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TNさんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[25545]2004年2月29日
TN

[25545] 2004年 2月 29日(日)18:52:45TN さん
Re:鳩ヶ谷
[25446]烏川碧碧さん
鳩ヶ谷市は、公団住宅に向かうバス通りが賑わいの中心
昨日時間を作って、日光御成道の鳩ヶ谷宿であった本町商店街のあたりを歩いてみました。郷土資料館の模型によれば、宿場は現在の昭和橋交差点付近から埼玉りそな銀行鳩ヶ谷支店のあるT字路の少し先まで展開していたらしいです。その後時代を経て成長し、桜町二丁目の交差点の辺りまで商店街を形成しています。宿場の位置する地形は、沖積低地と大宮台地の南端にある鳩ヶ谷支台という標高18mほどの台地の遷移点になっており、商店街は緩やかな坂道になっています。坂の途中にはポケットパークが整備され日光御成道について解説してありました。沿道には本屋、写真屋、蕎麦屋、菓子舗などがありますが、開いている店も多く、寂れているという印象はそれほど受けませんでした。拡幅され県道となった現在では歩道も整備され、毎週ではないにしろ土曜日になると歩道にござを敷いて不用品を売るフリーマーケットも開催されています。なお、数年前までは本町一丁目に市役所がありましたが、現在では三ツ和一丁目の第二産業道路沿いに移転しています。
鳩ヶ谷に転機が訪れたのは大正末期から昭和初期にかけてであり、それまでの宿場由来の町場の東側、現在の本町ニ~四丁目、坂下町ニ、三丁目にあたる地域で耕地整理(農地の区画整理)が行なわれ(1932年完成)、そこに新興の住宅なども出現したようです。また、耕地整理の完成の前年、1931(昭和6)年には、忍商業銀行(現・りそな銀行の場所)や川口煙草専売所(建物現存、りそな銀行と道を挟んで隣)などの洋風建築なども完成しています。
旧・川口煙草専売所の裏は郷土資料館の駐車場となっていますが、それ以外に建物が活用されている様子はなく、窓ガラスが割れ放題の廃建築の様相を呈しており、何がしかの活用が望まれます。
第二の転機は公団の二つの団地(東鳩ヶ谷・西鳩ヶ谷)の完成[1958(昭和35)年]に象徴される昭和30年代からの本格的な宅地化でしょう。昭和40年代になると新芝川の開削、それに伴い水源が絶たれた水田地域の土地区画整理(今の南地区)、国道122号の4車線化などが行なわれ、1967(昭和42)年に市制施行されました。
そして、第三の転機として、埼玉高速鉄道(SR)の開通した現在、無秩序に市街化の進行していた里地区の区画整理、鳩ヶ谷駅周辺開発などが行なわれ、その影響は商店街の方まで及んでいます。鳩ヶ谷駅と本町二丁目T字路(商工会、郷土資料館があるところ)の間には新たに道路が造られる計画も有り、それを見越してか、たまたまなのかは不明ですが、14階建マンションも建設中でした。
かつては川口一の繁華な商店街だった本一商店街(川口宿)は、鉄道の開通により商業中心が駅周辺に移動し衰退してしまいましたが、長らく鉄道から取り残されていた鳩ヶ谷には独自の街並みが今もしっかりと形成されています。本町四丁目の辺りには、整備された街区に台地の眺望の良さを売り物にしたと思われる高級住宅街風街並みもあり、また崖線の下には見沼代用水東縁が台地を縁取るように流れるなど、狭小な市域ではありますが多様な環境を見せてくれます。


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