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okiさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[76668]2010年11月5日
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[76667]2010年11月5日
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[76662]2010年11月5日
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[76661]2010年11月5日
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[76637]2010年11月3日
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[76610]2010年11月3日
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[76601]2010年11月2日
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[76579]2010年11月1日
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[76574]2010年10月31日
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[76429]2010年10月23日
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[76422]2010年10月23日
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[74769]2010年4月8日
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[74636]2010年4月3日
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[74632]2010年4月3日
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[74627]2010年4月3日
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[74624]2010年4月3日
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[74550]2010年4月3日
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[74509]2010年4月1日
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[74482]2010年3月28日
oki
[74430]2010年3月24日
oki

[76668] 2010年 11月 5日(金)22:23:51oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の玖
問九:西東京市

リストは準備しておいたのに
[76667] 2010年 11月 5日(金)21:19:46oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の捌
問六:阿波市

個人的には、これしかない、という回答です
[76662] 2010年 11月 5日(金)18:07:54oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の漆
連投失礼します

問五:日立市

江戸川区民としては、せめて第一ヒントで答えたかったところ
[76661] 2010年 11月 5日(金)17:19:25oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の陸
分かった問題から答えていこう

問一:別府市
[76637] 2010年 11月 3日(水)22:17:46oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の伍
とりあえず、最初に見つけた市で

問八:釜石市

案の定、問十を間違えたので完答権をなくしてしまった。
ま、その前にほかの問題も正答できるかどうか危ないわけだが。
[76610] 2010年 11月 3日(水)00:49:28oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の肆
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の肆

問十:夕張市

これが最後の一つだと思うのですが、いまいち不安も


[76605] Issie さん
私は子供過ぎて気が付かなかったのですが,三木武夫首相も「国会」を「こっくゎい」と発音するので有名だったとか。この人は徳島の方ですが,ちょっと前までは「くゎ」という音がまだ聞けたのですね。
でも今はどのくらい残っているんでしょうね。

少なくとも徳島では、「くゎ」の発音は残っていません。三木氏は1907年(明治40)の生まれなので、この発音を保持したのは明治生まれの世代までではないでしょうか。
一方、三木さんは「しぇんしぇい(先生)」という言い方もよくしていました。こちらはまだ生きていて、私でも使うことがありますね。「今回の十番勝負はじぇんじぇん分かりません」などと。
[76601] 2010年 11月 2日(火)22:30:51oki さん
自治体越地名 ブービー賞
香川県で2件発見しました。

観音寺市本大町/三豊市豊中町本山乙・本山甲
観音寺市本大(もとだい)町と三豊市豊中町本山乙は江戸時代の本大村(もとのおおむら)、本山甲は寺家村です。この地域は、中世には周辺を含めて本山庄に属しており、本大村は江戸時代初期に本山大村(もとやまおおむら)と呼ばれていました。
本大村は財田川の両岸に広がる村で、明治合併時に、川の右岸(東側)が寺家村と合併して本山村になり、左岸地域は吉岡村などとともに一谷村を構成しました。本山甲・乙は、本山村の2つの大字を甲・乙と名付けたのだと思います。本大町と本山乙はもともと本大村で「本」の字を共有するので、分断地名と考えていいと思います。本山甲まで含めるかどうかは、判断をお任せします。

丸亀市飯野町東分/綾歌郡宇多津町大字東分
江戸時代は鵜足郡東分村です。明治合併時に西分村、東二村とともに飯野村を構成しましたが、1955年(昭和30)に飯野村が丸亀市に編入された際、大字東分の一部が宇多津町に編入されました。さらに1959年に、宇多津町東分の一部が丸亀市に編入されています。

これで空白県は鳥取だけに。
[76579] 2010年 11月 1日(月)01:50:04oki さん
自治体越え地名の検討をお願いします
十番勝負がまったく解けないので(1週間以上かかって解答がたったの2問。やはり才能の問題でしょう)、別の話題を。

[76567] オーナー グリグリ さん
[75921]で更新して以来、滞っていた自治体越えの地名を更新しました。

更新したすぐのところを申し訳ないのですが、以下の自治体越え地名について、ご検討をお願いします。

まずは現状で登録のない徳島県から2件。
徳島市国府町桜間/名西郡石井町高川原桜間
板野郡上板町第十新田/名西郡石井町藍畑第十

石井町の桜間、第十とも小字の扱いですが、高川原、藍畑という明治合併村が大字を構成しているためで、両方とも江戸時代には独立した村でした。
桜間は古代からある地名で、本来は阿波国名方郡桜間郷でしたが、寛平八年(896)、名方郡が名東・名西の2郡に分割されたとき、郡境に位置していた桜間郷も両郡に分かれました。以来幾星霜、江戸時代は名東郡桜間村と名西郡桜間村、明治以降の町村合併でも、片方は名東郡国府町から徳島市、他方は名西郡高川原村から石井町と、常に自治体を異にし、1100年にわたって分裂状態が続いているという「自治体越え地名の権化」ともいうべき地名です。
第十新田はもともと第十村と一体でしたが、洪水で吉野川の河道が現在の流れに変わったときに本村から切り離されました(地図を縮小すると、吉野川の北岸に第十新田の本体があります)。ただ、第十新田のごく一部が南岸に取り残され、本村の第十と隣接しています。

次に、「大物?」の(都)県境を2件。
東京都江戸川区堀江町/千葉県浦安市堀江(1~5丁目)
埼玉県吉川市大字三輪野江/千葉県流山市三輪野山

堀江町は江戸川に沿ってわずかな面積が残るだけなので、地図を拡大しないと分からないかもしれません。本来は、西側に広がる南葛西1~7丁目の全域が堀江町だったのですが、住居表示によって変えられています。
この地域が堀江を名乗っていたのは、浦安市堀江の飛地であったから。江戸時代、下総国葛飾郡堀江村は江戸川左岸の河口に位置する村で、目の前にできた中州を自村に組み込み、堀江新田を開発していました。堀江新田は、明治大合併で堀江村が当代島・猫実村と一緒に浦安村を形成してからも大字堀江の一部でしたが、1895年(明治28)の「東京府埼玉県千葉県茨城県境界変更法」で江戸川両岸の飛地が整理されたとき、南葛飾郡葛西村に編入されています。また、現在の堀江町の対岸は浦安市富士見(1~5丁目)ですが、これは住居表示後の地名で、元は大字堀江の一部です。したがって、住居表示前は江戸川を挟んで堀江が向かい合っていたはずです。

江戸川両岸の「自治体越え地名」は、上記の堀江を除くと江戸川の河道開削に伴うものが多いのですが、吉川市の大字三輪野江と流山市三輪野山は別の起源を持っています。吉川の三輪野江は、江戸時代初期の開発時に、対岸三輪野山に鎮座する三輪明神を移し祀ったために三輪野江の村名を名付けたことが、新編武蔵風土記稿に書かれています。神社を機縁として、共通の名前が江戸川両岸に存在するわけです。
もっとも、三輪野山の三輪明神は現在「茂侶神社」と改名しているので、地図を見ただけでは気づかないかもしれません。
[76574] 2010年 10月 31日(日)23:57:38oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の参
誤答したくないので手堅く

問四:国分寺市

前回の回答から中5日。何をやっておるのやら
[76429] 2010年 10月 23日(土)21:34:40oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の弐
想定解数もチェックしたので、間違いないと思います。
四国が売り切れているので。

問七:淡路市

今回の目標は、できるだけ多く正答すること。
[76422] 2010年 10月 23日(土)19:35:14oki さん
第二十九回全国の市十番勝負 解答其の壱
ご無沙汰しております。

問四:大垣市

小千谷市が?だったのですが、とりあえず自分を納得させました。
[74769] 2010年 4月 8日(木)01:50:43oki さん
第二十七回全国の市十番勝負 解答其の伍
問二:小松市

今日は久しぶりに都心に行き、その車中で分りました。
2問ほど失敗したので、想定解を数えてから解答することにします。左にないと駄目、と理解したのですが・・・
これで、完答の権利は確保したはずですが、残り7問なんですよね。先は遠い

久しぶりに良い機嫌で電車に乗ったので、乗り過ごして本八幡まで行ってしまいました。タクシーで篠崎駅まで戻ったのですが、運転手さんに「もとはち」って言いますかと確認したら、「聞いたことがない」とのことでした。江戸川と荒川の間でのみ通用する略語ではないかという気もします。
[74636] 2010年 4月 3日(土)14:41:38oki さん
第二十七回全国の市十番勝負 解答其の肆
問三:茂原市

想定解数が若干合わないのですが。
これも安全を見込んで。
[74632] 2010年 4月 3日(土)14:14:20oki さん
第二十七回全国の市十番勝負 解答其の参
問九:四国中央市

お題には合う。非該当市も説明がつく。
ただ、想定解のリストアップが大変なので、安全そうなところで見切り発車。
[74627] 2010年 4月 3日(土)13:22:05oki さん
第二十七回全国の市十番勝負 解答其の貳
問六:小松島市

想定解ピッタリ。
[74624] 2010年 4月 3日(土)12:59:40oki さん
第二十七回全国の市十番勝負 解答其の壱
問七:鳴門市

今回も参戦します。目標は完答。
[74550] 2010年 4月 3日(土)03:04:58oki さん
リニューアルで困ったが2件
Yahoo!地図の件:

[74528] 2010 年 4 月 1 日 (木) 23:49:21 EMM さん
かなり困るのは、「大字の境界の表示がすべて無くなってしまったこと」。
町名系のコレクションに関してはかなり深刻な情況です。

[74535] 2010 年 4 月 2 日 (金) 00:50:33【2】 k-ace さん
地名コレクション担当者である私としては、今回の変更は、エイプリルフールのネタと思いたいのですが、ここまで壮大なエイプリルフールのネタはまずないでしょうから、正直残念です。嗚呼、嘘だと思いたい、けど事実。

[74543] 2010 年 4 月 2 日 (金) 19:46:17 油天神山 さん
Yahoo!地図のリニューアル、参りましたねえ。私も町名系コレクションを多数抱えてるもので、今回の件は切実です。

私は別にコレクションを抱えているわけではありませんが、今回のYahoo!地図のリニューアルには参りました。近世村は概ね現在の大字に継承されているので、Yahoo!地図を参考にするとかつての近世村の範囲が分ったのですが、それが不可能になるからです。

とりあえず、マピオンのアンケートで、「マピオンを利用しているのは町丁目・大字範囲の塗り分けてを行なっているからなので、今後も続けてほしい」旨の回答をしておきました。お時間のある方はご協力下さい。
Yahooにも、もとの形式の地図に戻すよう、メールで要請をしましょうか?


近代デジタルライブラリの件:
[74545] 2010 年 4 月 2 日 (金) 21:54:43 88 さん
確かに今まで拡大縮小は不便でしたから、大きな改善ですね。しかし、URLの変更の件・・・私も手元の資料整理では、今後のため(投稿時のリンク設定の便宜のため)にも、URLもあわせて保存するようにしていたので、これは一大事です。

[74542] 2010 年 4 月 2 日 (金) 18:23:12 むっくん さん
国立国会図書館近代デジタルライブラリも4月1日にリニューアルされて拡大縮小がマウスで出来るようになり、かなり便利になりました。またこれに伴い、書籍のURLリンク先が今までとすべて変わってしまったというのも一大出来事です。

近代デジタルライブラリのURLは私も結構ため込んでいるので、これを変更するのは大変です。
リニューアル前後のURLを検証してみたのですが、リニューアル前のURLを、リニューアル後のそれに機械的に変換するのは不可能なようで、一つ一つ手作業でやるしかないようです。
ま、やるとしても十番勝負の後になるでしょうが。
[74509] 2010年 4月 1日(木)01:00:02oki さん
「下ノ関」に関する資料
[74498] hmt さん
[74499] hmt さん  「下ノ関市」の謎

実際問題として、「下ノ関市」が存在したのはごく短期間だったのでないかと推測します。
だから下関市民は明治35年6月から「下関市」になったと信じている。
この状況では、「ノ」が取れて「下関市」になった日付を明らかにすることは、新発見の有力な資料がない限り困難でしょう。

「下ノ関」の名称が記載された資料をご紹介します。税務署の名称と管轄地域に関する勅令、およびその関連資料計4件で、国立公文書館のデジタルアーカイブで見つけました。
資料名称は次の通り。

1-A:
1902(明治35)年1月16日付「明治三十五年勅令第二号」
同年2月1日付で、「長府」税務署が「下ノ関」税務署に名称変更
1-B:
1901(明治34)年12月28日付上記勅令「案」

2-A:
1902(明治35)年6月14日付「明治三十五年勅令第百六十二号」
同年7月1日付で、「下ノ関」税務署が「下関」税務署に名称変更。同時に、下関税務署の管轄区域を赤間関市から「下関」市に改称
2-B:
1902(明治35)年6月4日付上記勅令「案」

まず資料1-Aから、1902(明治35)年2月1日付で、「長府」税務署が「下ノ関」税務署に名称変更されていることが分ります。言うまでもありませんが、この時点で存在するのは「下ノ関」市でも「下関」市でもなく、赤間関市です。
次に、2-Aにより、同年7月1日付で、2月に改称されたばかりの「下ノ関」税務署が再度「下関」税務署に改称され、同時に下関税務署の管轄区域が赤間関市から「下関」市に変更されています。
2-Bの3コマには、これが同年6月1日付で施行された赤間関市から「下関」市への改称に伴うものであることが明記されています。

以上の資料から判断すると、赤間関市が「下ノ関」市を経て「下関」市と改称された可能性は薄いと思います。資料2-A・Bは、いずれも「下ノ関」税務署から「下関」税務署への改称に関するもので、「下ノ関」と「下関」との相違を充分に理解した上で作成されています。したがって、いったん「下ノ関」市に改称された上で「下関」市になったのだとすれば、資料2-Bにその旨が明記されてるはずです。それがない以上、1902(明治35)年6月1日に、直接「下関」市になった、と判断する方が妥当ではないでしょうか。
なお、資料2-Bには「赤間関市を下関市と改むる件」について「明治35年4月許可、同6月1日より施行」とあり、「府県及北海道境域沿革一覧」に記載された「明治35年4月5日」は、この「許可」の日付だろうと推測されます。

ただ、以上が正しいとしても、まだ疑問は残ります。資料2-Aで「長府」税務署から「下ノ関」税務署に改称されたのはなぜか、また、「府県及北海道境域沿革一覧」や内閣統計局による「明治36年12月31日現在の市町村別現住人口」で「下ノ関」市という市名が使用されている理由は何か、が分らないからです。
で、以下は推測です。
まず、「長府」税務署から「下ノ関」税務署への改称は、税務署が当時の長府村から赤間関市に移転したためだと考えられます。「赤間関」税務署にしなかったのは、その時点(遅くとも1-Bの発行時点である1901年年末段階)で、「下ノ関」市への改称が規定方針であったからでしょう。しかし、実際には「下ノ関」市ではなく「下関」市になった。そのため、改めて「下関」税務署に名称変更する必要が生じたのだと思います。
また、「府県及北海道境域沿革一覧」や「明治36年12月31日現在の市町村別現住人口」で「下ノ関」市が使われているのは、もともと「下ノ関」市に改称されるはずであったのが「下関」市になってしまったため、政府部内に混乱が生じ、一部資料に「下ノ関」市の表現が残ったためではないかと考えます。
以上、あくまで推測ですが、ご参考になれば。

上記を投稿しようとしたところで、、
[74506] 2010 年 4 月 1 日 (木) 00:24:53 Issie さん
「下ノ関市」で全然OK(オッケー)!
を目にしましたが、そのまま書き込みます。
大蔵省(税務署関係)は「下ノ関」と「下関」の相違に厳格に対応したのに対し、他のお役所は「ノ」の有無にこだわらなかったのかもしれません。
[74482] 2010年 3月 28日(日)12:42:07oki さん
西の「ホンマチ」、東の「ホンチョウ」
[74475] Issie さん
[74472] 白桃 さん

「本町」に関しては、以前に郵便番号簿をもとに全国の地名を整理したデータがあるので以下にお示しします。

都道府県地名数(件)ホンマチ(%)ホンチョウ(%)モトマチ(%)
北海道12287814
青森県8137513
岩手県508020
宮城県1405743
秋田県8136325
山形県1414797
福島県215095
茨城県1301000
栃木県176940
群馬県1331628
埼玉県287867
千葉県130928
東京都3116840
神奈川県2401000
新潟県4611854
富山県3610000
石川県2110000
福井県159370
山梨県301000
長野県580200
岐阜県2510000
静岡県3318820
愛知県829820
三重県1610000
滋賀県989110
京都府269280
大阪府7310000
兵庫県539460
奈良県1610000
和歌山県510000
鳥取県310000
島根県710000
岡山県2210000
広島県3310000
山口県339730
徳島県1217830
香川県1080200
愛媛県989110
高知県1310000
福岡県299703
佐賀県810000
長崎県199550
熊本県239640
大分県1610000
宮崎県710000
鹿児島県188966
合計105762335

ファイルの日付が2006年なので、それ以前のデータです。資料が郵便番号簿ですから、本町1~5丁目などは1つの地名としてカウントされています。「本町」のほか、「上本町」、「平等本町」などの合成地名を含めています。逆に、「山本町」、「松本町」など、「○本+町」と解される地名は除外しました。沖縄には対象地名が存在しないので割愛しています。

以上の前提で、全国の「本町」地名は1057ヶ所、うちホンマチ62%、ホンチョウ33%、モトマチ5%という結果です。

フォッサマグナを境にして、西側ではホンマチ優位、東側はホンチョウ優位で、福島県を中心として東北にモトマチが比較的多い、という分布が明確に表われています。
その中で徳島だけは、ホンチョウが圧倒的に優位。12件のうち8割ですが、これらはすべて徳島市で、「徳島本町」など10地名のすべてがホンチョウです。何か理由があるのかしら。

なお、上本町の読みは以下の通りです(合併以前の自治体名を含みます)。
カミホンチョウ:
酒田市、瀬戸市、
ウエホンマチ:
蒲郡市、名張市、大阪市天王寺区
カミホンマチ
羽島郡笠松町、船井郡園部町、高槻市、小野市、新宮市、北九州市門司区、北九州市八幡東区、田川市、鹿児島市

近鉄の上本町駅って天王寺区だったのですね。すっかり中央区だと思いこんでましたが。
[74430] 2010年 3月 24日(水)23:14:17【1】oki さん
西の元八 東の本八
[74428] むじながいり さん
[74401] みかちゅう さん

私が「もとはち」から連想するのは、新宿線の起点(終点?)である千葉県の駅。最寄駅の隣駅なので、けっこう出かけています。わが家では日常的に「もとはち」と呼んでいますが、首都圏全体で知名度があるかどうかはいささか疑問。
同じく新宿線の馬喰横山も「ばくよこ」と略称してますが、こちらも都営線の利用者以外には知られていない可能性が強いですね。

逆に、かなり知られているはずなのに、今までに出ていない駅名は次の通り。
「ばば」-「にしおぎ」-「ジョージ」-「にしこく」

実は、これは何十年か前の通学ルート。改めて口にすると懐かしいものがあります。


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