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がんす横丁ままさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[40141]2005年4月21日
がんす横丁まま
[40120]2005年4月20日
がんす横丁まま
[40119]2005年4月20日
がんす横丁まま
[40092]2005年4月19日
がんす横丁まま
[40065]2005年4月19日
がんす横丁まま

[40141] 2005年 4月 21日(木)12:37:15がんす横丁まま さん
うれしい悲鳴です
40137 太白さん
 思いつくままで、これだけ!とは、末恐ろしい学者でいらっしゃいますね。あとで判ったことですが、パソコンには、漢字国名も入力されていることを知りました。省略なしで。亜米利加、英吉利、伊太利亜、阿蘭陀、仏蘭西、独逸、白耳義、濠太剌利、墺太利、などなど。またこの漢字国名は、中国で使っていたものを、戦前日本が取り入れたものだそうです。戦前の三省堂「最新世界地図」は、カナ国名と漢字国名が併記してあります。(1940年版)ありがとうございました。

40138 JOUTOUさん 
 米沢の思い出ありがとうございます。故郷米沢には、もう両親はみまかりましたが、実家は弟が跡を継いでいますし、妹家族も住んでいます。心やさしい友人も大勢いらっしゃいますが、すっかりごぶさたして申し訳なく思っています。毎年ふるさとの館山りんごをどっさり送ってくれます。吾妻連峰にはまだ残雪があるのだろうなあ、などと思い出しています。さくらも、りんごの花もまだでしょうね。いつも上杉神社春の祭礼ごろ(4月29日)に咲くのですから。
ところで、米沢駅と聞いて思い出すのは、「おぢるひとが、しんでからおのりください」(下りる人が済んでからお乗りください)は有名でした。今ごろはいわないのでしょうね、そんぴんさん。

40139 美濃織部さん

 広島3年目にして、「たいぎい」と「たわん」が気になるとは、恐れ入りやの鬼子母神です。
「たいぎい」は、「大儀」が語源で、古語辞典の受け売りによれば、1、ほねがおれる、やっかいだ。2、費用が多くかかる。3、労をねぎらう、ご苦労さんの、三つの意味があって、広島弁では1と2の意味をよく使います。3は、よく時代劇で「大儀であった」などと殿様がいってますよね。
「たわん」の「たう」は、「とどく」の語源になるほどの古いことば。「たうだく」(手抱く)から。
ここからは、推論ですが、「たうだく」の語幹「たう」が残って「とどく」意味に使われたのでは?と思われます。不思議な広島弁ですよね。
[40120] 2005年 4月 20日(水)18:16:39がんす横丁まま さん
広島弁「たちまち」について
40114 愛比売命さんご指摘の広島弁「たちまち」について私の見解です。
「たちまち、間におうとるけん」(今のところ、間に合ってるから)
「たちまちは、いらんけん、買わんかった」(今すぐには要らないから、買わなかった)
などと使う「たちまち」ですが、ご指摘の通り、共通語で「たちまち」は、「たちまち売り切れてしまった」のように、「またたくまに」の意味や「空が曇ると、たちまち大雨が・・」のように「急に、にわかに」の意味があるようです。しかし、古語辞典を引くともうひとつ「現に、ただ今」という意味があり、「今昔物語」の例が挙げられています。広島弁の「たちまち」は、こちらの「現に、ただ今」の意味で使われてきたものが残って使われているのではないでしょうか。広島弁は、不思議と古語が多く残されている方言だと思っています。古語辞典は、旺文社、角川書店、その他です。
他府県でも、広島弁の「たちまち」の意味で使われているところが、あるのでしょうか。もう一つ、共通語と真反対の意味で使われている広島弁に「満てる」があります。これも「満つ」ですから、いっぱいになる意味ですのに、広島弁の「みてる」は「空っぽになる」ことです。これも、古語に「満杯になる」意味の他に「ある一定の期間が終わる、期限がくる」意味がありますので、これも古語の名残でしょうか。広島弁は案外「そんぴんたかり」なのかも知れませんね。
[40119] 2005年 4月 20日(水)17:33:45がんす横丁まま さん
読んでいただけて感激です
般若堂そんぴんさん、愛比売命さん
こんにちは。いま帰宅してメールを開けて、このサイトに直行しました。そんぴんさん、私も旧市内の米沢市出身です。「ことば」をいじくるのが好きで×十年、ずーっと米沢弁と広島弁の違いを楽しんでエッセイを書いたりしてきました。愛比売命さん、というわけで、東北出身の広島人です。26歳で広島にきて、広島在住の方が長くなりました。米沢弁をバイリンガルとして、「おくにことば研究会」では、トーホク弁代表とされ、ひとくくりにすると、目をむかれそうですが、広島ではズーズー弁は同じに聞こえるようです。米沢弁で山形の昔話を語って広島の人を煙にまいています。広島弁も明治生まれの夫の母に伝授されたものを武器に広島の昔話も語る、両刀使いです。夫も子どもも広島生まれの広島育ちで、時折あやしげな私の広島弁は修正を余儀なくされ、ますます磨きがかかります。
さて、数日前から、「來秋」じゃ「来広」じゃとかしましい論争?が面白く展開されていますが、児童文学月刊書評誌「子どもの本棚」5月号を読んでいたら、巻頭言の中に「五度訪越した」という言葉に出会いました。「來広」「來秋」「來盤」が気になっていた折も折り、外国を訪れることは「訪中」「訪米」「訪英」ということ、これも「來広」と同じ次元で考えられることですね。ただし、海外の場合は、すべて国名を日本語で漢字化しないと使えない。さあ、各国名を漢字に直したらどうなるのでしょうか。お暇な方、各国名漢字一覧をよろしくお願いいたします。
ところで、「訪越」はベトナムを訪れたことですが、ベトナムは昔「越南」と呼ばれていたからです。歴史も紐解かないと、理由もわからない、奥深さがありますねえ。
[40092] 2005年 4月 19日(火)23:54:58がんす横丁まま さん
広島弁には安芸弁と備後弁があります
国道が通ってるじゃの、通ってないじゃのの会話は無視してマイペースで書き込ませていただきます。
さきほど、プロフィールの紹介を拝見しましたら、主力メンバーに結構広島人がおられるようで意を強くしました。また、般若堂そんぴんさんは山形県も米沢市!近郊と伺い、わがふるさとの方!と世間の狭さに驚きました。
「広島弁」と、ひとくくりで言ってしまいましたが、私は安芸弁を中心に話題を進めることにします。安芸弁と備後弁は、同じ広島弁でも随分違います。夫の母は、広島市八丁堀生まれの八丁堀育ち(広島の街のど真ん中)であることを誇りとしていました。だから、近郊界隈のことばで広島弁といえば「がんす」があげられますが、「街じゃつかわなんだ」と「がんす」を「いなかことば」と区別していました。が、そのうち、だれもが使うようになり、広島弁代表筆頭にまでなったものです。「がんす」は、
「あるんでがんひょうかのう」(あるのでしょうかね)「そがいなことがんせんでしょう」(そんなことないでしょう)などと使い、「ある」の丁寧な言い回しです。主にお年寄り(男女)が使い、若者は使いません。男の人は、中年ごろから使うようです。私はまだ使えませんが、いつか使おうと思っています。他に「広島じゃけん」の「じゃけん」「じゃけえ」」(だから、の意味)がありますが、この
「じゃけん」も、県北にいくと「だけえ」となり、安芸蒲刈島では「じゃきに」と言ったりします。語尾に気をつけていると、話し手のふるさとが感じとられて面白いですよ。ではまた。
[40065] 2005年 4月 19日(火)10:00:15がんす横丁まま さん
向宇品再々燃
もう一つ、どなたも指摘しておられなかったので、付け足します。
広島の宇品港(広島港)のある街側と向宇品島(元宇品)を結んでいる橋は、「あかつき橋」(通称めがね橋)といいます。築港した千田貞暁の偉業を称えて、「暁」の文字をとって「あかつき橋」になったといわれています。戦時中、ここ宇品に駐屯した陸軍運輸部隊を通称「あかつき部隊」といいました。原爆が投下された折、このあかつき部隊は、罹災者救出に不眠不休の働きをしてくれました。
「あかつき橋」の辺りが、宇品港の船溜まりですが、ここが唱歌「みなと」のモデルといわれています。しかし、作曲者吉田信太は、この曲で有名になり、明治35年広島高等師範学校開校とともに招聘されました。作詞者旗野十一郎は、東京音楽学校の国語の教師で、吉田とは師弟関係にあります。「みなと」作曲のいきさつは、安田寛著「日韓唱歌の源流」1999年刊p.156「港」血族の始祖 に詳しく載っています。作曲の授業中に小山作之助先生が褒めた歌だったんだって。では、どうして「詩碑」が建つに至ったかといいますと、吉田信太に招聘されたW氏が、吉田信太のあとを受け継ぎ、広島市民に広く西洋音楽を広める貢献をして、戦後1965年ごろ、広島のNHKテレビに出演した折に、「みなと」は宇品港がモデルだ、と発言したのが広まるきっかけになったようです。広島市民は、「みなと」の歌のイメージとよく似た宇品港ですから、歌のふるさとであってもいい、と思っています。


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