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YSKさんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[67183]2008年11月3日
YSK

[67183] 2008年 11月 3日(月)00:27:41YSK さん
東京フィールドワーク、仙台
こんばんは、秋らしい穏やかな晴天に恵まれた当地です。本日、今年に入って意識的に取り組んでいる東京フィールドワークに出かけてまいりました。暑くもなく、寒くもなく、歩くにはちょうどよい陽気で、たいへんさわやかな町歩きをすることができました。

[67174]ペーロケさん
仙台レスありがとうございます。仙台については私のページにある「クローズアップ仙台」が参考になるかと思いますので、ご覧になってくださいますと幸いです。

むしろ、時代とともに変化する様子が面白いですね。戦前は青葉通りや広瀬通りなんて存在せず、戦後になって広い都市計画道路が整備されたというのがよく分かります。
私が指摘したいのは、こういった広幅員の道路が整備されても、城下町時代から形成されてきた街路網の形を大きく崩すものではなかった、ということです。仙台高裁前先から北目町にかけて市街地を斜めに横切る「五ツ橋通」や、青葉通の西側付近が碁盤目状の市街地の形をイレギュラーに貫く道路としてやや目立っていまして、多くの街路が既存の道路を拡幅したり、また碁盤目状の形を崩すことなく整備されています。広瀬通も西半分は「立町」を、そして東半分の一部は「元寺小路」を拡幅・整理したもののようです。

現在の地図では二十人町が広瀬通りにつながっているように見えますが、実は大町に繋がっており、広瀬通りは鉄砲町に繋がっていたとは。「X橋」というモノにすっかり騙されました。
「X橋(正式名称は「宮城野橋」)はJR線を跨ぐ橋ですね。ちなみに[67107]に書きましたとおり「大町」は東二番丁までで、この付近の通り名は「名掛丁」となります。そして広瀬通も戦前までの言い方で言うと「元寺小路」となります。X橋は東行きと西行きで一方通行路となっている2つの道路が橋上で1つに束ねられ、橋を降りるとまた2つに分かれるという構造の橋でした(下図)。その形から通称の「X橋」が広く知られており、正式名称の「宮城野橋」はあまり知られていないようです。

元寺小路(広瀬通)元寺小路・鉄砲町
名掛丁名掛丁・二十人町

X橋のうち、西南の名掛丁に下りる部分は再開発ビル「アエル」の建設に伴い廃止され、現在ではすべて元寺小路(広瀬通)へ下りるようになっています。

仙台駅東第二地区では既存の建物を必要以上に壊さず、時間をかけて少しづつ整備していっている
そんなことは無いですよ。二十人町や鉄砲町では建物の撤去が進み、拡幅や区画整理の済んだエリアではマンションなどが建った部分と更地の部分とがモザイク状に展開している光景を目にすることができます。JR仙石線の地下化が完成したあたりからこのエリアでも区画整理のピッチが徐々に上がっているようで、戦災を免れ、昔ながらの住宅地と近隣商業地域が広がっていたかつての鉄砲町と二十人町の風景はもうほとんど無くなっているといっても良い状況となっています。このエリアは2003年から定期的にフィールドワークして取材しておりますので、「クローズアップ仙台」内該当記事をご確認くださいね。

エスカレーター関係は稿を改めたいと思います。


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