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Issieさんの記事が50件見つかりました

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[80251]2012年2月4日
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[79418]2011年10月1日
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[79395]2011年9月27日
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[79394]2011年9月27日
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[79386]2011年9月26日
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[79374]2011年9月25日
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[79324]2011年9月9日
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[79280]2011年8月29日
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[79251]2011年8月27日
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[79105]2011年8月15日
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[79085]2011年8月14日
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[79069]2011年8月13日
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[78878]2011年8月7日
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[78836]2011年7月28日
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[78822]2011年7月24日
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[78817]2011年7月24日
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[78786]2011年7月17日
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[78781]2011年7月16日
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[80251] 2012年 2月 4日(土)23:38:42Issie さん
Re:加積郷
[80249] 白桃 さん
本落書き帳の「自治体越え地名」に収録されていないところを見ると、「○○加積」という名前が大字や字として残っていないのでしょうか?

とりあえず,そういう大字はないようですね。
むしろ一連の「加積」地名は大字よりもランク1つ広い範囲の地名であるようです。

こちらの「区市町村変遷情報」の 当該ページ を参照すると,たくさんの「加積村」が1889年の町村制施行に際して行われた「明治の大合併」で一斉に誕生したことがわかります。恐らくは“近世村”をそのまま引き継いだ合併前の旧村に「加積」を称するものはありません。したがって,各「○加積村」の大字で「加積」を称するものはなく,そのまま現在まで現れることもなく,収録対象となっていないということなのでしょう。

「加積郷」という地名は中世,あるいはそのもう少し前からのものかと思われるのですが,近世に広域的地名として「加積郷」が残ったとしても,より小さい範囲で“百姓”の自治単位(合わせて年貢負担の請負単位)としての「村」を編成するに当たっては,それぞれ個別の集落名が採られたのでしょう。それがそのまま「郡区町村編制法」下の“村”となり,「町村制村」としての 各加積村 の大字となり,現在に至る。
で,明治の大合併でその「町村制村」を編成するに当たって新しい村の名前を“創作”しなければならなくなったとき,かつての「加積郷」の記憶がよみがえり,それぞれで「○加積村」という名前を分け合ったということではないか,と。

「町村制村」の名前は,さらなる合併でその村自体が消滅してしまえば一緒に消えてしまいます。所詮,新しく“デッチ上げられた”地名に過ぎない,ということなのかもしれません。
その記憶をとどめるのは,その村ごとに設置された郵便局や小学校,そして公民館の名前。運良く鉄道が通って駅を作ってくれれば,その駅名に保存してもらえるかもしれない。「浜加積駅」や「早月加積駅」のように。
そういうわけで,今となっては見つけにくい地名になってしまっているのですね。
[80247] 2012年 2月 4日(土)10:05:22【1】Issie さん
イチバン南
[80242] 白桃 さん
一方、地球最南の都市はアルゼンチンにあるようですが、ハンメルフェストに比べそんなに有名ではありませんね。また、いずれにしろ最北よりは低緯度に位置しているようなので、「あったかい」という回答もあながち馬鹿には出来ないかもしれません。でも、あのあたりに暖流が流れていたっけ?

「ウシュアイア」という町だそうですね。
南アメリカ大陸の南端からマゼラン海峡をはさんでさらに南にあるフエゴ島の東側。ちなみにこの島は西半分がチリ領で,マゼラン海峡の中にある プンタアレナス という町の方が大きいのだけど,少し北にあるのでアルゼンチンの勝ち。
だいたい南緯55度くらいというから,日本の辺りで言えば北樺太かカムチャツカ辺りになりますか。やっぱり寒そうです。ちなみにヨーロッパだと,モスクワやコペンハーゲン,北アイルランドのロンドンデリーがだいたい同じくらいの緯度です。スカンジナビア半島の南端が北緯55度よりもやや北ですね。
南アメリカは思っているよりも南に伸びていて,すぐ先には南極半島があります。

実際の気候統計を見ると,一番“暖かい”2月の平均気温が9.4度。東京ではそろそろ「寒さ」を感じなくなる3月下旬から4月初めの気温に相当しますから,私たちの感覚で言うそれから後の春・夏・秋がないということに。
日本ではなぜか人気の高いケッペンの気候区分では“最暖月”の平均気温が10度に達しないのでE気候(=寒帯)に属してしまいます。
ただし,一番“寒い”6月と7月の平均気温が0.0度(←もちろん,小数点以下2位以降まで出せば差が出るはずで,どちらかが“最寒月”です)と,意外に冬は暖かい。札幌だって一番寒い1月の平均気温は-3度を割ります(だから札幌はC気候=温帯ではなくD気候=亜寒帯)。
つまり,2月の平均気温があと0.6度高かったら,区分上 ウシュアイア は「亜寒帯」を飛び越えて「温帯」になることができました。実際に,フエゴ島の一部は温帯の「西岸海洋性気候」に属します。だから,基本はノルウェーの沿岸部と同じような気候なのでしょう。
ただし,近くを流れているのは暖流ではなく寒流なので,教科書に載っている北西ヨーロッパの西岸海洋性気候とは違って,気温と降水量で判定したらそう出た,ということですね。

いずれにせよ,「南」という言葉で連想する“暖かさ”はないにしても(日本の方が暖かい),緯度の割には“暖かい”ところではあるようです。
[80228] 2012年 1月 30日(月)20:09:02Issie さん
浦和並みの「鳥島」
[80227] k-ace さん
日本の排他的経済水域(EEZ)基点で名称の無かった39離島の個々の名称が内定したとのこと。

内定した新島名を一瞥すると、「かもめ島」とか「トド島」とか…。何か埋立地に造成された団地にありがちな地名のような印象を受けたのですが,考えてみれば「鳥島」なんてとても安易な名前を,しかも「南‐」「沖ノ‐」「中ノ‐」と次々に使いまわしていたり,かつての(南)樺太にも「海馬島」(ロシア名:モネロン島)とか「海豹島」(同:チュレニー島)なんて島があったりして,結局のところ,名づけのセンスというものがそう変わるわけではないのでしょう。
一方で,たぶん昔から“関係者”の間で使われてきたであろう“見たこともない漢字”(←PC画面上に表示できるのか?)を使うものもあったりして,やっぱり面白いものです。
何にしろ,自国の領土と主張しても国際社会の中で他の国が認めてくれないと何の意味もありませんから,やることはやって,きちんとアピールしないとね。
[80216] 2012年 1月 28日(土)00:10:45【2】Issie さん
せこう
[80214] N-H さん
たとえば、「架」と一文字書いてなんと読むか?

これへの解答ではないけれど,昨日の「ブラタモリ」(←もう,おとついになっちゃいました)。
鉄道総研の専門家の前でタモリは「架線」を何て読んでいたかなぁ。

ただし、こういうのは誤読と言うものとはまた違って、業界用語として特殊な読み方が半ば認知されているといっていいのかもしれません。

ずいぶん前に話題になった「首長」を「くびちょう」と読むのもこの例ですね。今日(これも昨日)の国会でも連発されたようです。彼らは「法律を施行する」の「施行」も「せこう」と読みますね。「施工」でもあるまいに。こういったお役所用語も,いわゆる業界用語。

[80213] 実那川蒼 さん
実はこれはつくりの「番」に引きずられた誤読が定着してしまったものです。

地理ネタから離れるけれど,「消耗」を「しょうもう」と読むのも有名な“誤読”ですね。
「耗」の正しい音は「コウ」。この字は本来「耕」と「毛」の組み合わせによる会意文字だそうで,「毛」の方が意味を表し,「耕」の「井」を省略した「耒」の部分が音符なので「コウ」と読むのだとか。ややこしいことに,音符となった「耕」は「耒」と「井」の会意文字なのだけど,こちらでは「井」の方が「ケイ」と読んでその延長で「コウ」という音を表しているそうで,意味を表す「耒」の部分自体の音は「ライ」で「すき(犂)」という意味。
それはともかく,だから「消耗」は“正しく”は「しょうこう」と読まなければならない。実際に,「心神耗弱」は「しんしん“コウ”じゃく」と読みます。
ところが,「毛」の方が音を表し「モウ」と読むと誤解されて「しょうもう」となったのですね。「消耗」を「しょうこう」と読む人は普通いません。でも,そのような“誤読”が定着したのがそう古い話ではなさそうなのは,「耗弱」という読みを見ればわかりそう。
高校の政治経済の教科書に「固定資産減耗」という用語が出てきます。GNP(国民総生産)からこれ(減価償却とも)を引いたものがNNP(国民純生産)。さらに間接税を引いて補助金を加えたものがNI(国民所得)…。この「減耗」に教科書では「げんもう」という振り仮名が振ってあるのですが,これも本来の読み方は「げんこう」。漢字辞典などには両方の読み方が書いてあります。今まさに,「げんこう→げんもう」という“誤読の定着”が進行中なのでしょう。

なぜ播磨国に関する単語だけ誤読が定着してしまったのかは謎です。

まずは最初に播磨国を中国風に呼んだ「播州」が現れて,そこから「東播」以下の呼称が派生したのだろうと思うのですが,「播州」を“正しく”「はしゅう」と読むのでは,何か座りが悪いと感じられたのでしょうかねえ。
日本語一般のクセとしては「房州」や「信州」のように“2音+州”というのが座りがいいのですが,「武州」「紀州」「土州」のように“1音+州”だって例外とは言えないくらい普通にあります。そうすると「播」という字,あるいは「播磨」という読みにわざわざ「ばん」と読ませる秘密があるのかもしれません。

古い時代の中国語,あるいは漢字の音を“復元”(もちろん推定ですが)したことで知られる藤堂明保博士が編纂に携わった学研の漢字辞典によると,「播」という字の上古(秦・漢代)音は puar ,それが隋・唐代の中古音では pua となり,これが音韻体系の極めて貧弱な日本語に入って「ハ」(←実際の発音は“唇をかまないファ”)と読むようになりました。
ちょうどその時代である奈良時代,従来は「針間」などと表記してきた ハリマ という地名を“おめでたい漢字2文字”で表記するに当たって,「ハ」という音の「播」という漢字に“聞こえないはず”の r の音を無理やり聞いて「ハリ」と読み,「磨」と合わせて「播磨」という表記が律令国家の公式表記とされました。「播磨」のどこが“おめでたい”のか,全然わかりませんが。
“聞こえない音を無理やり聞く”というのはこの時に多用された手法で,たとえば「相摸」(2文字目は本来“手へん”)を「さがみ」と読むのも,「相」sang(サウ)の語尾に無理やり a という母音を聞いて「サガ」と読んだからです。山城国(京都府)の「相楽郡」は,さらに「楽」lak(ラク)の語尾にも a を聞いて,だから「さがらか郡」(現代の読みは「そうらく郡」)。

奈良時代,ハリマに漢字を当てる際に「播:ハ」という字に無理やり r を,ついでに i という母音まで聞いて「ハリ」としたことが後の世に「ばん」と読ませることにつながったと結論づける根拠は何もないので,そのような主張をするつもりもないのですが,やっぱり「はしゅう」では何となく物足りなくて,それで“つくり”の「番」に引きずられて「ばんしゅう」となったのかも。
で,こちらは「播州赤穂」のように,少なくとも「消耗:しょうもう」よりはずっと前から行われていたのでしょうね。

※【お詫び】
上の文章の中で「会意文字」とあるのは,いずれも「形声文字」の間違いです。
久しぶりに使って間違えてしまいました。お恥ずかしい限り。
以上,謹んで訂正させていただきます。
[80202] 2012年 1月 23日(月)20:47:12Issie さん
勝安房守義邦 改メ 勝安芳 海舟ト号ス
[80194] 星野彼方 さん
下総だから房総でいいんだろうけど、ん~、房総って私的には安房+上総ってイメージ。

[80197] N-H さん
それはおそらく「房総半島」から来るのでしょうね。
ちゃきちゃき房総っ子の私も、どうも「千葉からあっちは房総じゃない」的な感覚を持ってました。

この感覚は私も同じ。
九十九里の少なくとも北半分や成田空港の辺りは「房総」かなあ…。
結局は“くびれ”よりも南が「房総」というのが,しっくり来るような気がします。だから,まあ,上総+安房。それで,下総は「北総」。
もっとも,「房総」という言葉は旧国郡よりも現在の県域を前提とした呼称なのかもしれませんが。
いずれにせよ,“茨城県領下総”の利根川以北の区域が「房総」であるはずがなく,こちらは 常陸 と合わせた「常総」。まして,“武蔵国”の北葛飾郡に吸収されてしまった埼玉県の旧中葛飾郡域(江戸川以西の下総)は問題外。
ともかく,“くびれ”より北の下総国,旧千葉郡の習志野辺りだと「房総」という自覚はなかったなあ。

[80191] 伊豆之国 さん
習志野 千葉県船橋市■ 新京成電鉄 津田沼 ぎりぎりで市内だか、栄えているのは船橋市側。京成津田沼のほうが適切?

京成津田沼は市役所が近いと言っても,せっかく30年前に作った再開発ビルに入っていたホテルにも出て行かれて地元商店街も寂れる一方ですからねえ。それこそ,近隣の津田沼地区の住民の一部の外に,たぶんわざわざ京成津田沼周辺に買い物に行く人はいないでしょう。
賑やかな総武線津田沼駅北口側のうち,新京成の新津田沼駅側の半分は一応習志野市だし,南口側で長らく農地が広がっていた“習志野市領”の区画の開発も始まったようなので,やっぱり津田沼駅の方が適切であろうかと思います。
[80190] 2012年 1月 22日(日)20:55:53【2】Issie さん
ああ播磨灘
…ってお相撲さんの漫画がありましたね。

[80187] 白桃 さん
明石市は旧国名でいうと播磨なんですが、どうも「摂津」と言う感じが強くて

ここの所は [80188] k-ace さんのご説明の通りで,つまり須磨の浦・一ノ谷までが摂津の国で,親不知のような崖下の海岸を抜けた垂水区の塩屋から先が「播磨」。元々あまり大きくない明石郡の大部分が神戸市に取り込まれて海岸部だけが明石市として残っているから,そのような印象が強くなるのでしょうね。
この辺りは奇しくも,“武蔵国”に属する横浜市のうち,権太坂を越えた先の西南部(瀬谷・泉・戸塚・栄区および港南区の西半)が“相模国”で,しかもその“相模国鎌倉郡”の過半が横浜市に吸収されてしまったこととパラレルな関係ですね。ただし,神奈川県の場合は大部分が相模国で,源氏の鎌倉や後北条氏の小田原があるその「相模」のイメージの方が強くて,むしろ横浜・川崎が「武蔵」であるということの方が忘れられ勝ちのような気がしますが。また,鎌倉市が「京浜」である(←県の行政では,多くの分野で県の管轄外のこの2市の範囲をしばしば「浜川(はまかわ)」と表現します)と捉える人もあまりいないでしょう。
ちなみに,県の行政では北半分を失った 旧鎌倉郡(鎌倉市) は,その一部を吸収した藤沢市を中心とする 旧高座郡南部(藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町) とともに「湘南」とすることが多いです。

須磨・一ノ谷と言えば源平合戦。
さっきまでやっていた今年の大河ドラマ。やっぱり今年も去年に負けず劣らず思いっきりファンタジーですねえ。
でも,面白いからいいや。
[80165] 2012年 1月 20日(金)00:39:40Issie さん
Re:センター試験
何かとトラブルの多いセンター試験でも,今回最大のトラブル源となった「地歴・公民科」。何しろあまりに複雑な実施方法,1回聞いただけではわかりません。
今のセンター試験は色々な要求に対応しようと増設を繰り返した温泉旅館のようで,複雑怪奇。一度きちんと整理した方がいいと思うのですけどね。
で,「地理B」の問題。一応,お仕事の関係もあるので解いてみたのですが,個々の問題は極めてオーソドックスで,ごく基本的。それぞれの分野について一通りの知識と,それを応用する力があれば行けるかな。ただし出題範囲が余りに膨大で(要するに,これが地理Bで扱う範囲の広大さということです),たとえば高校3年生になってからの1年足らずで全部をカバーしようとするのは難しいかもしれませんね。
私立の個別入試や国公立の2次試験はともかく,センター試験は学習指導要領のしばりが強く,要するにこれが文科省が高校に求めている「地理B」の内容です。もはや,をぢさんたちが30年以上前に教わった“国別の産物地理”ではないのですね。「世界地誌」という別名がついていた30年前の「地理B」とは全く別の科目です。さらに同じ現行の学習指導要領の中でも「地理B」と「地理A」は,かなり違う科目です。センター試験では一部に共通問題があって,あまり違いがわかりませんけどね。

[80160] k-ace さん
地理B第6問

この大問の問3,大井川上流の山村集落と牧之原台地の農業の特徴を問う問題。写真と説明文を読めばすぐに正解できそうな問題ですが,山村集落の方の(と思われる)説明文を読んで「おやっ?」と思いました。

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近世には焼畑と組み合わせた労働集約的な茶栽培が営まれ……
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別に次のような点に突っ込まなくても正解できてしまうので受験生たちはスルーしてしまうでしょうが,「焼畑」と「労働集約的」という言葉の組み合わせには少し違和感を感じたのでした。
普通,地理の教科書で出てくる「焼畑」は,主に熱帯雨林気候の地域で伝統的に行われてきた「粗放的」(で,いくぶん原始的)な農業として登場するからです。それ以前に今の受験生には,温帯の先進国である日本と「焼畑」とが結びつかないかも知れない。実際は,ほんの数十年前まで東北以南の山村の多くで焼畑をやっていたのですが。
「労働集約的」というのは焼畑よりも「茶栽培」の方にかかるのだろうと思うのですが,焼畑を維持するには雑草取りなどに結構手間がかかり,そういう意味では「労働集約的」かもしれない。

…この問題を見てそんなことを考えました。
というのは,たまたまその直前に 佐々木高明 という人の『稲作以前』という本を読んでいたから。初版が1971年という,その意味では「古典」と言えそうな本ですが,それを洋泉社が一部改訂の上,昨年末に新書(“歴史新書y”)に復刻しました。この人は元々,人文系の地理を専門としていて,40年以上前の日本の山村をフィールドとして研究するうちに,弥生時代の稲作受容以前,縄文時代末期に主に西南日本で焼畑による雑穀(とイモ)栽培を中心とする農耕が稲作に先行して行われていたのではないか,ということを文化人類学(←広い意味で地理学の一部,あるいは隣接学問ですね)の立場と方法で検証したものです。
この学説には発表当初から,主に文化人類学とは違った視点と方法でアプローチをする考古学者を中心に強い批判があり,今でもそのような意見はあるようです。私にはこの学説やそれに対する批判の当否は判断できないのですが,とても面白く読みました。
いや,この本の本題とは別に,ときどき出てくるいくつかのキーワード(「焼畑」という意味の「コバ」(九州)・「サシ」(関東)とか,収穫作業に関連する「穂刈」など)から現実に存在する諸々の地名が思い浮かんできて,そういう意味でも面白かったのでした。

ま,センター試験からは離れちゃいましたが,これが今年のセンター試験問題に関する感想です。
[80113] 2012年 1月 14日(土)22:56:03Issie さん
栗きんとん
[80106] 白桃 さん
[80110] にまん さん

京成電車の沿線に看板が林立していたりして千葉県内では有名な成田山参道の和菓子屋,米屋のこれまた有名な「栗むし羊羹」には栗の実がゴロゴロ入っています。

ところで,「栗きんとん」という食べ物がありますね。みなさんは,どのようなものを連想しますか?
我が家ではおせち料理なんかに入っているのですが(家で作らずにお店で買ってくるのですが), それは栗の甘露煮とサツマイモの煮たものを水飴で練ったものを合わせたもので,実は“芋きんとん”に栗の実が入ったもの。高級なものになると,この芋きんとんが栗餡になるんでしょうかね。
…なんて感覚でいたら,栗と砂糖だけで作った餡を茶巾しぼりにした「栗きんとん」があるのですね。栗は完全に粒というか粉状の餡になっていて,甘露煮のような丸のままの形を失っている。「栗100%」でおいしそうです。
そう言えば,栗の産地として有名な信州の小布施にも似たような,というよりほぼ同じお菓子がありました。
残念ながらまだ食べる機会に接していないのですが,一度食べてみたいものです。
[80108] 2012年 1月 14日(土)20:55:29Issie さん
メロンパン
[80106] 白桃 さん
四国で食べていた「栗まんじゅう」は外観が栗の形をしているだけのものでした。

メロンの成分が全く入っていない「メロンパン」みたいなものでしょうか。
一説には網目の入った様子がメロンに似ているからだそうですが,最近のものは本当にメロン果汁が入っているようですね。
ところで,栗饅頭については私は「オバさん」に全く同意見です。
[80027] 2012年 1月 9日(月)10:57:05【1】Issie さん
廃村
[80021] グリグリ さん
過去にもこのような災害などによる合併の事例があったのではないかと考えますが、どうでしょうね。

1906(大正5)年7月1日に「強制廃村」されて同じ郡の 藤岡町 に合併された 栃木県下都賀郡谷中村 が今回想定される例に最も近いかもしれません。
原因が自然災害でなく,国策に近い企業による人的災害であり,さらに廃村そのものも国の政策によるものであるという点でも。
[80026] 2012年 1月 9日(月)10:44:07Issie さん
光る東芝,東京芝浦電気
[79961] hmtさん
東京都下水道局芝浦水再生センターの隣接地(港区港南二丁目)で、港区芝浦四丁目にもかかるのかもしれません。駅名としては 著名な地名「芝浦」[42889] が適当なのではないでしょうか。

[80022] グリグリ さん
でも、やっぱり私も芝浦がいいなぁ。元々芝浦は港南や海岸も含んだ広域地名だった訳ですから。

[80024] 白桃 さん
泉岳寺

それはたぶん,操車場をつぶして造成される再開発区域の名前によるのではないかと思います。ズバリ,「さいたま新都心」みたいにね。
だから,ここは開発主体(JRか?東京都か?それとも大手ゼネコンか?)があまり変な名前をつけることのないよう,お祈りしましょう(←過去の例から,本当に“お祈り”したい気分)。

ところで,「芝浦」。
昨年末に亡くなった談志師匠が得意としていた演目に「芝浜」というのがありますね。
舞台は「芝の浜辺」だから,「芝浜」。ちょうど,京浜間鉄道が“海上”を走っていた海岸線。
「芝浦」とは本来,その前に広がる海の呼称だったんでしょうね。
それが明治末に始まった埋め立てて陸地になり,「芝浦」も陸地の地名になったわけで,その意味では今,町名として存在する「芝浦」「西芝浦」に限る必要はない。
そう言えば,「品川駅」だって本来の「品川」ではなく,「芝」のはずれの「高輪」にあるというのは,“古典的”な話題です。

だから,やっぱり変な名前が出て来ないようお祈りを。

※ところで今,「麻布」「赤坂」「新橋」「高輪」「芝浦」なんかに対して「芝」という地名の影がとても薄い気がします。
それはそうと,今朝の朝日新聞の1面左上に「千葉県人口減」という見出しが。
昨年1年間で千葉県の人口が1920年以来初めて減少したのだとか。
東部や南部だけでなく,東京に最も近い松戸・市川・浦安の3市が減っているのですね(まあ,市川は高齢化していそうですが)。ついでに都県境をはさんだ葛飾区と江戸川区も。
これについては,追って“その筋”から詳細な報告がなされることでしょう,たぶん。
[79942] 2012年 1月 4日(水)21:58:41Issie さん
山手線に新駅
…という ニュース が流れています。本質的には関東ローカルですが,全国ニュースなんでしょうかね。
山手線の中で最も駅間距離の長い 品川-田町間 というわけで,厳密には「山手線」(品川-新宿-田端)ではなく「東海道本線」(東京-神戸)の駅なのですが,“普通の人”の感覚ではグルリと一周する“山手線の駅”でいいのでしょう。読売新聞の記事では「並走する京浜東北線も停車する」なんて書かれています。

これは,新幹線用地への流用で分断された「東北本線」の東京-上野連絡汽車線を復活させて,東海道の湘南電車と東北(宇都宮)・高崎線の中距離電車をスルー化する事業の一環で,田町-品川間に広がる車両基地が不要になるのでここを再開発するのに関連した計画なのだとか。
記事に添付された写真によると,品川-田町間の線路全体を海側(新幹線側)に移転して再開発用地を生み出すものであるようです。実はこの区間は1872(明治5)年の最初の鉄道開業に際して陸上の用地を確保できなかったために“海の上に土手を作って”その上を通した区間です。今ではその痕跡はほとんど消えているのですが,このルート自体が歴史的な遺跡。
だから,このルートが変わってしまうのは鉄道史上の事件かもしれません。

※ちなみにもう1つの“海上区間”である 神奈川-高島町間 は,関東大震災後の1928(昭和3)年に横浜駅が“3代目”として2代目の高島町付近から現在位置に移転した際に,やや西に移設されました。現在の京浜東北・根岸線と箱根駅伝のルートにもなっている国道1号線にはさまれた 万里橋 を通る道路がかつての“海上鉄路”です。

もう1つ,鉄道史上のできごとになると思われるのは,これで上野駅の地位が決定的に下がってしまうであろうこと。
すでに昼間の長距離列車のほとんどが新幹線に移転してしまった今,8~9割方中距離電車のターミナルとなっている上野駅は,その中距離電車が東京・湘南方面へスルーしてしまうようになればその役割も失うことになります。恐らく,その頃には「あけぼの」の寿命も尽きているでしょうから(北海道新幹線の開業で並行在来線が3セク化されれば,「カシオペア」はともかく,既にJRが全く投資を放棄している「北斗星」も微妙),残るは新幹線網から取り残された常磐線の特急「ひたち」だけ。もはや,地平ホームはほとんど必要ないですね。
上野駅も両国駅の運命をたどるのかもしれません。
まさか,完全に消滅した飯田町駅や万世橋駅までは行かないとは思いますが。

とは言え,現行の山手・京浜東北線のルート上に駅を新設するのならともかく,記事に添付の写真の通りにルート変更を伴うのであれば,品川駅の抜本的な改造が必要であり,早ければ来年着工とは言え,そうすぐにできることではないようにも思います。
「山手線31番目の駅」ができるとき,周囲の景観だけでなく,東京近郊の鉄道ネットワークはどのようになっているのでしょうか。

※余談:
先日,すごく久しぶりに八王子駅へ行ったら,駅の南側にあった八王子機関区がなくなって更地になっていたのにとても驚きました。貨物輸送体系の変更や新型機関車の登場で既に八王子駅の役割は大幅に低下していて,その結果だということらしいのですが,今まで当たり前に見慣れていた風景が突然なくなってしまうのはさびしいものです。
[79786] 2011年 12月 29日(木)20:26:24【1】Issie さん
北国の春
[79785] グリグリ さん
おっと、ひねってきましたね。正解です。

なるほど。ルールを理解しました。
そこで,別解。

解答1

御夫君はこの御一族だそうです。
ちなみに現在の長野電鉄の創業者もこの一族。同電鉄が開発した(後から西武に乗っ取られた)「志賀高原」の名前も一説には一族の本拠地である 北佐久郡志賀村(現佐久市) に由来するのだとか(別説もありますが)。
さらに蛇足ながら,北佐久郡ではこの一族が名族であるのに対して,南佐久郡では「井出姓」が有名です。
関連項目:三木内閣の官房長官,北国の春,北風小僧の寒太郎。

※蛇足の追加。
それにしても,牧場のソフトクリームは美味しいですね。
最近は,秋葉原デパート(旧称)1階のマザー牧場の出店に必ず立ち寄っています。
[79779] 2011年 12月 29日(木)11:20:19Issie さん
お寺が答えじゃないよ
[79778] グリグリ さん
ここはどこ?

たとえば,こういうことですか?

問題2(湖名を答えてください)

解答2
[79768] 2011年 12月 24日(土)21:10:30Issie さん
メナム川
[79765] [79766] N-H さん
同感なのですが、京急の特急、金沢文庫より北はそれなりに俊足ですし通過駅も多いですよ。
それに昨今快特のほうが停車駅がどんどん増えてきて、特急との差異が少なくなるというあまりうれしくない状況です。

私は時折帰宅時に京急を利用するのですが,その時間帯には(エアポート)急行の運転がなく,利用駅の京急鶴見,仲木戸の双方に特急も快特も停まらないので全然嬉しくありません。生麦と神奈川新町で2度も追い越し待ちをさせられるからです。

第一「ガッ」をどうアルファベティカルに記載するのだろうか。

一応,ローマ字表記には「訓令」の想定外ですが語末の促音をアポストロフィで表記する慣例があるようです。音声学上の習慣でグロッタルな(喉に詰めるような)音をしばしばアポストロフィで(本当は逆向きのアポストロフィ)で表記することによるのでしょうか。したがって,この場合は Mt. Ga'。
とは言っても,こんなものを普通の人が期待通りに読んでもらえるはずもないから(「小さい“っ”」という音の捉え方自体,日本語独自のものですから),ここはやはり“っ”を大きくして Mt. Gatsu とするのが妥当な落としどころではないかと思います。Gas-san と発音するのは,-san という語尾に接続する際の音韻変化と理解しちゃえばいいですから。
でも結局のところ,日本語であっても「月(がつ)」だけ取り出してもそれでは何の意味も持たない。「月山(がっさん)」という形にして初めて山の名前としての意味を持つわけで,「月」と「山」を切り分けることはできない。つまり,「月山」は不分離の名前であって,ローマ字でも Gassan としなければ無意味。だから,“山”であることをあえて明記しようとすれば,冗語的表現ではあるけれども Mt.Gassan とするべきだろうと,私は考えます。
つまりは,「メナム川」(もっとも,最近は「チャオプラヤ川」と呼ぶのが一般的です),「モンブラン山」方式。大事なことは,それぞれの言語においてそれが山や川の名前であることを知らせることにあるのですから。「そもそも,その言語ではね…」というウンチク話は一般の人には無関係。

だから,これも以前に表明していることですが,たとえば「荒川」は「荒(あら)」だけ取り出しても“独立した単語”として意味をなさないのであるから Ara River であるよりは,冗語的な Arakawa River の方が適当である,というのが私の意見です。
ただ,その線引きは結構難しいのですが(たとえば,「江の川/可愛川」はどうしましょうか。「江の川」は現在は“ごう”の川と読みますが,元は“え”の川だったと思われます。「可愛(えの)川」はその異表記でしょうね)。
[79763] 2011年 12月 24日(土)12:18:01Issie さん
赤い急行 緑の急行
[79761] グリグリ さん
ところで、新聞記事には上智大学の英国出身の教授の言葉が引用されています。
>一番私たちにも分りやすいのは『ku』です。制度が違うのに英語に当てはめようとすることに無理があると思います。

確かに東京で暮らしていて,Metropolitan Tokyo の中に ku という区画があることを知っている人には無理して訳し分ける必要はないかもしれませんね。結局,ward であるか city であるかというのは,実は外国人向けではなく自治体側の“国内に対する”政治的なアピールですから。
けれども,たとえば私たちが外国の地方区分について,いきなりカタカナで「カウンティー」とか「デパルトマン」とか「オブラスチ」と言われてもそれがどれくらいの大きさの単位か,全く見当がつきません。同じように,外国人がいきなり ku なんて言葉に出会っても,それがどんな区画であるかわからないだろうから,やはり何らかの訳語は必要でしょう。
とは言っても,英語に訳そうとしても,たとえばイギリスとアメリカで,さらに同じアメリカでも州によって地方制度が違うわけで,1対1に対応するような訳語を見つけようと言うのはナンセンス。
そもそも同じ漢字由来の区画を用いている日・中・韓(朝)・越であっても,同じ語(たとえば県)の重み,あるいは大小がかなり違うのですから。

これはだいぶ以前に紹介した話かもしれませんが,横須賀の米軍関係者の間では地元を走る京浜急行の「特急」と「快特」をそれぞれ Red Experss, Green Express と呼んで区別しているという話を聞いたことがあります。
国鉄(JR)にならって「特急」を Limited Express と訳すとして,次に「快特」をどう訳すか困惑してしまうでしょう。
むしろ,そのような無意味な訳し分けをせずに,一律 Express(急行)として,駅の時刻表や発車案内で用いられているカラーで呼び分ける方が遥かに合理的です。
もっとも,それは以前の話で,今の京急のダイヤでは日中は「快特= Green Express」しか走っていませんから,呼び分けの必要もないのですが。

※蛇足
橋下前知事・新市長の「大阪都」構想がらみで,なぜか某経済系全国紙から府県の変遷に関して取材を受けてしまいました。こんなド素人でいいんでしょうかねえ…,と言いながら質問に答えましたが。大阪支社の方なので,きっと大阪ローカル面にでも載るのでしょう。東京版には載らないだろうし,そもそも我が家では購読していない新聞だから,まあ身近な範囲にバレることはないでしょう。
[79721] 2011年 12月 10日(土)13:05:52【1】Issie さん
万世すき焼きおいしいよ、みんなそろっていらっしゃい,万世~
[79717] 伊豆之国 さん
♯やはり同様に廃駅となった国鉄の萬世橋駅、こちらも森田氏の番組で以前にやっていたはずですが、最近中央線に乗って見ると、ホームの跡は残っていたものの、面影を残していた交通博物館の建物は既に取り壊されて跡形もなくなっていました‥。

交通博物館閉館前の特別公開で省線万世橋駅を見てきました。ホームへの階段の途中まで上がれるのですね。ホーム上の階段出口に蓋をしている上屋とホームの隙間から中央線電車が見えました。
関東大震災で焼失した後に簡素化されて再建された駅舎も敷地を鉄道博物館に明け渡した後,戦争中に廃止されるまで高架下の部分で営業をしていたそうですが,こちらは高架橋の構造物そのものと一体ですから交通博物館の建物が撤去されてもきれいに残っているようです。

それにしても,ある部分のコンセプトがカブるせいで,どうも今は亡き12チャンネルの“あの番組”と内容や映像が頭の中で錯綜しています。
上野の地下鉄車庫の踏切から本線へのトンネルに入るあの場面,こちらの番組では「初めて」と言っていたけど見た記憶がある。タモリよりも前に「くもじい」が乗ったんじゃなかったかなあ。
少し前の上野動物園内の藤堂家のお墓も,あちらの方が早かったような。出てきたお坊さんも同じ人じゃなかったかな。
もちろん,その逆もいっぱいあって…。
お互い意識していたのかどうか,結果的に両方の番組で内容のキャッチボールをしていたようですね。

今回,エンドタイトルロールの中に出ていた「協力 肉の万世」の文字。
ああ,あの場面は万世の建物から撮影したのかな。
[79691] 2011年 12月 1日(木)23:26:05Issie さん
キャサリンの記憶
[79690] 伊豆之国 さん
今夜の「森田一義氏」の番組で、「浮間」界隈の荒川の改修関連の映像が出たのですが、残念なことに「浮間が”元埼玉”だった」ことには触れられていませんでした‥。

そうでしたねえ。
“あのお婆さん”は戸田橋を渡ってお嫁にいらしたと言っていたけど,“あのお宅”自体が元々埼玉県なわけで。まあ,行政区画の変遷は今回のテーマではありませんからスルーでもしかたないですが,実際のところ,“埼玉県の痕跡”ってあの辺りに残っていないんでしょうかね。
行政区画と言えば,先週の「荒川放水路に消えた“大木村”」というのも惜しかった。木根川橋と木根川薬師までは行ったんですけどね。

柴又にまだ残る農地が紹介されていたけど,どうも私の記憶が曖昧なのですが,よく京成電車を利用していた1970年代前半,今は住宅に埋め尽くされている高砂の車庫から京成小岩駅の間には農地が広がっていた(少なくともたくさん残っていた)記憶があるのですよね。
何かの記憶違いかなあ…。

先週の日曜日は横浜に用事があったついでに,ふと思い立って元町から中村川沿いに蒔田まで“昔の道”と思われる道を歩いたのですが(思い立った原因は,“同番組”に出てきた元町公園),今度は久しぶりに柴又にでも行ってみようかな。何年か前に小菅駅から歩いた旧水戸(陸前浜)街道と佐倉街道の高砂駅以遠がまだ未踏だし。
[79685] 2011年 11月 30日(水)02:16:28【1】Issie さん
「都」とは言うものの
お久しぶりなので近況報告。

1;やや旧聞に属するのですが,9月にメガネを作りました。“遠い方用”ではなく“近い方用”。実は5年ほど前から地形図の境界線をなぞる作業に苦痛を感じ始めていたのですが,そういうことだったのですね。
で,今日(既に昨日)は職場にそれを忘れてきてしまって,いや,実に不便です。
坂を転げ落ちるよう。あっという間ですね。

2:最近足が遠のいているのは以下のような事情です。
最近,20年近く使用してきたMDデッキの調子が悪くなり始めました。この夏には本家本元のSONYがMD再生機から撤退しましたね。いよいよ手持ちのMDデータの将来に不安を感じ,PCに移植する作業を開始しました。まさかこうなるとは思わず去年の夏に購入していたMDウォークマンが役に立つとは(もう売っていませんからね)。
何分,中3の時から四半世紀以上にわたって録り貯めた延べ3300曲余り。20年ほど前に一度カセットテープからMDに移植したものも含めてMD150枚余り,というわけでこの半月ほど,夜の時間をそれに割いている次第。
ようやく3分の1ほどが終了というわけで,今年いっぱいこの作業は続くかな。

そんな中で,にわかに話題となった「大阪都」の話。

[79684] 白桃 さん
東京都23区だけを行政的に統括する責任者というか「長」というのが、果たして実在しているのかどうか理解できない私にとっては、当然ながら、「大阪都」というのが良くわかりません。大阪市長や堺市長がいなくなる、ということですか?
ということは、大阪市、堺市の2市が消える、ということですか?

橋下さんの言っていることを聞くと,「都」あるいは「特別区」という言葉を使っていてもどうも現行の「東京都」のそれとは微妙に違うような気がします。
東京都の「区」はご案内の通り結局のところ“市未満”の地位からいまだ抜け出していないわけですが,橋下さんが言う大阪市や堺市等を再編した「区(?)」には広範な自治権を与えるようなことを考えているみたいですね。「特別」の意味合いが“市未満”というより“市以上”の方に向いているような気もします。
いずれにしろ,まだかなり荒削りで具体的な制度設計はこれからなんじゃないでしょうかね。

かねがね「政令指定都市制度」の悪口を言って,実際いまだに自分の市がそうなって何が嬉しいのか全く理解できない私としては,橋下さんの言う政令指定都市批判に興味を持って聞いているのですが,それがどちらの方に進むのか。
で結局,この制度を変えるための法律を作る権限は大阪府や大阪市ではなく国会だけに与えられているわけですから,国政政党がどう受け止めるかにかかわってくる。
まだ当分,様子見の段階だと思います。

※むしろ気になるのは,橋下さんがどうこうということではないけれども,二大政党が全然有権者の支持を集められず,言っていることの中身は実際甚だ曖昧なのに見た目だけ元気なことを言っている勢力に支持が集まってしまう状況。
日本は一度,外の勢力を引っ張り込みつつお互いを攻撃することで政党が自滅し二大政党制に失敗した前科がありますから。
実に困った存在は二大政党です。
[79640] 2011年 11月 17日(木)21:01:04Issie さん
緑区役所
最近夜なべ仕事が続いてこちらに来るのは久しぶり。皆様,いかがお過ごしでせうか。
さて,

[79634] むじながいり さん
まっさきに思い付いたのが、相模原市緑区役所です。イオン橋本店の入っている「シティプラザはしもと」の中にあります。

ご案内の通りですが,これは一応,単独の区役所庁舎が完成するまでの暫定措置です。
私はつい,開業当初の「ビブレ」という名前で呼んでしまうのですが,職場が変わってしばらく橋本から離れている間に,「サティ」→「イオン」と名前が変わっていたのですね。
これも むじながいり さんがご案内の通り,1990年代後半から進められた橋本駅北口地区再開発事業によるビルで,下層階の商業施設(ビブレ→サティ→イオン)と上層階の市の公共施設とが同居しています。この公共施設階に移転してきた 橋本出張所 が区制実施に伴って 緑区役所 に衣替えしたもの。このビルに移転してくる前の橋本出張所は,1941年の合併以前の 相原村役場 以来の位置にありました。
冒頭に述べたとおり,緑区役所は橋本駅から少し離れた「国鉄」(←JRではない)の工場跡地の再開発区域に新設される庁舎に移転する予定です。だから,将来にわたって商業施設と同居,というわけではないのですね。

ちなみに,残る2区の区役所ですが,中央区役所は市役所本庁舎の一画を区役所に模様替え,南区役所は従来の大野南出張所がそのまま区役所に使用されています。
[79576] 2011年 10月 29日(土)12:10:52【1】Issie さん
三文字繁華街
[79572] ペーロケ さん
東京 秋葉原

「繁華街」のイメージにズレがあるかなあ。
アキバは,あまり「夜の町」というイメージがない,最近は昼間の“お子様”(←色んな意味で)の町というイメージ。
ずっとうらぶれて,錦糸町 とか 新小岩 なんてのはいかが?

それは措いておいて…
・川崎:銀柳街
・横浜:馬車道,六角橋
・富山:総曲輪(そうがわ)
・岐阜:柳ヶ瀬

…というわけで,(大小にかかわらず)「ヶ」はあり?
[79573] 2011年 10月 29日(土)02:36:14Issie さん
僕は特急の機関手で
[79552] futsunoおじ さん
「うなぎ県」

[79568] いろずー さん
あなたが言っているのはおそらく「静岡県」のことでしょう

[79571] ペーロケ さん
浜名湖のうなぎは有名ですが、かといって、鰻の生産は浜名湖周辺に限った局所的なもので、静岡県が「うなぎ」の県というイメージは結びつきづらいんですよね~。

実は私は静岡県を連想しました。
「ウナギ養殖→浜名湖」という刷り込みが強烈にあるのですね。
現在の現実の統計データは ペーロケ さんが紹介されたとおりでしょう。けれども,これは現実の統計データの話では必ずしもありません。ある程度強いイメージが植えつけられていれば,統計上の数字なんて何の意味もありません。何よりも非常に早い段階でウナギ養殖を産業として確立して全国に名を馳せた事実は,今はトップかもしれない“新出来”の産地が勝るものではないでしょう。しかしほかの産地と競合する中で,浜名湖のウナギ養殖は最盛期の何分の1までに縮小しました。たかだか一昨年の統計データは,そうした縮小の果てのものです。
だから,私には「ウナギ → 静岡県」という連想が成り立つ。

けれども,逆に「静岡県 → ウナギ」という連想が成立するかというと,それはしない。ペーロケ さんのおっしゃるとおりです。
「ちびまるこちゃん」でさえ歌っている ディック・ミネ の「旅姿三人男」を持ち出すまでもなく,大井川流域から清水港(しみずみなと)辺りであれば“お茶”を措いてほかになかろうし,「湯の町エレジー」に誘われて伊豆まで来ればそれは“温泉”と“ワサビ”かもしれない。
そのせいかどうか,(もちろん私が生まれるよりもずっと前の流行歌である)「僕は特急の機関手(士)で」という歌の最もメジャーなバージョンでは

・金色夜叉の熱海海岸から丹那トンネル
・富士山と駿河湾の間を走る優雅な一等展望車と,“沼津”食わずの三等車(←おお,三等級制の時代だ!)
・浜松のハモニカ娘と浜名湖のウナギ

と,静岡県だけで3コーラスも歌われているのですね。神奈川県は横浜が歌われていたような気がするのですが(ハモニカ娘が出てくるなら,崎陽軒のシウマイ娘ではないよな),通常バージョンでは“通過”です。名古屋で“あの娘のあんよ”を守口大根にたとえたら,一気に京都に行って(明治の鉄道唱歌ではじっくり京都を回るのですが),次のコーラスでは大阪に着いちゃいます。
この静岡県に対する手厚さは何でしょう?…

さて,話の発端となった 香川県 と「うどん」のように両者のイメージがほぼ完全に重なるから,ああいう宣伝が成り立つのでしょうが,多くの場合はそれが重ならない。
たとえば,「リンゴ」と言えば 津軽(←決して青森県全域ではない)と行きたいところですが,私は自分の経験からここは是非「信州」と言いたい。
けれども,長野県全域でリンゴが栽培されているわけではなく,下手したらまた 北信(長野)vs南信(松本) の地域対立を生み出しかねない。いや,リンゴは松本周辺でも栽培されているけれど,やはりメジャーなのは善光寺平ですから。
「リンゴ → 長野県」は成立しても,「長野県 → リンゴ」となるわけではないのは,静岡県のウナギと同じ。

たぶん,ここに「うどん県」のコピーが成立するカギがある。よその県がそれを真似しようとしても無理があるのですよ。
[79570] 2011年 10月 28日(金)21:20:20Issie さん
山寺
[79569] N-H さん
野暮を承知で考察してみますか。

ベタなつぶやきに,おつきあいありがとうございます。
そう。実に“大阪全開”な歌ですが(何より,ちゃんと関西弁に聞こえるところがすごい。「大阪で生まれた女」や「悲しい色やねん」は歌詞がそうでも関西弁に聞こえませんから),「わさびを利かせたら何ぼかおいしかろ」と言ってる“お鮨”は江戸前の握り鮨でしょうね。

単に言葉遊びで「東京ブギウギ」にひっかけて「ネギ」を入れてみただけなのか。

まあ,タネを明かせばそうなんでしょう。ほかにも「ボタンとリボン」とか「人の気(持ち)も知らないで」なんてのも登場しますから。

あ、もちろんリアルタイムでは笠置さんは「カネヨン」のおばさん、もしくは「家族そろって歌合戦」の審査員としてしか知らない世代ですので念のため。

私もそうです。で,笠置さんの隣り(?)に座っていて毎回“芭蕉の俳句”(と言われている別の作者の狂歌)のパロディを詠んでいたトボけたお爺さん(高木東六さん)が昔はとても洒落た曲を作っていた(軍歌でさえも)と後で知って,「へええっ」と思ったものです。

服部良一先生も笠置シヅ子さんもすごすぎます。

私は「山寺の和尚さん」もすごいと思います。
去年の今頃,コロムビアが明治・大正のレコード黎明期から“昭和末期”まで自社のレコードを中心に集めた「流行歌大傑作選」というCDシリーズを発売したので迷わず買ったのですが,その第1集の「明治・大正・昭和初期」版(COCP-36449)に「山寺の和尚さん」が収録されていました。コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ の演奏で1937年4月の録音。前後の歌が実に「戦前!」という感じの歌が多い中で,これは全然古びていない。逆にこれが「昭和12年」の演奏,というので驚いてしまいました。
一世代前なら,ダークダックスやボニージャックス,デュークエイセス辺りがよくカバーしていたのですが,今の世代のコーラスグループなんかはどうでしょうね。

ところで,この「山寺」とは?
[79566] 2011年 10月 26日(水)22:11:20【1】Issie さん
ねぎ焼き
まあ,ただのお遊びに過ぎない県の名前は措いておいて…

[79561] いろずー さん
「ねぎ焼き府」

恥ずかしながら「ねぎ焼き」なる食べ物を知りませんでした。
そこで検索してみたら,予想に反して“青々”していますねえ。
そう,ネギが違うのでした。
普通,私が「ネギ」と聞いて連想するのは,白くて太いネギ。
だから「ねぎ焼き」というのは,関東的には焼き鳥みたいにそのネギを串に刺して焼くものですが,関西でお好み焼きの仲間ならその白いネギをみじん切りにしてメリケン粉で焼くものだと思ったら…
関西のネギは青くて細いんでしたね。
駅の立ち食いうどん屋でも(←こちらでは専ら駅でそばを食べるけど,関西の“色のない汁”で東京風にそばを食べても美味しくなさそうなので,関西に行ったら駅ではうどんを食べる),入るネギはアサツキみたいな青くて細いヤツで,これを見ると「ああ関西だ」と思うのでした。

笠置シヅ子の「買い物ブギ」に登場する「東京ネギネギブギウギ」…。
あれは関東風のネギなんでしょうかねえ。
[79557] 2011年 10月 23日(日)11:28:54Issie さん
「かもしれない」では…
[79556] デスクトップ鉄 さん
皆様方の投稿を拝見すると、「駅名も由来の一つである自治体名」=「駅名が由来の自治体名」と考えられているのではないかと...

まあ,そうですね。
このイコールが成り立つのかどうかわかりませんが,少なくとも私は「由来の一つ」などという曖昧なものではなくて,「由来と断言できる」もののリストであるべきだと思っています。
[79551]

そろそろ検証が必要かも

と言ったのを別の言い方に換えれば,

もう「…かもしれない」で集める段階は過ぎ去っている

と言いたいのです。繰り返しですが,検証の上で“明らかに違うもの”は排除されなければならない。そういう時期に来ていると,私は考えています。

…と書いていると長くなるので,最後に1つだけ。

「相模原市」の市名選定に当たっては『相模原市史』に詳しく記述されているのですが,そこに「(小田急)相模原駅」の存在を意識した発言はありません。
市名候補として,陸軍士官学校にちなむ「相武台市」,いわゆる広域地名である「相模市」などとともに「相模原市」が挙がってくるわけですが,それは小田急の駅などというものに由来するのではなくて,すでに高座郡北部一帯の台地平坦面が「相模原」と呼ばれるようになっていた事実によるものだと思われます。
上の候補のうち,「相模市」はそれなりに有力だったのか,たまたま「軍都計画区域」内を通過していた相模鉄道(現JR相模線)が当該区域内にあった駅の名前を,新田集落(清兵衛新田)内の小集落名に由来する「大河原」から「相模町」に改称しています。その後,相模線が国有化されたときに「南橋本」というつまらない名前に再改称されてしまいましたが。
「相武台市」は,「相武台」は天皇陛下が士官学校に下しおかれた名前である,と陸軍が強く反対してポシャりました。で,結局は当たり障りのない「相模原市」になった,と。
ところが,ロクに市街地もないくせに…,と内務省の横やりが入って“市”になれず,「高座郡相模原町」となった,というのは前回発言の通り。
ちなみにこの際,当時の最大集落で,「相模原町」時代の大半を町役場所在地として過ごした「上溝」は市名候補として挙がることはなかったようです。
当然ですね。
今,話題にしているのは,広大な相模野(相模原)の上に“新しく建設する一大軍都”の名前であって,上溝なり,座間なり,橋本なり,淵野辺なりといった昔からの集落とは別の都市だからです。行政上は,それらの旧集落もその領域内に入るわけですが。
現在の相模原市は旧集落の 上溝 が発展したものではありません。したがって,「上溝市」では決してあり得ないのです。
そして,小田急の「相模原駅」とは「由来の一つ」とも言えないほど“ほとんど全く”無関係。
[79551] 2011年 10月 22日(土)11:17:53【1】Issie さん
そろそろ検証が必要かも
[79548] デスクトップ鉄 さん
駅名も由来の一つである自治体名・再考

やはり「駅名も由来の一つ」というコンセプトで線引きするのは、無理があるのかもしれません。

地名コレクションの編集を始めるか始めないかの頃,私は「とにかく思いつくまま集めてみて,それから検証したらいい」という趣旨の発言をしたことがあります。
私は何もしていませんが,皆さんのご協力で地名コレクションはさまざまなジャンルにわたってたくさんのデータが集まることになりました。
その中で,「(由来にかかわらず)○という字を含む」系のコレクションは,現にその地名にその文字が含まれているかどうかが問題になりますから,検証の必要はありません。「ロータリー」のような“現物”系もそうですね。
けれども「由来」系のコレクションは違います。
一見そうは見えても,由来をきちんと検証していくと実は全く違う由来だった,という例は少なからずあるものと思います。そもそも,その由来の“正当性”の線引きをどこで行うのか。

今回話題になっている「駅名由来自治体名」については,担当の 星野彼方 さんが

[79379]
まず、私の考えですが、基本的にすべて採用しようと考えています。

ごちゃごちゃ書いてきましたが、自治体名に関しては、明確に駅名は由来ではない、と断言できるような場合以外は採用するつもりです。

という方針でいらっしゃいますから,この方針そのものにあえて異論を唱えるつもりはありません。
ですが,“一般的な話”として,そろそろこれらのコレクションに収録されたデータについてきちんとした検証が必要なのではないかと思います。そして,明らかに適当でないと判断されたものはリストから削除する。
もしかしたら,線引きが難しくてテーマそのものが成り立たないコレクションもあるかもしれない。

巷にあふれている新書サイズの雑学本程度の“言葉遊び”で済ますならそれでよいかもしれませんが(何でこんなしょうもない本が次々出版されるのか理解不能),それなりに“真面目な立場”で情報提供をするのなら,それなりの検証はなされた方がいいように思います。

※追加
[79550] EMM さん
##ところで、私の担当しているある地名コレクションの、とある項目の備考に書いた「私が起こした文章」とほぼ同じ内容が書かれているwikipediaの文章に行き当たったことがあります。

地名コレクションではないわけですが,私もほぼ同じ経験をしています。
一応,出典明記のルールはあるけれど,それを“不特定多数”で要は“誰だかわからない”書き手に徹底させることは無理でしょう。
不特定多数が自由に書き込み,自由に修正できて,その積み重ねで「真実」に近づくであろう,という理念は理念として,出典明記の問題も然り,「査読」が十分に行き渡るはずもない下での内容の信憑性も然り,結局“あそこ”に書かれている内容は「その程度のもの」でしかないと,私は“諦めて”つきあっています。
…って,また“あそこ”の悪口を言っちゃいました。自分も書いているのに(…で,出典問題に関しては自分も同じことを犯しているかもしれない)。
[79513] 2011年 10月 14日(金)00:45:44Issie さん
ブラちい途中下車の旅
[79508] みかちゅう さん
自分の家が映っていたよという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

2年前でしたっけ,レギュラー化第1回の放送が「東京湾一周」で,そのときはこちらにも報告した覚えがあるのですが,昔住んでいた我が家,…というか我が団地が映らないかと期待して視ていました。でも残念,確か習志野市上空はほとんどスルーしてしまって映らなかったような。
次に海岸埋立地の公団住宅から総武線の津田沼駅近くに越したので,こちらは「総武線の回」に期待したのですが,こちらも映ったか,映らなかったか…。津田沼には新京成の多重大Sカーブという面白いネタもあるのだけど,西船橋近傍の“円形道路”(海軍の送信所跡)の方に行ってしまって,やっぱり津田沼はスルー。どうもこの番組は習志野市とは相性が悪かったようです。別の機会に新京成上空を飛んでくれないか,と期待していたんですけどね。

[79509] にまん さん
ただ、制作費的にはどうなんでしょう。空撮ってそれなりに費用がかかりそうな気もするんですが、意外と安いのかな?

テレビの制作現場というのをよく知らないので,お金の面でどうなのかもよくわかりませんが,単に上空から撮るだけじゃなくて意外に地上でのリサーチも結構してるんじゃないでしょうか。タレントをスタジオに並べて楽屋落ちの無駄話をさせているだけの“バラエティ様番組”よりは,少なくともずっと手間はかかっている気がします。ギャラは声の2人+解説の1人分だけで済むのかもしれませんが。
「ブラタモリ」ほどではないけど放送が飛び飛びだったのも,その辺の手間の問題もあったんじゃないかと。

というわけで,これからは「ブラタモリ」と,“地理度”はずっと下がるけど「ぶらり途中下車の旅」(←ナレーターが代わってしまって残念ですけど)と,普段は仕事で視られないけど「ちい散歩」に期待しましょうか。
…ごめんなさいね。みんな実質“関東ローカル”で。
[79507] 2011年 10月 13日(木)21:38:08Issie さん
Re:空から…
[79506] いろずー さん
今日BSのチャンネルカチャカチャ変えたら
「空から~」が入っていましたが…

これ,再放送なんだよね。
この枠でこれから新作をやるのかなあ。
[79505] 2011年 10月 13日(木)20:57:16【1】Issie さん
空から日本を…
本来は関東ローカルなのですが,全国ネットで中継もしているようなので…
木曜の夜8時(ちょっと前)と言えば,東京12チャンネルの「空から日本を見てみよう」だったのですが,先月,長めの夏休みが終わった途端に唐突に終わってしまって,次は何だろうと思ったら…
公開放送の歌謡番組,なんですね。
こんな番組にツブされたのか…。

いやや,別に「こんな番組」が悪いわけじゃなくて…,
番組の中で某大物演歌歌手が言っていたように「今はこういう番組がなくなってしまったから」,確かにこういう番組はそれなりに貴重で,さすがは12チャンネルと言えなくもない。きっと私も来週以降もこの番組を視ているのだろうと思うのですが(“裏”がつまらないからね。ただし,NHKの裏番組が来週で終わるので,その次の番組次第だけど)。
それにしても,ねえ…。

まあ,来週から「ブラタモリ」が復活するようで,とりあえず2週分は昨年度のものを再放送して,本格的な“シーズン3”は来月から始まるそうですが。
とは言っても,いろんな意味で“シーズン3”で終わりにした方がいいような気が。タモリ自身もそうだし,相棒のアナウンサーも。タモリと言えば,「タモリ倶楽部」のように同じテンションで延々と続いている番組もあるけれど。

結局,「地理オンリー」の番組は作りにくいんでしょうかねえ。
[79503] 2011年 10月 13日(木)19:40:24【1】Issie さん
何というか…
どうもコミュニケーションが成立しないようなので,一方的な無駄話。

同じ「ゆとり教育」を受けていたのなら,自分だけが志望校に行けなくてもそれは「ゆとり」のせいじゃないよね。だって,志望校に行けてる奴だっていっぱいいるんだから。他人の言うことを理解しようとしないのも,それは自分の努力不足のせい。「ゆとり教育」なんかのせいじゃない。できてる奴はできてるんだから。

そもそも「ゆとり教育」というのは,一部のマスコミが当時の教育政策を批判するために使いだした用語。あまりに面白い表現だったのでみんなが飛びついて誰もが知っている言葉になったけど,それでは何が「ゆとり」なのか,どれだけの人が理解しているのかな。
たとえば当時,ある受験産業が「ゆとり」の実例として挙げた“円周率=3”。「およそ3」と教えることと「3.14」と教えることと,どれだけ本質的な違いがあるのか説明できるのだろうか。
大事なことは,そこで子どもたちに何を教えたい,どんな「学力」を身に着けてほしいのか,ということにあるのだけど,そこはスッ飛ばして表面的なことがらだけつまみ食いしてそれを大げさに煽り立てる。歴史の中で自分に“おいしい”ところだけ取り上げて,「日本はこんなに素晴らしいんだ」と言い立てる“自慰史観”大好きな某マスコミらしい手口だが。

「ゆとり」というけれど,それではそれでどれだけ「学力」が下がったのか,それは誰も検証しない。そもそも「学力」として求められる視点はたくさんあって,1つのモノサシで測れるものではないんだよね。
日本の学校教育は戦後どころか,明治の初めに学校制度が始まって以来,「ゆとり」(←当時は別の言い方をしたが)と「詰め込み」の間を幾度も行ったり来たりしているんだけど,それで「学力」が下がったという話はあるのかどうか。もし本当に下がったことがあるとするならば,それは授業そのものをほとんど行わなかった大戦末期と,教科内容自体が大混乱に陥った敗戦直後の子どもと生徒たちだろうけど,でもちゃんと社会生活ができてるよね。

コミュニケーションができないことの理由が「ゆとり教育」だなんて,そんな話は成り立たないと思うけどね。
ちなみに蛇足ながら,1960年代末の学習指導要領で小・中・高の教育を受けたあたしたちは,要するに過去の学校教育の歴史の中で一番の「詰め込み教育」を受けた世代だけど,その実,何てことぁないよ。

※…というわけで,誰かを相手にということではなく,「ゆとり教育」などというマスコミの“煽り文句”を使いたがる皆さんに向かって,思うところを書いてみました。
[79484] 2011年 10月 11日(火)20:06:35【1】Issie さん
国道の踏切追加?
[79477] 今川焼 さん
ところで、せっかく集めたデータなのでと、Googleマップにしてみたのがこれ→国道の踏切-Googleマップ

これ,面白いですね。
京急が品川を出ていきなり微妙な形で国道15号(第一京浜)と平面交差するのは,さすが元路面電車であった名残ですね。ここは元々,国道の上を走っていたのでした。
京急蒲田の空港線との平面交差は,今は半分だけ。立体化工事が完了すれば,ここの平面交差は解消します。あと何年でしょうか。

さて,八ツ山橋際の微妙な平面交差がありなら,こちらもご検討ください。

*国道16号・JR横浜線 相模原市緑区橋本

ここは“本線”はやや南の国道413号との分岐交差点ともども立体交差化されて陸橋で横浜線を乗り越していますが,側道の踏切が残されています。
16号は踏切の北側で御殿峠を越える“旧道”と八王子バイパスに分かれるのですが,この旧道につながっているのは側道の方です(ただし,内回り:横浜方面のみ)。先の交差点の状況から,16号で八王子方面から津久井方面へ国道413号線に入るためには,陸橋を通らず旧道から側道の踏切を通らなければなりません。実際,橋本駅北口から津久井方面に向かうバスはこのルートで413号線に入っています。
要は側道も立派な国道,ということで,こちらの踏切も仲間に加えていただければ,というお願いです。

※もう1つ追加。
その16号の旧道が御殿峠を越えて八王子市内に入った後,片倉の横浜線と京王高尾線との交差は国道の方がアンダーパスしているのですが,その先の中央線との交差は,こちらは正真正銘,橋本の踏切のような微妙なものではなく100%完全な混じり気なしの踏切です。
是非,こちらは追加を。
[79454] 2011年 10月 9日(日)12:02:30Issie さん
十鉄
…と呼ばれているそうですね,十和田観光電鉄。“正書法”(かなづかい)的には「とおてつ」であるはずですが,「とうてつ」とカナをふるらしい。

[79425] 山野 さん
東北新幹線・「七戸十和田駅」が開業し、利用者が減少、東北大震災で観光客が激減が原因らしいですが。

[79428] hmt さん
確かに十和田市を走っていますが、十和田湖の観光客は利用しているのでしょうか?

[79450] まかいの さん
ルートをあれこれ検討しましたが、十和田観光電鉄ルートはまったく上ってきませんでした。

もうだいぶ前,東北線の交流区間にまだ客車普通列車が走っていた頃,その列車で三沢を通りかかった時にここから分かれていく十鉄の様子を見て,何でこんなところにこんな路線が生き残っているのだろうと不思議に思った記憶があります。南部縦貫鉄道もまだ残っていたっけ。
要は,十和田湖観光のアクセス路線として盛況であるとはとても思えない状態。
恐らくは新幹線の開業を待つまでもなく,まかいの さんの感覚が普通の感覚なのではないかと思います。
たとえば,現在とは違って自家用車での観光などあまり考えられなかったであろう1968年10月の時刻表(いわゆる,国鉄“ヨンサン・トオ”白紙ダイヤ改正号)を見てみると,十和田湖へのアクセスのメインとなっているのは青森駅からの国鉄バスで,1~2時間に1本という実に頻繁な回数のバスが運行されています。
もう1つのメインは,国鉄バスと秋北バスが共同運行する花輪線の 十和田南駅 から(一部は大館駅から)の路線。
だから,観光客の多くは青森駅と十和田湖の間の往復,もしくは 青森駅~十和田湖~十和田南駅~盛岡または大館 というルートをとっていたのではないかと思われます。
もちろん,十鉄を利用した 三沢~三本木(現十和田市)~十和田湖 というルートもあって,三本木乗り換えのバスも午前中は1時間に1本と,青森ルートに引けを取らない回数が運行されているのですが,マイナーな感じは否めません。もっとも,それはこの時刻表(交通公社版)が「国鉄監修」であるせいかもしれませんが。

たぶん,十鉄は「十和田観光」を社名として謳っているし,事実それも少なくない比重を占めてはいたのだろうけれども,基本的にこの鉄道は十和田市内(三本木周辺)と東北線とを結ぶ“フィーダー”(培養線)としての役割を担ってきたのだろうと思います。
これが弘前のようにある程度の都市圏を形成していれば弘南鉄道のように生き残る余地もあり得るでしょうが(ここも,もとは2社競合であったものが一方(弘前電鉄:大鰐線)が維持できずに弘南鉄道(弘南線)に吸収されたものです),十和田市がそれだけの都市圏を持っているようには思えません。さらに三沢との間に「鉄道」を維持できるような流動があるかどうか。
だから十鉄が鉄道として存続していることの方が不思議,という最初の感想に至るわけです。
やはり新幹線の開業が“最後の打撃”になったのは確かでしょうが,それは「観光客の減少」というよりももっと日常的であった 三沢~三本木 間の数少ない乗客流動も奪ってしまった,ということだろうと思います。
そういうわけで,十鉄の廃止は惜しむべきことではあるかもしれませんが,結局は“必然”あるいは“当然”のことだと私は考えています。
[79433] 2011年 10月 7日(金)20:02:21Issie さん
実に失礼
[79431] いろずー さん
とりま失礼

「とりま」ではなく,本当に失礼です。
ここが“上品な言葉遣い”で“高尚な”お話をするサロンである言うつもりは全くありません。
でもその場にはその場に相応しい言葉遣いというものがあるだろうと思います。そして,それは普通の人ならば普通にできるはずのことです。実際に,小学生(当時)もそのようにしてこの場所に加わってきました。
いろずー さんは,ここにどんな話題を提供したいのですか。どんな情報が欲しいのですか。
いろずー さんの書き込みを読んで,残念ながらそれが全く伝わってきません。
「説明不足」以前の問題です。

説明不足で申し訳ない!

その後に「説明」らしきものが書いてあるけれど,ますます意味不明です。その前の N-H さん([79430])の指摘に全く答えていません。
さらに言うに事欠いて「テロ朝」とは何事か。ここは 2ちゃんねる でも ヤフコメ でもありません。この放送局をそのような名前で呼ぶなら,それに足るだけの十分な根拠を挙げてください。

そして本題。

[79429]
十番勝負のネタ

設問の前提条件が極めて不正確です。
N-H さんが指摘されているように,

NHKと朝日新聞社が主催する合唱コンクール

というものが存在しない以上,これは問題として成立していません。
問題を作成するときには,その前提となる事実確認はきちんとしなければなりません。答える側も当てずっぽうに言っているのではなくて,事実に基づいて考えているのです。
だから,いろずー さんの“十番勝負らしきもの”には誰も答えることができません。
もし,真面目な気持ちで「十番勝負のネタ」を提供したのであれば,きちんと事実確認をしたうえで,“本物の十番勝負”の「メダリスト」たちから細々としたツッコミが入れられることのないような,完璧な問題を作って提供してください。
[79418] 2011年 10月 1日(土)21:32:18【1】Issie さん
がっかり門
[79384] hmt さん
「日本三大がっかり名所」として列挙されていたのは、札幌時計台・はりまや橋・名古屋テレビ塔・京都タワー・守禮の門・長崎オランダ坂 でした。

週明けから3泊4日で沖縄へ行きます。残念ながらお仕事で。
最終日は定番の「首里・那覇班別自主行動」なのですが,時間が許せば首里城門前の広場で記念撮影をする予定。昔だったら,その「がっかり門」が撮影スポットだったんですけどね。
班別自主行動の間,私たちは“お客様たち”の様子をそれとなく見守るため,首里と那覇の町を手分けして歩き回ります。今回,残念なことに私は記念撮影の後,首里城内に入らずに那覇の町へ下りて国際通り辺りを回るグループに当てられてしまいました。
実は前回(6年前)にお仕事で行ったとき,是非,復元なった首里城を見に行こうと那覇のホテルでの打ち合わせ終了後速攻で首里に向かったのですが,時間切れで有料ゾーンへは入れず,残念な思いをしたのですが,今回もまた無理そう。
私にとって,首里城内への壁はかなり高いようで。

さて,その守礼門。
私が初めて沖縄を訪れたのは学生だった1981年の夏休みなのですが,その頃は城内がまだ琉球大学のキャンパスに使われていて,とりあえずお城の石垣の復元は進んでいたけれど後は住宅街の中に守礼門がポツンと建っているような雰囲気で,「がっかり」と言われるのもムベなるかな,というものではありました。
でもまあ,あの場所の歴史を考えればしかたないよなあ,と思わずにはいられません。
むしろ,戦争で灰燼に帰する前の戦前には旧王宮は一応“神社”にはされていたけれど荒れ放題だったそうで,だからその頃訪れた方がガッカリ度は高かったかもしれません。
門が再建されたのは1958年。奇しくも東京タワーと同じ年ですが,米軍統治下で高度経済成長の蚊帳の外にあった沖縄でこれを復元するのは多くの困難があったのではないかと推察します。とりあえず,これを復元できたことだけでも大きな成果であり,だから長年,首里城が復元されるまで沖縄のシンボルであり続けたのだろう。
そう思うと,やっぱり「がっかり」は酷だよな。

…でね,ほかの「ガッカリ地点」も多かれ少なかれそうなのではないかと思うのですよ。
[79395] 2011年 9月 27日(火)21:57:59Issie さん
岐阜駅は動く
[79386]
手許に市町村制施行後の1891(明治24)年当時の岐阜周辺の地図がありますが,岐阜駅を通過する東海道線の南側のラインが 岐阜市 と 上加納村 の境界になっています。

と書いたのですが,某所を見るとどうも岐阜駅はこの後1913(大正2)年にもう一度移転して現在位置に来たらしいということがわかりました。
そこで地図を見比べてみると,なるほど,1891年当時の東海道線は岐阜駅付近で現在よりもやや北に膨らんだ経路を通っていて,現在の名鉄岐阜駅(←新岐阜だと思っていたら,いつの間に…)あたりのラインを通っていたのですね。
その某所では,当初の「加納駅」が現在の名鉄岐阜駅付近にあって,1889(明治22)年に「西に移動した」とあり,それが1891年当時の岐阜駅なのですが,どうもこの時の移転はそれほど大きなものではなかったらしい。踏切をはさんで反対側に移動した京成高砂駅や京王調布駅程度のものでしょうか。
いずれにしろ,1891年当時の東海道線ラインは今よりも北の長住町の通りの南側にあったようで,長住町と問屋町の境辺りが当時の岐阜市と上加納村の境界に当たるようです。
1913年に岐阜駅がやや南の現在位置に移転することで岐阜旧市街から伸びる駅前市街地がさらに南に広がったことになるのですね。
そんなわけで,今の岐阜駅はますます“岐阜ではなくて本来は加納”と言える場所にあるわけです。
[79394] 2011年 9月 27日(火)20:49:56【1】Issie さん
年中サマータイム
[79390] 水魚 さん
時差は4時間まき戻し。

[79393] hmt さん
訪問地は「マー・ワランナフル」ですね。

なるほど,どうも時差の計算が合わないと思ったら,この国はサマータイムを実施していないのですね。
もっとも,この国がもっと大きな国の一部だった時代から年中サマータイムを実施しているようなものでしたが。その“大きな国”では夏にはさらにサマータイムを実施していたので日本からすぐ近くのところに行くだけでも時差がすごいことになっていました。その大きな国から分かれた最も大きな国では今年から冬の時刻も“夏のサマータイム”に合わせる形でサマータイムを廃止してしまったらしいですね。
これは知らなかった。何か,“あのお方”がまた大統領になるらしい国っぽい話です。

で,肝心のこちらの国ですが…,久保田早紀が歌ったカラーテレビのCMソングが聞こえてきます(←本人はそんなイメージで作ったわけではないそうですが)。
[79386] 2011年 9月 26日(月)22:40:30Issie さん
「日本橋」とは首都高の高架橋のこと?
[79382] ペーロケ さん
お江戸日本橋に播磨屋橋以上のガッカリを覚えました。

[79383] N-H さん
日本橋については、川を埋め立てまくった都心の中で暗渠にならなかっただけでもまだましだと思うことにしています。

まあ,評判悪いですよね,日本橋。
私も,頭の上を高速道路に押さえつけられている日本橋がかわいそうに思えてきます。
さらには「日本橋」のネームプレートが首都高の高架橋についていてこれが目立つので,ちょっと見,高速道路の方が日本橋に思えてしまいます。
確かに日本橋の惨状はその通りなのですが,一方で首都高の高架橋自体は捨てたものではないという見方もないのではないかとも思います。いや,建設以来半世紀近くも経って高架橋の塗装も色あせてしまった今ではなくて,首都高が建設された1960年代半ばには。
子供の頃,親に買ってもらった学習百科事典。買ってもらったのは70年代に入ってからですが,「上越線」の項目で“清水トンネルの湯檜曽ループに差し掛かる「下り」特急とき”の写真が掲載されているので,編集されたのは60年代半ばなのでしょう。
その美術特集巻の中に“現実世界の中に見られる美”の一つとして,日本橋のお隣の江戸橋JCTで首都高の高架橋が幾重にも重なる曲線美が紹介されています。私は幼すぎてこの当時の空気をリアルタイムでは全く記憶していないのですが(私の記憶の中には渋谷の道玄坂上を走る玉電がぎりぎり含まれています),「高速道路」はオリンピックを控え,本格的なモータリゼーションが始まる直前の東京では東京タワーとともに「現代化」の象徴の一つだったのではないかと想像しています。
それが日本橋の上を覆いかぶさるように建設されても,必ずしも否定的な受け取り方ばかりではなかったのではないかと思います。
その辺り,高度経済成長真っ只中の半世紀前と20年にわたり景気の良さを実感できない現代とでは感覚が違うのではないか,そんな気がします。
だからもう一度言うと,日本橋の上に覆いかぶさる首都高というのも必ずしも悪い評価ばかりではないのではないか,と。

[79385] むっくん さん
#上記の内、岐阜駅及び浜松駅は、当時はそれぞれ岐阜市内及び浜松町内にない可能性が有ります。

手許に市町村制施行後の1891(明治24)年当時の岐阜周辺の地図がありますが,岐阜駅を通過する東海道線の南側のラインが 岐阜市 と 上加納村 の境界になっています。東海道線の北側も含めて周りが 上加納村 の領域である中,北の岐阜市街から駅前に伸びる街路ともう一本東の街道(←当時は大きな街道でしたが,大正以降拡張されることもなく現在は周囲の市街地に埋没しています)に沿った区域だけ 岐阜市 に編入されたのは明らかですね。
1889(明治22)年7月1日の市制施行の際,“岐阜51町”に隣接4村と“上加納村の一部”で「岐阜市」が発足していますが,その“上加納村の一部”というのがこの部分なのでしょう。
1891年の段階で既に岐阜市街から駅前へ続く市街地が形成されつつあります。やがて「岐阜」が「加納」を完全に飲み込んでしまうのですが,最初の位置から移転してきたという現在位置でも,岐阜駅は“本来の岐阜”ではなく,“本来は加納”にあるということになるのでしょう。
[79374] 2011年 9月 25日(日)12:02:59【4】Issie さん
かかみがはら
[79369] デスクトップ鉄 さん
駅名も由来の一つである自治体名

これを見て最初に思ったのは「拡大解釈」なんじゃないかなあということだったのですが,それは後に回して…。

各務原市があるなら,これも入れてよ,と言ってみましょう。

市名市名誕生日旧市町村名駅名駅名誕生日開業日開業時駅名
相模原町1941/04/29高座郡上溝町,座間町ほか相模原1938/03/01-相模原→小田急相模原

「現・相模原市」ということで…。
一番右の欄にあるように,この「相模原駅」は現在の「小田急相模原駅」。1941年4月29日の「相模原町」発足直前の4月5日に省線(国鉄)横浜線上に開設された「“軍都”の中心駅」に召し上げられ,民間の小田急は駅名の改称を余儀なくされた,というのはここで何度か触れたお話です。何しろ,「お上」には逆らえない時代ですから。
これも何度か触れられた話ですが,この「(小田急)相模原駅」は同じ頃に近くに開設された 臨時東京第三陸軍病院(戦後,国立相模原病院を経て,現・独立行政法人国立病院機構相模原病院) の最寄駅として開業しました。この頃,多くの陸海軍施設が相模原周辺に移転・開設されているのですが,それらは「原町田」とか「高座」「相模」という地名を冠していました。その中で「相模原」を最初にメジャーな呼称として用いた最初の例が,小田急のこの駅だったようです。
だから,その論法で言えば,「相模原市(←相模原町)」も小田急の駅名に由来する自治体名,と言えなくもない。でも,たぶんそれは違う。
「軍都」を中心とした高座郡北部9町村での合併交渉の過程(途中で大和村=現大和市北部が脱落)で新市名として「相模市」「相武台市」などの候補の中から「相模原市」が選ばれました(ロクな市街地もないくせに「市」を名乗るとは…,と内務省に呆れられて「相模原町」となったのはご愛嬌)が,その過程で小田急の駅名の存在は話題にはなっていないようです。すでに軍都の呼称として「相模原」は広く定着していたようで,何も小田急の駅名が始まりという意識はどこにもないのでしょう。少なくとも「相模原」が小田急の造語でないことは確かで,そうすると「小田急の駅名由来」と考えるのは難しい。

「各務原市」の場合,高山線の「各務ヶ原駅」開業(1920年)よりも前の1917年に陸軍が「各務原飛行場」(現・航空自衛隊岐阜飛行場)を開設しています。
「各務原」(←高山線の駅は「かがみがはら」なんですね。よくある“揺れ”というやつで,地名自体としてどちらが「正しい」か詮索するのはナンセンス。国鉄はたまたま“濁っている”方を使い,自治体名としては“濁っていない”方を採用している,それだけのことです。あるいは「ヶ」の有無も同様)という地名がいつ頃から行われていたのかわからないのですが,少なくともそれをメジャーな形で用いたのは鉄道省(高山線)よりも陸軍の方が先。で,「習志野」がそうであるように,地名を広めるうえで陸軍の宣伝力は圧倒的です。あえて言えば,「各務原」は“陸軍由来”とした方がいいかもしれない。
むしろ,JR・名鉄の両「各務(ヶ)原駅」前の町名「鵜沼各務原町」こそ駅名由来かもしれません(←「大字鵜沼」から分立?)。

町名・字名という狭い区画の呼称であれば,そこに駅があってその駅名が町名字名の由来である蓋然性が高そうだ,という共通理解は成り立ちやすいのですが,自治体名レベルの広域の呼称になると,駅というピンポイントな施設がじかにその名前の由来となった,というのは,たとえば神奈川県の 山北町 のなどの「鉄道の町」のような例を除けば,「そうは言えるかもしれないけれど,確証はできないよね」となるのではないかと思います。
「会津若松市」や「富士吉田市」,「近江八幡市」,「大和高田市」などの場合は,ほかの市との同名回避の手段として,おそらくはその名前の鉄道駅名がなくても自然に出てくるものでしょう。
だから,リストの中の多くの市名は拡大解釈なんじゃないかなあ,と思った次第です。
[79324] 2011年 9月 9日(金)01:23:50Issie さん
でこしな
[79322]般若堂そんぴん さん
福岡県民の多くが真っ当な人たちであることを願いつつ.

[79323] 有明つばめ さん
できれば、そこは福岡市民(もしくは福岡都市圏民)と書いて欲しかった‥‥。

気持ちはわからないでもないが,ちょっと違うような気が…。
「福岡県民」が戸惑いを感じるように,「福岡市民」だって同じことを言いたくなるのではないかなあ。

元々この話題に限らず,どんな時でも,どんな所にも,どんな話題でもそういうことをする輩はいるのではないかと思います。だからと言って,別にそれが「○○の住民」「○○の県民」「○○国人」の大多数の属性ではないでしょう。
某大型ポータルサイトのコメント欄は好んでそういうレッテルを貼る意見ばっかりですけどね。そしてそれが反射を繰り返しながら“傾き”の大きな声ばかりが席巻する。悪貨が良貨を駆逐する典型例(このたとえ,本当は意味が違うのだが)。

話を元に戻して,
ここにあがった2つの反応のどちらもどうもピンと来ない。“そういう輩”の行為にその都度反応することも,「うちは違う」的な反応をすることも…,と反射的に思ったのでした。

※何かいいタイトルが浮かばなかったので,さきほど見たNHKの番組以降,頭を離れないフレーズを流用。
[79280] 2011年 8月 29日(月)21:47:22【3】Issie さん
津田沼駅は船橋市
[79277] k-ace さん
微妙なのが山県市(山縣)

私的には全然オッケー。だって,もともと「山縣郡」でしょ。
歴史上の人名・地名は基本的に常用漢字体に書き換えて構わないと思います。ちなみに,“あの育鵬社”の中学校歴史教科書でさえ「山県有朋」の表記です(←“文部科学省の圧力”というのかも知れない)。

で,その「野田市」。このままいけば,きっと総理大臣になるのでしょう。
初の「千葉県選出」の総理大臣。
いや,“千葉県出身”の総理大臣と言えば 鈴木貫太郎 がいるじゃないか,という意見もありますが,少なくともこの人は“国民から選ばれた”総理大臣ではない。帝国議会の議員として総理大臣になったわけではないですからね。
それに関宿藩士の家の出身で,だから千葉県出身と言うのだけど,この人の家は下総の関宿本藩ではなくて,泉州の飛地領勤務。その赴任地で生まれたこの人が関宿にいたのは,まだ幼かった廃藩後の数年間だけだったようです。だから「千葉県出身」と言っても,かなり微妙。
その点,今度の人は船橋市の出身で,選挙区も船橋市(=千葉4区)。今度こそ“本当の千葉県出身”と言えましょう。

NHKのニュースを見ていたら,この人の「原点」としてJRの津田沼駅前が出てきました。
もっぱら“南口”を利用していた私には少し縁の薄い“北口”。
そう,私にとって津田沼駅は「習志野市の代表駅」なのですが,北口は“船橋市の第2の玄関”なのでした。野田さん,お父さんが自衛隊の空挺団の方だったというので,地盤は船橋市でも“習志野地区”の方なんでしょうね。だから船橋駅ではなくて津田沼駅(ちなみに習志野市は旧千葉郡つながりで八千代市や千葉市花見川区と一緒の千葉2区だから,選挙区が違う)。
…いや,ローカルな話でごめんなさい。

※追加
[79279] BANDALGOM さん
房総各線や、かつては総武線快速でも活躍した紺色とクリーム色の電車

まあ,そうですねえ…。
でも私にはどちらかというと,“途中参加”の総武快速よりもやっぱり,その前から走っていた「黄色い電車」(101系)。もう1つ前の「茶色い電車」はおぼろげに覚えているだけ(千葉以東ではかなり遅くまで走ってましたが)。後は,ステンレス車になる前の京成電車の「青電」と「赤電」かな。
[79251] 2011年 8月 27日(土)13:52:30【2】Issie さん
日田に行ってきた
うちの職場にはこの季節,「夏休み」というイベントがあるのですが,それは“お客様方”のこと。私たちは原則,通常勤務です(実は昔はそのあたりかなりルーズでした。“うるさく”なったのは10年ほど前から)。というわけで,規定通りの夏休み(夏季休暇)が8月の末になってやっととれたので,かねて予定の九州新幹線に乗りに行ってきました。
ともかく,まずは鹿児島まで直行するとして,どうやって帰ってこようか。
そこで,
・肥薩線の矢岳越え(これは17年前に一度乗車済み)
・西鉄電車に乗る(5年前,選挙で選ばれる“偉い人”のお供で太宰府に行ったときに乗りそびれた)
・日田彦山線にでも乗ってみよう(筑豊線は13年前に乗車済み)
というサブイベントを考えました。

で,九州新幹線。わざわざ新大阪乗り換えで「さくら」に全区間乗車。
感想は,「まあ,こんなものか」と。
在来線時代の「つばめ」にビュッフェをつけていたJR九州のことだから「さくら」にも何か工夫が,と期待したのですが,新幹線は「西」や「東海」に合わせる必要があるのでしょうかね。“普通”の設備でした。
乗ってみれば,新しい新幹線の常でトンネルばかり。高架区間は高い防音壁で景色はほとんど見えず。やっぱり新幹線は「旅行」の手段ではなく,飛行機と同じく2地点間を短時間で移動するためだけの手段と割り切るべきなのでしょうね。

矢岳越え。17年前は八代側から越えて,吉松からは吉都線経由で宮崎へ流れたのですが,今回は鹿児島側から。隼人-吉松間が初乗車(国分までは学生だった25年前に乗車済み。このときは国分から今は亡き大隅線と志布志線(これは現存)で宮崎へ行った)。地図も視ずに乗ったのですが,霧島の西側をスルスルと吉松まで行くのかと思ったら,狭い谷間を通って何度も山越えをするのですね。矢岳越えとともに,日露戦争中の艦砲射撃対策と言われてはいるけれども,よくもわざわざこんなに地形の険しい区間を選んで「鹿児島本線」を通したものです。
矢岳越えそのものは……,あちらこちらに乗車体験記があるので割愛。一つだけ,「観光列車」というのも馬鹿にはできないな。車内が(ある意味)ケバくて居心地悪かったが。

西鉄電車。大牟田から久留米まで乗車。
「久留米」なのは,出発前日に宿の予約をしようと思ったら(ほとんど思い付きに近い今回の旅行なので),博多(福岡)がどこも一杯で予約が取れず,やむなく久留米にしたら一発でとれた,という次第。ま,でも結果的に久留米の町を歩くことにもなって,これは怪我の功名。
大牟田から料金不要の特急に乗ったが,これが速い。30分前に大牟田を発車した各駅停車を柳川で追い抜いたが,これは各停が遅いのか?
柳川付近では筑後平野特有の「クリーク」の断片が車窓からもよく確認できる。こういうものは前政権党以来の農業+土建政策で“きれいな田んぼ”に整備されてしまったと思っていたが,後で地図を見てみると柳川周辺には意外にも昔(白秋の時代?)のまま残っているのですね。この場合,水路を丁寧に拾って“濃い青”で表示している「ウォッちず」がおすすめ。
やはり,柳川駅のあたりで自転車を借りて走り回るのがよさそうです。平坦だしね。

で,日田彦山線に乗るために日田へ。
いや,汽車に乗るためだけじゃなくて,日田自体にも興味があったので。
お昼の日田彦山線列車の発車時刻まで,3時間という駆け足だけど日田の町を歩く。
だって不思議ですよね。何でこんな所に天領があって,西国郡代がいたのか。そして,たとえば江戸時代後期には「咸宜園」という“近代的”な私塾があって,近場の周防の村田蔵六(大村益次郎。塾には違う名前で入門願を出しています)はともかく,奥州出身の高野長英がシーボルト事件の余波とは言え“こんなところ”にいたという。不思議で,魅力的な町です。
日田駅の北西方にある 豆田町 というところが西国郡代の“陣屋前町”で,古い街並みがとてもきれいに残っているのですが,実はこれは何度か大火を経験していて今あるのは明治・大正以降のものだとか。飛騨郡代の高山には陣屋がきれいに復元されているのですが,こちらは敷地が分割されて普通の民家になってしまっているので,復元は難しそうです。
やっぱり3時間では足らなかった。でもこの季節,それ以上歩く気はしなかったな。

日田彦山線に乗って最初に驚いたのは,大分県(豊後)から福岡県に入って直に豊前に入るのかと思ったら「宝珠山」。……??? これって,筑前朝倉郡最奥部の(旧)宝珠山村だよね。何と日田彦山線が通っていたのか…。
これは地形抜きで行政界だけの地図を眺めていては気づかないことでした。
で,筑豊線で「筑豊の“筑”」の方を通った13年前に対して,今回は日田彦山線で「筑豊の“豊”」の方。当たり前ですが,40年以上も経てば“炭鉱の町”の影はだいぶ薄れますね。ボタ山を探してみても,車窓からすぐにそれとわかるものはありませんでした。
そうこうするうちに小倉に着いて。また新幹線。
新横浜に着いたら関東は大雨で,少し前には横浜線が停まっていたとか。家に着いたら今度は新幹線が運転見合わせとかで,私自身は遅れに遭うことなくダイヤ通りの電車で帰ってこれたのですが,運のいいことでした。
[79105] 2011年 8月 15日(月)21:08:36【3】Issie さん
「国中」の縄張り
[79097] k-ace さん
一之瀬地区近くを国道411号で通ったことがありますが、柳沢峠ではなく妙なところに甲州市・丹波山村境があったので不思議でしたが、一之瀬地区だと峠越えしても奥多摩方面より塩山方面のほうが近いから? ただいくらか改良されているとはいえきつい峠道ですが…。

この境界(一之瀬川)は単に現代の甲州市(旧塩山市)と丹波山村の境であるだけでなくて,少なくとも近世の山梨郡(現甲州市)と都留郡(現丹波山村)にまでさかのぼる境界であるようですね。それはもっと言えば,甲州を二分する「国中」(山梨・八代・巨摩郡)と「郡内」(都留郡)との境界でもあるということです。
つまり,多摩川流域の最上流部にあたる一之瀬川以西の区域は「郡内」ではなくて,甲府盆地側の「国中」の縄張りだということを意味します。

私もずいぶん前に国道411号線を通ったことがあります。確か,塩山側から。
柳沢峠を越えてもちろん山ばかりの場所なのですが,面白いことに峠を越えたばかりの一之瀬地区よりも下流に行くほど谷が深く険しくなっていく印象がありました。
実は,これは南に並行する笹子川・桂川(相模川)の谷を下る中央東線も同じで,笹子峠はもちろん険しく長いトンネルをくぐらなければならないけど,大月辺りまでは谷底にそれなりの広がりがあって中央東線も谷底に近いところを通っている。ところが,大月を過ぎると小仏トンネルを抜けて高尾(浅川)の駅に到着するまで実に険しく深い谷をたくさんのトンネルを連ねて行くことになります。塩尻以東の中央東線でトンネルが連続する“難所”は最高地点の富士見高原区間ではなくて,東京に最も近い大月-高尾間なのですね。中央東線の甲府以東が,丹那トンネルを控えた東海道線の東京口や上越線の清水越え区間とともに,昭和最初期という非常に早い時期に電化された理由の一つです。
これはさらに南に並行する秋山川や道志川の谷でも同じです。桂川(相模川),秋山川,道志川のそれぞれの谷が一番深く険しくなる辺りに甲州(山梨県)と相州(神奈川県)の境界があります。これが丹波川(多摩川)の谷では甲州(山梨県)と武州(東京都),そして国中(山梨郡)と郡内(都留郡)の境界となるわけです。

「国」という区画が成立する以前の“国造”の時代には,後に都留郡あるいは郡内と呼ばれることになる相模川(桂川)の上流域は「相武(さがむ)国造」の領域だったという説もあるようで,その後の甲相国境も移動しているようですが,少なくとも「甲斐国」が編成された時には都留郡は甲斐国4郡の1つに数えられていたわけで,甲府盆地側からの支配が及んでいたことになるのでしょう。この時,桂川流域に対しては笹子峠や御坂峠といった険しい峠が境界となったけど,多摩川最上流域については後に柳沢峠と呼ばれることになる峠の隔絶性よりも一之瀬川合流点よりも下流の谷の険しさによる隔絶性の方が大きかったのかもしれませんね。
ただし,地形が険しく関係各国・各郡にとっては山間僻地の辺境にあたるこの辺りの境界線が実際にどうなっていたかは古い時代であればあるほどよくわからないようです。具体的に境界が確定するのは中世後期,国中の武田氏と郡内の小山田氏の縄張りが確定する辺りまで下るのかもしれません。
いずれにしろ,無理に一般化してまとめれば,たとえばいつも分水嶺が境界線であればわかりやすいのだけど,現実にはそうならないこともとても多い,ということになるのでしょう。
[79085] 2011年 8月 14日(日)00:29:40Issie さん
大多摩
[79084] k-ace さん
さて、「大多摩」とはどこのことなのか?

実は初めて聞きました,「大多摩」。
件の観光連盟のHPを見ると,その前身の「社団法人大多摩施設協会」が設立されたのが1946年とずいぶん古いのですね。その割にはあまり一般的に知られた地域概念ではないように思います。
「大」がつくのは,基本的に「多摩」が“東京都限定”という暗黙の了解が前提になっているのかもしれません(川崎市に「多摩区」がありますが)。多摩川の上流も山梨県内では「丹波(たば)川」ですしね。

山梨県北都留郡2村があるのはやはり多摩川の源流があり、奥多摩町と密接な関係があるからでしょうか。

昔は丹波山村から(というより,奥多摩町の氷川駅から?)塩山方面に向かうバスがあったらしいし,小菅村にはシーズン中の土日限定だけど上野原からのバスが10年ほど前から入るようになったけど,今ではこの2村へのアクセスはもっぱら奥多摩町からで,山梨県本体とのつながりはかなり弱いのではないかと思います。
その意味では,この2村が奥多摩,ないしは西多摩地方と一つの塊をつくるのはごく自然なことではあるでしょう。むしろ北都留地方の大月市や上野原市,あるいは甲州市と一体のまとまりを作ることの方が無理に思われます(ただし,甲州市のうち旧塩山市北部の一之瀬地区は丹波山村とともに多摩川水系に属します)。

ところで「丹波山(たばやま)村」や「丹波(たば)川」の「たば」は「たま(多摩)」との関連が想定されています。で,丹波山村と小菅村の間に「大丹波峠」という峠があります。これと「大多摩」が関係あるかどうか。
ちなみに,奥多摩町の東部にも「大丹波(おおたば)」「小丹波(こたば)」のペアーがあって,「大丹波川」も流れていますね。
[79069] 2011年 8月 13日(土)13:28:30【1】Issie さん
大阪都制
[79065] グリグリ さん
とここまで書いていて、大阪府が大阪都になった場合も「呼称変更」でよいのかどうか疑問が生まれました。

やはり,単なる「呼称変更」では済まないケースであろうと思います。
“二重行政”の弊害を解決するということを主眼に置く「大阪都」構想であるなら,その核心となる内容は「大阪府による大阪市の吸収」ということになるのでしょう。この場合,「村→町→市」あるいは「府→都」という“横”の異動だけでなく,(建前上,上下関係があるわけではないものの)「市→都」という“縦”の異動が起こるわけで,かなり大きな制度変更になり,したがって単なる「呼称変更」の範囲内には収まらない,と考えます。

「東京都」の場合は,東京市の区域について“府県階層”と“市町村階層”の2階層にまたがって行政を担当する“新しい制度”の創設であったわけで,そこで法律であるところの「東京都制」が新たに定められるとともに,「府」ないし「都」は“国の地方官庁”で,その改廃や知事・長官以下の官吏の任免は「天皇大権」の1つ(大日本帝国憲法第10条)でありましたから,この部分については法律ではなく勅令「地方官制」も改正されて実現したものです。
「都制」とは,これら一連の手続きを経て導入された「(東京)都という制度」という意味だと思われます。単に「東京都制」という法律が施行されたという意味ではないだろう。
その後の「地方自治法」では,“既にある制度”として他の道府県と同列に扱われることになるわけですが。

「大阪都」の場合はどうなるか。
知事は国会に足場を持っておらず,国会の二大政党等とも全く無関係に,他の都道府県との連携もなく,あくまでも“大阪府単独”で動いているように見えますから,恐らくは「地方自治法」を変えてということはなく,この法律の範囲内で,ということにならざるを得ないのでしょうが,その中でどうやって「市」を吸収し「都」となるのか。
そう言えば,この人は元々弁護士さんですから“法律の専門家”であるのでしょうが,地方行政法という分野についてはどうなのか。

一連の市制・町制・村制の話題については,みなさんの詳細な考察があるのでそちらに譲るとして,とりあえず私はこう考えます。

・かつて存在し,現行憲法・地方自治法下では効力を持たない「市制」「町村制」という法律があった(←この2つ,最初に1888(明治21)年には“1つの法律”(法律第1号)として公布されていますが,1911(明治44)年の改正で別個の法律(市制:第68号,町村制:第69号)に分離しています)。
・この体制の下では「市」になることは法律「市制」を施行することであり,その意味で「市制施行」という表現は正当である。
・しかし,「村」が「町」になる際に新たに「町制」という名前の法律(←実際には存在しない)を施行するわけではない。その意味では「町制施行」という表現は正当ではない。
・ところで,当時の6大市には「区」が設置され,これを「区制」と呼ぶことがあるが,そのような法律は存在しない。
・一般的に1889(明治22)年に導入された基礎レベルの地方制度を「市町村制」と呼ぶ。しかし,「市制・町村制」とは通常呼ばない。なぜなら,これは法律名による呼称ではなく,全国を「市・町・村」に区分して自治を行う制度,というほどの意味で用いられていると思われる。
・「町制」「村制」「区制」も同様の意味で用いられていると考えられる。「市制」,あるいは「郡制」「府県制」は同名の法律が存在し,その区分が曖昧だが,同様に「市という制度」と捉えることも可能だろう(ただし,単独で「府制」「県制」と呼ぶ例はあまりないような気がする)。
・「~という制度」という意味での呼称であれば,法律である「市制」「町村制」「郡制」「道府県制」(←1946(昭和21)年に「府県制」から改称)「東京都制」が廃止され効力を失っても成り立ち得るものと思われる。
・現行地方自治法下において,それらの呼称は法律上の根拠を持つものではないかもしれないが,慣習的な呼称としては(自治体自身も含めて)広く行われているものであり,「正当でない」わけでは必ずしもない。
・だから,場合に応じては「市制」「町制」「村制」その他の呼称を用いることもあり得るだろう。

……何だか,書いていてさらによくわからなくなりました。
ただ,話の最初の方の「宿」「駅」「浦」等については,少なくとも近代の地方制度(たとえば「郡区町村編制法」以降)としては“そのような制度”があったわけではなく,末尾がどのような呼称であれ,「村という制度(村制)」や「町という制度(町制)」の中に含まれるものだと考えています。
[78878] 2011年 8月 7日(日)10:45:11【1】Issie さん
相模原中央
昨年も同じことを書いた記憶があるのですが,
基本,甲子園からは距離を置いて眺めたいと思いながら,そのたびに自分が,現住地で自分の雇い主である神奈川県よりも千葉県の方に強く帰属意識を持っていることを確認してしまいます。特に今年は「習志野」という文字があるのが素直にうれしい。「横浜」だとか,「東海大相模」には,そういう感情が湧かないなぁ(でも,頑張ってね)。
久しぶりに校歌を聴いて,そう言えば現在リーグ・トップのヤクルト・スワローズの小川監督が前回優勝時(1975年)の投手だったことを思い出しました。

[78876] グリグリ さん
「常陸大宮、日立、鉾田、柏、松戸」という表示があり

気象警報は“市町村どまり”で,区のある政令指定都市も「横浜(市)」や「大阪(市)」(←「市」はあったか,なかったか?)までしか出て来ないのですが(ただし,大阪市は市全域が単独でかつての“二次細分区域”,現在の呼称は“市町村をまとめた地域”で「大阪市」という呼称です),地震の震度を発表する際は政令指定都市でないところも含めて,市町村以下の区分の地名がまま現れますね。
その時は確か,たとえば「相模原中央」のような表記であるように思います。
「市」と「区」が省略されている?
いや,「区」だけ省略して「相模原市中央」だったかな?

NHKのニュースなどでは,基本的にそれぞれの区域の最大震度が発表されますね。第一報は,都道府県をいくつかの区域に分けた単位(基本は気象警報で用いられる“一次細分区域”だけど,以前に hmt さんが指摘されたように,いくつかの県ではやや違った区分になっています)内で一番震度が大きかった“どこか”の震度で代表し,次いで詳細がわかると各市町村単位の最大震度が報じられる。
「相模原中央」と言えば(あるいは「相模原市中央」でも),とりあえずは「相模原市中央区」と捉えることになるでしょうね。恐らくは地震計が置かれている市役所の位置。ここが幸か不幸か「中央区中央2丁目」。だから,これは区名を飛ばして「相模原市(中央区)中央」と読んでも正しい。
でも「中央区」内にはほかにいくつか地震計の置かれている地点があって,そこの震度かも知れない。実際,「中央区中央」よりも「中央区田名」の方が大きく揺れたこともよくあります。このとき,「相模原(市)中央」の震度としてテロップに表示されるのは,中央区中央=市役所ではなく 田名 の震度なのでしょう。「相模原市中央区」と読むのならそれでもいいのですが,「相模原市(中央区)中央」だと不適当。
…ま,こんなことを気にする人はあまりいないとは思いますが。

画面のテロップ表示は「簡潔」を旨としますから,必要に応じて 市区町村 などの“接尾辞”が省略されるのはありだと思うのですが,そこからくる曖昧さが場合によっては混乱を生み出すもとになりかねないことは事実でしょうね。
[78836] 2011年 7月 28日(木)21:10:10Issie さん
1077年,ハインリヒ4世 対 グレゴリウス7世 のできごととは?
1か月ぶりの東京12チャンネル「空から日本を見てみよう」,今回は清里高原。
以前の天竜川では,かなり「自然地理(地形学)」していましたが,……
なるほど,「人文地理」もできるんですねえ。まあ,「観光地理」。
ただ,語り口にしばしば,昔フジテレビで深夜に放送していた「カノッサの屈辱」を思い浮かべてしまったのですが,それはたぶんネタがまさしくあの番組向きだったから。
考えてみれば,あの番組はバブル絶頂期のものだったんですね。
清里の雰囲気もだいぶ変わってしまったけど,今「カノッサの屈辱」を作ったらどんな番組になるんでしょうね。
[78822] 2011年 7月 24日(日)18:36:45【3】Issie さん
吉野駅は「町」
図書館に行く用事があったので,ついでに一連の話題について少しだけ眺めてみました。
見たのは,「吉野駅」が数次の合併の末,最終的に所属することになった 旧・藤野町(現・相模原市緑区)の『藤野町史 資料編・下』藤野町,1994年。

この資料集の p.28 に「明治一八年三月 吉野駅外四ヶ村町村費収支表調整進達」というのが収録されています。

-------------------------------------------------------------------------------------
客年十二月庶第千三百十九号ヲ以テ御照会相成候町村費収支表別紙之通調整進達仕候也
 但 明治十七年度ハ各科目ニ依リ各町村費ヲ区分スルヲ得ザルニ付単ニ連合町村費ノ負担額ヲ掲ケ別ニ連合町村費支出予算ノ科目ヲ添テ参考トナス
     津久井郡吉野駅外四ヶ村
 明治十八年三月七日 戸長 和智保章
  津久井郡長 吉野十郎殿
-------------------------------------------------------------------------------------

以下,各“駅”村の収入・支出の表が掲載されています。各表の題目は,
・吉野駅町費 収入
・吉野駅町費 支出
・日連村々費 収入
・日連村々費 支出
(以下は,町史に収録されていません。)

これは郡区町村編制法下の1885(明治18)年ものですが,固有の自治体呼称としての「吉野駅」に対して(恐らくは全国一律の)会計上の呼称は「町費」であることがわかります。ついでに,“駅”の長の呼称(職名?)は「戸長」。(←※【追加】:これは「連合戸長」ですが,恐らくは“駅”単独の長も「戸長」ではないかと思います。)

※蛇足ながら,「首長」という呼称は,現行地方自治法下において議会とは独立して住民から直接選挙され,相互に牽制しあう(二元代表制)“一方の代表”としての知事・市町村長について,「大統領制」的な性格を踏まえて行われる呼称ではないか,と解釈しています。だから,旧憲法・市制町村制下において議会(市町村会)から独立していない市長・町村長(市町村長は市町村会が選挙する)に「首長」という呼称を適用するのはどうだろうか,という気がします(私の解釈が正しいかどうかは,専門外のこととてわからないのですが)。ちなみに,“官の末端”である 府県知事 および東京都・北海道庁・樺太庁の各長官の呼称は「地方長官」です。

次に p.37 に,1889(明治22)年の町村制施行にともない町村会議員の選挙が行われましたが,それに際して開かれた「吉野駅議員撰挙会」の報告。

-------------------------------------------------------------------------------------
四月十九日吉野駅議員撰挙会ニ於テ左記ノ通当撰相成候条此段及報告候也
     元吉野駅外四ヶ村
  明治廿二年四月十九日 戸長 和智保章
 津久井郡長 吉野十郎殿

(当選議員省略)

   吉野駅町会議員一級定期選挙
本駅町会定期選挙ニ方リ議員四名選挙ノ為メ本月十九日元吉野駅外四ヶ村戸長役場ニ於テ一級ノ選挙会ヲ開キ元戸長ニ於テ大房清左衛門、船橋四郎兵衛、大房平吉,大房伊之助四名選挙掛ニ選任シ、元戸長和智保章選挙掛長トナル、同日午後第一時選挙掛長着席開会ス
午後第三時ヲ以テ投票ヲ閉鎖ス、其投票ヲ開キ之ヲ検スルニ投票総数ノ内有効投票十八票悉皆有効ニシテ其投票ヲ受ケタル人名及投票点数左ノ如シ

(以下略)
-------------------------------------------------------------------------------------

以下,開票結果の後,さらにどのような手順で当選者が決定されたか,非常に具体的に報告されていて,当時の選挙風景が目に浮かぶようでとても面白いのですが,ここに長々引用するのもふさわしくないので,以下省略。
ただ,もう一つつけくわえると,上の文章では“郡区町村編制法”下の旧自治体である「吉野駅」と,“町村制”下の新自治体である「吉野駅」を明確に区別していますね。

この「一級定期選挙」の段の冒頭にある「本駅町会」というのが,この話題の答えを一言で表しているように思います。
すなわち,「町村制」下においても,自治体固有の呼称は「吉野駅」と呼ぶのに対して,議会は「町会」と称しています。ここには登場しませんが,“駅”の長の呼称もまた「町長」であることが推測されます。

まとめると,郡区町村編制法下でも,町村制下でも,自治体の固有名としては「旧ニ依」り(郡区町村編制法)従来の「吉野駅」をそのまま称しているけれども,全国一律の制度としての呼称は「町費」であり「町会」であり,つまりは「町」か「村」かと言われれば「町」として扱われていた,と解釈できるように思います。

吉野駅が「町」として扱われていたとするなら,より繁華な 日野駅 や 府中駅 は当然に「町」であったと思うのですが,どうでしょう。

※せっかくなので追加:吉野駅,「大房さん」が多いですね。
[78817] 2011年 7月 24日(日)12:36:39【2】Issie さん
Re:ちでじ
お昼になったらどうなるかと,ワクワクしながらアナログ放送を視ていたのですが,何も起きずに「お昼のNHKニュース」が…。「なぁ~んだ!」
というのは,我が家が集合住宅で,建物自体が地元の有線放送局から電波の再送信を受けているから。有線放送局が気を利かせて当分の間はデジアナ変換をしてくれているみたいですね。
ただ,有線チャンネルの方でタダで流してくれていた TOKYO MXテレビ の再送信は終わってしまったようです。

さて,県境域の当地ではアンテナを立てれば(上記のように我が家ではアンテナを立てる必要がないのですが)東京“都”ローカルのMXテレビだけでなく,テレビ埼玉なんかも入ってきたようです。位置的には,“県都”の横浜よりも東京都の八王子の方が近いですから。
なので何年か前,最初に地デジも受信できるHDレコーダーを買ったとき,はじめのチャンネル設定で「東京(八王子)」でやってみたら,どうも調子がおかしい。どんなに遠くても,神奈川県のここでは「神奈川(横浜)」に合わせて設定しなけれなならないのですね。自前のアンテナではなく,有線放送局からの再送信なのだから当然です。
「県域単位の地デジ」というものを,これで体感しました。

ところで,我が家に地デジ電波(BS電波も)を再送信してくれている有線放送局は,県境を越えてのサービスはやっていないようで,県境を越えた町田市では系列の別放送局がサービスを提供しているようです。ここでは当然,東京都のチャンネルで再送信をしていて,MXテレビが視られる代わりにTVK(テレビ神奈川)はダメなんでしょうね。
でも有線放送局によっては,県境を越えてサービスを提供しているところもあるんじゃないでしょうか。その場合は,その人の視ているテレビがある(建物がある)県のチャンネル・放送局ではなく,有線放送局のある県のチャンネル・放送局になるような気がするのですが,どうなんでしょう。

※この書き込みのために何度かアクセスしたのですが,なぜかものすごく重いぞ,J:COM…。
[78786] 2011年 7月 17日(日)10:31:15Issie さん
信州松本!
[78780] じゃごたろ さん
東北六魂祭

…というのは,今朝の新聞記事で初めて知りました。残念なことに,あまり名誉あるできごとの記事ではなかったのですが。
いずれにしろ,すでに各県で十分に“商業化”されたイベントをさらに集めようとした商業イベントですね。
「祇園祭」のそもそもを考えれば別に否定することではないのですが,この「6つ」を選んだ根拠は何か,と考えるとやっぱり少なからず“客観性”に疑問が。青森はなぜ「ねぷた」じゃないの? なぜ,わざわざ「わらじ祭り」を選んだの?

[78783] じゃごたろ さん
地域密着のサッカーではというと、確かにチーム名は「AC長野パルセイロ」と「松本山雅FC」と都市名が入っていますが、この両者が対戦する場合は「信州ダービー」と呼ばれ、決して「長野」という単語がつかわれることはありません。

私はプロ・サッカーにはほとんど全く関心を持っていないので(自分でサッカーをすることは嫌いではないが)詳しいことは知らないのですが,何となく「ようつべ」を眺めていたら,たまたまサッカーの試合の開始前に「信濃の国」を歌っている場面に出くわしました。
どうも,この“長野のチーム”と“松本のチーム”の試合前らしい。で,こちらは松本のチームのスタンドで,そこで応援団が「信濃の国」の1番を歌っている。そして,歌った後のコールが「信州・松本!」というもの…。
相手の“長野側”がどうしているのかわからなかったのですが,「信濃の国」がこんな形で使われているのが面白く感じました。「松本山雅FC](←“サンガ”じゃなくて“やまが”と読むのですね)のファンに対する(あるいは,ファンの間の)キャッチフレーズに「スタジアムに行って『信濃の国』を歌おう!」という意味のものがあるようですね。
神宮球場の「東京音頭」みたいなものでしょうか。
別の動画では,よその県のチームとの試合でしょうか,その開始前に歌手(?)が「信濃の国」をアカペラで歌う場面があって,これには失笑してしまいました。(私はスポーツイベントの開始前に“「国歌」なるもの”をアカペラで歌う最近の風潮に良い感情を持っていません。)

「信濃」と「信州」の微妙な違いとかに関してはここでも過去に話題になっていたような気もしますが,何かあまり若者受けしそうもないような「県歌・信濃の国」がこんな形で使われていることが大変興味深く感じた次第。
あるいは,“全体”を「信州」と呼んでも,その中の個々の地点を「信州○○」と呼ぶのはそれほど一般的ではないような気がする(「信州中野」という“駅名”や,「信州新町」という“合併で創作された新自治体名”はあるが)中で,「信州松本!」というコールも意外に新鮮に感じたのでした。
[78781] 2011年 7月 16日(土)22:05:21【2】Issie さん
松本ぼんぼん
[78780] じゃごたろ さん
長野県の場合「諏訪湖祭」は全く知名度がない祭りでしょうが、「諏訪湖祭湖上花火大会」となると第一等のイベントになるのではないかと思います。

「諏訪の祭り」といえば,“7年に一度”(寅と申の年)の「御柱」を措いてこれを凌駕するものはあり得ないと思いますが。
この「御柱祭り」,“総本山”の諏訪大社だけではなくて,その後に順次,諏訪や松本など周辺の関連神社で行われるわけで,長野県県央部(←という呼び方を長野県ではしないけど)ではポピュラーな祭りですね。
ただ,これが「全信州」を代表するかどうか。
松本平では穂高神社の「御船祭り」が地域を代表する格式高い祭りだし,下伊那の遠山郷には「霜月祭り」という伝統のある祭りが受け継がれています。
善光寺平では,諏訪の御柱の前年に同じく“7年に一度”(丑と未の年)めぐってくる善光寺の「御開帳」こそ,一般の「お祭り」のイメージとはずれるかもしれないけれど,神社とお寺の違いだけで,その本質は全く同じ「お祭り」。
そういうお祭りが県内には大小無数にあります。
※私個人は,県内にキャンパスが分散する某大学の学生だったときにたまたま遭遇した松本市郊外神林地区の二子神社のお祭りや,これは学生寮単位でアルバイト参加していた長野市内の妻科神社や新諏訪(しんずわ)神社のお祭りに格別な印象を持っています。

「諏訪湖祭」とおそらく“対等”の位置にあるのが,長野市の「びんずる」や丸子町の「丸子どどんご」,松本市の「松本ぼんぼん」などで,同じようなイベントが県内各地で7月末から8月初めにかけて行われます。
長野の「びんずる」とは,善光寺本堂内に安置されている「おびんずる様」(賓頭盧(びんずる)尊者,ビンドラ・バラダージャ)に由来し,「松本ぼんぼん」は元は松本市内で子どもたちによって行われていたお盆の行事にヒントを得たものですが,今行われているそれはそうした由来とは別の,すぐれて商業的なイベントですね。

先ほど,NHKで京都の祇園祭の中継をやっていました。このお祭りも千年の間に“伝統”を保ちつつも,当然ながら“性格”を変えてきながら続いてきたものですよね。
それに対して,雪捨て場に溜まった雪の“有効利用”から始まった「さっぽろ雪まつり」や,各地で模倣が相次いだ「YOSAKOI」系のお祭りなど,宗教的な背景を持たずに主に商業的なイベントとして最近になって“創作”されたものも少なくない。
それらを同列に扱うのは相当に難しいことだと思います。

つまり,

ところで最近はやりの「都道府県を代表する○○」ですが、「祭り」もどなかた選定したりして。

これは無理だろう,もっと正直に「やめてくれ」と言いたい気持ちがあります。
念のために言えば,私は「商業的“松本ぼんぼん”」や「YOSAKOIソーラン祭り」のような“商業イベント”を否定するつもりはありません。
けれども,それぞれの地域の歴史やお祭りの来歴を,さらに言えばその祭りの存在自体を知らない余所者が,その「無知」の上に何の根拠もない,非常に恣意的な「独断と偏見」で選んだリストに何の価値があるのか,その意義を全く見出せません。
リストアップされるべき「祭り」とは,どのようなものを対象とするのでしょうか。このことは,すでに「山」や「川」でも問題になっていますね。どう定義づけて選択の対象としますか?

少し前に同様の意見があったのでそれに便乗するのですが,私がこの話題にどちらかというと否定的なのは,そのような気持ちがあるからです。

※蛇足
そう言えば「松本ぼんぼん」の歌で思い出したのですが,この歌の1番の歌詞の初めの方に「安曇野」って言葉が出てきます。正確には松本があるのは 安曇野(安曇郡) ではなく,「筑摩野(つかまの)」(筑摩(ちくま)郡)なんですけどね。


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