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hiroroじゃけぇさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[77122]2010年12月27日
hiroroじゃけぇ
[76263]2010年9月28日
hiroroじゃけぇ
[76203]2010年9月17日
hiroroじゃけぇ
[75995]2010年8月14日
hiroroじゃけぇ
[75468]2010年7月10日
hiroroじゃけぇ

[77122] 2010年 12月 27日(月)17:00:48hiroroじゃけぇ さん
アーケード+
[77093]千本桜 さん
「引網」は「地引網の衰退」と共に消えていったという説も納得でき、相互に影響していると思われます。ちなみに、ふと思うと母親は昭和31年にはすでに生まれていた(今日になって気づいた)ので、当時のことをきいてみました。でも「わからない」と一言。むしろ、「児島市」と「琴浦町」が合併していたことすら知りませんでした。まぁ、小さいころの記憶なので納得もいきますが。また、伯父や伯母に会った時にきいてみようと思います。

[77120]ペーロケ さん
[77121] Issie さん
都心のアーケード商店街といえば、高松や岡山、倉敷もあてはまります。小さな児島でさえアーケードがあるのですから、当然大都市にはあるものだと思っていました。京都や大阪もしかり、草津もある。徳島や宮崎も記憶に残っています。それでも、全てが中心商店街かと言われると・・・。高松や岡山は問題ないですが、他は微妙なところです。西日本ではメジャーな形態も東に向かえば違うものなんですね。

Nゲージの「ジオコレ」でもアーケードはありますが、東日本では使いにくいのかな?
[76263] 2010年 9月 28日(火)22:09:57hiroroじゃけぇ さん
続 児島のあれこれ
[76196]千本桜 さん

[76203]でのその後です。
残念ながら、どの項目もはっきりとしたことが確認できていないのが本当です。しかし、ちょっとしたヒントらしきものもあったので、そちらを少し。

「引網村」についてですが、由来は「地引網に適している地だから」という他に、「網に地蔵尊がかかったから」という説もありました。このどちらも共通しているのが、「漁師」漁業関係者が当時から減少傾向にあったようです(地下足袋生産に移った?)だから廃れたのか?ここから先は良くわかりません。一方の唐琴は「崇徳天皇」の時代の伝説にまで遡ることができ、こちらの方が由緒正しい地名ともいえるようです。

「大畠」・「菰池」についてもどういった理由なのか分かりません。ただ、驚いたことが一つ。「大畠」は「おばたけ」だと認識していたのですが、「おおばたけ」でしか見つけ出せなかったのです。地元では「おばたけ」と言っているのにどういうわけか分かりませんが、こちらが正式な模様です。

「宇野津」ですが、「目的地」になりえなかったということもあげられそうです。最近でこそ「ナフコ」が立地し、「目的地」ともなりうるようになったのですが・・・。また、玉野市の「宇野」と紛らわしいことも要因の一つのようです。それを避けるために敢えて表さないということもあるようです。それともう一つ、「バスの経由地」表記も参考にできそうです。児島駅~倉敷駅には3つのルートがあり、「天城・上の町経由」「天城・小川経由」「大高・塩生経由」です。お分かりのように、「塩生」が経由地の代表させています。これは、旧来からの慣例であったと考えてもいいということのようです。

以上、ちょっとしたことですが、参考になれば光栄です。お力になれず申し訳ございません。今後も機会があれば調査しますので、その時はまた報告させていただきます。
[76203] 2010年 9月 17日(金)20:27:43hiroroじゃけぇ さん
児島のあれこれと日比
[76196]千本桜 さん
ご質問のこと、自分がお力になれれば幸いです。なお、正確な答えが用意できていない部分もあるので、そのあたりは後日報告させて下さい。

まず1番目。
Q:
琴浦から少し離れた地域の人々、例えば下津井や日比の人は琴浦の地理範囲をどのように捉えているのでしょう。A・下の町・上の町の区域を琴浦と呼んでいる。B・下の町・上の町・田ノ口・唐琴・由加・白尾の全域を琴浦と呼んでいる。
(中略)
hiroroじゃけぇさん世代の感覚で捉えた琴浦。もう1つは70才以上の高齢者の感覚で捉えた琴浦。二者の立場からの琴浦を解説いただけたなら幸いです。

A:「琴浦」の 範囲ですが、下津井や日比の方々に訊ねたことがないので、詳細は分かりませんが、自分がその人達と話している感覚では、Aに田ノ口の平野部を含めた地域を「琴浦」と呼んでいるようです。つまり「田ノ口の平野部」が児島地域内での感覚とズレている部分となります。では、「田ノ口の平野部」以外はというと、「加茂路(かもじ)峠」あるいは「加茂路池のあたり」と言われることが多く、地名の「田ノ口」と地域内の感覚に整合性がありません。また、「白尾」は地域人口が少ない為、バス停のある「峠」を代表させることが多いようです。

年代による差異はほとんど見られません。というのも、現在でも親の世代からの地理感を引きついている為で、またそのように教えられて育つからです。

2番目
Q:
唐琴は明治22年まで存在した引網村のことではないかと推察します。もし、地理範囲に変わりがないなら、今も引綱と呼ばれて良いはずなのに、どうして唐琴に改称したのでしょうか。

A:地域としてはその通りです。「唐琴」はそもそも「唐琴の浦」(「唐琴乃浦」という記述や石碑もあるので、昔はこちらを使用していたようです)からきており、昔から海岸沿いは引網村の「唐琴」であったと思われます。よって、人口が集中する「唐琴」を採用したのではと推測しています。このことについては、後日改めて調べてみます。

3番目
Q:
塩生(しおなす)・通生(かよう)で1つの区域とした場合、宇野津はどこへ行ってしまうのでしょう。塩生に含まれるのでしょうか。

A:「宇野津」は児島地区にありながら、その立地上水島に近い感覚があります。また、この児島の西側の地域は「塩生」を代表させることが多く、「通生」も含めてしまうことが多いと思われます。

4番目
Q:
旧児島市の区域では、大字に相当する町丁名のほとんどが児島を冠して倉敷市児島○○と表記するのに、郷内村、下津井町および味野町の菰池だけは児島を冠称しません。何故でしょうか。

A:下津井については、児島としている地域からは独立した文化圏を構成しています。特に「方言」においては下津井は少々違った言い回しをする場合もあります。また、このようなことから、児島と下津井との間には軋轢もあったようで、それが原因で下津井は児島を冠さなかったと聞いたことがあります。菰池の詳細は分かりませんが、下津井に含まれる地域も内包しており、その為の処置だと推測しています。こちらも、後日ということにさせて下さい。

5番目
Q:
明治22年以前、下津井町の区域は下津井村、吹上村、田ノ浦村、大畠村に分かれていました。現在の住所表記は、下津井村の区域が倉敷市下津井、吹上村の区域が倉敷市下津井吹上、田ノ浦村の区域が倉敷市下津井田ノ浦なのに、大畠村の区域は下津井を付さずに倉敷市大畠です。大畠村の区域が児島も下津井も冠称しないのはなぜでしょうか。

A:こちらも詳細なことは分かりませんので、後日報告いたします。ただ、この地域は「児島」から「下津井」のアプローチとなる地域で、下津井へはこちらを通るのが一般的なルートであったようです。現在の児島I.C経由には旧ルート(現在でも通行可のトンネルあり)が利用されていたようで、あまり好まれていなかったようです。少し脱線しましたが、これらの経緯により、わざと「児島」も「下津井」も冠さなかったのではないでしょうか。また、大畠も菰池と同様、「下津井」の部分を内包しているのも、理由の一つかもしれません。

日比のこと
Q:
玉野市やその周辺に住む世間の人は、日比の地理範囲をどのように捉えているのでしょう。
A・日比という地名を耳にすると、藩政期の日比村に相当する区域を思い浮かべる。
B・日比という地名を耳にすると、日比に渋川、和田を加えた区域を思い浮かべる。
C・日比という地名を耳にすると、日比、渋川、和田に玉を加えた区域を思い浮かべる。

A:これは間違いなくAです。日比は「精錬」、玉は「造船」であり、わざわざ日比に「玉」を内包する必要はありません。また、和田はその地域を目的とすることが少なく、日比や玉に含める必要性はありません。ただ、上記のBとCで最も違うと断言できる理由はそこではなく、「渋川」を含んでいることにあります。確かに、日比と渋川の境界はあいまいですが、児島からでも宇野などの玉野市がわからでも中間点となり、多くのバス路線の終点となることから「渋川」は「渋川」として独立しています。なので、玉野市外から渋川にいく場合は「渋川に行く」とするのが一般的で、「玉野に行く」は宇野駅周辺の中心市街地を指してしまいます。そして、「日比」や「和田」、「玉」は「玉野に行く」に包括されてしまいます。なお、玉野市の「荘内」地区は「秀天橋(しゅうてんばし)」といわれることが多いので注意が必要です。この「秀天橋」は国道30号ある橋で、一部のバス路線で経由地などとして記載されています。

以上、現在のところこのようになります。後日また詳細を報告させてもらいます。
[75995] 2010年 8月 14日(土)22:17:29hiroroじゃけぇ さん
政令指定都市の経県値
テコ入れにもならないけど・・・(泣)

◎(居住):京都市、大阪市
○(宿泊):岡山市、広島市
●(訪問):横浜市、神戸市、北九州市、福岡市
△(接地):さいたま市、千葉市、川崎市、静岡市
▲(通過):浜松市、名古屋市、堺市
×(未踏):札幌市、仙台市、相模原市、新潟市

岡山市は居住ではないので・・・。
[75468] 2010年 7月 10日(土)20:25:49hiroroじゃけぇ さん
ようよと気づきました
[75464]般若堂そんぴん さん
[75465]k-ace さん
「ようよと」って方言だったんですね。今まで誰も言ってくれなかったので、方言だとは気づいていませんでした。

で、k-ace さんが調べたように「やっと」という意味で使っています。「ようよう」も使用しますが、「ようよと」の方が「やっと」の意味合いが強いですね。そそれと、「ようよう」が直前の事柄につかうのに対し、「ようよと」はそれよりも以前の事柄につかうことが多い気がします。あくまでも、使用方法は自分の感覚ではあるのですが・・・。


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