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ekinenpyouさんの記事が10件見つかりました

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[100910] 2020年 12月 27日(日)19:29:58ekinenpyou さん
岡山県南広域都市圏など
なぜ実現しなかった!岡山県南百万都市建設計画の頓挫(-岡山の事件簿4-岡山の街角から)より
実は合併の調印式当日に、話は頓挫しました。倉敷市の市長が必要な書類に記入をしないまま、公印を隠して東京へ失踪してしまったのです。勿論、理由は合併反対の為です。
この方のお名前は???回答は過去ログに・・・
[28115]警笛中毒 さん
当時の倉敷市長・高橋勇雄(倉敷レーヨン出身)は合併期日前、公印の市長印を隠して上京し消息不明となり
市長履歴はこちら(8コマ監査役)

上記で示された倉敷歴史ミニ辞典(1月24日(金)「県南百万都市構想」のネットアーカイブ)より
倉敷の名が消えることへの反発や諸々の事情があるのでしょうが、当事者の肉声はあまり伝わってこないようです。

とありますが、地域開発と広域都市圏 岡山県南広域都市圏 (岡山大学学術成果リポジトリ)に当時の実況詳細あり(ごく一部引用)
その5(22コマ)
高橋は37年12月20日の昼過ぎに秘書の中田に「これから上京する,東京に着いたら電話で連絡する。帰るのは27日だ」といい残して市役所を出た,それ以来38年1月7日に登庁するまで所在不明であった。
以下欄外脚注
(54)当時倉敷市の企画室長であった今城松二郎は筆者に「倉敷にいると議決の執行を強要されるので,一緒に上京した。第一ホテルにとまっていると夕刊新聞の記者に見られたので従業員エレベーターで外に出て,日航ホテルに行き私の満鉄時代の知人に頼み偽名で宿泊し私だけ先に倉敷に帰り絶えず連絡をとっていた。」と語った。
その6(2コマ)
当時副知事であった曽我与三郎は生前筆者に「高橋さんが雲がくれしたので助役の保津君に判を押せと激しくつめ寄ったこら、とうとう泣き出したのでどうにもならなかった」と語った。

【おまけ】短い市区町村名・長い市区町村名(市区町村雑学)
過去にも漢字五文字の市がありました。1959年(昭和34年)9月1日に青森県の大湊町と田名部町が合体して大湊田名部市ができました。

上記については前述その4(18コマ)に詳しい経緯が書かれており、
当時の大湊町長が「大湊市」・田名部町長が「下北市」を強く希望したらしく、
町議会の議決がないがしろになるなど泥沼化していたよう・・・この名前は県知事側からの提案だったようです。

[80486]伊豆之国 さん
現市名 新市名(私案) 理由
むつ市 下北市 「むつ」の名に忌まわしい過去を思い起こす人も。この際広く知られた半島名に
[51814]矢作川太郎 さん
何故その代替案が「むつ市」だったのでしょうか。どちらかの旧町名を採用するのはまずいとしても、「下北市」辺りが妥当では無いでしょうか。(自分は今回(平成)の合併で駅名・郡名に因んで「下北市」になると思っていた。)
以上は過去の経緯より使用に抵抗があったのかもしれません・・・
[100905] 2020年 12月 26日(土)08:40:03ekinenpyou さん
香川県人口(1995境域組替)の追加版
拙稿[100902]での投稿予定分です、以下略号(a)は1920年・(b)は1889年人口とします。
([100896]サヌカイト さんの表順番に準拠したが、2015境域・比率は容易に計算できるため省略)

市町村1920年(a)1889年(b)備考
高松
-高松144,869129,622(b)寺井村(774人)を含む
-国分寺7,8167,947
-牟礼6,5516,276
-庵治5,3254,772
-香川8,4408,836(b)東谷村(1,071人)を含む、寺井村(774人)を含まず
-香南5,7966,112
-塩江8,1666,969(b)東谷村(1,071人)を含まず
丸亀
-丸亀47,45948,976
-飯山8,1077,859
-綾歌9,5449,824
坂出44,60934,386
善通寺27,15119,242
観音寺
-観音寺31,50836,024(b)本大村(1,066人)&木郷村(1,306人)を含む
-大野原14,14016,792(b)木郷村(1,306人)を含まず
-豊浜8,60310,820
三豊
-高瀬15,72716,452
-豊中10,45610,838(b)本大村(1,066人)を含まず
-詫間15,05513,475
-仁尾7,0288,081
-三野8,3328,772
-山本7,5669,096
-財田5,3405,561
さぬき
-志度14,79616,852
-長尾9,69310,650
-津田7,7349,079
-寒川5,4626,316
-大川7,5588,256
東かがわ
-大内12,65414,669
-白鳥10,18211,968
-引田9,32511,196
三木21,87623,135
綾川
-綾南12,50913,433
-綾上9,98610,434
宇多津5,9215,371
多度津18,46618,591
琴平10,98913,806(b)五條村(1,097人)を含む
まんのう
-満濃14,29613,429(b)五條村(1,097人)を含まず
-仲南5,5375,568
-琴南5,6805,897
土庄21,29322,758
小豆島
-池田8,5649,590
-内海14,79911,373
直島2,9441,640

出典について、(a)はT9.10.1国調人口(香川県合計677,852人)・(b)はM22.12.31市町村現住人口(香川県)
※(b)合計は670,743人で日本帝国人口静態統計などでの合計(668,548人)と若干相違がありますが、
近似値で支障なしと解釈(いくつか原因は思い当たりますが確証は無いので記さず)

原則として前述人口を(町村別に)1995境域各エリアごとに分類合計したものですが、
別々のエリアに分割された町村人口については(比率按分はあえて行わず)人数が多いと思われる片方へのみ計上しています。
なお(b)は後の大字単位になっているため、(大字単位に分解できない)(a)と異なるエリアに計上したものがあります、
(備考にも記しましたが)詳細は以下の通りです。()内は分割&境界変更時の(直前国調ベース)人口異動数で当然(b)とは異なる。

(1)S31.9.5 香川町の一部(553人) → 一宮村(現在の高松市)・S33.4.1香川町の一部(369人) → 高松市
寺井(北部&中部)が高松市に編入
(2)S31.10.25 塩江町の一部(1,548人) → 香川町 東谷(ほぼ全域?)が香川町に編入
(3)S30.4.10 紀伊村(分割編入) → 観音寺市(1,178人)&大野原町(2,255人) 木郷(全域?)が観音寺市に編入
(4)S31.3.31 満濃町の一部(964人) → 琴平町・S32.10.10 満濃町の一部(477人) → 琴平町
五條(条)(ほぼ全域?)が琴平町に編入

【参考】香川県市町行財政要覧(令和2年3月発行)11.市町村の変遷-168-185香川県公布類纂. 明治21,22年
自治体越えの地名(地名コレクション)(香川県)
[100902] 2020年 12月 23日(水)19:04:18ekinenpyou さん
Re:茶番第15回 2020国勢調査発表を前に
[100896]サヌカイト さん
国勢調査結果がもうすぐ(といってもまだかなり先ですが)発表されますが、比較対象が1995年までだと寂しいので、自分の住んでいる香川県の2015境域と1995境域(市町村名の前に「-」)で組替人口を作ってみました。一応、分割や境界変更等も考慮しましたが、かなり大雑把に、しかも電卓でやったので恐らく間違いだらけとなっていると思われます。
2015・1995年は恐らく問題ないようです、(中高生の方の作品?としては)非常によくできていると思います。

香川県全体の人口ですが1970年(10.1)は907,897人/1950年(10.1)は946,022人になるはずですが
(サヌカイト さん作成の表をもとに)合計すると若干足りず905,206人/928,392人になってしまっているようです。

(2015境域のみで1995境域の内訳は省きますが)以下の通り変更が適切と推察いたします。
1970年は観音寺(64,962→66,653人)&三豊(74,210→75,210人)に変更
1950年は高松(251,977→269,160人)&琴平(16,115→16,087人)&まんのう(30,926→31,401人)に変更

どのように計算すると上の値になるかについては、年明けの十番勝負の後にでも(まだ興味があるようでしたら)
チャレンジしてみてください。

本当は1945年でして2020年ができたら25年ごとになりちょうどよかったのですが、あるはずもないので1950年となり、微妙な間隔となっています。
ご要望のものかどうかはわかりかねますが、1920・1890年の分も(分割や境界変更等による人口異動については
ほとんど考慮せず相当妥協してありますが)一応データが手元にあるので後日当方より投稿します、少々お待ちください。
[100897] 2020年 12月 21日(月)19:32:13ekinenpyou さん
地名の表記ゆれ?など
[100804]白桃 さん
「戸」の由来だけでなく、「四戸」がどこにあったかについても諸説あるようですが
上記については「四戸」はどこにあるの?「戸」地名について(落書き帳アーカイブズ)でも議論されたようですが、
「戸」の由来(岩手県)にも詳しい解説がありました。

前置きが少し長くなりましたが、1件小ネタを投稿しておきます。
大坂→大阪のようにかつては別の字を用いた表記が幅を利かせていた地名を2点ほど示します。

【1】金田一(現在の岩手県二戸市)
国郡全図天保郷帳(陸奥国郷帳下・89コマ左側)・官板実測日本地図(畿内 東海 東山 北陸)
ではいずれも「金田市」でした、なお金田一村 - Wikipediaには以下の記述もあります。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、二戸郡金田市村、野々上村、釜沢村、下斗米村(一部)が合併し、金田一村が成立。

地名索引(真ん中下部)は「金田一」とあり、合併前村名は金田一村で支障ないと思われます。
[65241] じゃごたろ さんより
四戸氏は、軍事的に勢力を拡張してきた九戸氏への抑えとして現在の二戸市に移され、それが金田一氏のとなったとも言われています。現在地名として失われた「四戸」ですが、二戸市内に「四戸城跡」があるのもそのためと考えられているわけです。

(明治初期?)四戸(後の金田一)氏と字を揃えた表記が定着していった?
余談ですが、Issie さんのサイト・郡の変遷(東北地方)にもある通り、
二戸郡は明治4年の1次府県統合では青森県でしたが、明治9年に岩手県の管轄になりました。
【参考】宮城県下気仙郡青森県下二戸郡岩手県ヘ管轄伺

【2】宇多津(現在の香川県宇多津町)
国郡全図天保郷帳(讚岐国郷帳・16コマ左側)・官板実測日本地図(山陰 山陽 南海 西海)
ではいずれも「宇足津」でした、宇多津町の歴史より
町名の由来ですが、古代鵜足郡(うたのこおり)の郡津に由来しています。

とある通り、讃岐国名勝図会(鵜足郡42コマ)右側表記は「鵜足津村」ですが、左側は「宇足津全図」とあります。

地名索引(左側中央)は「宇多津」とあるので町村制施行前の村名は宇多津村で支障ないと思われます、大日本地名辞書 上巻 二版(左下)鵜足郡に古訓は「宇多」とあり、(明治初期?)これに倣う形に回帰した表記が定着していった?

【おまけ・ある程度の年齢以上の方には簡単すぎる年内最後の謎々】
明治新政府は慶応4(明治元)年閏4月の政体書公布からほどなくして府藩県の印鑑を作成するよう命じました、復古記(左側参照)
その印影を収めた箇所はこちらで府藩県の印影ははじめおわりの範囲内にあります。例えば[100893]白桃 さん
オグリキャップ、デビューの地
の県印については105コマ(左pp.193)右1列目の上から2番目がその印影と思われますが、
四国の讃岐国にあった「丸亀藩」の藩印はどこにあるでしょうか?
(若い方でもサヌカイト さんとか地元の方ならすぐに答えがわかる???)

年明けまで時間も短いので(回答を解説しなくても良いように)大甘ヒントつき、[100864]hmt さん
立派なヒゲの百円札
より百円券(日本銀行サイト内)を見ると・・・

※府藩県三治制について詳しくはIssie さんのサイトを参照のこと(以下引用)
公式名称でないのであれば,同一の藩に「伊達藩/仙台藩」「毛利藩/長州藩/萩藩」などというようにいくつもの呼称があるのも不思議ではないわけです。
上記の通り「正式な藩名」なるものは恐らく無いのですが、「某藩印と刻すべし」と命じたにもかかわらず、
その通りにしない(少数派ひねくれ?)藩に対し新政府は(作り直しは命じず)大目に見ていた模様です・・・
[100895] 2020年 12月 18日(金)08:34:19ekinenpyou さん
Re:「茂原→睦沢は無かった」など
[100878]白桃 さん
睦沢町には川島という飛地があって、そこは茂原市に隣接していますが、面白いのは茂原市の地区名に川島飛地があるのです。「川島」と「川島飛地」は隣接していないのですからこれまた面白い???
「飛地」の漢字を含む町域名は千葉県に多くあるようで、このうち(現在は茂原市内にある)川島飛地ですが、
茂原市モバラの地名由来では成立年代不詳だが(睦沢町)川島の飛地であった?という旨記載がありました。

これらは多くが非常に狭い領域のようで今昔マップ on the webで確認したものの5万図はいずれの年代でも
地名表記がありませんでした。(地理院地図でもズームレベルを最大の18にしないと表示されない)

以下は推測になりますが・・・
千葉県新旧町村対照 : 附・新旧戸長役場之位置長生郡東郷村(当時は長柄郡)の旧町村名に「川島村飛地」とありこの時に成立?

※(上記の類は大字には分類されないため?)市町村大字読方名彙などには記載がありませんが、
千葉県長生郡統計書. 明治41年の東郷村に「川島飛地」という地名が確認できます。(統計書では大字として便宜カウント?)

[100887]未開人 さん
へき地の学校には興味があります。ちょうど情報提供しようと思っていたのが全国へき地教育研究連盟のへき地学校一覧ですが、情報が古かったり福島県など一部県の情報がなく不完全です。
「へき地学校」の一覧が掲載された資料は文部科学省から出版されているか(レファレンス協同データベース)によると
かつては「へき地学校便覧」という資料があったようですが、現在は刊行されていないようですね。

【参考】本州唯一のへき地5級校を訪ねる旅佐井村立牛滝小中学校 - Wikipedia
Wikipediaの脚注リンク先に青森県例規集のへき地手当等(昭和35年04月26日 人事委員会規則第7-51号)が示されており、
下部の別表というものに一覧が掲載されています。
他県の例規集でも似たような別表があるようですが、千葉県のようにネット上で別表が確認できないものがあり
(数が少ないので省略されている?)そうした場合は問い合わせるなどしないとわからないかもしれません。

【参考】高知県例規集のへき地等学校等を指定する規則(平成16年3月30日教育委員会規則第2号・下部別表)
福島県例規集の市町村立学校職員の給与の支給に関する規則(昭和35年12月8日 人事委員会規則第8号・下部別表)
千葉県例規集のへき地手当等の支給に関する規則(昭和四十六年三月二十六日人事委員会規則第七号)
別表に掲げるへき地学校(市原市及び君津市に所在するものに限る。)
(上記のようにあるが、ネット上で別表が閲覧できない)

※福島県・千葉県は例規集へのURLをうまく示せないため条例Webアーカイブデータベースで代用
[100891] 2020年 12月 13日(日)19:30:35ekinenpyou さん
Re:海と島(41)「沖の島」情報に感謝など
[100886]hmt さん
「沖の島」については他にも色々書けることがあるのですが、内容が非常に長くなりそうなので
※高知県の離島に行こう。宿毛市の「沖の島」がおすすめ!(たびこふれ)・Google マップ(ストリートビュー)

などをご覧いただき、島めぐりをした気分を味わっていただければと思います。

※地元在住の地域おこし協力隊の方が作成したもので大戦中の遺構なども写真に収められており一見の価値ありです。
(作者の方のプロフィールに「新人狩猟者」とあって、時には危険も伴うお仕事も???)

[100874] サヌカイト さん
十島村と三島村役場って鹿児島市にあるけど、不便じゃないのかな
十島村役場 - Wikipediaを見る限りでは、役場移転の案もあるようですが(諸事情より)積極的ではないような気もしますね。

例えば薩摩川内市役所は甑島列島に無いので、(合併で)不便になった?というわけではないということでしょうか・・・

協議会だより(第2号)(3コマ・4「公共施設の基本的な考え方」より)
本庁については、新庁舎建設までの間は合併前の川内市役所とし、従前の関係各町村役場は、各種窓口業務機能だけでない従来の町村役場とほぼ同等の機能を有する総合的な業務を行う支所として、市民サービスの向上を図るよう必要な機能の整備・充実を図ります。

以下余談、甑大橋(藺牟田瀬戸架橋工区)が開通しましたより
令和2年9月6日~7日にかけて接近した台風10号に伴い,下甑島の鹿島でも災害に伴う断水が発生しましたが,開通した甑大橋により上甑島から給水車を輸送することができました。
新しい橋は早速役立っているようです。

本来は[100878]白桃 さん(川島飛地)にもコメントしようと思ったのですが
[100887]未開人 さん(へき地学校一覧)とあわせて後日投稿予定につきしばしお待ちください
[100882] 2020年 12月 8日(火)20:05:55ekinenpyou さん
Re:海と島(40)土佐と伊予とに分断されていた 沖の島、他
表題の島は過去ログにはあまり登場していなかったのでしょうか、(北部の母島は)複数回訪れたことがあるのでコメントします。
[100875]hmt さん
沖の島の愛媛県管轄区域が高知県に移管されたのは、明治9年という記載がありました。
そのように書かれている資料が多いようです。沖の島 (高知県) - Wikipedia
1876年(明治9年)2月25日 - 母島浦・久保浦・小矢野浦・鵜来島の所属県と所属郡が、愛媛県宇和郡から高知県幡多郡に変更される。

とありますが、[100875]冒頭の
明治7年までは 沖の島【現在は全島高知県宿毛市】に県境があった
厳密にはこちらが正しいと思われます、M7.7.7達により(M9より先行すること2年前に)所属県が高知県となり、M9.2.25布告21号で
「高知県管下」の「伊予国宇和郡」沖ノ島外二島を「土佐国幡多郡」に編入しました、太政類典へのリンクなども下記に示します。
愛媛県下沖ノ島外二島高知県ニ属ス高知県下伊予国沖ノ島外二島ヲ土佐国ヘ編入
【参考】府県及北海道境域沿革一覧

現在、孤島・沖の島の陸上では 過疎化が進行しています。
戦後の一時期に最大人口千数百人を数えた弘瀬部落は、2016年時点で 100人を切っているとか。
仰る通りです、本年は宿毛市の沖の島中学校9年ぶり再開へ 地元で1人が進学(高知新聞)
というニュースもありましたが、(へき地学校の条件を満たす)小中学校は(最も高い)5級地に区分されます。

へき地等学校等を指定する規則の一部を改正する規則議案(5コマ・沖の島中学校の再開についてより)
へき地学校とは、交通条件及び自然的、経済的、文化的諸条件に恵まれない山間地、離島その他の地域に所在する小学校及び中学校等をいい、当該学校に勤務する教職員等には、へき手当支給を支給する。

【参考】へき地教育振興法施行規則(昭和三十四年文部省令第二十一号)
廃校・休校 ~山から人が消えてゆく~ 高知県(左フレームの宿毛市)

以下、地元の方から「ここは離島ですが、居ますよ」というお話を伺ったので、それを裏付けるデータ

高知県第二種特定鳥獣(イノシシ)管理計画(H27.5.29の8,9コマ)
宿毛市沖の島でも55頭のイノシシが捕獲されており、県内全域においてイノシシの生息と捕獲が確認できます。
同上(H29.4の7コマ、毎年度50頭程度捕獲されているらしい、メッシュを見ると沖の島北西の鵜来島にも生息している模様)

【参考】沖の島の動物(酒井明 説話集29)
(現在生息しているものは過去に捕獲しきれなかったものの生き残りなのか、近年移動してきたものなのか謎は残ります)

[100878]白桃 さん
「この頃(1995年3月31日頃)茂原から睦沢に編入された区域は無かった。」ということです。
編入された地域が無いのに32人(1990年国調)の人口異動があったというのは本当に不可解ですね。
同感です、本件については恐らく統計図書館の国調関連資料をあたっても解決に至れるかどうか自信がありません・・・
川島飛地については後日コメントする?かもしれません・・・
[100872] 2020年 12月 5日(土)11:08:59ekinenpyou さん
Re:茂原と睦沢の境界変更
[100871]白桃 さん
私の手元にある「附表6市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧(平成2年10月2日~平成7年10月1日)」には
1995.3.1睦沢町→茂原市 人口異動 0
1995.3.1茂原市→睦沢町 人口異動 32
となっております。
仰る通りです、[81967]YT さんでも同趣旨の内容ですが、当方も原典コピーを所持&確認しております。

茂原から睦沢に編入された区域もあったのではないでしょうか。
もしそうであれば平成7年面積調(60コマ)
自治省告示第23号,市町の境界変更(長生郡睦沢町の一部を茂原市に編入)

は、「各一部を相互に編入」と記載されているような気もします。
もしくはこの告示以外にH7.3.1付で茂原から睦沢に境界変更が行われたという告示があれば話は変わってきますが、
確認できないので当方では不可解であると解釈しました。
[100870] 2020年 12月 4日(金)19:47:17ekinenpyou さん
Re:「クイズ」というか「なぞなぞ」というか
[100869]白桃 さん
氷川
早速の正解一番乗りです、お付きあいいただきありがとうございました。

「謎々」[100809]が出ていましたが、ヒントも出てはいるのですが、何が不可解なのか良く分かりません。
拙稿[100836]で示した通りH7.3.1の境界変更では睦沢町の一部区域のみが茂原市に編入されていますが、
国調組替人口では茂原市の人口が32人減少・睦沢町で32人増加したとしている点になります。
(千葉県統計年鑑では茂原市15人増加とありこれとも相違、人口異動の方向が反対で睦沢町→茂原市とするのが適切か)

※茂原市83,405人&睦沢町7,988人はH7.10.1現在の市区町村の境域に基づいて組み替えたH2.10.1現在人口
[100868] 2020年 12月 3日(木)19:54:28ekinenpyou さん
熊本県庁の所在地など
関連投稿[99139]さざ波 さん・[99140]グリグリ さん
表題の件、現在の所在地は同市中央区ですが明治期はまだ市外の郡部(飽託郡出水村健軍村の境界付近)で
大正初期に※鉄道駅名にもなった水前寺は公称の大字名ではありませんでした。

※駅開業時の所在地は出水村(字)国府(T3鉄道院告示48より)

従来の県庁は現在地よりも西側に存在、移転時期については熊本県庁の位置に関する条例より法的には
昭和42年3月規則第5号で、同42年3月3日から施行
【参考】熊本市の発足(三井住友トラスト不動産サイト)

余談ですが、明治期まで健軍村の大字はいずれも難読で健軍(たけみや)・神水(くわみず)でした。
後者は現在でも同じ読みですが、前者についてWikipediaでは
大正末期から本来の「たけみや」ではなく音読みの「けんぐん」と読まれることが一般的になっており、合併後の町名の読みは正式に「けんぐん」となった。
とあります、(裏付けもかねて)以下に当時のもので読み(ローマ字含む)が記載された資料をいくつか示します。

「たけみや」としている資料
郡区町村一覧新旧対照市町村一覧
地名索引(健宮とあるが、読み「たけみや」から気を利かせて「軍」を「宮」に変えてしまったところ実はそれが誤りだった?)

「けんぐん」としている資料
市町村大字読方名彙(ただし大字の読みは「たけみや」としている)・熊本県下市町村要覧日本地名大辞典(ローマ字「Kengun」)

(Wikipediaの記述通り)確かに大正期以降の資料で既に「けんぐん」としているものが存在しているようです。
なお、Wikipediaでは昭和11年の合併後正式に読みが変更されたともありますが、
合併まで「たけみや」という読みが正式なものだったかについては議論の余地があるかもしれません。

【おまけ】
今回は至極簡単な謎々です、過去ログから察するに千本桜さん・伊豆之国さんあたりは即正解できそうですが・・・

1・現存している市区町村名(名称から末尾「市区町村」は除く、政令市は市名のみで区名は対象外)
2・かつて国鉄(日本国有鉄道が存在したS24.6.1~62.3.31の間に限る)にあった国鉄の鉄道駅名(現在同一駅名なし)
3・地名の入った歌コレクション(落書き帳アーカイブズ)に記載のある演歌歌手の苗字

以上の3条件を全て満たすものをお答えください、条件2は石川駅(弘前市)など現存していたり
石川町駅(横浜市)など少しでも名前が異なる場合は×とします。(つまり「石川」は条件1&3は○ですが2は×)
条件3の定義がややあいまいなので複数回答があるかもしれませんが恐らく同じものを思いつくはず???


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