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そらみつさんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[93760]2017年9月15日
そらみつ

[93760] 2017年 9月 15日(金)09:08:55【1】そらみつ さん
特別な国 志摩・若狭・淡路
あまり詳しいわけではありませんが、軽く検索したらまだ話題になったことがないようなので、ちょっと書いてみます。説明の中に勘違いや間違いが含まれている可能性もありますが、知っている範囲で書きます。


前記事[93759]では令制国別に最初の市を並べたわけですが、国によってそれには早い・遅いがありました。中でも目を惹くのが、本州にあるにも関わらず最初の市が遅い若狭と志摩だと思います。何故、こんな国力の低い地域を独立した国としているのか?

これが島の国だったら話は簡単です。本州の領土と島の領土を一括で管理するのが、当時(奈良~平安時代)の人にとっては難しいことだったのです。この場合、多少国力が弱くても独立させた方が良いという判断になるのも当たり前ですよね。
これには佐渡、隠岐、対馬、壱岐が当てはまります。ほかに一時期だけ存在した国として、値賀(現在の五島列島)、多褹(現在の大隅諸島)があります。小値賀島、種子島などの地名にその名前が受け継がれています。なお、この内西海道に属する対馬・壱岐・値賀・多褹については、「国」ではなく「嶋」という接尾辞が使われることが多かったようです。

しかし、若狭や志摩はそうではありません。越前や丹波や近江に若狭を含んでも、伊勢に志摩を含んでもよかったはずです。実際志摩は最初は伊勢の領域に含まれていました。
実は、これらの地域は他の国にはない特別な役割を持つ朝廷にとって特に重要な地域だったのです。

若狭、志摩、そして淡路の三ヶ国は、他の国とは区別して「御食国(みけつくに)」と呼ばれます。
「御食」という言葉には、「神饌」という意味があります。つまり神々にお供えする食物です。「神饌」にされる食べ物は当然、献立・調理法・調理場所・調理人・供え方・容器・産地に至るまで、全て指定された神聖なものを用いなければなりません。その神聖なものを献上するための土地として選ばれたのが、若狭・志摩・淡路の三ヶ国でした。
具体的には、海藻類や貝類などの海産物を献上していたようです。

国力が低いのに独立している国として、ほかに飛騨もあります。飛騨といえば日本で随一の山間部にあり、石川県ほどの面積を持ちながら市町村数はたったの4という日本有数の過疎地でもあります。これは当時から変わっておらず、同じくらいの面積(目測)の近江が12郡あったのに対し、3つしか郡がありませんでした。またあまりに人口が少ないので税の一部が免除されていたそうです。その代わりとして、飛騨地域では都に大工として働きに出ることを義務付けられました。
「御食国」である三ヶ国とは少し違いますが、「他と一緒に管理すべきでない地域」が独立したという点では同じです。


さて、あと残る謎は「何故」この三ヶ国が選ばれたのかということです。パッと見で畿内からそれほど遠くない地域であることはわかりますが、それだけなら丹後や阿波、紀伊のあたりから分立させても大丈夫そうです。わざわざあの地域を選んだことには、どんな理由があるのでしょうか。
若狭国については、単純に地理的なことが原因であるようです。この地域は若狭湾としてくびれているため、日本海側で都からの距離が一番近かったのです。延喜式でも、若狭から都では3日なのに対し、丹後からは7日かかるとされています。
他の二国は、「御食」を管理する役職(内膳司)の一族の土地であったことが原因だそうです。それが「安曇氏」と「高橋氏」です。「御食」を管理しているのだから、素材も自分たちで用意するのが当然だとなったのでしょう。安曇氏は信濃の西北部にも領土を持ち、のちの「安曇郡」となりました。


「御食国」のほかにも郡単位で同じ役割を果たしたところはあります。信濃の「安曇郡」、三河の「渥美郡」、そして尾張・紀伊・阿波・豊後の「海部郡」と隠岐の「海士郡」です。
「安曇郡・渥美郡」は、先ほどの「安曇氏」に由来する名前です。出羽の「飽海郡」もその可能性があると思います。
一方各地の「海部郡・海士郡」は、もとは「海部(あまべ)」に由来すると考えられます。この「部」という接尾辞、聞いたことのある方も多いでしょう。「物部」「刑部」「春日部」「日下部」……ほかにも様々な「部」がありますが、これは単なる姓を表す言葉ではありません。その人物がどのような仕事をしているかを表す言葉なのです。「犬養部」なんかはわかりやすいですね。犬を飼育する仕事をしていました。
「海部」は「あま」ですから、簡単にいうと漁師です。ただし実際に漁をするというよりは漁師たちの管理役ということなのでしょう。そんな「海部」の名前がつけられているのは、「海部」が支配していた土地です。つまり、海産物を献上する土地だったのです。
なお、但馬・肥前にある「養父郡」も「海部郡」の仲間だとする説があります。好字二字をつける際に、「海部(あまべ)」→「海部(かいふ)」→「養父(かいふ)」→「養父(やぶ)」と変化したのではないかとのことです。



要するに、「『御食』を用意するための国や郡があり、郡ではそれにちなんだ名前が付いていた」という話でした。


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