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むっくんさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[110115]2024年2月29日
むっくん
[110075]2024年2月18日
むっくん
[110062]2024年2月16日
むっくん
[110019]2024年2月10日
むっくん
[110010]2024年2月9日
むっくん
[109922]2024年1月25日
むっくん
[109895]2024年1月20日
むっくん
[109891]2024年1月20日
むっくん
[109890]2024年1月20日
むっくん
[109861]2024年1月15日
むっくん

[110115] 2024年 2月 29日(木)20:12:27むっくん さん
将来の変遷情報
[110080]グリグリさん
まず、最初に[110075]拙稿で言いたかったことは、ネット上では
1952(S27).4.28 東京都 小笠原諸島が米国信託統治下になる 小笠原諸島5村廃止
1952(S27).4.28 鹿児島県 奄美群島が米国信託統治下になる/奄美群島において従来の市制町村制が正式に適用外となる 大島郡6町14村
1952(S27).4.28 沖縄県 沖縄県が米国信託統治下になる/従来の市制町村制が正式に適用外となる 3市5町50村
との表現も見受けられますが、正しくは[109212]拙稿の
1952(S27).4.28 東京都 小笠原諸島が正式に米国統治下になる 小笠原諸島5村廃止
1952(S27).4.28 鹿児島県 奄美群島が正式に米国統治下になる/奄美群島において従来の市制町村制が正式に適用外となる 大島郡6町14村
1952(S27).4.28 沖縄県 沖縄県が正式に米国統治下になる/従来の市制町村制が正式に適用外となる 3市5町50村
であり、それを説明したつもりでした。[110075]拙稿の書き方が少々まずかった点は反省しております。
信託統治下であれば、沖縄では第二次世界大戦後アメリカ軍は土地の強制収用をすることは出来ませんでしたし、信託統治の制度上、日本からの独立を推し進めるはずで、日本国の潜在的主権という概念も提唱されなかったはずです。


これまでなかった変遷種別について
日本国領土外(1946.2.2東京都/鹿児島県)、日本国領土(1946.2.28鹿児島県,1946.3.22東京都)
これは東京都と鹿児島県だけではなくて北海道もあります。

[78869]紅葉橋律乃介さん
北方領土の6村が現存しているのは納得出来ますが、“本編”である「市区町村変遷履歴情報」では設置や廃止の情報はないものの支庁の区域に含まれている千島3郡(「得撫郡, 新知郡, 占守郡 」)が、その後どうなったのかは特に触れられていません。
とあり、これに関係するのが
18 1897(M30).11.5 支庁設置 根室支庁 根室郡, 花咲郡, 野付郡, 標津郡, 目梨郡, 国後郡, 色丹郡, 得撫郡, 新知郡, 占守郡 の区域
19 1897(M30).11.5 支庁設置 紗那支庁 紗那郡, 振別郡, 択捉郡, 蘂取郡 の区域
28 1903(M36).12.22 支庁設置 根室支庁 紗那支庁を廃し根室支庁の管轄区域に加える
1947(S22).5.3 全ての市町村において市制町村制を廃止し地方自治法施行 11市59町209村
480 2010(H22).4.1 支庁設置 根室振興局 根室支庁を改め、新たに根室振興局を設置する
です。

独立行政法人北方領土問題対策協会ソ連の占拠によりますと、町村制未施行地域の得撫郡, 新知郡, 占守郡 の区域は国際的な第二次世界大戦終結日以前の1945(S20).8.16から1945(S20).8.31にかけてソ連により占領され、北海道二級町村制施行地域の北方領土の区域(花咲郡 歯舞村の一部(珸瑶瑁水道にある貝殻島及びそれ以東の諸島部), 国後郡 泊村, 留夜別村, 色丹郡 色丹村, 紗那郡 紗那村, 択捉郡 留別村, 蘂取郡 蘂取村)は1945(S20).8.28から1945(S20).9.5にかけてソ連により占領されました。
その後連合国軍から日本政府に対してSCAPIN-677(S21.1.29)が1946(S21).2.2に出されて、事実上日本国の施政権の及ばない地域となりました。
#SCAPIN677号第6項には
6  この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。
とあり、SCAPINによる施策が連合国の最終決定ではないと述べられています。
#しかしながら、ソ連は得撫郡, 新知郡, 占守郡 の区域及び北方領土の区域を同日付で自国領土に編入しました。

その後日本国はサンフランシスコ平和条約(昭和27年条約第5号)その1その2その3その4その5(S27.4.28)を1951(S26).9.8に締結し、1952(S27).4.28に発効しましたが、ソ連はサンフランシスコ平和条約の締結をしませんでした。
外務省HP北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)によると
日本は、サンフランシスコ平和条約により、ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません。また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利を主張することはできません。
とあり、1952(S27).4.28の時点で日本国は得撫郡, 新知郡, 占守郡 の区域の領有権放棄を国際的に宣言して承認されたとしています。
そして、日本国はサンフランシスコ平和条約に拘束されますが、(ソ連の法的立場を引き継いだ)ロシア国はサンフランシスコ平和条約に拘束されず、日本国とロシア国の平和条約締結の前段階として両国領土の境界線は最終確定されることになります。

次にどのように記載するかですが、まずは
1947(S22).5.3 全ての市町村において市制町村制を廃止し地方自治法施行 11市59町209村
480 2010(H22).4.1 支庁設置 根室振興局 根室支庁を改め、新たに根室振興局を設置する
を、
1947(S22).5.3 得撫郡, 新知郡, 占守郡を除く全ての市町村において市制町村制を廃止し地方自治法施行 11市59町209村
480 2010(H22).4.1 支庁設置 根室振興局 根室支庁を改め、新たに根室郡, 花咲郡, 野付郡, 標津郡, 目梨郡, 国後郡, 色丹郡 の区域をもって根室振興局を設置する
として書いても異論は生じないと考えられます。
参考:根室振興局HP根室の姿2023概要(PDF)2コマ

そして日本国外務省の立場にたつと、領土の境界線が確定していない現状でも、
1945(S20).8. 得撫郡, 新知郡, 占守郡の区域をソ連が占領
1945(S20).8.28-1945(S20).9.5 国後郡 泊村, 留夜別村, 色丹郡 色丹村, 紗那郡 紗那村, 択捉郡 留別村, 蘂取郡 蘂取村, 花咲郡 歯舞村の一部(珸瑶瑁水道にある貝殻島及びそれ以東の諸島部)の区域をソ連(現:ロシア)が占領
1952(S27).4.28 得撫郡, 新知郡, 占守郡の領有権放棄
1952(S27).4.28 支庁変更 根室支庁 得撫郡, 新知郡, 占守郡 の区域を管轄区域外にする
とソ連からの占領区域を時系列順に分けて書けば特に問題もないのではないかと思います。無論、昨今の岸田政権に対して、少なくても昨年度からは「北方領土問題はそもそも存在しないし、日本に返還することはない」としているロシアの立場には相容れませんが、ソ連がサンフランシスコ平和条約に調印していない以上、法的には得撫郡, 新知郡, 占守郡ですらロシアの領土とは完全に確定した事実とはなり得ません。
そしてWikipedia(根室支庁)では
1948年(昭和23年)10月20日 - 地方自治法の施行に基づき支庁は都道府県が条例で任意に設置する総合出先機関となり、北海道支庁設置条例(昭和23年9月27日条例第44号)が施行される(条例で野付郡、標津郡、目梨郡、国後郡、色丹郡、択捉郡、紗那郡、蘂取郡、得撫郡、新知郡、占守郡を所轄区域とする。ただし、国後郡、色丹郡、択捉郡、紗那郡、蘂取郡、得撫郡、新知郡及び占守郡については当分の間これを適用しないと規定されていた。)
とあります。つまり、潜在的に、国後郡、色丹郡、択捉郡、紗那郡、蘂取郡、得撫郡、新知郡及び占守郡も根室支庁の管轄区域であったが、1952(S27).4.28に得撫郡, 新知郡, 占守郡の領有権放棄を放棄した事に伴い、得撫郡, 新知郡, 占守郡は完全に根室支庁の管轄区域ではなくなったと考えればおそらく問題は生じないのではないかと考えます。
#詳しい方、フォローをお願い致します。
#正確には北海道支庁設置条例(昭和23年9月27日条例第44号)を見ないといけないのでしょうが。

前述の未対応の北海道の一級二級町村制のデータを追加する際には、既存データも含め、変遷種別を一級町村制、二級町村制にするつもりなので、さらに2つ追加になります。
それで、特に問題はないのではないかと思います。見やすさを考慮すると、単に二級村が一級村になった1907(M40).4.1の札幌郡豊平村のような事例は別枠とせずに、例えば二級町と二級村が合併して一級町となった石狩郡石狩町
1907(M40).4.1 新設/町制 石狩郡石狩町 石狩郡 石狩町, 花川村
のような事例と同列で並べた方が見やすいのでしょう。


北海道に関係するところで、

[78869]紅葉橋律乃介さん
 前述の千島3郡を含め、「市区町村変遷履歴情報」の区制や町村制施行以前の支庁の改廃情報では、支庁の設置では区・郡名が、その後の管轄区域変更では村名(倶知安村、富良野村)が見えますが、郡はともかく村名は町村制未施行の村々です。「市制町村制施行時の情報」よりも前の“村”が登場していることで、ではこの2村はいつ設置されたの? という疑問が湧いて来ないとも限りません。

既に
72 1918(T7).2.1 新設/区制 室蘭区 室蘭郡 室蘭町, 輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村
は対応していただきましたが、紅葉橋律乃介さんの問題提起に対応できていない箇所が以下にあります。

20 1899(M32).5.20 支庁変更 岩内支庁虻田郡 倶知安村 虻田郡倶知安村を室蘭支庁から岩内支庁へ(注1)
21 1899(M32).5.20 支庁変更 上川支庁空知郡 富良野村 空知郡富良野村を空知支庁から上川支庁へ(注2)
30 1906(M39).4.1 郡変更 広尾郡 当縁郡 歴舟村, 大樹村, 当縁村の一部
31 1906(M39).4.1 郡変更 十勝郡 当縁郡 当縁村の一部
32 1906(M39).4.1 支庁変更 上川支庁勇払郡 占冠村 勇払郡占冠村を室蘭支庁から上川支庁へ(注3)
(注1)倶知安村は1893(M26).12.16に郡区町村編成法にて虻田村より分立、1906(M39).4.1北海道二級町村制施行
(注2)富良野村は1897(M30).7.1に郡区町村編成法にて新設、1903(M36).7.8に同法で富良野村の南半分を下富良野村として分立で成立させた時に同時に上富良野村と改称、1906(M39).4.1北海道二級町村制施行
(注3)占冠村は1905(M38).5.31に郡区町村編成法にて辺富内村(1919(T8).4.1北海道二級町村制施行される勇払郡似湾村の一部となる)より分立、1919(T8).4.1北海道二級町村制施行
このうち以前からの基準でも、#30は
30 1906(M39).4.1 郡変更 広尾郡 当縁郡 歴舟村, 大樹村, 当縁村の一部
68 1906(M39).4.1 新設/村制 広尾郡茂寄村 広尾郡 茂寄村, 歴舟村, 大樹村, 当縁村の一部
を併せて
68 1906(M39).4.1 「郡変更/」新設/村制 広尾郡茂寄村 広尾郡 茂寄村, 「当縁郡」 歴舟村, 大樹村, 当縁村の一部
とすれば何の問題もないところであり、#31も
31 1906(M39).4.1 郡変更 十勝郡 当縁郡 当縁村の一部
67 1906(M39).4.1 新設/村制 十勝郡大津村 十勝郡 大津村, 長臼村, 鼈奴村, 十勝村, 当縁村の一部, (十勝国)中川郡 旅来村

67 1906(M39).4.1 「郡変更/」新設/村制 十勝郡大津村 十勝郡 大津村, 長臼村, 鼈奴村, 十勝村, 「当縁郡」 当縁村の一部, (十勝国)中川郡 旅来村
とすれば何の問題もないところです。
参考:勅令第23号(M39.2.21)、内務省令第1号(M39.2.22)

次に、郡区町村編成法の村が記載されている
20 1899(M32).5.20 支庁変更 岩内支庁虻田郡 倶知安村 虻田郡倶知安村を室蘭支庁から岩内支庁へ
21 1899(M32).5.20 支庁変更 上川支庁空知郡 富良野村 空知郡富良野村を空知支庁から上川支庁へ
32 1906(M39).4.1 支庁変更 上川支庁勇払郡 占冠村 勇払郡占冠村を室蘭支庁から上川支庁へ
#倶知安村は1893(M26).12.16に郡区町村編成法にて虻田村より分立、1906(M39).4.1北海道二級町村制施行
#富良野村は1897(M30).7.1に郡区町村編成法にて新設、1903(M36).7.8に同法で上富良野村と改称、、1906(M39).4.1北海道二級町村制施行
#占冠村は1905(M38).5.31に郡区町村編成法にて辺富内村(1919(T8).4.1北海道二級町村制施行される勇払郡似湾村の一部となる)より分立、1919(T8).4.1北海道二級町村制施行
ですが、以前[83624]拙稿では
色で区別したり、詳細欄で対応するというのが現実的なところでしょうか。
と提案しています。
[110075] 2024年 2月 18日(日)18:40:56むっくん さん
Re3:変遷情報の見直し
[110074]MIさん
[110055]グリグリさん
鹿児島は
(中略)
大島郡に十島村(現三島村)のみ存在していたとすると、「3市46町69村」が正当ではないかと思われます。
なお「追記【3】」で示されたリストのうち、囎唹郡市成町は市成村の誤りではないでしょうか。
まず、囎唹郡市成町は市成村の誤りでした。
そして改めて[110062]拙稿のリストで市成町を市成村と訂正して数えますと「3市46町69村」が正当でした。

これに伴い[110062]拙稿
1946(S21).2.28 昭和21年(1946年) 2月28日 鹿児島県 大島郡十島村のうち上三島は日本国のままとなる 大島郡1村の一部地域
1947(S22).5.3 昭和22年(1947年) 5月3日 鹿児島県 大島郡を除く (ただし十島村のうち上三島は含む) 全ての市町村において市制町村制を廃止し地方自治法施行 3市46町48村全部地域と大島郡1村の一部地域

1946(S21).2.28 昭和21年(1946年) 2月28日 鹿児島県 大島郡十島村のうち上三島は日本国のままとなる 大島郡1村の一部地域
1947(S22).5.3 昭和22年(1947年) 5月3日 鹿児島県 大島郡を除く (ただし十島村のうち上三島は含む) 全ての市町村において市制町村制を廃止し地方自治法施行 3市46町68村全部地域と大島郡1村の一部地域
に修正します。

あと、
1952(S27).4.28 東京都 小笠原諸島が正式に米国統治下になる 小笠原諸島5村廃止
1952(S27).4.28 鹿児島県 奄美群島が正式に米国統治下になる/奄美群島において従来の市制町村制が正式に適用外となる 大島郡6町14村
1952(S27).4.28 沖縄県 沖縄県が正式に米国統治下になる/従来の市制町村制が正式に適用外となる 3市5町50村

1952(S27).4.28 東京都 小笠原諸島が米国信託統治下になる 小笠原諸島5村廃止
1952(S27).4.28 鹿児島県 奄美群島が米国信託統治下になる/奄美群島において従来の市制町村制が正式に適用外となる 大島郡6町14村
1952(S27).4.28 沖縄県 沖縄県が米国信託統治下になる/従来の市制町村制が正式に適用外となる 3市5町50村
とするのが正しいのではないかという疑問を個人的に以前から持っていました。

改めて、サンフランシスコ平和条約(昭和27年条約第5号)(S27.4.28)を見ますと
第二章
第三条
 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。
とあります。アメリカ合衆国は国連に対し、国連憲章第12章国際信託統治制度を提案しませんでしたので、日本国に復帰するまで、アメリカ合衆国は北緯二十九度以南の南西諸島(鹿児島県奄美群島及び沖縄県)及び孀婦岩の南の小笠原諸島を米国が直接統治していたため、米国統治下との文言としています。
[110062] 2024年 2月 16日(金)22:30:28【4】訂正年月日
【1】2024年 2月 17日(土)18:56:06
【2】2024年 2月 17日(土)18:57:29
【3】2024年 2月 17日(土)19:07:37
【4】2024年 2月 17日(土)19:25:50
むっくん さん
Re:変遷情報の見直し
[110055]グリグリさん

北海道
[83624]の(2)の記載については未対応です。
今後仮に対応されるとするときの参考までに書きますが、北海道一級町村制施行と北海道二級町村制施行と町村制施行の法的根拠については[67007][67008][67022][67053]拙稿[99226]MIさんで既に記載済みです。ただし、誤記があるかのしれませんので以下に官報をリンクしておきます。

郡区町村編成法の町村に北海道二級町村制を施行
内務省令第7号(M35.3.13)記載済み
内務省令第1号(M39.2.22)記載済み
内務省令第7号(M42.3.17)記載済み
内務省告示第11号(T4.3.16)記載済み
内務省告示第15号(T8.3.24)記載済み
内務省告示第80号(T12.3.30)記載済み

郡区町村編成法の町村に北海道一級町村制を施行
内務省令第19号(M33.5.19)記載済み
内務省令第6号(M35.3.5)記載済み

北海道二級町村制の町村に北海道一級町村制を施行
内務省告示第26号(M40.3.12)一部記載済み
内務省告示第32号(M42.3.17)未記載
内務省告示第12号(T4.3.17)一部記載済み
内務省告示第14号(T8.3.24)未記載
内務省告示第51号(T10.3.31)未記載
内務省告示第52号(T10.3.31)未記載
内務省告示第75号(T12.3.28)一部記載済み
内務省告示第149号(T13.3.24)未記載
内務省告示第49号(S4.3.4)未記載
内務省告示第51号(S6.3.18)未記載
内務省告示第96号(S7.5.12)未記載
内務省告示第129号(S8.4.28)未記載
内務省告示第101号(S9.3.3)記載済み
内務省告示第125号(S12.3.18)未記載
内務省告示第105号(S13.3.22)未記載
内務省告示第106号(S14.3.14)未記載
内務省告示第118号(S15.3.15)未記載
内務省告示第176号(S18.3.30)未記載
#新設合併、編入合併、町制を伴うときに一級町村になったものは記載されています。

指定町村制の町村に町村制を施行
内務省告示第49号(S21.5.1)未記載

北海道では、北海道一級町村から北海道一級町村に、北海道二級町村から北海道二級町村になる事例は特に問題はありませんが、これだけで把握できない北海道一級町村から北海道二級町村になる以下の事例があります。
82 1919(T8).7.1 分立 留萌郡小平蘂村 留萌郡 留萌町の一部
88 1920(T9).7.1 分立 釧路郡釧路村 釧路郡 釧路町の一部
92 1921(T10).4.1 分立 網走郡女満別村 網走郡 網走町の一部
95 1921(T10).4.1 分立 常呂郡端野村 常呂郡 野付牛町の一部
96 1921(T10).4.1 分立 常呂郡相内村 常呂郡 野付牛町の一部
97 1921(T10).4.1 分立 河西郡御影村 河西郡 芽室村の一部
104 1922(T11).4.1 分立 空知郡赤平村 空知郡 歌志内村の一部
131 1924(T13).6.4 分立 上川郡江丹別村 上川郡 東鷹栖村の一部
#抜けている事例があるかもしれません。
#他に市となる事例がありますが、すべてが区もしくは北海道一級町村から市となります。

項目は追加しましたが、市町村数はすべては記載できていません。
以前昭和22年5月3日の市町村数(但し、地方自治法を施行した市町村数)は数えたことがあります。
[99299]MIさんの公開データとは比較していませんので誤りがあるかもしれません。

(開く)昭和22年5月3日の市町村数(但し、地方自治法を施行した市町村数)


89 19470503 東京都 地方自治法施行 八丈島(八丈小島) 2村設置 有
#89は地方自治法施行ではなく町村制施行ではないでしょうか(順序からいうと)。
これは町村制施行ではなくて地方自治法施行です。

八丈小島は、昭和22年5月3日の直近まで勅令第446号(町村制ヲ施行セザル島嶼指定ノ件改正)(S18.5.25)
町村制第157号の規定に依り島嶼を指定すること左の如し
  東京府管下
   伊豆七島中小島及鳥島並に小笠原島中北硫黄島、南硫黄島、南鳥島、中ノ鳥島及沖ノ鳥島
  北海道庁管下
   占守郡、新知郡及得撫郡の島嶼
附則
本令は昭和18年6月1日より之を施行す
によって町村制施行地域から除外されていました。
それが、法律第六十七号(地方自治法)(S22.4.17)が公布され、同法附則第一条より日本国憲法(S21.11.3)が施行されるのと同時
日本国憲法
第百条第一項 この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。
により昭和22年5月3日に施行されました。
附則第二条本文
東京都制道府県制市制は、これを廃止する。
で町村制が廃止されて、昭和22年5月3日より地方自治法が施行されることで、八丈島(八丈小島) 2村に近代自治制度が施行されることになりました。
参考:[83646]拙稿

(6)鹿児島県
1947(S22).5.3に地方自治法が施行されたところですが、5市36町119村と分かることが必要です。そして、その内訳も分かる案2であった方が親切な記載であると思います。
後者については、すべての市町村名は記載できていません。検証するのはかなり大変そうですし、掲載順序などもあり、もし、リストをお持ちでしたら教えていただけるとありがたいです。
まず鹿児島県の1947(S22).5.3の地方自治法が施行された市町村数ですが、[109212]の表にある通り3市46町49村です。長崎県と混同していましたので、ここに訂正します。
--------
追記【3】
戦前の鹿児島県史 別巻(編・出版:鹿児島県、S15)に従いますと
鹿児島市, 川内市, 鹿屋市, 鹿児島郡 谷山町, 伊敷村, 吉田村, 西桜島村, 東桜島村, 揖宿郡 喜入村, 今和泉村, 指宿町, 山川町, 頴娃村, 川辺郡 加世田町, 万世町, 笠沙町, 西南方村, 枕崎町, 知覧町, 川辺町, 勝目村, 日置郡 串木野町, 市来町, 東市来町, 下伊集院村, 伊集院町, 上伊集院村, 郡山村, 日置村, 吉利村, 永吉村, 伊作町, 田布施村, 阿多村, 薩摩郡 水引村, 高城村, 高江村, 永利村, 樋脇町, 入来村, 下東郷村, 上東郷村, 山崎村, 宮之城町, 佐志村, 鶴田村, 求名村, 永野村, 黒木村, 大村, 藺牟田村, 里村, 上甑村, 下甑村, 出水郡 出水町, 米ノ津町, 阿久根町, 野田村, 高尾野町, 三笠村, 東長島村, 西長島村, 大川内村, 伊佐郡 大口町, 山野町, 羽月村, 西太良村, 本城村, 菱刈町, 姶良郡 加治木町, 帖佐町, 重富村, 蒲生町, 山田村, 溝辺村, 横川町, 栗野町, 吉松村, 牧園町, 日当山村, 霧島村, 清水村, 国分町, 隼人町, 東国分村, 敷根村, 福山町, 囎唹郡 岩川町, 恒吉村, 市成町, 財部町, 末吉町, 松山村, 志布志町, 西志布志村, 月野村, 野方村, 大崎町, 肝属郡 新城村, 垂水町, 牛根村, 百引村, 高隈村, 串良町, 東串良町, 内之浦町, 高山町, 姶良村, 大根占町, 根占町, 田代村, 佐多村, 熊毛郡 西之表町, 中種子町, 南種子村, 上屋久村, 下屋久村, 大島郡 十島村
戦後の日本全国官公衙職員録 昭和25年版(編・出版:中央通信社、1950.8.)に従いますと、
鹿児島市, 川内市, 鹿屋市, 鹿児島郡 谷山町, 伊敷村, 吉田村, 西桜島村, 東桜島村, 大島郡 十島村, 揖宿郡 喜入村, 今和泉村, 指宿町, 山川町, 頴娃村, 川辺郡 加世田町, 万世町, 笠沙町, 西南方村, 枕崎町, 知覧町, 川辺町, 勝目村, 日置郡 串木野町, 市来町, 東市来町, 下伊集院村, 伊集院町, 上伊集院村, 郡山村, 日置村, 吉利村, 永吉村, 伊作町, 田布施村, 阿多村, 薩摩郡 水引村, 高城村, 高江村, 永利村, 樋脇町, 入来村, 下東郷村, 上東郷村, 山崎村, 宮之城町, 佐志村, 鶴田村, 求名村, 永野村, 黒木村, 大村, 藺牟田村, 里村, 上甑村, 下甑村, 出水郡 出水町, 米ノ津町, 阿久根町, 野田村, 高尾野町, 三笠村, 東長島村, 西長島村, 大川内村, 伊佐郡 大口町, 山野町, 羽月村, 西太良村, 本城村, 菱刈町, 姶良郡 加治木町, 帖佐町, 重富村, 蒲生町, 山田村, 溝辺村, 横川町, 栗野町, 吉松村, 牧園町, 日当山村, 霧島村, 清水村, 国分町, 隼人町, 東国分村, 敷根村, 福山町, 囎唹郡 岩川町, 恒吉村, 市成町, 財部町, 末吉町, 松山村, 志布志町, 西志布志村, 月野村, 野方村, 大崎町, 肝属郡 新城村, 垂水町, 牛根村, 百引村, 高隈村, 串良町, 東串良町, 内之浦町, 高山町, 姶良村, 大根占町, 根占町, 田代村, 佐多村, 熊毛郡 西之表町, 中種子町, 南種子村, 上屋久村, 下屋久村
となります。
#大島郡十島村の場所のみが異なります。
--------

変更種別欄に「地方自治法施行」「日本国領土外」「日本国領土」などこれまでにない種別も登場しています。
[109211][109212][109405]拙稿では分かりやすい表現で記載した為「日本国領土外」「日本国領土」という記載になりましたが、穏当な表現にすると「日本国領土外」「日本国領土」は「日本国の施政権の及ばない地域」「日本国の施政権の及ぶ地域」とでもなるのでしょうか。ただし、こちらですと北方領土等との関係で問題になる可能性もあります。

全体的に見直しの方向が間違っていないかどうか
とのことですので、市区町村変遷情報(評価用サイト)を都道府県別に確認しました。

北海道
1918(T7).2.1 新設/区制 室蘭区 室蘭郡 室蘭町, 輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村
は現状のままとするか、輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村の区域は郡区町村編成法施行地域から北海道区制施行地域になったとして
1918(T7).2.1 大正7年(1918年) 2月1日 北海道 北海道区制施行 1区設置
として表記するのかの二者択一を迫れられるとは思います。これは、郡区町村編成法施行地域の輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村の区域に重きを置くか、北海道一級町村制施行地域の室蘭町に重きを置くかの違いですが、現状では後者です。


東京都(東京府)
1947(S22).5.3 昭和22年(1947年) 5月3日 東京都 大島郡を除く (ただし十島村のうち上三島は含む) 全ての市町村において市制町村制を廃止し地方自治法施行 3市46町49村

1947(S22).5.3 昭和22年(1947年) 5月3日 東京都 八丈島(八丈小島)に地方自治法施行 2村
とした上で
1947(S22).5.3 小笠原諸島を除く全ての市町村において市制町村制を廃止し地方自治法施行 2市22区19町65村

1947(S22).5.3 小笠原諸島を除く全ての市町村において市制町村制を廃止し地方自治法施行 2市22区19町65村(八丈島(八丈小島)を含む)
とするのが分かりやすいのではないかと思います。


島根県
1904(M37).5.1 明治37年(1904年) 5月1日 島根県 隠岐国 町村制施行 1町11村設置

1904(M37).5.1 明治37年(1904年) 5月1日 島根県 隠岐国 町村制度に関する勅令施行 隠岐国1町11村
と訂正すること及び
1921(T10).5.20 町村制施行 隠岐国1町11村
とすることが抜けています。また、
1904(M37).5.1 明治37年(1904年) 5月1日 島根県 隠岐国 町村制度に関する勅令施行 隠岐国1町11村

1904(M37).5.1 明治37年(1904年) 5月1日 島根県 隠岐国 町村制度に関する勅令(町村制の一部制限制度)施行 隠岐国1町11村
とした方が良いのかもしれません。こちらを採用すると、長崎県と鹿児島県の一部表記も変わります。


鹿児島県
1921(T10).5.20 町村制施行 大島郡16村
での16村は19村だと思います。

実際に表記されることで初めて気づいたのですが、
1946(S21).2.28 昭和21年(1946年) 2月28日 鹿児島県 大島郡十島村のうち上三島は日本国のままとなる 大島郡1村
1947(S22).5.3 昭和22年(1947年) 5月3日 鹿児島県 大島郡を除く (ただし十島村のうち上三島は含む) 全ての市町村において市制町村制を廃止し地方自治法施行 3市46町49村
は少々問題があります。ここでは本来1村であるのにもかかわらず、便宜上日本の施政権が及ぶ大島郡十島村の上三島を1村、及ばない大島郡十島村の下七島も1村と別個に数えていることになります。正確に書くとすれば
1946(S21).2.28 昭和21年(1946年) 2月28日 鹿児島県 大島郡十島村のうち上三島は日本国のままとなる 大島郡1村の一部地域
1947(S22).5.3 昭和22年(1947年) 5月3日 鹿児島県 大島郡を除く (ただし十島村のうち上三島は含む) 全ての市町村において市制町村制を廃止し地方自治法施行 3市46町48村全部地域と大島郡1村の一部地域
なのでしょうが、もう少し分かりやすい表現がないものでしょうか。。

あと、
140 1953(S28).12.25 市制 名瀬市 名瀬市(町)
の前に
1953(S28).12.25 昭和28年(1953年) 12月25日 鹿児島県 奄美群島が日本に復帰し地方自治法が適用 大島郡1市5町14村
を追加する必要があります。
#大島郡6町14村ではないかとも考えられますが、単に名瀬市のことを、日本復帰前は町として扱い、復帰後は市として扱っただけなので1市5町14村として特に問題はないかと思います。

140 1953(S28).12.25 市制 名瀬市 名瀬市(町)
詳細での協議状況・経過等にある
「名瀬市」は米国軍政府下での市制町村制のため日本の市町村制で名瀬市が正式に誕生([109405]参照)
は例えば、
「名瀬市」は米国軍政府下では町村制を適用されており、日本の市町村制で名瀬市が正式に誕生([109405]参照)
とでもした方が分かりやすいと思います。


訂正
【3】鹿児島県の市町村リストを追記
【4】下七島関連の記載を削除
[110019] 2024年 2月 10日(土)00:08:20むっくん さん
滋賀県最高峰
[110014]あらかるとさん

あらかるとさん、初めまして。
35 滋賀県 ?????? 1377m 伊吹山地・日本百名山
調べずとも分かる、地元の滋賀県を答えます。

伊吹山

いつの日にか、伊吹山が持つ1927年2月14日に記録された11m82cmの積雪量世界記録を更新する所は出て来るのでしょうか。
[110010] 2024年 2月 9日(金)17:27:40むっくん さん
愛媛県の東西長と南北長
[110000]グリグリさん
私も47都道府県の地図Mapionのキョリ測を駆使して「東西長と南北長がほぼ同じ市区町村」([109991])を考えましたが、短時間でしたので回答発表前に正解にたどりつけたのは3区町村(広尾町、白馬村、大阪市生野区)だけでした。

東西長・南北長のリリースおめでとうございます。
個人的に一番意外なのは愛媛県
東西長155.770km 南北長157.469km
でした。
愛媛県は円弧を描いている高知県の外周部にあたる位置にあるとはいえ、東西に長い県であり、南予地方が少し南に突き出ているだけというのが私の認識でした。それが、東西の方が短いとは。。。
[109922] 2024年 1月 25日(木)18:47:07むっくん さん
Re2:若年で当選した首長PART27(青森県)& 若年で当選した首長PART28(茨城県)
[109920]グリグリさん
佐藤 誠治(青森県南津軽郡田舎館村(旧)/南津軽郡田舎館村)
南津軽郡田舎館村(旧)
連続2期です。

伊藤 貞文(青森県南津軽郡山形村)
出町 勘右エ門(青森県三戸郡北川村)
松倉 芳郎(青森県三戸郡上長苗代村)
稲田 彪(茨城県久慈郡機初村)
大窪 定一(茨城県多賀郡多賀町)
本来は1期目と2期目を分けて記載するのが筋なのですが、文献により扱いはまちまちですし、私も今までは特に分けて記載していませんでした。
しかしながら1951(S26).4.23の第二回統一地方選挙はその一か月前までに任期を迎えるすべての市町村の選挙です。そして、1947(S22).4.5の第一回統一地方選挙と1951(S26).4.23の第二回統一地方選挙を連続当選された方の場合、一部例外を除きほぼ100%の市町村で首長の不在期間があります。そこで今回は、首長の不在期間がある時には厳密には注釈をつけた方がよいかもしれないと考え、意図的に分けれる範囲内で別途記載としました。個人的には、これらの方々の箇所は注釈を加えても加えなくてもどちらでも構わないと考えています。
#例外としては、1947(S22).4.5の第一回統一地方選挙で1947(S22).4.15に決選投票をした市町村の中で、さらに任期開始が1947(S22).4.24以後となった一部の町村です。
#首長の不在期間をなくすようになった第三回統一地方選挙1955(S30).4.30以降の選挙では問題のないところではあります。

小栗 晃(茨城県真壁郡小栗村)
こちらは統一地方選挙とは関係ないので、2期目の間合いがよくわかりません。
小栗村の事例ではありませんが、各市町村史を見る限りでは、昭和20年代では米の供出や新制中学校建設という難問に全国の市町村が直面していました。そのため、全国的に少なくない自治体で運営がうまくいかず、議会による首長の解任や住民によるリコールが為されていたり、首長が自発的に辞任して再選挙に打って出て民意を問う、ということが為されています。おそらく小栗村もその一例ではないか、と思います。

宮本 雅二(茨城県那珂郡芳野村/那珂郡那珂町)
私の計算間違いで、35歳4-5ヶ月でした。


以下は二重記載ですので、お知らせします。
東京都
#2#3前田 紋三郎

鳥取県
#11#12小谷 善高
読みは#11と#12で食い違いますが、[100906]Nさんご紹介の倉吉市名誉市民一覧の(こだに よしたか)が一番信憑性が高いと思います。
[109895] 2024年 1月 20日(土)19:09:13むっくん さん
Re:市町村変遷情報への情報提供
[109886]サヌカイトさん
高知県の施行以降の情報において、1904年における瓶岩村から天坪村への境界変更の日付が不明
(略)
1904(M37).4.16のようです。
大豊町史近代現代編第一章51コマ(57頁)でも
明治三十七年四月十六日、瓶岩村であった樫の谷・北滝本・穴内・繁藤は天坪村に編入され、天坪村であった中村大王は東本山村に編入された。
とあります。
以前オーテピア高知図書館を訪れた時に、高知県公報の一部を切り抜いた「池川町役場所蔵資料」を撮影したもの([99887]MIさん)を拝読しましたが、根拠となる高知県告示は掲載されていませんでした。同時期に訪れた高知県公文書館(令和2年開館)では公開されている高知県公報は約10年分しかありませんでしたが、高知県公報を順次公開していくとのことでしたので、いずれかには明治37年の高知県公報も公開されることと思います。

福岡県の施行以降の情報において、1889年における金川村及び立石村の分立の日付が不明となっていることに関して、1981年出版の「甘木市史 下巻」73ページ(58コマ)や、1984年出版の「朝倉風土記」589-590ページ(329コマ-330コマ)に記述がありますが、2つの資料相互に、さらには[83568]でむっくんさんが示した官報とも齟齬が生じているため、現時点では確証を得られずにいます。
この時の官報については、公告ではなくて広告ですので、法的効力を一切持たず、参考情報として扱うのが適切です。以前福岡県が作成していたエクセルファイルでは、一方が1889年9月30日でもう一方が1889年9月であったと記憶しています。
おそらくこの齟齬は、法的な分立の施行日と実際に分立が為された日の差であると思いますので、[99300]MIさんにあるように、福岡県公報搭載の福岡県告示を探す必要があります。
[109891] 2024年 1月 20日(土)13:28:38【1】訂正年月日
【1】2024年 1月 20日(土)15:32:33
むっくん さん
若年で当選した首長PART28(茨城県)
>グリグリさん
若年で当選した首長への情報提供です。
本稿はすべて茨城県となります。

まずは新規情報です。

国府田 仁平(こうだ にへい)
生年月日1910(M43).9.18
真壁郡長讃村
1947(S22).4.5-1951(S26).3.28 1期 36歳6ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

西村 桂次
真壁郡関本町
1951(S26).4.-1956(S31).7.31 2期
1951(S26).4.23選挙で39歳で当選。1956(S31).8.26落選。
参考:関城町史 通史編 下巻(編:関城町史編さん委員会、出版:関城町、1987.12)521頁、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

山中 俊一(やまなか しゅんいち)
生年月日1907(M40).8.2
真壁郡上妻村
1947(S22).4.-1954(S29).5. 2期 39歳7-8ヶ月
参考:歴代茨城県議会議員名簿市郡別昭和33年10月現在(編・出版:茨城県議会事務局、1959)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

市毛 一三(いちげ かずみ)
生年月日1913(T2).10.23
東茨城郡緑岡村
1947(S22).4.- 1-2期 33歳5-6ヶ月
1946(S21)-,1949(S24)-の連続2期と解釈するか、1946(S21)-1949(S24)の1期と解釈するかが分かりませんでしたが、統一地方選挙以降の分のみを記載しています。
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)

島田 長衛(しまだ ちょうえ)
生年月日1916(T5).5.23
東茨城郡竹原村
1955(S30).5.5-1956(S31).7.31 1期 38歳11ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

稲田 彪(いなだ とら)
生年月日1914(T3).2.5
久慈郡機初村
1947(S22).4.-1951(S26).4.,1951(S26).4.-1954(S29).7.14 2期 33歳2ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

大窪 定一(おおくぼ さだいち)
生年月日1909(M42).9.14
多賀郡多賀町
1947(S22).4.5-1951(S26).4.4,1951(S26).4.23-1955(S30).2.14 2期 37歳6ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

石川 享(いしかわ とおる)
生年月日1912(T1).9.8
那珂郡石神村
1951(S26).4.-1955(S30).3. 1期 38歳6-7ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

鈴木 定男(すずき さだお)
生年月日1912(M45).2.24
那珂郡野口村
1947(S22).4.6-1951(S26).4.4 1期 35歳1ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

長岡 健一郎(ながおか けんいちろう)
生年月日1913(T2).11.20
結城郡五箇村
1947(S22).4.-1954(S29).7.9 2期 33歳4-5ヶ月
1946(S21)-1954(S29).7.9と記載されていましたので、統一地方選挙以降の分として記載しています。
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

川崎 義彦(かわさき よしひこ)
生年月日1914(T3).1.26
那珂郡村松村
1951(S26).4.-1955(S30).3.30 1期 37歳2-3ヶ月
那珂郡東海村
1955(S30).4.30-1957(S32).9.19 1期 41歳3ヶ月
1961(S36).9.29-1965(S40).9.20 1期 47歳8ヶ月
1969(S44).9.21-1981(S56).9.20 3期 55歳7ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)、東海村統計書(平成28年版)(PDF)250コマ

白田 堯敏(はくた たかとし)
生年月日1924(T13).3.31
鹿島郡鉾田町(旧)
1953(S28).5.3-1955(S30).3.14 1期 29歳1ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

塙 勝元(はなわ かつもと)
生年月日1911(M44).5.6
行方郡要村
1947(S22).4.-1948(S23).9. 1期 35歳10-11ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

磯山 成甫(いそやま せいほ)
生年月日1915(T4).12.23
行方郡要村
1948(S23).11.-1951(S26).3. 1期 32歳10-11ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

野口 一(のぐち ひとし)
生年月日1913(T2).9.1
新治郡玉川村
1947(S22).4.5-1955(S30).3.30 2期 33歳7ヶ月
新治郡玉里村
1955(S30).4.- 5期以上 41歳7ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)、玉里村史(編:玉里村史編纂委員会、出版:玉里村教育委員会、1975)

小田 泰造(おだ たいぞう)
生年月日1916(T5).5.18
筑波郡小張村
1947(S22).4.-1951(S26).3. 1期 30歳10-11ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

小栗 晃(おぐり こう)
生年月日1914(T3).11.11
真壁郡小栗村
1948(S23).7.12-1952(S27).4.10,1952(S27).5.10-1954(S29).11.30 2期 33歳8ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

古谷 長一郎(ふるや ちょういちろう)
生年月日1912(M45).4.21
結城郡菅原村
1951(S26).4.24-1954(S29).7.9 1期 39歳0ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

間宮 信雄(まみや のぶお)
生年月日1911(M44).4.25
那珂郡嶐郷村
1947(S22).4.15-1949(S24).12.20 1期 35歳11ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

横田 榮一(よこた えいいち)
生年月日1918(T7).7.10
筑波郡島名村
1953(S28).7.-1955(S30).3. 1期 34歳11ヶ月-35歳0ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)


追加情報です。

桜田 平左衛門(新治郡小幡村)
正しくは桜井 平左衛門(さくらい へいざえもん)
生年月日1919(T8).6.6
1949(S24).5.-1952(S27).9. 1期 29歳10-11ヶ月
参考:八郷町誌(編:八郷町誌編さん委員会、出版:八郷町、1970)、歴代茨城県議会議員名簿市郡別昭和33年10月現在(編・出版:茨城県議会事務局、1959)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)

鈴木 文夫(すずき ふみお)(北相馬郡内守谷村)
生年月日1924(T13).2.26 31歳2ヶ月
前村長の任期は1955(S30).4.22までです。
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)

加倉井 正利(かくらい まさとし)(真壁郡大村/真壁郡明野町)
生年月日1913(T2).7.6
真壁郡大村
1947(S22).4.5-1951(S26).4.4 1期 33歳8ヶ月
真壁郡明野町
1954(S29).12.-1958(S33).11. 1期 41歳4-5ヶ月
1971(S46)以降-1986(S61) 5期 57-58歳
1954(S29).12.-1958(S33).11.は町長でその後1958(S33).11.-1971(S46)年現在にいたるまでは町長ではありません。[96220][103920]Nさんによりますと通算7期で1986年まで明野町長。
明野町はずっと任期満了に伴う選挙であると仮定すると、大村を1期、明野町を1期と5期とするとすべてがうまくおさまります。
参考:茨城年鑑 1972年版(編・出版:茨城新聞社、1971)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

吉原 三郎(猿島郡岩井町(旧)/猿島郡岩井町)
生年月日1922(T11).8.23
猿島郡岩井町(旧)
1951(S26).4.24-1955(S30).2.28 1期 28歳8ヶ月
猿島郡岩井町
32歳8ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

鯉渕 丈男(こいぶち たけお)(東茨城郡西郷村)
生年月日1911(M44).4.5
1947(S22).4.-1955(S30).2. 2期 36歳0ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

村田 安蔵(むらた やすぞう)(鹿島郡波崎町)
生年月日1913(T2).3.30
1951(S26).4.23-1963(S38).4. 4期 38歳0ヶ月
1971(S46).4.-1975(S50).4. 1期 58歳0-1ヶ月
1971(S46).4.25統一地方選挙で58歳元職で当選、1975(S50).4.27落選
参考:茨城年鑑 1972年版(編・出版:茨城新聞社、1971)、選挙の記録 昭和46年(編・出版:茨城県選挙管理委員会、1971)、選挙の記録 昭和50年(編・出版:茨城県選挙管理委員会、1975)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

上林 修平(かみばやし しゅうへい)(結城郡飯沼村)
生年月日1909(M42).9.10
1947(S22).4.8-1951(S26).4.6 1期 37歳6ヶ月
参考:茨城県議会の概要自昭和22年至昭和25年(編・出版:茨城県議会事務局、1951)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

根本 保(ねもと たもつ)(那珂郡山方町)
生年月日1913(T2).8.18
1952(S27).8.-
参考:茨城年鑑 1972年版(編・出版:茨城新聞社、1971)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

宮本 雅二(みやもと まさじ)(那珂郡芳野村/那珂郡那珂町)
生年月日1923(T12).12.24
那珂郡芳野村
1951(S26).4.- 27歳3-4ヶ月 1期
那珂郡那珂町
1959(S34).5.- 35歳5-6ヶ月
参考:茨城年鑑 1972年版(編・出版:茨城新聞社、1971)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)

坂本 重道(新治郡出島村)
1975(S50).3.10-
出島村新設合併で成立後の選挙は1955(S30).3.10、1959(S34).2.19、1963(S38).2.17、1967(S42).2.19、1971(S46).2.25、1975(S50).2.25と行われており、すべて任期満了に伴う選挙であると仮定しての推測です。
参考:出島村史 続編(編:出島村史編纂委員会、出版:出島村教育委員会、1978.3)

以上、よろしくお願いいたします。
[109890] 2024年 1月 20日(土)13:25:35むっくん さん
若年で当選した首長PART27(青森県)
>グリグリさん
若年で当選した首長への情報提供です。本稿はすべて青森県となります。
すべての方で青森県人名大事典(編・出版:東奥日報社、1969)を参照していますので、以下では参考文献としての記載を省略します。

まずは新規情報です。

奥崎 菊次郎(おくざき きくじろう)
生年月日1910(M43).11.8
東津軽郡滝内村
1947(S22).4.-1951(S26).3.31 1期 36歳4-5ヶ月
#1946(S21).4.1-1951(S26).3.31とありましたが、統一地方選挙の前に、すべての首長は一度辞任していることよりの推測です。

工藤 民治(くどう みんじ)
生年月日1909(M42).3.27
東津軽郡後潟村
1947(S22).4.8-1948(S23).4.14 1期 38歳0ヶ月

工藤 年秋(くどう としあき)
生年月日1913(T2).10.24
東津軽郡後潟村
1948(S23).6.2-1951(S26).4.6 1期 34歳7ヶ月

斎藤 鉄雄(さいとう てつお)
生年月日1914(T3).11.19
中津軽郡堀越村
1947(S22).4.5-1951(S26).4.5 1期 32歳4ヶ月

下田 与五郎(しもだ よごろう)
生年月日1912(M45).6.11
上北郡三沢村
1947(S22).4.5-1948(S23).2.10 1期 34歳9ヶ月

葛西 寅五郎(かさい とらごろう)
生年月日1914(T3).3.26
西津軽郡川除村
1947(S22).4.-1950(S25).11. 1期 33歳0-1ヶ月

長内 長雄(おさない ながお)
生年月日1921(T10).6.27
西津軽郡稲垣村
1958(S33).6.10- 6期 36歳11ヶ月
任期は連続3期までは確認。その後、任期満了に伴う選挙で1970(S45).5.13当選、1972(S47).3.1現在も村長、1977(S52).6.-1979(S54).6.は青森県町村会の会長、任期満了に伴う選挙で1978(S53).5.10当選、1981(S56).8.22の任期満了(?)に伴う選挙で出馬しなかったことより任期を推定。
参考:選挙の記録昭和46年(編・出版:青森県選挙管理委員会、1971)、青森県町村会、全国町村会五十年史(編・出版:全国町村会、1972)、第9回統一地方選挙の記録昭和54年(編・出版:青森県選挙管理委員会、1979)、選挙の記録昭和58年(編・出版:青森県選挙管理委員会、1983)

奈良岡 敏(ならおか はやし)
生年月日1907(M40).12.10
南津軽郡女鹿沢村
1947(S22).4.-1947(S22).11. 1期 39歳3-4ヶ月

大川 武一(おおかわ たけいち)
生年月日1919(T8).2.3
南津軽郡柏木町
1947(S22).4.8-1947(S22).10.9 1期 28歳2ヶ月

乳井 栄(にゅうい さかえ)
生年月日1916(T5).2.12
南津軽郡碇ケ関村
1952(S27).1.31- 6期 35歳11ヶ月
任期は連続5期までは確認し、1972(S47).3.1現在も村長、1973(S48).6.-1975(S50).6.は青森県町村会の会長なのでおそらく連続6期と推測。
参考:アッコハウス乳井厚子プロフィール青森県町村会、全国町村会五十年史(編・出版:全国町村会、1972)

工藤 専吉(くどう せんきち)
生年月日1914(T3).5.11
三戸郡名久井村
1952(S27).1.29-1955(S30).7.28 1期 37歳8ヶ月
三戸郡名川町
1959(S34).9.6-1975(S50).9. 5期 45歳3ヶ月
参考:名川町誌 第1巻 (本編 1)(編:名川町誌編集委員会、出版:名川町、1993.8)、名川町誌 第2巻 (本編 2)(編:名川町誌編集委員会、出版:名川町、1995.3)

山崎 武雄(やまざき たけお)
生年月日1911(M44).5.17
三戸郡向村
1949(S24).2.12-1955(S30).4.20 2期 37歳8ヶ月

高橋 堅太郎(たかはし けんたろう)
生年月日1914(T3).5.17
三戸郡戸来村
1948(S23).10.-1954(S29).9. 2期 34歳4-5ヶ月


追加情報です。

船橋 茂(東津軽郡東平内村/青森県東津軽郡平内町)
東津軽郡東平内村
1947(S22).4.6-1955(S30).3.30

佐々木 敬三(ささき けいぞう)(三戸郡留崎村)
1947(S22).4.5-1951(S26).4.4

花田 一(北津軽郡金木町 (旧)/青森県北津軽郡金木町)
北津軽郡金木町(旧)
任期数は1

佐藤 誠治(南津軽郡田舎館村(旧)/南津軽郡田舎館村)
南津軽郡田舎館村(旧)
1947(S22).12.1-,1951(S26).11.10-の2期
南津軽郡田舎館村
1955(S30).5.2-1959(S34).4.6 1期
就任日年齢39歳7ヶ月

前田 豊作(まえだ とよさく)(東津軽郡奥内村)
1951(S26).4.30-1955(S30).3.1

吉田 博彦(よしだ ひろひこ)(上北郡六戸町)

工藤 正六(上北郡七戸町 (旧))
1950(S25).10.10-1954(S29).10.9
就任日年齢33歳8ヶ月

野呂 武輝(のろ たけき)(南津軽郡大杉村)
生年月日は1913(T2).8.2とありました。

松浦 長兵衛(まつうら ちょうべえい)(上北郡六戸町)
生年月日1933(S8).5.24
就任日年齢33歳11ヶ月

小倉 豊(南津軽郡五郷村)
1947(S22).4.-1951(S26).4.
就任日年齢33歳10ヶ月

小倉 清喜(おぐら せいき)(東津軽郡一本木村)
1951(S26).4.24-1955(S30).3.31 1期

白鳥 大八(東津軽郡荒川村)
1947(S22).4.7-1951(S26).4.6
就任日年齢34歳7ヶ月
#本では1947(S22).4.7-1951(S26).4.7とありましたが、就任日から4年間になるように修正しました。

中井 忠一(なかい ちゅういち)(西津軽郡十三村)
1947(S22).4.5-1955(S30).3.30 2期
就任日年齢35歳10ヶ月

成田 幸男(西津軽郡木造町)
生年月日1919(T8).8.21
就任日年齢35歳8ヶ月

伊藤 貞文(いとう ていぶん)(南津軽郡山形村)
1947(S22).4.5-1951(S26).4.4,1951(S26).4.23-S29.6.30
就任日年齢35歳5ヶ月

石屋 健一(いしや けんいち)(三戸郡中沢村/三戸郡南郷村)
三戸郡中沢村
1947(S22).4.8-1951(S26).4.4
三戸郡南郷村
1962(S37).6.9-1966(S41).6.8 1期
就任日年齢51歳7ヶ月

今 清熙(こん きよひろ)(東津軽郡筒井村)
1951(S26).4.23で当選して1955(S30).1.1までの1期

山屋 辰夫(やまや たつお)(西津軽郡鰺ヶ沢町 (旧)/西津軽郡鰺ヶ沢町)
西津軽郡鰺ヶ沢町 (旧)
1947(S22).4.6-1955(S30).3.30
就任日年齢36歳11ヶ月

小比類巻 富雄(上北郡大三沢町/三沢市)
上北郡大三沢町
1948(S23).4.5-1955(S30).3.15
就任日年齢37歳1ヶ月

三浦 幸之助(三戸郡館村)
1947(S22).4.5-1955(S30).3.31 2期
就任日年齢37歳1ヶ月

桑田 貞一(くわた ていいち)(南津軽郡石川町)

出町 勘右エ門(でまち かんえもん)(三戸郡北川村)
1947(S22).4.5-1951(S26).4.3,1951(S26).4.23-1955(S30).7.22
就任日年齢37歳5ヶ月
#青森県人名大事典でも名川町誌 第1巻 (本編 1)(編:名川町誌編集委員会、出版:名川町、1993.8)653頁でも出町 勘右衛門と記載されていますので、出町 勘右衛門と記載する方が良いと思います。

中野渡 惣一(なかのわたり そういち)(上北郡大深内村)

辻村 秀雄(東津軽郡小湊町)
1947(S22).4.29-1955(S30).3.30 2期

太田 金太郎(おおた きんたろう)(上北郡四和村)
1951(S26).4.23-1955(S30).2. 1期

齋藤 正次(さいとう まさじ)(北津軽郡板柳町 (旧))
1951(S26).4.23-1955(S30).4.1 1期

松倉 芳郎(まつくら よしろう)(三戸郡上長苗代村)
1947(S22).4.5-1951(S26).4.4,1951(S26).4.-1955(S30).3.31 2期
就任日年齢39歳4ヶ月

細川 重太郎(ほそかわ じゅうたろう)(東津軽郡平内町)
生年月日1915(T4).9.19
就任日年齢39歳7ヶ月

以上、よろしくお願いいたします。
[109861] 2024年 1月 15日(月)22:02:30むっくん さん
第六十六回十番勝負感想
前回に引き続き無事に完答できましたので、感想を正答順に記します。

問十:有人島のある市(日本の有人島一覧にある市)
まずは最近の話題を探すと、問十が見事に当てはまりました。

問三:人口密度が300人台の市
問十の後に落書き町の中で様々なデータを見ていますと、見つかりました。300人台だから問三というのは共通項発表後に気付きました。

問八:月名コレクションの新暦地名がある市
問八は一つ目のアナグラムヒントから最近リリースされた地名コレクションに気付きました。問八はさすがにヒント無しで気付きたかったです。

問六:女性より男性が多い市
問六は二つ目のアナグラムヒントにて分かりました。先月市区町村データランキング女性人口が付け加わったことを完全に失念しておりました。

問一:辰年生まれの市(市の誕生日が辰年の市)
二つ目のアナグラムヒントにて分かりましたが、この問題が新年がらみとは全く気付いていませんでした。。

問二:大相撲の関取(十両以上)の出身地の市
この問題も二つ目のアナグラムヒントにて分かりました。『難易度分析(問題別)』によれば、過去にも相撲関連の問題が出ていたそうですが、全く知りませんでした。

問四:十番勝負で正答率が75%未満の市
おおよその共通項はアナグラムヒントとSVヒントから分かっていましたが、線引きは一度誤答になった後に気付きました。

問七:可住地面積比率が20%未満の市
二つ目のアナグラムヒントが解凍されてようやく分かりました。これも市区町村データランキングがらみで、ランキングが開設されてすぐに可住地面積が付け加わったことは全く把握していませんでした。

問九:公式LINEのない市
二つ目のアナグラムヒントを解凍されても分かりませんでしたが、[109773]Hiro_as_FillerさんのX(旧Twitter)関連の書き込みでようやく閃きました。

問五:読みの文字に重複がある市(濁音、拗音、促音は区別)
共通項が分からず既に回答された市の類似の市を選んだらさすがに誤答でした。反省して共通項を理解して再回答に至りました。

十番勝負は基本的にはヒント頼みとなる私ですが、アナグラムヒントを苦手としている私でも、過半数のアナグラムヒントは解析できました。SVヒントの方はまだまだ慣れていません。共に、今後の課題となりそうです。

今回も開催ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。


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