[24955]まるちゃんさん
検索して既に発見されているかもしれませんが
いえいえ、全然発見できておりませんでした。ご紹介下さりありがとうございました。
遠景ですとどこにでもあるような山あいの集落、といった趣なのですが町家の面影が残った店が小規模ながらも連なっている様子がよくわかりました。しっかりと脳裏に焼き付けておきます。
商工会のHPで思い出しましたが、自治体は随分前に合併したけれど商工会はそのままというところもあるようですね。実際にどの程度存在するのかは分からないのですが。
例:茂原商工会議所と本納商工会
[24962]いっちゃんさん
清渓川(チョンゲチョン)界隈、というよりソウル自体訪れたことがないので、
[24967] 月の輪熊さんのように生々しい感想は述べられないことをお許し下さい。
ご紹介のHPの中に
清溪川は国内外からの観光客が訪れる憩いの場となり、観光の名所となるだろう。
とありますが、私なら、ちらと見ることはあったとしてもそこで憩う事は無いのではないかと思いました。
それよりも
これまでと同様に清溪川周辺商店街の営業活動を保障
というその商店街に滞在する方がよほど楽しいと思ってしまいます。
そして、復元図の様子を見た印象なのですが、直線の川と多自然型工法のミスマッチといいましょうか、わざとらしい感じが致します。ここで使われる修景材料が大量生産された規格品でないことを祈るばかりです。
聞かれてもいないのに言わせていただきますと、私が訪れた場所でもっとも感銘を受けた景観は尾瀬の小淵沢田代という所です。尾瀬ヶ原を抜けて山道を上り詰めたところにあるこじんまりとしたした湿原です。
[24976]花の東京都民さん
あの公園は本当に完成しません。多分来世紀になってもあのままではないでしょうか?
先に触れた東京緑地計画が最終的に決定されたのが1939(昭和14)年だったのですが、翌年の1940(昭和15)年というのが紀元2600年にあたり、その記念事業として6箇所の大緑地が計画されたうちのひとつが舎人緑地だったのですよね。現在の流通センターも含めた100ヘクタールほどの広さで計画され、実際に予定地全部が買収されたのですが(東京全体では746ヘクタール買収済、7.46平方キロですよ!)、舎人はその95%(東京全体で62%)がGHQ占領下における農地解放の対象となって小作人に払い下げられてしまったのです。
住民が数人住んでいて,緑の柵の中に家が建っています
その人たちは、新たに地主となったそれらの小作農の人々が売った細切れの土地に家を建てた。役所は今になってその土地をせっせこ買い戻している、ということですね。戦後新たに都市計画決定された面積が69.5ヘクタールと当初の7割ほどに縮小してしまったのですが、現在51ヘクタール開園しているそうです。