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矢作川太郎さんの記事が10件見つかりました

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[52817] 2006年 7月 31日(月)02:50:16矢作川太郎 さん
奈良=大和?盆地≠平野?
[52723]EMMさんの書き込みがあったのに今気付きましたが・・・(汗)
私にはよく分からない分野なので差し出がましいと思いますが一応・・・

グーグルでの検索結果(含、第一用語・第二用語が離れてしまっているページ 例 奈良駅が~・・・~平野の形状・・・)
独り言・・・検索結果の件数で一般論を推量できるか大いに疑問ですが・・・
奈良盆地:約 69,000 件
大和盆地:約 18,800 件
奈良平野:約 338,000 件
大和平野:約 25,000 件
となっていますね。一般の認識としては、
奈良平野>奈良盆地>大和平野>大和盆地
で、大和よりも奈良、盆地よりも平野が多く用いられている「よう」です。
私としてはココ(奈良県北部のすり鉢状?の地形)の呼び名は奈良盆地が妥当なように思えます。しかし、(生駒山地と金剛山地・笠置山地のそれぞれの間が大和川と木津川によってヘコんで見えて二ヶ所が切れたすり鉢に見えるので、)大阪平野の延長として奈良平野も有りかなと思います。あと、現在では大和国・奈良県は用語として取り替えがほぼ可能であるように思えますが、奈良時代の間は芳野監が吉野郡に設置されていた時期もあります。(個人的に吉野郡は奈良県とは別の所の様に思えますが。)ですから、大和国+芳野監=奈良県と言えますので奈良市を中心とした一定の地域が一般的に大和と認識されても無理は有りません。(以前、奈良と言う余り広がりを持たない地名には盆地が付され、大和と言う広がりを持つ地名には平野が付されると一瞬思った事がありました。それじゃあ、例えば甲府盆地は甲斐平野と呼ばれるかと言ったら違いますね。(笑)甲府平野はあるのですが・・・)結論から言えば奈良盆地は(交通の便から言って)余り閉鎖性が無く、大阪平野と連続した地形と見なされ平野と言う用語が多用されるようになったのでしょう。(あと、大和と言う語は日本国全域の呼び名になっているので、他の旧国名と比べて特定性が薄まったとも取れます。)多分捉え方の違いでしか無いと思いますけど・・・

[52794]huzisanさん
確かに私の前の記事は拙速で独りよがりな書き込みだった感がありますね。(この点は謝りたいと思います。)ただ、私には奈良盆地の別名として大和平野が地元では良く知られていると言うニュアンスよりも、大和盆地と言う用語をバッサリと切り捨てているニュアンスの方が多分に感じられて少し気になったものです。確かに大和盆地は余り使われていない用語ですが、それは誤用とする根拠には少し弱い気がします。派生語と言うものは数限りなくありますし。例えばもう一つ用語である「奈良平野」は誤用なのでしょうか?あと主観論に付いてですが、主観論は必要なのは私も認めます。ですが、それが余りに「コレコレは誤用である。」と言うニュアンスが先行してしまうと(特に理由が「明示」されていない場合)どうしても他者の理解は得られにくいと考えます。どちらかと言うと、「より多くの資料を参照した上で(特定の場所・時代に於いて)コレコレは余り使われていない。(用例が少ない・一般的でない)」と言う方が説得力があると思います。あと、或る特定の時期に限ったとしても用語の統一と言うのはとても難しい事だと考えます。学術書に於いて用語に対しての見解の不一致がある事が気になるとの事ですが、公共性のあるこの落書き帳ですら見解が分かれているモノを敢えて統一した所で、例外が多く発生するのは明らかです。学術書に出ていても市井に出てみれば全く使われていなかったなんて事も有ったりします。まして、比較的広範に用いられた用語を封じるのも得策では無いように思えます。どうしても文書内で統一したいならば、用語が多くある中で自分(若しくは他の誰か)の考えに基づいてコレコレの用語だけを統一して使う旨を明記した方が良いかも知れませんね。

(あくまで主観的に考える方法はいけないと言っている訳では有りません。ただ、あなたの用いた方法が用語のブレ(多様さ)の一部分を容認せず、何が何でも「大和盆地」と言う用語を「誤用」の一言で一掃しようとしているための方法である様に思われたからです。何が間違って伝わっていて、何が自然に変化したかは時を経るほど曖昧になっていきます。今後同様の事例に私も出くわすかも知れません。その時に「私はこれを誤用だと思うので。」と言う理由であっさり捨ててしまえばその場は良いかも知れませんが、後にその判断自体が(一般的見地から見ても)誤りだと言われたらそれまでです。多くの可能性から検討するのが「妥当」ではないでしょうか?)

意図する所のすれ違いがあれば、これも謝ります。

#この書き込みに関してもあくまで私の認識であってそれ以外の何物でも有りません。
読み返してみたら全く返答の丈に合わないことが分かってしまいました・・・自分の脳力の限界を感じます・・・
[52731] 2006年 7月 28日(金)19:37:04【1】矢作川太郎 さん
「正しい」地名は無い?「妥当な・一般的な」地名は有る?
[52729]般若堂そんぴんさん

地名の「誤用」?

私もこの事は前々から気になっていました。まず、前提として地名を「正当」或いは「不当」とするのは主観的な見方でしか無いと言うことです。つまり、これこれの地名は間違って使用されている云々と言うのは主観の認識に於ける体現でしか有りません。まあ、元々地名を付けだしたのは「主観」を有するある人物であって、元々その土地に存在した訳でも、客観的に付けられた訳でも無いと言うのが「事実」で有るのでしょう。

昨今の「新・自治体名騒ぎ」でも言えることですが、インターネットなどを用いて分かるのは、あくまで「妥当な・一般的な」地名及び地名の認識でしかありません。(ですから、多くの場合別表記が併記されているのでしょう。)どこかのページに「この地名」が正しく、「あの地名」は間違っていると書いてある訳ではないでしょうし、また一人の人物が初めて従来の地名とは違う書き方・読み方をしてそれが後世には「妥当な・一般的な」地名と認識されないとも限りません。誰かが「その地名」が間違っていると言うのであればそれは「妥当な・一般的な」地名と言う枠組みから外れた珍奇なモノであると言うだけで正当・不当と言うのは当たらないと思います。

あと、文学的に云々と言うのはどうかと思います。そもそも、文学と言うのは○・×で判断及び評価する性格の学問では無いと言うのが私の認識です。(その点で私は救われたと思う場面が多いのでありますが。)ただ、地元民の立場から言ってその表記は一般的では無いと言ってもらえればそれで良いのではないでしょうか?風情的にどうこうと言うのも主観的に思えます。

#この書き込みはあくまで私の認識であってそれ以外の何物でも有りません。

【1】熟語のニュアンスを若干緩和
[52463] 2006年 7月 20日(木)00:15:59矢作川太郎 さん
メンバー紹介文・修正御礼
[52412]まがみさん
どうもです。

こうなってしまうとどうもいちいち注釈を入れないと気が済まない訳で・・・

・・・この注釈文を読まずに落書き帳に参入してくるであろうメンバーの方々には申し訳ありませんが。(お断り・メンバー紹介文執筆員のお二人?へ これ以上の修正は無用です。私の修正案が解りにくかったのがいけないんです。(汗))

さて、件の[52360]についてひとつ(驚きの修正案はこのまま晒しておきます♪・・・)

まあ、つまり条件とタイミングが合えば屋内(一つ屋根の下)で蛞蝓氏と御対面が出来るほど長閑な所に居住していると言うことで・・・あれっきり探してみても蛞蝓氏と御対面は出来てません。(くれぐれも飼っている訳ではぁ・・・無様なので止めて置きます。(苦笑))

おまけ・蛞蝓氏は死ぬ前であれば水をかけてやると復活しますが、私、矢作は忙殺されている最中であっても皆さんの記事を読むことによって復活します。(良い締め方の様で何か不自然かも~・・・キャラが壊れるので止めます。)

今度こそは「地理」ネタに反応したいモノです。
[52360] 2006年 7月 17日(月)21:10:01【1】矢作川太郎 さん
資料蒐集は地理人(チリ人?)の浪漫~♪(激謎)
風呂場で岐阜県!?の形の水滴を見つけて感心している矢作です。(笑)

[52305]88さん

#余談ですが、[51966]矢作川太郎 さん に刺激を受けて、私も、頭書の図書とあわせて「幕末以降市町村名変遷系統図総覧」(東洋書林)の1、2、別巻を注文しました(在庫があると信じて・・)。これも図書館では何度見ていたのですが、やはり「コレクション」しておきたい、と。これらは、「市町村合併情報」の、明治の大合併などの基礎資料になる予定です。

えっ!!あれ(幕末以降市町村名変遷系統図総覧)を買われるんですか?流石ですね~。私は、高校時代帰りに高校の地元の市立図書館で読み耽って居りました。その後、バイトもせずひたすら、小遣いを貯めて(他でお金を貰えるチャンスも併せて。)漸く買った一品です。また、それと同時期にもう一冊(市町村名変遷辞典・三訂版)も買っていました。(コチラも古本ですが。)まあ、(全国市町村名変遷総覧)じゃ物足りないと言うのが正直な所でしょうか。あと、資料数が多い方が間違いを極力少なくする事が出来ると言うのが最大の利点でしょうか。でもあれ(幕末以降市町村名変遷系統図総覧)は私が目的としている、プレ明治の大合併の全容解明には少し足りない気もしますが。(ココまで来たら流石に・・・以下自主規制)

以下、余り読まれたくない独り言・・・

私にとって以上三点の資料は無くてはならない物です。が、誤字や表記のブレがやはり普遍的に存在するのも事実です。ですから、私は角川の地名辞典も併せて読みたいと思っているのですが。(各巻で編集方針がバラバラと言うのも聞いた事があるが・・・ あと、決して全巻買おうとして居る訳では・・・ でも、別巻2冊も読み応えが有るし・・・以下エンドレスにつき略)

あと、太白さんでしょうか?まがみさんでしょうか?いずれにしても私には身に余る紹介文有り難うございました。(どちらの御方がお書きになったか解らない様になっているのは何か事情が有るのでしょうか?それとも共同でお書きになっているのでしょうか?<グリグリさん、お忙しい中済みません。)あと、
一説によると自宅風呂場で蛞蝓を飼っているらしい(激嘘)。
は違います。(笑)私は蛞蝓さんには餌はやって居ませんので。(自宅で蛞蝓氏と共同生活、同居中、ルームシェアリング、同棲中!!のいずれかに変えてもらえれば幸いです。面白味が半減する提案ですねぇ~。でも(激嘘)は外せますよ。)

【1】最初のどうでも良い一文と、メンバー紹介文関係の書き込みを追加。
[52358] 2006年 7月 17日(月)20:16:05矢作川太郎 さん
補足レス-都市部の従来地名(どちらかと言うと歴史的地名では無く。)
丸一日自分なりに考えてみましたが難しい問題です。

[52289]inakanomozartさん
一般的に、人為的な区画により構築されている旧城下の町名まで地形にしたがわなければならないということは理解できません。

「地形」と言うのは少し限定的な言い方になってしまいましたね。どちらかと言うと「地理的条件」と言った方が良いかも知れませんね。(道路などの交通状況、家屋などの住宅状況、要は土地の利用形態全般を加えても良いかも知れません。)

また、町名は、近所づきあいのためにだけあるのではなく、どちらかと言えばそこに住んでいる人より他の地域に住んでいる人のためにあるとも言えると思われます。
「名古屋市中区栄○丁目○番」と聞いて即座にその場所が分る人はいないと思われます。
また、タクシーに乗って同様に告げ、何も見ずにそこまで連れて行ってくれる運転手はいないと思われます。
これが、道路沿いに付けられた町名を変更してしまった、ブロック式町名の実態でしょう。

外から来た人の為だけに住所を変更する訳にもいきませんからねぇ。そう言えば、郵便物などの宛名を書く時、住所から地域色が透けて見える事があるのも事実ですけど。市内の町それぞれのコミュニティーの再建と併せて考える必要もあると思います。あと地域共同体の在り方の変化にも関係して来るのでは無いでしょうか。それに、各町名の地元及び他からの来名者の認識は町によってまちまちです。(例えば、栄と錦の間に消えた伏見町は伏見通や伏見駅にその名を留めています。繊維製品の問屋街の長者町なども比較的知られています。でも、通称名に残らなかった物が在るのも事実です。)

かえって分りにくい住居表示町名がどうして実用的なのでしょうか。
実用的とは、行政当局にとって管理しやすいということなのでしょうか?
また、旧町名をかび臭い博物館の展示物のような扱いにすることに価値があるとは思われません。

確かに当時の価値観では込み入った町名が煩わしく感じられたのでしょう。しかし、一度廃止されて歴史的な町名だと認識した所でそれを(復活)させる事で都市の文化的水準を上げた様に見せるのは余り意味のある事だとは思えません。(復活させたくても種々の事情があり出来ない所もあるので。)第一、歴史的と言った時点で既に実効性が失われコミュニティーの枠組みから外れ、通称名としても現存していない町名は逆に混乱を招く可能性も否定出来ません。(ですから、私は実効性「僅かでも認識している人がいる事」が継続的にあった町名を従来地名と呼んでいます。全く知られて居ないのに復活させられて有名無実になる方がかび臭い博物館の展示物のような扱いになるよりも酷だと思いますが。)因みに、東区の久屋町、武平町、西新町、東新町は離れ小島の様に成りながらもブロック街区の狭間に息づいています。

最後にinakanomozartさんへ
私の読みにくい稚拙な文章では何の答えにもなって居ませんよね。謝ります。
[52281] 2006年 7月 16日(日)16:46:44矢作川太郎 さん
当たり前過ぎて鈍感になっているのさ~♪(謎)
十番勝負明けまで潜って居ようと思っていましたが突っつかれてしまいましたね。

どうやらわが市では当たり前に元の地名が残っているので鈍感になっていた様です。

[52273]般若堂そんぴんさん
旧町名復活の動きは必ずしも「情緒本位」のものだけとは限らないのではないでしょうか.「中央~丁目」などは,その無個性ぶりゆえに識別性において劣ると感じられます.そのような傾向の「新町名」に対して旧町名復活の動きがおこる場合もあるのではないかと思います
確かにその嫌いは否めませんね。往年の地名変工(変更よりニュアンスが強すぎるか。)によって地名の持つ「特定性或いは識別性」が著しく阻害されたのもまた事実です。(米沢市の現状を見てみましたが、大規模に住所が変えられて居ますしね。ex.中央、駅前等)いずれにしろ、
歴史的地名(これも歴史の「どの時点」のものをスタンダードとするか,悩ましいものがありますが)保存と新地名創造との間の妥協点を見いだすのはなかなか難しいものがありますね(この場合の妥協とは,双方の立場からの十分な論議を前提としたものであり,安易なもので在って欲しくないのは勿論です).
古い物が良い、新しい物は悪い-新しい物が良い、古い物は悪い
と言う二元論に為らぬ様心掛けたいですね。
[52198] 2006年 7月 16日(日)07:53:10矢作川太郎 さん
うちの住宅団地は丁目は有るが小字は無い-そして
[52170]くるりさん
「小字は不要」という人で、また「小字=田舎」というイメージが非常に強いです。

確かにそう言う人は多くて、私もその一人になりかけてたクチです。
しかし、岡崎市の中心部と住宅密集地である明大寺町と美合町では普通に小字を日常的に使っています。駅裏の住宅街や図書館の住所にすら小字が書いてあります。これは、只単に岡崎が田舎だと言う事なんでしょうか?(確かに少し山がちな所に小字が残ってはいるが・・・)ある所にはある、ない所にはないのでは無いでしょうか?

あと、グリグリさん各位へ
テストの都合で今回の十番勝負は岡目八目になりそうです。皆様の奮戦ご期待申し上げております。
[52195] 2006年 7月 16日(日)07:29:38矢作川太郎 さん
まだまだ書かねば!!-大字と取り留めの無い話
[51988]千本桜さん
レスどうもです。

一時期(昭和39年~昭和53年まで)は大字を編成していたようです。

そんな事もあるんですねぇ。やはり、一筋縄では行きません。そんな感じで一度住所に出てきたもののまた消えてしまった大字も無いわけではないんですね。興味深いです。

そう言えば、
[51948]EMMさん

大字小字の話は落書き帳上では鬼門のようなものではありますが

と仰っていましたが、元ネタ(爆)を探してみると

[51928]拙稿の

人口ハイアンドローゲームの鬼門と成り得る人口帯かも知れません。

なのかなぁと自信がありませんでしたが、以前に

[47769]グリグリさん

私には「字」は鬼門です。

とグリグリさん自身が仰っていましたね。また発見です。(読んだんだけど記憶から外へ・・・)

あと関係ありませんが、
[51996]右左府さん
実質的にはそれ以前から使用されていた、というケースが幾つかあってちょっと厄介です。
に関して、平成の大合併以前の話ですが、合併や単独で市制した市の市章は市制前の旧町の町章を再利用したものが幾つかありました。(悪く言えば使い回しですけど・・・)あと歴史に関して各地の市域の変遷を見ていると時代が下るほど大きい町村を編入する様です。気になったのが編入時の町村名しか書いてない事です。幾つかが合併した町と単独でいた村が同じように書かれているのも不自然だと思います。それに、編入前のその町村の歴史も充実させてもらいたいですね。

次。
[51881]拙稿
に書いてある都市現象は今話題の(笑)アンパン化現象そのものじゃないですか!!思いっきり面食らいました。

あと、
[52125]むっくんさん
ネタにまじレスしてしまったのか?^^;
誠意があって別に格好悪くは無いと思いますがねぇ。私は。(爆)
[52193] 2006年 7月 16日(日)06:48:37矢作川太郎 さん
あと1時間だ!!駆け込みレス-地名変更について
[19948]般若堂そんぴんさん
[49295]YSKさん

仙台市の地名変更について思う所があったので一つ。正直諸手を挙げて喜べません。なぜなら私の持論に(地名は地形に従う。)と言うモノがあります。だから、これに反したやりかたには賛成出来ません。例えば宅地開発の終了した後の区画がその新しく開発された道路に従って引き直されるのは仕方ないと思います。(区画整理前の森林の区画に従った住所の書き方をいつまでもするわけにはいきませんからね。)市街地に於いても同じ事が言えます。県内の名古屋市では戦後大規模な区画整理が有りました。しかし、その要因に大規模な都市計画道路の開通があると思います。例えば旧来日本の都市部では背割り(棟割り)の区画が主流で、道割りの概念は少なかったと思います。それが、路地等が拡幅され自動車の通行量が増大すれば、自然に向かいの家との交流は少なくなります。(向こう三軒両隣と言う言葉が有ったが今風に言えば、後ろ三軒両隣になるのだろうか?)この様な状態は仙台市でも存在するでしょう。なのに、敢えて昔の路地的繋がりの区画を現在の住所に反映させる事自体、相当の無理が有る様に思えます。それよりも実用と情緒を割り切った

[6682]般若堂そんぴんさん
住居表示とは別に旧町名を「通り名」を設定し,表示板を各町内に取り付けてあります.

の様な施策に方向転換出来ない物でしょうか。どうやら、仙台市の方にもそれに類する事業が行われている様ですが、若干の不備があるのも事実みたいです。金沢市では無理なく行われた様ですが、やはり、旧町名は私としては記録するべき対象であり、なおかつ、歴史的な価値が有るからこそ守っていくべきだと考えます。(現状で残っている所については。)しかしながら、一度、実用本位の住所に切り替えられた所が、いきなり情緒本位に傾くのはやはり無理の有る事です。現状に無くても記録の中で生きていればそれでいいのでは無いかと言うのが私の見解です。
[52192] 2006年 7月 16日(日)05:59:40矢作川太郎 さん
亀レスな上に(まとまっていない)まとめレス-新たな大字論
[52091]スナフキんさん
[52093]稲生さん
ワタクシをお忘れでは無いでしょうか?(笑)
どうやら百貨店の話題を挟んで完全に浦島(太郎)になってしまったようで・・・(でも4M1Tの話しか提供出来ないので勘弁!←4M1Tって御存知です?)

まず、
[51979]でるでるさん
[51981]EMMさん
[51983]でるでるさん
反応どうもです。そう言えば私が阿波市の住所変更について知ったのはウェブニュースの記事からでした。引用は出来ませんが、例として市場支所の住所が「阿波市上野段385番地1」と言うモノから「阿波市市場町市場字上野段385番地1」へ変わるとありました。私は最初これを見たとき不自然だなと思いました。変更後に「市場」が連続するのは仕方ないとしても、変更前の「上野段」は大字では無さそうなのに「阿波市」の直後に置かれている事でした。次に変更後には「市場字上野段」と書かれているので合併時にワザワザ大字を外したのだと確信しました。その後[51934]拙稿の後半の例示に引用した訳です。私の記事を受けてでるでるさんやEMMさんが調査を行われたのですが、合併時とこの件の住所表記の変更に関する、確証的な議会での取り決めやその理由までははっきりとしなかった様です。(でるでるさん、EMMさんありがとうございました。)

この(新市名+[旧町・村名+大字]~)と言うフォーマットへの変更に関連して、
[48798]hmtさんの
「住所を分かり易く表示するためのラベル付け」
と言うのを思い出しました。
そこで私は旧町内の自治区や特例区と言う事を抜きにして、この住所表記の機能は「激変緩和」では無いのかと言う結論に立ち至りました。例えば一宮市木曽川町~と言う住所が有ります。
この中で例えば木曽川庁舎は「一宮市木曽川町内割田一の通り27」となります。
それが旧木曽川町役場時代は「葉栗郡木曽川町大字内割田一の通り27」でした。
(但し尾西市域では「尾西(町)~」にはなっていませんが。)
そこで、私はこれは新たな大字では無いのかと考えました。本来大字は明治の大合併期にその起源を求められるモノで、大合併以前の村名及び村域の固定に一役買っていました。翻って、現在に於いては合併前の旧自治体名を新たな階層を作成せず、大字の水準の地名の文字数を増やす事によって保存しようとしたのでは無いでしょうか。住民感情への配慮の点からも文句の無い対応だと思います。(郵便の便から言えば郵便番号の各種変更でどうにかなるでしょう。ただ、新市名の下に「大字名+町」が来るのは住民からして暫くは違和感があるモノだと思われます。)木曽川町大字内割田の例で言えば、一宮市内割田町と言うのは今までの住所と余りにかけ離れた表示に見えます。緩やかに一宮市木曽川町内割田とする方が自然だと思います。

[52043][52075]88さん
この点では私と見解を異にしていますね。
私としては一度自治体名になったモノは歴史が浅かろう深かろうが実効性を持っていたモノはある程度尊重されるべきだと考えます。(だからこそ、自治体名命名には慎重にならなければいけません。あと、旧町名の下の大字が完全に過不足無く保存されている事が前提です。)例として新城市を挙げます。この市はここ2・3年の間に鳳来町と作手村と言う2町村と合併しました。その結果作手村の区域は「新城市作手~」になりました。ですが、鳳来町の区域は「新城市(大字)」になってしまいました。そこで町名の住所復帰を求める運動が一時期ありました。(敢えて地名復活とは書かない。)ここで両町村の名前の由来を見てみましょう。作手は作手村域の通称名に由来します。次に、鳳来町は(寺院名→山岳名→自治体名「鳳来寺村→鳳来町」)となります。ここで気になるのが、鳳来町域には鳳来寺村以前に(鳳来)を名乗った村は一つも無い事です。この一件に関して、或る新聞の投書欄に旧町名(鳳来町)の住所復帰を支持する内容の投書が掲載されました。しかし、その投稿者の認識に私は首を傾げました。その人の言うには、明治の大合併期に定められた旧村名が元の「地名」で大字になって村名の下に潜っていた【地名】は新たに付与された町名だと誤解している点にでした。やはり、明治の大合併が日本人の「地名認識」に与えた影響は多大だったと痛感した瞬間でもありました。

そう言えば良く地名と自治体名を混同した記述が市町村合併の新自治体名公募に対する意見に含まれています。また新自治体名は記号であるから決定した自治体名でも良いとの意見も見受けられます。私は新自治体名は記号であっても、地名までは記号とは認識出来ません。
その上で、多くの人に地名≠自治体名であると解ってもらえれば私からは何も言うことはありません。(まあ大半の自治体名は地名に由来していますが。ちなみに大字名=地名と言う訳でもありませんが。)
ですが、多くの人は地名=自治体名であると認識している様です。(私の居住する県の「あの新市名問題」もその認識の影響は否めません。例の新市名案は数々の前例をブチ抜いていますが。)
あと、住所地名を調べていて思うのは通称地名などの公的でない地名が目に見える所に書かれていないと言うジレンマが有る事ですかね。

#新城市(旧:鳳来町)の地名の中に連称地名の様な地名が有ります。(作手では無く。)これは、旧村名+藩政村名がそのまま地名になったのだと推測します。実は同じ現:新城市内に旧郡で別の郡にも同じ藩政村名が有りましたが冠称のお陰で新城市内に於いても識別出来ると言う面白い事例をご紹介して締めさせて頂きます。ヒント:この地名の場所は一種類しか年貢品を出さない田地の有った所です。


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