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Issieさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[81287]2012年8月9日
Issie
[81269]2012年8月7日
Issie
[81255]2012年8月4日
Issie
[81254]2012年8月4日
Issie
[81250]2012年8月4日
Issie

[81287] 2012年 8月 9日(木)19:47:40Issie さん
月はおぼろに東山
[81286] グリグリ さん
娑羅の木(ナツツバキ)

娑羅の木,つまり娑羅双樹と言えば思い出すのはやっぱり「平家物語」。ここで出てくる「祇園精舎」とはお経に出てくる本来のインドの祇園精舎(ジェータヴァナ・アナタピンダダシヤ・アラマ)なんだろうけど,やっぱり京都の祇園が頭に浮かんできちゃいます。
その平家物語ならぬ,今年の大河ドラマの「平清盛」,視聴率的に苦戦しているようですね。私には面白いのですが。いや,裏で女子マラソンをやっているなんて知りませんでした。

[81280] 皿 さん
1889年まで草島村は婦負郡と新川郡に2つありました。

以前のご質問も含めて,求める精度によってお答えは変わってきます。
ですから,皿 さんがどの程度の精度の情報を必要としているのか,そして何を目的としてそれを集めているのか明らかにされた方が有用な情報が集まるだろうと思いますが,とりあえずこれまでの話の流れからは,それほどの精度は求められていないのではないかと推察されます。もしそうであるならば,…
その程度の違いは無視しましょう。

まず基本的に,婦負郡と新川郡とは古くから神通川を境界としてきたと思われます。
ところが神通川は富山平野の中でしばしば流路を変えており,そのせいで現在の富山市街の西方で新川郡の草島村が神通川の左岸(西岸)に,逆に婦負郡の牛島村(現在の富山駅周辺)が右岸(東岸)にそれぞれはみ出してしまったように見える。本当は旧流路で引かれた郡界が,流路の変更後も取り残されたのだけど。
だから,とりあえず旧村を引き継ぐ大字や住居表示地区では新町名に見え隠れする旧村名の“かけら”を丹念に拾って根気よく郡界を復元していけば,おおよそのラインが見えてくるだろうと思います。
で,2つだった草島は今は1つになってしまっていますから何の手がかりもないのですが,そこは前後関係(…というか,ここの場合は最下流の村なので,上流側からのつながり)で,エイヤッと線を引いてしまう(草島に隣接する旧(上)新川郡の金山新と旧婦負郡の古川の境界をよく見ると,私には草島を分けるラインが見えてくる気がしますよ)。

そうして引いた線が正しいかどうかは分からない。でも,それはそこをきちんと検証できる資料に出会ったときに修正すればいいのであって,今でここで求められていると思われる精度であるなら,そんなに気にするほどの誤差ではない,
…と,ここでは開き直ってしまいましょう。

[81234] hmt さん
作品の目的からして、無視できる程度の規模であると判断すれば、無視(又は保留に)すればよいだけです。

という言葉に尽きます。

もし極めて精度の高い「正確な」境界線の位置を知りたいのなら,それはとにかく自分で出来る限り資料をかき集めてくるしかありません。

[81280] 皿 さん
わたしは全部探す暇がありません。

などと言っている「暇」さえないはずです。
でもね,
たぶんそれほどの精度の作業をしている人がこのような質問をされることはないだろうな,と私は推察しています。
[81269] 2012年 8月 7日(火)22:55:31Issie さん
外港2
[81263] 白桃 さん
外港都市

以前に話題になったことがある 飫肥 と 油津 のペアーはどうですか?
あと,高田 対 直江津 とか。
津軽藩は内陸の 弘前 が城下町なわけですが,岩木川が注ぐ十三湖の出口の 十三湊 や 鰺ヶ沢 が外港の役割をしていたようです。
外港としては,本当は 首里 と 那覇 のペアーも外せないところだと思うのですが,明治以降になると“主都”としての機能も那覇の方に移ってしまいますから,ちょっと微妙かも。

もう一つ。
これは内陸の河川交通についてのものですが,伏見 は“京都の外港”として発達した都市ですね。
[81255] 2012年 8月 4日(土)10:07:25【1】Issie さん
凍み豆腐
[81253] 白桃 さん
そういえば、高野山を訪れた際にお寺での昼食に出された高野豆腐、はっきり言って四国の田舎で食べていたものより美味しくなかったです。

今思い出してみると,ところてんを凍結乾燥させた保存食品の生産県として有名だった某寒冷地県の大学に通っていた頃,生協の学食で出てくる味噌汁に入っているのは決まって凍み豆腐,つまり高野豆腐でした。記憶にある限り,“生の豆腐”が入っていたことはなかったような。
それまで凍み豆腐を食べたことってほとんどなかったんですけどね,だから学生時代にはほぼ毎日凍み豆腐を食べていたわけです。

※朝ご飯を食べながら思い至ったこと:
…そういえば,“お寺の町”だもんね。
[81254] 2012年 8月 4日(土)10:01:07Issie さん
Re:変遷情報図書室について
[81236] グリグリ さん
上記の情報提供においても、総務省の報道資料や那覇市の計画書など、変遷情報に関わる資料が公開されています。このような資料を確保し後世に残すための図書室を作れないかと考えています。

たぶんほかにも保存されている方がいらっしゃるだろうと思うのですが,2004(平成16)年11月10日付以降の合併関係の総務省告示,および政令指定都市・中核市・特例市の指定に関する政令が掲載されている「官報」の当該ページ(pdfファイル)は当方で集めています。少なからず抜けがありますが。
すでに“平成の大合併”も後半戦に入っていて数はそう多くなくなくなってきているのですが,一応ご参考までに。

ちなみにその2004年11月10日付に掲載されているのは (平成16年)総務省告示第861~881号。
佐賀県唐津市(861),同みやき町(862),石川県白山市(863),同能美市(864),同宝達志水町(865),同中能登町(866),同能登町(867),同鳳珠郡新設(868),同志賀町(869),愛媛県松山市(870),同砥部町(871),同内子町(872・873),同鬼北町(874),同大洲市(875),同今治市(876),宮城県登米市(877),同栗原市(878),北海道函館市(879),群馬県伊勢崎市(880),同太田市(881)のそれぞれに関する告示。
「総務大臣 麻生太郎」という署名が懐かしいですね。
[81250] 2012年 8月 4日(土)02:16:07【1】Issie さん
豆腐から碧梧桐
[81242] 白桃 さん
豆腐の名産地ってあるのですかね?

神奈川県では丹沢の大山(“だいせん”ではなく“おおやま”,伊勢原市)の豆腐が有名です。いわれは いろいろある ようですが,そもそもは仏教,なかでも精進料理と関係の深い食品ですから,「お毛が無くておめでたい」というオチの落語で有名な大山・阿夫利神社の門前町であることが成立・流布の基盤となったのでしょう。

ところで,私の母方の伯母夫婦は“チャーザァ村のも少し奥”で豆腐屋をやっていました。村の“二大姓”の1つで(1つは新潟県を代表する姓)当然に屋号があるのですが,一族の間ではその屋号では呼ばずに,すでに伯母夫婦は亡くなってとっくに廃業しているにもかかわらず「豆腐屋」と呼んでいます。
その「豆腐屋」の目の前が長岡駅からのバスの終点でした。
越後交通の長岡地区の幹線の1つであるので,多くの枝線のように廃止も分社化もされることなく,今でも直営で割と多くの本数が運行されています。もちろん,以前よりも回数は減っていますが。で,ウチの田舎はこのバスの終点だったので,地方としては割と交通の便に恵まれていて,いつもこのバスを利用していました。
さて,数年に一度しか行かないので子どもの頃の私にはよくわからなかったのですが,このバスはいつも行き先表示に併せて「川西」または「川東」という表示を掲げていました。
実はこの路線,長岡駅から信越線の塚山駅を通って渋海川に沿ってさかのぼり,小国盆地に入るわけですが,ちょうど盆地の入口の 千谷沢(=チャーザァ) を過ぎると盆地の西側の集落を通るルートと東側の集落を通るルートの2つに分かれて,つまり真ん中の渋海川をはさんで「川西廻り」と「川東廻り」の2つのルートがあるので,それを区別するために掲げていたのでした。
その後,盆地北半の“下小国”のほぼ中央部(渋海川沿い,川西・川東の両集落群の間の田んぼの真ん中)に置かれた町役場周辺の道路が整備されてバスの経路も変更され,今では「川西」「川東」のルートの違いはずっと小さくなったのですが,それでもこの区別は現在も行われています。
で実は,この路線はこの地区のバス路線としては非常に古いものの1つで,1934(昭和9)年のジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTBの遥かな前身)の「汽車時間表」にも掲載されていて,そこには今と同じく「川西廻り」「川東廻り」の注記が入っています(当時は塚山駅からの路線でした)。
小国盆地の村々が「刈羽郡小国町」に統合されるのは“昭和の大合併”の時期のことで,つまり当時はまだ盆地内はいくつもの“行政村”に分かれていたのですが,その頃にすでに「川西」「川東」という呼称が行われていたのですね。もちろん,これはバスに限っての用法なのかもしれませんが。
ちなみ現在は“平成の大合併”の結果,旧郡境を越えた長岡市の一部。旧町役場はそのまま長岡市役所の支所として使われているようですよ。

さて,「かわひがし」。
私の学生時代の先輩にこの苗字の人がいましたが,一番印象深く残っているのは中学校の国語の時間に俳句の所で登場した「河東碧梧桐」。何か“引っ掛かり”の多い名前でね。
やっぱり5拍の「かわひがし」というのは,こういうところでは少しシックリ来ないものなのでしょうかね。


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