[51165]白桃 さん
以下は現在、市の中心となっていると思われるが、1935年(昭和10年)国勢調査時に5千人に満たなかった旧町です。つまり、当時もう少し人口が多くても良かったのでは、と(私が)思っている処です。
例として埼玉県越ケ谷町が挙げられていますね。日光街道の越ケ谷宿は元荒川の両側に市街が形成されたようですが、明治以降、川の南側が越ケ谷町、北側が大沢町と別々の自治体に分かれていました。二町が合併したのは1954年11月3日のことですから1935年の時点では越谷市の中心として越ケ谷町+大沢町を考える必要があるかと思います。二町の人口の和だと5千人を越しませんか?江戸時代の越ケ谷宿は埼玉県内の日光街道で最大の宿場町だったそうですから、1935年でも草加や春日部に負けない程の人口があってもおかしくないかと思います。
余談ですが、二町合併後の1956年12月1日に改名されるまでは東武伊勢崎線北越谷駅の駅名は武州大沢駅でした。