都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
KMKZさんの記事が5件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[32395]2004年9月1日
KMKZ
[32339]2004年8月31日
KMKZ
[32112]2004年8月25日
KMKZ
[32088]2004年8月24日
KMKZ
[32084]2004年8月24日
KMKZ

[32395] 2004年 9月 1日(水)06:24:58KMKZ さん
都営地下鉄の副駅名
[32346]なかなか さん
駅・車内アナウンスでは隣接するJR浜松町駅を意識してか「大門浜松町」と言っています。
はじめまして。
都営大江戸線の駅・車内では大門を大門浜松町、汐留を汐留シオサイトとアナウンスしていますが、浜松町やシオサイトは副駅名でして、正式な駅名の後に副駅名をアナウンスしているのです。

落書き帳アーカイブズ鉄道駅の副駅名・愛称あれこれ中の[7426](せか さん)に都営地下鉄の副駅名の一覧表があります。

なかなか さんがご指摘のように正式駅名+副駅名の複合駅名になっていると考えられるのですが、そのままでは駅名としては長すぎるので通常は省略して正式駅名だけを使用すれば良いようになっているのだと思います。
[32339] 2004年 8月 31日(火)07:04:22【3】KMKZ さん
東京近辺の複合名称駅
[32259]ありがたき さん
東京近辺では複合名称が違和感に感じる
複合名称は中央道の国立府中、東名道の大井松田、関越道の本庄児玉など関東でも高速のインター名として以前から採用されていましたので東京でも複合名称に対する違和感が薄れてきているのではないでしょうか。
最近では東京近辺でも新駅の名称に複合名称が採用されるようになって来ています。

路線名駅名
JR埼京線浮間舟渡
東京メトロ東西線原木中山
東京メトロ・西武有楽町線小竹向原
東京メトロ銀座線・南北線溜池山王
東京メトロ南北線赤羽岩淵、王子神谷
東京メトロ南北線・都営三田線白金高輪
都営新宿線馬喰横山
都営大江戸線落合南長崎、清澄白河、上野御徒町、若松河田
横浜市営地下鉄1号線伊勢崎長者町
埼玉高速鉄道線戸塚安行
[32112] 2004年 8月 25日(水)09:09:43KMKZ さん
小江戸3都、小江戸彦根
[32056]門外漢 さん
[32081]音無鈴鹿さん
[32100]かすみ さん
[32106]ken さん

小江戸と呼ばれるのは川越だけだと思っていたのですが、最近、栃木や佐原など小江戸と呼ばれる街が増えてきているように思います。
これは増えすぎて希少価値のなくなった小京都との差別化を図って歴史的景観を持ち、江戸と深いつながりを持っていた街が小江戸と称して観光キャンペーンを行っている結果なのではないかと思います。
昨年ですが、電車内の中吊り広告で「小江戸3都」と題した川越・栃木・佐原3市の観光案内を目にしたことがありました。
この3市には江戸時代に江戸との舟運で栄えた商業都市である他に、神輿だけではなく山車も重要な位置を占めていた江戸の祭りを今に伝えているという共通点もあります。

[29013]では月の輪熊さんが小京都・小江戸リストを紹介されていますね。

小江戸は関東に多いですが、関西の彦根も小江戸と呼ばれることがあるようです。ネットで検索すると小江戸彦根の城まつりなどがヒットします。
[32088] 2004年 8月 24日(火)10:14:49【1】KMKZ さん
レスを少々
[31952] 両毛人 さん
合併によってなくなる、あなたにとって「懐かしい」市町村名を教えてください
既になくなってしまいましたが与野ですね。出生地ですので。


[32071]じゃごたろ さん
ちなみに「狸」と書いて「むじな」と読ませる地名もありますね
「狸」と書いて「まみ」と読ませる地名があります。ロシア大使館の所在地は港区麻布狸穴(まみあな)町です。
雌ダヌキ・ムササビまたはアナグマの類を「まみ」とも呼ぶそうです。港区の坂・狸穴坂


[32081]音無鈴鹿 さん
一方の小江戸を名乗る町は、
(1)江戸期に城下町であった。
(2)河川を利用した内陸物流の拠点であった。
(3)工業・商業都市であった。
(中略)
私は小江戸に該当する都市は栃木・川越のほかは佐原市くらいしか思いつきません。
川越は江戸時代を通じて城下町でしたが、栃木の場合は城があったのは1591年からの19年間だけでしたし、江戸時代の佐原には城がなかったようですよ。佐倉には城がありましたが。
(2),(3)(特に商業都市)には該当すると思います。
[32084] 2004年 8月 24日(火)08:04:59【6】KMKZ さん
伊能忠敬と苗字帯刀
[32068]みかちゅう さん
大半の人は苗字がつけられたのも明治以降なので、
江戸時代の「苗字帯刀」は誤解されているのですが、苗字帯刀の「苗字」とは苗字の公称(公式の場での苗字の使用)を許すという意味で、苗字帯刀を許されていなくても苗字を私称するのは許されていました。

伊能忠敬の略年譜からの抜粋
西暦 年齢
1762  17  佐原村伊能家のミチの婿養子となる。
1783  38  津田氏より苗字帯刀を許される。
1801  56  幕府より苗字帯刀を許される。
この年表でわかるように伊能忠敬は苗字帯刀を許される前から"伊能"忠敬なんです。しかも津田氏(地方役人)と幕府から2回も苗字帯刀を許されている。

兵農分離以前は農民は武士でもあったわけで中世には日本人の大部分が苗字を持っていたはずです。江戸時代に入って苗字帯刀が許されなくなっても先祖伝来の苗字をそのまま私称し続けた例が多かったと考えられます。
明治の国民皆姓時に創生された苗字も多かったでしょうが、江戸時代から私称していた苗字をそのまま戸籍に登録した例も多かったに違いありません。
明治になって殆どの姓が創生されたとしたら、落書き帳アーカイブズ地名と姓名の遥かなる関係で紹介されているように宇都宮姓が鎌倉時代に下野の宇都宮氏が移住した現在の愛媛や大分に多い理由が説明できませんよね。
比較的最近に現在の地名とそこの住民の苗字が殆ど一致しないから地名由来の姓は少ないと主張する書き込みがありましたが、現在の宇都宮市に宇都宮さんが殆どいなくても過去に遡れば宇都宮姓は地名由来の姓と判ります。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示