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ezekielさんの記事が10件見つかりました

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[57290] 2007年 3月 16日(金)08:51:04【2】ezekiel さん
駅のコア・イメージ
[57276] スナフキん さん
「道の駅」はすっかり市民権を得た感がありますが、これに便乗したとしか思えないネーミングの施設が次々に生まれています。海の駅、川の駅、町の駅…そして今度は「駅の駅」かい!みたいな。

話題作りにと思いましたが…

 ネットのお陰で、地方紙の主な記事を見る機会が増えて、遠くのご当地ニュースが身近になったように思います。

 「駅」という言葉(文字)は、“鉄道の駅”のイメージが付き纏う言葉ですが、「道の駅」という言い回しの中では、“鉄道の・・・”という部分を削ぎ落として「駅」という言葉(文字)に附随されたイメージを利用しているんでしょうね。“鉄道の駅”という物理的・機能的な意味ではなくて、“人が集まる”とか、“駅前商店街”とか、そんなイメージを道路沿いに持ってきた(インストールした)のが「道の駅」ではないかなあ~と思っています。ネーミングとしては、奇をてらったというよりも、「駅」という言葉の持つコア・イメージを結果的に掘り起こしたことになったので、すんなりと定着したのかなあ~と考えています。

 「駅の駅」、この言葉の一つ目の“駅の・・・”は、“鉄道の駅”をイメージさせて、2つ目の“駅”は“道の駅”をイメージさせて、この記事を見て、面白いネーミングだなあ~と思いました。「駅の駅」という端的な言葉で“鉄道の駅舎に出来た「道の駅」”をすぐにイメージさせてくれたのは、「駅」という言葉の持つ2つのイメージがオーバーラップする妙味を活かしたネーミングの故だと感じました。

 「局」という言葉(文字)も、一般には郵便局や放送局を連想する言葉で用いられることが多いですが、官庁では、また違った機能の言葉として使われています。人によってイメージにばらつきのある言葉(文字)の一つではないかと思います。蛇足ですが、放送局の“局”はstationで、これは“駅”とオーバーラップするんですね!

 ネーミングで失敗したのが、“国鉄”に対する“国電”に相当する言葉として“JR”に対しての“E電”があるように思います。新しい言葉が、すんなり受け入れられて定着するか、奇をてらったネーミングで一時的に使われて廃れるか、それとも最初から違和感があって使われぬままになってしまうか・・・。言葉は意味を指し示す機能的な側面もありますが、目や耳にした人が感性としてイメージする側面も大きいように感じます。言葉が歴史の中で変わっていくのも、文化や生活と共に歩む生き物だからでしょうね!各地にある「~銀座」にもアナロジーを感じます。そして地名の多くも、歴史の中で根付いたものが多いのでしょうね。

 スナフキん さんの「話題作りにと」に乗っかって、寒い朝に徒然なるままに・・・
[57238] 2007年 3月 10日(土)23:07:34ezekiel さん
ワイワイマップ
グリグリさん、

[55724]
自分色変更を確認しました。



yahooの地図情報でワイワイマップというのを試してみました。
http://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=mHVIaKLEm9I1s16ui4GJqShx.NMqR3V7U1g-
「写真で綴る兵庫の風景」を、暇を見つけてスポットの登録をしようと思います。
[55716] 2006年 12月 29日(金)10:20:35ezekiel さん
「落書き帳」& ロータリー
グリグリさん、

[55229]
それよりも、ezekielさんにおかれましては、[54377]の私の書き込みに対してきちんと回答していただきたいと思います。
大変失礼しました。「落書き帳」ですね。以後気をつけます。

[54577]
ezekielさん、対応遅くなりましたが改めてよろしくお願いいたします。なお、申請時にご指定いただいた自分色は、未登録メンバーのカラーと紛らわしいため、勝手ながら私の方で色をアレンジさせていただきました。修正ご希望があればお手数ですが再度ご申請ください。
次の通り、修正をお願いします。
  左枠(記事番号日時欄) 背景色 #e3440f 文字色 #8bf3fc
  右枠(ニックネーム欄) 背景色 #fcfbd6 文字色 #498cf1
  下枠(記事タイトル欄)背景色 #e2fefe 文字色 #3d241f



JR加古川線西脇市駅駅前のロータリーを紹介します。
地図

長閑な感じのロータリーです。参考までに写真も紹介します。
写真
[55228] 2006年 11月 18日(土)10:46:11ezekiel さん
Re[54577]他にも懸案事項は沢山あるのですが、時間が取れ次第対応したいと思いますのでご了承ください。
了解しました。現時点での途中経過をお知らせ下さい。
[54368] 2006年 10月 8日(日)07:25:05ezekiel さん
神戸を巡って ~湊川河口付近
[54365] ニジェガロージェッツ さん、
確かに江戸期の豪商・高田屋嘉兵衛の店や邸は西出町にありましたが、この西出町は東隣の東出町とともに「湊西」に含まれます。確かに兵庫津全体の中では、湊川河口に向かって東に突き出た部分に位置していますが、それゆえ「出町」と名付けられ、後に東出・西出に分かれたのでしょう。しかし、湊川を越えて東には出ておらず、実際、幕末期の兵庫津において湊川の東、つまり「湊東」に位置していたのは、東川崎町と相生町の2町だけです。
後に神戸区、更に神戸市と発展するにつれて、兵庫湊東の範囲も拡大していきました。

 湊東という言葉を使ってしまいましたが、かえって指し示す地域がブレてしまった
ように感じます。それと、私自身の中でも西出町、東出町の位置を指し示す言葉に
ブレがあって、

[54363]ezekiel、
湊川の河口近くの左岸、湊東とよばれる地域

[54340] ezekiel、
湊川左岸に関しても、兵庫の町が発展、膨張して、西出町や東出町、東川崎町、相生町が

 私自身も、かなり漠然としたピンボケ状態で捉えていましたので、ニジェガロージェッツさん
との間で齟齬が生じたと思います。おっしゃるように、西出町&東出町と、相生町とを
私がひとくくりに扱ったのが問題だと思います。

 私の視点としては、江戸中期頃からの兵庫の町の拡大が東進して、湊川右岸の河口
近くが北限(東限)だった町の範囲が、河口を中心に湊川左岸に喰い込み、後に湊東
という名称になる地域まで兵庫の町が膨張した経緯に注目したわけです。

 今スポットを照らしているのは、国道2号線が中央区から兵庫区に入って、国道が
右折で、直進すれば高松線に入る七宮神社辺りのポイントを中心とする半径300m
ぐらいの範囲の地域になると思います。旧西国街道は、七宮神社の西から現・高松線の
数十メートル西を兵庫の町を貫通しながら現・中央卸売市場の南辺りから西に向かう
経路だったことになると思います。今は廃止されましたが、市電が概ね西国街道沿い
に走っていたことになるのかなあ~と思います。

 ちょっと余談になりますが、神戸駅の位置は多少は移動しましたが、もし山陽線との
接続を見据えて、元町から直進して湊川神社の北を通る経路にすれば、神戸の町の様子も
随分変わっていたかもしれませんね。東西に細長い神戸の街にあって、JR神戸駅は、ほぼ
ホームが南北方向になっています。当時は港との接続が重要であったので当然のこと
だったと思いますが、旧神戸駅を港専用にして、後の山陽線との接続の為に湊川神社の
北に新神戸駅が出来ていれば、現・山陽電車はなかったかもしれませんし、地下鉄の
経路が大きく変わっていたかもしれません。JR神戸駅の西(正確には南)の急カーブは、
全線に渡って線形が良いとされている東海道線及び山陽線のなかで特異点のようですね。

*

 私自身、どうしても明治期以降の地理的な(行政的な)前提で、兵庫から生田川右岸の
地域を考えてしまいがちですが、ニジェガロージェッツさんのおっしゃるように、
西出町や東出町というのは、どこの村にも属していないような河口の中洲を築地して
出来た出島のような場所だったのかもしれません。当時は田んぼに関しては、厳密に
検地されていたことと思いますが、江戸期のムラとムラとの境界線って、それほど厳密では
なかったと思います。山は入会地で、海岸の多くは入会のような感じだったのかも
しれませんね。江戸初期には、まだ生田の森も随分広大だったような記述も見受け
られますので、当時の“ムラ”というものを、私自身もっと正確に捉え直さないと、
神戸のルーツを見誤るかもしれないなあ~と痛感しています。生田村の件も同じですが、
湊川の左岸、河口付近の海岸線沿いの地域に関しても、しっかりと調べたと思います。
[54363] 2006年 10月 7日(土)17:20:13ezekiel さん
神戸を巡って ~ 湊東の興隆
[54357] ニジェガロージェッツ さん、
ここで仰る「走水村」とは、実のところ「坂本村」ではないでしょうか。
走水村は宇治川左岸(東岸)までで湊川左岸一帯にまでは達しておらず、また兵庫津の市街が宇治川を越えて走水村を侵食したとも考え難いと思います。

 詳細なコメントをありがとうございます。

 私自身、神戸という一村名が、100万都市の名称になった経緯に興味を持って、いろいろ
調べたに過ぎず、スコープが限られています。いただいたコメントを読んで、坂本村の件に
関しては、多分に思い込みがあったのかなあ~と反省しています。

 まず、私自身、江戸初期の兵庫や神戸辺りの地図が手元にありません。ですから湊川の左岸、
湊東とよばれる一帯が、元々何処の村に属していたのかは、走水村だと思い込んでいただけで、
実際に調べていませんでした。

*

 ニジェガロージェッツ さんの書き込みを元に考えると、湊川右岸に兵庫の町があり、湊川
左岸の河口付近から宇治川辺りの地域は、元々は坂本村だったのでしょうか?そして西国街道の
北部が荒田村という位置関係で、坂本村と宇治川を挟んだ東側に走水村というような位置関係
だったのでしょうか?

 私のイメージ(思い込み)では、西国街道の北側に、西から荒田村、坂本村、宇治野村、
花隈村というような位置関係で捉えていました。

 私は、兵庫vs神戸という構図が出発点だったので、兵庫の町、走水村、二ツ茶屋村そして
神戸村にフォーカスを絞ってしまっていました。時代を遡って、生田村に関しても調べたいなあ~
と思っていたのですが、坂本村も要チェックですね。

*

 兵庫のまちの発展を見る中で、江戸中期以降に物流のメインが海運になり、廻船の存在が
大きくなることが見逃せないように思います。そして北前船で有名な高田屋嘉兵衛の拠点は、
昔からの兵庫津ではなくて湊東の西出町でしたし、廻船にのみ注目すると、意外にも兵庫津
以上にニツ茶屋村が多くの廻船を持っていたようです。もちろん兵庫津が中心であることに
変わりはないのですが、江戸中期以降に海運の主流が廻船になってきた時に、湊川左岸の
相対的な位置関係が高くなっていたように思います。

 湊川の河口近くの左岸、湊東とよばれる地域(走水村ではなくて坂本村)は、兵庫の町に
隣接する故に兵庫の町に呑み込まれてしまいましたが、二ツ茶屋村や神戸村は、兵庫の町から
微妙な距離を持っていた故に村として存続しながら近代化や産業化によって実力貯え、幕末
には蓼場が出来、海軍操練所が出来、そして兵庫津からの微妙な距離故に国際港の開港に
至ったと考えると、坂本村は、兵庫の町に近過ぎた為に、地名としては残ることが出来な
かったのかもしれませんね。
[54362] 2006年 10月 7日(土)17:07:27ezekiel さん
神戸を巡って ~ 横浜とのアナロジー
[54351]hmt さん、“神奈川・横浜(1)横浜の居留地は、文字通りの「関内」だった”

 神戸と兵庫を巡っての雑記帳でのやりとりが比較的多いのに対して、神奈川と横浜との関係に
ついての書き込みは、このサイトの中ではhmtさんの[20917]ぐらいでしたので、ちょっと淋しいなあ~
と思っていました。神奈川と横浜との関係に関する詳しい経過、ありがとうございました。

中世文書に神奈河として現れる神奈川(金川)は、近世には東海道でこの付近で最も大きな宿場町として繁盛していました。
神奈川港もあり、三浦方面の産物を江戸に運ぶ中継地でもありましたが、貿易港としての長い歴史を持つ兵庫津には及ぶべくもない、ローカルセンターという程度の存在でしょう。
&
神奈川宿と海を隔てた横浜村は、大岡川低地の前面をふさぐ砂洲の上の漁村でした。横浜村の漁師が、対岸の神奈川宿に船で魚を運び、納めていたという関係でしょう。

 神奈川がクローズアップされるのは、中世の鎌倉との関係の中で神奈川湊が、近海の海運の
拠点になったことで、その後は江戸期に神奈川宿として東海道の宿場町となって栄えたようで、
兵庫の津とのアナロジーを感じます。

 一方横浜という地名は、神戸と同様に幕末までは一村名に過ぎず、歴史の表舞台に立つ
ことはなかったようですが、黒船来航という大きな史実に直接対峙して、(語弊があるかも
しれませんが、結果として良い意味で)歴史の流れに翻弄されたような気がします。

 神戸村が近隣の兵庫津の影響で、二ッ茶屋村程ではなかったようですが廻船を多少所有して
いたようですし、酒造に関しても灘や西宮程ではなかったようですが商品としての清酒の製造
もしていたようですし、幕末近くには西国街道沿いには商家も多少はあって、近代化、産業化
されていたようです。その上、船蓼場を神戸村が誘致するような形になって、そのことが神戸
海軍操練所へとつながり、それらのことが結果的には神戸港開港の礎になったと捉えることも
出来るのですが、横浜村の場合は、一寒村が突然国際港となって脚光を浴びたようなイメージを
持っています。

*

条約文の「神奈川」の解釈を巡って、米国総領事ハリスは、商売上の見地から東海道神奈川宿を主張しましたが、幕府は横浜村を出島化して外国人を隔離しようと対立します(安政6年「神奈川宿本陣対話所」)。
結局のところ、幕府は外国側の反対を無視して横浜に開港場の建設を開始し、既成事実化してしまいました。

 開港に際しても、神戸と横浜では事情が違うようですね。そして県庁所在地となった経緯も
兵庫と神奈川との絡みを見ると、事情が異なるような気がします。

 横浜村が横浜町になったのは1860年、開港の時期が違うのもあるのですが、神戸町の
誕生が3村の連合体とも捉えることが出来る側面を持ち、神戸村の庄屋・生島四郎という
地元の実力者の存在を見逃せないのですが、横浜町の発足というのは、完全な「お上主導」
であったようなニュアンスを感じてしまいます。黒船来航から5年後には開港、翌年には
関内に横浜町と太田町が出来て、安政5年から7年に掛けての2年間で、横浜村は歴史の
大きな“うねり”の波をモロにかぶった大激変を経験したようですね。

 横浜村は、開港と居留地のからみで横浜町となったようですが、今の町村制とは違いますし、
この場合の横浜町って、港町という位置付けだったのか、或いはかなり特異な町という位置付け
だったのか、町としての基盤がない寒村に港が出来て、官民多くの人が雪崩れ込んで、
まさにいアメリカ西海岸のゴールドダッシュで突如生まれた町のようなイメージで当時の
横浜を捉えるのが、良いのかもしれないなあ~とも思います。
[54340] 2006年 10月 5日(木)20:45:05ezekiel さん
神戸を巡って ~ 06oct2006  
[54321] ニジェガロージェッツ さん、“明治初期の神戸”
[54322] hmt さん、“兵庫・神戸(2)兵庫開港、そして開港場の地名「神戸」について"
[54339] hmt さん、“兵庫・神戸(3)開港場は、約束した兵庫でなくて神戸でも「ええじゃないか」"

 興味深い内容や、ご示唆を大変面白く読まさせて頂きました。

 私自身、「神戸って?」という、素朴な疑問から調べていまして、ちょうど桜トンネルさんが、

[54163] 桜トンネル さん
三重県には飯南郡神戸村、名賀郡神戸村、安濃郡神戸村(神戸村が消滅したときは安濃郡、今は安芸郡)、河芸郡神戸町(神戸町が消滅したときは河芸郡、今は安芸郡)の4つの神戸村または町があったのですが、なぜこんなにあるのでしょうか。群馬県でも5つの東村がありましたが・・・。

 神戸という地名の発生、由来に関するようなことに疑問を持たれていたような内容に、私も
興味を持って、全国の神戸の地名と由来を調べたことがありました。また、この神戸という
地名が、私の今住んでいる市町村名になった経過にも興味を持って、続けて調べたことが
ありました。いろいろ調べると面白い話も多く、かなりブレを楽しみながら、現在進行形です。

 一村名でしかなかった神戸が、港町、県庁所在地の市名になった原因として次の3つでは
ないかなあ~と、今現在は考えています。

[54182]ezekiel、
 “神戸”という地名が、県庁所在地・政令指定都市の名前になったのは、
(1) 五畿内の港町の兵庫(大輪田泊)に隣接した位置
(2) 勝海舟が神戸海軍操練所を設置
(3) 幕末に兵庫開港し、神戸村に外国人居留地

 神戸の地名の発端は神社であり、それを支える神戸であって、村名としてのルーツは
きわめて農耕型のような気がします。その村名の神戸が、大都市の名前になった経過には、
港や海運がらみのことが多く、海事型であるような気がしています。

*

 神戸という一村名が、後の大都市の名前になったルーツ中のルーツは、兵庫という近隣の
港町の存在ではないかと思っています。上に挙げた(2),(3)は、兵庫という港町に隣接した
位置の故のものであって、今の神戸の街のルーツは兵庫なんだろうなあ~と感じています。

 ただ、兵庫の近隣の地名の中で、「何故神戸?」を考える時に、その理由を幕末の十数年に
集約出来るのではないかなあ~と思うようになりました。そのトリガーとなったのは
ニジェガロージェッツ さんの神戸駅の開業にスポットをあてた書き込みでした。

[54253]ニジェガロージェッツ さん、
今でこそ神戸駅周辺を「神戸」ではなく「兵庫」の一部だと思っている人は少ないと思いますが、神戸駅のある現在の「中央区相生町」は神戸市誕生当初より1931(昭和6)年の区政施行までは「兵庫」を冠し「兵庫相生町」でした。(区設置以前の神戸市の冠称については拙稿[51105]に記述)

 実は、この書き込みが気になって、改めて兵庫vs神戸という図式をじっくり考え直した
のですが、その中で次の2点が浮かび上がってきました。
(1) 「兵庫というまち」の範囲の変遷
(2) 「神戸」という地名の指し示す地域の変遷

 兵庫の町は繁栄と共に膨張したようで、元禄年間頃には、すでに湊川の左岸にまで及んで
いたようです。そして幕末には、湊川の左岸の西国街道沿いに相生町という兵庫の町が存在
していたようです。詳しいことが未だわからずにいるのですが、とにかく、明治7年開業の
初代神戸駅の位置というのは、当時の兵庫(相生町)と神戸(旧・走水村)の境界地帯で
あったようです。

 ただ、この時の神戸は神戸村のことではなくて、走水村、二ッ茶屋村、神戸村の3村の
連合体としての神戸町です。神戸という地名が、幕末には兵庫の東隣、湊川から生田川までの
地域を指し示すようになっていたように思います。しかし生田という古い地名も存在して
おり、兵庫vs神戸と共に、生田vs神戸という構図にも興味を持った次第です。

 神戸という地名が脚光を浴びた(?)時期が、明治に入っての数年間であったと思って
いたのですが、実は、もうちょっと手前の明治に入る前の数年間ではなかったのかなあ~と、
ここ数日で、考えが変わってきています。

 前置きがひじょうに長くなりましたが・・・

 *

 10C頃には、西から八部郷、宇治郷、神戸郷、生田郷という地名が存在したようで、
まだ兵庫という地名はなかったようです。古代から中世の時代には、生田という地名が
この辺り一体を指し示す名前であったようで、神戸という地名は、その中の一集落の
名前に過ぎなかったのではないかなあ~と思っています。(私自身、古文書を直接
読めないので、入手にした2次資料の範囲だけですが・・・)当時の神戸郷と生田郷の
位置や範囲の詳細はわからないのですが、神戸という地名が、ムラの名前を指し示す
(御幣があるかもしれませんが)行政的な地名であった時代が、江戸末期まで続いて
いたように思います。

 兵庫のまちに関しては、12C以降、興亡を繰り返していたようで、港町として、
そして宿場町として整備されるのは16C以降、特に江戸期に入ってからのようです。
元禄年間には、湊川右岸の南西一帯に町が広がっていたようです。ただ、この時期には
湊川の河口左岸に兵庫のまちが膨張して、西出町や東出町の基になる町並みが出来つつ
あったようです。その後に東川崎町も出来て湊川左岸に兵庫の町がはみ出していた
ようです。前述したように幕末頃には、西国街道沿いの湊川左岸に相生町が存在して
いたようです。

 この辺りのイメージが、どうも今の市町村制で捉えてしまいがちなのですが、神戸の
地名のルーツを探る中で、江戸期の“まち”って一体何なんだろうかなあ~という疑問を
持ったのですが、未だわからないままです。江戸の町が典型的だと思うのですが、近隣の
村が江戸の町に飲み込まれて消滅したケースもあると思うのですが、これは今風の
町村合併とは違うでしょうし、実質的に町が村を侵食していったのかなあ~と
イメージしています。

湊川左岸に関しても、兵庫の町が発展、膨張して、西出町や東出町、東川崎町、相生町が
湊川左岸の走水村を徐々に侵食していったのかなあ~と。(江戸期のまちと村に関しては、
じっくり調べたいと思います。)

*

[54322] hmt さん、
「神戸」という地名が、世界的なブランドになったのは何故か?という問題を解くキーの一つとして、上記のように居留地になった場所に存在した「神戸海軍操練所」の存在にもご注目ください。

 神戸海軍操練所が何故神戸村に出来たのかは、二ッ茶屋村出身の網屋吉兵衛の蓼場
建設が大きいようですね。そして、蓼場の建設をバックアップしたのが神戸村であり、
当時の神戸村の庄屋の生島四郎の存在がキーポイントになるのかもしれません。そして
走水村、二ッ茶屋村、神戸村の3村をリードして神戸町の誕生に導いたのも、“神戸”という
一村名を、兵庫のまちと互角の位置関係にまでアップさせた功績があるように思います。

 資料を見ていると、村の規模としては神戸村が、二ッ茶屋村や走水村よりも大きかった
ようですが、でも財政力としては二ッ茶屋村が上回っていたのではないかと思っています。
神戸村が農村型であったのに対して、二ッ茶屋村には大きな廻船が多数あったようです。
ただ走水村は、兵庫のまちが湊川河口左岸の海岸部まで膨張したためか、村としての規模は
二ッ茶屋村、神戸村に比べると、小さいように感じます。

 もし、網屋吉兵衛の蓼場が、出身地の二ッ茶屋村に出来ていれば、そして、神戸村の庄屋
生島四郎の存在がなければ、神戸ではなく二ッ茶屋の地名がクローズアップされ、明治元年
に二ッ茶屋町が生まれて、区名になってそして市名になっていたかもしれません。


[54321]ニジェガロージェッツ さん、
兵庫開港に際し兵庫津ではなく、実際には北へ離れた神戸村の浜辺を開港場として以来、兵庫港と神戸港が並存していました。

 これに関しては、[54339]で hmt さんも触れられておられますが、神奈川と横浜との
アナロジーで捉えて、神戸の場合と横浜の場合との相似と差異とを比較すると面白いだろう
なあ~と思います。形式原理では兵庫港なのですが、実質的に明治の初期には既に神戸港
であったように思います。ただhmtさんも触れられておられるように、勅許を得て開港した
港は、日本側での公式的な扱いは、しばらくは兵庫港であったはずではないかなあ~と
思います。

[54321]ニジェガロージェッツ さん
まず元来「生田」の地名は生田川を東界とする摂津国八部郡に属していましたが、川の流路の変化もあったのでしょう、いつしか村落は摂津国菟原郡に、生田神社は八部郡と分かれてしまいました。

[54322] hmt さん、
たしかに、この近くには「神戸」の名の由来でもある生田神社が存在しますが、そこの近世の村名は内陸の「生田宮村」(海岸の神戸村と共に八部郡)であり、「生田村」は生田川の東岸・菟原郡でした。従って、新しい開港場の名前とし、港に直結する村名「神戸」の方がより適切だったのではないかと考えます。

 生田という地名に関しては、もう少し調べたいと思います。天領になった以前の尼崎藩の時代
に遡ることになるかもしれませんが・・・
[54299] 2006年 10月 1日(日)23:40:43ezekiel さん
でっかい地名 & 顔にまつわる地名
 神戸を巡って、重要な示唆を頂いたり、なによりも、この掲示板でのやりとりが
大きなトリガーとなりました。また、雑記帳のcgiの機能の便利さも、凄いなあ~と
感心しています。

 ほとんど雑学的な内容ですが、以前に「でっかい地名」を蒐集したことがあります。
雑記帳のcgiの表の書式機能を使って整形しなおしました。(新しい市町村名に変換も)
顔にまつわる地名、それに続いて身体にまつわる地名の蒐集もしていたのですが、
身体にまつわる地名のデータが行方不明になって、とりあえず顔にまつわる地名のみ。
頭や額、目、耳、口は多いの割愛。唇や睫の地名は見つけられませんでした。
顔にまつわる表情や出入りするモノも(歌は多く、唾はなかったです)。

 このサイトの地名コレクションとオーバーラップするのも幾つかあるようですが、
恩恵を受けるばかりなので、情報提供も、と思い・・・


* でっかい地名 *

【日本】
地名所在地地名所在地地名所在地
日本国山形県鶴岡市日本平仙台市太白区日本橋東京都中央区
日本大通り横浜市中区日本平山新潟県阿賀町日本記長野県小川村
日本坂静岡県焼津市日本コバ滋賀県東近江市日本橋大阪市浪速区
日本原岡山県津山市日本原高原岡山県奈義町日本山長崎県松浦市

【アジア】
地名所在地
アジア磯東京都新島村

【世界】
地名所在地
世界谷地宮城県栗原市

【大空】
地名所在地地名所在地地名所在地
大空町北海道網走郡大空町北海道帯広市大空滝岩手県花巻市
大空山兵庫県新温泉町大空岡山県笠岡市大空香川県さぬき市

【地球】
地名所在地
地球岬北海道室蘭市

【太陽】
地名所在地地名所在地地名所在地
太陽北海道新冠郡新冠町太陽の村宮城県柴田町太陽ケ丘団地栃木県河内町
太陽が丘石川県金沢市太陽福岡県田川郡福智町

【銀河】
地名所在地地名所在地
銀河橋北海道北見市銀河の滝北海道上川郡上川町
銀河の森北海道足寄郡陸別町銀河大橋岩手県花巻市

【宇宙】
地名所在地
宇宙大橋秋田県湯沢市

《でっかい地名・番外編》

【莫大】
地名所在地
莫大沼茨城県桜川市

【超】
地名所在地地名所在地
大超寺奥愛媛県宇和島市大超寺大分県日田市

【巨】
地名所在地地名所在地地名所在地
巨釜宮城県気仙沼市巨福呂坂神奈川県鎌倉市巨海町愛知県西尾市
巨椋橋京都市伏見区巨瀬町岡山県高梁市巨勢岡山県美作市
巨勢町佐賀県佐賀市巨田宮崎県宮崎市

【天皇】
地名所在地地名所在地地名所在地
天皇山青森県つがる市天皇寺宮城県黒川郡大和町天皇舘腰福島県二本松市
天皇山和歌山県広川町天皇香川県まんのう町天皇愛媛県西条市
天皇高知県香南市

【未来】
地名所在地
未来大橋熊本県菊陽町

【億】
地名所在地地名所在地
億田愛知県半田市億首川沖縄県金武町

【兆】
地名所在地
吉兆所岩手県一関市


* 顔にまつわる地名 *

《顔の部位》

【顔、貌】
地名よみ所在地地名よみ所在地
左顔ひだりがお北海道芦別市夕顔瀬町ゆうがおせちょう岩手県盛岡市
夕顔田ゆうがおだ岩手県八幡平市顔好かおよし山形県大江町
顔振峠こうぶりとうげ埼玉県飯能市赤顔山あかづらやま長野県川上村
鼻顔橋はなづらばし長野県佐久市顔戸ごうど岐阜県御嵩町
北川顔きたかわづら京都府久御山町面貌山めんぼうやま山口県山口市
上下顔かみしもつら宮崎県日之影町小顔谷こがおだに宮崎県日之影町
振顔野ふるがおの大分県竹田市

【脳】
地名よみ所在地
瑪脳橋めのうばし 北海道瀬棚郡今金町

【髪】
地名よみ所在地地名よみ所在地
御髪山おぐしやま北海道松前郡松前町白髪山しらひげやま仙台市青葉区
髪長かみなが宮城県栗原白髪峠しらがみとうげ三重県松阪市
姫髪山ひめがみやま京都府福知山市白髪岳しらがたけ兵庫県篠山市
白髪山しらがやま島根県松江市黒髪山くろかみやま 岡山県新見市
白髪しらが岡山県真庭市黒髪島くろかみしま山口県周南市
髪無谷かみなしたに徳島県那賀町立髪たちがみ香川県三豊市
白髪谷しらがだに高知県本山町白髪しらひげ高知県仁淀川町
白髪しらひげ高知県日高村下黒髪しもくろかみ佐賀県武雄市
白髪しらが長崎県長崎市黒髪町くろかみ長崎県佐世保市
黒髪黒髪熊本県熊本市白髪野しらがの熊本県あさぎり町

【瞳】
地名よみ所在地
瞳ヶ丘団地ひとみがおか静岡県浜松市


【眉】
地名よみ所在地地名よみ所在地
蛾眉野町がびのちょう北海道函館市高眉山たかびやま岩手県奥州市
眉丈山びじょうざん石川県志賀町眉山びざん岐阜県岐阜市
眉山まゆやま香川県三豊市眉山びざん徳島県徳島市
眉山びざん佐賀県武雄市眉島まゆじま熊本県天草市

【歯】
地名よみ所在地地名よみ所在地
歯舞はぼまい北海道根室市姉歯橋あねはばし岩手県陸前高田市
姉歯あねは宮城県栗原市歯朶平しただいら福島県矢祭町
鋸歯のこぎりば静岡県静岡市向歯無山むかばなしやま島根県邑南町
歯ノ辻はのつじ徳島県神山町歯長峠はながとうげ愛媛県宇和島市
歯朶ノ浦しだのうら高知県土佐清水市

【舌】
地名よみ所在地地名よみ所在地
舌辛したから北海道釧路市鳥舌内ちょうしたない青森県南部町
大舌おおした青森県三戸町舌崎したざき岩手県二戸市
牛ノ舌うしのした福島県浪江町舌山したやま富山県黒部市
舌喰池したくいいけ長野県上田市鬼舌振おにのしたぶる島根県奥出雲町
舌洗池ぜっせんいけ徳島県徳島市舌間したま愛媛県八幡浜市

【頬】
地名よみ所在地
頬白峠つらじろとうげ山口県萩市

【顎】
地名よみ所在地
顎谷びしゃごだに富山県富山市

《顔からの出入、動作》

【涙、泪】
地名よみ所在地地名よみ所在地
涙壁るいへき北海道上川郡美瑛町涙岬なみだみさき北海道厚岸郡浜中町
涙ヶ浜なみだがはま北海道厚岸郡浜中町鬼泪山きなだやま千葉県富津市
涙松址なみだまつし山口県萩市泥泪どろめき熊本県芦北町

【声】
地名よみ所在地地名よみ所在地
声問こえとい北海道稚内市鶴声かくせい北海道阿寒郡鶴居村
八声やこえ千葉県大多喜町初声町はつせまち神奈川県三浦市
二声ふたごえ岐阜県郡上市声ヶ乢こえがたわ岡山県津山市
勝負声しょうぶごえ長崎県東彼杵町

【叫】
地名よみ所在地
叫沢きょうさわ秋田県仙北市

【匂】
地名よみ所在地地名よみ所在地
酒匂さかわ神奈川県小田原市川匂かわわ神奈川県二宮町
匂坂さぎさか静岡県磐田市匂崎においざき京都府舞鶴市

【睨】
地名よみ所在地地名よみ所在地
八方睨はっぽうにらみ 長野県長野市国見八方睨くにみはっぽうにらみ奈良県上北山村

【泣】
地名よみ所在地地名よみ所在地
熊泣川くまなきがわ北海道足寄郡陸別町泣面山なきつらやま北海道函館市
泣面山なきつらやま宮城県川崎町泣坂なきざか茨城県桜川市
泣沢なきさわ新潟県魚沼市夜泣峠よなきとうげ京都市左京区

【笑】
地名よみ所在地地名よみ所在地
笑ノ口えみのくち秋田県大仙市阿仁笑内あにおかしない秋田県北秋田市
神笑かみわらい福島県いわき市本笑もとわろう福島県相馬市
歌笑かしょう群馬県東吾妻町笑子橋えびすばし静岡県焼津市
笑路わろうじ京都府亀岡市笑田わろうだ岡山県建部町
笑田わらうだ広島県庄原市百笑町どうめきちょう高知県四万十市
笑喜すぎ鹿児島県錦江町




[54234]グリグリさん、
現在のレンタルサーバ契約は、複数利用者が相乗りしている契約なので、(1)負荷の高い利用者が入ってきた、(2)レンタルサーバ契約先でコスト削減のため詰め込み制限を緩くした

 私もレンタルサーバを利用していますが、同居の他の利用者によっても随分負荷が
異なるように思います。このサイトはアクセス数はかなり大きいようですが、
キャラクターベースなので、ストリーミングやダウンロード主体のサイトが同居した
のかもしれませんし、回線容量が相対的に小さくなっているのかもしれませんね。
私のレンタルサーバーのアクセス記録を見ると、動画のアクセスが一回あると、
キャラクターベースのページの数十~数百アクセスに相当するトラフィックになります。
・・・専用サーバのレンタルはかなり高価ですから、我慢するしかないのかもしれません。
[54279] 2006年 10月 1日(日)06:08:14ezekiel さん
兵庫県踏破
[54265]k-ace さん、
先週に引き続き、兵庫県の旧自治体の未踏破つぶしツーリングをしてきました。

 先週も今週も、ツーリングには良い天候でしたね!
私も兵庫県を巡るのは好きです。夏場は何処へ行っても暑いですが、早春は
日本海側から南淡まで風景のグラデーションを楽しむことが出来ますし、食に
関してイロイロ楽しんでいます。加古川、揖保川、千種川の鮎も良いですね♪

 私の未踏破は家島と美方町。でも村岡町、一宮町、安富町、三日月町は
通過だけの記憶しかありません。五色町は、播磨灘沿いの県道の眺めが良い
ですね。淡路の西海岸からの、播磨灘を真っ赤に染める夕景を真正面に楽しむ
ことが出来てお薦めです!

 神戸の地名を調べる中で、兵庫の地名をちょっと調べたことがあります。
興味深かったのは“兵庫県団体”という地名、北海道の石狩市の厚田にある
のですが、明治期に兵庫県から30戸が入植して、開拓地の俗称として、
今でも残っています。

 余談になりますが、北海道の北広島市のように、都道府県名が他の地域の
地名になっているのを探したことがあります。東京は多いかなあ~と思った
のですが、西東京市は都内ですし、 長野市に“東京(ひがしきょう)”という
地名があったのですが、東京都に由来するとは思えないのでゼロのようです。
たくさんあるかと思っていた京都ですが、山口市に“小京都”、徳島県つるぎ町に
“京都”、そして福岡に京都郡。全国京都会議 があるのですが、“京”の字が
入る地名は多いですが、京都丸ごとは少ないようです。


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