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[68472] 2009年 1月 27日(火)00:33:44役チャン さん
コミュニティバスを利用するときは気を付けましょう(愛媛県内子町営バス)
愛媛県の旧広田村(現在は砥部町の一部)へは松山から伊予鉄バスで80分ほどですが、このバスは1日に1本しかありません。朝広田から松山へ1便、夕方逆の便が1本あるだけです。日帰りではここの役場へは行けないと思っていました。

ところがいろいろと調べているうちに、このバス路線のさらに奥にある旧小田町(現在は内子町の一部)のコミュニティバスを使えば行けることがわかりました。内子町営バス時刻表
JR内子駅前から小田支所行きに乗り途中の突合というところで小田支所から来るバス(臼杵線)に乗換え落合というところで降り、そこから2キロ弱、およそ20分歩けば旧広田役場へ行けます。それだと日帰りできることがわかり実行しました。

旧広田村は松山のベットタウンとでもいうべき砥部町と合併したこともあり、なんとなく松山の文化・経済圏のように感じていましたが、肱川の支流小田川のさらに支流田渡川流域に広がる村でした。砥部へは峠を越えて行かねばならず、だから肱川水系を辿って行くというのは正解だったと思い、ふたたび歩いて落合に戻り小田支所行に乗れば効率良く2ヶ所をまわれると我ながら良いコースを探せたと満足していたのでした。

しかしそう簡単には行きませんでした。帰りに落合で待っていても所定のバスが来ません。小田支所に電話をしてもそのバスは運行しているとのことでした。何度か電話で「こない」、「そんなわけはない」とやり合っているうち、今日はそのバスは手前で折り返した、ということがわかりました。仕方なくタクシーを呼んでもらい小田支所まで行きましたが、バスならば200円で済むところが3,270円と思わぬ出費になってしまいました。

支所の話では、このバスはもともと通学生用のものでその日の状況で終点まで行かず途中で折り返すこともあるとのことでした。確かにコミュニティバスというのは住民利用を主目的とし、また運賃も安く設定しており、逆に通常の路線バスにはない制約や臨機応変の対応が許されるものでしょう。それをわかり易く説明していなかったという町側の落度はあるものの、コミュニティバスというものの趣旨を理解していると自負している私としては油断していたことであり、タクシー代を請求するような気は起きませんでした。

支所側は今後はHPなどで一般旅行者への周知を考え直すと言っていましたが、実際に私のような変な経路を辿る旅行者が今後もいるかどうかわからないのだから無理しなくても良いと思います。

そんな風にタクシーで行った旧小田町でしたが、本来はバスで行ったはずだからということにして、公共交通による正式訪問としてカウントしました。(2594件目)

コミュニティ交通を利用するときは注意しましょうという実例の紹介です。
[68265] 2009年 1月 11日(日)11:56:35役チャン さん
SUNQパスと宮崎交通
私のライフワークである「公共交通機関による全国市町村役場めぐり」で空白地域だった宮崎県の中北部へ、昨年12月に3泊4日で行ってきました。五ヶ瀬町、椎葉村、西米良村など路線バスが日に2~5本しかなく、しかも途中内陸部に広がる町村へも寄らなければならず、行程作成にはかなり苦労しました。結果は21市町村に行け累計2577(平成の合併前基準)とし、自分でもかなり満足しています。

うち3日間はSUNQ切符(全九州1万円)を買い、残りの1日は宮崎に来てはじめて知ったのですが、2500円で乗り放題という宮崎交通の1日乗車券を使いました。今回は都度現金乗車をしていたら4日間で総額2万円は超えていたはずなのでいずれにせよかなり節約にはなりましたが、県内の路線バスはほぼ宮交が独占しているので、この1日乗車券を4日分買った方がさらに得をしたということになります。

また宮崎交通にとっても、私が1日乗車券を4日分買った方が売上増になったのかも知れません。SUNQ切符がどのようなルールなのかはわかりませんが、いずれにしても売上は九州内複数バス会社間で配分されるはずだからです。私と宮崎交通との間でWIN-WINの関係を逃したと言えるかも知れません。宮崎県へ旅行をさける方には参考になるかと思います。

高千穂駅跡では同鉄道のお別れイベントに遭遇したこと、日之影町ではバイパス上のバス停から近いと思われた町役場との間に140メートルの高低差があり、地図を見るときには高さにも注意が必要なことを改めて知ったこと、旧北郷村の旅館は8畳間の2方が全面障子の先は廊下、1方が襖を境に隣室という恐ろしく暖房効率の低い部屋で分厚い2枚の布団にくるまり一晩中震えていたことなど、思い出に残る旅でした。
[67432] 2008年 11月 27日(木)22:47:59役チャン さん
小坂町役場と康楽館
[67381]オーナー グリグリさん
小坂を訪ねました。康楽館、小坂鉱山事務所、郷土館の三ヵ所を見学しました。
小坂町町役場は行かれなかったのですね。古くて小さくて、全国ボロ役場のベスト3に入りそうなものです。私も昨年康楽館を見学しそこで聞いた話ですが、この小屋は鉱山の衰退とともに1965年に休館となり朽ち果てたままになっていたのを20年後の85年、町に無償で譲渡されると町は2億円をかけて全面改装したそうです。このときに基本は木造ですが一部構造上の必要性から鉄骨による補強なども行ったそうです。
85年頃というと全国どこの自治体も役場庁舎の新築に競った時期です。小坂町では庁舎に金をかけるよりも余程すばらしいことをしたと思います。だから私はここの役場をボロのワースト3とは言わず、ベスト3として讃えたいと思いました。

実際に観劇すればもっと感動は大きかったと思います。時間があればゆっくり観劇することをお奨めします。
小屋見学をしているうちに、次の役場訪問をやめてもここは芝居を見ることにしました。600人収容という客席には青森から来たという20人くらいの団体が車座になって弁当を食べていた以外客は私1人でした。2階の雨戸が閉められ緞帳が上がる。照明は1人のオペレーターが複数の投光器をリモートで操るというハイテクを駆使しており、人力による雨戸閉めや舞台操作とのアンバランスが面白かったです。
出し物は人情噺のほか踊りなどで男性4人、女性3人の役者が一人で何役もこなしながら入れ替わり立ち替わり出入りしていました。他愛のない人情話でしたが皆一生懸命演じていたし、それを見ながらこの小屋の成り立ちや役場のボロ具合を思い出すと思わずジーンと来るものがありました。
[66852] 2008年 9月 22日(月)21:33:55役チャン さん
小坂製錬小坂線
[66825] 右左府 さん
貨物専用路線の小坂線、どうやら今年度いっぱいで廃止となるようです。

そうですか、とうとう廃止ですか。

地元の小坂町は小坂線を鉱山事務所や、明治時代に建てられた木造の芝居小屋・康楽館と並ぶ、近代化遺産と位置づけ、旅客営業を含めた鉄道の保存を検討しています。

私も昨年小坂に行き、なんとかこの鉄道を旅客輸送に使えないものかと思ったものでした。
小坂駅は製錬所の資材や製品を輸送するための貨物専用の駅ですが、94年までは旅客輸送も行っていました。広い貨物ヤードに1面の旅客ホームがあり、小さな駅舎も残っていて、また駅前広場は立木や花壇などがきちんと刈り込まれ清潔な感じがして、今でも旅客営業を行っているかのようでした。

駅近くには康楽館という名前の芝居小屋があり、さらにその先には元鉱山事務所だった立派な西洋館も建っています。芝居小屋へは観光バスで来る団体客も多く、十和田湖などの観光コースにも組み込まれているようでした。
それならばいっそのこと、小坂鉄道に観光客のための旅客列車を走らせたらどうか。芝居小屋の前面を線路が走っているからここに駅を作って大館から客を乗せればいい。もちろん秋田からとか、盛岡からとか、あるいは角館から秋田内陸縦貫鉄道を走り鷹巣まで来る急行「もりよし」をここまで延長しても良い。線路というインフラがあり、それも重量貨物を運ぶ強固なものですから、旅客列車を走らせることくらい簡単だと思いました。
車両の調達が難しかったら、スイスの山岳鉄道あたりから中古の客車を買ってきて、貨物列車の後ろに繋いでもいいでしょう。

というようなことを考えていたら、今年になってこの鉄道の運行が休止になったことを知りました。小坂精錬での濃硫酸の生産が終了し、1日2往復のタンク貨車で製品の濃硫酸を輸送する貨物列車の運転を中止したとのことでした。(鉄道ジャーナル 2008年6月号) 
DOWAホールディングス子会社の小坂精錬は4月から、リサイクル原料の処理に適した新型炉を本格稼動させましたが、これは携帯電話や廃家電のプリント基板などの他、亜鉛の精錬行程や化学工業で出た残渣を原料にして、金や銀などの貴金属だけでなく、鉛の代替材料である「ビスマス」やコピー機の感光ドラムに使われる「セレン」などのレアメタル、合計18種類の金属が回収できるという、最先端のものだそうです。(日経ビジネス 2008年4月21日号) 
だから濃硫酸よりはずっと重量当たり単価の高い製品に転換したので、最早鉄道は不要ということになったのかも知れません。

事業休止期間を2009年3月末までの1年間としており、輸送する新たな貨物が見つからない場合には路線の廃止をする方針だそうですが(鉄道ジャーナル)、この精錬所が処理能力を拡大し、都市鉱山と言われる電子機器廃材を全国から集めるようになれば、やはり鉄道輸送は有効だと思います。

小坂町の鉱山事務所や芝居小屋の一帯はヨーロッパの街並みに似ており、わが国の鉱工業近代化の足取りを語ってくれる産業遺跡そのものです。十和田湖などと上手く組み合わせ、観光都市としても生きて行けそうだし、リサイクル事業最先端の町として今後は世界的にも知れ渡るかも知れません。

鉄道でこの町に行くことのできる日が、いつか来ることを願っているのですが。
[65965] 2008年 8月 7日(木)20:15:44役チャン さん
村上水軍博物館と潮流体験船
[65873] オーナー グリグリさん
この潮流体験船が今回の大ヒット(中略) 瀬戸内海の景色が満喫できてこれは超お奨めだと思いました。

私も体験してきました。城山三郎の「秀吉と武吉」、白石一郎の「海狼伝」などに出て来る能島城に興味を惹かれていたので、役場めぐりの途中に芸予諸島大島の旧宮久保町役場、今は今治市宮窪支所から1キロくらいのところにある村上水軍博物館には行くことにしていました。

当初は博物館に行って、今は無人島となっている周囲800メートルほどの能島を遠望すればそれで良いと思っていたのですが、グリグリさんの情報から潮流体験船があることを知ったのです。丁度潮加減の良い時間帯(と船頭さんが言っていましたが)だったようで、狭い海峡の1メートルくらいの落差の潮の流れを見ることができ感激しました。そして上陸こそできませんでしたが、接岸するほどの近さで能島を見ることができ、400年前の城を想像しました。

桟橋にあるレストラン「能島水軍」で食べた能島定食がこれまた最高に美味でした。
私はここで鯛の唐揚定食を食しましたが、これもまた美味でした。

そのために役場めぐりの方は予定通り行けませんでしたが、はるかに良い体験をしたと思っています。その後離島郵便貯金をしている友人他と集合場所にしていた魚島へは間に合いました。

グリグリさん、本当に貴重な情報をありがとうございました。
[65766] 2008年 7月 15日(火)20:15:14役チャン さん
天北線代替バス
以下は先週の北海道旅での雑感です。ご興味があればお読みください。

 旧国鉄天北線の廃線跡を路線バスで辿りました。1967年夏以来41年ぶりの訪問です。同線は平成元年(1989年)に廃止され、代替運行している宗谷バス天北線に稚内から音威子府まで走っていますが、猿払村、浜頓別町、中頓別町の役場に寄るために途中下車しながら旧線148.9キロに沿っての乗り歩きでした。

 かなりの区間は一目でそれとわかる廃線跡のすぐ横を走ります。道路はどこも大変よく整備されており、数キロ続く直線区間もあり、対向車もめったになく、そんなところをバスは時速50~60キロくらいでトロトロと走る、運転手もガムを噛んだり水を飲んだりと眠気を抑えているようでした。

 鬼志別、浜頓別、中頓別の駅跡はいずれもバスターミナルになり瀟洒な建物が建っており、どこも内部には旧線の写真や模型、時刻表や運賃表などが展示してありました。廃止時の稚内・鬼志別間の運賃は1090円、現在のバスは1490円です。

 これだけの長距離になると、全線通しのバスは1日3往復だけで、他は区間運転ですが、例えば途中猿払村役場のある鬼志別では稚内方面に7本、廃止直前と同数です。稚内・音威子府間通しのバスは4時間10分前後、列車時代の急行「天北」は2時間40分、各停は3時間30分前後でした。

 他のローカルバス同様乗客は少なく、最多(網走の郊外まで)でも10人も乗っていたでしょうか。私1人ということも何度かありました。大半は地元の短区間利用で、札幌や旭川などに行くと思われる客はほとんどいなかったようです。長距離客は1日1往復の札幌への長距離バスを利用しているのかも知れません。

 なお鉄道時代、途中の小石・曲淵間の駅間距離17.7キロは当時の国鉄では最長といわれていましたが、バス転換後もこの区間途中バス停はなく、23分間無停車で570円、高速バスを除く通常の路線バスでは今でも全国一だと思います。もっとも自由乗降区間なので途中どこでも乗り降りできますが、少なくとも途中に人が住んでいるような気配はありませんでした。自由乗降区間というのは途中、例えば1キロしか乗らなくても570円取られるのかなと思ったりしましたが、意地悪になるので運転手にはそんな質問はしませんでした。

 いつも持参する道路地図の他に、今回は「日本鉄道旅行地図帳(今尾恵介氏監修)」を見ながら乗車しました。廃線の地図やデータが完備しており大変役に立ちました。
[65414] 2008年 6月 5日(木)19:11:56役チャン さん
吉野川と多摩川の橋
[65405] oki さん
[65401] にまん さん
ここまで調べていただけるとは想像していませんでした。ありがとうございました。
いかに人間の感覚というものがいい加減なものかもわかりました。

私は、吉野川沿いの町村役場に行くのに下流側からJR徳島線(よしの川ブルーライン)を数駅乗っては対岸へ橋で渡るということを繰り返していたのですが、ふと我が南武線と比べて、こっち(徳島線沿線)の方が橋が多いように思っただけのことです。両線の駅間距離なども考慮せずに、直感的に思っただけでした。

但し、にまんさんのご調査[65401]で、河口から50キロ程度以内であれば、鉄道橋と高速道路を除いた一般道路の橋だけとなると、多摩川(あきる野市平井川合流点まで)19、 吉野川(美馬市野村谷川合流点まで)17 と大差ないですね。だから私の感覚もそれほどズレていなかったかも知れない、と変な安心をしたりしています。

もうひとつ感覚的なことを言わせていただくと、多摩川の下流域は橋が少な過ぎるということです。私は車で渡ることが多く、橋そのものが渋滞しているということは最近では滅多にありませんが、回り道を余儀なくされ、もっとたくさん橋があってもいいのに、と思うことが多々あります。これは架橋は簡単だが前後の取付道路を作るのにその用地を確保しなければならないとか、そのために膨大な費用がかかるとか、さらに反対する人もいるからでしょう。「地方に手厚いかどうか」という以前に、都会ではコンセンサスがなかなか得られない、ということもあると思います。

さらに感覚が続きますが、吉野川の橋は多摩川のそれに比べいずれも長い(これも歩いた感覚ですが)ように思います。ひとつひとつの橋の長さを掛け、総延長を求め、キロ当たりの人口などを見てみるとさらに違った評価ができるかもしれません。
こんな計算結果も知りたいと思いますが、どなたもこれ以上、こんなつまらないことにつきあっていただく必要はありません。私が暇を見つけて計算してみます。

貴重な情報をありがとうございました。
[65375] 2008年 6月 3日(火)18:47:31役チャン さん
吉野川と多摩川に架かる橋について
[65372] 稲生 さん
大変興味深いことをまとめていただきありがとうございます。参考にさせていただきます。

ところで一昨年、四国の吉野川の両岸の市町村に行ったのですが、そのときに感じたのは随分橋が多いな、ということでした。私の家の近くの多摩川よりも多いのではないのか、しかも川幅も広いので橋長も長いものが。
ということから、例えば河口から100キロまでの間の橋について、吉野川と多摩川をどなたか調べた方はおいででしょうか? 100キロというと、吉野川では阿波池田のあたりか、多摩川だと小河地ダムあたりでしょうか。ついでに両側の自治体の人口などもわかると面白いのですが。
要するに、いかに地方の道路に手厚いか、ということのデータによる説明にもなるかも知れないと思ったからです。
[65158] 2008年 5月 17日(土)19:45:22役チャン さん
東経123度45分6.789秒
沖縄本島から宮古八重山地方への「公共交通による市町村役所・役場めぐり」を行い竹富町役場の写真を撮りました。石垣港のすぐ目の前、石垣市内です。私のゲームのルールではこれで1件カウント可ですが、やはり竹富町内に足を踏み入れようと思い、西表島に渡りました。そして地理に強い皆さんならご存じの東経123度45分6.789秒の子午線の通る場所に行って来ました。

そこにはそれを示すモニュメントのほか子午線ふれあい館という小さな建物がありましたが無人で、何枚かの写真や地図が壁に貼ってあるだけでした。記名帳があったので住所氏名を書き込んでおきましたが、2~3日おきに誰かが記入しており、北海道や青森からも来ているようでした。

ところでこの子午線、2002年4月の測量法改正で日本測地系から世界測地系に変わったことにより4~500メートル経線もずれているはずなのですが、それについての説明などが書かれたものは一切ありませんでした。今はこの場所も正確には違っているのですが、まあそんな細かいことには目をつぶって、地理を楽しんで来ました。

島内には西表島交通による路線バスがあり、全線が自由乗降区間なので運転手に言えばその前で降ろしてくれます。また船会社も無料の島内送迎バスを運転しているのでそれでも行けます。なお西表島交通には都バスと神奈中バスの中古車が、塗装も変えずに走っていました。
[64913] 2008年 4月 29日(火)09:30:57【1】役チャン さん
北条は加西市
[64911] k-ace さん
拙稿に有益な補足をいただきありがとうございました。

そうそう、北条は「加西市」であって、けっして「西脇市」ではありません。
おはずかしい限りです。そのあと西脇にも行っているのでウッカリ間違えてしまいました。笑いごとでは済まないと自責の念にかられています。
なおこの時はさらに旧社町、滝野町にも行きました。このあたりは2006.3に合併し加東になっています。旧加東郡によるものかも知れませんが、加古川をはさんで東西に加東市と加西市、わかり易いですね。
[64910] 2008年 4月 28日(月)20:16:53【1】役チャン さん
「北条」営業所と北条鉄道
[64501]k-aceさん
[64907]千本桜さん  
北条営業所が移転しました。
移転する直前の3月末、ここから北隣りの旧八千代町に行くバスに乗りました。1時間近く待合室の中にいましたが、雨風がしのげて、冬は暖房があるようなバス停は助かります。営業所移転のポスターが貼られていましたが、この待合室もなくなってしまうのかどうかは書いてありませんでした。

姫路へ行くバスが1時間に2本あり、ここ加西市は姫路の文化・経済圏なのかも知れません。また市街地近くに中国自動車道のバス停があり、大阪への高速バスが1時間に2本、この他にこの営業所発の大阪行き高速バスも1日に数本ありました。

そのためかどうか粟生から乗って来た北条鉄道はガラガラで、この鉄道の先行きにも厳しいものがありそうです。なお北条町駅は「北条」営業所から800mくらい離れたところにありますが、最近建てかえたばかりと思われる新しい駅舎があり、駅前には「アスティアかさい」というシッピング・センターや多目的ホール、図書館などの入ったこれも新しいスマートなビルが建っていました。

加古川線の途中駅、厄神ではこの3月末で廃止となる三木鉄道のホームがカメラを持った人で一杯で、ガードマンも出て警備にあたっていました。こんな鉄廃ビジネス、鉄廃特需が北条鉄道にも来なければ良いと思いますが。

西脇市→加西市 訂正しました。
[63985] 2008年 3月 11日(火)10:32:45役チャン さん
合併で町役場が区役所に(南相馬市)
福島県の原町市、小高町、鹿島町は2006年1月に合併し南相馬市となりました。旧市町域はそれぞれ区という呼称になり、そのために支所となった小高、鹿島の旧町役場は区役所となっていました。合併で支所となった旧役所・役場を随分見てきましたが、区役所というのは初めてでした。
また小高区役所の庁舎は木造モルタル2階建、「三丁目の夕日」の時代を思わせるようなもので、入口に掲げられていた「南相馬市小高区役所」と書かれた大きな木製の看板が大変良くマッチしていました。
この南相馬市、いわき市と仙台市のほぼ中間(両市まで75km)に位置し、人口は74千人。早朝の鹿島駅の下りホームには通勤通学客の姿も多く、中には仙台まで通っている人もいたのかも知れません。
[63602] 2008年 1月 28日(月)19:11:16役チャン さん
讃岐平野の秘境駅
[63598] 伊豆之国 さん

時刻表をよく見ると通過するのは加速の遅い「SLなどの機関車が長い編成の客車を引っ張る列車」が多かった

私の推測ですが、地元の要望から無人駅を新たに設置した。そのときに既存の列車の所要時間を落としたくないとか、集札業務は車掌が行うから短編成の列車のみ停める、というようなことで新設のディーゼル列車(数本)だけを停めるようにしたのでしょう。その後、鉄道会社というのはどこでもそうですが、いったん通過と決めた駅にはなるべく停車させたくないという意識が強く、強い要望や圧力のない限りなかなか停めようとしなかった、というあたりが真相ではないでしょうか。逆に快速列車の新設など、既存駅を新たに通過駅にするときの地元説得など鉄道会社の苦労は大変なものです。

その後無人駅の一般化、高加減速の電車や気道車の出現によって今ではこれらの駅にもかなり停まるようになりました。地方都市の郊外の発展もあったのでしょう。
先日朝の通勤時間帯に端岡と国分駅を利用しましたが、かなりの利用客がありました。付近は新興住宅が立ち並び、並行する国道11号線は量販店や外食店などのロードサイド店の並ぶ、日本中の郊外のどことも違わない「ファスト風土」な光景でした。(洋泉社MOOK 「地方を殺すな! ファスト風土化から“まち”を守れ!」)

なお手許にある1961年の時刻表には同じような駅が随分ありました。関西本線の加美や久宝寺、磐越西線の会津若松・喜多方間などに停まる列車も当時は日に2~3本でした。
[63560] 2008年 1月 24日(木)22:50:23役チャン さん
「香川の乗り物ナビ」と自治体バス
香川県交通政策課が出している「香川の乗り物ナビ」という冊子は実に良くできています。
A4版128ページもあり県内のすべての公共交通機関の時刻と料金がわかり易い路線図とともに載っています。自治体のコミュニティバスも含め、これ一冊ですべてがわかりますし、53か所にも及ぶパーク&ライド用駐車場の案内図や料金、連絡先やレンタサイクルに関する情報も載っていて、公共交通利用を促進させようという行政の意気込みのようなものが感じられました。

これを作る手間は大変なことだったと思いますが、一冊で全県を網羅したということは香川県の規模だからできたのかも知れません。他の県とは言わず、地域単位でも良いからこれを参考にしてもらいたいものです。尤も冊子となると更新タイミングが問題となり、2007年2月現在のものでしたので、一部私がインターネットで調べた最新のものと違っていたのは仕方ないでしょう。
HPでも検索できます。香川の乗り物ナビ

このナビのお陰で、私は旧飯山町役場(現丸亀市飯山市民総合センター)から旧綾歌町役場(現丸亀市綾歌市民総合センター)庁舎までの約5キロを歩くつもりでいたのが、その間を結ぶバスがあることを知り、それに乗ることができました。
それは琴参バス・丸亀コミュニティバス岡田宇多津線というもので、小型のバスでしたがわずか12分で行くことができました。料金は1乗車200円、通常の路線バスとは違い自治体バスに近いようですが、これとは別に丸亀市コミュニティバスというものもあり、同じようなコースを走っていました。こちらも1乗車200円で、どちらも緑ナンバーでした。違いがわかりませんが、市とバス会社との契約形態の違いなど行政と事業者にとっては大きな違いがあるのかも知れません。

また「乗り物ナビ」の冊子上にも前者は路線バスの、後者はコミュニティバスの章に記載されていました。利用者からすれば、どちらであろうと利用したい区間と時間と料金がわかればいいので、例えば地域別に章建てするなど、わかり易い記載方法に今後改めてくれればさらに良くなると思います。
 
なお「乗り物ナビ」そのものの話ではありませんが、琴電陶駅から乗った綾川町営バスにも感心しました。小さな10人乗り程度のワゴンタイプのものが1時間毎に、等時刻に運行しており料金も1乗車100円、往復とも数人の乗客があり若い女性もいました。
私は以前から、自家用車に対して競争力のある公共交通というのは、最低でも1時間に1本程度の頻度が必要であり、そうでないところではタクシー利用に自治体が補助金を出すような方法で対応した方が中途半端なバスを走らせるよりもずっと経済的であると考えていましたが、このバスは正にその考えを証明してくれたようで嬉しく思いました。
[63550] 2008年 1月 23日(水)19:33:05役チャン さん
「小豆島」が「土渕海峡」の両側にある謎
[63537] hmt さん
誠に懇切丁寧なご解説ありがとうございました。大変良く理解できました。
要するに小豆島というのは両方を合わせて言うものだと解釈し、私の島歴も1とすることにします。
土庄の役場の前から「土渕海峡」を眺めて、「あれ、それじゃあ今自分が立っているのは何ていう島なのか?」と素朴な疑問が生じたのが発端でした。
あまり難しく考えずに、素直に「世界一狭い海峡横断証明書」を自慢してよいのではないでしょうか。
仰る通りです。自慢する以前に、なにしろ行った先の役場でもらった初の公文書であり、そこへ行ったことのこれ以上の証憑はないと有頂天になっているところです。
行った先で感じたこと、ほんのちょつとした疑問が、この落書帳ですぐに解決できる。全くありがたく思っています。
[63515] 2008年 1月 20日(日)22:34:09役チャン さん
小豆島には海峡があるのでしょうか?
公共交通による市町村役所・役場めぐりで小豆島の3町(合併前)に行って来ました。

土庄町役場のすぐ目の前にはギネスブックでも世界一狭いと認定されているという土渕海峡(最狭幅9.93m)があります。そこの橋を渡ると、「世界一狭い海峡横断証明書」というものを町役場でもらえます。役場の観光課で名前を書き100円払って町長印のある証明書をもらって来ました。役場めぐり2406番目にしてはじめて受けた行政サービスでした。

ところで海峡という以上小豆島はふたつの島からなっていると思うのですが、いろいろな地図やガイドの類を見てもそのあたりがはっきりしません。小さい方の島は前島というそうですが、小さいと言っても役場や中心商店街、さらに土庄港はこちらにあります。ところがその前島だけについての情報が見つかりません。

ひょっとして両方の島を一緒にして小豆島と言っているのではないのか、国土地理院による面積153.30平方Kmも両方を合わせたものではないのか疑問になってきました。また皆さんの島歴などを見ても区別はしていないようで、土庄港から上陸したのであれば、間違いなく二つの島に行っているはずです。

もしも両島を一緒にして小豆島としているのだとしたら、ここは海峡と言えるのだろうかとも思ってしまいます。貰った証明書にケチをつけるつもりはないのですが、正確なところを知りたいものです。
[62949] 2007年 12月 27日(木)10:58:02役チャン さん
SUNQパス北部九州版の購入価格について
[62826]かぱぷう さん
[62827]かすみ さん
[62839]みかちゅう さん
SUNQパス運営委員会より私からの質問に対し以下のような回答が来ました。
明快な説明で正しく理解できたと思います。要するに九州内では、どんなに証憑類をもっていても6000円では購入できないということがわかりました。特にリンクの内容がわかりやすくなっています。ご参考まで。

----------------------------------------------------
From: SUNQパス運営委員会 [mailto:info@sunqpass.jp]
Subject: 返信:北部九州版の購入価格について
お問い合わせありがとうございます。こちらはSUNQパス運営委員会です。
SUNQパス北部九州版は購入場所により発売価格が異なります。九州では8000円でのみの発売となっています。
http://www.sunqpass.jp/use/index2.html
旅行代理店では、各旅行代理店で独自にセット発売とされている場合があるため、SUNQパスのみをお買い求めの場合、関東では、京王新宿バスターミナルでの発売となります。
また、手数料がかかりますが、インターネット販売も行っていますのでどうぞご利用ください。
今回の件につきまして不快感をお与えしてしまい誠に申し訳ございませんでした。
[62830] 2007年 12月 13日(木)18:59:46役チャン さん
(続)SUNQパスの疑問
[62826] かぱぷう さん
いずれにせよ、「定価」での購入ができなかったことにご同情申し上げます。
ありがとうございます。

[62827] かすみ さん
今回の件は「お問い合わせ」で一報を入れられてはどうでしょうか。
仰る通りそうすることにしました。どんな回答が来るか楽しみですが、また報告します。

また今回一番心配だったのは杷木~小石原のバス路線でもスムーズに使えるかでしたが運転手さんは心得ておられました。でもあの小さいマイクロバスにはステッカーが付いていなかったような。どこにあったのかな?
私も今回そのバスの大行司・小石原庁舎前間を乗りました。但し私の場合は4日目だったのでSUNQパスは使えず料金を支払いましたが、ステッカーは側面にあったような気がします。

ステッカーがなかったのは、大分空港・湯布院間の亀の井バスで、この路線は途中ノンストップで料金箱もなく、限りなく貸切バスに近い路線バスでした。一応運転手にSUNQパスで乗れるかと聞くと、下車時にそのパスを回収したいなどと変なことを言ってましたが、運転手が地上係員と何やら話をしてOKとなりました。このあたりも現場での混乱があるようです。
[62812] 2007年 12月 12日(水)09:13:50役チャン さん
SUNQパスの疑問
[62601] かすみ さん
SUNQパスを有効活用できたのか検証をしたので報告します。(中略)SUNQパス適用区間…計:\14,400。よって\4,400のお得でした。でもあまり人には勧められません。わたしのようにバスに乗るのが好きな方ならば別ですが。

私も大分県内の市町村役所・役場めぐりにSUNQバスの「北部九州」版を利用しました。3日間に国東半島、院内、安心院、湯布院、玖珠など19の市町村役所・役場(いずれも平成の合併以前のもの)を回り、14千円分くらい乗りましたので大いにメリットがありました。

しかし以下の点で疑問が残ったままです。
まず「北部九州」は出発地によって価格が違い、兵庫以東の本州からの出発であれば6千円で買える、とあったのに、関東に住む私が実際には8千円でしか買えなかったことです。
WEBの案内に従い、事前に近くの旅行社で買おうとしたら、航空券か宿泊の手配と共でないと売らないと言われました。それならば現地で買おうと、大分空港に着いてからバス案内所で搭乗券の半券を見せると、本州で買った引換券がなければダメとキッパリと言われました。

相手のあまりにも自信に満ちた対応と、まあいずれにしてもそれ以上は乗るのだから、とここでは争わないことにしましたが、「北部九州(6,000円)を購入の際、九州までの交通機関のチケット(夜行高速バス・JR・航空・フェリー等)の提示が必要です」とWEBには明記されていたので釈然としません。またいつか使うこともあり、どこかに問い合わせようかとも思っていますが、正解をご存じの方があればお教え下さい。

また全部で15回くらい乗車しましたが、うち少なくとも3回は運転手がこの切符のことを知らず,こちらが解説してあげ納得させるという状態でした。SUNQパスのステッカーが車体に貼ってある、にもかかわらずです。

鹿児島中央駅のバス乗り場にはSUNQパス利用者5万枚突破の横断幕が出ていました。
このパスの利用は高速バスが多く、私が乗るようなローカル路線でこれを使うような客はいままでいなかった、ということでしょうか。

杵築市については拙稿[62804] 「自治体バスの実情 杵築市循環バス」をご参照ください。
[62804] 2007年 12月 11日(火)20:46:56役チャン さん
自治体バスの実情 杵築市循環バス
[61972] suikotei さん
平日のみ運行の杵築市循環バスで宜しければ、杵築市のホームページ→部署名から検索→企画財政課に10月1日改正の時刻表が掲載されております。

おかげさまで、このバスを利用し2005年に合併してひとつの杵築市になった旧杵築市、旧山香町、旧大田村の庁舎に行って来ました。と言いたいところでしたが思わぬハプニングがあり、はからずも自治体バスの実情のようなものを垣間見てしまいました。
ご興味のある方はお読みください。

大分空港から旧安岐町役場(国東市)に行った後杵築市役所に行き、そこからは以下のような予定にしていました。
杵築市役所前12:27→12:37JR杵築駅国東観光バス(大分交通グループ)
JR杵築駅13:21→13:28中山香日豊本線634M
山香庁舎14:38→14:53大田庁舎杵築市循環バス
大田支所前16:34→17:00大分空港大交北部バス(快速空港リムジンバス)

山香庁舎までは順調に行ったのですが、そこで循環バスを待てどもなかなか来ません。20分くらい経ってから市の職員に尋ねると、いろいろなところに電話をしてくれて、どうやら運転手が客がいないと勘違いして、庁舎まで入らず通過して行ったらしいとのことでした。支所の門から庁舎のバス乗場までは離れていて見通しは悪いです。職員氏は大変恐縮し、私を丁重にワゴン車で大田庁舎まで送り届けてくれました。せめてバス代の100円を払おうと思いましたが、とてもそんなことは言いだせない雰囲気でした。
 
10年前に貫通した2つの長いトンネルを抜け、10分少々で大田庁舎に着いてしまいましたが、職員氏の話によれば、この2つの町と村は合併前からほとんど交流がなく、循環バスもこの区間は利用客はほとんどない、もともと山香は杵築の、大田は豊後高田の文化・経済圏だったとのことです。
 
大田に着いてからは、外は寒く、周囲にも身を寄せるようなところがなかったので、庁舎の立派なロビーのソファーで次のバスを待つことにしました。すると循環バスの運転手が他の運転手と「山香で客が待っていたのに通過したと言って役場から怒られた」という話をしています。こちらも退屈だったので「その客が私です」と言って話に割って入りました。

運転手に言わせると、途中の病院で遅れが出たうえに、山香のバス乗場に人影が見えなかったので、庁舎まで入らずに通過したとのこと。路線バスに乗ることにかけてはエキスパートを自認している(乗鉄ならぬ乗バスの)私が、その時間にいない訳がないと言いたかったがここはグッと我慢。それよりもおかげで自治体バスの実情などをさりげなく聞くことができました。
 
地元のタクシー会社に運行を委託しており、平日のみ2台のバスを2人の運転手で運行しているが、タクシー会社の運転手8人でまわしているとのことでした。そのほかいろいろな話をしましたが、人口がどんどん減って景気が悪い、暗い話ばかりでした。役場はいったん予算を確保すれば利用客がいようといまいと運行は業者にまかせきり、業者もいるかいないかの客を相手ではモチベーションも上がるわけがない。だからバス停通過など日常的にあるのかも知れない。全国に自治体バスは多いものの、実情は似たようなものかも知れません。タクシー会社に外注するくらいならば、いっそのことタクシー利用者に補助を出した方が安上がりなのでは、とまで考えてしまいました。
 
そんななかで、自分の仕事もあっただろうに、一介のどうでもいい旅行者のために最後まで奔走してくれた若い役場職員氏の親切が大変印象に残りました。
[62714] 2007年 11月 29日(木)15:32:50役チャン さん
経県値更新しました。
[62710] スピカ さん
メンバー紹介の「→ メンバー紹介編集画面」をクリックして、暗証コードを入れれば編集画面に進めますよ。
ありがとうございました。愛知県を宿泊から居住に修正し192点になりました。居住4、宿泊43で他県に引っ越しでもしない限りこれ以上の得点は無理です。多分これがわが生涯の最高得点だと思います。
[62708] 2007年 11月 29日(木)09:20:18役チャン さん
経県値の修正
個人的なことで恐縮ですが、幼稚園時代に名古屋に住んでいたことを思い出し、経県値の修正を行いたいと思っています。修正(更新)方法についてどこかに記載されているでしょうか。それが見つけられず新規登録をすべきかどうか迷っています。

BIGLOBEの方には別名で登録してみましたが(別名では)まずいですか?

もうこれから引っ越しするようなことはないと思いますので、私の経県値更新はこれが最後だと思いますが。
[62492] 2007年 11月 12日(月)12:03:37役チャン さん
歩いて渡れる長い橋(周防大島)
[62043]みかちゅう さん
歩いて渡れる長い橋ならば、しまなみ海道の来島海峡第三大橋(愛媛県今治市・1570m)でいいのかな。自転車で渡ったことがありますが、橋なのでなかなかの眺めですよ。
また自慢になってしまい恐縮ですが、先週山口県の周防大島と大畠との間に架かる大島大橋(1020m)を歩いて渡りました。
大島大橋  歩道が狭く、自転車に乗った高校生が多く歩きにくかったのですが、天気が良く絶景でした。

なお今は1島が周防大島町となりましたが平成の合併以前の4町の旧町役場へは路線バスを乗り継いで行きました。橋のたもとの東瀬戸を起点に5時間29分で一周しました。
11/08 (木)            
東瀬戸  9:26 → 9:36大島町庁舎前防長バス2350大島町(周防大島町)
大島町庁舎前10:10 → 10:20東瀬戸防長バス
東瀬戸10:28 → 10:48大島総合庁舎前 防長バス2351久賀町(周防大島町)
久賀11:45 → 12:07森野小学校前防長バス2352東和町(周防大島町)
周防長崎13:40 → 13:47土居口防長バス
土居口13:52 → 13:59橘庁舎前防長バス2353橘町(周防大島町)
橘庁舎前14:06 → 14:55東瀬戸防長バス

もっと早く回れる方法があるかも知れません。どなたか挑戦してみてはいかがですか。周防大島内路線バス時刻表
[62178] 2007年 10月 22日(月)14:57:55役チャン さん
歩いて行ける空港
続いて空港編です。
[62056] N-H さん
歩いて空港に行って飛行機に乗る、あるいは逆に飛行機から降りて歩いて空港をでてどこかに行く、そんな経験がおありでしょうか?

空港から歩いて行った市町村役場です。
2005.01.17 高知空港・吉川村役場・赤岡町役場・香我美町役場・野市町役場[56968]
2007.05.17 喜界島空港・喜界町役場 [58876]
なおこの拙稿のなかで、奄美大島・喜界島間がわが国航空路線の最短区間だと述べたのは私の間違いで、N-H さんより南北大東島間である旨訂正いただき[58887]ありがとうございました。

この他離島には空港から歩いて行ける空港がいくつかありますが、私は離島は原則として船で行くことにしていますので経験したのは上記のみです。
[62177] 2007年 10月 22日(月)12:33:29役チャン さん
歩いて渡れる長い橋
[62043] みかちゅう さん
[62176] 拙稿

続いて記憶に残る長大橋の体験です。
92.12.27 静岡県県道大平橋(大井川) 約1100m (大井川町・吉田町間徒歩)
94.06.17愛知県・岐阜県県道東海大橋(木曽川・長良川) 約1250m (八開村役場・海津町役場間徒歩)
06.01.31 徳島県阿波麻植大橋(吉野川)約1100m (市場町・川島町間徒歩]
このときは3日間で吉野川の6つの橋を歩いて渡っています。

殆どの橋は歩車道の区別があり、こちらは健康にも良いので記録を競うことは良いかも知れません。
なお上記の東海大橋は歩道がなく、トラックの通行がひっきりなしで、車が私を避けるように徐行したりしたので、時ならぬ交通渋滞を作ってしまいました。これも反省しています。
[62176] 2007年 10月 22日(月)11:54:14役チャン さん
歩いて通れる長いトンネル
[62043] みかちゅう さん
日本にたくさんあるトンネルでいちばん長い「歩行者の通行が可能なトンネル」はいったいどこなのか。
歩行者が通行して良いのかどうかは別にして、長いトンネル内を歩いたことは何度かあります。
私の「公共交通による市町村役所・役場めぐり」のルールでは、路線バス等の公共交通は利用可能だがダイヤの関係で歩いた方が早いときは歩いても良いとしていますので、実際は役場間などかなり歩いているからです。国道のトンネルなどでは、旧道が歩行者専用となっていて楽しく歩けるところなどかなりありました。

長いトンネルで辛かった記憶としては以下のようなものがあります。
95.05.03岐阜県国道303号線椿井野トンネル約580m(藤橋村役場・久瀬村役場間徒歩)
95.05.03岐阜県国道303号線樫原トンネル約565m同上
05.04.05岐阜県国道256号線新塞の神トンネル約680m(付知町役場・加子母村役場間徒歩)
05.12.20大分県県道501号線浦代トンネル約680m(桟敷バス停・米水津村役場間徒歩)

このうち上記3つの国道トンネルは歩車道の区別があり身の危険は感じませんでしたが、浦代トンネルは狭くトラックなども走り、随分無謀なことをしたものだと反省しています。自分はともかく、ドライバーに余計な心配や迷惑をかけたはずです。下手をすると警察に通報されていたかも知れません。

なおトンネルの中は空気が悪く、雷の落ちる音を聞いているような大騒音です。ちなみに窓を開けて車で走ってみてください。だから私はいつもマスクをして駆け足で通り抜けました。

これは決してお勧めすることではありません。間違ってもこんなことを競うようなことは絶対にしないようにしましょう。私も今後は行わないつもりです。
[61990] 2007年 10月 16日(火)08:51:20役チャン さん
杵築市循環バス
[61972] suikotei さん
 
見つけられました。これで行くことができます。ありがとうございました。
12月頃行く予定で、「公共交通機関による全国市町村役場・役所めぐり」の2400番目(平成の合併前基準)くらいになると思います。

それにしても最近は自治体バスのダイヤなどは自治体HPで簡単に見つかるのですが、これではなかなかむずかしいですね。
[61970] 2007年 10月 15日(月)21:07:12役チャン さん
大分県(旧)大田村への路線バス
大分県の国東半島中部にある旧大田村(合併後は杵築市の一部)への路線バスの時刻表をインターネットで探しているのですが、なかなか見つけられません。どなたか情報をお持ちですか? 
どうしても見つけられないときは市役所に電話しようと思いますが。
[60985] 2007年 9月 2日(日)11:05:25役チャン さん
能登空港 搭乗率保証制度と乗合タクシー 
 1ヶ月ほど前のことですが、はじめて能登空港を利用しました。東京からのANA747便でエアバス320、座席数166のうち90%くらいは埋まっていました。この路線は地元と全日空で「搭乗率保証制度」というものを導入しています。予め年間平均搭乗率を決め、それを下回った場合は石川県及び地元自治体が全日空に対し損失を補填し、逆に上回った場合は全日空からインセンティブが支払われます。目標搭乗率は機体の変更などに伴いその都度変動し、今は62%だそうですがその日の搭乗具合だと確実に上回っていました。双方の金額に上限を定めるなどいくつか条件はあるようですが、当事者双方のリスクを最小化しながらWIN/WINを目指そうとするデリバティブのようなもので考え方としては合理的だと思います。航空に限らず地方の路線バスなど公共交通で取り入れて良い方式だと思いました。

 生憎雲が多く羽田離陸後どこを飛んでいるのかわからなくなりましたが、途中僅かに雲間から見えた都市は新幹線と大きな川があったので長野市だったようです。私は日本中の地図がある程度頭のなかにあるので、飛行機から時々見える下界がどの辺りなのかわかる事が多いのですが、そのときの最大のヒントになるのは新幹線です。今回は長野新幹線がなければわからなかったかも知れません。高度が下がると海面が見え間もなく海岸となり、軍艦島とも呼ばれ能登の名所になっている見附島がはっきりと見えたので、恋路海岸上空から半島上空に入ったことがわかりました。ほとんど自然林が続く中を降下し能登空港に着陸、人里離れた林の中の空港で、周囲には空港関連の建物しか見当たりませんでした。
 
 ターミナルビルはローカル空港にしては珍しい4階建ての大きなもので、道の駅にもなっていて一般ドライバーへの観光案内や休憩のための施設もあり、更には奥能登行政センターというものも入っていました。パスポート申請交付などを行う行政サービス窓口がある他、建設や農業関連、教育関連の事務所、研修室や会議室などがあり、建物の3階から上がすべてそれに使われていました。
 
 この空港は東京と結ぶ便が1日2往復あるだけなのでそれに接続した路線バスはなく、その代わりに「ふるさとタクシー」という乗合タクシーがあります。5つの方面に向かう9人乗りのワゴン車が1列に並んで待っていましたが、和倉方面だけは利用者が多く小型バスでした。原則として予約制で、前日に電話で珠洲市方面に行きたいと言うと珠洲市のどこへ聞かれたので市役所にしてもらいました。結局客は私1人、普通のタクシーだと1万円はするそうで、所定料金の1000円だけ払えば良いので私は助かったのですが運行している地元タクシー会社は大赤字のはずです。

 運転手の話だと赤字は石川県が補填しているそうです。予約客がいなくても飛行機の到着時間に合わせ空港で待機しており満員でさえなければ利用でき、乗降地は各地域の代表的な施設の前などいくつか決まっているので限りなく路線バスに近いと思いました。また予約客が多いときは中型バスに切り替えるなど弾力的な運用をしているそうです。私はこの「タクシー」という名称から公共交通機関として見なしていいかどうか迷いましたが、以上の事実を知ったことと、代替の手段がないことから良しとしました。利用者にとっては大変便利な交通機関なので、他のローカル空港や離島の港などでも参考にしてほしいと思いました。

 なお金沢からの特急バスや穴水・輪島間の路線バスのうち何本か空港を経由するものがありますが、いずれも飛行機の発着時間とは無関係で、主として行政センターへの客が利用しているようです。普通のタクシーも1~2台停まっていましたが、飛行機が到着しても利用者が1人いるかいないかという程度だそうです。いろいろな事情からタクシーでなければまずい、という人ぐらいしか利用しないのでは、というのが運転手の話でした。搭乗率デリバティブやこの乗合タクシー、公共交通のこれからを示唆させてくれる能登空港の取り組だと思いました。

 以上、「公共交通による全国市町村役所・役場めぐり」からの報告です。今回は能登から富山県の南砺市方面に行き、合併前基準で累計2328としました。
[59558] 2007年 7月 1日(日)11:23:26【1】役チャン さん
役場のその後
[59533]矢作川太郎 さん
興味深いご報告ありがとうございます。
[59544]右左府 さん
峰浜庁舎の火災についてフォローいただいきありがとうございます。

合併後本庁ではなくなった旧役所・役場については、私も多分2~300くらいは行っていると思いますが、峰浜以外はいずれも庁舎が残っていました。もちろん呼称はまちまちだし、多分残った機能もいろいろなレベルがあるのでしょう。
私が「合併しても、本庁とならなかった庁舎は必ず残るものと思っていましたが」と述べたのはそんな経験からで深い意味はありません。
合併後に老朽化した旧庁舎から新設した支所庁舎へ移転した例も見られますので、旧役所・役場巡りなのか、支所巡りなのか判然としない事もありますので詳しい調査が必要になりますね。
仰る通りですが、私の場合は私がチャレンジしようと決意した平成4年時点での市町村の庁舎すべてに行くということなので、その意味では今はそこが何であっても構いません。どちらかと言えばそこに行くための公共交通の実態がどうなっているのか知りたい方がメインです。
とは言え建物の影も形もなくなって、全く別のものが建っていたり区画整理されていたりすると現地で当惑することが今後はあるかも知れません。

残が958となり、まあ5年くらいはかかるだろうと思っています。しかし鉄道や郵便局などのように廃止されると対象そのものがなくなってしまうのとは違うはずだとゆったり構えていたのですが、そうも言っていられないかも知れないなどと思っている次第です。
[59531] 2007年 6月 30日(土)18:53:10役チャン さん
消えた役場
役場があるはずの場所に行って見たら何もなかった。

秋田県の八峰町へ行ったときのことです。八峰町とは八森町と峰浜村とが2006年3月に合併してできた町ですが(語呂合わせのような町名ですね)、旧峰浜村役場に行こうと能代バスセンターから秋北バスに乗り峰浜庁舎前というバス停で下車しました。しかしそんな建物はありません。すぐ近くにきれいに整地したかなり広い土地があり、門柱だけが残っていたのですが表札は上から白ペンキでも塗ったか、わざわざ消してあります。そしてその横に秋田銀行のATMが設置してある小屋と郵便ポストだけがありました。

近くにいた人に聞くと、ここに役場があったが昨年火事で焼失し、その機能はあちこちに分散させているので代替事務所のようなものはない、また2年後に新町が新庁舎を建てるのでそのときには完全統合するとのことでした。

合併しても、本庁とならなかった庁舎は必ず残るものと思っていましたが、公共交通による市町村役所・役場めぐり2296件目にしてはじめて完全に消えてなくなった庁舎というものに出会いました。仕方がないのでバス停と土地の写真だけを撮って正式カウントとしました。

合併の趣旨から言って庁舎だって積極的に統廃合して良いと思っていますが、火事でもない限り統廃合は進まないものなのでしょうか。
[59285] 2007年 6月 20日(水)08:53:14役チャン さん
現代に生きてる国名 (葛飾)
[59271] hmt さん
ところで、江戸川よりも東の地域では、“(ここもまた別の)本家葛飾”であるという感覚は、現在も生きているのでしょうか?

船橋市にある京成電鉄の西船駅は1987年までは葛飾駅と称していました。1916年(大正5年)開業時の地名は東葛飾郡葛飾村だったそうですが、今の住所表記は「西船」です。京成電車で柴又へ行こうとする客が良く間違えるからというのも改名の理由のひとつだったと聞いたことがあります。
寅さんが、葛飾=柴又とし、逆に葛飾という地域を狭くしたと言えるのかも知れませんね。
[58964] 2007年 6月 10日(日)11:56:51役チャン さん
徳之島の路線バス
トカラ列島[58582]、喜界島[58876]、奄美大島[58906]と続けたので徳之島で締めくらせて下さい。
ご興味がありましたらお読み下さい。

徳之島へ行く方法は以下があります。
(1)飛行機:鹿児島から毎日2便 (M81:163人乗) 
(2)飛行機:奄美大島から毎日2便(サーブ340B:36人乗)
(3)フェリー亀徳港: 鹿児島→名瀬→亀徳→和泊(沖永良部)→与論→本部→那覇 毎日1便
(4)フェリー平土野港:鹿児島→喜界→名瀬→古仁屋→平土野→知名(沖永良部)2~3日に1便、うち三分の一は平土野止まり

私は奄美大島の古仁屋から(4)で徳之島入りをし(1)で鹿児島に戻りました。
(4)は2800トンの「フェリーきかい」で360人の総定員に対し乗客はたったの5人と軽トラック1台だけでした。帰りの(1)はほぼ満席でした。なおたまたま鹿児島からの(3)到着時に亀徳港で見ていたら100人くらいの下船と30人くらいの乗船がありました。

平土野の港では1台だけ待っていたタクシーが誰も乗らないので役場の方に向かって歩いていた私を追いかけてきて、島の中心亀津までバス料金で行くから乗ってくれと言ってきました。こちらは公共交通を乗りにわざわざ遠くまで来たのに料金が安いからと言ってタクシーに乗るわけには行かず、と言って説明してもわかってもらえそうにないので、すぐ近くに用があるので歩いているのだと言って断わりました。

徳之島の路線バスは徳之島総合陸運(株)が運行しています。この会社は他にも観光バスやタクシー、航空代理店、燃料スタンドなどを経営しており、私が泊まったホテル、グランド・オーシャン・リゾートもこの会社のものでした。路線バスは8系統あるのですが、今年(2007年)4月1日より亀津~空港線 亀津~犬田布線以外の6系統が地方公共交通特別対策事業(県単独補助事業)による廃止路線代替バスへと移行しています。南海日日新聞2007.4.2記事 またこの時にダイヤ変更をしており、私はそのことを知らず変更前のもので計画していたので少々戸惑いました。

徳之島には天城、伊仙、徳之島の3町があり、当初予定はこの順番に、すなわち反時計まわりにバスを乗り継ぐものでしたが、天城・伊仙間が減便になり、徳之島町の亀津に出てから伊仙まで往復するという、バス料金が余計にかかるものとなってしまいました。
廃止路線代替バスは一瞬見ただけですが、同じような車体で代替バスという表記がなされていたくらいだったと思います。経営体は変わったものの車両や運転手を含めて徳之島総合陸運(株)に一括アウトソーシングしているのではないでしょうか。
バスの時刻表はここから見ることができます。

乗車経路は以下の通りです。
5/18 (金)    
古仁屋 10:50 → 13:07平土野フェリーきかい2256天城町
平土野 14:07 → 14:54亀津徳之島総合陸運バス
亀津15:00 → 15:31伊仙町役場徳之島総合陸運バス2257伊仙町
永野商店前17:10 → 17:35亀津徳之島総合陸運バス2258徳之島町
5/19 (土)    
亀津(ホテル前)10:45 → 11:35徳之島空港徳之島総合陸運バス
徳之島空港12:28 → 13:25鹿児島空港JAL3794
鹿児島空港16:19 → 17:58羽田空港ANA628

以下徳之島の印象です。
平土野から亀津へのバスは空港発の小型バスで乗客は私1人でした。島の中央部を横断し東海岸の花徳というところに出てそこからサンゴ礁の続く海岸沿いに走り亀津に着きました。
想像していた以上に大きな島という印象で、中央部など広い高原状になっています。バスの運転手の話では、この島は奄美大島よりも耕地面積が広く、以前は米の二期作を行っていたが、政府の転換奨励で今は砂糖キビを作っている。雨も多く島の南部を除いては干ばつの恐れは少ないが、それでも現在奄美群島内では最大規模のダムを建設中で、今この島内にあるすべてのダムの貯水量を足したものよりもはるかに大きく、2011年度の完工予定に対し進捗率は50%だが、ここに来てこんな大きなダムがはたして必要かという議論が起きているそうです。亀津のバスターミナルは一方通行の狭い道に商店一軒分だけの今にも崩れ落ちそうな古い木造の待合室があるだけの建物でした。

なお平土野港入港直前に船上から正面の小高い丘の上にイスラム寺院のような金ピカに輝く大きな丸屋根と尖塔をもった新興宗教の総本山のような建物が見えました。山上の宮殿に向かうような石段も見え、これが天城町の町役場でした。
いろいろな珍しい形の庁舎を多く見てきましたが、今までで最も驚かされたものでした。上陸し近づけば近づくほどますます寺院のような、或いは宮殿のような感じのするものでした。70段くらいの石段を登るとアラビア風の鉄格子の門があり、そこを入ると噴水のある池を囲むようにドームを正面にコの字型にブルーの建物が囲んでいます。柱はすべて円柱でとにかく異国情緒が漂います。経費節減のためか池に水はなく、建物も空調を止めているので全ての窓や入口がオープンになっていました。これで合併して支所にでもなったら、それこそ空洞の多い柱だらけの建物が噴水を囲む、アルハンブラ宮殿のようになってしまうのではないかと思いました。
新聞を賑わす選挙のやり方など政治に熱心な島という印象だったので他の2町もこれと競うような奇抜なものかと半ば楽しみにしていたら、意外にもどちらも古いのままの、特徴のないものでした。バスの運転手は、合併はもうこれ以上国?県?に抵抗できず時間の問題だろうと言っていました。
[58906] 2007年 6月 8日(金)11:28:38役チャン さん
奄美大島の路線バス
奄美大島内の市町村役場めぐりを路線バスで行いました。何かのご参考になるかも知れませんので報告します。

奄美大島には平成の合併以前は7市町村がありましたが、そのうち名瀬市と笠利町、住用村が2006年3月に合併し奄美市になりました。間に龍郷町を挟んだ笠利町とは飛び地合併で話題になったところです。島の人口は82千人、面積712万㎡は佐渡より狭く対馬より広い、どちらも単独の市になったのだからここだって当然そのような話はあったのでしょうが、いずれにせよ私はこの7庁舎に行きました。

島には奄美交通と道の島交通という2つのバス会社があります。ほぼ全島に路線を張り巡らせている奄美交通は鹿児島交通の子会社で岩崎グループに属します。これに対し道の島交通は2005年1月までは岩崎バスと称していたのですが、鹿児島の岩崎グループとは全く関係がなく、改名した理由のなかには紛らわしいということもあったようです。南海日日新聞2005.1.15記事 奄美交通に比べるとかなり小規模で空港へも乗入れておらず、大半は奄美交通と同じ路線を補完するように走っていますが、宇検村だけはこの社のものでしか行けません。

それにしても両社とも経営が苦しいのか、とにかく走っているバスがかなり古いものばかりでした。いずれも本州や九州からの中古車でしょうが車体が所々錆たり腐食しているところに何度も塗装を施していて失礼ながら何とかの厚化粧といった感じです。ただしどのバスも乗って感じるのは足回り、すなわちエンジンの調子はそんなに悪くなさそうなことです。これはわが国の自動車工業の技術水準の高さなのかも知れず、日本の車はかなりの長期間、走行性能は落ちないものなのかも知れません。或いは道路が良いからかも知れませんが。逆に言えば、外見の劣化とかスタイルの陳腐化だけで車を買い変えているユーザーがまだまだ多いのかも知れません。

地図で見るとの奄美大島の形はなんとなくグレートブリテン島の北部、スコットランドに似ています。深く切り込まれたいくつかの湾がだんだん狭くなり、そして川となったところに集落が発達している。名瀬や龍郷がそうであり、宇検の集落も同様で、グラスゴーやインバネスなどに似ています。しかし地形は全く異なり、奄美は険しい山地の連続で、特に島を横断する山並がいくつもあり洗濯板のようです。鹿児島から沖縄まで続く国道58号線が北部の笠利からから南部の古仁屋まで73.3Km、本島内を縦貫していますがその間に長さが1キロ以上のトンネルが6つ、その内2つは2キロ以上です。また名瀬からはどこに行くにもまずトンネルです。

名瀬から他の6つの庁舎へ行くバスは、2社を合わせればほぼ1時間に1本は走っています。しかし宇検村だけは往復2.5本しかなくここが行程上のクリティカル・パスとなり、途中に喜界島への往復を含め足掛け3日をかけることになってしまいました。
宇検へは島の道交通本社前から乗車しましたが、ここで事前に切符を買うと5%引きでした。20人乗りくらいのマイクロバスは、高校生などでほぼ満席の客を乗せ国道58号線を南下、いくつかの長いトンネルを抜け島の東側に出て、旧住用村の役場、現在は奄美市の住用総合支所のある西仲間に到着しここでバスを乗換えました。 
同じ大きさのマイクロバスでしたがこちらはかなり旧式で、ここだけは他と違ってエンジンまでも劣化しているのか苦しそうな音を出しての走りでした。国道から島を横断する道路に入ると密林の中のカーブが続く道には集落など全くありません。30分近く走りようやく人家が見え出した頃からひとりふたりと客が降りて行きます。リクエストされてではなく、運転手がバス停でもないところで勝手に停めているので完全にルーチンワーク化されているようです。やがて焼内湾のリアス式海岸のような地形の最奥とでも言ったら良いのか、役場のある湯湾という所に着きました。宇検村の集落はこの焼内湾の沿岸に沿って点在しており、乗って来たバスはこのまま湾北岸方面に走り去りました。一方南岸の集落へはまた別のマイクロバスがここから出ており1人の高校生だけが乗り換えて行きました。

以下に島内での行程を記しましたので参考にしてください。

5/16 (水)    
宝島10:30 → 13:35名瀬港フェリーとしま2248名瀬市(奄美市)
入舟町15:09 → 15:51大和浜奄美交通バス2249大和村
大和浜16:24 → 17:05入舟町奄美交通バス
5/17 (木)     
入舟町7:43 → 8:19龍郷役場前奄美交通バス2250龍郷町
龍郷役場前8:40 → 9:05赤木名奄美交通バス2251笠利町(奄美市)
赤木名9:58 → 10:06万屋奄美交通バス
万屋10:07 → 10:25奄美空港徒歩1.6Km
奄美空港12:08 → 12:17喜界島空港JAC38332252喜界町
(12:11離陸)(着陸12:16)
喜界島空港12:20 → 12:35喜界町役場徒歩1.5Km
喜界島空港14:29 → 14:44奄美空港JAC3832
(14:33離陸)(着陸14:41)
奄美空港14:55 → 15:40朝日通奄美交通バス
道の島交通本社16:30 → 17:02西仲間道の島交通バス
西仲間17:04 → 17:46湯湾道の島交通バス2253宇検村
5/18 (金)    
湯湾6:53 → 7:21 新村 道の島交通バス
新村 7:22 → 7:34 西仲間 道の島交通バス 2254住用村(奄美市)
住用中学前 8:40 → 9:14 古仁屋小学校前 奄美交通バス 2255瀬戸内町
古仁屋 10:50 → 13:07 平土野(徳之島) フェリーきかい
[58891] 2007年 6月 7日(木)17:53:34役チャン さん
最短航空路は南北大東島
[58887] N-H さん
奄美空港~喜界島空港間はだいたい20kmちょっとくらいかと思いますが、残念ながら上には上があるのでした。それは、南大東空港~北大東空港間の路線です。正味10kmちょっとくらいではないでしょうか。
おっしゃる通りでした。昨年行ってきたのに船だったのですっかり忘れていました。この二つの島の滑走路はほぼ一直線上にあるので風向きによっては正味飛行時間は1~2分ということもあるかも知れませんね。

ご参考までに、私が船で行ったときの航路です。
那覇(泊港)17:00 →翌日7:40 北大東島 8:40 → 9:30 南大東島(西港) 14:00 →15:00北大東島(西港) 泊
北大東島(江崎港) 翌日14:20 →15:10 南大東島(亀池港)16:20 →翌日7:20那覇(泊港)
南大東島で下船し約4時間島内散策をした後北大東島に渡り民宿に泊まり翌日の便で戻りました。

飛行機は(曜日によって順序が変わりますが)南北両方の島にそれぞれ25分間だけ駐機し那覇に戻りますから、両方の島を見物をするには両島に泊まらなければならず最低でも2泊3日は必要です。
船の場合は合計4日必要ですが初日と最終日は沖縄本島で有効に使え、片道料金4620円は飛行機の通常料金の四分の一以下、これには2泊分の宿泊料も含まれているので日程面でも費用面でも船の方が断然有利です。

島での乗下船はコンタナ大のケージ(鳥かご)に入り、クレーンで吊り上げられて移動するものですが、ゆっくりと丁寧に行うのでスリルは感じられず、エレベーターに乗っているようなもので、船に乗降する方式の中では客にとって最も安全で楽な方法と言えるかも知れません。
   
ところが北大東島(江崎港)からの乗船だけは「はしけ」でした。埠頭の上に置かれたボートに乗せられライフ・ジャケットを着けさせられます。ボートはクレーンで吊るされ海面に下ろされ、それから本船に向います。船横の一箇所扉の開かれた部分に横付けされると、波で激しく上下するなか、ボートが最も上昇したタイミングでひとりづつ本船に飛び移ります。他人のを見ているとむずかしそうですが、中から船員が手を差し伸べてくれるので思ったよりは怖くはなかったです。しかし船だとこういう目に逢うこともあります。

それに船は699tの貨客船なのでかなり揺れます。
飛行機か船か、さあ、どちらを選びますか?
[58876] 2007年 6月 6日(水)19:23:27役チャン さん
最短航空路線? 奄美・喜界島
先日トカラ列島をめぐる船で奄美大島に行き、さらに喜界島に渡りました。ここへも船で行きたかったのですが鹿児島と奄美を結ぶフェリーが早朝夜間に寄航するほかは昼間の渡船というようなものがなく、効率よく動くために飛行機を利用しました。おそらく日本一飛行距離の短い路線ではないでしょうか。

喜界島は奄美大島の北東にある隆起珊瑚礁の上にある平坦な島で、周囲およそ50Km、面積60K㎡、東京23区で最も広い大田区と同じくらいです。奄美空港付近からが最も近いようで、海を隔てた約25キロ先には喜界島空港があり相互に肉眼で見ることができました。ふたつの空港の滑走路もほぼ並行しています。36人乗りのサーブ340Bというプロペラ機は7人の乗客を乗せ奄美の滑走路をほんの助走程度という感じで走るとすぐに浮上、2分後に「ただ今から着陸態勢に入ります」とアナウンスがあり3分後に着地、並行する滑走路間をU字型に飛んだだけで正味5分の飛行でした。

喜界島の空港ターミナルは木造平屋で、鉄道駅舎というよりは駅横にある日通の事務所のようでした。駅前広場のようなところから海岸に並行する線路ならぬ滑走路に並行するメイン・ストリートには椰の並木が続き、意外なことに喫茶店やレストランが何軒も並んでおりいずれも営業中でした。その道を1キロくらい進むと鹿児島銀行の支店や信金、生協などのある町の中心部に出て、そこから右折し坂を登った先の高台に町役場がありました。

昨年(2006年)2月に移転し業務を開始したという真新しい建物で、2階建てながらかなり大きなもので、300席のホールなどをもつコミュニティーセンターも併設されています。また建物横は広い公園になっていて、太平洋や奄美大島が一望できました。大きな建物ですが、変に意匠に凝るようなところがなく、デザインもシンプルで機能本位という印象を受けたのは、バブルがはじけた後のものだったからでしょうか。

抜けるような青空のせいもありましたが、この島が明るく活気のあるような印象を受けました。人口8600人というのは決して多いとは言えませんが、簡単に隣町などに行けないことから経済活動や文化活動はすべてを島内で完結させなければならず、そうだとすればこのくらいの人口規模でもある程度の賑わいというものが持続できるのでしょうか。ヨーロッパなどで人口が1万人にも満たない町でも中心市街地が意外に賑わっているのを見て不思議に思ったことがありますが、そういうことなのかも知れません。丁度一年前に行った八丈島と同じくらいの人口で、そういえば中心部の町並みも同じような規模だったことを思い出しました。大島運輸(株)と書かれたマイクロバスが自由乗降バスと書かれた看板を掲げて走っていました。

途中の店で昼食を食べ空港に戻りました。先ほど乗って来たプロペラ機は鹿児島に向かい、2時間後に別の機が鹿児島から飛んで来て奄美に向かうのでそれに乗りました。帰りはU字ではなく、風の影響かZ字状に飛んだので飛行時間は8分でした。

喜界島滞在はわずか2時間でしたが、空港から歩いて行ける役場というのも高知空港近くの吉川村以来で、そこよりも近かったと思います。しかし離島の役場だともっと近いところが他にもあるかも知れません。
[58586] 2007年 5月 20日(日)22:38:36役チャン さん
十島村(トカラ列島)の有人島は7島です
[58584] k-ace さん
十島村(トカラ列島)の有人島は6島ではなく、7島じゃないですか?

7島です。実際に7島に上陸しているのになぜこのような間違いをしたのか自分でもわかりません。ご指摘ありがとうございました。
本文を修正しました。
[58582] 2007年 5月 20日(日)19:44:29【2】役チャン さん
十島村のレントゲン船
鹿児島県十島村の有人7島にすべて上陸して来ました。

十島村については[56242] [56250]でhmt さんが紹介されていますので改めて説明する必要はないと思いますが、村営船であるフェリー十島が、普段は夜鹿児島港を出て翌朝から順に7つの島に寄航し夜名瀬に着き、折り返し南から各島に寄り鹿児島に戻る形で週2往復しています。ところが年に1度、各島に約2時間づつ停泊し島民のレントゲン検診をし、このときは途中の島に停泊し3日がかりで名瀬に行く、レントゲン船というのが運行されます。
鹿児島港近くにある十島村役場には私は3年前に行っており、公共交通機関による全国市町村役場めぐりのルール上は公式訪問として問題なく、1件としてしっかりカウントしているのですが、せめて島影だけでも見ておきたいと予てから思っており、奄美に行くならこの船で行こうと思っていたのでした。

別の地理的チャレンジをしている友人3人と一緒に乗船したのですが、医療関係のスタッフの他この機会を逃すまいと、電力会社の人や島に設置した防災機器を点検する技術者、学校の視察なのか教育委員会風、保健所風の人達、それに一般の旅行者などで定員200人の船には150人ほどの乗船客がありました。郵便貯金が目的の人も20人くらいいました。

まず5時15分に最初の口之島に着くと、埠頭にはレントゲン検査を待つ島民が集まっていました。2台のレントゲン・バスを船から降ろし島民の検査が始まります。上陸したい客は名前を書いて下船します。島中の車が全部来たのではないかと思われるほど軽自動車が集まっていて、用事のある人はそれに乗って夫々の目的地に仕事をしに行きます。我々のような遊びに来た者は急坂を歩いて島内見物をするだけです。この時間はまだ郵便局は開いていないので郵チャンもすることがありません。停泊予定時間は概ね2時間となっていますが、検査の進行状況によって変動するので出航の30分前に長声2笛が鳴ります。船に戻ったら自分の名前にチェックを入れます。前年には置いてきぼりを食った客がいたそうで管理を強化しているそうです。

このようにして順に7つの島を巡るのですが、最初からどんどん時間が繰り上がり次の中之島では郵便局がオープンした9時に汽笛がなり,港から歩いて15分ほどの郵便局では時ならぬ大勢の貯金客の対応で大変なようでした。しかし局側もこの日のために訓練でもしていたのか、大変手際が良かったとのことです。

その後平島、諏訪瀬島と寄航した後、当初は翌日の予定だった小宝島へ明日は天候悪化が予想され接岸できなくなるかも知れないとのことで繰り上げ寄航、その後悪石島に逆行するような形で行き本日はここに停泊しました。小さな温泉が大混雑となりました。船で寝れば宿賃も浮く旅でした。
再度小宝島に寄航したった一人の客を降ろした後宝島へ行き、名瀬には13時半頃着きました。
私は主に役場の支所や出張所、学校、発電所を見たいと思っていたのですが、悪石島以北はいずれも火山島でどこへ行くにも急坂を登らなくてはならず、平島などは最初から行く気をなくすような光景でした。小宝島以南は隆起島だったので、比較的楽にそれらを見ることができました。なお郵便局があるのは口之島、中之島、宝島の3島だけです。

人口が50人から100人台の島ばかりで、どこも過疎なんていう生易しいものではない、いつまで有人を続けられるのだろうかと正直思ったものでした。いろいろデータも入手できたので、いつかまとめたいと思っています。

私はこの後未訪問だった奄美大島から更に徳之島まで行き島歴、港歴を大幅に更新するとともに、役場の累計も平成の合併前基準で2258まで伸ばしました。

離島に興味があり、長期の休みが取れる方にはお勧めの十島村レントゲン船です。
[58323] 2007年 5月 5日(土)09:21:02役チャン さん
格安夜行バス問題
[58322] 山中鹿次 さん
たとえばJRの夜行バスの東京から大阪5000円より下は、安全に関わるから値段下げないとかそういうこと必要でしょう。
[58313] スナフキん さん
安いものにすぐ飛びつく、いいとされるものにもすぐ飛びつくような安易な行動を取る消費者が増えたことにも問題の一端はあると考えます。

低価格がおかしいというと言うような意見に対しては、すぐに弱者に冷たいとか格差社会の勝ち組のロジックだとか言う論調になりがちなのが今の社会です。経済原則を無視したサービスは絶対にありえない、どこかで破たんを来たす、当事者の自己責任だけで済むことでなく善意の第三者にも危害を及ぼすということをマスコミがしっかり伝えてほしいです。
同じことの繰り返しですが、それほど重要なことだと思っています。
[58264] 2007年 5月 3日(木)09:05:53役チャン さん
高速バスのダンピング
[58244] みかちゅう さん
ツアーバスは安かろう悪かろうということで「安全よりもカネをとる」という人が乗ればいいではないかという意見が出そうですが、過労運転や整備不良の末に起こった事故で乗客以外の人々が巻き込まれる恐れがあります。
その通りです。だから問題なのです。自分自身にとってのサービス・レベルとか安全ならばこれは利用者の自己責任と言えますが、バスの場合には(多分他の公共交通機関との違いはここだと思いますが)他の善良な運転者や周辺住民を巻き込む可能性が大だからです。

社会全体として問題視する必要があると考えます。
メディアがそういう観点で取り上げてほしいと思います。このサイトで、こういう意見に同意してくださる方が多いことを期待しています。
[58236] 2007年 5月 1日(火)17:50:20役チャン さん
規制緩和と夜行バス
[58233] 小松原ラガー さん
利用者、旅行会社、バス会社の力関係で、やはりしわ寄せがバス会社に行っているとしか思えませんでした。

確かに多くの客を集めようとする旅行会社、バスの稼働率を高めようとするバス会社、所定賃金だけでは生活が苦しいので無理してでも時間外労働を厭わない運転手、競争社会でこのようなことが続くといつ大惨事が起きないとも限りません。

これは規制緩和が悪いのだとメディアなどが囃し立てることが多いのですが、私は規制緩和が一方的に悪いという意見に組みしたくはありません。むしろ規制緩和の時代に、安ければ何でも飛びつくという、消費者の行動そのものにもう少し配慮を求めるような論調があっても良いと思うのです。

そもそも長距離バスなど、どう考えてもそんなに安くできるわけがない。どこかで無理をしているのに違いない。またもともと東京・大阪間や仙台間の移動を、それほど安くしなければならない理由があるのだろうか、生活にとって必須のものなのだろうか、それが弱者を救済するものだろかと言いたくなります。

規制緩和による新規参入や競争により料金が下がったものは通信費や航空料金など数多くあり、それらは下がったというよりも適正になったのであり、これが規制緩和の成果だと思います。それが変に行き過ぎになりいびつな構造にさせないために必要なのは消費者のしっかりした判断でしょう。

人間がうっかりミスをしても殆どの場合はシステムが何らかのバックアップをしてくれて大事には至らないケースの多い飛行機や鉄道に比べて、バスの運転は一瞬のミスも許されない、おそらく現在の交通機関の中では最も過酷な職場なのではないでしょうか。そこが最も競争の脅威に晒されている事が問題です。

こう書くと、では金のない人は旅をするなということか、という話にすぐなります。青春18切符は提供者側が極端な無理をしなくても提供できるサービスです。それ以外にも家庭の事情などで旅をせざるを得ないが金がないという人に対しては、全く別な観点から補助が受けられる、というような仕組みを作るべきでしょう。とにかく安全を無視してまで低料金で提供するようなサービスは消費者が求めないから成り立たない、という社会になってほしいものです。

コスト構造を調べて、こういう料金では危ないから、このようなものは購入しない方がいい、というようなことを国民に知らせるのもメディアの役割ではないでしょうか。鬼の首をとったように規制緩和を批判するばかりではなく、このようなことを明らかにするのが公共交通の健全な維持、健全な社会の維持になるのだと思います。

ところで先日、東名夜行のプレミアム・ドリーム号を利用してみました。片道9310円というのは、通常8610円に比べてもたいした高さではなく、それにもかかわらず座席はゆったりしており、特に前後の間隔が広いので足を伸ばすこともできました。早割やネット割を使えば急行銀河B寝台の半額くらいで行けることになります。JRバスは途中の三ケ日で運転手が交代するので安心して眠ることもできました。
[58215] 2007年 4月 30日(月)09:27:14役チャン さん
夜行バス
[58191] 千本桜 さん
途中停車するバスは仙台東京間6,210円で、直行便は3,900円です。 

この夜行バスの運転手は途中で交代するのでしょうか。先日の長野県の貸切夜行バスの事故以来、格安夜行バスの安全性と原価構造が気になっています。
[58066] 2007年 4月 17日(火)08:59:39役チャン さん
島原鉄道遊湯券
[58041] 星野彼方 さん
 星野放浪記 九州北部編
諫早駅の券売機で購入したので、磁気券だったのですが、島原駅等で購入すると別の種類の切符になるのか確認できず。知ってる人います?
私は諌早駅の窓口(島鉄バス諌早営業所)で購入したのはお札の大きさくらいの紙のもので裏には利用できるホテル名と電話番号が書かれていました。切離し部分があり、これは温泉に入ったときに渡したと思うので、この部分が入浴券だったのだと思います。
[57904] 2007年 4月 10日(火)18:38:05役チャン さん
飛び地の村
[57891] hmt さん
望楼らしい塔屋があるという記述に接して、ピンと来たのは、地震が起きた際の津波への警戒体制です。
大変興味深いご説明をいただきありがとうございました。それにつけても私の市町村めぐりは極めて表面的なことしかしていないと恥じ入るばかりです。

今回青春18切符を使い4日間で和歌山県と三重県の28市町村役所・役場(平成の合併以前のものを含む)に行ってきたのですが、恥かきついでに飛び地村である和歌山県の北山村に行った報告をさせていただきます。

ここに行くには三重県の熊野市から三重交通のバスが3往復、北山村営のものが2往復ありますが、時間の都合で前者を利用しました。しかしこのバスは正確には北山村に行くというよりも北山川対岸の熊野市郁生地区に行くもので、北山村内の一部を通りますが村役場のある大沼地区には行きません。だから対岸の大沼口というところで降り橋を渡って行かなければならず、役場までの700メートルを帰りのバスが来るまで16分の間に往復しなければならなかったので半ば走るようにしました。尤もすれちがう人など皆無でしたから年寄りの醜態を晒すこともなかったと思いますが。

飛地となった理由は、村役場のHPによると97%が山林のこの村は昔から林業で栄え、伐採された木材は筏によって木材集積地の新宮まで運ばれていた。当時は人口の大半を筏師が占め、彼らは新宮の木材業者との結びつきが強く、明治4年の廃藩置県で新宮が和歌山県に編入されたときにも村民の要望により和歌山県に編入されたとのことです。江戸時代には和歌山藩新宮領に属していたそうです。

人口は570人、北山川が作る斜面に沿って走る国道169号線沿いのわずかな平坦地に小規模な集落が点在するだけでした。中心になるのが大沼地区で、ここに役場のほか郵便局や農協、さらには商店や旅館などがあり、小学校と中学校もあります。北山小学校のHPによれば、2006年度の児童数は27人で内10人が6年生、30年以上前に村内に3つあった小学校が統合されたが1950年には263人の児童がいたそうです。

私がこの北山村の土を踏んでいたのは僅か16分間だけでしたが、熊野市駅前からここまでのバスの車窓はなかなか変化に富み楽しかったです。北山川の流域に出るには急峻な山を越えなければならず、小型バスがやっと1台だけ通れる正に羊腸の小径という言葉がぴったりの道が続きました。滅多にすれ違う車はありませんでしたが、普通のドライバーにとってはかなり難儀しそうな道でした。特に高齢になってからの運転はかなりむずかしいと思います。

長いトンネルを抜け北山川に出ると七色ダムがあります。面白いのは天端(てんば)というダム堤体の最上部は車がやっと1台通れる狭い道路になっていて、バスもそこを渡り和歌山県側の北山村に入るのですが、この部分は国道169号線です。天端が道路というのはよくありますが、国道というのは珍しいそうです。ふと全国ダム天端渡りに挑戦している人も居るのではないかなどと思いました。

ちょうど桜の時期で途中の熊野市神上地区などは那智黒石の産地だそうですが、3千本あるという桜が満開でそれは見事でした。特に廃校となった中学校の校庭に咲き乱れる桜は、木造校舎とよく調和し、わが世の春を忘れさせまいとしているかのようでした。

今回も事前の調査不足で後悔が多々ありました。せっかくこのような珍しい村に来るのならばせめて一泊するなど工夫が必要でした。役場でもらったパンフレットによると、観光筏まで送迎してくれるバスがあり、更に瀞八丁のジェット船に乗り継げ新宮までバスで行くこともできたようです。紀伊半島の山奥は地形が複雑で川の流れにも変化があり、地理的にも、景観上も実に面白いところだということを知りました。そして桜の季節がお勧めです。

なお交通案内や観光筏については北山村のHPに載っていました。北山村HP
[57874] 2007年 4月 8日(日)11:50:02役チャン さん
(続)1枚の写真に2つの役場
やっと撮れました。

ちょうど1年前、長野県の豊丘村と高森町の両役場間は直線距離は2キロくらいで庁舎を相互に見ることができると記したことがあります。[50789]拙稿
珍しい例なので、2つの庁舎を1枚の写真に写せるのではないかと豊丘村のほうで撮影ポイントを探して見たのですが、残念ながら適当なアングルは見つけられませんでした。しかし旧庁舎跡地というのがすぐ横にあり、今は更地になっていますが門柱だけは残っていていました。安いデジカメで正面からこれを撮ると豊丘村役場と書かれた門柱のはるか先に高森町役場がかすかに写っていました。

先週和歌山県の湯浅町と広川町に行ってきました。
「落書き帳・測量部」[39426] 音無鈴鹿 さん によると近さランキングでは4位だそうですが、ここではじめて1枚の写真に両役場を収めることができました。

湯浅駅周辺の地図
この両町は紀勢本線のいずれも湯浅駅近くで、広川という小さな川を挟んで市街地は繋がっています。湯浅の庁舎は東京オリンピック前後に建てたと思われるかなり古いもので、4階建てですがその頃の流行だったのかどうか消防署の望楼のような更に4階分くらいの高い塔屋が建っていました。これに対して広川の方は平成になって建てられたと思われる人口規模を越えた豪華なものでした。広川町役場の正面から写真を撮ると左奥に湯浅の塔屋だけが写っていました。
なおこの両町は今回の合併でも影響されず今後もそれぞれ単独の道を進むようです。湯浅から広川へ歩いた途中の狭い道には熊野古道という表示が出ていました。
[57488] 2007年 3月 31日(土)11:01:49役チャン さん
海にいちばん近い市役所
[57476] みかちゅう さん
海にいちばん近い市役所はここでOKでしょうか?

尾道市役所の建物の一部は水面から数メートルしか離れていません。また尾道市と合併した旧因島市役所のすぐ裏も海でした。さぬき市は建物の一部と水面とが一番近いところで50メートルくらい離れているので、尾道が一番ではないでしょうか。今までそのような観点から市役所を見たことがないので自信はないのですが。
私は旧志度町役場へは1995年に行っていますが、そのときはもう少し駅近くにありました。

町村役場でしたら岸壁に建つというのがかなり多くありますが、これも合併で支所化したものが多いです。
[57373] 2007年 3月 21日(水)09:49:35役チャン さん
島原鉄道
[57363] なると金時 さん
[57362]星野彼方さん
第4日曜に島鉄に乗るのなら、1,500円のフリー切符を使えるかも。
他に「島原半島遊湯券」があるのがご存知と思いますが。3000円で島原鉄道の鉄道・バス・フェリーが1日乗り放題で、さらに指定された20箇所のホテルなどの温泉・入浴施設の中からひとつだけ選んで温泉に入れる入浴券が付いたものです。

何人か明らかに鉄道マニアがいました。
ここも鉄道廃止特需でしょうか。

私は昨年11月にこの切符を使い、諫早から島原まで反時計まわりに進み、14市町に行きました。(合併後は4市)
島原のホテルに荷物を置いてからこれの使える温泉ホテルを探し、1駅列車に乗った島鉄本社前近くの南風楼というホテルに行きました。街中を列車で温泉に行くなど坊ちゃんの気分でした。温泉ではこの「遊湯券」で来る客など滅多にいないのか対応に手間取り、私に待たせて迷惑をかけたと本来なら有料のバスタオルや浴衣をタダで貸してくれました。こちらは列車やバスを十二分に利用し、さらに温泉にも特段の配慮をしてもらい申し訳ない気持ちで一杯でした。
「遊湯券」のような企画キップは観光客が来てくれて、宿泊や食事や土産などに金を落として行ってくれるだろうということで売り出したはずなのに、私の場合は安いビジネスホテルに泊まり、駅前食堂で夕食を取り、土産も買わずに帰ったのだから地元も全くのあてはずれだったでしょう。限られた予算のなかでの市町村役場めぐりだから今回は許してもらうことにして、いつか家族とまともな旅行でいつかまた来てあげたいと思いました。私にそう思わせ、またこのようなことを皆さんにお知らせする気持にさせたことで、島鉄には効果があったのかも知れませんが。

島鉄の列車とバスは、ごく一部を除いては線路と国道は100メートルも離れておらず、ぴったりと寄り添うように並行しています。それぞれのダイヤは良く調整されており、両者が上手く補完しあってほぼ30分毎に鉄道かバスのどちらかが来るようになっています。諌早・島原間、島原・加津佐間とも所要時間に大差はなく、しかも「しまてつ便利帳」という100円で変える冊子には両方が一緒になった時刻表まで載っています。同じページに、時間順にバスは黒字、列車は青字で示されています。

加津佐から諫早へのバスは実は値段が鉄道より安い上に早いのは内緒。
個々の区間では料金はバスの方が若干高いと思いましたが、集落の多い市街地の中心を走りこまめに停まるというメリットがあるので納得が行きます。

しかし同じ会社が全く並行する区間にふたつの異なるシステムのものを走らせるということは経営資源の効率的投入という面では問題でしょう。昼間乗った限りでは、鉄道も小型車両1台だけで乗客もバス並みに少なく、島鉄の収入面では差はないでしょう。しかしコスト面では線路や信号、駅設備などのインフラを自前で維持保守を続けなければならない鉄道と、国が維持してくれる道路の利用料も払わずに国道上を走るバスとでは大幅な開きがあるはずです。
昨年11月の時点では島原以南の廃止のことは知らなかったのですが、ひょっとして島鉄は将来の鉄道廃止を見込んで徐々に、ダイヤ改正の度にバスの比率を高めて行き、鉄道がなくなっても平気だという既成事実を作って行こうとしているのではないのかと、その時は勘繰りたくなりました。

JR九州の車両はやはりいいです。羨ましくて悔しいくらい。
全く同感です。
[57256] 2007年 3月 13日(火)21:11:04役チャン さん
くりはら田園鉄道
この3月末に廃止となるくりはら田園鉄道に市町村役場めぐりを兼ね初乗車、及び乗り納めをして来ました。沿線には5つの町があり、大半は駅からも近いので役場めぐりには効率良い鉄道でした。但し2005年4月1日の合併で石越、若柳町は登米市に、金成、栗駒、鴬沢町は栗原市の一部になりましたが。

この鉄道は1993年に単独の私鉄から沿線自治体が大半を出資する第三セクターの鉄道となり、その後に電化からディーゼルに変更しています。だから今の車両は比較的新しい軽快型気動車で、床や内装には木材を多く使ったレトロ調で格調高い印象を受けました。また線路の保守状態はそれほど良いとは思われないのに乗り心地は悪くなかったです。まだ車齢も10年そこそこですから廃止後はどこかに転売となるのでしょうが、どこに行くのか楽しみでもあります。

金成役場最寄の沢辺駅は古い木造の駅舎に高齢の駅員が1人、列車交換時にはタブレットを手にホームの間を走って往復していました。平日にもかかわらず単行キハにはカメラを持った老若男女が乗っており、沿線から列車にカメラを向けている人も何人か見かけました。すでに土日は乗り切れないくらいの客だそうで、月末に向けさらに増えると思います。短期的には同社の収入増になり、おそらくJRやホテル、飲食店なども随分潤っているのではないでしょうか。鉄道廃止特需とでも言えましょうか、頭の良い人なら鉄廃ビジネスと称し、2~3年くらい前から地方私鉄の廃止届を出し、人を大勢呼んで適当に儲け、やはり廃止は止めましたというようなことを地域ぐるみで行うことを考えるかも知れない、などと余計なことを考えてしまいました。

何回かに分けて乗車したのですが、車庫のある若柳などでは大勢の下車客があり、ワンマンの精算をひとりづつが行い、料金が高いのでほとんどの客が千円札を両替してから運賃を支払らっていました。そのために列車はどんどん遅延して行きましたが、こういうのを見ていると、公共交通の運賃は百円単位にしても良いのではと思うほどでした。何百90円など、いかにも安くする努力を見てくれと言っているようですが、バスでもタクシーでも百円単位にすることによって停車時間を短縮し、交通流を円滑にすることができるかも知れません。尤も当社に関しては一過性のことで、ローカルのバスや鉄道では余計な心配事かも知れませんね。

なお鉄道廃止後は代替バスが運行されると思いますが、それについてのお知らせなどは駅や車内で見つけることが出来ませんでした。
[57246] 2007年 3月 11日(日)18:29:20役チャン さん
伊丹空港
[57231] 小松原ラガー さん
 
あれほど邪魔者扱いしていた空港が、いざ縮小だ、格下げだと国が方向転換したからといって「地元経済のためには存続」との考えで共生宣言とは、「なんやねん。こいつ。」と言いたくなります。
先日神戸空港から乗った羽田への便が離陸後10分近くも西に向かって上昇し続けたことを思い出すとともに、全く同感です。日本にはこのような話が他にも数多くありますが、伊丹のケースは中でも特にひどい話だと、地元に全く縁のない者には思われます。

なぜこのようなことになるのかを考えてみると、
(1)まず地元と一言で言いますが、それは誰のことなのか、住民なのか、商店の経営者達のことか、役所関係者や議員などいろいろあるわけで、どうもその時々で都合良く使い分けているのではないかということ。
(2)次に、なんでもとりあえず反対しておこう、金になるかも知れないから、という人がどこにでもいること。
(3)最後に反対する方に加担しがちなメディアの姿勢。

これらが合わさって、このような事態になるのではと思います。

国レベルの長期的なグランドデザインが欠けていることは確かですし、また国が地元を説得する力に欠けているというか、説得することから逃げていることも事実だと思います。
しかし、地元にも一旦主張したことを覆すことに恥じるような感覚が必要でしょう。メディアも国の無策を言うだけでなく、本来人間が持つべき見識というようなものについても語ってほしいと思います。

関空が開港する時に本来は廃止されるはずの大阪空港が存続し、結果、関空の利用率や経営そのものに影響を与え、今度は存続どころか「共生」ですか・・・どれもこれも、関西の空港政策および関連する対策は中途半端に見えるなぁ・・・

このような事をいつか断ち切らないと、社会全体のモラルが低下し経済がますます疲弊します。結局は国民一人ひとりが高い見識を持たなければならない、と思うのですが有り得ないことなのでしょうかね。
[57174] 2007年 3月 5日(月)22:55:55役チャン さん
都道府県庁所在地の経県値と通常の経県値
都道府県庁所在地の経県値は182点でした。
経県値の方は191点です。歳を重ねているせいかランキングでは5位でした。
経市町村値というのは、計画はないのでしょうか。


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