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なおさんの記事が5件見つかりました

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[36236] 2004年 12月 31日(金)07:51:12なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・野津原町
-野津原町-(大分の自然豊かな教育に結構貢献してる町)←少年自然の家とか博物館が中部地区では絶対訪れるのです。
大分県のほぼ中心に位置しています。自然環境やそれを活用した産業も盛んです。
以前は大分市などの都市化により過疎化が進んでいましたが、市街地の進行に伴って現象は純化を示しました。
近年では、IC工場が建てられ、食品工場も進出しまして、看護科学大学も設置されました。
平坦地は狭く、77.7%(縁起がいい)の自然に囲まれていて、壮大な山々に囲まれています。
大分川が流れており、下流地域への水の供給の源となる『大分川ダム』もあり、10万人以上のUSERを潤しています。
七瀬川(大分川の支流)も流れていて、蛍などが良く見られます。
この地形により町民5000人は平坦地から標高500mに及ぶ山間部にまで生活域が及んでいます。
産業振興や生活環境は決してしやすい環境ではないのですが、独自の文化や壮大な自然環境を生かしたまちづくりがされています。
ちょっとしたコメント:今市の石畳は地名になるほどのものですので、一度見物にきてみてはいかがでしょうか?

≪人口:5035(5094)人≫≪面積:90.74(90.74)km2≫≪人口密度55.49(56.14)人≫
[36228] 2004年 12月 30日(木)22:04:39【1】なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・佐賀関町
-佐賀関町-(全国名高い“関サバ”“関アジ”の産地)
~歴史~
佐賀関半島部は豊予海峡を経て、愛媛県佐田岬半島と相対しています。
歴史は古く、神武天皇が東征の際、立ち寄られたという伝説があります。
また、昔から九州・四国・瀬戸内地域・近隣との交流が盛んであり、
海上交通の要所で海部郡佐加郷と呼ばれておりました。
また、瀬戸内海航行の取締りにあたる関司が置かれ、現在の地名の由来となっています。
数次の合併を経て明治40年に神崎村・佐賀関町・一尺屋村の三町村となり、
昭和30年1月1日この三町村が合併して現在の佐賀関町が誕生し、現在に至っていりました。

~現況~
リアス式海岸による天然の良港を生かし、水産業・銅の精錬により発展してきました。
高度経済成長期を過ぎて第2次産業の発展が停滞してくると、人口が急減しました。
しかしながら、関アジ・関アジのブランドを生かして、水産業の町づくりを進めています。
海上交通として国道197号線の『国道九州四国フェリー』が三崎町に出航し大分の東の玄関口となっています。
周囲は海に囲まれているので、海洋性の気候であり、瀬戸内気候に属しています。

≪人口:12028(12860)人≫≪面積:49.42(49.39)km2≫≪人口密度:243.38(260.38)人≫
[36226] 2004年 12月 30日(木)21:33:50なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・大分市
自分の故郷の自治体の合併直前の紹介をする流れがありますので、
以前合併後自治体の紹介をしていたので、便乗したいと思います。

-大分市-(僕の住んでいるまち)
古代の坂門津から現在の新産業都市形成まで、瀬戸内ルートを主幹にした「海の道」を媒介に市史を刻んだ東九州の要地であります。
豊後国府以来、現代まで1300年にわたり現在の大分県とほぼ同じ区域の政治を担ってきています。

~これまでの道~
古代、亀塚古墳(現住の地区に存在)など別府湾沿岸に古墳が営まれ、豊後での古代勢力形成の中核となりました。
その後、全国に建立された64か国の国分寺のうち3指に入る壮大な七重塔を持った豊後国分寺が造営されました。

戦国の世になりますと、東九州初の商業地である府内町が形成され、いち早くキリスト教を導入しました。
また、日本で最初に西洋文化の摂取に努めた英傑大友宗麟の出生・繁栄の中心地でもあります。

江戸の世になりますと、府内町は東九州最大の商業地となり、藩分立の中にも鶴崎、三佐、戸次など藩を超える地域づくりが展開されました。

明治時代には県庁が置かれ、1911年に現在の本庁地区をもって大分市が市制移行しました。
ほぼ同時期に鉄道などの交通機関が整備されて、都市的なシステムがおおよそ整備されていきました。
第二次世界大戦で大きな被害をうけました。
しかし、飛躍的な復興をとげ、1963年には鶴崎市・大分町・大南町・大在村・坂ノ市町と対等合併を行いました。
翌年には新産業都市に指定され、戦後日本の高度経済成長の典型的な事例として現在も産業が興隆しています。

~現況~
大分県の県庁所在地であります。
鉄道3線や高速道路など県内外からの主要幹線道が合流する要地に位置し、
豊後水道を経由して内外に通じる海上交通の要衝も占め、東九州における経済活動の動脈を形成しています。
さらに、将来の太平洋国土軸と地域連携軸とがクロスする位置にもあります。
高崎山自然公園・田ノ浦海岸や霊山・九六位山などの山々が大分市の周囲を囲んでおり、
その合間から流れる大野川・大分川が貫通し、乙津川などの分流へ分かれたりなどしてまして海に注ぎ込まれます。
海岸部では鉄鋼や石油に関する工業がかなり発達しており、内陸では上の自然に溢れた環境を生かした精密工業が盛んです。
それらを運搬するのにも良いU字型の湾も自治体を超えて有しております。
官庁街や商業地・工業地帯の周りの平野部に広く住宅が広がり、丘陵地には大規模団地が形成されています。

≪人口:443977(436470)人≫≪面積:360.97(360.74)km2≫≪人口密度:1229.96(1209.93)人≫
()は国勢調査当時、()なしは2004年10月1日現在です。
[36198] 2004年 12月 29日(水)14:34:00なお さん
帰ってきました!!
数時間前に大分の方に到着いたしました。
最終日はというと、恋人岬(断崖絶壁)で慌しくタモ芋のアイスクリームを食べたり、
3回鳴らすと恋がかなうという恋人の鐘・・・(お姉ちゃんが見事に成功!!)
ここの伝説を話すとみなさんの探究心を踏みにじるかもしれないので調べてください!
その後は免税店でショッピングをして海中散歩をしたところの水族館に行きました。(写真が缶バッチでヨン様までいました・・・・
そしてまたショッピングをしました。
もう帰りも近いのでその後は男性2(泳ぐ)女性2(買い物)で行動しました。
今日はグアムを夜中遅く!?に起きて朝に飛行機に乗りました。
日本は冬型の気圧配置に見られる雲が敏徴に表れていましたよ。
鹿児島も結構大きな町で・・・・熊本も・・・・・・と風景をみました。(壱岐も・・・。

で日本に帰ると・・・・・・・・・・・Wow!It's so cold!!
そして、大分に入ると・・・雪景色!!(別府に入ると寒いだけ・・・。
というわけで今書き込んでいます。
[36114] 2004年 12月 27日(月)20:12:44なお さん
グアムからの送信です。
現在、グアムのネットカフェからの書き込みです。
15分間しか書き込み時間がないので簡潔に。

現在、滞在3日目で明後日の午後に帰着予定です。
主にジャングルをボートでクルージングしたり、横井さんの記念館にいきました。
これらは今日の午後にしたことで、昨日と今日の午前中は基本的に海水浴を楽しんだり、プールで泳いだりと、
冬にして常夏ならではのことを・・・・

食事の方はそこそこで一番口にあっているのは家族の中でも僕のようです。(全体を総括すると
ショッピングでは服を買ったりしてます。

昨日は海中散歩をしました。特に餌付けをしたりしましたね。
まぁこれぐらいにしときましょう!!
それでは時間がありませんのでこれぐらいで。

See YOU Nxst Time!!


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