都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
出石隠さんの記事が10件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[35258]2004年11月23日
出石隠
[35176]2004年11月18日
出石隠
[34979]2004年11月9日
出石隠
[34921]2004年11月7日
出石隠
[34917]2004年11月7日
出石隠
[34873]2004年11月6日
出石隠
[34872]2004年11月6日
出石隠
[34733]2004年11月3日
出石隠
[34730]2004年11月2日
出石隠
[34569]2004年10月28日
出石隠

[35258] 2004年 11月 23日(火)10:30:16出石隠 さん
やっぱり大田市
大田市、仁摩町、温泉津町の首長、議長による6者協議で新市名を大田市とすることを決定し、合併協議会に提案するそうです。
http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/gappei/simane/2004/11_12/1120_a.html
ただし、3年後の世界遺産登録時に再度、石見銀山市への市名変更を検討するとのことです。

仁摩、温泉津町民に「どうせ編入と同じ」という意識をできるだけ持って欲しくなかったのですが、「3年後に再検討する」という1文を付け加えることで、住民感情も落ち着き、何とか収拾がつくのではないかと推測しています。
[35176] 2004年 11月 18日(木)22:02:53出石隠 さん
真穴
愛媛のみかんを食べました。
その産地は・・・JA西宇和 まあな
まあな?なにそれ?と調べてみたら、
愛媛県八幡浜市真穴地区(真網代と穴井)とわかりました。おいしいみかんの産地だということです。愛媛では有名なのでしょうか。大字単位の合成地名は地元民以外だとわかりにくいですが、JA支所の名前や学校名にあったりしますね。
江津でも、敬川+波子で川波、松川+川平で松平などがあります。その上、川平は川下と平床の合成だったりします。
[34979] 2004年 11月 9日(火)23:43:53【1】出石隠 さん
石見銀山など
[34936] [34934] 熊虎 さん
まとめてレスのような、そうでないような書き込み、失礼します。

匹見、美都が益田市へ編入合併した際、地元紙「山陰中央新報」に、グリーンライン90と名づけられた道路整備推進についての広告が掲載されました。現在、益田市中心部から匹見町旧役場まではR191経由でも、R9&R488経由でも1時間近くかかります。道路改良整備も大分進み、距離としてはどちらも40キロないのですが、2車線化してない箇所、すれ違い困難な箇所、蛇行が続く箇所が残り、運転に気を使います。益田発R191・県道・匹見・R488・R9益田着を90分で通行できるようにという意味のようです。


石見銀山には負のイメージも多くあります。というより、庶民にとって鉱山は負の遺産そのものだと思います。最盛期には20万人(多分に誇張があると考えられている)が暮らしていたと古い書物「銀山旧記」に書かれているそうですが、その多くは間歩と呼ばれる坑道内で作業をする抗夫や重労働を強いられる人々と考えられるでしょう。また、代官所があった大森の町並みは落ち着いた雰囲気をもち、現在では散策する観光客の姿もちらほらとあります。ただ、神社や寺、当時の役宅などのうち、文化財に指定されていないものはなかなか保護できず、荒れた状態のところが少なくありません。仮に整備しても観光地化は難しいでしょうし、どっと大勢やってくるような場所にはしてほしくないです。7,8回町並みを歩いたり、資料館や間歩へも行きました。いつ行っても知りたいことがたくさん出てくるのですが、わいわいがやがや楽しい気分にさせる場所ではありません。明るいイメージではないのに、時々行ってみたくなる場所です。


掘庭園で紅葉見頃というニュースがありました。堀氏は笹ケ谷などの鉱山の年寄役とのこと。石見銀山ネズミトリの産地は笹ケ谷だったか、益田市(旧美都町)の都茂鉱山だったか・・・
http://www.kankou.pref.shimane.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=navi-searchDetails&serialNumber=m002451
[34921] 2004年 11月 7日(日)22:21:29出石隠 さん
さんずい
数年住んでいて、最近気付いたのですが、江津市には江津町、渡津町があり、市名から町名まですべて同じ部首(さんずい)の地名です。ちょっとめずらしいかなと思い、書き込みました。
[34917] 2004年 11月 7日(日)21:37:46出石隠 さん
メンバー紹介文感謝
[34883]太白さん
大変遅くなりまして申し訳ありませんが、新規登録された方のメンバー紹介記事をリリースいたしました
実は首を長くして待っておりました。素敵な紹介文ありがとうございます。
「隠岐への隠居」、いいですねえ。釣りも料理も魚好きにはたまらない土地です。出張や友人宅へ行ったりと、これまで10回ほど訪れています。唯一の欠点は天候。飛行機、高速船、フェリーともに欠航になることが年に数回あります。
数年前、出張で出かけた際、金曜日のうちに島後(隠岐の島町)から島前(海士町)へ移動、西ノ島町を経由して本土へ帰る予定が、午前中の便が全て欠航。昼過ぎにかろうじて出航したフェリーで島前に渡りもう一泊。土曜日に仕事を済ませて帰った経験があります。ちなみに、西郷港のフェリーターミナル近くにあるパチンコ店は、普段閑散としているのに、天候が荒れているときほど混んでいるそうです。
[34873] 2004年 11月 6日(土)16:56:23出石隠 さん
出雲 高校
白桃さん 本当に残念でした。(まだ可能性は残っていますが)
悔しさのほど、その書き込みから伝わってきます。
当方、全くと言っていいほど期待はしておらず、また1回戦負けだったこともあり、今回の選抜はまず無理です。バッテリーが双子の兄弟、堅守と粘りが身上の好チームですが、投手が肩を壊し、10個以上の与四死球。控えのレベルが今一で、県、中国大会通じて9人で戦ったとのこと。夏以降を期待しています。
[34872] 2004年 11月 6日(土)16:44:50出石隠 さん
出雲 石見
[34739] 笠津前浜 さん
雲北という言い方もあるのでしょうか。

私は全く聞いたことがありません。これに変わるものとして、宍道湖の北側を湖北と呼ぶことがよくあります。湖南はあまり使わず、宍道、玉湯と町名を用いたり、9号線沿いと呼んだりします。(湖南は中学校名、工業団地名などにあります)また、出雲市や松江市周辺の住民は、島根半島の山塊を北山と呼んでいます。それぞれの地域から見える山は違うのに、いずれの地域も北と南に山地を抱えているので、結果として同じ北山という名称を用いているのでしょう。ちなみに南山とは言いません。それこそ、雲南とか、中国山地の方とか、町名や郡名を用いて称しています。

石東文化ホールという名称の建物は無かったことを思い出しました。

浜田、益田に比べて、大田の規模が小さく、出雲など東部地域と距離が近いことから、該当の施設が出来なかったのではと推測します。これらの施設はいずれも県が主導で建てたものです。大田には数年前、あすてらすという県女性センターが駅前に立ちました。県と市が寄り合いながらやっていかざるを得ないです。
石東の名は、企業の営業所名などに時々使われています。圧倒的に大田を使われることが多いのですが。
[34733] 2004年 11月 3日(水)00:01:30出石隠 さん
三次へ
[34718] 美濃織部 さん
先日、三次市の方へ車を走らせていたら、豊栄町と旧・三和町の境標識が、「三和町」から「三次市」に変わっていました。合併から半年たっているので、まあこれはあたりまえ(違和感はありますが)。で、さらに進むと、旧・三和町と旧・三次市の境にまた標識が。んん?と思いよく見ると、合併前は「三次市」だったのが、「三次市下志和地町」と変わっている!

R375ですね。自分も3週間前に通りました。「三次市下志和地町」には、なるほどねと感心しましたが、なんか変な感じでした。
[34730] 2004年 11月 2日(火)23:41:36出石隠 さん
津和野と日原と美濃郡・・・島根県石西(せきせい)
11月1日付けで美濃郡美都町、匹見町が益田市に編入合併し、美濃郡が消滅しました。
匹見町は社会科の教科書に過疎の村として写真が掲載されるところです。昭和38年の豪雪以来人口が減少し続け、平成12年には約1800人、面積が約300平方キロ、人口密度は約6人/平方キロです。美都町も約2700人、面積約130平方キロ、人口密度約20人/平方キロです。新益田市は人口約54000人、面積730平方キロでスタートです。旧益田市からみると、面積が430平方キロ増えたのに対して、人口は4千数百人しか増えていません。ツキノワグマの生息地である西中国山地北側の大部分が、日本海や山口県と接する益田市に加わりました。

益田市の南側には鹿足郡4町村、日原町、津和野町、柿木村、六日市町があります。当初この4町村で合併協議が進んでいましたが破局。日原・津和野、柿木・六日市という組み合わせになりました。柿木・六日市の合併は来年秋の予定で順調に協議が進んでいるようですが、日原・津和野は05年3月の期日にこだわる津和野と延期を求める日原との間で、いざこざが続いているようです。町名を津和野、本庁舎を日原に決めたのは良いのですが、津和野側は津和野分庁舎に本庁舎とさほど変わらぬ機能を持たそうと要求しているとのことです。
津和野はネームバリューの割に小さな町です。日原は津和野に隣接しながら、鉱山があったため、津和野藩領ではなく天領になっていました。傍から見るより拮抗したライバル関係にあるようです。破局の可能性も残っています。

ちなみに島根県西部の旧国名は石見と言いますが、大田、邇摩郡を石東(せきとう)、浜田、江津、那賀郡近辺を石央(せきおう)、益田周辺を石西(せきせい)、邑智郡は邑智、鹿足郡は鹿足と呼ぶことがあります。
[34569] 2004年 10月 28日(木)22:27:03出石隠 さん
きっと大田市
地元で毎日ニュースに接していると、この合併の行く先がなんとなく見えてきます。
ちなみに1市2町の人口は、( http://www.pref.shimane.jp/section/chihou/d-book/
 大田市 仁摩町 温泉津町 合計の順で
 平成 2年 36,922 5,506 4,863 47,291
 平成 7年 35,333 5,174 4,446 44,953
 平成12年 33,609 4,911 4,053 42,573
 平成15年 33,066 4,879 3,853 41,798
10年で約1割、人口が減少しています。平成以降、島根県内で人口が増加しているのは松江、出雲およびその周辺のいくつかの町村に限られており、石見と呼ばれる西部地域市町村の大半が10年間で5%以上の人口減少を記録しています。大田地域も例外ではありません。今後も、多少鈍化するようですが、減少傾向は変わらないようです。打開策や振興策とかが既に効かない状況です。この状況で活きていかねばなりません。

合併に伴う新市名は、温泉津町、仁摩町が折れて、大田市となることでしょう。(自分勝手な予測です。)
できることなら、大田市長はじめ執行部が、議会および市民に対して、納得のいく説明をして、石見銀山市を採用するように持っていって欲しかったです。市長が協議会に対して、大田市を要望したことから、温泉津町、仁摩町は嘆息しながらも受け入れることになると思います。
私が石見銀山にこだわる理由のひとつに、「石見銀山から産出された銀が世界へ流通し、加工され、今でもあちこちで使われているのでは?」という思いがあります。石見銀山は初め山口の大内氏が支配し、その後、尼子氏、毛利氏との三つ巴の争奪戦を経て、近世には天領として、徳川家のものになります。近世も初期以降は、産出量が随分と減少したようです。大内氏は室町幕府と明との正式な貿易とは別に、私的に明との貿易を行っていました。また、近世の銀山最盛期は鎖国に入るまでであり、ここから産出された銀の多くは海外へと輸出された可能性が高いと思われます。世界遺産登録に向けて、今後研究が進められていく分野だと思います。

市名が大田になっても何の違和感もないです。中心市街地、3市町で人口、面積とも最大、韓国大田市との友好関係などなど、新市名に大田がふさわしい十分な理由があります。ただ、やっぱり自分は石見銀山市がいいなあ・・・しつこい!


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示