[21100] ジューンさん
JR中央線も建設時は、東濃の中心の御嵩を通って名古屋に至る計画だったそうです。
東濃地区の中央線を見ると、木曽川とは微妙に異なる経路が特徴的で、当初は違和感を覚えたものですが、あの一帯では木曽川は相応に渓谷気味の様子で、古虎渓での難所越えがあるにせよ多治見を経由したのは必然的かも知れませんね。御嵩町中心部は木曽川から少し離れますが、国道 21号線の経路が御指摘の計画の名残りの様な印象を受けます。
[21102] なおさん
確かに、地図を見ると島と言う感じなのですが、実際いると島とは感じません。
国道 205号線の針尾 バイパスも、早岐瀬戸を二度越える形で掠めていますね。利用者の大半にとって、島を経由している認識や実感は乏しい様に拝察します。
[21107] 今川焼さん
JR瀬戸大橋線の茶屋町~児島間 (下津井電鉄)
瀬戸大橋線 (本四備讃線) は児島を出ると橋梁部となり、旧下津井を代替する固有の駅が無い為、解釈上は微妙かな。
北近畿タンゴ鉄道宮福線の福知山~大江間 (北丹鉄道)
終着駅は 「南有路」 でしたっけ。子供の頃、地図を見る度に、なぜ加悦鉄道と繋げないのかと感じていました。
愛知環状鉄道の岡崎~新上挙母間 (名鉄挙母線・岡崎市内線)
あ、これは完全に失念していました。
[21111] faithさん
京阪の京津線や、南海の天王寺線のルートの一部は地下鉄になって再利用されていますね。
これは地下鉄移行を前提とした廃止でしょうか。南海天王寺線はあれだけの短距離路線で良くぞ存続したものと感じます。部分廃止後は他線への連絡性も乏しい様で、限られた沿線住民の為の存在、という感じの線形でしたね。
[21113] カッパーさん
信楽高原鉄道もその例ですか?(元国鉄信楽線)
三セク移行後に事故で長期間運休という事で、復活例とは異なりそうです。犠牲者多数を出した衝突事故の現場付近は、信楽高原と琵琶湖の盆地との高低差を克服する登坂を伴う森の中で、標高差は結構大きい様子ですね。あの事故の直後、茨城県では、電源車を伴っての機関車牽引によると思しき常磐線特急の大洗直通が急遽中止されています。
[21116] 夜鳴き寿司屋さん
国有化と改軌工事に伴い大洲起点が五郎起点に変更され60年近く軌道敷は放棄されていましたので。
予讃線 バイパス化以前の内子線列車は、伊予大洲まで乗り入れていましたっけ? あの一帯の中心となる大洲から見て、五郎で方向転換する内子線の線形には、多少違和感がありました。
また大阪の阪急千里線の吹田~大阪間は大正時代までの東海道線を再利用した路線だそうですが、
国鉄線の転用例としては、廃止された南部縦貫鉄道の野辺地-西千曳も該当しますね。
[21118] 美濃織部さん
東濃地方は岐阜市よりも名古屋市のほうが、圧倒的に結びつきが強いと思います。
経済的にはそうでしょうね。他方、行政上の諸手続きに基く岐阜志向も少なくはないと思いますが、大概は合同庁舎などの出先機関で間に合うのかな。
[21120] M.F さん
東急玉川線→新玉川線 (現:田園都市線) のような例は対象外でしょうね。
玉電廃止は新玉川線開業が前提でしたか。幼少時、首都高の高架下に線路が残っているのを見た記憶があります。
[21121] EMMさん
つまり、富山高校と富山中部高校は同一学区内で並び立っているのです。
伝統性、立地条件等の要因で、何れか一方に人気が集中しない様、事前に何らかの均衡化措置は講じられていないのか、両校の並立性を見るとつい勘ぐってしまいますね。
高岡学区では高岡高校に上位クラスが集中しますので、富山県のトップの座はは高岡高校が守っています。
「高岡中部」 と称した時期もありますね。やはり旧制中学系である新湊高は、その頃 「高岡東部」 を名乗っていました。
砺波学区の上位 クラスが高岡高校、新川学区の上位 クラスが富山高校・富山中部高校を受験するようになり、
結局、交通事情が許す限り、ほぼ自由に進学先を選べる状況の様ですね。
「現在の第1・第3学区からの受験生が大勢金沢市内の高校に押し寄せ、金沢市内の学生があぶれてしまうのでは」
七尾高校や小松高校が人気処かと思われますが、それでも大局的には金沢志向が強まりつつあるのでしょうね。
「奥能登から金沢の親戚の家に引っ越して、わざわざ金沢泉丘高校を受験した」
流石は県立一中系、グリグリ様を輩出されただけの事はあります。(笑) 県都の公立伝統校を隔地から志向する例として、岩手県普代村から盛岡一高を受験した、なんて話も聞いた事があります。地元の水戸でも、複数の高校でかなり広域から生徒を集めており、私の同窓生でも通学時間が片道二時間を越えていた例が散見されました。
[21122] あんどれさん
武州鉄道は蓮田~川口を結ぶ予定で設立され、現在の川口市内に入ったところで延伸を断念、廃線となったものです。
まず郊外部の敷設ありき、然るに市街部分で挫折、というところが、往年の地方私鉄らしい陣容ですね。