都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
今川焼さんの記事が10件見つかりました

… スポンサーリンク …



[87695] 2015年 5月 6日(水)17:37:54今川焼 さん
【第三回】北陸新幹線金沢開業記念 ペアシティ七番勝負 解答
問一:大阪市/広島市
問二:篠山市/西脇市
問四:洲本市・淡路市
問五:松江市・江田島市
問六:秩父市・養父市
問七:泉佐野市・神戸市

ようやくまとまった時間がとれたので、遅ればせながら参戦します。
[87348] 2015年 2月 28日(土)22:02:08今川焼 さん
未掲載の現役「若年で当選した首長」
今日、庁舎移転ケチケチ作戦 楽天出身の町長が圧縮策 茨城という記事が目にとまりました。財政状況の厳しい城里町で、休日に職員総出で新庁舎への引っ越しをするという記事でしたが、その中に
指揮するのはIT企業「楽天」の出身で、県内最年少の30代首長だ。
とあります。
調べてみると、昨年9月21日に36歳で当選した町長の上遠野修(かとうの おさむ)氏のことでした。記事
生年月日等詳しいことはわかりませんが、とりあえずご一報まで。
[87279] 2015年 2月 11日(水)18:27:51今川焼 さん
鼻面半島
[87264]EMMさん
半島コレクションに、鼻面半島(福岡県)、鼻面半島(愛媛県 西海半島の別名)を追加しました。情報ありがとうございます。
コレクション収録済みの愛媛県の西海半島の別名が鼻面半島であるようです。ただし、その旨記載されているのはコトバンクのみですので情報としてはちょっと弱いかもしれません。
手元のコンサイス日本地名辞典にも同様の記述がありましたので、まぁ大丈夫でしょう。また、検索してみると旧西海町の中心集落由来の船越半島という呼び方が結構あるようなので、そちらも合わせて追記しました。
[87134] 2015年 1月 15日(木)22:00:46今川焼 さん
【第四十回】四十回記念大会 全国の市十番勝負 解答
問七:所沢市
問八:那須烏山市
[87121] 2015年 1月 14日(水)19:06:44今川焼 さん
【第四十回】四十回記念大会 全国の市十番勝負 解答
問五:長門市
問六:豊田市
問七:竹原市
問八:安曇野市
問九:飯塚市
問十:北斗市
[87085] 2015年 1月 11日(日)20:10:48今川焼 さん
【第四十回】四十回記念大会 全国の市十番勝負 解答
問一:佐賀市
問二:延岡市
問三:美祢市
問四:防府市

正月休み明けから昨日まで地域の行事に関わっていて、ゆっくり問題を考える暇がありませんでした。まだ残務処理があるのですが、時間を見て解答していきたいと思います。(白桃さんお気遣いありがとうございます)
[86657] 2014年 11月 10日(月)21:46:45今川焼 さん
【第三回】富岡製糸場国宝内定記念 クイ図五番勝負(解答)
問一:和歌山県岩出市
問三:島根県大田市
問四:福岡県福岡市/福岡県春日市

問四はちょっと微妙?
[86524] 2014年 10月 26日(日)22:41:43今川焼 さん
【第三回】富岡製糸場国宝内定記念 クイ図五番勝負(解答)
[86518] 2014年 10月 26日(日)22:15:12今川焼 さん
【第三回】富岡製糸場国宝内定記念 クイ図五番勝負(解答)
[86375] 2014年 9月 13日(土)18:34:13今川焼 さん
豊岡県
[86367] アクアさん
〝総論〟に関しては他の方に譲るとして、
豊岡県の豊岡は県庁としては北西に寄り過ぎてますし、当時は特に大きな都市でもなさそうです。
(豊岡県域での最大藩は篠山の現高3万6321石。対して豊岡は現高6032石。)

豊岡県の領域のうち現兵庫県分については幕末の所領配置図拡大図(もとページはこちら)をご覧いただくとわかるのですが、丹波・但馬地域のかなりの部分は天領・旗本領で、丹後にも熊野郡を中心に天領はかなりあったはずなのでその石高は篠山藩よりも相当多かったものと思われます(確たる資料はないので数字ははっきりしませんが)。
江戸期には丹後熊野郡の久美浜に代官所が置かれ、丹後と一部但馬の天領の管理を行っていました。1868年久美浜代官所が久美浜県となり、さらに丹波・丹後・但馬・播磨・美作の天領23万石を管轄する県庁が久美浜に置かれ大規模な県庁舎など県関連施設が造営されましたが…。

5カ国の広い範囲を北端の久美浜に統治所を置くことは、若干の問題があり、旧生野代官所支配地を中心に強い反対運動を起こしました。
明治2年8月但馬・播磨の180ヶ村が分割され生野県が置かれました。
分割は当時の中央政府の意に反することであり、合併をまとめるために、県庁所在地を地域の中央に移すことになり、明治4年(1871)11月「久美浜縣廃止、豊岡県設置」となりました。
久美浜百珍 歴史ガイドによる。

そして久美浜に建てられた県庁舎などは豊岡に運ばれて、豊岡県の県施設として利用されました。
結局、豊岡県内の小藩は、最初から県庁所在地としては問題外で、久美浜と生野の代官所(とその周辺)の力関係から妥協の産物として、たまたま豊岡が選ばれたということではないでしょうか。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示