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またーりさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[22586]2003年12月7日
またーり
[22413]2003年12月1日
またーり
[22303]2003年11月27日
またーり
[21970]2003年11月14日
またーり
[21922]2003年11月11日
またーり

[22586] 2003年 12月 7日(日)07:41:34【1】またーり さん
神戸新聞のWebについて・他
[22584]月の輪熊 さん
しかも、地元・神戸新聞と朝日新聞兵庫版には掲載なしです。
神戸新聞は休日ということもあるのかもしれませんが。
神戸新聞のWebは昼頃更新されますよ。ちなみに日曜・祝日も更新します。
朝日新聞の地域情報は日曜・祝日+休刊日の更新はお休みのようですが。
それにしても神戸新聞はWeb上には姫路関連の合併情報をあまり載せてくれませんね…。
実家では神戸と讀賣を取っているので仕事の帰りに立ち寄っては読んでいるんですが、
Webでは載っていない記事がちょくちょくあったりします。
ただこういう事はあまり言いたくないんですが、何か神戸新聞は姫路の合併の足を
引っ張ろうとしているとしか思えないんですよね…気のせいなのかも知れませんが。


話は変わって[19818][22413]で予告した揖保郡太子町の住民投票の裏事情ですが、
ここに書くよりもホームページを作ってそこで書いた方がいいかなとも思っています。
ただ、「ホームページを作った事のない自分に作れるのか…もしかするとできた時には
既に太子は合併済みだったりして」という感じなのでどうしようかと悩んでいます。
とりあえずHTMLタグやスタイルシートについて書かれている書籍は買いましたが、
結局は(ホームページを作るとしても)ここでも書く事になりそうです。

【書込訂正】
文章を少々手直し。
[22413] 2003年 12月 1日(月)01:50:48またーり さん
住民投票について
[22406]はやいち@大内裏 さん
本日は各地で合併を問う住民投票が行われました
市町村合併での民意の確認のためのツールとして広まったものですが、
これを機に、ボトムアップ型自治実現の手法としての住民投票が定着するのを期待しています
自分もかつてはそう思っていました。しかし、現在の自分は実は住民投票には批判的な
立場なんです。…と言っても、『住民投票』という制度そのものに反対している訳では
ありません。ただ、「各自治体がその都度条例を制定して住民投票を行う」という事には
反対です。住民投票をやるのなら、国が公職選挙法に準じた『住民投票法(仮称)』を
制定し、その法に基づいて行うべきだと自分は考えます。
それは何故か─それは「各自治体が制定した住民投票条例には、不正に対する罰則規定は
おろか禁止規定すらない」場合が往々にして見られるからです。
自分が『住民投票賛成』派から『住民投票懐疑』派に転じたきっかけは、6月1日に
姫路市の隣の揖保郡太子町で行われた住民投票でした。
揖保郡太子町は「行政的には龍野市を中心とした『揖龍(いりゅう)』という枠組みに
組み入れられていながら、町民の生活圏は完全に姫路市」という微妙な立場にあります。
実際、3月下旬に行われたアンケートでは『姫路市との合併』を希望する声が多数を
占めていました。ところが、住民投票を行ってみると『揖龍1市4町』が多数を占め、
現在太子町はその結果に従い『揖龍』の法定協に参加しているという訳です。
しかし、この住民投票に於いてその『揖龍』派の住民団体『一市四町合併推進の会』が
『新聞折込チラシ』という形で各家庭に配布したビラに大きな問題があったのです。
これについては長くなりそうなので後で投稿しますが、その内容たるや「もし選挙で
同じような事をやったら、多分その候補は当選取り消しになるか、少なくとも辞職に
追い込まれる」と言っても過言のない類いのものでした。
…そう言えば、記事検索をしていたら[19818]でこの事について「今後数回に分けて
書いて行くつもりです」と自分で書いていましたね。すっかり忘れていました(^_^;)。
ちょうどいいでしょう。これから取り上げていきます。一部地方の出身and/or在住者が
激怒するであろう(orそれを通り越して呆れそうな)表現もありましたし。
[22303] 2003年 11月 27日(木)08:14:01またーり さん
『御座候』の名の由来は「お買い上げ賜り、ありがたく御座候」という感謝の言葉から
[22296]牛山牛太郎 さん
しまった!この話に『御座候』本店のある姫路の人間である自分が参加し損ねるとは。
…やっぱり『回転焼』ですかね。それとも直に『御座候』と呼ぶか、そんな感じです。
[22299]今川焼 さん
そんな訳で『御座候』を気に入って頂き、姫路の人間として鼻が高いです。
で、ついでにその『御座候』のホームページを久しぶりに見たところ、ついに北海道にも
進出したようです(丸井今井札幌店B1)。『御座候(赤)』は北海道産の小豆を
使っているのに、その北海道に今迄店舗がなかったのが不思議だったんですが。
次は東北か、それとも九州か、はたまた北陸・信越か?
…あと、自分はかつて『今川焼』を『今川』という土地で焼かれる陶磁器の事だと
思っていました(^_^;)。
ちなみに、自分が(そういう意味での)一番好きな『○○焼』は萩焼です。使い込む程に
味が出るので(『貫入』でしたっけ?陶磁器では欠点とされる場合が多いようですが、
萩焼に於いては逆にそれが特徴にもなっています)。
[21970] 2003年 11月 14日(金)02:32:01【1】またーり さん
続・姫路市の合併について
[21916]オーナー グリグリ さん
[21918]まがみ さん
[21921]両毛人 さん
[21926]紅葉橋瑤知朗 さん
[21938][21963]Issie さん
[21948]稲生 さん
(その他抜けている人がいたらすいません)
自分が1946年3月1日のいわゆる『ラモート合併』を公式には『編入』と書いたのは、
「この手の情報は都道府県側が持っているはず」という事で兵庫県(またかよ!)の
市町要覧を見たところ、次のように書かれていたからです。
【市町要覧(2003年版)】
http://web.pref.hyogo.jp/sichou/youran/index.htm
姫路市の沿革(PDFファイルより)
 M22.4.1 市制施行
M45.4.1編入国衛村(筆者注:正しくは国衙村)及び市殿村の一部
(筆者注:この2村の残りは合併して城南村となりました)
T14.4.1城北村
S8.4.1水上村 砥堀村
S10.10.1城南村 高岡村
S11.4.1安室村 荒川村 手柄村
S21.3.1飾磨市 白浜町 広畑町 網干町 大津村 勝原村 
余部村(筆者注:旧揖保郡。後に飾磨郡余部村を編入しているので区別)
(以下略)
また他に全国市長会のHP( http://www.mayors.or.jp)の市制施行日による都市一覧の
飾磨市(昭和15年2月11日市制施行)の注記に「昭和21年3月1日姫路市に編入(飾磨)」と
書いてあります。
ただ、自分は子供の頃から「勝原の姫路との合併は『対等』」と聞かされてきました。
そこで、もう一度図書館に行って色々な資料を調べてみたところ…『新設』と『編入』、
それぞれの記述がありました。以下、『ラモート合併』がどのように書かれているか
紹介します。
【姫路百年】姫路市(1989)
「姫路市、飾磨市、飾磨郡白浜町、同広畑町、揖保郡網干町、同大津村、同勝原村、
同余部村が解消合併し、新生姫路市誕生(市長臨時代行者・原惣兵衛)」→『新設』
※但し、市長の歴数は1889年の市制施行時から通算。
【目で見る姫路市の100年】郷土出版社(1994)
「姫路市・飾磨市・飾磨郡白浜町・広畑町・揖保郡網干町・大津村・勝原村・余部村が
解体合併し、新しい姫路市誕生。」→『新設』
【ふるさとの軌跡─網干の歴史と文化財─】
姫路市立網干小学校120周年記念事業実行委員会(1993)
「網干町を廃し姫路市に編入のため兵庫県姫路市網干国民学校となる。」→『編入』
【姫路市立大津小学校百周年記念誌 おおつの海】
姫路市立大津小学校百周年記念誌編集委員会(1991)
「姫路市に合併し、姫路市大津区となる(三月一日)大津村役場は大津支所となる」→『不明』
(筆者注:大津支所は1962年廃止、広畑支所に統合)
【すぐりべの里 姫路市立勝原小学校創立百周年記念誌】
姫路市立勝原小学校創立100周年記念事業実行委員会(1992)
「勝原村姫路市に編入せられ解村、支所を置く。初代支所長は前村長立川捨蔵」→『編入』
(筆者注:勝原支所は1959年8月廃止、網干支所に統合。また、立川氏は『立川文庫』の
創始者立川熊次郎の弟です。姓は本当は『たつかわ』と読みます)
【広畑小学校百年史】広小百年を祝う会(1972)
「市町村合併により広畑町は姫路市に編入される」→『編入』
【姫路市立八幡小学校創立100周年記念誌 やわた】
姫路市立八幡小学校創立100周年記念事業委員会(1994)
「市町村合併により姫路市立八幡国民学校となる。」→『不明』
(筆者注:その前の広村と八幡村の合併で広畑町が発足した時の記述と全く同じ)
【網干町史】川嶋右次/共編(1951)
議 第三四號
時勢ノ進運ニ伴ヒ、播州中原ニ近代的一大文化都市ヲ建設スル為、姫路市、飾磨市、
飾磨郡白濱町、廣畑町、揖保郡網干町、大津村、勝原村及余部村ノ併合ヲ斷行シテ、
強固ナル地方自治團体ヲ建設シ、民主々義ニ依ル地方行政ヲ執行シ、以テ自治ノ新興発展
住民ノ福利増進ヲ期セムトス。
(1946年1月16日可決)
議 第三六號 姫路市制施行ニ關スル内務大臣諮問答申ノ件
兵庫縣姫路市 飾磨市 飾磨郡白濱町 廣畑町 揖保郡網干町 大津村 勝原村及余部村ヲ廢シ
其ノ區域を以テ姫路市ヲ置カルゝノ件ニ關シ別紙ノ通リ内務大臣ヨリ諮問アリタルヲ以テ
左(筆者注:原文は縦書きなので『下』と読み替ればOK)ノ通リ答申スルモノトス
答申書
昭和二十一年二月十三日内務省兵地第二號ヲ以テ御諮問相成候 兵庫縣姫路市 飾磨市
飾磨郡白濱町 廣畑町 揖保郡網干町 大津村 勝原村及余部村ヲ廢シ其ノ區域を以テ
姫路市ヲ置カルゝノ件本會ニ於テハ異議無之。
(1946年2月17日議決)
→『新設』
…一体どうなっているんでしょう?Issieさんが[21963]で書いているように地方自治法の
制定前の話ですから、舞鶴市のようにとことん『新設』をアピールしているならともかく
そうでない場合は曖昧になっているんでしょうか?
まぁ姫路市の場合、合併方式はどっちだろうが「『ラモート合併』は『対等』の精神で
合併した」事に変わりはありませんが。
[21922] 2003年 11月 11日(火)02:18:00またーり さん
姫路市の合併について
[21921]両毛人 さん
おっしゃる通りで、一応1946年3月1日の合併は「飾磨市など1市3町3村の
姫路市への『編入』」というのが公式です。
ただこの合併(画策・推進した進駐軍軍政官の名を取って俗に『ラモート合併』と
呼ばれています)、実は姫路市自身は『新市誕生』と位置付けていて、対等同然の
扱いをしているんですよ。
姫路市のHPの年表などでも他の合併とは明らかに違う記述をしていますし、
他の合併→○○町(村)を合併
ラモート合併→飾磨市、白浜町、広畑町、網干町、大津村、勝原村、余部村と合併し、
新しい姫路市誕生(後略)
各年度の統計要覧では市長・助役・収入役や市議会正副議長をの第○代というのを
『新市誕生』で一度リセットしているぐらいです(まぁ市長の場合は対外的には
1889年の市制施行からの数字を使うとは思うんですが、そういう場合でもむしろ
『新市誕生』以降から数えた数字と一致する『公選○人目』という表現を使う事が
多いようです)。
そして、現物を見た事がないので何とも言えませんが、ラモート合併当時の資料の中に
「姫路市・飾磨市(中略)を廃し、新たに姫路市を置く」という完全に『新設合併』を
謳ったものが存在したという話を聞いた事があります。もしかすると、当初は本当に
『新設合併』にする予定だったのが、手続きの関係(『新設』の方が繁雑になるのは
最近の合併でも分かる通りです)でより簡単に合併できる『編入』に変更した上で
『市としての見解』は『新市誕生』のまま…という事にしたのかも知れません。
改めて思えば姫路市に『区』が存在するのも、この地域の住民が姫路市街へ行く事を
「『姫路』へ行く」と言うのもこういう経緯が関係しているのでしょうね。
もちろん自分(勝原区出身・在住)も「『姫路』へ行く」は日常的に使います。


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