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kenさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[38143]2005年2月28日
ken
[37976]2005年2月21日
ken
[37884]2005年2月17日
ken
[37857]2005年2月16日
ken
[37806]2005年2月14日
ken

[38143] 2005年 2月 28日(月)16:27:05ken さん
茶番にもならない
[38135] じゃごたろ さん
[38122] 百折不撓 さん
[38121] しぞ~かおでんGM さん
[38118] Issie さん

「南セントレア市」にしたことで“ヤブをつついてしまった” ということなんでしょうかねえ。

そうですね。
「南セントレア」をブチアゲていなければ、合併自体にこれほどの、反対票は集まらなかったでしょうね。

最近の他の地区の住民投票でも、さすがにダブルスコア、トリプルスコアってところは少ない。しかも投票率高いし。

NHKの全国ニュースでも、とりあげられて、住民投票を終えた出口インタビューで、「そんな(名前の)ところに住みたくないので、合併『反対』に票を投じた」と答えている男性がいましたね。

南セントレアだけに限ったことではありませんが、市名そのもの、決定の手順、庁舎位置、協議会の進め方、後追いの住民投票など、稚拙なボタンの掛け違いによって、本来の目的がどこかに行ってしまっているケースが多いですね。
多いというか、ほとんど、すべてのところで、何らかの「問題」は起きている感じ。

とにかく、この一件、「セントレア開港の宣伝効果」として、どれくらいの対価になるのか、電通さんに試算してみてもらいたいくらいですが、「セントレア」の名称は、タイミングもよく、隣町のこの騒ぎのおかげで、一気に全国に浸透したことだけは確かですね。

それと、「市」のインフレで、「市」になる(昇格?)ってことが、住民の自意識にとって全然価値が無くなって来ている影響もあるかも知れませんね。
「市」になれる、ということは、全然、魅力では無くなって来ている。
何せ、奥美濃から飛騨のほとんどが「市」になってるわけですからね。
[37976] 2005年 2月 21日(月)16:50:52ken さん
ご当地ナンバー
ここでも、何度か、話題になっているご当地ナンバーですが、
ご当地ナンバーの条件を満たすとして、船橋市が申請していた「船橋」ナンバーですが、
2月17日の朝日新聞千葉版によると、国交省がNGを出したようですね。

http://mytown.asahi.com/chiba/news02.asp?kiji=4939

「習志野」ナンバーの発給元、習志野自動車検査登録事務所の所在地自体が船橋市なんですけどね。
[37884] 2005年 2月 17日(木)02:25:20ken さん
仁保島、八尋姓
[37875] EMM さん

1889年から1917年まで仁保島村が存在しています。
仁保島で間違いなさそうですね。

で、その1400件のうちの約1000件ほどが実は福岡県内にお住まいの方なのです。
あ、ほんとですね。
私の手元極秘資料でも、八尋姓は全国で1415件の登録、福岡県に998件で、隣接の佐賀県21件、山口県12件ですので、圧倒的に福岡県の姓ですね。
拙稿
明らかに関東地方に偏重して分布している姓です。
は、神奈川、東京あたりだけ調べた、拙速誤認でした。大変失礼しました。
[37857] 2005年 2月 16日(水)02:16:28ken さん
re:ベセスダ さん
[37745] ベセスダ さん
「2484 Aza mukonaka, Nikojima mura, Aki gun, Hiroshima」と書かれております。どなたか、この地名をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけないでしょうか。
<中略>
おそらく、どこかの島の地名のように思います

うむむっ!
Ni"k"ojimaですか?
それとも
[37850] ベセスダ さん
Nihojima
ですか?

kとhの差は大きいですよ。
小文字のhとnは容易に書き違え、読み違えられるでしょう。

安芸郡で、類似の音を持った島といえば、似島(Ninoshima)があります。
現在の住所だと、一島全部、広島市南区似島町で、字は確認できませんが、
aza mukonaka は、常識的に類推すれば、「向中(むこうなか)」などではないのでしょうか。
1896年当時、似島が「村」だったかどうか、は、私は確認できないのですが、確認する方法は、あるでしょう。
「nihojima」が「Ninoshima」なのではないか、という視点で、松本清張を読むつもりで、推理するのも面白いかもしれませんねえ。

広島市南区似島町は、住居表示としては、全島が似島町という大字と大字似島字大黄しか確認できませんが、地図を見ると住所表記には使われない字名はいくつか散見でき、地番は似島町通しで、
http://www.mapion.co.jp/html/AddressList/34/34103/39/
5000番台までありますので、2428は確認はできませんが存在した可能性はありますね。
地番は必ずしも、近いの番号が地理的に近くにあるわけではないことは、皆さんご承知と思いますが、
やや、先走った推測ですが、似島小学校が2410、似島中学校が2250であり、これらの立地が、港のある家下(やじた)地区から見てちょうど、島の裏側にあり、「mukoaka」が「向中」だと推測すれば、向こう側の浜の中ほど、ということで、付けられた「字」かもしれません。

http://www.city.hiroshima.jp/minami/sosiki.htm#似島
にお問い合わせになって、「むこなか」or「むこうなか」という地名が、似島に存在する(した)かどうかだけでも、お尋ねになってみたらいかがでしょう。

ちなみに、「八尋」という姓は、明らかに関東地方に偏重して分布している姓です。
八広姓は全国的に絶対数が非常に少なく、Yahiroは「八尋」である可能性が圧倒的に高いですね。

惜しむらくは「iwata」姓が珍しくない姓であるところですが、分布をざっと見ると、中部地方にも多いですが、広島、島根両県にも、人口比を上回る分布がありますね。
明らかに東日本の姓ではない、傾向が見て取れます。
[37806] 2005年 2月 14日(月)03:57:46ken さん
武蔵
[37787] miki さん
[37786] 北の住人さん
[37803] Issie さん
身分の低い武士が勝手に名のることもよくあったようです。

一応、近世史担当?として、マメ知識、補足すると、戦国時代は箔を付けるために、○×守を勝手に名乗っていた人物も多いです。
江戸幕府体制下では、「守」「頭」「正」など、「かみ」官名を名乗るためには、本来朝廷の役職ですが、武家に関しては、幕府が、発給権限を代行していて、勝手に名乗ることは許されていませんでした。

国名+守の「国司」だけではないのですが、例えば「樅の木は残った」の原田甲斐、などのように、大名の陪臣などになると、「守」「頭」「正」の付かない「甲斐」、「大膳」、「刑部」などは勝手に名乗ってOK。
幕末の長州藩家老、「長井雅楽(うた)」もいますね。

また「守・頭・正(かみ)」官でなく、(大石)「内蔵助」など、「介・助」官名なら、勝手にOK。
おなじ「内蔵司」の官職名でも、長官の「内蔵頭(くらのかみ)」は、正式に許可を得ないと名乗れませんし、そもそも、武家なら大名本人or嫡子でないと、名乗れない名前ですが、内蔵助はOK。

主税〔ちから〕寮でも、主税頭(ちからのかみ)は許可必要ですが、大石主税(ちから)の主税の部分でとめておけば、勝手に名乗ってOKです。

では大石内蔵「助」が勝手だから、といって、吉良上野「介」も同様かというと、さにあらず。
上野の国の極官が「上野介」だからです。
上野守、常陸守、上総守は存在しません。
歴史小説か何かに、上記3か国の「守」が出てきたら、その著者は相当、薄学と思ってよろしい。
この3ヶ国は、「親王任国」で、(概念上)皇室直領とされていて、守官には、「親王」が就任して、「上野太守(こうずけのおおかみ)」となり、臣下が国司長官になることは出来ません。
江戸期には実際に、例えば、戊辰戦争時の征討大総督になった有栖川宮幟仁親王(陸軍大将)の父、有栖川宮韶仁親王は「上総太守」に任官しています。常陸、上野も同様です。
ですので、「上野」「常陸」「上総」では「介」が臣下では極官ですので、他国の「守」と同じ扱いなのです。

平手造酒(ひらてみき)なんて名前も、造酒司(みきのつかさ)には、造酒正(みきのかみ)という官職があって、この長官名は、幕府許可必要ですが、ただ、造酒(みき)、と名乗る分には、勝手。
国名もそうですが、主水(もんど)、釆女(うねめ)、大膳(だいぜん)、主馬(しゅめ)、舎人(とねり)、主殿(とのも)、図書(ずしょ)、内匠(たくみ)、縫殿(ぬい)、主計(かずえ)、修理(しゅり)、外記(げき)、左京、右京なども、武士の名乗りとして、多様されるものですね。
これらも、長官名でなければ、勝手に名乗ってOK。

蛇足ながら、江戸時代では、大名はやはり、領国の支配者という観点から、官職の名乗りでも国司の長官である、「国名+守」を好んで申請する傾向がありました。
自分で好きなのを申請して良いんですが、
武蔵守は武蔵国が幕府の所在地であることから遠慮、陸奥守は伊達家独占なので不可、薩摩守、大隅守も島津家独占で不可、阿波守も蜂須賀家独占で、他人が名乗ることは許されません。
同姓で同官名は、事務手続き上、不都合が多いため禁止されており、特に松平姓は大名以外にも旗本や松平姓を許された外様大大名もありますので、大変な数で、好きな名前を申請してよいと言っても、空いている名前を探すのに苦労した、という話も。
他にもいろいろ制限ありますが。
自分の領地の国名を名乗って良いのは、伊達、島津、前田、などの大大名、対馬の宗家など特殊な例に、限られており、結構、制約が多いものでした。
石田三成の名乗りだった治部少輔も遠慮、尾張守は「終わり」に通じて縁起が悪いので、使用例なし、など、いろいろあります。

さて、マメ知識という割には、ヘビーな板違いの書き込みになってしまいましたが、

[37787] miki さん
確か宮本武蔵は「たけぞう」と呼ばれていたそうですね。
[37803] Issie さん
これは,もしかしたら 吉川英治 の創作では
宮本武蔵の初名は、弁之助ですので、私も「たけぞう」は吉川英治の創作だと思います。
宮本武蔵に関しては、江戸初期から、数々の評伝が出され、出生地も生い立ちも、そもそも江戸期から、真偽入り乱れているのですが、

播磨国印南郡米堕村(現兵庫県高砂市米田)に田原家貞の子として生まれ、黒田藩士、新免(しんめん)無二之助(むにのすけ)一真(かずまさ・・・か?)の養子となる。
播磨国揖東郡宮本村に居し、元服時に姓を居所の宮本とし、宮本 武蔵 玄信(はるのぶ)、または宮本 武蔵 政名(まさもと か?)と名乗った、ということのようです。

播磨ではなく、従来、美作生誕説も根強く、英田郡大原町の智頭急行には宮本武蔵駅もあり、生家跡もありますが、近年の研究では播磨生誕説の方に分がある感じで、宮本武蔵駅はガセビアのおもむき強し。

武蔵は晩年は、細川家の客分となり、武蔵には実子はないので、養子の宮本伊織が継ぎますが、この宮本伊織なる人物からしてが、悪意はなかったと思いますが、養父武蔵の粉飾「伝説化」に貢献した功績が大なので、武蔵はすでに子の代にして、真偽定かでない伝説の人物になってしまっていたようです。
そこから、孫引き曾孫引きの諸伝が流布。
まあ、謎に満ちたところが武蔵の魅力かも。

武蔵で、ずいぶん引っ張って失礼しました。

ところで、
相模国と武蔵国が、「むさかみ」「むさしも」であった、というのは、ガセビアでしょうか?


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