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私はまず、
(1)は小学校と高校であります。
小学校は5年生の林間学校で、長野県・菅平高原にあった「菅平かしわ荘」に宿泊しました。名前の通り、柏市立の施設です。
初日はまず学校に集合し、20分ほど歩いて柏駅に移動、常磐線で上野へ出て、今はなき特急「あさま」で軽井沢へ向かいました。軽井沢からはバスに乗り、一旦群馬県に入って鬼押出し園に行った後、菅平高原に向かい、食後にキャンプファイヤーをしました。
2日目は根子岳に登った後、日本ダボスまで歩いて行き、夜は肝試しをしました。そして最終日は上田城へ行って、上田駅から特急「あさま」で帰ってきました。
高校は3年生の夏休み、「リーダー研修会」に図書委員長の代理として参加しました。
1日目は船橋駅に集合し、大原行きの快速に終点まで乗って、普通列車に乗り換えて安房鴨川に到着。そこから千葉県立の「鴨川青年の家」に向かいました。
もう30年以上前のことなので、詳しくは思い出せませんが、1日目から研修プログラムはあったかと思います。
翌朝は早くから「朝のつどい」があり、君が代を流して日の丸を掲揚、それからラジオ体操、あと何かあったように思います。後日、生徒会誌に寄稿した役員の1人は、「沖縄県民が見たら激怒する」なんて書いていました。
そして海でカッター訓練をやり、午後は青年の家周辺でウォークラリーをやって、飯ごう炊飯をし(カレーを作ったものの、大量に余り、捨ててしまったので、もったいないと思ったものです)、夜は室内でキャンプファイヤーの真似事をしました。
最終日も午前中は研修があったかと思います。そして青年の家を後にし、安房鴨川駅から特急に乗って帰りました。
当時は愛知県と並ぶ管理教育県として知られた千葉県の施設だけあって、指導もなかなか厳しいものがありました。青年の家のパンフレットには「Youth Center」と書いてありましたが、ユースと付いているので、ユースホステルも同じようなものかと思いました。しかし、阪神・淡路大震災のボランティアに行った時、大阪・服部緑地のユースホステルに泊まったところ、青年の家とは全く違う、居心地のよい所だったので、翌年の春に関西に行った時も、同じユースホステルに泊まりました。このユースホステルは残念ながら、2000年代ぐらいに廃止されたようですが。
(2)ですが、「菅平かしわ荘」は残念ながら、2000年頃に廃止となりました。付き合いのある元県議が、この頃には柏市議をしていましたが、やむなく賛成したと言っていました。後にアルバイトすることになる八ヶ岳の板橋区立少年自然の家に比べると、かなり貧弱な施設でしたし、廃止も無理もないかなとは思いました。
鴨川青年の家は今も存続しています。