皆様ご無沙汰です。(でした。)取り急ぎですが、早速。
[53098]千本桜さん
ご丁寧な訂正・補足どうもです。
では、色々と思うところをば。
まず、変わった形(山の狭窄部を挟んで村域が広がる)と言えば
上岩出村なんかを私は知っていますが、どんな事情でこんな風になったんでしょうか?まあ、この事は今回のレスには余り関係無いので例示するに留めます。
次に、
それでいて、村域はfutsunoおじさんお得意の双耳峰青麻山の山頂で結ばれているから不思議。
不思議といえば、この青麻山はピークが二つあるわけですが、標高の高い「あけら山」より、標高の低い「青麻山」が山容全体を表わす名称になっていること。でも、地元に住んでいると、そう呼ばれるのも分かるような気がします。宮や大河原からですと、「あけら山」は「青麻山」の陰になって見えませんから。
で思い浮かべたのは私も一度(ほんの一度ですけど。)登った事がある「立山」でした。(3015m)の大汝山より(3003m)の雄山の方が一般的には有名ですよね。(ただ総称としては立山の方が有名ですが。)でも麓の五百石町が他の3村と合併した時の名称が「雄山町」となった事から地元民にとっては雄山の方がメジャーなのかも知れませんね。(ただその間も布倉村が改称した立山村が併存し、結局「立山町」が全体の名称になりましたが。)
あと、
ところで、一般的には「小字」より「大字」の知名度が高いのが普通ですが、「小字」ではなく「集落」として捉えると、己が帰属する「大字名」よりも著名な「集落名」がたまに見受けられます。宮城県を例に取れば下記のようなところでしょうか。
これも、大字というモノの広域性(拡がり・広ぼう?)が関係してくると思います。大字と言っても単独の集落で構成されているとも限りません。明治の大合併以前の合併も関係してくるでしょうし、その他にも一つの藩政村の中でも異なる気質の複数の集落が形成されている事もあるでしょうしね。(それが、後に知名度の違いに繋がっていくのかも知れませんね。)あと、宿場名が大字名と異なる例も千本桜さんは度々挙げられていますが、私の周りにも宿場名が自治体名と異なる例は数多くありますが、その様な例は余り知りませんでした。思うに複数の藩政村に跨った宿場の総称若しくは、大字の中心から外れた所に形成された宿場の名前だと私は考えます。(この様に多様な近世村落については纏めて書きたいと思いますがいつになるやら・・・)
さて、
[53106]花笠カセ鳥さん
にレスしなければと思いつつも徒然に過ごしていたら、
[53301]雪の字さん
のレスがありました。(本当にありがとうございます。)
なお、「あゆち」「あいち」には、古代から様々な字があてられており、六国史の中でさえ表記はバラバラです。
『万葉集』では「年魚市」「年魚道」ですけれど、『日本書紀』では「年魚市」の他「吾湯市」という表記も見られます。
[53094]で矢作川太郎さんがご提示くださった「愛智」は、『延喜式』『和名抄』に登場するもので、由緒正しい表記です。また、「阿由知」は、『尾張国熱田太神宮縁起』に見られるもので、これも古式ゆかしいものです。
この他にも「阿伊知」「鮎市」といった表記が存在したようです。
なお、「愛知」という表記は、古くは『続日本紀』にあり、『愛知郡誌』によれば、広く使われるようになったのは天保期からとのことです。
私は少なくとも「阿由知通」は愛知郡の局所的な由来では無いとは思っていましたが、「阿由知」の表記自体が由緒正しいモノだとは知りませんでした。(また、浅学を晒してしまった・・・
[53094]←皆様御笑覧下さい・・・(苦笑))
[53176]U-4さん
横田基地の滑走路の北半分は瑞穂町内にありますが、基地の主要施設は福生市内、米兵の居住地区は西側の福生市から羽村市にかけてと東側の武蔵村山市の二箇所に分散しています。基地内日本人勤務者の居住地は定かではありませんが、基地の表玄関といえば福生市。瑞穂町は東京都心との距離は比較的近いもののアクセスの悪さからベッドタウン化している地域はごく限られており、お茶畑が広がるのどかな風景が続いています。都市圏というにはどうも・・・
確かに、例の資料には不整合な部分もまま有る様ですね。青梅街道が通っているから、日野自動車工場が羽村市に有るからと言うのも相当無理がありますしね。正確に地域の実態を反映しているかと言うと必ずしもそうでは無い事を留意する必要がありますね。