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むっくんさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[109922]2024年1月25日
むっくん
[109895]2024年1月20日
むっくん
[109891]2024年1月20日
むっくん
[109890]2024年1月20日
むっくん
[109861]2024年1月15日
むっくん
[109812]2024年1月10日
むっくん
[109801]2024年1月9日
むっくん
[109800]2024年1月9日
むっくん
[109799]2024年1月9日
むっくん
[109798]2024年1月9日
むっくん
[109760]2024年1月8日
むっくん
[109757]2024年1月8日
むっくん
[109756]2024年1月8日
むっくん
[109754]2024年1月8日
むっくん
[109584]2024年1月3日
むっくん
[109550]2024年1月1日
むっくん
[109546]2024年1月1日
むっくん
[109448]2023年12月28日
むっくん
[109422]2023年12月24日
むっくん
[109405]2023年12月19日
むっくん

[109922] 2024年 1月 25日(木)18:47:07むっくん さん
Re2:若年で当選した首長PART27(青森県)& 若年で当選した首長PART28(茨城県)
[109920]グリグリさん
佐藤 誠治(青森県南津軽郡田舎館村(旧)/南津軽郡田舎館村)
南津軽郡田舎館村(旧)
連続2期です。

伊藤 貞文(青森県南津軽郡山形村)
出町 勘右エ門(青森県三戸郡北川村)
松倉 芳郎(青森県三戸郡上長苗代村)
稲田 彪(茨城県久慈郡機初村)
大窪 定一(茨城県多賀郡多賀町)
本来は1期目と2期目を分けて記載するのが筋なのですが、文献により扱いはまちまちですし、私も今までは特に分けて記載していませんでした。
しかしながら1951(S26).4.23の第二回統一地方選挙はその一か月前までに任期を迎えるすべての市町村の選挙です。そして、1947(S22).4.5の第一回統一地方選挙と1951(S26).4.23の第二回統一地方選挙を連続当選された方の場合、一部例外を除きほぼ100%の市町村で首長の不在期間があります。そこで今回は、首長の不在期間がある時には厳密には注釈をつけた方がよいかもしれないと考え、意図的に分けれる範囲内で別途記載としました。個人的には、これらの方々の箇所は注釈を加えても加えなくてもどちらでも構わないと考えています。
#例外としては、1947(S22).4.5の第一回統一地方選挙で1947(S22).4.15に決選投票をした市町村の中で、さらに任期開始が1947(S22).4.24以後となった一部の町村です。
#首長の不在期間をなくすようになった第三回統一地方選挙1955(S30).4.30以降の選挙では問題のないところではあります。

小栗 晃(茨城県真壁郡小栗村)
こちらは統一地方選挙とは関係ないので、2期目の間合いがよくわかりません。
小栗村の事例ではありませんが、各市町村史を見る限りでは、昭和20年代では米の供出や新制中学校建設という難問に全国の市町村が直面していました。そのため、全国的に少なくない自治体で運営がうまくいかず、議会による首長の解任や住民によるリコールが為されていたり、首長が自発的に辞任して再選挙に打って出て民意を問う、ということが為されています。おそらく小栗村もその一例ではないか、と思います。

宮本 雅二(茨城県那珂郡芳野村/那珂郡那珂町)
私の計算間違いで、35歳4-5ヶ月でした。


以下は二重記載ですので、お知らせします。
東京都
#2#3前田 紋三郎

鳥取県
#11#12小谷 善高
読みは#11と#12で食い違いますが、[100906]Nさんご紹介の倉吉市名誉市民一覧の(こだに よしたか)が一番信憑性が高いと思います。
[109895] 2024年 1月 20日(土)19:09:13むっくん さん
Re:市町村変遷情報への情報提供
[109886]サヌカイトさん
高知県の施行以降の情報において、1904年における瓶岩村から天坪村への境界変更の日付が不明
(略)
1904(M37).4.16のようです。
大豊町史近代現代編第一章51コマ(57頁)でも
明治三十七年四月十六日、瓶岩村であった樫の谷・北滝本・穴内・繁藤は天坪村に編入され、天坪村であった中村大王は東本山村に編入された。
とあります。
以前オーテピア高知図書館を訪れた時に、高知県公報の一部を切り抜いた「池川町役場所蔵資料」を撮影したもの([99887]MIさん)を拝読しましたが、根拠となる高知県告示は掲載されていませんでした。同時期に訪れた高知県公文書館(令和2年開館)では公開されている高知県公報は約10年分しかありませんでしたが、高知県公報を順次公開していくとのことでしたので、いずれかには明治37年の高知県公報も公開されることと思います。

福岡県の施行以降の情報において、1889年における金川村及び立石村の分立の日付が不明となっていることに関して、1981年出版の「甘木市史 下巻」73ページ(58コマ)や、1984年出版の「朝倉風土記」589-590ページ(329コマ-330コマ)に記述がありますが、2つの資料相互に、さらには[83568]でむっくんさんが示した官報とも齟齬が生じているため、現時点では確証を得られずにいます。
この時の官報については、公告ではなくて広告ですので、法的効力を一切持たず、参考情報として扱うのが適切です。以前福岡県が作成していたエクセルファイルでは、一方が1889年9月30日でもう一方が1889年9月であったと記憶しています。
おそらくこの齟齬は、法的な分立の施行日と実際に分立が為された日の差であると思いますので、[99300]MIさんにあるように、福岡県公報搭載の福岡県告示を探す必要があります。
[109891] 2024年 1月 20日(土)13:28:38【1】訂正年月日
【1】2024年 1月 20日(土)15:32:33
むっくん さん
若年で当選した首長PART28(茨城県)
>グリグリさん
若年で当選した首長への情報提供です。
本稿はすべて茨城県となります。

まずは新規情報です。

国府田 仁平(こうだ にへい)
生年月日1910(M43).9.18
真壁郡長讃村
1947(S22).4.5-1951(S26).3.28 1期 36歳6ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

西村 桂次
真壁郡関本町
1951(S26).4.-1956(S31).7.31 2期
1951(S26).4.23選挙で39歳で当選。1956(S31).8.26落選。
参考:関城町史 通史編 下巻(編:関城町史編さん委員会、出版:関城町、1987.12)521頁、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

山中 俊一(やまなか しゅんいち)
生年月日1907(M40).8.2
真壁郡上妻村
1947(S22).4.-1954(S29).5. 2期 39歳7-8ヶ月
参考:歴代茨城県議会議員名簿市郡別昭和33年10月現在(編・出版:茨城県議会事務局、1959)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

市毛 一三(いちげ かずみ)
生年月日1913(T2).10.23
東茨城郡緑岡村
1947(S22).4.- 1-2期 33歳5-6ヶ月
1946(S21)-,1949(S24)-の連続2期と解釈するか、1946(S21)-1949(S24)の1期と解釈するかが分かりませんでしたが、統一地方選挙以降の分のみを記載しています。
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)

島田 長衛(しまだ ちょうえ)
生年月日1916(T5).5.23
東茨城郡竹原村
1955(S30).5.5-1956(S31).7.31 1期 38歳11ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

稲田 彪(いなだ とら)
生年月日1914(T3).2.5
久慈郡機初村
1947(S22).4.-1951(S26).4.,1951(S26).4.-1954(S29).7.14 2期 33歳2ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

大窪 定一(おおくぼ さだいち)
生年月日1909(M42).9.14
多賀郡多賀町
1947(S22).4.5-1951(S26).4.4,1951(S26).4.23-1955(S30).2.14 2期 37歳6ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

石川 享(いしかわ とおる)
生年月日1912(T1).9.8
那珂郡石神村
1951(S26).4.-1955(S30).3. 1期 38歳6-7ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

鈴木 定男(すずき さだお)
生年月日1912(M45).2.24
那珂郡野口村
1947(S22).4.6-1951(S26).4.4 1期 35歳1ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

長岡 健一郎(ながおか けんいちろう)
生年月日1913(T2).11.20
結城郡五箇村
1947(S22).4.-1954(S29).7.9 2期 33歳4-5ヶ月
1946(S21)-1954(S29).7.9と記載されていましたので、統一地方選挙以降の分として記載しています。
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

川崎 義彦(かわさき よしひこ)
生年月日1914(T3).1.26
那珂郡村松村
1951(S26).4.-1955(S30).3.30 1期 37歳2-3ヶ月
那珂郡東海村
1955(S30).4.30-1957(S32).9.19 1期 41歳3ヶ月
1961(S36).9.29-1965(S40).9.20 1期 47歳8ヶ月
1969(S44).9.21-1981(S56).9.20 3期 55歳7ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)、東海村統計書(平成28年版)(PDF)250コマ

白田 堯敏(はくた たかとし)
生年月日1924(T13).3.31
鹿島郡鉾田町(旧)
1953(S28).5.3-1955(S30).3.14 1期 29歳1ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

塙 勝元(はなわ かつもと)
生年月日1911(M44).5.6
行方郡要村
1947(S22).4.-1948(S23).9. 1期 35歳10-11ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

磯山 成甫(いそやま せいほ)
生年月日1915(T4).12.23
行方郡要村
1948(S23).11.-1951(S26).3. 1期 32歳10-11ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

野口 一(のぐち ひとし)
生年月日1913(T2).9.1
新治郡玉川村
1947(S22).4.5-1955(S30).3.30 2期 33歳7ヶ月
新治郡玉里村
1955(S30).4.- 5期以上 41歳7ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)、玉里村史(編:玉里村史編纂委員会、出版:玉里村教育委員会、1975)

小田 泰造(おだ たいぞう)
生年月日1916(T5).5.18
筑波郡小張村
1947(S22).4.-1951(S26).3. 1期 30歳10-11ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

小栗 晃(おぐり こう)
生年月日1914(T3).11.11
真壁郡小栗村
1948(S23).7.12-1952(S27).4.10,1952(S27).5.10-1954(S29).11.30 2期 33歳8ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

古谷 長一郎(ふるや ちょういちろう)
生年月日1912(M45).4.21
結城郡菅原村
1951(S26).4.24-1954(S29).7.9 1期 39歳0ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

間宮 信雄(まみや のぶお)
生年月日1911(M44).4.25
那珂郡嶐郷村
1947(S22).4.15-1949(S24).12.20 1期 35歳11ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

横田 榮一(よこた えいいち)
生年月日1918(T7).7.10
筑波郡島名村
1953(S28).7.-1955(S30).3. 1期 34歳11ヶ月-35歳0ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)


追加情報です。

桜田 平左衛門(新治郡小幡村)
正しくは桜井 平左衛門(さくらい へいざえもん)
生年月日1919(T8).6.6
1949(S24).5.-1952(S27).9. 1期 29歳10-11ヶ月
参考:八郷町誌(編:八郷町誌編さん委員会、出版:八郷町、1970)、歴代茨城県議会議員名簿市郡別昭和33年10月現在(編・出版:茨城県議会事務局、1959)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)

鈴木 文夫(すずき ふみお)(北相馬郡内守谷村)
生年月日1924(T13).2.26 31歳2ヶ月
前村長の任期は1955(S30).4.22までです。
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)

加倉井 正利(かくらい まさとし)(真壁郡大村/真壁郡明野町)
生年月日1913(T2).7.6
真壁郡大村
1947(S22).4.5-1951(S26).4.4 1期 33歳8ヶ月
真壁郡明野町
1954(S29).12.-1958(S33).11. 1期 41歳4-5ヶ月
1971(S46)以降-1986(S61) 5期 57-58歳
1954(S29).12.-1958(S33).11.は町長でその後1958(S33).11.-1971(S46)年現在にいたるまでは町長ではありません。[96220][103920]Nさんによりますと通算7期で1986年まで明野町長。
明野町はずっと任期満了に伴う選挙であると仮定すると、大村を1期、明野町を1期と5期とするとすべてがうまくおさまります。
参考:茨城年鑑 1972年版(編・出版:茨城新聞社、1971)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

吉原 三郎(猿島郡岩井町(旧)/猿島郡岩井町)
生年月日1922(T11).8.23
猿島郡岩井町(旧)
1951(S26).4.24-1955(S30).2.28 1期 28歳8ヶ月
猿島郡岩井町
32歳8ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

鯉渕 丈男(こいぶち たけお)(東茨城郡西郷村)
生年月日1911(M44).4.5
1947(S22).4.-1955(S30).2. 2期 36歳0ヶ月
参考:茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

村田 安蔵(むらた やすぞう)(鹿島郡波崎町)
生年月日1913(T2).3.30
1951(S26).4.23-1963(S38).4. 4期 38歳0ヶ月
1971(S46).4.-1975(S50).4. 1期 58歳0-1ヶ月
1971(S46).4.25統一地方選挙で58歳元職で当選、1975(S50).4.27落選
参考:茨城年鑑 1972年版(編・出版:茨城新聞社、1971)、選挙の記録 昭和46年(編・出版:茨城県選挙管理委員会、1971)、選挙の記録 昭和50年(編・出版:茨城県選挙管理委員会、1975)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

上林 修平(かみばやし しゅうへい)(結城郡飯沼村)
生年月日1909(M42).9.10
1947(S22).4.8-1951(S26).4.6 1期 37歳6ヶ月
参考:茨城県議会の概要自昭和22年至昭和25年(編・出版:茨城県議会事務局、1951)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

根本 保(ねもと たもつ)(那珂郡山方町)
生年月日1913(T2).8.18
1952(S27).8.-
参考:茨城年鑑 1972年版(編・出版:茨城新聞社、1971)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)、茨城県市町村合併史(編・出版:茨城県総務部地方課、1958)

宮本 雅二(みやもと まさじ)(那珂郡芳野村/那珂郡那珂町)
生年月日1923(T12).12.24
那珂郡芳野村
1951(S26).4.- 27歳3-4ヶ月 1期
那珂郡那珂町
1959(S34).5.- 35歳5-6ヶ月
参考:茨城年鑑 1972年版(編・出版:茨城新聞社、1971)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)

坂本 重道(新治郡出島村)
1975(S50).3.10-
出島村新設合併で成立後の選挙は1955(S30).3.10、1959(S34).2.19、1963(S38).2.17、1967(S42).2.19、1971(S46).2.25、1975(S50).2.25と行われており、すべて任期満了に伴う選挙であると仮定しての推測です。
参考:出島村史 続編(編:出島村史編纂委員会、出版:出島村教育委員会、1978.3)

以上、よろしくお願いいたします。
[109890] 2024年 1月 20日(土)13:25:35むっくん さん
若年で当選した首長PART27(青森県)
>グリグリさん
若年で当選した首長への情報提供です。本稿はすべて青森県となります。
すべての方で青森県人名大事典(編・出版:東奥日報社、1969)を参照していますので、以下では参考文献としての記載を省略します。

まずは新規情報です。

奥崎 菊次郎(おくざき きくじろう)
生年月日1910(M43).11.8
東津軽郡滝内村
1947(S22).4.-1951(S26).3.31 1期 36歳4-5ヶ月
#1946(S21).4.1-1951(S26).3.31とありましたが、統一地方選挙の前に、すべての首長は一度辞任していることよりの推測です。

工藤 民治(くどう みんじ)
生年月日1909(M42).3.27
東津軽郡後潟村
1947(S22).4.8-1948(S23).4.14 1期 38歳0ヶ月

工藤 年秋(くどう としあき)
生年月日1913(T2).10.24
東津軽郡後潟村
1948(S23).6.2-1951(S26).4.6 1期 34歳7ヶ月

斎藤 鉄雄(さいとう てつお)
生年月日1914(T3).11.19
中津軽郡堀越村
1947(S22).4.5-1951(S26).4.5 1期 32歳4ヶ月

下田 与五郎(しもだ よごろう)
生年月日1912(M45).6.11
上北郡三沢村
1947(S22).4.5-1948(S23).2.10 1期 34歳9ヶ月

葛西 寅五郎(かさい とらごろう)
生年月日1914(T3).3.26
西津軽郡川除村
1947(S22).4.-1950(S25).11. 1期 33歳0-1ヶ月

長内 長雄(おさない ながお)
生年月日1921(T10).6.27
西津軽郡稲垣村
1958(S33).6.10- 6期 36歳11ヶ月
任期は連続3期までは確認。その後、任期満了に伴う選挙で1970(S45).5.13当選、1972(S47).3.1現在も村長、1977(S52).6.-1979(S54).6.は青森県町村会の会長、任期満了に伴う選挙で1978(S53).5.10当選、1981(S56).8.22の任期満了(?)に伴う選挙で出馬しなかったことより任期を推定。
参考:選挙の記録昭和46年(編・出版:青森県選挙管理委員会、1971)、青森県町村会、全国町村会五十年史(編・出版:全国町村会、1972)、第9回統一地方選挙の記録昭和54年(編・出版:青森県選挙管理委員会、1979)、選挙の記録昭和58年(編・出版:青森県選挙管理委員会、1983)

奈良岡 敏(ならおか はやし)
生年月日1907(M40).12.10
南津軽郡女鹿沢村
1947(S22).4.-1947(S22).11. 1期 39歳3-4ヶ月

大川 武一(おおかわ たけいち)
生年月日1919(T8).2.3
南津軽郡柏木町
1947(S22).4.8-1947(S22).10.9 1期 28歳2ヶ月

乳井 栄(にゅうい さかえ)
生年月日1916(T5).2.12
南津軽郡碇ケ関村
1952(S27).1.31- 6期 35歳11ヶ月
任期は連続5期までは確認し、1972(S47).3.1現在も村長、1973(S48).6.-1975(S50).6.は青森県町村会の会長なのでおそらく連続6期と推測。
参考:アッコハウス乳井厚子プロフィール青森県町村会、全国町村会五十年史(編・出版:全国町村会、1972)

工藤 専吉(くどう せんきち)
生年月日1914(T3).5.11
三戸郡名久井村
1952(S27).1.29-1955(S30).7.28 1期 37歳8ヶ月
三戸郡名川町
1959(S34).9.6-1975(S50).9. 5期 45歳3ヶ月
参考:名川町誌 第1巻 (本編 1)(編:名川町誌編集委員会、出版:名川町、1993.8)、名川町誌 第2巻 (本編 2)(編:名川町誌編集委員会、出版:名川町、1995.3)

山崎 武雄(やまざき たけお)
生年月日1911(M44).5.17
三戸郡向村
1949(S24).2.12-1955(S30).4.20 2期 37歳8ヶ月

高橋 堅太郎(たかはし けんたろう)
生年月日1914(T3).5.17
三戸郡戸来村
1948(S23).10.-1954(S29).9. 2期 34歳4-5ヶ月


追加情報です。

船橋 茂(東津軽郡東平内村/青森県東津軽郡平内町)
東津軽郡東平内村
1947(S22).4.6-1955(S30).3.30

佐々木 敬三(ささき けいぞう)(三戸郡留崎村)
1947(S22).4.5-1951(S26).4.4

花田 一(北津軽郡金木町 (旧)/青森県北津軽郡金木町)
北津軽郡金木町(旧)
任期数は1

佐藤 誠治(南津軽郡田舎館村(旧)/南津軽郡田舎館村)
南津軽郡田舎館村(旧)
1947(S22).12.1-,1951(S26).11.10-の2期
南津軽郡田舎館村
1955(S30).5.2-1959(S34).4.6 1期
就任日年齢39歳7ヶ月

前田 豊作(まえだ とよさく)(東津軽郡奥内村)
1951(S26).4.30-1955(S30).3.1

吉田 博彦(よしだ ひろひこ)(上北郡六戸町)

工藤 正六(上北郡七戸町 (旧))
1950(S25).10.10-1954(S29).10.9
就任日年齢33歳8ヶ月

野呂 武輝(のろ たけき)(南津軽郡大杉村)
生年月日は1913(T2).8.2とありました。

松浦 長兵衛(まつうら ちょうべえい)(上北郡六戸町)
生年月日1933(S8).5.24
就任日年齢33歳11ヶ月

小倉 豊(南津軽郡五郷村)
1947(S22).4.-1951(S26).4.
就任日年齢33歳10ヶ月

小倉 清喜(おぐら せいき)(東津軽郡一本木村)
1951(S26).4.24-1955(S30).3.31 1期

白鳥 大八(東津軽郡荒川村)
1947(S22).4.7-1951(S26).4.6
就任日年齢34歳7ヶ月
#本では1947(S22).4.7-1951(S26).4.7とありましたが、就任日から4年間になるように修正しました。

中井 忠一(なかい ちゅういち)(西津軽郡十三村)
1947(S22).4.5-1955(S30).3.30 2期
就任日年齢35歳10ヶ月

成田 幸男(西津軽郡木造町)
生年月日1919(T8).8.21
就任日年齢35歳8ヶ月

伊藤 貞文(いとう ていぶん)(南津軽郡山形村)
1947(S22).4.5-1951(S26).4.4,1951(S26).4.23-S29.6.30
就任日年齢35歳5ヶ月

石屋 健一(いしや けんいち)(三戸郡中沢村/三戸郡南郷村)
三戸郡中沢村
1947(S22).4.8-1951(S26).4.4
三戸郡南郷村
1962(S37).6.9-1966(S41).6.8 1期
就任日年齢51歳7ヶ月

今 清熙(こん きよひろ)(東津軽郡筒井村)
1951(S26).4.23で当選して1955(S30).1.1までの1期

山屋 辰夫(やまや たつお)(西津軽郡鰺ヶ沢町 (旧)/西津軽郡鰺ヶ沢町)
西津軽郡鰺ヶ沢町 (旧)
1947(S22).4.6-1955(S30).3.30
就任日年齢36歳11ヶ月

小比類巻 富雄(上北郡大三沢町/三沢市)
上北郡大三沢町
1948(S23).4.5-1955(S30).3.15
就任日年齢37歳1ヶ月

三浦 幸之助(三戸郡館村)
1947(S22).4.5-1955(S30).3.31 2期
就任日年齢37歳1ヶ月

桑田 貞一(くわた ていいち)(南津軽郡石川町)

出町 勘右エ門(でまち かんえもん)(三戸郡北川村)
1947(S22).4.5-1951(S26).4.3,1951(S26).4.23-1955(S30).7.22
就任日年齢37歳5ヶ月
#青森県人名大事典でも名川町誌 第1巻 (本編 1)(編:名川町誌編集委員会、出版:名川町、1993.8)653頁でも出町 勘右衛門と記載されていますので、出町 勘右衛門と記載する方が良いと思います。

中野渡 惣一(なかのわたり そういち)(上北郡大深内村)

辻村 秀雄(東津軽郡小湊町)
1947(S22).4.29-1955(S30).3.30 2期

太田 金太郎(おおた きんたろう)(上北郡四和村)
1951(S26).4.23-1955(S30).2. 1期

齋藤 正次(さいとう まさじ)(北津軽郡板柳町 (旧))
1951(S26).4.23-1955(S30).4.1 1期

松倉 芳郎(まつくら よしろう)(三戸郡上長苗代村)
1947(S22).4.5-1951(S26).4.4,1951(S26).4.-1955(S30).3.31 2期
就任日年齢39歳4ヶ月

細川 重太郎(ほそかわ じゅうたろう)(東津軽郡平内町)
生年月日1915(T4).9.19
就任日年齢39歳7ヶ月

以上、よろしくお願いいたします。
[109861] 2024年 1月 15日(月)22:02:30むっくん さん
第六十六回十番勝負感想
前回に引き続き無事に完答できましたので、感想を正答順に記します。

問十:有人島のある市(日本の有人島一覧にある市)
まずは最近の話題を探すと、問十が見事に当てはまりました。

問三:人口密度が300人台の市
問十の後に落書き町の中で様々なデータを見ていますと、見つかりました。300人台だから問三というのは共通項発表後に気付きました。

問八:月名コレクションの新暦地名がある市
問八は一つ目のアナグラムヒントから最近リリースされた地名コレクションに気付きました。問八はさすがにヒント無しで気付きたかったです。

問六:女性より男性が多い市
問六は二つ目のアナグラムヒントにて分かりました。先月市区町村データランキング女性人口が付け加わったことを完全に失念しておりました。

問一:辰年生まれの市(市の誕生日が辰年の市)
二つ目のアナグラムヒントにて分かりましたが、この問題が新年がらみとは全く気付いていませんでした。。

問二:大相撲の関取(十両以上)の出身地の市
この問題も二つ目のアナグラムヒントにて分かりました。『難易度分析(問題別)』によれば、過去にも相撲関連の問題が出ていたそうですが、全く知りませんでした。

問四:十番勝負で正答率が75%未満の市
おおよその共通項はアナグラムヒントとSVヒントから分かっていましたが、線引きは一度誤答になった後に気付きました。

問七:可住地面積比率が20%未満の市
二つ目のアナグラムヒントが解凍されてようやく分かりました。これも市区町村データランキングがらみで、ランキングが開設されてすぐに可住地面積が付け加わったことは全く把握していませんでした。

問九:公式LINEのない市
二つ目のアナグラムヒントを解凍されても分かりませんでしたが、[109773]Hiro_as_FillerさんのX(旧Twitter)関連の書き込みでようやく閃きました。

問五:読みの文字に重複がある市(濁音、拗音、促音は区別)
共通項が分からず既に回答された市の類似の市を選んだらさすがに誤答でした。反省して共通項を理解して再回答に至りました。

十番勝負は基本的にはヒント頼みとなる私ですが、アナグラムヒントを苦手としている私でも、過半数のアナグラムヒントは解析できました。SVヒントの方はまだまだ慣れていません。共に、今後の課題となりそうです。

今回も開催ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
[109812] 2024年 1月 10日(水)21:25:26むっくん さん
第六十六回十番勝負
ヒントの意味がようやく分かりました。これで最後のはず。

問五:苫小牧市
[109801] 2024年 1月 9日(火)23:55:17むっくん さん
第六十六回十番勝負
問九:南あわじ市
[109800] 2024年 1月 9日(火)23:41:06むっくん さん
第六十六回十番勝負
問七:日田市
[109799] 2024年 1月 9日(火)23:28:16むっくん さん
第六十六回十番勝負
問五:東久留米市
[109798] 2024年 1月 9日(火)23:24:43むっくん さん
第六十六回十番勝負
問四:朝倉市
[109760] 2024年 1月 8日(月)17:59:16むっくん さん
第六十六回十番勝負
問二:甲府市
[109757] 2024年 1月 8日(月)16:12:21むっくん さん
第六十六回十番勝負
問四:浜松市
[109756] 2024年 1月 8日(月)16:02:57むっくん さん
第六十六回十番勝負
問一:西脇市
[109754] 2024年 1月 8日(月)15:35:38むっくん さん
第六十六回十番勝負
問六:常総市
問八:伊丹市
[109584] 2024年 1月 3日(水)18:25:09むっくん さん
都道府県人口増加率ランキング
>グリグリさん
都道府県人口増加率ランキングの2024/01/01と最新が
2023年10月1日の国勢調査人口から2023年10月1日の推計人口までの人口増加率です。
2023年10月1日(推計人口)vs 2023年10月1日(国勢調査人口)
と国勢調査が2020年になっていない誤りがありましたのでご報告です。
[109550] 2024年 1月 1日(月)14:48:18むっくん さん
第六十六回十番勝負
問三:潟上市
[109546] 2024年 1月 1日(月)12:20:12むっくん さん
第六十六回十番勝負
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

問十:下関市
[109448] 2023年 12月 28日(木)19:52:36むっくん さん
Re^3:若年で当選した首長の一覧(追加更新)
[109428]グリグリさん

西村 修一さん
[95418][95533][109422]拙稿[96220]Nさんに加え関城町史 通史編 下巻(編:関城町史編さん委員会、出版:関城町、1987.12)、茨城紳士録 昭和39年度版(編・出版:いばらき新聞社、1964)を参考にまとめます。

生年月日1915(T4).7.11
茨城県真壁郡関本町
1947(S22).4.5の選挙で当選。
1947(S22).4.-1951(S26).3. 31歳8-9ヶ月

1951(S26).4.30-県議2期。

茨城県真壁郡関城町
任期満了に伴う選挙に1960(S35).8.当選(初代町長選挙は1956(S31).8.26)。1967(S42).10.7町長のまま逝去52歳
1960(S35).8.26- 2期 45歳1ヶ月
[109422] 2023年 12月 24日(日)14:22:37むっくん さん
Re:若年で当選した首長の一覧(追加更新)
[109411]グリグリさん
確認をしました。

伊藤 徳次(秋田県由利郡岩谷村/秋田県由利郡大内村)
由利郡大内村
1956(S31).11.10当選。1960(S35).9.25落選。
1956(S31).11.10-1960(S35).9. 1期
就任日年齢は47歳6ヶ月
の記載が抜けています。

東海林 正吉(秋田県由利郡大内村)
1960(S35).9.25と記載しても良いとは思いますが、選挙当選日との脚注が必要になると思います。前村長の辞職(もしくは逝去)に伴う選挙ならば就任日と解釈できますが、任期満了に伴う選挙とも十分に考えられるからです。
大内村は1956(S31).9.30に新設合併で成立していますので、おそらくこの時の選挙があったのは早いと仮定すると1956(S31).10.20頃で、その任期満了の時期は1960(S35).10.20頃になります。首長の任期満了に伴う選挙では、任期満了日の一ヶ月前にはできますので、1960(S35).9.25はその期間に充分入ります。
#昭和50年(昭和46年だったかもしれません)以降の統一地方選挙では任期満了日の二ヶ月前に伸びました。

横内 甲子吉(よこうち かねきち)(群馬県北群馬郡伊香保町)
読みの記載が抜けています。

2 前田 紋三郎 1921(T10).10.2 東京都若郷村 28歳4ヶ月 1950(S25).2.20 2
3 前田 紋三郎 1921.2-1922.2 東京都若郷村 29歳10ヶ月以前 1950(S25).12.15以前 2-3
同一人物の二重記載になっています。

村松 千秋(むらまつ ちあき)(新潟県東頸城郡大島村)
期数は4期以上6期未満であることしか分かっていませんので4-5期と記載しています。
[109353]Nさん
1967年以降1975年までの間は不詳
という推察のとおりです。

三浦 不可止(みうら ふかし)(高知県香美郡西川村)
2期とした根拠はなんでしょうか。
私の勘違いでした。期数が1か2かは不明です。


これだけでは何ですので、追加情報を記します。

坂本 富雄(北海道松前郡小島村/北海道松前郡松前町)
生年月日1913(T2).12.13
就任日は1947(S22).4.5
就任日年齢33歳3ヶ月/49歳4ヶ月
参考:松前町史 通説編 第2巻(編:松前町史編集室、出版:松前町、1993.3)、北海道年鑑 1976年版(編・出版:北海道新聞社、1976)

越前 修吉(北海道紋別郡丸瀬布町)
生年月日1921(T10).1.14
就任日年齢34歳3ヶ月
参考:北海道年鑑 1976年版(編・出版:北海道新聞社、1976)

藤谷 軍一(北海道空知郡音江村)
就任日は1947(S22).4.5
参考:深川市史(編・出版:深川市、1977.3)

深山 久三郎(北海道松前郡吉岡村/北海道松前郡福島町)
生年月日1911(M44).1.16
就任日年齢36歳2-3ヶ月/
参考:北海道年鑑 1976年版(編・出版:北海道新聞社、1976)

島田 薫(北海道樺戸郡新十津川村/新十津川町)
生年月日1910(M43).11.3
就任日は1947(S22).4.7
就任日年齢36歳5ヶ月
参考:新十津川町史(編・出版:新十津川町、1966)

山路 泰治郎(北海道積丹郡入舸村)
就任日は1947(S22).4.10
参考:積丹町史(編:積丹町史編さん委員会、出版:積丹町、1985.3)

山内 正雄(やまうち まさお)(北海道網走郡美幌町)
生年月日1917(T6).7.5
就任日は1955(S30).4.30
就任日年齢37歳9ヶ月
参考:美幌町史(編:美幌町史編さん委員会、出版:美幌町、1972)、選挙の記録昭和54年(編・出版:北海道選挙管理委員会、1979)、北海道年鑑 1976年版(編・出版:北海道新聞社、1976)

佐々木 豊(北海道松前郡松前町 (旧))
就任日は1947(S22).4.5
参考:松前町史 通説編 第2巻(編:松前町史編集室、出版:松前町、1993.3)

山口 哲夫(北海道釧路市 (旧))
生年月日1928(S3).8.9
就任日年齢37歳3ヶ月
参考:北海道年鑑 1976年版(編・出版:北海道新聞社、1976)

村上 琢夫(北海道広尾郡広尾町)
生年月日1933(S8).3.16
就任日年齢37歳1ヶ月
参考:北海道年鑑 1976年版(編・出版:北海道新聞社、1976)

濱口 光輝(北海道浦河郡浦河町)
選挙日1953(S28).12.24
参考:選挙の記録 昭和30年(編・出版:北海道選挙管理委員会、昭和30.9.)

桐山 修(北海道常呂郡若佐村)
1948(S23).4.26-1952(S27).4.25、青山村長退任後に、1952(S27).8.6-1956(S31).9.29
#1948(S23).4.25は選挙日。1951年の第二回統一地方選挙あたりまでは、選挙日翌日に開票作業をするのが一般的でした。
参考:佐呂間町史(編:佐呂間町史編纂委員会、出版:佐呂間町、1966)941頁

山木 竹蔵(北海道松前郡大沢村)
就任日は1947(S22).4.5
参考:松前町史 通説編 第2巻(編:松前町史編集室、出版:松前町、1993.3)

塚本 一郎(北海道空知郡北村)
生年月日1917(T6).8.31
1955(S30).5.1-
就任日年齢37歳8ヶ月
参考:北海道年鑑 1976年版(編・出版:北海道新聞社、1976)、北村村史(編:北村村史編纂委員会、出版:北村、1960)
北村村史69頁では
17代 塚本 一郎 昭和三十、五、一 -昭和三十四、四、三十
18代 塚本 一郎 昭和三十四、五、一 -現在
となっています。選挙の記録 昭和30年(編・出版:北海道選挙管理委員会、昭和30.9.)では選挙年月日が1955(S30).4.30となっていました。
就任日は1955(S30).5.1として問題ないと思います。
#北海道選挙管理委員会市町村における長の選挙結果市分(.xlsx)を見てみますと、選挙日が1955(S30).5.7になっていましたが、選挙の記録 昭和30年の写し間違いの可能性も残ります。

本間 道男(北海道十勝郡浦幌町)
生年月日1932(S7).11.11
就任日年齢38歳5ヶ月
参考:北海道年鑑 1976年版(編・出版:北海道新聞社、1976)

吉田 三伊(北海道網走郡東藻琴村)
生年月日1908(M41).1.1
就任日年齢39歳3ヶ月
参考:北海道年鑑 1976年版(編・出版:北海道新聞社、1976)

小林 弘道(北海道足寄郡足寄町)
生年月日1927(S2).7.15
就任日年齢39歳9ヶ月
参考:北海道年鑑 1976年版(編・出版:北海道新聞社、1976)

金沢 幹三(青森県下北郡大間町)
表記を金澤 幹三とする方が良いと思います。
参考:全国町村会青森県大間町長金澤満春

原 龍一 (秋田県仙北郡横堀村)
生年月日1916(T5).2.1
就任日年齢31歳2ヶ月
参考:秋田県議会史第2巻(編:秋田県議会事務局、出版:秋田県議会、1984.3)

柴田 久郎(秋田県平鹿郡醍醐村)
生年月日1910(M43).3.29
就任日年齢37歳0-1ヶ月
参考:秋田県議会史第2巻(編:秋田県議会事務局、出版:秋田県議会、1984.3)

西村 修一(茨城県真壁郡関本町/茨城県真壁郡関城町)
生年月日1915(T4).7.
就任日年齢35歳8-9ヶ月
参考:歴代茨城県議会議員名簿市郡別昭和33年10月現在(編・出版:茨城県議会事務局、1959)

加倉井 正利(茨城県真壁郡大村/茨城県真壁郡明野町)
生年月日1913(T2).7.
就任日年齢33歳8-9ヶ月
参考:歴代茨城県議会議員名簿市郡別昭和33年10月現在(編・出版:茨城県議会事務局、1959)

鯉淵 丈男(茨城県東茨城郡西郷村)
生年月日1911(M44).6.
就任日年齢35歳9-10ヶ月
参考:歴代茨城県議会議員名簿市郡別昭和33年10月現在(編・出版:茨城県議会事務局、1959)

林 辰衛(群馬県利根郡糸之瀬村)
[94761]拙稿は誤記で、正しくは1954(S29).4.-1958(S33).10.の2期でした。
参考:群馬県人名大事典(編・出版:上毛新聞社、1982.11)

金子 裕(かねこ ゆたか)(群馬県勢多郡粕川村)
参考:群馬県人名大事典(編・出版:上毛新聞社、1982.11)

近藤 英一郎(群馬県山田郡大間々町)
1947(S22).4.-
1949(S24).2.山田郡選出の長谷川四郎群馬県議が衆議院議員選挙に出馬したため、県議になる。よって任期は1。
参考:群馬県人名大事典(編・出版:上毛新聞社、1982.11)

松井 吉太(石川県羽咋郡志雄町)
生年月日1916(T5).9.
参考:北国年鑑昭和34年版(編・出版:北国新聞社、1959)

浦神 賢一(和歌山県東牟婁郡下里町/和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)
生年月日1909(M42).1.26
就任日年齢38歳2-3ヶ月/54歳3ヶ月
参考:和歌山県議会歴代議員名鑑(編・出版:和歌山県議会、1969)

高木 悦郎(兵庫県養父郡宿南村)
生年月日1914(T3).4.21
就任日年齢33歳6ヶ月
兵庫県名士録(編・発行:神港新聞社、S33.11.1)

芦田 卓三(岡山県勝田郡北吉野村/岡山県勝田郡奈義町)
生年月日1910(M43).2.11
就任日年齢37歳1-2ヶ月/44ヶ月11ヶ月-45歳0ヶ月
参考:岡山県人名辞典(編・出版:日本文教出版株式会社、1968)

山野 常雄(徳島県名東郡北井上村)
生年月日1909(M42).12.26
就任日年齢37歳4-5ヶ月
参考:徳島県議会史 第2巻(編・出版:徳島県議会、1973)、徳島県年鑑 1969年版(編・出版:徳島同友会、1969)

徳元 四郎(徳島県板野郡藍園村/徳島県板野郡藍住町)
板野郡藍園村
1951(S26).4.-
板野郡藍住町
1955(S30).5.20(21)-
板野郡藍園村1951(S26).4.23選挙で初当選、板野郡藍住町1955(S30).5.20選挙で初当選(確定は1955(S30).5.21)
参考:藍住町史(編:藍住町史編集委員会、出版:藍住町、1965)、徳島年鑑 昭和31年版(編・出版:徳島新聞社、1956)

東山 正胤(徳島県那賀郡木沢村)
1959(S34).4.30- 35歳 6期以上
1959(S34).4.23選挙で無投票当選することが前日の1959(S34).4.22確定(35歳)。1975(S50).4.27に53歳で無投票当選、1979(S54).4.22に57歳で当選しているので6期以上。
参考:木沢村誌(編:木沢村誌編纂委員会、出版:木沢村、1976)、徳島年鑑 昭和35年版(編・出版:徳島新聞社、1960)、選挙の記録 昭和50・51年(編・出版:徳島県選挙管理委員会、1977)、選挙の記録 昭和53・54年版(編・出版:徳島県選挙管理委員会、1980)

内藤 信明(徳島県美馬郡半田町)
1964(S39).10.25- 36歳4ヶ月 6期以上
1964(S39).10.11初当選。1968(S43).10.7当選。1972(S47).10.1無投票当選。1976(S51).9.26無投票当選。1980(S55).9.28当選。1984(S59).9.30でも当選しているので6期以上。
半田町新設合併の選挙は1956(S31).10.25で、その後1960(S35).10.18、1964(S39).10.11と選挙執行日が来ていることより、任期満了に伴う選挙と想定して任期初日を推測。
参考:半田町誌 上巻 (自然環境・通史・政治・社会)(編:半田町誌出版委員会、出版:半田町誌出版委員会事務局、1980.8)、選挙の記録 昭和55年版(編・出版:徳島県選挙管理委員会、1981)、選挙の記録 昭和59年・60年版(編・出版:徳島県選挙管理委員会、1986)

宮武 憲正(香川県仲多度郡象郷村)
[94755]拙稿の訂正です。
1947(S22).4.-1951(S26).3. 1期 39歳5-6ヶ月
1955(S30).4.-1958(S33).3. 1期 47歳6ヶ月
参考:香川県議会史. 第1巻 (自昭和22年4月至昭和30年3月) (編:香川県議会史編さん委員会 , 出版:香川県議会事務局, 1971)

平良 幸市(沖縄県中頭郡西原村)
長嶺 秋夫(沖縄県島尻郡小禄村)
米国軍政府特別布告第25号(市町村長及び市町村議会議員選挙法)(1947.12.2)は、沖縄民政府指令第四號(1948.1.12)に基づき、市町村長選挙が1948.2.1に実施され、市町村議会選挙が1948.2.8に実施されました。共に当選者の任期は1948.3.1からとなっています。
[109405] 2023年 12月 19日(火)20:07:27むっくん さん
若年で当選した首長の一覧PART24の補足・訂正&Re:変遷情報の分類について(その2)の補足・訂正
[109398]グリグリさん
2.若年で当選した首長の一覧の更新
[109347]拙稿の補足及び訂正です。

柳沢 本次(群馬県群馬郡箕郷町)
選挙の記録(昭和42年)(編・出版:群馬県選挙管理委員会、1967)だけではなくて、選挙の記録(昭和38年)(編・出版:群馬県選挙管理委員会、1963)でも生年月日は1925(T14).6.11とありました。

横内 甲子吉(よこうち かねきち)(群馬県北群馬郡伊香保町)
生年月日1924(T13).6.5
就任日年齢は28歳4ヶ月
参考:群馬県人名大事典(編・出版:上毛新聞社、1982.11)

福島 伊平(福井県南条郡今庄村(旧)鹿蒜村組合/福井県南条郡今庄村/福井県南条郡今庄町)
今庄村(旧)鹿蒜村役場事務組合
1947(S22).4.- 1期
就任日年齢は34歳9-10ヶ月
南条郡今庄町
1955(S30)-1967(S42) 3期
就任日年齢は42歳10ヶ月
#今庄村(旧)と鹿蒜村が合併して1951(S26).4.1に成立した今庄村の村長の可能性があります。(確認できず)
1952(S27).10.10も首長より、おそらく1951(S26).4.1に新設合併で成立した今庄村の村長に就任したと考えられます。また、南条郡今庄町では1955(S30).4.20当選でした。さらには、今庄村(旧)鹿蒜村役場事務組合での就任日年齢も間違っていました。よって正しくは
今庄村(旧)鹿蒜村役場事務組合
1947(S22).4.- 1期 36歳5-6ヶ月
南条郡今庄村
1951(S26).4.- 1期 40歳5-6ヶ月
南条郡今庄町
1955(S30).4.20-1967(S42) 3期 44歳6ヶ月
となります。
参考:北国年鑑昭和31年版(編・出版:北国新聞社、1955)、北国年鑑昭和28年版(編・出版:北国新聞社、1952)

4.市区町村変遷情報の懸案項目(小笠原関連等)の整備
[109212]拙稿の補足及び訂正です。

(5)東京府/東京都
19460228 東京都 伊豆諸島は日本国のままとなる 大島6村,八丈島5村,伊豆諸島11村
は誤りでした。以前の[24274]Issieさんにあるように、SCAPIN841(1946.3.22付)で伊豆諸島と孀婦岩から北の島嶼は、日本政府の権力行使を停止させた島嶼から外されました。正しくは
19460322 東京都 伊豆諸島は日本国のままとなる 大島6村,八丈島5村,伊豆諸島11村
となります。

続いて(6)鹿児島県です。
最初にSCAPIN-677(S21.1.29)と奄美市HPにある「連合国覚書宣言」(2・2宣言)(S21.2.2)との関係についてです。

1946年1月29日に米軍海軍沖縄地区司令長官から大島支庁長に
1 二月初め琉球軍政府から宣言をなすにつき、その旨を支庁長に伝えたい。
2 大島は鹿児島県から切り離す。
3 交通は従前通り。
4 食糧は軍政府が補給する。
5 俸給給料は軍政府から支給する。
6 支庁長の上に知事を置かない。
7 種々の願いは、知事にではなく、沖縄軍政府に願いでること。
8 法律・命令等は宣言後決定する。
9 日本の法律・旧慣を適用する。
10 宣言後は、日本政府から切り離す。
11 政治方針は、軍政部から指示する。
12 軍政部に対する犯罪は軍政部で、他の犯罪は、軍政部が指揮して日本の裁判にさせる。
13 通貨は日本貨と軍用を使用する。たりない通貨はもってくる。
14 大島は沖縄の支配下にあるのではない。大島郡人が政治をする。ただし監督は海軍々政部がする。
名瀬市誌下巻(編・出版:名瀬市誌編纂委員会、1973)84頁
との旨の口頭指令があらかじめあったうえで、1946年2月2日に連合国最高司令部が、SCAPIN677(S21.1.29)を日本政府に対して命令しました。この結果、大島郡は日本政府の施政権が及ばなくなり、鹿児島県大島郡では2・2宣言と言われるようになりました。
この後、3月13日に軍政長官一行が上陸、翌3月14日に軍政布告ならびに命令を公布して米国海軍軍政府(6月には米国陸軍軍政府へと移譲)による統治が始まりました。
[109212]では
19460129 鹿児島県 大島郡が事実上日本国領土外になる 米国軍政府下での市制町村制 大島郡5町16村
と書きましたが、法律上の年月日は
19460202 鹿児島県 大島郡が事実上日本国領土外になる 米国軍政府下での市制町村制 大島郡5町16村
とする方が適切です。

#同時に東京都と沖縄県の
19460129 東京都 伊豆諸島及び小笠原諸島が事実上日本国領土外になる(注3) 大島6村,八丈島5村,伊豆諸島11村,小笠原諸島5村
19460129 沖縄県 沖縄県が事実上日本国管轄外になる 3市5町50村
も19460129ではなくて19460202としておいた方が良いことになります。

余談ですが、奄美地方で行われた
米国軍政府下での市制町村制
についてです。奄美地方で行われた最初の選挙は1946年7月1日でした。その選挙法令は
北部南西諸島米軍海軍々政本部命令第四号
北部南西諸島住民に告ぐ
命令
第一 一九四六年七月一日を以て、選挙日と定む。
第二 大島郡内の有権者は、町会議員又は村会議員を選挙すべし。
第三 村長及び町長は、人民の直接投票により選挙すべし。
第四 満二〇歳に達したる男女は、悉く参政権を与えられる。
第五 投票権を有する男女は、何人も被選挙権を有す。
一九四六年六月四日
北部南西諸島米軍海軍々政府長官
海軍少佐 ジョン・エ・ポーター
名瀬市誌下巻(編・出版:名瀬市誌編纂委員会、1973)93頁
でした。
被選挙権が20歳以上となっていたことから、地方自治法下では存在することのない、25歳未満の市町村の首長が出ることができました。[87778][99782]
重村 一郎 1922(T11).11.6 鹿児島県大島郡東天城村 24歳7ヶ月 1947(S22).7.3
若年で当選した首長において、地方自治法の被選挙権は25歳以上とは異なり、米国軍政府下の奄美地方での市町村長選挙については被選挙権が20歳以上であった旨の注釈が必要かもしれません。>グリグリさん

さらに余談となりますが、米国軍政府下での市町村長及び市町村議員の選挙日である1946年7月1日は名瀬市が誕生した日でもあります。
こちらは、1946年6月7日に名瀬町から名瀬市に名称変更することを大島支庁長から軍政長官宛で許可申請を出し、
名瀬町の名称変更
1946年7月1日を期し名瀬町の名称を名瀬市に、名瀬町会議員の名称を名瀬市会議員に改称す。
1946年6月7日許可
北部南西諸島軍政府官
米軍海軍少佐
ジョン・A・ポーター
名瀬市誌下巻(編・出版:名瀬市誌編纂委員会、1973)92頁
と同日付で軍政府から許可をされました。
名瀬町が、大島郡の首都として、政治・行政・教育・通信・運輸及び商取引その他の中心地として、将来又最近における軍政府の所在地として愈々殷賑を極め、本町の将来における市名は益々重要性を加重せらるるを以て、茲に本町を「市」に名称変更し一般の品格を加うる事とし、今回本郡一斉に行わるる町村会議員選挙に際し、市会議員の選挙を行うは最も機宜を得たる措置と認む。これ即ち、復興途上にある本町民の心機を一転し、将来の発展に一層の拍車を掛くるものと信ずる所以なり。
名瀬市誌下巻(編・出版:名瀬市誌編纂委員会、1973)91頁
という理由で、1946年6月10日名瀬町会満場一致で可決、翌日大島支庁より許可通知を受け、1946年7月1日に名瀬市という名称になりました。
しかしながら、名瀬町は「名瀬市」という名称になりましたが、町村制を適用して実施し、実際に市制が適用されたのは日本国に復帰した昭和28(1953)年12月25日になってからです。
参照:名瀬市誌下巻(編・出版:名瀬市誌編纂委員会、1973)91-92頁

とするならば市区町村変遷情報(鹿児島県)
112 1946(S21).7.1 市制 名瀬市 大島郡 名瀬町

112 1946(S21).7.1 改称 名瀬市 大島郡 名瀬町
141 1953(S28).12.25 市制 名瀬市 名瀬市
とする方が適切かもしれません。

(7)沖縄県
19530112 沖縄県 米国軍政府下市町村自治法 5市9町52村
1950.12.5琉球列島米国民政府に関する指令(FEC指令(スキャップ(SCAP)指令とも言う))により、1950.12.15に米国軍政府(MG)から米国民政府(USCAR)へと変わりました。その後、米国民政府は1952.4.1に成立する琉球政府へと変わります。
参考:沖縄県公文書館1950年(昭和25)12月15日付で琉球列島米国民政府(USCAR)を設立

また、市町村選挙の法的根拠は米軍政府回状第208号(地方行政緊急措置要綱)(1945.9.12)、米軍政府指令第26号(市町村制)(1948.7.21)、琉球政府立法第1号(市町村自治法)(1953.1.12)と変化しています。
参考:那覇市議会史第2巻資料編1議会の法規・組織(PDF)
#沖縄本島の場合に限ります。八重山諸島では違うかもしれません。

とするならば、
19530112 沖縄県 米国軍政府下市町村自治法 5市9町52村

19530112 沖縄県 琉球政府市町村自治法 5市9町52村
とする方が適切かもしれません。


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