都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
役チャンさんの記事が5件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[59531]2007年6月30日
役チャン
[59285]2007年6月20日
役チャン
[58964]2007年6月10日
役チャン
[58906]2007年6月8日
役チャン
[58891]2007年6月7日
役チャン

[59531] 2007年 6月 30日(土)18:53:10役チャン さん
消えた役場
役場があるはずの場所に行って見たら何もなかった。

秋田県の八峰町へ行ったときのことです。八峰町とは八森町と峰浜村とが2006年3月に合併してできた町ですが(語呂合わせのような町名ですね)、旧峰浜村役場に行こうと能代バスセンターから秋北バスに乗り峰浜庁舎前というバス停で下車しました。しかしそんな建物はありません。すぐ近くにきれいに整地したかなり広い土地があり、門柱だけが残っていたのですが表札は上から白ペンキでも塗ったか、わざわざ消してあります。そしてその横に秋田銀行のATMが設置してある小屋と郵便ポストだけがありました。

近くにいた人に聞くと、ここに役場があったが昨年火事で焼失し、その機能はあちこちに分散させているので代替事務所のようなものはない、また2年後に新町が新庁舎を建てるのでそのときには完全統合するとのことでした。

合併しても、本庁とならなかった庁舎は必ず残るものと思っていましたが、公共交通による市町村役所・役場めぐり2296件目にしてはじめて完全に消えてなくなった庁舎というものに出会いました。仕方がないのでバス停と土地の写真だけを撮って正式カウントとしました。

合併の趣旨から言って庁舎だって積極的に統廃合して良いと思っていますが、火事でもない限り統廃合は進まないものなのでしょうか。
[59285] 2007年 6月 20日(水)08:53:14役チャン さん
現代に生きてる国名 (葛飾)
[59271] hmt さん
ところで、江戸川よりも東の地域では、“(ここもまた別の)本家葛飾”であるという感覚は、現在も生きているのでしょうか?

船橋市にある京成電鉄の西船駅は1987年までは葛飾駅と称していました。1916年(大正5年)開業時の地名は東葛飾郡葛飾村だったそうですが、今の住所表記は「西船」です。京成電車で柴又へ行こうとする客が良く間違えるからというのも改名の理由のひとつだったと聞いたことがあります。
寅さんが、葛飾=柴又とし、逆に葛飾という地域を狭くしたと言えるのかも知れませんね。
[58964] 2007年 6月 10日(日)11:56:51役チャン さん
徳之島の路線バス
トカラ列島[58582]、喜界島[58876]、奄美大島[58906]と続けたので徳之島で締めくらせて下さい。
ご興味がありましたらお読み下さい。

徳之島へ行く方法は以下があります。
(1)飛行機:鹿児島から毎日2便 (M81:163人乗) 
(2)飛行機:奄美大島から毎日2便(サーブ340B:36人乗)
(3)フェリー亀徳港: 鹿児島→名瀬→亀徳→和泊(沖永良部)→与論→本部→那覇 毎日1便
(4)フェリー平土野港:鹿児島→喜界→名瀬→古仁屋→平土野→知名(沖永良部)2~3日に1便、うち三分の一は平土野止まり

私は奄美大島の古仁屋から(4)で徳之島入りをし(1)で鹿児島に戻りました。
(4)は2800トンの「フェリーきかい」で360人の総定員に対し乗客はたったの5人と軽トラック1台だけでした。帰りの(1)はほぼ満席でした。なおたまたま鹿児島からの(3)到着時に亀徳港で見ていたら100人くらいの下船と30人くらいの乗船がありました。

平土野の港では1台だけ待っていたタクシーが誰も乗らないので役場の方に向かって歩いていた私を追いかけてきて、島の中心亀津までバス料金で行くから乗ってくれと言ってきました。こちらは公共交通を乗りにわざわざ遠くまで来たのに料金が安いからと言ってタクシーに乗るわけには行かず、と言って説明してもわかってもらえそうにないので、すぐ近くに用があるので歩いているのだと言って断わりました。

徳之島の路線バスは徳之島総合陸運(株)が運行しています。この会社は他にも観光バスやタクシー、航空代理店、燃料スタンドなどを経営しており、私が泊まったホテル、グランド・オーシャン・リゾートもこの会社のものでした。路線バスは8系統あるのですが、今年(2007年)4月1日より亀津~空港線 亀津~犬田布線以外の6系統が地方公共交通特別対策事業(県単独補助事業)による廃止路線代替バスへと移行しています。南海日日新聞2007.4.2記事 またこの時にダイヤ変更をしており、私はそのことを知らず変更前のもので計画していたので少々戸惑いました。

徳之島には天城、伊仙、徳之島の3町があり、当初予定はこの順番に、すなわち反時計まわりにバスを乗り継ぐものでしたが、天城・伊仙間が減便になり、徳之島町の亀津に出てから伊仙まで往復するという、バス料金が余計にかかるものとなってしまいました。
廃止路線代替バスは一瞬見ただけですが、同じような車体で代替バスという表記がなされていたくらいだったと思います。経営体は変わったものの車両や運転手を含めて徳之島総合陸運(株)に一括アウトソーシングしているのではないでしょうか。
バスの時刻表はここから見ることができます。

乗車経路は以下の通りです。
5/18 (金)    
古仁屋 10:50 → 13:07平土野フェリーきかい2256天城町
平土野 14:07 → 14:54亀津徳之島総合陸運バス
亀津15:00 → 15:31伊仙町役場徳之島総合陸運バス2257伊仙町
永野商店前17:10 → 17:35亀津徳之島総合陸運バス2258徳之島町
5/19 (土)    
亀津(ホテル前)10:45 → 11:35徳之島空港徳之島総合陸運バス
徳之島空港12:28 → 13:25鹿児島空港JAL3794
鹿児島空港16:19 → 17:58羽田空港ANA628

以下徳之島の印象です。
平土野から亀津へのバスは空港発の小型バスで乗客は私1人でした。島の中央部を横断し東海岸の花徳というところに出てそこからサンゴ礁の続く海岸沿いに走り亀津に着きました。
想像していた以上に大きな島という印象で、中央部など広い高原状になっています。バスの運転手の話では、この島は奄美大島よりも耕地面積が広く、以前は米の二期作を行っていたが、政府の転換奨励で今は砂糖キビを作っている。雨も多く島の南部を除いては干ばつの恐れは少ないが、それでも現在奄美群島内では最大規模のダムを建設中で、今この島内にあるすべてのダムの貯水量を足したものよりもはるかに大きく、2011年度の完工予定に対し進捗率は50%だが、ここに来てこんな大きなダムがはたして必要かという議論が起きているそうです。亀津のバスターミナルは一方通行の狭い道に商店一軒分だけの今にも崩れ落ちそうな古い木造の待合室があるだけの建物でした。

なお平土野港入港直前に船上から正面の小高い丘の上にイスラム寺院のような金ピカに輝く大きな丸屋根と尖塔をもった新興宗教の総本山のような建物が見えました。山上の宮殿に向かうような石段も見え、これが天城町の町役場でした。
いろいろな珍しい形の庁舎を多く見てきましたが、今までで最も驚かされたものでした。上陸し近づけば近づくほどますます寺院のような、或いは宮殿のような感じのするものでした。70段くらいの石段を登るとアラビア風の鉄格子の門があり、そこを入ると噴水のある池を囲むようにドームを正面にコの字型にブルーの建物が囲んでいます。柱はすべて円柱でとにかく異国情緒が漂います。経費節減のためか池に水はなく、建物も空調を止めているので全ての窓や入口がオープンになっていました。これで合併して支所にでもなったら、それこそ空洞の多い柱だらけの建物が噴水を囲む、アルハンブラ宮殿のようになってしまうのではないかと思いました。
新聞を賑わす選挙のやり方など政治に熱心な島という印象だったので他の2町もこれと競うような奇抜なものかと半ば楽しみにしていたら、意外にもどちらも古いのままの、特徴のないものでした。バスの運転手は、合併はもうこれ以上国?県?に抵抗できず時間の問題だろうと言っていました。
[58906] 2007年 6月 8日(金)11:28:38役チャン さん
奄美大島の路線バス
奄美大島内の市町村役場めぐりを路線バスで行いました。何かのご参考になるかも知れませんので報告します。

奄美大島には平成の合併以前は7市町村がありましたが、そのうち名瀬市と笠利町、住用村が2006年3月に合併し奄美市になりました。間に龍郷町を挟んだ笠利町とは飛び地合併で話題になったところです。島の人口は82千人、面積712万㎡は佐渡より狭く対馬より広い、どちらも単独の市になったのだからここだって当然そのような話はあったのでしょうが、いずれにせよ私はこの7庁舎に行きました。

島には奄美交通と道の島交通という2つのバス会社があります。ほぼ全島に路線を張り巡らせている奄美交通は鹿児島交通の子会社で岩崎グループに属します。これに対し道の島交通は2005年1月までは岩崎バスと称していたのですが、鹿児島の岩崎グループとは全く関係がなく、改名した理由のなかには紛らわしいということもあったようです。南海日日新聞2005.1.15記事 奄美交通に比べるとかなり小規模で空港へも乗入れておらず、大半は奄美交通と同じ路線を補完するように走っていますが、宇検村だけはこの社のものでしか行けません。

それにしても両社とも経営が苦しいのか、とにかく走っているバスがかなり古いものばかりでした。いずれも本州や九州からの中古車でしょうが車体が所々錆たり腐食しているところに何度も塗装を施していて失礼ながら何とかの厚化粧といった感じです。ただしどのバスも乗って感じるのは足回り、すなわちエンジンの調子はそんなに悪くなさそうなことです。これはわが国の自動車工業の技術水準の高さなのかも知れず、日本の車はかなりの長期間、走行性能は落ちないものなのかも知れません。或いは道路が良いからかも知れませんが。逆に言えば、外見の劣化とかスタイルの陳腐化だけで車を買い変えているユーザーがまだまだ多いのかも知れません。

地図で見るとの奄美大島の形はなんとなくグレートブリテン島の北部、スコットランドに似ています。深く切り込まれたいくつかの湾がだんだん狭くなり、そして川となったところに集落が発達している。名瀬や龍郷がそうであり、宇検の集落も同様で、グラスゴーやインバネスなどに似ています。しかし地形は全く異なり、奄美は険しい山地の連続で、特に島を横断する山並がいくつもあり洗濯板のようです。鹿児島から沖縄まで続く国道58号線が北部の笠利からから南部の古仁屋まで73.3Km、本島内を縦貫していますがその間に長さが1キロ以上のトンネルが6つ、その内2つは2キロ以上です。また名瀬からはどこに行くにもまずトンネルです。

名瀬から他の6つの庁舎へ行くバスは、2社を合わせればほぼ1時間に1本は走っています。しかし宇検村だけは往復2.5本しかなくここが行程上のクリティカル・パスとなり、途中に喜界島への往復を含め足掛け3日をかけることになってしまいました。
宇検へは島の道交通本社前から乗車しましたが、ここで事前に切符を買うと5%引きでした。20人乗りくらいのマイクロバスは、高校生などでほぼ満席の客を乗せ国道58号線を南下、いくつかの長いトンネルを抜け島の東側に出て、旧住用村の役場、現在は奄美市の住用総合支所のある西仲間に到着しここでバスを乗換えました。 
同じ大きさのマイクロバスでしたがこちらはかなり旧式で、ここだけは他と違ってエンジンまでも劣化しているのか苦しそうな音を出しての走りでした。国道から島を横断する道路に入ると密林の中のカーブが続く道には集落など全くありません。30分近く走りようやく人家が見え出した頃からひとりふたりと客が降りて行きます。リクエストされてではなく、運転手がバス停でもないところで勝手に停めているので完全にルーチンワーク化されているようです。やがて焼内湾のリアス式海岸のような地形の最奥とでも言ったら良いのか、役場のある湯湾という所に着きました。宇検村の集落はこの焼内湾の沿岸に沿って点在しており、乗って来たバスはこのまま湾北岸方面に走り去りました。一方南岸の集落へはまた別のマイクロバスがここから出ており1人の高校生だけが乗り換えて行きました。

以下に島内での行程を記しましたので参考にしてください。

5/16 (水)    
宝島10:30 → 13:35名瀬港フェリーとしま2248名瀬市(奄美市)
入舟町15:09 → 15:51大和浜奄美交通バス2249大和村
大和浜16:24 → 17:05入舟町奄美交通バス
5/17 (木)     
入舟町7:43 → 8:19龍郷役場前奄美交通バス2250龍郷町
龍郷役場前8:40 → 9:05赤木名奄美交通バス2251笠利町(奄美市)
赤木名9:58 → 10:06万屋奄美交通バス
万屋10:07 → 10:25奄美空港徒歩1.6Km
奄美空港12:08 → 12:17喜界島空港JAC38332252喜界町
(12:11離陸)(着陸12:16)
喜界島空港12:20 → 12:35喜界町役場徒歩1.5Km
喜界島空港14:29 → 14:44奄美空港JAC3832
(14:33離陸)(着陸14:41)
奄美空港14:55 → 15:40朝日通奄美交通バス
道の島交通本社16:30 → 17:02西仲間道の島交通バス
西仲間17:04 → 17:46湯湾道の島交通バス2253宇検村
5/18 (金)    
湯湾6:53 → 7:21 新村 道の島交通バス
新村 7:22 → 7:34 西仲間 道の島交通バス 2254住用村(奄美市)
住用中学前 8:40 → 9:14 古仁屋小学校前 奄美交通バス 2255瀬戸内町
古仁屋 10:50 → 13:07 平土野(徳之島) フェリーきかい
[58891] 2007年 6月 7日(木)17:53:34役チャン さん
最短航空路は南北大東島
[58887] N-H さん
奄美空港~喜界島空港間はだいたい20kmちょっとくらいかと思いますが、残念ながら上には上があるのでした。それは、南大東空港~北大東空港間の路線です。正味10kmちょっとくらいではないでしょうか。
おっしゃる通りでした。昨年行ってきたのに船だったのですっかり忘れていました。この二つの島の滑走路はほぼ一直線上にあるので風向きによっては正味飛行時間は1~2分ということもあるかも知れませんね。

ご参考までに、私が船で行ったときの航路です。
那覇(泊港)17:00 →翌日7:40 北大東島 8:40 → 9:30 南大東島(西港) 14:00 →15:00北大東島(西港) 泊
北大東島(江崎港) 翌日14:20 →15:10 南大東島(亀池港)16:20 →翌日7:20那覇(泊港)
南大東島で下船し約4時間島内散策をした後北大東島に渡り民宿に泊まり翌日の便で戻りました。

飛行機は(曜日によって順序が変わりますが)南北両方の島にそれぞれ25分間だけ駐機し那覇に戻りますから、両方の島を見物をするには両島に泊まらなければならず最低でも2泊3日は必要です。
船の場合は合計4日必要ですが初日と最終日は沖縄本島で有効に使え、片道料金4620円は飛行機の通常料金の四分の一以下、これには2泊分の宿泊料も含まれているので日程面でも費用面でも船の方が断然有利です。

島での乗下船はコンタナ大のケージ(鳥かご)に入り、クレーンで吊り上げられて移動するものですが、ゆっくりと丁寧に行うのでスリルは感じられず、エレベーターに乗っているようなもので、船に乗降する方式の中では客にとって最も安全で楽な方法と言えるかも知れません。
   
ところが北大東島(江崎港)からの乗船だけは「はしけ」でした。埠頭の上に置かれたボートに乗せられライフ・ジャケットを着けさせられます。ボートはクレーンで吊るされ海面に下ろされ、それから本船に向います。船横の一箇所扉の開かれた部分に横付けされると、波で激しく上下するなか、ボートが最も上昇したタイミングでひとりづつ本船に飛び移ります。他人のを見ているとむずかしそうですが、中から船員が手を差し伸べてくれるので思ったよりは怖くはなかったです。しかし船だとこういう目に逢うこともあります。

それに船は699tの貨客船なのでかなり揺れます。
飛行機か船か、さあ、どちらを選びますか?


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示