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稲生さんの記事が1件見つかりました

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[72165]2009年10月12日
稲生

[72165] 2009年 10月 12日(月)11:05:43稲生 さん
「東大和市」「東久留米市」「東松山市」
稲生です、お久しぶりです。

ひょんなことから東京都多摩地区の武蔵村山市・東大和市・東村山市について、地図を眺めたりして調べてみました。

北多摩郡村山町・大和町・東村山町のうち、まず1964.4.1に東村山市が市制施行し、6年半遅れて1970.10.1に東大和市が、同11.3に武蔵村山市が市制施行したのは、都市化される順序が都心部からの交通の便などから東側から奥地へと進んだのだと推察できます。
次になぜ「東」が付くのかについてですが、東村山は東大和を挟んでいるものの「村山の東」だから問題がないのですが、東大和は奈良県の大和郡山市・大和高田市および神奈川県の大和市の先輩市に配慮して「東」を付けたものと推察されます。
武蔵大和市とか北大和市の方が、相応しいような気がしますが、敢えて「東」を冠したのは、東京都下の意味か、または律令時代の頃の東国の意味があるのではないかとの思いに至りました。すなわち「東男(あづまおとこ)に京女(きょうおんな)」などと言われるような「京」に対抗する意味での「東」ではないかと。
同じように武蔵国における、北多摩の「東久留米市」埼玉の「東松山市」の「東」もただ単に九州福岡や四国愛媛の東とだけ考えるよりも、より深い意味があるような気がして来ました。
京田辺市が山城田辺市ではなく、北広島市が石狩広島市ではないことは、それぞれ深い意味があってのことかとも思いました。
私の考察は、ここまでのすごく浅いものですが、タイトルの3市に付く「東」について、本当のところはどうなのでしょうか?識者の方の見解はいかがでしょうか?お分かりの方はお教え下さい。


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