[32068]みかちゅう さん
大半の人は苗字がつけられたのも明治以降なので、
江戸時代の「苗字帯刀」は誤解されているのですが、苗字帯刀の「苗字」とは苗字の公称(公式の場での苗字の使用)を許すという意味で、苗字帯刀を許されていなくても苗字を私称するのは許されていました。
伊能忠敬の略年譜からの抜粋
西暦 年齢
1762 17 佐原村伊能家のミチの婿養子となる。
1783 38 津田氏より苗字帯刀を許される。
1801 56 幕府より苗字帯刀を許される。
この年表でわかるように伊能忠敬は苗字帯刀を許される前から"伊能"忠敬なんです。しかも津田氏(地方役人)と幕府から2回も苗字帯刀を許されている。
兵農分離以前は農民は武士でもあったわけで中世には日本人の大部分が苗字を持っていたはずです。江戸時代に入って苗字帯刀が許されなくなっても先祖伝来の苗字をそのまま私称し続けた例が多かったと考えられます。
明治の国民皆姓時に創生された苗字も多かったでしょうが、江戸時代から私称していた苗字をそのまま戸籍に登録した例も多かったに違いありません。
明治になって殆どの姓が創生されたとしたら、落書き帳アーカイブズ
地名と姓名の遥かなる関係で紹介されているように宇都宮姓が鎌倉時代に下野の宇都宮氏が移住した現在の愛媛や大分に多い理由が説明できませんよね。
比較的最近に現在の地名とそこの住民の苗字が殆ど一致しないから地名由来の姓は少ないと主張する書き込みがありましたが、現在の宇都宮市に宇都宮さんが殆どいなくても過去に遡れば宇都宮姓は地名由来の姓と判ります。