[67589] YT さん
なんかじっくり読んだり考察したりする時間が無くて、中途半端な内容になっちゃいますが、少しコメントを。
まず、明治12年の第二回共武政表の鹿児島について。
パッと見た感じですが、今で言う鹿児島市の加治屋町、山下町、薬師あたりが無いような気がします。もうちょっと具体的に書くと、当時の山之口馬場町、樋之口通町、東千石馬場町、西千石馬場町、新照院通町、薬師馬場町、鷹師馬場町などです。(細かく書けばもっとあるはずです。)
また、第三回、第四回共武政表の鹿児島は、恐らく鹿児島県庁直轄の府下(もしくは庁下)と称された部分(六日町~塩屋から東之町、中之町、西之町を引いた部分)に当たると思います。ただしこれはあくまで数字を元に考察しただけですので、参考程度にお願いします。
因みに、この東之町、中之町、西之町は西田3町と呼ばれたところらしく、後の西田町とイコールのようです。
ただ、こう書いてしまうと、第二回と第三回、第四回で鹿児島の人口が変わってしまいます。
このことについては、明治11年に大区小区制に変わって郡区町村編制法が公布されていますので、それが関係しているかもしれません。
坂元村についてはちょっと分かりませんが、他に坂元と呼ばれる地域は無いと思うので、数字が正しいのであれば、合併・分立などで区域が異なるのではないかと思います。