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ありがたきさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[28415]2004年5月19日
ありがたき
[28374]2004年5月17日
ありがたき
[28273]2004年5月15日
ありがたき
[27929]2004年5月5日
ありがたき
[27666]2004年4月24日
ありがたき

[28415] 2004年 5月 19日(水)01:48:31ありがたき さん
折衷?
醤油な話題が挙がっていたところ、ふと思い出したので横道に。

大阪時代、中学生の頃でしたが、三重県へ夏季合宿に行った時のこと。食堂で不思議な調味料に出会いました。ラベルに「しょうゆ味ソース」と書かれた代物で。あまりに難解なその名称に、思わず味を確かめるべく掌にたらしてペロリ。醤油といえば醤油、ソースといえばソース、あれぇ?もう一度、ペロリ。???

そして、隣のクラスの担任の先生にゲンコをいただきました。いただきますの前の学年主任の先生のお話の最中でした。好奇心と探究心の塊ゆえに今の状況をすっかり見失ってましたw

今でも謎です。が、どうやら醤油の風味がまんてんのウスター系さらっとしたソースだったのは間違いないようで。ところで、これって現存する商品なのでしょうか?メーカーとかまったく覚えてないですし、それ以降まったく出会えてないんですよ。
[28374] 2004年 5月 17日(月)19:42:00【1】ありがたき さん
カップめんの東西
[28353]かすみ さん
カップうどんの「どん兵衛」は関ヶ原を境に、西では「淡口醤油に鰹と昆布」、
東は「濃口醤油に鰹」と変えています。「赤いきつね」も確か東西で違うはず。

かすみさんの挙げられた、どん兵衛の日清食品、赤いきつねの東洋水産(マルちゃん)の他にもつゆ(スープ)の東西差が見られるメーカーはありますね。少なくとも上記2社は間違いないのですが、味の東西がどちらなのか、パッケージ上に表示されています。東味には「E」、西味には「W」の文字が、ふたやカップ側面のどこかに印字されています。

日本列島を東西に分ける境目は、フォッサマグナだったり家庭用交流電気の周波数だったり、はたまた高校野球のトーナメントの東西ブロックだったり、いろんな切り口があってそれらは微妙に異なるのが面白いですが、カップめんの東西も味の嗜好と商売における需要・供給のバランスという微妙な差と販売経路の単位ブロックという大雑把な境目で切り分けられた不思議なものになっているかと思われます。メーカーによってもしかしたら線引きが異なるかもしれません。

ちなみに、赤いきつねについて調べてみたところ、太平洋側では三重県以東と和歌山県以西、日本海側では新潟県以東と富山県以西という線引きだそうです。パッケージでは、ふたの謳い文句が違いまして、東向け「かつお風味豊かなこだわりうどんつゆ」、西向け「かつお、にぼし、昆布が効いたこだわりつゆ」、西向けの中でも大阪・京都・兵庫・奈良・滋賀・和歌山の2府4県に関しては「関西」という表記を用いているので、「E」「W」表記を探さずとも区別できるようです。
(東洋水産サイトから一部引用。 http://www.maruchan.co.jp/library/kitune_04.html

お住まいの地域で、どのメーカーのどの銘柄はどちら?というのを確認してもらうというのももしかしたら面白いかもしれませんね。場合によっては飛び地があるかもしれませんし。

それをやるとしたら、ルールではないですが、無造作に調べても収拾がつかないのである基準を設けた方が良いかもしれませんね。だとしたら、ちょっと考えがあるのでお時間下さい。

※赤いきつねの東西区分を追加
[28273] 2004年 5月 15日(土)02:42:20ありがたき さん
東京都人会
わたしのアイデンティティとはなんぞや?的なお題目。激しく反応せざるを得ませんでした。冒頭引用が多くなりましたが、みなさんの意見(想い)と対比させるために大事なものだと思い、あえて長々と引用させていただいております。ご了承ください。

[28260]般若堂そんぴん さん
ふと思ったのですが,「県人」と「県民」は意味が異なるのではないでしょうか(過去ログを見ると,両者はほとんど同じ意味で使用されていますが).

[28262]ちゃっきー さん
みなさんの中で出身地というのはどのような基準であるのでしょうか??
転勤族の多さに反映されてか、最近は出身地という言葉でなく、出生地という言葉で使うところも多くなってきていますが・・・

[28265]Issie さん
私の「出生地」は,新潟県の長岡市です。

(中略)

私は,自分の出生地である長岡について,ほとんど何も知りません。

(中略)

だから,私にとって「出生地」とは,ほとんど意味がありません。

私は自分の「出身地」として,千葉県習志野市を選びたく思います。
もう少しいえば,「袖ヶ浦」。ここが,小学校入学前から中学校3年までを過ごした場所だからです。

(中略)

要するに,私にとって自らをアイデンティファイするのは,「出生地」ではなくて,「出身地」の方だと,自分では思っています。

[28266]両毛人 さん
私の場合、大学時代に家元を離れていた以外は、すべて居住地も変わらず、居住している建物さえも変わらない生活を送っております。なので、自治体を基準とすれば、出生地は群馬県太田市、その後の生活の本拠も現在に至るまでずっと群馬県太田市(しかも同じ住所)でして、出生地と出身地を明確に区別してイメージすることができないのです。

[28268]烏川碧碧 さん
今、単に「どこの県の人ですか?」と聞かれたとしたら、たぶん即答はできません。
この10年弱、東京都民のときもありましたし、埼玉県民のときもありました。今は千葉県民です。でも、いつのときも1日のほとんどの時間を東京都内で過ごしていました。

それでも東京への帰属意識は微妙なところです。
うまく表現できないのですけれど、「出生地」としての東京、母の「田舎」としての東京、そして「通い先」としての東京は、同じ存在ではないのですね。

わたしの「出生地」は東京都杉並区です。生まれて1年経つ前に仙台に引っ越しているので、東京で生活していたという記憶がまったくありません。その後、仙台市、寝屋川市、大阪市、野々市町、柏市、横須賀市と転居し、現在横浜市に住んでいるのですが、いずれの場所にも思い出がありますので確かにそこに居たという実感があるのですが、出発点である東京だけは残念ながら実感がないのです。
しかし、そんな東京ですが「出身地は?」と聞かれれば迷うことなく「東京都(杉並区)」と答えます。なぜ自分はそう答えるのか、と考えることが度々あるのですが、結論としては、そこに自分が居たという事実を自分で実感“させる”ための「回答」が出身地を東京という行為なのではないかということ。

わたしがどこで生まれようとわたしはわたしなのでしょうが、父親の生まれ育った地(厳密に言えば、父は今で言う豊島区の巣鴨生まれですが、疎開で杉並に越してきた)であり、本籍地であり、いずれはそこに眠るでしょう我が家のお墓がある多磨霊園の所在地である「東京都」を「記憶」としてないのならば「想い」として持つことで、それが自分のアイデンティファイなのだと(もしかしたらそれは錯誤なのかもしれませんが)してきました。たぶん無理矢理してきたのでしょうけど。転勤族の子供だった自分が、転々とするうちに行く先々でアイデンティティを保つため(だと思うんですが)、「東京」というキーワードを見つけ、それを失わないように、南阿佐ヶ谷(=杉並区役所)に保管されている紙という事実にこだわり続けているだけなのかなぁ?

その紙の話ですが、先日、父親が定年退職の折に手続きで必要ということで戸籍謄本を取り寄せていたのですが、それを見せてもらったら、まぁ当然なのですがわたしの名前が刻んであって、出生地として「東京都杉並区~」と書いてあったんです。実は戸籍謄本を目にしたのはこれが初めてだったのですが、ちょっと涙ぐんでしまいました。運転免許証の本籍地欄とは重みが違いましたねw。

周りの人に「出身地の定義とは?」と聞くと、ある人は「最も長く住んでいた場所」と言い、ある人は「就職する直前に住んでいた場所」と言います。もしこれに当てはめると、前者は就職直後であれば大阪府、今なら神奈川県、後者は石川県となってバラバラです。「生まれた場所」と言う人も居ますが、1年と居なかったわたしのケースだとそれは違うなとなったり。

周りはどう言おうと、「出身地は東京都」という意見には揺ぎ無いのですが、こんなわたしの考えっておかしいでしょうか?何度考えても同じ結論に行き着くものの、いつも自信がなくって凹んでしまうんですが…

「都道府県市区町村」というテーマで意見を交わしてきた皆さんでしたら、そんなわたしの考えに何かしらしっかりとした骨を付け加えてくれるんではないかと思って、このような長文書いてみました。

ちなみに、東京都にこだわるからといって、他の居住地が嫌なわけではありません。どこもステキな思い出でいっぱいですよ
[27929] 2004年 5月 5日(水)13:55:19ありがたき さん
連休真っ只中
5月1日に納車になったばかりのバイク(新古車)でいきなり、金沢までのロングツーリングに出かけることに(思いつきで)なったのですが、行きは晴天で顔を日焼けでボロボロにし、帰りは大雨で服も靴もグショグショにし、ツーリングのスキルアップにはもってこいの天候でしたw
そんなこんなで、今まだ長野に居まして横浜に帰り着いてはいないのですが、服もグローブもこたつで乾かすことができ、靴は新しいものを買ってなんとかなり、今晩には帰り着けそうです。

[27922]TGRS さん
九戸郡に晴山村、あったのですね。久慈市に住んでいたころ、晴山さんという苗字の方がけっこういたのです。どっちが先かはわかりませんが、地名と縁のある苗字なのですね。それにしても「晴」のつく地名より「雨」のつく地名が多いとは、一瞬意外だったのですが、雨のほうがどっちかというと大切ですね。田植えの話をしたので、なおのこと。

母親の実家は九戸郡軽米町でして、お姉さん(わたしの伯母さん)が嫁いだところが晴山です。以前もちょっと触れましたが、親戚を呼び合うとき、住んでいる町名などを屋号のようにして呼ぶので、その伯母さんから電話がくると、「こんばんは、晴山です」となるんです。ところで、その晴山の伯母さんとこではタバコを栽培してまして、収穫の時期には雨が降ると台無しなので、晴山はもってこいなんでしょうね。いつぞやの集中豪雨で二戸やら軽米のあたりで鉄砲水が出たとき、畑が全部流されたような話を聞きました。いずれにしても、晴れも雨も程ほどに…。

ちなみに、ウチの実家は父親の転勤の関係で転々としてますので、屋号も変わるんですよ。わたしの記憶のあるところからだと、「大阪です」「金沢(本当は野々市ですが)です」再び「大阪です」となって、いまは「名古屋です」と言ってます。
[27666] 2004年 4月 24日(土)17:39:51ありがたき さん
また少し、横浜市中区と鶴見区が近づいた
本日4月24日の15:00をもって、横浜ベイブリッジ下層部の国道357線が開通しました。
6車線(片側3車線)道路の予定のところ、半面のみの暫定共用のため当分は2車線なのですが、首都高速の料金が普通車で片道600円(大型車は倍の1200円)でしたから、物流関係のコストが削減されたり、一般道利用の場合市内中心地を抜けていた車輌がシフトしたりと効果は大きそうです。
ただ暫定開業なため、アプローチの近辺の混雑は回避できないかもしれませんね。ベイブリッジ(首都高速)経由の市営バス109系統も一般道へはシフトせず、20円割増の高速経由を継続するそうです。
ちなみにこの道路、自動車専用道路と同じで歩行者、軽車輌、125cc以下の二輪車および二人乗りの二輪車は通行できません。


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