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蘭丸さんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[5187]2002年11月21日
蘭丸
[5124]2002年11月20日
蘭丸
[5070]2002年11月19日
蘭丸
[5056]2002年11月19日
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[5021]2002年11月18日
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[5018]2002年11月18日
蘭丸
[5016]2002年11月18日
蘭丸
[4887]2002年11月14日
蘭丸
[4880]2002年11月14日
蘭丸
[4861]2002年11月13日
蘭丸

[5187] 2002年 11月 21日(木)21:38:11蘭丸 さん
関東州、横浜都、大阪都
[5126]ヒロオさん
>(ただ佐々木教授も指摘しているようにそうなると北区は「北京」、文京区は「文京京」になってしまいます>が・・・)

 「北京」では、どこかの国の首都になってしまいますね。ここはひとつ、幻の「飛鳥山区」になぞらえて「飛鳥山京」はどうでしょう。あれ、なんだか奈良の地名のようになってしまいます。それならば、区でいちばん活況を呈しているところの地名を引っぱって「赤羽京」はどうでしょう。う~ん、これだと王子、滝野川の住民感情が許さないでしょうね。それならば「京北京」? そんなわけにもいかないし....。あ、「城北京」がありました!これがいい。でも、これはすべて北区の区名選定過程であがった候補じゃなかったでしたっけ?

 「文京京」では同義の文字が重複しますから、単に「文京」でどうでしょう。しかし、どこか据わりが悪いです。「小石川京」「本郷京」は、どちらも使わないほうが無難ですね。じゃあ、区の中心部の地名から「白山京」ではどうでしょう。あまりピンと来ませんね。そうだ、「後楽京」ならば様になります!

 新しい名称の選定に際しては、またひと波瀾ありそうですね。

> 横浜市も人口が多すぎるため自治体の機能としてなかなか動きが取れなくなってきております。横浜市を都>に昇格させて、....
  以前、大阪府でも大阪都構想がありました。今は、消えてしまったようですが・・・

 現行の地方自治法での「都」は、戦前(というか戦中)の「東京都制」とは違い、東京限定の制度ではありませんから、こういったことも法理論上は可能ですね。
 小さすぎる自治体も問題ですが、大きすぎる自治体もやはり問題です。政治や行政が住民と離れてしまっては自治体もなにもなくなってしまいます。大都市行政の方策として、このようなことがもっと検討されてもいいと私は思います。横浜市分割論だと、いろいろと問題多そうですから。
[5124] 2002年 11月 20日(水)20:34:26蘭丸 さん
武蔵野市、三鷹市
[5102]eternal さん
>東京の場合、市名よりも最寄り駅で住んでいる所を表現することが多いですね。

 そのとおりですね。東京の北区に住んでいる身では、そういった言い方を日常生活で実際にやっています。(拙文[4880]参照)でも、多摩地域に限っていえば、比較的自治体名(についてる地名)のほうが通りがいいのではないでしょうか。三鷹、小平、調布、小金井、立川、国分寺、日野、八王子....といったような具合に。 しかし、多摩、武蔵野は駅名を言うか、多摩市、武蔵野市というふうになるでしょうね。 西東京、あきる野は微妙でしょうね。市民はどう言っているのでしょうか。

>しかし、武蔵野市の場合、「武蔵野市」って市名自体にブランドがあるので、「武蔵野に住んでる」という人>もいると思いますよ。

 えっ、そうだったんですか?都内に住んでる人間から見ると、武蔵野市にいたるまでに、渋谷区や杉並区などの山の手の住宅地(京王線、井の頭線沿線)があるものですから、そうとは知らず、認識不足でした。
 私は地価のことは詳しくはありませんが、確かに賃貸の相場を見ても、武蔵野市、三鷹市あたりは都内の練馬区、板橋区なんかと比較したら高いですね~。世田谷区、目黒区あたりとほとんど変わりませんね、実際。(もっと高い?)武蔵野市と三鷹市でも違いがあるとまでは知りませんでした。

>武蔵野市は高額所得者が多く、....、足立区などよりも一般的なイメージがよいです。

 私もそう思います。都内の足立区、練馬区、板橋区、豊島区、江戸川区、そしてわが北区なんかは、好感度では武蔵野市、三鷹市周辺には負けてしまいます。特に、足立区の千住以外の大部分や、練馬区の埼玉寄りなんかより、この地域のほうがずっと「開けてる」感じがしますね。(あくまで私の私見です。当該地域の住民の方、ご容赦ください。)
 武蔵野市、三鷹市あたりのほうが、一般的な「都内」のイメージに近いかもしれません。私は、この地域を特別区にしてもいいのでは?なんて考えたこともありましたが、まだ地方自治も知らぬ頃、今から考えれば完全な自治体である「市」のほうが、当然いいだろうと思うのですが。


 しかし、やはり武蔵野市を単に「武蔵野」と言うのには違和感を感じます。会話の状況や文脈から、武蔵野市と周辺地域を区別するために使う場合には効力がありそうですが、「武蔵野の名所」「武蔵野の史跡」「武蔵野の自然」などという場合は、字面だけでは武蔵野市なのか武蔵野(広域)なのかは判断がつきません。
 今でも「武蔵野の面影」のように、武蔵野広域を表現する場合がしばしばあります。事実、皇居の杜が「武蔵野の面影」と云われますから。

 そういった関係で、「武蔵野」は自治体名としては荷が大きい、武蔵野市域を言い表わす場合にためらいがあるのでは、というのが私の感想です。
[5070] 2002年 11月 19日(火)20:07:04蘭丸 さん
多摩、多摩市、多摩ナンバー
[5061]ken さん
 多摩市も、しょってるものが重すぎますね。「多摩」とは本来、旧多摩郡もしくは三多摩のこと(現代ではもっぱらこの意味)ですから。
 現在、公式には西多摩郡しか存在しませんが、天気予報その他諸々の場面において、23区と区別したい場合などに「多摩」という呼称は現役で活躍しています。ですから、「多摩市」との整合性において、とても微妙なものがありますね。多くは、単に「多摩」と言った場合は広域名のことでしょうが、だからといってそれで割り切れるとは言い切れません。前後の文脈や状況から判断する、というようなことを無意識で行っているのでしょうね。私達は。

 ところで、車の多摩ナンバーは多摩市からとった「多摩」ではなく、三多摩のほうからとった「多摩」だったのですね。私はずっと多摩市の「多摩」だと思っていました。なにせ、東京にあるほかのナンバーは、すべて陸運局(自動車検査登録事務所)の所在地からとっていますから(品川、練摩、足立、八王子)。最近、多摩自動車検査登録事務所が国立にあることを知り、このことに気付きました。

 ということは、多摩ナンバーは、相模、湘南、飛騨なんかと同類になるわけです。しかし、このことを知っている人ってどのくらいいるでしょうか。案外、私のように誤解している人も多いのでは?と思っています。 (自分だけ?)
[5056] 2002年 11月 19日(火)07:59:34蘭丸 さん
武蔵野と武蔵野市
[5051]ちゃっきー さん
> それにしても吉祥寺に住んでる人は「どこに住んでるの?」と聞かれると市名でなく、「吉祥寺」とこたえ>る事が多いですね~。笑・・・地方の人が聞いても「東京の吉祥寺」っていう感じで・・・

 広域地名の借用がもたらす自治体名の没個性化と、その結果の無力化だろうと私は思います。そもそも「武蔵野」とは武蔵野台地全域の、とっても広汎な地域を漠然と指す地名です。国語辞典を引くと、武蔵国全域を指すこともあると書いてあります。要するに、一つの自治体の名称とするにはちょっと荷が大きすぎるんでしょうね。この「武蔵野」は。

 武蔵野市の市名は、明治22年の市制・町村制施行時の合併で誕生した「武蔵野村」(神奈川県北多摩郡)に由来するもので、自治体の名称としてはけっこう古いものです。ですが、合併でできる典型的な没個性的自治体名(瑞祥地名、借用地名、抽象地名など)であることは否めません。

 その後、武蔵野村は東京の近郊都市として人口が増加し、単独で町制、市制を施行しました。また、吉祥寺の街や井の頭恩賜公園などは地方でもかなりの知名度を得るようになりました。でも、市名は「武蔵野市」と従前のものを踏襲したままとなっています。

 これだけ有名な地名があるのに市名を改称しないのは、なにかわけがあるのでしょうか。私なんかは東京に住んでいながら、つい最近までは吉祥寺は吉祥寺市かと思ってたくらいです。

 武蔵野市に住んでいて「武蔵野に住んでます」なんて言う人はほぼ100%いないと思われます。(「武蔵野市に住んでます」はあるでしょうけど)以前、私の従姉妹が吉祥寺に住んでいました(このことがきっかけで、吉祥寺は武蔵野市だということを知りました。それも、つい4~5年前のこと)が、やはり「武蔵野」あるいは「武蔵野市」という言葉を一度も聞きませんでした。それくらい使い勝手の悪い市名なのです。武蔵野市民が「武蔵野市」を意識するのは、役所関係の公的な場面に限られるのではないかと私は推測します。

 こういったことが、安易な広域地名の借用あるいは創作の弊害だと私は思っています。「能登市」「魚沼市」「北四国市」「しこくなか市」等々と、最近の市名案は傾向が片寄ってしまっている感が強く、外野から見ても何となく予想できる、といったものが多いのは少し寂しい気がします。

 「南アルプスに住んでます」なんて言えないでしょうし、「道路標識で『南アルプス5・』となっていたが、まだまだ山は遠いじゃないか」なんて笑えない話が起こらないともいえないでしょう。

 私は、こういった方式の命名はあまりいただけないと思っています。
[5021] 2002年 11月 18日(月)18:59:52蘭丸 さん
合併への圧力が問題では?
[5019]eternal さん
>小規模自治体がこの先も行政サービスを維持できるのでしょうか?

 私も、この点は充分理解しています。しかし「あなたのところは規模が小さくて無理でしょう」といって国がちょっかい出す必要はないのではないかと思います。基本的な行政サービスを、補助金頼りで行っているような超小規模自治体は、いずれ財政破綻し、合併せざるを得なくなると思われます。
 補助金を減額するのは財政健全化のためには必要なことですが、私が問題に思うのは、なんで一般論として行われないのか、合併しなかったらカットするという方法なのかという点なのです。一般的な政策として、交付金などの補助金の削減を行って、その上で存立が困難な自治体は合併の必要性を悟り、自主的判断によって合併をすればいいのではないでしょうか。それが・自治・だと思います。
 気の長い話になるかもしれませんが、あくまで企業の合併や組織の統廃合などとは異質の問題だと思われますので。

>税の配分を変えても、小規模自治体では自身の税収が少ないため歳入が増えることはないでしょう。

 それでも、いいのではないでしょうか。税源配分を変えても、人口や事業所の少ない小規模町村は歳入が増えず、逆に多くは歳入減となることでしょう。そうなった時、必要性が明らかになった時に自治体が自主的判断で合併すればいいのではないでしょうか。

 政府は、親心からか、どうも合併を急かすようなことばかりしていますが、あまり圧力や強制力をともなった合併はしないほうがいいのではないかと私などは思います。
[5018] 2002年 11月 18日(月)15:01:14蘭丸 さん
日本では、なぜ連邦制ではなく道州制か
[4984]ヒロオ さん
>ロシア、ドイツなどは連邦制を採用していますが、日本では連邦制の論議がまったく見られません。お国柄ですかね。

 今の日本に連邦制を導入する必然性がないからだと思います。 たとえ、新しく制度を確立しても、おそらく日本国民はそれに馴染むのに相当の時間を要すると思います。

 現在、連邦制をとる国は、アメリカ、ロシア、スイス、ドイツ、オーストラリア、ベルギー、カナダ、ブラジル、マレーシア等々と世界には多数存在しますが、それらの国々は歴史的経過から連邦制をとるにいたっています。連邦制を「導入」したのではなく、結果的に連邦制になっていると言ってもいいと思います。
 それぞれ別個に成立したコミュニティーが対外的に連帯しようとしたり(アメリカ、スイスなど)、国土の広域性ゆえの統治の方策として編み出されたり(カナダ、オーストラリアなど)、あるいは、歴史的な地域主義の名残り(ドイツなど)だったりと、連邦国家には連邦制であるべき必然性があるのです。

 ひるがえって日本を考えると、確かに中世以降の地方制度は事実上の連邦制に近いもの(今日の民主主義下の連邦制とは性質が異なりますが、地方の独立性は相当程度ありました)でしたが、明治維新という大改革によって、中央集権体制への元帰りが断行され、富国強兵の近代化が推し進められました。その当時の地方体制と今日の地方体制は基本的には変えられずに推移してきました(都道府県の枠組みが100年にもわたって改編されていないのが象徴的な例)。
 変わったことといえば、都道府県が単なる行政区画から自治体に昇格したことぐらいです。それも、戦後の地方自治法制定時に存在した都道府県をそのまま存続させるための方策だったというだけで、都道府県の存在意義の検証や広域自治体の明確な定義づけもないまま、都道府県と市町村の二層制がとられているというのが実際のところだと思われます。

 近代化を果たして自他ともに認める先進国となった今、当時の中央集権体制の名残りを残しておくことはあまり適当とは思われませんが、なにせ100年にもわたってこの地方体制を維持しててきたわけですから、今さら「連邦制」なんていわれても唐突なんですね。おそらく。
 それに、近代化後の日本は標準語の浸透や東京一極集中などによって、地方の個性が薄れていますから、国民の生活実態からいっても連邦制は似つかわしくないと思われます。
 ですから、個々に主権を持った州によるところの連邦制ではなく、単に広域的自治を行うという意味合いで「道州制」なる言葉がつくられたものと私は解釈しています。
[5016] 2002年 11月 18日(月)14:00:10蘭丸 さん
合併の目的と都市の肥大化
[4967]issie さん
>別に百万都市にならなくたって,いいじゃない。
>人口が増えるのが都市の発展の象徴で,それで格が上がる・・・なんてのは,....
>もう,そんな時代じゃないと思いますよ。

[4971]わたらせG さん
> 私も同感です。習志野市のみならず。....
>少し立ち止まって冷静にその地域の歴史、環境、特性なども十分に考慮した上で....
>..「温故知新」大切なことですね。

 私も、このような意見に同感です。合併しない小規模町村から事務権限を奪うなんて、もってのほかと思います。([4423]拙文、[4482]くは さん 参照) 合併、合併、また合併と、国が音頭をとって自治体の再編を行うということを、近代日本はこれで3回行うことになります。自治体の大型化、都市の肥大化は、地方自治にとってそんなに大切なことなのでしょうか。

 政府は「国・地方を合わせた」財政健全化のために、市町村合併をするんだと言っています。しかし、「民主主義の学校」と云われる地方自治の、基本的単位である市町村の合併は、住民福祉の見地からの充分な検討と無理のない進め方が求められるはずです。財政健全化も重大事ですが、無駄があっても守らねばならないものもあるように私は思います。

 中核がどこか判然としないのに、ただ政令市を目指して合併したり(湘南市など)、単に見かけの人口規模を意識して合併したり(千葉市+四街道市など)というようなことは、はたしてそれが住民の福利につながるのか、はなはだ疑問です。
 [4959]ヒロオ さん、[4964]ケン(地理好き)さんご指摘のように、歴史的経緯を充分考慮せず、単に“隣接しているから”といって合併してたら際限のない話になってしまいます。最近話題にのぼった町田市と相模原市のように、住民の生活実態から見て合併が自然な場合に行われるべきでしょう。

 役所の目からは、とかく人口=財源というとらえかたをされます。しかし、人口確保のために合併しところで少子高齢化は止められるものではなく、いずれまた、同様の合併論議が浮上してくるでしょう。
 少子高齢化への対策は、自治システムの抜本的な改革でなければ効果はありません。現行の制度のままで小手先の対応(基礎自治体の大型化)をしておればいいという優しい問題ではないと思います。都道府県の再編あるいは廃止、道州制の検討、市町村の種別の廃止など、より広汎な議論をすべき時節にあると私は思います。

 「平成の大合併」の主目的は、「基礎自治体にふさわしい体力をつけるため」と表向きは説明されていますが、なぜ、国税と地方税の配分を見直すといったような根本的問題がクローズアップされないのでしょうか。
不思議です。

 私は、昨今の合併論議の伏線には、国の財政負担の軽減という一大目的があるように思います。(国と地方の税源配分に手を付けず、もっぱら地方財政の効率化のみ問題にされているようですから)地方にかかる負担を減らし、そこから得られた余裕を外交・防衛といった分野に振り向け、わが国の国際的地位を高める.....そんな意図が合併の旗ふりをする政府や政党にあるように感じます。
 実際、ひと昔前まで地方分権といえば、社会党などの革新勢力の専売特許の感がありましたが、今では逆に自民党や自由党といった保守の側から強く唱えられています。それも、合併の見返りとしての分権であるといことが従来とは違っています。
 人口段階別に小出しで分権なんかしないで、はじめから基礎自治体には無条件に分権をして、個々の行政事務をやるかやらないかは自治体の裁量に任せておけば済む話ではないかと私などは思います。その上で、行政サービスをこなせない自治体は合併を自主的に判断していけばいいのではないでしょうか。

 今の合併論議は、どうも地方切り捨て路線に感じられます。時代に見合った国の国際的地位向上ももちろん大切ですが、地方自治という政治の基本が軽んじられないようにしなければならないと思います。

 新市の名称がああなった、こうなった、とか、この市の人口がこれだけ増えて、あっちは減ってしまった、などと目先の現象にばかり気をとられていてはいけないな、と思うこの頃です。
[4887] 2002年 11月 14日(木)21:05:10蘭丸 さん
関越、上越、信越 ...
[4869]ゆう さん

>単に「『上越線』を含む路線の新線」の意味かもしれませんね。

 そのとおりですね。東海道新幹線は東海道本線の、山陽新幹線は山陽本線の、東北新幹線は東北本線の、北陸新幹線は北陸本線の、それぞれ新線として建設された(る)ものですから、上越新幹線の場合もこれが当てはまります。
 ですが、上越新幹線には、ほかとは違うところが一つあります。上越線は「本線」ではありません。ですから、正確には「高崎線+上越線+信越本線」の別線ということになるでしょう。

 今でこそ、東京と日本海側を結ぶ効率的ルートは、 上越新幹線および関越自動車道であって、 上越新幹線接続特急が北陸本線と羽越本線を走り、 東京から延びる関越自動車道が長岡で北陸自動車道に、その北陸道が新潟で日本海沿岸東北自動車道に接続しています (ですから、私は世間で云われているような「田中元首相の地元への利益誘導だ」式の固定的な評価は正しいとは思いません) が、明治の鉄道黎明期においては、清水峠越え(あるいは三国峠越え)は技術的に難しいと判断され、碓氷峠越えの長野-直江津-長岡を経由して新潟と結ぶルートが先行して建設されました。

 だいぶ遅れて開通した上越線(上越線全通は昭和6年、信越本線全通は明治37年)は、東北本線の支線というのが正式な位置づけです。しかし、対日本海側へは、長野へ迂回するルートより大幅な短絡効果があり(碓氷峠はアプト式、清水峠は電化されたループトンネル、という違いもありました)、やがて上越線は特急銀座となります。
 そのような関係で、将来的に上越線と高崎線を統合して「上越本線」とする計画もあったようですが、その前に上越新幹線が開業してその必要性がなくなったため、 一大幹線ルートでありながら、 「本線」 への格上げは実現しませんでした。

>私などは「関越新幹線」もありかなと思っています。

 私も「関越」という言葉は、結構馴染みやすいものがあると思います。 関越、上越、信越、磐越、羽越、上信越と「越」のつく地名の合成は数々ありますが、これがいちばん語感がいいと私は思います(あくまで個人的見解です)。

 ところで、この「越」の字ほど何にでも合うものは、ほかにはないのではないか、と私は思います。 京浜、京葉、京成がありつつ埼京がある、総武がありつつ常総(これは学校名ですが)がある、磐越がありつつ常磐がある、信越がありつつ上信、甲信がある、といった具合に、鉄道路線に多く見られる地名の1字と1字を併せるという方法は、ケースバイケースで語呂良く行われていますが、「越」の場合は必ず後ろにくっついて、全体の語感を整える役割をしています。

 仮に、新潟県(越後国)に隣接しない地域とこの方法を試してみると、総越、常越、甲越、武越、陸越、駿越(すんえつ)、讃越、備越(びえつ/びんえつ)、筑越 ...と、意外にもマッチしてしまいます。

 ところが、ただ一つ、「越」の字が頭になるものがあります。「越佐(えっさ)」です。佐渡海峡を俗に越佐海峡と言ったりして、おもに観光用に使われる言葉です。
 私なんかは「佐越」でも、別に違和感を感じません。しかし、このように言い習わしているのは、単にこっちのほうがより語呂がいいと思われているからでしょうか、それとも、両国が今はともに新潟県であるため、本土のほうを優先しようとする意図が働いているからでしょうか。

 ささやかな発見を、発表させていただきました。

※ 福井県には「越美北線」という路線がありますが、これは「九頭竜線」とも呼ばれていますし、この場合の「越」は、越前の「越」なので、埒外と考えました。(ちょっと、強引な論理展開かもしれません)
[4880] 2002年 11月 14日(木)13:06:38蘭丸 さん
東京都北区
[4868]ヒロオ さん

 東京都北区は、政令指定都市の行政区とは違って、 今では曲がりなりにも自治体なわけですから、 私もこの
区名には違和感を覚えるのはたしかですね。 しかしながら、 この区名はさまざまな苦悩の結果、 なかば妥協の産物として生まれたものです。

 もともと、 現在の北区の区域には、 戦前までは王子区と滝野川区が存在しました。 王子区はもとの北豊島郡王子町、同 岩淵町の、滝野川区は同 滝野川町の区域をもって昭和7年に設けられ、東京市35区の仲間入りを
しました。この時、滝野川は「1町1区」の猛運動を展開し、滝野川区設置を実現したそうです。 こういった
ことから、この地が地元への愛着の強い土地柄であったことを窺い知ることができます。

 両区を統合した新区の名称については、「城北区」「京北区」「飛鳥山区」「赤羽区」などが候補としてあげられていて、「飛鳥山区」については、区のシンボルであり、新生区の名にふさわしいという意見もあったようです。しかし、 当時は漢字をできるだけ簡素に使おうとする風潮が強く、「あすかやま」 と読ませることに対
する漢字の用法上の配慮から、 結局、平明簡潔な「北区」に落ち着いたのだそうです。
 今から考えればたいした問題ではありませんが、当時は、そういったことも区名選定においての検討要素だったんですね。時代の流れを感じさせるエピソードです。

 慎重な検討を重ねた末の区名ですが、 結果的には[3842]ken さんのおっしゃるような、いろんな場面における据わりの悪さを伴ってしまいました。 それは、紛れもない事実だと思います。 「北区」 と表記される限りにおいては問題はありませんが、行きがかり上、「北」としか表記されないケース(統計表・一覧表や23区名を列挙する場合など)もよくあって、そんな場合は‘これが北区を表わしているのか’と、その別物のような姿にちょっと目を疑うことがあります。また、各種団体の支部などは「○○協会北支部」といったようになってしまい、単独ではほかとの関連性がわからないので、都内北部地域の支部なのか、北区に限った支部なのか、正直言って見分けがつきません。

 実は、なにを隠そう私はその北区の住民です。(これも、「北区民」と言うと、どうもしっくりしない)この区名のなんともいえない違和感が、私に地名に対しての興味を持たせた一つの要因でもあります。わが北区には「北区立北中学校」なる学校もあり、私なんかは、もっと違う名前を考えられなかったものか、と思ってしまいます。

 とはいえ、慣れ親しんだ者にとっては、この中途半端さが逆に他の区と違う個性かな? なんて、どことなく
愛着を感じるのも、また、事実です。北区誕生からすでに50年以上が経ち、この区名のお蔭か、もとの2区は、今ではすっかり融合しているようです。

 もっとも、東京に住んでいると何区というよりも、もっと細かい地域名や(有名な駅周辺では)駅名のほうを地名として使うことが多く、 北区でも、王子・滝野川・赤羽と3地域に分け、 その区分や駅名を称することの
ほうが圧倒的に多いのが実情です。(Q.「お住まいどちらですか?」→ A.「赤羽です」/「滝野川です」/「東十条です」というふうな感じで) 区内はもとより、対外的にもそれで充分通じてしまいます。というよりも、「北区」より個々の地名のほうが存在感が大きいのです。
[4861] 2002年 11月 13日(水)21:42:55蘭丸 さん
町+町+町=村?
 宮城県加美郡の4町合併が、さきに色麻町の離脱によって破談となりました。今後は、残る3町のみで合併を進めるとのことです。4町は合併後市への移行を目指していましたが、この離脱によって合併特例法の人口要件3万人を満たさなくなったため市への移行は果たせなくなりました。

 さて、残る3町による合併となったため、合併後は市ではなく町になるかと思いきや、なんと、このままでは村になってしまうということです。 この3町で、 もちろん人口は町となるべき要件を満たすのですが、 問題は連檐戸数(宮城県条例では「中心の連戸区域内に在る戸数」)で、3町併せた場合の割合が、宮城県条例で定められた「五割以上」に届かなくなるそうです。
 宮城県市町村課によると、3町のうちで中心的存在となる中新田町で6割前後、他の2町を併せると、総戸数が増えるため、5割を切ってしまうのだそうです。

 市の成立要件をギリギリまで緩和し、なんとか合併の気運を盛り上げようとした政府の特例措置が、とんでもない事態を引き起こしたことになります。

 もっとも、町と村の間に実質的な差異はないわけで、「なんということはない」と受け止めればそれで済む話でしょうが、やはり、ご当地では、一様に困惑の色が広がっているとのことです。「市になってジャスコできてほしかったのに...」「市になれないのなら合併する必要なんてない」と、小・中学生にいたるまで青息吐息だそうです。(小学校高学年では、4町合併について勉強しているところだったとのこと)
 やはり、「町」から「村」になることへの心理的な抵抗は大きいようです。合併協議会の事務局は「町と村で事務的に違いはない」と言っているようですが。

 このような事態を回避するため、県は対応を検討し、合併特例法期限内は、町を含む合併で誕生する自治体は、県条例で定められた町の要件を問わず町とする、という条例の附則案を15日からの県議会に提出することにしたといいます。

 このニュースを知って、私が感じたことは、「そもそも市とはなに?」「町とは?」「村とは?」ということでした。明治時代から続くこの区別は、果たして今日的意義を持っているのだろうか、単に政府の合併誘導策の手段となってはいないだろうか、と思えてなりません。

[宮城県条例による町となるための要件]
 ・人口5,000人以上
 ・連檐戸数5割以上
 ・非農業的産業従事世帯人口5割以上
 ・非農業的産業従事世帯人口が過去5年間増加傾向
 ・病院、診療所、劇場、映画館等の施設があること


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