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ekinenpyouさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[100910]2020年12月27日
ekinenpyou
[100905]2020年12月26日
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[100902]2020年12月23日
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[100897]2020年12月21日
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[100895]2020年12月18日
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[100891]2020年12月13日
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[100882]2020年12月8日
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[100872]2020年12月5日
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[100870]2020年12月4日
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[100868]2020年12月3日
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[100852]2020年11月22日
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[100847]2020年11月20日
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[100841]2020年11月16日
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[100838]2020年11月15日
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[100836]2020年11月14日
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[100816]2020年11月9日
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[100809]2020年11月7日
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[100806]2020年11月6日
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[100800]2020年11月5日
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[100789]2020年11月4日
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[100910] 2020年 12月 27日(日)19:29:58ekinenpyou さん
岡山県南広域都市圏など
なぜ実現しなかった!岡山県南百万都市建設計画の頓挫(-岡山の事件簿4-岡山の街角から)より
実は合併の調印式当日に、話は頓挫しました。倉敷市の市長が必要な書類に記入をしないまま、公印を隠して東京へ失踪してしまったのです。勿論、理由は合併反対の為です。
この方のお名前は???回答は過去ログに・・・
[28115]警笛中毒 さん
当時の倉敷市長・高橋勇雄(倉敷レーヨン出身)は合併期日前、公印の市長印を隠して上京し消息不明となり
市長履歴はこちら(8コマ監査役)

上記で示された倉敷歴史ミニ辞典(1月24日(金)「県南百万都市構想」のネットアーカイブ)より
倉敷の名が消えることへの反発や諸々の事情があるのでしょうが、当事者の肉声はあまり伝わってこないようです。

とありますが、地域開発と広域都市圏 岡山県南広域都市圏 (岡山大学学術成果リポジトリ)に当時の実況詳細あり(ごく一部引用)
その5(22コマ)
高橋は37年12月20日の昼過ぎに秘書の中田に「これから上京する,東京に着いたら電話で連絡する。帰るのは27日だ」といい残して市役所を出た,それ以来38年1月7日に登庁するまで所在不明であった。
以下欄外脚注
(54)当時倉敷市の企画室長であった今城松二郎は筆者に「倉敷にいると議決の執行を強要されるので,一緒に上京した。第一ホテルにとまっていると夕刊新聞の記者に見られたので従業員エレベーターで外に出て,日航ホテルに行き私の満鉄時代の知人に頼み偽名で宿泊し私だけ先に倉敷に帰り絶えず連絡をとっていた。」と語った。
その6(2コマ)
当時副知事であった曽我与三郎は生前筆者に「高橋さんが雲がくれしたので助役の保津君に判を押せと激しくつめ寄ったこら、とうとう泣き出したのでどうにもならなかった」と語った。

【おまけ】短い市区町村名・長い市区町村名(市区町村雑学)
過去にも漢字五文字の市がありました。1959年(昭和34年)9月1日に青森県の大湊町と田名部町が合体して大湊田名部市ができました。

上記については前述その4(18コマ)に詳しい経緯が書かれており、
当時の大湊町長が「大湊市」・田名部町長が「下北市」を強く希望したらしく、
町議会の議決がないがしろになるなど泥沼化していたよう・・・この名前は県知事側からの提案だったようです。

[80486]伊豆之国 さん
現市名 新市名(私案) 理由
むつ市 下北市 「むつ」の名に忌まわしい過去を思い起こす人も。この際広く知られた半島名に
[51814]矢作川太郎 さん
何故その代替案が「むつ市」だったのでしょうか。どちらかの旧町名を採用するのはまずいとしても、「下北市」辺りが妥当では無いでしょうか。(自分は今回(平成)の合併で駅名・郡名に因んで「下北市」になると思っていた。)
以上は過去の経緯より使用に抵抗があったのかもしれません・・・
[100905] 2020年 12月 26日(土)08:40:03ekinenpyou さん
香川県人口(1995境域組替)の追加版
拙稿[100902]での投稿予定分です、以下略号(a)は1920年・(b)は1889年人口とします。
([100896]サヌカイト さんの表順番に準拠したが、2015境域・比率は容易に計算できるため省略)

市町村1920年(a)1889年(b)備考
高松
-高松144,869129,622(b)寺井村(774人)を含む
-国分寺7,8167,947
-牟礼6,5516,276
-庵治5,3254,772
-香川8,4408,836(b)東谷村(1,071人)を含む、寺井村(774人)を含まず
-香南5,7966,112
-塩江8,1666,969(b)東谷村(1,071人)を含まず
丸亀
-丸亀47,45948,976
-飯山8,1077,859
-綾歌9,5449,824
坂出44,60934,386
善通寺27,15119,242
観音寺
-観音寺31,50836,024(b)本大村(1,066人)&木郷村(1,306人)を含む
-大野原14,14016,792(b)木郷村(1,306人)を含まず
-豊浜8,60310,820
三豊
-高瀬15,72716,452
-豊中10,45610,838(b)本大村(1,066人)を含まず
-詫間15,05513,475
-仁尾7,0288,081
-三野8,3328,772
-山本7,5669,096
-財田5,3405,561
さぬき
-志度14,79616,852
-長尾9,69310,650
-津田7,7349,079
-寒川5,4626,316
-大川7,5588,256
東かがわ
-大内12,65414,669
-白鳥10,18211,968
-引田9,32511,196
三木21,87623,135
綾川
-綾南12,50913,433
-綾上9,98610,434
宇多津5,9215,371
多度津18,46618,591
琴平10,98913,806(b)五條村(1,097人)を含む
まんのう
-満濃14,29613,429(b)五條村(1,097人)を含まず
-仲南5,5375,568
-琴南5,6805,897
土庄21,29322,758
小豆島
-池田8,5649,590
-内海14,79911,373
直島2,9441,640

出典について、(a)はT9.10.1国調人口(香川県合計677,852人)・(b)はM22.12.31市町村現住人口(香川県)
※(b)合計は670,743人で日本帝国人口静態統計などでの合計(668,548人)と若干相違がありますが、
近似値で支障なしと解釈(いくつか原因は思い当たりますが確証は無いので記さず)

原則として前述人口を(町村別に)1995境域各エリアごとに分類合計したものですが、
別々のエリアに分割された町村人口については(比率按分はあえて行わず)人数が多いと思われる片方へのみ計上しています。
なお(b)は後の大字単位になっているため、(大字単位に分解できない)(a)と異なるエリアに計上したものがあります、
(備考にも記しましたが)詳細は以下の通りです。()内は分割&境界変更時の(直前国調ベース)人口異動数で当然(b)とは異なる。

(1)S31.9.5 香川町の一部(553人) → 一宮村(現在の高松市)・S33.4.1香川町の一部(369人) → 高松市
寺井(北部&中部)が高松市に編入
(2)S31.10.25 塩江町の一部(1,548人) → 香川町 東谷(ほぼ全域?)が香川町に編入
(3)S30.4.10 紀伊村(分割編入) → 観音寺市(1,178人)&大野原町(2,255人) 木郷(全域?)が観音寺市に編入
(4)S31.3.31 満濃町の一部(964人) → 琴平町・S32.10.10 満濃町の一部(477人) → 琴平町
五條(条)(ほぼ全域?)が琴平町に編入

【参考】香川県市町行財政要覧(令和2年3月発行)11.市町村の変遷-168-185香川県公布類纂. 明治21,22年
自治体越えの地名(地名コレクション)(香川県)
[100902] 2020年 12月 23日(水)19:04:18ekinenpyou さん
Re:茶番第15回 2020国勢調査発表を前に
[100896]サヌカイト さん
国勢調査結果がもうすぐ(といってもまだかなり先ですが)発表されますが、比較対象が1995年までだと寂しいので、自分の住んでいる香川県の2015境域と1995境域(市町村名の前に「-」)で組替人口を作ってみました。一応、分割や境界変更等も考慮しましたが、かなり大雑把に、しかも電卓でやったので恐らく間違いだらけとなっていると思われます。
2015・1995年は恐らく問題ないようです、(中高生の方の作品?としては)非常によくできていると思います。

香川県全体の人口ですが1970年(10.1)は907,897人/1950年(10.1)は946,022人になるはずですが
(サヌカイト さん作成の表をもとに)合計すると若干足りず905,206人/928,392人になってしまっているようです。

(2015境域のみで1995境域の内訳は省きますが)以下の通り変更が適切と推察いたします。
1970年は観音寺(64,962→66,653人)&三豊(74,210→75,210人)に変更
1950年は高松(251,977→269,160人)&琴平(16,115→16,087人)&まんのう(30,926→31,401人)に変更

どのように計算すると上の値になるかについては、年明けの十番勝負の後にでも(まだ興味があるようでしたら)
チャレンジしてみてください。

本当は1945年でして2020年ができたら25年ごとになりちょうどよかったのですが、あるはずもないので1950年となり、微妙な間隔となっています。
ご要望のものかどうかはわかりかねますが、1920・1890年の分も(分割や境界変更等による人口異動については
ほとんど考慮せず相当妥協してありますが)一応データが手元にあるので後日当方より投稿します、少々お待ちください。
[100897] 2020年 12月 21日(月)19:32:13ekinenpyou さん
地名の表記ゆれ?など
[100804]白桃 さん
「戸」の由来だけでなく、「四戸」がどこにあったかについても諸説あるようですが
上記については「四戸」はどこにあるの?「戸」地名について(落書き帳アーカイブズ)でも議論されたようですが、
「戸」の由来(岩手県)にも詳しい解説がありました。

前置きが少し長くなりましたが、1件小ネタを投稿しておきます。
大坂→大阪のようにかつては別の字を用いた表記が幅を利かせていた地名を2点ほど示します。

【1】金田一(現在の岩手県二戸市)
国郡全図天保郷帳(陸奥国郷帳下・89コマ左側)・官板実測日本地図(畿内 東海 東山 北陸)
ではいずれも「金田市」でした、なお金田一村 - Wikipediaには以下の記述もあります。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、二戸郡金田市村、野々上村、釜沢村、下斗米村(一部)が合併し、金田一村が成立。

地名索引(真ん中下部)は「金田一」とあり、合併前村名は金田一村で支障ないと思われます。
[65241] じゃごたろ さんより
四戸氏は、軍事的に勢力を拡張してきた九戸氏への抑えとして現在の二戸市に移され、それが金田一氏のとなったとも言われています。現在地名として失われた「四戸」ですが、二戸市内に「四戸城跡」があるのもそのためと考えられているわけです。

(明治初期?)四戸(後の金田一)氏と字を揃えた表記が定着していった?
余談ですが、Issie さんのサイト・郡の変遷(東北地方)にもある通り、
二戸郡は明治4年の1次府県統合では青森県でしたが、明治9年に岩手県の管轄になりました。
【参考】宮城県下気仙郡青森県下二戸郡岩手県ヘ管轄伺

【2】宇多津(現在の香川県宇多津町)
国郡全図天保郷帳(讚岐国郷帳・16コマ左側)・官板実測日本地図(山陰 山陽 南海 西海)
ではいずれも「宇足津」でした、宇多津町の歴史より
町名の由来ですが、古代鵜足郡(うたのこおり)の郡津に由来しています。

とある通り、讃岐国名勝図会(鵜足郡42コマ)右側表記は「鵜足津村」ですが、左側は「宇足津全図」とあります。

地名索引(左側中央)は「宇多津」とあるので町村制施行前の村名は宇多津村で支障ないと思われます、大日本地名辞書 上巻 二版(左下)鵜足郡に古訓は「宇多」とあり、(明治初期?)これに倣う形に回帰した表記が定着していった?

【おまけ・ある程度の年齢以上の方には簡単すぎる年内最後の謎々】
明治新政府は慶応4(明治元)年閏4月の政体書公布からほどなくして府藩県の印鑑を作成するよう命じました、復古記(左側参照)
その印影を収めた箇所はこちらで府藩県の印影ははじめおわりの範囲内にあります。例えば[100893]白桃 さん
オグリキャップ、デビューの地
の県印については105コマ(左pp.193)右1列目の上から2番目がその印影と思われますが、
四国の讃岐国にあった「丸亀藩」の藩印はどこにあるでしょうか?
(若い方でもサヌカイト さんとか地元の方ならすぐに答えがわかる???)

年明けまで時間も短いので(回答を解説しなくても良いように)大甘ヒントつき、[100864]hmt さん
立派なヒゲの百円札
より百円券(日本銀行サイト内)を見ると・・・

※府藩県三治制について詳しくはIssie さんのサイトを参照のこと(以下引用)
公式名称でないのであれば,同一の藩に「伊達藩/仙台藩」「毛利藩/長州藩/萩藩」などというようにいくつもの呼称があるのも不思議ではないわけです。
上記の通り「正式な藩名」なるものは恐らく無いのですが、「某藩印と刻すべし」と命じたにもかかわらず、
その通りにしない(少数派ひねくれ?)藩に対し新政府は(作り直しは命じず)大目に見ていた模様です・・・
[100895] 2020年 12月 18日(金)08:34:19ekinenpyou さん
Re:「茂原→睦沢は無かった」など
[100878]白桃 さん
睦沢町には川島という飛地があって、そこは茂原市に隣接していますが、面白いのは茂原市の地区名に川島飛地があるのです。「川島」と「川島飛地」は隣接していないのですからこれまた面白い???
「飛地」の漢字を含む町域名は千葉県に多くあるようで、このうち(現在は茂原市内にある)川島飛地ですが、
茂原市モバラの地名由来では成立年代不詳だが(睦沢町)川島の飛地であった?という旨記載がありました。

これらは多くが非常に狭い領域のようで今昔マップ on the webで確認したものの5万図はいずれの年代でも
地名表記がありませんでした。(地理院地図でもズームレベルを最大の18にしないと表示されない)

以下は推測になりますが・・・
千葉県新旧町村対照 : 附・新旧戸長役場之位置長生郡東郷村(当時は長柄郡)の旧町村名に「川島村飛地」とありこの時に成立?

※(上記の類は大字には分類されないため?)市町村大字読方名彙などには記載がありませんが、
千葉県長生郡統計書. 明治41年の東郷村に「川島飛地」という地名が確認できます。(統計書では大字として便宜カウント?)

[100887]未開人 さん
へき地の学校には興味があります。ちょうど情報提供しようと思っていたのが全国へき地教育研究連盟のへき地学校一覧ですが、情報が古かったり福島県など一部県の情報がなく不完全です。
「へき地学校」の一覧が掲載された資料は文部科学省から出版されているか(レファレンス協同データベース)によると
かつては「へき地学校便覧」という資料があったようですが、現在は刊行されていないようですね。

【参考】本州唯一のへき地5級校を訪ねる旅佐井村立牛滝小中学校 - Wikipedia
Wikipediaの脚注リンク先に青森県例規集のへき地手当等(昭和35年04月26日 人事委員会規則第7-51号)が示されており、
下部の別表というものに一覧が掲載されています。
他県の例規集でも似たような別表があるようですが、千葉県のようにネット上で別表が確認できないものがあり
(数が少ないので省略されている?)そうした場合は問い合わせるなどしないとわからないかもしれません。

【参考】高知県例規集のへき地等学校等を指定する規則(平成16年3月30日教育委員会規則第2号・下部別表)
福島県例規集の市町村立学校職員の給与の支給に関する規則(昭和35年12月8日 人事委員会規則第8号・下部別表)
千葉県例規集のへき地手当等の支給に関する規則(昭和四十六年三月二十六日人事委員会規則第七号)
別表に掲げるへき地学校(市原市及び君津市に所在するものに限る。)
(上記のようにあるが、ネット上で別表が閲覧できない)

※福島県・千葉県は例規集へのURLをうまく示せないため条例Webアーカイブデータベースで代用
[100891] 2020年 12月 13日(日)19:30:35ekinenpyou さん
Re:海と島(41)「沖の島」情報に感謝など
[100886]hmt さん
「沖の島」については他にも色々書けることがあるのですが、内容が非常に長くなりそうなので
※高知県の離島に行こう。宿毛市の「沖の島」がおすすめ!(たびこふれ)・Google マップ(ストリートビュー)

などをご覧いただき、島めぐりをした気分を味わっていただければと思います。

※地元在住の地域おこし協力隊の方が作成したもので大戦中の遺構なども写真に収められており一見の価値ありです。
(作者の方のプロフィールに「新人狩猟者」とあって、時には危険も伴うお仕事も???)

[100874] サヌカイト さん
十島村と三島村役場って鹿児島市にあるけど、不便じゃないのかな
十島村役場 - Wikipediaを見る限りでは、役場移転の案もあるようですが(諸事情より)積極的ではないような気もしますね。

例えば薩摩川内市役所は甑島列島に無いので、(合併で)不便になった?というわけではないということでしょうか・・・

協議会だより(第2号)(3コマ・4「公共施設の基本的な考え方」より)
本庁については、新庁舎建設までの間は合併前の川内市役所とし、従前の関係各町村役場は、各種窓口業務機能だけでない従来の町村役場とほぼ同等の機能を有する総合的な業務を行う支所として、市民サービスの向上を図るよう必要な機能の整備・充実を図ります。

以下余談、甑大橋(藺牟田瀬戸架橋工区)が開通しましたより
令和2年9月6日~7日にかけて接近した台風10号に伴い,下甑島の鹿島でも災害に伴う断水が発生しましたが,開通した甑大橋により上甑島から給水車を輸送することができました。
新しい橋は早速役立っているようです。

本来は[100878]白桃 さん(川島飛地)にもコメントしようと思ったのですが
[100887]未開人 さん(へき地学校一覧)とあわせて後日投稿予定につきしばしお待ちください
[100882] 2020年 12月 8日(火)20:05:55ekinenpyou さん
Re:海と島(40)土佐と伊予とに分断されていた 沖の島、他
表題の島は過去ログにはあまり登場していなかったのでしょうか、(北部の母島は)複数回訪れたことがあるのでコメントします。
[100875]hmt さん
沖の島の愛媛県管轄区域が高知県に移管されたのは、明治9年という記載がありました。
そのように書かれている資料が多いようです。沖の島 (高知県) - Wikipedia
1876年(明治9年)2月25日 - 母島浦・久保浦・小矢野浦・鵜来島の所属県と所属郡が、愛媛県宇和郡から高知県幡多郡に変更される。

とありますが、[100875]冒頭の
明治7年までは 沖の島【現在は全島高知県宿毛市】に県境があった
厳密にはこちらが正しいと思われます、M7.7.7達により(M9より先行すること2年前に)所属県が高知県となり、M9.2.25布告21号で
「高知県管下」の「伊予国宇和郡」沖ノ島外二島を「土佐国幡多郡」に編入しました、太政類典へのリンクなども下記に示します。
愛媛県下沖ノ島外二島高知県ニ属ス高知県下伊予国沖ノ島外二島ヲ土佐国ヘ編入
【参考】府県及北海道境域沿革一覧

現在、孤島・沖の島の陸上では 過疎化が進行しています。
戦後の一時期に最大人口千数百人を数えた弘瀬部落は、2016年時点で 100人を切っているとか。
仰る通りです、本年は宿毛市の沖の島中学校9年ぶり再開へ 地元で1人が進学(高知新聞)
というニュースもありましたが、(へき地学校の条件を満たす)小中学校は(最も高い)5級地に区分されます。

へき地等学校等を指定する規則の一部を改正する規則議案(5コマ・沖の島中学校の再開についてより)
へき地学校とは、交通条件及び自然的、経済的、文化的諸条件に恵まれない山間地、離島その他の地域に所在する小学校及び中学校等をいい、当該学校に勤務する教職員等には、へき手当支給を支給する。

【参考】へき地教育振興法施行規則(昭和三十四年文部省令第二十一号)
廃校・休校 ~山から人が消えてゆく~ 高知県(左フレームの宿毛市)

以下、地元の方から「ここは離島ですが、居ますよ」というお話を伺ったので、それを裏付けるデータ

高知県第二種特定鳥獣(イノシシ)管理計画(H27.5.29の8,9コマ)
宿毛市沖の島でも55頭のイノシシが捕獲されており、県内全域においてイノシシの生息と捕獲が確認できます。
同上(H29.4の7コマ、毎年度50頭程度捕獲されているらしい、メッシュを見ると沖の島北西の鵜来島にも生息している模様)

【参考】沖の島の動物(酒井明 説話集29)
(現在生息しているものは過去に捕獲しきれなかったものの生き残りなのか、近年移動してきたものなのか謎は残ります)

[100878]白桃 さん
「この頃(1995年3月31日頃)茂原から睦沢に編入された区域は無かった。」ということです。
編入された地域が無いのに32人(1990年国調)の人口異動があったというのは本当に不可解ですね。
同感です、本件については恐らく統計図書館の国調関連資料をあたっても解決に至れるかどうか自信がありません・・・
川島飛地については後日コメントする?かもしれません・・・
[100872] 2020年 12月 5日(土)11:08:59ekinenpyou さん
Re:茂原と睦沢の境界変更
[100871]白桃 さん
私の手元にある「附表6市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧(平成2年10月2日~平成7年10月1日)」には
1995.3.1睦沢町→茂原市 人口異動 0
1995.3.1茂原市→睦沢町 人口異動 32
となっております。
仰る通りです、[81967]YT さんでも同趣旨の内容ですが、当方も原典コピーを所持&確認しております。

茂原から睦沢に編入された区域もあったのではないでしょうか。
もしそうであれば平成7年面積調(60コマ)
自治省告示第23号,市町の境界変更(長生郡睦沢町の一部を茂原市に編入)

は、「各一部を相互に編入」と記載されているような気もします。
もしくはこの告示以外にH7.3.1付で茂原から睦沢に境界変更が行われたという告示があれば話は変わってきますが、
確認できないので当方では不可解であると解釈しました。
[100870] 2020年 12月 4日(金)19:47:17ekinenpyou さん
Re:「クイズ」というか「なぞなぞ」というか
[100869]白桃 さん
氷川
早速の正解一番乗りです、お付きあいいただきありがとうございました。

「謎々」[100809]が出ていましたが、ヒントも出てはいるのですが、何が不可解なのか良く分かりません。
拙稿[100836]で示した通りH7.3.1の境界変更では睦沢町の一部区域のみが茂原市に編入されていますが、
国調組替人口では茂原市の人口が32人減少・睦沢町で32人増加したとしている点になります。
(千葉県統計年鑑では茂原市15人増加とありこれとも相違、人口異動の方向が反対で睦沢町→茂原市とするのが適切か)

※茂原市83,405人&睦沢町7,988人はH7.10.1現在の市区町村の境域に基づいて組み替えたH2.10.1現在人口
[100868] 2020年 12月 3日(木)19:54:28ekinenpyou さん
熊本県庁の所在地など
関連投稿[99139]さざ波 さん・[99140]グリグリ さん
表題の件、現在の所在地は同市中央区ですが明治期はまだ市外の郡部(飽託郡出水村健軍村の境界付近)で
大正初期に※鉄道駅名にもなった水前寺は公称の大字名ではありませんでした。

※駅開業時の所在地は出水村(字)国府(T3鉄道院告示48より)

従来の県庁は現在地よりも西側に存在、移転時期については熊本県庁の位置に関する条例より法的には
昭和42年3月規則第5号で、同42年3月3日から施行
【参考】熊本市の発足(三井住友トラスト不動産サイト)

余談ですが、明治期まで健軍村の大字はいずれも難読で健軍(たけみや)・神水(くわみず)でした。
後者は現在でも同じ読みですが、前者についてWikipediaでは
大正末期から本来の「たけみや」ではなく音読みの「けんぐん」と読まれることが一般的になっており、合併後の町名の読みは正式に「けんぐん」となった。
とあります、(裏付けもかねて)以下に当時のもので読み(ローマ字含む)が記載された資料をいくつか示します。

「たけみや」としている資料
郡区町村一覧新旧対照市町村一覧
地名索引(健宮とあるが、読み「たけみや」から気を利かせて「軍」を「宮」に変えてしまったところ実はそれが誤りだった?)

「けんぐん」としている資料
市町村大字読方名彙(ただし大字の読みは「たけみや」としている)・熊本県下市町村要覧日本地名大辞典(ローマ字「Kengun」)

(Wikipediaの記述通り)確かに大正期以降の資料で既に「けんぐん」としているものが存在しているようです。
なお、Wikipediaでは昭和11年の合併後正式に読みが変更されたともありますが、
合併まで「たけみや」という読みが正式なものだったかについては議論の余地があるかもしれません。

【おまけ】
今回は至極簡単な謎々です、過去ログから察するに千本桜さん・伊豆之国さんあたりは即正解できそうですが・・・

1・現存している市区町村名(名称から末尾「市区町村」は除く、政令市は市名のみで区名は対象外)
2・かつて国鉄(日本国有鉄道が存在したS24.6.1~62.3.31の間に限る)にあった国鉄の鉄道駅名(現在同一駅名なし)
3・地名の入った歌コレクション(落書き帳アーカイブズ)に記載のある演歌歌手の苗字

以上の3条件を全て満たすものをお答えください、条件2は石川駅(弘前市)など現存していたり
石川町駅(横浜市)など少しでも名前が異なる場合は×とします。(つまり「石川」は条件1&3は○ですが2は×)
条件3の定義がややあいまいなので複数回答があるかもしれませんが恐らく同じものを思いつくはず???
[100852] 2020年 11月 22日(日)19:12:50ekinenpyou さん
Re2:海と島(39) 日本の領海等外縁の根拠となる島 と 低潮線の保全政策
表題の件、別投稿で追加補足しておきます。
[100846] hmt さん
この中で、地名探しに苦労したのが 139鳥屋鼻でしたが、今回の記事中で引用した★直線基線・九州の終点(ラ地点)でした。
上記リンク先には
35°02′28″ 132°15′15″ (鳥屋鼻北端)
とありましたが、地理院地図では「鳥屋鼻」という名称は見あたりませんね、ただし拙稿[100847]で触れたPDFには
「十島」(島根県江津市・鳥屋鼻)とありその近傍とみて支障ないでしょうか。

【参考】地理院地図における低潮線保全区域の表示(総合海洋政策本部)

(こうした地名は)近年の海図には記載されているのかもしれませんが、例えば本洲沿岸水路誌(右下)で
多用されている「鳥山鼻(岩和田角)」も各種地図サイトでは記載が無いようです。

※前述資料は戦前のものですが、例えば海の難所(12コマ右上)にも「鳥山鼻~野島埼間」と記載があることから
(地名・地形の変更は無く)現存していると思われる。

【参考】鞆浦とその周辺の海岸部地名より
ここに言う「地名」は、一般に理解・受容されている地名と、次のような点で、少し異なっている。
1.文字(とくに漢字)で表されることが少なく、地形図・海図等の地図類に記載されることが稀である。
2.生業に密着していて、その数はきわめて多く、しかも、生業従事者の口頭伝承が、地名の存続・変遷に大きく関与している。
3.通用する範囲は小規模にとどまりがちで、使用語・理解語において、個人差が認められる。
前述「鳥屋鼻」「鳥山鼻」などの地名は(近年地図サイトに掲載された)「ソビエト」などの奇妙な島名と同様に
上記の類なのかもしれません・・・

【おまけ】
地名コレクション(海岸系)を見てみると、この類の地名(岬角など)は各種地図サイト間で
比較的掲載内容の共通性が保たれているようなので、前述本洲沿岸水路誌(巻末地名索引あり)の他、
少し年代の古い資料を見ると、あまり地図で見かけないような地名が見つかることがあります。

帝国地名大辞典(岬角)など、単に別名という場合もありますが・・・
[100847] 2020年 11月 20日(金)19:24:46ekinenpyou さん
Re:海と島(39) 日本の領海等外縁の根拠となる島 と 低潮線の保全政策
[100846] hmt さん
かつて奇妙な島名に注目した[86180]ことがある #111「ソビエト」という島も、地理院地図に登場。海面から聳え立つ島?
地理院地図で名称ローマ字は(連想されるものとは微妙に異なる?)「Sobieto」とありました、その類ですと

【こちら】も恐らく過去ログには未登場のような気も・・・

末尾の「ソリ」は平成23年5月に地図・海図に記載する名称を決定した離島(10島)の8番ある島と
同類のネーミングと思われるが実は戦前の地図にもあるかなりの古参です。
【参考】(南東隅の方)

と、投稿予定だった内容を大幅に逸脱していますが、小ネタ故ご容赦ください・・・近日本題を・・・

[100839]スカンデルベクの鷲 さんは既に正解していると思いますが、その他の方向け?
[100838] 拙稿謎々追加最終?ヒント → [100830] 白桃 さんの投稿の中にあります。
[100841] 2020年 11月 16日(月)19:36:03ekinenpyou さん
Re:過去の隣接数など
[100839]スカンデルベクの鷲 さん
早速のフォローありがとうございます。

隣接対象を政令区まで広げて
説明が漏れておりました。元データ(行政区域データ)で政令市は区ごとに境域が作成されていますが、
統合した状態に加工して隣接数をカウントしております、従って政令区は回答の選択肢にはなりません。

パラパラ地図(つかんぼやと)でも10自治体に隣接しているようには描かれていないので
こちらも確認しました、(パラパラ地図には)完全版と簡易版があり後者のみで判断していました。
(前者では仰る通り非隣接であるように描かれているとみて差し支えありません)

とヒントを少し増やしてみましたが、具体的な正解の発表については後日行う予定です。

【おまけ・コレクション担当者ではありませんが】
[100837]勿来丸 さん
大田原市北大和久/那須烏山市南大和久

那須郡 - Wikipediaにもありますが、従来は双方とも単に「大和久村」と称していたようです。
(同一名を区別するために?明治期に改称)

那須郡誌(金田村・中央付近)にも以下の記述があります。
「(大字)北大和久は下江川村(大字)南大和久に対して称す」

コレクションの趣旨は「同一地域を表す地名が、都道府県境、市町村境、区境によって分断された地名」であり、たまたま一致しただけの地名は対象としていません。
恐らく「たまたま一致した(していた)だけの地名」に該当するのでしょうか・・・
福島県の矢吹村にも同じ名前の大字があったようです。
【参考】矢吹町 - Wikipedia
[100838] 2020年 11月 15日(日)10:23:02ekinenpyou さん
市区町村隣接関係一覧(GISソフト使用)など
日本一隣接する自治体が多い市区町村はどこ? ArcGISブログ
雑学的な内容の課題をきっちり計算で求めることができるのも、GIS の魅力のひとつです。

ということで、ちょっとした気分転換もかねてサイト内にある【A】市区町村隣接関係一覧(いつもNAVI準拠)と
【B】国土数値情報 行政区域データ(令和2年1月1日時点)を簡単に比較してみました。(北海道の北方地域6村は除く)

※GISソフトはArcGISではなく、QGISを使用
【参考】
無償・低コストでGISを導入する方法知りたい
Find Neighbor Polygons in a Layer - QGIS Tutorials and Tips
今回は全数を比較しただけで内訳までは未精査、隣接数が同じで内訳不一致というものがごくまれに存在するかもしれません

【A】で隣接としているが【B】では隣接していない(非隣接)としているものは以下の通りでした
(GISソフト仕様上非隣接となる)架橋等隣接(サイト内薄緑色)の全て(15組・詳細略)及び
東京都檜原村&山梨県小菅村・愛知県半田市&高浜市・大阪府河南町&奈良県御所市

その逆【B】で隣接としているが【A】では隣接していない(非隣接)としているものは以下の通り
宮城県蔵王町&山形県山形市・秋田県井川町&大潟村・群馬県中之条町&嬬恋村
山梨県北杜市&長野県原村・南牧村&原村・麻績村&生坂村・大阪府千早赤阪村&奈良県葛城市
福岡県那珂川市&佐賀県上峰町・福岡県岡垣町&鞍手町・佐賀県佐賀市&白石町・鹿児島県姶良市&さつま町

元データ(行政区域データ)の内容に少々(大いに?)疑問があるもの※も含まれておりますが
過去ログに登場しているもの(境界未定のため地図サイトによる見解相違など)もありますので
この程度の違いであれば及第点といえるでしょうか・・・(国土数値情報を利用する上での注意点も判明しました)

佐賀県上峰町など(リンク先下部参照)、他の市区町村との位置関係で隣接行政区域としているが、
行政区域境界の歴史的変遷で確認すると2015-01-01時点以降から北部の境界未定地域の境域が変化している(行政区域データのミス?)

【おまけ謎々】
前述の通り、行政区域データは過去の境域のものもあるのでその時点での隣接数も容易に調べることができます。
そこで、北海道内で10以上の隣接数となる(なっていた)市町村を以下にリストアップしてみます。
市町村隣接数(現状)隣接数(H7)
芦別市1313
札幌市1111
旭川市1111
北見市11-
上川町1112
幌加内町1112
-10

表中の-は10未満、「?」にあてはまる市町村をお答えください

白桃さんが「平成の大合併」なかりせばというコンテンツを作ったようなので今回は1995(H7.10.1時点)隣接数を選んでみました。

ヒント
全国都道府県別・市町村合併新旧一覧図ではいまいちよくわからず、
つかんぼやと(市町村変遷パラパラ地図)などを参考にした方が良いでしょうか・・・
[100836] 2020年 11月 14日(土)20:18:38ekinenpyou さん
平成27年国勢調査における人口異動を伴う境界変更一覧について【続編結び】など
拙稿[100809]謎々について最終ヒントです(ほとんど答えそのままですが・・・[100198]勿来丸さんの投稿に類似)
茂原市例規集から引用
○市町の境界変更

平成7年2月22日自治省告示第23号

市町の境界変更

地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条第1項の規定により、千葉県茂原市と長生郡睦沢町との境界を次のとおり変更する旨、千葉県知事から届出があった。

右の境界変更は、平成7年3月1日からその効力を生ずるものとする。

茂原市に編入する区域

長生郡睦沢町大字川島字目黒1960の1から1960の11まで、1961の1から1961の12まで、1962の1から1962の29まで、1963、1964の1、1964の2及びこれらの区域に隣接する道路である国有地の全部

千葉県統計年鑑(平成8年)の市町村廃置分合,境界変更及び名称変更(エクセル:175KB)から引用
この表は大正元年から平成 8年10月 1日までの間の市町村の廃置分合,境界変更,名称変更を市町村別一覧表に揚げたものである。ただし、廃置分合,境界変更で面積及び人口の移動が伴わないもの,又は土地改良によるもの,移動面積が僅少の場合は揚げていない。なお,面積,人口は各回の国勢調査によるものであるが,分割合併,境界変更によるものは地方課の資料による。
(表中の)茂原市の箇所
平 7. 3. 1 長生郡睦沢町の一部を編入 0.0 15

以上で(どの箇所が不可解かという)答えがわかるはずです。

[100834]白桃 さん
熊本県・前編の冒頭では、関係ない石川県の話をしてしまいましたが、石川さゆりさんは熊本出身ですからお許しを。

成程、事前に投稿順序を考えているのでしょうか?あまり詳しくありませんが
こちら(PDF3コマ)左側に懐かしい?記事がありました。
[100816] 2020年 11月 9日(月)18:17:40ekinenpyou さん
Re:大島コレクション 更新しましたなど
[100814]星野彼方 さん
お忙しいところ、地名コレクションへ登録していただきありがとうございます。
読みは地理院地図でも確認できますが、こちら(25&26)の記載と相違ないようです。

【参考】読めない地名も読み上げてくれます ~地名情報を機械判読可能なデータ形式でウェブ提供実験開始~

大変便利でありがたい機能なのですが若干気になる点もあり、
一例として埼玉県小鹿野町両神小森にある2つのバス停と地名の対比を示します。
その1

地理院地図

こちらは特に問題ないのですが・・・

その2

地理院地図

小鹿野町サイト(町営バス)ストリートビューでも調べたが読み方までは記載なし?
バス停と地名の読み方が必ずしも同じではなくても良いのですけれど・・・

[100811]伊豆之国 さん
都県境変更による人口移動は、相模原市民から町田市民になったほうがその逆よりも断然多い

もしかすると拙稿[100809]での謎々の正解が既にわかっていらっしゃいます???
もう少しはっきり書いてしまっても良かったのかもしれませんね
追加ヒントは[100198]勿来丸さんの投稿とでも書いておきましょうか・・・
(これでだいたいの方は答えがわかると思いますが)
[100809] 2020年 11月 7日(土)20:16:45ekinenpyou さん
平成27年国勢調査における人口異動を伴う境界変更一覧について【続編2】
拙稿[100806]の続きです、相模原市と町田市でしばしば発生している境界変更については
過去ログでもしばしば取り上げられていますが、要約したものとして
東京・町田市と神奈川・相模原市で一部地域を交換! なぜ“トレード”するのか聞いてみたも別途参考になるものと思われます。

※以下(相模原市のサイトからは既に削除されているようなので)WARPでのリンクを示しておきます。(PDFも閲覧可)
平成22年12月1日から町田市との行政境界の一部が変わります
平成25年12月1日から町田市との行政境界の一部が変わりました

以上を踏まえ、平成27年国勢調査の第1巻と2巻で内容の異なる2点について補足しておきます。
相模原市(南区)から町田市への異動(23人)がH22.12.1ではなく、H25.12.1になっている

上記に関しては[81933]hmtさんに詳細な解説があり
この人口異動は、もちろん相模原市南区上鶴間本町8丁目から町田市金森に変更された 10棟の住宅 の住人です。

との分析通りで異動日付は第1巻のH22.12.1とするのが妥当と思われます。
(H25.12.1境界変更でも南区からのごくわずかな領域が町田市へ編入されていますが、多数の人口は異動していないと思われる。)

しかしながら
相模原市(中央区)から町田市への異動(合計6人)がH22.12.1(1人)とH25.12.1(5人)の2回に分かれている
上記については大半がH25.12.1の異動であることは推察できますが、全数であるかは不確実であり
結論は出せませんでした。(同一資料だが別々の巻号で内容が異なるというのは珍しい?)

【おまけの謎々1点】
人口異動を伴う境界変更一覧の中に不可解な人口異動が当方の知る限り1件混ざっています。(前述内容は除く)
それはどの箇所でしょうか?理由を添えてお答えください

ヒント・H2.10.2以降の境界変更の中にあり、国勢調査人口にあまり詳しい方でなくても恐らく正解できます。
※サイト記載内容の誤りではなく、国勢調査報告の内容自体が不可解ということになります
(回答は後日投稿予定ですが必要であれば追加ヒントを出します、多分不要と思いますが・・・)
[100806] 2020年 11月 6日(金)20:34:32ekinenpyou さん
平成27年国勢調査における人口異動を伴う境界変更一覧について【続編1】
以下、投稿保留(長期放置してすみません)分から

表題のサイト内コンテンツはこちら
関連投稿は拙稿[99122]の【おまけ】および[99130]YT さん・[82014]グリグリさん参照のこと

「参考5 市区町村の変更情報一覧(平成22年10月2日~平成27年10月1日)」の方は、熊本市の区の設置以外、基本的に人口の異動を伴う境界変更の情報が皆無です。
中略
総務省統計局の方針が変わったのでしょうか?どうみても境界変更の情報が足りていません!

ということでしたが、
平成27年国勢調査報告 第2巻 人口等基本集計結果 その2 都道府県・市区町村編(12分冊)
参考6に当該情報が掲載されていることを確認しました。

※12分冊のいずれにも全国分の境界変更情報掲載(したがって、どれか1分冊だけ見れば良いです)

内容はサイト内コンテンツとほぼ同じでしたが
2011年(平成23年)4月1日の稲沢市と清須市の人口異動は相互に異動していることが判明していますが、正確な異動人口は今のところ不明です

以上の点については
稲沢市 減少94・清須市 増加94&減少10となっていました。(差引は清須市 増加84)

なお、同書には以下の記述(内容は抜粋要約)もありましたが

H22.12.1 東京都町田市 増加1・神奈川県相模原市(中央区) 減少1
H25.12.1 同上 増加5・同上(中央区) 減少5
H25.12.1 同上 増加23・同上(南区) 減少23

[99130]YT さんで示していただいた内容(一部改変)は以下の通りで
平成22.12.1 神奈川県相模原市の一部(9世帯23人)を町田市に編入
平成25.12.1 神奈川県相模原市の一部(4世帯6人)を町田市に編入

上記に倣ったサイト内コンテンツとは少々異なるため※、本件については(少し長くなるので)後日別途補足を追記予定ですが、
取りあえずログに残す目的でここまでの内容を分割投稿しておきます。

※以下の2点
相模原市(南区)から町田市への異動(23人)がH22.12.1ではなく、H25.12.1になっている
相模原市(中央区)から町田市への異動(合計6人)がH22.12.1(1人)とH25.12.1(5人)の2回に分かれている
[100800] 2020年 11月 5日(木)20:51:03ekinenpyou さん
Re:国勢調査 低い回収率 期限を 10/20 まで延長など
引き続き、本題に入る前に小ネタ1件追加

[100463]hmt さん
デジタル通信環境が普及しつつあるとは言え、国勢調査オンライン回答 35.1% という数字を見せられた実感。

(上記の数字と意味が少し異なると思いますが)令和2年国勢調査の概要(9コマ)では
インターネット回答率のチャレンジ目標50%(必達目標は40%)とありました。
数字は暫定ですから、(必達目標にほど遠いというわけでもないので)それなりに健闘はしているのかもしれません・・・

なお、前回は全体の36.9%がオンライン回答だったそうです。
【出典】平成27年国勢調査の実施状況 ~世界最大規模のオンライン調査の実施~(5コマ)

また、同上資料(7,8コマ)では前回調査におけるオンライン回答者のうち
「操作が簡単だった」「次回もインターネットで回答したい」→「いいえ」
と回答した(アンチな?)方【注】は70歳以上の高齢者層ではなく20歳未満の若年層で最も割合が高くなっています。

【注】上記内容について回答義務はなかったと思うので、オンライン回答を行った方の全数ではないと思われる。

【おまけ参考】
国勢調査員が「インターネット回答」を勧める理由 「紙」でもできるけど...実際どう違う? J-CAST ニュース

諸外国のセンサスの状況
(2コマ・例えばアメリカでは2000年のセンサスで、従来の調査方法に加え、
新たに地域等に応じてインターネット等による回答を採用)

直接調査員が出向かないと回答を得られない世帯が一定割合存在するとか、
回答項目数が多いと回答率が低くなる傾向があるという点は恐らく万国共通のようですが・・・
[100789] 2020年 11月 4日(水)18:41:45ekinenpyou さん
第五十五回全国の市十番勝負(問六)関連
前回投稿から少し間が開きましたが、手持ち島名リストと比較したところ以下も該当するようなのでご確認ください。
■大島のある市(大島コレクション)
参考HP:地名コレクション 大島コレクション

日立市いすみ市
【参考】こちら詳細リスト(43&45)

その他は少し長くなるのでまた後日・・・


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