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YTさんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[95367]2018年2月2日
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[93042]2017年7月28日
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[93041]2017年7月28日
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[93031]2017年7月26日
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[91228]2016年8月17日
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[90107]2016年3月25日
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[90087]2016年3月18日
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[88602]2015年8月9日
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[87941]2015年6月21日
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[87464]2015年4月12日
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[87463]2015年4月12日
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[87449]2015年4月3日
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[87439]2015年3月31日
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[86844]2014年12月28日
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[86490]2014年10月26日
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[86370]2014年9月10日
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[86357]2014年9月3日
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[85707]2014年6月8日
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[85705]2014年6月8日
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[85704]2014年6月8日
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[85702]2014年6月8日
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[85700]2014年6月8日
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[85673]2014年6月1日
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[85659]2014年5月29日
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[85625]2014年5月18日
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[85624]2014年5月17日
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[85623]2014年5月17日
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[85612]2014年5月13日
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[85609]2014年5月13日
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[85605]2014年5月11日
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[95367] 2018年 2月 2日(金)18:35:23【5】YT さん
大字福浦の所轄について
[95361] そらみつ さん
[95364] Takashi さん
[95365] N さん

横からすみません。そらみつさんが疑問に思われていることは、旧大字福浦の内、どのような経緯で寺山地区(字二本松、東山鼻、入山口、向ヒ、名畑、舟木谷、前、背戸山、田ノ奥)が現在の地図において、大字寒河の所轄となり、鹿久居島の全域が大字日生の所轄となり、取揚島だけが大字福浦に残ったかということだと思います。一連の書き込みを見て、先程『日生町誌』(1972年)を閲覧して来ましたが、

・福浦(の大部分)の赤穂市への編入の経緯に関する記述はおそらくあると思うのですが、どこまで詳細に記述されているかは不明であること


数年にわたる漁業権問題や地域感情の対立など、詳しい編入の経緯についての記述はありますが、肝心の大字の変遷についての記述はありません。

・(今回の問題ではそれほど重要ではないかもしれませんが)鹿久居島の状況も記述はおそらくあると思うのですが、どこまで詳細に記述されているかは不明であること


この点も後述するように、余り記載がありません。ただいくつか興味深い点が見つかりましたのでまとめます。

まず明治の大合併において

日生村=大字日生+大字大多府
福河村=大字寒河+大字福浦

となったわけですが、スタンフォード大学が公開している戦前の日本の地図を見ればわかる様に、鹿久居島の中に村境があり、島全体の西の一部が日生町で、残りが福河村となっております。具体的には後述するように、島の総面積10 km2弱の内、約4 km2が昭和初期には日生町所轄で、残りの6 km2が福河村所轄です。『日生町誌』16頁の鹿久居島の記述によると

(3) 鹿久居島 日生本土から八百メートルの南にあって周囲二十八キロ、面積九八五・五ヘクタール、世帯数十五、人口六十人、岡山県下では最大の島で、国有林になっている。むかしは無人島で、日生、寒河、福浦の三村に属し鹿の野生地として有名で、旧藩時代の狩猟地であった。


一方25頁以降の「第二編 地誌」の解説では

 日生町は日生、大多府、寒河、福浦(寺山)の四つの大字から成っている。
(1) 大字日生 日生本土ど大多府を除く諸島を合わせた区域を総称して大字日生という。

つまり鹿久居島はもともと日生、寒河、福浦に分割されており、越境合併の1963年当時も鹿久居島の一部に大字福浦が設置されていた。ところが『日生町誌』が書かれた1972年までには鹿久居島の全域が大字日生の所属となっていたということになります。具体的に『昭和十年 全国市町村別面積調』や国勢調査時の面積の時系列をまとめると

西暦1935年1950年1955年1960年1965年1970年
日生町13.2512.8642.4142.4135.0135.01
福河村30.0030.00

日生町と福河村の面積の合計が合併後に0.45 km2ほど減るなど、若干数値が異なりますが、まあその辺は測定誤差の範囲でしょう。1963年に赤穂市へ異動となった土地は7.4 km2で、日生町に留まった旧福河村の土地は22.5 km2前後となります。

ところが『日生町誌』の3~4頁の大字別面積によると

大字面積(km2)
日生17.8
寒河16.1
大多府0.4
福浦(寺山)0.7

日生+大多府が18.2 km2、寒河+福浦が16. 8km2となり、6 km2弱の土地が旧日生町側に異動したことになります。10 km2の広さのある鹿久居島の東部分がいつの間にか大字日生の所轄となったことの証左となります。

次に寺山地区についてですが、『日生町誌』33頁によると

(4) 寺山 大字福浦に属する小字である。吉備温故に「寺山新田」とあるが、貞享年間(一六八四~一六八七)に福浦村に合併した。山脈に囲まれた山峡の小集落である。戸数十戸、人口二十八人。
 戦国時代の末期に、戦禍からのがれて、仏法に入る者あg多くなり、この地が山高く、気が澄んでいるため、座禅、修養に適し、大小寺院十三カ寺が建てられたことから、この地名が生まれた。現在は寺院の跡は見られないが、往古は人家も多く、盛んな時代もあった。
 昭和三十八年九月、福浦地区の越県分離の際、この地だけ分離から除かれ、日生町にとどまった。
1 寺山地内の小字名
二本松 舟木谷 東山鼻 前 入山口 背戸山 向ヒ田ノ奥 名畑


向ヒ田ノ奥が一つの字となっておりますが、昭和38年自治省告示第106号に登場する「字」が総て寺山地区のものだということが分かります。それよりも問題なのは、『日生町誌』は本土の方の字は事細かく書いておりますが、鹿久居島や取揚島に所属する小字についてはなんら記載がありません。

以上をまとめると

1963年以前、日生町大字福浦は取揚島の一部・鹿久居島の一部・本州側の地域を含んでいたが、越境合併の結果、取揚島の一部・鹿久居島の一部・内陸の寺山地区が日生町大字福浦に留まった。
1963年~1972年 いつの間にか、鹿久居島の内の大字福浦、大字寒河の所轄が大字日生の所轄へと変更になる。
1972年~現在 いつの間にか、寺山地区が大字寒河の所轄となるが、取揚島の西南部だけが大字福浦の所轄のまま留まる。

こんな感じでしょうか?

越境合併に関連する漁業権の設置された地域などに関しては『赤穂市史 第三巻』(1985年)の629頁に詳しい地図が掲載されています。

【追記】
[95366] Takashi さん

・福浦の中で日生町に留まった地域が存在した理由(漁業権の関係もあるのでそれなりには書いているでしょうけど)
・福浦の中で日生町に留まった地域のその後(これは他のところで記述されている可能性もありますが)
にどこまで踏み込んでいるか……がこの場合は知りたいところですよね?


これについては具体的な記載がありません。当時の住民、とりわけ漁業関係者の利益面と感情的な対立について詳しいことは書かれていますが、執筆者はある意味土地を赤穂市に奪われた側の住民ですし、越境合併からわずか10年程度に執筆されていますので。

【誤記修正】大字➡寒河
【リンク修正】
[93042] 2017年 7月 28日(金)12:50:26【3】YT さん
桶狭間村を巡る不幸な合併の歴史
『有松町史』(1956年)に、桶狭間村に関する詳しい合併の経緯が載っていましたので、以下紹介します。

「維新後の村政」
(中略)
 一方、桶狭間村では、戸数八四戸の小村であったために、共和村と合併することになった。明治一一年の町村制施行にさいして、愛知県では、独立して一村を組織運営する実力をもたない村を対象に、町村合併に努力したのである。桶狭間村は共和村との合併に強く反対の意向を示したが、拒否することはできなかった。しかし、合併はしてみても、遠隔地で地理的に不便であり、住民の人情もとかくおりあいが悪く、明治一四年には分村して独立してしまった。

「有松町と桶狭間村の合併」
 明治二一年四月には、市制および町村制が発布されて、ここに地方自治制度はまったく確立整備された。これによって市町村の法人格や条例制定権が法認されるとともに、その権限についても制度的に整備されたのである。同時に、この新法の適用をうける実力のない町村が整理されることになり、市町村の合併が強行された。桶狭間村はふたたび共和村と合併した。しかし、村では従来の経験からあくまでも反対の意向を示し、つぎの三カ条の理由をあげた。

 一、桶狭間は歴史上著名な村落で、いまこれを消滅し大字となるのは、村民一般のしのぶにたえざること
 二、本村は地価三三、一八〇円余、公民権者六〇名余あって、独立の経営をするのにさしつかえないこと
 三、さきに共和村と合併のさい、共和村より議員の多数を出し、しかも多数を誇って横暴をきわめ、自村の利益のみをはかり、本村はつねに多数に制せられていた。また共和村にいたる道路が遠く往復に不便であったから、すでに明治一一年に合併したが両村の間柄が悪く、同一四年に分離したような状態であり、たとえ今回合併してもとうてい将来の和合は望みえないこと、

 以上をもって再三県庁に嘆願したが、容易に許可とならなかった。そこで明治二二年一〇月に、隣村の有松村と町村制一一六条による組合組織設定を出願した。その理由はつぎの三カ条であった。

 一、桶狭間村と共和村と合併するときは道路が遠く不便であるが、有松村と組合組織を設定するときは道路の便がよいこと
 二、有松村は商業をもってその名をあらわし、桶狭間村は歴史上その名をあらわしているから、いずれもいまこれを大字とすることは、両村民とも希望しないところであり、両村とも独立して組合組織を設けたいこと
 三、有松村と桶狭間村は、むかしから氏神を同一にしていたから、いまなお祭礼は合祭しているので、自然に人情・習慣・生計の度を同一にしているが、共和村とはこれに反していること

 この嘆願もなかなかいれられず、桶狭間村の反対運動がつづいた。その間、村の財政は極度に疲弊していたが、また独立村としての資金を備える必要にもせまられた。同村の相羽家より二、〇〇〇円の公債寄附をうけ、全村民は頼母子報徳講をつくって救済を講じ、一方つてを求めて他村から借金し、かろうじて村を維持する状態をつづけていた。
 桶狭間村は、あくまでも共和村との合併に反対したが、やはり独立村として維持していくことには困難があり、また県庁の認めるところではなかった。そこで同村では、共和村よりも種々の点で関係の深い有松町(有松村は明治二五年九月に町制を施行した)との合併を望むにいたった。有松の側でも、しきりに桶狭間との合併を希望しており、たとえば明治二四年には、有松村臨時村会は共和村大字桶狭間との合併を、もっとも有益なこととして、満場一致で賛成した。共和村もついにこれに同意し、明治二六年五月に三者連名で町村組換嘆願書を提出した。これは県庁の認可を得て、同年一一月には知多郡長から合併許可の通達があった。
 有松町と桶狭間との合併は、むしろ自然の勢いであった。両者の由来においても、すでに述べたように、慶長年間に桶狭間村から分住して有松村を開発したのであり、当時は有松は桶狭間村の一支郷だったわけで、その根源を一にしている。したがって住民も慶事弔裁など社交上いっさいにおいて、あたかも同一町村の住民のような親密な関係にあった。ことに桶狭間の氏神である神明社は、かつて有松の氏神でもあったし、祭典も同じくしていたので、風俗習慣のうえで共通のものがあった。また、村民の生活上でも合併を希望する理由があった。桶狭間村民の大部分は、有松紋の下請仕事を不可欠の副業としており、有松紋の下職には多数の桶狭間村民が従事していた。また有松では耕地が少ないから、農業面では桶狭間に依存し、桶狭間の農業はその肥料に多数の藍粕を用いて、相互に助けあっていたのである。合併当時の有松町は、耕地面積は二五町歩に満たず、戸数三三〇戸、人口一、二五〇人であり、桶狭間は耕地面積八一町余で、戸数九七戸・人口四八〇人であった。桶狭間を合併した有松町は、ここに当時としてはほぼ適切な規模をもち得るにいたったのである。


以上の説明からは、明治22年~明治26年の間、桶狭間の住民は独立村として共和村とは異なる運営をしていたものの、愛知県や他の町村(有松町を含む)から公式に認められた立場は、「共和村大字桶狭間」に過ぎなかったことが読み取れます。また当事者の関わっている『有松町史』に、明治25年合併の記載がないので、1889年(明治22年)10月1日の再合併が正しく、明治1892年(明治25年)9月13日の合併は間違いでしょう。なお、1892年(明治25年)9月13日という日付は、有松町が町制を施行した日付と完全に一致します。つまり、有松町の施行日を誤って共和村と桶狭間村の合併日と勘違いして、種々の本が記載してしまった可能性が高いということになります。

というわけで、[93041]

あくまでも推定ですが、知多郡共和村のケースも、実際には二つの旧役場が統合された日付を誤って二村合併の日付と記載してしまったと思われます。


は取り消します。実際には最後まで独立採算を通して共和村と対立していたようですし。


【訂正】:「共和村大字桶狭間村」から「共和村大字桶狭間」に修正
【訂正】:その他の誤字修正多数
[93041] 2017年 7月 28日(金)10:39:52【7】YT さん
愛知県の町村合併について補足
[93031]の捕捉です。『一色町誌』(1970年)によると

この方針に基づいて,一色地区でも佐久島村を除く1町4か村が大合併に踏み切ったが,そのとき,県が賦課する家屋税その他課税率が,町制施行の場合より村制施行の方が低率となり,財政負担が少なくなると判断された結果,一色村を名乗った。こうして生まれた新しい村役場は,従来の一色町役場に置かれた。その後,大正12年(1923)4月,町村財政を圧迫していた郡制が廃止され,また県の町村に対する課税等の制約が撤廃されたため,同年10月1日,一色村から一色町が誕生したのである。

とありましたが、そもそも家屋税は住民が県に納める地方税であり、町村の財政とは関係がないはずです。そこで色々調べたところ『愛知県史 通史編7 近代2』(2017年)に郡役場の収入源として「各町村分賦税」というものがあったとの記載がありました。すなわち国は国税を、府県は府県税を、市町村は市町村税を徴収したのに対し、郡役場は独自の税収がなく、郡内の町村からの分賦金で予算を賄っていたのです。そして愛知県の場合、各町村における前年度の直接国税、府県税の徴収額を元に分賦金を算出し、所属する町村の予算から徴収していたのです。つまり、住民の国と県への納税額が少ないほど、郡役場に納めなければならない分賦金の額も減るので、少しでも郡役場に納める分賦税を減らすために、家屋税等の税率が下がる「村」になることを選択した・・・という世知辛い事情があったようです。

[93040] 通りすがり さん

[64769] で88 さんが触れられていますが、

(4)知多郡共和村(現在の大府市)について

(a) M22(1889).9.24付け愛知県令第47号によると、M22(1889).10.1付けで、従前の知多郡共和村,桶狭間村の2村が合併して知多郡共和村が発足(愛知県における市制町村制実施による村制施行)
(b) 「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」では、M22(1889).10.1付けで、従来の知多郡共和村,桶狭間村の2村がそれぞれ単独で市制町村制実施による村制施行、その後M25(1892).9.13にこの2村が合併して知多郡共和村が発足

愛知県令ではM22.10.1付となっているのに対し、他ではすべてM25.9.13付となっています。ただし、例えば官報による明治22年12月31日付の現住人口では、知多郡桶狭間村のエントリーはありませんので、どちらかというと愛知県令の方が正しいと思われます。

愛知県に関しては、明治の種々の合併の際に色々問題が起こったことが『愛知県史』に書かれており、例えば合併後も旧村がそれぞれ独自に役所を保持し、全く合併の実態とは程遠かったとか、地租の不平等感から旧町と旧村の間に対立が生じたりだとか、明治末の大合併後も全体の町村の2割に問題があったとのことです。

【追記】この掲示板でも過去に何度か触れられていますが、愛知県の場合、実際には町村合併が行われた訳でもないのに、大字レベルでの何かしらの統合が、種々の本に合併記載されてしまっているケースが多数あるようです。また愛知県幡豆郡のケースを調べた際、間違って知多郡横須賀町の『横須賀町史』(1969年)を調べたところ、町村合併後も個々の旧町村に「区長」が置かれ続けたことが記載されており、合併後も地域分立が続いた実体が伺えます。【あくまでも推定ですが、知多郡共和村のケースも、実際には二つの旧役場が統合された日付を誤って二村合併の日付と記載してしまったと思われます。】【追記:M25(1892).9.13は有松村の町制施行の日付であり、しかも共和村大字桶狭間は有松町に編入するまで共和村の中で独立採算の運営を続けていたことも分かったので、左の文は誤りでした。】

参考までに『明治24年 徴発物件一覧表』では、愛知県知多郡共和村の明治23年(1890年)12月31日付の陸軍調査現住人口は以下のように記載されています。

市町村・大字名家屋 戸数人口 男人口 女
大字 共和318692694
大字 桶狭間125230269
共和村 計443922963

【追記2】共和村と桶狭間村の合併の経緯については『有松町史』(1956年)に詳しく載っていましたので、項を改めて記述します。いずれにせよ、M25(1892).9.13は間違いと思われます。
[93031] 2017年 7月 26日(水)21:11:42【1】YT さん
愛知県幡豆郡における町村大合併時の町→村への変更は、財政負担軽減のため
公私共に忙しく、中々書き込めない状況が続いていましたが、久々に投稿します。

[92993][92996] 通りすがり さん
[92995][93020] hmt さん
[93006] オーナー グリグリ さん

1906年5月1日付の愛知県幡豆郡における合併の際の町から村への「降格」についてですが、実際にこれら3町村の地方史を閲覧した方が事情が分かるのではないかと思い、以下の三冊の本に目を通しました。

『幡豆郡横須賀村誌』 (1924年)
『一色町誌』 (1970年)
『平坂町誌稿』 (1988年)

この内『平坂町誌稿』はほぼ地方史資料集のような感じで、この時期について全く触れられていません。また、『幡豆郡横須賀村誌』の方では、町制→村制という事実のみが触れられているのみです。一方、『一色町誌』においては、「第3編 行財政 第1章 地方自治の発展 第2節 町村制の施行 3 一色町の誕生」(231頁-232頁)に具体的な理由が書かれれていたので以下紹介します。

 前項にのべたように,憲法制定後の国家の行政指導は,短期間に全国の町村を約5分の1に減らすという大規模な町村合併を遂行した。一色地区においても,明治初年42か村が22か村になり,さらに6か村となった。その後,明治25年(1892)5月13日,一色村が単独で一色町を名乗り当地区は1町5か村となった。やがて日清,日露の両戦争を経て,日本の資本主義が益々発展の一途をたどる一方,地方財政は義務教育6年制の実施,地方産業施設の拡充,保健衛生行政の充実などで経費が膨張し,地方行政機関の財政負担はいっそう過重になった。そのため愛知県では,その負担軽減を町村合併による規模の拡大で,財政の基盤を固めようとして,明治38年(1905)訓令を発した。この方針に基づいて,一色地区でも佐久島村を除く1町4か村が大合併に踏み切ったが,そのとき,県が賦課する家屋税その他課税率が,町制施行の場合より村制施行の方が低率となり,財政負担が少なくなると判断された結果,一色村を名乗った。こうして生まれた新しい村役場は,従来の一色町役場に置かれた。その後,大正12年(1923)4月,町村財政を圧迫していた郡制が廃止され,また県の町村に対する課税等の制約が撤廃されたため,同年10月1日,一色村から一色町が誕生したのである。
当時役場の記録では,
  第四八号
 本村ハ一色村トアルヲ一色町ト改メントス
     大正十二年二月二十八日提出
     幡豆郡一色村長徳倉廣吉
    大正十二年二月二十八日 可決ス
とあり,10月1日は町制施行の月日といえる。

というわけで、『一色町誌』の記述によると、町制か村制かで愛知県に納める地方税に差があり、税負担を軽減するためあえて村を名乗ったということになります。

町村制制定においては、町と村との間に制度上の差はなく、呼称は慣習に従う程度のことしか定められていなかったわけですが、愛知県においては少なくとも明治39年当時、地方税において町と村に差が設けられており、そのために少なくとも愛知県幡豆郡一色町では合併後に一色村への「降格」が行われたということとなります。

ただ、この「県が賦課する家屋税その他課税率」の具体的な内容というか、法的根拠の方ですが、国立国会図書館のデジタルコレクションで「現行愛知県令訓類集」等を見ましても、自分には見つけられませんでした。例えば明治28年の『愛知県々税課目課額並諸規則』では家屋税は市にのみかけられており、

家屋税 市 乗率個数百個ニ付 金拾六銭

とあります。

『愛知県史 第4巻』によると(以下一部新字体、現代仮名遣いに改訂)、

 独立県税として最初に述ぶべきは家屋税である。これは明治十五年の郡区部会規則に依り初めて設けられたもので、後二十三年の府県制制定の結果、府県は市部と郡部とを問わず、均しく戸数割に代え本税を賦課し得る事となった。然るに三十二年の改正府県制に於いて家屋税に関する規定が削除されると共に、同年勅令二七六号にて府県の全部又は一部の地に於ける家屋に対し、家屋税を賦課する事が許されたので、本県も三十五年度より郡部一部の町村に対し、十個に付三銭一厘の割合にてこれを賦課した。その後大正十年の勅令第四二二号府県税戸数割規則に於いて家屋税及びその附加税を戸数割及びその附加税の代替税たる事を明示したが、同十五年三月の法律第二十四号「地方税ニ関スル法律」により、家屋税及びその附加税を一般的地方税として創設する事となった。然し実施の円滑を期する為めにしばらく市町村に配賦してこれが徴収をなす事としたのである。


これだけ読んでも町と村の間に差を設けたことなどは読み取れませんが、『一色町誌』の記述が正しいのなら、愛知県幡豆郡における「郡部一部の町村」=「町制を敷いた地区のみ」ということになります。

なお余談ですが、地方史を調べる前に当時の新聞記事のデータベースを調べたことがあったのですが、1906年4月から7月にかけて、「愛知県下町村合併問題」に関する便宜を図ったことによる収賄事件が発生し、愛知県参事会員5人が逮捕され、有罪となる事件が発生しております。この収賄事件に対する報復として、村への降格が行われたのかと邪推したのですが、どうも違ったようです。

【誤字修正】
[91228] 2016年 8月 17日(水)18:49:09YT さん
私個人の受験事情2
[91218] ぺとぺと さん
[91222] みかちゅう さん
[91223] Takashi さん

最近忙しくて書き込んでおりませんでしたが、余りにも自分に身近だった話題が展開されているので、出張先の国外のホテルから書き込みます。

まず、私個人の特殊事情についてとして
・1973年生まれのいわゆる第2次ベビーブーム世代であること

私も同い年です。生まれは埼玉県浦和市ですが、すぐに神奈川県川崎市麻生区に引っ越しました。

私には兄がおりますが、普通に公立中学に通い、川崎市全域を学区とする公立高校に進学し、大学受験をしました。ところが私の場合は中学受験をした方が良いという話となりました。というのは、小学生の頃の私は誰がどうみても運動神経ゼロで、体育の成績も五段階評価で「一」か「二」で、それより上を取ったことはありません。なお当時の川崎市立小学校は完全な相対評価で、クラスに必ず「一」の評価の人と「五」の評価の人がそれぞれ2名ずついました。ですがこの方式は時代によっても異なるもののようで、若い学生に「自分は小学校の頃、体育の成績だけは五段階評価で一か二だった」と話題を振ると、「体育の授業中に何か問題行動を起こしていたんですか?」という返事が返って来たりするんですよね…。現在は問題行動を起こすとかでない限り、「一」の評価を得ることはないようです。しかしながら同い年の別の県出身者の人も、五段階評価で「一」を取るのはよほどのことだったと言っていましたから、地域によっても評価方法は異なるようです。

当時の神奈川県は、アテストなる試験が中学二年であり、それと内申点と入試で合否が判定されるのですが、川崎市内を学区とする某公立高校の場合、中学時代の体育の成績が2倍で計算されるので、体育が苦手な子供には不利でした。そこで私は中学受験した方が良いという話となり、都内の某国立大学附属と、都内の某私立中高一貫校を受験しました。某国立大学附属の方はくじ引きで落ち(当時は倍率50倍で、くじで1/7に減らし、受験で1/7に減らしていた)、中学から都内の私立中高一貫校へ通うということとなりました。結局中学以降の教育は総て都内で受け、仕事場も海外にいた時期を除きずっと都内という、神奈川都民の人生を歩んでおります。

なお自分の記憶では、自分が通っていた公立小学校のクラスメート40人弱の内、1/3の10数名が中学受験をし、実際に合格したのは自分を含めて5人でした(約13%)。現在の受験事情については全く知りませんが、[91226]を見る限り、思ったほど私立偏重が助長されて来たわけでもなさそうです。私立志向が強まって行く一方で少子化もあり、底辺の方の私立学校の経営が色々悪化しているという話も聞きます。自分も父親となったので他人事ではなくなりましたが、教育問題と経済問題、人口問題、学校経営などを絡めて色々と考察できそうですね。
[90107] 2016年 3月 25日(金)00:18:20【1】YT さん
西八代郡上九一色村の扱いについて 【追記あり】
[90077][90092]オーナー グリグリさん

作成されました表を見て、一点気になった点があります。それは2006年3月1日付で甲府市と南都留郡富士河口湖町に分割された、西八代郡上九一色村の扱いについてです。

自分もかつて[82005]の中で、

上九一色村については「市区町村の変更情報」として別項目で扱われ、「分村:梯・古関」が甲府市に編入、「分村:富士ケ峰・本栖・精進」が南都留郡富士河口湖町に編入と記載されておりました。

と書いてしまいましたが、2000年以前の国勢調査報告書に記載されている「付表6 市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧」では、これらの情報は一括して同一の表で扱われており、上九一色村の一件も、人口異動を伴う境界変更データとして扱った方が良いと思います。

一応国勢調査報告書の方では、

参考6 廃置分合・境界変更・名称変更一覧(pdfファイル)

で閲覧可能です。内容は以下の3つを含み:

(1) 都道府県間の境界変更一覧(大正9年10月2日~平成22年10月1日)
(2) 市区町村の境界変更一覧(平成17年10月2日~平成22年10月1日)
(3) 市区町村の変更情報一覧(平成17年10月2日~平成22年10月1日)

上九一色村の分割については(3)の「市区町村の変更情報一覧(平成17年10月2日~平成22年10月1日)」の項にまとめられています。

都道府県名実施年月日旧市町村名合併等の内容合併,市・町制施行後の状況市区町村コード
山梨県2006.3.1東八代郡中道町,西八代郡上九一色村(分村:梯・古関)甲府市へ編入甲府市(コウフシ)19201
2006.3.1西八代郡上九一色村(分村:富士ケ峰・本栖・精進)南都留郡富士河口湖町へ編入富士河口湖町(フジカワグチコマチ)19430

2005年の国勢調査報告書以降、市区町村の変更情報一覧が独立し、これに関わる異動した人口の詳細が省かれるようになってしまったので、具体的な数字も国勢調査報告書と照らし合わせて計算する必要が出て来てしまいますが。

【追記】すみません。上九一色村については、国勢調査人口比較における人口異動を伴う組替え要因と人口組替の方では言及がありましたね。

ただ上九一色村のような分割のケースに関しても、今回作成した人口異動を伴う境界変更一覧に追加した方が良いと思います。合併の場合は、過去のそれぞれの境界内の人口を単純に足せば、現在の境界内の人口との比較による人口増加率等の算出が可能ですが、分割の場合は過去の人口との比較の際に、小地域データが無ければ按分推計という作業が必要となり、その点で小規模な地域の移動による境界変更と同じとなります。
[90087] 2016年 3月 18日(金)03:28:43YT さん
柏崎市~柏崎町の間の境域変更
[90077] オーナー グリグリさん

久々に投稿します。

3.[81966] 柏崎市と柿崎町の境界変更の異動年月日(どちらが正しい?)
[81966]では、「1989.4.1」となっています。ところが、平成3年面積調 p.81(pdf)によると、異動年月日が「平成3年(1991年)10月1日」となっています。告示は「1989.3.29自治省告示第58号」であり、この日付からは「1989.4.1」が妥当に見えます。また、平成2年(1990年)国勢調査にある昭和60年(1985年)組替人口と昭和60年(1985年)国勢調査確定人口に差があり、この境界変更による人口異動数と一致していますので、やはり「1989.4.1」が妥当に見えるのですが、面積調の異動年月日を単なる間違いだとするのも変です(平成3年の面積調に書かれていることから)。ちなみに、平成元年、平成2年の面積調にはこの境界変更の記述はありません。これはいったいどういうことでしょう。どなたかご教示いただければ。


一応国勢調査報告書の「付表5 市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧 (昭和60年10月2日~平成2年10月1日)」では、以下のように記述されています。

年月日異動地域昭和60年人口
205 柏崎市86,198
1985.10.1旧柏崎市 (205)86,020
1989.4.1旧中頸城郡柿崎町の一部(541*)178

年月日異動地域昭和60年人口
541 中頸城郡柿崎町13,294
1985.10.1旧中頸城郡柿崎町 (541)13,472
1989.4.1旧柿崎町の一部が柏崎市へ (541* to 205)-178

また「付表6 市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧 (平成2年10月2日~平成7年10月1日)」で1990年以降の境域変更を確認しましたが、人口の異動を問う/問わないに関係なく、1990.10.2~1995.10.1の間での柏崎市・柏崎町の境域変更の記載はありません。


4.[81966] 新発田市と加治川村の境界変更の異動年月日(どちらが正しい?)
[81966]では、「1989.4.1」となっています。平成2年面積調 p.83(pdf)によると、異動年月日が「平成2年(1990年)9月21日」となっています。告示も「1990.8.23自治省告示第129号」となっており、異動年月日は9月21日が妥当な気がします。ちなみに、面積調の同じページに、異動年月日が1989.4.1の加治川村と紫雲寺町の境界変更の記述があり、こちらとの取り違えではないかと推察しますが、YTさん、いかがでしょうか。なお、国勢調査の組替人口には影響はありません。


すみません。「1990.4.1」が正しく、「新発田市」の方は人口や自治体コードから言っても「北蒲原郡紫雲寺町(15309)」との書き間違いです。25人の人口の異動は北蒲原郡紫雲寺町との間で起こったことです。
[88602] 2015年 8月 9日(日)21:21:13【2】YT さん
徴発物件一覧表記載の3府4県の明治22年、明治23年末の現住人口
2ヶ月ぶりに投稿します。

以前[87941]で徴発物件一覧表記載の明治22年(1889年)12月31日、明治23年(1890年)12月31日の現住人口を、日本帝国民籍戸口表記載の本籍・現住人口、官報記載の現住人口(明治22年末, 明治23年末)と共にまとめるすることにしたと書きましたが、東京府・京都府・大阪府・神奈川県・兵庫県・長崎県・新潟県とまとめている内に、行数が15,000を超えてしまいましたので、現時点での集計状況をまとめました。以下のサイトから、LHAで圧縮された「3fu4ken.lzh」をダウンロードできます。ファイルサイズは約1Mbで、中にエクセルファイル「3fu4ken.xls」(約3.6 Mb)が入っています。

http://u6.getuploader.com/SR1gou/download/882/3fu4ken.LZH

また『明治二十四年 徴発物件一覧表』(データは明治23年末)の内、東京府を含む10ページを
こちら】
にアップロードしました(約7Mb,pdf形式)。ファイル名に日本語全角フォントを入れたところ、リンクのURLが長くなってしまいました。


前の投稿でも書きましたように、『明治二十四年 徴発物件一覧表』の特徴は、

(1) 大字別人口の記載がある。ただし、京都府・大阪府・神奈川県・長崎県・新潟県の場合は「(大字)~」と記載されているのに対し、東京府の場合は「(元)~」、兵庫県の場合は(大字)や(元)の記載なしにそのまま元町村名が記載されているようです。

(2) 北海道・沖縄・伊豆諸島・小笠原・隠岐・対馬・奄美・沖縄県の町村制未施行の町村別人口の記載がある。ただし小笠原の父島・母島内の村別人口の記載はなく、残念ながらトカラ列島の十村の人口の記載が欠落しているようです。

(3) 町村制施行前の連合戸長役場、町村制施行後の町村組合役場の所在地が分かる。ただし現状では他の史料との比較ができないため、役場移転の情報を他でチェックすることはできません。

明治22年末・明治23年末の府県別町村数に関しては、『県治事務 市町村及町村組合』の方に集計があります。今回「3fu4ken.xls」でまとめた町村数と比較したところ、京都府・大阪府・長崎県は町村数が一致しました。また兵庫県に関しては、油良村→幸世村の改称を明治22年中とカウントすることにより、「村制のまま改称」の数字が一致しました。ところが東京府と新潟県に関しては、微妙に町村数が異なる箇所があります。以下に数字をまとめますが、どうも東京府に関しては伊豆・小笠原の町村制施行前の町村数のカウントに問題があること、新潟県に関しては、石地町村・北大瀁村をめぐる問題([68959]のMIさんの調査結果参照)のほか、町村組合の解消等にからめて数字に問題が発生しているようです。

府県庁郡市町村制施行の町村役場数(M22)町村制未施行の役場数(M22)町村組合数(M22)町村制施行の町村数(M22)町村制未施行の町村数(M22)町村制施行の町村役場数(M23)町村制未施行の役場数(M23)町村組合数(M23)町村制施行の町村数(M23)町村制未施行の町村数(M23)町村増減町村役場増減町制施行村制のまま改称
東京府荏原郡19191919
東京府東多摩郡6666
東京府南豊島郡8888
東京府北豊島郡19191919
東京府南足立郡9999
東京府南葛飾郡242424241
東京府伊豆七島24242424
東京府小笠原島18584
東京府不一致0-20-70-60-7-40
東京府合計85238525852385251
新潟県北蒲原郡767676762
新潟県中蒲原郡666666661
新潟県西蒲原郡79797979
新潟県南蒲原郡543575535811
新潟県東蒲原郡12121212
新潟県三島郡43434343
新潟県古志郡51515151
新潟県北魚沼郡3213432134
新潟県南魚沼郡38547394471
新潟県中魚沼郡3535373722
新潟県刈羽郡68371692711
新潟県東頸城郡33333333
新潟県中頸城郡76767676
新潟県西頸城郡3713837138
新潟県岩船郡39393939
新潟県雑太郡20202020
新潟県加茂郡2112421124
新潟県羽茂郡14141414
新潟県不一致000-3200-311
新潟県合計79414815796148183214

なお「3fu4ken.xls」の市郡の配列は、『明治二十三年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』の各地方郡市戸口表に従い、各郡内の町村・大字の配列は、『明治二十四年 徴発物件一覧表』に従っています。大字名等はほぼ『明治二十四年 徴発物件一覧表』に従い、漢字の方は問答無用で新字体に書き換えた箇所が多々あります。また「明治二十四年徴発物件一覧表サンプル.pdf」を見ていただければわかるように、印刷が悪い箇所が多いため、町村別人口から大字別人口を除して数字をチェックするなどの、「不一致」の項目を作っています。このほか人口のおかしな点をチェックするため、日本帝国民籍戸口表記載の現住人口(内務省調査現住人口)、官報記載の現住人口、徴発物件一覧表記載の現住人口(陸軍省調査現住人口)との差もチェックしています。

日本帝国民籍戸口表の現住人口の数字が合計と一致しないのは、[82296]で説明したようにデフォルトのことです。また、例えば『明治二十四年徴発物件一覧表』記載の現住人口に関し合計と各大字別人口が一致しなかった場合、あるいは『明治二十三年 徴発物件一覧表』記載の現住人口と明治22年12月31日調の官報記載の現住人口との比較の結果、項目がずれていることが明らかな場合などには、一部人口を修正しています。とは言っても、大字と町村の人口のどちらかが間違っているか微妙な場合などは、そのまま修正せずに掲載しています。

官報と徴発物件一覧表の人口を比較した結果、明らかに数字にズレがあった場合、最小限の修正はしていますが、官報であっても、摂津国菟原郡の明治22年の町村別人口は明らかに間違っていますが(人口と町村の対応等)、修正しておりません。

また筑波大学村井研究室の歴史地理統計データとの比較もしておりますが、幾つか歴史地理統計データの入力間違いも見つけております。

総ての町村において大字別人口が記載されているわけではありませんが、最終的に表は大体7万行を超え、xlsx形式でないと対応できないことになるかも知れません。現在大体入力作業の20%~25%が終わったことになります。

【アップロードしたpdfファイルへのリンクURLが長くなり見難くなっていたので、テキストリンク機能で修正】
[87941] 2015年 6月 21日(日)17:30:32【1】YT さん
明治23年、明治24年の徴発物件一覧表について
久々に投稿します。

以前[81075]で「明治期の徴発物件一覧表」について少し紹介しましたが、改めて一橋大学経済研究所附属日本経済統計情報センター編『明治徴発物件表集成』を調べたところ、「明治二十四年 徴発物件一覧表」に凄まじい量の人口データが含まれていることを発見しました。

明治30年以前に陸軍省がまとめた一連の統計書は、近代デジタルライブラリーで閲覧可能な明治8年~明治14年の『共武政表』を含め、以下の通りです。

書誌実際の統計調査日時人口情報その他(郡・戸長役場連合等を構成する町村の名称を伺い知るもの)
明治八年共武政表(巻1-4巻5-8)明治5年~8年旧国郡別人口、人口一千名以上輻輳地人口
明治十一年共武政表明治12年1月1日調旧国郡区別人口、人口一百以上輻輳地人口
明治十二年共武政表()明治13年1月1日調旧国郡区別人口、人口一百以上輻輳地人口
明治十三年共武政表()明治14年1月1日調旧国郡区別人口、人口一百以上輻輳地人口
明治十六年徴発物件一覧表明治16年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治十七年徴発物件一覧表明治17年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治十八年徴発物件一覧表明治18年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治十九年徴発物件一覧表明治19年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治二十年徴発物件一覧表明治19年12月31日調郡区別人口、戸長役場所在地別人口戸坪数
明治二十一年徴発物件一覧表明治20年12月31日調人口データなし戸長役場所在地別戸数・戸坪数
明治二十二年徴発物件一覧表明治21年12月31日調郡区別人口、戸長役場所在地別人口戸坪数
明治二十三年徴発物件一覧表明治22年12月31日調郡市区別人口、町村別人口(戸長役場・組合単位)戸坪数
明治二十四年徴発物件一覧表明治23年12月31日調市区町村大字別人口戸坪数
明治二十六年徴発物件一覧表明治25年12月31日調郡市区別人口、町村別人口(戸長役場・組合単位)戸坪数
明治三十年徴発物件一覧表明治29年12月31日調郡市区別人口、町村別人口(戸長役場・組合単位)戸坪数

明治31年以降は『徴発物件表』と名前を替え、『明治三十四年徴発物件表』(例えば『第一師管徴発物件表』)、『明治三十六年徴発物件表』、『明治三十八年徴発物件表』(例えば『第一師管徴発物件表』)、『明治四十年徴発物件表』が出版されており、この内明治36年版以外は近代デジタルライブラリーで閲覧できるようです。また明治34年~大正元年には簡易版の『陸軍徴発物件表要覧』が出版されており、例えば近代デジタルライブラリーで閲覧可能なのは、明治34年版明治38年版明治44年版)のようです。

国勢調査開始前の人口データの内、最も標準的なのは内務省が出版し続けたもので、明治5年~明治9年調の『日本全国戸籍表』、明治10年~明治11年調の『日本全国戸口表』(ただしここまでは旧国・府藩県庁別人口のデータしか掲載されていない)、明治12年調の『日本全国郡区分人口表』、明治13年~明治19年始調の『日本全国民籍戸口表』(全部近代デジタルライブラリーで閲覧可能)、明治19年末~明治30年調の『日本全国民籍戸口表』(残念ながら明治20年~明治23年調版が近代デジタルライブラリーで閲覧できないが、『国勢調査以前日本人口統計集成』に収録)、明治31年以降5年毎の『日本帝国人口静態統計』(明治31年版は『日本帝国人口統計』で、明治36年調版明治41年調版大正2年調版大正7年調版など総て近代デジタルライブラリーで閲覧可能)があります。明治12年1月1日調の『日本全国郡区分人口表』以降、郡区別人口が掲載され続け、明治31年以降は町村別人口(ただし明治31年、明治36年の沖縄・奄美・小笠原などは間切や連合戸長役場管轄毎の集計人口に限られたりする)が掲載されています。また明治19年末~明治30年調の『日本全国民籍戸口表』には、人口1万人以上の都市人口が掲載されています([68620][68621]参照)が、個々の町村別人口までは掲載されていません。

一方で官報には、明治22年末調以降、毎年現住人口が公表されています。こちらですと明治30年以前も町村別人口を揃えることができますが、残念ながら町村制が施行されていない北海道・沖縄・その他島嶼部(伊豆・小笠原・隠岐・対馬・トカラ列島・奄美群島)に関しては町村別人口のデータが掲載されていません(例外として、町村制の導入が翌年に遅れた香川県に関しては、明治22年調でも現住人口が掲載されてます)。また内務省公表の現住人口と官報掲載の現住人口は数値が完全には一致しませんが、これは官報掲載の人口が本籍人口に対して出入寄留者を加減して求めているのに対し、内務省公表の現住人口は、さらに逃亡失踪者、陸海軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者、外国行きの者を加除して計算しているからです。ただし明治30年以前の内務省公表の現住人口の場合、郡区別人口を合算しても、府県別人口と一致しないという問題があり、同一府県内の人口移動に伴う出入寄留者の人口を、合計からわざわざ除外するという作業を行っていたせいのようです(この辺の事情については[82296]で詳しく考察しました)。

官報と内務省公表の人口データですら一致しないので、『徴発物件一覧表』のデータはそれほど価値がないと思っていました。ところが改めて明治23年版の徴発物件一覧表(データは明治22年12月31日調のもの)を閲覧し直したところ、なんと北海道、沖縄、対馬、隠岐、伊豆、小笠原、奄美に関して、人口データが掲載されていることに気付きました。人口データは組合や戸長役場連合を作っているところは、役場毎に集計されており、町村別人口は完璧にはなりませんが、逆に連合戸長役場・組合町村役場の所在地が分かります。さらに明治24年版(データは明治23年12月31日調のもの)では、組合や戸長役場連合を作っているところに関しても総て町村別人口が掲載されており、さらに町村に関しては大字別人口まで載っていました。『明治二十四年徴発物件一覧表』のデータに関しては以前[63483]でokiさんが紹介されていますが、筑波大学村井研究室の歴史地理統計データのサイトで入力されたデータの一部をダウンロードすることが可能です。しかしながらこちらのサイトに掲載されているデータは北海道、沖縄県、奄美などのデータを欠いており、入力が完成しておりません。さらにオリジナルのデータは大字別にまとめられていますが、その辺も省略されています。

というわけで現在、町村制が導入された頃である明治22年末・明治23年末調市町村・大字別現住人口の全体像を概観するため、現在この二年間の『日本全国民籍戸口表』、『官報』、『徴発物件一覧表』の本籍人口・現住人口をまとめているところです。ただ残念ながら明治23年版、明治24年版の『徴発物件一覧表』はともにトカラ列島の人口データが欠落しており、また幾つかの北海道の町村別人口の情報が抜けており、完全な表にはどうしてもならないようです。また市や大きい町の下の町丁は「大字」とは呼ばないのか、町丁別人口のデータもありません。

元々徴発物件一覧表のデータを閲覧し直すきっかけは、昭和10年より前の面積データを探すためでしたが、こちらの方は地租の対象となる総段別や町村別戸坪数の情報ぐらいしか入手できませんでした。その時点で存在した町村名のチェックには町村別戸坪数の情報が使えるかも知れませんが。

【訂正・追記:標題の数字を半角に修正。なお大字別人口ですが、多くの府県では「大字~」などという項目が作られていますが、残念ながら東京府などは「元~村」という項目が作られ、必ずしもすべての府県で大字別人口が揃っているわけでもなさそうです。】
[87464] 2015年 4月 12日(日)16:35:22【2】YT さん
昭和5年国勢調査時の面積にみられる丸め誤差
市町村別面積の最初の基礎となる資料が、『昭和十年 全国市町村別面積調』であることは言うまでもありません。ただし注意しなければならないのは、『昭和十年 全国市町村別面積調』記載の面積は昭和10年3月31日における面積であり、その後の6ヶ月間の合併・境域変更等により、国勢調査実施の昭和10年10月1日の面積とは異なる可能性があることです。ただ、幸いなことに『昭和十年 国勢調査報告 第一巻 全国編』記載の郡市別面積の方は、面積がちゃんと組み替えられております。例えば岐阜市の面積は、『昭和十年 全国市町村別面積調』では37.8 km2、『昭和十年 国勢調査報告 第一巻 全国編』では44.51 km2と、半年間の境域変更を配慮して修正されております。

一方昭和5年の国勢調査時の郡市別面積の方は、『昭和五年 国勢調査報告 第一巻』の方に小数点以下第三位まで、km2単位で記載されております。大正9年~平成22年の郡部・市部の面積については、平成22年の国勢調査報告書の方にも記載がありますが、それによると。

調査の年西暦全国面積市部面積郡部面積
昭和10年1935年382,545.425,094.53377,450.89
昭和5年1930年382,264.912,950.65379,314.26
大正14年1925年381,810.062,181.50379,628.57
大正9年1920年381,808.041,375.36380,432.69

大正9年、大正14年の郡部別面積と市部面積を合計しても、全国面積と一致しません。これは一種の丸め誤差なのですが、これには複雑な事情がからみ、時間があれば別記事でまとめます。一方昭和5年の面積については丸め誤差が発生していないようにみえます。しかしながら昭和5年の都道府県別面積(エクセルファイル)で、都道府県別面積を合計すると382,264.93 km2になってしまいますが、全国の面積合計382,264.91 km2よりも0.02 km2多くなってしまっております。実際47都道府県で[87439]の計算をしてみると、予想される丸め誤差は0.01*√(47/6/π) ≒ 0.016 となり、予想通りの誤差が出ていることなります。このような誤差が生じてしまう原因は、小数点以下第三位と小数点以下第二位の間の四捨五入に伴う丸め誤差にあります。

以下三種類の資料(A) 『昭和五年 国勢調査報告 第一巻』記載の都道府県別(郡部・市部別)面積(小数点以下第三位, km2), (B) 『昭和25年国勢調査報告 第七巻 都道府県編』記載の都道府県別(郡部・市部別)面積(小数点以下第二位, km2; 但し秋田県の郡部面積は昭和30年以降の国勢調査報告書で修正し、沖縄県の面積も昭和50年以降の国勢調査報告書記載の遡及データで追加), (C) 『昭和25年国勢調査報告 第一巻 人口総数』「第9表 地方及び都道府県の10年毎面積及び人口密度―大正9年~昭和25年」記載の都道府県別面積(小数点以下第二位, km2; 但し沖縄県の面積は昭和50年以降の国勢調査報告書記載の遡及データで追加)を比較し、それぞれの数字の差を記載すると以下の通りです。

都道府県A合計A市部A郡部B合計B市部B郡部C合計A-B合計A-B市部A-B郡部A-C合計B-C合計
全国382,264.9072,950.645379,314.262382,264.912,950.65379,314.26382,264.91-0.003-0.0050.002-0.0030.00
単純合計382,264.9072,950.645379,314.262382,264.912,950.65379,314.26382,264.93-0.003-0.0050.002-0.023-0.02
北海道88,775.036242.92088,532.11688,775.04242.9288,532.1288,775.04-0.0040.000-0.004-0.0040.00
青森県9,630.92473.7249,557.2009,630.9273.729,557.209,630.920.0040.0040.0000.0040.00
岩手県15,235.30649.72515,185.58115,235.3149.7315,185.5815,235.31-0.004-0.0050.001-0.0040.00
宮城県7,273.75453.1187,220.6367,273.7553.127,220.637,273.750.004-0.0020.0060.0040.00
秋田県11,663.86113.07911,650.78211,663.8613.0811,650.7811,663.860.001-0.0010.0020.0010.00
山形県9,325.75754.2759,271.4829,325.7654.289,271.489,325.76-0.003-0.0050.002-0.0030.00
福島県13,781.61334.19413,747.41913,781.6134.1913,747.4213,781.610.0030.004-0.0010.0030.00
茨城県6,092.2566.1696,086.0876,092.266.176,086.096,092.26-0.004-0.001-0.003-0.0040.00
栃木県6,436.58525.8506,410.7356,436.5925.856,410.746,436.59-0.0050.000-0.005-0.0050.00
群馬県6,335.82351.5926,284.2316,335.8251.596,284.236,335.820.0030.0020.0010.0030.00
埼玉県3,801.43913.3263,788.1133,801.4413.333,788.113,801.44-0.001-0.0040.003-0.0010.00
千葉県5,078.81012.3235,066.4875,078.8112.325,066.495,078.810.0000.003-0.0030.0000.00
東京都2,144.78788.5302,056.2572,144.7988.532,056.262,144.79-0.0030.000-0.003-0.0030.00
神奈川県2,353.484181.5812,171.9032,353.48181.582,171.902,353.480.0040.0010.0030.0040.00
新潟県12,578.64344.05012,534.59312,578.6444.0512,534.5912,578.640.0030.0000.0030.0030.00
富山県4,257.41927.5324,229.8874,257.4227.534,229.894,257.42-0.0010.002-0.003-0.0010.00
石川県4,197.51318.6164,178.8974,197.5118.624,178.894,197.510.003-0.0040.0070.0030.00
福井県4,017.9694.6734,013.2964,017.974.674,013.304,017.97-0.0010.003-0.004-0.0010.00
山梨県4,465.8668.2674,457.5994,465.878.274,457.604,465.87-0.004-0.003-0.001-0.0040.00
長野県13,604.18170.57813,533.60313,604.1870.5813,533.6013,604.180.001-0.0020.0030.0010.00
岐阜県10,494.70114.59110,480.11010,494.7014.5910,480.1110,494.700.0010.0010.0000.0010.00
静岡県7,769.91289.9037,680.0097,769.9189.907,680.017,769.910.0020.003-0.0010.0020.00
愛知県5,081.142250.7104,830.4325,081.14250.714,830.435,081.140.0020.0000.0020.0020.00
三重県5,765.34189.6115,675.7305,765.3489.615,675.735,765.340.0010.0010.0000.0010.00
滋賀県4,050.92921.9484,028.9814,050.9321.954,028.984,050.93-0.001-0.0020.001-0.0010.00
京都府4,623.19663.3134,559.8834,623.2063.314,559.894,623.20-0.0040.003-0.007-0.0040.00
大阪府1,812.631204.9321,607.6991,812.63204.931,607.701,812.630.0010.002-0.0010.0010.00
兵庫県8,321.875115.1678,206.7088,321.88115.178,206.718,321.88-0.005-0.003-0.002-0.0050.00
奈良県3,688.60029.7983,658.8023,688.6029.803,658.803,688.600.000-0.0020.0020.0000.00
和歌山県4,723.42317.6754,705.7484,723.4217.684,705.744,723.420.003-0.0050.0080.0030.00
鳥取県3,489.48113.8803,475.6013,489.4813.883,475.603,489.480.0010.0000.0010.0010.00
島根県6,618.0425.4916,612.5516,618.045.496,612.556,618.040.0020.0010.0010.0020.00
岡山県7,046.47582.3466,964.1297,046.4782.346,964.137,046.480.0050.006-0.001-0.005-0.01
広島県8,436.517128.1548,308.3638,436.52128.158,308.378,436.52-0.0030.004-0.007-0.0030.00
山口県6,082.10896.6905,985.4186,082.1196.695,985.426,082.11-0.0020.000-0.002-0.0020.00
徳島県4,143.22119.3104,123.9114,143.2219.314,123.914,143.220.0010.0000.0010.0010.00
香川県1,858.73022.0401,836.6901,858.7322.041,836.691,858.730.0000.0000.0000.0000.00
愛媛県5,667.10869.8375,597.2715,667.1169.845,597.275,667.11-0.002-0.0030.001-0.0020.00
高知県7,103.62029.0277,074.5937,103.6229.037,074.597,103.620.000-0.0030.0030.0000.00
福岡県4,939.646229.6264,710.0204,939.65229.634,710.024,939.65-0.004-0.0040.000-0.0040.00
佐賀県2,443.8979.1312,434.7662,443.909.132,434.772,443.90-0.0030.001-0.004-0.0030.00
長崎県4,075.77791.9023,983.8754,075.7891.903,983.884,075.78-0.0030.002-0.005-0.0030.00
熊本県7,437.72337.4487,400.2757,437.7237.457,400.277,437.720.003-0.0020.0050.0030.00
大分県6,333.88058.0856,275.7956,333.8758.086,275.796,333.880.0100.0050.0050.000-0.01
宮崎県7,738.29564.5787,673.7177,738.3064.587,673.727,738.30-0.005-0.002-0.003-0.0050.00
鹿児島県9,081.32313.7739,067.5509,081.3213.779,067.559,081.320.0030.0030.0000.0030.00
沖縄県2,386.2887.5572,378.7312,386.297.562,378.732,386.29-0.002-0.0030.001-0.0020.00

昭和25年以降の国勢調査報告書記載の過去の都道府県別面積(資料(C))に関しては、単純に昭和5年の国勢調査時の面積(資料(A))を小数点以下第三位で四捨五入をしたため、合計と全国の間に丸め誤差が発生したことが判ります。ところが昭和25年以降の国勢調査報告書記載の過去の郡部・市部別面積(資料(B))に関しては、昭和5年の国勢調査時の郡部・市部別面積(資料(A))を単純には四捨五入せずに、郡部面積、市部面積の合計が一致するように、端数を操作しており、結果、岡山県と大分県では都道府県別面積が却って四捨五入した値とずれるが、全国合計では一致するように数値が操作されております。大分県と岡山県に関し、異なる昭和5年の都道府県別面積(小数点以下第二位, km2)を載せているのは昭和25年の国勢調査報告書だけではなく、その後も二種類の異なる面積が国勢調査報告書に記載され続けています。

そもそも昭和5年の国勢調査報告書記載の面積(資料(A))が、市部・郡部・合計ともに丸め誤差が全くない時点で数字上おかしいのですが、下三桁を下二桁に四捨五入する際、実際には四捨五入以外の恣意的な操作により、合計が一致するように調整していたことが判るかと思います。

【文章の一部を不自然なのでカットし修正】
[87463] 2015年 4月 12日(日)15:16:44【6】YT さん
戦前の国勢調査時の面積の記載について:大正9年、大正14年国勢調査時の面積の数字に関する重大な問題点
以前、戦前の国勢調査報告書における市区町村別面積について[84575]でまとめましたが、一部修正して改めて掲載します。

報告書都道庁府県別面積支庁・郡市別面積市区町村別面積記載の桁数原資料
大正9年国勢調査○【km2・方里】××小数点以下第三位『大正九年 国勢調査記述編』
○【方里】××小数点以下第三位『大正九年 国勢調査報告 全国の部 第一巻』
△【方里】△【方里】×小数点以下第一位~第三桁『大正九年 国勢調査報告 府県の部』
○【方里】○【方里】×小数点以下第三位国立公文書館所蔵『大正九年十月現在 日本全国道府県郡市別面積 参謀本部調査』
大正14年国勢調査○【km2】××小数点以下第三位『大正十四年 国勢調査報告 第一巻 記述編』
○【方里】○【方里】×小数点以下第三位『大正十四年国勢調査報告 第二巻 全国結果表』
○【方里】○【方里】×小数点以下第三位国立公文書館所蔵『大正十四年国勢調査(速報) 大正十四年現在ノ帝国面積 人口課』
昭和5年国勢調査○【km2】○【km2】×小数点以下第三位『昭和五年 国勢調査報告 第一巻』
昭和10年国勢調査○【km2】○【km2】×小数点以下第二位『昭和十年 国勢調査報告 第一巻 全国編』
昭和15年国勢調査×××なし
昭和19年人口調査×××なし
昭和20年人口調査×××なし
昭和21年人口調査×××なし
昭和22年臨時国勢調査×××なし
昭和25年国勢調査○【km2】○【km2】○【km2】小数点以下第二位『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』
昭和30年国勢調査報告○【km2】○【km2】○【km2】小数点以下第二位『昭和30年国勢調査報告 全国都道府県郡市区町村別面積改定表』 ほか

以上のほか、大正9年~昭和22年の各都道府県の郡部合計、市部合計の面積は、『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』や、それ以降の国勢調査報告書の府県の部などに、小数点以下第二位までkm2単位で記載されています。

[84575]で、
大正9年の国勢調査報告には、庁府県別の面積しかありません。
と書いてしまいましたが、その後、大正9年の国勢調査報告書の『府県の部』を手に取ってみましたところ、市郡別面積が方里単位でまとまっていたことに気付きました。しかしながら府県によっては、小数点以下第一位だったり、小数点以下第三位だったりと一定ではありませし、一部の府県では面積の記述が欠落しています。さらに『記述編』記載の都道府県別面積(方里)と、『府県の部』記載の面積(方里)が一致しない府県が多々存在するという問題が見受けられます。

その後、国立公文書館に『大正九年十月現在 日本全国道府県郡市別面積 参謀本部調査』という資料があることを知り、喜んで閲覧しました。これにより大正9年国勢調査時の全国の郡市別面積(ただし北海道は支庁別)データが小数点以下第三位で揃いました。しかしながら困ったことに、国立公文書館所蔵『参謀本部調査』、『府県の部』、『記述編』の三点の面積が全部異なる府県が存在することも明らかになりました。

更に『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』記載の都道府県別面積は、『記述編』記載の都道府県別面積とほぼ一致しますが、郡部合計・市部合計の面積は国立公文書館所蔵『参謀本部調査』、『府県の部』とも異なり、国勢調査とその関連文献だけで3種類の異なるデータ(内、郡市別面積の詳細が記載されているのが2種類、合計だけ記載されているのが1種類)が存在することが明らかとなりました。

このほか、戦前の人口問題研究会がまとめた『日本人口密度図』(1934年)という本に大正9年、14年、昭和5年の郡市別面積がまとまっていますが、こちらは昭和5年の面積を大正9年、大正14年に遡及させて計算しており、大正9年、大正14年に関しては全く別系統の面積の数字となっております。

さらに石橋五郎監修, 小野鐵二編纂『大正九年十月一日現在 大日本郡市別人口密度表 近畿地方町村別人口密度表』(1924年)という本があり、地方統計書や地図からの独自計算により、陸軍参謀本部公式の数字を訂正したりしているのですが、これも完全に別系統の面積の数字ということになります。

以上、大正9年の郡市別面積の資料別のデータ記載状況をまとめると:

資料郡部・市部合計値郡市別面積備考
『大正九年十月現在 日本全国道府県郡市別面積 参謀本部調査』小数点以下第三位(方里)小数点以下第三位(方里)系統1a (速報値?)
『大正九年 国勢調査報告 府県の部』不完全不完全系統1a' (上の速報値を極一部修正したもので、こちらの方が速報値の可能性あり)
『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』 小数点以下第二位(km2)なし系統1b' (各都道府県別の郡部・市部合計値の記載のみ;上の速報値を大幅に修正したもの)
『日本人口密度図』小数点以下第二位(km2)小数点以下第二位(km2)系統2 (昭和5年からの遡及データ)
『大正九年十月一日現在 大日本郡市別人口密度表 近畿地方町村別人口密度表』小数点以下第二位(km2)小数点以下第二位(km2)系統3 (独自集計)

大正14年の面積でも同様の問題があり、まず同じ国勢調査でも、『全国結果表』と『記述編』では数字が異なり、『全国結果表』記載の面積に1方里=(216/55)^2 方粁(km2)≒ 15.4234711 km2として変換しても、『記述編』の面積と一致しません。これについてこちらの『記述編』の説明によると
内地ノ面積ハ河川及湖沼ヲ含ム總面積ニシテ陸地測量部ノ調査ニ係ルモノナリ。而シテ此ノ面積ハ最新ノ改調又ハ修正測図ニ依リタルヲ以テ既ニ公表ノ第二巻全国結果表ニ掲ゲタルモノト必ズシモ符合セズ。
とあり、『全国結果表』の面積は速報値ということなります。

なお国立公文書館所蔵『大正十四年国勢調査(速報) 大正十四年現在ノ帝国面積 人口課』記載の郡市別面積は、完全に『全国結果表』記載の郡市別面積と一致しました。一方で『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』記載の都道府県別面積は、『記述編』記載の都道府県別面積とほぼ一致するものの、郡部合計・市部合計の面積(それぞれ2,181.50km2, 379,628.57 km2;沖縄県の面積は昭和50年以降の国勢調査報告書記載の数字で加算)は『記述編』(それぞれ 2,181.264 km2, 379,628.798 km2)と若干異なります。もっともその違いは0.23 km2~0.24 km2とごく僅かで、一府県の修正が入った程度ということになります。このことから大正14年の郡市別面積は、郡市別の詳細な数字の残っている1種類と、合計値だけ判明している修正された1種類の、合計2種類の系統があることになります。

これとは別に石橋五郎監修, 小野鐵二編纂『大正九年十月一日現在 大日本郡市別人口密度表 近畿地方町村別人口密度表』にも大正14年の郡市別面積の記載がありますが、数字が異なります。

以上、大正14年の郡市別面積の資料別のデータ記載状況をまとめると:

資料郡部・市部合計値郡市別面積備考
『大正十四年国勢調査報告 第二巻 全国結果表』小数点以下第三位(方里)小数点以下第三位(方里)系統1a (速報値)
『大正十四年国勢調査(速報) 大正十四年現在ノ帝国面積 人口課』小数点以下第三位(方里)小数点以下第三位(方里)系統1a (上に同じ)
『大正十四年 国勢調査報告 第一巻 記述編』小数点以下第二位(km2)なし系統1b(上の速報値を修正したものだが、全国の郡部・市部面積合計値のみ記載)
『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』 小数点以下第二位(km2)なし系統1b' (各都道府県別の郡部・市部合計値の記載のみ;『記述編』記載の全国合計との差は微細)
『日本人口密度図』小数点以下第二位(km2)小数点以下第二位(km2)系統2 (昭和5年からの遡及データ)


さらに今や近代デジタルライブラリーで種々の地方統計書の閲覧が可能ですが、これらの数字が異なる郡市別面積について、地方統計書で数字を補正しようと試みました。しかしながら残念なことに地方統計書は府県によって数字に統一がなく、場合によっては税金の対象となる土地総段別の面積のみしか情報がないところが多いようです。地方統計書に関しては、府県によっては参考になる場合があるものの、上の表から除外しました。

というわけで、大正9年、大正14年の国勢調査時の面積については、郡市別面積ですらまともに公式のデータ、すなわち陸軍参謀本部陸地測量部が公表したとされる面積すら揃えることができないという状況です。

【少数→小数に修正】【大正14年の国勢調査の『記述編』・『全国結果表』の説明が反転していたので大幅修正し、大正9年、大正14年の国勢調査時の面積について資料系統の説明を一部修正】
[87449] 2015年 4月 3日(金)18:47:54【1】YT さん
正規分布とのズレについて
[87448] オーナー グリグリさん
都道府県別の面積の丸め誤差をまとめて頂きありがとうございます。

以上の結果によると、全国の合計値の誤差(n=1921)が、0.25km2 となっていますが、[87439]における誤差(n=2000)の平均値 0.10km2 から大きく外れています。どこかに落とし穴があるのでしょうかねぇ。


|m| = a√{n/(6π)} = 0.1009... ≒ 0.10 km2 (n = 1921, a = 0.01)

は、蓄積された丸め誤差の平均(期待値)の絶対値です。蓄積された丸め誤差の標準偏差自体は

σ = a√(n/12) = 0.1265... ≒ 0.13 km2 (n = 1921, a = 0.01)

です。連続一様分布(アーウィン・ホール分布)に関しては、英語版のwikipediaに分かりやすい図と式がありました。を見ればわかるように、n ~ 8ぐらいで十分正規分布近似が可能となります。また説明にはvariance (分散, σ^2) = n/12 とありますが、この場合0から1までの連続一様分布を足した場合の分散であり、0~1とは限らない範囲0 ~ a(n回足せば、0 ~ naの範囲となる)であれば、分散σ^2 = a^2*n/12となり、標準偏差σは分散σ^2の平方根となるσ = a√(n/12)と表現されることになります。

全国の市区町村等別面積の合計と全国の面積との差である+0.25 km2は、一応±2σの範囲に収まり(正確には+0.245~+0.255の範囲を考慮すると、1.936σ~2.015σとなりますが)、受験でおなじみの偏差値であらわすのなら、偏差値69.8に相当する(正確には偏差値69.36~70.15の範囲)ので、多少丸め誤差の蓄積が予想よりも多めですが、一応許容範囲ではあると思われます。

[87439]のモデル表で言えば、丸め誤差が全く生じない確率(±0.005以下)は3%に過ぎない。
しかしながら生じる丸め誤差で一番確率が高いのは、±0.01 km2で、約6%の確率。
±0.10 km2の誤差が生じる確率は約5%程度だが、±0.10 km2以内に誤差が収まる確率は58%。±0.10 km2よりも誤差が大きくなる可能性は42%。
±0.25 km2の誤差が生じる確率はわずか1%だが、±0.25km2よりも誤差が大きく出る確率も、まだ5%あるという感じです。

都道府県別の[87448]のデータを使って、それぞれの実際の丸め誤差を、標本数から予測される標準偏差で割り、ズレを計算してみると:

ズレ都道府数割合(%)正規分布から期待される割合(%)
±3σ以上00.00.3
±2~3σ714.94.3
±1~2σ1123.427.2
±1σ以内2961.768.3

2σから3σまでずれる県が7県と、若干多いようです。ただし±3σ以上ずれている県はありません。具体的には以下の7県です。

都道府県誤差m, km2標本数n予測される標準偏差σ, km2ズレ
群馬県+0.05350.0171+2.93σ
富山県+0.03150.0112+2.68σ
佐賀県+0.03200.0129+2.32σ
新潟県-0.04370.0176-2.28σ
沖縄県+0.04420.0187+2.14σ
鹿児島県-0.04450.0194-2.07σ
埼玉県+0.05720.0245+2.04σ

こうやって並べてみると、確かに群馬県の誤差は大きいと言えます。また二番目の富山県などは、市町村数がたった15なのに、+0.03 km2も誤差が出ています。これらはありえないほど大きい誤差が出ていると言うほどではないが、やはり何かしら恣意的な原因もあるという可能性も否定できませんし、これだけのデータだけでは何とも言えません。あるいは四捨五入の際に、切り捨てというプロセスが混入してしまっている可能性もあるかもしれません。

群馬県・埼玉県については、[87423]でhmt さんが、m2単位のデータがあったことを指摘されていますが、もしかしたら具体的にどの辺が四捨五入の処理で問題になっているのか、あるいは単なる偶然なのか指摘できるかもしれません。

【±3σ以上の正規分布における割合を0.3%に修正、その他文章の一部を修正】
[87439] 2015年 3月 31日(火)23:39:06【4】YT さん
四捨五入に伴う面積の合計の丸め誤差についての統計学的考察
最近面積の改訂の話題が出ているので、久々に投稿します。

本来であれば面積は連続値であり、四捨五入に伴う丸め誤差が蓄積される結果、個々の自治体の面積の合計と国土の面積はズレて当たり前です。しかしながら2013年以前の国勢調査記載の面積の数字や陸軍参謀本部の調査による面積の数字においては、そのような丸め誤差が全くなく、市区町村別の面積の合計と、市郡別、都道府県別、国土の面積が完全に一致します (合衆国統治の琉球・沖縄の面積や1945年・1947年の面積などは、公式の数字で色々ズレがあるのですが、まあこれは除外して考えます)。平成26年の面積の改訂により、むしろ正しい面積の表記になったわけですが、チェックがし辛いという別の問題も出たわけですね。

面積の合計に伴う丸め誤差について、以前自分も[85659]で大雑把に見積もりましたが、

小数点以下第3位で四捨五入しているとすると、本当の面積のデータは±0.005 km2の範囲に存在し、四捨五入後の値との誤差の絶対値の平均は0.0025 km2となります。

ここの部分でズボラな結論で誤差を見積もったのですが、数学的な誤りがありました。そこで改めて四捨五入に伴う面積の合計の丸め誤差について見積もり直してみました。一応高校卒業レベルの微積・確率統計の知識で理解できる内容だと思います。

今、平均値m = 0で、±a/2の間に収まる連続一様分布を仮定します。∫f1(x)dx = 1になるように確率密度関数f1(x)を規格化すると、

|x| ≦ a/2: f1(x) = 1/a
|x| > a/2: f1(x) = 0 ...(1)

と表現できます。確率密度関数f1(x)の分散(σ1)^2は、[85659]で示したように(a/4)^2では誤りであり、ちゃんと積分により計算すると、

(σ1)^2 = ∫(x - m)^2*f1(x)dx (但し -∞ < x < +∞)
= 1/a ∫x^2dx (式(1)を代入, 但し -a/2 ≦ x ≦ a/2)
= a^2/12 ...(2)

さて、f1(x)同士を2つ足し合わせた時の確率密度関数f2(x)は、

|x| ≦ a: f2(x) = (a - |x|)/a^2
|x| > a: f2(x) = 0 ...(3)

分散(σ2)^2は
(σ2)^2 = ∫(x - m)^2*f2(x)dx (但し -∞ <x < +∞)
= 2/a^2 ∫ -x^3 + ax^2 dx (式(3)を代入, 但し 0 ≦ x ≦ a)
= a^2/6 (= 2*(σ1)^2) ...(4)

さらに3個、4個、…n個と、この確率密度関数を足し合わせていくと、確率密度関数fn(x)は、パスカルの三角形の組み合わせで継ぎ合わさったような、カクカクの複雑な多次多項式となります(アーウィン=ホール Irwin-Hall 分布)。ただしnが十分大きければ、確率密度関数は正規分布に近似できます。ここで分散(σn)^2は、個々の分散(σ1)^2の和なので、

(σn)^2 = n*a^2/12 ...(5)

となるはずです。実際n = 2の時も成立することを、式(4)で確認しました。

2013年以前の市町村別面積も小数第三位で四捨五入されており、±0.005 km2の誤差を含むはずです。よってn = 約2000の市区町村等の面積の合計であれば、a = 0.01 km2なので、(5)式に代入することにより、真の面積との間の丸め誤差の標準偏差は

σn = √(2000 × 0.01^2/12) ≒ 0.12909944 (km2)

になり、また丸め誤差の誤差分布も、σ ≒ 0.129 km2の正規分布に近似できることになるはずです。2000の自治体を合計した結果、小数点以下第2位まで一致する確率、すなわち± 0.005 km2の間に面積が入る確率は、標準正規分布のZ ≒ ±0.038729833 (≒ 0.005/0.12909944)の間に入る確率です。この範囲に入る割合は、エクセルのNORM関数を使って計算すると約3.0894%と求められます。つまり、2010年頃の約2000の市町村別等の面積の合計が、日本全国の面積の合計に一致する確率はわずか3%程度で、本当に面積が純粋な四捨五入だけで求めているのであれば「ありえない」確率ということになります。

また実数からどの程度ずれが生じてしまうかですが、平均が0、標準偏差がσとなるような正規分布の確率密度関数f(x)は、次のように表現できます。

f(x) = 1/√(2πσ^2) * exp {-x^2/(2σ^2)}...(6)

よってズレの平均値mは 0 ≦ x < +∞ の範囲のみを考えると、

m+ = ∫xf(x)dx (但し 0 ≦ x < +∞)
= 1/√(2πσ^2) ∫ x exp {-x^2/(2σ^2)} dx (式(6)を代入) ...(7)

ここでt = x^2/(2σ^2), x dx = σ^2 dt ...(8)と置いて(7)式に代入すると

m+ = σ/√(2π) ∫exp(-t) dt
= σ/√(2π)[exp{-x^2/(2σ^2)}] (但し 0 ≦ x < +∞)
= σ/√(2π) ... (9)

同じように負側の平均を積分で求めると、m- = -σ/√(2π) となり、合計m = m+ + m- = 0で平均はゼロになってしまいます。元々平均がゼロになる確率密度関数を選んでますので当たり前のことです。しかしながら、我々にとって正にズレようが負にズレようが、ズレていることには変わりなく、重要なのはズレxの絶対値の平均|m| = |m+| + |m-|です。よって

|m| = |m+| + |m-| = σ√(2/π) ...(10)

ここでσ = σn とすると、式(5)より

|m| = a √{n/(6π)} ...(11)

n = 2000, a = 0.01とすると、

|m| ≒ 0.10300645

というわけで、2000の自治体の面積の合計した際に生じる丸め誤差の平均を見積もっても、せいぜい±0.10 km2程度という結論がでます。

エクセルのNORM関数を使って、もう少し詳しくモデル計算(n = 2000)をしますと以下の通りです。

面積のズレ(km2)実数との差(km2)割合(%)割合の累積(%)標準偏差の累積σ(面積のズレの絶対値)×(割合)の累積(km2)
±0.00±0.000~0.0053.0893.0890.03870.00000
±0.01±0.005~0.0156.1609.2500.11620.00062
±0.02±0.015~0.0256.10515.3550.19360.00184
±0.03±0.025~0.0356.01421.3690.27110.00364
±0.04±0.035~0.0455.88927.2590.34860.00600
±0.05±0.045~0.0555.73332.9910.42600.00886
±0.06±0.055~0.0655.54738.5380.50350.01219
±0.07±0.065~0.0755.33543.8720.58090.01593
±0.08±0.075~0.0855.10048.9720.65840.02001
±0.09±0.085~0.0954.84653.8190.73590.02437
±0.10±0.095~0.1054.57858.3970.81330.02895
±0.11±0.105~0.1154.29962.6960.89080.03367
±0.12±0.115~0.1254.01266.7080.96820.03849
±0.13±0.125~0.1353.72270.4301.04570.04333
±0.14±0.135~0.1453.43373.8631.12320.04813
±0.15±0.145~0.1553.14777.0101.20060.05285
±0.16±0.155~0.1652.86879.8781.27810.05744
±0.17±0.165~0.1752.59882.4761.35550.06186
±0.18±0.175~0.1852.33984.8141.43300.06607
±0.19±0.185~0.1952.09386.9071.51050.07005
±0.20±0.195~0.2051.86288.7701.58790.07377
±0.21±0.205~0.2151.64790.4161.66540.07723
±0.22±0.215~0.2251.44891.8641.74280.08041
±0.23±0.225~0.2351.26593.1291.82030.08332
±0.24±0.235~0.2451.09994.2271.89780.08596
±0.25±0.245~0.2550.94895.1761.97520.08833
±0.26±0.255~0.2650.81495.9902.05270.09045
±0.27±0.265~0.2750.69496.6842.13010.09232
±0.28±0.275~0.2850.58997.2732.20760.09397
±0.29±0.285~0.2950.49697.7692.28510.09541
±0.30±0.295~0.3050.41698.1852.36250.09666
±0.31±0.305~0.3150.34698.5312.44000.09773
±0.32±0.315~0.3250.28798.8182.51740.09865
±0.33±0.325~0.3350.23699.0542.59490.09943
±0.34±0.335~0.3450.19399.2472.67240.10008
±0.35±0.345~0.3550.15799.4042.74980.10063
±0.36±0.355~0.3650.12799.5312.82730.10109
±0.37±0.365~0.3750.10299.6322.90470.10146
±0.38±0.375~0.3850.08199.7142.98220.10177
±0.39±0.385~0.3950.06599.7783.05970.10203
±0.40±0.395~0.4050.05199.8293.13710.10223
±0.41±0.405~0.4150.04099.8693.21460.10239
±0.42±0.415~0.4250.03199.9013.29200.10252
±0.43±0.425~0.4350.02499.9253.36950.10263
±0.44±0.435~0.4450.01999.9433.44700.10271
±0.45±0.445~0.4550.01499.9583.52440.10277
±0.46±0.455~0.4650.01199.9683.60190.10282
±0.47±0.465~0.4750.00899.9773.67930.10286
±0.48±0.475~0.4850.00699.9833.75680.10289
±0.49±0.485~0.4950.00599.9873.83430.10291
±0.50±0.495~0.5050.00399.9913.91170.10293

ズレが±0.00の割合と±0.01の割合では後者の方が倍近くになりますが、これは四捨五入して±0.01になる範囲が四捨五入して±0.00になる範囲の倍存在するからで、ここから値が大きくなるほど割合自体は減ります。50%の確率でズレは約±0.6745σ ≒ ±0.087 km2の間に入り、標準偏差 ±1σ ≒ ±0.129 km2の範囲に収まる確率は約68.27%となりますが、ズレの値にそれぞれの予想される割合を乗じて合計することで求まる、ズレの絶対値の平均はσ√(2/π) ≒ 0.7979σ ≒ 0.103 km2に収束します。

このようにちゃんと計算すると、モデル(小数点以下第三位で四捨五入し、2000個合計した場合)における丸め誤差の標準偏差σ = a√(n/12)≒ 0.13 km2 と、絶対値のみを考慮した場合の丸め誤差の平均値|m| = σ√(2/π) ≒ 0.10 km2 は一致しません。まあ[85659]で見積もった

2000前後の自治体でこの誤差を合算すると、二項分布を考えれば全国の面積合計で√2000 × 0.0025 ≒ 0.11 km2程度の丸め誤差は出て当たり前のはずですが、

の数字ともそんなに違わない値となりましたが、より正しい議論をすると以上のようになります。

以上をまとめると、小数点以下第三位で四捨五入した面積を約2000ほど足した場合、真の値との間に0.01 km2の誤差すら生じない確率はほとんどありえない(約3%程度)が、実際のズレは平均すると±0.10 km2程度ということになります。市区町村とその他未確定地域が合計約1万2000あった昭和10年の国勢調査であれば、丸め誤差の絶対値は平均0.25 km2にまで拡大します。1950年から2010年までの国勢調査報告書に記載の面積においては、総ての市区町村と未確定地域の面積の合計が全国・都道府県・郡市別面積と小数点以下第二位まで完全に一致しており、いささかの丸め誤差も存在しません。つまり2013年以前の面積調では、合計が一致するように端数を適当に処理し、実数とは異なる面積を公表していたことになります。
【追加修正:表に色々数字を追記し、説明文を修正】
[86844] 2014年 12月 28日(日)23:22:42YT さん
メンバー紹介について
[86808] オーナーグリグルさん
[86815] かぱぷうさん

最近生活環境が大いに変わり、落書き帳に余り書き込めておりませんYTです。というか、プライベートの方で非常に目出度いことがあったのですが、その結果として深夜にネットを閲覧したり書き込んだりするようなことができなくなったのです。

というわけで、[86806]のじゃごたろさんの書き込みと同様、私のメンバー紹介のところの、
書き込みの時間は深夜帯が多く、
文章作成中に睡魔が襲ってこないかを心配する向きもあるが、
睡眠の誘惑に打ち勝っている模様。

という部分が事実とは異なる状況になりつつあるので(まあ、数字や長文、歴史系の話題が多い傾向は続くでしょうが)、できれば深夜の書き込み云々の部分は適当にカットして頂くようお願いします。再び深夜に書き込むようになっていたら、それはプライベートが元に戻った時でしょう…

というわけで、オーナーグリグリ様、今後は書き込み頻度や情報の更新速度が相当遅くなるかと思いますが、今後ともよろしくお願いします。
[86490] 2014年 10月 26日(日)01:08:25【1】YT さん
アボガドロ数について
[86482] hmt さん

「N=6022垓1417京9千兆個の粒子を1モルとして纏めて扱う」


ちょっと地理の話題から脱線しますが、この手の基礎物理定数はCODATA (Committee on Data for Science and Technology; 科学技術データ委員会)が定期的(4年毎)に改訂するものです。hmt さんが書かれたアボガドロ数
NA = 6.02214179(30) × 10^23 mol^-1
は、2006年のCODATAの推奨値で、最新の2010年のCODATA推奨値によるアボガドロ数は、
NA = 6.02214129(27) × 10^23 mol^-1 (定数に対する標準誤差は4.4 × 10^-8)
となっております。

また2010 CODATAには間に合いませんでしたが、ケイ素の単結晶の解析(Andreas, B. et al. Phys. Rev. Lett. 2011, 106, 30801; Metrologia 2011, 48, S1)により、
NA = 6.02214082(18) × 10^23 mol^-1 (定数に対する標準誤差は3.0 × 10^-8; なおPRLの論文では NA = 6.02214078(18) × 10^23 mol^-1となっていた)
という実験結果が得られております。2014年のCODATAの第24回会議は来月11月上旬にニューデリーで開催される予定であり、その際にアボガドロ数の改訂が行われることになると思います。なおCODATAの会議は、1996年に日本の筑波で開催されたこともあるようです。

ところで上のアボガドロ数は、ケイ素の単結晶の解析実験により得ら得れた数字ですが、これはSI基本単位である「キログラム」や「モル」の再定義と直結する、極めて重要な問題を含んでおり、1ヶ月後には「定義値」になるかも知れません。

SI単位系といえば、長さがメートル(m)、質量がキログラム(kg)、時間が秒(s)、電流が(A)、温度が(K)、物質量がモル(mol)、光度がカンデラ(cd)ですが、この中で一番正確な定義がなされているのが、セシウム原子時計によって定義されている「秒」です。ただ原子時計に用いられるセシウム核種に混ざる不純物により、2.5 × 10^-11程度の相対的な誤差が出る可能性があり、将来的には定義に用いられる原子時計の核種が変わる可能性があります。

SI単位系ではおそらく一番馴染みが深いのが「メートル」でしょうが、現在はメートル原器ではなく、真空中の光速度による定義に変わっています。「真空中で「1秒」の299792458分の1の時間に光が進む行程の長さ」と定義文にあるように、長さの基本単位「メートル」は時間の基本単位である「秒」により定義されており、相対誤差(10^-10)も、時間の誤差よりも大きくなります。

「アンペア」と「カンデラ」の定義には「メートル」、「キログラム」(キログラムの定義については後述)、「秒」が、「モル」の定義にはアボガドロ数を介して「キログラム」が関わってきますので、これらの単位系の相対誤差は「メートル」、「キログラム」、「秒」よりも悪いものとなります。

温度の「ケルビン」は、「水の三重点の熱力学温度の 273.16分の1」という定義がなされていますが、そもそも温度というのは視覚的な測定が難しいため、建前上の定義と実用の間に大きな差があります。一応温度に関しては、測定温度範囲毎に膨張率の異なる金属を組み合わせるなどして測定するような、実用のための補正方法が別に決められていますが、室温付近でも10^-5程度の相対誤差は当たり前のように出ます。

さて、質量の単位である「キログラム」ですが、未だに「国際キログラム原器の質量」という、200年以上前の定義が使われています。各国に配られたキログラム原器を、0.1 μg単位(原器に対する誤差は10^-10)まで正確に計ることができる特殊な天秤で量ることで質量を校正するわけですが、キログラム原器とその複製品を比べると、200年間で±2σ ~ ±50μg程度 (相対誤差は10^-8のオーダー)のばらつきが出ていることが判っています。それにも関わらずキログラム原器が使われて来た理由は、これでも実用に問題無かったからですが、10年程前よりキログラム原器に替わる新しい定義として、(1) ワット天秤を用いたプランク定数による定義 と、(2) ケイ素単結晶を用いたアボガドロ数による定義 などが議論されるようになりました。現在プランク定数もアボガドロ数も、4.4 × 10^-8程度まで相対誤差が小さくなっており、これはキログラム原器に由来する質量の誤差が原因と考えられています。どちらをキログラムの定義に使うにせよ、プランク定数やアボガドロ数を定義値にすることにより、将来的に質量の潜在的な測定誤差が減ることが期待されるわけです。現状ではプランク定数による定義の方が優勢で、アボガドロ数はキログラムの定義には用いられない見通しになって来ましたが、モルの定義にはアボガドロ数が使われることになります。また電子素量により電流のアンペアの定義を、ボルツマン定数により温度のケルビンの定義を変えることも考えられており、来月11月の中旬にフランスのヴェルサイユ宮殿で開催される第25回国際度量衡総会により、「キログラム」、「モル」、「アンペア」、「ケルビン」の定義が変わるかも知れません。

なお国際度量衡総会の方は、フランスの外務大臣が議長を、フランスの科学アカデミー会長が司会進行を務め、必ずSI原器も保存されているセーヴル近辺で開催されることになっているようです。
[86370] 2014年 9月 10日(水)04:38:30YT さん
第一次府県統合と、それそれの府県での人口上位3位までの都市人口
[86367] アクアさん、初めまして。

2.非最大都市規模で非明治政府領を県庁に置いた県

おそらく旧領石高と城下町に比例関係があると仮定して都市規模を算出しているのでしょうが、大隈重信蔵書「府藩県石高人口表」を見てわかるように、石高と人口の相関は必ずしも良くありません。それに第一次府県統合では、各地に散らばっている各藩の飛び地を抹消しているので、単純に藩の石高で統合後の規模に順番を振るのもどうかと思います(旧高旧領取調帳で調べているのでしたらすみません)。

そこで明治6年頃の都市人口による各府県の人口上位3位までの都市と人口をまとめてみました。都市人口は『日本地誌提要』(明治6年1月1日調人口、[68751][68752][68793][68794][68845][68846][68962][68963][68964][68965]参照)を基礎とし、『明治八年 共武政表』(明治5年~8年の本籍人口)の人口を用いると各府県別での都市人口順位が上がる場合には『共武政表』の人口で補正しました(●印をつけた都市)。但し明らかに人口に誤りがある場合(『日本地誌提要』の鹿沼の人口と『共武政表』の気仙沼の人口など)はこの限りではありません。また県庁所在地が4位以下の場合は別途記載しました。

使府藩県M5人口1位人口2位人口3位人口4位以下人口
開拓使123,668箱館28,825小樽3,903札幌1,785
東京府779,361東京595,905千住11,368品川10,293
京都府567,334京都238,663伏水22,334亀岡7,029
大坂府530,885大坂271,992天王寺16,560難波8,128
琉球藩166,789首里44,984那覇14,610久米9,800
神奈川県492,714横浜64,602神奈川10,660八王子7,675
兵庫県198,559神戸・兵庫40,900尼ヶ崎12,404西之宮8,699
長崎県630,487長崎29,656島原18,682福江17,787
新潟県635,484新潟33,152新発田18,312村上17,647
埼玉県426,989成田(忍)7,224岩槻5,077幸手4,294浦和1,750
入間県410,952川越9,357熊谷4,171本庄3,573
足柄県339,582小田原12,710浦賀●7,081鎌倉6,420
木更津県574,652木更津4,381一之宮4,215鶴舞3,126
印旛県456,689船橋9,494古河9,343佐倉6,681流山●1,946
新治県470,509銚子17,688土浦7,788石岡6,938
茨城県366,505水戸19,010那珂湊8,254下館4,947
群馬県382,697前橋15,063高崎11,285沼田3,828
橡木県388,934館林9,007佐野4,960鹿沼●4,201栃木3,968
宇都宮県234,124宇都宮15,061烏山2,435大田原2,284
奈良県418,326奈良21,158郡山14,988御所町3,507
堺県446,85238,838岸和田8,852佐野5,388
安濃津県413,86522,080桑名18,064上野12,385
度会県363,732山田22,473松坂8,781鳥羽4,746
名古屋県604,116名古屋125,193熱田15,211一之宮7,399
額田県606,252岡崎12,969大浜8,885豊橋7,506
浜松県414,928浜松11,103新居6,438横須賀5,516
静岡県368,505静岡31,555沼津10,684島田●7,461
山梨県360,068甲府15,529市川4,095鰍沢3,562
大津県305,232五別所・大津17,924膳所6,371膳所6,371
長浜県271,332彦根24,368長浜5,369高宮●3,754
岐阜県660,896今泉・岐阜10,800大垣10,158八幡5,364
筑摩県550,841松本14,275高山13,081飯田8,944
長野県466,652松代7,976長野6,928小諸6,152
仙台県404,577仙台51,998石巻10,325馬場谷地●4,964
福島県268,576二本松10,435白河7,250福島5,813
平県242,906三春5,0864,241白石●3,313
若松県203,722若松20,588坂下2,972高田●1,987
一関県372,562水沢5,166気仙沼4,377一之関●4,365
盛岡県319,486盛岡21,306遠野●5,175花巻4,426
青森県473,244弘前32,886福山16,092青森10,965
山形県299,291山形17,631新庄8,361谷地6,587
置賜県130,293米沢24,945宮内2,858上小松●2,331
酒田県203,676鶴岡24,964酒田18,619大山3,430
秋田県582,297秋田38,118横手8,169本荘6,423
敦賀県199,819小浜19,271敦賀11,476武生9,416
福井県346,700福井39,784大野9,052坂井9,044
金沢県403,357金沢109,685小松9,970大聖寺9,416
七尾県397,511高岡23,724新湊18,904七尾8,216
新川県480,638富山44,682魚津10,098八尾5,981
柏崎県718,249高田27,460長岡24,067柏崎14,081
相川県103,098相川12,632夷町3,400小木2,602
豊岡県505,073宮津9,398舞鶴9,073出石6,796豊岡4,926
鳥取県385,531鳥取20,782米子10,237倉吉4,809
島根県340,042松江37,808杵築7,674広瀬3,877
浜田県259,611津和野7,088浜田3,943益田●2,503
飾磨県635,791姫路24,521明石14,410赤穂7,134
北条県215,602津山15,411真島(勝山)2,747久世1,749
岡山県387,459岡山32,372日生●3,511牛窓3,219
深津県546,430福山17,643鞆津●8,495笠岡6,415
広島県919,047広島74,305尾道9,722三原8,565
山口県827,53645,318赤間関18,500岩国11,684山口9,279
和歌山県556,919和歌山61,124新宮9,134田辺7,485
名東県750,985徳島48,861洲本7,267由良5,935
香川県559,712高松32,736丸亀13,875坂出6,465
松山県418,561松山26,141今治12,000川江5,860
宇和島県357,413宇和島12,209外海●6,280吉田5,042
高知県524,511高知39,757高岡5,827安芸4,479
福岡県441,175博多20,985福岡20,650秋月5,178
三潴県391,535久留米20,381柳河8,865瀬高3,860榎津2,555
小倉県304,574中津11,538小倉7,459長洲4,500
大分県562,318臼杵10,738大分6,8215,975
伊万里県506,667佐賀21,660厳原8,806唐津7,987伊万里4,005
熊本県513,593熊本44,620長洲5,706川尻4,712
八代県439,444八代9,021牛深7,590御領●6,017
都城県310,121国府17,144加治木9,386都城7,390
美々津県201,798宮崎11,929延岡6,861広瀬●3,884美々津1,881
鹿児島県670,864鹿児島●89,374加世田31,595鹿籠24,902


平県(磐城平:都市規模4位/6藩)
更津県(桜井:都市規模15位/15藩、天領1)
群馬県(高崎:都市規模3位/8藩、天領1)
埼玉県(岩槻:都市規模2位/2藩、天領1)*
額田県(岡崎:都市規模3位/10藩)
豊岡県(豊岡:都市規模8位/9藩、天領2)
大分県(府内:都市規模3位/7藩)

都市規模としては平は1位と大差のない2位、桜井(木更津内)は1位、高崎は1位と大差のない2位、岩槻は1位と大差のない2位、岡崎は1位、豊岡はやや1位と差のある5位(4位は篠山の5,931人)、大分はやや1位と差のある2位です。

1番、2番、3番、それ以下の差異をどの程度考慮するかにもよりますし、また明治22年の市制町村制施行までは「都市域」の定義が曖昧であるため、資料によって集計範囲が異なるという難点がありますが、一部の例外(浦和、流山、榎津、伊万里、美々津)を除き、当時の県庁所在地はその地域の中心となる都市が選ばれていることが判るかと思います。

この掲示板等でも、県によっては人身一心の理由で県名を改めたということが言われていますが、具体的にどのような資料でそのようなことが書かれているのでしょうか?

これは多分中央にはまとまった資料がなくて、個々に地方史をあたらないとわからないと思います。宮武外骨の『[府藩県制史]』における賞罰的県名論も、細かいところで矛盾がありますし。
[86357] 2014年 9月 3日(水)21:20:39YT さん
蛇落地からの改名は江戸時代?
最近色々私的に忙しかったのですが、久々に投稿します。

先日広島の災害地について流れたニュースによると:

崩れ落ちて形が変わった山を眺める住民たちは「20年住んでいますが、こんなことはとても思わなかった」と話す一方で、山肌を指さしながら「あそこが水の通り道だと聞いていましたね」と語る。一帯は「蛇落地悪谷」(じゃらくじあしだに)とよばれていたという。

平野孝太郎さん(71)は「昔は蛇が降るような水害が多かったので、悪い谷・悪谷と名がついたそうです。八木蛇落地悪谷が八木上楽地芦谷と改名され、さらにいまは八木だけが残ったようです」という。名前が変わるうちに「土砂崩れ」の教訓も忘れ去られたらしい。

130年つづく浄楽寺の住職によると、竜がいて、その首をはねたところから「蛇落地」とついたという。「竜は水の神で、水害を収めたということかもしれません。記録にはないが、語り継がれてきました」

近くの光廣神社に残る絵には、竜を討伐した武将のかたわらを激流が走る。こうした伝えは水害への警戒を促すと解釈できる。

これについて、日本歴史地名大系や角川地名辞典を調べましたが、蛇落地という地名を確認出来ませんでした。また地図資料編纂会『正式二万分一地形図集成』を閲覧したところ、明治31年測量、明治33年印刷・出版の地形図が収録されており、これが今回災害のあった地域の地形図の最古のものと思われます。[86330]でペーロケさんが指摘されておりますが、この段階で「山手」「上楽地」「小原」という地名が書かれており、改名はこれよりも古いものと推測されます。また『広島県史』によると浄楽寺は
由緒 元和五年創立、貞享五年寺号免許、もと仏護寺末。
とあり、130年どころか400年近く前の元和5年(1619年)の創立となっており、また角川地名辞典にも、130年前よりも前の明治7年に境内で小学校開校とあり、記事がちゃんと調べられずに書かれているように見受けられます。

さらに『佐東町史』を閲覧したところ、宝暦12年(1762年)の「沼田郡八木村地こぶり帳」という、芸藩時代の近世村としての八木村の検地帳が収録されており、そこに既に字名として本百姓8人の名前が記載されている「字 上楽寺」(上楽地・浄楽寺ではない)や本百姓1人の名前が記載されている「字 山ノ手」、本百姓36人の名前が記載されている「字 小原」などの記述があり、一方で「蛇落地」などという字名はなく、仮に蛇落地から上楽寺/地への改名が事実としても250年よりも前のこととなります。むしろ浄土真宗本願寺派である浄楽寺から上楽寺という字名となり、それが上楽地となったと考える方が素直です。

『佐東町史』には八木村の村会議員の選挙定員を決める明治13年の公文書が収録されており、それによると
一ノ部 議員一人 字鳴ル渡リ/十歩一
二ノ部 議員二人 字真蒲/上細野/中細野/下細野
三ノ部 議員一人 字代/一ツ矢
四ノ部 議員一人 字迫田/細田/田中
五ノ部 議員二人 字関城/柏谷/室屋/野地
六ノ部 議員一人 字上楽地/浄光院/小原
七ノ部 議員二人 字市/土居
となっており、明治13年の段階では既に「字 上楽地」の漢字が正式なものとなっております。なお宝暦12年の字の数は大小50個ほどですが、上の明治13年の段階では20個程に統合されており(これら字名はほぼ全てが宝暦12年の検地帳に記載されている)、おそらく大区小区制がらみの字の統廃合があったものと推測します。また「字 山手」が消えておりますが、こちらは明治13年~明治33年の間に復活したのでしょう。

宝暦12年と明治13年の間を補う地理書として、1820年代に完成した『芸藩通志』がありますが、こちらには近世村毎の地図が100枚前後収録されています。地図には字名が全て書かれているわけではありませんが、ヘツ所(別所)、浄楽寺、ムロヤ(室屋)、ノシ(野地)、コハラ(小原)などの地名を確認できます。芦谷という地名は確認できませんでしたが、別所古墳発掘調査報告書収録の地図に足谷遺跡というのがあり、宝暦の頃には字名としてはありませんでしたが、幕末にはアシヤと呼ばれる字名があり、明治の時に上楽地などに吸収されてしまった小字であると推測できます。何れにせよ『明治前期全国村名小字調査書』や角川地名辞典には旧八木村の明治初期の字名が漏れており、これ以上詳しく調べることはできませんでした。

最後に蛇の伝説ですが、これは江戸時代初期に書かれた『陰徳太平記』の「香川勝雄大蛇ヲ斬ル事」に詳しく載っており、天文元年(1532年)に香川勝雄が阿武山山中にて大蛇を倒したという話が既に17世紀には完成しておりました。物語によると香川勝雄は、阿武山の山頂に近い大きなカヤの木で眠っていた大蛇の首を切り落とし、落とした首が七八町飛んで「太刀ノブ」という湿地帯に落下し、さらにそれが飛び跳ねて一町先の「蛇王池」または「蛇王子」に落ちたとあります。『芸藩通志』附録の地図によると、阿武山(阿生山)の頂きの一つに「龍王」という地名があり、そこに大カヤと「竜王二社」があることになっています。「タチノフ」は麓の地名ということになっています。

『佐東町史』で「蛇落地」という地名に関して唯一触れているのが「蛇落地観世音像」ですが、これは弘化4年(1847年)に阿武山山頂にあった観音像を麓に移したとのことで、『芸藩通志』収録の八木村の地図では「龍王」の近くにある建物のマークの一つということになります。浄楽寺の住職によると蛇落地というのは蛇の首を切った場所と解説していますが、蛇の首を切った場所は阿武山山頂付近であり、蛇落地は山頂の地名といことになり、ますます上楽地との関係が不明となります。

結局のところ蛇落地が上楽地に改名されたというのは怪しく、仮に事実としても250年以上前のことです。また300年以上前にはすっかり地元の有力者が先祖の功績を讃える大蛇退治の物語として完成してしまっており、そこから土石流の伝承を読み説くことは不可能に近いといえます。大蛇退治の物語も、『陰徳太平記』の記述が『芸藩通志』や『広島県史』、『佐東町史』で繰り返し引用されており、『佐東町史』では地元なら誰でも知っている伝説とまで書かれています。そもそも今回土石流が発生した区域は「字 上楽地」だった地域でも「足谷遺跡」のある所でもなく、「字 小原」だった地域です。いくら地名が過去の教訓を示すと言っても、場所が微妙に異なります。そんなことよりハザードマップを周知徹底させたり、土砂災害警戒区域を設定するなど、最新の科学に頼った調査の方がはるかに重要で、信用出来ると言えます。
[85707] 2014年 6月 8日(日)17:42:58YT さん
今後の予定
これまでの人口や面積のデータは、この一つのファイルに集約されていると考えてよろしいでしょうか。

送ったファイルは作業のために列の順番が入れ替わっていますが、その通りです。

ただ、1950年~1970年の沖縄県、1950年の奄美の面積はまだ数字の入力が流動的ですし、1935年3月31日調の面積は入力が40%程度しか済んでいません。また1995年以降は統計局のデータベースから数字を流し込んだ結果、市区町村名と人口・面積のズレが発生している可能性があり、簡単な再チェックが必要です。中身をみて頂ければわかるように、送ったファイルはチェック用のSum関数が入ったままのシートだけですので、一回中身をテキストファイル経由で別のエクセルファイルにコピーしないと加工しにくいかと思いますが、所属未定地のみが残っている1980年以降の人口・面積の表はすぐに作れると思います。

自分の予定としては、1935年3月31日現在の面積を入力した後、1944年・1945年・1946年の人口調査、1948年の常住人口調査の人口を再チェックし、各種地方統計書のデータを元に1950年の面積の分割案を作った段階で次のまとめた結果をデータ(ver.0.2)として公表しようかと考えています。

その後、国勢調査報告書に載っている1920年~1930年の市・郡別面積を入力し、各種地方統計書のデータを元に1935年10月1日の面積合同分の分割案を出し、1935年10月1日~1948年の面積を独自調査で入力し、この段階でまとめた結果をデータとして公表(ver.0.3)。

これが終わったら、国勢調査以前の5回分の現住調査の人口を再チェック、明治22年~明治30年前の人口について、『日本帝国民籍戸口表』記載の現住人口と官報による現住人口を入力、明治22年以前について郡区別面積と、明治14年の郡区別面積を入力、などと予定を建てていますが、どうなるかは分かりません。
[85705] 2014年 6月 8日(日)13:09:10【1】YT さん
xlsよりもcsv
[85703] オーナー グリグリさん

すみません。

(1) 落書き帳に書き込む前に、公開したいデータのエクセルファイルを私宛にメールで送付。

この部分を見落としていました。

とはいっても総ての情報をエクセルにするのは作業が煩雑になるので、例えばカラム数が8以上、または一部のセルが折り返し表示になってしまうケースについては別個のファイルとして公開ということでよろしいでしょうか?その場合ですと、別に計算式の入力も必要ないので、例えばCSV形式などのテキストファイルでの公開の方が安全かも知れません。

【追記】

すみません。

さきほどオーナー グリグリ さんに、現時点でまとめ終えた面積・人口の情報を送付しましたが、ファイルの圧縮を忘れたため、10 Mb越えのファイルを送ってしまいました。

メールが読めない場合には、あらためて圧縮したファイルを送り直します。
[85704] 2014年 6月 8日(日)12:55:06【1】YT さん
エクセルファイルの公開について
[85703] オーナー グリグリさん

そこで今回のご指摘を受けて、当面は次のようにしたいのですが、YTさん、如何でしょうか。

(1) 落書き帳に書き込む前に、公開したいデータのエクセルファイルを私宛にメールで送付。
(2) エクセルファイルを当サイトのサーバの然るべき場所に格納する。
(3) 格納場所のリンク(URL)をYTさんに連絡する。
(4) そのリンクを利用してYTさんが書き込みを行う。
(5) ファイルの差替えなどもメールで行う。

御迷惑をおかけしてすみません。ただ、エクセルファイルの公開を暫時行うにはいろいろ問題があり、誠にすみませんが対応できません。

まず最近書き込んだ内容は、最終的にエクセルに纏める前の段階のものです。面積の情報は人口の情報以上に中途半端で、富山県下新川郡宇奈月町・朝日町の面積([85587]参照)の例のように、所属不明以外の面積情報の問題も1975年まで続いています。そのため公開するにもこういった面積不明・所属不明の情報の纏め方もまだ統一した状態になっていません(そのための問題点を、[85559][85587][85604][85605][85609][85623][85624][85659][85673]にまとめたつもりです)。こういった「市町村の情報をまとめるための個別の情報」というだけで、面積に関するものだけでもすでに20個以上のシート(バックアップを含めると確実に100個以上)を作成しています。公開するとなるとそこに含まれるであろう膨大な数の情報の再チェックも必要となり、作業量が現状よりも大幅に増えてしまいます。

二点目は、エクセルファイルそれ自体のセキュリティの問題です。エクセルは別名でセーブする度に個人情報が追加されますし、なぜか同名のファイルで作業していてもいつの間にか個人情報が追加されることがあります。公開する際にはかならずセキュリティチェックをしており自分の個人情報を消しているつもりですが、適時修正となるとそのチェックに不安が残ります。将来的にはエクセル以外の形式を用いるというのも手ですが、現状では自分のパソコンで作業する際にはエクセルが一番便利です。

三点目はファイルのサイズが大きくなりすぎている点です。普段一番メインに修正しているファイルのサイズはすでに40 Mbに達成していますが、メインとなるシートだけで別名で保存したところ、それだけでファイルサイズが10 Mbを超えました。

というわけでエクセルファイル形式での公開は避けたいと思います。

なお面積の方の入力ですが、現在1950年から2010年までの国勢調査時の市区町村別面積と、1935年の『昭和十年 全国市町村別面積調』記載の面積の内、大阪府以西分の入力は終わっています。ただ1950年の面積情報、そして1935年の面積情報についても、市区町村に分割されていないデータがあり、1935年~1950年の間の面積情報の拡張も可能かどうか現状では判りません。
[85702] 2014年 6月 8日(日)01:34:14【1】YT さん
面積調査の報告と東京都の昭和19年の人口について
[85701] ロム人 さん
YTさんがかなり積極的にご自身の調査内容を書き込んでいらっしゃるようですが、これはこれで有用な情報かもしれませんが、たしかかなり以前の過去ログを読んだ記憶では、このような(Wikipediaでいう)独自研究の書き込みは自身でサイトをたちあげて公表し、落書き帳でそのような発表をしないように促していたと思うのですが、その辺の立ち位置も変わってしまったのでしょうか?


すみません。私の方は普段の生活サイクルからしても、とても自分でホームページを立ち上げるほどの時間は取れません。

ただ、一応[84549]でアップした人口情報の内、抜けている情報(昭和19年の東京都の市区町村別人口)と、昭和10年以降の市町村別面積の遷移について、現時点での調査結果を報告しているのですが、これらの書き込みは迷惑でしょうか?

あと、(Wikipediaでいう)独自研究と言われておりますが、私は極力引用元を挙げて数字や元資料の客観性を保っているつもりなのですが、変遷情報や数字に恣意的なものが目立つのでしょうか?
[85700] 2014年 6月 8日(日)01:06:55【2】YT さん
昭和19年~昭和20年の東京都区部の人口
[85612][85625]で触れた、昭和19年人口調査における東京都の市区町村別人口ですが、残念ながら決定打となるデータが見つかりません。国立公文書館で、昭和19年人口調査関係書類綴、昭和20年人口調査関係書類綴に関連する、公開されているマイクロフィルムに一通り目を通しましたが、どこにも昭和19年人口調査における市区町村別人口が掲載されている書類が含まれておりません。なお昭和20年人口調査関係書類綴に含まれるものの中には「要審査」となっていて公開されていない文書が多数あるようですが、副題を見る限り昭和19年人口調査の市区町村別人口の情報は載っていないようにみえます。

一方『昭和19年人口調査 集計結果摘要』(1977年)のまえがきによると、

 昭和19年人口調査は資源調査法に基づき当時の内閣統計局が実施したものであるが,当時調査結果は公表されず,昭和24年3月に刊行された「昭和15年国勢調査・昭和19年人口調査・昭和20年人口調査・昭和21年人口調査 結果報告摘要(総理庁統計局)」に,集計結果の一部が掲載されているのみである。
 現在,戦前戦後の人口に関する資料が不足しているので,統計局に保存されている集計結果原表のうち破損等のない原表をもとにして,できるだけ多くの情報が得られるよう留意し,原表を組み替えるなどして作成したのが本書である。
 本書が戦時中の人口の状況をは握するための資料として,各方面の方々の参考となれば幸いである。
 昭和52年3月
 総理府統計局 吉岡邦夫

とあり、昭和19年人口調査の原表は総理府統計局にあることになりますが、総理府統計局の図書館でこういった資料が公開されているようには見受けられません。。

なお東京都の歴史書等を調べたところ、『東京百年史 第5巻 復興から壊滅への東京(昭和期戦前)』(1972年)に昭和19年人口調査における区別人口が掲載されているのを見つけました・・・しかしながら、[85612]の朝日新聞の記事と同様、合計が一致しません。さらに本表の人口は、『東京都戦災誌』からの引用でした。このほか『都政十年史』などに『東京都防疫年鑑』記載の人口が、昭和19年と昭和20年の『警視庁統計書』に、昭和19年末と昭和20年末の現住人口が見つかりましたので、以下これらの人口をまとめます。

調査年月日S15.10.1S19.2.2S19.11.?S19.?S19.12.31S20.2.?S20.4.20S20.5.?S20.5.27S20.6.?S20.6.10S20.11.1S20.?S20.12.31
区部6,778,8046,658,1625,392,5945,063,5095,535,6874,986,6003,256,6493,286,0102,692,6592,537,8482,581,8292,777,0103,226,6502,882,747
麹町区58,52148,45739,41737,31840,24839,98037,31828,3374,50010,43510,43517,97617,95412,387
神田区128,178102,29169,62769,94978,26267,28719,15522,32222,32221,50621,50626,43631,88727,188
日本橋区101,77772,82357,78150,71956,71549,39117,00018,66715,66718,66718,66722,87626,86122,980
京橋区142,269115,04889,86980,12286,53178,62657,79957,79944,20044,70044,70053,34463,52953,041
芝区191,445163,396125,388114,745128,643113,706105,00080,00058,60061,00061,00067,11677,33964,641
麻布区89,16379,69960,93855,99160,80055,36855,36346,8067,67821,95021,95020,69724,79821,632
赤坂区55,70448,70240,72238,17441,86437,68732,85330,0781,0006,0126,0128,79111,2259,428
四谷区76,44067,82853,91250,42256,50549,58629,00026,6474,62614,83114,83111,24513,75911,797
牛込区128,888115,81694,08487,27795,91186,32862,00044,69713,18815,68715,68720,77124,46921,103
小石川区154,655141,307113,943106,877118,774105,664105,17096,44024,90139,35339,35343,44451,89147,802
本郷区146,146129,686105,85198,103108,88295,73455,42155,42138,15239,82039,82049,30455,27650,710
下谷区189,191169,426134,426125,366136,919123,30348,93749,80149,80147,48247,48259,98870,80764,939
浅草区271,063233,991185,818170,433190,139161,24122,34028,65021,88022,58322,58324,58131,43331,290
本所区273,407241,049186,109166,615186,693165,45310,30010,0078,9938,9938,99312,75317,15214,618
深川区226,754210,853168,873157,264167,437155,06116,00015,63813,55213,20113,20114,09420,67616,067
品川区231,303214,274166,376152,437171,729149,853126,937126,937103,0008,064108,06489,782105,94394,266
目黒区198,795202,533173,120165,424148,420164,329158,625138,605118,00073,575118,000121,333141,21053,126
荏原区188,100181,497146,736130,182247,252127,706114,87793,99375,00059,67359,67353,70863,214159,881
大森区278,985297,761241,070229,242207,576226,019220,000194,959183,697156,000156,000160,865186,60558,644
蒲田区252,799267,023203,448198,067291,989196,10470,44075,00069,04069,04069,04052,13565,286287,851
世田谷区281,804303,473277,510272,830180,579272,073212,463311,835227,173235,595172,500276,450311,753122,507
渋谷区256,706339,499197,563187,124202,434187,345180,000183,00096,66291,53791,53884,06798,06888,546
淀橋区189,152175,957143,156134,099144,386132,84196,61996,61967,03042,92042,92051,09063,03549,792
中野区214,117216,724183,955176,770193,337174,370166,982147,079139,950127,237126,793124,011141,226142,487
杉並区245,435259,746228,910214,962242,244211,455210,416207,776184,856184,896184,856211,229245,886215,412
豊島区312,209302,057250,952236,415260,805233,25468,02365,000106,502106,502106,50292,192109,48392,536
滝野川区130,705125,035100,48194,888103,87893,25825,30042,91635,50232,99632,99636,49441,89038,135
荒川区351,281334,380262,780248,707243,899244,69052,00079,74780,48076,43676,43684,010100,581237,712
王子区220,304216,517168,681159,539174,164157,704132,000110,000103,984105,143105,143101,807117,840102,049
板橋区233,115271,226163,656238,174272,896234,920164,334218,110131,000180,75298,752217,974245,32284,746
足立区231,246250,553222,530216,890254,664214,543184,124184,124158,700157,510157,510172,437198,856181,630
向島区206,402197,065157,121147,289163,932143,55573,72473,04656,00056,00356,00364,84277,70973,432
城東区192,400185,474143,043126,547164,887122,83513,0008,8258,8699,5769,57611,11414,792160,105
葛飾区153,041181,574166,652162,472142,549161,107170,000185,000150,614150,614150,614171,557196,28227,974
江戸川区177,304194,509173,636162,066169,744160,218143,129143,129126,945127,998127,598146,497162,613142,293
練馬支所82,50082,000
玉川支所63,09563,095
不一致91394,46010-5,994-11,000-5,00099,561

●S15.10.1:国勢調査による現在人口。
●S19.2.2:『東京都戦災誌』引用の昭和19年人口調査による銃後の現在人口で、合計に不一致があります。
●S19.11.?:『東京都戦災誌』引用の都民調査による人口で、合計に不一致があります。
●S19.?:『都政十年史』引用の東京都防疫年鑑による人口で、おそらく昭和20年末の数字で、合計に不一致があります。
●S19.12.31:『第五十四回 警視庁統計書』記載の現住人口。
●S20.2.?:『東京都戦災誌』引用の都民調査による人口で、合計に不一致があります。
●S20.4.20:『東京都戦災誌』引用の防衛局企画課防空通信係による人口。
●S20.5.?:『東京都戦災誌』引用の戦援調査による人口で、合計に不一致があります。
●S20.5.27:『東京都戦災誌』引用の防衛局企画課防空通信係による人口で、合計に不一致があります。
●S20.6.?:『東京都戦災誌』引用の民政局戦時援護課による人口で、合計に不一致があります。なお、以下の昭和20年6月10日の人口と同じなのかもしれませんが、細部に異なる点があるので別としました。
●S20.6.10:『東京都戦災誌』引用の帝都防空本部による推定人口。
●S20.11.1:昭和20年人口調査による軍人等を除いた現在人口。
●S20.?:『都政十年史』引用の東京都防疫年鑑による人口で、おそらく昭和20年末の数字。
●S20.12.31:『第五十五回 警視庁統計書』記載の現住人口。

現時点ではここからさらに元資料にたどり着くことはできておりません。

昭和19年頭には銃後人口だけで700万人近くいた東京35区の人口が、昭和19年末には500万人に減り、空襲開始と共に激減し、終戦時には250万人前後に減り、その後昭和20年末には300万人近くに復帰したようです。

【追記】上表で昭和20年末の警視庁調査の現住人口の入力に誤りがあったので訂正しました。警視庁による現住人口も、それほど実態とは離れてなかったようです。
[85673] 2014年 6月 1日(日)03:25:41YT さん
1950年~1965年の琉球の面積の問題点
[85624]でもまとめたように、1975年以降の国勢調査報告書では、1950年~1965年の沖縄の面積はほぼ一貫して2,388.22 km2であったとされております。しかしながら当時の琉球における国勢調査時の市町村別面積の内訳に関しては、色々問題があり、これが正解というものがありません。とりあえず複数の資料による当時の琉球の市町村別面積(単位:km2)をまとめると以下の通りです。なお1950年の奄美群島の市町村別面積については別の問題があり、これについては別個考察します。

資料S10面積調S15県統S25要覧(戦前)S25要覧(戦後)S25国勢S30琉統S35国勢S40国勢
全琉球(奄美を除く)2,388.242,388.242,388.222,388.222,388.22
沖縄県2,386.242,386.242,388.24
全琉球の補正面積-1.27
沖縄群島1,498.661,498.661,500.691,500.691,500.691,500.671,500.671,500.67
沖縄群島の補正面積-1.24
南部地区369.91369.90
那覇市5.115.115.116.2320.9734.4435.68
首里市2.452.452.452.45
島尻郡404.98404.98407.00361.23
島尻郡の補正面積6.70
小禄村12.2912.2912.29
真和志市13.47
真和志村14.5914.5913.47
南部地区335.46335.46
豊見城村18.1518.1518.1518.1518.1518.15
糸満町1.821.821.821.821.8245.34
兼城村10.1610.1610.1610.1610.16
三和村24.1224.1224.12
真壁村10.2910.29
喜屋武村6.186.18
摩文仁村7.657.65
高峰村9.249.249.249.249.24
東風平町15.0215.0215.0215.0215.0215.02
具志頭村12.5712.5712.5712.5712.5712.57
玉城村16.6716.9716.6716.6716.6716.67
知念村10.4110.4110.4210.4110.4110.41
佐敷村10.9010.9010.9010.9010.9010.90
与那原町4.894.894.894.89
大里村17.0117.0112.1212.1212.1212.12
南風原村11.1711.1711.1711.1711.1711.17
仲里村42.8342.8342.8342.8342.8342.83
具志川村25.8225.8227.8227.8227.8227.82
鳥島
渡嘉敷村26.4426.4426.4426.4426.4426.44
座間味村19.5712.5719.5719.5719.5719.57
粟国村9.799.799.799.799.799.79
渡名喜村5.815.815.815.815.815.81
大東島45.9645.96
南大東村25.9125.9125.9125.91
北大東村20.0520.0520.0520.05
伊平屋村44.6444.64
伊是名村
中部地区287.80287.79287.79287.79
石川市19.1419.1419.1419.14
中頭郡287.79287.79287.80268.66
美里村42.9942.9923.8523.8523.8523.85
与那城村24.8324.8324.8324.8324.8324.83
勝連村13.6313.6313.6313.6313.6313.63
具志川村32.8232.8232.8232.8232.8232.82
コザ市24.2924.29
越来村24.2924.2924.2924.29
読谷村37.1037.0937.0937.09
読谷山村37.0937.09
嘉手納村15.9515.9515.9515.95
北谷村29.1029.1013.1513.1513.1513.15
北中城村11.9211.9211.9211.92
中城村27.9227.9216.0016.0016.0016.00
宜野湾市18.48
宜野湾村18.5218.4818.4818.4818.48
西原村18.4818.5218.5218.5218.5218.52
浦添村18.1218.1218.1218.1218.1218.12
北部地区842.98842.98842.98842.98
国頭郡798.33798.33798.33842.98
国頭郡の補正面積-30.0162.58
国頭村196.03196.03196.03196.03196.03196.03
大宜味村63.9163.9163.9163.9163.9163.91
東村67.3597.3567.3567.3567.3567.35
羽地村68.8068.8062.9462.9462.9462.94
屋我地村5.865.865.865.86
今帰仁村41.5041.5041.5041.5041.5041.50
上本部村11.1611.1611.1511.16
本部町44.8144.8144.8144.81
本部村55.9755.97
屋部村20.3720.3720.3720.37
名護町66.8666.8646.4946.4946.4946.49
恩納村52.0452.0552.0552.0552.4852.05
久志村92.4892.4892.4892.4829.4892.48
宜野座村29.8829.8829.8829.88
金武村69.4169.4139.5339.5339.5339.53
伊是名村11.4111.4111.4111.41
伊平屋村33.2333.2333.2333.23
伊江村23.9823.9823.9823.9823.9823.98
宮古地区250.01250.01250.01250.01250.01250.02
宮古郡250.02250.02250.01
宮古郡の補正面積-0.01-0.01
平良市72.2972.2972.29
平良町72.2972.29
下地町・上野村48.6848.68
下地町48.6848.6825.65
上野村23.03
城辺町60.9260.9260.92
城辺村60.9260.92
伊良部村38.5338.5338.5338.5338.53
多良間村29.6029.6029.6029.6029.60
八重山地区637.54637.54637.54637.54637.54637.56
八重山郡637.56637.56637.54
八重山郡の補正面積-0.02-0.02
石垣市92.5792.57235.36
石垣町92.5792.57
大浜町142.79142.79
大浜村142.79142.79
竹富町372.42372.42372.42
竹富村372.42372.42
与那国町29.7829.7829.78
与那国村29.7829.78
奄美群島1,289.041,289.041,289.00
全琉球(奄美を含む)3,677.283,677.283,677.24

各資料は以下の通りです。

●S10面積調:『昭和十年 全国市町村別面積調』
島尻郡鳥島の面積は「?」となっています。

●S15県統:『昭和十五年 沖縄県統計書 第一編』
『昭和十四年 沖縄県統計書 第一編』が閲覧できませんでしたが、その変わりに『昭和十五年 沖縄県統計書 第一編』が閲覧できましたので、代わりに本表にまとめます。備考によると
備考 鳥島ハ未測量ノ為メ本表面積ニ包含セズ
とあり、鳥島の覧は空欄となっております。このほか、郡別面積と町村別面積の合計が一致しない箇所が多々あり、その幾つかの市町村別面積は誤植と判断可能ですが(島尻郡玉城村、島尻郡座間味村、国頭郡恩納村)、とりあえずそのまま載せます。注目するべき点は、昭和十年 全国市町村別面積調』に比べて中頭郡宜野湾村と西原村の面積が入れ替わり、国頭郡恩納村の面積が0.01km2増えている点です。

●S25要覧:『1950年版 沖縄群島要覧』
那覇市の面積を5.11km2とする戦前の面積の表と、那覇市の面積を6.23km2とする戦前の面積の表の二種類が掲載されております。前者については宮古地区、八重山地区、および奄美群島に関しては総面積のデータがあるものの、市町村別面積を掲載する後者の表は、沖縄群島の市町村別面積のみで、宮古地区、八重山地区、および奄美群島の市町村別面積のデータは掲載されておりません。また後者の表では、既に伊是名村、伊平屋村の面積が国頭郡の面積に含まれていることになっております。前者の表によると

イ,沖縄県総面積,戦前の分2,386.24平方粁は鳥島(硫黄)2方粁を含有せざりしに付,今回包含せしめたり。宮古,八重山の面積を控除した沖縄の分総面積1500.69粁中に鳥島の2方粁は含有せり。

戦前沖縄県総面積が154.718方里なりしも今回総面積が154.848方里(方粁,エーカー,坪等も之に順ず)となれるは鳥島(硫黄)の面積0.13方里が戦前の分に包含せざるを本表に包含せしめたるによる。

「鳥島の面積2.00 km2が増えたので、沖縄県の面積が2,386.24 km2から2,388.24 km2に増えた」と単純そうに見えますが、よく見ると『昭和十年 全国市町村別面積調』に比べて、沖縄群島が2.03 km2増え、宮古郡が0.01 km2減り、八重山郡の面積が0.02km2減っています。沖縄群島で増えた0.03 km2の内訳は、中頭郡読谷村が中頭郡読谷山村に比べて0.01 km2、島尻郡知念村が0.01 km2、そして前述の国頭郡恩納村が0.01 km2増え、中頭郡西原村と宜野湾村の面積が入れ替わっています。また島尻郡真和志村の内1.12 km2が那覇市に異動となっています。


●S25国勢:『琉球統計報告 1952年 第2巻 第5号』
昭和25年の琉球の国勢調査には、市町村別面積は掲載されておりませんが、地区別面積が掲載されており、その面積は上述の『1950年版 沖縄群島要覧』の面積と同一です(奄美群島を除く)。脚注によると
1、面積は参謀本部陸地測量部の5万分の1の地形上における1940年1月26日の調査を基礎にして算出したものである。
2、沖縄郡島の面積は、硫黄鳥島(2方粁)を含んだ数字である。
3、奄美群島の面積には、十島村(18.39方粁)を含む。
なお昭和30年の琉球の国勢調査報告書にも市町村別面積の記載はありません。

●S30琉統:『第1回 琉球統計年鑑 1955/56年』
沖縄で復活した地方統計書の最初の巻ですが、
面積は主として昭和14年沖縄県統計書(第1編, 内務)による1939年12月末現在の数字で、( )内の数字は沖縄郡島要覧(1950年版)による数字で、鳥島(硫黄)の面積0.13方里(2.00方粁)を含む。
とあります。主な相違点としては、中頭郡読谷村と島尻郡知念村の面積は『昭和十年 全国市町村別面積調』における面積が採用されているため、『1950年版 沖縄群島要覧』に比べて面積が0.02 km2減っています。また八重山地区・宮古地区は最初から合計が異なることが前提で、町村別面積合計の面積と地区別面積の双方が並べて示されています。

●S35国勢:『1960年国勢調査報告 人口編 第1巻 総括編 その1』
琉球の国勢調査報告書としては初めて市町村別面積の記載があります。
面積は1939年12月末(昭和14年沖縄県統計書第1編内務)による数字で()内の数字は沖縄郡島要覧(1950年版)による数字である。
とあり、八重山地区・宮古地区の面積は最初から合計が異なることが前提となっています。また北部地区の上本部村・恩納村・久志村の面積は誤植と思われますが、そのまま上表にまとめました。

●S40国調:『1965年臨時国勢調査報告』
昭和35年の国勢調査の面積と同じですが。
面積は主として、昭和14年沖縄県統計書(第1編, 内務)による1939年12月末現在の数字である。

沖縄総面積は1939年12月末現在(昭和14年沖縄県統計書第1編内務)による数字であって、那覇地区旧市村別面積は那覇市統計書1966年版による1965年7月16日現在の数字である。
とあり那覇市の面積は合計が合わなかろうが、1.24 km2増えています。また八重山地区と宮古地区の面積は、市町村別面積の合計通りとなっています。

と、こんな感じで琉球の国勢調査は誤植も多く、面積も細かいところで多々合計の不一致があります。昭和25年~昭和40年の面積として2,388.22 km2を採用するのであれば、『第1回 琉球統計年鑑 1955/56年』及び『1960年国勢調査報告 人口編 第1巻 総括編 その1』をベースとし、宮古・八重山については合計0.03 km2分を誤差として計上するしかないことになります。

昭和10年の面積調2,386.24 km2 + 硫黄鳥島 2.00 km2 = 2,388.24 km2をベースとするのなら、宮古・八重山の市町村別面積合計で増えた分0.03 km2 - 恩納村で増えた分 0.01 km2 = 0.02 km2 が2,286.22 km2との差として処理することも可能です。
[85659] 2014年 5月 29日(木)00:48:57【2】YT さん
国勢調査における昭和25年以降の市区町村に含まれない所属未定地の面積
[84549]でアップした中身について、
1920,1925,1930,1935,1940,1947,1950年の国勢調査人口を、1950年の国勢調査報告書を使って順次チェック(2~3ヶ月前後か?)
(2) 1955年以降の国勢調査人口をチェック(1ヶ月前後か?)
(3) 1948,1946,1945,1944年の常住人口、人口調査人口をチェック(2ヶ月前後か?)
(4) 1920年よりも前の現住人口チェック(各1ヶ月、合計5ヶ月か?)
といった感じで、多分全部のチェックには1年掛かるかも知れませんが、とりあえず現時点で一応形にはなりました。
という計画を立てましたが、(1)については昭和25年国勢調査報告書掲載の面積を入力しつつ終えましたが、昭和30年以降については面積の入力と人口のチェックの両立が困難だったため、とりあえず面積だけの入力を平成22年度分まで終えました。現在は『昭和十年年 全国市町村別面積調』の数字を入力しているところです。

昭和25年以降の国勢調査報告書に記載の面積は、建設省地理調査所→建設省国土地理院→国土交通省国土地理院による全国都道府県市区町村別面積調ですが、一部の境界未定地域については
一部境界未定のため,総務庁統計局において推定した。
として、統計局の判断で各市町村に面積を統合しております。それでも分割・統合がされていない地域が、昭和25年の諸地域([85604][85604]参照)、昭和35年の福井県大野郡旧石徹白村から岐阜県郡上郡白鳥町へ異動した地域、昭和35年~昭和50年の富山県下新川郡宇奈月町・朝日町の面積([85587]参照)、昭和40年の秋田県南秋田郡大潟村([85605]参照)です。そしてデータそのものにかなり問題があるのが、米国軍政下の琉球の国勢調査(これについては後で詳しく問題点をまとめる予定)です。また歯舞群島にからんで、過去の面積が修正されている問題と、竹島・北方領土の面積の取り扱いなどもあります([85623][85624])。

それはともかくとして、総務省統計局の方では、市町村に含まれない所属未定地の面積については、そのまま脚注に示し、市町村の面積には加えておらず、各郡別面積・市部面積・郡部面積・都道府県別面積・全国郡別面積・全国面積等で加算しております。オーナーグリグリさんが現時点での所属未定地を[85618]でまとめられていますが、それ以前の国勢調査における昭和25年以降の市区町村に含まれない所属未定地の面積を以下にまとめます(北方領土と竹島や、本土復帰前の小笠原・沖縄・奄美は除きます)。


都道府県支庁・郡等地域H22H17H12H7H2S60S55S50S45S40S35S30S25
北海道十勝総合振興局然別湖3.613.61
北海道(その他)風蓮湖57.7457.7457.5057.5057.50
北海道網走支庁サロマ湖150.35
青森県南津軽郡五郷村外錯雑地3.79
青森県(その他)小川原湖62.3062.3062.72
青森県上北郡小川原沼62.7262.26
青森県(郡部)十三湖20.5720.55
都道府県外(その他)十和田湖61.0261.0261.0261.0259.7759.7759.7759.7759.7759.7759.7759.86
宮城県玉造郡西大崎村外六ヶ村入会地5.57
秋田県(その他)八郎潟調整池の一部境界未定地域22.0222.0222.0222.0222.02
秋田県(その他)八郎潟の一部境界未定地域35.5935.59
秋田県(その他)八郎潟の一部境界未定の地域35.83
秋田県(その他)八郎潟36.36218.62219.23219.23
秋田県(郡部)八郎潟222.21
山形県東村山郡長崎町外三ヶ村入会地0.08
山形県東村山郡豊田村長崎町入会地0.36
山形県西置賜郡西根村平野村入会地105.96
福島県(その他)猪苗代湖103.32103.32103.87103.87103.87103.87103.96103.96103.96
福島県(郡部)猪苗代湖104.15
茨城県(その他)北浦35.1635.1635.16
茨城県(郡部)北浦35.16
茨城県(その他)霞ヶ浦167.63167.63167.63167.63
茨城県(郡部)霞ヶ浦の一部境界未定の地域19.7219.5419.5421.32
茨城県(郡部)霞ヶ浦の所属未定地21.3227.52
茨城県行方郡霞ヶ浦の所属不明地域67.28
茨城県行方郡霞ヶ浦30.97
茨城県真壁郡飛地0.08
千葉県(市部)市川市及び船橋市の境界地先の土地0.140.140.140.140.14
千葉県印旛郡印旛沼の所属不明地域5.49
千葉県印旛郡所属不明印旛沼15.19
千葉県君津郡秋元村三島村入会地0.25
東京都特別区部荒川河口の境界未定部1.151.151.151.151.15
東京都特別区部中央防波堤内側埋立地1.641.641.641.641.64
東京都特別区部中央防波堤外側廃棄物処理場2.012.012.012.012.01
東京都三宅島三宅村,阿古村及び坪田村の共有地5.52
東京都三宅島三ヶ村共有地5.48
東京都(郡部)鳥島4.794.794.794.794.794.414.414.414.414.414.65
東京都(郡部)ベヨネース列岩0.000.000.000.000.000.010.010.010.01
東京都(郡部)ベヨネイス列岩0.010.010.010.02
東京都(郡部)須美寿島0.020.020.020.020.020.030.030.030.030.030.030.030.05
東京都(郡部)嬬婦岩0.000.000.000.000.000.000.000.000.000.000.000.000.01
神奈川県足柄上郡南足柄町外隣接町村の組合地26.10
神奈川県足柄上郡北足柄村外九ヶ村組合地11.14
神奈川県足柄上郡南足柄村外九ヶ村組合地9.23
神奈川県足柄上郡岡本村外九ヶ村組合地5.44
神奈川県足柄下郡湯河町外一ヶ村入合地0.39
神奈川県足柄下郡宮城町村外隣接町村の入会地5.05
神奈川県足柄下郡宮城町村外七ヶ村組合地5.10
新潟県佐渡郡所属不明の加茂湖0.97
富山県下新川郡黒部国有林351.79
富山県東礪波郡庄川町外一村の入会地1.44
富山県東礪波郡庄川町外隣接町村の入会地1.44
富山県東礪波郡東山見村外一ヶ村入会地1.45
富山県西礪波郡石黒村吉江村入会地1.62
富山県西礪波郡西野尻村外隣接町村の入会地2.48
富山県西礪波郡東石黒村西野尻村入会地2.53
石川県(その他)河北潟21.2021.6421.7422.9023.0223.02
石川県珠洲郡河北潟22.85
石川県(その他)邑知潟3.963.96
石川県珠洲郡邑知潟3.964.74
石川県(その他)芝山潟の所属不明地域2.44
福井県大野郡西谷村外隣接町村の入会地2.52
福井県大野郡大野町外三ヶ村入会地2.47
山梨県東八代郡八代町及び石和町の入会地2.272.27
山梨県東八代郡花鳥村外隣接町村の入会地9.29
山梨県東八代郡花鳥村外五ヶ村入会地5.49
山梨県東八代郡旧岡村外二ヶ村入会地1.56
山梨県東八代郡増田村富士見村外二ヶ村入会地2.30
山梨県(郡部)本栖湖4.70
山梨県(その他)本栖湖4.70
山梨県西八代郡本栖湖4.704.704.70
山梨県北巨摩郡駒城村外二ヶ村入会地38.11
長野県(その他)諏訪湖14.0614.0614.0614.1614.1614.16
長野県諏訪郡諏訪湖14.45
長野県上伊那郡美篶村高遠町錯雑地0.11
都道府県外(郡部)岐阜県郡上郡白鳥町に編入された福井県大野郡旧石徹白村の一部77.32
岐阜県安八郡旧北平野村3.76
岐阜県加茂郡旧富岡村10.23
静岡県賀茂郡天城御料地78.21
静岡県田方郡棚塩山御料地4.06
静岡県田方郡天城御料地73.61
静岡県駿東郡小山町外二ヶ村入会地0.66
静岡県富士郡富士御料地28.61
静岡県引佐郡猪鼻湖5.485.485.485.57
静岡県(その他)浜名湖及び猪鼻湖68.7968.8069.2769.33
静岡県(その他)浜名湖64.9764.9764.9764.9764.2664.89
静岡県(郡部)浜名湖64.8970.74
愛知県(その他)名古屋港口埋立地1.141.141.141.141.14
都道府県外(その他)三重県及び愛知県にまたがる木曽岬干拓地ほか4.524.52
三重県一志郡嬉野町外隣接町村の入会地5.83
三重県一志郡豊地村外三ヶ村入会地5.98
三重県北牟婁郡紀伊長島町と海山町の入会地0.180.180.180.180.160.160.160.16
三重県北牟婁郡長島町及び海山町の入会地0.160.160.16
三重県北牟婁郡長島町及び桂城村入会地0.14
滋賀県(その他)琵琶湖670.25670.25670.33670.49672.36673.77673.90685.49693.46694.50694.50
滋賀県(郡部)琵琶湖695.47
京都府(その他)阿蘇海4.814.814.914.914.915.005.005.00
京都府与謝郡阿蘇海5.215.215.215.215.19
京都府熊野郡久美浜湾7.137.137.137.30
大阪府(市部)和泉大津市及び高石市の境界部地先海面の埋立地0.53
大阪府南河内郡河内村及び白木村の錯雑地1.63
大阪府南河内郡河内村白木村錯雑地1.63
大阪府南河内郡中村及び河内村の錯雑地0.97
大阪府南河内郡中村及び河内村錯雑地0.93
奈良県北葛城郡陵西村外隣接町村の入会地1.01
奈良県北葛城郡陵西村外三村入会地0.93
和歌山県伊都郡妙寺町信太村入会地0.54
鳥取県東伯郡東郷池4.084.084.084.174.174.174.174.174.184.184.32
都道府県外(その他)境水道2.13
都道府県外(その他)中海86.7997.7198.4699.0199.12100.38101.67101.67
島根県簸川郡旧乙立村27.11
島根県(その他)中海内の堤防等0.47
島根県(その他)宍道湖79.0879.1679.6679.7079.7080.3681.0381.8181.8182.32
岡山県(市部)児島湖7.13
岡山県(その他)児島湖7.137.137.137.13
岡山県(その他)児島湾干拓第7区16.65
山口県(市部)宇部市及び小野田市境界部地先海面の埋立地0.000.00
山口県豊浦郡鷹の羽国有林3.89
鹿児島県(市部)鷹島0.04
鹿児島県(郡部)鷹島0.040.040.040.04
鹿児島県(市部)津倉瀬0.01
鹿児島県(郡部)津倉瀬0.010.010.010.01
鹿児島県川辺郡所属未定地1.611.611.61
鹿児島県大島郡横当島3.88
沖縄県(その他)うるま市及び国頭郡金武町の境界部地先海面の埋立地0.180.18
沖縄県(その他)石川市及び国頭郡金武町の境界部地先海面の埋立地0.180.180.18

「都道府県外」とは、都道府県の面積には加算はされていないが、全国の面積には加算されていることを意味します。
「(郡部)」とは、特定の郡・支庁に面積は加算されていないが、その都道府県の郡部面積には加算されていることを意味します。なお昭和35年の「岐阜県郡上郡白鳥町に編入された福井県大野郡旧石徹白村の一部」の面積は、都道府県別面積には加算はされていませんが、全国の郡部面積には加算されています(よって[85587]の郡部合計は誤りです)。
「(市部)」とは、その都道府県の市部面積に加算されていることを意味します。
「(その他)」とは、その都道府県の市部・郡部面積には加算はされていないが、その都道府県の面積や、あるいは全国の面積には加算されてることを意味します。

【追記】面積の単位はkm2です。それにしても平成22年の国勢調査の面積でも丸め誤差が発生しておりませんね。小数点以下第3位で四捨五入しているとすると、本当の面積のデータは±0.005 km2の範囲に存在し、四捨五入後の値との誤差の絶対値の平均は0.0025 km2となります。2000前後の自治体でこの誤差を合算すると、二項分布を考えれば全国の面積合計で√2000 × 0.0025 ≒ 0.11 km2程度の丸め誤差は出て当たり前のはずですが、そのような誤差は見当たりません。

ということは、面積の処理では単純な四捨五入ではなく、合計に端数が出ないように微妙な調整をしているということになりますね。
[85625] 2014年 5月 18日(日)01:16:18【1】YT さん
昭和19年人口調査の東京都内人口について追記
[85612]について、昭和19年2月22日調の東京都の人口調査の結果が載っていないかと、昨日、立川の多摩都立図書館に行き、昭和19年から昭和21年までの東京都公報・警視庁公報のマイクロフィルムを閲覧しましたが、残念ながら人口に関する資料は全く載っておりませんでした。

改めて当時の新聞記事を確認すると、毎日新聞昭和20年10月14日東京朝刊1頁によると

わが国の実人口は去る昭和十五年十月一日施行による国勢調査の結果を「軍密」といふ深いヴェールの中に厳重に包んでしまひ、また昨年二月一日現在で行った人口調査も勿論未発表なので内務省は実人口の急速なる調査の必要に応ずるため内閣統計審議会の手で昨十九年二月一日施行された人口調査の数字を基準に各種資料を換算、なほ応召、入密軍人の復員完了を想定する等苦心調査の結果、こゝに本年八月末現在でわが国の人口が五年ぶりで明らかにされた
細かい日付が間違っていますが、どうやら昭和19年2月22日の人口調査の結果は、少なくとも終戦まで公表された事実はないようです。

一方読売新聞昭和20年11月22日の記事によると、「統計局」が昭和20年11月21日に、昭和20年11月1日調の人口調査の結果の速報を公表し、昭和19年の人口調査7247万3836人に対し、47万7359人減の7199万6477人だったと報告されています。

ここで昭和19年人口調査の人口とされている「7247万3836人」は、[82202]でまとめた補正後の人口総数7345万6141人から、樺太と沖縄県の人口を除いた数字に相当します。

一方昭和20年人口調査の速報値とされている「7199万6477人」は、官報で昭和20年11月26日付に公表された数字と一致しますが、官報の方には11月22日の朝日新聞の記事([85612])にあったような人口の増減は記載されておりません。[82196]にまとめたように、その後に公表された数字は一部改訂されています。

現時点で推測されることは、どうも昭和20年11月21日に、内閣統計局が昭和20年の人口調査の速報値の資料をマスメディアに公表したが、そこには少なくとも県・市・区レベルでの昭和19年人口調査と比べての人口増減が載っていたらしいということです。ただしこの段階で公表されているのはおそらく郡市区別人口までで、郡内の町村別人口の資料はおそらく公表されていません。

となると、国立公文書館で[82278]に書いたような昭和19年の人口調査資料を調べたのが間違いで、昭和20年の人口調査資料の方に、人口の増減が載っている可能性が残っており、調べるべきは昭和20年の人口調査資料ということになります。[76192]でむっくんさんに紹介して頂いた「昭和二十年人口調査ノ結果ニ拠ル昭和二十年十一月一日現在ノ都道府県郡島嶼市区町村別人口」(pdf)には、残念ながら人口の増減は載っておりません。また「昭和二十年人口調査ノ結果ニ拠ル昭和二十年十一月一日現在ノ都道府県郡島嶼市区別人口」(pdf)というのもオンラインで閲覧できますが、こちらにも人口の増減までは書かれておりません。
[85624] 2014年 5月 17日(土)01:57:36【4】YT さん
国勢調査における面積の遡及データの取り扱いの問題点:昭和60年の歯舞群島の面積改定の問題
沖縄県が復帰した後の昭和50年(pdf)と昭和55年(pdf)の国勢調査では、北方領土と竹島への意識が強く働いたのか、国勢調査の遡及データを含め、日本が実効支配していない地域の面積を含めて合計の数字を記載するようになります。その一方で人口密度を計算する際には、北方領土と竹島の面積を除いて計算するというルールが現在まで続いています。このほか、三島村・十島村は鹿児島県大島郡から鹿児島県鹿児島郡所属に変更、隠岐島穏地郡は隠岐郡となり、過去の遡及データも所属郡が変更されて再計算されています。

地域昭和15年昭和20年昭和25年昭和30/35年昭和40年昭和45年昭和50年昭和55年
北海道88,775.0483,455.4383,481.8183,504.4283,507.3583,509.0383,512.8783,516.57
 得撫郡, 新知郡及び占守郡5,319.61
 択捉島 (紗那村, 留別村, 蘂取村)3,139.003,139.003,139.003,139.003,139.003,139.003,139.003,139.00
 国後島 (泊村, 留夜別村)1,500.041,500.041,500.041,500.041,500.041,500.041,500.041,500.04
 色丹島 (色丹村)255.12255.12255.12255.12255.12255.12255.12255.12
 根室市536.88536.88536.88504.81504.88518.52518.82518.91
  歯舞群島 (水晶島, 勇留島, 秋勇留島, 志発島, 多楽島)101.59101.59101.59101.59101.59101.59101.59101.59
  その他の地域435.29435.29435.29403.22403.29416.93417.23417.32
 その他の地域78,024.3978,024.3978,050.7778,105.4578,108.3178,096.3578,099.8978,103.50
東京都2,144.802,148.492,137.262,133.032,135.112,141.112,145.382,156.35
 小笠原村102.94106.14106.14106.14106.14106.14106.14106.14
 その他の地域2,041.862,042.352,031.122,026.892,028.972,034.972,039.242,050.21
島根県6,624.606,624.426,626.296,625.266,625.956,626.126,626.806,627.41
 隠岐郡348.03348.03347.84347.94347.94347.97348.15348.23
  五箇村51.8651.8651.6751.8051.8051.8051.9751.98
   竹島0.230.230.230.230.230.230.230.23
   その他の地域51.6351.6351.4451.5751.5751.5751.7451.75
  その他の地域296.17296.17296.17296.14296.14296.17296.18296.25
 その他の地域6,276.576,276.396,278.456,277.326,278.016,278.156,278.656,279.18
鹿児島県9,103.819,170.977,913.229,140.179,141.589,144.979,153.389,162.81
 奄美群島 (那瀬市及び大島郡)1,270.611,237.051,237.051,237.131,237.821,238.301,238.83
 鹿児島郡105.59206.31205.57205.61205.61205.61205.61205.61
  三島村 (硫黄島, 竹島, 黒島)31.6131.6131.6131.6131.6131.6131.61
  十島村及び横当島 (吐噶喇列島)18.4387.5487.5487.5487.5487.5487.5487.54
  その他の地域87.1687.1686.4286.4686.4686.4686.4686.46
 その他の地域7,727.617,727.617,707.657,697.517,698.847,701.547,709.477,718.37
沖縄県2,386.242,388.223,625.272,388.222,388.222,239.222,245.872,249.91
その他42府県273,510.93273,510.44273,315.23273,359.98273,468.96273,648.23273,850.69273,995.04
全国382,545.42377,297.97377,099.08377,151.08377,267.17377,308.68377,534.99377,708.09

昭和50年、昭和55年の国勢調査の面積の遡及データを確認したことにより、実行支配していない地域の過去の面積については、実効支配に復帰した直後の面積で代用する(沖縄県を除く)という方針が定まっているのかと思いました。しかしならが昭和60年の国勢調査報告書を読んだ時(以下の面積の遡及データはオンラインでは確認できない)、この方針が破られていることに気づきました。


地域昭和15年昭和20年昭和25年昭和30/35年昭和40年昭和45年昭和50年昭和55年昭和60年
北海道88,775.0483,455.4383,481.8183,504.4383,507.3683,509.0483,512.8783,516.5783,519.22
 得撫郡, 新知郡及び占守郡5,319.61
 択捉島 (紗那村, 留別村, 蘂取村)3,139.003,139.003,139.003,139.003,139.003,139.003,139.003,139.003,139.00
 国後島 (泊村, 留夜別村)1,500.041,500.041,500.041,500.041,500.041,500.041,500.041,500.041,500.04
 色丹島 (色丹村)255.12255.12255.12255.12255.12255.12255.12255.12255.12
 根室市536.88536.88536.88504.82504.89518.53518.82518.91519.03
  歯舞群島 (水晶島, 勇留島, 秋勇留島, 志発島, 多楽島)101.60101.60101.60101.60101.60101.60101.60101.60101.60
  その他の地域435.28435.28435.28403.22403.29416.93417.22417.31417.43
 その他の地域78,024.3978,024.3978,050.7778,105.4578,108.3178,096.3578,099.8978,103.5078,106.03
東京都2,144.802,148.492,137.262,133.032,135.112,141.112,145.382,156.352,162.34
 小笠原村102.94106.14106.14106.14106.14106.14106.14106.14106.18
 その他の地域2,041.862,042.352,031.122,026.892,028.972,034.972,039.242,050.212,056.16
島根県6,624.606,624.426,626.296,625.266,625.956,626.126,626.806,627.416,628.42
 隠岐郡348.03348.03347.84347.94347.94347.97348.15348.23348.42
  五箇村/隠岐の島町51.8651.8651.6751.8051.8051.8051.9751.9851.98
   竹島0.230.230.230.230.230.230.230.230.23
   その他の地域51.6351.6351.4451.5751.5751.5751.7451.7551.75
  その他の地域296.17296.17296.17296.14296.14296.17296.18296.25296.44
 その他の地域6,276.576,276.396,278.456,277.326,278.016,278.156,278.656,279.186,280.00
鹿児島県9,103.819,170.977,913.229,140.179,141.589,144.979,153.389,162.819,165.03
 奄美群島 (那瀬市及び大島郡)1,270.611,237.051,237.051,237.131,237.821,238.301,238.831,239.38
 鹿児島郡105.59206.31205.57205.61205.61205.61205.61205.61205.63
  三島村 (硫黄島, 竹島, 黒島)31.6131.6131.6131.6131.6131.6131.6131.61
  十島村及び横当島 (吐噶喇列島)18.4387.5487.5487.5487.5487.5487.5487.5487.54
  その他の地域87.1687.1686.4286.4686.4686.4686.4686.4686.48
 その他の地域7,727.617,727.617,707.657,697.517,698.847,701.547,709.477,718.377,720.02
沖縄県2,386.242,388.223,625.272,388.222,388.222,239.222,245.872,249.912,254.17
その他42府県273,510.93273,510.44273,315.23273,359.98273,468.96273,648.23273,850.69273,995.04274,071.96
全国382,545.42377,297.97377,099.08377,151.09377,267.18377,308.69377,534.99377,708.09377,801.14

昭和60年の国勢調査では、歯舞群島の面積が101.59 km2から101.60 km2に改定されています。それだけでなく、過去の歯舞群島の面積も101.60 km2に改定されています。その結果、まず昭和15年の現根室市境域内の内歯舞群島を除く面積が0.01 km2減らされています。まあこれは『昭和十年 全国市町村別面積調』の面積が165.00 km2なので、そこから歯舞群島分の面積を引いたということで、トータルで±ゼロということでいいでしょう。

しかしながら、昭和25年の現根室市境域内の内歯舞群島を除く面積が0.01 km2減らされています。これは昭和25年の国勢調査報告書の面積を、30年以上後になって改定した行為に相当します。一方で昭和30年~45年までの面積は、歯舞群島の面積のみに0.01 km2を加算した結果、総数も0.01 km2増えております。昭和50年以降は国勢調査自体が北方領土の面積を含める表記となったので、現根室市境域内の内歯舞群島を除く面積が0.01 km2減らされていますが、根室市のトータルの面積は過去の国勢調査のままを保ちます。なぜ昭和60年の段階で、歯舞群島の面積を0.01 km2に改定しただけでなく、その過去の面積まで変えてしまったのか、しかも過去の国勢調査における実効支配内の市区町村の面積まで変えてしまうような改定を中途半端に行ったのか、たかが0.01 km2ですので丸め誤差の範疇ですが、その理由がわかりません。

なお平成2年以降の国勢調査の面積の遡及データは以下の通りですが、昭和60年以前の面積の遡及データを変更することなく現在まで続いています。竹島や北方領土の面積は頻繁に改定されているようですが、昭和60年の歯舞群島の面積改定とは異なり、過去の面積にまで修正がなされていません。

地域平成2年平成7年平成12年平成17年平成22年
北海道83,408.3583,451.5983,453.0483,455.7383,456.87
 得撫郡, 新知郡及び占守郡
 択捉島 (紗那村, 留別村, 蘂取村)3,139.003,184.043,184.043,184.043,184.04
 国後島 (泊村, 留夜別村)1,500.041,498.831,498.831,498.831,498.83
 色丹島 (色丹村)255.12253.33253.33253.33253.33
 根室市514.21512.62512.64512.60512.72
  歯舞群島 (水晶島, 勇留島, 秋勇留島, 志発島, 多楽島)101.6099.9499.9499.9499.94
  その他の地域412.61412.68412.70412.66412.78
 その他の地域77,999.9878,002.7778,004.2078,006.9378,007.95
東京都2,183.262,186.622,186.902,186.962,187.50
 小笠原村104.41104.41104.41104.41104.41
 その他の地域2,078.852,082.212,082.492,082.552,083.09
島根県6,626.246,706.706,707.296,707.566,707.95
 隠岐郡345.88345.97346.04346.19346.22
  五箇村/隠岐の島町52.3952.3952.39242.97242.95
   竹島0.230.230.230.230.21
   その他の地域52.1652.1652.16242.74242.74
  その他の地域293.49293.58293.65103.22103.27
 その他の地域6,280.366,360.736,361.256,361.376,361.73
鹿児島県9,183.269,185.999,186.719,187.699,188.78
 奄美群島 (那瀬市及び大島郡)1,238.661,239.791,240.021,240.231,240.39
 鹿児島郡219.69219.70219.70132.71132.71
  三島村 (硫黄島, 竹島, 黒島)31.3631.3631.3631.3631.36
  十島村及び横当島 (吐噶喇列島)101.35101.35101.35101.35101.35
  その他の地域86.9886.9986.99
 その他の地域7,724.917,726.507,726.997,814.757,815.68
沖縄県2,264.002,266.042,271.302,274.592,276.15
その他42府県274,072.00274,032.47274,067.82274,102.25274,132.85
全国377,737.11377,829.41377,873.06377,914.78377,950.10

この場合、昭和60年の国勢調査における歯舞群島の面積の改定に伴う、過去の面積の遡及データの改定は無かったものとして集計するべきなのでしょうか?

なお米軍占領下の琉球政府の国勢調査の面積については、追加修正で対応するしかない問題が見つかりましたが、これについては項を改めて後日まとめます。
[85623] 2014年 5月 17日(土)01:52:33【3】YT さん
国勢調査における面積の遡及データの取り扱いの問題点:遡及改定をどこまで考慮するべきか
国勢調査報告書に載っている面積を入力して行く内に、人口データでは余り意識を払わなかった問題が、面積データの場合にはそれなりに重要な問題と成り得ることが判りました。それは、国勢調査報告書に載っている面積が、その対象年度の国勢調査時における面積と、その後に出版された国勢調査に収録されている遡及データとしての過去の国勢調査時における面積とが一致しないケースが多々ある点です。特に問題となるのは、領土問題等で面積のデータが不足しているケースです。

まず『昭和25年 国勢調査報告 第8巻 最終報告書』記載の昭和25年の調査地域及び昭和15年以前の調査地域は以下の通りです。

地域昭和15年以前の調査地域昭和25年の調査地域
旧版図675,313.35368,284.15
 旧内地 (樺太を除く)382,470.03368,284.15
  沖縄県を除く46都道府県380,083.79368,284.15
   北海道88,801.4278,486.06
    根室支庁13,805.813,490.45
     泊村538.99
     留夜別村961.05
     色丹村255.12
     紗那村959.53
     留別村1,429.73
     蘂取村749.74
     得撫島1,468.68
     新知郡540.79
     占守郡3,310.14
     歯舞村165.0063.41
      水晶島, 勇留島, 秋勇留島, 志発島および多楽島101.59
      その他の地域63.4163.41
     その他の地域3,427.043,427.04
    その他の地域74,995.6174,995.61
   東京都2,134.062,031.12
    八丈支庁82.3982.39
     宇津木村1.511.51
     島打村1.711.71
     青ヶ島5.295.29
     鳥島4.654.65
     その他の地域69.2369.23
    小笠原102.94
    その他の地域1,948.731,948.73
   島根県6,627.366,626.06
    穏地郡348.91347.61
     五箇村52.7451.44
      竹島1.30
      その他の地域51.4451.44
     その他の地域296.17296.17
    その他の地域6,278.456,278.45
   鹿児島県9,205.727,825.68
    大島郡1,411.6531.61
     十島村115.3931.61
      硫黄島, 竹島および黒島31.6131.61
      その他の地域83.78
     横当島3.88
     その他の地域1,292.38
    その他の地域7,794.077,794.07
   その他の42府県273,315.23273,315.23
  沖縄県2,386.24
 外地292,843.32
  樺太36,090.30
  朝鮮220,791.81
  台湾35,961.21
旧版図外5,611.25
 関東州3,462.45
 南洋群島2,148.80
合計680,924.60368,284.15

ここで「昭和15年以前の調査地域」とありますが、総面積の368,284.15 km2自体、京都府に関する面積改定
(A) 昭和28年9月に市町村面積の改測を行った結果第一巻に掲載の面積より市部(1.14方粁減)、郡部(3.09方粁増)、県計(1.95方粁増)がそれぞれ増減している。
が反映されておりますし、鹿児島県大島郡十島村の総面積である115.39 km2も、『昭和十年 全国市町村別面積調』記載の18.43 km2から改定されております(そもそも18.43 km2という面積が明らかに誤りですが)ので、これはあくまでも昭和25年国勢調査の結果をまとめた段階で、総理府統計局が把握していた最新の面積ということでしょう。

次に『昭和30年 国勢調査報告 第一巻 人口総数』の「調査の概要」(pdf)記載の昭和15年~昭和30年の面積と『昭和30年国勢調査 全国都道府県郡市区町村別面積改定表』記載の改定された昭和30年の面積をまとめると以下の通りになります。

調査地域昭和15年昭和20年昭和22年昭和25年昭和30年昭和30年改定
北海道88,775.0478,459.6878,459.6878,486.0678,664.4878,508.67
 根室支庁13,811.493,496.133,496.133,490.453,439.413,445.01
  得撫郡, 新知郡および占守郡5,319.61
  泊村, 留夜別村, 紗那村, 留別村および蘂取村4,639.04
  色丹村255.12
  歯舞村165.0063.4163.4163.4163.4063.40
   水晶島, 勇留島, 秋勇留島, 志発島および多楽島101.59
   その他の地域63.4163.4163.4163.4163.4063.40
  その他の地域3,432.723,432.723,432.723,427.043,376.013,381.61
 その他の地域74,963.5574,963.5574,963.5574,995.6175,225.0775,063.66
東京都2,144.802,041.862,041.862,031.122,020.882,023.01
 小笠原村102.94
 その他の地域2,041.862,041.862,041.862,031.122,020.882,023.01
島根県6,624.606,623.306,623.306,626.066,625.046,625.04
 穏地郡348.03346.73346.73347.61347.71347.71
  五箇村51.8650.5650.5651.4451.5751.57
   竹島1.30
   その他の地域50.5650.5650.5651.4451.5751.57
  その他の地域296.17296.17296.17296.17296.14296.14
 その他の地域6,276.576,276.576,276.576,278.456,277.336,277.33
鹿児島県9,103.817,814.777,833.207,825.689,190.919,140.17
 大島郡および那瀬市1,289.0418.4331.611,411.531,356.20
  三島村 (硫黄島, 竹島および黒島)18.4331.6131.6131.61
  十島村および横当島 (吐噶喇列島)18.4387.5487.54
  その他の地域 (奄美群島)1,270.611,292.381,237.05
 その他の地域7,814.777,814.777,814.777,794.077,779.387,783.97
その他の42府県273,510.93273,510.93273,510.93273,315.23273,264.58273,363.85
誤差0.890.89
380,159.18368,451.43368,469.86368,284.15369,765.89369,660.74
沖縄県2,386.24

●昭和15年の面積に沖縄県の面積を足した382,545.42 km2は『昭和十年 全国市町村別面積調』の総面積と完全に一致しています。なお昭和15年の鹿児島県大島郡十島村の面積18.43 kmは三島村(硫黄島, 竹島および黒島)を含んでの数字ですが、表記の都合上、上表では十島村にのみ18.43 km2を記入しております。
●昭和20年人口調査と昭和22年臨時国勢調査の誤差については
昭和15年の総面積から調査結果に含まれていない地域を除いた数値との間に0.89平方粁の誤差がある。
とありますが、そもそも昭和20年人口調査と昭和22年臨時国勢調査には市区町村別面積の情報が記載されておりませんので、今回ここでは検証しません。昭和22年の鹿児島県の面積には、なぜか大島郡十島村・三島村の総面積18.43 km2が加算されているのですが、これについては、三島村の項に追加しておきました。
●昭和25年の面積は、先の昭和25年国勢調査報告書のものと一致します。

このように『昭和30年 国勢調査報告 第一巻 人口総数』では、たとえ面積がおかしかろうが、「作成当時の」調査結果を尊重して表を作っていることが判ります。

一方昭和30年までに復帰した鹿児島県大島郡の面積1,411.53 km2は、昭和25年国勢調査報告書記載の1,411.65 km2に比べて0.12 km2減っておりますが、これは十島村の面積の減少(83.78 → 83.66 km2; 横当島の面積3.88 km2は変わらず)に相当します。なお昭和30年の国勢調査の面積は、最終的に『昭和30年国勢調査 全国都道府県郡市区町村別面積改定表』で一部改定されておりますが(オンラインでは閲覧できない)、このことが昭和35年(pdf)、昭和40年(pdf)、昭和45年(pdf)の国勢調査報告書記載の面積の遡及データにも影響を与えております。


調査地域昭和15年昭和20年昭和25年昭和30/35年昭和40年昭和45年
北海道88,775.0478,459.6878,486.0678,508.6778,511.6078,513.28
 根室支庁および根室市13,811.493,496.133,490.453,445.013,445.083,458.71
  得撫郡, 新知郡および占守郡5,319.61
  泊村, 留夜別村, 紗那村, 留別村および蘂取村4,639.04
  色丹村255.12
  根室市536.88436.29436.29403.22403.29416.88
   水晶島, 勇留島, 秋勇留島, 志発島および多楽島101.59
   その他の地域435.29436.29436.29403.22403.29416.88
  その他の地域3,060.843,059.843,054.163,041.793,041.793,041.83
 その他の地域74,963.5574,963.5574,995.6175,063.6675,066.5275,054.57
東京都2,144.802,041.862,031.122,026.892,027.372,141.11
 小笠原村102.94106.14
 その他の地域2,041.862,041.862,031.122,026.892,027.372,034.97
島根県6,624.606,623.306,626.066,625.036,625.726,625.89
 隠岐島348.03346.73347.61347.71347.71347.74
  五箇村53.1650.5651.4451.5751.5751.57
   竹島1.30
   その他の地域51.8650.5651.4451.5751.5751.57
  その他の地域296.17296.17296.17296.14296.14296.17
 その他の地域6,276.576,276.576,278.456,277.326,278.016,278.15
鹿児島県9,103.817,814.777,825.689,140.179,141.589,144.97
 大島郡および那瀬市1,289.0431.611,356.201,356.281,356.97
  三島村 (硫黄島, 竹島および黒島)31.6131.6131.6131.61
  十島村および横当島 (吐噶喇列島)18.4387.5487.5487.54
  その他の地域1,270.611,237.051,237.131,237.82
 その他の地域7,814.777,814.777,794.077,783.977,785.307,788.00
その他の42府県273,510.93273,510.93273,315.23273,359.98273,470.56273,648.23
誤差0.89
380,159.18368,451.43368,284.15369,660.74369,776.83370,073.48

昭和35年以降の国勢調査の面積の遡及データでは、奄美群島の昭和20年~25年の面積が、復帰直後の昭和30年の改定版面積に置き換わってしまっています。つまり昭和30年以降の統計局の方針は、国勢調査の対象外だった地域の過去の面積については、復帰直後の国勢調査時の面積に置き換えるというものになったように見えます。なお昭和35年まで、復帰した小笠原、奄美群島を含め、日本が実行支配していなかった時期の地域の面積は過去のデータも総計から除外していたようです。また歯舞村は根室市に合併され、過去の面積のデータも根室市で再計算されています。
[85612] 2014年 5月 13日(火)21:52:36【3】YT さん
昭和19年の人口調査における東京都の区部の人口
昭和19年2月22日に日本の内地では、配給制度への備えを目的として銃後人口の人口調査を実施しました。その時の市町村別人口の詳細は戦後に『昭和19年人口調査 集計結果摘要』(1977年)として出版されておりますが、[82202]に示したように、東京都の人口に関しては、1955年1月頃の境界によって人口が集計されてしまっております。

これに関し今日、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞で、戦中・戦後の人口に関する記事を調べたところ、昭和20年11月22日の朝日新聞の東京版朝刊において、昭和20年11月1日の人口調査の結果(都道府県・市・区別のみ)とともに、昭和19年の人口調査に対する増減が記述されていることを見出しました。つまりこの朝日新聞の記事の数字を使えば、昭和19年2月22日の東京都の当時の区部別人口が一応計算できることになります。

朝日新聞の新聞記事の数字(S20人口、増減)と、この記事により算出可能な昭和19年人口(S19計算値)『昭和19年人口調査 集計結果摘要』の数字(S19文献値)と市区名(対応する地区)、及び人口の一致の有無をまとめると以下の通りになります。

地区S20人口増減S19計算値S19文献値対応する地区一致
旧東京2,777,010-3,800,6106,577,6206,558,161特別区部×
八王子63,192-14,28677,47877,478八王子市
立川34,586-17,03851,62451,624立川市
麹町区17,976-30,48148,457150,748千代田区
神田区26,436-75,855102,291千代田区
日本橋区22,876-50,94773,823188,871中央区
京橋区53,344-61,704115,048中央区
芝区67,116-96,080163,196291,997港区×
麻布区20,697-59,00279,699港区×
赤坂区8,791-3,99212,783港区×
四谷区11,245-56,58367,828359,601新宿区
牛込区20,771-95,045115,816新宿区
小石川区43,444-97,863141,307270,993文京区
本郷区49,304-80,282129,586文京区
下谷区59,988-109,441169,429403,420台東区
浅草区24,581-209,410233,991台東区
本所区12,753-228,296241,049438,114墨田区
深川区14,094-196,759210,853396,337江東区
品川区89,782-124,492214,274395,770品川区×
目黒区121,333-81,200202,533202,533目黒区
荏原区53,708-127,789181,497品川区×
大森区160,865-136,896297,761564,784大田区
蒲田区52,135-214,888267,023大田区
世田谷区276,450-27,023303,473303,473世田谷区
渋谷区84,067-155,432239,499239,499渋谷区
淀橋区51,090-124,867175,957新宿区
中野区124,011-92,713216,724216,724中野区
杉並区211,229-48,517259,746259,746杉並区
豊島区92,192-209,865302,057302,057豊島区
滝野川区36,494-88,541125,035341,552北区
荒川区84,010-250,370334,380334,380荒川区
王子区101,807-114,710216,517北区
板橋区217,974-53,152271,126271,226板橋区+練馬区
足立区172,437-78,116250,553250,553足立区
向島区64,842-132,223197,065墨田区
城東区11,114-174,370185,484江東区
葛飾区171,557-10,017181,574181,574葛飾区
江戸川区146,497-47,712194,209194,209江戸川区
区部合計2,777,010-3,744,6336,521,6436,558,161特別区部×


八王子市と立川市、そして東京特別区部の大部分で、新聞記事から求められる数字と『昭和19年人口調査 集計結果摘要』の人口が一致しますが、品川区+荏原区→品川区に関しては『昭和19年人口調査 集計結果摘要』よりも1人多く、麻布区+赤坂区+芝区→港区に関しては『昭和19年人口調査 集計結果摘要』よりも36,319人足りません。おそらく赤坂区の人口減少の数字が桁落ちして印刷されているのでしょう。実際各区の減少分を合計(3,744,633)しても、旧東京全体の減少分(3,800,610)と一致しません。なお新聞記事から求めることが可能な昭和19年の特別区部の人口(6,577,620または6,521,643)は、『昭和19年人口調査 集計結果摘要』の昭和19年の特別区部の人口(6,558,161)とも微妙に異なります。

まあ一応は、麻布区、赤坂区、芝区以外の昭和19年人口調査における区別人口はほぼ確定しました。

官報の方では11月26日に、郡市区別人口が公表されておりますが、ここには人口の増減が載っておりません。11月23日に、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞が一斉に昭和20年11月1日付の人口調査の結果速報を発表しているということは、官報よりも先にメディアに公開された情報があり、そこに昭和19年の人口との比較が載っていたのでしょうか(毎日・読売の記事には昭和19年の人口との比較が載っていない)?それとも朝日新聞は独自に昭和19年の人口との比較をしたのでしょうか?

[82278]にも書いたように、国立公文書館で昭和19年人口調査関連の資料に一通り目を通しましたが、何れも市区町村別人口の情報が記載されていませんでした。また東京都公文書館の統計資料室に問い合わせた限りでは、該当するような資料は保管しておりませんでした。あと調べていないのは東京都公報ですが、こちらは立川にある都立多摩図書館にマイクロフィルムとして収められているのがほぼ唯一?の全閲覧可能な資料状態で、載っているかも分からない情報を端から端まで調べるのは大変そうです。
[85609] 2014年 5月 13日(火)01:23:24YT さん
北方領土・竹島の面積の扱い
余り政治的な話には立ち入りたくないのですが、国勢調査における北方領土・竹島の面積の扱いが時代とともに変化しているようです。

昭和25年から昭和45年の国勢調査までは、北方領土と竹島の面積は日本全国の面積に含んでおりません。しかしながら昭和50年以降の国勢調査からは、歯舞諸島を根室市に、他3島を北海道の郡部に、竹島を島根県隠岐郡五箇村の面積に加算するように変更がなされております(昭和50年国勢調査令(昭和50年4月10日政令第114号))。しかも厄介なことに、昭和50年以降の国勢調査では、面積の集計には含めるものの、人口密度の算出には面積に含めないという、面倒な計算方法が今日まで続いているようです。

北方領土・竹島の面積について、昭和25年~昭和40年の国勢調査においても遡って同様の修正をするべきなのか、面積の問題は人口問題以上に微妙な問題を含んでおります。
[85605] 2014年 5月 11日(日)00:49:48【2】YT さん
1965年、1970年の国勢調査の面積の問題点
[85587]に引き続き、1965年、1970年の国勢調査における面積を入力しましたが、現時点で最大の問題は、国勢調査報告書の面積に誤りが多すぎる点です。現在統計局のサイトから一通りの報告書をダウンロードできますが、総てをダウンロードできるわけではありません。例えば昭和40年の国勢調査の場合、ダウンロードできるのは1巻だけですが、こちらを使って市区町村別面積を入力したところ、合計が合わないという問題が発生しました。どうも東京都の面積に1.60 km2のズレが生じる問題があるようですが(これとは別に1巻では鳥島の面積の表中での扱いに誤りがある)、オンラインでは訂正をまとめたページも確認できないし、1巻のpdfだけでは問題が解決しませんでした。そこで昨日図書館で『昭和40年 勢調査全国都道府県市区町村人口総覧 都道府県の部 その13 東京都の人口』を閲覧し、結果23区の一部の面積等が改訂されていることを確認しました。ただ1巻の訂正をまとめた資料の存在を確認できませんでした。

それよりもひどいのが、昭和45年の国勢調査報告書です。pdfの質が悪いだけではなく、面積のデータでは、実際にフォント上で「5」と「6」の活字が30箇所以上間違っています。これは原稿を書いた人が悪筆だったせいなのでしょうか?あるいは人口はチェックしていても、面積の方までは再チェックがされなかったせいなのでしょうか?間違いの箇所の半分以上は人口密度を再計算することで正しい数字を見積もれますが(つまり原稿段階では正しい面積と人口密度が計算されていた)、小数点以下第二位の数字が間違っている場合は計算しても違いがでないことが多く、その場合は前後の年の国勢調査の面積を比較して正しそうな数字を選んでいますが、とにかく間違いが多過ぎです。

内容の方で昭和40年の国勢調査で問題になりそうなのが、秋田県南秋田郡大潟村の面積です。人口の方は16人と、郡別人口の方に集計されていますが、面積の方は、

2) 八郎潟の面積(218.62 km2)のなかに含まれている。

とあり、その八郎潟の面積の方は市郡別面積の方には加算されていません。正しい解釈としては昭和40年10月1日の時点で開拓が済んだ面積をどっから持ってくる必要がありますが、[85587]で示した、岐阜県郡上郡白鳥町に編入された福井県大野郡旧石徹白村の一部(人口は岐阜県郡部に加算されているが、面積は都道府県別や郡部・市部から除外)、岐阜県中津川市と長野県西筑摩郡山口村の間の境界紛争地域(人口は都道府県別や郡部・市部から除外されているが、面積は各県の郡別・市別に分割)と同じように、改訂すると郡市別・都道府県別面積の数字が変わってしまう問題を含んでいます。現時点でこれらのケースについては、国勢調査報告書の県別・市郡別のグルーピングを尊重し、面積の再分配は止めた方がいいのかも知れません。

また[85604]のケースや、[85587]で示した富山県下新川郡宇奈月町・朝日町の面積(これは昭和40年・昭和45年の国勢調査でも継続して問題となる)については再分配するべきなのか、まだ意見がまとまっていません。

とりあえず面積というのは自分が予想していた以上にいい加減なデータのようです。地積を積み上げてビルドアップで計算するのではなく、全体の地図を作製して、そこからビルドダウンで計算するのが基本のようです。有効となる数字も小数点以下第二位なのか小数点以下第三位なのかよく分かりませんが、国土地理院の方法によると万5千分の1の地図を使用とあるので、0.01 km2 = 1 haは、4 mm×4 mm四方となり、小数点以下第三位まで見積もるのには適していませんね。少なくともビルドダウンで計算した結果、丸め誤差が発生しないように分配されてしまっているようです。まあそもそも水平面って何なのでしょう?満潮干潮はどこまで考慮するのか、測量ではブーゲー異常を考慮するのか、多分これを調べ出すと、それだけで一冊の本ができそうですね。


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