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役チャンさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[68265]2009年1月11日
役チャン
[67432]2008年11月27日
役チャン
[66852]2008年9月22日
役チャン
[65965]2008年8月7日
役チャン
[65766]2008年7月15日
役チャン

[68265] 2009年 1月 11日(日)11:56:35役チャン さん
SUNQパスと宮崎交通
私のライフワークである「公共交通機関による全国市町村役場めぐり」で空白地域だった宮崎県の中北部へ、昨年12月に3泊4日で行ってきました。五ヶ瀬町、椎葉村、西米良村など路線バスが日に2~5本しかなく、しかも途中内陸部に広がる町村へも寄らなければならず、行程作成にはかなり苦労しました。結果は21市町村に行け累計2577(平成の合併前基準)とし、自分でもかなり満足しています。

うち3日間はSUNQ切符(全九州1万円)を買い、残りの1日は宮崎に来てはじめて知ったのですが、2500円で乗り放題という宮崎交通の1日乗車券を使いました。今回は都度現金乗車をしていたら4日間で総額2万円は超えていたはずなのでいずれにせよかなり節約にはなりましたが、県内の路線バスはほぼ宮交が独占しているので、この1日乗車券を4日分買った方がさらに得をしたということになります。

また宮崎交通にとっても、私が1日乗車券を4日分買った方が売上増になったのかも知れません。SUNQ切符がどのようなルールなのかはわかりませんが、いずれにしても売上は九州内複数バス会社間で配分されるはずだからです。私と宮崎交通との間でWIN-WINの関係を逃したと言えるかも知れません。宮崎県へ旅行をさける方には参考になるかと思います。

高千穂駅跡では同鉄道のお別れイベントに遭遇したこと、日之影町ではバイパス上のバス停から近いと思われた町役場との間に140メートルの高低差があり、地図を見るときには高さにも注意が必要なことを改めて知ったこと、旧北郷村の旅館は8畳間の2方が全面障子の先は廊下、1方が襖を境に隣室という恐ろしく暖房効率の低い部屋で分厚い2枚の布団にくるまり一晩中震えていたことなど、思い出に残る旅でした。
[67432] 2008年 11月 27日(木)22:47:59役チャン さん
小坂町役場と康楽館
[67381]オーナー グリグリさん
小坂を訪ねました。康楽館、小坂鉱山事務所、郷土館の三ヵ所を見学しました。
小坂町町役場は行かれなかったのですね。古くて小さくて、全国ボロ役場のベスト3に入りそうなものです。私も昨年康楽館を見学しそこで聞いた話ですが、この小屋は鉱山の衰退とともに1965年に休館となり朽ち果てたままになっていたのを20年後の85年、町に無償で譲渡されると町は2億円をかけて全面改装したそうです。このときに基本は木造ですが一部構造上の必要性から鉄骨による補強なども行ったそうです。
85年頃というと全国どこの自治体も役場庁舎の新築に競った時期です。小坂町では庁舎に金をかけるよりも余程すばらしいことをしたと思います。だから私はここの役場をボロのワースト3とは言わず、ベスト3として讃えたいと思いました。

実際に観劇すればもっと感動は大きかったと思います。時間があればゆっくり観劇することをお奨めします。
小屋見学をしているうちに、次の役場訪問をやめてもここは芝居を見ることにしました。600人収容という客席には青森から来たという20人くらいの団体が車座になって弁当を食べていた以外客は私1人でした。2階の雨戸が閉められ緞帳が上がる。照明は1人のオペレーターが複数の投光器をリモートで操るというハイテクを駆使しており、人力による雨戸閉めや舞台操作とのアンバランスが面白かったです。
出し物は人情噺のほか踊りなどで男性4人、女性3人の役者が一人で何役もこなしながら入れ替わり立ち替わり出入りしていました。他愛のない人情話でしたが皆一生懸命演じていたし、それを見ながらこの小屋の成り立ちや役場のボロ具合を思い出すと思わずジーンと来るものがありました。
[66852] 2008年 9月 22日(月)21:33:55役チャン さん
小坂製錬小坂線
[66825] 右左府 さん
貨物専用路線の小坂線、どうやら今年度いっぱいで廃止となるようです。

そうですか、とうとう廃止ですか。

地元の小坂町は小坂線を鉱山事務所や、明治時代に建てられた木造の芝居小屋・康楽館と並ぶ、近代化遺産と位置づけ、旅客営業を含めた鉄道の保存を検討しています。

私も昨年小坂に行き、なんとかこの鉄道を旅客輸送に使えないものかと思ったものでした。
小坂駅は製錬所の資材や製品を輸送するための貨物専用の駅ですが、94年までは旅客輸送も行っていました。広い貨物ヤードに1面の旅客ホームがあり、小さな駅舎も残っていて、また駅前広場は立木や花壇などがきちんと刈り込まれ清潔な感じがして、今でも旅客営業を行っているかのようでした。

駅近くには康楽館という名前の芝居小屋があり、さらにその先には元鉱山事務所だった立派な西洋館も建っています。芝居小屋へは観光バスで来る団体客も多く、十和田湖などの観光コースにも組み込まれているようでした。
それならばいっそのこと、小坂鉄道に観光客のための旅客列車を走らせたらどうか。芝居小屋の前面を線路が走っているからここに駅を作って大館から客を乗せればいい。もちろん秋田からとか、盛岡からとか、あるいは角館から秋田内陸縦貫鉄道を走り鷹巣まで来る急行「もりよし」をここまで延長しても良い。線路というインフラがあり、それも重量貨物を運ぶ強固なものですから、旅客列車を走らせることくらい簡単だと思いました。
車両の調達が難しかったら、スイスの山岳鉄道あたりから中古の客車を買ってきて、貨物列車の後ろに繋いでもいいでしょう。

というようなことを考えていたら、今年になってこの鉄道の運行が休止になったことを知りました。小坂精錬での濃硫酸の生産が終了し、1日2往復のタンク貨車で製品の濃硫酸を輸送する貨物列車の運転を中止したとのことでした。(鉄道ジャーナル 2008年6月号) 
DOWAホールディングス子会社の小坂精錬は4月から、リサイクル原料の処理に適した新型炉を本格稼動させましたが、これは携帯電話や廃家電のプリント基板などの他、亜鉛の精錬行程や化学工業で出た残渣を原料にして、金や銀などの貴金属だけでなく、鉛の代替材料である「ビスマス」やコピー機の感光ドラムに使われる「セレン」などのレアメタル、合計18種類の金属が回収できるという、最先端のものだそうです。(日経ビジネス 2008年4月21日号) 
だから濃硫酸よりはずっと重量当たり単価の高い製品に転換したので、最早鉄道は不要ということになったのかも知れません。

事業休止期間を2009年3月末までの1年間としており、輸送する新たな貨物が見つからない場合には路線の廃止をする方針だそうですが(鉄道ジャーナル)、この精錬所が処理能力を拡大し、都市鉱山と言われる電子機器廃材を全国から集めるようになれば、やはり鉄道輸送は有効だと思います。

小坂町の鉱山事務所や芝居小屋の一帯はヨーロッパの街並みに似ており、わが国の鉱工業近代化の足取りを語ってくれる産業遺跡そのものです。十和田湖などと上手く組み合わせ、観光都市としても生きて行けそうだし、リサイクル事業最先端の町として今後は世界的にも知れ渡るかも知れません。

鉄道でこの町に行くことのできる日が、いつか来ることを願っているのですが。
[65965] 2008年 8月 7日(木)20:15:44役チャン さん
村上水軍博物館と潮流体験船
[65873] オーナー グリグリさん
この潮流体験船が今回の大ヒット(中略) 瀬戸内海の景色が満喫できてこれは超お奨めだと思いました。

私も体験してきました。城山三郎の「秀吉と武吉」、白石一郎の「海狼伝」などに出て来る能島城に興味を惹かれていたので、役場めぐりの途中に芸予諸島大島の旧宮久保町役場、今は今治市宮窪支所から1キロくらいのところにある村上水軍博物館には行くことにしていました。

当初は博物館に行って、今は無人島となっている周囲800メートルほどの能島を遠望すればそれで良いと思っていたのですが、グリグリさんの情報から潮流体験船があることを知ったのです。丁度潮加減の良い時間帯(と船頭さんが言っていましたが)だったようで、狭い海峡の1メートルくらいの落差の潮の流れを見ることができ感激しました。そして上陸こそできませんでしたが、接岸するほどの近さで能島を見ることができ、400年前の城を想像しました。

桟橋にあるレストラン「能島水軍」で食べた能島定食がこれまた最高に美味でした。
私はここで鯛の唐揚定食を食しましたが、これもまた美味でした。

そのために役場めぐりの方は予定通り行けませんでしたが、はるかに良い体験をしたと思っています。その後離島郵便貯金をしている友人他と集合場所にしていた魚島へは間に合いました。

グリグリさん、本当に貴重な情報をありがとうございました。
[65766] 2008年 7月 15日(火)20:15:14役チャン さん
天北線代替バス
以下は先週の北海道旅での雑感です。ご興味があればお読みください。

 旧国鉄天北線の廃線跡を路線バスで辿りました。1967年夏以来41年ぶりの訪問です。同線は平成元年(1989年)に廃止され、代替運行している宗谷バス天北線に稚内から音威子府まで走っていますが、猿払村、浜頓別町、中頓別町の役場に寄るために途中下車しながら旧線148.9キロに沿っての乗り歩きでした。

 かなりの区間は一目でそれとわかる廃線跡のすぐ横を走ります。道路はどこも大変よく整備されており、数キロ続く直線区間もあり、対向車もめったになく、そんなところをバスは時速50~60キロくらいでトロトロと走る、運転手もガムを噛んだり水を飲んだりと眠気を抑えているようでした。

 鬼志別、浜頓別、中頓別の駅跡はいずれもバスターミナルになり瀟洒な建物が建っており、どこも内部には旧線の写真や模型、時刻表や運賃表などが展示してありました。廃止時の稚内・鬼志別間の運賃は1090円、現在のバスは1490円です。

 これだけの長距離になると、全線通しのバスは1日3往復だけで、他は区間運転ですが、例えば途中猿払村役場のある鬼志別では稚内方面に7本、廃止直前と同数です。稚内・音威子府間通しのバスは4時間10分前後、列車時代の急行「天北」は2時間40分、各停は3時間30分前後でした。

 他のローカルバス同様乗客は少なく、最多(網走の郊外まで)でも10人も乗っていたでしょうか。私1人ということも何度かありました。大半は地元の短区間利用で、札幌や旭川などに行くと思われる客はほとんどいなかったようです。長距離客は1日1往復の札幌への長距離バスを利用しているのかも知れません。

 なお鉄道時代、途中の小石・曲淵間の駅間距離17.7キロは当時の国鉄では最長といわれていましたが、バス転換後もこの区間途中バス停はなく、23分間無停車で570円、高速バスを除く通常の路線バスでは今でも全国一だと思います。もっとも自由乗降区間なので途中どこでも乗り降りできますが、少なくとも途中に人が住んでいるような気配はありませんでした。自由乗降区間というのは途中、例えば1キロしか乗らなくても570円取られるのかなと思ったりしましたが、意地悪になるので運転手にはそんな質問はしませんでした。

 いつも持参する道路地図の他に、今回は「日本鉄道旅行地図帳(今尾恵介氏監修)」を見ながら乗車しました。廃線の地図やデータが完備しており大変役に立ちました。


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