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ペーロケさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[87567]2015年4月26日
ペーロケ
[87498]2015年4月24日
ペーロケ
[87447]2015年4月2日
ペーロケ
[87383]2015年3月13日
ペーロケ
[87285]2015年2月13日
ペーロケ

[87567] 2015年 4月 26日(日)09:00:48ペーロケ さん
ぺあぺあ
問七:松山市・北九州市

苫小牧市・敦賀市が該当しない理由が分かりませんが、確認の意味も込めてあえて微妙な線で
[87498] 2015年 4月 24日(金)23:02:46【1】ペーロケ さん
所さんと、敦賀
所さんのニッポンの出番

 最近あまりゴールデンタイムにテレビを見られない仕事環境なので、リアルタイムで見るのは不可能なので、ググってみると、早速動画がアップされていました。まあ、リンクを貼りたいのはやまやまですが、著作権法違反に抵触する行為かもしれませんし、ちょっとそのあたりの法律には詳しくないので控えます。色々と勉強になりますよ。

[87455]ほか hmt さん
[87452]伊豆之国 さん
私が「疋田超え」と称した滋賀県~敦賀へのルート、確かに「愛発超え」の方がふさわしいですね。疋田と称したのは、実は超えたであろう峠が複数あって、どれがメインだったのか分からなかっただけなのですが(苦笑)詳しい解説をありがとうございます。
 敦賀という街、昔から気になっていました。近畿地方の地図の上の方に敦賀は入るのですが、シティーライナーで繋がっていますし、ほとんど近畿地方と言ってもいいくらい。福井県内の位置関係でも、敦賀は嶺北じゃないのに若狭でもない、逆に言えば、越前なのに嶺南という不思議な位置関係ですね。越前なのに、越前本体との間には際しい木の芽峠[87470]があり、JRで言えば北陸本線で最長の北陸トンネル、北陸自動車道は2本に分かれて上下線がクロスするといった珍しい光景も見られます。ここまでしないと超えられない嶺北と嶺南間の「嶺」を挟んでも、越前が手放さないのも頷けるような良港であり、古来より交通の要衝だったんだろうなと想像できました。近江との峠よりむしろ越前本体との「嶺」の方が険しいのではないか。とも思えるほど。
 そういえば、この「嶺」ではありませんが、6年前のゴールデンウィークに国道8号で嶺北~敦賀超えをしたことがあります[69963]。国道8号は木の芽峠とは異なり、武生から河野付近とかなり北の方で峠を越え、長い区間を海を見下ろしながら長い坂を下っていく感じですね。残念ながら夜でしたのであまり景色は見られませんでしたが、昼間だったらさぞ美しいでしょうね。。。

※追加

[87493]hmt さん
散々言われてきたことですが、そもそも、近畿の定義もあいまいですからねぇ。。。福井は?三重は?とか。ちなみに福井県は近畿地方整備局管内ですし。
[87447] 2015年 4月 2日(木)12:39:25ペーロケ さん
疋田超え
[86324]で書いた疋田超え、なんと今春、敦賀気比が見事全国制覇達成。おめでとうございます。

それにしても、特筆すべきは背番号17の松本君、準決勝の優勝候補相手に2打席連続満塁ホームランとはすごい試合でした。
[87383] 2015年 3月 13日(金)05:45:46【1】ペーロケ さん
陸前高田の砂州
面積についての話題が続きますが、面積減少が著しい岩手県。岩手県の堤防整備に関する資料によりますと、丸1-3あたりが分かりやすいでしょうか。高田の松原が震災後、津波によってほとんど流失している航空写真が写っています。yahoo!地図では、流失した直後の様子でしょうか。砂州がほぼ無くなっている状態で写っていますが、Google mapでは、高田松原公園の整備が進み、堤防と共に陸地が復活している様子となっています。なので、これが復活して統計に反映される頃にはまた岩手県の面積増加が目立つんじゃないかな。

 ただ、この中でも最も最近の撮影と思われるGoogle mapでも、陸側の市街地がいまだに更地が多く、道路の区画整理とかさ上げしか進んでいない様が、震災4年目でもまだまだ復興が進んでいないなと感じざるを得ません。建設業の人材不足、資材高騰などもありますが、それでも復興が遅すぎます。例えば阪神淡路大震災で被災した西宮や神戸はどうだったか、おそらく4か月後にはJRがいち早く復旧していて、阪急、阪神もそれに続いて復旧が進んでいたと記憶しますが、陸前高田では鉄道すらもまだほとんど復旧していません。都市型災害と比較するのもナンセンスかもしれませんが。。。
[87285] 2015年 2月 13日(金)03:48:40【1】ペーロケ さん
一里山その2
こんな時間にまだ仕事中ですが、ちょっとブレイクタイムwww

[87284]ニジェガロージェッツ さん
二つの一里山が「まったく無関係」という意見は同意します。そもそも、私は由来が異なるとは書きましたが、「関係がある」とは一言も書いていませんよ。あえて問題提起として、[87265]グリグリさんの基準ではまったく無関係だけどたまたま同じ名前になった、という例も混じる可能性がある、と言いたかった訳です。個人的には、こういったものはあまり混ぜて欲しくないなあ、という希望的観測もあります。もちろん、判断基準はグリグリさんによりますので、あまり偉そうに言える立場ではないのは重々承知です。

ところで、グリグリさんは「大分市寒田」を微妙とおっしゃっていますが、大分市寒田は豊後大野市及び臼杵市の寒田よりかなり離れています。寒田の由来は詳しくはありませんが、地図リンクを見たとき、直感的に大分市寒田は他の2「寒田」と明らかに無関係、と言い切れるのではないか、と感じたわけです。この3地点を包含する巨大な「寒田」が過去にあったという証拠があれば話は別ですが、地図を見る限りは分断された、とはとても言えないのでは。
しかし、グリグリさんは、この大分市寒田を「微妙」という表現をされているので、隣接する都市間くらいなら「同じ地域」と判断させうるのでは?と思っていました。大分市も結構でかいですからね。

個人的には、分断の条件として隣接、あるいは非隣接でも「惜しい」と言えるくらいの距離じゃないと、分断とは言えないのではと感じています。

一里山の動画まで探していただきましたが、職場PC(未だにWinXPです><)では残念ながら見られません。(こんな骨董品をいつまで使わせるねん!!と会社に対する怒りがメラメラと。。。)いえ、落ち着きましょうw

甲山まで一里という説は、ソースがあるわけではなく、西国街道より武庫川を渡ったところで「一里先に山(甲山)」となる分岐があったらしい、ということを小学時代に地元の先生から聞いたことがある、という程度です。地元で伝わる口承はソースとしては弱いでしょうか?一里山付近に橋があったかどうかは不明ですが、ひょっとしたら「渡し」のようなもの、あるいは橋があったとしても沈下橋だったのかも?あと西国街道は現在上大市あたりで残っている「旧西国街道」は報徳学園付近で消えています。「一里山が西国街道に面している」と言っても、せいぜい報徳学園の北あたりで点隣接に近いのではないかと。

【追記】
その後気になって調べましたが、やはり、報徳学園あたりに「髪の渡し」があったようですね。西国街道Walker
あと、一里塚が段上村にあったのは間違いないようですが、それが一里山の範囲にあったのかまでは分かりません。
髭の渡しを渡って段上村に入った旅人は、一里塚の木陰でひと休みし、この付近にあった石橋を渡った。
古地図に裏堀石橋とある。古老によると、そこには渾々と清水が湧き出ていたという。
との説明板があるのは、おそらく上大市5丁目の鯨池浄水場付近ではないかと思われます。もっとも、当地に一里塚跡が明確に残っている訳ではありません。


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