第一表1,937落合町5,660
吹屋(高梁市)吹屋第一表1,804吹屋町5,030
八浜(玉野市)八浜第一表1,694八浜町3,615
味野(倉敷市)味野第一表1,567味野町2,440
三石(備前市)三石第一表1,433三石町3,396
撫川(岡山市)下撫川第一表1,333撫川町2,706
日比玉野市日比第一表1,126日比町4,764
庭瀬(岡山市)庭瀬第一表1,113庭瀬町3,838
茶屋(倉敷市)帯江新田第一表1,078茶屋町4,473
伊部(備前市)伊部第一表988伊部村※2,461
和気(和気町)和気第一表952和気町1,962
勝間田勝央町勝間田第一表565勝間田町3,069
高屋(井原市)高屋第一表2,778高屋村3,206
真金(岡山市)真金第一表2,493真金村2,338
小田(矢掛町)小田第一表2,483小田村2,911
琴浦(倉敷市)田ノ口第一表1,694琴浦村8,446
(琴浦)下村第一表1718(琴浦村)
香登(備前市)香登第一表1,407香登村1,794
藤戸(倉敷市)天城第一表1,339藤戸村2,865
鴨方浅口市鴨方第一表1,338鴨方村8,347
金川(岡山市)金川第一表1,206金川村2,066
弓削久米南町下弓削第一表889弓削村2,248
物理(岡山市)下村第一表405物理村1,723
松山(高梁市)松山村第三表2,611松山村3,494
宇野(玉野市)田井村第三表2,298宇野村3,661
高松(岡山市)記載なし高松村2,751
伊部村※・・・1912年(明治45年)伊部町に
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[107002] 2023年 2月 28日(火)13:22:59白桃 さん
名邑三世代.その86(岡山県・中編)
1970年~1975年の5年間、岡山市に住んでいたのですが、その岡山市も広うござんして隅々まで詳しいわけではありません。足守なんかは行ったこともありません。ましてや、倉敷なんかは一般観光客の知識ぐらいしかもちあわせていません。岡山市や倉敷市はその面積が広いばかりではなく、「吉備王国」の名残りか市域のアチコチにデキモノのように中小集落が散在していて、その履歴を確認するだけでも骨が折れるのです。
そういった中小集落のうち幾つかが「町」となるのですが、岡山と倉敷が競うかのように「町」を”吸収”していくのです。いや、「吸収」は全く適切ではありません。岡山の場合は「吸収」に近いのですが、倉敷の場合は、まるで戦国時代の群雄割拠状態なんです。やがて、倉敷、児島、玉島の3つがトーナメント戦を勝ち上がり「決勝戦」となる。ま、乱暴に言えば、こういう構図ですかね。しかし、旧・児島市なんざぁ、ここ自体が複雑怪奇にできた街なのです。
とにかく、岡山市も倉敷市も因子町の数はともに17。この17と言う数は、(広島と並んで)東京、大阪に次いで第3位なのです。因子町が多いということは合併が進行、流行った証拠なんですが、これはその昔、当時の知事であった三木行治が提唱し頓挫した「岡山県南百万人都市構想」と大いに関係しているのです。頓挫したものの、あんまり仲が良くない(と世間では言われている?)岡山市と倉敷市が、その「精神」を勝手に引き継いで両市が独自に進めた結果だったのでしょう。
1967年2月1日、倉敷・児島・玉島の3市合併に刺激された?岡山市は、2年後の1969年に西大寺市を編入します。もし、西大寺を編入しなければ、「新産都」の優等生「水島」の勢いからして、人口面で県ナンバーワンの地位を奪われてしまっていたかもしれない岡山市ですが、倉敷市との合併バトル?は「山陽新幹線開通」までの必要措置であったのでしょうか・・・
◎岡山市の因子町
因子町町制施行日最高人口調査年-----最高人口調査年
西大寺1896.02.2614,653(1950年)西大寺町14,653(1950年)
妹尾1896.02.264,709(1898年)妹尾町9,880(1970年)
足守1896.02.263,102(1947年)足守町10,789(1960年)
庭瀬1901.02.063,975(1935年)吉備町10,957(1970年)
撫川1904.06.013,045(1918年)撫川町30,45(1918年)
瀬戸1915.01.014,153(1950年)瀬戸町14,902(2005年)
金川1915.11.012,662(1947年)御津町13,765(1955年)
高松1915.11.104,151(1947年)高松町11,518(1970年)
福渡1922.11.233,037(1947年)福渡町5,114(1955年)
真金1929.08.012,562(1947年)真金町2,562(1947年)
灘崎1949.04.0115,823(2000年)灘崎町15,823(2000年)
財田1950.10.013,651(1950年)財田町3,651(1950年)
万富1951.04.014,747※1万富町4,747※1
上道1953.04.017,096(1955年)上道町7,096(1955年)
一宮1955.01.0111,620(1970年)一宮町11,620(1970年)
建部1955.02.016,641(1955年)建部町8,838(1970年)
津高1959.02.018,471(1970年)津高町8,471(1970年)
※1:瀬戸町等と合併時(1955年2月1日)の境域に組み替えた1950年国勢調査人口(万富村+熊山村の一部)
岡山市関連の主な廃置分合
1937.05.05・・・庭瀬町・撫川町→吉備町(新設)
1953.02.01・・・西大寺町→西大寺市(新設)
1953.04.01・・・金川町→御津町(新設)
1954.04.01・・・岡山市が財田町ほか3村・御津町一部を編入
1955.02.01・・・瀬戸町・万富町・ほか2村→瀬戸町(新設)
1960.04.01・・・高松町が真金町を編入
1967.01.15・・・建部町・福渡町→建部町(新設)
1969.02.18・・・岡山市が西大寺市(1965国調:46,868人)を編入
1971.01.08・・・岡山市が一宮町・津高町・高松町を編入
1971.03.08・・・岡山市が吉備町・妹尾町ほか1村を編入
1971.05.01・・・岡山市が上道町・足守町ほか1村を編入
2005.03.22・・・岡山市が御津町・灘崎町を編入
2007.01.22・・・岡山市が建部町・瀬戸町を編入

◎倉敷市の因子町(☆…本源・前身・最古因子町、△…直系因子町)
因子町町制施行日最高人口調査年-----最高人口調査年
倉敷☆1891.06.1614,209(1925年)倉敷町27,794※2
下津井△1896.02.263,780(1898年)下津井町9,918(1947年)
茶屋1896.02.267,840(1970年)茶屋町7,840(1970年)
玉島△1897.05.269,064(1898年)玉島町29,160(1950年)
味野△1906.03.287,078(1940年)味野町11,775(1947年)
連島1912.04.0122,191(1947年)連島町22,191(1947年)
琴浦1915.11.0125,007(1955年)琴浦町25,007(1955年)
藤戸1915.11.103,795(1947年)藤戸町3,795(1947年)
河内/西阿知1922.01.015,111(1950年)西阿知町5,111(1950年)
長尾1925.11.014,814(1950年)長尾町4,814(1950年)
児島△1928.11.017,415(1947年)児島町7,415(1947年)
赤崎△1935.01.013,430(1940年)赤崎町3,430(1940年)
船穂1940.02.117,663(2000年)船穂町7,663(2000年)
中洲1940.12.016,147※3中洲町6,147※3
福田1947.12.0920,897(1950年)福田町20,897(1950年)
箭田1950.04.012,986(1950年)真備町23,163(1995年)
黒崎1951.01.018,244※4黒崎町8,244※4
※2:倉敷町市制時(1927年4月1日)の境域に組み替えた1925年国勢調査人口(倉敷町+大高村+万寿村)
※3:1940年国勢調査人口(中洲村)
※4:1950年国勢調査人口(黒崎村)
倉敷市関連の主な廃置分合
1902.09.30・・・玉島町→玉島町(新設)
1926.01.01・・・河内町→西阿知町(改称)
1927.04.01・・・倉敷町→倉敷町(新設)
1928.04.01・・・倉敷町→倉敷市
1941.02.11・・・味野町・赤崎町→味野町(新設)
1944.01.01・・・倉敷市が中洲町を編入
1948.04.01・・・味野町(1947国調:11,775人)・下津井町(1947国調:9,918人)・児島町(1947国調:7,415人)
        ・ほか1村→児島市(新設)
1952.01.01・・・玉島町→玉島市
1952.04.01・・・箭田町→真備町(新設)
1953.01.01・・・倉敷市が西阿知町を編入
1953.02.11・・・玉島市が長尾町を編入
1953.04.01・・・玉島市が黒崎町ほか1村を編入
1953.06.01・・・倉敷市が福田町・連島町を編入
1954.12.01・・・倉敷市が藤戸町を編入
1956.04.01・・・児島市(1955国調:37,891人)・琴浦町(1955国調:25,007人)→児島市(新設)
1967.02.01・・・倉敷市(1965国調:144,461人):・児島市(1965国調:77,420人)・玉島市(1965国調:53,455人)
         →倉敷市(新設)
1972.05.01・・・倉敷市が茶屋町を編入
2005.08.01・・・倉敷市が船穂町・真備町を編入
[107056] 2023年 3月 9日(木)18:45:54白桃 さん
名邑三世代.その87(岡山県・後編)
[107002]では唐突かつ強引に岡山市と倉敷市の合併競争史めいたことを書きましたが、「後編」は元の路線に戻します。
【秀邑】(【大・昭の名邑】)
岡山県の「秀邑」は、この期に「市」となった玉野、児島市と、琴浦、総社、西大寺、金光、鴨方の7つです。
玉野は日比(中心地区は玉)と宇野の二つの町が合併して成立した三井造船の所謂「企業城下町」です。そして、白桃の専攻科の修了論文(「論文」とは名ばかりですが・・・)の舞台です。市街地は宇野から日比にかけて細長く連担しています。ま、そんなことより、玉野、いや、宇野というところは、四国の人にとっては本州で最初に足をおろす地なんです。そして、どういうわけか、四国人は連絡船を降りたら、「瀬戸」や「鷲羽」に乗るために走り出すのです。瀬戸の座席指定があっても走り出すのです。船からの乗り継ぎ時間は、MCT(ミニマム・コネクティングタイム)より十分余裕あるはずですが…。いわゆる風物詩なんでしょうか。風物詩と言えば、宇高連絡船の饂飩です。白桃、岡山から帰省する際には、フェリーより連絡船の方が多かったです。連絡船の所要時間は約1時間なんですが、船のデッキで絶対、うどんを食べるのです。うどんを食べるということで、香川県に戻ってきたという思いを自ら増幅させるのです。
脱線しましたが、次に児島市。秀邑名を「児島」ではなく「児島市」としたのは、倉敷・玉島との合併前の児島市の本源因子町であって、【明治の名邑】となっている下津井の流れではなく、味野の流れで出来た児島だからなんです。物凄く分かり難い説明ですが、同じような例が、岩国と岩国市(麻里布)、三次と三次市(十日市)、生地と黒部市(桜井)、日出と日出町(豊岡)などです。
琴浦は後に児島市と新設合併するのですが、琴浦の「上の町」「下の町」は賑やかな商店街が連なっていました。味野よりは立派でした。(注:あくまでも50年前の記憶による頼りない個人的見解です)
そうじゃ、総社を忘れては、おえん。おえりゃ~せんのう。ここも学生の自主的地域調査で何度か訪れました。何と言っても吉備線が良かった。
西大寺は、裸祭りで有名な「西大寺」の門前町です。50年以上前に母方のおじさんを訪れた時にはアーケードが印象的でしたが、岡山オフ会時には取り払われていました。
残り二つは、金光教の金光と鴨方の浅口勢です。なお、浅口市の本源・最古因子町は寄島なんで、浅口市には、【名邑】が一つ、【秀邑】が二つ存在しているのです。小さいのにチョッと生意気?
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種二級玉野玉野市日比町11,666玉野市44,223
一種三級児島市(倉敷市)味野町5,188児島市33,822
二種二級琴浦(倉敷市)琴浦町10,758琴浦町20,310
二種三級総社総社市総社町6,821総社町10,310
二種三級西大寺(岡山市)西大寺町5,825西大寺町14,653
二種三級金光(浅口市)三和村8,718金光町11,976
二種三級鴨方浅口市鴨方村8,319鴨方町10,433
続いて「準秀邑」
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
福田(倉敷市)福田村9,237福田町20,897
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
岡山県の卓邑は四つ。
新見は、東かがわ市のライバルです。人口減り具合競争のライバルです。
新見と同じく、この期に市となった備前もややこしい町です。中心は片上でしょうけど、備前焼の伊部や耐火レンガの三石などチョコマカしています。そうそう、行きましたよ閑谷学校。白桃、人生、最初で最後の合コンでした。
吉備真備のふるさと?真備は、あの水害が記憶に新しいです。
山陽の白桃の経県値は「通過」になっています。これは、柵原鉱山(硫化鉄鉱)見学のためバスで通過した記憶があるのですが、陸上競技部でもっと真面目に練習していたら、「接地」以上になっていたのです。…中長距離陣でロード練習のときに、折り返し点が山陽町であったのですが、私は、折り返してきた皆とすれ違ったあと、山陽町に足を踏み入れることなく、岡山市エリアでUターンしてくるのです。名付けて、「ノーリスク・ハイリターン」の術なんですが、インチキ、詐欺にも等しいので、真面目なアスリートはマネしないでください。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種二級新見(9)新見市新見市37,437新見市24,576
一種三級備前(0)備前市備前町27,175備前市28,683
二種三級真備(0)(倉敷市)真備町13,414真備町22,915
四級山陽(5)赤磐市山陽町8,616山陽町24,604
(参考)
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
落合(0)真庭市落合町21,375落合町15,973
邑久(0)瀬戸内市邑久町20,150邑久町19,501
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[107091] 2023年 3月 17日(金)08:24:42白桃 さん
名邑三世代.その88(香川県・前編)
いよいよ、このシリーズも最終コーナーをまわり、直線ホームストレッチにさしかかってきました。が、ゴールのテープを切るのはどうしても”あの街”にしてもらいたいので、ここは、「準名邑」から始めることにいたします。
「準名邑」
香川県は他の府県に遅れて、1890年(明治23年)に市制・町村制が施行されました。それは1888年まで愛媛県に編入されていたため、「県」としての態勢が整っていなかったせいかもしれません。「生まれながらの町」は丸亀、坂出、観音寺、多度津、琴平の五つしかありませんが、1898年(明治31年)に「町」となった三本松や志度なども「生まれながらの町」に匹敵するのではないか、と、依怙贔屓気味に考えております。
土庄と宇多津も1898年町制組で、「名邑」でも良いのではないかと思うのですが、「戸口表」記載が第二表であるため、1915年(大正4年)に町制施行の香西とともに、「準名邑」にとどめております。
準名邑現自治体-----1886年戸口表人口-----1908年人口
中笠居(高松市)香西第一表3,254中笠居村4,161
土庄土庄町土之庄第二表5,007土庄町5,841
宇多津宇多津町宇多津第二表4,269宇多津町6,109
(参考)も多彩です。
仏生山は、黄門様の兄・高松藩初代藩主松平頼重が建立した法然寺の門前町で、菊人形も有名でした。町制施行1898年
白鳥本町は「しろとりさん」として著名な白鳥神社の鳥居前町で町制施行は1910年
淵崎は、あの「土淵海峡」を挟んで土庄と町並みは連担しています。
長尾は琴電長尾線の終着する町、長尾寺(87番札所)があります。町制施行1915年
善通寺は言わずと知れた弘法大師が生まれたところ(とされている)ですが、陸軍の師団が置かれて人口が増え、今でも陸上自衛隊が配置されているので、門前町兼軍事都市といったところでしょうか。尽誠学園の所在地でもあります。町制施行は1901年。
豊浜は香川県西端の地味な街ですが、町制施行は早く1898年。因みに、白桃の観音寺市「経県値」が「訪問」となっていますが、それは豊浜を訪問したからです。小さい頃、予讃線に乗りたくて、父親の出張に豊浜まで付いて行ったんだっけ?
仁尾は古くから開けた港町で、三豊市の「本源・最古因子町」でもあります。町制施行は1924年。
池田(1929年町制施行)と草壁(1917年町制施行)は、現在小豆島町の一部となっていますが、池田を通るとオリーブの香り、草壁を通ると醤油の臭いが???
坂ノ上は1922年に川島町として町制施行、後に旧郡名をとって山田町となり、またその後高松市に編入される。
丹生は1954年に誉水村と合併して大内(おおうち)町となり、翌1955年に三本松町と合併して大内(おおち)町となります。ここは、かつて白桃の本籍地でもあって、小砂(こざれ)地区には白桃の国屋敷があります。
詫間は荘内半島の付け根にある、ちょっとした港町で、町制施行は1942年。ここには、詫間電波(工業高専→現在香川高専詫間キャンパス)があって、野球が非常に弱い。なんで、ここと当たったら超ラッキーとしか言いようがないのです。
平井ですが、ここは平木と言ったり、平井と言ったりよくわからない。町制施行は1919年、後に旧郡名をとって三木町に。お願いだから、東かがわ市の人口を抜かないで!!!。池戸には香川大学農学部があります。
潟元は1933年に屋島町になります。後に高松市に編入。
(参考)現自治体-----1886年戸口表人口1908年人口
仏生山(高松市)仏生山第一表2,328仏生山町4,192
白鳥本(東かがわ市)松原第一表803松原村※4,032
榎井(琴平町)榎井第一表2,830榎井村2,931
淵崎(土庄町)淵崎第一表2,450淵崎村3,875
長尾(さぬき市)長尾第一表785長尾村6,862
善通寺善通寺市善通寺第二表2,959善通寺町18,538
豊浜(観音寺市)和田浜第二表2,564豊浜町5,230
仁尾(三豊市)仁尾第二表7,849仁尾村8,566
池田(小豆島町)池田第二表3,348池田村6,196
滝宮(綾川町)瀧宮第二表1,782瀧宮村3,528
草壁小豆島町下村第二表1,101草壁村3,318
坂ノ上(高松市)川嶋第二表289坂ノ上村4,398
大野原(観音寺市)大野原第三表7,336大野原村7,773
丹生(東かがわ市)丹生村第三表5,792丹生村5,783
柞田村(観音寺市)柞田村第三表5,429柞田村4,843
東浜(高松市)東浜村第三表5,088東浜村6,867
詫間(三豊市)詫間村第三表4,568詫間村8,242
本島(丸亀市)本島第三表4,020本島村4,383
綾川町陶村第三表3,821陶村3,860
上高瀬三豊市上高瀬村第三表2,588上高瀬村3,838
平井三木町平木村第三表1,048平井村6,015
池戸村第三表2,265(平井村)
勝間(三豊市)下勝間村第三表1,781勝間村3,537
潟元(高松市)屋島村第三表1,519潟元村6,215
注1:表中1886年の人口は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の人口は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「準名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
香川県の「秀邑」は善通寺と仁尾の二つだけですが、「準秀邑」の詫間も、仁尾とはなんら遜色有りません。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
二種二級善通寺善通寺市善通寺町15,599善通寺町22,535
二種三級仁尾 (三豊市)仁尾村7,028仁尾町11,025
「準秀邑」
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
詫間(三豊市)詫間村8,028詫間町11,513
(参考)
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
大野原(観音寺市)大野原村6,707大野原村10,344
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
香川県の「卓邑」は三木、香川町、讃岐国分寺、土庄の四つです。高松の次に「都会」かもしれない宇多津は、とうとう無冠に終わりました。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
二種三級讃岐三木(0)三木町三木町25,415三木町28,769
二種三級香川町(0)(高松市)香川町11,210香川町24,136
二種三級讃岐国分寺(0)(高松市)国分寺町10,194国分寺町23,158
四級土庄(8)土庄町土庄24,879土庄17,711
(参考)
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
綾南(0)綾川町綾南町15,109綾南町19,262
宇多津(0)宇多津町宇多津町8,503宇多津町15,978
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[107111] 2023年 3月 20日(月)10:17:02白桃 さん
名邑三世代.その89(香川県・後編)
とうとうやってきました最終章。香川県には18年しか住んでいなかったのですが、私の心の中では71年1か月余の人生のうち、香川県(≒東かがわ≒大内町≒三本松)は40年を占めます。(残りの30年は岡山、1年一か月が浦安、「余」が西宮、大河原、パリ、蒜山)
ですから、今年のセンバツも髙松商業を応援します。ついでに英明も。香川県出身者なら、主義主張や「好み」を度外視して応援します。香川県を出てはじめて「讃岐うどん」の美味しさを知りました。「ハマチ」を見ると引田の安戸池を想い、オリーブはあまりかけることはありませんが、小豆島観光で欠かせない「オリーブの歌」が懐かしい。
ただ、白味噌の中に餡子の入った丸餅の雑煮は、もう結構です。醤油豆も出来たら遠慮したい。(笑)

【明治の名邑】
いつもより、人口欄を一列増やしております。
「市街」は城下町高松と丸亀。高松に「丸亀町」という繁華街がある。
京極氏によって治められた丸亀は、こんぴら参りの港町でもあり、都市の成り立ちから言えば、高松より古いと思われます。市になったのも19世紀です。
日本国民の大部分?から「香川と云えばコンピラさんのある県でしょ。でも、県庁所在地はどこだっけ?」と聞かれて情けなくなる高松ですが、石高はそれほど高くはないけど、親藩の中でも御三家に次いで厚遇された松平氏の城下町です。大名庭園である栗林公園は、(白桃の個人的見解でありますが)岡山の後楽園、水戸の偕楽園よりも美しく、訪日外国人の評価も兼六園と同等か、それ以上となっています。
名邑筆頭の観音寺(かんおんじ)ですが、市内にある69番札所「観音寺(かんのんじ)」の門前町というわけでもありません。琴弾公園の「寛永通宝」の銭形が有名です。
琴平、多度津、坂出も「生まれながらの町」ですから、三本松より「格上」であることは認めましょう。('◇')ゞ
琴平については今更説明する必要もありません。多度津は、丸亀と並んでこんぴら参りの港町であります。また、京極家の支藩がありました。
(香川は特別ですから、名邑代表を3つにします。琴平・多度津・三本松です。※三本松は「全国名邑連絡協議会会長」をお願いしております。)
坂出は「塩田」が有名です。塩と言えば「讃岐三白(塩、砂糖、綿)」の一つですが、白桃の脳裏にも坂出の塩田景観が残っています。
志度は、86番札所である志度寺の門前町でもあり、平賀源内の生誕地として有名です。そして、三本松の最大のライバルです。
津田は、かつて大内郡・寒川郡(後に統一されて大川郡)の郡役所が置かれていた街で、「津田の松原」は美しい海水浴場でもありました。もし、津田が「さぬき市」に加わらず、「東かがわ」に入っていれば三本松も…以下省略
引田については、[107085]勿来丸さんの記事が素晴らしく、これ以上の説明は不要です。室町期にはおそらく、讃岐一の都会であったでしょう。引田村※…1909年に町制施行。因みに、南原繁、笠置シヅ子は引田ではなく、ともに相生出身です。
注:下表で1886年~1890年に人口が急増している名邑がありますが、志度、引田などは、この間に行政村以前の「村」が統合された結果です。
最後に残った「名邑中の名邑」については、既に語りつくしていますので、ちょっと手を抜き[13446]を引用させていただきます
 浜の社宅のすぐ近くに小さな港がありました。父の肩の上で潮と油の混ざり合った臭いをかぐのが好きでした。いつも停泊しているお気に入りの船が見つからないとちょっと不安で、不満でした。
 あまりにも狭くて小さな町ですが、となり町の領域にまたがった紡績工場が、ここだけは治外法権だぞといわんばかりに、鄙にしては洗練された容姿でいかめしく構えておりました。
 昔、砂糖の積み出しで賑わった町にバー、小料理屋、パチンコ、映画館が秩序無くそろってました。自慢のアーケード街は三筋で、用事もないのに3回ぐらい往復するのが好きでした。特に、夏の夜市のときは格別で、浴衣、つっかけでその華やいだ通りを歩きます。でも、一歩、通りをそれるとそこはまっくらな路地で、薄気味悪く早足でかけてゆきます。
 駅はちょっとはずれに位置し、駅前通りというにはあまりにもお粗末なものでしたが、駅舎の前には藤棚があり、初夏のけだるい頃それを見るのが楽しみでした。
 古色蒼然とした高校があり、まわりはカラタチかウバメガシの垣根がずっと長く続いています。小学校の帰り、垣根にそっていくのも良いのですが、ときには高校の中に入りみちくさをします。大きくなるとこの高校に行くことになるのだ、という自然な気持ちで。
 警察、消防署、簡易裁判所、検察庁、電々公社、そういった小さな官庁街もありました。町の南は小高い丘になっており、展望台から穏やかな海や向こうの山、島がよく見えました。この丘で、「僕、市川歌右衛門!」と言いながらよくチャンバラをしたものです。決戦?の前日には、松の木のはり具合を見ながら、ここを背にした場合、斬りかかってこられたら、こうよけて・・・まるで、武蔵の心境。
 シード校を破って帰ってくる高校野球部の主将に、夕餉の支度をしているオバチャンから「ようやったなぁ。」と声がかかります。そんな、みんなの町でした。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)--1890年(人口)--1908年(人口)
市街高松高松市高松37,698高松市34,616高松市42,578
市街丸亀丸亀市丸亀16,149丸亀町20,052丸亀市27,019
名邑観音寺観音寺市観音寺10,685観音寺町12,748観音寺町13,317
名邑琴平琴平町琴平6,342琴平町6,820琴平町7,372
名邑多度津多度津町多度津6,198多度津町6,699多度津町7,863
名邑坂出坂出市坂出5,425坂出町10,343坂出町15,154
名邑志度さぬき市志度3,674志度村6,929志度町7,987
名邑津田(さぬき市)津田3,559津田村6,07津田町7,209
名邑引田(東かがわ市)引田3,267引田村5,206引田村※4,775
名邑三本松東かがわ市三本松3,190三本松村3,435三本松町3,028
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1890年の(人口)は、YTさんが算出された現住人口(日本帝国民戸口表基準)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[107803] 2023年 5月 10日(水)14:22:56白桃 さん
名邑代表連絡協議会
この書き込みは「名邑吟味」のエピローグとなりますが、殆ど白桃の妄想世界、それも極め付きのものでありますよって、ご関心のない方は読み飛ばすことをお勧めいたします。

白桃は、「名邑」と言う語をきちんと区分することなく使用していますが、大まかに言えば、以下の3つ対して使用しています。
①「特選市街」「別格市街」「市街」を含めた「明治の名邑」
②「特選市街」「別格市街」「市街」を除いた「明治の名邑」
③「明治の名邑」「大・昭の名邑(秀邑)」「昭・平の名邑(卓邑)」のすべて
今回の使用対象は②です。その数は461ですが、「名邑代表」とは、461の「名邑」の中から、香川県から3つ、岡山県から2つ、それ以外の都道府県から一つずつ、合計50の厳選?された「名邑」を指します。ただし、各都道府県の「名邑筆頭」は入れない、という暗黙の了解?によって、他に「名邑」がない徳島県からは「市街」である撫養を「名邑代表」としています。
とか何とか云っておりますが、要するに「名邑代表」とは、白桃好みの街のことであります。
「名邑代表連絡協議会」は白桃の妄想上の協議会で、会長は三本松、副会長は壬生と蟹江、事務局長は湯浅、事務局次長は高鍋となっております。
以下、「名邑代表連絡協議会」のメンバーリストです。
表の項目説明
〇名邑名称:
明治末の町名を基本としていますが、他に同名の街があるとき等はその限りではありません。
〇番付:
461の「名邑」を白桃が独自に順位付けをしています。因みに一位は福島(福島県の名邑筆頭)です。
〇因子町種別:
現自治体における因子町の種別で、☆=本源・前身・最古、◎=本源、●=最古、△=直系
〇1886年・1890年・1908年:
1886年は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1890年は、YTさんが算出された現住人口(日本帝国民戸口表基準)、1908年は「日本帝国人口静態統計」に記載された現住人口
※出雲崎の(1908年)10,135、及び蟹江の(1908年)11,275、以外は因子町期の人口です。
〇因子町最高人口
因子町期に国勢調査において記録された最高人口
※国勢調査開始前に消滅した内藤新宿、因子町を修了した出雲崎、蟹江は記録なし
名邑名称番付現自治体因子町種別町制年1886年1890年1908年因子町最高人口
寿都188位寿都町1900年3,7186,1989,5525,268
野辺地177位野辺地町1897年4,5066,2938,48618,419
岩谷堂359位奥州市1889年3,3415,9006,7069,449
登米159位登米市1889年5,4087,1108,14110,750
亀田421位由利本荘市1889年3,0284,7744,4504,527
谷地071位河北町1896年7,9028,84311,37314,855
三春107位三春町1889年6,0507,1549,50510,306
潮来316位潮来市1889年4,3304,7115,4037,189
壬生239位壬生町1889年4,8456,3477,51711,668
大間々354位みどり市1889年3,4634,6506,12523,497
小川町360位小川町1889年3,3174,6116,09210,664
関宿371位野田市1889年4,9665,1283,8613,635
内藤新宿090位東京都1889年6,1406,58311,147
大磯178位大磯町1889年4,4326,8358,89715,390
出雲崎126位出雲崎町1889年5,0936,15010,135
越中八尾144位富山市1889年6,2677,0616,9867,505
美川208位白山市1889年5,5245,5865,7536,743
三国041位坂井市1889年9,46610,43410,05610,599
鰍沢351位富士川町1896年3,5054,8115,3586,095
高遠374位伊那市1889年3,9484,1134,1244,635
笠松296位笠松町1889年5,0574,0194,20414,229
金谷237位島田市1889年4,8806,2367,73513,906
蟹江109位蟹江町1889年5,9196,00911,275
伊勢関382位亀山市1889年3,6824,4014,1375,114
膳所141位大津市1901年6,5077,2206,46114,679
425位京都市1889年4,4362,4191,7765,891
池田199位池田市1889年5,9775,8706,71614,947
出石221位豊岡市1889年5,2535,3725,2645,851
下市184位下市町1890年4,1137,5359,23514,545
湯浅042位湯浅町1896年9,29510,20010,40817,171
赤碕417位琴浦町1900年3,1073,5233,9125,303
広瀬393位安来市1889年3,5084,5534,4364,985
矢掛398位矢掛町1896年3,3654,3614,8266,014
久世364位真庭市1896年3,2284,6586,0609,201
127位福山市1889年5,0659,31910,53410,464
長府104位下関市1911年6,3246,9289,01211,488
撫養市街77位鳴門市1889年17,07518,15118,83718,338
琴平142位琴平町1890年6,3426,8207,3728,231
多度津148位多度津町1890年6,1986,6997,86313,240
三本松406位東かがわ市1898年3,1903,4353,0285,941
三津浜088位松山市1889年6,4657,58310,07514,073
赤岡377位香南市1899年3,7813,9504,3246,079
秋月426位朝倉市1893年3,8133,8162,0702,203
有田201位有田町1889年5,9386,2776,5108,162
島原湊137位島原市1889年17,5936,9976,7466,355
肥後長洲136位長洲町1889年6,7627,0397,9199,889
日出386位日出町1889年3,6004,0744,2985,251
高鍋260位高鍋町1901年4,3135,6396,7958,891
加治木442位姶良市1912年2,45411,25713,74223,834
糸満453位糸満市1908年4,7205,5277,73814,835

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