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ペーロケさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[88804]2015年9月17日
ペーロケ
[88784]2015年9月11日
ペーロケ
[88611]2015年8月10日
ペーロケ
[88589]2015年8月8日
ペーロケ
[88574]2015年8月6日
ペーロケ

[88804] 2015年 9月 17日(木)12:44:20ペーロケ さん
キャリアロー
[88803] 白桃 さん
「現在の市名で登場した今までの国勢調査の中で、最高を記録した人口をその市の「キャリアロー人口」とします。
2010年国勢調査までに、「キャリアロー人口」が3万人未満を記録した市が117市あります。
最高が3万人未満なら、幕内には入れません。多分、最低ですよね?
[88784] 2015年 9月 11日(金)23:49:59【1】ペーロケ さん
緊急速報メール
豪雨被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。今回の豪雨、改めて昨年の広島豪雨を思い出します。しかし、昨年の広島は、特別警報が出たわけでも無ければ、太田川の堤防が決壊した訳でもありません。しばらく土砂災害が起きていなかった所に対して砂防ダムの整備を後回しにし、土砂災害警戒区域の指定に向けての調査すらまだ手がつけられていなかったという行政の怠慢、または広島市で前日に駅やらデルタの至る所で冠水するほどの集中豪雨が降り[86310]、さらに大雨が継続的に降ることが予想されたのにもかかわらす避難を呼びかけてこなかった行政の怠慢という側面が強いのですが、今回の災害は特別警報を発令されて警戒を呼びかけたにもかかわらず被害が出た、それも3県に渡って被害が出たということで、改めて今回豪雨の「規模の大きさ」を実感しています。

特別警報の一報を聞いたのはちょうど職場でラジオを聴いてたとき、突然ラジオで「栃木県に特別警報」との情報が入り、渡良瀬川の近くに住む親戚を心配しつつ仕事を片付け、家に帰ると嫁に「キドカワが危ないらしいね」と言われて、木戸川ってどこだろ?そんな川あったかな?と思い、「鬼怒川」の怒を「ど」と呼んでいることに気づくのにちょっと時間がかかりました。ま、地理に疎い一般人はこんなもんでしょうか(汗)

[88781]グリグリさん
どういう基準でどの範囲に通報されるんでしょうね。
自治体やキャリアによって異なるかもしれませんが、例えばauではエリアごとに緊急速報メール、docomoではエリアメール、ソフトバンクでは緊急速報メールが配信されますが、広島市の場合は区ごとに送られてきます。緑井、八木地区の可部線以西部分では、ちょっとした雨でも避難勧告が出るようになり、その避難勧告メールが安佐南区にある全ての携帯に送られてきます。例え夜中であっても叩き起こされます。で、メールを見ると、またあそこか~と落胆。避難勧告解除のお知らせも一斉送信されます。電車の中でメールが送られてきたときには、乗客の携帯が一斉に鳴ってびっくりしますよ。また、私は職場が中区にあるので日中は中区にいるのですが、中区にいる間はそういったメールが送られてきません。携帯登録の住所基準じゃなく、携帯の所在地で判断しているのでしょうね。五日市に住む知り合いは、五日市はまったく雨がふっていないのに、湯来の山奥の避難勧告でたたき起こされたといったことも聞きました。システムの問題もあるんでしょうが、なるべく対象外の携帯には送らないで欲しいですね。安佐南区民には頻繁に発令される避難勧告に悪い意味で慣れてしまいました。東日本の人が緊急地震速報に慣れてしまった時期があったようですが、それと同じような現象です。避難勧告を頻発するのは逆効果ですね。

調べてみると、どうやら、広島市に大雨洪水警報が発令されると自動的に避難勧告を発令していた模様です。例え被災地に雨が降っていなくても避難を呼びかけられて避難しないといけないといったこともあったようで。。。これ、何とかなりませんかねぇ??
[88611] 2015年 8月 10日(月)23:21:49ペーロケ さん
四国勢最近勝てないなぁ。。。
 本物の十番勝負が入門編でも難しすぎて手も足も出なかったけど、こっちはすぐに分かって、面白い問題だったので、思わず答えたくなりました。グリグリさんすみません。。。

問十一:高山市

今年は惜しかったですね。ここ。
[88589] 2015年 8月 8日(土)11:35:37ペーロケ さん
被爆70年についてのレス
 被爆70年、本当に色々なことを考えさせられました。私が住んでいる地域でも、いわゆる「黒い雨」が降ったという証言があるようですが、国には正式には認めてもらっていないグレーゾーンだそうで、もし証言が本当であれば、非公式ながら妻は被爆3世、子供は被爆4世ということになる可能性もあります。

[88575]グリグリさん
風化させたくないですね。
 もっともです。物心ついたばかりだった人も75歳くらいと高齢になっており、生の声を聞けるのもあとわずかですね。一方で、NHK世論調査でも、広島在住でも原爆投下の日付が答えられない人がいるとかで風化が指摘されます。広島でよく話題になるのが、「8月6日をこんなに意識しているのは広島の人だけ」といったことですね。私も県外の学校で学んだので、あまり偉そうなことは言える立場ではないのですが、子供は広島市内の小学校に通わせていて、8月6日のことを徹底的に叩き込まれています。だけど、私は小学時代、ここまで平和教育されたっけなと。もちろん私が小学時代を過ごした西宮市も空襲があったようですが、そこまで深くは学びませんでした。なので、西宮市に空襲があった日付とか答える自信がありません。ほかの空襲を受けた都市に住む方も多くは同じなのではないでしょうか。もっとも、日付が答えられるか、というのはそんなに重要ではなくて、それよりも「何が起きたのか」を理解していたらそれでいいと個人的には思うのですが、どうでしょうか?

[88581]hmtさん
「70年不毛説」
に対する考察ありがとうございます。[88574]にて「2、3年で雑草が生えた」と書きましたが、二階堂和美さんの「伝える花の歌詞に、「たったひと月で花が咲いた」とありました。二階堂和美さん歌手であり僧侶であり母であるといった3つの顔を持っておられます。そういった地元を離れられない事情があり、大竹市に住みながら歌手活動をされています。大竹市といえばhmtさんゆかりの地ですね。

被曝4日後のヒロシマ、360度パノラマ写真をリンクしていただき、有難うございます。
いえいえ、私もこれを初めて見たときは衝撃的でした。よく阪神淡路大震災や東日本大震災の被災地を取り上げて「まるでヒロシマみたいな」と比較するような記事を見たことがありますが、この写真を見ると改めてヒロシマを自然災害と比較するのはナンセンスだなと感じます。欲を言えば福屋の屋上からのパノラマであれば産業奨励館も望むことができますが、爆心地に近くなるので崩れかけて屋上に登るのも危険だったのかもしれません。福屋の建物もよく見ると上層にいくに従って黒くなっています。撮影されたビルは爆心地から遠いとはいえ、安全に登れる状態で残っている数少ないコンクリート建造物だったのかもしれません。

爆心地と反対の東側を見ると猿猴川に架かる広電の軌道のぐにゃりと曲がった姿。
指摘されて気づきました。これはおそらく猿猴川ではなく、京橋川の稲荷橋ですね。橋梁部は現在と違って広電の専用橋だったのでしょうか。

[88584]じゃごたろさん
「ひばく」の「ばく」の字が違うんですよね。
私は「被爆」といえば「原爆投下による被害」という認識しかなく、焼夷弾などのイメージは沸きません。そのあたりはhmtさんの世代とは用法が異なるかもしれません。また、「被曝」といえば、「広い意味での放射能被害」という認識ですね。例えば第五福竜丸事件は原爆による核実験を起因としてはいますが、攻撃された訳ではなく「たまたま」近くで操業していたということで、「被曝」の字が使われます。

 ただ、3.11以降、「被爆」と「被曝」を混同される方が目立つようになったのも事実です。広島の想いは「脱原発」ではなく「反原爆」であり、平和を願うことが市民の共通認識です。「脱原発」は広島市民の間でも議論が分かれるテーマであり、広島市に本社を置く中国電力も島根原発を抱え、上関にも作ろうとする動きがあるなど、推進派も相当数います。賛否がくっきり分かれるテーマですし、8/6の広島はそれを議論する場ではないと市民は感じています。
 しかし、残念ながら原爆忌を政治利用する動きがあり、相対的に広島の想いがブレて発信されている感があります。反原発を主張する団体がデモを行ったり、平和宣言にも反原発が盛り込まれたりと、だんだんと違う方向に向かっているなと感じています。平和に対するメッセージをすりかえて特定の団体の主張を宣伝するような政治利用はやめて欲しいですね。
[88574] 2015年 8月 6日(木)02:38:45ペーロケ さん
被爆70年
十番勝負中にこんなことを書くのも変なことですが。。。

広島は被爆70年の日になりました。原爆によって破壊された街は、当時、「今後70年間は草木が生えない」と言われたそうです。その70年という数字の出所は分かりませんが、実際は2、3年後には雑草が生えて生物が戻ってきたとか。ただ、投下された当時に言われた、「草が生えだすだろう」とされる70年後を迎え、街は一見、平和なように見えます。しかし、実際は、右の方、左の方が両方集まり、街は選挙のとき以上に賑やかな宣伝カーにより大音量で凱旋活動され、仕事している身としては非常に迷惑です。こういうイデオロギーの小さな対立がエスカレートすることこそが、戦争へと繋がるのかもしれないと実感しています。この日くらいは左右とも仲良く、平和な一日を過ごすことはできないのでしょうか?

 広島市の人口は現在、100万人を超えているのは皆さん周知の事実でしょうが、合併により広域化している人口です。昭和20年ごろの市域に近い形としては、中区+南区+西区と、東区の西半分でしょうか。ただ、手元の昭和25年地形図では東区の区域は牛田早稲田以外は市街化が進んでいないと思われるため、ここでは外して考えます。すると、現在の上記3区人口はおよそ46万人。総務省によると、
昭和17(1942)年には約42万
とのこと。同じ区域で比較すると、戦前の広島市には現在とほぼ同じくらいの人がいたことになります。手元の地図では、デルタ内でも観音とか東雲あたりが田んぼだし、西区の商工センターはまだ海だし、市街地面積は現在よりもかなり狭いです。もちろん基町アパートのようなマンションなんて無い時代です。市街地の人口密度が非常に高かったんだろうなと想像できます。しかし、強制疎開などにより、
昭和20年6月には約24万5,000人(米穀通帳登録人数)に激減
中区と南区の合計が約27万人なので、西区の人口に匹敵するくらいの人が疎開などで減少したことになります。ただし、市のHPによると、
広島には約35万人の市民や軍人がいたと考えられています。これは、住民、軍関係者、建物疎開作業に動員された周辺町村からの人々などを合わせた数字です。
とのこと。昼間人口といったところでしょうか。

そして、原爆により亡くなったのが
昭和20(1945)年12月末までに約14万人(誤差土1万人)
とのこと。これは南区の人口に匹敵します。もちろん、生き残った約21万人?の人も、長いこと原爆症に悩まされることになります。こうして考えると、あれがいかに残酷な1発だったかというのが分かりやすいかと。


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